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septembre 2007

29/09/2007

公判を急遽欠席する場合

 最近刑事弁護をやっていないので誤解があるかもしれないのですが、私が刑事弁護をやっていたころは、被害者やその遺族が公判を傍聴するかどうか弁護人には事前連絡はなかったし、そもそも被害者遺族の連絡先を教えてもらうこともなかったです。もちろん、被害者遺族の調書が開示されていれば、調書に記載されている範囲内でその住所を知ることは可能なのですが、ただその場合でも電話番号等を教えてもらうことはなかったように思います。また、被害者やその遺族は一般に、弁護人から直接コンタクトを求められることを好ましく考えない傾向があるので、示談交渉を行うなどの特段の事情がない限り、弁護人が直接被害者やその遺族にコンタクトをとることは差し控えるのが通常です。

 従って、何らかの理由で急遽公判を欠席することとなった場合、弁護人としては、裁判所と検察官に対しその旨を連絡するにとどめ、被害者やその遺族にまで公判を欠席する旨を直接通知はしないのが通常だったはずです。

 最近、運用が変わったのでしょうか。

灯台もと暗し

 橋下徹弁護士がまた不思議なことを仰っています。

 

コメンテーターの仕事や、番組に出演する仕事は、この裁判よりも重要でないっていうのか!!
コメンテーターやタレントの皆さん、そして放送局関係の皆さんへの最大の侮辱だね。
弁護士の仕事が一番偉い、今回の裁判が社会的に最も重要。
染みついちゃってるんだね、その感覚が。

 「今回の裁判がコメンテーターの仕事や番組に出演する仕事よりも重要である」ということが「弁護士の仕事が一番偉い、今回の裁判が社会的に最も重要 」ということを意味するためには、「コメンテーターの仕事や、番組に出演する仕事 」が、「弁護士の仕事」の次に偉いことや、「今回の裁判」の次に「社会的に重要」であることが必要です。しかし、この事件の原告やその訴訟代理人がそのような意識を有していると伺わせるに足りる資料はこれを見いだすことはできません。したがって、今回の裁判に出席することが「コメンテーターの仕事や、番組に出演する仕事」よりも優先されるべきだといったからといって、「弁護士の仕事が一番偉い、今回の裁判が社会的に最も重要 」と考えていると断ずることが許されないことは明らかです。

 むしろ、橋下弁護士の上記発言には、「テレビ局の仕事が一番偉い。テレビ番組でコメントをすることが社会的に最も重要」という彼の意識が色濃く反映しているのではないかという気がしてなりません。

 また、橋下弁護士は、

今回の裁判は、光市母子殺害事件の被害者遺族に対して、非常に迷惑のかかる、もし違う方法があるのであれば、本当は避けなければならない裁判だったんだ。
とも仰っています。確かに、橋下弁護士がバラエティ番組でくだらないあおり発言をしなければ、また、読売テレビがこれをカットしていれば、あるいはここまでことが大事になる前に橋下弁護士が懲戒請求を煽ったことを間違っていたことと認めきちんと謝罪していれば不要だったとは思います。しかし、橋下弁護士がその間違いを認めないのだから仕方がありません。

 さらにいえば、今回の裁判が起ころうと起こるまいと、或いは、今回の裁判で原告が勝訴し橋下弁護士が1200万円の損害賠償を命じられることとなろうとも、光市母子殺害事件の被害者遺族には特段の迷惑はかからないように思います。このように自分の利害のために「光市母子殺害事件の被害者遺族 」を持ち出すのは、もういい加減やめにするべきではないかと思うのです。

 なお、

弁護士が自分たちの裁判は社会的に重要だ、社会的意義がある画期的な裁判だって自ら言うのはそれが原因なんだ。
弁護士以外にいますかね、これだけの自画自賛野郎が。政治家くらいかな。
弁護士以外の業種で、自分の仕事を、「社会にとって重要だ」なんて言ったら確実にブーイング。
とのことですが、「灯台もと暗し」なのでしょうか。私は、名誉毀損訴訟や著作権訴訟等を通じて、その種の自画自賛を何度マスメディアから聞いたかしれないのですが。

28/09/2007

低俗なテレビ番組のもたらす災禍はその放送対象地域外の住民にも及ぶ

 橋下事件の一つの教訓は、低俗なテレビ番組のもたらす災禍は、その番組を正規に放送しているテレビ局の放送対象地域に居住していない者にも及ぶということです。

 テレビ局側は、まねきTVを訴訟で押しつぶそうと画策したり、YouTube視聴を法改正により違法化しようと画策したりして、放送対象地域外の住民がテレビ番組を視聴することを禁止しようとしています。その一方で、テレビ番組を通じて、その放送対象地域外の居住者(広島在住の今枝先生はともかく、東京在住の安田先生はたかじんさんの番組を地上波では視聴できません。)に対する嫌がらせないし業務妨害行為を行うように視聴者に呼びかけることは平然と行うわけです。とても卑怯な話です。

 文化庁が提出しようとしている情報統制法案で「著作権者等が一部の人にしか知らせたくないと思っている情報をそれ以外の人が知ること自体違法」ということになったら、東京在住者に対する嫌がらせを行うように視聴者に呼びかける番組が大阪のローカル局で作られ、放送されたときには、これに抗議をすると、「著作権侵害をしている十分な可能性がある」として、自分の保有しているパソコン全部について証拠保全としてディスク及びログデータのコピーをとられてしまうかもしれないです。

25/09/2007

要約すると「一般の弁護士どもはワイドショーに逆らうな」ということですね

 橋下徹弁護士は、件の答弁書の中で、

懲戒請求が国民の大多数が弁護士会に対する信用を失った,失望した,あの弁護士には品位がないと感じている中で,弁護士会だけが業界内の基準で, 「いや弁護士会に対する国民の信用は失われていない,あの弁護士は,業界内では品位がある」と強弁できるのか?弁護士自治という特権を認め,そしてこのような弁護士会の国民の声を無視する強弁を許せば,弁護士が横暴した場合にそれを制御することが全くできなくなる。
として、
弁護士会に対する信用や弁護士の品位を判断する上においては世間一般の常識的な感覚で判断するほかなく,そうであれば世間の声は重要な判断要素になる
としています(7頁)。

  そうだとすると、「あのような極悪な被告人の弁護をすること自体が許せない」との声が国民の間で高まった場合は、弁護士会がそのような「国民の声を無視する強弁」を行うことは許されるべきではなく、そのような被告人の弁護人に就任したことをもって当該弁護士を懲戒処分とすべきだということになりそうです。もちろん、誰かが弁護人に就任しなければ刑事訴訟は進行しませんし、単位会によっては、国選については事件を選べないところもあるのですが、それは弁護士側の論理であって、「世間一般の常識的な感覚」で見たときにそれが弁護士会に対する国民の信用を失わせるものであるならば、その弁護士は懲戒されるべきだということになります。

 すると、橋下弁護士の主張が認められた場合には、ワイドショーから既に断罪を受け、多数の国民から「一日も早く極刑に処せられるべき」であると考えられている被疑者・被告人の弁護人に就任することは、それだけで懲戒処分に処せられるリスクを負う行為であり、まして、その者が無実であるとする方向で弁護活動を行うことは、自らの弁護士生命をどぶに捨てるようなものだということになりそうです。

 もちろん、そのような世の中になれば、ワイドショーが被疑者・被告人の生殺与奪権を事実上持つようになるのですから、ワイドショーでは橋下弁護士を擁護する意見が多かったというのは宜なるかなです。

24/09/2007

被害者遺族の人権を守るためになすべきこと

 我が国のマスメディアやネットでは、被害者が死に至った事件の弁護人に対し、被害者遺族の感情に配慮して手抜き弁護を行うように要求する声が日増しに高まっているようです。そこでは、「お前の家族が同じことをされたら同じような主張ができるのか」等の問いかけがなされることがあります。

 「裁判官が被告人又は被害者の親族であるとき、又はあつたとき」は「裁判官は、……職務の執行から除斥される」(刑事訴訟法第20条第2号)と定められていることからも明らかなとおり、法は、当該裁判に関与する法律家が「被害者遺族としての感情」を持ち込むことを良しとしていません。従って、弁護人が、「自分の家族が被害者だったら」ということに思いを馳せて、弁護活動においてさじ加減を加えるということはやってはいけないことであるというよりほかありません。そういう意味では、「お前の家族が同じことをされたら」云々という問いかけは愚問といってしまってよいでしょう。

 その上で、「自分が被害者遺族だったら」ということを敢えて不謹慎にも想定してみるならば、与えられた職務を誠実にこなす弁護人よりも、自らの身に起こった不幸を邪な動機で活用しようとする無責任な人々(視聴率稼ぎのために煽情的な放送を繰り返す放送局、被疑者・被告人やその家族、弁護人等をバッシングすることでストレスの発散をしているだけの大衆、「品位を失う非行」を懲戒事由から外させるために一般市民を煽って当該事件の担当弁護人らに対する大量の懲戒申立を起こさせようとする弁護士等)に対し、大きな嫌悪感を感ずるのではないかという気がします。

 なお、弁護人が弁護の内容を一般市民に対して詳細に説明すること自体が被害者遺族の感情を害する虞すらあります。ワイドショーから既に断罪されている被告人の弁護を引き受けた弁護人は事実上の説明責任を一般大衆に対して負う(これを怠った場合は、大量の懲戒請求を申し立てられ、これへの対処のために長時間にわたる無意味な無償労働を強いられる、電話・ファックス。ネット等の様々な手段で誹謗中傷される等の事実上の制裁を受ける)ということになれば、被害者遺族の感情を損なう虞を認識しつつも、弁護方針、弁護内容等を一般市民に対し詳細に説明せざるを得ないところに弁護人が追い詰められる危険があります。

 それは、「被害者の人権」を重んずる昨今の動きとはベクトルが逆なのではないかという疑問があります。集中豪雨的な取材・報道からの被害者及びその遺族の保護というのが「被害者の人権」擁護の一大テーマだったのはそう遠い昔の話ではないことを、私たちはもう一度思い起こすべきなのではないかという気がしてなりません。

橋下弁護士の答弁書

 光市母子殺人事件の差戻控訴審の弁護人の一部が橋下徹弁護士を訴えた損害賠償請求事件の答弁書がアップロードされ、橋下弁護士のブログからリンクされています。

 民事訴訟での攻撃防御には不正解はあっても正解はないという前提で話をさせていただきますと、私ならば、この種の案件であれば、第1回口頭弁論期日の段階では、請求の趣旨に対する答弁と請求の原因に対する認否をした上で、原告ら側が違法と考える懲戒請求について具体的に特定するように求釈明を行う程度にとどめるかなと思ったりはします。もちろん、この段階で、懲戒申立てが不法行為となるための要件について論じたい誘惑に駆られるとは思うのですが、どのような懲戒申立が具体的になされたのを知らない状態であまり先走るのはリスクが高いので、とりあえずは回避しておきたいように思います(原告ら側の回答次第で法的主張を微調整する余地を残しておきたいですし、必要以上に大風呂敷を広げることがないようにしておきたいです。)。

 また、上記差戻審における本件各原告らの弁護活動以外の点(例えば、麻原弁護団の控訴趣意書の不提出等について)を強調すると、懲戒請求に正当性がそもそもなかったとの印象を強く与えてしまうので、自分なら回避するだろうとは思います。また、懲戒請求が多数寄せられたらそれで懲戒相当となるがごとき議論は──多数の一般市民に支持されているということが橋下弁護士の依って立つところなので難しいとは思いますが──陶片追放ないし村八分の論理を思い起こさせますので、裁判官の心証を害するのではないかと私ならば危惧してしまうところです。

23/09/2007

「二人殺害されたという事実」が覆らないとは限らない

 「人を死に至らしめた」という「結果として起こった事態」には何らの差異がなくとも、殺意があるか否か、(殺意はないとしても)暴行・傷害の故意はあるか否かというのは、その行為がどの犯罪構成要件に該当するかどうかを判断する上で決定的に重要です。また、仮に殺意があるとしても、それが未必の故意に過ぎないのか確定的故意が認められるのか、確定的故意が認められるにせよ、それは計画的なものであったのか否かというのは実際の処断刑を決定する上でとても重要な要素です。そして、光市母子殺人事件の上告審及び差戻控訴審では、殺意の有無が争われています。

 また、確かに事実誤認を理由に上告を行うことは刑事訴訟法認められてはいないのですが、それはそのような理由での上告は不適法なものとして却下されるというだけであって、裁判所が、確かに事実誤認があった蓋然性が高いと認めて職権で事実認定を覆すことは何ら問題はなく、実際、そのようにして事実認定が覆った例というのは過去にもたくさんあります。差戻控訴審の裁判官だって、当審での審理の結果従前の事実認定に疑義が生じた場合には、従前の事実認定を覆すことができます(もちろん、裁判所法4条によれば「上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する。」とされているわけですが、差戻控訴審では被告人質問の結果を含む新証拠が提出されておりますので、その結果殺意までは認められないとの結果に至ったのであれば、裁判所法4条との関係では問題がないということができます(cf.福岡高決平成9年4月22日判タ956号291頁)。

 したがって、光市母子殺人事件に関して、いずれにせよ「二人殺害されたという事実は覆らない」という議論は、はっきり言ってしまえば全くの的外れな議論ということが言えます。もちろん、「『人の死』という結果との間に相当因果関係を有する行為を行った者は、その主観的態様の如何に関わらず、自らの命をもって贖うべき」というのは一つの考え方ではありますが、我が国の現行刑法はそのような考え方を採用していないので、その考え方を認めさせるためには立法府に働きかけて刑法を改正させることが不可欠です。

 現実の弁護団の弁護活動に疑問を提示するにしても、その程度のことは知った上でこれを行うべきなのではないかという気がします。

光市母子殺人事件での弁護人に対するバッシングの流行から読み取れる、一般市民が待ち望む「これからの弁護士像」について

 確かに、これまでの弁護士は、「顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等に、より配慮する」という考え方を採用してきませんでした。おそらく、既存の弁護士のほとんどは、今後もそのような考えを採用しないでしょうし、私もそのような考えを現在も採用していないし、今後も採用しないことでしょう。そういう意味でも、「顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等により配慮する」ことを自分の弁護士に対して望む人々を、私を含む従前型の弁護士は、「潜在的顧客」として認識してこなかったということができます。

 弁護士の潜在的な顧客である一般市民の方々が、むしろそのような考えを採用し実行する弁護士をこそ本当に望んでいるのであれば、「当事務所は、相手方の感情や世間の風を損なわないことを最優先し、依頼者の意向や利益は二の次に考えます。」と宣伝する法律事務所が現れ、そこが繁盛することでしょう。あるいは、弁護士自身の専門的な知見よりも、ネットの匿名さんたちの素人意見を採用する弁護士に事件処理を依頼したいというのが一般市民の希望なのであれば、事件の処理方針を2ちゃんねらーに尋ね、これに従うことを謳う法律事務所が現れ、そこが繁盛することでしょう。

 そのような弁護士こそが望ましいと思う人は、いざ自分が弁護士に事件処理を依頼しなければならないときに、そのような弁護士に依頼すればよいだけの話です。法曹人口の飛躍的増大により市場で淘汰される弁護士がこれからは増えますから、我が国における弁護士の「潜在的顧客」が望む弁護士像が概ね「顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等により配慮する 」新しいタイプの弁護士であるならば、私たち既存型弁護士は市場原理により弁護士業務からの退場を迫られることになります。しかし、そのような弁護士を望ましいとは考えず、従来型の弁護士に事件処理を依頼した赤の他人について、その弁護士に対して、顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等により配慮することを要求するのは余計なお世話だし、その要求に従わない弁護士に対して懲戒申立てを行うのは不当申立てとの謗りを免れないことでしょう。

 あるいは、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等よりも顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理を優先させて弁護士が活動するのは社会正義に反するというので合えば、まずは自分たちがそのような弁護士に依頼せず又は依頼した弁護士に自分と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等に優先的に配慮するように指示したらよいのではないかと思います。

22/09/2007

アマチュアは神様か?

 NOV1975さんからトラックバックを頂きました。相変わらずの論調ですけど。

 

小倉先生、「弁護士のことは弁護士しかわからないから黙ってろ」って言いたかったんでしょ。

とのことですが、どうやったらそのように読めるのか不思議です。専門家に対して「素人は引っ込んでいろと言うのか」という言葉が出てくるときと言うのは、その素人の言動が間違っていることを論理的に諭されたときに素人側から出てくる言葉なのです(言われた側の専門家は、かなり懇切丁寧に説明をしているのに。)。従って、「素人は引っ込んでいろと言うのか」といってくる人々に満足していただくためには、その間違っている素人の主張を受け入れなければならないわけです。例えば、弁護士会は会員である弁護士に対して被害者遺族(除く、医療事故被害者遺族)に不快感を与える弁護活動を行うことを禁止し、既に弁護活動に伴い被害者遺族に不快感を与えた弁護士に対して懲戒処分を行うこととした場合に、初めてこれらの「素人の意見が専門家に受け入れられた」ということになります。もはや、行き着くところは、検察も弁護人も裁判官も「世論」とやらに迎合してみんなで被告人を断罪する「人民裁判」です。基本的人権が尊重擁護されることに嫌悪感を有する一部のネット大衆が待ち望む社会──それが、現代日本よりも基本的人権の尊重擁護に劣る現代中国に似てくるのは予想の範囲内です──が到来しそうです。

何度も言っていますが、

    従って、「why」に対してその専門家や同業者集団が懇切丁寧に説明をしても、それらを全て悪意にしか受け取りません。
    la_causette: 潜在的な顧客ですらない

と言うような人は一部であり、一部と言ってもそこそこの勢力を誇っている。

とのことですが、「素人は引っ込んでいろと言うのか」と文句をつけるのは大抵の場合その「一部の人」です。

 こういうことを言うと、「専門家の方が間違っているとは考えないのか」という批判がくるかもしれませんが、例えば光市母子殺人事件の上告審及び差戻控訴審における弁護活動について言えば、その種の素人の意見を正しいものとして受け入れるということは、近代的な刑事裁判制度を放棄し、人民裁判制度を導入することにしか繋がらないし、では、近代的な刑事裁判制度を放棄し人民裁判制度を導入することがどれほど素晴らしいことなのかについてそれらの素人さんがきちんと論じているものを目にする機会があるかというと、ないわけです。

潜在的な顧客ですらない

 小飼弾さんよりトラックバックを頂きました。ただ、何か勘違いをしているような気がします。

 自分の主張を受け入れない専門家に対して「素人は引っ込んでいろと言うのか」と文句をつけているのは、別にその専門家の顧客ではありません。また、自分がその専門家の顧客に将来なったときにそのような行動をとってもらいたいとの観点からそのような文句をつけているわけでもなさそうなので、そういう意味では、「潜在的な顧客」ですらありません。

 また、そのような方々は、自分の感情に反する行動をとる専門家が許せないだけなのであって、その専門家がなぜそのような行動をとるのかという「why?」の部分になど端から関心がありません。従って、「why」に対してその専門家や同業者集団が懇切丁寧に説明をしても、それらを全て悪意にしか受け取りません。

 法に基づく裁判ではなく、素人たる大衆の即時的な感情に基づく裁判──いわゆる「人民裁判」──を日本にも導入せよというのは、一つの考え方だとは思います。が、その「ツケ」は、弁護士たちが支払うというよりも、十分な手続的保障も得られないままに確率論的に極刑を科せられる将来の国民が支払うことになります。もちろん、小飼さんも、日本から脱出しない限り、確率論的にツケを支払わされる国民の1人だったりはします。

21/09/2007

黙って引っ込んでいるべき素人

 最近ネットでは、「素人は黙って引っ込んでいろというのか」云々という言い回しが流行っているようです。これにより、自分の主張を受け入れない専門家は、専門家という地位を笠に着た驕り高ぶった人間であるとのレッテルを貼ろうという魂胆が見え隠れします。

 しかし、専門家の具体的な仕事に関しては、顧客等の人生ないし生命等が係っていたりしますので、専門家が素人の無責任な意見など一顧だにしないというのは当然のことだと思います。専門家はそのことに何らの負い目を感ずる必要はありません。「素人は黙って引っ込んでいろというのか」という言い方に対しては、「そうだ」と言ってしまっても構いませんし、「専門家が思わず耳を傾けてしまうような、超一流の素人になってから、そういうことは言ってください」と言ってしまっても構わないのではないかと思います。

 また、最近は、刑事弁護人が、被害者遺族や無責任な一般大衆の感情を傷つけるような弁護活動を行うことを問題視するのが流行っているようです。しかし、当事者間対立構造を採用した裁判制度において、一方当事者と利害を共通していたり、一方当事者に強いシンパシーを抱いていたりする人々の無責任でセルフィッシュな願望に反する活動を他方当事者が行うことは当然のことであって、そのことによってそれらの人々の感情を傷つけることがあったとしても、そのことを何ら恥じ入る必要はないと言わざるを得ません。

 IT技術の発展による社会のフラット化って、専門家の活動を素人の思いつきレベルに引き下げようという動きではなかったはずなんですが、日本ではどうも誤解されているような気がします。

17/09/2007

阿比留記者の思わせぶりな発言

 産経新聞の阿比留記者のブログに次のような記載がありました。

 余談ですが、収支報告書を見ていて、興味深い名前を見つけました。改革国民会議の支出欄には、「講師料50万円 勝谷誠彦」と記されていました。この人は日頃から小沢シンパであることを公言していますから、さもありなんですね。また、小沢一郎政経研究会の報告書には、「講演謝礼50万円 森田実」とありました。こっちもときどき目にする言動を考えると納得がいきます。

 この記述からは、勝谷氏や森田氏は、小沢一郎サイドから講演料名下に多額の金印を受領し、それ故に小沢氏寄りの言動を行っているかのごとき印象がもたれてしまいます。さすがに大新聞の記者さんですからそのように断言はしませんが、コメント欄を見ても、概ねそのように受け取られているように思われます。

 ただ、小沢一郎という政治家ないしその資金団体の主催する研究会で森田実氏というベテランの著名な政治評論家に講演を依頼するというのはさほど不自然ではありませんし、これを見る限り、「50万円」という講演料は、森田氏からするとさほど高い部類には入っていない(少なくとも、その見解を曲げても構わないと思えるほどのものではない)ように思われます(要は、「20万〜150万円の範囲で要相談」ということですが、学生等を相手にするわけでもないので、特に講演料を安くしなければならない事情でもないでしょうし。)。勝谷氏の講演料相場はよく分かりませんが、テレビでレギュラーを持つ芸能人・評論家等の講演料として金50万円という数字が特に高いものとは思われません(一般の弁護士の場合、時間あたり1〜4万円程度しかいただけませんが。)。

 新聞社は、講演会を主催したり、記者が他社の主催する講演会に行使として招かれたりする機会も多いので、少なくとも阿比留記者クラスのキャリアがあれば、講演料の相場がどの程度かご存じだと思うのですが、そうであるならば、あのような思わせぶりな発言はいかがなものかという気がしたりします。

16/09/2007

Office Of Career Service

 中網栄美子「米国ロー・スクールの就職事情について〜法科大学院修了生へ向けてのキャリア・サービスを考える〜」法曹養成対策室報 No.2(2007) 63頁以下を読むと、米国のロースクールは、日本の法科大学院とは異なり、卒業生の就職に関して、「後は野となれ山となれ」といってこれを放置するのではなく、きめ細かいサポートをしていることが分かります。

 そのようなサポートの成果かどうか分かりませんが、米国のロー・スクール卒業生の就職率は概ね高く、その処遇も悲惨なものではありません。上記レポートで引用されている統計によれば、ロースクール卒業生の初年度収入の平均は7万2000ドル(中間値で6万ドル)を超えており、企業に就職した卒業生の初年度収入に限定しても平均で7万ドル(中間値で6万ドル)を超えています。初年度収入の低い公共部門ですら4万ドルです(なお、米国の弁護士の平均年収は、「self-employed workers」を除いた統計で、約11万ドルです。)。

 それにしても米国のロースクールのまねをするのが好きで、エクスターンのような存在意義がよく分からないものまで導入している我が国の法科大学院が、米国のほとんどのロースクールにある「Office Of Career Service」を導入していないというのは不可思議というより他ありません。もちろん、需要を無視した法曹人口の大幅増員を声高に主張した法学研究者の皆様の中に、弁護士が食えなくなることを積極的に望む気持ちが強くある方々が少なからずおられることは理解しているのですが、しかし、自分たちの教え子が食えなくなることを望む、そこまでは行かないにしても手を拱いて見ているというのは、専門職養成機関としていかがなものかという気がします。

法科大学院のコスト

 非法学部卒業者が法科大学院(未習コース)を卒業して司法修習を終了した後官庁や民間企業に就職する場合、どのような処遇が必要とされるのでしょうか。投下資本が概ね15年程度で回収されないのであれば、中長期的には、合理的な人間はそのような進路を選択しなくなるとして考えてみることにしましょう(未習コースの場合、ストレートでいっても、実際に働き始めるのが27歳からになりますから、それから15年ということですと、42歳になってしまいます。)。

 まず、法科大学院を卒業するまでに負担する費用としては、法科大学院の授業料等や書籍代等の積極的費用の他、法科大学院に在学中原則無給状態に置かれることによる機会喪失費用をも斟酌する必要があるでしょう。法科大学院の授業料は、学校ごとにまちまちですが、仮に初年度150万円、2年目以降100万円/年として計算することにします。すると、3年間で350万円ですね。3年間の書籍代等を計50万円とすると(法学系の書籍は、1冊で5000円を超えるものが少なくないのです。)、積極費用は400万円ということになります。機会喪失費用は、各人の給与水準により異なってきますが、他学部卒業後すぐに法科大学院に入学する、すなわち、22〜25歳の3年間を法科大学院で過ごし、新司法試験に1回で合格し、二回試験も1回で合格するとすると、機会喪失費用は概ね400万円×5=2000万円ということになります(大卒男子の賃金センサスを参考に、ざっくりとした数字を導くとですね。)。もちろん、一定の社会人経験をし、年齢が上昇すると、同学歴・同世代の給与水準が上昇しますから、機会喪失費用も増大します。)。

 したがって、未習者コースを経て法曹資格を取得するための投下資本は、概ね2400万円を超えることになります。これを概ね15年程度で回収するためには、同学歴・同世代のものより、2400万円÷15=160万円程度収入面で優遇されることが必要となります。すると、27〜8歳から働き始めるとして、そのあたりの年齢の大卒男子(給与所得者)の平均年収が400万円前後ですから、初年度年収が600万円弱程度に達しなければ、投下資本の回収は見込めないと言うことになります。

 こうやって考えてみると、法学部を廃止して、未習者コースに一本化せよ云々という一部ロースクール教員の提言は現実離れしているように思います。むしろ、法科大学院制度を一日も早く廃止して、「ロースクール」を法学部の1学科として構成し直すべきではないかと思います。これならば、法曹資格を取得するための投下資本は、授業料(の他学部・他学科との差額)+司法試験受験機関及び修習期間中の賃金相当額ということになりますし、24歳から働きに出られるわけで、同学歴・同世代の給与水準 がさほど上昇していない時期に、社会に踏み出すことができます。したがって、360万円+360万円×2÷15≒400万円程度の初年度年収で足りるということになります。

13/09/2007

原告から訴状が本日届き、その対応等に時間が必要なため、解説が後回しになったって!

 橋下徹弁護士が次のように述べておられるようです。

解説が遅れてすみません。
原告から訴状が本日届き、その対応等に時間が必要なため、すでに懲戒請求された方の懲戒請求が違法にはならないことの解説が後回しになってしまいました。
本日、「たかじんのそこまで言って委員会」の収録がありました。
この収録で、すでに懲戒請求された方の懲戒請求が違法にはならない点を説明しました。

 しかし、日本の民事訴訟法では、通常どおりであればその日までには訴状が被告に送達されるであろう日から十分な猶予期間をおいて答弁書の提出期限が設定されるし、提出期限を経過しても第1回口頭弁論期日が行われるまでに答弁書を提出すれば裁判所は特にとやかく言うことはないし、その答弁書だって、「請求の趣旨に対する答弁:原告の請求をいずれも棄却する。/訴訟費用は原告の負担とする。/との判決を求める。請求の原因に対する認否:追って主張する」という内容を形式的に盛り込めば、とりあえず第1回期日は乗り切れます。したがって、「原告から訴状が本日届」いた段階では、「懲戒請求された方の懲戒請求が違法にはならないことの解説」を後回しにしなければならないほど、「その対応等に時間が必要」となる事態は通常考えがたいということができます。

 もちろん、弁護士が被告として訴えられた本件においてそのような形式的な答弁書を提出するのはプロとしてのプライドが許さないということはあるかも知れませんが、しかし、当事者から事情聴取をする必要がない(だって自分自身が当事者ですから)本件において、請求の原因に記載された事実の認否だけであれば1〜2時間もあれば、法的な観点からの反論を含めたとしても5時間もあれば、答弁書の作成は可能でしょう(件の発言と、大量の懲戒申立との因果関係についての立証まで第1回口頭弁論期日で行うことは、裁判所も期待していないでしょうし。)。光市母子殺害事件の差戻審の弁護人たちが被告人の本人尋問を前にしてその準備に充てなければいけない時間と比べたら、些細なものです。

 また、「すでに懲戒請求された方の懲戒請求が違法にはならないことの解説」なんてものは、もしそのようなことが可能であるとするならば、単一論点についての法的な論証を一般向けに易しくリライトするだけですから、1〜2時間もあればできます。橋下弁護士が光市母子殺害事件の差戻審の弁護人たちに説明を求めたものと比べたら、かかる手間は数十分の1、数百分の1といったところでしょうか。

12/09/2007

被害者の感情を損ねない刑事弁護

 光市母子殺害事件における上告審以降の弁護人の弁護方針に対するネットの匿名さんの批判の声がやみません。しかし、現行法の下においては、弁護人は被害者やその遺族の感情ないしそれらを被告人の手続的権利や当事者対立構造による実体的真実の追究等の諸理念より重視する「世間の風」を最優先して活動することは許されていません。結局のところ、匿名さんの要求は、憲法の改正まで視野に入れた立法論といわざるを得ません。

 もっとも、立法的に被害者やその遺族の感情への配慮又は「世間の風」への迎合等を弁護人に課すことに成功したとしても、既にそれらに配慮することなく弁護活動を行ったことを懲戒事由とすることは、国内法の遡及適用ということになってしまいますので、少々難しそうです。また、弁護人が手抜きをした場合に被告人が死刑に処せられる蓋然性が高い事案でいきなり、「被害者やその遺族の感情への配慮又は「世間の風」への迎合等を弁護人に課す」という前代未聞の社会実験を行うことは慎重さを欠くものと言えるでしょう。

 もしそのような社会実験を行うのであれば、従前正当な弁護活動とされていた行動を行うと被害者の感情を損ねてしまうという事態がしばしば生じていた反面、弁護人が手抜きをしてその結果無実の被告人に刑が科されたとしてもその刑自体はさほど重くない、例えば痴漢(各都道府県の迷惑防止条例違反ないし強制わいせつ)事案について、まず行うのがよいのではないかと思います。この場合、「勘違い」とか「人違い」などと弁明することはもちろん、「偶然手が触れただけでわいせつ目的はなかった」というような被害者の感情を損なうおそれのある主張を弁護人が行うことは禁止されますし、まして、被害者が過去に何度も「痴漢をされました」と騒ぎ立てて慰謝料名下に金員をせしめていたなどの事実を主張することは厳禁ということになります。そこでは、弁護人は、被害者の言い値で慰謝料を支払って示談するか、または、(被告人自身はやっていないと確信していても)反省の弁を述べさせるなど一般情状の主張立証に終始することになろうかと思います。

 被害者の感情を損ねない刑事弁護というのは、弁護人は楽そうですね。

11/09/2007

被害者への冒涜?

 光市母子殺害事件の差戻審における弁護団に対する批判として、被害者ないしその遺族を冒涜した云々というものがあります。

 しかし、私が報道又はネットから取得する情報を見る限りにおいては、差戻審における主たる争点は殺人についての故意の有無及び強姦についての計画性の有無であり、副次的なものとして、被告人の一般情状としての精神能力や生育環境が争点化されているに過ぎず、その性質上、被害者側の「落ち度」を指摘するなどの、被害者側の名誉や名誉感情をことさら損なうような主張はしていないように思います。

 あるいは、事実の如何に関わらず、検察が提示したストーリーとは異なるストーリーを提示すること、ないし、被告人本人の事実認識の如何に関わらず、検察が提示したストーリーを被告人に認めさせ反省させることこそが刑事弁護人がなすべき本来的な職務であり、これとは異なる弁護活動を行うことは被害者ないしその遺族に対する冒涜であるということが言いたいのかもしれません。しかし、そういう意味での「冒涜行為」を防止するためには、我々は、近代的な刑事裁判制度自体を放棄する必要があります。しかし、それは、被害者ないしその遺族の気持ちを宥めるという目的と比して、副作用が甚大にすぎるように思われます。

08/09/2007

橋下弁護士の説明を2点ほど補充してみる

 橋下徹弁護士が、次のような発言をしています。

今度は、その皆様の声を、裁判所に提出させて下さい!!!
裁判所に証拠として提出しますので、氏名と住所の明示が必要となります。
私が収集したものに関しましては、弁護士としてその管理は厳重に行いますが、裁判所に提出しますので相手方にも渡ってしまいます。
その点をご了解して下さる方、ぜひご協力お願いします。
近日、このホームページ上に、フォーマットを掲載致します。
私の私的な損害賠償事案に関することで誠に恐縮なのですが、原告の訴えを退けるためにも、そのフォーマットをプリントアウトした上で、住所を記載し署名して、橋下綜合法律事務所宛てに返送していただけましたら幸いです。

 ただし、2点ほど説明不足であるように見えます。

 一つは、民事訴訟の訴訟記録は原則何人も閲覧が可能であるということです。まさかそれらの書証について少なくとも氏名・住所を特定しうる部分の閲覧謄写制限の申立てを怠ることはないとはないと思いますが、本件に関しては、そのような書面を送ること自体自己責任という考えのもとに、そのような申立てが却下される可能性がないわけではありません

 もう一つは、そのようにして作成し橋下弁護士の元に送った書面が書証として提出された方々のうちの1〜3人くらいは証人として申請され、法廷で証言をさせられる可能性があるということです。私が原告側であれば当然、どのような事実認識の元に「今回の弁護団の活動によって弁護士会の信用を失った、また品位を欠いていると考え」たのか、その事実認識はいかなる情報源の元に形成されたのかということを事細かに訊いていくのだろうなと思ったりします。

07/09/2007

橋下弁護士は、なぜ大量の懲戒申立てを呼びかけたのか。

 橋下徹弁護士がテレビで語ったとされる発言は下記のとおりのものです。

ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ
懲戒請求を1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ

 なぜ、「1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったら 」「弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかない 」と橋下弁護士は考えたのでしょうか。

 論理的にいえば、懲戒請求人が何人いようが、被請求者が何を行い又は行わなかったのかという事実は動きませんし、弁護士は何をすべきであり又はすべきではないかという規範も動きませんので、被請求者が現実に行い又は行わなかったことが懲戒事由にあたるか否かという結論も変動しません。したがって、橋下弁護士が1人で懲戒の申立てを行っても懲戒処分がなされない事案において、「1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださった」場合に、懲戒処分が下されることになれば、それはおかしいということができます。

 では、橋下弁護士は、「1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったら 」「弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかない 」と橋下弁護士は考えたのでしょうか。

 あり得るとすれば、次のようなことです。

 懲戒申立てがなされると、所属弁護士会の綱紀委員会の委員は、懲戒申立書及び添付資料並びにこれに対する反論書及び添付資料を熟読した上で、懲戒請求人と被請求者とを綱紀委員会に呼び出して事情聴取を行い、懲戒委員会に事案の審査を求めることを相当と認める旨の決定又は懲戒しない旨の決定を行うことになります(その決定書を作成するためには、判決書を作成するのと同程度の労力を必要とします。)。そして、綱紀委員会の委員は、基本的に無給です。

 で、「1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださった」場合、「1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人」に一斉に押しかけられた弁護士会の綱紀委員会の委員は、上記作業を、懲戒請求人の人数分行わなければなりません。これを処理しようと思ったら、綱紀委員会の委員は、当面本業そっちのけで、綱紀委員会としての仕事をしなければいけません。しかも無給です。

 綱紀委員会がこの苦境を脱する手段は何かないかというと、一つあります。さっさと、懲戒委員会に事案の審査を求めることを相当と認める旨の決定をして、懲戒委員会にこの件を投げてしまうことです。つまり、「1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったら 」、綱紀委員会の委員が、そのいつ果てるとも分からない事務作業の多さに根を上げて、本来は懲戒相当事案ではないのに、懲戒委員会に事案の審査を求めることを相当と認める旨の決定をしてくれる。「1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったら 」「弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかない 」という予想は、その意味においてなされたと考えるのであれば、全く根拠のないことではありません。あとは、綱紀委員を務める方々の矜恃をどれだけ信用するかどうかという人間観の問題です。

 ただし、そのような経路で懲戒処分が認められた場合、数で無理を通して道理を引っ込めたことにしかならないので、これに荷担した方々は、単なる被害者ではなく、悪に荷担した加害者だということができます。この件をきっかけに特に刑事弁護人がワイドショーの顔色をうかがいながらでなければ弁護活動を行い得なくなったり、ワイドショーのコメンテーターに付け届けをして世論工作を行うことが弁護活動の必須アイテムになったりしたことにより、多くの刑事被告人が本来科されなくともよい刑罰を科されるようになった場合、その責任は、橋下弁護士だけでなく、橋下弁護士の煽動に乗せられて懲戒申立てを行った方々も負うべきなのです。

05/09/2007

朝日新聞社は毎年1000人以上の新入社員を引き受けるべきだ

 鳩山邦夫法務大臣が、司法試験の合格者を3000人とする計画について、個人的な意見としてですが、3000人は多すぎると述べたことが話題となっています。

 法科大学院制度を始めるにあたっては、推進派の方々は「法科大学院の卒業生は、たとえ新司法試験に合格しなくとも、企業等から引く手あまたである」云々と仰っていましたが、現実には、「新司法試験に合格して司法修習を終えても引受先を見つけるのが大変」という状態ですので、当初の見込みが甘かったことはすでに明らかになっています。そして、年間1000件程度の医療過誤訴訟が提起されるだけで「医療崩壊」の元凶扱いされてしまう我が国では、年間3000人もの新規法曹を受け入れる社会的土壌がないことは明らかです。どうせ、新規法曹が新規需要を開拓すると、新たに訴訟に晒されるようになった業界が当該業界の崩壊の責任を弁護士に押しつけるようになるだけの話です。したがって、「3000人は多すぎる」というのは、あたかも「王様は裸だ」という発言と同様に、誰もが分かっているのに反発をおそれて言い出せなかったことを果敢に指摘したものということができます。

 リーガルサービスの分野に市場原理をどこまで持ち込むべきかなんて牧歌的な話が行い得たのは、もう今は昔、司法試験の合格者数を500人にするか、600人にするか、700人にするかということが議論の対象となっていた十数年前のお話です。私は、リーガルサービスは市場原理に基づいて提供されるべきというのが国民の声なのだと実感いたしましたので、そのころから、市場原理の枠外にある国選弁護や当番弁護は一切受任しないことにしております。当然、法テラスになんぞ登録するわけがありません。

 リーガルサービスの分野に市場原理を導入することを是認するにしても、司法試験の合格者数が年間3000人を超えるというのは、短中期的には多すぎると言えます。

 これによれば、平成18年現在で、裁判官は、地裁、高裁、本庁、支部の判事と判事補を合わせて3341名、弁護士は22021名に過ぎません。しかも、そのうちの5〜6分の1は、むしろOJTを課してもらう側の立場にいる若い方々です(なにせ、平成13年の段階で裁判官は3049人、弁護士は18243人しかいなかったのですから。)。司法試験の年間合格者数が3000人ということは、裁判官の総人数とほぼ匹敵し、弁護士の総人数のおよそ7分の1にあたります。まして、一部の法科大学院関係者が言うように、法科大学院としては経営上の観点からほとんど学生を落第させることはできないが、法科大学院卒業者の8割程度が司法試験に合格させろということになると、2007年度の法科大学院の入学者総数は5713人ですから、約4100人の新規法曹を受け入れることになります。これは、従業員数約6048人の朝日新聞社にたとえていうならば、毎年約1130人弱の新入社員を受け入れるというようなものです(これによれば、朝日新聞社の採用予定人数は120人とのことです。)。

 法科大学院の先生方は、学生が司法試験にさえ合格してくれれば、「後は野となれ山となれ」だから良いのですが、そんな大量の新人を押しつけられる現場のみにもなって欲しいといいたくなります。

03/09/2007

コネがものをいう社会の方が論説委員には都合がよい

 朝日新聞は、司法試験に関して、社説で次のようなことを述べているそうです。

ここは本来の改革の理念に帰るべきだ。合格者を一定の人数にしぼるのではなく、受験生が一定の水準に達していれば合格させる方法に変えるべきだ。

 「合格者を一定の人数にしぼ」らないとした場合、司法研修所による実務修習システムは崩壊します。もちろん、司法試験合格者が自力で実務修習先を探してそこで修習を果たした場合に初めて法曹資格を得られるとするシステムも採用可能ですが、その場合には、既存の法曹に「コネ」がある富裕層の子弟が圧倒的に有利となり、貧困層の子弟は圧倒的に不利になります。もちろん、そのような親の階級が子の進路に大きな影響を与えるシステムの方が、朝日新聞の論説委員の皆様や、朝日新聞の論説委員の皆様が日常的に「同じ人間として」お付き合いされる方々にとっては住みやすい社会なんだろうなとは思うのですが(旧司法試験は、朝日新聞の論説委員の息子さんとて一切の特別扱いがなされないシステムでした。)。

 かといって、実務修習システムがないことを前提として「一定の水準」を規定すると、現在の法科大学院の教育水準では、合格者数は飛躍的に減少することになります。

02/09/2007

世間か、アヘンか

 橋下弁護士が相変わらず訳のわからないことをいっています。

「刑事裁判は、被告人の権利を守るもの。被告人のためだけに弁護活動をするのが弁護人。たとえ99人を敵に回しても被告人のためだけに行動をすればいい。死刑は絶対に反対。被害者のことなど考えることなんて不要。ましてや世間に配慮、説明することなど全く不要。かえって被告人の権利の妨げになる。国家権力と闘う自分はかっこいい。」
これが今の弁護士の多くの考え。

 まず、「国家権力と闘う自分はかっこいい。」の部分は単なるレッテル張りないし邪推ですね。「『今の弁護士の多くの考えと闘う自分はかっこいい。』と橋下弁護士はお考えで、そのような独自の感覚からの類推で「今の弁護士の多くの考え」を推測されたのかもしれません

光市母子殺害事件の弁護団ももちろん、このような考え。

世間では頭おかしいんじゃないの?と冷ややかに見られていることもつゆ知らず。 弁護士業界という狭い狭い世界でのみ生きてきた人間の悲しいサガです。 手前らよ、そして集会で後ろの方からこそこそ隠れて俺に野次を飛ばしたチンカス弁護士よ、いっぺん世間の前に出てよ、世間の空気を吸ってみろよ。 どれだけ手前らがカルトなのか、もうちっと知ってみてもいんじゃねえのか!

 相変わらず、橋下弁護士がどのような「世間の空気」を吸っているのかわからないのですが(ひょっとしたら、単に「マスメディア」という「アヘン」を吸って幻覚を見ているだけかもしれません。)、東京の感覚だと、弁護士以外の人と交流せずに弁護士業務を行える弁護士というのはほぼいないように思われます(少なくとも、芸能・メディア関係者以外の人と交流せずにタレント活動を行うよりは遥かに難しいでしょう。)。

 

弁護団がやるべきことは、一審・二審で主張しなかことを、なぜこの期に及んで主張するのか。

とのことですが、弁護士という肩書きでテレビに出てコメントしている橋下弁護士がやるべきことは、弁護団が上告審以降で主張している内容は家裁段階から被告人が供述していることに合致していること、並びに、本件の最高裁判決以前の判例の基準でいえば、にもかかわらず恭順路線を貫いて死刑回避に努めるという戦術は別段不思議なことではないことを、「世間に徹底的に説明」することなのではないかと思うのです。

また、

刑事裁判というものが被害者遺族のための制度であり、そして社会の公器であることを考えれば、徹底的に説明すべきなんだ

とのことですが、そのような新規の学説を論証抜きに提示して、その観点から相手を批判しても、「なんだかなあ」という反応しか得られないように思います。私は、民事訴訟法選択だったので、刑事訴訟法の教科書は司法試験に合格してからしか読んでいないのですが、「刑事裁判は被害者遺族のための制度である」との見解は見たことがありません。また、仮に「刑事裁判は被害者遺族のための制度である」という見解があったとして、ワイドショーのコメンテーターたちに納得してもらえるまでマスメディアに向けて説明を果たさない弁護士は懲戒処分を受けるべきという結論には結びつかないような気がします。

日米の医師の給与水準

 a.zさんから「日本の医師は、アメリカの医師と比べて、給与水準が桁違いに低いことはご存じですよね?」とのコメントを頂きました。こういう言い方をするより、「日本の医師の平均年収は○○円であり、これに対しアメリカの医師の平均年収は××円であり、両者は桁が違います」という指摘をしていただいた方が、無駄な手間が省けるように思います。

 なお、日本の医師の給与(所得)水準について、今日は自宅にいるので自宅でアクセス可能な資料から見てみることとします。厚生労働省の「第15回医療経済実態調査の結果速報」(平成17年6月実施)の「(参考7)一般病院 職種別常勤職員1人平均給料月額の推移」によると、月額給料+(年間賞与/12)に相当する金額は、「病院長」で約234万円、通常の医師で約118万円とのことです。

 他方、フォーブスの記事を日経BP社が翻訳した「やはり医師が上位独占 米国の職業別賃金ランキング」によると、政府の調査データによれば、米国に2万9890人いる麻酔科医の昨年の年間平均給与は18万 4340ドルだったとのことです。より詳細なデータはこちらで見ることができますが、「Surgeons」(外科医)で$184,150、「Internists, General」(内科医)で$160,860ですから、1ドル115円で計算しても、外科医で約2118万円、内科医で約1850万円ということになります。日本の病院長の平均年収が約234万円×12=約2691万円、通常の医師の平均年収は約118万円×12=約1357万円であることを考えると、「日本の医師は、アメリカの医師と比べて、給与水準がが桁違いに低い」といえるかはいささか疑問です。

 さらにいうと、フロリダであればここから、外科医は11万1000ドル(約1276万円)、内科医は3900ドル(約45万円)を医師賠償責任保険の保険料として負担しなければいけないのに対し、日本の医師は年間で5万円程度の保険料を支払えば済むわけです。すると、実際の手取りレベルではあまり変わらない、むしろ外科医についていえば、経済的には日本の医師の方が恵まれているのではないかという気もします。

 また、云さんから

億を超える賠償金は「懲罰的損害賠償」と言えませんか?自己の利益による違法行動で損害を与えたならともかく、米国的自由診療ではなく本来患者に益する目的の国民皆保険制度上でなされた診療行為に対し、そのような「莫大な損害賠償」を求めるのはやはり異常でしょう。そして、最近は医療訴訟の賠償金の高額化に従って日本の医療事故保険が破綻しかねないと言われている現状をご存知ですか。

とのご質問を頂きました。

 まず、「懲罰的損害賠償」か否かは絶対的な金額によって決まるのではないので、億を超えたからといって「懲罰的損害賠償」とはいえないということになります(懲罰的賠償を命ずる部分については、外国判決といえども、日本国内で執行力を付与してもらえないので、この差は重要です。)。

 また、人身事故において損害額が億を超える一番の要因は、特に若年者が死亡し又は重度の後遺障害を負った場合に逸失利益が大きくなるということであり、この事情は、その事故の原因が医療過誤であろうと交通事故であろうと生産物の瑕疵であろうと特に異なることはありません。したがって、道路運送事業法第13条により運送の引き受けを拒絶することが原則禁止されているタクシー運転手が交通事故を引き起こし乗客を死傷させた場合や、学区域内に居住する児童の入学を原則的に拒絶できない小中学校において児童を死亡させてしまった場合にも、億を超える賠償額が命じられる場合があります。とりあえず、「義務教育制度でなされた教育活動に対し、そのような「莫大な損害賠償」を求めるのはやはり異常」だという議論はあまり起こっていないようです。

 なお、「最近は医療訴訟の賠償金の高額化に従って日本の医療事故保険が破綻しかねないと言われている」との点については初耳です。どこでそのようなことがいわれているのでしょうか。損害保険会社は、必要があれば保険料の増額により対処するものなので、仮に「医療訴訟の賠償金の高額化 」という事態が発生したとしても、おいそれとは医療事故保険は破綻しないようにできています(何せ、現在が年額5万前後ですから、倍額にしても年10万程度であって、お医者様がおいそれとは支払えない金額にはなりそうにありません。)。

【追記】

云さんのコメントには「アメリカでもテキサス州では医療過誤訴訟改革で25万ドルキャップが設定された様です。その結果、30%医師が増加し、医師不足が解消されたとか。」との表現がありました。ただ、この上限規制の対象は、非財産的損害部分(慰謝料や懲罰的賠償部分)に限定されます。日本の死亡慰謝料の基準がこの程度ですから、この医療過誤訴訟改革により、非財産的損害については、日本の水準にまで引き下げが図られたと表現するのがむしろよいのではないかと思います。

01/09/2007

日米における医師の訴訟リスク

 ジュリストの8月1日ー15日合併号の「医療と法」特集より、児玉安司「医療安全」によれば、

昨今の情報でも、医師1人あたりの年間保険料が我が国では診療科を問わず5万円程度であるのに対し、フロリダ州の保険料は、産婦人科が17万3000ドル、外科医が11万1000ドル、内科医が3900ドルと伝えられる
とのことです(68頁)。日本の謙抑的な司法制度の下では、対人保障無制限の医師賠償責任保険だって、年間保険料10万円程度で組み立てられるのではないかという気がします(1億円を超える賠償額が認められる例は希だし、懲罰的損害賠償制度が認められていないので、損害額が天文学的数字になる心配がいりません。)。

 やはり、日本の医師は、アメリカの医師と比べて、訴訟リスクが桁違いに低いということが言えます(なお、前回のエントリーで引用した飯田英男「刑事司法と医療」によれば、「アメリカでも件数はそれほど多くはないものの、重過失を中心に刑事処罰は行われており、最近では処罰件数も増加しているといわれる」(64頁)とのことであり、他方、日本でも、平成11年から平成16年4月までの間に公判件数が20件しかない(1年平均で4件弱)わけで、医師の刑事裁判リスクが日本において際だって高いわけではなさそうです。)。

 この程度の訴訟リスクしかないのに、医師にも「法の支配」が及ぶことを「医療崩壊」の原因にされてはたまったものではないというのが正直な感想です。昨日の日経新聞の朝刊に見開きで医師の側の意見広告が掲載されていましたが、責任ある立場の方々は、医療過誤訴訟が医療崩壊の原因だ等ということは仰られないのだなあということで、ひとまず安心はしました。

刑事医療過誤に関する裁判例等

 ジュリストの8月1日ー15日合併号は、折しも「医療と法」特集です。なかでも、飯田英男「刑事司法と医療」は、「最近、いわゆる福島県立大野病院事件(産婦人科医が医療過誤と医師法21条違反で逮捕起訴された事件)を契機として、医療界からは、刑事医療過誤事件の急増により医療現場が医療過誤に対する刑事処分の介入をおそれて萎縮診療や診療拒否に陥っているという声が上がり始めているという。その真偽は定かではないが、刑事医療過誤事件の実態をよく知らずに議論していると思われる点もあるので、最近の刑事医療過誤事件の動向を明らかにするとともに、刑事医療過誤事件を巡る若干の問題点を検討したい」(60頁)とするものであって、参考になります。例えば、戦後から平成11年1月までの医療過誤に関する公判件数が73件であるのに対し、平成11年から同16年4月までの公判件数は20件であること、平成11年以降について言えば大学病院。国公立病院等の大規模病院の事件が過半数を占めること等が客観的な事実として語られ、その原因として、「都立広尾病院消毒液誤注射事件において、警察署に対する異状死体の届出を怠った病院長が医師法21条違反等で立件起訴されたことを受けて」「厚生省(当時)が全国の国公立病院等を対象としたリスクマネジメントマニュアル作成指針において、『医療過誤が発生した場合には施設長は速やかに警察署に届出を行う』旨指示がなされるなどしたことにより「これまで闇に隠されていた医療事故の一部が表に現れてきたのではないかと解される」(61頁)としています。確かに、警察への届出件数を見ていると、例えば平成9年では「被害関係者等の届出等」が7件、「医療関係者等の届出等」が12件であったのに対し、平成17年では「被害関係者等の届出等」が30件、「医療関係者等の届出等」が177件となっており、必ずも、被害者側の心境の変化のみを刑事医療過誤訴訟の増加の要因とするのは妥当ではないでしょう。

 実際のところ、医療過誤で刑事責任が問われるのはどのような場合なのでしょうか。いくつか具体例を見てみましょう。

さいため地判平成15年3月20日判タ1147号306頁は、「抗がん剤である硫酸ビンクリスチン,アクチノマイシンD及びシクロホスファミドの3剤を投与する化学療法(VAC療法)を実施するに当たり」、「同療法や硫酸ビンクリスチンについての文献,医薬品添付文書の精査をせず,同療法のプロトコールが週単位で記載されているのを日単位と読み間違え,2ミリグラムを限度に週1回の間隔で投与すべき硫酸ビンクリスチンを12日間連日投与するという誤った治療計画を立て,それに従って研修医らに注射を指示し」、「入院中の甲山に対し,1日当たり2ミリグラムの硫酸ビンクリスチンを7日間にわたって連日投与し,更には,投与開始4,5日後には,同女に高度な副作用が出始めていだのに,これに対して適切な対応をとらなかった」という事案です。医療には不確実性があるとは言っても、限度というものがありそうです。

 新潟地判平成15年3月28日判例集未登載は、「かねてから高齢の上,拡張型心筋症の持病がある被害者に」「膝関節手術」を行い、「術後の被害者の心機能を高めるために使用したプレドパの薬効を高めることに気を取られ」、「手術後の被害者の血圧は正常値に比べると高めであった」にもかかわらず、「その使用量の余りの多さから看護婦や薬剤師からプレドパの使用量としては多すぎるのではないかとの指摘を再三受けながら,その指摘を無視して,その使用量を十分に確認することなく,他の医師からは医学の常識を逸脱しているとの指摘される程の通常使用量の約9倍もの大量にその点滴を続行したため,ついに被害者を死亡させるに至った」というものです。

 その他、患者を取り違えたとか、薬を取り違えた等の例もあるようです(但し、自宅からだとアクセスできる裁判例の幅が狭まりますので、原文に当たれていません。)。

 上記のような行為は、医師の裁量の範囲として、容認すべきだったのでしょうか。

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