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juillet 2008

31/07/2008

要求は、出発点を無視して、しばしばエスカレートする

 矢部先生の「刑事免責主張に関する私なりのまとめ」というエントリーの論理のどこに間違いがあるかは簡単です。

 「人々の要求は、人々がその領域に関心を持つきっかけとなった事件・事故を「適切」に解決するのに必要な範囲を超えてエスカレートすることはない」という誤った経験則に基づいて、その要求がいかなる言語表現が用いられていようとも、上記「必要な範囲」を超えた要求がなされるわけはないのだから、当該言語表現がいかなるものであろうとも、上記「必要な範囲」のものとしてその要求内容を解釈せよ、といっているに過ぎません。でも、悲しいかな、人間の要求って、しばしばエスカレートするのです。だから、普通の法律家は、その人々はなぜその問題に関心を持つようになったのかということを過剰に重視し、どのような言語表現が用いられているかを過小評価して、その人々の真の要求内容を解釈したりなどしません。

 そのような間違った経験則を援用した結果、矢部先生は、普通の法律家とは異なり、

 私の理解では、医療側は、大野病院事件の医師には過失がない、と言いたいのですが、検察がそれを認めなかったので、検察よりもさらに上位の機関、つまり国会に対して、検察が過失があると認める場合でも医師が刑事処分を受けない仕組みを作ってくれ、と言っているように思います。
 つまり、医師としては、本来処罰されるべきでない行為は処罰しないでくれ、と言っていると理解されるのです。
と仰るに至っています。ただ、現行法でも、検察が過失があると認めたところで、裁判所が認めなければ刑事処分は受けないわけで、そんな間の抜けた主張のために何年もわーわーと騒いできたと解するのは、むしろ医療系ブロガー・コメンテーターを馬鹿にしすぎているように思います。

 また、厚労省が創設しようとしている事故調査委員会での調査の結果を刑事手続に活用するなと少なくない医師達が主張していること、「刑事免責」を唱える一部の人々が「医療ミスで刑事罰を科しているのは先進国では日本だけ」という主張を根拠も明示せずに繰り返していること、医療ミスについて刑事罰を科してもデメリットばかり多くてメリットがない旨の主張も繰り返されていること、患者の取り違えや投薬量のミスなど従前業務上過失致死罪で有罪とすることに異論がなかった領域についても刑事罰を科すべきでないとする主張が見られること等々は、矢部先生のような解釈では説明がつかないように思います。そういう意味では、ある分野について一定の要求をしている人々が、当該分野またはその関連領域について、他にどのような発言をしているのかということを「文脈」を構成する要素としてとらえた場合には、むしろ矢部先生こそが文脈を無視して、文言上も無理な限定解釈をしていると言うことになります。

フジテレビにおける男女の取り扱いの差

 フジテレビの渡辺和洋アナウンサーに不倫疑惑が持ち上がったそうですが、フジテレビはこの処理を間違えると、「フジテレビでは、不倫で職場を追放されるのは女だけ。男は不倫をしても謝罪しただけでお仕舞い」という、非常に男女差別的な企業だと語り継がれることになりそうです。

 

フジテレビ広報は「渡辺に(女性を)呼び寄せるような力はない。お金が絡んでいるように書かれているが、そのような事実はない」と説明。その一方、本人への“事情聴取”については「本来ならプライベートなことだが、今回は業務上の不正に絡めて書かれており、本人にとってもよくないので必要になれば聞いていかないといけない」と話した。
とのことなのですが、山本モナさんを「プライベートなこと」で降板させておいて、この言い方はないのではないかなと、正直思いましたし(問題の重大度で言ったら、局とは関係のないところで知り合った相手と不倫騒動を起こした山本さんより、局主催のイベントでコンパニオンを務めていた女性と不倫騒動を起こした渡辺アナの方が、重大だと思いますけどね。)。

、『標準的な医療から著しく逸脱した医療』ってそんなにオープンな文言ではないと思うのですが。

死因究明で議論錯綜—日本医学会(上)」という記事がアップロードされています。

 日本産科婦人科学会の岡井崇理事は、

正当な業務の遂行として行った医療に対しては、結果のいかんを問わず、刑事責任を追及することには反対。この考えは現在も将来も変わらないと思う。
と述べておられます。これだと、「正当な業務の遂行として行った」間違った型の血液の輸血行為も不可罰となってしまいます。そういうことまで不可罰にしたいという趣旨でないならば、誰か正しい表現方法を教えてあげればいいのに。

 続いて、

(法案大綱案では)特に、『標準的な医療から著しく逸脱した医療』行為を警察に通知するというが、本当に悪質な事例に限られるのかが一番心配。
と仰っていますが、医療機関に「本当に悪質な事例」かどうか判断させることはそもそも予定していないように思います。その価値判断を行うのは、事故調査委員会になるのか、検察になるのかともかくとして、その通知を受けて、調査ないし捜査活動をする人たちだと思います。

 次に、日本小児外科学会の河原崎秀雄理事は、

『標準的な医療から著しく逸脱した医療』はいかようにも解釈できるので適切ではない。
と仰っていますが、この文言でどこまで解釈の範囲が広がるというのか、私には理解しがたいです。
警察への通知は、『犯罪の可能性が高い』と委員会が判断したものに限定されるべき。
と仰いますが、現行刑法では、軽過失で人を死に至らしめても犯罪ですから、その場合、却って通知義務の範囲が拡張されます。ここでの「犯罪」を「殺人または傷害致死」という意味に善解するとなると、医療機関は、医療従事者の「主観」まで調査した上で警察に通知するか否かを判断しなければならないことになりますが、その方が負担が大きいのではないかと思います。もちろん、誰の目にも殺意をもって殺したことが明らかな場合以外は闇に葬ってもよいことにしましょうって意味に解釈することも可能ですが、それはそれで到底受け入れがたい話です。

 高久史麿・日本医学会長が紹介した日本整形外科学会の見解によりますと、

制度が責任追及の場を提供することになっては困る。民事、刑事、行政処分の場での責任追及に利用されないようにする、という言葉がない。
とのことなのですが、まず、行政的な調査の結果を行政責任の追及に利用するのは当然のことなので、「行政処分の場での責任追及に利用されないように」せよというのは的外れです。また、行政的な調査の結果を文書送付嘱託などを介して民事訴訟の資料とすることもまた普通に行われています(例えば、火災調査報告書など)ので、これもまた的外れな話だと思います。

 調査の結果を刑事手続で利用するなという点に関して言えば、そうなると、当該事故における医療従事者の活動には特段の問題はなかったという調査結果が出た場合の取り扱いが問題となりそうです。問題なしという調査結果が出てきた場合にはそれをもって捜査を終結すべきだが、問題ありという調査結果が出てきたとしてもそれを刑事責任の追及に使うなというのも虫のよい話になりそうですし、そうなると、警察・検察としては、事故調査委員会の調査活動と並行して捜査を推し進めるということになっていくでしょうから、却って医療機関の負担を増大させるのではないかという気がします。また、調査の結果、医療従事者が故意に患者を死に至らしめた可能性が高いことが判明した場合の処理も考えなければなりません(その程度のことは、立法段階で考慮すべきレアケースだと思います。)。

 また、赤松クリニックのご意見として、

調査結果が刑事手続きに用いられることを想定しているにもかかわらず、黙秘権が明確に担保されていない。
というものがありますが、もともと法廷での証人尋問と同様の証言義務があるのかという問題がありますし、また、事故調査委員会って、言いたくないことでも言わなければならないような強圧的環境で行われるのかいなという疑問があります。もっとも、必要とあらば、担当医師に「黙秘権」を認めても制度上は何の問題はないようには思います。ただ、事故調査委員会で、どのような診断のもとどのような治療行為を行ったのかについて黙秘をしていると、警察・検察に別途呼び出されてより厳しい取り調べを受けることになる可能性は低くはないと思いますが。

 また、堤晴彦・日本救急医学会理事は、

道交法でも業務上過失致死罪が問われるものは、文章で明確に決められている。しかし、医療は決められていない。医療過誤においては法律を変えないといけないという議論があるが、現行の法律を変えなくても、医療事故のどの部分が業務上過失致死罪になるかということを法曹関係者が明記するだけでかなりの部分が改善する。
と仰っていますが、道交法上の各種義務と業務上過失致死罪における結果回避義務とは理論的に別個の話だし、実際問題として必ずしも前者が後者を包摂する関係には立っていないですから、誤解だと思います。現行の自動車運転過失致死傷罪の構成要件は、「自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者」ですから、業務上過失致死罪の構成要件と比べて特に明確ってほどでもないです。

 堤氏は、

警察・検察が、自分たちで法的判断を決めてから動くということが問題。
と仰っていますが、医療過誤ケースでは、警察・検察は、「自分たちで法的判断を決めてから動」くってことはしていないと思います。まあ、よほどあからさまなミスの場合はともかくとして、これは病院側のミスだろうと警察・検察なりに考えていたとしても、医師による鑑定意見書なしには、「標準的な医療水準」の立証ができないわけですから、「動いて、事実判断をして、これを元に鑑定意見をもらった」後に法的判断を決めるのが普通ではないかと思います。

 皆様責任のある立場なのですから、発言する前に、顧問弁護士に相談されればよいのに。

30/07/2008

「文脈」を勝手に設定してこれに反する主張をなかったことにしてしまうことの功罪

 「A」という文章の通常の意味範囲を「a」とします。


 甲がその主張として「A」という文章を公表したときに,
甲が「a」という主張をしているとの認識のもとに,甲による「a」という主張を批判するのと,
「文脈」なるものを勝手に設定して,甲はその主張として「A」という文章を公表しているが,「文脈」から判断するに,甲が真に主張しているのは「b」であると解釈するのと,
では,後者の方がやっていることが酷いのではないかと私は思ったりします。

 後者の場合,甲として「a」という主張をするつもりで「A」という文章を公表した場合であっても,甲が「a」という主張をしたという事実をなかったことにしてしまうからです。

 乙が,甲が「a」という主張をしているとの認識のもとに,甲による「a」という主張を批判しているときに,これに対抗する言論として,甲に同情的な丙により,「甲は,『A』と言っているが,その真意は『b』であることは明らかだ。甲が『a』のような非常識な主張をするわけがないではないか」なんてことをいわれてしまうと,「いえいえ,私は,『a』という主張をしたくて『A』と言ったのです」とは言いにくくなります。甲が真実「b」という主張をしたかった場合に,乙に対して,「私は,『A』といいましたが,これによって主張したかったのは『a』ではなく『b』です。」と反論する方が心理的な抵抗は少なさそうです。それに,そうなれば,今後は,通常「b」という意味範囲を有する『B』という文章をその主張を表すのに使えばいいのではないか,という話もできるので,より生産的です。

 なお,後者のような解釈が許されるのは,甲が丙の設定する「文脈」の枠内でその主張を行っていることが前提となるわけですが,大抵の場合,それは丙の勝手な思いこみだったりします。

大村秀章衆院議員私案を喜ぶ人

矢部先生が、次のように述べています。

「救急医療事故について刑事免責へ向かうか?」

 ご紹介のニュースは、全国医師連盟の黒川衛先生の要望に沿う内容の議論が起こることが報道されているわけですが、このニュースを見ますと黒川先生の提案は、一部の弁護士(私が知る限りお一人ですが)が想像しているように、「反倫理的なものと受け止められている」というわけではなさそうです。

 リンク先をたどってみると、自民党の「医療紛争処理のあり方検討会」で、座長の大村秀章衆院議員が私案として示したもののなかに、

刑法の業過致死傷罪の条文に「救急救命医療で人を死傷させた時は、情状により刑を免除する」との特例を加える

とするものがあるというだけのことのようです。  

 これって、本来であれば起訴猶予処分となるべき事件であると裁判所が判断した場合に、裁判所は、有罪認定をした上で刑罰を科さないことができる(低額の罰金刑や執行猶予付きの禁固刑にとどめることで被告人の負担を事実上0に近くするのではなく、本当に0にすることができる)というだけのことです(もともと、1回の不注意で即交通刑務所行きという自動車系の業務上過失致死罪と違って、医療系の業務過失致死罪の場合1回で実刑というのはほとんどなかったわけですから、刑の免除って象徴的な意味しか持っていません。)。これが法案として可決・成立しても、医療機関は警察による捜査を受け、送検され、起訴され、有罪判決を受ける可能性があるわけだし、この情状による刑の免除が受けられるかどうかは裁判官の裁量に委ねられるという意味で予測可能性を欠くわけですから、黒川先生の要望に沿うものでは全然ないように思われます。

 なお、黒川先生のご提案を他の弁護士がどのように受け止めるのかは、こちらに出席して、そこにいる弁護士さん達に聞いてみるといいのではないかなあと思ったりはします。シンポジウムの終わりが20時30分ですから、そのまま居酒屋等に流れる人も少なくはないでしょうから、ざっくばらんな話も聞きやすいかとは思いますし。

29/07/2008

あなたが積んでいる本はそんなに定義だらけなのですか?

 bewaadさんのブログのコメント欄でのことですが、

 

皆さんはもしかして現在の医療が完全なもので、お医者さんは全知全能の存在だと、勘違いをしていませんか?

というコメント(by 大学教員 さん)に対して、

現実に有罪となっている例は、神でなくとも回避が可能だったものです。

という返答をした場合、ここでの「神」という表現は、「全知全能の存在」という程度の意味であることは普通見当がつきます。「ここでいう『神』とは、カグツチのことだろうか、それともツクヨミのことだろうかと本気で迷う人はほぼいないように思います。また、この文脈で「神」を「死に神」という意味で使うことがあり得ないと言うことは、ごく少数の方以外には自明の理かと思います。医療系コメンテーター等が用いる「刑事免責」が「過失犯についての全面的刑事免責」を意味しないかどうかは、「過失犯についての全面的刑事免責」論についての論者の評価および医療系コメンテーターについての論者の評価によって見解が変わりうるかもしれませんが、上記表現における「神」がカグツチや死に神ではないことは、「全知全能」という言葉を受けての発言であるだけになおいっそう明らかです(「全知全能」という言葉を受けての発言でなくとも、「神でなくとも回避が可能だった」というときの「神」がカグツチや死に神でないことは明らかだと思いますが。)。

 そういう流れの時に、

新規に言葉を出すならば、定義を書いてからにしてください
ここでの「神」は、一神強教えでの「The GOD」ですか?多神教での神ですか?比喩的な外科の神ですか?朝日新聞曰くの死に神ですか?
言葉と論理をもって商売している以上、他者に通じない言葉の使用は控えてください
誰にも理解できないモノはゴミですから

(by sakimiさん)というコメントを敢えて挟む精神構造というのが私には理解できません。冗句としての面白みはありませんし、本気だとしたら、この人にご理解いただく文章を書くのは非常に困難かと思います。

27/07/2008

架け橋にはならない?

 矢部先生からトラックバックをいただきました。

 私にとっては「議論」というのは手段であって目的ではないので、「かなり突っ込んだ議論がされて」いたというだけで満足してしまう方とは志の違いを感じてしまいます。この辺りは、「匿名での議論」で満足してしまい現実社会とコミットメントしてくれない方々に感ずる違和感と同一線上にあるので、ネット上では私の方がマイノリティなんだろうなとは思うのですが。

 全国医師連盟ではその後「部分免責」と表現を変えているではないかといってみたって、これだけでは「医療行為のうち、そのような『部分』の免責を要求しているのか」が伝わらないので、あまり意味があるようには思いません。「医療行為を部分免責する議員立法をせよ」と求められたって、国会議員だって応じようがないでしょう。

 で、立法部門に正確に伝わらない要求が「法改正」という形で実現する可能性ってほぼないではないですか。いくら一部の医師が「俺たちの要求を丸呑みしなければ、逃散だ!医療崩壊だ!」と脅してみたって、何を要求しているのかがわからないのですから。

 医療と法律の架け橋になるとかいいつつ、その程度のこともやってあげる気がないと言うことですと、すごい冷たいといいますか、ああそういう人なんだなと感じてしまいます。

「善解」しない読み手に食ってかかる立法請願って?

 大屋先生のブログで私のことに言及していただいています。

 大屋先生は矢部先生について非専門家による意図と表現のギャップを解消する必要に、(文字通り)元検察官であるモトケンさんがかなり自覚的と仰っていますが、著作権法の改正等に関してはロビー活動までボランティアでやってしまっている私の目から見ると、特定の弁護士のブログでコメント欄を活用して医療過誤訴訟問題について延々と議論していながら、立法府に対する要求項目を、少なくとも法令の制定ないし運用の「プロ」から不用意に誤解されるおそれが小さい言い回しで練り上げることができていないということ自体が信じがたいです。私に見落としがあるのかもしれないのですが、「そういう表現だとこんな風に受け取られるから、こういう表現にした方がよいのではないですか」みたいな提案って、あのブログではあまり行われていないように思うし、実際、それで表現が修正されたということはないわけです。

 大屋先生からは雑多な人々の雑多な主張を洗練して「法的要求」にまとめる仕事の人が同じ態度でいいのかとか、一生懸命当事者の声を確認している最中に審判づらで出てこられると「帰れ」とか言いたくなるよねえと思わなくもない。と暗に批判されているわけですが(暗に、ではないかもしれませんが)、前段については、でも、それって、全国医師連盟の顧問弁護士のお仕事ではないの、とか、矢部先生やあのブログの常連である法律家達がやってあげればいいのでは?等々思わなくはないし、後段については、全国医師連盟なるものを作って国会議員を呼んでのシンポジウムは開くは、連盟としての公式サイトで意見表明するは、という段階でいまさら「一生懸命当事者の声を確認している最中」といわれてもなあという気がしてなりません。ほとんどの人は、シンポジウムで語られ、または公式サイトに記載されている要求事項を文字通りに受け取るのであって、外部ブログのコメント欄の数年分の過去ログを読み解いたりしてその真意を確認しないことはもちろん、全国医師連盟にメールを送るなどしてその真意をただすこともしないわけですから、この時点で会員内の雑多な主張を洗練して「法的要求」にまとめ終わっていないと、運動論としては厳しいように思われます。

 もっとも、刑事免責要求派の方々のその他の要求・提案事項を見る限りにおいては、その求める刑事免責の対象から「医療の不確実性」とは関係のない明らかなミスを除外することについてコンセンサスが得られているようには読み取ることができません。「医療ミスについて刑事罰を科すのは先進国では日本だけ」というプロパガンダや、関係者の法的責任を問わないことが前提とされている米国の航空機事故に関する事故調査委員会と同様の制度を医療事故についても導入すべきとの主張、厚労省が創設しようとしている医療事故調査委員会についてその調査結果が医師の責任追及に利用されることを理由とする反対論、医療行為の結果患者が死亡した場合寿命だと思えという暴論を含め、むしろ、彼らの多くは、その要求事項の文言通り、「医療の不確実性」とは関係のない明らかなミスにより患者を死亡させた場合を含めて、医療従事者を刑事免責せよと要求している可能性が高いのではないかと思います。そのような場合に、「君はこういう風にいっているけど、本当はこういうことが言いたいんだよね」といって「善解」の名の下に自分の価値判断を押しつけるというのは、再主尋問以外ではほめられた話ではないように思います。

24/07/2008

現行の合格者では質が低下するとするいくつかの理由

 日経新聞社が、社説で、

 「質」の問題は部外者には反論のしようがないが、それが司法試験合格者を増やしたせいで実際に起きているのか検証を経たとは思えない。仮に質の低下が事実だとして、では、どこまで合格者を絞れば質が保たれるというのか。質を問題にするのは、競争激化を心配する増員反対派の本音を覆い隠す方便では、と考えるのは邪推だろうか。

と述べています。

 この問いかけについては、「邪推だ」とはっきり言うことができます。

 現行の法曹養成制度には、新規法曹の「質」を引き下げる次のような要素があります。

  1.  法科大学院を卒業することが司法試験受験の必須要素となっているため、法曹志望一本の人しか、新規法曹となり得ない(国家Ⅰ種と併願することができないし、学部在学中に挑戦するだけしてみて駄目ならば民間企業に行くという選択ができない。)
  2.  法科大学院を卒業することが司法試験受験の必須要素となっているため、東京近郊在住者以外は、一旦会社を辞めなければ、司法試験を受けることすらできない。
  3.  法科大学院を卒業することが司法試験受験の必須要素となっているため、学部卒業後、3〜4年は働かなくとも生活ができる程度に恵まれた経済環境を有する者しか、司法試験を受けることすらできない。
  4.  法科大学院における選抜にあたって法的思考力等以外の要素が重視されるため、様々なバックグランドをもつ人が法科大学院に入学しにくくなっており、過去の過ち故に法科大学院への入学を拒まれた者は、司法試験を受けることすらできない。
  5.  法科大学院における教育の目標やそのための手法等につき、十分なコンセンサスや研修等を経ないままに見切り発車してしまったため、法科大学院における教育の効果があまり上がっていない。
  6.  法科大学院において、単位認定が甘いため、当初予定していた「司法修習における前期修習を終了した者」と同等の法的素養を有しない者も大量に法科大学院を卒業し、司法試験の受験資格を有してしまっている。
  7.  司法試験の目標合格者数が高い値に設定されてしまっているために、当初予定していた「司法修習における前期修習を終了した者」と同等の法的素養を有しない者も大量に司法試験に合格させざるを得なくなっている。
  8.  予算の関係で、司法修習期間が1年に短縮されている。
  9.  司法修習は当初の予定に従って法科大学院における教育で従前の「前期修習終了時の法的素養レベル」に到達していることを前提にカリキュラムが組まれており、現実と齟齬が生じている。
  10.  司法修習は当初の予定に従って法科大学院における教育で従前の「前期修習終了時の法的素養レベル」に到達していることを前提にカリキュラムが組まれており、現実と齟齬が生じている。
  11.  新規法曹資格取得予定者の人数が、新規法曹資格所得予定者に対する需要を大きく超えているため、司法修習期間中のかなりの時間を就職活動に費やさざるを得なくなっている。
  12.  新規法曹資格取得予定者の人数が、新規法曹資格所得予定者に対する需要を大きく超えているため、既存の法律事務所でOJTを受けることなく自宅開業を強いられる新規法曹資格取得者が大量に排出される現実的な危険がある。
  13.  新規法曹資格取得者の就職率が低下し、就職できた場合の処遇も悪化した場合に、学部4年次に好条件で民間企業に就職することが選択可能な学部学生にとって、法科大学院に進学すること自体のインセンティブが低下し、優秀な学部学生ほど、法科大学院には進学しなくなる。
  14.  新規法曹資格取得者の就職率が低下し、就職できた場合の処遇も悪化した場合に、他の分野で相応の実績を収めた社会人が、現在の仕事を辞めて法科大学院に進学すること自体のインセンティブが低下し、優秀な社会人ほど、法科大学院には進学しなくなる。

 で、日経新聞社のどこまで合格者を絞れば質が保たれるというのか。という問いかけに対しては、現在の法曹養成システムを前提とすると、多くとも、旧試験における「前期修習終了時のレベル」に到達していない受験生を排除でき、かつ、新規法曹資格取得者に概ねOJTの機会を付与できる程度の人数ということになります。

22/07/2008

その「一部」がどのようなポジションの人を含むのかはとても重要

 過失による医療過誤の全部免責を要求しているのなんて医師の一部に過ぎないからそんなものを問題にするのはけしからんみたいな非難を受けているようです。

 もちろん、私にも医師の友人、知人は少なからずいますので、ネットで声高に「俺たちに刑事免責を認めよ。さもなくば逃散だ。それで困るのはお前らだ」みたいな物言いをする医師ばかりでないことくらいは分かっています。

 ただ、その「一部」がどのような人たちなのかというのは注意する必要があります。

 例えば、全国医師連盟の「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟のシンポジウム」で、世話人である黒川衛先生は、

超党派議連の皆さんは、議員立法を真剣に考えてください。
議員立法の内容は、二つです。

■医師に限らず、救命活動における刑事免責を確立してください。
■損害賠償に変えて、無過失保障制度、患者家族救済制度を国は設立して下さい。
と要求しています。

 これは、普通に読めば、医療行為を含めた救命活動における犯罪行為(まあ、過失犯に限定しているのでしょうが)の全面的な刑事免責と、医療行為について不法行為等に基づく損害賠償を医師等に行わせることをやめて、医師に過失があるか否かにかかわらず、患者ないし遺族に対し国が経済的な補償等を行う制度の創設を求めているという風に読めるのであって、それは、医療ミスによって患者を死に至らしめようが、医師には刑事責任も民事責任を負わせるなと要求しているように受け取ることができます(実際、パネリストとして招待されて登壇した国会議員も、リップサービス抜きでこの提案を撥ね付けているのであり、この要求は相当に反倫理的なものと受け止められていることが想像されます。)。

お気の毒に。

 ネット上では、特定の人物を非難するためだったら、ネット上のどこへでも赴き、どのような主張についても与して見せるみたいな人がたまにいます。で、この種の人々に乗せられて、その特定の人物について公然と悪口をだらだらと語るようになってしまう人々っていうのもたまにいたりします。そのときは、その種の人から、その特定の人物よりも上に立っているかのごとくおだてられるので、とりあえずいい気になってしまうようです。

 とはいえ、ネットの悪弊に深く毒された方々以外の目から見ると、特定の人物の悪口をだらだらと言い合っている姿というのははっきり言って醜いものですから、その人は今後はそういう人物として広く認識されることになるので大変です。特に、現実社会での人格とひも付けをしてブログ等を開設している人が、その種の罠に陥ってしまうと、現実社会での人格もそのように把握されることになりかねないので、難儀な話になります。その種の人々は、現実社会での人格とひも付かないように匿名を用いていることはもちろん、自分ではブログを開設しない根無し草状態だったり、そのハンドル名でブログを開設していたとしてもそのブログではその程度の人格であるという位置づけをすでにしてあったりするので、特定の人物の悪口をだらだらと言い続けている醜い人物だと認識されてもいまさら痛くもかゆくもないのでしょうが、その種の人物に引っかかってしまった人は災難です。

21/07/2008

飯田弁護士のインタビュー

 私たち弁護士の間で、医療過誤に関する業務上過失致死罪に関して造詣の深い元検事といえば、矢部善郎弁護士ではなく、飯田英男弁護士が真っ先に想起されます。その飯田弁護士のインタビュー記事「医師の刑事免責はあり得ない」が、日経メディカルオンラインに掲載されています。

 飯田先生は、 「医師を刑事免責にしないと、医療は進歩しない」と主張する医療関係者がいますが、未熟や無謀と思われる医療まで罪に問われないのであれば、国民は果たして納得するでしょうか。そもそも、医師という職業だけを刑事免責することは、裁判制度の趣旨に反しており、許されません。と述べておられており、ここでいう「刑事免責」を(未熟や無謀と思われる医療を含めた)全ての医療ミスについて免責を求めるものと理解されているようです(聞き手である日経メディカルの豊川琢氏も、その理解が間違っているとは思っていないのでしょう、さらっと受け流しています。)。

 飯田先生はまた、大野病院事件だけをクローズアップし、「不当起訴が増えている」という人もいますが、そういった人たちは、ほかの起訴事例も不当起訴だと思っているのでしょうか。過去の医療裁判の判決をつぶさに見れば、未熟な医療や無謀な医療が有罪になっていることが分かるはずですとも仰られています。私も、飯田先生の著書・論文から、どのような医療過誤が起訴されるに至ったのかを勉強させていただいたので、業務上過失致死罪で起訴され有罪となった案件のほとんどが起訴されても仕方がないものだったと思っております。

本当にそう信じているのですか?

 矢部先生や他の医療系ブロガーの方々が、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除を意味するに過ぎず、従前業務上過失致死罪で処罰されてきた医療ミスについてまで不可罰とすることまで求めているものではないと本気でお考えなのであれば、「医療行為(救命活動)についての刑事免責」だとか「業務上過失致死罪の廃止」等の言い回しは誤解を生むだけだからやめるように何度でも呼びかけたらいいのではないかと思うのです。

 全国医師連盟の「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟のシンポジウム」でも、世話人である黒川衛先生により、

超党派議連の皆さんは、議員立法を真剣に考えてください。
議員立法の内容は、二つです。

■医師に限らず、救命活動における刑事免責を確立してく
ださい。
■損害賠償に変えて、無過失保障制度、患者家族救済制度
を国は設立して下さい。

との呼びかけがなされているわけですが、ここでいう「刑事免責」を医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解せよと出席国会議員に要求しても、それは無理というものです。実際、このシンポジウムでパネリストを務めた橋本岳衆議院議員は刑事免責について、「一つの極端な意見と思う。国民全体の理解を得るのは難しいのでは」と述べたとされており、おそらく文字通りに受け止められ、「極端な意見」として撥ね付けられたものと思われます。

 といいますか、矢部先生も法律家なのだから、従前業務上過失致死罪で処罰されてきた医療ミスについては従前通り処罰される一方、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除を実現するような改正案をお示しになればいいのに、と思わなくもありません。「刑事免責」を声高に主張する一部の医療系ブロガー等が真に望んでいるのがその程度のものだとすれば、それを法律家が正しく法律的な表現に置き換えてあげれば、誤解を生まない要求内容に収斂するはずではないですか。


 なお、Hiroyukiさんという方から、

>一部の医師等は、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張していると解する方が素直かと存じます。
そうです。私も医師ですが、そんなことを主張しているのは小倉さんがおっしゃってる通り一部だと思います。どこの世界にでも出来に悪い人がいますからね。
そんなくだらない主張に対するコメントをするのはおやめになって、多くの医師が感じている、「医学的に妥当な手技が行われているにもかかわらず不幸な結果になってしまったケースは刑事という手続きをとるべきではない」という意見に対するコメントが、是非我々医師としても聞いてみたいです。

とのコメントをいただきました。

 刑事という手続きをとるべきではないという言葉がどの程度のことまでを意味するのか不明ですが、「刑事罰を科すべきではない」という意味であるならば、適切なインフォームド・コンセントが得られており、医学的に妥当な手技が行われているという場合には、それが当時の医師の倫理基準を満たしている限り、現行法でも刑事罰の対象とはなっていません。「当時の医師の倫理基準を満たしている限り」という限定は、学内での倫理委員会の承認等を得ずに行われた臓器移植等を想定しています。

 刑事という手続きをとるべきではないという言葉が、そもそも「警察、検察等は捜査を行うべきではない」という意味で用いられているのだとすれば、それは無理だというよりほかありません。「医学的に妥当な手技が行われてい」たか否かは、捜査を行うことで初めてわかることだからです。

 刑事という手続きをとるべきではないという言葉が、刑事裁判手続に乗せるべきではないという意味で用いられているのだとすれば、それを法改正により実現することは不可能ですが、検察官が医師を起訴する前に、医療現場で何が行われたか、そしてそれは医学的に妥当であったのかに関する正確かつ十分な情報を捜査担当検事に提供する仕組みを作り、運用することで、これを相当程度防止することができます。厚労省が創設しようとしている事故調査委員会などはそういう意味で役に立ちそうだと思うのですが、医学的に妥当な手技が行われていなかったとの報告書が作成されたとしても医師を刑事免責するとの保証が得られなければ賛同できないとして、一部の医師の反対を受けているようです。

The Patient Safety and Quality Improvement Act?

「新小児科医のつぶやき」というブログの、「事故調法案化情報 医師法21条周辺編」というエントリーのhot cardiologistさんという方のコメントとして、
あ〜〜ん、もう、みんな、診療関連死の刑事事件を行わわず医療者を守る法律がちゃんとあるのに〜〜、やんなっちゃう。 ヨーロッパやオセアニア、カナダにも似たような法律(ACT)があるんだよね〜〜。
アメリカ、2005年制定。
The Patient Safety and Quality Improvement Act of 2005
http://www.ahrq.gov/qual/psoact.htm
法律の条文はこっちね ↓
http://frwebgate.access.gpo.gov/cgi-bin/getdoc.cgi?dbname=109_cong_public_laws&docid=f:publ041.109
というのがありました。ただ、この法律は、法文やその解説を読む限り、医療機関により「Patient Safety Organizations」に報告された情報等に関し医療機関等をディスカバリ等から保護するというものであって、「診療関連死の刑事事件を行わわず医療者を守る法律」ではないように読めます。

実務法曹においては、依頼人等を擁護したいあまりに、依頼人等の「言っていること」を、自分の倫理観等にあわせて「善解」しすぎないことが重要

 また、矢部先生から、意味不明の批判を受けています。

 NATROMさんという方から、「相変わらずわら人形。「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるのなら有効な主張だけど。小倉氏の脳内にはいるんだろうな。」とのはてなブックマークコメントをいただきましたので、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるかを見てみたわけです。

 その過程で私は、特に技巧的なテクニックを用いることなく、記載されている文章を最も素直に解釈しています。私が紹介したエントリーを見て、そこで主張されている「刑事免責」という言葉を「医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除」の意味に留まるものと理解することは困難です。

 しかも、矢部先生が、これは誰が見ても医師または看護師の過失だ、というような事例に対して刑事免責を主張しているわけではなく、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解することもできますとしている根拠は、医療側から刑事免責という主張が出てきた経緯、すなわち、青戸病院事件で検察の起訴判断に疑問を投げかける意見が散見され(この件では医療側の大勢も起訴を不当とは見ていないと思いますが)、割り箸事件では検察の起訴判断に対する批判の声が大きくなり(地裁では無罪になっています)、大野病院事件において検察批判は決定的な検察不信にまで高まい、また、近時のいくつかの医療過誤民事訴訟の裁判例によって裁判所不信も生じていることも窺われるという流れで医療側からの刑事免責の主張が出ているとの点のみで、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解することもできるとされています。それだけの根拠からそのような技巧的な解釈をすることが「できる」のかも問題だと思いますが、そのような技巧的な解釈をせずに日本語の通常の理解に沿って解釈することを平然と脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないだの印象操作をしているだの言ってしまうのはいかがなものかと思うのです。

 私はさらに一部の医師が、「医師に重過失がある場合であっても、刑事手続に移行すべきではない」との意思を表明している例や、医療ミスにより患者が死亡した疑いがある場合に警察が詳しい死因を調べることすら医学も医療もわかっていない警察がこういった事件に介入すべきではありませんとして非難している例を紹介しています。また、一部の医療系コメンテーター等は「医療ミスに刑事罰を科すのは先進国では日本だけ」等と称して我が国において医療ミスに刑事罰が科されていること自体を非難しています。

 さらにいえば、一部の医師や医療系コメンテーター等は、「医療事故調査委員会」を設立して医療事故の原因調査等を医師等を交えて行うこととしようという厚労省の計画について、医師の刑事免責が得られない限り反対だといっています。「医療事故調査委員会」による報告書というのは必ずしも医師の医療行為に問題があったと報告するものとは限らず、むしろ専門の医師が原因調査に早期の段階で相当程度関与することにより医師の医療行為に問題がなければそのことがその報告書を通じて早い段階で検察等に伝わるわけですから、同業者から見ても医師または看護師の過失だというような事例に対して刑事免責を主張しないというのであれば、積極的に賛同されても良さそうなものです。これらの諸事情を勘案するならば、むしろ、一部の医師等は、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張していると解する方が素直かと存じます。

 矢部先生からは 

特に、実務法曹は、依頼人や相手方の「言っていること」だけを考えればいいのではなく、「言わんとすること」または「言いたいこと」を汲み取るということがとても重要であると考えています。

とのお言葉をいただいておりますが、むしろ、実務法曹においては、依頼人等を擁護したいあまりに、依頼人等の「言っていること」を、自分の倫理観等にあわせて「善解」しすぎないことが重要です。

20/07/2008

日弁連は、新規法曹取得者の就職問題への関与をやめよう。

 法曹人口問題に関して言えば、現在のペースで司法試験合格者を増やしても、多額の奨学金を抱えた失業者を増やすことにしかなりません。法科大学院の先生方や町村信孝元文部大臣(現官房長官)がいかに弁護士会を非難しようとも、そこまでの需要はなかったのですから、仕方がありません。

 現在はなぜか、この失業者問題について日弁連が勝手に責任を負っており、それゆえ、法科大学院関係者や文教族の議員さんから攻勢を受けています。しかし、これはおかしな話です。

 日弁連としては、新規法曹資格取得者の就職問題については一切コミットしない、新規法曹資格取得予定者の就職問題については、各出身法科大学院の側で対処してもらいたい、と宣言すべきではないかと私などは思ってしまいます。日弁連は、新規資格取得者を雇用した場合はその出身法科大学院と雇用条件の報告を会員に対し求め、各法科大学院ごとの就職状況を情報として公表していくことくらいにとどめておいたらいいのではないかという気がします。また、新規資格取得者のうち、最初から事務所を開業した者の、出身法科大学院ごとの数も、公表したらよいのではないかと思います。

医師に重過失があった場合でも刑事罰を科すべきでないとする一部の医師は、ウログラフィン注射液を患者の脊髄に注射する医師に刑事罰を科すことには賛同するのでしょうか。

 医療介護CBニュースの「医師の過失を処罰すべきか」という記事によれば、厚生労働省が「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」にて、事故調査委員会から捜査機関に通知すべきケースを「重大な過失」に限定し、軽過失を刑事手続きに移行させないことを明確にしたが、医療界や一部の法律関係者などの間では、医師の過失を処罰する考え方に反対する意見もあると報じられています。確かに、重大な過失のある行為で患者を死亡させた場合にも「正当な業務行為」とするのは、国民の理解を得にくいとしたあとに、では、「許された危険の法理」によって違法性は阻却されないか。医療行為は人の死に直結する危険性を持っているが、それは患者の生命を守ろうとする善意の行為であるから、「社会的に有用な行為」として正当化されないだろうかとの話が続いていますから、ここでは、医師に重過失がある場合にも医師が刑事罰を科されないようにすることが要求されていると読むのが通常です。

 そして、ひとりの医師として、そして父として、最愛の我がこどもたちのため、日本が、そして医療が荒廃していく記録を残しておこうと思う。とされる天夜叉日記の「医師の過失を処罰すべきか 狂った厚労省「死因究明の在り方に関する検討会」というエントリーでは、この記事を受けて、私は、現在のように医療の専門家でもない裁判官が医療訴訟の判断を下していることは、日本社会の未熟さだと思っています。と述べた上で、

>厚労省の「死因究明の在り方に関する検討会」では、「重過失の場合に刑事手続きに移行するのは当然だ」という考えで合意している。

極めて異常な医師数抑制政策や医療費抑制政策を改めることなく、『ミスをした医師に厳罰を与えれば、国民の恨みは解消され、医療はよくなるのだ』といった考え方をする日本の医療事故調査委員会構想。

海外からみていて、医療の現状を無視した「狂った考え」に基づいて暴走しているようにしかみえません。

と述べていますので、「医師に重過失がある場合であっても、刑事手続に移行すべきではない」と考えていると読み取るのが普通かと思います。

 このように、医師に重過失がある場合であっても医師に刑事罰を科すべきではないと考えている方々が、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除だけで満足するようには私には思えませんし、「かつてウログラフィン注射液を間接造影検査に使用したことがあったことから脊髄造影検査にも使用できると誤信して、脊髄造影検査を行うにあたり、ウログラフィン注射液を患者の脊髄に注射して死亡させたという事案」について医師に刑事罰を科すことには賛成してくださるようにも思えません。

 さらにいうと、天夜叉日記のブログ主は、「医療を守り、医療過誤の再発を防止するために、『医療過誤には、警察が介入するな!!』」とのエントリーにおいて、内科に入院していた高校1年の男性患者に対し、女性看護師が誤って静脈に抗てんかん薬を注射し、患者が死亡した事例について、業務上過失致死の疑いもあるとみて、警察が詳しい死因などを調べているとのニュースについて、

医学も医療もわかっていない警察がこういった事件に介入すべきではありません。
と主張されています。このエントリーを読む限り、「臀部(でんぶ)などに筋肉注射すべきだった抗てんかん薬「フェノバルビタール」300ミリグラムを、患者の左腕につながれていた管を通して静脈に注射」することを「医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域」とこのブログ主自身とらえているようには読めないのですが、それでも警察がこういった事件に介入すべきではないと主張しています。このブログ主であれば、「脊髄造影検査を行うにあたり、ウログラフィン注射液を患者の脊髄に注射して死亡させたという事案」についても「医学も医療もわかっていない警察がこういった事件に介入すべきではありません」と言ったとしても何の不思議もありません。

19/07/2008

書き手の「言いたいこと」を認識するに当たって、直接書き手と連絡をとってその真意を確認しなければならないのでしょうか。

 前回のエントリーについて、矢部先生から不思議な反論がきています。

 記載された文章を通常の用法に従って読みくどくことによって、書き手の「言いたいこと」を認識する、というのは、当たり前のことだと認識していました。書き手の「言いたいこと」を認識するに当たって、直接書き手と連絡をとってその真意を確認するというのは一般的ではないし、そこまでしなければその「書き手」がその文章で何を言わんとしているのかを認識してはならないとの規範は我々の社会には存在しないものと思っていました。

 矢部先生は、

確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思います。
と仰っています。それが、「書き手」が医師ないし医療系ブロガーに限定されず、読み手ないし批判者が私である場合に限定されない一般論として仰られているのだとすると、矢部先生はもはや「批評」ないし「文章の解釈」ということ自体を否定されているということになります。「書き手」が医師ないし医療系ブロガーに限定され、かつ、読み手ないし批判者が私である場合に限定される話だとするならば、それはいわば「言いがかり」ということができます。

 さらにいえば、矢部先生は、

 刑事免責を主張する医療側の論者も、小倉弁護士の指摘した事案についても刑事免責を主張するかどうかは必ずしも明確ではありません。たぶん、しないでしょう。
ということを、それぞれの書き手に「確認もせずに決めつけて」擁護しているともいえます。さらにいえば、前回のエントリーで紹介した文章から、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解せよと言われてもそれは無理というものです。

 医師ないし医療系コメンテーターのそれまでの主張を前提として解釈すると、話はより悲惨です。例えば、「Doctor Takechan」という医師の「医療事故調第3次試案の闇」というエントリーのコメント欄で、鶴亀松五郎さんという方は、

(1)第一に駄目な点、先進国では故意や悪意の医療、すなわち最初から殺人または加害目的の医療行為(以前、イギリスで起きたようにGPの医師が患者を次々と毒殺して財産を横取りした事件、オーストリアでナースと医師がケアハウス入所中の高齢の患者に過量のインスリンを注射して大量殺害した事件など)以外は、刑事罰にとってはいません。

故意や悪意ではない診療関連死を刑事罰にしていたら、医療そのものが成立しなくなりますし、医療専門職のなり手もなくなります。

そうしないために、先進国は故意と悪意の医療行為以外は刑事罰を課さないのです。

と述べ、
とどのつまり、診療関連死を業務上過失致死にしないように法律を改正すれば済むだけです。
としています。この文章を読んだときに、「この書き手が望んでいるのは、『医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除』である」と読み取ることは不可能でしょう。そして、このコメントについて、ブログ主は、 私より何倍も論理的で的確だな〜、と感心しきりです。と述べているわけで、医療系ブロガー等の要求は、医療行為については、故意がない限り、一律に刑事免責をするという点にあると見るよりほかにありません。

 なお、医療ミスに関して業務上過失致死罪が適用されて有罪となったケースのほとんどがこのような「医療行為の不確実性」とは無関係な事案なのですから、これらを、医療行為を業務上過失致死罪の対象とすべきか否かを論ずるに当たって念頭に置くことが難しいほどの例外事例であるかのようにいうのはごまかしだと思います。

NATROMさんからみた藁人形って何?

 前回のエントリーに対し、NATROMさんという方から、「相変わらずわら人形。「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるのなら有効な主張だけど。小倉氏の脳内にはいるんだろうな。」とのはてなブックマークコメントをいただきました。

 そこで、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるかを見てみることとしましょう。

 「元外科医のブログ」における「医師らの刑事免責確立を」というエントリーをみると、立法による刑事免責は現場の医療人から見れば最低限の要求だろう。とあり、刑事免責の対象について特段の限定は付されていません。そもそも過失犯に対して刑罰を科しても社会に対する予防効果は全くない諸外国では医療事故や航空事故、原子力発電所などの大きなシステム事故は刑罰を科すより当事者に真実を語らせる方が社会にとって遙かに有用なことと考えられている。過誤を犯した人間に対するペナルティは免許停止などの行政罰再教育などの方が適切である。結果が悪ければ個人に刑事責任を追究するのではリスクのある業務が成り立たないと言うことは自明のことであとの文章からすると、少なくとも業務上過失致死罪に関しては「全ての医療ミスを免責せよ」と主張しているように思われます。

 うろうろドクターさんの「ボールペン作戦で『医師の刑事免責確立を』 」というエントリーでも、産科を始めとする急性期医療を守るためには、刑事免責は絶対条件です。とされています。刑事免責を受けるべき場面は「急性期医療」に限られるのかもしれませんが(善解すればそうだというだけで、文面からは、「急性期医療」をダシにして、全ての医療活動の全ての医療ミスの刑事免責を求めているとも読むことができます。)、内容としては、不確実性の高い合併症に限定して刑事免責を求めているというわけではなさそうです。実際、うろうろドクターさんは、こちらのエントリーでは、われわれは別に、私文書偽造や詐欺、殺人や障害罪などを免責しろといっている訳ではないのです。業務上過失致死傷罪を廃止して欲しいのです。と述べています。これは、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している ものと受け取るのが普通です。

 ssd's Diaryの「経済行為としての医療紛争の考察2」というエントリーでは、故意犯以外は、刑事にするのは、論外です。と述べられています。これもまた、「すべての医療ミスを免責せよ」との主張だと思われます。この記載に引き続いて、医療関係者を刑事免責をしろという主張に対して、「医療関係者を特別扱いするわけにはいかない」という反論があります。しかし、よく考えてみると、中学生あたりに説教しているときに「なんで、こんなことしたんだ。」 「みんなやってるじゃん」並に頭の悪そうな言明です。とありますので、医療関係者を特別扱いしようとしない人を中学生並みに頭の悪い人だと思っているのでしょう。

 また、以前ご紹介した、全国医師連盟が現在の医師達の気持ちを代弁する声として紹介している準備委員会会員による「産科崩壊阻止のための対策要望書」では、医療の結果に付き、刑事責任免責として下さい。これは全ての科に必要です。出産には産婦人科、麻酔科、外科、小児科、内科が関わり合いますから、産科だけでは無意味です。 最近は外科、救急医療が崩壊中ですから、必ず必要です。としています。これは、そのような医療の結果を引き起こした原因がどのようなものであるのかを問わず、一律に、 刑事免責を求めているように読めます。そして、それは現在の医師達の気持ちを代弁していると、全国医師連盟では考えているということのように思われます。

 また、医療介護CBニュースの記事によれば、日本脳神経外科学会は、「犯罪」以外の医療行為への刑事免責を確立するよう、「検察庁、警察庁と文書を交わしてほしい。と要望したとのことです。現行法では業務上過失致死罪も立派な犯罪なので上記要望はトートロジーではないかと思うのですが、ここでいう「犯罪」を「故意犯を指すもの」と善解した場合には、(過失による)「すべての医療ミスを免責せよ」と主張しているように読めます。

 また、特定非営利活動法人医療制度研究会の中澤堅次さんは、「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案―第三次試案―」の感想」という文章の中で、故意で無い限り救命の意図の中で起きる 医療事故の刑事免責は臨床側には譲れない一線です。 と述べておられます。医療活動にかこつけて故意に患者を死なせるというのはもはや「医療ミス」ではありませんから、中澤さんのご意見もまた、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張しているように読めます。

 「ACTION 日本を動かすプロジェクト|テーマ2・医者不足の真相|とても大事な「制度作り」です。大いに注目しましょう。(第8回)」というページのコメント欄に寄せられた「ある内科医」さんの医療事故での「医療者の刑事免責」は、「国民の安全」を守る為に必要な事です。それが医療事故の減少につながるのです。というコメントも、 「すべての医療ミスを免責せよ」と主張しているように読めます。

 ちょっとGoogleで検索しただけでわんさか出てくるものを、あたかも実際には存在せず、私が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われても困ってしまいます。

過ちは繰り返される、表示は無視される。

 引き続き医療過誤で医療従事者が刑事罰を科されるのはどういう場合かを見てみましょう。

 まず前提として、尿路血管等用の造影剤を脊髄硬膜外腔に注入して患者を死亡させた事案は昭和30年代に確認されており、さらに、尿路血管用造影剤ウログラフィンを脊髄造影用に脊髄に注入して患者を死亡させたことにより第一審で医師が実刑判決を受けるという事案が平成元年にあり、このため、平成3月11月には、ウログラフィンの添付文書に「本剤を脳・脊髄腔内に投与すると重篤な副作用が発現するおそれがあるので、脳槽・脊髄造影には使用しないこと」との表示がなされ、さらに、容器にも「尿路・血管用」と表示され、外箱にも、「脊髄造影禁止」との表示を赤枠で囲んで表示されていたということがあります。

 甲府地裁平成6年6月3日は、それにもかかわらず、医師が看護婦が差し出した尿路血管造影剤であるウログラフィンを脊髄造影剤であるイソビストと誤信して患者の脊髄腔にに注入して死亡させた事案です。

 沼津簡裁平成9年10月9日は、かつてウログラフィン注射液を間接造影検査に使用したことがあったことから脊髄造影検査にも使用できると誤信して、脊髄造影検査を行うにあたり、ウログラフィン注射液を患者の脊髄に注射して死亡させたという事案です。

 福島簡裁平成10年3月24日もまた、脊髄造影検査を行うにあたり、ウログラフィン注射液を脊髄腔内に注入して患者を死亡させたという事案です。

 ここで気がつくのは、ウログラフィンを脊髄腔内に注入したことにより患者を死亡させたという事例がすでに多発しており、「本剤を脳・脊髄腔内に投与すると重篤な副作用が発現するおそれがあるので、脳槽・脊髄造影には使用しないこと」という表示を製薬会社が目立つように行っていたとしても、これらの医師たちはなおもウログラフィンを脊髄腔内に注入し続けたという点です。

 で、これらの医師をも免責する刑事免責制度を導入すべきなのでしょうか。

18/07/2008

「極論」といえば反論した気になれる。

 業務上過失致死罪に関する刑法第211条を削除する、あるいは、211条に第3項を設けて医療行為により人を死傷させた者については業務上過失致死罪の適用を排除するということになれば、患者の血液型を確かめもせずに勘で「こいつはA型に違いない」と決めつけてA型の血液を輸血して実はB型であった患者を死に至らしめる行為も不可罰となります。これは極論ではなく、そのような法改正を行えば当然そうなるけれどもそれは妥当なのかとして、当然行われるべき検証の一つです。ネットの匿名さんは、極論とか藁人形とかというどこかで覚えた単語を使えば反論ができた気になる傾向があるようですが、立法論や法の解釈論を行うにあたっては、相手が提案したルールを、想定可能な他の事例に当てはめた場合にも結論の妥当性があるのかを検証するのは、極論でも藁人形論法でもありません。

 といいますか、現行刑法の下で、業務上過失致死罪で処罰されている例はそのまま処罰して構わないと言うことであれば、敢えて「刑事免責」など求める必要はないわけであって、それにも関わらず医療系コメンテーターがことさらに「刑事免責」を求めるということは、これまで業務上過失致死罪で処罰されてきた事例でも刑事罰を科されないようにしたいということを意味します。で、実際、医師が刑事罰を科せられた裁判例を調べていくと、この種の初歩的なミスが山のように出てきます。

 なお、novtanさん例えば、特定の医療行為に免責が認められたとしても、その行為全てに適用されるわけではなく、ある一定の基準を満たしている場合、免責される、ということになるべきってのはそこそこ統一された見解だと思うのですけどね。といっているようですが、どこを見たらそんなことが言えるのか不思議でたまりません。mohnoさんの助け船に医療系の方々は誰も乗らなかったことから分かるとおり、彼らは上記のような例でも医師は免責されるべきだと考えているのです

匿名至上主義者さんの勝ち誇ったような顔が目に浮かぶようなニュース

 この記事によれば、匿名さんによる誹謗中傷は、被害者から仕事を奪うツールとして着実にその影響力を築き上げているようです。事実無根であることが判っていても、その種の連中の執拗さを相手にしていられないということで、被害者は仕事を干されてしまうわけですから、たまりません。「匿名でなければ言えないこと」を匿名で言いたい放題言える社会を作り上げた末路なんて所詮こんなものです。まあ。この程度で「末路」なんていっていると、実際に発生している、もっと陰湿な事案をどう表現したらいいのか判らなくなるのですが。

 こうやって匿名による暴力に屈する大人たちがいる限り、匿名の陰に隠れて安全なところから特定の他人を不幸にしようと日々精進する陰湿な連中が社会でのさばるのでしょうね。そして、そういう連中がもたらす巨大な「アクセス数」をお金に換えて利益をむさぼる連中やその周囲にいてそのおこぼれに預かろうとする太鼓持ちたちが、「匿名表現の自由は守らなければならない」なんてきれい事をはき続けるのでしょうね。顕名表現に対してすら国家権力による不当な干渉がほぼ存在しない現代の我が国では、もはや「匿名表現の自由」は、「私的制裁の自由」「匿名による違法行為の自由」とほぼ同義となっていることを重々承知しているでしょうに。

17/07/2008

医療崩壊を防ぐため、どの型の血液を輸血するか勘に頼ってもよいということにすべきか。

 医療従事者に刑事免責が認められると、刑事訴追される心配をせずに、どのようなArtfulな医療行為を行うことができるようになるのかは、実際に医師が刑事罰を科された裁判例を見ることにより予測することができるでしょう。幸い、法律家の世界では、医師に刑事罰が科せられた事件について、まとめて類型化した文献がいくつかあります。

 例えば、輸血を行うに当たって、看護婦も医師も診療録を見て患者の血液型を確認せず、凝集溶血反応を十分に視認観察を行うことなく、異種の血液型の血液を輸血し患者を死に至らしめた羽曳野簡裁平成2年1月9日では、看護婦は、その患者は同室に入院していた他の患者と同じ血液型であるに違いないと決め打ちして、A型の血液を取り寄せるというArtfulな行為を行ったわけです。医療従事者に刑事免責が認められると、どの血液型の血液を患者に輸血するかは、看護婦の勘に頼ることができることになります。

 大阪簡裁平成3年6月14日や、坂田簡裁平成8年10月29日は、いずれも、看護婦が血液の入った容器の表示を確認せずに、輸血すべきでない血液を輸血して患者を死亡させた事案です。医療従事者の刑事免責が認められると、看護婦は、輸血用の血液が入った容器を適当につかんで医師に手渡すことが許されます。それで、患者が死ぬか否かは、まさに「医療行為の不確実性」ということになるのでしょうか。

 あるいは、国民が医療にかけるお金が少なすぎるので、医療従事者としては、輸血を受けようとする患者の血液型などいちいち注意している余裕がない、診療録も、容器に記載された表示も、見ている暇がないと言うことなのかもしれません。

首を晒すか否かって重要?

  「日本での日本語での報道自体が外国の報道機関に把握されている今の時代に」というエントリーに対し、guldeenさんから、こんなもん、毎日がライアン・コネルの首を晒せばそれで済む話。というはてなブックマークコメントをいただきました。

  「日本人に対する間違った見方を修正したい」ということが「達成すべき課題」だとすれば、「毎日がライアン・コネルの首を晒」したかどうかなんてものは些末的な話だし、晒したからってそれで何かが済むのかというと何も済まないように思えてなりません。それで済むと考えているのは、結局、WaiWaiの記事によって日本人がどのように見られるようになったのかなんていうのは、本当はどうでもよくて、マスメディアを攻撃するネタに使いたいだけだからではないかとの疑問が生じてしまいます。

 「Anger over Mainichi WaiWai column continues…」という記事のコメント欄などを見ていると、日本人に変態が多いみたいな偏見はむしろ日本のAV等がYouTube等で世界中から視聴されることにより生み出されているのではないかみたいな意見があって、それはそれで結構当たっているなという気がします。その種の記事を読んでそれを信じてしまう程度の人たちって、そんなに文字Only情報を読みたがる人たちなのかいな、それより映像メディアに影響を受ける人たちなのではないかいな的な話だったりします。

 これに対しては、毎日新聞のような一般紙を出している会社が英文Onlyの別働隊とはいえそういう記事を出すことが問題なんだみたいなみたいな反論もあるのですが、日本の実情に無知な人たちが日本国内における毎日新聞社の立ち位置なんか理解しているのだろうかということを疑問に思ったりします。海外のホテルで日本語の新聞を部屋に届けてもらうサービスを受けるに際して毎日新聞を選択できるケースって私は体験したことがありませんし。

16/07/2008

「医療行為はartだから、ミスをしたとして医師を糾弾するのはおかしい」という意見について

 矢部先生のブログのコメント欄によれば、医学は学問でも,我々臨床医の行なう「医療」はartです.そしてartに「ミス」と「ミスでないもの」の線引きができないのはある意味では当然のことだと思います.(by Level3さんの269番発言)なのだそうです。

 しかし、本来死ぬような病状ではなかった家族が医療行為の結果死亡してしまった場合に、

 我々臨床医の行う「医療」はartです.そしてartに「ミス」と「ミスでないもの」の線引きができないのです。例えば、イチローでも毎回確実にヒットが打てないのは仕方が無いと考えるでしょう?例えばイチローがド真ん中の直球を空振りしたら「ミス」でしょうか?それは糾弾すべきことでしょうか?それは糾弾すべきことでしょうか?ちがうでしょう? 同様に、多くの医師が普通に治療できるであろう患者について普通の治療をできずに患者を死に至らしめたとしても、これを「ミス」として糾弾するのは間違っているのです。

みたいな説明を万が一された場合、納得できないことは予想するに難くありません。

 どうも、一部の医療系コメンテーターさんたちは、患者やその家族の側が「医療の真の姿を理解」していないから、そのように考えてくれないのだとお考えのようなのですが、それも如何なものかと思います。むしろ、イチローがド真ん中の直球を空振りした場合も「ミス」として認識されうるが、それによりもたらされる害悪の程度が小さいために、さほど糾弾されないというのが実際に近いのではないでしょうか(「この一打でワールドシリーズ出場が決まる」という打席で、ド真ん中の直球を空振りしてチャンスをつぶせば、それなりに糾弾される可能性はあると思いますが。)。

日本での日本語での報道自体が外国の報道機関に把握されている今の時代に

 WAIWAI問題で執拗に毎日新聞を攻撃している人々のコメントを見ていると、対韓国等に対する毎日新聞社の姿勢に絡めようとしている人々と、医療問題に関する毎日新聞社の姿勢に絡めようとしている人々がやたら頑張っているようです。

 この人たちは、結局、もともと毎日新聞の報道姿勢が気に食わなかったのであり、WAIWAI問題というのは、その気に食わない毎日新聞を倒産に追い込むためのネタに使おうとしているだけのように見えます。なるほど、ネタ元への責任追及に発展したり、英文で対抗言論を作成し発表しようという方向に流れないわけです。

 いまは外国の報道機関等も、日本語のできるスタッフが日本語で日本国内で出版されている雑誌等を読んで本社に報告することが普通に行われている時代ですから(WaiWai問題は、外国の報道機関が行うことを、日本の報道機関の英文誌セクションが行ったというにすぎないのです。)、日本を誤解されないようにするためには、日本語で掲載された雑誌のエロネタセクション自体をどうにかしないとならないはずです。ただ、そうなると糾弾の対象を、保守系メディアに広げないといけなくなりそうではあるのですが。

業務妨害行為者と「言葉の戦争」をすることは無意味ではないか。

 essaさんが次のように述べています。

何度裏切られてもまた期待してしまうのですが、暴力団ではないんだから、最低限、社会と言葉のやりとりをしてほしいと思います。どんなに食い違っててもいいから、「新聞とはこういうもんだ」と言って、言葉で戦争してほしい。言葉を抑えこむような戦争はしないでほしい。

 しかし、相手の言動が気にくわないからといってその広告主に働きかけて広告の出稿を取りやめさせて相手を兵糧攻めするがごときは、「言葉の戦争」ではありません。単なる「業務妨害」です。業務妨害を行うことで言論を弾圧しようという輩を相手に語る言葉など、新聞社とて持ち合わせていないでしょう。それに、どんなに言葉を紡いだどころで、特定の目標を設定し、それに向かって着々と業務妨害行為を行っている人たちの心には響かないでしょう。

 事ここに至っては、毎日新聞としては、インターネット部門からの収入を当面あきらめてでも、毅然とした態度をとるしかないはずであり、ここで妙な妥協(毎日新聞に対する攻撃を煽っている人たちの声を代弁する新聞へと思想を右展開させることとしたり、彼らをとりまとめてくれる人物に利益を供与したり等々)をすることがあれば、それこそ報道機関としては終わったというべきでしょう。毎日新聞が終わるだけならばいいですが、彼らがこれに味を占めてしまうと、彼らの意に沿わない報道をするとまた同じ目に遭ってしまうと言うことで、日本の広告ベースの商用メディアのほとんどが「国威発揚」に沿わない報道を自粛せざるを得なくなるかもしれず、その弊害は図りしれません。

14/07/2008

「多少の医療ミスがあったとしても目をつぶるべき」とのコメントが容認されているブログって、どこがレベルが高いのだろう。

 mohnoさんがいかに助け船を出そうが、結局、矢部先生のブログのコメント欄に投稿する医療系コメンテーターって、多少の医療ミスがあったとしても目をつぶるべき(by うらぶれ内科 さん)とか、医療訴訟で多額の賠償金をもらって喜ぶのはごく一部の患者家族だけです。損をするのは現場の医師というより、同じ治療を受けられなくなる後続の患者さん達なのですとして刑事免責と民事免責(同等のもの)を要求するもの(by uchitama さん)が横行するのですね。医療系コメンテーターを批判する私にいちゃもんをつけてくる一部の匿名さんは、「多少のミス」をして患者を死に至らしめることまで「まともな医療行為」に含めるのかもしれませんが。なお、「医療訴訟で多額の賠償金をもらって喜ぶのはごく一部の患者家族だけ」との表現は、医療過誤訴訟の原告たる患者の遺族をずいぶんと馬鹿にした表現だと思いますが、この種の表現はあそこのブログ主によって容認されているようですね。

 なお、人命に関わるような物の設計ミスは、やる気さえあれば確実に防止できます。やらないのは味噌も糞も一緒くたに扱う昼寝さんのような思考形態の持ち主か、人名などそっちのけで費用と効果をはかりにかける金儲け優先主義者が製造会社に多いせいでしょう。(by 福田恒存をやっつける会会長 さん)なんていう、他のコメンテーターさんや、他の業界を不当に貶めるような表現でも、お医者様を批判するものでないからでしょうか、容認されているようです。

 私の目から見るときに,医療ミスを設計ミスと同じように扱うのはいかがなものかと思います.むしろ,製品の歩留まりと同じようなものと考えるべきではないでしょうか?歩留まりが100%でないことを理由として,刑事罰を受ける業界がありますか?(by タカ派の麻酔科医 さん)との発言からすると、医療ミスにより患者を死に至らしめる程度のことは「製品の歩留まり」と同じようなものであると、あのブログに投稿するような医療系の方はお考えのようです。怖い話です。この考えのもとでは、医療ミスによる患者の死をどの程度減少させるかは、歩留まり率を上げることによる利益とそのために要するコストとを対比して、医療機関側が自由に決定しうるということになります。しかも、医療ミスなんて所詮歩留まりのようなものだから法的責任を医師に負わせることはおかしいということになると、医療機関としては、医療ミスによる患者の死を防止するメリットは「評判の向上」しかないわけですから、医師人口が過剰となって医師の間の競争が激化しない限り、コストをかけてまで医療ミスによる患者の死を防止しようというのは経済合理性を欠くということになりそうです。

13/07/2008

理系白書ブログへのコメントスクラムについて

 毎日新聞の記者が解説する「理系白書ブログ」が、匿名さん集団に荒らされているようです。ブログ主に何の問題もなくとも、匿名さんによるコメントスクラムに晒される、という一つの例です。

 この場合、匿名のコメンテーターさんを満足させるためには、ブログ主は、自分の勤め先が発行する新聞を廃刊するなど勤め先の経営方針を左右できる存在になるか、または、勤め先を辞めざるを得なくなりそうです。まあ、常識的に考えて、前者は実現が容易ではありませんし、後者は経済的な合理性を欠きます。つまり、言うだけ無駄なことを言っていることは明らかに認識しうることであって、単に嫌がらせをして喜んでいると言ったところでしょう。

 普段から「言論には言論で対抗すべき」と言っている人たちが、言論に対し嫌がらせや業務妨害で対抗している人々を容認してしまっている点に、私はある意味ご都合主義を感じてしまいます。そういうことを言っているとまた「空気が読めていない」と非難されてしまいそうなんですが、「空気を読んで、不正に対し『見ざる、言わざる、聞かざる』を決め込む」っていうのも窮屈でいやだなあと思ってしまうので仕方がありません。

 WaiWai問題について言えば、そこでの記事の内容が誤報であると言うことを英文で作成してネット等に掲載する(それが世界中の読者に注目されるように情報を一カ所に集約するとか、自分たちの反論の信頼性を増すために、実名およびポジションを明示する等の工夫は必要かもしれませんが。)ことこそが「言論には言論で対抗」するということであって、ブログ主が毎日新聞社の記者でありその旨を表明していると言うだけでそのブログのコメント欄に無茶な要求を突きつけたり、攻撃的なコメントを投稿したりするというのでは、「言論には言論で対抗」しているとは到底言い難いです。

12/07/2008

憎しみをはき出すコメントがいくら多くても……

 ブログのコメント欄を繁盛させる一つの手法として、匿名の陰に隠れて第三者の悪口をいう舞台として開放してあげるというものがあり得ます。ここでいう第三者には、特定の「人物」だけでなく、特定の団体、法人、集団、属性、民族等が含まれ得ます。

 同じ第三者に憎しみを持つ人々がネット上の一つの「場所」に集まって当該第三者をこき下ろすというのは、特に匿名でないと強いことが言えない程度の精神構造の持ち主には快感らしく(まあ、匿名であっても、ある程度「仲間」と一緒でないと不安なのでしょう。)、そういう場所を用意してくれるブログ主のもとには、その種のコメンテーターがわんさかと集まってきます。そして、そのような場所を提供してくれるブログ主は、その種の人々から賛辞の声を浴びるわけです。

 ブログ主のネットリタラシーが十分でない場合、それで舞い上がって勘違いしてしまうことがしばしばあるわけですが、その種の場所って、その第三者に対する憎しみを共有していない人間から見ると、非常にカルトチックで、醜悪なものでしかありません(特に右寄りでない人は、嫌韓でエントリおよびコメント欄が盛り上がっているブログを想像してみてください。)。

一回的な不倫に対する処分について

 タレントの山本モナさんが、読売の二岡智宏選手と不倫をしたとして、レギュラー番組の降板・謹慎等の重い処分を科せられる旨報道されています。

 しかし、不倫というのは、当事者の配偶者との関係で不法行為となるに過ぎず、基本的には私的領域に関することであって、現代の日本では犯罪行為ではありません。そのようなことで職業上の地位が大いに損なわれるというのは、私は妥当性を欠くように思います。もちろん、妻子ある男子労働者が同じ職場の未成年の女子労働者と長期間にわたり不倫な関係を結び、その同僚を姙娠させ退職のやむなきに至らしめた等の事情がある場合には、「著しく風紀・秩序を乱して会社の体面を汚し、損害を与えた」(東京高判昭和41年7月30日判時457号60頁)として一定の処分を科すというのは判らないでもありません。しかし、報道されている限り、上記両者の関係は一回的なものに過ぎず、しかも肉体関係にまで至ったことを当事者は否認しています。

 山本モナさんが細野豪志議員と不倫をしたときには、報道関係者と政治家との「距離」云々という話から、報道部門への出演を遠慮してもらうという配慮があり得るかもしれません(ただし、その場合、不倫かどうかではなく、政治家と特別の関係を有しているかが問題となるはずですから、例えば、小渕優子議員と結婚した瀬戸口克陽さんを報道部門に回すことは遠慮するという配慮も同様にすべきと言うことになります。)。しかし、今回の相手はプロ野球選手に過ぎませんから、「報道の中立性」という観点からの配慮は不要です。

 また、清純なイメージを売りにしているタレントについては、不倫の発覚により、そのイメージが損なわれる結果、その商品価値が失われ、結果、人気が下落し、番組降板を余儀なくされると言うことはあり得るとは思います。しかし、細野豪志議員との不倫問題で一度失脚し、その後ある意味「奔放」なキャラを売りにしてきた山本さんは、そもそも清純なイメージを売りにしているわけではありません。

 相手の二岡選手は、やや1軍復帰が先送りにはなったものの、あまたを丸めた程度で禊ぎが済んだようで、スポニチの記事によれば、15日の中日戦には復帰してくるようです。読売の滝鼻オーナーが言ったとされる「時間が解決してくれる。」という場合の「時間」とはわずか1週間足らずの時間でよかったようです。男の側は所詮はその程度の扱いで済んでいるのに、なぜ女性の側のみなぜそんなに重い制裁を科せられなければならないのか。そこにはある種の性差別が潜んでいるように思います。

10/07/2008

不快感は、理屈っぽさに対するものではなく、反論を禁止した上で個人攻撃を続ける卑怯っぷりに対するものだ

 矢部先生のブログでは、今度はponさんというコメンテーターが陰湿な集中攻撃を受けているようです。なお、ponさんのご意見は、例の素粒子・鳩山論争に関するオルタナティブな見方として十分あり得るものであって、その説明も決してわかりにくいものではなかったとは思いますが、なにせ、「空気を読む」ことが過度に要求されるブログですので、少数派への個人攻撃や揚げ足取り等が執拗に繰り返される不毛なものとなってしまいます。

 で、ブログ主が、

 ponさん

 もうやめましょう。

 うんざりです。
といい、ponさんも
「止めましょう」との事、了解しました。

止めます。
長らくご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

それでは。
としています。

 このような流れを尊重するなら、その後にponさんを批判するようなコメントは投稿すべきではないし、ponさんを非難するような投稿がなされたらブログ主としてはこれを削除する等の措置を講ずるのが通常です。さもなくば、ponさんは、矢部先生のブログのコメント欄で一方的に非難されて反論をなしえない状況に置かれるからです。

 しかし、さすが矢部先生のブログは違います。ブログ主自ら私が問題にしているのは、あなたの発言の内容よりも、そのような発言の姿勢です。としてponさん個人の人格攻撃を行うとともに、ponさんの発言を「これは名誉毀損に値します」と評するコメントがその後に投稿されても放置しています(それが名誉毀損に当たらないことは法律家である以上判っているとは思いますが。)。

 このような状況を見かねた「層化きらい」さん(矢部先生のプロフィールを知った上でそのハンドル名を使うのはどうかと思いますが。)、

これで最後と言われた方に罵声を浴びせつづけるコメントは見たくないのですが、ここはそうゆう場所だったのですか。とても残念です。
というコメントを投稿したところ、矢部先生は、
まあ、そういう場所でしょうね。

 ここはかなり熾烈な議論を経験してきてますから、皆さん議論の進め方については厳しいですよ。
と回答しています。

 「層化きらい」さんが問題としているのは、ブログ主からの要請に応じてそのブログのコメント欄にもう投稿しないと表明しているコメンテーターに対してさらに罵声を浴びせ続ける卑怯っぷりであって、本当に「議論の進め方について厳しい」皆さんが集まっているのであれば、内輪でストップが掛かってしかるべき行為についてです。

 矢部先生はブログ主をはじめ理屈っぽい人が多いですから、感情論ベースの人にとっては居心地がよくないと思います。と仰っていますが、「もうコメントを投稿するな」と言って相手にこれを承諾させた後に安心して相手に罵声を浴びせかける人々に対する不快感というのは、感情ベースの人が理屈っぽい人に対して感ずる居心地の悪さとは全く性質の違うものです。

死刑存置論者の覚悟はいかほど?

 米国で連邦レベルで死刑制度自体が廃止されてこれがある程度定着し、その反動で、死刑存置国に対し圧力をかけるようになったときにも、日本の死刑存置論者はその主張を貫く覚悟があるのかということを、常々疑問に思っています。

 今後10年の間に米国で死刑制度が廃止される可能性って、大統領選でマケイン氏が勝った場合であっても、そんなに低くないように思っていたりはしますので。それは、米国でも冤罪の多さがクローズアップされて、それが死刑制度への疑問として徐々に浸透しているからです。

09/07/2008

そのような解釈が裁判所で「絶対に」採用されないことの証明

 私たち法律家は、特定の条文が特定の事実関係に適用されるか否かについて常に問われ、これに対し回答をしています。その際、条文の文言、関連条文の存在、立法趣旨、判例・裁判例の蓄積、学説の状況などを考慮に入れてこれを判断するわけですが、その中で、裁判所がひょっとしたら採用するかもしれない解釈と、裁判所がまず採用しないであろう解釈とは、概ね峻別ができます。とはいえ、「裁判所がまず採用しないであろう解釈」について「裁判所が絶対にその解釈を採用しないということを証明してみろ」といわれても、証明のしようはありません。それは、「裁判官は、少なくとも司法試験に合格し、研修所の二階試験を合格するに足りる法的素養を持っている」という信頼感および「裁判官は法的安定性を害するような過激な法解釈はしないものである」という経験則にのみ基づいているからです。

 そういうことなので、「そういう解釈が『絶対に』採用されないということを証明できていないではないか」という批判については、まともに相手にしてはいられないというよりほかないということができます。例えば、現行刑法では、過失により人を殺した場合には過失致死罪の適用がありますが、過失により動物を殺した場合についての刑事罰はありません。

 従って、例えば、「運転操作を間違ってうっかり猿をひき殺してしまった場合、犯罪となりますか」と聞かれれば、条例等に特段の規定がない限り、刑事罰は科されないという回答をすることになります。私たちは、殺人罪における「人」を「霊長類一般」に拡張する解釈を裁判所が採用することはないだろうという信頼のもとにそのような回答をするわけです。そこで、「殺人罪における「人」を「霊長類一般」に拡張する解釈を裁判所が採用することが絶対にないということが証明されていないではないか」と批判されても、そういう批判をしてくる人が納得するような証明を行うことはおそらく不可能です(制度的には、検察官は、そのような解釈をもとに、うっかり猿をひき殺した運転手を殺人既遂の疑いで起訴することもできますし、裁判官は、そのような被告人に対し殺人既遂罪ということで死刑を言い渡すことも可能です。)。

 では、「猿をひき殺したとしても殺人罪で有罪となることはない」と言い切ることは許されないのかというと、そうなってしまうと、法律に関するQ&Aで「断言」をすることは一切できなくなってしまうので、それはそれで面倒な話です。

Nantesでも「日本の漫画」展

Palais_de_justice_en_nantes

 先日のフランス旅行ですが、いわゆる「ナントの勅令」で知られるNantesをベースとして、AngersやGuérande、La Baule等を回ってきました。フランスはいつどこでストが起こっても不思議ではないので、余裕を持ってParisに入りましたが。

 NantesのMusée de l'Imprimerieでは、丁度「日本の漫画」展をやっていました。日本の漫画の競争力は今なお健在です(ParisのFNACに入って、書籍コーナーに行ったときに、日本の漫画のフランス語訳バージョンがだだだと並んでいるのを見てさらに実感しました。フランス人が「焼きたて!!ジャぱん」のフランス語版を見ておもしろいのか、理解できませんでしたが、思い直すと、日本語の駄洒落がキーになっている話の多い一休さんですら受け入れられたのだから……という気がしないでもありません。)。

 お城としては、庭が整備されているのと、歴史的なタペストリーが展示されている分、Bretagne大公城よりAngers城の方が、回る価値は高いように思いました。

 多少TIPsを述べるとすると、Guérande城に行こうという場合、ガイドブックだけを見ていると、レンタカーを借りない場合には、Le Croisicあたりからタクシーに乗るしかないように見えますが、実は、La BauleやSaint-Nazaireから路線バスがでています(路線図はこちら)。La Bauleからタクシーに乗っても(地図を見る限り、CroisicよりLa Bauleの方がGuérandeから近い)19ユーロくらいで済みましたのでそれほどでもないのですが、あの辺りでは電話をかけてタクシーを呼ばないとタクシーがきませんので、「折角だから塩田巡りもしたい」というのでない限り、バスの方が楽かなと思いました。

 レストランについては、フランスはどこに行っても困ることはあまりないのですが(スパゲッティを食べようとさえ思わなければ、ですが)、AngersのLionelは、アジア系のテイストを生かしたさっぱりして料理でおいしかったです。私はランチタイムに入りましたが、酢をきかせた椎茸入りの混ぜご飯に、サーモンのタルタルで、全体的にレモンで香り付けをしてありました。

 また、Parisで宿泊したホテルの2軒隣のレストラン(旅の荷物の中に名刺が紛れてしまいまして、名前を思い出せません。)も、夜にぷらっと行って、28€のプリフィックスをいただいたところ、まだホワイトアスパラガスが出てきましたが、驚くほどおいしかったです(しかもChateldonの1リットルボトルを5€で提供する太っ腹ぶりです。)。

07/07/2008

富山での人権擁護大会

 今年の10月に富山で開かれる予定の日弁連人権擁護大会の第2分科会は「安全で質の高い医療を実現するために  ──医療事故の防止と被害の救済のあり方を考える──」というテーマなのですね。

 矢部先生が,矢部先生のブログの常連コメンテーターさんの意見を代弁しに言ってあげれば面白いのになあと,ちょっと思ってしまいました。

 なお,今年の9月末には,東京弁護士会の弁護士業務妨害対策特別委員会の発足10周年を記念し,「弁護士が狙われる時代に!」というテーマでシンポジウムが開かれるのだそうです。

もし,暴力団関係者から,執拗に脅迫を受けたら。
もし,人格障害の相手方から,執拗に面談を強要されたら。
もし,懲戒請求や紛議調停などを乱発されたら。
もし,インターネットに誹謗中傷の書き込みをされたら。
あなたは,冷静的確に対処できますか?
とのキャッチコピーが付けられています。

 後ろの2つは極めて現代的ですね。

06/07/2008

応報感情の処置

医師の刑事責任について、遺族等の応報感情を無視ないし軽視した議論がコメント欄で延々と行われているブログにおいて、遺族等の応報感情を相当程度尊重しなければ正当化が難しい死刑制度について、これを積極的に評価しないコメントを事実上排斥する運用がなされているというのは、興味深いところです。

「よって」という接続詞こそ誤用

 澤田石順鶴巻温泉病院医師は、次のように述べているようです。

現在、医師は過酷な労働環境にさらされているが、医師の労働環境は無法状態に置かれている。労働基準法も適用されていないし、例えば医師が過労や飲酒状態で診察した場合、罰則が定められていない。よって、医療行為による有害事象に対しては、医師は堂々と刑事・民事ともに免責を要求すべきだ。

 私には、なぜこの第1文、第2文と第3文とが「よって」という接続詞で繋がるのかが理解できなかったりします。医師に関して、労働基準法が守られておらず(勤務医に関して労働基準法は適用されています。それを守らない雇用主と、それが守られていないのにしかるべき法的権利を行使しない労働者がいるだけの話です。)、それ故、医師が過労や飲酒状態で診察しているという実態にあるのであれば、その実態の改善を求めるのが筋であり、「よって」という接続詞に続いて述べられるべき要求は、そのような実態の改善を図るものが来るべきです。

 澤田石医師の要求は、端的に言えば、雇用主が医師について労働基準法を守らないのであるから、医師が医療ミスによって患者を死傷させたとしても、患者やその遺族はこれを甘受せよとするものであって、概ね筋違いのものであるといえます。

 さらに澤田石医師は、

 刑法211条第1項、民法719条は医師の適用を除外するべきだ。必要な法改正なしに医療事故調を創設しても、調査書それ自体が訴訟を誘発する。開業医、勤務医が一致団結して、免責なしの医療事故調創設に反対すべきである。医師自身の権利だけでなく、同時に患者が医療を受ける権利があることを主張することが必要だ
と続けますが、医療安全調査委員会が設立されてそこで調査が行われ、その過程で、適切な医療水準に関する医師の声が相当程度反映した報告書等が作成されるのであれば、不適切な医療訴訟はむしろ沈静化の方向に向かうことが予想されます。もちろん、調査の結果、医療行為に際して過失があったことが判明した場合には、損害賠償請求等を受ける蓋然性が高くなるわけですが、医療安全調査委員会の報告を損害保険会社が重視して任意に保険金を支払う方向での運用が広く行われるようになれば、医療過誤訴訟は減少していくように思います。

 澤田石医師の代理人を務めているらしい井上清成弁護士が、

 「遺族の願い」である「反省・謝罪、責任追及」など「全ての基礎にあるのが原因究明」だというのだから、その「原因究明」の中核は、前記(3)の「責任追及への誤用―医療過誤」にほかならない。つまり、医療事故調査委員会を新設する目的である「原因究明・再発防止」にいう「原因究明」は、実は「責任追及」だったのである。
述べているので、それに呼応しているのかもしれません。しかし、原因が究明された結果医師に責任があることが明らかとなった場合に医師の責任が法的に追及されることを問題視される理由というのは不明です。それは「誤用」ではありません(責任追及以外の目的で作成された報告書を民事訴訟または刑事訴訟において証拠として用いることはしばしば行われており、それを「誤用」とする考え方は一般的ではありません。)。黙秘権の保障が問題となるのであれば、医療事故調査委員会における執刀医等からの事情聴取に関して、自己の刑事責任に関連する事実に関する供述拒絶権を認めれば済む話です。

05/07/2008

ベルサイユのばら

Verubara

 ←ベルサイユ宮殿の庭に咲いていたバラの花、すなわち正真正銘の「ベルサイユのばら」の写真です。

 それはともかく、数年ぶりにフランスに行ってきたのですが、久しく行かない間に公衆無線LANが広く普及していたので驚きました。もちろん、無料のものばかりではないのですが、基地局に無料でアクセスしてそこで一定時間数のアクセス権を購入するとそこから普通にネットに接続できますから、一旅行者が公衆無線LANを使う上で全く不便はないといってしまってもよいような状況でした。Parisだけでなく、NantesやAngersなどでも同じような状況でした(昼間寄ったに過ぎないGuérandeやLa Baule等では試していませんが。)。

 これまでは海外旅行に行く場合には、ホテルの客室内からインターネットにアクセスできる設備が設けられているかを確認した上でホテルを事前に予約するという作業を欠かさずに行ってきたのですが(仕事の関係上、1週間ネットにアクセスできない状況に自らを置くということは許されないので。)、ことフランスに関していえば、もはやその必要はなくなったなあというのが正直な感想です。そうなると、これまでは他の条件を多少犠牲にしてもネット環境にこだわってホテルを選んできたのが、こだわらなくともよくなるので、ホテル選びが大分楽になりそうです。

04/07/2008

労働時間の短縮と免責の関係

 「医療崩壊」問題の根幹が医師の労働時間問題だとすると,なぜ医療系ブロガー・コメンテーターが,医療過誤に関する民事・刑事上の責任の免責に拘るのか不可解です。感謝の気持ちがあればこそ云々というきれいごとを言われても,法律上医師が免責されていれば,医療ミスで家族が死んだ場合に医師に感謝するようになるのかといえば,そうはならないだろう(むしろ,正規の方法で医師の責任を追及する手段がなくなれば,医師に対する恨みは余計強くなるだろう)ということは普通に予測がつくことです。

 医師に民事・刑事上の免責を与えることが医師の労働時間問題の解決に寄与するとすれば,それは,医師が,患者の安全性は高いが時間のかかる手法より,患者の安全性は低いが短時間で終わる手法を採用することができる,ということはあり得るかもしれません。象徴的にいうならば,特定の類型の患者について,生存率は90%だが5人の医師が平均3時間かけて行う手術を止めて,生存率は30%だが3人の医師が平均30分かけて行う手術を採用すれば,医師の労働時間は大幅に短縮でき,医師不足が解消するかもしれません。あるいは,患者の安全のために従前入念に行ってきたチェック(患者を取り違えていないか,点滴する薬剤は間違えていないか,消毒はしっかり行ったか等々)を省略することができるということかもしれません。しかし,それらは,患者にとっては決してありがたくない話です。

 医師の労働時間を短縮するための方策を模索するのはよいことだと思いますが,決して患者の安全をないがしろにしない方法を採用してもらいたいものです。

03/07/2008

「中傷にはスルーが原則」は今は昔のお話

 nov1975さんはさて、泣き寝入りをしなくて済む方法は。こと世の中の評判に対しては、自分の正当性を高らかに歌い上げればよいんじゃないでしょうか。後ろ暗いところがなければ、ちゃんと見ている人はわかってくれるでしょう。仰っています

 私たちの領域でも、ネット上での中傷は放置しておくのが一番だと、10年くらい前は、そうアドバイスをしていたのです。しかし、それも昔の話です。

 最近は、組織的な中傷も多いので放置していても中傷がやまないという事態が増えてきました(流されているネタからするとどうもライバル業者がやっているのではないかという事例は結構多いです。)。また、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人も増えてきました。やはり衝撃はライナス学園事件であって、ネット上での誹謗中傷により生徒の大幅減少にまで追い詰められたわけです。

 そのようなときに「自分の正当性を高らかに歌い上げ」ても焼け石に水って場合は少なくありません。「内部告発もどき」の投稿が執拗になされているときに、「あれは事実無根です」ということをいくら高らかに謳い上げようが、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人には全く効果がありません。中傷に対しては、対抗言論は成立しません。リタラシーの高い人々のみを相手にしていればよい業界はよいのですが、リタラシーの必ずしも高くない人をも顧客としなければならない業種も少なくないのです。

 また、絶え間のない悪意に晒され、それがネットの匿名集団により囃されることに精神的に耐えられない人々も結構います。といいますか、それが人間としては普通なのであって、ネットでの集中的かつ継続的な中傷を「スルー」できる方が特殊です。

 逆に言えば、匿名さんたちからすると、だからこそ、集中的かつ継続的に中傷を行って相手を精神的に追い詰めてあわよくば自殺に追い込んだり、ライバル業者の営業を妨害しあわよくば倒産に追い込んだりする手段として、ネットの匿名性は保障されなければならないということになるのだとは思います。ただ、そういう手段を保障しなければならないというのは、表現の自由が憲法上保障されているということを加味しても、法的にも倫理的にも正しくないように思います。

 我が国において、ネットの匿名性を手にしたときに自制心を保てなくなってしまった人が少なくなく、しかも、ネットの匿名社会はこれを自立的に排斥する意図がないことが事実として明らかになっています。このような環境の下では、ネット表現の匿名性の保障というのは、日本国民は未だこれを持つに値しないのではないかと思います。

02/07/2008

働く時間

 日本の医師の労働時間に関しては、これによれば、病院勤務で週平均70.6時間となっています。ただし、病院内での診療時間に当たっているのは週40時間程度であって、それほどの長時間ではありません。20代の医師でも週50時間前後です。

 目立つのは、会議等で週9時間とられているということです。何を会議しているのかがこの資料からは判りません。治療方針についての打ち合わせならば仕方がありませんが、病院の経営に関することであれば、経営と診療を分離することにより医師を会議から解放することで、医師の負担を軽減できるかもしれません。

 また、研究と自己研修で6〜7時間ほど計上されているのでしょうか。一般の労働者の労働時間を算定するに当たって、これらは労働時間に含まれていないのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうね。あと、「差」という項目が5〜6時間ほど計上されているようですが、これが何を意味するのか、この資料からは不明です。

 この資料では、ヨーロッパ各国の医師との勤務時間との比較がなされているわけですが、「労働時間」のとらえ方が共通しているのかが判りません。このため、日本の医師のみが実労働時間が顕著に長いのかは定かには判らなかったりします。

 また、ヨーロッパ諸国との比較で見ると、病床当りの従業員数が少ないので、医師でなくてもできることを医師以外にやらせることにより、医師の負担を軽減していくこともできそうです。

 もっとも、この資料中の「需要推移」というグラフを見ると、病院医師一人当たりの患者数は減少傾向にあるようなので、「医師不足」パニックに乗じた制度改正を慌てて行ってしまうと、近い将来医師の供給過多で医師が苦しむかもしれません。司法改革の例を見ても、新人の就職先がなくなるほどの供給過多に陥るには数年で十分だし、国はいざとなればそのような状態を作り出すために税金をつぎ込むことを躊躇しない可能性があります。

01/07/2008

やっぱり,為にする「デマ」だったのでしょうか。

 それにしても,「医療過誤について医療従事者を刑事処罰するのは先進国では日本だけ」という言い回しの真否を検証してみると,これと反する資料ばかりが見つかります。

 やはりこれは,真実とは無縁の,為にする「デマ」だったということなのでしょうか。

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