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23/09/2007

「二人殺害されたという事実」が覆らないとは限らない

 「人を死に至らしめた」という「結果として起こった事態」には何らの差異がなくとも、殺意があるか否か、(殺意はないとしても)暴行・傷害の故意はあるか否かというのは、その行為がどの犯罪構成要件に該当するかどうかを判断する上で決定的に重要です。また、仮に殺意があるとしても、それが未必の故意に過ぎないのか確定的故意が認められるのか、確定的故意が認められるにせよ、それは計画的なものであったのか否かというのは実際の処断刑を決定する上でとても重要な要素です。そして、光市母子殺人事件の上告審及び差戻控訴審では、殺意の有無が争われています。

 また、確かに事実誤認を理由に上告を行うことは刑事訴訟法認められてはいないのですが、それはそのような理由での上告は不適法なものとして却下されるというだけであって、裁判所が、確かに事実誤認があった蓋然性が高いと認めて職権で事実認定を覆すことは何ら問題はなく、実際、そのようにして事実認定が覆った例というのは過去にもたくさんあります。差戻控訴審の裁判官だって、当審での審理の結果従前の事実認定に疑義が生じた場合には、従前の事実認定を覆すことができます(もちろん、裁判所法4条によれば「上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する。」とされているわけですが、差戻控訴審では被告人質問の結果を含む新証拠が提出されておりますので、その結果殺意までは認められないとの結果に至ったのであれば、裁判所法4条との関係では問題がないということができます(cf.福岡高決平成9年4月22日判タ956号291頁)。

 したがって、光市母子殺人事件に関して、いずれにせよ「二人殺害されたという事実は覆らない」という議論は、はっきり言ってしまえば全くの的外れな議論ということが言えます。もちろん、「『人の死』という結果との間に相当因果関係を有する行為を行った者は、その主観的態様の如何に関わらず、自らの命をもって贖うべき」というのは一つの考え方ではありますが、我が国の現行刑法はそのような考え方を採用していないので、その考え方を認めさせるためには立法府に働きかけて刑法を改正させることが不可欠です。

 現実の弁護団の弁護活動に疑問を提示するにしても、その程度のことは知った上でこれを行うべきなのではないかという気がします。

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