名前で畏まらなくてもよい
こういうことは言いたくないけど、実名制を唱える人たちというのはこんな風に「オレの名前にかしこまらない連中が許せん」というのがほとんどなんだよなー。ということは、匿名の陰から踏み出せない方によってしばしば語られます。
しかしながら、「オレの名前にかしこまらない連中が許せん」という実名制論者を現実に捜し当てることはなかなかに困難です。ネット上での実名制を唱えるような人々は、現実社会において、自分の名前に第三者が畏まるということをそもそも期待していないからです。例えば、カンニングの竹山さんは、実名制のもとでは「カンニングの竹山」という名前に畏まり、誰も竹山さんを批判しなくなることを期待しているのかというと、おそらくそうではないでしょう。実名制が導入されることによりカンニング竹山さんに対する悪口が言いにくくなったとして、それはあるいは悪口が行き過ぎた場合に法的な責任を負わされる危険が高まるからであり、またあるいはネット上でカンニング竹山さんについて悪口を書き続けていることが周囲の人に知られることにより現実社会において「変な人」であるとして白眼視を受ける危険が高まるからでしょう。それって、カンニング竹山さんの「名前にかしこま」ったわけではないですよね。
竹山さんにしても、池田先生にしても、私にしても、自分に対する正当な批判を封殺できるような権力を現実社会でも持っていませんから、ネットの実名制を実現したとしても「圧倒的に有利な立場」になど立ちようがないし、「実社会の「古臭い」階層秩序をネットに持ち込んで甘い汁を吸」うことなんて期待すべくもないことです。
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