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janvier 2008

31/01/2008

シンポに呼ばれてパネリストになると主催団体の関係者になるの?

 Beyondさんが次のように仰っています。

ここでふと思うのですが、MIAUには、池田氏だけではなく小倉秀夫弁護士も関わっています。MIAUの中心的人物である白田秀彰氏がどのような方か存じませんが、ネットでは「他人の多様な意見を認めない」ことで有名な池田氏および小倉弁護士が関わっているのですから、MIAU自体、「他人の言論を抑制する」方向に進んでいることは明らかです。

 私は、MIAUのメンバーではなく、ただMIAUの主催するシンポジウムに呼ばれてパネリストとして壇上に登って発言しただけなのですが、Beyondさん界隈ではこのことをもって、「MIAUには、……小倉秀夫弁護士も関わってい」ることになるとのことのようです。

 なお、私は、匿名さんがそのお気に召さない意見をコメントスクラム等により押しつぶすことに反対しているので、むしろ「他人の多様な意見」を積極的に認めようとしている人々の1人であろうと思っています(現実社会で、あるいは現実社会でのつながりの中であることを言おうにも、匿名さんに執拗な嫌がらせを加えられることを恐れてそれを躊躇してしまう社会を、現実社会とは隔離した形で匿名で発言する以上は「地上の法」にすら従う必要がないというだけで、「他人の多様な意見を認める」社会としてしまうのは、正しくないように思います。)。

 特定の人や企業を攻撃する表現を流布する手助けをせよと民間企業に強要することはできないということと、「他人の多様な意見を認めない」こととは大分違うと思います。

30/01/2008

RAG FAIRの奥村さんがコメントスクラムに襲われた件について

 RAG FAIRの奥村さんのブログが、コメントスクラムにあってコメント欄の閉鎖に追い込まれました。奥村さんにとっても、コメント欄を介して奥村さんとの交流を楽しんでいたファンの方にとっても、お気の毒な事態です。

 私がはてなブックマークを付けた時点ではいまだコメント欄は残っていたので、奥村さんの対するネガティブコメントを読んだのですが、当該エントリーに対する反論というよりはいちゃもん、いちゃもんでもエントリー自体と関係があればまだましな方で、専ら奥村さん個人ないし彼が所属するRAG FAIR自体を貶めようというものが満ちあふれていました。

 実名を強要しても何も変わらないという人もいますが、奥村さんのブログのコメント欄で奥村さんを個人攻撃するコメントを投稿した人たちは、自分がどこの誰であるのかを自分の周囲の人にも知られうる環境下でも同じことができたのかというと大いに疑問です。そのような卑怯者たちの氏名・住所を知ったところで奥村さんがコメント投稿者を物理的に襲いに行く(又は第三者を雇って襲いに行く)という事態は想定しがたいので、本当は、こういうコメントスクラムを行って場を荒らす人間の氏名・住所なんてさっさと開示する仕組みを採用した方が、「ブログ」というメディアが健全に発展することに繋がるのではないかと思います。

 幼い少女の安全のために匿名性は維持されるべきだという方々は、このように匿名性が憂さ晴らしないし言論弾圧の手段として活用されることに怒り、そのような濫用をさせないための実効的な手段を提案していくべきではないでしょうか。

28/01/2008

表面的にであれ問題が解決に一歩進むのであれば、それは無駄ではないし、表面的であることを理由にそれを躊躇すべきではない。

 松岡美樹さんは、相変わらず、匿名さんたちの味方ですね。私などは、表面的にでも「炎上」という名の嫌がらせを押さえつけることができればまずは御の字だと思うのですが、それでは根本問題が解決しないからと言って表面的に解決する問題を解決させずに放置するというのは、被害者にはとても酷な話です。まあ、被害者より加害者にシンパシーをおいているあまたの匿名さんの賞賛を浴びることでしょう。

 ところで、松岡さんは、ネットでの「炎上」以外のハラスメントについても同じアプローチを取るのでしょうか。いわゆるセクシャル・ハラスメントについても、女性に対する(一部の)男性の蔑視感という根本問題が解決しないのであれば、セクハラ防止マニュアルを策定してこれを守らせることによってとりあえず表面的にセクシャル・ハラスメントを押さえつけることには意味がないから反対すると言うことなのでしょうか。学校のいじめ問題にしても、子供たちに加えられた過剰なストレスや将来に対する絶望感等の根本問題が解決しないのであれば、校内や地域のパトロールを強化したり、いじめの被害にあった場合にすぐに教師や専門のカウンセラー等が相談に乗り、場合によっては警察の介入を含めいじめを除去していこうという方策は、表面的に「いじめ」を押さえつけるだけだから、やめるべきだという話になるのでしょうか。

 あるいは、表面的に押さえつけることなど意味はないと考えるのは、ネットでの「炎上」という名の嫌がらせだけなのでしょうか。だとしたら、ネットでの嫌がらせについてのみ、根本問題が解決するまで、これを表面的に押さえつけることすらせず、当面の間被害者に泣き寝入りを強いるのは何故なのでしょうか。根本的に、匿名の陰に隠れて特定の人を執拗に攻撃をして特定の人を精神的に傷つけることを悪いことだとは本気で思っていないのではないでしょうか。


 なお、松岡さんは

そもそもオープンソースの思想や、ウィキペディアなどを通じた集合知を見てもわかる通り、ネットの本質は性善説なのだと思っています。でなければ有意義なCGM(消費者生成メディア)の世界など成立しないし、そもそもユーザー参加型のWeb2.0など有り得ない、ということです。ネットは匿名で発展し、クリエイティビティを保ってきたと言えます。誤解を恐れずに言えば、現実の世界とはまったく別に異なる人格をもって気軽に参加できるからこそネットは素晴らしい。ドロドロとした人間関係を引きずりながら、ストレス過多なコミュニケーションをしなくてすむからいいのですよ。
と仰っていますが、様々な意味でこれは間違っています。

 まず、「性善説」というのは(孟子と朱子とでは捉え方が違うにせよ)「人間は、放っておいても悪いことをしない」という考え方ではありませんし、オープンソースの思想は「人間は、放っておいても悪いことをしない」という考え方を前提とはしていません(といいますか、GPLなんて、人は放っておくとソフトウェアを独占しようとする傾向があるので、契約によってこれを独占させないようにするという思想が前提にあります。

 さらにいえば、ネットの発展に「匿名」はさほど貢献をしていません。米国等ではブログはマスメディアと肩を並べるような存在に近づきつつありますが、ブログの社会的信頼性をそこまで高めたのは、実名や所属を明示するなどして現実社会での人格とネット空間での人格とをリンクさせることを厭わないジャーナリスト系ないし論壇系のブロガーたちです。日本ではこの層が薄いので、ブログの信頼性はマスメディアの信頼性に遠く劣る状態にあります。また、ネットイナゴ等がこれまでいくつのブログを閉鎖に追い込み、いくつのブロガーから更新する意欲を失わせてきたか、そして、ネットがそのような怖いところであるという評判がどれだけの人をブログから遠ざけてきたのかということを考えると、「匿名」はむしろネットの発展を十分に阻害してきたということができます。

 また、「現実の世界とはまったく別に異なる人格をもって気軽に参加」し、感情の赴くままに自分の気に入らない人間を執拗に攻撃してこれを困らせたり、悪質なデマをばらまいてその社会的信用を毀損したりすれば、その人はストレスから解放されるかもしれませんが、そのようなことをされている人々は却って本来不要なストレスをため込むことになります。常に2ちゃんねるのスレッドの動向等に注視してネットの「空気」を読み、匿名コメンテーターの感情を害さないように注意しなければ何も語れない言論環境で、「ストレス過多なコミュニケーションをしなくてすむ」といわれても説得力がありません。

27/01/2008

荒らしはスルーするとエスカレートする。

 Kathy Sierraがこちらのコメント欄に、
Am I wrong in stating that most individuals who engage in actions like that are fickle and by ignoring them the problem quickly goes away?
との指摘に答える形で、次のようなコメントを残しています。

 Yes. Although this approach works well for the random internet troll or flame-baiter, when people are determined to get a reaction from *you*--personally--ignoring them only makes it worse. They must then keep turning up the pressure until you DO react.

 I tried ignoring it... It just got worse. I tried cajoling and playing along. It just got worse. I tried talking to some of the people involved who I thought could stop it (before I ever went public). In still got worse.


 つまり、「荒らしにはスルー」というのは、「誰でも良いから炎上させてやろう」という愉快犯には有効だけれども、何らかの理由で特に自分がターゲットとして狙われている場合には、「荒らし」の行動はどんどんエスカレートしていくので、「スルー」することは却って事態を悪化させるということです。

 Kathyさんは、自分が開設するブログのコメント欄に匿名さんから殺害予告コメントを投稿されるということを経験しており、上記コメントは観念的なものではなく経験に基づくものです。米国でも、自分より社会的に高い地位にいる女性を憎む差別主義者がそこそこいますから、女性ブロガーは性的犯行予告を含めた匿名コメントによる攻撃を受ける機会が多いそうです。

 Tim O'Reillyもまた、When people can't hide behind anonymity, many of the outrageous statements that are made do in fact evaporate, because people are ashamed to have people know that they are the ones behind the statement.と言っているように、この種の女性差別主義に基づく犯行予告などは、概ね「匿名だからこそ」投稿できるのだろうと思います。日本の匿名至上主義者さんたちであれば、犯行予告を受けたくなかったら実名を知られないようにして生きていけばよい云々と言いたがるのではないかと思いますが、Tim O'Reilly のように本当にコンピュータやネットに詳しい人はそのように考えなかったからこそ、彼の提唱するBloggers' code of conductの中には、Consider eliminating anonymous comments.が含まれるのです。

 Timが唱えるDon't say anything online that you wouldn't say in person.自体、日本の匿名至上主義者さんたちが求めるLet me say anything online that I wouldn't say in personと正反対なので、日本の匿名至上主義者さんたちには受け入れがたいのかもしれません。

「匿名でいること」は希有な特権

 「匿名でいる」ということは、小飼さんが仰るのとは異なる意味で「特権」的です。

 ネット空間での活動の成果が現実社会に反映することをたいした「メリット」ではないと感じられること自体、とても希有な環境です。「現実社会で自分のおかれた環境に満足していて、それを変えていく必要を感じていない」人々以外は、現実空間と仮想空間とで別々の活動を、互いに有機的結合を果たすことなく行わなければならないというのは時間とエネルギーの無駄です。ここでいう「現実社会への反映」というのは、自分自身の「立身出世」ということだけでなく、現実社会を自分にとってよりよいものに変えていく、あるいは、自分にとって好ましくない方向に変わっていくことを食い止めるということまで含みます。

 また、ネット上で情報発信をするときに実名を明示しなければその実名を不特定人に知られずに済むかといえば、そういうこともありません。現実社会でそれなりに活躍している人々はどうしてもその実名がネット上にも表示されてしまいます。現実社会でさほど活躍していなくとも、現実社会で接触する相手に実名を明示していれば、その相手により自らの実名がネットに表示されることもあるわけです。ネットでの匿名さんによる誹謗中傷やデマの流布にしたところで、その被害者になるには、ネット上で実名で表現活動を行う必要はありません(学校に通っているというだけで、「学校裏サイト」等にその氏名が投稿される危険がありますし、「学校裏サイト」でターゲットとされた児童のほとんどは現実社会では未ださほど活躍していません。)。したがって、犯罪の被害に遭わないようにその氏名等をネット上に表示しないようにするためには、現実社会でも他人との接触を回避していかなければいけません。

 もっとも、その実名が不特定人に知られないということは、犯罪の被害に遭うことを回避する手段としては効果が低いです。というのも不特定人に対してなされる犯罪の多くは、犯人にとってそのターゲットの氏名というのはどうでもよいことだからです。例えば、MySpace等のSNSを舞台とした少女殺害事件等との関係でいえば、変質者にとっては、その少女の「実名」などはどうでもよいことです。その少女が名乗っているのが明らかに「ハンドル名」だったとしても、それが若い(幼い)少女であって呼び出しに応じてもらえる人であれば、どちらでもよいのです。これに対し、加害者の匿名性が高く保障されていると、犯罪は心理的にも容易になりますし、犯罪の種類によっては犯行自体がやりやすくなります。だからこそ、MySpaceは、利用者の個人情報をより厳格に把握する方向に動かざるを得ないし、日本ではプリペイド携帯規制が行われたのです。

25/01/2008

匿名至上主義者には、実効的かつ受け入れ可能な対案がなく、かつ、妥協の余地がない。

 匿名表現の自由を維持したいのであれば、匿名表現の自由を維持しつつ、匿名の濫用を防ぐ実効的な他の手段を提案すべきなのではないかと思うのですが、ネットの匿名性に執着する方々からそのような提案を聞くことはまずありません。結局のところ、「被害者」に全部負担を押しつけることしか考えていないわけです。匿名派の側に現実社会と妥協する意思がないのですから、現実社会は匿名の暴力の前に屈服するか、匿名の暴力を国家権力により押さえつけるしかなくなるわけです。

 もちろん、「匿名」という理性が半ば麻痺した状態(麻痺の程度には個人差があり、また現実社会の個人が特定されない強度によっても差が出てくるとは思いますが。)で言論活動を行うことは、飲酒により判断力が低下した状態で自動車を運転することに似ていて、「飲酒運転を許容しつつ交通事故を減少させる」方法を考えるのが実際には困難であるのと同様に、匿名表現の自由を許容しつつ誹謗中傷やデマの流布等を減少させることは困難だと言うことかもしれません。ただ飲酒運転の場合と違いのは、「飲酒運転による交通事故についてはスルーが原則」とか「被害者たちは、酒でも飲まなければ自動車を運転できない人に配慮して、温かい目で見守って欲しい」みたいな話は公然と語られることはないし、まして飲酒運転により交通事故を引き起こした人を公然と賞賛する人や一緒になって同じ被害者に自動車をぶつけに行く人はいないのですが、匿名表現による誹謗中傷の場合は、それに相当するような行為がしばしば行われるのであり、匿名表現による誹謗中傷やデマの流布によって被害者が苦しむという状態をむしろ楽しんでいる人が少なくないというのは注目されてしかるべきです。それが典型的に現れたのは人権擁護法案についての反対運動であって、あれの根幹は、「現実社会での自分が差別主義者という目で見られることなく、ネット上で、匿名を用いて、マイノリティであることをあげつらって他人に不快感を与える権利を認めよ」という要求でしかなかった(だからこそ、一般には「懲役」や「罰金」よりも遥かに軽微な制裁である「氏名等の公表」がものすごい制裁手段であるかのように喧伝された)わけです。そりゃ、マイノリティに対し差別的表現を執拗にぶつけると言うことは、一般的には「匿名でなければできない」発言であって、家庭環境によっては、そのような発言を繰り返してきたと現実社会で知られた場合には家庭崩壊を招く危険があるかもしれませんが、それは自業自得というものであって、誹謗中傷の被害者を泣き寝入りさせてまで、「社会的信用を失うことなく、マイノリティに対する差別的言辞を執拗にぶつける」権利を認めてあげる必要があるようには思えません。

24/01/2008

自由業者の方が自由のリスクは大きい

下記のようなはてなブックマークコメントを頂きました。

ちなみに「弁護士・小倉秀夫」と「技術者・何野誰兵衛」がそれぞれ法と政治につき語ったとすると、どっちがより「災禍」の及ぶ可能性が高いと思う?

 そりゃ、「弁護士・小倉秀夫」です。自由業者というのは、顧客や潜在顧客の不興を買えば、即収入の道が途絶えるリスクを負っています。これに対し、給与所得者は、上司の不興を買ったところで、即収入の道が唱えることはありません(その「法や政治」に関する意見が気にくわないからといって解雇されたら、傾向会社でない限り、解雇無効を勝ち取ることができる可能性が高いです。)。

 例えば、私は、レコード輸入権創設に反対することで、レコード会社の顧問になる可能性を捨てています(まあ、ファイルローグ事件を受任した時点で捨てているといわれればそうかもしれませんが、ただ個別事件で「敵側」に回っても「依頼された側につくのは 弁護士の性質上やむを得ない」ということでそれほど問題視されないことはあり得るわけですが、レコード輸入権創設反対運動の場合、誰に頼まれるでもなく自主的にやっていますから、「業界の敵」認定されたことは間違いないでしょう。)。

 これに対し、「技術者・何野誰兵衛」がレコード輸入権創設に反対したところで、その「何野」さんが会社を解雇されるという事態は想定しがたいです。一般に、会社組織において、個々の労働者の政治性というのは、会社間の取引においてさほど重視されない傾向があります(何せ、ばりばりの大企業でも、労働組合は相当左翼的と言うところは結構ありますから。)。

 そんなこんなで、むしろ会社勤めの技術者の方が、「法や政治」について語ったときに「災禍」の及ぶ可能性は低いのです。ただし、それはまじめに「法や政治」を語った場合であって、陰謀論等を真顔で論じたりマイノリティを公然と差別したりすれば、「同僚」との距離が近い分、冷ややかな目で見られることの心理的な圧迫は強いかもしれません。

23/01/2008

匿名さんは属人論法が大好き

 J-CASTに掲載されたインタビュー記事について、小飼弾さんのブログで言及していただきました。

 ただ、日本の匿名ネットワーカーさんは、小飼さんのお眼鏡にかないそうにありません。といいますのも、日本の匿名さんは、非常に属人論法が好きであって、むしろ属人論法を繰り広げたいからこそ、匿名性に固執しているという要素があるからです。つまり、属人論法を採用した場合、相手方からも属人論法を採用される危険があるわけで、これを回避するためには、自分の属人性を隠蔽し又は偽装することが有効であり、それ故、自分の属人性についての検証を断ち切る匿名性に固執するというわけです。

 しかも、2ちゃんねるで培われた我が国の匿名文化は、相手の属人性をねつ造してまで属人論法を採用しようとします。自分の気に入らない発言に対し、正面から反論するのではなく、さしたる根拠もなし(って相手もまた匿名である場合にはさしたる根拠など通常ありません。)に相手を「在日」扱いしたり「工作員」扱いしたりすることによって、相手の反論を封殺したことにする論法です。したがって、匿名を擁護してみても、属人論法を排除した議論というのは当面成立しそうにありません。

 また、「名前力」という点に関していえば、早期に実名を晒していかなければ、いつまでたっても「名前力」はつきません。「周知の変名」注1ではない固定ハンドルで「名前力」をつけるのは、実名又は周知の変名を用いて「名前力」をつけるのと比べて遥かに至難の業です。何しろ、「実名を知られたら負け」という環境のもとでは、自分が比較優位性を持つ分野で質の高いエントリーをアップロードするということは、属人性の低い技術分野をともかくとすれば、実名を特定されるリスクを高めることに繋がるからです(もちろん、自分が比較優位性を持つ知識を現実社会では活用せず、ネット上でのみ披露するのであれば、実名を知られるリスクを軽減することができますが、それはその比較優位性を活かしてこれから現実社会での地位を獲得していかなければならない若い世代には酷な話です。)。ですから、本当に覚悟を決めた者以外は実名でブログを開設できないような「匿名優位の環境」の下では、既存の著名ブロガーの優位性はなかなか揺るぎません。

注1「周知の変名」とは、特定の人物の変名として広く知られているものをいいます。

「匿名でないとできないこと」は匿名発言のもたらす災禍を放置してまで守る必要のあるものなのでしょうか

 匿名でなければできないことがあるにせよ、それが、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。

 例えば、選挙のシーズンになると、立候補者やその所属政党に関するデマが広範囲に投稿されるのが最近では通例となっています。この種のデマを流布する行為は匿名でないとやりにくいとは思いますが、それは守らなければいけないものなのか大いに疑問です。

 選挙以外でも、営業妨害を狙ったデマというのはしばしば見受けられます。動物病院事件などはその典型です。そのような営業妨害をする動機としては、何らかの意趣返しというものもあるでしょうし、ライバル企業をつぶしてやろうというものもあるでしょうし、単におもしろ半分ということもあるでしょう。いずれにせよ、その種の行為は匿名でなければやりにくいことだとは思いますが、それが守る価値のあるものとは私には思いにくいです。

 また、自分の気に入れない言動を行った人間に私的制裁を加えるために匿名表現が活用される場合がしばしばあります。それは、その相手の目に触れるようにその相手に罵倒を投げつけることもありますし、虚偽内容のものを含むその相手の個人情報を不特定人の目に触れるところに投稿したり、その相手に迷惑がかかることを行うように不特定人に呼びかけることもあります。「炎上は、炎上する側に問題がある」みたいな話をされる方は、匿名さんたちが私的制裁を加えるということにポジティブな価値を見いだしているのでしょうが、私は、匿名さんたちが特定の個人に私的制裁を加えることに、むしろ批判的です。まして、匿名さんたちが安心して特定の人間に私的制裁を加えることができる環境というのは、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。

 また、匿名ブログや匿名コメントにはやたらと「上から目線」のものが多く、それは、匿名の陰に隠れることによって肥大化した自尊心の賜と思われ、それ故、実名ではなしがたいのだろうとは思います。自分がその種の発言を行っているということを自分の周囲の人に知られたら恥ずかしいという思いや、自分がどのような人間であるのかを知られたら、相手を見下して行われるその発言が非常に滑稽に移りそうだとか様々な理由があるでしょう。ただ、その種の発言は、禁止するほどのものではないかもしれませんが、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。

私たちは、いろいろな人に実名等の個人情報を知られているが、殺されてはいない。

 ネットで実名を表示することは危険だといわれても、実際のところ、実名並びに所属等を明示しつつネット上で情報発信を行っている人は現実に沢山いて、その多くはガードマン等をつけているわけでもないのですが、ネットで実名を表示したことを契機として、見ず知らずの人から突然襲撃されたみたいなことは未だ起こっていないのであって、そういう物理的な危険を過度に強調する意見に対しては、ある種の哀れさすら感じてしまいます。ネットで必死になって「上から目線」で他人を批判しているだけの人々なんて、窃盗にせよ、強盗にせよ、強姦にせよ、犯罪者としては、最もターゲットにする意味の乏しい人々であるといえます。そして、これらの犯罪のターゲットにするに相応しい人物の個人情報というのは他の制度により取得することが相当程度可能なのであって(ことの性質上、具体的には述べませんが。)、ネット上での発言者の匿名性を維持したところでその種の犯罪の発生確率を減少させる意味はほとんどありません。

 恐らくは彼らだってそんなことを心配して匿名の陰に隠れているわけではなく、自分たちが行っている発言の発言主が自分であることを自分の現実社会での知人等に知られて恥ずかしい思いをすることには耐えられないということで匿名の陰に隠れ続けようとしているに過ぎないのでしょう。人権擁護法案だって、手続き的な規定を遵守している限りにおいては、氏名等の公表程度しか制裁手段が用意されていないのにあれだけの大騒ぎがなされたのは、結局のところ、マイノリティを蔑むような発言を繰り返しマイノリティに不快な思いをさせることで鬱憤を晴らしたり自尊心を維持したりしたいけれども、自分がそのような差別主義者であるということを自分の現実社会での知人等に知られ、白眼視されることには耐えられないというだけのことなのに、様々な陰謀論を駆使して反対論を正当化しようとしていたわけで、それと同レベルのように思われます。
 

22/01/2008

「100じゃなければ0」という考え方を抑止論はそもそも採らない

 「実名を名乗って誹謗中傷を行う人もいるからネットの実名可には誹謗中傷対策の意味はない」云々という話をされる人は少なからずおられるようです。しかし、これは、「抑止力」に関する完全な誤解に基づくものです。

 一定の行為を抑止するために現在採用されているほとんど全ての制度は、その行為がなされる頻度を相当程度減少させることはできても、その行為を完全に0にすることはできません。他方、その抑止策がなければ誰もがその行為を行うのかと言えば、それが抑止策がとられるほどに反倫理的であることに付き社会のコンセンサスがとられているものであればなおさら、そのようなことはありません。

 例えば、日本では、交通事故を減少させるために、飲酒運転が禁止されています。飲酒運転をしたからといって必ず交通事故を引き起こすわけではなく、また、飲酒していなくとも交通事故を引き起こす人は少なからずいるわけですが、飲酒運転禁止というルールは意味がないから廃止すべきだという声は大きくありません。また、ハイジャック防止のために飛行機に搭乗する際にははさみ等を携帯することが禁止されています。はさみ等を携帯したからと言って必ずハイジャックをするわけではなく、また、はさみ等の携帯を禁止すれば必ずハイジャックの発生を防げるのかと言えばそうではなくて、ハイジャック犯は荷物検査をすり抜けるような別の凶器を機内に持ち込もうとするわけですが、では、はさみ等の携帯禁止ルールには意味がなく、飛行機に乗り込む際の荷物検査はプライバシーの侵害に当たるから即刻廃止されるべきか、といえばおそらくほとんどの人は「No」と答えるでしょう。

 「ネットでの実名表示が義務づけられたら何も発言できなくなる」云々と言っている人々にはカジュアルに中傷をしている人が多く含まれている以上、誹謗中傷等の抑止力を「ネットの実名可」は相当程度もっていることが想定されます。

21/01/2008

未成年携帯フィルタリングは「愚作」なのか。

 エイベックスの岸博幸取締役が、未成年携帯フィルタリングを「愚作」と詰難しています


 未成年携帯フィルタリングが広く普及してしまうと、携帯電話経由で未成年者がニコニコ動画にアクセスする機会が激減することが予想されますから、岸さんが 未成年携帯フィルタリングを問題視することは理解できなくはありません(岸さんが想定する「すごく出来が良いコンテンツを作るけど、携帯キャリアからは嫌われている」会社ってどこのことでしょうか?)。


 しかし、

幸い、モバイル・コンテンツ・フォーラムなどのコンテンツ業界による組織もあるのだから、そうした場を活用して携帯キャリアや行政の協力も得ながら、コンテンツ側が率先して有害サイトの撲滅に取り組むべきではないだろうか。
と岸さんは仰るのですが、コンテンツ側が「有害サイトの撲滅」を行う場合、そのコンテンツは年齢を問わず誰にも見られなくなる可能性が高く、「表現の自由」を制約する度合いはより高くなることが予想されます。各都道府県の青少年保護育成条例等で有害図書等のゾーニングするにとどめている趣旨を少しは理解すべきでしょう。


 それ以前に、「コンテンツ側が率先して有害サイトの撲滅に取り組むべき」と言ってみたところで、コンテンツ側は、実効的な制裁を伴わない限り、有害サイトの撲滅などやろうとしないことは、現実を見渡せば明らかです。

20/01/2008

ノブリス・オブリージュはノブリスになってから負うのが普通

 前回のエントリーについて、創価大学法科大学院の学生である西田晋一さんから、コメントとはてなブックマークコメントを頂きました。


 何らかの宗教に対して篤い信仰心を有しているわけではない私としては、「ノブリス・オブリージュ」というのは、本業による収入でそれなりの生活費を稼ぐ等の経済的な基礎を確立した人に初めて期待されるものであって、高い授業料を払って法科大学院は出たものの司法修習終了後就職先が見つからない新規法曹に対して要求するような話ではないように思っています。食い扶持を稼ぐだけなら、バイトでもすればいいといわれても、食い扶持を稼ぐためにはバイトをしなければならないのでは、それは「プロ」の仕事ではないというべきかと思ってしまいます。


 もちろん、西田さんが数年後に法曹資格を取得した後は、食い扶持はバイトで稼ぎ、弁護士としての仕事はただないしただ同然の料金で受任する、「ノブリス・オブリージュ」精神に満ちあふれた弁護士になられるのは自由であり、むしろ当然そうなられるものと期待しております。

19/01/2008

伊藤真先生と倒錯した世界

 1月17日の朝日新聞に掲載された、法曹人口問題に関する伊藤真先生のご論考は、ひょっとしたら、来るべき日弁連選挙に奇跡をもたらすかもしれません。


 それにしても、法曹人口問題に関していえば、卒業生を送り出す側の法科大学院関係者、特に研究者たちが卒業生の進路の開拓に全く不熱心である一方、送り出される卒業生を雇う側の業界団体である弁護士会が彼らの就職先の斡旋に奔走している現状ほど倒錯しているものを、現代社会で探し出すことは困難でしょう。

 法科大学院の卒業生(修習を終了し、法曹資格を取得した者を含む。)を法務スタッフ等として雇うように企業回りをして企業に働きかけるのは、弁護士会の役目ではなく、法科大学院のスタッフの役割だと思うのですが、なぜか、法科大学院サイドでは、就職課のスタッフが企業回りをして、法曹資格者を法務スタッフとして雇うことのメリットを説いて回るというようなことを行っていないようです。法曹資格さえ取れれば、学部卒と同時に民間企業に就職するのと比べて就職率や就職時の雇用条件が劣るということになっても学生は満足してくれるのであって、したがって、司法試験の合格率さえ高値を維持できれば、それが経済的な貧困を約束するものに成り下がったとしても、数年の月日と数百万円の学費をこれにつぎ込む者は後を絶たないであろうとという自信がどこから生まれてくるのか私には理解できないです。

15/01/2008

実名でブログを行うメリットは商売目的以外にも多々ある

umikajiさんは、次のようなことを述べています。

結論を言ってしまえば、実名でブログを行うメリットは商売目的以外には皆無であり、それは個人ブログではなく、企業の公式ブログとして運営すべき事柄なのである。

 でも、それは間違っています。ネットでの言動と現実社会での行動とを結びつけるには、実名を用いてネット上で表現活動を行うことが有益です。といいますか、誰かがその役を引き受けないと、ネット上での表現活動は現実社会に影響を持ちません。もちろん、「現実社会に影響を与える」ことの一つに、自分の現実社会での商売に役立てるということも含まれますが、それに限りません。例えば、数年前のレコード輸入権問題の時だって、私や高橋健太郎さんや津田大介さんが法案の問題点を実名で指摘し、反対運動につなげたことが、レコード業界の様々な言質を取ったり、付帯決議を勝ち取ったりすることに繋がり、ひいてはレコード輸入権が洋楽CDの並行輸入を阻止するために活用されることを防ぐことに繋がったのだと思っています。あのとき、私たちが、自分かわいさに、文化庁の政策に匿名で文句をつけることに終始していたら、その声は衆議院民主党に届くことなく、何事もなかったように法案は成立し、レコード会社は何のためらいもなく洋楽CDの並行輸入を阻止するためにレコード輸入権を活用していたのではないかと思っています。

 政治的な要求を通すためには、「団結して、声を上げる」ことが必要だということは何度か申し上げたと思いますが、声を上げる際には堂々と声を上げなければならないのです。それを求める人たちが、こそこそと匿名で隠れながらでなければあげられない声など、何で拾ってもらえるものですか。

14/01/2008

Office2008

 そろそろMac版のOffice2008が出荷されるということで、AppleからもDMが来ています。

 Windows版のOffice2007がファイル形式を変えてきたのでファイル互換性を保つためにも購入はせざるを得ないのでしょうが、その新ファイル形式の評判の悪さが気に掛かります。

 Vistaの評判の悪さは私にとって所詮「対岸の火事」に過ぎなかったわけですが、Officeまで問題山積みだと困ってしまいます(Windows版とMac版では開発チームが異なるので、ひょっとしたらMac版は素晴らしいのかもしれませんが。)。

08/01/2008

幻想の市場価値

葉玉先生が次のように仰っています。

元高裁長官という威光を背景に裁判所に圧力をかけたり、元検事長という威光を背景に検察庁の処分に影響を与えたりするような事例でもあれば、それこそが「天下り」と批判されるべきことなのでしょうが、実際には、そのような事例がほぼ起こりえないことは、裁判官や検察官出身者ならば、誰でも知っています。

 裁判官や検察出身者ではない、生粋の弁護士である私も、まあそんなところなのだろうと思います。ただ、そういう「裏の圧力」があるのではないかという誤解を一部の国民が持ち、それに期待して元検察官(とりわけ検察内部で高い地位にあった人)を、生粋の弁護士とは桁の違い条件で向かい入れようとする実態があり、一部の検察出身者が、誤解に基づくオファーであることを知りながら、これを受け入れているとするならば、それは十分に非難されるべきことだと思います。

(大物検察OB弁護士に一部上場企業等が支払っている「顧問料」について噂話は何度も聞いたことがあるのですが、実際のところはよく知りませんので。ただ、本気で「コンプライアンス」を果たしたいのであれば、久しく民事・商事から離れている検察OBより、民事・商事中心で長年業務を行ってきた生粋系の弁護士に依頼した方がよいように思いますし、「視点を変えてみる」のであれば消費者系の弁護士にも監査してもらう方がよいのだろうとは思います。)

07/01/2008

The Mac Lawyer

 米国には、Mac使いの法律家のためのブログ、その名もThe Mac Lawyerっていうのがあるのですね。

 日本でも、Mac使いの法律家で集まって共同ブログを開設するとしたら、どのくらい集まるでしょうか。

04/01/2008

ある種の人々に憎まれている人をポジティブに評価することは、人間としてやらないほうがいいこと、なのか。

前回のエントリーに引き続いて、再びはてなの梅田取締役の発言について検討してみます。

 本を読んでそれに対する感想をブログに書いたり、日常生活でこんな楽しいことがあったと書いたりとかしたときに、そんなところに変なことを言ってくる人はいない。

 しかし、イデオロギーとか政治にかかわることとか、あるいはアイドルをけなすとかはだめ。

 それを経験すると分かってくる。たとえば、イデオロギー、政治にかかわる過激な発言を慎むとか、アイドルや熱狂的なファンがいる人に対して不用意な発言をするとか。意味もなく偉そうにするとか、属している組織をバックにして人を見下すとか。そういうのはダメ。でも、人間として当たり前のことを普通にやっていて、やらないほうがいいことをやらなければ、ほとんど何も起きません。

 炎上「させる」側を擁護した人々によく見られがちな発言ではありますが、真実とは異なるようです。「ネットで集中的に叩かれているが、ネット外では全然叩かれていない」という現象が少なくないのですが、それは、人間として当たり前のことを普通にやっていて、やらないほうがいいことをやらな くとも、炎上は起こるということを示していると見るのが合理的です。

 例えば、上村愛子さんの例でいえば、ボクシングの試合を見てこれに対する感想をブログを書いただけであり、しかも著名人をけなすどころかむしろ褒めていたわけですが、それでもブログは炎上し、上村さんの人格を攻撃するコメントが多数投稿されました(上村さんは、別に意味もなく偉そうにしていたわけでもないし、属している組織をバックにして人を見下していたわけでもありません。)。あのとき、ボクシングの試合を見て感動したという体験を自分のブログに投稿することが「人間として……やらないほうがよいこと」かといわれるととても違和感があります。実際、上村さんは、件のボクシングの試合を見て感動したことを世間に知られた後も、「人間として……やらないほうがよいこと」を行った人間として現実社会で糾弾されることはなかったわけです。

 また、昨年の8月頃は、「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」というブログの「突然」というエントリーがコメントスクラムに襲われました(なお、このときにブログ主についての実名晒しが行われましたが、そのことを非難する声はネット上にほぼ上がっていなかったかと記憶しています。)。これもイデオロギー、政治にかかわる過激な発言を慎むとか、アイドルや熱狂的なファンがいる人に対して不用意な発言をするとか。意味もなく偉そうにするとか、属している組織をバックにして人を見下す等の要素を含んでいません。コメントスクラムの参加者たちからすると、医療過誤訴訟の原告代理人として医師や病院に対する民事訴訟を提起に関与し、あまつさえ難事件を勝訴に導くというのは「人間として……やらないほうがよいこと」ということだったのかもしれませんが、それは現実社会においては広く共有されていない捉え方です。

 また、昨年は、光市母子殺人事件に関連して、上告審以降の弁護活動を擁護しあるいは橋下徹弁護士による懲戒煽動を批判すると(時に人格攻撃を含む)ネガティブコメントがわっと押し寄せるという現象が、特に法律家系ブログによく見られましたが、特定の事件に関する特定の弁護人の活動に対する不当な批判について批判を加え又は当該弁護活動の必要性ないし許容性等について専門家としての知見を自己のブログで開示することというのは、「人間として……やらないほうがよいこと」かといわれるとやはり違和感があります。

 結局のところ、ある種の人々、とりわけ匿名で人格攻撃を加えることに倫理的な躊躇を感じない人々から憎悪ないし敵視されている人や組織あるいは行為等をポジティブに評価しまたはそれらに加えられているネガティブな評価に同調しないこともまた「炎上」を招く要素となっていることが経験則上知られているということができそうです。では、それらのことは、「人間として……やらないほうがよいこと」なのかといわれると意義があるといわざるを得ません。むしろ、炎上させることなくブログを開設し維持したかったら人間としての良心の半分を麻痺させろ、といわれているようで、それなりに不愉快ですらあります。

03/01/2008

はてなで政治を語るのはルール違反か

 はてなの取締役である梅田望夫さんが、佐藤康光棋聖との対談で次のようなことをいっています。

 ゲームのルールを勉強しないと。定跡を覚えないといい将棋が指せないのと同じです。それをすっ飛ばすから“炎上”などという事態に陥る。

 僕は、ネット上でどう振る舞うと不特定多数とうまくやっていけるのかということを体で分かるようになってきました。ずいぶん時間的な投資をしてきましたからね。だから全然怖くないんです。やってはいけないことが分かっているから。

 これは、リアルの世界でも同じですが、やってはいけないことをやると怖いことになる。ブログの上にわっとくる“炎上”というのがあるが、普通にやればそんなことは起きない。

 本を読んでそれに対する感想をブログに書いたり、日常生活でこんな楽しいことがあったと書いたりとかしたときに、そんなところに変なことを言ってくる人はいない。

 しかし、イデオロギーとか政治にかかわることとか、あるいはアイドルをけなすとかはだめ。

 これがはてな株式会社としての公式見解とどう関係するのか分かりませんが、梅田取締役は、「炎上」というのは「炎上」を招いたブログ主が「ルール」に従わなかったことが原因であって、ブログ主の側に問題があると考えているということが分かります。この考え方のもとでは、はてな株式会社は「炎上」を回避するために投資を行う必要がないということになります。

 しかも、梅田取締役は、「アイドルをけなすこと」の禁止とパラレルなものとして、「イデオロギーとか政治に関わること」の禁止を、「ルール」として提示します。一般サラリーマン等は実名では政治に関する話がしにくいということを匿名表現を許容すべきとする理由に含める人々がいますが、少なくとも梅田取締役は、「政治にかかわること」は「炎上」を招いても仕方がない「ルール」無視行為と捉えていることになります。

 現在のはてなのような、ブログ主を攻撃するコメントを匿名でコメントできるシステムのもとでは却って、政治やイデオロギーにかかわることは語りにくくなることは事実ですが、どうもはてなはそれを肯定的に捉えているらしいということがはっきり分かってきたように思います。

 それ以外の部分については、佐藤康光棋聖がネットのことについて梅田取締役につっこみを入れる立場にないことを奇貨として、ずいぶんと無茶なことをいっているなあという感想を持ちました。例えば、

ところが、誹謗(ひぼう)中傷百科事典というのはないんですよ。梅田望夫というのがいますと。ぼくは47年生きてきて、いろいろと恥ずかしいこともしてきたかもしれないが、誰だってそうですよね。しかし、こいつはこんな悪いやつだという誹謗中傷のデータベースを作ろうと言った人はいない。これを集積しましょうとは誰も言わない。言った人がいたとしても、オープンな場所でやろうとは誰もしていない。だから、その一事をもって「人間は素晴らしい」と言うつもりなんかないんだけれど、案外捨てたもんじゃないねと、ネットと関わっていて思うことが多いです。
と梅田取締役は述べておられるのですが、「誹謗中傷百科事典」がない(あるいはあまり活用されていない)のには別の理由があるのです。「誹謗中傷を行うための場所」として開設された場所で誹謗中傷をしても、ターゲットに与えるダメージが小さくなる(ターゲットがそこを見てくれないと精神的にへこますことができませんし、真実が語られる蓋然性がある程度高い場所に流してこそデマはターゲットの社会的な信用を効果的に貶めることができます。)ので、「誹謗中傷百科事典」は流行らないのです。実際、Wikipediaやはてなキーワードのようなオンライン百科事典がわりに用いられているメディアに、特定の人物の社会的評価を貶めるような記載を書き込むことにより、ターゲットを社会的に追い詰めようという試みは近時頻発しています(梅田取締役も、もめる大きなところは、イデオロギーとか政治とか人物評価ですよ。と仰っており、オンライン百科事典がそのように活用されていることは認識されているようですが、彼はそれを克服すべきこととは捉えていないようです。)。

 また、

 ネットでブログが炎上して、収拾にかなり苦労されている話なんかをよく聞きますけど。時間が大切だということでネットを使う人が多いのに、逆にそれが時間のロスになってしまい、無駄なことをやっているんじゃないかと、そういう気がしちゃうので二の足を踏んでしまっている面がありますね。僕なんかは遅れ気味なのかもしれないけれど。

 あと、ネットは匿名がほとんど。しかし、新聞で意見を言うときは実名じゃないですか。ぼくなんかはその方が自然と思うんですけれど。ネットは言いたいことを言いやすいんでしょうか。

との佐藤棋聖の疑問に対し、梅田取締役は答えず、司会がネットでは、顔が見えない分、文章からにじみ出す人間性というものがありますね。米長先生が引退を表明したとき、王将戦の挑戦者決定リーグ戦に臨んだ佐藤棋聖が、着物を着てはおりはかまで正座して時間前に待っておられたのを見て、背広で来られた米長先生があわてて、「着物を持ってきてくれ」と言われたといういい話を聞いたことがあります。と全く関係のない話題に振ることで助け船を出しているところが面白いです。

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