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mars 2008

30/03/2008

法学部的議論

 サンデープロジェクトで行われていた貸金業のグレーゾーン金利に関する議論について、「かんべい」こと吉崎さんが「法学部的議論だ」と揶揄していました。

 経済学的にいえば、高利貸しからお金を借りた人間が、その収入のほとんどを高利貸しへの利払いの支払いのみに充てさせられ、その何割かがついに将来に絶望して自殺し、あるいは、家族を巻き込んで無理心中し、もしくは高利貸しへの利払いのために強盗等を行うことになったとしても、高利貸しに支払われた金利が、高利貸しを通じて、テレビ局や新聞社、贅沢品等を取り扱う事業者に流れるのであれば、そのようなお金の流れがストップするよりも、経済的に「効率的」だと言うことになるのかもしれません。マクロ経済学は、人命が損なわれることをマイナスの要素として捉えませんから、当然のことですね。

 ただ、そのようなマクロ経済的な意味で効率が最大化されることが法制度の究極目的ではありません。ごく一握りの人々に富を集中させ、その過程で、少なくない人々を死に追いやることが、マクロ経済学的にいえば「正解」だとしても、それは法制度としては、「正解」ではありません。そういう意味では、私たち法学系の人間は、経済学系の人々から如何に揶揄されようとも、マクロ経済学の人々からは「取るに足らない」と見捨てられてしまう個々の人々の絶望的な不幸を少しでも軽減するために努力をしていく必要がありそうです。

29/03/2008

佐藤幸治理事長の強弁

 佐藤幸治法科大学院協会理事長の「理事長を去るにあたって」という文章は、いろいろと失笑を買っています。

 とりわけ駄目なのが、

政府はこの提言を「国家的戦略」と位置付けてその実現に懸命に取り組み、そして国会は濃密な審議を通じてほぼ全会一致で改革に必要な24件の法律を成立させた。ここに司法制度改革は国民的総意となった。

という部分です。憲法学者としての名声も吹き飛ぶようなひどさです。なにしろ、積極的に賛同しているのが国民のごく一部にすぎなくとも、それに積極的に反対している勢力とのロビー力に大きな差がある場合には、「ほぼ全会一致で」必要な法律が成立することになりますが、だからといって、それは国民的総意になるわけではありません。例えば、「ほぼ全会一致で」可決された2004年の著作権法改正で、民営の図書館が書籍の貸出を行うことは事実上禁止されたわけですが、「民間の図書館が書籍の貸出を行うことは許すまじ」ということが国民的総意となったわけではありません。

 佐藤理事長は、この司法制度改革の成否は、制度の運用に直接携わる質量とも豊かな人材(法曹)の確保にかかっているといっても過言ではない。と仰っています。そのこと自体は間違っていないのですが、そのための手段が倒錯しています。例えば、刑事弁護、とりわけ国選ないし被疑者公選弁護のために優秀な人材を必要とされているだけ確保しようと思ったら、これらを専門的に取り扱う弁護士がそれなりに豊かな暮らしができる程度に、国選等の報酬基準を引き上げることが不可欠です。司法改革につぎ込むことができる公的資金は有限である以上、法科大学院を助成するために公的資金をつぎ込むより、国選等の報酬に充てる資金を増額した方が、優秀な人材の確保によほど資するということがいえます。

 また、佐藤理事長は、

将来の法曹の数を決めるのは、既存の法曹でも法科大学院関係者でもなく、司法制度を利用する国民である。日本の社会が、より多くの、より多様な、そしてより有能な法曹実務家を求めていると考える。

とも仰っていますが、日本の社会が、より多くの、より多様な、そしてより有能な法曹実務家を求めているのであれば、既存の法律事務所としては、これに応えるために、より多くの新規法曹を雇用して業務の拡大を図るはずであり、従って、「新規法曹の就職難」という事態が生ずるはずがありません(むしろ、新規法曹の給与水準は上昇傾向となるはずです。)。しかし、実際にはそうではありません。司法制度を利用する国民は、そんなに多くの法曹など求めていないことははっきりしているのです。司法試験合格者の大幅増員を望む一部の国民の声はありますが、それは、弁護士が貧しくなり弁護士業務のみでは生活できなくなるという事態を望んでいるだけです。佐藤理事長は、一部国民のそのようなサディスティックな要求に応えることを法科大学院に付託された使命とお考えなのでしょうか。

20/03/2008

小野川コラムへの照会の途中経過

 OhmyNewsの「 報道されない弁護士業界の地殻変動~小野川梓コラム(52)」というコラムがあまりに酷かったので,編集部に対して,2月26日付で,次のような内容のメールを送りました。

 私は東京で弁護士をしているものです。

 小野川梓という人が書かれた「報道されない弁護士業界の地殻変動〜小野川梓コラム(52)」というコラム(http://www.ohmynews.co.jp/news/20080224/21333)についてですが,基本的な事実に誤りが多々あります。

 特に,多重債務者問題については,弁護士会をあげてこれに取り組んできているにもかかわらず,ほとんどの弁護士が割りの悪い仕事だからといって見向きもしなかった云々という言いっぷりは酷いにも程がありますし,この記事を読んだ多重債務者が弁護士に相談をすることを躊躇することともなればその被害は甚大です。

 小野川氏がその結論を導くために紹介する各エピソードがきちんと裏付けのとれたものであるのか,編集部の方でまずご確認いただければ幸いです。


 これについて,編集部から,執筆者に対して論拠を示して
加筆・修正するよう依頼しているのでしばらく待って欲しいとの返答をいただきましたので待っておりましたが,何の音沙汰もなかったので,3月7日付でその後,この件は如何なったのでしょうか。とのメールを送ったところ,3月11日付で,3月7日に追記を加えた形で
掲載したので確認されたいという旨の返答をいただきました。

 そこで早速追記された部分を確認したところ,

 確かに一部の弁護士が以前から、多重債務を自己責任としてとらえていたのでは解決に至らない、と不当な高利を貪る消費者金融を社会問題と考え、被害者の救済に取り組んできたことを記者は承知している。手弁当で熱心に活動する弁護士の姿に敬服もしてきた。最近は多重債務者対策を専門にする法律事務所も目立つし、弁護士会としても無料相談窓口を開設したり、様々な形で救済に乗り出している。

 そのことを評価していないわけではないが、今なお多重債務者問題に積極的に取り組んだり、紹介者のいない市民の相談に気軽に応じたりしているのは、全国約2万5000人の弁護士の一部でしかない。自己破産予備軍が100万人単位にまで膨れ上がったのも、弁護士が引き受ける事件数がまだまだ少ないことと無関係ではない。

とあるのみで,もともとサラ金の多重債務を抱え債務の整理や自己破産の申請のために弁護士を必要とする人だけでも、100万人から200万人を数えるというのに、ほとんどの弁護士は割が悪い仕事だからと見向きもしなかった。との摘示事実が誤りであったことを自認し訂正するでもなく,かといって裏付けがあることを示でもなく相変わらずぐたぐたです。さらに,この追記では,多重債務問題以外の点には一切触れられていません。

 そこで,同日付で,編集部に対し,

それ以外の事実誤認は無視ですか?
とのメールを差し上げたところ,当該記事のどの箇所について
「事実誤認」だというのか提示せよというので,

こちらを御覧下さい。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/02/post_de83.html


 それが3月11日のことであり,その後また何の音沙汰もありません。

 上記追記部分ですら,多重債務問題に取り組んでいる弁護士の方が取り組んでいない弁護士よりも圧倒的に少ないかのような誤解を与えるものである上,自己破産予備軍が100万人単位にまで膨れ上がった原因の一端を,その因果の流れを示すことなく,弁護士が引き受ける事件数がまだまだ少ないことと無関係ではないとする点で明らかに不当なのですが(自己破産予備軍が100万人単位にまで膨れ上がった原因の一つは,テレビや新聞等のマスコミが,サラ金のCMを広範に引き受けた点にあります。特に,一時期は,遊興費や,異性への奢り等の資金としてサラ金を利用することをテレビCMでせっせと推奨してきたわけですし),それ以外の点については全くの無視です。

 それでも,社説で嘘を下記並べておきながら,こちらのメールでの問い合わせに一切応えない既存の新聞社よりはよほどましではあるのですけど。

総裁人事を政局にしているのはどっち?

 日本銀行の総裁人事に関しては,奇妙な議論が流行しているようです。

 民主党は以前より,日銀総裁人事を日銀出身者と大蔵省出身者のたすきがけとすることに反対していたのですから,元大蔵事務次官を日銀総裁とする案を政府が提示すれば,民主党は原則的にはこれに反対せざるを得ません。もちろん,政府が推挙する人材が余人を持って代え難い能力の持ち主だということであれば,民主党としては,当該人物については大蔵省出身者といえども例外的に日銀総裁とすることに同意するということがいえるでしょうが,大蔵省出身者であるということ以外にはこれといって反対する理由がないというだけでは,筋として,その人事案に賛成することはできないでしょう。

 そういう意味で言えば,元大蔵事務次官を,なぜその人でなければならないかという特段の理由を明示することなく,日銀総裁に推薦し続ける福田首相こそ,日銀総裁人事を政争の具としているということができます。しかし,世の中では,民主党が,日銀総裁人事を政争の具としているかのごとく触れ回る声が大きいようです。

 もちろん,政治学者の「雪斎」氏のように

此度の紛糾の結果、確実にいえることは、民主党は完全に財務省を敵に回したようだということである。民主党は、たとえ政権を取っても、財務官僚の「献身」を期待できまい。そういう状態で、民主党は、予算編成などをうまくやれるのであろうか。先々のことを考えずに、目先のことだけを考えるから、こういうことになる。

として,政権を取った際に財務省に嫌がらせをされたくなかったら財務省の要求には従えということを公然と述べる人から見れば,元大蔵事務次官の(日銀とのたすきがけ)ポストを一つ奪う今回の民主党の行動は平成政治史に残る「愚行」と位置付けられるということはあり得るのかもしれませんが,官僚にサボタージュされたくなければ官僚の既得権に手を付けるなということを言い始めたら,中央官庁改革など永久にできないでしょう。この論理でいえば,中央官僚幹部の天下り規制は諦めるか,財務省だけは規制の対象外としなければ,それもまた「愚行」とされてしまうことでしょう。

 しかし,雪斎氏らに「愚行」と評価されることを恐れて,財務省の意向に過剰に配慮するようでは,民主党は,民主党に対する国民の期待に応えることができないのではないかという気がしてなりません。

10/03/2008

SNSとプライバシー

 「非公開であることはSNSの特徴ではない」というエントリーに対して,SiroKuroさんから,「社会的ネットワークと言いつつ、なぜかプライバシーに無頓着な小倉先生」というはてなブックマークコメントを頂きました。

 ただ,社会的ネットワークを広げていこうと思ったら,自分に関する情報を相当程度開示していかないといけないのです。この人と仲良くなりたい,この人に近づきたい,この人と会ってみたいと考える契機としては,その人が何を語ったかだけではなく,その人がどんな人なのかも重要な要素となるからです。また,その属性は,その人に会うことが自分にとってどの程度危険なのかを推し量るバロメーターにもなるので,参加者の属性がある程度以上の確実性をもって開示されるということは,SNSにおいては重要な要素となります(だからこそ,MySpace等では,参加者の年齢確認の正確性の担保が問題となります。)。

 そういう意味では,参加者がプライバシー情報を開示しないことを前提とするSNSというのは,社会的ネットワークを広げていくための補助サービスとしては,使い勝手が悪いものとなってしまいます。したがって,SNSをSNSとして機能させるためには,ネットの匿名さんが要求している水準よりは,プライバシーについて緩やかに考えていかざるを得ないのだろうと思います。

09/03/2008

試写を見せろ,その後で俺たちに話をさせろとの与党議員の要求は,「圧力」といわないのか。

 朝日新聞によれば,靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画について,内容を「反日的」と聞いた一部の自民党議員自民党の稲田朋美衆院議員と、同議員が会長を務める同党若手議員の勉強会「伝統と創造の会」(41人))が,文化庁を通じて試写を求めたとのことです。

 稲田議員は「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない。でも、助成金の支払われ方がおかしいと取り上げられている問題を議員として検証することはできる」とのことですが,それならば封切り前に自分たちのために試写会を開けと要求するのではなく,封切り後に映画館で見れば済んだ話ではないかという気がします。試写後に同庁職員と意見交換する予定だったとのことですが,文化庁は,その傘下の独立行政法人日本芸術文化振興会を介して750万円程度の助成金を同映画に交付しているにすぎないのに,文化庁の職員とこの映画について「意見交換」してどうしようというおつもりだったのでしょうか。

 一般に,その国や社会のネガティブな面を表現する作品にどれだけ寛容でいられるかがその国や社会の文化の高さを示す指標として用いられる昨今,与党第一党の国会議員がこのような行動に出ること自体,日本の評判を貶めることに繋がっていくわけで,そういう意味では,このような行動こそが「反日的」だったりするわけですが,稲田議員にそういうことを理解していただくにはあと何年かかることでしょうか。

非公開であることはSNSの特徴ではない

 SNSというのは「社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービス」ですから,「非公開であること」というのはその本来的要素ではありません。むしろ,機能としては,社会的ネットワークを組むに足りる人物と「繋がるきっかけ」が多い方がよいのですから,むしろ公開度がある程度高い方がその本来的機能をよく果たすということが言えます。実際,MySpaceにせよ,Facebookにせよ,非公開であることを重視した活用はあまり行われていません(それはそれで,未成年者の保護の要請との関係で,しばしば問題になっているわけですが。)。

 小飼さんは,

しかし、私が言いたいのはそれではなくて、mixiはSNSではなかったのか、ということだ。SNSの世界において、ユーザーコンテンツは公開によって価値が生じるのではなく、非公開によって価値が生じるのではなかったのか。誰にでも見せたければblogがある。そこから代価を取りたければ、有料メルマガなどの手段もすでに存在する。しかしSNSの価値は、「見せたくない人に見せなくていい」にあったのではないか。

とおっしゃるのですが,非公開であることに価値を見いだすのはmixiの特徴ではあっても,SNSの特徴ではないのではないかと思ったりします。それ以前に,他の参加者のプロフィール等を知り得ない,匿名化されたmixiに,「社会的ネットワークをインターネット上で構築する」というSNS本来の機能がどの程度果たせるのかという問題もあるわけですが。

その「工夫」の中身が知りたい

 今度は,河北新報が司法改革関連の社説を書いているようです。

  法科大学院の機能強化、司法修習の充実など工夫次第で、質の低下は避けられよう。

とのことなのですが,法科大学院の機能をどのように強化し,あるいは司法修習をどのように充実したら質の低下を避けられるのか,その「工夫」についての具体論を提示していただきたかったところです。

 司法修習に関していえば,私の時代は2年あったわけですが,現在は1年です。ただでさえ司法試験で絞り込まれていない(その分,実体法についての知識乃至理解が十分でない)上に,修習期間が半分にされています。

 しかも,今の司法修習生の多くは,ただでさえ半減された修習期間の多くを,就職活動に費やさなければいけません。就職氷河期のピークですら新卒有効求人率は0.9を超えていたというのに,新61期の新卒有効求人率はいまのところ0.3程度であり,しかも,新司法試験の合格者数を増やせば増やすほど,この新卒有効求人率は低下します。

 新卒有効求人率が2を超えようという学部ですら3年次の終わりから4年次の中頃にかけては就職活動が忙しくて学生はなかなか授業に出てこれないわけですが,司法修習生についてのこの新卒有効求人倍率ではその傾向にさらに拍車がかかることが予想されます。さらにいえば,学部の場合,就職活動で犠牲になるのは4年間のうちの1年弱ですが,司法修習生の場合,その分母が4年ではなくて1年しかないわけです。

 ただでさえ,学部卒業後民間企業に入った同級生よりも相当低い所得水準にとどまることを期待されどうもそうなりそうな新規法曹になりたいという人の学力水準は低下の一途をたどることが予想できる(法曹人口の大幅増員を主張していた学者集団は当初「試験が容易になれば優秀な人間が集まる」といっておりましたが,これは資本主義社会での経験則には明らかに反するのであり,むしろ「処遇が悪くなれば優秀な人間は逃げていく」というのが経験則に合致するのです。)わけですが,さらに,法曹養成にあたっては上記のような環境にあるわけですから,「工夫次第で、質の低下は避けられよう」といわれても,現場は途方に暮れてしまいます。

 法曹人口の大幅増員を主張していた学者集団は大幅増員論を押し通すために,弁護士に法律の知識はさして必要ではないとまでいっていたわけですから,河北新報も,大幅増員の推進を主張するのであれば同時に,市民に対して,弁護士の数を大幅に増やすのだから,新規法曹に法律の知識等をあまり期待してはいけないということを同時に訴えるべきなのではないかと思います。

05/03/2008

mixi騒動

 mixiの規約変更騒動の関係で、J-CASTと毎日新聞から電話取材がありました。

 先にJ-CASTから取材があったのですが、J-CASTの方は記者さんが興奮気味であることが電話での息づかい等からもありありと伺えました。

 次に、毎日新聞から取材があったのですが、こちらは記者は冷静なトーンでしたし、私に取材する前に、mixi側の見解を調べてきていました。

 両者の記者の力の違いを実感しました。

04/03/2008

読売新聞の論説委員には算数は難しすぎるか

 読売新聞の社説に一言

 だが、国民10万人当たりの法曹人口は、訴訟社会の米国の373人は別として、英国222人、ドイツ204人、フランス86人に対し、日本は21人でしかない。

 人口10万人あたりの弁護士の数を現状の10倍に増やすためには,仮に弁護士1人あたりの売上げを半分に減らすとしても(既に,日本の弁護士の所得は,先進国の弁護士の中でも最低ランクですが。),人口10万人が弁護士に支払う報酬の総額を5倍に増やさなければなりません。その覚悟が,日本社会にあるのでしょうか。ないのであれば,司法試験合格者をいくら増やしても,法曹資格を持った失業者を増やすだけで,いつまでたっても諸外国並みの弁護士数にはなりません(まさか,現在の10分の1の売上げで十分だといいたいわけではないですよね。)。

 弁護士の半数近くは、東京に集中している。一方で、地裁・地裁支部の管内で弁護士がゼロか1人しかいない地域が24ある。  来年からは、容疑者段階での国選弁護の対象が拡大され、昨年は6760件だった対象事件が10倍にもなるとされる。弁護士の過疎地域でこの制度は機能するのか。偏在解消を優先すべきである。

とのことですが,遍在解消を行うためにまず行うべきことを忘れています。そのサービスを必要としている地域が,そのサービスを提供する能力を有している人々を,厚遇で迎え入れることです。残念ながら,弁護士過疎を解消するための財政支援というのは,弁護士会がある程度行ったのみで,弁護士の「偏在解消を優先すべきである」と偉そうに講釈を述べる人たちは,何の手助けもしてくれなかったのです。

 裁判期間を短縮する連日開廷など、来年の裁判員制度導入を契機に、裁判官、検察官、弁護士の仕事の形態は大きく変わる。人手も求められるだろう。

とのことですが,新人をいくら増やしても意味はありません。連日開廷に対応するにはほぼ刑事弁護に特化した業務体制を組むことが必要となりますので,そのような体制を組んでも相応の暮らしが維持できる程度に刑事弁護,とりわけ国選弁護の報酬水準を引き上げることが求められます。

 要するに,「何を実現すべきか」ということから逆算していけば,その解は,「司法試験の合格者数の増加のスピードを緩めるな」という結論にはならないはずです。

02/03/2008

中川元政調会長の誤解

 産経新聞によれば,

自民党の中川昭一元政調会長は16日、大阪市で開かれた党大阪府連の会合で、政府が今国会への再提出を目指す人権擁護法案について「法案が成立したら(人権侵害の名目で訴えられ)わたしも麻生太郎前幹事長も安倍晋三前首相もブタ箱(留置場)に行くことになりかねない」と述べ、反対する考えをあらためて示した。

とのことです。

 かつて政府が提出した法案に関していえば,人権侵害行為を是正するようにとの勧告にもかかわらずこれを拒絶した場合の制裁手段は最大でも氏名等を公表されるだけあって,刑事罰の適用はありませんから,そのことが理由で留置場に行くことはありません。また,出頭義務等に応じない場合についても過料の制裁までしか用意していませんから,そのことが理由で留置場に行くことはありません。さらにいえば,中川元政調会長は捜査令状も要らずに誰でも捕まえられる人権委員とも述べたとのことですが,かつての政府提出法案には人権委員に逮捕権限は与えられていません。

 このように,かつて政府として提出した法案について,与党第一党の幹部の1人が,法律案を自分の目で読めば決してしないであろう誤解をしているというのは悲しいことです。民主主義国家では必ずしも法律学を学んだ人だけを代表にするわけにもいかないので法律案を読めない人が議員になり出世をすること自体は仕方ないと思いますが,そういう方であれば,法律案を読み解ける人材を政策秘書等としてそばに置き,その法案に反対するにせよ賛成するにせよ,その内容を正しく理解してからにする体制を講じてもらいたいと思います。

 さらに考えるべきは,中川元政調会長は,「法案が成立したら(人権侵害の名目で訴えられ)わたしも麻生太郎前幹事長も安倍晋三前首相もブタ箱(留置場)に行くことになりかねない」という情報をどこから入手したのか,そして,どうしてその説明を,おそらく法務省の役人が行ってきたであろう説明よりも信用するに至ったのかということです。

01/03/2008

ネットが貶められた日

 東京新聞によれば,〇二年十-十一月の間、被告が開設したHP上で、飲食店「ニンニクげんこつラーメン花月」をフランチャイズ運営する会社について、カルト集団と関係があると中傷する内容の文章を書き込んだとして在宅起訴された被告Hについて,東京地方裁判所は,同集団と会社の関係について「緊密な関係にあるとは認められないとし,メディア報道なら有罪になる可能性を指摘しながらも,(1)ネット利用者は相互に送受信でき、書き込みに対して被害者は反論できた(2)メディアや専門家が従来の媒体を使った表現とは対照的に、個人がネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いと受け止められている(3)現代社会では(個人が)公共の利害に関する事実について真実性を立証するのは困難として,無罪とする判決を下したとのことです。

 しかし,実際には存在しない事実を存在するかのように書き立てられた場合,書き立てられた側がこれに反論をするのは,実は容易ではありません。それは,その書き込みがなされた場所と関連する場所に「反論」を物理的に掲載できるというネットの特性を加味しても,変わるところはありません。

 また,時事通信の記事によれば,問題とされた書き込みは,右翼系カルト団体が母体。ラーメン店で食事するとカルトの収入になるというものだとのことですが,このような書き込みは,特にそのカルト団体に対してとてもネガティブに捉えている人が多かった場合には,そのラーメン店の売上げを大いに損なう危険があり,場合によってはそのラーメン店を倒産に追い込む危険があったのですから,その真実性を立証することができない個人にそのような危険な書き込みを敢えて許す必要があったのかというと,疑問です。

 また,個人がネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いと受け止められているかどうかは本当のことは分からないのですが,この種の名誉毀損行為がこのような甘い基準で許されるということになれば,私たちは,本来悪くない人たちを悪者として扱わなくなるようにするために,むしろ積極的に,個人がネット上で発信した情報の信頼性は低いものと受け止めなければいけないということになっていきます。それは,個人によるネット上での情報発信の価値を貶めていかなければならないことに繋がっていきます。

 紀藤正樹先生は,主任弁護人なので当然なのかもしれません(もっとも,私なら,弁護人の目から見ても真実性の証明は無理だという場合でもない限り,摘示事実の真実性を認定してくれなかったことへの憤りを表明するかなあとは思います。)が,この判決をそして表現の自由の重要性に理解を示したもので、画期的な判決ですと評価されています。しかし,それは,「個人がネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低い」ということを前提として特に「自由」が許されたというにすぎないのであって,むしろ,個人によるネット上での情報発信の価値を高めていこうという立場からは大いに非難されるべきものではないかという気がします。

人権擁護法案に対する反対論って未だにこの程度なのか。

 産経新聞の阿比留記者のブログによれば,自民党の人権委員会では次のようなやりとりがなされたのだそうです。

そういう中で訴訟社会を助長させるような法律をどんどんつくることが立法府として、本当に我が国にとっていいのかどうかを、保守政党たる自由民主党が、そういうスタンスで考える必要がある。by 下村博文衆議院議員

 でも,司法試験合格者を大幅に増加する法制度を作っておきながら,「訴訟社会を助長させるような法律をどんどんつくることが立法府として、本当に我が国にとっていいのかどうか」を考えても仕方がないし,「訴訟社会を助長させるのは良くないから,マイノリティの人権を擁護する法律を作るべきではない」というのは,考え方として間違っているように思います。

 また,

 具体的な人権救済制度の現状と(の資料が)あるが、見てますと、家庭内、施設内、ストーカーとか、要するに個人個人の人の付き合い方の問題だ。その根源となるのは、まさに家庭をはじめとする道徳意識、規範意識の低下が一番大きな問題であって、法律がないからこういう問題が出てきたんじゃない。また法律で救済できるものではない。そもそも道徳によって、道徳教育によって救済しなければならない。今回、教育指導要領も改訂になってきて、道徳教育を充実させるという話が出ている。まさに、われわれはそちらの方に主軸を置いてやっていかなければならない。by 西田昌司参議院議員

なんて話も出ているようですが,新教育指導要領の元で「充実した道徳教育」を受けることなく大人になった人々による家庭内ないし施設内における暴力やストーカー行為等は,諦めて放置するのでしょうか。それ以前に,法律による事後的対抗措置が不要となるほど,新・教育指導要領により「充実」することとなった道徳教育には「家庭内ないし施設内における暴力やストーカー行為」の発生を未然に防ぐ機能があるのでしょうか。「家庭内ないし施設内における暴力やストーカー行為」の発生比率を引き下げると言うだけならば,それらが発生した場合の事後的対抗措置を定める法律は依然として必要なのではないかと思うのですが。

 また,

3条委員会というものは極めて特別なときに限られている。必ず公取でも何でもものすごく限定的。公権力の行使について極めて慎重なんです。ところがこの法案は「おそれ」まで全部ひっくるめて、そして調査権がある。調査権はひどくないというが、調査に応じなかったら罰金30万円。それを被ったら、大変なことで、ちゃんとした手続きが終わらないうちにレッテルを貼られちゃうわけですから、大変なことになる。例えば逆差別で反論できる余地はあるというが、先に訴えた方が勝ちだ。こぞってそこに行って30万円とったら、勝負あっただ。だから、令状の執行がいると、今の法律は人権を守っている。それをごちゃごちゃにやるととんでもないことになる。そうでなければ表現の自由は守れない。by 衛藤晟一参議院議員

なんてご意見もあるようなのですが,相手が先に訴えようが,人権擁護委員が行う調査活動に協力すれば30万円の過料に処せられることはないので,そんなに気にする話でもないように思います(法務省案では,「罰金」ではなく「過料」という扱いをしており,「報告、情報若しくは資料を提出せず、又は虚偽の報告、情報若しくは資料を提出した者」に対して罰金刑を法定している独占禁止法よりも規制が緩やかです。ちなみに,労働者災害補償保険審査官や雇用保険審査官による出頭要求等を拒んだ場合も,罰金刑を法定しています。)。ちなみに,不当労働行為があったとして労働者から労働委員会に申し立てがなされた場合に,労働委員会から出頭命令や証拠物提出命令等が下されたにも関わらず,これを拒んだ者に対しては,人権擁護法案と同様の「三十万円以下の過料」が法定されていますし,労働委員会がこの出頭命令等を下すにあたって裁判所の令状は必要とされていないわけですが,衛藤晟一先生は労働組合法すら否定されるのでしょうか。

 また,

本当に、まじめな人ほどこういう法律ができたらやられるんですよ。セクハラでもって、一つの法律をつくるということはそれでもってセクハラがなくなるということじゃなく、それを利用する人間が出てくること。利用する人間の手にかかったら真面目な人間ほどやられるんですよ。それと同じです。この人権擁護法というのは。人権侵害とは何なのか。人権を侵害されたという人間の気持ちだ。握手をしてセクハラをされたということ。そんなことが世の中で蔓延するのは、まともな国ではあり得ない。この法律が通っていくことで、どんどん社会がおかしくなって、日本が完璧に解体される、一歩。一歩じゃない、二、三歩になっていると思う。これはやめてもらいたい。by 戸井田徹衆議院議員

というご意見もあるようです。握手がセクハラになるかどうかは,どういう文脈の中で,どのような態様で行われたのかによって変わってくるのであって(注1),それらの事情によってはセクハラと扱われる場合があるというのは,米国等ではよくある話ではないかと思います(ひょっとしたら,米国はまともな国ではないと言いたいのかもしれませんが)。それはともかくとして,不当提訴がありうるからと言って規制法を作らないというのもどうかと思います。それに,それが不当な提訴かどうかを審査する手続きを作りましょうというのが人権擁護法案なわけですから,不当な提訴があり得るということは人権擁護法案に反対する理由になっていないような気がします。まさか,「人権侵害とは……人権を侵害されたという人間の気持ちだ」から,人権を侵害されたという人間がそれを不快に思わなければ済むだけの話だから,セクハラ等の人権侵害を解決する仕組みは必要ない,むしろ,セクハラ等が自由に行えなくなると「どんどん社会がおかしくなって、日本が完璧に解体される」というご趣旨ではないことを願うばかりです。

(注1) なお,戸井田議員が紹介した例についていえば,男性の社長が女性従業員を二人きりの密室に呼び出し,通常当然に握手をするような文脈とも言い難い文脈の元で,握手をするように要求したわけですから,「まもとな国」でも十分「セクハラ」とされる虞があるケースだとは思います。

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