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août 2007

31/08/2007

橋下弁護士のブログでの言い回しが過度に品位を欠く理由を合理的に推測してみる。

 橋下弁護士のブログを見ていると、むしろ弁護士をやめるきっかけを探しているのではないかという気がしなくもありません。というのも、ああいう品位を欠く言い回しをして他の弁護士を攻撃すれば、内容以前に、表現のレベルで、懲戒処分を下される蓋然性が高いことは、さすがに彼自身理解してるだろうからです。

 弁護士の単位時間あたりの報酬なんて、テレビ局でレギュラー番組を持つ芸能人のそれと比べるとそもそも格段に低いし、事務所の大きさ、実績、キャリア等から判断すると、橋下弁護士が弁護士として特に高い時間単価を要求できる立場にあったようには見えないし、それでいてタレント活動をしている間弁護士としての仕事はできないにもかかわらず事務所維持費は情け容赦なく襲いかかってくるのだから、彼にとって、少なくとも短期的には、弁護士登録を続ける経済的なメリットはあまり大きくないということができそうです。

 とはいえ、「事務所維持費が勿体ないから事務所をたたみました」では格好が悪いわけですが、「カルト化した弁護団を非難したところ、カルト化した弁護士会から業務停止処分を食らいました。こんな閉鎖的な弁護士会などこちらからやめてやることにしました」みたいな話をして弁護士登録を取り下げるのであれば、少なくともメディア受けはしそうだなあとは思いました。

30/08/2007

マスメディア等が望む刑事弁護人像

 毎日新聞によれば、

 同会によると、男性弁護士は05〜06年に国選で受任した3件の刑事事件を担当したが、道交法違反事件で被告の意向に沿わない主張をして検察側の証拠にすべて同意したり、事実を否認している公務執行妨害事件で暴行があったと主張するなどした。男性弁護士は「証拠品などの客観的資料に基づいて主張した」と話しているという。
とのことです。

 この男性弁護士が、「マスメディアやインターネットでの意見を見る限り、法廷で無罪主張をすることは被害者に対する許し難い侮辱行為であるとするのが多くの国民の声である。私を懲戒すると、弁護士会は国民の弁護士に対する要求を踏みにじることになる。それでもよいのか。」という反論をした場合、マスメディアやネットの論客さんたちは、これに賛同してくれるのでしょうか。

屈してはならない脅し

 近代国家には、いかなる脅しを受けようとも、してはならない譲歩があります。ある種の勢力を法の支配の枠外に置くことは、その一つです。「法の支配」というのは、私たちが不正義の横行しない、安定した社会を維持するのに不可欠の要素です。

 ですから、医師たちが「自分たちを法の支配の枠外に置くまで、一切の医療行為を行わない。さあ、それで困るのはお前たちだ。医療行為を受けたければ、医師の元にひざまずいて、「今後は医師を法の支配の枠外に置きます。医師たちに何をされても、私たちはそれを運命として受け入れ一切を諦めます。」と宣言せよ」との脅しを受けても、これに屈することは私たちの社会に回復しがたい禍根を残すことになります。そのようなことが通用するのであれば、他の業種だって、サボタージュ活動を行うことによって、治外法権を勝ち取ろうとする虞があります。そうなれば、私たちは、守られる「法」を持たない、野蛮な社会に逆戻りすることになります。

 もちろん、医師間の競争を緩和するために医学部の定員を減少させた新規医師人数抑制策を撤廃したり、外国で医師の免許を取得した者が日本国内で医療活動を行うことについての規制を緩和したり、あるいは医師が行わなくとも問題なくなし得る行為を医師以外の者に徐々に開放していくなどの諸政策を講ずることにより、自分たちが法の支配の枠外に置かれることを実現するために一部の医師たちがサボタージュ活動を行うことにより引き起こされる弊害を緩和する等の措置が必要になることでしょう。それだけの対処をしても、私たちは、当面の間、相応の不便を強いられることになるかもしれません。が、医師たちが無謀な要求を突きつけ続けるのであれば、やむを得ないと言わざるを得ません。

29/08/2007

弁護士バッシングと「法の支配」の終焉

 光市母子殺害事件の弁護人に対するバッシングにせよ、「医療崩壊だ!」コメントスクラムにせよ、共通してるのは、依頼者以外の者の感情に配慮して、依頼者の利益を損なう活動を行うように弁護士に無理強いをしようと言うことです。

 もちろん、弁護士は、そのような行動をとることにより何の利益も受けませんし、それどころか、そのような行動を選択する権限を与えられていませんので、第三者の感情を慮って依頼者の利益を損なう行動をとることは、むしろ懲戒処分を受ける危険すら伴うわけです。

 さらにいえば、全ての弁護士がその感情を配慮して行動しなければ第三者というものを認めると、その第三者と利害を対立する者は十分な司法的救済を受けることができなくなる危険が高まるわけで、それは「法の支配」自体の否定にすら繋がるわけです。

 光市母子殺害事件の弁護人に対するバッシングにせよ、「医療崩壊だ!」コメントスクラムにせよ、匿名さんが現実社会の人間を叩くという側面があるので、「匿名さんが現実社会の人間を悪し様に罵ること」をネットの本質と考えている方々が何とかこれをかばおうとするのは傾向として予測できなくはないのですが、そのことのもたらす弊害にも配慮して欲しいものです。

28/08/2007

汚れ役を押し付けないでね

 当院では、勤務医に労働基準法上の所定労働時間を大きく超える長時間労働を課しています。従いまして、当院では、勤務医の労働意欲を維持するため、当院の勤務医の診療ミスにより患者様の生命・身体を損なうことが生じたと致しましても、当院または当院の勤務医に対して法的責任を追及することを固く禁じております。医療とは所詮不確実なものでございますので、当院の勤務医の診療ミスにより患者様が亡くなられたといたしましても、それも運命だと思って諦めて下さい。

という掲示がそこかしこに置いてある病院には私は行きたいとは思いません。

 また、肉親が病院で死亡したときに、病院から

 当院では、勤務医に労働基準法上の所定労働時間を大きく超える長時間労働を課しています。従いまして、当院では、勤務医の労働意欲を維持するため、当院の勤務医の診療ミスにより患者様の生命・身体を損なうことが生じたと致しましても、当院または当院の勤務医に対して法的責任を追及することを固く禁じております。医療とは所詮不確実なものでございますので、当院の勤務医の診療ミスにより患者様が亡くなられたといたしましても、それも運命だと思って諦めて下さい。

という紙切れを渡されたり、事務局からそのような説明を受けたりしたら、大変な憤りを感ずるだろうと思います。まして、そのことに抗議をしたら「お前は医療のことを何も分かっていない。お前は自分の欲得のために、日本の医療を崩壊させる気か」と逆ギレされたら、その病院のことを絶対許してやるものかと思うことでしょう。

 「医療崩壊だ!」系コメントスクラムの方々は、その主張している内容が正しいと思うのであれば、上記のようなことを現実社会でまず実践してみるとよいのではないかと思わなくはありません。また、「医療崩壊だ!」系コメントスクラムに同情的な非医師の方々は、親族を含む知人が万が一病院でなくなるようなことがあったら、

 病院なんて大抵、勤務医に労働基準法上の所定労働時間を大きく超える長時間労働を課しているのだから、勤務医の診療ミスで患者が死んだからと言って病院や医師に法的な責任を負わしていたら、勤務医の労働意欲が失われてしまって、日本の医療制度が崩壊してしまうよ。所詮、医療なんて不確実なものなんだから、○○さんが医師の診療ミスでなくなったというのも運命だと思って諦めようよ

といって遺族を説得したらよいのではないかと思います。

 とにかく、そういう人々の怒りを買う「汚れ役」を法曹、とりわけ病院側から一銭の対価も受けず、むしろ、患者の遺族から相談料をもらって法律相談に応じる弁護士に押し付けないでもらいたいものです。


【追記】

 幼い子供を抱えた母親が「私の夫は、○○病院に入院中に、突如亡くなってしまいました。私は、○○医師による医療ミスがあったのではないかと疑っているのですが、どうしたらいいのでしょうか」と相談に来た際に、「○○病院ねえ。あそこは勤務医に労働基準法を無視した長時間労働を課しているところですね。それなのに、医療ミスであなたの夫が死んだくらいで○○病院の責任を追及したら、あそこの勤務医が労働意欲を失ってしまうではないですか。所詮、医療なんて不確実なものなんだから、あなたの夫が医師の診療ミスでなくなったというのも運命だと思って諦めなさいよ。えっ、今後この子の将来はどうなるのですかですって。そんな、あなたの子供の将来のために、日本の輝かしい医療を崩壊させる気ですか!」といって、相談者を追い返す弁護士を皆様お望みなんでしょうか。そうではなくて、医療過誤訴訟を受任してしまい、しかも勝訴してしまうと、個人として開設しているブログを荒らされても仕方がないということになってしまうようなのですが。

「医療崩壊だ!」系のコメントスクラムの皆さんの要求ポイントは、ずれている

 「保険診療なんて安価な診療報酬しか支払わない患者を死に至らしめたとしても、わざとでない限り、如何に そのミスが重大なものであろうとも、一切の責任を負わない」ということでなければ、医師など続けていられないという方々には、「残念ですが、そこまで仰られるのであれば、仕方がありません。どうぞ他の職業でご活躍ください」という他ないというのが正直なところでしょう。如何に医師が少なくなろうとも、「病気を治してくれとはいいませんし、わざとでさえなければ、やっつけ仕事で命を奪っていただいても本望ですので、どうぞ診療して下さいませ」などと患者やその家族が懇願するという事態は、私には想像できません。

 そういう意味でも、「医療崩壊だ!」系のコメントスクラムの皆さんは、要求するポイントがかなりずれているように思います。いくら「ストライキ」等の対抗策を講じてみたところで、根幹部分についての譲歩を勝ち取ることは非常に困難なのです。社会が譲歩可能なラインを見定めることなく、ただ「俺たちの言うことを聞かないと困るのはお前らだ」と言ってみたところで、まともに相手にされないという事態を招くだけのことです。

 さて、米国の一部の州では医療過誤訴訟改革を行うことにより登録医が増加したとされていますが、それらの医療過誤訴訟改革の中心は「精神的苦痛など非経済的損失に対する賠償金の上限」規制であり、医療過誤訴訟の原則禁止ではありません(ただし、その程度の規制ですら、憲法違反の疑いがあり、カリフォルニア州最高裁は4対3の僅差で合憲としましたが、アラバマ,カンザス等では違憲とされたようです。)。そしてそれは、懲罰的損害賠償制度がない我が国の司法制度のもとでは、そもそも必要がないものです。

 米国の様々な州議会がこのような医療過誤訴訟改革に踏み切ったのは、実際に医療過誤保険の保険料が高騰したことが直接の要因です。未だ医療過誤保険の保険料が低額に止まっている現在の日本において「医療崩壊」を食い止めるために医療過誤訴訟改革をせよといっても「時期尚早」との批判は避けがたいところでしょう。まして、保険診療における軽過失免責なんて、これを支える立法事実があるようには見えません。といいますか、今の日本の医療過誤保険の保険料水準であれば、米国の医師からは「地上の楽園」のように思われるかもしれません。

27/08/2007

で、誰がそんなむちゃくちゃな主張をしてくれると期待しているの?

 「モトケンさんブログをまた〜りwatch」というスレッドの420番発言に次のような記述がありました。

つまり、問題は憲法云々ではなく、医療について、刑事においては故意犯(:強姦・強制猥褻・暴行・強要etc.)のみを取り扱い、過失犯(:業務上過失致死)は 重大な例外的事件を除いては取り扱わないこととし、また民事においても、刑事で扱われた故意犯に関する不法行為、あるいは自由診療について生じた不 法行為(or債務不履行)のみを取り扱い、その他の医療についての法的問題は、医療の公共的性格と憲法及び民法(1条)の精神に則り、可能な限り慎重 かつ穏便に取り扱うこととするという方針を明らかにすればよいだけのハナシ。

 で、誰がその方針を明らかにするとどうしてそれで物事が解決するのか、全く不明です(裁判所がそのようなことを明らかにするのは、法に基づく裁判を行わないことを裁判所が宣言することになりますから、憲法の改正を必要とします。日弁連や単位会が宣言したところで、会員に対してすら拘束力を持ちませんから、無意味です(日弁連等の宣言にかかわらず保険診療内で行われた医療過誤事件で患者側代理人として訴訟提起をした会員を懲戒処分とすることは、やはり、弁護士法及び憲法を改正しない限り、困難でしょう。)。)。

 また、肝心の医師たちが匿名でコメント欄荒らししているだけで、そのような方針を採用せよと社会に対して要求することにより現実社会の自分たちがバッシングを受けることを回避している中、何で現実社会で患者やその遺族と対峙する立場の人間がそのような方針を明らかにしてくれると想像できるのか、私には理解不能です(裁判所にせよ弁護士会にせよ、匿名でそんなことを宣言したって意味ないわけですし。)。

 さらにいうと、不法行為なり債務不履行がしばしば問題となる事業者の活動自体は、医療活動と負けず劣らず公共性が高いものも少なくはなく、だからといって、故意犯として刑事で扱われたもの以外は弁護士は受任しないなんてことになったら、司法制度の存在意義が疑われてしまいます。といいますか、「医療の公共的性格と憲法及び民法(1条)の精神 」とやらで、保険診療における過失による医療過誤についての損害賠償請求権の行使が権利の濫用に当たると本気で医療関係者が思っているのであれば、医療過誤訴訟の際にそう主張すればよいだけの話です(その主張が採用される可能性は限りなく低いと思いますが。)。さすがに医師側の代理人も、そのような主張は法律の専門家として、とてもではないが恥ずかしくて言い出せないのではないかという気がします。

 ということで、上記のような方針を受け入れて欲しければ、憲法の改正に向けてきちんと活動された方がよいのではないかと思います。

26/08/2007

「論点のすり替えだ」といえば反論できた気になれる脳天気さって、

 「医療崩壊だ!」系コメントスクラムの特徴としては、まず、襲われる側のエントリーには何らの問題がないということがあげられます(もちろん、襲われる側のエントリーには何らの問題もないのにコメントスクラムに襲われる例は他にもたくさんありますが。)。「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」の「突然」というエントリーだって特に内容に問題があるわけでもありませんし(「医療過誤についての無過失保険」にしても、私は医師の方から導入の必要性を訴えられたことがありますので、特にこのブログ主に特殊な見解だということではありませんし、そこで語られている実務的な内容については実態に即したものであるように見えます。私自身は、医療過誤訴訟はアソシエイト時代に1回やったきりですので、詳細は知りませんが。)、言葉遣いも「だ・である」調のものとしては丁寧な部類にはいると思います。

 まあ、「とりつく島がない」ということや、あまりの独善を窘められると集団でわっと襲いかかっていくところや、個人に対する人格攻撃を行って反論した気になるあたりは、他のコメントスクラムと似たようなものでしょうか。いやまあ、私の人格を非難することによって私による批判を無効化しようと頑張っている方も何人かおられるようですが、そんなことをしても、「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」の「突然」というエントリーを襲っているコメントスクラムの議論の質が高いことにはならないし、まして、あそこで自称医師の方々がなさっている要求をブログ主さんを含む弁護士が受け入れて、医療過誤訴訟を起こして欲しいと相談に来た方々を「お前は、自分の生活や感情のために日本の医療制度を崩壊させる気か!」といって追い返すようになるとは思えませんし、畏れ多くもお医者様相手に訴訟を提起した弁護士を懲戒しようという機運が弁護士会の中に高まるとも思えませんし、お医者様を「法の支配」の枠外に置くことについて国民的合意が得られることもありそうにありません。

 といいますか、弁護士って、不当な圧力を加えられるとより一層闘志が沸くタイプが多いですから、ああやって「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」のコメント欄に襲いかかり、しかもブログ主に対する人格攻撃まで加えることというのは、逆効果にしかならないのではないかという気がします。


 なお、「 医療過誤訴訟システムによる医師の経済的負担はどの程度か」というエントリーについて、「ragey」さんという方から、「問題は司法も報道も恣意的なことなのに小倉お得意の論点すり替え。「マチ弁日記」がコメント殺到に遭ったとかって、オマエ数だけ見て中身を読んでねえだろ。」というはてなブックマークコメントを頂きましたが、中身を読ませていただいた上で、「よくもまあ、こんな低レベルのコメントを他人のブログのコメント欄に延々と投稿し続けたものだ」という気になりました。そもそも、「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」の「突然」というエントリーを見る限り、司法や報道の恣意性は問題となっていないように思われます。

25/08/2007

患者や弁護士や裁判所を攻撃しても労働環境は改善しない

 「Level3」という方からコメントを頂きました。

 

経済的理由は,医療訴訟が医療崩壊を押し進めている主たる理由ではありません.
とのことです。すると、
医療訴訟(民事のみ)に対する保険に医師が加入していることが多い筈ですが、その保険が破綻しかねませんので、保険加入料は高騰するもしくは支払い渋りが数多く発生することも考えられます。
するとどうなるか。
実際訴訟リスクの高い現場で勤労する医師は裕福でも何でもないので、そんな金銭的負担には耐えられませんので退職者が続出するでしょう。
との「元内科医」さんのコメントは、現役の医師の感覚からは外れているということでしょうか(懲罰的損害賠償制度が認められない限り、1件あたりの賠償額は飛躍的に高額化しそうにはありませんので、医師賠償責任保険の保険料は、概ね医師敗訴件数に比例する形でしか高額化しそうにありません。)。

 「Level3」さんは、

最大の問題は「医師のモチベーションを無くさせている」ことです.
多くの勤務医は連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いています.これによって医師不足と言われながらかろうじて現在の医療は成り立っているわけです.時間給にすれば数百円以下ですね.こんな状況でも医師が医療を続けていたのは,「人を助ける」という使命感でした.ところが,医療訴訟の乱発,さらには「トンでも判決による不当な敗訴」によって医師はモチベーションを無くし,医療現場から立ち去っています.
と続けます。ただ、そうだとすると、「医師を治外法権に置く」というのは根本的な解決ではないように思われてなりません。むしろ、「多くの勤務医」が、「連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いてい」る状況を改善する方向で「医師のモチベーション」を維持するのが本筋のように思います。といいますか、勤務先に「労働基準法を守れ」といえない鬱憤を、医療過誤訴訟を提起した患者やその家族、医療過誤訴訟を受任した弁護士や認容判決を下した裁判官に向けられても、何一つ建設的な話には繋がらないように思えてなりません。

 それとも、「ミスを犯して人を死に至らしめても一切責任をとらなくとも良い」特権さえ手に入れば、「連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いてい」る状況は改善されなくとも構わないということなのでしょうか。

医療過誤訴訟システムによる医師の経済的負担はどの程度か

 ところで、実際のところ、現在の医療過誤訴訟システムは医師にどれほどの経済的負担を掛けているのでしょうか。そして、それは医療を崩壊させるほどのものでしょうか。

 とりあえずの目安としては、医師賠償責任保険の保険料を見るのがよいでしょう。1件あたりの賠償額が高かったり、国民が医師を訴えることに躊躇せずかつ裁判官(国によっては陪審員)も医師に賠償責任を広く認める社会では保険料は高額となり、そうではない国では保険料は低額となるからです。そして、医師や病院は、医療過誤訴訟で敗訴しても、医師陪責保険に加入している限り、ごくわずかな免責金額を負担するだけで、それ以上の金銭の出捐を要しないのが通常だからです。

 では、日本の医師賠償責任の保険料はいくらくらいでしょうか。もちろん、保険会社によって、あるいは保険商品によって違うでしょうし、集団で加入すれば一部割引もされるでしょうが、あまり細かいことを言い出すときりがないので、ウェブで検出されるものを例として掲げると、こちらの保険ですと、「最高1事故 2億円(保険期間中6億円)」で保険料は月額保険料4,500円です。年額で金5万4000円といったところです。この程度の保険料の負担で医療は崩壊するほど日本の医師の所得は低いのでしょうか?

24/08/2007

「医療崩壊だ!」系コメントスクラム

 「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」というブログが、「医療崩壊だ!」系コメントスクラムに襲われてしまっているようです。

 「突然」というエントリーのコメント欄は、最初の書き込みが2007/08/19 21:06、私がこのエントリーを書くにあたってみた限りの最後の書き込みが2007/08/24 05:57でその間コメント数が432件ということで、約14.6分の1回のペースでコメントが投稿されています。ブログ主がコメントに回答・反論しないことを責めるコメントもいくつか見られますが、まあ、物理的に無理というものです。

 しかも、この種の「医療崩壊だ!」系のコメントスクラムが押しつけたがっていることというのは、「医師に対して医療過誤訴訟を提起することはけしからん」という話なので、他人のブログのコメント欄で騒いでも解決する話ではありません。いくら騒いでも、医療過誤訴訟を提起して勝訴した弁護士に対して弁護士会が「医師を訴えるとはけしからん」といって懲戒処分を下すことはあり得ない(それって、別に弁護士会の懲戒手続きが形骸化しているからとかって話ではないです。)し、「医療崩壊を招くから」という理由で医療過誤訴訟の受任を拒否しようという動きが各単位会ないし日弁連レベルで行われることもないです(個々の弁護士レベルでも、おそらく広がらないでしょう。)。医療過誤訴訟で勝訴した弁護士が、全国の医師に対して、「医療過誤訴訟を提起し、あまつさえ勝訴すらしてしまい、申し訳ありません」と謝罪するというのは変な話すぎます。

 どうしてもというのであれば、弁護士に対して「医療過誤訴訟の依頼が来ても断れ」と要求するのではなく、医師会レベルで「医師は、法律家よりも上位の存在なので、医師を裁判制度の枠外に置くように、憲法を改正すべきだ」ということで、自民党の憲法改正チームに働きかければ良いのではないかと思うのですが(それ以外には、彼らの望む社会は来ませんから)、そういう動きには繋がらず、匿名でわーわー騒ぐだけに終始する傾向が強いようです。

【追記】

 なお、400件以上にのぼるコメントの後半部分は読まれましたか?

 後半部分はおっしゃるような極端な書き込みもなく、参加者はブログ主に対して「謝罪など求めていないし、その必要もない」ということで一致しているように見受けられましたが、それでもやはり同じご意見でしょうか?
これだけの反響があり、かつ荒らしとはいえないコメントがほとんどになってきてもなおブログ主は登場する気はないようです。なぜか新たな書き込みもできなくなっているようです。400全てにレスポンスするのは無理ですが、コメント付のブログで意見を公表した以上、これに対する何らかの意見表明は最低限の義務であると思います。が、ブログ主の弁護士先生はそれを果たすつもりがないようです。これについてもいかがお考えですか?
とのコメントを「 abdddmon@yahoo.co.jp」氏から頂いたのですが、例えば、「棒」氏による「明らかに無茶苦茶な訴訟を力技で取るというのがモラルが無いと思いませんか?しかもここまで無知で。」(2007/08/23 22:24)等の書き込みが極端なものではないとは、感覚の違いを感じます。そもそも、他人のブログのコメント欄を電子掲示板代わりにして、言いたい放題言っているという時点(まあ、「多少」というレベルならご愛敬ですが、Over400は「多少」というレベルではありません。)で、まともな感覚を失っているように思われます。

 なお、ブログ主が何らの意見表明もしない点ですが、「荒らしに対してはスルーが原則」といわれている昨今、短期間に大量のコメントが寄せられた今回のケースでブログ主がこれを相手にしないこととするのは、十分有りだと思います。ブログ主が、冷静にレスを返したところで、「もう医療過誤訴訟は、依頼されても引き受けない」旨を表明しない限り、コメンテーターさんたちが収まるようには思えませんので、時間の無駄という気がします。

20/08/2007

Beyondさんが「「集合知の議論」として、あまりに酷い場合のことを聞いていた」とはつゆ知らず

 Beyondさんの「論理」は、一般の方とは異なるようです。

しかし、Googleにもソーシャルブックマークにもノイズをフィルタリングする機能などありません(Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)

を「完全な形で書き換える」とどうして、

しかし、Googleにもソーシャルブックマークにも『集合知的にノイズと判断されるような情報』をフィルタリングする機能などありません(Google の場合、『私(またはグーグル)があまりに酷いと思ったもの』については「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)

となるのか、私には理解ができません。

 また、「「集合知の議論」として、あまりに酷い場合のことを聞いていた」とは、いままでのBeyondさんのコメントからは読み取ることができませんでした(後学のため、どの辺の言い回しから、「「集合知の議論」として、あまりに酷い場合のことを聞いていた」というニュアンスを読み取れば良かったのか、教えていただければ幸いです。)

 なお、

著作権侵害と「あまりに酷い」は別の概念ですし、公開法廷で公正に行われている裁判と、Googleの非公開審理では、全くの別物でしょう。どう喩えになっているのか、さっぱり分かりません。

とのことですが、「あまりに酷い」の中には著作権侵害も含まれるでしょうし(例えば、新聞記事をそのまま全文コピー&ペーストしてしまうとか)、名誉毀損だってこれが不法行為にあたることはもはやほぼ争いがありませんし、いかなる場合に名誉毀損となるのかについては判例の蓄積がありますから、だいたいのケースについては専門家の間ではコンセンサスが得られます。また、公開の法廷でなされるか社内的な非公開審理でなされるかは手続きの問題であって、その発言が「あまりに酷い」か否かという実態の問題とは関係がありません(多くのISP等は、新聞記事の単なる全文コピー&ペーストについては、少なくとも権利者から削除要請を受けた場合には、公開の法廷での審理を待たずして、これを削除しているはずです。アイコラを含む裸の写真についても同様の措置をしているはずです。Beyondさんとしては、ISP等が主観的に「酷い」と思っただけで、公開の法廷で審理されることなく、被害者からの要請に応じて、裸体写真を削除したり、そのような写真が掲載されているページをインデックスから削除するのは許せないかもしれませんが。)。

BeyondさんのためにGoogleは存在せず、私もブログのコメント欄をもうけているわけではない。

 「私の意見の拡布には、民間企業ないし民間人といえども、明確な基準と適正な手続きに基づかない限り、協力しなければならない」と言われても、当の民間企業や民間人はついて行けません。

 論理学的には明らかに間違っているBeyondさんのコメントにずいぶんとおつきあいをしてきましたが、Beyondさんは負けを認めたくないばかりに、必死にネガティブコメントを投稿し続けてきたわけで、もうその姿はとても痛々しいし、それにおつきあいするのはとても時間の無駄なのです。

 Beyondさんはコメントを未承認とされたことを「検閲」だ云々と文句をつけているようですが、未承認とされたコメントってこれですよ。相手にするだけばかばかしいものではないですか。

小倉さんが、最初に出してきた喩えは、以下のようなものです。
>「あまりにリードが大きい→牽制死する場合がある
>  であれば
> 牽制死を既にしたもの→あまりにリードが大きいもの」
>ではありません。

それにたいし、次のように反論しました。

>少なくとも「リード」がある事実に変わりありません。

そうしたところ、新たに著作権違反の喩えを持ち出されたのですが、牽制死の喩えは適切だったのですか?不適切だったのですか?

著作権の喩えと牽制死の喩えは、同種のものなのでしょうか?

喩えでしか説明できないことが、すなわち、グーグル八分について良く分からず話していることの証拠でしょう。

 「『リード』がある事実に変わりはありません」が反論になっていると思っていること自体が不思議です(「あまりにリードが大きいと牽制死する場合がある」と「リードをすると牽制死する場合がある」とは全く別次元の問題です。「スピードを出しすぎると交通事故を起こす場合がある」と「スピードを出すと交通事故を起こす場合がある」とが全く別次元であるのと同様です。)。

 また、既存の具体例(比喩ではありません)では理解できない方がいるので別の例を出してあげただけなのに、「喩えでしか説明できないことが、すなわち、グーグル八分について良く分からず話していることの証拠でしょう。」といわれてもなあとしかいいようがありません。

 しかもこの部分は、

小倉さんが言っているのは、包含関係がおかしいですね。

あまりに酷いもの⇒「Google八分」をしてくれる場合があります
であれば、
「Google八分」を既にされているもの⇒あまりに酷いもの
ですね。

これが誤読とおっしゃるのでしたら、元々の表現の仕方について、弁護士(表現者の中でも一般的に責任あるとされる表現者という意味)としてのモラルに欠けますねという主張です。

という部分に関する反論ですので、もともと論理の問題なので、他のわかりやすい具体例を出して論理展開の間違いを示すというのは当然のことなのです(Beyondさんは「文脈依存」という訳のわからない言葉を用いて論理の間違いを誤魔化そうとするわけですが。)。

19/08/2007

酷くないものだけを選んでインデックス削除していると想像できる人がいるとは、ネットとは広いところです。

 Beyondさんは、

そこで、    

「あまりに酷いものについてはGoogle八分をしてくれる場合があります」とのことですが、私は、そのような例を知りません。小倉さんは、そのような例をご存知なのですか?

とコメントしたところ、コメントは消された上、

述べています。Google八分に関するBeyondさんのコメントはあまりに痛々しいので全てを承認しているわけではないのですが、一度掲載したものを削除はしていないです。

 Beyondさんの頭の中にあるGoogle社というのは、「全然酷くないものについてGoogle八分をするのに、あまりに酷いものについてはGoogle八分に頑として応じない」存在のようなのですが、まあ、常識的に考えてそういうことはないわけです。

 実際、私は業務の一環として、「酷い誹謗中傷がネット上に書き込まれており、これを削除させるまでには相応の時間がかかりそうだ」という場合には、応急措置として、当該ウェブページの検索エンジン用データベースからの削除をGoogle社に要請してきましたし、Google社もこれに応じてくださっています。「Google八分」された発言がどのような内容のものであったのかについて具体的に触れるのは守秘義務との関係で問題が生じますし、そもそもそれを具体的に示すことはGoogle八分までしてもらって当該内容を一般の方の目に触れないようにしてもらった趣旨に反しますのでいたしませんが、実際問題として、「あまりに酷いものについてはGoogle八分をしてくれる場合はあるのです。

18/08/2007

小倉は小倉に

 昨日、佐世保簡裁でお仕事をしてきたついでに、今日は、小倉→門司港によって、新北九州空港から羽田に帰ることにしました。

 城を見ると天守閣に上りたくなる人なので、小倉城の天守閣にも上ってきましたKokura_shross_2 。また、近くに松本清張記念館があったので、そこも訪れました。

 その後、門司港に行き、話題の焼きカレーを食べてきました。「焼きカレー」って結局カレードリアではないかとは思いましたが、まあ、おいしいと言えばおいしいです。ただ、門司港駅の駅舎のレストランで提供していた「しゃぶしゃぶカレー」の方が面白かったかなあという気がしないではありません。

 新北九州空港は、海に囲まれたきれいな空港ですね。小倉駅前のバスステーションから、3〜40分で着くので、小倉周辺の方々には許容範囲内の位置でしょうか。その後福岡以西に行くには、新幹線又は特急を使うことになるので、ANAの早割がとれなかったこの時期以外は、結構割高になってしまいそうですが。

Beyondさんに誤読されないためには非常にまどろっこしい文章にする必要がある

 「「Googleやソーシャルブックマークを使えばいいのだ」と無責任に言い放たれても…」というエントリーについて、Beyondさんから執拗なコメントの投稿を受けています。

 「Aという属性を有するBは、Cとなる場合がある」という命題(以下、「命題甲」といいます。)は、「CとなったBは、Aという属性を有している」という命題を導きません。命題甲は、Cという結果をもたらす要因を「BがAという属性を有すること」に限定していないからです。同様に、「Aという属性を有しないBについてCとなった例がある」という事実は、命題甲に対する反証にはなりません。

 Beyondさんは、

これが誤読とおっしゃるのでしたら、元々の表現の仕方について、弁護士(表現者の中でも一般的に責任あるとされる表現者という意味)としてのモラルに欠けますねという主張です。

と仰っているのですが、上記の程度のことを理解できない人に誤解されたからとって「モラルに欠ける」といわれても困ってしまいます。

 Beyondさんの要請に従うとなると、

他人の著作権を侵害した場合には、10年以下の懲役刑が科せられる可能性がある。

との表現はモラルに欠けるということになってしまいそうです。

他人の著作権を侵害した場合には、10年以下の懲役刑が科せられる可能性がある。但し、10年以下の懲役が科せられるのは他人の著作権を侵害した場合に限られないので、10年以下の懲役が科せられたからと言って必ずしもその者が他人の著作権を侵害したとは限らない。その辺を誤解しないように!

とまで説明しないと、Beyondさんから「モラルに欠ける」と言われてしまいそうです。

 Beyondさんから見て「モラルの欠ける」といわれない弁護士ブロガーのエントリーというのは、非常にまどろっこしいものになりそうです。

【追記】

元エントリーは、

 松岡さんは、

   小倉さんの持論通り、ノイズは一定レベルで存在する。ではどうすればいいのか? 先に書いたように、Googleやソーシャルブックマークを使えばいいのだ。そうすればノイズをフィルタリングしながら、質的にも総体として一定水準をクリアできる。

と仰っています。しかし、Googleにもソーシャルブックマークにもノイズをフィルタリングする機能などありません(Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)
というものだったわけで、そこに、Beyondさんから、

>あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。

東京都選挙管理委員会のウェブサイトは、「あまりに酷いもの」なのですか!?

現実を何も知らないくせに、知ったかぶりで現象を語るのは、世間的に識者とされる職業についている者として恥ずかしくないのでしょうか?

というコメントが投稿されたわけで、「文脈」という点を重視するならば、Beyondさんのコメントは元エントリーの文脈を全く無視したものだと言うことができます。

 その後、

あまりに酷いもの⇒「Google八分」をしてくれる場合があります であれば、
「Google八分」を既にされているもの⇒あまりに酷いもの ですね。

という文脈関係なし、かつ、論理的にも間違っているコメントを投稿してきたのもBeyondさんですし。

 といいますか、「Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合があります 」という命題が偽であるということは「Googleの場合、あまりに酷いものについても「Google八分」をしてくれる場合はない 」ということになりますから、「東京都選挙管理委員会 のウェブサイトは酷くないのにGoogle八分された」との主張は、「Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合があります 」という命題への反論になっていないのです。その程度の論理って、「テクニック」というほどのものではなく、高校卒業程度の国語力があればわかる話だと思うのです。

17/08/2007

人生いろいろ、争点もいろいろ

 国政選挙において誰に(どの政党に)投票するのかを決める際に何を重視するのかは、個々の有権者がその自由意思で決めることができる──およそ民主主義国の人間であれば誰もが共有している前提だと思っていました。しかし、iza!ブログの世界は違います。

選ぶ方にも選ばれる方にも好き勝手に争点を選ぶ権利はそもそもないのである.
このように拉致問題を軽視あるいは無視して,「生活」「年金」で民主党に投票した連中は,姉歯秀次以上の犯罪者だと言ってよい.
等ということが、一昔前のテキストサイトのような派手なフォント使いの元で語られています

 そこまでいう以上は、拉致問題を解決するスキームとして提示する各党の案のうち日本共産党によるものが一番実現性が高いものであった場合は、この方々は日本共産党に政権を取らせることも厭わないということなのでしょうが、なかなかそこまでの覚悟がある日本国民は多くはなさそうです。

 といいますか、拉致問題の解決に最も高い優先順位を置いた場合、「安倍政権を支持する投票行動をとる」という選択はない、というのが実際のところではないかと思います。何しろ、安倍政権発足以来、拉致問題には何の進展も見られません。それどころか、北朝鮮の核問題を解決するために米国のヒル国務次官補が北朝鮮政府や中国政府との外交交渉を粘り強く行っている姿が日本のテレビでもしばしば報じられる傍ら、日本政府が拉致問題の解決のために粘り強く外交交渉を行っている姿はとんと見ることはできません。もちろん安部首相は対北朝鮮強硬策を実行してきたわけですが、しかしそれは拉致問題の解決に一切繋がっていないわけで、「安部首相の対北朝鮮強攻策を支持すること=拉致問題を最大限重視していること」とはなりません。

 強硬策をとる場合、相手に突きつける要求は相手がそう遠くない未来に実行可能なものでなければならないというのは交渉の基本であって、拉致被害者全員の返還を要求するのであれば、返還要求の対象は、現在北朝鮮政府の管理下に確実に置かれているものでなければなりません(できる範囲で要求に応じても強硬策が継続するとなれば、相手方はこれに対して無視ないし強硬策でもって応えるしかなくなります。)。

 したがって、拉致被害者を一人でも多く一日も早く返還させるためには、北朝鮮政府が拉致被害者の存在を認めあるいは拉致被害者を返還したときには、これに応じてある程度の食糧支援等を行って徐々に「餌付け」していくことが現実的なのですが、そういうことって、イデオロギーにこだわりがあまりない小泉前首相にはできても、安部首相にできるのかというと疑問だったりするのです。

 少なくとも、今回の選挙では、硬直状態にある拉致問題について、どのような解決策を講ずるのかについて具体的なスキームが自民党から提示されなかったわけですから、「このように拉致問題を軽視あるいは無視して,「生活」「年金」で民主党に投票した連中は,姉歯秀次以上の犯罪者だと言ってよい 」といわれても困ってしまうわけです。

15/08/2007

疲労骨折

 プロとして参加する相撲の「巡業」と、アマチュアとして参加する「親善サッカー」とでは、どちらが身体に与える負荷が大きいのでしょうか。

 前者の方が大きいのだとすれば、疲労骨折を理由に前者を休みつつ、後者に参加することは、必ずしも矛盾しているわけではありません。特に、疲労骨折は、「通常は骨折を起こさない程度の負荷が、繰り返し加わった場合に生じる骨折」なので、普段プロとして行っている競技とは負荷のかかる部分が異なる別の競技であれば、特に問題がなく行えることも十分想定しうると言えます。

 なんだか、「疲労骨折」に対する無理解が今回の一連の騒動の根本的な原因なのではないかという気もしなくはないのですが、大体において不勉強が目立つ日本のマスメディアはともかく、日本相撲協会って、お抱えの医師もいるプロスポーツマンによる団体なのに、本当に「疲労骨折」の何たるやを知らないのでしょうか。

14/08/2007

世間の風?

 橋下徹さんが、相変わらずごちゃごちゃと、光市母子殺害事件の弁護人に対して文句をつけているようです。

 法律の素人ならともかく、プロの弁護士ならば、第1審、第2審を担当した弁護人が恭順路線を選択した理由、及び、無期懲役を命じた第2審についての上告審において最高裁が弁論期日の指定をした段階でこの恭順路線が破綻したことが明らかになったこと、それゆえ、第1審、第2審 の弁護人は刑事弁護人としてトップレベルの技量をもつ弁護士にバトンタッチをお願いし、実際にバトンタッチがなされたこと、新たな組み直された弁護団は、改めて被告人と接見しさらに記録を精査した結果、公訴事実自体を争うという路線に活路を見いだすこととしたことくらいはわかるはずです。また、単なる茶髪のお笑い芸人としてではなく、プロの弁護士として、テレビ等でコメントをする立場にある以上、上記程度のことは視聴者にわかりやすく伝えてしかるべきです。といいますか、その程度のこともできないようであれば、「弁護士」という肩書きを名乗ってテレビ等でコメントするのはやめてもらいたいくらいです。

 私は東京の弁護士なので橋下弁護士が大型の否認事件の弁護をやったことがあるのか存じ上げないのですが、この種の事件では膨大な記録と短時間で格闘しなければならない上、おそらく無報酬かそれに近い形で引き受けているでしょうから、そのような作業の傍ら、生計を立てるための仕事もしっかりこなさなければならないであろうことは、ある程度の経験のある弁護士ならば普通に知っていそうな話であって、そのような刑事弁護人たちが「国民への説明」までやらなかったからといって、懲戒処分だ!なんて話をされても、あきれるよりほかないと言うことができます。

 まあ、橋下さんの文章を読んで一つ気になるのは、橋下さんは、自分は「世間の風を嫌というほど吸い込んできた、いえ吸い込まされてきた」のに対し、光市母子殺害事件の弁護人 たちは「世間の風を吸い込んでいない」と勝手に思いこんでしまっていることです。私は東京の弁護士なので橋下さんが普段どのような活動をしているのか存じ上げないのですが、ワイドショーやバラエティ番組に出て世の中の有名人たちと仲良く交流しているくらいで、「世間の風を吸い込んでいない」などと安田弁護士等を見下しているのだとしたら、勘違いも甚だしいように思います。

13/08/2007

「意識の差」以前に「インフラの差」です。

 梅田望夫さん次のように述べています。

「学習の高速道路」を構築するためのインフラはもうすべて用意されている。あとは日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである。

 しかし、梅田さんが取締役を務める「株式会社はてな」を含めて、「匿名性を保てれば何をやってもよく、実名がばれたら何をされても何もできない」雰囲気注1を醸成しておきながら、「あとは日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである」みたいなことを言われても、とても無責任な感じがします。

 「学習の高速道路」を構築したいのであれば、「大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織」が、不特定人から執拗に誹謗中傷されることを幸せに感ずる倒錯した人格の持主でなくとも安心して、その有する「知」をネットを通じて公衆に提供できる「インフラ」を用意すべきなのではないかと私などは思ってしまいます。

 もっとも、一連の「匿名・実名」論争での「何が何でも匿名」派の方々のご意見を伺っている限り、彼らは、そのような「学習の高速道路」なんてものをネットに望んでいなくて、ただただ井戸端会議の延長としてネットを使っていたいだけのように見えます。現在の「はてな」自身、そういう成長することを諦めた人に使いやすいサービスを目指しているように思われてならないのですが。

注1
 実名を知られたからといって、ネット上で誹謗中傷されたり、気持ちの悪い人達に粘着されたり、せいぜい自宅付近の写真を撮られてアップロードされるとか、電凸を受ける程度の話でしかないのですが、「知の最高峰に位置する人々や組織」にこれらの「不快な出来事」に対処することにエネルギーを消費させるのは、私は気が引けてしまいます。

11/08/2007

「Googleやソーシャルブックマークを使えばいいのだ」と無責任に言い放たれても…

 「集合知の価値を維持するのは大変だ」というエントリーに対して、松岡美樹さんからご反論を頂きました

 松岡さんは、
小倉さんの持論通り、ノイズは一定レベルで存在する。ではどうすればいいのか? 先に書いたように、Googleやソーシャルブックマークを使えばいいのだ。そうすればノイズをフィルタリングしながら、質的にも総体として一定水準をクリアできる。
と仰っています。しかし、Googleにもソーシャルブックマークにもノイズをフィルタリングする機能などありません(Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)。Amazonレビュー等のレイティングシステムでもそうですが、大衆による評価等によりノイズを制御しようとするシステムは、特定のターゲットを貶めるためにタッグを組む人たちの前にはあまりに無力です。

 また、有益な情報をWebから排除してしまって、匿名で他人を批判ないし中傷することによって偉くなった気になっているだけの下らないコンテンツばかりがWeb空間に氾濫した場合、Googleやソーシャルブックマークがどんなアルゴリズムをはき出そうと、集合「知」といえるものはそこには存在しなくなります。ノイズしか残らない環境で、ノイズに順位をつけても何の役にも立たないのです。

 だから、読み手に優しい(ことを指向する)集合知系のサイトは、サイト管理者サイドで、積極的にノイズを除去する方策を講じますし、デマや誹謗中傷等のノイズには厳しい姿勢をとったりします。例えば、Wikipediaも、編集合戦が起こってしまった場合には「保護」措置を講じたりします。また、レイティングシステムを採用しているサイトでも、ノイズ的なレイティングをなるべく反映させないようにアルゴリズムを工夫しているところはあります。

だからといって集合知なんかダメだ、使えない、ってことにはならない。くれぐれもそのテの極論の愚には陥らないようにしたいものである。
とのことですが、前回の私のエントリーが松岡さんにはそのように読めたとすれば、松岡さんからその種の誤解を受けないような表現が果たして可能なのか、途方に暮れてしまいます。

09/08/2007

Yahoo!基金 NPO助成プログラム

  Yahoo!基金がNPO(非営利団体)などに対して資金助成を行う「NPO助成プログラム」の募集受付が今年も始まったようです。
 「インターネット社会の健全で安全で豊かな発展」に貢献しようという団体の関係者は、トライしてみては如何でしょうか。

07/08/2007

で、徹くんはどうなの?

 橋下徹弁護士が、光市母子殺害事件の弁護人に対する懲戒請求を相変わらず煽っているようです。

 「法律オタクのお坊ちゃん弁護士が、この弁護団に対して懲戒請求をすることが、逆に違法になるなんてヌカシているけど、心配御無用。」とのことなのですが、そこまで言うのであれば、一般市民を煽って懲戒請求をさせるのではなく、橋下弁護士自身が自ら懲戒申立てをした上で、自らのブログ等でその報告をすればいいだけではないかという気がします。

 法律の素人が懲戒申立書を作るよりは、法律の専門家である橋下弁護士が懲戒申立書を作成した方が、形式的にも実質的にも懲戒申立てとしての要件を具備したものができる確率が高いと思いますし、ネット上に上がっているテンプレートを印刷して署名して懲戒申立てを行ったにすぎない人が弁護士会から追加の資料等の提示を求められたっておそらくどうにもならないような気がしますが、橋下弁護士なら、仮にも弁護士なのだから、弁護士会からのその種の要請に応えることは簡単にできそうな気がします。

 さらにいうと、橋下弁護士が一本きちんとした懲戒申立てを行い、「俺が皆様の意見を代弁してこんな風に懲戒申し立てを行ったからもう大丈夫だ。あとは俺に任せてくれ」と一言言ってくれれば、各単位会の綱紀委員会の仕事が無駄に増える心配をしなくとも済みます(といいますか、最初からそういってくれればいいのに。)。橋下弁護士が、各単位会の綱紀委員会に恨みがあるのならばともかく、そうでないならば、特に悪いことをしているわけではない綱紀委員会の委員に迷惑をかけることは本意ではないはずです。

 ところで、私は東京にいるのでやしきたかじんさんの番組を見ることができないのですが、橋下弁護士は、光市母子殺害事件の弁護人に対して自ら懲戒申立てを行ったと言っていたのでしょうか?

間接寄与者の発信者情報開示

 プロバイダ責任制限法に基づき発信者情報の開示を求めるにあたっては、「特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害された」ことが文言上必要です。

 では、ネットゲームやセカンドライフなどで仮想空間マネーや仮想空間アイテム等を騙し取られた場合に、現実社会の裁判所でアイテム等の返還請求を行ったり損害賠償請求等を行ったりしようと思ったときに、この騙し取った人間の氏名・住所等の開示を、プロバイダ責任制限法を根拠としてプロバイダ等に請求できるでしょうか。あるいは、ある特定の商品について虚偽の効能を宣伝することによって消費者に不要なものを買わせて広告主から報酬を受け取ったアフィリエイターに対して不要なものを買わされた消費者が損害賠償請求を行おうと思ったときに、このアフィリエイターの氏名・住所等の開示をプロバイダ責任制限法を根拠としてプロバイダ等に請求できるでしょうか。あるいは、当該被告人の弁護人に就任した弁護士に対して懲戒申立を行うようにネット上で煽動した者に対して、この呼びかけに応じてなされたたくさんの懲戒申立てに対処するために業務に多大な支障を生じた弁護士が損害賠償請求をしようとした場合に、この煽動者の氏名・住所等のプロバイダ責任制限法を根拠としてプロバイダ等に請求できるでしょうか。

 いずれについても「できる」としなければ、ネット上にある種の「無法地帯」を作ることになってしまいます。しかし、これらの例ではいずれも「発信者」の発する情報の流通それ自体が被害者の権利を直接侵害するわけではありません。「特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害された」との文言に、「特定電気通信による情報の流通によって間接的に自己の権利を侵害された」ことまで含めて読み込んでしまえばいいのかもしれないとは思うのですが、そこまで踏み込んで条文を読み込むことについて裁判所がついてきてくれるのか心配です。

 そういう意味では、ネット上に無法地帯を作らないように、プロバイダ責任制限法の規定の文言を改正する時期に来ているのではないかとは思ったりします。

05/08/2007

法科大学院を市場競争に晒さない理由

 大宮法科大学院の宮澤節生教授が、8月2日の読売新聞で、新司法試験の合格率をあげるために法科大学院の定員を削減すべきだとと主張したことが話題となっています。

 しかし、比較的立地がよくかつ教員の質も高い法科大学院と、立地が悪く教員の質も低い法科大学院とが、同じように定員の削減を行うというのは、合理性を欠くように思います。それは、よりよい環境で、よりよい教育を受ける機会を低下させることになるからです(例えば、都心の企業に勤めながら仕事の終了後法科大学院に通おうと思ったら、秋葉原に通う方が、大宮に通うより好都合ですから、大宮の法科大学院を守るために、秋葉原の法科大学院の定員まで一律に削減されるのは、社会の厚生を損なうことになります。)。むしろ、法科大学院制度が開始して間もないので悪評が定着している法科大学院が、生徒数が集まらない等の理由で、「法曹養成サービス市場」から立ち去るというのが、市場原理的にはもっとも良いのではないかと思います。

 もちろん、市場原理をそのまま導入すると弊害が大きい場合にはその弊害を押さえるために市場原理に一定の制限を加えるということも必要になりうるのですが、法科大学院について市場原理を制約しなければならない事情というのは、ちょっと思いつきません。

 宮澤先生は、法曹にも市場原理を導入せよと常々主張されていた方だと記憶しているのですが、なぜ法科大学院には市場原理を導入すべきではないとお考えなのか、私には理解しがたかったりします。

追伸

 大宮法科大学院が人気を回復するためには、第二東京弁護士会所属の弁護士は、大宮法科大学院出身の新規法曹を優先して勤務弁護士として採用する(大宮法科大学院出身の新規法曹全員の内定が出るまでは、他の法科大学院出身の新規法曹には内定を出さない)ことにすればよいのではないかと思うのです。研修所を卒業した新規法曹の約3分の1が失業しそうな昨今、「大宮法科大学院を卒業して、法曹資格を取得すれば、第二東京弁護会所属の弁護士が経営する事務所に確実に就職できる」というのはこれ以上ないセールスポイントになるはずです。

読み手にリタラシーを求めることでデマをまき散らすことを正当化する不毛

 前回のエントリーに対し、yellowbellさんから「集合知は作り上げる側でなく利用する側にこそ、能力が求められている。だからこそのリテラシーだろう。」とのはてなブックマークコメントをつけられました。

 しかし、読み手に高度のリタラシーを求めるメディアというのは、情報サービスとしての価値が低いといわざるを得ません。「嘘を嘘と見抜けなくとも構わない」場面でしか使い道がないとしか言いようがないです。

 また、読み手に高度のリタラシーを求めることをもって弊害への対処とする手法は、実際にそのような高度のリタラシーを有しない読み手が存在する現状においては、対処法として不十分であると言うことができます。例えば、学校裏サイトで酷いデマを流された学生に、「リタラシーの高い読み手は、『嘘を嘘と見抜いている』から、気にしなくとも良い」と言ってみても何の慰めにもなっていないし、2ちゃんねるで「スーパーフリーのメンバーだった」とのデマをまことしやかに流されて退職に追い込まれた男性に、「ネットリタラシーの低い元勤務先が悪いのであって、2ちゃんねるは全然悪くない」といっても、何の意味もないことでしょう。

 といいますか、読み手に「信用するな」と求めることでしかそのもたらす弊害に対処できない情報サービスに存在する意味があるのかという疑問がそもそも生じてしまいます。

04/08/2007

集合知の価値を維持するのは大変だ

 松岡美樹さんは、「インターネットの「リアル世界化」は正解か?」というエントリーにおいて、

 インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。
と述べています。

 しかし、集合知が価値を持つためには、意見を発する「衆」の側に一定の能力と誠実さがあることが求められます。「おふざけ」を含めた邪な気持ちで発信される情報の割合が増えれば、集合知の価値はどんどん下落していきます。

 前者についていえば、日本国憲法も採用している間接民主主義自体がこれを前提としています。つまり、一般大衆は、個々の法案についての当否を判断する能力は欠けるが、誰を代表に選んだらよいかを判断する能力は十分にあるという前提のもと、国民の主権の現実の発露を議員や首長等の代表者の選任等に制限しています(憲法を改正する場合は別ですが。)。なお、一般大衆にも個々の法案の当否を判断する能力が十分にあるのだと考えられている国や地域では、一定の条件の下で、法律の制定・改廃等について国民投票制度が設けられることになります。

 後者については、例えばWikipediaですら、特定の人物に悪意を持つ者により執拗な「編集」が行われると、その内容は途端に実態を乖離したものとなります。Amazonのレビューでも、特定の人物に悪意を持った人々がその人物の著書について軒並み最低の評価点をつけることにより、その著書のレビューポイントを落とすことができます。

 そういう意味で、単純に「集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す」と言ってしまっている松岡さんの「集合知」に対する理解には疑問を挟まざるを得ません。

 さらにいえば、匿名さんは何をしても無責任でいられる環境では、匿名さんたちのお気に召さないであろう発言は回避されがちになり、結局、意見の多様性は奪われていきます。実際、匿名さんに牛耳られている場所では、匿名さんたちから「空気を読む」ことを強要されることもあって、しばしば、既存メディア以上に意見の多様性に乏しかったりします。

02/08/2007

そもそも安部首相の政策を支持している人にはなかなか出会わない

 参議院選挙での自民党が敗北した理由を議論するにあたって、そもそも安倍首相がやろうとしていたことがあまり国民から支持されていなかったことを軽視するのはいかがものかという気がします。

 前回の衆議院選挙では、「自民党をぶっつぶす」とした小泉首相が多くの国民から支持され、地滑り的な勝利を収めたわけですが、このとき小泉自民党に投票した有権者の多くは、戦後民主主義のもとで享受している自分たちの自由なり人権なりまで「ぶっつぶ」してほしいと望んでいたわけではありません。そして、多くの国民は、安部首相という一人の権力者が感じる「美しさ」を実現するために人生を捧げたいと希っているわけではありません。したがって、安部首相が「美しい国」の実現や「戦後レジームの脱却」を目指すと強調すればするほど、多くの国民は白けていきます(もちろん、相次ぐ閣僚の不祥事に対して、「美し」くないお友達をまずかばおうとした安部首相の対応は、「美しい国」作りのために自己犠牲を強いられるのが専ら庶民層ではないかとの疑いを国民に持たせたことでしょう。)。

 しかも、「戦後レジーム」を脱却するとどんな良いことがあるのか、まともに具体的な説明がなされているのを見たことがありません。安部首相を支持する方のブログを見ていても、普通の国民の普通の生活に密着した問題についての関心の薄さが感じられます。民主党にも松下政経塾出身者等に結構多いのですが、外交・安全保障問題を第1に考える政治家というのは、どうしても頭でっかちで国民の意向を軽視する政治家になりがちです。

 といいますか、安倍政権って、イギリスのブレア政権の政策のうち、評判の悪い部分を取り入れて、評判の良い部分を取り入れない政権という感じがしてならないのです。

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