「匿名でないとできないこと」は匿名発言のもたらす災禍を放置してまで守る必要のあるものなのでしょうか
匿名でなければできないことがあるにせよ、それが、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。
例えば、選挙のシーズンになると、立候補者やその所属政党に関するデマが広範囲に投稿されるのが最近では通例となっています。この種のデマを流布する行為は匿名でないとやりにくいとは思いますが、それは守らなければいけないものなのか大いに疑問です。
選挙以外でも、営業妨害を狙ったデマというのはしばしば見受けられます。動物病院事件などはその典型です。そのような営業妨害をする動機としては、何らかの意趣返しというものもあるでしょうし、ライバル企業をつぶしてやろうというものもあるでしょうし、単におもしろ半分ということもあるでしょう。いずれにせよ、その種の行為は匿名でなければやりにくいことだとは思いますが、それが守る価値のあるものとは私には思いにくいです。
また、自分の気に入れない言動を行った人間に私的制裁を加えるために匿名表現が活用される場合がしばしばあります。それは、その相手の目に触れるようにその相手に罵倒を投げつけることもありますし、虚偽内容のものを含むその相手の個人情報を不特定人の目に触れるところに投稿したり、その相手に迷惑がかかることを行うように不特定人に呼びかけることもあります。「炎上は、炎上する側に問題がある」みたいな話をされる方は、匿名さんたちが私的制裁を加えるということにポジティブな価値を見いだしているのでしょうが、私は、匿名さんたちが特定の個人に私的制裁を加えることに、むしろ批判的です。まして、匿名さんたちが安心して特定の人間に私的制裁を加えることができる環境というのは、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。
また、匿名ブログや匿名コメントにはやたらと「上から目線」のものが多く、それは、匿名の陰に隠れることによって肥大化した自尊心の賜と思われ、それ故、実名ではなしがたいのだろうとは思います。自分がその種の発言を行っているということを自分の周囲の人に知られたら恥ずかしいという思いや、自分がどのような人間であるのかを知られたら、相手を見下して行われるその発言が非常に滑稽に移りそうだとか様々な理由があるでしょう。ただ、その種の発言は、禁止するほどのものではないかもしれませんが、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。
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