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04/08/2007

集合知の価値を維持するのは大変だ

 松岡美樹さんは、「インターネットの「リアル世界化」は正解か?」というエントリーにおいて、

 インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。
と述べています。

 しかし、集合知が価値を持つためには、意見を発する「衆」の側に一定の能力と誠実さがあることが求められます。「おふざけ」を含めた邪な気持ちで発信される情報の割合が増えれば、集合知の価値はどんどん下落していきます。

 前者についていえば、日本国憲法も採用している間接民主主義自体がこれを前提としています。つまり、一般大衆は、個々の法案についての当否を判断する能力は欠けるが、誰を代表に選んだらよいかを判断する能力は十分にあるという前提のもと、国民の主権の現実の発露を議員や首長等の代表者の選任等に制限しています(憲法を改正する場合は別ですが。)。なお、一般大衆にも個々の法案の当否を判断する能力が十分にあるのだと考えられている国や地域では、一定の条件の下で、法律の制定・改廃等について国民投票制度が設けられることになります。

 後者については、例えばWikipediaですら、特定の人物に悪意を持つ者により執拗な「編集」が行われると、その内容は途端に実態を乖離したものとなります。Amazonのレビューでも、特定の人物に悪意を持った人々がその人物の著書について軒並み最低の評価点をつけることにより、その著書のレビューポイントを落とすことができます。

 そういう意味で、単純に「集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す」と言ってしまっている松岡さんの「集合知」に対する理解には疑問を挟まざるを得ません。

 さらにいえば、匿名さんは何をしても無責任でいられる環境では、匿名さんたちのお気に召さないであろう発言は回避されがちになり、結局、意見の多様性は奪われていきます。実際、匿名さんに牛耳られている場所では、匿名さんたちから「空気を読む」ことを強要されることもあって、しばしば、既存メディア以上に意見の多様性に乏しかったりします。

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Commentaires

いい加減、その『集合知』とやらを見てみたいもんですけどね。

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Voici les sites qui parlent de: 集合知の価値を維持するのは大変だ:

» みんなの意見(集合知)が正しい場合と、そうでない場合 [すちゃらかな日常 松岡美樹]
 ブログ「CONCORDE」のTristarさんと、弁護士の小倉秀夫さんからトラックバックをいただいた。お二方とも集合知に疑問をお持ちのようだ。そこで寄せられたご意見をもとに、集合知について概観してみよう。 ■集合知が機能するためには多様性や独立性が大切だ  結論を先に言えば、集合知がうまく機能するには条件がある。集まった個が多様であること、また彼らが他人に影響されない独立性を保っているか? などの要素により、集合知が有効に働く場合とそうでない場合があるってことだ。  まず議論の前提をはっきり... [Lire la suite]

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