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août 2008

31/08/2008

矢部善朗弁護士がヲチブログの題名を変更した理由

 京都弁護士会の矢部善朗弁護士が私を攻撃するためだけに開設したブログ「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」が,「モトケンのヲチブログ」とタイトルを変更したようです。

 その理由として,「ひとつは、最近の2件の la_causette のコメントの空気の変化を感じ取ったことにあります。」ということを掲げていますが,「?」です。矢部弁護士から「ヲチ」(監視)され,逐次いちゃもんをつけられるということが続きましたが,矢部弁護士のブログのコメント欄の常連コメンテータを含む医療系ブロガー・コメンテータのおかしな意見を批判したり,彼らが流すデマをデマと指摘することを何ら躊躇しておらず,この点について,私は何ら態度を変えていません。

 どちらかというと,「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」等というタイトルのブログを掲げていることの恥ずかしさに気付いただけではないですかね。

 例えば,fake-jizoさんが,

まずこのタイトル。
「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」
なんだこれ。これでは2chのnetwatch板に立てられているのと何ら変わらない。というかセンスが一緒だ。これでは
「☆★☆★☆オグリンうぉっちno.12ミ☆★☆★☆」
というスレッドと何が違うのだ。netwatch板なんて2chの中でもあんまり好印象を持たれていないのにも関わらずそのレベルでid:OguraHideoさんと遣り合おうとしているのなら法曹関係全体のレベルが落ちたとROMからは認識されるので止めた方が宜しいかと思うがどうなんだろう?
指摘しているとおり,こういうタイトルのブログを開設している時点でかなり恥ずかしいのであって,特に現実社会での人格とリンクする状態でこれをやらかしてしまうというのはかなりダメージが大きいはずです(タイトルだけの問題かというと,ヲチブログを開設すること自体相当痛いわけですが。)。まあ,矢部弁護士がアクセス解析をしていれば,fake-jizoさんのこのエントリーを目にした可能性は大分あると思いますし(絶対にこのエントリーを見たとは断言しませんが。)。

30/08/2008

医療過誤に関する業務上過失致死罪の適用に関して,刑法の謙抑性を支える他の社会的統制手段は機能しているのか

 医療過誤に関する業務上過失致死罪の適用に関して,刑法の謙抑性が語られることがあります。刑法の謙抑性・謙抑主義は,「刑法が発動するのは,倫理的制裁や民事的損害賠償,行政手続による制裁などのような,刑法以外の社会的統制手段では十分でないときにかぎられるべきであ」るとする考え方ですが(川端博「刑法総論講義第2版」54頁),逆に言うと,刑法以外の社会的統制手段が十分でないときに刑法が謙抑的すぎると,社会的統制がとれなくなる危険があるわけです。

 では,医療過誤に関して,刑法以外の社会的統制手段,とりわけ行政手続による制裁は十分に行われているのでしょうか。

 平成20年2月22日に開かれた医道審議会医道分科会では,業務上過失致死(医療)又は業務上過失傷害(医療)で処分を受けたのは,2件(医業停止1年6月が1件,医業停止2月が1件)です。

 平成19年9月27日に開かれた医道審議会医道分科会では,業務上過失致死(医療)又は業務上過失傷害(医療)で処分を受けたのは,2件(医業停止1年が1件,医業停止3月が7件)です。

 そもそも,医道審議会が「刑事事件とならなかった医療過誤についても、医療の水準などに照らして、明白な注意義務違反が認められる場合などについては、処分の対象として取り扱う。」との見解を発表したのが平成14年12月のことであり,日本産婦人科医会常務理事 川端 正清「医道審査会の処分について」によれば,全体を見渡しますと、診療報酬不正請求で保険医取消となっているものの他は、すべて刑事裁判で有罪の判決を受けています。民事で有責となったものの、刑事で訴追されなかった例はありませんでした。とのことであり,今回も、医療事故のリピーターは処分の対象にはなりませんでしたとのことです(ちなみにこの発言は,平成16年2月付)。そして,川端常務理事は,今回の処分で、民事裁判を活かした医師の行政処分がなされなかった事については、「民事の判決は事実認定の濃淡がかなりある。裁判官の心証で判決が書かれている面もあり、医師に事実関係を尋ねて、『判決は違う。』と否認されれば処分の材料には使えない。」との判断があったようです。と分析しています。

 医療過誤に関して懲罰的損害賠償制度がなく,それ故,医師賠償責任保険の保険料が低廉に抑えられている我が国において,行政手続による制裁が,刑事裁判での有罪判決等を抜きにしてはほぼ課せられることがない現状において,医療過誤に関する業務上過失致死罪の適用を謙抑的にして大丈夫なのだろうかということが不安になってしまいます。

免責特権を付与せよとの立法要求を支える立法事実はありやなしや

 「医師に刑事訴訟リスクを負わせると医師が逃散し医療崩壊を招くので,医師に刑事免責特権を与えるべきである」という立法提言を支える立法事実はあるのでしょうか。

 まず,そもそも医療活動は刑事訴訟リスクが高いのか否かが示される必要があります。平成17年度の運転免許保有者数は,原付免許のみ保有者等を含めて,78,798,821人です。これは,ペーパードライバーやごく希にしか自動車を運転しない人をも含んだ数字です。これに対して,交通事故関係で平成17年に業務上過失致死傷罪で公判請求されたのは,8,362人,免許保有者の0.0106%です。一方,平成11年〜16年の医師の人数は概ね平均26万人で,この間公判請求がなされたのは20件ということですから,年平均でいうと,公判請求されたのは概ね全体の0.0015%ということになります。なお,略式起訴まで含めた業務上過失致死傷罪での年間訴追率は,運転免許保有者が0.11%,医師が0.0051%です。この数値を見る限り,医師が業務上過失致死罪で刑事訴追される危険はゼロではないものの,むしろ,その危険は相当低いということができます。

 また,医師の数自体は近年においても増加傾向にありますし,そもそも医師の数の増加率自体は医学部の定員をどうするのかにより概ね定まっていきます(現在でも医学部の競争倍率は低くなく,多くの医学部は相応の偏差値がないと正規に入学できない状況にあります。したがって,医学部の定員を増やせば,これまで以上に,医師を目指して医学部に入学してくることが想定されます。)。したがって,刑事訴訟リスクと医師の数の問題は,診療科目間の刑事訴訟リスクの違いが診療科目ごとの増減率の違いの原因となっているかという問題に帰結することになります。しかしながら,近時人数が中期的に減少傾向にある診療科目,例えば産婦人科に関して特に医師の刑事訴追リスクが高いというデータは提示されていません。これに対しては,科学的な思考能力があれば、そんなnの少ないもの、捜したところで「統計的有意を示す根拠を見つけることは困難で決定不可能である」ということくらいう常考。として,診療科目ごとの民事訴訟の事件数データを提示するがおり,これに賛意を示す元検察官もおるようですが,中期的に減少傾向にある診療科目の一つにおいて民事訴訟リスクが高いという事実が,医師の診療科目間の偏在を是正する手段として医師に刑事免責を与えるべきとする立法提言を何ら下支えしないことは,普通の知性で理解可能です。仮に民事訴訟リスクの高さが当該診療科目に従事する医師の減少を招いているとしても,それは医師に刑事免責特権を付与することによっては解決されないからです。

 このようにみていくと,「医師に刑事訴訟リスクを負わせると医師が逃散し医療崩壊を招くので,医師に刑事免責特権を与えるべきである」という立法提言を支える立法事実が十分に存在しているとは言い難いように思います。

29/08/2008

旧過失論と回避可能性

 私の学部時代の恩師である川端博教授の「刑法総論講義第2版」187頁には,

従来の通説によれば,過失は故意とならぶ責任条件ないし責任形式であるとされる。そして,過失の本質は,犯罪事実の表象の欠如が,行為者の不注意に基づくこと,すなわち,行為者が注意を払ったならば,構成要件的結果の発生を表象することができ,かつ,これを避けることができたはずであったのに,不注意によってその表象を欠き,構成要件的結果を生じさせた点に求められたのである。
とあります。すなわち,旧過失論においては,「行為者が注意を払ったならば,構成要件的結果の発生を表象することができ」たという予見可能性だけでなく,「これを避けることができたはずであった」という回避可能性があったことが,過失犯の処罰に当たって要求されることになります。大塚仁教授や大谷實教授などの,私の学生時代には既に定評のある基本書には同様に,「これを避けることができたはずであった」という回避可能性の存在を,旧過失論における過失の定義に含めています。

 また,芝原邦爾他「刑法理論の現代的展開 総論(2)」によれば,旧過失論では認識ある過失を処罰できないではないかという批判がなされることがあるがそれは間違いであり,認識ある過失の場合,犯罪結果が発生する可能性があることを抽象的には認識しつつも,最終的には犯罪結果が生じないものと判断して,一定の作為・不作為をおこなうのであるから,具体的な結果予見義務を満たしていない(だから,過失犯が成立する)ということのようです。

 刑事弁護はもう10年近くやっていませんが,学生時代に勉強したことというのは意外と残っているものだなあと思いました。上記のような文献って,最近司法試験に合格された方や現役の法科大学院の刑法担当の実務家教員等が調べる対象からは外れてしまっているのかもしれませんね。時代の流れってやつなのでしょうか。

平成10年から将来の「不当」逮捕を予測して逃げていったとでも?

 「医療施設従事医師・歯科医師数の年次推移,施設の種別・診療科名(主たる)別 」から,産科・産婦人科の医師数の平成10年から平成18年にかけての推移を見ると,11,364人→11,059→11,269→11,034→10,594→10,074というふうに減少傾向にあり,他方で,産婦人科は減少する一方産科は増加していることがわかります(平成10年より前は,複数回答可のデータしかないので,正確な比較ができないですが)。

 このように,医療過誤についての正式起訴が年間3件強(略式起訴が10件弱)であり,それらが主として産科・産婦人科をターゲットにしているわけではない環境下において,特に産婦人科医が減少傾向にあるわけです。また,他の診療科目を見ていると,民事訴訟リスクの低い内科医が減少傾向にある反面,訴訟リスクの比較的高い形成外科・整形外科等は増加傾向にあり,また,産科・産婦人科ほど訴訟リスクが高くない外科の方が産科・産婦人科より減少率が高いことがわかります。

 彼の取り巻きのご機嫌を損ねるデータを出し続ける私個人に対する人格攻撃しかできなくなった方はとりあえず放置して,これらのデータから見ると,産科・産婦人科医の減少という現象は,業務上過失致死罪の適用を免除しないことにより生じているわけではないことが強く推認されます。「こんなことで逮捕・起訴され有罪とされたのではやってられない」ということは医師以外でもたまに語られるわけですが,それが特異な例に留まる限り,実際にそれでその職業を辞めたり,その職業に就くことを回避したりする人は実際には多くないのです。

[追記]

 このエントリーにも矢部弁護士のブログからトラックバックが来ていましたが,エントリーのタイトルが品位を欠くと判断しましたので,非公開とさせていただきました。

産科・産婦人科医の減少と出生数自体の減少

 「医療施設従事医師・歯科医師数の年次推移,施設の種別・診療科名(主たる)別 」を見ていると確かに小児科は近年は微増し,産科・産婦人科は減少しています。ただし,平成10年から18年にかけての減少率は約8.9%であり,内科医の約3.1%よりは大きいものの,外科医の約13.2%ほどではありません。

 また,産科・産婦人科の場合,その主たる仕事の対象である「出生」の数自体が減少していることは軽視できません。実際,平成10年から平成18年にかけて出生数は約9.2%減少しており,現在のところ,産科・産婦人科の医師数の減少率は出生数の減少率に概ね沿っているということが可能ではないかとも思われます。主たる医師賠責保険が産科・産婦人科医の保険料を特段引き上げておらず,かつ,産科・産婦人科医が特に刑事訴追されやすいという事実もない現在の日本において,産科・産婦人科医の減少の理由を訴訟リスクに求めるよりは,出生数の減少に求める方が,理屈としても合理的ではないかと思います。

 また,京都の某弁護士からは,捏造だ,印象操作だといちゃもんをつけられるかもしれませんが。

28/08/2008

匿名社会で通用している手法を実名ブロガーが使うことのリスク

 この数日,京都弁護士会の矢部善朗弁護士から,罵倒語ばかりが踊っていて,中身の乏しいエントリーが立て続けにアップロードされ,このブログにトラックバックされています。

 例えば,自分に都合の悪い見解を「印象操作」との語で否定してみたり,自分が望むような結論を導かない資料評価を「捏造」としてみたりというのは,その時々で相手に「勝ったつもり」になって気分的にすっきりさえすればよい匿名さん向きの手法であって,ネット上でそのような手法を使っていることが現実社会での人格の評価にも繋がる実名ブロガーにはお勧めできないのですが,まあ,そういう手法をとっていると匿名さんがいくらでも囃し立ててくれるので,ネットリタラシーが低い方々の中には勘違いする人が生まれてきてしまうのかもしれません。簡単に言ってしまうと,匿名社会特有のレトリックを実名ブロガーが使うことはリスクが高すぎるということです(だからといって,現実社会での人格評価を気にすることなく,その種のレトリックを使って「勝ったつもり」になってすっきりできるから,ネットでは実名を名乗らない自分って賢い!みたいな生き方って,下らないと思いますけど)。

 某大学の法科大学院では次のような授業風景が見られるのだとすると,頭の痛い限りです。


[学生]○○先生は××という教科書の△△頁で「A」という見解を述べられていますが,これは「B」という理由でおかしいと思います。

[実務家教員]君は,○○先生に連絡を取って「A」という記述はどういう意味なのかその真意を確認したのかね

[学生]いいえ。

[実務家教員]それでは,「藁人形叩き」と批判されても仕方がないね。

[学生]でも,○○先生は,ほかでも「C」ということをのべておられますから,これはそのままの意味で受け取って問題がないのではないでしょうか。

[実務家教員]この問題に関しては,「D」という歴史的経緯があるので,私はこの問題に関する主張というのは「E」という文脈の範囲内で述べられていると私は思うのだよ。だから,○○先生の「A」という記述も,「A」という意味で受け取るのではなく,「E」の文脈に反しない「F」という意味で受け取らなければいけないんだ。

[学生]でも,「A」という記述を「E」という意味に受け取るのは国語的に無理ではないですか。

[実務家教員]知的財産権分野を専攻するならともかく,刑事法の分野では,関係者が語ったことをそのまま受け取るのではなく,自分が想定する文脈の範囲内にあるものとして受け取るのが正しいのだよ。わかったな。

[学生]はあ,そうですか。では先に進めさせていただきます。●●省の「G」という資料によれば,「H」については「I」という統計数値が示されています。これは「J」ということを示していると思います。

[実務家教員]君,なんで「K」に関するデータには言及しないのかね。それでは資料の捏造だ!

[学生]でも,私の今回の発表は,「H」に焦点を絞ったものですから……。

[実務家教員]君はそんな反論しかできないのかね。

[学生]はあ,では先に進めます。結論として,「L」が「M」という行為を行った場合「N」罪が成立すると思います。

[実務家教員]それはひどい印象操作だ。

[学生]先生,批判されるのならちゃんと理由を述べてください。

[実務家教員]うるさい。君は私が「L」をなだめるためどれだけ苦労してきたか知っていてそんなことをいうのかね。それは私に対する許されざる個人攻撃だ。

[追記]

 某法科大学院における実務家教員による刑法の講義では,新過失論が登場する以前は,犯罪結果の発生を予見しながら,これを回避しなかった場合には,回避可能性の有無にかかわらず,過失犯は成立せず,犯罪結果の認容もない場合には故意犯も成立しないため,不可罰だと捉えられていたと教えているのでしょうか。

民事訴訟提起率で起訴率を占うことの愚かしさ

 医事関係訴訟の新受件数(第1審)の平成11年〜16年の合計は,5316件です。そして,この間の医療過誤に関する起訴件数は20件(略式起訴を含めても,79件)です。したがって,民事訴訟を提起するほどに患者又はその遺族が医師の過失を疑っている事案数の0.38%しか正式起訴されておらず,略式起訴を含めても1.49%しか起訴されていないのが実情だということになります(実際には,略式起訴で済んだ場合は特にですが,医師が過失を認めた場合には任意に賠償金が支払われることも多々あると想定されますので,患者又はその遺族が医師の過失を疑っている事案数を分母とした起訴率は,これよりもさらに低下することになります。)。このように警察・検察の段階で何らかの基準で捜査の対象を強力に絞り込んでいる以上,各診療科目ごとの被起訴率が各科目ごとの民事訴訟被提起率と一定の相関関係を持っていると推定することはできません。

 法律実務家でもその程度のことを理解できない人がいるとは,結構ゆゆしき事態です。

 なお,小児科について言及したエントリーの直後にアップロードしたエントリーにおいて産婦人科について特に言及しなかっただけで「捏造もたいがいにしなさい」と文句をつけてくる一般とは言語感覚の異なる方もおられるようですので,産婦人科について言及しますと,産婦人科については周産期の死亡事故例だけで平成18年度で5100件もあるわけです。産婦人科に関する医療事故は,周産期前の死亡事故や医療行為に伴い新生児が重大な障害を負って生まれてきたなどいろいろあるわけです。これに対し,平成18年の産婦人科に関する民事既済件数が161件しかないというのが現状です。このうちの4割が周産期の死亡事故に関するものだとして,民事訴訟の提起に至るのは全体の1%強に過ぎません。平成18年の新生児出生数は約108万6000人です。そのうち訴訟を提起されるはわずか0.0015%です。日本の患者やその遺族はこれほどまでに医師の前に控えめな権利主張しかしておらず,産婦人科医についても低廉な医師賠責保険の保険料だけで済んでいます。

 なお,産婦人科医の,医師1000人あたりの既済件数16.8件という数字ですが,これがこのペースでずっと維持された場合に40年間のうちに1度以上の訴訟に巻き込まれる確率は約49%しかないということを示すものでもあります(1000人あたり2.2件の小児科医の場合,40年間のうちに1度以上の訴訟に巻き込まれる確率は約8%です。)。医療過誤訴訟における医師敗訴率を3割とすると,産婦人科医が40年間で1度以上敗訴する確率は約18%(小児科医の場合,約3%)に過ぎません。

27/08/2008

診療科目ごとの訴訟リスク

 平成18年の医療関係訴訟事件の診療科目別既済件数に関する公的な資料は,ここにアップロードされています。この資料では,診療科目別の医師1000人あたりの既済件数も掲載されています。これによれば,

内科 2.7
小児科 2.2
精神科(神経科) 2.5
皮膚科 2.4
外科 5.4
整形外科・形成外科 6.6
泌尿器科 3.9
産婦人科 16.8
眼科 2.3
耳鼻咽喉科 2.6
歯科 0.9
麻酔科 1.6

とのことであり,小児科の訴訟リスクは内科は勿論,皮膚科や眼科よりも低いのが実情です(まあ,2.2と,2.3,2.4は誤差の範囲内だから「低い」というのは言い過ぎだという意見はあり得ますが,少なくとも皮膚科や眼科と比べて小児科は訴訟リスクが高いとは言えないということは問題なく言えるように思います。)。

デマの効果

 特定の診療科目における医師不足の原因を警察・検察のせいにしようという声は大きいものの,医師の数が足りていない特定の診療科目において刑事訴追される割合が顕著に高いことを示す資料は今のところないようです。また,医師不足が比較的早い段階で顕在化していた小児科についていえば,むしろ医療過誤にもとづく損害賠償請求に晒される割合は,外科どころか,内科よりも低く,そういう意味では訴訟リスクが低いのに,不足状態から抜け出せないでいるとすらいうことができます。さらにいえば,民事的な訴訟リスクは概ね賠責保険の保険料率を見るとわかるのですが,日本の医師賠償責任保険の保険料は著しく低額であり,医師の民事訴訟リスクの小ささをかいま見ることができます。

 本当のところは,医師の診療科目間の偏在の主たる要因は,診療科目により,仕事の厳しさと収入等の相関で決まる「待遇」に差があることです。このことの本来的な解決手段は,より厳しい仕事について高い保険点数をつけ,その分楽な仕事についての保険点数を引き下げることにあります。また,勤務医不足の主たる要因は,我が国においては開業医が所得面で非常に優遇されている点にあります(開業医の所得水準が勤務医のそれを大きく上回るというのは決してグローバルスタンダードなことではありません。)。従って,この解決策は,国公立病院や大学病院等の大型の病院が主として担っている高度の医療行為に高い保険点数をつけるとともに,その分,主として開業医が担ってきた医療行為について保険点数を引き下げ,または医師以外の者もこれを行いうるようにするというのが本筋です(使い捨てコンタクトレンズの処方など,医師でなくとも,一定の研修を行った者に行わせることが十分に可能ですし,皮膚病等の慢性的な病気の治療に使う薬剤の処方などは,副作用等の疑いがあるときに医師の診療を受けることを勧告する義務を負わせておけば,逐一医師の処方箋がなくとも,薬剤師のみで処方できるように思われます。)。また,医師の絶対数が不足しているという点については,仮にそうだとしても,医師過剰による競争の激化を恐れた医師会の要請に応じて医学部の定員を削減したことが伸び率鈍化の主たる要因です。民事又は刑事の訴訟リスクを恐れて,医学部の卒業生の多くが医師以外の職業に就いたり,一旦は医師としてのキャリアを開始した者が医師をやめて他の職業に就いたりしたために医師の絶対数が不足したと見るに足りる統計資料はありません。この対策としては,中期的には医学部の定員を増やすことが本筋であり,短期的には,必ずしも医師が行わなくとも済む行為については,順次,医師以外の者も行えるようにすることです。

 もっとも,医師の訴訟リスク等に関してネット上で誤った情報が流布されているのを放置していると,その誤った情報を信じた医学部生や研修医等がさほどリスクが高いわけではない(むしろ低い)診療科を避けてしまい,当該診療科目の人手不足に拍車をかけてしまう危険があります。ネット上での医師・医師もどき並びにそのお追随のお話を聞いていると,産婦人科等に勤務していると,がんがん結果責任を負わされて逮捕起訴され,刑罰を受けているかのように誤解されそうですが,そういう意味では,自分の仕事に一切責任を持ちたくないがあまり福島大野病院事件を奇禍としてここぞとばかりにデマや誇張をばらまきまくっている一部の医師・医師もどき,並びに彼らに迎合してみせているごく一部の法律家達こそが,「医療崩壊」の元凶であるとも言いうるように思います。平成11年から16年までの医療過誤全体の起訴件数が79件であり,そのうちの59件が略式起訴であるというのが実情です。正式起訴を受けても,初犯でいきなり実刑という例はほぼ皆無です。すなわち,量刑相場から言えば,人を死に至らしめておきながらも,医療過誤ということですと,交通事故を伴わない無免許運転やスピード違反と同程度の制裁しか加わっていないのが実情です。民事の医療過誤訴訟が年間約1000件提訴され,そのうち約5割について医師に過失責任が認められるとして,そのうち約0.6%しか正式起訴されておらず,略式起訴されたのを含めても約3%にしかなりません。でも,例えば矢部弁護士のブログなんか見てたら,そんな風に考えることはできず,医師達は,結果責任を負わされて続々と逮捕・起訴されているかのような誤解をしてしまうかもしれません。

 何とも罪作りなものです。

25/08/2008

iPhone購入

 今日は(っていいますか、日付が変わってしまいましたが)、上野の国立西洋美術館へコロー展を見に行き、その後上野のヨドバシカメラでiPhoneを買ってきました。

 16GBのiPod Touch(+SoftBank Mobile)と考えると8万円は安くありませんが、e-mobileよりは通話可能地域が広いようであれば、といいますか、Wilcomと同程度の通話可能領域が確保できるのであればPHSカード等を解約できる(e-mobile圏外での泊まりの出張というのは十分あり得ますので、その場合の通信手段を確保しておく必要があります。)。もっとも、都内の場合、e-mobileの通話可能地域がとても広いので、「PHS300 Personal Hotspot」を購入して、D01→PHS300→iPhoneとするかどうかは考慮中です。

 困ったのは、16GBという記憶容量の少なさですね。iPhone用にプレイリストを作ってそこに厳選した楽曲を入れておくことにしないと、溢れてしまいます。まあ、贅沢な話ではあるのですが。

 Appとしては、iPhoneでnetradioを聞けるようにするallRadioをダウンロードしました。パケット代が毎月上限いっぱいとなることを覚悟すれば、通勤中にネットラジオを聞くことができそうです。

23/08/2008

「診療科目ごとの被起訴率と人員増加率との相関関係」ありや?

 医療事故に関する刑事処分の問題と医師の人数との問題を考える上で有益と思われるデータのうち、いまだ見いだせないでいるものとしては、「診療科目ごとの被起訴率と人員増加率との相関関係」に関するデータというのがあります。産婦人科は医療過誤訴訟(民事)の被提訴率は確かに高いのですが、医療過誤刑事事件で産婦人科に関する事例が顕著に多いという感覚を私は持っていないので、何らかのデータがあるといいなと思って探しています。

 民事だけの問題であれば、所詮賠償金を負担するのは損保会社ですから、医師会と損保会社が協定を結んで、診療科目ごとに保険料率を設定しないこと、産婦人科の保険加入を拒まないこととすれば、産婦人科のリスクのみを高めることを回避することが可能です。訴訟リスクに応じて診療科目ごとに保険料率を設定した損保会社の商品に飛びつくかどうかは、訴訟リスクの低い診療科目を担当する医師・病院の矜持の問題と言うことになります。

いまさら「旧過失論」に戻っていいの?

 京都弁護士会の矢部善朗弁護士は、2ちゃんねると同タイプの匿名電子掲示板も開設しています。そこでは、「くたばれ!新過失論」なんてスレッドまで立てられています。

 ただ、旧過失論が、予見可能性(+回避可能性)だけで過失を構成するのに対し、新過失論は、予見可能性(+回避可能性)+結果回避義務違反を満たしたときに初めて過失ありと構成する訳ですから、むしろ過失犯が成立する範囲を限定する機能を有しているのであって、その分、あそこに屯している医師ないし自称医師達にとっては望ましい理論といえます。まあ、「結果回避義務」という用語の文字面だけ捕らえて「医師に結果責任を負わせる気か!」と怒っているのかもしれませんが、新過失論で言うところの結果回避義務違反というのは、「基準行為からの逸脱」という行為の客観面を問題とするものであって、「犯罪結果の発生を回避しなかったら全て結果回避義務違反」という類のものではありません。彼らから肯定的に受け取られている「許された危険の法理」にせよ「信頼の原則」にせよ、旧過失論の枠組みでは出てこない話であって、これらの導入を希求しつつ新過失論を詛うというのはいかがなものかという気がします。

 実際、福島大野病院事件についていえば、患者の死亡という犯罪結果が発生しており、これと特定の医療行為との間に相当因果関係が認定され、かつ、上記犯罪結果の発生について予見可能性と回避可能性が認定されているわけですから、旧過失論でいえば、(業務上)過失致死罪は成立しているわけです。そして、福島地裁が被告人を無罪とした「肝」である臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反したものには刑罰を科す基準となり得る医学的準則は、当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合にほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならないとの部分は、逸脱の有無が問題となる「基準行為」(判決要旨の言い回しで言えば「刑罰を科す基準となり得る医学的準則」)の設定の仕方に関するものということができます。

 あそこは、私のような企業法務畑の弁護士ではなく、刑事畑の弁護士が関与されているのですから、わかるように説明して誤解を解いてあげればいいのに、と思えてならないのですが。

【追記】

 矢部弁護士とそのお仲間は「印象操作」という言葉を安易に使うのがお好きなようですが、「犯罪結果」というのは、犯罪構成要件の一要素としての行為の「結果」を表すのに、少なくとも刑法に関する議論の場では通常使われる言葉ですので、そこでけちをつけられてもなあという感じはします。

 また、ちゃんと説明している云々と言われても、例えば、fuka^2さんの上記スレッドの55番発言

一方、旧過失論では、「不注意で結果を予見しなかったこと」が過失とされています。
本件では、癒着胎盤と判明した時点で、剥離してもうまく子宮が収縮しなくて出血が止まらなければ死んでしまうことは、産科医として当然予見していたはずです。
そしたら、過失はありません。
って説明でOKなのでしょうか?普通に考えたって、犯罪結果を予見しておきながら、それを回避できるのに回避しなかった場合、「予見はしていたから無罪」ということにはならないことくらいはわかりそうなものですが(まあ、認識ある過失として過失犯に位置づけるか、未必の故意ありとして故意犯に位置づけるともかく。)。

22/08/2008

逮捕までする必要

 福島大野病院事件の関係では,「医師を逮捕までする必要があったのか」という批判もなされているのだそうです。

 この批判については,条件付で賛成です。条件付という意味は,「逮捕までする必要があったのか」という批判を,福島大野病院事件の場合に或いは被疑者が医師の場合に限定して投げかけるべきではないということです。

 刑事訴訟法199条2項は,

裁判官は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認めるときは、検察官又は司法警察員(警察官たる司法警察員については、国家公安委員会又は都道府県公安委員会が指定する警部以上の者に限る。以下本条において同じ。)の請求により、前項の逮捕状を発する。但し、明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、この限りでない。

と定め,これを受けて,刑事訴訟規則第143条の3は,

逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない。

と定めます。逮捕後は,「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」ことが,勾留や保釈の成否を決定するための重要な要素となります。

 現在の日本の刑事司法は,この「罪証を隠滅する虞」を非常に広く解しており,それが「人質司法」に繋がっています。「それだけ資料を一切合切捜索差押えで持ってきておきながら,このあとどうやって罪証を隠滅できるというのか」というような事案でも「罪証を隠滅する」疑い有りとして,逮捕・勾留等がなされてしまうのが実情です。この点は,日弁連が長年にわたり警鐘を鳴らしてきました。

 福島大野事件をきっかけに,緩やかすぎる「罪証を隠滅する虞」「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」の解釈・運用を変更させようということであれば,この点において,医療機関と在野法曹は手を組める可能性があります。しかし,医師以外が緩やかすぎる「罪証を隠滅する虞」「「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」の解釈・運用で不当に身柄を拘束されていることなどはどうでもよい,とにかく,医師だけは,医療ミスで患者を死に至らしめても原則刑事免責とすることで不当な身柄拘束を受けないようにせよ,という話ですと,ちょっとそこには乗っかりにくいなあというところなのだろうと思います。

21/08/2008

医師達が意見照会に回答すること自体を断ってきた場合の法曹の取るべき道

 医療事故で患者が亡くなっているときに、捜査機関として専門医に鑑定意見を求めたところ、鑑定意見書を出すこと自体をことごとく断られた、ということになれば、捜査機関としては、四方八方手を尽くして、時に若干専門性にずれがあることに目を瞑ってでも、医師から鑑定意見をもらって、起訴をするか否かの判断をせざるを得ないでしょうし、その鑑定意見が医師の過失を示すものであれば、これに乗って起訴をせざるを得ないでしょう。「専門医の鑑定権が得られなかったから、嫌疑不十分として不起訴とする」という運用を行ってしまえば、当該分野の医師が一致団結して「警察・検察からの意見紹介には応じない」ということにしてしまえば当該分野の医師を起訴できなくなり、事実上治外法権を実現してしまうわけですから、それは捜査機関としては是認できないでしょう。といいますか、矢部弁護士の検察官時代はどうだったかわかりませんが、「専門医に照会したらみな過失ありとは言えないといっていました」ということであれば嫌疑なし又は嫌疑不十分で不起訴裁定書を書けると思いますが、「専門医に照会したら皆から回答を断られました」では嫌疑不十分の不起訴裁定書は書きにくいように思います。

 そして、医師の側の非協力にめげてはいられないというのは、医療過誤問題における患者側冬の時代を味わってきた弁護士にとっては、よくわかる話なんだろうと思います。当該事故において行われたと想定される医療行為が当時の医療としての標準を満たしていたのか否かを照会する窓口はありません。知人の医師に私的に意見を求めると、この点に問題があったと解説してくれるし、医学文献だって紹介してくれるけれども、では意見書を書いてくれとお願いすると、それは自分の立場が危なくなるとして拒絶されるということを実際に体験すると、「ああ、医師はこうやって庇い合いをしているのだ」と暗澹たる気持ちになるものです。だからといって、「医師達が意見書を書いてくれないので訴訟を断念しましょう」とはいいにくいので(専門医に意見紹介したところ、これは医学的には何の問題もないといっていましたので、訴訟をするのは断念した方がよいですよとはまだ言いやすいのですが。)、できる範囲内で訴状を書き上げ、医学文献を証拠資料として添付して訴訟を提起し、裁判所が選んだ鑑定人が、当該医療行為に問題があったとの意見を述べてくれることに期待をかけざるを得ないということになりがちです。

 そういう意味では、法曹として実務経験を有する者が議長となり、専門医を含めた医療関係者が委員となって、当該医療現場で何が行われたかを認定した上でそれが当時の医療水準を満たしていたかを評価する医療事故調査委員会が設置され、その意見書が民事および刑事の手続きに活用されるようになれば、不必要な起訴や訴訟提起を減少させることができる(その意見書の内容に不服がある人には裁判所でこれを争う機会を設ける必要がありますから、不必要な訴訟提起が0になることは無いと思いますが)とは思いますが、医療行為を原則法の支配の外に置けという過激な意見に一部の医師達が執着している限り、難しいのかなあという気がします。

福島大野事件と検察官控訴の可能性

 福島大野事件地裁判決ですが、未だ新聞報道しかないので詳細はわからないものの、

医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。
という部分と、
医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。
という規範定立部分が検察にとって相当厳しいのと、医師法第21条の解釈について最高裁判決との整合性が問題となりうるので、検察官控訴となる可能性は半々くらいあるかなあという感じはします。マスコミに煽られてとか、被害者遺族に感情移入してとかということではなく、地裁が定立した規範について上級審の判断を仰ぐという意味で、ということです。そのこと自体は、検察の職務としては正当だと思いますが、医療系の方々から感情的なバッシングを受けそうな気がします。現代は、法曹が職務を全うしようとするとバッシングを受ける難儀な時代ですから。

20/08/2008

ストリートビューとプライバシー

 竹田稔「[増補改訂版]プライバシー侵害と民事責任」178頁以下によれば,プライバシー侵害行為は,その態様により次の3つに類型化できるとのことです。

  1. 私生活への侵入
  2. 他人に知られたくない私生活上の事実の公開
  3. 他人に知られたくない自己に関する情報の公開

 そして,「他人に知られたくない」私生活上の事実or自己に関する情報か否かは,「一般人の感受性を基準として当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること,換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担,不安を覚えるであろうと認められることがらであること」(東京地判昭和39年9月28日判タ165号184頁[宴のあと事件])か否かによるべきとします。なお,宴のあと事件では,「一般の人々に未だ知られていないことがらであること」もプライバシーとしての保護の要件とされていたのですが,勤務先の名称・電話番号もプライバシー情報として保護されるとした東京地判平成2年8月29日判時1382頁92号もありますので,この点が現在もプライバシーとして保護される要件として維持されているのかは難しいところです(何をもって「一般の人々」とするのかという問題かも知れませんが。)。

 Googleのストリートビューに関して言えば,公的領域から普通に見えるものを撮影しているだけなので直ちに「私的領域への侵入」とはいいがたいものがあり,とはいえ,他人に知られたくない他人の私生活上の事実や他人に関する情報を公開することとなってしまう場合があるということなのではないかと思います。他人に知られたくない他人の私生活上の事実や他人に関する情報については,そのような情報を公開していることをGoogleが知ったときには直ちにこれを削除等する義務を負うことは当然です。問題は,ストリートビューを公開する前に網羅的に画像をGoogleの社員ないし外部業者が視認して,「一般人の感受性を基準として当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められる」ものを削除等しておくべきであったかということです。

 他人に知られたくない私生活上の事実等を公開してしまう危険があることは予見可能だったとはいえますし,判断基準が「一般人の感受性を基準として当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められる」か否かなのでストリートビューの公開前に事前にチェックするすることは理論的には可能だったとは言えるので,あとは,プライバシー侵害となる画像の発生頻度と各プライバシー侵害行為により被害者が被る不利益の程度等と網羅的な事前チェックを行うことのコストとの関係で,そのような結果回避義務をGoogleに負わせるのが妥当なのか否かという話なのだろうとは思います。日本に限定して言えば,この種のプライバシー権侵害に対する慰謝料の相場は高くはないので,「一般人の感受性を基準として当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められる」私生活上の事実等を公開前の事前チェックで削除できなかったのであれば,事後的にこれを削除するとともに,慰謝料の支払い義務をGoogleに負わせてもよいのではないかとは思います(100人に50万円支払っても5000万円にしかなりません。)が,たぶん法律の専門家の間でも意見が分かれるところではないかという気がします。

19/08/2008

道路交通法72条1項後段と黙秘権

 医師法21条が憲法違反だという人たちは、道路交通法72条1項後段もまた憲法違反だというのでしょうか(違反者には、三月以下の懲役又は五万円以下の罰金が科されうる(119条1項10号)わけで、医師法21条に違反した場合の罰則より重いのですが。)。

16/08/2008

スウェーデンでは

 医療関連死について医師に刑事責任を追及しない例としてしばしば言及されるスウェーデンは実際のところどうなっているのでしょうか。

 どうもスウェーデンでは、医師の9割以上は公務員であり、その所得は、「Average monthly salary and salary dispersion, county council sector」によれば、2007年の統計で、医師で平均52000クローナ(中央値で54000クローナ)、歯科医で平均38500クローナ(中央値で37100クローナ)

とのことです。この数年の歴史的な円安水準で計算すると何でも欧州のものは高くなってしまうのですが、 2001年の1クローナ10円強の時代から2008年の17円強の時代の間を取って1クローナ15円で計算すると、医師の平均月収が約78万円、歯科医の平均月収が約58万円ということになります。平成19年6月に実施された「第16回医療経済実態調査の結果速報」によれば、国立病院に勤める医師の平均月収が(ボーナスの12分割分込みで)約111万円、歯科医の平均月収が約94万円とのことですので、スウェーデンの医師は日本の医師ほどは経済的に遇されてはいないと言えそうです。医師のほとんどが公務員ということであれば、医療事故死の場合の遺族への補償が国によりなされるというのは合理的です。

 「Law And Medicine: Sweden 」によれば、無過失補償金の上限は880,000 Euroとのことであり、慰謝料については、例えば目を失った場合は75,000 Euro、手を失った場合は150,000 Euroという風に定型的に算定されるのだそうです。これですと、日本の損害賠償実務と比べても金額的に遜色がありませんので、特殊な事情がない限り、敢えて民事訴訟を起こそうという気にはならないでしょう。

 スウェーデンの場合、医療過誤の疑いがある場合、患者側からのクレームの99%は、「Medical Responsibility Board」 (HSAN)で処理されるとのことです。この「Medical Responsibility Board」 は9人の委員からなり、その議長には実務経験のある法律家が就任し、その他の委員も、健康サービスの様々なセクターで経験を積んだ方々とのことです(The chairman is a lawyer with judicial experience and the other members have experience from various sectors of the health services)。決して、医師達だけで集まって、法律家達を排除したところで物事を決めるという閉鎖的なものではなさそうです。そして、HSANでの調査結果は公表されます。患者からのクレームのうち約20%が医師や看護師への警告に結びつき、約1%が免許の剥奪に結びついているのだそうです。

 なお、「Law And Medicine: Sweden」によれば、このスウェーデン方式は、公平な裁判を受ける権利を定めたヨーロッパ人権条約に違反するのではないかとの批判に晒されているのだそうです。

 刑事責任どころか、民事責任も滅多に追及されることがないスウェーデンでは、医師は医療の発展に寄与するために自分の経験を正直に話しているか、萎縮することなくのびのびと診療しているのかというと必ずしもそうではないようです。「More Swedish docs fear malpractice complaints」という記事によれば、スウェーデンでは、「Medical Responsibility Board」に報告され、名誉が損なわれることを恐れて、医学的には必要ではない治療行為を行ったり、自分や他人の失敗を報告することを逃れようとする(put off acknowledging their own or others’mistakes)傾向があるようです。結局、医療事故に関して刑事免責をしたらそれが医療の改善に繋がるとの証拠には、スウェーデンにおける先行実務はなっていないように思います。

14/08/2008

西班牙でも。

 PubMedのAbstractPlusしか見ていないのですが,Rodríguez-Vázquez Vさんの「Doctors in Spanish criminal law: medical criminal responsibility for deaths and injuries caused by negligence in present-day Spain.」では,

The doctor who makes a mistake can be taken before a criminal judge in present-day Spain. In this paper, I explore some of the articles that refer to doctors' practices in the Spanish Criminal Code, namely article 142.1 (negligent homicide, considered as a major offence), article 152.3 (negligent injury, considered as a less serious offence), as well as the evolution in the views of medical negligence in the last ten years in Spain

という内容が書かれているようです(AbstractPlusしか見ていないので,正確な表現は引用できません)。スペインでも,ミスを犯した医師は,過失致死や過失致傷ってことで,刑事裁判官の前に立たされているのではないですか!

 全く,医療ミスで刑事罰を科すのは先進国では日本だけ云々と行っている人たちは,どことどこの法制度を調べてそんなことを言っているのだか……。

13/08/2008

ストリートビューを巡るうだうだ

 津田大介さんのTwitterでの下記つぶやきに,はてなブックマークで沢山のネガティブコメントがついています。

大体ネットでうだうだ言ってるやつは「日本人的な空気嫁的同調圧力」とか「出る杭は打たれる」的価値観で作られる談合社会に対してネガティブな人が多いのに、ストリートビュー否定するときには典型的な「日本人的な感覚」を理由にしてる感じがするんだよね。結局当事者性の問題なの? っていう。

 津田さんの誤解だと思うのは,大体ネットでうだうだ言ってるやつは「日本人的な空気嫁的同調圧力」とか「出る杭は打たれる」的価値観で作られる談合社会に対してネガティブな人が多いと言う部分ですね。ネットでうだうだ言っている方々には,「日本人的な空気嫁的同調圧力」が大好きな方が多いです。「匿名だと,実名では言えないことが言えるので素晴らしい」と言いつつ,「ネットでは言いづらいこと」を作り出してしまうのが,今の日本のネット環境です。

 それはともかく,ネットでうだうだ言っているだけで終わってしまっては何も事態は改善されないのであって(ネットでのうだうだをGoogleの偉い人が見てくれて自主的にサービスを中止又は修正してくれると考えるのは,水戸の黄門様が自主的に我が町を訪れて悪代官をやっつけてくれると期待するような偉い人頼みって感じがして,私は好きになれません。),成熟した市民社会においては,例えばGoogleのストリートビューのようなサービスが現れたときには,例えば自分や自分の家の表札が写っている場合にはその写真の削除をGoogleに要求したり,あるいは黙ってGoogle相手に訴訟を提起したり,単独で又は有志を集めてGoogleに対しサービスの中止又は具体的な修正を申し入れたりするのが本筋です。まあ,ストリートビューがサービス開始してからまだ間がないので,そこに自分の姿を見つけた日の翌日に法律事務所に駆け込んでも訴訟提起にまではまだ至らないでしょうから訴訟はこれから起こるのかも知れませんが,こういうサービスに不満を持ちきちんとGoogleにサービスの中止又は改善を申し入れしそうなのって高木さん以外に思いつかないのが悲しいです。

医学部の総定員を、医師の総人口の5%と定めると

 厚生労働省の「医師の需給に関する検討会の報告書」によると、

毎年、約7700人程度の新たな医師が誕生し、退職などを差し引いて、年間3,500〜4,000人程度が増加
」とのことです。このことから、おおざっぱに言うと、毎年約4000人が医師の職を退くと換算できます。

 すると、医師出身の国会議員の方々の尽力により医学部の定員が減少する前の水準である8360人まで医学部の定員を戻すと、概ね4400人程度まで毎年の医師人口を増加されることができます。

 もっとも、この当時の医師の人数は、昭和58年03月30日の参議院文教委員会の高木健太郎議員の発言によれば、16万2880人だったとのことですから、医師全体の約5%くらいの医学部の定員ならば、無理なく養成できるということなのでしょう。すると、厚生労働省の平成18年版「医師・歯科医師・薬剤師調査の概況」によれば、平成18年12月31日現在における全国の届出「医師数」は277,927人とのことですから、それからの2年間で約7500人増加しているとして、約285,000人程度の医師が平成20年末ころにいることになります。従って、養成能力からだけから言えば、平成21年には、医学部の総定員を28500×0.05=14250人にすることが可能です。その後も、医学の総定員を医師の総人口の5%として換算すると、最初の6年間は定員が増加する前に医学部に入学した人が卒業するだけですから3500人程度しか増加しませんが、平成30年で約35万人、平成40年で約48万人まで、医師の数を増やすことができます。それでも、総人口の約1割の新人を受け入れることを強いられている法曹よりは、緩やかなものです。

 前記報告書によれば、医師の勤務時間を週48時間とおいた場合の必要医師数は 医療施設以外の従事者を含めて27.7万人、休憩時問や自己研修、研究といった時間も含む医療施設に滞在する時間を全て勤務時間と考え、これを週48時間までに短縮するには、さらに6.1万人追加の33.8万人と推計されるとのことですから、前者の考え方を採用すれば 平成18年の末には医師不足は解消し、後者の考え方を採用しても平成29年には解消されると言うことになります。

 もちろん、地域による偏在や診療科目による偏在がありますので、医学部の定員増だけでは局所的な医師不足には対応できませんが、比較的楽な診療科が利益率も高いという状況は、健康保険の枠内で行われているものについてはある程度解消可能だとは思います。

12/08/2008

嘘をついた人より,嘘を指摘した人にすごむ人

 結局,私のアンチの方って,私のアンチでさえあれば,その論理が無茶苦茶であっても,あからさまな嘘をついていても,何でもよいのですね。前々からそうだとは思っていましたが,嘘をついた人ではなく,嘘を指摘した私に「お前は俺を舐めているのか」と言ってくる不思議な人を見て,改めてそう実感しました。

 そういう方々を相手に,普通の議論をすること自体が無意味ということなのでしょう。

 まあ,医療系ブロガー等が繰り出す様々なデマを一般の方が信じて間違った政策形成がなされることは,私たちにとって不幸な社会を生み出すことになりますので,今後も「空気を読まず」医師の方々や医療系ブロガーのいうことであっても間違っていることは間違っていると指摘するとは思いますが,矢部善朗弁護士については,今後京都周辺の方々が矢部弁護士に事件を依頼するにあたって矢部弁護士がどのような方なのかを知るためにGoogle検索等をした際に,「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」に到達し,その人となりを正しく理解できるようにする限度で言及するにとどめようと思います。

きくりさんのコメントを紹介

 きくりさんという方からのコメントを紹介します。普段はこういうことはしませんが、福島大野病院事件については、一方的な論調が多かったので、それと異なる意見は貴重だと思い、紹介することとしました。


冤罪に憤る人の多くは刑事実体法の廃止を主張しない」について

小倉弁護士のご意見に賛成する。

確定的故意ありの場合の刑事免責は、

多くの医師も考えては考えないとは思うが、一般的な業務上過失致死傷罪についての刑事免責、不法行為責任(債務不履行責任)からの民事免責は既に当然のように主張されている。行政罰制度の廃止にもやがては言及するだろう。

人の欲望は限りないもの。医療過誤事件の刑事免責ならず、診療報酬、賃金の引き上げ等の要求等も必ず起こしてくる。そうなれば医療費の増大から国民皆保険制度の維持も困難になるだろう。

決して、不当な要求には屈してはならない。

そもそも医師に限って、刑事免責されるべき理由というのは全く見当たらない。医師が刑事免責を主張する際の根拠にあげるのは、①医療の高度・専門性、②医療の不確実性、③萎縮医療を招来のおそれの3点である。

しかし、
①高度・専門的なのは医療に限らない。パイロットなども高度専門的技術を要する職業だが、他の職種では過失があり、死傷との因果関係があれば刑事罰を受けるのに医師だけが免責されるというのはおかしい。むしろ高度専門的だからこそ、より注意義務が課されているとも言える。医師だけを刑事免責してくれというのは子供じみた甘えである。
②確かに、医療には患者の体質等不確定要因が多いが、不確実性があると言っても、それなりに注意すべき事項は数多くある。また、過去の裁判事例を見ても注意義務を尽くせば結果を予見・回避できたと思われる事例は数多くある。
③萎縮医療は刑事訴追の結果ある程度起こるかも知れないが、これはいわば「結果」ないし「効果」であって、刑事免責の根拠にはならない。萎縮医療を回避するのは産婦人科等のリスクの大きい診療科に対する保険報酬の相対的引き上げ等、他の手段によって行うべきである。

福島大野病院事件が不当逮捕だと主張する医師の主たる根拠は、癒着胎盤という疾患が、産婦人科医が一生のうちで1度出会うか否か程度の非常に稀な疾患だからだという。

しかし、それは理由になるのだろうか。「産婦人科医が一生のうちで1度出会うか否か程度」とはどの程度の頻度を指すのかと言うと数万件に1件くらいの程度だという。そう聞くと仕方ないような気もするが、実はそうではない。

例えば、クローン病という消化器疾患がある。この病気は人口対10万人の有病率は5.85であり、約2万人に1人しかない疾患なのだが、実は医師国家試験の頻出問題になっており、毎年出題されている。医師国家試験にそれだけ出題されるのだから当然医師が知っておくべき基本的知識であるし、この疾患を見落としたり適切な処置ができず死傷の結果を招けば業務上過失致死罪に問われても止むを得ない。この他にも特定疾患に指定されている多くの疾患が同程度の頻度だが、全て医師国家試験で実によく出題される。つまり、この手の疾患がきちんと対応できなければ医師失格ということだ。

さらにずっと頻度の少ない疾患に総肺静脈還流異常症という疾患がある。この病気は新生児のできるだけ早い時期に発見し手術を行わなければ手遅れとなり患児は死亡してしまう。そこで、頻度は非常に低い極めて稀な疾患だが、医師国家試験に出題されている。つまり、医師にとって知っておくべき基本的知識とは、単に頻度の問題ではないということである。仮に頻度が低くても、見落とせば重大な結果を招く危険性のある疾患はきちんと履修しておくべきなのである。

癒着胎盤は子宮全摘の適応であって、不用意に剥離を進めれば大出血を招き死亡する恐れがある重大な疾患とされており、特定疾患並みの頻度なのだから、当然熟知しておくべき疾患であると言える。

なお、癒着胎盤は国家試験にあまり出題されなかったかも知れないが、これは医師国家試験が全科共通の試験であり、どうしても内科・外科からの出題が大半を占めるからであって、産婦人科を専攻する者が合格後、産婦人科医としての研修を積む上で当然習得しておかなければならない知識であることは言うまでもない。

つまり、医師らが言う不当逮捕の根拠は欺瞞に満ちたものと言わざるを得ない。数万件に1度という頻度が福島地検の起訴の不当性を主張する根拠になり得ないことを指摘しておきたい。福島地裁の裁判官におかれても医師らの欺瞞に惑わされることなく厳正な判断を望みたい。

医師は自分達の都合の良いようにしか言わない。都合の悪い事は仲間内でかばい合い隠匿しようとする。これは人間である以上、期待可能性がないことかも知れないが、一般社会人が医師の主張を聞くとき、いつも注意しなければならない点だと思う。

また、このようなかばい合い体質は今に始まったものではなく、残念ながらわが国の医師の習性となっている。それ故、刑事訴追は絶対に必要なのである。不当な要求に屈してはいけない。

一度覚えたキーワードにすがる人々

 ネットリタラシーの低い方は匿名さんに持ち上げられると矢部弁護士には忠告をいたしましたが、もはや忠告を聞く耳はお持ちでないようなので、こちらは粛々とやるべきことをすることにしましょう。

 それにしても、「故意でない診療関連死を刑事事件化しないための、警察と検察介入のガイドライン」との邦文が,「Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm」という英文の「意訳」の範囲に留まっているか否かって、別に高度な英語力を必要としていませんので

 なお、私は、英語が不自由だと申し上げております。
 ですから、ご指摘の英語文献の読み方については、なんとも申し上げかねます。
なんてのはごまかしにしか聞こえてこないのが残念なところです。原文がもう少し難しい英文だったら、説得力もあったのですが。

 それにしても、私を粘着的に攻撃する人って、「印象操作」だのなんだのという言葉にすがりつくのが好きですね。その実、その方の方が印象操作に必死っぽいのですが。

11/08/2008

矢部弁護士は,何のために弁護士生命を賭けているのでしょうか。

 矢部善朗弁護士は,何のために,ご自身の弁護士生命を賭けて,私に粘着しておられるのでしょうか。

 特定の弁護士を批判するためだけにブログを一つ立ち上げてしまうだけでも気持ちが悪いですし,そのブログの更新頻度も通常ではありませんし,そこで行われている文章の解釈も一般の弁護士の文章解釈の手法とは質の異なるものであるように思われますし,この一連の粘着行為により矢部先生が失ったものは大きいのではないかという気がしてなりません。

 更にいえば,これは私のブログのコメント欄を匿名の方に解放していたときからそうなのですが,私のアンチが非常に低レベルであることは昔から知られておりましたので,「敵の敵は味方」とばかり,私を批判するコメントを擁護にかかると,ご自身の信用を失うことに繋がっていくので注意が必要です。まあ,私を個人攻撃しているとお追随者がたちまち集まるのですが,彼らは匿名ですから,どんな無茶な論理を押し通そうとしたって,現実社会の自分の評価には影響が及ばないのです。でも,矢部先生は,もう現実社会の人格を自らカミングアウトされているので,彼らと同じわけにはいかないのです。

 もういい加減目を覚ませばいいのに。まさか,「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」で語られている論理が正しいものだと本気で思っているわけではないでしょうに(創価大学法学部や,創価大学法科大学院では,外国語の論文を紹介又は引用する場合に,原題と無関係に自由に邦題を付けて良いと教えているわけではないでしょうし,「故意でない診療関連死を刑事事件化しないための、警察と検察介入のガイドライン」との邦文が,「Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm」という英文の「意訳」の範囲に留まっていると本気で思っているわけではないでしょうに。)。

建設的な時間の使い方

 矢部善朗弁護士は,低レベルの揚げ足取りで私を非難することに割く時間がそんなにおありならば,その時間の一部でも,ご自身のブログのコメント欄にたむろっている医療系コメンテーターの要求をくみ取って,彼らが求めている法改正案の骨子くらい作ってあげればいいのにと,正直思ってしまいます。

 彼らの意見を聞きながら骨子案を作り,さらにそのような改正を行うことのメリット・デメリットをA4で3枚程度の資料として作るくらいのことは,それほどの手間はかかりません。関係省庁や国会議員等の間を回ってロビー活動までやると言うことになると,相当の時間はとられますが,そういうのって,業界団体等を作って「専務理事」等としてその種のことが得意な人を雇って任せるのが一般的ですから,そこまでを矢部先生に求めるのはさすがに酷だとは思いますが注1,骨子案を作ることは実務法曹ならばさほど苦もなくできる話ですし,予防法務の経験値が高ければ縦書き案を作ることだって無理ではないでしょう。

 彼らの要求をわかりやすく文章化してしまうとそのグロテスクさが明るみになってしまうので怖くてできないということであれば仕方がありませんが,お医者様の要求を文言通り解釈するなんて誤読だ!曲解だ!なんてことをいつまで言ってみても,では,厚労省や法務省の役人や国会議員に対して,お医者様の要求は,その言葉を文言通りに解釈するのではなく,私が設定する文脈に沿って解釈すべきである。あるいは,文言通り解釈してけしからんと思う前に,本人に直接コンタクトをとってその真意を確認すべきである」なんて話をしてそれが通るのかといえば通らないのだから,ちゃんと要求事項の骨子が一読して分かるように作り上げればよいのではないか,と思います。


【追伸】

 「部分免責」という言い回しでは,免責されるべきとする部分と免責されるべきとしない部分とをどこで分けるかがはっきりしないので,要求の「骨子」としても不十分です。

注1 もっとも,レコード輸入権の時は,私を含む数名が有志としてその種のロビー活動を行ったし,ネット上の有害コンテンツ規制の時はマイクロソフトの楠さんを含む数名がその種の活動を行ったのですから,必ずしも専務理事等に委託しなければできないというわけでもないのですが。

匿名電子掲示板上で、自分の会社を非難する書き込みを発見した場合にどうすべきか

 丸山満彦先生が、匿名電子掲示板上で、自分の会社を非難する書き込みを発見した場合にどうすべきかを、三択問題として出されています

  1. 匿名で徹底的に掲示板上で対抗する
  2. 実名を晒して正々堂々と掲示板上で戦う
  3. はじめから相手にしない。

 そして、丸山先生は、3を正解としています。

 しかし、それは匿名掲示板等の風評形成機能を馬鹿にしすぎではないかと思います。我が国のネット環境においては、実在する人や企業、製品やサービス等に関するネガティブな情報に関しては、ネット上に匿名で投稿されているものであっても信じられやすいという傾向があるので、自社の商品やサービスの主たる顧客層次第では、ネット上での風評を放置することは企業として致命傷ともなりかねません。

 例えば、高知新聞の2006年6月6日の報道によれば、「高知市内のエステ店(匿名)で脱毛処理した女性客が両脚に大やけどを負い、高知署がエステティシャンを書類送検」との報道があった2006年2月に、ネット上に開設された県内発の一部掲示板で、投稿者の「どこのエステ?」の問いに、匿名で「サロ○ド ピュア」と書き込まれていたのを知らずに放置していたところ、例年は新規客が増える3、4月に問い合わせすらほとんど来なくなった等の被害が発生してしまっています。

 というわけで、上記問題の答えは、選択肢にはありませんが、「法務または総務等のセクションに可及的速やかにそのような書き込みがなされていることを通知する」というものではないかと思います。

09/08/2008

医師不足の時ほど

 自らの医療ミスによって患者を死に至らしめたことを躊躇せずに告白できるほどに、医療ミスによって患者を死に至らしめたことについての制裁が緩い(あるいは制裁が存在しない)制度のもとにおいては、その結果どのようにしたら同様の医療ミスを未然に防止できるかが明らかになったとしても、医師ないし医療機関としては、そのような医療ミスを未然に防止するための措置を講ずるインセンティブは生じないということになります。

 もちろん、医療機関ないし医師に関して供給過多状態にある場合、医療ミスによる事故死を未然に防ぐための十分な措置を講じていない医療機関は市場競争において劣勢に立たされることになりますし、医療ミスによる事故死を未然に防ぐために必要な技量を身につけていない医師は、医療機関という雇用市場において劣勢に立たされることになります。しかし、医療機関に関して供給過小状態にある場合、医療ミスによる事故死を未然に防ぐための十分な措置を講じていない医療機関を需用者たる患者は選択せざるを得なくなるため、そのような医療機関は市場において淘汰されないということになります。そこでは、医療機関としては、医療ミスによる事故死を未然に防ぐために必要な措置を講ずることなく、その措置を講ずるのに要する時間をさらなる診療行為に充ててさらなる診療報酬を受け取ることが経済的に合理的だと言うことになります。また、医師について供給過小状態にある場合、医療ミスによる事故死を未然に防ぐために必要な技量を身につけていない医師でも需用者たる医療機関は雇用せざるを得ない(し、そのような医師を雇って患者が次々と死亡しても医療機関は市場において淘汰されないからマイナスとはならない)ので、そのような医師も市場において淘汰されないということになります。

 従って、医療機関ないし医師に関して供給過小となっている時に、自らの医療ミスによって患者を死に至らしめたことを躊躇せずに告白できるほどに、医療ミスによって患者を死に至らしめたことについての制裁を緩くすることは、却って医療の質を引き下げることになります。従って、医師不足の時ほど、医師を免責せよとの主張は聞き入れてはいけないと言うことになります。

【追記】

 矢部善朗弁護士による下記のようなかわいそうな内容からなるエントリーからトラックバックがきています。

 小倉弁護士のこのエントリを読むと、小倉弁護士は、医師の皆さんは矜持なんてものは最初から全然持ち合わせていない、とお考えのようです。

 これって、すごい侮辱だと思うんですけどね。

 一般に、法的制度を考えるに当たっては、特定の集団に属する人々がみな善意の固まりであるということは想定しないわけで、その集団に属する人がみな善意の固まりっていうわけではないという前提で、どういう法的システムがよりよいかということを考えるということ自体は当たり前であって、これをその集団に対する「侮辱」として封じてしまうと、その集団に属する人々がみな善意の固まりっていうわけではなかった場合に大変なことになりがちです。

サッチャー政権は1990年に終了しているという常識が通用しないウェブ社会

 イギリスの「医療崩壊」は、一般に、サッチャー政権下でもたらされたと解されています。サッチャー首相の任期は、1979年から1990年です。そして、1997年に就任したブレア首相の下で医療費の大幅増額を柱とする医療改革を行うと、医療における需要と供給のミスマッチは急速に解消していきます(大和総研の年金事業本部である高橋正明氏は、まず、「独仏並みの医療提供には独仏並みの医療費が必要」として、医療費を対GDP比で、2002-03会計年度の7.7%から、2007-08会計年度には9.2%まで増やす計画を継続中である。マンパワー不足解消のために報酬が大幅に増額された(年収25万ポンドのGPが出現したのはこのため)ことや、老朽化した病院の建て替えが進んだことで、待機患者は減少し、供給力不足はほぼ解消された。述べています。 。

 他方、医師に対する致死罪での起訴が急増したのは、サッチャー政権が終焉した1990年からであって、ブレア政権下ではさらにその数が増加します。

 このように見ていけば、イギリスにおける「医療崩壊」の原因が「医療ミスについて刑事罰を科すこと」にはないことは明らかです。「医療ミスに関して刑事罰を科すのは先進国では日本だけ」という主張がデマであることを示すものとして、イギリスでも医療ミスについて刑事罰が科されていることが示されたときに、イギリスは医療崩壊国であるという指摘を受けただけで、イギリスでも医療ミスについて刑事罰が科されているという事実が、「医療ミスについて刑事罰を科すことが医療崩壊を招いている」という一部の医師の主張を補強するものだととらえてしまうもおられるようですが、軽率だとの謗りを免れないでしょう。

矢部善朗弁護士はどこへ行く。

 私の「不条理な脅しには屈してはいけない」というエントリーでは、まず、冒頭で、

 運動論的にいうと、「俺たちの要求をのまないと、医師たちは逃散するぞ。そうした医療崩壊で困るのは、お前ら愚民たちであって、お医者様は一切困らないんだぜ」という路線で来る限りは、その種の医師たちの要求には一切屈してはいけないということになります。ひとたびその種の脅しに屈して理不尽な要求を受け入れると、要求は次々とエスカレートしていく危険があるからです。

と述べています。これは、時に、民暴を含めた不当要求に対処しなければならない法律実務家にとっては、概ね基本中の基本というような話です。

 その後は、救急時の刑事免責という極めて限定的な要求を飲んだ場合に、要求はどのようにエスカレートしうるかという、「現時点では架空の話」をしています。そのような文脈の中で、

さらには、医療とは離れた犯罪ないし不法行為に関する民事または刑事上の責任の免除を医師たちが求めてきた場合にも、その要求に屈しなければいけなくなるかもしれません。「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたとき、一度その種の脅しに屈した社会はずるずると脅しに屈し続けることになるかもしれません。

と述べていますので、この中に含まれる「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたときというのが「現時点では架空の話」であることは、普通の日本語読解力を有する人には自明の理であると言えます。


 京都弁護士会の矢部善朗弁護士が、私を攻撃するだけのために立ち上げた「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」というブログの「「冤罪に憤る人の多くは刑事実体法の廃止を主張しない」について」というエントリーにおいて、

 もっとも、小倉弁護士は、「医師たちは、故意犯である診察室における強制わいせつ行為についても処罰しないことを求めている。」という独自の理解(通常の用語では誤読または曲解)をされているので、そのような理解に基づけば、適切な例えになるのかも知れませんが、それは小倉弁護士一人にしか妥当しないと思われます。

と仰っています。もし、私の上記エントリーにおける上記言い回しを根拠として、小倉弁護士は、「医師たちは、故意犯である診察室における強制わいせつ行為についても処罰しないことを求めている。」という独自の理解(通常の用語では誤読または曲解)をされていると仰っているのであれば、ひどい曲解です。悪質なデマだと言っても言い過ぎではありません。上記エントリーにリンクを張ったり、あるいは具体的に「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたとき、一度その種の脅しに屈した社会はずるずると脅しに屈し続けることになるかもしれません。と言う部分を忠実に引用したりすれば、「現時点で現実化した話」として「医師たちは、故意犯である診察室における強制わいせつ行為についても処罰しないことを求めている。」と私が言っているわけではないことがばれてしまうからでしょうか、上記エントリーにリンクも貼らず、上記言い回しを正確に引用することもしていません。

 矢部弁護士のブログでは、一部の医師の過剰な要求をたしなめる私は、露骨に憎悪の対象とされています(例えば、前記「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」では2ちゃんねるでの私に関する中傷スレッドにトップページからリンクが貼ってあります。これは、2ちゃんねるで行われる中傷発言が人々の目に触れる機会を積極的に増大させ、その名誉毀損効果を高めようというものであって、名誉毀損行為の幇助行為とされてもおかしくない行為です。また、コメント欄ではすでにたとえどんな酷いことを書いても、ご自分が病気になられた場合、点滴に雑巾の絞り汁を混注されることは絶対無いと確信なさっていらっしゃるのでしょうから。(笑。との脅しが私に対してなされ、さらにこれを支持する「医療に仇なすもの、および協力者」に対しては全国の医療機関が一致団結して「然るべき報い」をくらわすものである、としたら…誰も訴訟なんか起こせないでしょう恐ろしくて。何実行する必要はありません。そう思わせるだけ、でいいのです。等の発言が公然と語られても放置されているくらいです。)。だからといって、弁護士なんだから、やっていいことと悪いこととがあるように思います。

デマをばらまく人々はどこに?

 「医療ミスで刑事罰が科せられるのは先進国では日本だけ」というデマはどこで語られているのかという質問がありました。そこで、ざっと調べてみました。

 大木隆生医師は、

 殺意や傷害の意図を持って命を奪ったのならともかく、通常の医療行為に警察が介入し、刑事罰により結果責任を問う国は、先進国では日本だけです。しかも、医療のプロではない警察や検察が調べに当たり、犯罪か否かを問うのです。
述べています

 また、日本医療学会はこの記事を参照する形で、

通常の医療事故に警察が介入し、刑事事件として裁く国は、実は日本以外にほとんどない
述べています

 指扇病院副院長・さいたま市議会議員である日下部伸三氏もまた、

 医療ミスがマスコミに取り上げられない日が無い昨今だが、医療過誤で医療従事者が刑事責任を問われるのは先進国では日本だけである。医療過誤に対し刑事罰を課すのは「手術に失敗した外科医の両手を切り落とす」という4000年前のハムラビ法典と変わらない。欧米ではよほど悪質なケースを除きケアレスミスであっても医療過誤で医療従事者が刑事責任を問われる事はない。
されています

 うろうろドクターさんも、

先進国で医療者が刑事罰に問われる国は日本だけです。
述べています。ただし、その下に張られたリンク先には、別のことが書かれています。

 このブログのコメント欄で、鶴亀松五郎氏も、

故意や悪意を除く正当な診療における死亡を刑事事件化しているのは、先進国だけでは日本だけです。
述べています

 佐藤章・福島県立医科人教授は、2007年11月11日号 にて、 「医師に仮にミスがあったとしても、正当な医療行為に業務上過失致死罪を適用するのは、先進国で日本だけではないかと思います。今後のためにも、無罪を勝ち取りたい」と語気を強めたのだそうです(ネット上のコピペを見ただけで、原典に当たっていませんが。)

 また、この記事によれば、高畠由隆千鳥橋病院副院長もまた、

医療過誤事件で刑事罰により結果責任を問う国は先進国では日本だけ
と述べているようです。

 また、日本テレビのNEWS ZEROの「ACTION」ブログの「スタートから半年・・・兆しは出てきた?(第11回)」というエントリーのコメント欄において、 大藪さんという方が、

また、先進国中、医療上の行為に対し業務上過失罪を適用するのは日本だけだということも報道してください。
と述べています。

 「日々のたわごと」ブログにおいても、『我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します』というエントリーの中で、

 医師が行政処分じゃなくて刑事罰で裁かれる先進国は日本だけだという事実や(韓国を先進国扱いするなら韓国もそうですが)、現状(あるいはちょっと前の)日本は間違いなく「世界から立ち後れたアメニティしかない病院で、世界最高峰の医療水準だった」のは確かですし。
と述べられています。

 また、Yahoo!Japan知恵袋では、「医療の問題に、「警察や裁判所」が関与するのは、日本だけ?? 」という質問に対して、

おっしゃるように、「医療問題」に、「警察や裁判所」が関与するのは、残念ですが日本だけです。
(アメリカは、訴訟社会ですので、例外!です)
という回答がベストアンサーに選ばれています。

 また、「ドクターのつぶやき」では、「2008.2.15  医療事故調査とメディアの責任」というエントリーにおいて、

 このような混乱の最大の原因は、わが国の医療事故に対する関係者の処罰が、非常に厳しいものになっているという事実に目をそむけて議論が進んでいることによる。世界的に見て医師が過失によって犯罪者とされる文明国は日本だけである。
と述べています。

 これらの皆様は「先進国では」「文明国では」日本だけと言い切る前に何カ国くらいの制度を調べたのかよくわかりませんが、普通、米英独仏くらいの順番で調べないものでしょうか?

08/08/2008

隣接士業からの圧力?

 「関弁連だより」2008年8月号で会報広報委員会の伊藤喜代次先生が,平成20年度第1回地区別懇談会の結果報告として,法曹人口問題について,

一方で1000人ないし1500人に減らすべきであるという意見もあるが,これらの意見の背景には隣接士業からの圧力もうかがわれ,司法改革の基本理念から法科大学院を設置した趣旨にも反することであり安易に賛同することはできない
と記載されています。

 この部分が伊藤先生ご自身の意見を述べられた部分なのか,同懇談会における意見(とりわけ関弁連の理事の側の意見)をまとめられたものなのか定かではないのですが,一方で1000人ないし1500人に減らすべきであるという意見もあるが,これらの意見の背景には隣接士業からの圧力もうかがわれるというのは,少し首をかしげざるを得ない認識のように思われます。たぶん,弁護士会をあげて修習生の就職支援を行わなくとも済む,無理して修習生をイソ弁なり軒弁なりにしなくとも済むというラインがこの程度だから,新規合格者数をその程度にまで引き下げて欲しいという意見は,隣接士業からの圧力とは無縁に,十分あり得る話かと思います。

Guidelines 「for the NHS」では?

 ssdさんのブログのエントリーのコメント欄で、hot cardiologistさんという方が、”イギリスでは刑事事件化が当たり前ではない”、という資料として、

◎故意でない診療関連死を刑事事件化しないための、警察と検察介入のガイドライン
Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm
http://www.dh.gov.uk/en/Publicationsandstatistics/Publications/PublicationsPolicyAndGuidance/DH_062975

を挙げています。

 ただし、「Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm」をどう訳したら故意でない診療関連死を刑事事件化しないための、警察と検察介入のガイドラインというふうになるのかわかりません。そもそもこれって、「Guidelines for the NHS」であって「Guidelines for the police and prosecutors」ではないですし、1頁目に、

These guidelines provide practical advice to NHS organisations about what to do when faced with a patient safety incident or incidents that may require investigation by the police and/or Health & Safety Executive (HSE). 

って書いてあるではないかと思うのですが(それに、22頁以下の「Definitions of key terms relating to offences 」(犯罪行為に関する重要用語の定義)において、Involuntary manslaughter も、「offence」の一つとして説明されており、故意でない診療関連死を刑事事件化しないというのがどこから出てきたのか不思議です。)。

[追記]
 ssdさんのブログで反論らしきものがなされているようですが,上記英文タイトルには,「警察と検察介入の」に該当する語句はありませんし,「故意でない診療関連死を刑事事件化しないための」に該当する語句はありません。また,内容を見ても,このガイドラインに従うべきは警察でも検察でもありません。それに,上記表題を普通に訳すと,「NHSのためのガイドライン。「覚書き」──予期しない死や重大な不幸な障害を含む患者の安全に関する事故の調査──をサポートするための。」くらいではないかと思いますし。

07/08/2008

冤罪に憤る人の多くは刑事実体法の廃止を主張しない

 例えば、電車内で痴漢をしたとしてサラリーマンが有罪となった案件の中に自分たちの目から見て不可解なものがあった場合に、裁判所不信に陥ることはあるかもしれません。ただ、その場合に私たちが要求するのは、刑事訴訟手続の改善(運用面での改善を含む。)であって、電車通勤をするサラリーマンに痴漢行為についての刑事免責を付与せよとの実体法の改正を求めることではなく、電車通勤をするサラリーマンによる痴漢行為について公訴権を事実上奪い、電車通勤をするサラリーマンからなる「痴漢行為調査委員会」の判断に法的強制力を付与することではありません。かの周防監督も、痴漢の合法化なんて主張はしていません。

 例えば、自動車事故に関して業務上過失致死罪で長距離トラック運転手が有罪となった案件の中に自分たちの目から見て不可解なものがあった場合に、裁判所不信に陥ることはあるかもしれません。ただ、その場合に私たちが要求するのは、やはり、刑事訴訟手続の改善(運用面での改善を含む。)であって、自動車事故で人が死のうとも長距離トラック運転手に刑事免責を付与せよとの実体法の改正を求めることではなく、長距離トラック運転手による交通事故死について公訴権を事実上奪い、長距離トラック運転手からなる「長距離トラック運転手調査委員会」の判断に法的強制力を付与することでもなく、「人は必ず死ぬものだ」と遺族に達観を求めることでもありません。

 これらのことは、ごく一部の業界の方、および同業界の方に慕われたいというごく一部の方々以外には概ね理解されているように思います。

06/08/2008

国は「医師過剰論」をふりまき、医学部定数を減らしてきたのか

 総合病院鹿児島生協病院の馬渡耕史院長の「日本の病院では医師数が絶対的に不足している」には、   

 現在は日本で一番医師が多い県でもOECD平均を下回っており、現在の日本の医師数をOECD平均並みとして換算すると12万人不足しています。
 その原因は国の医療費抑制策にあります。「医師が増えると医療費が増える」と宣伝し1983年以降「医師過剰論」をふりまき、医学部定数を減らしてきたのです。医療の専門分化と高齢者増加に対応するために医師養成を増やしてきた欧米諸国との差がいま現実のものになったのです。
との記載があります。これに類する発言は、ネット上でも散見されるようです。

 しかし、これは前回のエントリーでも見てきたとおり、事実に反するように思います。

 国会での、特に医師である国会議員による質問は、むしろ、病院の経営問題および医師の就職問題との関係で医師が過剰になることを心配し、政府に対して医学部の定員を増加させないこと(後には削減すること)を求めているわけです。医師でもある高木健太郎議員等は、昭和51年には診療所の収入がサラリーマンの収入の8倍あったのに、58年には6.5倍になってしまったということを問題視して、医科大学をつくり過ぎたんではないかという、そういう非難といいますかね、批評があるだのこういうように医師過剰時代にこのままほうっておかれるのかどうかだの言っているわけです。

 他方、昭和56年の村山厚生大臣の今日の状況を考えてみますと、診療所の数あるいはお医者さんの数からいいまして、大体われわれは昭和六十年度に人口十万当たり百五十人くらいのお医者さんがどうか、そう言っていたのでございますが、すでにその線上よりもさらにお医者さんの数がふえているように思います。そういたしますと、大体ニーズは満たしているんではないであろうか。だから、理論的にはおっしゃる点がないとは言いませんけれども、現実的には、それだからといって医療費がそんなにふえるものではない、私は、私の勘でございますけれども、そう思っております。という答弁から判断すると、むしろ厚生省は、「人口10万人辺り150人くらい配置されれば、概ね国民のニーズは満たされるのであり、それを超えて医師の数が増えてもニーズは増えないので、医療費はさして増えない」(増えないニーズを、増加する医師で取り合うことになるだけだ)という認識でいたのではないかと思うのです(それは、医学部の定員の削減を求める医師出身の国会議員も同じような認識ではなかったかと思います。)。

医学部の定員の削減を望んだのは誰で、何故か。

 医師過剰論って、歴史が古いのですね。

 昭和48年05月09日の衆議院文教委員会で、文部省大学学術局長の木田宏氏は、

文部省といたしましても戦後、特に昭和三十年代の初めごろから理工系の学生増ということに勘案いたしまして、昭和二十年代に医学者、医師養成の定数をしぼり過ぎたのではないか。また、他の分野の拡大とあわせて医学系の定員増その他も考えるべきではないかということで、国立大学の医学部の定員増その他を進めようといたした時期もございました。しかし当時は医師会あるいは厚生省当局におきましても、医師が過剰であるということのゆえをもって医学系につきましては理工系倍増の措置をとりました際にも、非常にきびしい抑制意見をちょうだいしてまいったのでございます。そうした雰囲気がございましたために、理工系倍増その他の際に、多くの大学の新設の要求はございましたけれども、医科大学の新設要求は出てこなかった。設置申請主義をとっておりました現状から見て、このことについてやりようがなかったのでございまして、かろうじて国立大学の医学部の定員を、若干名ずつ昭和三十年度の後半からふやしてまいったのでございます。
と答弁しているのですね。

 昭和52年03月10日の参議院文教委員会で、

○山崎竜男君 私どもの心配しておることは、そういうふうにどんどんどんどん医者がふえていきますと、将来医者に失業者が出るんじゃないかという——これは出ても悪いと私は思わないんですけれども、ただ困りますことは、日本の医科大学というのは、医科大学だけしか出ないんです。外国の医科大学は、アメリカあたりは一般大学の何学部でもいいから卒業して学士号をもらって、それで医科大学へ行くわけでありますから、もし医者として生活できなくても、たとえば経済学者として出たりあるいは法律学者として生活の糧を得られるわけでありますが、日本の場合はちょっとその辺が違うんでありまして、そういう意味で、文明国の一応の基準は千人に対して医者一人、まあ八百五十人に対して医者が一人であればもう文明国の最先端であるというふうに私は理解しておるんですが、これもまた問題がありまして、日本の場合は、文部省では、人口何人に医者がどのぐらいいるのが適正値だと、これは厚生省の管轄かもしれませんが、いま計算しておられるんですか。
なんて質問が行われているのですね(ちなみに、山崎竜男議員は、元産婦人科医です。

 また、昭和55年02月18日の衆議院予算委員会で、坂口力議員は、

それに加えまして医師の数の増加というのが、これが医療費を高騰させる大きな原因になっておりますことは、いろいろの研究者の結果からも指摘されているところでございます。またベッド数が増加すればするほど、これも医療費が増加するということが言われております。そのほか医療技術の高度化というもの、これが進めば進むほど医療費がアップをする。それから薬剤費が高騰すればするほどこれもまた医療費が高くなる。こういった問題が医療費を増加させる要因として考えられるわけでございます。
 そこで、文部大臣にお聞きをしたいと思いますが、現在医学部がたくさんございますが、今後医学部の新増設というのがあるのかどうか、あるいはまた医学部の学生の定員増というものがあるのかどうかということをひとつお聞きをしまして、人口十万対比で結構でございますが、昭和六十年に医師、歯科医師の数がどのくらいになるのか、それから大体二十年先、これは先のことなのでわかるかどうかわかりませんけれども、大体どのくらいなところにいくというふうにお考えになっているか、わかりましたらひとつお答えをいただきたいと思います。
との質問をし、谷垣專一大臣から、
将来の状況を見ますと、不足の時代から若干充足をして、過剰になるかどうかこれは問題がありますが、そういう時代に入ってきておると思いますので、今後当面医科大学等のこれ以上の新設は考えておりません。しかし、先ほどお話がありました今後におきます医療水準の非常な高度化でありますとか、あるいは高齢化の時代とかいうものに対しましての問題がございますので、各方面と十分に協議をしていかなければならないと思っております。
との答弁を引き出しているのですね(坂口力議員も医師です。)。

 昭和56年10月15日の衆議院本会議で、塩田晋議員は、

最後に、病院経営の悪化、さらに医師の問題について質問いたします。
 最近は、病院なかんずく中小病院の経営は著しい苦境に立つものがあり、例年になく多数倒産していると言われております。政府は、これに対してどのような対策を考えているか、御答弁をいただきたいのであります。
 これにも関連いたしまして、近い将来、医師の過剰が言われています。現に医大、医学部等の相次ぐ新増設によって、医師の資格を取得しても、なかなか新規の開業ができないという事実があります。過疎、離島での不足が一方でありながら、明らかに全体としては過剰が予想されております。これらの将来状態を見越して、適切な措置を講ずべき時代に入ったと思うのでありますが、文部大臣のお考え及び対応策をお伺いいたします。
と質問し、田中龍夫大臣から、
ただいまの御質問の最終の要点は、医師の過剰という問題に対してどう対処するかという問題でございましたが、国立、公立、私立を通じまして、医大並びに医学部の新設やあるいはまた定員増加という問題を行わないということにいたしまして、これに対応いたしつつあります。
との答弁を引き出しているのですね(塩田晋議員は労働省出身ですね。)

 昭和56年10月16日衆議院の行財政改革に関する特別委員会で、米沢隆議員(旭化成出身ですね)は、

将来のお医者さんの数、先ほど私は大変だと申し上げましたけれども、確かにいろいろ調べてみますと、いまの医学部の定員は、学科定員八千三百四十人、昭和五十六年時点でおるのですね。いまからこの八千三百四十人、まあときには免許を取れない人もおったり、ドロップアウトする人もおるかもしれませんが、大体八千人前後の人がお灰者さんになって巣立っていくのですね。この状態がずっと続きまして、大体安足することになりますと、五十年後ぐらいには驚くなかれ四十二万三千人がお医者さんになるんだってね。それはお医者さんも人間ですから死んだりされますね。そういう生存率なんかを掛けていろんなむずかしい将来推計があるんだそうですが、そういう数字を見ましても、医学部と医科大学の現在の入学定員八千三百四十人がそのまま放置されますと、五十年後ぐらいにはお医者さんが四十二万三千人になる。歯学部、歯医者さんは、昭和五十六年学科定員は三千三百六十人だというのですが、この歯医者さんはそのころには十七万人にもなるというのですね。そういう意味では、現在の医科大学の定員というのは、将来のツケとして物すごい多くの歯医者さん、物すごい多くのお医者さん、そういうものを約束しているようなものなんですね。確かに一県一医科大学、お医者さんが足りないときにはどうしても各県ごとに医科大学が欲しかった。そういう施策はわかりますけれども、事ここに至って考えますと、これは大変な大量生産になり過ぎたという反省をしてもらわないと、私は大変ではないかという気がするのでございます。
 そういう意味で、現在の医科大学、歯学部、この定員設定はどういう根拠で決められたのか。何年ごろに何人ぐらいになるという、そういう設計がなされた上でこの学科定員は決められたのかどうか、文部大臣、ちょっとお答えいただきたい。
と質問し、田中龍夫大臣から、
 昭和四十五年に無医大県の計画が出されまして、ただいまお話しのように、今日十万人当たりの医師大体百五十名、歯科医師五十屑、これはもう歯科医師の方は昭和五十四年で五十名に到達いたしております。それから医師の方が百四十名ぐらいになっておりますから、もうすぐこれは百五十名になります。
 さような関係から、文部省といたしましての方針でありますが、これ以上どんどんとふえますとただいまお話しのような結果になりますので、医科大学、国立、公立、私立大学の学部並びに定員はもう増加しないということにいたしてとめてあります。

という答弁を引き出していますね。米沢議員は、それでも飽きたらず、
とめてあるのは結構なんですよ。とめたら大変なことになると、こう言うておるんだ。たとえば、いまお医者さんの数は十七万人ですね。歯医者さんの数は五万人ですよ。それが四十二万になり十七万になる、そういう設計でいま学科定員があるということ自体、どこかで修正しないと大変ですよ。いまのものをとめたらこんなになるのです、四十二万にも十七万にも。答えになってないんですね。ぜひ文部省は早急に、一体どういう形で医者が伸びていくのか、将来設計を見た上でやはり削減の方向を考えねばなりませんね。五十年後はお医者さんが十万人当たり四百人ぐらいになるというんだ。少なくともこれはちょっと多過ぎますよ、どう考えても。少々医療サービスがよくできるように十万人当たり二百人ぐらいにするにしても、現在の国立大学あたりの、あるいは歯学部あたりの定員を半分ぐらいにするようなことにしないと二百人にならないですよ。削ったら国公立大学の先生方減りますよ。完全な行政改革だな。行政改革ですよ。
と追及し、渡辺美智雄大蔵大臣が「大変興味を持っております。」と答えるや、
余り持ち過ぎるなという話がありますが、これは持ってもらって結構だと思いますね。それが余りドラスティックになりますとそれは大変になりますけれども、徐々に今度は学科定員——各県にみんな一医科大学ができたのは結構ですよ。しかし、その中の定員を少しずつ減らしていく。同時に、学校関係の先生方とか助教授とかいろんな職員がおりますが、そこらにも少しずつ、余り影響ないようなかっこうで減らしていく。そういうことをしない限り——することが行革であり、同時に、それを放置しておくならば、高齢化社会とともにお医者さんがふえるということは、やはり医療費そのものは相当の大きな影響を受けるであろう、そういう感覚を厚生大臣、持ってもらいたい。
と畳み掛けているのですね。なお、このころは、米沢議員の
お医者さんの数あるいは医療機関の数、そういうものがふえていけばどうしても国民医療費はふえていく、そういう関係にあるような気がするのですが、医師数、医療機関の増大は国民医療費にとってどういう影響があるのか、厚生大臣。
に対し、村山大臣が
今日の状況を考えてみますと、診療所の数あるいはお医者さんの数からいいまして、大体われわれは昭和六十年度に人口十万当たり百五十人くらいのお医者さんがどうか、そう言っていたのでございますが、すでにその線上よりもさらにお医者さんの数がふえているように思います。そういたしますと、大体ニーズは満たしているんではないであろうか。だから、理論的にはおっしゃる点がないとは言いませんけれども、現実的には、それだからといって医療費がそんなにふえるものではない、私は、私の勘でございますけれども、そう思っております。
と答えているように、厚生省としては、医師の増加→医療費の増加とはとらえていなかったのですね。

 さらに、昭和58年03月30日の参議院文教委員会で、高木健太郎議員(この方は医師ですね。)は、

 次にお聞きしたいのは、医科大学というのは現在八十校ぐらいでございますか、私正確な数は知りませんが、そうして年間約七千五百名ぐらいの医師が生まれているわけでございます。こうしていきますと、最初の医科大学の設置の目的でありました人口十万人に対して百五十人と、欧米並みの数にするというようなことはもう間もなく達成できるでありましょうし、ある府県におきましてはもうとっくに二百人を超しているわけでございまして、医師過剰時代が言われております。
 京都なんかでは非常に、二百名を超しておりますけれども、京都府は何とかいままでやってきているわけです。その何とかやってきた原因を探ってみますと、その一つには、ここに私ちょっとグラフを書いてきましたが、昭和三十年に九万四千五百六十三人であった医師が、現在、昭和五十六年には十六万二千八百八十人、こういうふうにふえている、これはしかも特に四十五年以降急激な増加を示しているというわけです。
   〔理事片山正英君退席、委員長着席〕
この医者が、昔はほとんど大部分は一般開業医として町に散っていったわけでございますが、昭和四十五年以降、そのような医院の開設者というのは急にこういうふうに減ってまいりまして、そして病院であるとか医育機関に勤務する勤務医と称するものがずっとこういうふうにふえてきているわけです。この医育機関に、あるいは病院に勤務する勤務医が、京都のように病院や医育機関が多いところでももうほとんど飽和しているわけです。そして一般医院開設者は、病院を一つつくる、医院をつくるということが非常に経済的な負担が大きいものですから、若い人たち、四十以下の人たちではほとんどありません。いま現在四十から六十ぐらいの人が開設者でございまして、若い人たちが新たに開設するということはきわめて少ないわけで、ここにそういう数字もございます。
 こういうことを見ていきますと、このままで進みましても、勤務医としてそれを収容できる間は問題は起こりませんが、ある線を超しますというと途端にまた失業というような問題も起こってくる。また医師会なんかの方からは、収入が減るんじゃないかと、まあふえぬのはしようがないといたしましても、大変医師の諸君はそれを心配をしているわけです。
と述べた上で、
 きょうの朝日新聞を見ましても、診療所の平均所得が、五十六年には年収に換算して約二千万円ぐらい、一般サラリーマンが平均年収が三百三十万円ですから、約六・五倍の診療所の収入があった。ところが、五十一年の場合にはサラリーマンの収入が二百四十万、そして診療所の方は一千九百四十万で、そのときには八倍であった。それが いまはもう六・五倍になった。これがさらに進むというともっと下がっていくんだ、しかも診療費その他の締めつけが、あるいは薬価基準等の締めつけがございまして収入が非常に減ってきた。こういうことから、お聞き及びだと思いますけれども、医科大学をつくり過ぎたんではないかという、そういう非難といいますかね、批評があるわけですね。
 それからもう一つは、それではこれからどうするのか、野方図にふやしていっていいのかということです。恐らく悪い医科大学は廃止されるんじゃないか、あるいはどこかと統合させられるのではないかという心配をしている人たちが、学長さんやその他の経営者の中にもあるわけです。そういううわさを、あるいは話をお聞きになりましたかどうか。また、こういうように医師過剰時代にこのままほうっておかれるのかどうか、その点のお考えをお聞きしたいと思います。
なんて質問をし、宮地貫一文部省大学局長から、
 ただ、従来の目標を達成することが確実にはなってきておりますけれども、なお医師確保の困難を、これは地域的な偏在でございますとかいろんな問題があるわけでございますが、そういうようなことからしますと、現時点では直ちに医師が過剰であるというぐあいには言えないのではないかと私どもは判断をいたしております。
 また、医療需要そのものも今後ふえることが予想されますし、従来の目標値でございます人口十万人に対して百五十人という目標値そのものについてもやはり検討を要する問題ではないかと思います。
との答弁しか引き出せないとなると、
この問題はなかなか要因がたくさんございまして、いまここで決めるというわけにいきませんでしょうが、もう京都なんかすでに二百人を超しておるわけですね。都会では大体二百人を超している。平均百五十人であってもすでに密集地では非常にふえているというわけです。それが何となくやっていけているというのは、私がここに言いましたように大病院なんかにプールされているということなんですね。ところがそれがいっぱいになったときに一遍に噴き出しますよということを私は申し上げているわけです。その点をぜひお考えに入れないと、百五十人がどうだというようなその数だけではうまくいかないのではないか。
ということを言い出すのですね。

 昭和59年02月09日の参議院本会議でも、中山太郎議員(小児科医ですね)は、

 これから起こってくる問題の一つに、医師の過剰問題があります。昭和四十四年、自民党は六十年までに人口十万に対して医者は百五十人程度にすべきという方針を出してまいりました。昭和四十四年私立医大の新設が認められ、地域対策として一県一医大の設置が進められてまいりました。
 昨年十一月、厚生省は五十七年末現在の医師、歯科医師、薬剤師の状況を発表いたしました。届け出医師数は十六万七千九百五十二人、人口十万に対する医師数は百四十一・五人、しかし無届けの医師が八千人余りいるので、これを加えると医師数は十七万六千人と相なります。そうすると、十万に対して医師数は既に百四十九を示しています。厚生省が当面目標とした昭和六十年に人口十万に対し百五十人を達成することが明らかになってまいりました。毎年、一年間に国公立、私立の医学部の入学の学生数は八千三百六十人であります。医師過剰時代に備えて、政府は一体どのような考え方でこれから医学部の学生の応募に対する方針を立てていくのか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
と質問していますね。そして、渡部恒三厚生大臣から、
医師、歯科医師及び薬剤師の数の問題につきましては、将来の需給バランスを見通した適切な養成が求められております。特に、御指摘のとおり、医師、歯科医師数につきましては、現状のまま推移すれば将来大幅に増加するものと見込まれます。このため、現在文部、厚生両省の間において、将来を見通した適正な水準について鋭意幅広い検討を進めておるところであり、できるだけ早急に結論を得て対処したいと考えておりますので、御了承をいただきたいと思います。
との答弁を引き出していますね。

 昭和59年03月12日の衆議院予算委員会で

そこで、いずれにしても四十五年の構想が既に達成されて、このままいきますと七十年代には十万対比医師数が二百というような状況にもなろうとしておるわけですから、そういうことになりますと、医師の過剰が結果的には医療制度の混乱、あるいはまた一部で言われておりますように医療の質的な低下、こういうことが恐れられておるわけでございます。そこで、文部省も、既に大臣からもお答えがあっているようでございますが、もう少し突っ込んで具体的な御回答をお願い申し上げたい。
と述べている河野正議員も医師ですね。

 むしろ、このころ、厚生省は、

現在の医師数の状況をもちまして医療の世界における医師の充足状況を見ますと、なおいろいろなところで医師が足りないという状況がございますから、現在の時点で過剰だというふうには考えておりません。
 将来の問題でございますけれども、厚生省の推計によりますと、昭和七十五年では、現在の養成力のままでまいりますと約二十七万人の医師、人口十万対比の表現をいたしますと二百十名になります。さらにそれ以降、昭和百年になりますと、ちょうど現在の倍の、人口十万対で三百人程度になるのではないかというふうに思っております。
 私どもは、そのことをもってすぐに過剰か過剰でないかということを判断しているわけではございませんで、当然医師に対する需要は、人口が高齢化し医療の受療率が高まれば医師に対する需要もふえていくわけでございますけれども、そういうことも織り込んで将来の医師数というものがどのくらい必要か、新たに目標を設定する時期に来ているという判断をしているわけでございます。
(by 横尾和子厚生省医務局医事課長の昭和59年04月06日の参議院文教委員会における答弁)というように、医師過剰論に与しなかったのですね。 として

 この医師出身議員が医師過剰論を振りかざして医学部の定員抑制を求めるという傾向は、平成に入ってからも続きます。平成01年11月15日の参議院決算委員会で菅野壽議員(医師であり、日本医師会の常任理事ですね)は、

諸外国の状況でありますが、医師の数が大変多くなった場合に医師の過当競争による混乱という問題が懸念されております。すなわち、過当競争により悪貨が良貨を駆逐するという心配もあるのではないでしょうか。既に諸外国におきましては医師が過剰になっていることも多いように聞いていますが、各国の医師の過当競争の問題状況とこれに関することをお伺いしたいと思います。
と質問し、仲村英一厚生省健康政策局長から、
現在既に欧米諸国では人口十万対医師数が二百二十から二百三十以上の国が出てきておりますが、お医者さんが失業するという状態が出来しておるという国もあるようでございます。必ずしも厳密な数字ではございませんが、丸い数字で申し上げますと、西ドイツでは二万二千人、イタリアでは四万五千人、フランスでは千八百人、イギリス三千人というぐらいのオーダーで職がないお医者さんがおられるという情報を承知しておるところでございます。
 それから、新たに医師免許を取得された方のうち、卒後の臨床研修を受ける場所がない、機会がないという西ドイツのような例もございますし、フランスの場合などは、医学部に入学いたしましても、途中で厳しくふるいをかけまして、七、八割はほかの学部へ回すというような状況もあるようでございます。それからアメリカの場合などは、外国からのお医者さんの受け入れは抑制するということで、むしろこれは技術移転の問題として問題にされるという指摘もあるような状況でございます。
 それから、御指摘のように、医師が過剰になることによりまして、過当競争によって良質な医療が確保されないということも起こり得る、危惧されるということでございますので、先ほどのような御意見も踏まえまして、私ども医師数を適正な数にできるだけ近づけたいということで考えておるところでございます。
との答弁を引き出していますね。

 平成05年11月09日の参議院文教委員会で、宮崎秀樹議員(医師であり、日本医師会副会長ですね)は、

次は、大学の医学部、医科大学の学生定員の問題でございます。
 これに関しましてはいろいろ定員削減という方向で文部省と厚生省との話し合いができておりまして、実行に移すということはかねてから行われているのでありますが、しかし昭和五十五年から公立学校の定員、これは八校でございますけれども、一人たりとも減っていない。また、国立大学は平成二年から削減されていない。私学はほんの少しですけれども漸減をしてきておるような状況でございます。
 一〇%削減、こういう目標を立ててやっているのですが、実際にはそこまでいっていない。このまま放置しますと、人口十万に対して相当な医師の数になってくるわけです。例えば昭和六十三年には十万対百六十四人だった。これが平成三十七年には三百人になるんです。三百人というのはいかにも医師の数が多過ぎる。

という発言をされています。

 むしろ、医師不足論が国会で取り上げられたのは(医療過疎論はともかく)、平成11年03月11日の参議院予算員会の日下部禧代子議員の質問当あたりからではないかと思いますし、これに対しては、有馬文部大臣から「平成九年六月の閣議決定及び昨年五月の厚生省の歯科医師の需給に関する検討会報告において、将来の過剰に対応して削減する必要があると指摘されております」「文部省といたしましては、同報告を踏まえまして、関係者における検討状況等を見ながら適切に対応してまいりたいと思っております。」と交わされて終わっています(日下部議員は社民党所属なので、それほど力がありませんし。)

05/08/2008

イギリスという先進国では医療過誤について刑事罰を科しているか。

 R E Ferner and Sarah E McDowellの「Doctors charged with manslaughter in the course of medical practice, 1795-2005: a literature review」によれば、イギリスでは、1990年以降に、医療過誤に関連して起訴されるケースが劇的に増えたのだそうです。

 1975年以降について言えば、その68パーセントが無罪だったとのことですから無罪率が異様に高いとは言えるのですが、とはいえ、「mistake」「Slips and lapses」でも有罪になっている例もあるようです。

04/08/2008

発言者に直接コンタクトをとって真意を確認せずAという文章をAという意味で理解することを「脳内で作り上げる」と表現しておきながら「提案してみただけ」というのは苦しい言い訳

 矢部先生から、相変わらず不思議な批判がきています。

 

要するに、小倉弁護士が、la_causette の「NATROMさんからみた藁人形って何?」において、医療側ブロガーが「全ての医療ミスを免責せよ」      

と主張しているように思われます。
と主張しているものと受け取るのが普通です。
と主張しているように読めます。

というように、必ずしも明確な根拠無しに医療側ブロガーの主張を推測しているように読めました

とまず言い訳から入っているようです。では、「NATROMさんからみた藁人形って何?」において必ずしも明確な根拠無しに医療側ブロガーの主張を推測しているのか見てみましょう。

例えば、

 「元外科医のブログ」における「医師らの刑事免責確立を」というエントリーをみると、立法による刑事免責は現場の医療人から見れば最低限の要求だろう。とあり、刑事免責の対象について特段の限定は付されていません。そもそも過失犯に対して刑罰を科しても社会に対する予防効果は全くない諸外国では医療事故や航空事故、原子力発電所などの大きなシステム事故は刑罰を科すより当事者に真実を語らせる方が社会にとって遙かに有用なことと考えられている。過誤を犯した人間に対するペナルティは免許停止などの行政罰再教育などの方が適切である。結果が悪ければ個人に刑事責任を追究するのではリスクのある業務が成り立たないと言うことは自明のことであとの文章からすると、少なくとも業務上過失致死罪に関しては「全ての医療ミスを免責せよ」と主張しているように思われます。

という部分を見ていただければわかるとおり、「医師らの刑事免責確立を」という言葉からだけでなく、「元外科医」さんがその主張の裏付けとする文章等を斟酌した上で、その言いたいことを分析しています。どこぞの元検事と違って、自分が設定した「文脈」に沿うように他人の発言の「真意」を勝手に決めつけるような強引なまねをしていません。

 そういう部分は全く無視して、「主張しているように思われます。」という婉曲的表現が用いられているということだけで、必ずしも明確な根拠無しに医療側ブロガーの主張を推測しているように読めると強弁した上で、論者の真意を確かめないで決め付けるのであれば、揚げ足取りとしか言えない主張ですだの確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思います云々と言って、「相変わらずわら人形。「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるのなら有効な主張だけど。小倉氏の脳内にはいるんだろうな。」とのNATROMさんの発言を矢部先生は正当化しようとしたわけです。

 ここにいたって矢部先生は、

 私の主張は、医療側ブロガーが「全ての医療ミスを免責せよ」と言っているのかどうかを判断するにはもう少し根拠がいるのではありませんか、その根拠を得るための(「いくつかある手段のうちの)一つの手段として、発言者の方に真意を確認してみられてはいかがですか、提案してみただけのものです。

等といいわけをしているようですが、「相変わらずわら人形。「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるのなら有効な主張だけど。小倉氏の脳内にはいるんだろうな。」という発言を確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思いますといって支持ないし正当化する発言をしておきながら、その根拠を得るための(「いくつかある手段のうちの)一つの手段として、発言者の方に真意を確認してみられてはいかがですか、提案してみただけのものです。と今更苦しいいいわけをされても、みっともない感じはします。

 「お医者様のよき理解者」として振る舞いたかった矢部先生が、NATROMさんの私に対する非難が根拠のないものであることが白昼に晒されることに耐えられず、思わず、新たな「ルール」をその場で作り出して、「お前はこのルールを守っていないではないか、だからこういう批判を受けても仕方がないのだ。お医者様は悪くない」と言おうとしたが、「そのルールは普遍的なものなのでしょうか。あなた様はそのルールをお守りですか?」と追及されて、「一つの手段として、……提案してみただけ」と突然トーンダウンしたように見えます。

03/08/2008

「直接真意を確認した上で批判する」という行為はどの程度実践されているのか

 ある人や組織の発言について、これを批判する前に、その発言者等に直接アクセスしてその真意を確認すべきだとお考えの方はまず自ら実践されたらよいのではないかと思います。

 それはともかく、そのようなことを実践しないのは怪しからんという話は、お医者様の発言を批判した今回のケースについて初めていわれたことなので、ひょっとしたら、お医者様は従前よりそのようなことを実践されていたのかもしれません。ということで、お医者様による第三者への批判がどのように行われているのかということを、全国医師連盟の「医療安全調査委員会新設への意見」に対して寄せられた、医療安全調査委員会の新設に関する与党案についてのコメントを見て検討していきたいと思います。

 まず、沖縄に住む30〜39歳の医師の方の発言ですが、 官僚の天下り先を作りたいのでしょう。とのことですが、医療安全調査委員会を設立しようという案を提示した目的が「官僚の天下り先を作りたい」からであるとの点について、与党関係者にコンタクトをとって確認したのでしょうか。

 次に、九州にお住まいの40〜49歳の医師の方の発言ですが、どこまで、医師を貶めればすむのでしょうか?とありますが、与党案の作成者に、医師を貶める意図で与党案を作成したのか確認されたのでしょうか。医療関連死について、闇から闇に葬るのではなくて、調査委員会を設置して、そこで原因を調査し、処罰すべきものは処罰しましょうと提案することは、「医師を貶める」ことになるのでしょうか。ひょっとして交通事故で通行人をひき殺してしまった場合に警察等への通報義務を負わせるとともに、実況見分等の調査活動を警察に行わせ、処罰すべきものを処罰する現行の道路交通法は、自動車運転手を貶めるものなのでしょうか。

 東海地方に住む30〜39歳の小児科医の方ですが、ハムラビ法典の時代、医師は患者が亡くなれば、死刑であったようですが、この制度はそれに類似するものでしょう。とのことですが、今回の制度のどの辺が、「医師は患者が亡くなれば、死刑であった」ハムラビ法典下の制度と似ているのでしょうか。私が知る限り、医師を業務上過失致死罪で処罰するには医師に「過失」があったことを要件とするという基本線を変えようという話はでていないように思うのですが。それとも、大村秀章衆院議員等の「医療紛争処理のあり方検討会」のメンバーに直接コンタクトをとってその真意を確認したところそのようなことを仰っていたということなのでしょうか。

 九州にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、医者=性悪説を前提とするような制度には断固反対であるとのことですが、医療関連事故が起こったときには外部機関でその原因等を調査しましょうというのは「医者=性悪」説とは特段関係がないと思いますがいかがでしょう。自動車事故の時に警察が調査活動等を行うのだって「運転者=性悪」説に基づいているわけではありません。

 海外に在住の30~39歳の内科医師の方ですが、この委員会は,厚生省の,厚生省による,厚生省のための委員会で,医療の進歩を妨げ,日本の医療崩壊を決定的にするものである。とのことですが、厚生省が自己の欲得のために医療安全調査委員会を創設しようとしているということについて厚生省の担当者に直接コンタクトをとって真意を確認したのでしょうか。

 甲信越に住む40〜49歳の医師の方ですが、選挙対策の国民受けする制度を安易に作ろうとする議員や政府のやり方には怒りを感じます。とのことなのですが、医療安全調査委員会を、「選挙対策の国民受けする制度として安易に」創設しようとしているなどの真意を直接確認されたのでしょうか。「選挙対策の国民受けする制度」ということであれば、こんなマニアックなところではなく、もっとわかりやすい部分で作りそうなものだと思いますが。

 関東にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、助けるために行って助けられなかったら殺人罪ではあまりにもひどすぎる。レスキュー隊は助けられなかったら殺人罪ですか?捜索隊は助けられなかったら殺人罪ですか?警察官は守りきれなかったら殺人罪ですか?とのことですが、私が知る限り、「医療紛争処理のあり方検討会」のご提案はそのように大胆に刑事実体法の改正を求めるものではないように思います。大村秀章衆院議員等に真意を確認してのご判断なのでしょうか。

 近畿にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、 産婦人科がいなくなった原因は激務に見合わない過剰な訴訟にある。今度はすべての科の医者をなくす気かとのことですが、直接大村議員にコンタクトをとってその真意を確認したらよいのではないでしょうか。私には、訴訟になる前に、医療ミスにより患者が亡くなったのかどうかがわかる方が訴訟の数は減少するように思いますが。

 近畿にお住まいの20〜29歳の医師の方ですが、自分たちの利益しか考えず、実際の現場のことを理解していないし、しようともしていない。とのことですが、「自分たちの利益しか考え」ていないとか「実際の現場のことを理解」しようともしていないというのは、これも直接コンタクトをとってその真意を確認した上での発言でしょうか。

 近畿にお住まいの40〜49歳の大学病院勤務医師の方のご発言ですが、知識のない警察官にはまかせられないとのことですが、与党案は「知識のない警察官にまかせ」ようというものではなく、知識のある方々からなる調査委員会でまず調べましょうというものではないかと思います。それとも、この方は、直接コンタクトをとって、「今回提案した制度は、知識のない警察官に医療事故の処理を任せることを目指したものだよ」と聞き出したということなのでしょうか。

 北陸に住む30〜39歳の医師の方ですが、第一線の臨床の場で働く医師で、このような組織の設立に賛成する人が居るとは思えません。とのことですが、そんな「第一線の臨床の場で働く医師」の意見を十把一絡げで表現するのは危険すぎます。ブログ持ちなら医療系ネットイナゴの餌食です。

 近畿にお住まいの大学教員の方ですが、 不幸な事故の再発を防止することと、責任者を吊るし上げることは別の枠組みでやっていただきたいです。とのことですが、与党案では、医療安全調査委員会で「責任者を吊るし上げること」を予定しているとの情報はどこから入手されたのでしょうか。原案を見る限り、責任者を糾弾する場として活用されるとはにわかに信じがたいのですが

 関東にお住まいの50〜59歳の内科医の方ですが、 実際に現場で働いている人間の意見も聞かずに何が医療の安全か.たわけたことを.とのことですが、「医療紛争処理のあり方検討会」のメンバーが実際に現場で働いている人間の意見も聞かずに医療安全調査委員会を作ろうという案を作ったとの情報はどこから仕入れたのでしょうか。一般論としていえば、与党も野党も、法案を作り上げるに当たって、現場で働いている方々を呼び出してヒヤリングをしていることが多いですが。

 北陸にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、司法や警察やメディアの一部は医療の結果を医療関係者のみに責を負わせ、罰すれば医療の質が改善すると考えているように見えるとのことですが、医師に結果責任を負わせれて医師を罰すれば医療の質が改善すると考えている人はいないと思いますが、直接これらの職業の方にコンタクトをとって確認をされればいいのではないでしょうか。

 東北にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、 「悪の黒幕を倒せば、正義と平和が訪れる。」「正しく呪文やアイテムを使えば、怪我も病気も、死んだ人さえもすぐに回復する。」というドラクエ脳のまん延が医療を滅ぼします。とのことですが、今回の与党案がそのような「ドラクエ脳」に基づいて作成されたものとはにわかに信じがたいです。これも大村議員らに直接コンタクトをとってその真意を確認した上での発言でしょうか。

 四国にお住まいの30〜39歳の医師の方のご意見ですが、私たちは患者を殺すために医療をしていません。それがわからないのでしょうか。とのことですが、殺すために医療行為を行っていると判断したら、業務上過失致死罪ではなく、殺人罪を適用します。すなわち、業務上過失致死罪の成否を問題とするというのは、医師達は「患者を殺すために医療をしてい」ないということは一応認めた上のことです。

 中国地方にお住まいの50〜59歳の私立大学教員の方のご意見ですが、 処罰感情や敵討ちは世の中を悪くするだけです。そういう感情が沸き起こることは仕方がありませんが、安易に外へ吐き出して満足し、向き合って克服しようとする努力を怠るのは、人格の幼稚さの現われです。ましてや規範の根底に据えようとは、そんな国に未来はありません。とのことですが、刑罰制度自体を否定されるのでしょうか。

甲のAという発言を批判するときには、甲に直接コンタクトをとって、前もって、Aという発言の真意を確認する覚悟はできているのか。

 「甲のAという発言を批判するときには、甲に直接コンタクトをとって、Aという発言の真意を確認しなければいけない。」という矢部先生の私に対する批判を支える論理というのは、ネット上での批評行為のほぼ全てを否定するもの(さらに言えば、ネット上のものに限らず、批評活動自体を事実上否定するもの)なのですが、矢部先生に同調されているブロガーやはてなブックマッカーの方々は、自己の過去を全否定し、今後は矢部先生のご言いつけを守って「甲のAという発言を批判するときには、甲に直接コンタクトをとって、前もって、Aという発言の真意を確認」する覚悟ができているのでしょうか。

Aという発言の真意をAと理解するには個別にコンタクトをとって確認する必要があるが、Bと理解するにはそのような確認は不要だということなのでしょうか。

 全国医師連盟(正確には、全国医師連盟設立準備委員会執行部によるものですが「現在でも通用します。」とされています。)の「医療安全調査委員会新設への意見」には、

巷では、新設される医療調査委員会は、社会保険庁が解体されることによって生じる余剰公務員の受け皿、又は、年金官僚の受け皿であると噂されている。国民のこのような 懸念が払拭できていない現状では、莫大な予算を伴う政府機関の新設には反対である。
との記載があります。しかし、そのような話は、一部の医療関係者が言っているだけで「巷の噂」にすらなっていません。

 例えば、うろうろドクターさんは、

そういえば昨日も、「『医療安全調査委員会』は厚労省の中に置く」と言っていました。
社保庁解体後の天下り先確保の為に、日本の医療を破壊しようとしている連中を私は許せません。
していますが、「『医療安全調査委員会』は厚労省の中に置く」目的が「社保庁解体後の天下り先確保の為」なのかどうか厚労省に確認をとったのでしょうか(たぶん、肯定しないと思うのですが。)。ひょっとしたら、矢部先生や矢部先生に賛同されている方は、「Aと主張されている人の真意をAと理解してこれを批判するには前もって発言者に直接コンタクトをとってその真意を確認する必要があるが、Aと主張されている人の真意をBと理解してこれを批判するには前もって発言者に直接コンタクトをとってその真意を確認する必要はないし、Aという発言の真意がBであると理解するにつき特段の根拠も必要ではない」ということなのかもしれません。

02/08/2008

「自分が検察官なら認識ある過失の主張など取り下げさせるからそんな問題は生じない」との批判について

 京都弁護士会の矢部善朗弁護士が「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」というブログを開設されたようです。現役の弁護士が特定の弁護士を批判するためだけにブログを立ち上げることが弁護士倫理上いかがなものかということは今後の研究課題です。

 ところで、栄えある第2回目のエントリーである「日本産科婦人科学会における『正当な業務の遂行として行った医療』の意味」において、矢部先生は、

 私が主任検事なら、というか通常の能力の検事なら、自分の前にこの看護師なり医師なりが被疑者として座って

    隣のベッドに寝ている患者の血液型がA型だったから、この患者の血液型もA型だろうと勘で決めつけてA型の血液を輸血しました。

などと供述したら、過失じゃすみませんよ。
 未必の故意の自供です。
 上記の供述の意味するところは

    勘というのは当たることもあれば外れることもある。外れたとしてもかまわない。輸血しちゃえ。

と同じです。
 「私の勘は絶対当たるんです。」という弁解は通用しません。

と仰っています。

 刑法上の「故意」についての判例通説は、認識・認容説であるとされています。すなわち、犯罪結果の発生の可能性を認識していたとしても、認容していなければ、「故意」は成立しないというのが通説的な考え方です。上記例で言えば「勘というのは当たることもあれば外れることもある」と認識していたとしても、「今回勘が外れて患者が死んでしまったとしても構わない」という「認容」がなければ、故意犯とはなり得ないのです。つまり、「この患者はA型に違いない」とヤマ勘で判断をし、この判断に基づいてA型の血液を輸血した場合には、「ヤマ勘が外れた場合には、患者は死亡するかもしれないが、それでも構わない」という「認容」は存在しないので、「故意」は成立しないわけです(これは、講学上、「認識ある過失」と呼ばれています。)。そこでは、「私の勘は絶対当たるんです。」という弁解すらする必要はなくて、その輸血をする際に、その患者はA型であると信じていればよく、そう信じることに付き合理性があることすら必要とされていません。

 被疑者たる医療関係者が上記主張を貫き、勘が外れてその患者がその輸血行為によって死亡したとしても構わないと認容していたことを確実に示す証拠が提出されない場合には、どんな能力の検事であろうとも、当該医療関係者を故意犯として有罪に持ち込むことはできないということになります。

 もちろん、被疑者を逮捕勾留し、長時間にわたって高圧的な取り調べを行う等して、「もちろん、私の勘が100パーセント当たるわけなんてありません。私は、外れたら外れたで仕方がない。そのときは患者が死ぬことになりますが、それでも構わないと思っていました」と書かれた供述調書に署名・捺印させてしまう検事もおられるでしょう注1。被疑者がどのような言葉を語ろうとも、自分が設定した「文脈」に沿って、文言にとらわれることなくその言葉を解釈するという手法に慣れた元検事さんがおられることは一部に知られている話ですから、その方が検事でおられた際に、隣のベッドに寝ている患者の血液型がA型だったから、この患者の血液型もA型だろうと勘で決めつけてA型の血液を輸血しました。と医療関係者が答えても、それは、勘というのは当たることもあれば外れることもある。外れたとしてもかまわない。輸血しちゃえ。という意味だな。当時そういう認識だったということで調書に記載しておくが、いいな。ということで押し切られてしまうかもしれません。

 でも、検察官がそのような高圧な取り調べで被疑者の弁解をねじ曲げて(というと怒られてしまうので、検察官が設定した「文脈」にそって解釈して)調書を作り上げて故意犯に仕立て上げてしまうという前提で、立法論を語るのはいかがなものかという気がします。

 

注1
いわゆる「山形マット死事件」のように10日間の勾留では無理でも、20日間勾留できれば、被疑者を無理矢理落とすことはできるかもしれません。

【追記】

 矢部先生からトラックバックがきているのですが、上記ケースで「状況証拠で『認容』の存在を推認できる」ということになると、その医療行為を行った時点での心理状態を示す証拠がなかったとしても、その医療行為には客観的に見て一定の危険があり、その行為者は平時においてはそのことに関する知識があったということだけで、殺人の未必の故意を認定できるということになりますから、医療過誤について従前業務上過失致死で処理されていた事案の一部が傷害致死または殺人で処理されることになり、却って医療従事者にとっては厳しいことになりそうな気がします(例えば、慈恵医大青戸病院事件等)。

01/08/2008

日本産科婦人科学会における「正当な業務の遂行として行った医療」の意味

 日本産科婦人科学会の岡井崇理事の

 正当な業務の遂行として行った医療に対しては、結果のいかんを問わず、刑事責任を追及することには反対。この考えは現在も将来も変わらないと思う。
という発言の、特に「正当な業務の遂行として行った」という部分の解釈について、私の解釈が正しいのか、矢部先生の解釈(といいますか、矢部先生は私の解釈にいちゃもんをつけただけで、ご自身の解釈はお示しではありませんが)が正しいのかを考えるに当たって、日本産科婦人科学会がこの問題についてどのように言っているのかを見てみることにしましょう。

 社団法人日本産科婦人科学会が厚生労働省医政局総務課医療安全対策室長佐原康之氏に宛てて平成20年2月29日付で作成し提出した『「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方」に関する見解と要望』によると、同学会は、

診療関連し原因究明のための調査委員会の設立に際しては、「"医療事故調査委員会"の報告書を刑事手続に利用することを原則認めない。但し、故意、悪意、また、患者の利益に即さない目的で行われた医療等に起因する事故についてはこの限りでない。」の一文を委員会規定の中に成文化することを要望する。
としています。この文章を読むと、「正当な業務の遂行として行った医療」に対立する概念として、日本産科婦人科学会では、故意、悪意、また、患者の利益に即さない目的で行われた医療というものを想定しているのではないかと思われます。

 さらにこの文書を読み進めると、6頁に、医療事故に対する刑事訴追”に関しての日本産科婦人科学会の見解 として、

日本産科婦人科学会は、資格を有する医療提供者が正当な業務の遂行として行った医療行為に対して、結果の如何を問わず、“業務上過失致死傷罪”を適応することに反対する。ここで言う“正当な業務の遂行”とは、当該疾病に関わる患者の利益を第一義の目的とした疾病の診断・治療・予防等またはそれに関連する行為を指し、医療的行為であっても、悪意や故意により患者の利益に反する結果をもたらした場合や、上記以外の目的で施行した医療行為は含まない。
との記載があります。また、同文書には、どの医療分野に於いても、医師は自らの能力の範囲内でしか診療することはできず、その意味では一般に行われている診療の多くは最善でないと言え、そして、もし、問題とされる診断や治療が“適切”か“不適切”かの判断基準を現行の医療水準、すなわち“平均的な診療能力”に置くならば、当然の事ながら、半分の医療行為は“不適切”と判断されることになる。日常的に最善でない医療を行いながら、たまたま不運な条件が重なった事例に遭遇すれば大きな事故に結びつくと言う特殊なリスクを抱えて業務を行っているのであり、改善すべき診療部分が多くの事例で存在する事実を考えれば、それを過失として咎められ刑罰を受けることの不条理は明確一部の例外的な不適格者を除いて、医師は慈悲と善意の精神で、また使命感を持って、病に苦しむ患者の診療を行っているのである。それが故に、譬え一連の診療の過程に至らない箇所があったとしても、結果が不幸な事態となったことで刑事責任を問われるのは許容し難い心情的苦痛を産み出す患者や家族と利益及び感情を共有し、そのために力を尽くした医師や看護師に刑罰を与えることは善意の行為を後退させるのみならず、善意の対象である患者と医療従事者との関係をも崩壊させる愚行であることは、火を見るよりも明らかである能力不足が原因の医療事故への対処として医療提供者に刑罰を与えることは、以後の類似事故の防止に繋がらないだけではなく、医師や看護師の使命感の喪失と意欲の減退を招き、それが医療の進歩を遅延させることは社会が既に経験して来た事実である等々の記載も記載もあります。これらの点から判断すると、主観的な要件として、「当該疾病に関わる患者の利益を第一義の目的」がある場合には、その一環として行われた医療行為またはこれに関連する行為については、いかにミスの程度がひどいものであっても、刑事責任を追及されるべきではないと日本産科婦人科学会は要求しているように読むのが普通だと思います。そしてその要求が入れられた暁には、「当該疾病に関わる患者の利益を第一義の目的」とさえしていれば、「隣のベッドに寝ている患者の血液型がA型だったから、この患者の血液型もA型だろう」と勘で決めつけてA型の血液を輸血して患者を死亡させても、刑事責任を追及されないと言うことになります。

 なんだ、私の解釈がほぼ当たっていたのではないか!と言わざるを得ません。

法令用語の使われ方くらい調べればいいのに。

 「『標準的な医療から著しく逸脱した医療』ってそんなにオープンな文言ではないと思うのですが」というエントリーに対して、矢部先生から奇妙な批判を受けています。

 まずは、日本産科婦人科学会の岡井崇理事の

 正当な業務の遂行として行った医療に対しては、結果のいかんを問わず、刑事責任を追及することには反対。この考えは現在も将来も変わらないと思う。

という発言の解釈についてごちゃごちゃと言っているわけですが、この根拠たるや、法律家の通常の感覚に従ったとしても、100人中99人は、「間違った型の血液の輸血行為」を「正当な業務の遂行として行った行為」とは考えないと思いますという矢部先生の主観でしかありません。それを無理矢理正当化するためなのでしょうか、

 但し、一般人ではなく法律家の一人として私の認識は間違っていると言いたい法律家がおられましたら、本名と所属を明記の上、投稿願います。明記なき投稿は法律家の投稿とは認めません。

ということを矢部先生は言い出しました。まあ、ああいう匿名さんにやりたい放題にさせているブログのコメント欄に実名でコメントを投稿する人は少ないですし、特に匿名の医療系ブロガー・コメンテーターの品の悪さ、陰湿さというのはすでに広く認識されていますから、上記のような呼びかけに応ずる者はいずれにせよほとんど現れないだろうというのは予想できるところですので、それを受けて、「ほら、法律家はみな私の解釈を支持しているのだ」というお積もりだったのかもしれません。で、コメント欄で「公平を期するためには,矢部先生のような解釈をされる法律家についても,本名と所属を明記の上、投稿願った方が良さそうです。」と投稿させていただいたところ、上記の意図が外れたのか、「小倉先生からは、内容面における反論はないようですので」云々という話をされてしまいました。あのエントリーを見て、私に内容面における反論を求めていると解釈せよと言われても無理がありますし、09:06のエントリーに対してその日の13:46 に「小倉先生からは、内容面における反論はないようですので」といわれましても、「今日は平日ですよ」としか言いようがありません。

 この発言は、それが語られた「文脈」からすると、医師が刑事責任を追及される場合を現行の法制度よりも限定的なものにしたいという「意図」をもってなされたとみるのが自然です。そうだとすると、ここでいう「正当な業務として行われた医療」とは「過失なくして行われた、客観的に見て、現在の標準的な医療水準を満たした医療」という意味にとらえるべきではないでしょう。むしろ、岡井理事は、医師等の医療従事者が正当な業務として行う医療活動の一環として行った医療行為については、これに起因して「患者の死」等の結果が生じたとしても、(過失の有無を問うことなく)刑事責任を問うべきではない」ということが言いたかったのだろうと思います(その意見に賛成するか反対するかはともかくとして)。この方が「として行われた○○」という言い回しの一般的な用法とも合致しています。

 そうだとすれば、医師等の医療従事者が正当な業務として行う医療活動の一環として輸血を行う際に、クロスチェックや診療録のチェック等を怠り、同型の血液を輸血しているものと軽信して、異型の血液を輸血したような場合についても、その刑事責任を追及することに岡井理事は反対する趣旨なんだろうと解される可能性は十分にあります。

 次に、日本小児外科学会の河原崎秀雄理事の

 警察への通知は、『犯罪の可能性が高い』と委員会が判断したものに限定されるべき。

との発言について、私が

 現行刑法では、軽過失で人を死に至らしめても犯罪ですから、その場合、却って通知義務の範囲が拡張されます。ここでの「犯罪」を「殺人または傷害致死」という意味に善解するとなると、医療機関は、医療従事者の「主観」まで調査した上で警察に通知するか否かを判断しなければならないことになります

と言及したことについても、ごちゃごちゃと述べています。

 

「事故」は「事件」とは区別されており、法律家的には「故意がない場合」であることが常識です。そして、「殺人または傷害致死」は故意犯です。どなたか、「殺人事件」を「事故」と表現する方はおられますか?

と矢部先生は述べておられます。私へのいちゃもんの根拠ってほとんどそこだけです。しかし、例えば、「損害保険契約ハ当事者ノ一方カ偶然ナル一定ノ事故ニ因リテ生スルコトアルヘキ損害ヲ填補スルコトヲ約シ相手方カ之ニ其報酬ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス 」(商法629条)にいう「事故」は「故意がない場合に限定される」という見解はおそらく一般的ではありません。また、「故意に障害又はその直接の原因となった事故を生じさせた者の当該障害については、これを支給事由とする特別障害給付金は、支給しない。」(特定障害者に対する特別障害給付金の支給に関する法律第12条)というときの「事故」は、故意に招致されたものを指すとしか理解しようがありません。さらにいえば、羽田沖日航機墜落事故は、故意犯ですが、「事故」と表現されています。矢部先生は、「「事故」は「事件」とは区別されており、法律家的には「故意がない場合」であることが常識です」との「常識」を、どこで身につけられたのでしょう。

 矢部先生独自の「常識」を除外して考えれば、

河原崎理事の発言報道では、記事を読んでいただければ明らかですが、河原崎理事は上記引用部分に引き続き「医療事故死に該当するかの基準だが、臨床の現場ではこの基準がもっとも大事な判断基準になるので、早く公表してほしい。」と発言していることから明らかなように、河原崎理事の発言は「医療事故」を念頭に置いたものです

としても、その上で、そのような医療事故死の中でも医療従事者に故意がある可能性が高いと委員会が判断したときだけ、警察への報告義務の対象とすることにしてほしいと河原崎理事が求めていたと解釈することは、別におかしくはありません。

 むしろ、ここでいう「犯罪」は「故意犯」に限定されないとすると、河原崎理事は、業務上過失致死の疑いがあるという程度で報告義務を負わされるのは受け入れがたい、業務上過失致死の可能性が高いと委員会が判断した場合に限定してほしいとの意向を示したという話になるわけですが、本当にそういう趣旨で受け取っていいのでしょうか。そうだとすると、「標準的な医療から著しく逸脱した医療に起因する死亡又は死産の疑いがある場合 」に限定して警視総監又は道府県警察本部長への通知義務を負わせるとする医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案より、通知義務の範囲が拡大されると思うのですが。それって、却って、この発言がなされた「文脈」に反しませんか。

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