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avril 2008

29/04/2008

わざわざ引っ越すことはないけれど

 小谷野先生が次のようなことを言っています。

 死刑廃止論者よ、今からでも遅くはない。出獄してきた凶悪殺人犯の隣に住んでみよ。君たちにできるのは、せいぜい、牢獄内にいて自分自身の安全は保証されている状態の凶悪犯人に面会するくらいのことでしかないのではないかね。

 しかし,「死刑廃止」という信念のために,生活環境を変えよというのは如何なものかと思います。多くの人は,いろいろな理由があって,今の場所に住んでいるのです。

 その代わりといっては何ですが,私たちは,出獄してきた凶悪殺人犯が隣に引っ越してくることは甘受しています。まあ,死刑を廃止しなくとも,テキサス州もびっくりの死刑大国にならない限り,殺人犯の大部分は死刑にはなりませんから,やはり出獄してきた凶悪殺人犯が隣に引っ越してくることは確率論的に存在しており,しかも私たちは法的にはこれを拒む術はありません。しかも,自分の隣近所に引っ越してきた人の前科前歴など一般人は調べる術がありませんし,本人に「あなたは前科持ちですか」と聞くわけにも行きませんから,隣に引っ越してきた人が出獄してきた凶悪殺人犯か否か知ることなく私たちは生活をしていくことになるのです。

 殺人→殺人の再犯率は0.9%だし,さらに殺人再犯が隣人に対して行われる危険性ということになると更に低いわけですけど。

28/04/2008

それぞれができることをやる

 マイクロソフト(株)の従業員としての仕事の一環として事に当たっている方から,「現象面の改善では小倉さんより僕の方が手を動かしてるんだけど」といわれてしまうと,「それはそうでしょうね」としか言いようがありません。もっとも,私の場合,仮に陰で関与していたとしてもその場合は関与していたこと自体公言することがはばかられる立場にはいるわけですけど(この点,訴訟代理人という表の舞台で実際の事件に関与している場合とは大きく異なります。)。

 それはともかくとして,特定の法律案についてネット上で流布されている誤解を,「それは誤解だ」とはっきり言うことは,法律家がネット上でできる社会貢献の一つだとは思っています.

 

どちらかというと小倉先生こそネット規制反対にの声に対して個別に反対しているだけで、政府が、民間が、何をすべきかについて何も語っていないんじゃないの。

楠さんは仰っているわけですが,法律や法律案が不当に誤解されて非難されているのを放置するというのは,法律家としては非常に気持ちが悪いことなのだから仕方がないではないかと言わざるを得ません。

 楠さんですら,

高市案の問題点は前にも書いているけれども、政府に広範な裁量権を付与し、極めて高い行政コストがかかる一方で、効果が全くはっきりしないことだ。もっと法的輪郭がはっきりしていて、政府による濫用の虞が小さく、費用対効果の高い政策を考えなきゃならない。あの法案の問題は、子どもを護ることを口実に特定の考えを誰もに押し付けようとしていたり、保護法益を曖昧にして濫用の余地を大きく残しているところにある。

なんてことを未だにいっている段階でしょう?高市私案が通ったとして,どうやったら,統一協会的な純潔概念を私や楠さんに押しつけることができるとでもいうのですか?国会承認人事で,特定の宗教勢力から過半数の委員を選任することが実際にあり得るとお考えなのでしょうか。そういうところから,ほそぼそと,無給でやっているが現状です。

問題は、そういうコンマ数%の子たちを救うために何ができて、何はすべきではないかということだ。ネットで人生を誤る人の2桁、3桁以上の数、ネットで人生の幅を広げた子たちもいる訳で、そういう可能性を摘まずに済むようにしなきゃならない。

とのことですが,「ネットで人生を誤る人の2桁、3桁以上の数、ネットで人生の幅を広げた子たちもいる」ったって,それは,高市私案で排除される危険のある「有害情報」に触れることで「人生の幅を広げた子たち」が「ネットで人生を誤る人の2桁、3桁以上の数」いるということではないでしょう。更にいえば,ネット企業はこれまでもずっと「コンマ数%の人間」を犠牲にして稼いできたわけで,いつまで「コンマ数%の人間」を犠牲にすることで稼ぐビジネスを続けるのかということが,さすがに最近問われ始めてきているというだけのことでしょう。

高市案に反対することと、ネット規制そのものに反対することとは全く別の議論であって、多くの事業者が違法情報対策を強化するネット規制そのものに反対している訳ではないし、有害情報を子どもにみせないために投資している。

と言ってみても,MIAU自身,WIDEとの共同声明において,

規制は青少年の成長にとってもマイナスと指摘。「青少年が『有害な』情報に全くアクセスできない状態で成人すると、情報の取捨選択や主体的な判断といったリテラシーを学ぶ機会が失われる。興味本位で『有害情報』サイトを作成する青少年や、成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”の18歳が生まれるだけではないか」と危ぐ

と表明しているわけで,むしろ,積極的に,青少年が自由に有害情報にアクセスする仕組み作りを目指すべきとしているわけではないですか。

 それだけだと不親切すぎるきらいがあるので多少のアイディアを述べるとすると,CGMに関して言えば,年齢を問わずアクセスすることができる領域に有害情報が投稿された場合の対処方法をマニュアル化して,これをしかるべき機関が審査し,その審査に合格した場合に限りホワイトリストに加え,運用面でそのマニュアルが適切に運用されていなかったりした場合にはその機関が警告を与え,その警告に従わなかった場合にはそこをホワイトリストから外すということであれば,十分に実現可能だとは思います。ブログやSNSに関して言えば,各登録利用者ごとに,18歳未満にもオープンにする代わりに随時監視・有害情報削除を甘受するか,18歳未満からアクセスされることに拘らない代わりに,違法ではない有害情報の投稿は大目に見てもらうのかを選択できるようにすればよいのではないかと思います。

 これならば,DeNAのように,18歳未満にCGMを提供していきたいところは,有害情報を除去するための実効的な手段をマニュアル化した上で,それを実践していけばいいわけです。その方法としては,頻繁な巡回による有害情報投稿の早期発見,有害情報を含む投稿の送信防止措置の発動並びに投稿者に対する警告,有害情報を含む投稿を繰り返すものに対する投稿資格の停止又は剥奪等が考えられるのではないかと思います。

27/04/2008

「根本原因が改善されない」ことを理由に現象面の改善を拒む議論

 楠さんからトラックバックをいただきました。

いや彼らも僕らと同じ人間だろうけれども、彼らの為に世の中を不自由にしたって無意味だよね、ということですよ。援助交際が問題だから子どもの渋谷駅下車を規制しようとか、麻薬やドラッグの売人がたむろするから渋谷センター街を封鎖しようなんて話は誰もしないでしょう。それはリアルな街に山ほど普通のひとが出入りしていることは一目みれば分かるし、それはネットも事情は同じなのに、極端な例ばかり報道されていて話がおかしくなっている訳ですよ。

 青少年によるネット利用自体を禁止しようということは,少なくとも国会議員レベルでは1人もいないのだから,上記楠さんの例というのは明らかに過剰ですね。

 ただ,例えば,カラオケボックス等が少女売春や飲酒・喫煙の場所として広く活用されるようになれば,国又は地方公共団体の政策として,カラオケボックスの経営者にカラオケボックス内で顧客の行動を監視し,顧客がボックス内で一定の行動を行うことを制止する義務を負わせることはあり得るし,コストの問題や利用者のプライバシーを重視してそのような監視行動をとりたくないとするカラオケボックスについては青少年の利用を制限することは十分あり得るでしょう。

 

だいたい問題はネットよりも、彼らが埋められない心の隙間を抱えていたり、終わりなき日常に心を満たされていなかったり、暇を持て余していたりすることであって、彼らからネットを取り上げたところで街角で声かけられるのを待つようになるだけでしょう。

と仰っているけど,ネットを媒介として少女売春に踏み切るのはもともとそういう傾向をもった連中だという偏見がそこにはあるように思います。「私とは異質の世界に住んでいる連中のために,何でネット企業がコストをかけなければならないのだ」といらだちを感じます。

 

だから必要なのはネット規制ではなく、彼らをそこまで追いつめないための福祉政策であり、情報リテラシー教育であり、買春犯や売人に対する行為規制ですよね。

と仰いますけど,そんなことで少女売春や麻薬・ドラッグの蔓延を防ぐことができていない現状で,そして,そのような対策を今まだ以上に有効に行う方法が見つからない現状で,そんなことをいわれても,結局,今までどおり,少女売春や麻薬・ドラッグを蔓延させるためにネットが活用されることを邪魔しないでもらいたいというメッセージにしか受け取られないですね。

 もちろん,教育機関でが,少女売春や麻薬・ドラッグに手を染めないことの教育にもっと時間とコストを費やすべきでしょうし,警察だって今以上に売人等の摘発に力を入れるべきでしょう。でも,どんなにそれらの部門が頑張ったって,放課後に携帯電話をみれば,少女売春で楽してお小遣いを手に入れましょうというお誘いや,麻薬やドラッグの気持ちの良さを伝えるメッセージが書き連ねてあり,また,少女売春を持ちかけるメッセージや麻薬・ドラッグを売りますというメッセージが書き連ねられており,CGMサービスを利用したが最後そのようなメッセージが毎日大量に送られてくるという状況を放置しておけば,誘惑に負ける子供たちは少なからず出てきてしまいます。

人間は,過酸化水素水とは違う。

 楠さんから,次のようなトラックバックをいただきました。

僕は渋谷の隣の駅にある私立男子中高に通ってたから、中1の頃から毎日のように渋谷を出歩いていたし、けれども土曜にセンター街のラーメン屋で昼飯を食べたり、大盛堂書店で本を漁ったりはしてたけど、麻薬とかドラッグとか買わなかったよ。チーマーとかもいたけど、あまり関わらなかったし。中3の初デートも渋谷だったけど、普通に外食したり、代々木公園まで歩いたりで、もちろんホテルとかにはいかなかったし。

 技術系の人々が考えるほど人間って単純で均一な存在ではないというだけの話です。過酸化水素水に二酸化マンガンを入れれば酸素が発生するというほどの確実さで,ある情報を与えれば人間は必ずこう活動するというのでなければ,因果関係は認められないということになりますと,従前因果関係があるとして処理されていたことの多くは因果関係が否定されることになります。振り込め詐欺だって,実際にお金を振り込ませることに成功しているのはごく一部であって,電話を受けた人の大部分は最初から又は途中でおかしいことに気がついて振り込みを行いません。では,振り込め詐欺なんて妄想の世界の産物であって,そんなことが行われているかのごとく主張する法律家どもは現実離れしているといって良いのでしょうか。あるいは,街を歩いていたからといって必ず麻薬・覚醒剤の売人から声をかけられるわけではないし,声をかけられたから良いって必ずこれに応じて麻薬・覚醒剤を購入するというわけではありませんが,だからといって,麻薬・覚醒剤の国内への流入を水際で食い止めないと国内で麻薬・覚醒剤中毒が広がる危険があると危惧することは妄想でしょうか。国内にどんなに麻薬・覚醒剤が持ち込まれようとも,普通の人は売人から声をかけられてこれを購入することはないから,国民等のプライバシー権を侵害してまで,税関で麻薬等に検査をすることは許されないということにすべきでしょうか。

 楠さんは渋谷に行っても麻薬やドラッグを買わなかったとは思いますが,他方で,渋谷に行って怪しげな売人に誘われるがままに麻薬やドラッグを買ってしまう人々は,現実に相当数います。世の中の子供たちが皆楠さんほど賢くて,悪の誘惑に負けない強い精神の持ち主ばかりであれば良かったのでしょうが,実際にはそうではありません。

 もちろん,麻薬等の売人から声をかけられても常にきっぱり断れる人,ネット上で売春の勧誘をされても常にきっぱり断れる人等の悪の誘惑に負けない強い精神の持ち主だけしか「人間」と認識しないで生きていくことも,そういう人たちしか自分の周りにいなければ,可能なんだとは思います。覚せい剤取締法違反として平成18年度に検察庁に新規受理された人間,または同年にインターネットを利用した児童買春・児童ポルノ禁止法違反として検挙された714件の被害者と加害者たちなんて,自分たちと同じ「人間」ではないと位置づけれしまえば,麻薬・覚醒剤の水際規制も,有害情報のネット流通規制も,「妄想に基づいて自分たちの自由を侵害しようとする許されない行為だ」といい切ってしまうことに何の痛痒も感じずに済むのでしょう。

26/04/2008

ネット事業者の説明義務

 フィルタリングのオン・オフは親が選択できるようにすべきだといっている人の多くは,情報リタラシーの低い親は子供からせがまれると簡単にフィルタリングを外してしまうことを知っているところが何ともいえません。もちろん,「価値観の多様性」「社会の多様性」を標榜する方々が,そのような親の下にいる小中学生の裸の写真がネット上に流通しまくったり,そのような子供たちが誘われるがままに売春でお小遣い稼ぎをするようになったり,小中学生のうちから18禁の刺激の強い動画を日常的に楽しむようになりそこに描かれているような行為を特に問題となる行為ではないと考えるようになったりすることを歓迎していることは想像するに難くありません。

 ただ,リスクのある商品やサービスを提供するにあたっては,そのリスクの内容を消費者にわかりやすく説明する義務を事業者に課すのが近年の消費者保護の流れです。そういう意味では,フィルタリングのオン・オフを親が選択できる現在,ネット事業者は概ね失格ということができそうな気がします。

 やはり,フィルタリングをオフにすると子供たちをどのような情報に晒すことになるのかを示すとともに,特にCGM系のサービスについて言えば,そこに参加したことによって子供たちがどのようなトラブルに巻き込まれるようになったのかをわかりやすく図解入りで示したパンフレットを携帯電話事業者やISP等は消費者に無償で提供した上で,フィルタリングを外す選択をしようとする消費者に対しては,「フィルタリングを外した状態で子供たちにネットを利用させた場合には,子供たちは,殺害又はレイプされたり,児童売春に手を染めたり,自分の裸の写真を見ず知らずに人に送ってしまったり,ネットいじめの加害者又は被害者となったり,有害指定されたコンテンツを視聴するようになったりする可能性が高まります。それでもフィルタリングを外しますか?□はい,□いいえ」と記載された書面を送って,親から「はい」欄にチェックし,これに署名・押印をしてもらった上で書面を送り返してもらったときに初めてフィルタリングを外してもらうようにすべきなのではないかという気がします。

25/04/2008

基本的人権が尊重されることの意義

 わが国の右派とリベラルの違いの一つは,リベラルは基本的人権が尊重される社会を好意的に捉えるのに対し,右派は基本的人権を尊重することを国益を損なうことと捉えているという点にあるのではないかという気がしています。したがって,リベラルは,比較的自分たちに近いところで基本的人権がより尊重されることを望む傾向が強いのに対し,右派は,自分たちが好ましく思っていない国や社会において基本的人権を尊重させることを希求する傾向があるのではないかという気がしています。

 もちろん,これはある種の傾向のお話をしているので,いちいち例外の話をされても「そうかもしれませんね」としか応えようがないのですけど。

刑が重くなったのは手を抜かない弁護士が悪いからだと裁判所が言ってのける社会では刑事弁護などやっていられない。

 被告人の刑が重くなったのは,弁護人がたくさんボランティアで集まって,被告人の言うことを新味に聞いてやり,それを立証しようと精一杯努力したことにより,被告人が反省しなくなったからであり,弁護人がいけないのだ,と裁判官に指弾されるような制度の下で,そして,そのような指弾を行う裁判官ではなく,精一杯弁護活動を行った弁護士たちが糾弾される社会では,私は,刑事弁護活動をやりたいとは思いません。検察と一緒になって被告人の弁解を頭ごなしに否定した上で,形式的な情状弁護を行っていっちょ上がり的な仕事をしたい人に,お譲りしたいと思います。

 私は,近々実施される裁判員制度には様々な問題があるとのご意見にはあたっている点がないわけではないことを認めながらも,職業裁判官による刑事裁判の悲惨な実情を見るに付けて,未だ裁判員制度の方にまだ光明を見いだしうるような気がしてなりません。

 といいますか,職業裁判官制と裁判員制と弁護人が選択できる場合,接見及び記録の精査の結果被告人の弁解は概ね真実だと確信したら,裁判員制の方を選びませんか?>弁護士の皆様。

24/04/2008

think-filtering.com

 「think-filtering.com」なる団体が,「日本のデジタル社会を潰す「ネット有害情報規制法案」に反対する」なる見解を表明しています。

 

「違法」でない「有害」な情報という主観的であいまいな基準を政府が策定し、主務大臣が恣意的な行政命令権を持つことは、先進各国には類例がなく、利用者及び事業者を萎縮させ、「表現の自由」を侵す。

との点に関していえば,どの案を想定して反対表明をしているのかがわかりません。まず,「違法」の他に「有害」というカテゴリーを作るのは,「青少年への流通を防止すれば適法」という領域を創設するという意味で,むしろ「表現の自由」を守る意味を持つ法技術です。「有害」という文言が用いられたからといって,実際にはその内容の細目が規定されれば,適用範囲は曖昧とはなりません。高市私案でも現在の「わいせつ」概念よりは明確ですし,「創作性」概念や,「利用主体」概念よりは相当に明確です。

 しかも,青少年に頒布された情報が「有害」だと検察官に判断されたらいきなり起訴され,裁判所にも同様に判断されたらいきなり有罪判決が下されるいわゆる直罰規定と比べて,一旦行政機関から是正命令が下され,これに従わない場合に初めて罰則が適用される方式は,利用者及び事業者を萎縮させる度合いは少ないはずです。そして,この是正命令を主務大臣が「恣意的に」下すことができるのかというと,政治的には絶望的です。青少年に対する情報の流通を制限できても,肝心の有権者への情報の流通を制限できない以上,「国民への情報の流通を制限して専制国家を作り上げよう!」という試みは成功しそうにありません。

 また,「先進各国には類例がない」の対象が何をさしているのかが文面上明らかではないのですが,「有害」な情報の青少年への流布を規制する法令についていえば,2002年に公布され,2003年,2004年に改正されたドイツの青少年保護法等の例があり,「先進各国には類例がな」いと言い切れるのかは難しいところです。

 さらに,

ウェブサイト管理者に対する有害情報削除の義務付けにより、個人のブログに他人が有害情報を書き込んだような場合でさえ措置を執ることを強制される。国民の表現活動が制約を受け、誰もが情報発信を行う手段というデジタル技術の効用を損ね、デジタル文化を萎縮させ、ひいては有望と目されてきたネットワークやコンテンツ等のデジタル産業を縮小させる。

との点についていえば,現行法でも,個人のブログに他人が第三者の名誉を毀損し又はこれを侮辱する書き込みや,第三者のプライバシーを侵害する情報,あるいは第三者が権利を有する著作物等が書き込まれた場合,ブログ主は,当該コメントの削除等の措置を執ることが強制されます。削除等の措置をとるべき対象が「有害コンテンツ」にまで拡張されたからといって,実際の運用上たいした差異はありません。

 また,

携帯電話会社に対する義務化は、保護者がフィルタリングを外すことに同意しても青少年が利用できなくなる措置であり、有害ではないサイトへのアクセスまでも制限される可能性のある現状では、日本が誇るモバイル産業とモバイル文化の衰退を招く

とのことですが,もしそうだとする「日本が誇るモバイル産業とモバイル文化の衰退を招」かないようにするためには,保護者がフィルタリングを外すことに同意したときに外せるようにするだけではなく,実際にできるだけ多くの保護者にフィルタリングを外させることが必要だということになるはずです。「日本が誇るモバイル産業とモバイル文化」を守るためには,情報リタラシーを十分に有しない青少年が悪い大人たちの欲望の犠牲になったって構わないではないか,青少年の人生と「日本が誇るモバイル産業とモバイル文化」の隆盛とどっちが大事だと思っているのだ,というお話になるはずです。

そのあとで,

現在、産学の連携のもと、フィルタリング運用に関する第三者機関設立の動きが活発化している。今回の法案は、こうした民間の是正努力を無視したものである。本来政府は、そうした取組を支援し、フィルタリングやサービスの面での技術革新を促して、日本の産業が世界をリードするよう図るべきである。

とは言っているのですが,上記の論理から言うと,「有害ではないサイトへのアクセスまで」は制限しないフィルタリングが開発されるまでは,できるだけ青少年用の携帯電話等にフィルタリングを使わせてはいけないはずですから(だって,そうしないと,「日本が誇るモバイル産業とモバイル文化の衰退を招く」とまで言っているのですから。),結局のところ,携帯電話会社としては,フィルタリング技術の開発のために政府から助成金等は受けたいけれども,「有害ではないサイトへのアクセスまで」は制限しないフィルタリングが開発されるまでは,「日本が誇るモバイル産業とモバイル文化の衰退を招」かないように,「フィルタリングは外しましょう。」と子供たちや親などに呼びかけていくという方針を採用することになるのでしょう。まさに「焼け太り」という言葉を想起させます。

 

特にネットやケータイの利用を通じて、青少年が被害に巻き込まれるようなことはあってはならない。しかし、このことを理由に政府が過剰で誤った介入を行い、憲法が保障する国民の基本的な権利を侵害することは許されるものではない。

とのことですが,「有害情報」の青少年への提供を規制することが「憲法が保障する国民の基本的な権利を侵害する」許されないものだというのであれば,都道府県の青少年保護育成条例も直ちに廃止して,書籍や映画等のメディアで「有害情報」を青少年へ提供することをも自由とすべきでしょう。

 それにしても,「think-filtering.com」のメンバーを見ていると面白いですね。コンテンツホルダーが有する著作権や著作隣接権等を保護法益としてインターネットを規制することには積極的に賛成している人たちがちらほらと,青少年の健全な保護育成を保護法益としてインターネットを規制することには反対しているようです。事実上アドホックに基準が決められるカラオケ法理や,広すぎる同一性保持権などにより「利用者及び事業者を萎縮させる」ことには無頓着な方々が,「グレーゾーンを狙った商売をすること自体真っ当な企業としては如何なものか」と言わざるを得ない有害コンテンツ規制については「利用者及び事業者を萎縮させる」ことを憂いてみせるというのは一種の冗談のように思えてきます。

 もちろん,「お金のにおい」につられて優先度を考えるならば,

 コンテンツ産業の既得権>ネットビジネス>青少年の健全な育成

という順位になるのでしょうが。

23/04/2008

そこまでいうのなら学校の図書館に有害指定図書を置いて児童に自由に閲覧させるべきだし,学校のコンピュータルームのパソコンにはフィルタリングソフトを入れるべきではない

 MIAUとWIDEプロジェクトは共同声明として次のように述べています。

規制は青少年の成長にとってもマイナスと指摘。「青少年が『有害な』情報に全くアクセスできない状態で成人すると、情報の取捨選択や主体的な判断といったリテラシーを学ぶ機会が失われる。興味本位で『有害情報』サイトを作成する青少年や、成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”の18歳が生まれるだけではないか」と危ぐ。

 ということは,慶応の幼稚舎や付属中高では,その図書室内に,一般書籍に混じって,「有害指定図書」も置いてあるということでしょうか。青少年がネット上の「有害情報」にアクセスできないと「成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”」になるけど,書籍・雑誌上の「有害情報」にアクセスできなくとも「「成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”」にならないというのは不思議な話です。

 また,

「有害情報への対応を事業者に法律で義務付けると、零細事業者の多いネット企業の経済的負担は重く、官製不況を招きかねない。PCにフィルタリングソフトのプリインストールを義務付けると、フィルタリングを必要としない人にまでコストを負わせる」と経済的なマイナス面を指摘している。
との点についていえば,そもそもそんなに重い負担となるのか疑問だし,その事業がもたらす外部不経済に対処することができない零細企業が潰れるのは,資本主義社会においては,しょうがないのではないかという気がします。いかなる零細業者もつぶしてはいけないので,公害は垂れ流しにします,それでどんなに社会が害を被ろうと知ったことではありません,被害者の自己負担・自己責任で勝手にしかるべき対処をしてくださいなんて理屈は,概ね他の産業では通用しないように思います。例えば,メッキ工場は零細企業が多いですが,では,有害物質を除去する装置の設置を義務づけられたら零細企業が潰れてしまうので,これからも有害物質を垂れ流させるべきだという意見は通用しないように思います。

未成年者の保護のナショナル・ミニマム

 崎山さんが次のように述べています。

そして、刑事責任のような代行しえないような責任を除けば、基本的に親権者が、足りない部分を補う(という言い方が悪ければ、例えば、法定代理人が許した範囲内で法律行為ができる、とでも言えばいいのでしょう。正確な言い方は、弁護士の小倉さんのほうがよほど詳しいはず)。

 しかし,親権者が足りない部分を補えるのは,財産等の処分に関する部分と,一定の年齢を超えた場合の婚姻等に関する部分など,ごく一部に限られています。未成年者保護のためのパターナリスティックな制約の多くは,親権者の同意等があっても,フリーにはなりません。

 例えば,親権者の同意があったとしても13歳未満の女児との性交渉は強姦となるし,親権者の同意があったとしても未成年者に酒を飲ませてはいけないし,親権者の同意があったとしても映画の製作又は演劇の事業以外の事業について13歳未満の児童を労働者として使用してはいけないことには変わりがありません。また,児童ポルノ法上の援助交際禁止規定にしても,親の承諾があったことを,構成要件該当性ないし違法性阻却事由にしているわけではありません(児童ポルノの頒布等規制についても同様です。)。

 結局,子供は親権者の所有物ではない以上,「これ以上劣悪な環境に子供を置いてはいけない」ということで概ねの社会的コンセンサスが得られた基準を「ナショナル・ミニマム」として,それ以上劣悪な環境に子供を置くことを法的に禁止するということはこれまでも行われていたし,それはけしからんというほどの話ではありません。「紫の上は,満年齢で言うと12〜3歳の時に……」みたいなことをいくら言ってみても,親の承諾があれば13歳未満の女児と同意の上で何をしてもよいはずだという意見は通りにくいかと思います。

 そういう意味で,有害情報流通規制に関しても,一定のレベルを超えるものについては,保護者の自律的判断を否定するのは当然だということができます。

19/04/2008

未成年者の判断力が一般に成人のそれに劣ることは議論の前提なのではないか

 touhou_huhaiさんから反論のトラックバックをいただきました。

しかし上記ブログのエントリーでは未成年の独立した人格を尊重していないに等しい、それが腹立たしい。未成年はあくまで二級市民であり、親や教師が判断する幸せこそが、最善の道だという原則に立っている。

 「二級」という表現をするか否かはともかくとして,わが国の法体系は───わが国に限ったことではありませんが───「未成年者」については一般的に「成人」よりも判断力が劣ること(そして,それはやむを得ないことであること)を前提としています。何せ,国民であることには疑いがないのに選挙権一つ与えていませんし,原則として親権者の同意なくして法律行為を行うこともできませんし,婚姻だって制限されています。その一方で,年齢によっては刑罰法規に抵触する行為を行っても刑罰を課されることすらありません。

 もちろん,そのような方針を転換して,年齢を問わず,「未成年者」を「成人」と同等に取り扱うようにすべきという考え方はあり得なくはないでしょう。しかし,年齢や個体によって程度の差はあるものの,「成人」と比べて判断力が劣る「未成年者」について,「成人」と同様に独立した人格として取り扱い,各「未成年者」が何を行い又は行うまいと,その結果その「未成年者」の身に生ずることは全て自己責任であると切って捨てるのは,冷酷にすぎるように思います。小中学生はもちろん,高校生だって,悪い大人の誘いにあっさり乗ってしまうことは,奥村先生のブログを見ればわかります。

 touhou_huhaiさんにしても,MIAUの皆さんにしても,「未成年者」には通常「成人」と同程度に自らの危険を回避する判断力が現に備わっているとお考えなのでしょうか。それとも,「未成年者」には一般的には「成人」ほどの判断力はないと認識し,それゆえ,その自己決定権を「成人」と同程度に尊重した場合には,「成人」よりも身に危険が及ぶ蓋然性が高いことを認識しつつ,それはそれで構わないというお考えなのでしょうか。

 冒頭のtouhou_huhaiさんから反論についていえば,現在行われている青少年保護育成条例にしても,また,現在論議の的になっている青少年保護のためのネット規制にしても,特定の生き方を「幸せな生き方」ないし「最善の道」として青少年に押しつけるというものではありません。もちろん,小中学生のうちから売春婦としてお小遣い稼ぎをしていく生き方や,見ず知らずの人の求めに応じて気軽に自分の裸の写真を送ってあげて喜ばれる生き方等を制約するという程度においては,特定の生き方を「不幸せな生き方」と規定し,そのような生き方を選択しないように押しつけをしているということはできるかもしれません。しかし,判断力の乏しい「未成年者」が,そのような「不幸な生き方」を選択しないように大人たちが配慮するということは,そんなに腹立たしいことなのでしょうか。「未成年者」たちがその自己決定権を行使してそのような人生を選択することを指をくわえてみていることこそが,未成年の独立した人格を尊重する行為として,賞賛されるべきなのでしょうか。

 P.S.

 ネットスター社のフィルタリングが不十分なのであれば,「先進的なネットユーザー」たちで独自にフィルタリングソフトを開発すれば良いではないかという気もします。ホワイトリスト方式にせよ,ブラックリスト方式にせよ,人海戦術が求められるわけですが,人海戦術こそ,Web2.0の強みの一つだったはずです。

18/04/2008

ネット規制反対派が犯しがちな過ち

 ネットを介して青少年に有害コンテンツを送りつけることを法律で規制することの是非に関する議論の中で,規制反対論者がしばしば犯しがちな誤りの一つは,そのような規制法が成立した場合には,何が,そしてなぜそれが有害なのかを,親や教師が実際のコンテンツを示して教育することができなくなるという勘違いです。

 しかし,高市私案ですら,親や教師等の大人たちが,自らの使用するパソコンの画面やそれを印刷した紙を用いて,何が,そしてなぜそれが有害なのかを子供たちに教育することを規制するものではありません。だから,子供にそのような教育をするべきだと考えた親や教師は,その責任と裁量において,そのような教育をすればよいということがいえます。

 これに対し,フィルタリング規制等を行わない場合,子供たちは大人たちが付き添わない環境で,そしてしばしばそのような刺激の強い情報を目の当たりにする覚悟もなしに,あるいは,その情報の危険性を意識する機会すら与えられることなく,そのような情報に晒されることになります。親の情報リタラシーが乏しい場合,親の知らないところで,子供たちがそのような「有害情報」にのめり込み,あるいは,そこで大人たちの誘いに乗ってしまうかもしれません。有害情報にそのような環境下で晒されても子供たちに悪影響はないですって?そんなことを本気で信じているのであれば,「有害情報」とされている情報を除去するフィルタリング自体を禁止して,「情報リタラシーのある親の下に生まれた子供」についても,等しく,親の目の届かない環境下で,その種の情報に日々晒すように義務づけたらいいと思います。でも,それには賛同しないでしょう?

 規制反対派の方々は,情報リタラシーの乏しい親の下に生まれたのだから,悪い大人たちの餌食になるのは自業自得だというのでしょう(というと,そこまではっきりはいっていないとの反論がやってくると思いますけど,結局「親が情報リタラシーを身につければよい」という話は「情報リタラシーを身につけていない親の子供が犠牲になるのは仕方がない」ということとほぼ等値ですから。)。我々は親を選べないのに,親の因果が子に報いて当然であって,いろいろな意味で問題のある親に生まれた子供を社会が救ってあげる必要はないというのでしょう。入学金を入学式の日に支払ってもらえなかった子供に対するネット世論の冷たさとも共通する点がそこにはあるようにすら見えます。

有害情報の流通規制の代替手段としてのネット教育の低年齢化の可能性と経済効率性

 前回のエントリーの追記部分に対応して,榎本さんが次のように追記を行っています。

追記: 僕の文脈に沿ったコメントが追記されてきたけど、今度は正しいような間違っているような…僕が言いたいのは、間違ったやり方はやめて「放置しよう」ではなく、間違ったやり方はやめて「問題のない解決策を重点的に行おう」ですから(ネット教育の低年齢化とか)

 しかし,これは間違っています。ある弊害への対策としてある新しい施策をとってもなおも当該弊害を完全には克服できていないということを示すことにより突きつけることができるのは,その施策が当該弊害に対する対策として間違っているということでは必ずしもなく,むしろ,当該施策のみでは不十分であるということである可能性が相当程度あるからです。例えば,飲酒せずに運転をしても死傷事故を起こす例があるということをいくら強調しても,道交法上の飲酒運転規制が「間違った」規制であることの証拠にはなりません。

 また,「有害情報」を青少年に送りつけることを規制することにより対処しようとしている弊害を「ネット教育の低年齢化」により対処しようというご意見については,むしろ,その方が社会的なコストもかかる上に効果が低いのではないかという疑問を禁じ得ません。現実社会では青少年への流布が規制されている情報をネットを通じて青少年に自由に流布できる環境,しかも,必ずしも青少年がそれを閲覧することを積極的に望んでいなくともそれが青少年の目に触れうる環境を放置しつつ,それによる青少年の精神的な発達の阻害を克服できるようなネット環境というのはいかなるものなのか,あるいは普通のCGMサービスを利用していると売買春へと誘うメッセージが頻繁に少女の元に届けられる環境を放置しつつ,そのようなメッセージを受け取った少女たちが皆その誘いをきっぱり断るようになるネット教育とはいかなるものなのか,私は想像しがたいものがあります(しかも,「低年齢化」ということですから,小学校低学年から中学生にかけての子供たちにも理解できるようにその教育を行わなければならないということになります。)。また,仮にそのような教育が可能として,それを全国の小中高校において,少なくともその教育の感銘力が薄らがない程度に頻繁に,それを行うためには,どれだけの人員が必要であり,その人件費はどれほどかかるのかということを考えると,私などは結構絶望的な気分になってしまいます(まさか「啓蒙ビデオ」を年に1時間見せればOKなんて考えている訳ではないですよね。)。

 もちろん,ネット事業者としては,フィルタリング等のコストはネット事業者が負担しなければならないのに対して,「ネット教育の低年齢化」にかかるコストは,公立学校について言えば,地方自治体の負担となるわけですから,後者の方が費用負担の低廉化に繋がるとは思いますが,社会全体が負担するコストという観点から言えば,むしろフィルタリングの義務づけの方が安く済むのではないかという気がします。

実効性は程度問題

 有害情報をネットを介して青少年に送りつけることの規制を巡る議論において,「法の実効性」について少々誤解があるように思います。

 例えば,榎本さんは,

ケータイ等でフィルタリングされているにもかかわらず、出会い系サイトの類で被害に遭ったという事例を目の前に突きつけることができれば、フィルタリング法案賛成派も「この法案には実効性がない」ことを認めざるを得ないのではなかろうか。

仰っています。ただ,そのような法制度の「実効性」を捉える───その法制度により防止しようとしていた害悪がその法制度により100%防止できなければその法制度は実効性がないとする───ならば,概ね法制度というのは実効性がないということになってしまいます。

 実際には,法学系の人間は「実効性」という概念をそのような意味では捉えていません(この点において,技術系の方々の一部とパーセプションギャップがあるかもしれません。)。防止しようとする害悪を行うハードルを高め,その発生確率をある程度減少させることができるならば,法制度の実効性としては上々です。例えば,空港で手荷物検査を行ったって,飛行機内に武器を持ち込んでハイジャックをする人間は存在します。では,空港での手荷物検査の強制は,ハイジャックという害悪を防止する上で実効性がないから,無意味なプライバシー権侵害としてこれを廃止すべきと言ってみたところで説得力を欠きます。そうはいっても,空港での手荷物検査のお陰で,軽い気持ちで,あるいは杜撰な計画でハイジャックを行うことは相当困難になっており,その発生頻度を低下させることに貢献していると言いうるからです。

 あるいは,一般道路における速度規制にしても同様です。法律でルールを定めても,全ての道路を24時間,365日警察が見張ることは困難ですから,摘発されるのは違反者のごく一部です。しかも,速度制限に反したら必ず自己又は他人を死傷させるかといえばそうでもありませんし,また,速度規制を完全に守らせることができれば死傷事故を完全に撲滅できるかといえばそうでもありません。しかも,どの道路のどの部分の制限速度を何キロにするかについては,各都道府県の公安委員会が決めています。では,一般道路における速度規制は,人身事故を防止するという目的との関係で実効性がなく,無駄な規制であるから,廃止すべきと言ってみて説得力があるかといえば,絶望的です。「交通事故に遭いたくなければ国の力に頼って自動車運転者に減速してもらおうと考えるのではなく,自動車が走っていない道を歩くなり,自動車と衝突しても死傷しないように受け身の練習をするなり自助努力をすべきである。それができないのであれば,ずっと家の中にいればよい」みたいな話をすれば,かわいそうな人扱いされるのではないかと思います。

 実は技術系の方々だって,例えばコンピュータのセキュリティ等に関して言えば,「外部からの侵入を100%防止することができないセキュリティは実効性がないからやるだけ無駄」みたいな話はしないと思うのです。できる限り外部からの侵入を防ぐようにはするけれどもそれは100%ではない,だけども,だからといって侵入防止措置を全く講じないというのは無謀であるという話をするのだろうと思うのです。なのに,なぜフィルタリングについては,目的を100%達成できないのであれば実効性がなく意味がないみたいな話をし出すのか,理解に苦しむところです。

[追記]

 榎本さんは,さらに,

僕がid:atsushieno:20080417:p3で書いた「実効性が無い」の意味は、もちろん文字通りの主張をしているのではなくて、規制賛成派が児童ポルノの現物を国会議員に見せて「これでも現状の児童ポルノ対策に実効性があると言うのか」と詰め寄るのと同じことが出来れば十分、という程度のものだし。

仰っています。でも,現状の対策では不十分であることを示して新たな対策を講ずることを迫るのと,新たな対策でも不十分であることを示して新たな対策の中止を求めることとは,同じにはいかないよな,と正直思います。といいますか,後者のような論理展開をしてみたところで,「では,対策を講ずるのは諦めて,その弊害は自己責任ってことで処理してもらいましょう」という方向に向かってくれるかっていうとそこは疑問で,むしろ,「この新たな対策を講じ終えたら,次はそこについても対応しましょう」って方向に向かうだけではないかという気がします。例えば,学校外でいじめが行われているという事実をいくら示しても,「では,学校内でいじめを見かけても教員はそれを放置して,いじめられている生徒が登校をやめる等自己責任で処理していただくことにしましょう」とはおそらく誰も考えないでしょう?

15/04/2008

匿名を批判するのは許せないという過剰反応

 「メールで引き出すベストコミュニケーション」というセミナーでの 及川さんの発言がネット上では不評なようです。ただ,及川さんに対する批判は概ね的を射ていないように思われます。

 及川さんが米国では実名でブログ発信するのが常識であり,ネットで検索した時に 名前が見つからないようでは,存在していないに等しい」と厳しい言葉を投げかけたのは,「ビジネスにおけるメールの役割」を議論するパネルディスカッションの中であり,また,「メールの署名に自己紹介代わりのブログが無い人は,どんな人かわからないので会いたくない」と警告を発したのは,パネラーによる指導希望者の方から事前に送って頂いたメールをもとに、相手に「この人とは会って話がしたい」と思ってもらえるメールを書くためのアドバイスを行う過程においてです。

 つまり,インターネットを自分のビジネスに活かしていこうという人たちを相手に話をしているのであって,インターネットをもっぱらストレスのはけ口として利用している人たちはそもそも話の射程範囲に入っていないのですから,「その発言は自分たちの実情に合致していない」ということを,インターネットを自分のビジネスに活かしていこうという気がない人々がいくら言ってみても意味がないのです。

 インターネットを自分のビジネスに活かしたいという人が,自分が普段考えていることを,自分が特に力を入れて考えていることを,現実社会の自分と結びつく形で知られるのが怖いと言っているようでは,どうにもならないというだけの話でしょう。非常に当たり前の話です。そして,「自分がよく知らない人に自分の名前が,そして自分の人となりや関心,実績や業績等が知られていること」に耐えられないと,ビジネスで成功することは難しいのですから。

11/04/2008

How To Educate?

 インターネット上の有害コンテンツの流通規制に関して,そんなことをせずとも,青少年に対して情報教育をしっかりすればよい的な見解がネット上では散見されるようです。

 ただ,「有害コンテンツ」をせっせと青少年に送りつけることを容認しつつ,それでも青少年たちが悪い大人たちの犠牲にならないように情報教育を行うというのは,言うほど簡単なことではありません。といいますか,誰が,誰に対し,何について,どのようにして,どの程度の時間を費やして,誰の費用負担で,情報教育を行うのか,そしてそれはどの程度の実効性をもつのだろうかということを考えると,実は絶望的になっていきます。コスト的なことを考えた場合には,人海戦術的にホワイトリストを作っていった方がまだ安上がりなのではないかと思うくらいです。

 もちろん,ネット事業者の視点からみれば,コンテンツの流通規制を行うためにはそれを実現するための技術開発・運用等にかかる負担並びにそのことにより利用ないし利用者が減少することによる減収等のコストがかかるのに対し,「青少年に対する情報教育」については親又は公的部門がその費用を負担することになりネット事業者はこれを負担せずとも済むので,後者の方が安上がりということになろうとは思います。が,社会全体でのコスト負担と言うことを考えた場合には,人海戦術的にホワイトリストを作成して,これに基づいてフィルタリングを行う機能を端末機器に組み入れるコストと,「有害コンテンツ」が日々青少年に向けて送りつけられる状況下で,それでも青少年たちが悪い大人たちの犠牲にならないようにするために,全国の青少年に対し,それだけの効果があるような教育を,その効果が薄れて「有害コンテンツ」のもつ負の力に負けてしまわないような頻度で,情報教育を行うのに必要な人件費等のコストを比べたときに,後者の方が安上がりだとは直ちにはいえないように思えてならないのです。

10/04/2008

裁判員の日当

 各種報道によれば,裁判員制度についての詳細が徐々に明らかになりつつあります。その中で一つ気になったのは,「裁判員の日当」の問題です。

 報道によれば,日当を1万円以下とするという方向で検討がなされているようですが,どうしてそのような話になるのか不思議でなりません。

 週休2日制が普及した現在,1日あたりの「給与」が1万円を割り込むのって,月給20数万円レベルまでの人たちに限定されており,それ以上の給料取りや自営業者については,裁判員になることが直ちに減収を意味することになってしまいます。刑事裁判の法廷の中で,そのような低い時間単価に甘んじているのは,被告人と証人を除けば,弁護人しかいないではないですか。裁判長が1日あたり4〜5万円の給料をもらっている状況の中で,なぜ裁判員の日当が1万円以下なのでしょうか。

 もちろん,平均よりも多くもらっている人に合わせてはいられないでしょうけど,逆に言えば,フルタイムで働いている正規雇用労働者の1日あたりの「給与」水準をベースに日当を算定することはできるはずです。

 あるいは,国にはそんなに財政的なゆとりはないというのかもしれないですが,裁判員制度を採用すればお金がかかることは端から分かっているのですから,必要なお金がかけられないというのであれば,そんなお金がかかる制度はやめるべきです。担い手に「泣いてもらう」ことで,本来お金がかかる制度を,お金をかけずに実現するというのは,間違っています。

03/04/2008

痴漢被疑事件での逮捕・勾留の是非

 痴漢冤罪を防ぐためにまずできることは、虚偽自白をしなくとも良いように、被疑者の氏名及び住所が明らかとなった段階で、爾後被疑者を留置または勾留してはならないという制度にしたらいいのではないかと思います。

 痴漢被疑事件の場合、罪証を隠滅しようがないですし、法定刑が軽いので逃亡するメリットがありません(痴漢被疑事件の場合、被疑者がしばしば恐れるのは、そのような疑いを持たれていることが会社にばれて首になることですが、逃げてしまえばどうせ首です。)。

 それに、真犯人ではなくとも自白をする動機を抱く可能性が十分にある環境下に被疑者を置いた上で被疑者を自白に追い込んだところで、理論的にはそのような自白に高い証拠価値はないのですから、自白を取り、その後覆させないために被疑者を長期間勾留するのは本来無駄ですし、そのような自白でも裁判官がこれを信じて有罪認定してしまうようであれば、真犯人ではなくとも自白をする動機を抱く可能性が十分にある環境下に被疑者を置いて果たして被疑者を自白に追い込むことは、むしろ有害ですらあります。

01/04/2008

弁護士の儲けに繋がるという理由は、市民の権利を撤廃する理由になるのか。

 木村剛氏は、「信販法も改悪の方向へ」というエントリーの中で、先般の貸金業法改正を難詰するに当たって、次のように述べています。

 少なくとも福田政権は、貸金業法改悪によるグレーゾーン金利廃止の影響について、しっかりと調査すべきです。同時に、どれだけ弁護士が、この過払い返還請求で儲けているかについても明らかにすべきではないでしょうか。新人弁護士が億円プレーヤーという現状をどう考えるかについても、公開討論すべきだと思います。

 貸金業法改正によるグレーゾーン金利撤廃について評価をするにあたって、それが消費者向けあるいは事業者向け金融市場にどのような影響をもたらしたのかについてしっかりとした調査を行うことはよいと思いますが、どれだけ弁護士が、この過払い返還請求で儲けているかについても明らかにする必要がなぜあるのか、私には理解できません。まして、新人弁護士が億円プレーヤーという現状の当否が公開討論の対象となるという感覚が理解できません。

 市民がある私法上の権利を行使することを手助けする弁護士がそのことによって対価を得ることは何ら社会的に問題視されるべきことではないし、特定の権利の行使を手助けすることを活動の中心とする弁護士がそのことにより高額の所得を得ることに成功したからといって、そのことは、市民のそのような私法上の権利を認めることの是非には何ら関係がないはずです。仮に、新人弁護士が、多くの市民の権利行使を手助けすることにより、1億円を超える所得を得ることに成功したのであれば、それはそれだけ多くの私法的な正義の実現に寄与したわけですから、賞賛することはあっても、これを問題視することは間違っています。

 この種の「弁護士を儲けさせるのはけしからん」という問題のすり替えは、論者が擁護しようとしているステークスホルダーの国民的な評価が、論者がその権利をそぎ取ろうとしているステークスホルダーのそれに比べて低い場合に、弁護士とりわけ儲けている弁護士に対する国民の嫉妬心ないし悪感情に訴えることで、国民にとって評判の悪いステークスホルダーを擁護することを、あたかも「憎っくき弁護士叩き」に見せかけて、正義の味方のように振る舞おうという意図でなされるものです。

 なお、消費者金融問題は、消費者金融が利息制限法の上限金利を徴収することによって間接的に利益を得る事業者の範囲が相当広い(これらの貸金業者から巨額の広告費を得ているマスメディア、これらの貸金業者に投資ないし融資をしている内外の金融機関等々)ために、それらの事業者ないしそれらの事業者の息がかかった学者、評論家から、相当のバッシングがなされることが今後も予想されます。

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