朝日新聞社並みの処遇を用意すれば「法テラス」に人は集まるが、弁護士風情にそんな「並外れた高収入」は許せない?
日本の新聞社というのは、なぜこうも市場原理というものが理解できていないのでしょう。
朝日新聞は社説で、
第一、弁護士過疎の問題は解消したのか。一つの裁判所が管轄する地域には、少なくとも2人の弁護士が必要だ。原告と被告、それぞれに弁護士が付かねばならないからだ。ところが、全国に203ある地裁支部の管轄地域で、弁護士が1人もいない地域が3カ所、1人しかいない地域が21カ所も残っている。
全国各地で法律の相談に乗る日本司法支援センター(法テラス)が一昨年発足した。だが、必要とする弁護士300人に対し、集まったのは3分の1だ。
来春には裁判員制度が始まる。集中審理のため、連日開廷となる。弁護士が足りなくなるのは目に見えている。
さらに、起訴前の容疑者に国選弁護人をつける事件が来年から広がる。被害者の刑事裁判への参加が年内に始まり、法廷で付き添う弁護士も必要になる。
弁護士をあまり増やすな、というのなら、こうした問題を解決してからにしてもらいたい。並はずれた高収入は望めなくとも、弁護士のやるべき仕事は全国津々浦々にたくさんあるのだ。
これらはいずれも、総体としての弁護士の数が足りないから担い手が足りないのではありません。報酬等の条件が悪すぎるので、それに専従することができないのです。それらに専従すると、「並はずれた高収入」どころか、「健康で文化的な生活」すら危うくなります。
私は、弁護士の大幅増員というのは、弁護士の世界に市場原理を持ち込むものだと理解していました。市場原理の下では、「需要」の程度というのは原則として「価格」に反映されると理解してきました。そして、「需要」側の提示する「価格」が、供給者側が選択可能な他のサービスを供給した場合に期待できる収入以上の収入を継続的に得る上で必要な「価格」を下回るとき、そのサービスがその需要者には提供されないというのが市場原理においては正しい姿だと理解してきました。そして、社会的・倫理的には供給されるべきサービス等が、この価格のギャップ故に供給されない場合には、公共部門が財政的な補助をするなどして価格ギャップを埋め合わせるのが、市場原理の反倫理性を修正する手段として通常採用されるものだと理解してきました。
従って、例えば「国選弁護・被疑者公選、被害者公選等の「公的弁護活動」の担い手を確保する」という問題を解決する手段としては、「これらの活動の報酬水準を大幅に引き上げ、価格ギャップを解消する」のが、市場経済のもとでは正攻法といわざるを得ません。「法テラス」にしても、終身雇用制度で朝日新聞社の正社員並みの報酬を約束すれば、いくらでも人は集まります。といいますか、そのような「並外れた高収入」でなくとも、基本給が一般のサラリーマン並みであれば、残業・休日手当や解雇制限等を一般のサラリーマン並とし、一般のサラリーマンが負担しない費用(法科大学院・司法修習時代に借りることを余儀なくされた奨学金並びに弁護士会の会費等)を法テラスで負担するようにすれば人が集まることが期待できます。また、地元に弁護士が来て欲しいのに来てくれないという地域があるのであれば、地域でお金を出し合うことにより弁護士を誘致することだって可能です。そのために弁護士法第72条が邪魔であれば(自治体等が「顧問料」名下で定期的な金銭的補助を行う分には大丈夫だと思いますが)これを改正すれば足ります。
さしもの朝日新聞とて、医療過疎問題を解消するためにはただただ医師資格を大量に付与すれば事足りるとはいわないし、新聞販売店を全国津々浦々に維持するためには新聞販売店契約の敷居を引き下げればよいという議論はしていないはずです。なぜ弁護士については、ただ資格者の数を増やせば、それで解決すると考えられるのか不思議でなりません。
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