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23/09/2007

光市母子殺人事件での弁護人に対するバッシングの流行から読み取れる、一般市民が待ち望む「これからの弁護士像」について

 確かに、これまでの弁護士は、「顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等に、より配慮する」という考え方を採用してきませんでした。おそらく、既存の弁護士のほとんどは、今後もそのような考えを採用しないでしょうし、私もそのような考えを現在も採用していないし、今後も採用しないことでしょう。そういう意味でも、「顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等により配慮する」ことを自分の弁護士に対して望む人々を、私を含む従前型の弁護士は、「潜在的顧客」として認識してこなかったということができます。

 弁護士の潜在的な顧客である一般市民の方々が、むしろそのような考えを採用し実行する弁護士をこそ本当に望んでいるのであれば、「当事務所は、相手方の感情や世間の風を損なわないことを最優先し、依頼者の意向や利益は二の次に考えます。」と宣伝する法律事務所が現れ、そこが繁盛することでしょう。あるいは、弁護士自身の専門的な知見よりも、ネットの匿名さんたちの素人意見を採用する弁護士に事件処理を依頼したいというのが一般市民の希望なのであれば、事件の処理方針を2ちゃんねらーに尋ね、これに従うことを謳う法律事務所が現れ、そこが繁盛することでしょう。

 そのような弁護士こそが望ましいと思う人は、いざ自分が弁護士に事件処理を依頼しなければならないときに、そのような弁護士に依頼すればよいだけの話です。法曹人口の飛躍的増大により市場で淘汰される弁護士がこれからは増えますから、我が国における弁護士の「潜在的顧客」が望む弁護士像が概ね「顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等により配慮する 」新しいタイプの弁護士であるならば、私たち既存型弁護士は市場原理により弁護士業務からの退場を迫られることになります。しかし、そのような弁護士を望ましいとは考えず、従来型の弁護士に事件処理を依頼した赤の他人について、その弁護士に対して、顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理よりも、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等により配慮することを要求するのは余計なお世話だし、その要求に従わない弁護士に対して懲戒申立てを行うのは不当申立てとの謗りを免れないことでしょう。

 あるいは、顧客と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等よりも顧客の意向・利益や、法律専門家としての知見、弁護士としての職業倫理を優先させて弁護士が活動するのは社会正義に反するというので合えば、まずは自分たちがそのような弁護士に依頼せず又は依頼した弁護士に自分と利害の対立する人々の利益や感情、あるいは、マスメディアや全くの第三者等の感情等に優先的に配慮するように指示したらよいのではないかと思います。

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