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09/06/2008

「量」だけが頼り

 一人のコメンテーターに対して多数のコメンテーターが襲いかかってきている状態では、そのうちの数人に対して反論をするか、または、それらの集団の見解のエッセンスを抽出してこれに反論するかしないと、時間的・体力的に持たないであろうことは容易に想像が可能です。そのような現実的な対応についてこれを「藁人形論法」扱いして批判するというのはアンフェアだと思います。

 もちろん、一人の人間に対し多数人で襲いかからないと不安でたまらない人々(自称医師たちの所業について、例えば、ここここ等を参照。)に「フェア」の精神を期待しても仕方がないわけですが。

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