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04/05/2008

WIDEの声明に対して

WIDEの声明について,逐語的にコメントを付けていくことにします。

1 政府が何が有害な情報であるかの基準を設け、行政命令権を持つことの問題

情報の意味は、情報の受け手との相互作用により決まります。政府が一意に情報の意味を決定し、一様にアクセス手段を制限するという法案は、情報空間における多様な可能性を排除することに繋がり、情報社会の健全な発展を阻みます。

 例えば,女子小中学生に対する,裸の写真を送るように要求したり,援助交際の申し入れをするような情報を考えたときに,これを単なる「ゴミ」として受け流すか,この要求に応じてしまうかは,「受け手との相互作用により」決まるとは思うのですが,何パーセントかの,あるいはコンマ何パーセントかの小中学生はこれに応えてくれるという可能性を排除することが「情報社会の健全な発展を阻」むといわれると,私には違和感があります。

2 「有害情報」の削除義務を設けることの問題

情報の共有や交換の場を管理する者に、政府基準に基づく「有害情報」を削除する義務があるとすれば、有害と言われる情報に関して、国民が例をあげて議論することさえままならない状況を生むでしょう。それは国民の主権を揺るがす事態であるとさえ言えます。

 少なくとも,アクセスできる人の範囲を「18歳以上」に限定すれば削除義務の対象としない今回の法案等に関していえば,その心配はありません。

また、セキュリティ管理の観点からは、新たな攻撃手段を攻撃者に与えることにもなります。攻撃の対象となるサイトに、執拗に「有害情報」を書き込めば、管理者がその対応に追われたり、対応を怠った場合には罰則が適用されることにより、攻撃者が当該サイトの運営や管理者の生活の自由を奪うことが可能になるためです。

 それは,「どのような情報につき」削除義務を負わせるかではなく,「どのような内容の」削除義務を負わせるのかによって決まってきます。現在だって,著作権を侵害する内容の投稿や児童ポルノ写真等が多数投稿されれば,管理者はその対応に負われることになりますし,対応を行った場合には罰則が適用されることになります。

3 サービスプロバイダにフィルタリングが義務づけられることの問題

 我々が経験から学んでいることですが、フィルタリングに対しては、ユーザによる柔軟な操作を可能にしなければなりません。

 現在、広く活用されているフィルタリング技術に、迷惑メールをふるい分けるスパムフィルタがあります。

 日本語や英語などの自然言語には多義性がありますが、現在のフィルタリング技術は、言語のこの性質に完全に対応できるほどには高度ではなく、日々、大量の有益な情報がスパムフィルタによりフィルタリングされ、必要としている相手に届かないという問題が発生しています。

 法案が、携帯電話会社にフィルタリングサービスを義務づけることは、この種の問題の拡大を招く恐れがあります。

 スパムフィルタの場合,大量かつ瞬時に判断しなければならずかつその判断は1回的なものであるという特徴故に,テキストに特定の文字列が含まれるということがスパムチェックの大きな要素となっているとは思いますが,青少年保護のための有害コンテンツフィルタの場合は,ホワイトリスト方式を採用するにせよ,ブラックリスト方式を採用するにせよ,人海戦術的な要素を相当入れなければならないわけで,それは高市私案が可決されたとしても,これを遵守するための作業についても同様に言えることです。

 情報の取捨選択を自動化し、人間個人の生産性を向上させる上でフィルタリングは重要かつ有用な技術ですが、ユーザの手元でフィルタリングの有無を状況に応じて切り換えたり、フィルタリングされた情報に適宜アクセスすることを許さなければ、いざ問題が起こったときに適切に対応することができず、生産性はかえって低下するのです。

 フィルタリングの有無を状況に応じて切り換えたり、フィルタリングされた情報に適宜アクセスしていざ問題が起こったときに適切に対応できるようにせよ,といってみても,そんな大それたことを小中学生に期待する方が間違っているように思います。

デジタル技術の健全な社会応用に向けて

インターネットは、デジタル技術の基盤性をフルに活用し、多くのコンピュータや種々の機器が接続できることに加え、様々な個人や団体が主体として参加できる、工学的にも社会的にも分散したシステムとして発展してきました。この分散システムにおける様々な問題には、分散的に取り組むのがよく、もし、中央が一様なやり方で事に当たるとすれば、デジタル技術や分散システムの利点自体が失われることに繋がりかねません。

 どのような情報については受け手の年齢を問わず違法とし,どのような情報については未成年者に届けることのみを違法とするのかの基準は,ある程度中央で決まる方が健全だと思いますが,そのような基準作りすら「分散的に取り組む」というのはどういうことを想定しているのでしょうか。

青少年の身の回りで起こる問題は、その現場で解決していかなければ、青少年自身が成長することも望めません。

 これまで現場が解決してこなかったから,法律による解決が求められているのです。

 中央が情報を遮断することにより、青少年へのインプットを方向づけ、それにより健全な育成が行われると考えるのなら、それは、家庭の力を、教育の力を、そして産業の力を、軽視あるいは無視していると言えるでしょう。そのようなことが現実に行われれば、日本の家庭や教育、産業の力は失われていく一方でしょう。

 家庭の力を、教育の力を、そして産業の力を「直視している」というべきでしょう。ネット事業者たちが,「もっと儲けたい,そのためには青少年がどうなろうと知ったことか」とばかりに問題を放置し続け,それどころか,他人に害を為すような利用をしてきたユーザーをかばい続けてきたからこそ,現在の日本のネット社会がこんなものになってしまったわけではないですか。

 ネットいじめを放置しなければ,学校裏サイトを放置しなければ,小児性愛者がSNS等で子供たちに援助交際やら何やらを持ちかけることを放置しなければ,「日本の家庭や教育、産業の力は失われていく」のですか。子供たちが訪れるサイトに,性風俗産業へのバナーリンクを貼ることを放置しなければ,「日本の家庭や教育、産業の力は失われていく」のですか。どれだけ,日本のネット産業は,青少年の安全と引き替えでなければ維持できない構造を作り上げてしまったのですか。

問題は、問題が生じる現場で解決していく。

このことが徹底される以外に、21世紀の、目まぐるしく変化する地球環境の中で、日本国の国民が問題解決能力を育て、世界の中で競争力をもって、生き延びていくことはできません。

 そういうのは問題が生ずる現場で問題を解決することにネット事業者たちがきちんと協力し,現場で問題を解決できるようになってからいってもらいたいものです。ネットを用いた犯罪や不法行為の被害者から助けを求められた法律実務家であれば,ネット事業者たちが如何に「問題が生ずる現場で問題を解決する」ことに消極的かを肌で知っています。違法な情報を流通させている連中を精一杯隠し続けているくせに,「現場で解決せよ!」ですって!偉そうなことはいっても,結局,悪いやつにネットを自由に使わせることでその利益のおこぼれをもらい続けたいだけなのではないでしょうか。

 それに,問題を自分で解決する力を付けることを小中学生に求めるのは酷というものではないですか。日々有害情報を悪い大人たちから送りつけられて,それに適切に対処できずに悪い大人たちの餌食になってしまったら,その子供たちにはそもそも21世紀を生き延びる資格がなかったのだといって,馬鹿にして終わりですか。

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