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septembre 2008

30/09/2008

ネットサービス企業の苦情受付窓口

 Google社の一番の問題の一つは,そのサービスにより被害を受けたとする人からの苦情受付窓口の貧弱さにあります。それは,ストリートビューだけの問題ではなく,その名誉やプライバシーを侵害する内容がグーグルキャッシュにより不特定人に送信され続けている場合にその削除を求める際などにも共通する問題です。

 もっともそれは,Google社だけの問題ではありません。2ちゃんねるにせよ,Yahoo!にせよ,はてなにせよ,苦情受付窓口は貧弱です。それらのサービスの影響がネットに親和性の高い人々の間に留まっているのならば苦情受付体制はそれらの人々に合わせればよいのかもしれませんが,これらのサービスによりデマや個人情報を流布される被害者は必ずしもネットに親和性の高いわけありませんので,もう少し国民の標準レベルに合わせた苦情受付体制も構築が必要です。特に,Web2.0系のサービス等,ユーザーの動き次第では第三者の権利を侵害することとなりかねないサービスを大々的に提供するのであれば,商品の瑕疵等により消費者の権利を侵害することとなりかねないメーカー等並の苦情受付体制を設けておくべきだといえるでしょう。想定されるクレームの量に合わせて,これを的確に処理できるだけの人員・設備等を用意する(例えば,その製造する商品に重大な瑕疵があることが判明し,クレームの量が相当増加することが想定される場合は,人員を増やすとともに,別途電話回線を設けるなどして設備面でも配慮する)等,メーカー等の古典的企業が行ってきたことを敢えて行わないことが,ネット企業の間で横行しているのが実情でしょう。

 ストリートビューにせよ,ブログ・掲示板サービスにせよ,多くの人に利便性をもたらすというプラスの側面があるとともに,第三者の人権を不当に侵害するというマイナスの側面もあるのですから,マイナスの影響を極小化するために一定のコストを払うことは,その提供者の社会的責任でもあり,法的責任でもあるでしょう。メーカー等は,その商品が社会にもたらす効用がいくら大きくとも,公害を垂れ流しにしたり,商品の瑕疵により被害を被ったとする人からのクレームを受け付けない等と言うことは許されていません。ネットサービス企業には,それが許され,クレーム処理のためにコストを払う必要がないとする合理的理由はないように思います。

29/09/2008

刑事司法制度自体を否定されても……

 ロハス・メディカル・ブログに,都立府中病院産婦人科部長である桑江千鶴子氏の「「医療裁判で真実が明らかになるのか」──対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するためにー」という文章が掲載されています。その中に次のような一節があります。

 我々医療提供側の人間は、現在の日本では、完全に病気や怪我を治すことを求められるが、そのようなことは神でもない人間にできるわけはないので、「どんな状況でも絶対に間違えずに病気を治せ、怪我を治せ」「手術・検査・投薬で思わぬ悪い結果が出たら罰を与えるし、責任を取って罪として償うべきだ」ということを個人として要求されていて、苦しくなっていたたまれず、医療現場から兆散してゆく。これが医療裁判の形をとっている医療崩壊の実態である。医療提供者は、医療受給者と同じ人間である。まったく変わるところはない。しかるに、医療を仕事とした途端に、神として振る舞うことを要求されるのである。こんな人間性を無視した仕事の仕方や体制が、今後継続してゆけるわけはない。その結果が医療崩壊である。

 医療側は,いつまでこのようなデマを流布して司法部門を攻撃しようとし続けるのでしょう。どんなずさんなミスでも医師個人は何の法的も負わない,「地上の法」になど従う必要がない,いわば「神」のごとき存在として認められるまで,我が国の司法制度を攻撃し続けるつもりでしょうか。

 「罰を与える」「罪として償う」という言葉から刑事責任お話をしているのではないかと想像するのですが,法の建前上,医療提供者の側に「過失」がなければ業務過失致死傷罪で処罰されることはありません。また,実際の運用においても,何度も言っているように,我が国の医療過誤刑事の訴追件数の少なさを見れば,医療提供側の人間は、現在の日本では、完全に病気や怪我を治すことを求められ「手術・検査・投薬で思わぬ悪い結果が出たら罰を与えるし、責任を取って罪として償うべきだ」ということを個人として要求されているという実態がないことは明らかです。といいますか,自分たちの病院の中で,患者の病気が怪我が結局治らなかった例がどの程度あり,そのうち病気や怪我を治せなかったのは怪しからんとして医療関係者に刑事罰が科せられた例がいくつあるのかを考えてみれば,上記認識が実態と乖離しているものであることは容易にわかるはずです。

 また,「医療崩壊」が「医療を仕事とした途端に、神として振る舞うことを要求される」ことの結果だとするのであれば,病院勤務を辞めた医師は概ね医師以外の職業に就いているはずですが,それもまた実態と乖離しています。単なる「勤務医→開業医」という流れが強くなったというだけであれば,それは,勤務医に比べて開業医の労働環境が魅力的であるから,である可能性が高いということです。そして,全ての勤務医に開業医並みの処遇をすることが我が国の財政状態から許されないとするならば(まあ,例えば,生活保護制度を廃止して2兆円を浮かせて,それを勤務医にいわば特別給付金としてばらまく等の方法は理論上はあり得ても,政治的には無理でしょうから),勤務医と開業医の処遇を平準化していくくらいしか手だてはないでしょう。

 なお,桑江氏は,

 しかし、ここで冷静になって考えて欲しいのは、「正直に何があったのか事実を話してほしい。でも正直に話せば、罰を受けますよ。」という状況で事実を話すということが、人間の性(さが)として有り得るのか、ということだ。

とも言っています。そのような刑事訴訟手続自体を否定するようなことを言われても困ってしまいます。現在,多くの被疑者は,黙秘権の告知を受けた上でなお,正直に話せば罰を受けるという状況の中で,事実を語っています。私は,捜査機関には批判的な方だと思いますが,だからといって「自白」のほとんど全てが拷問等の強制に基づくものだとまでは思っていません。交通事故などの業務上過失致死傷被疑事件においても,多くの被疑者は,正直に話せば罰を受けるという状況下でも,正直に話をしていると認識しています。

 また,

 事実を知ることは基本である。その上で、なぜ起こったのかを皆で考えて、再発防止をするためにはどうしたらいいかを考える、という道筋において、まず事実を知るためには、そうすることで個人は不利な扱いを受けない、という大原則を打ち立てて守らなければならない。もし、そういうことが共通理解になったら、誰もカルテを改ざんしたりはしないだろう。嘘をつく必要も、お互いをかばいあう必要もなくなる。

とも桑江氏は述べています。そりゃ,嘘をつく必要はなくなるかもしれませんが,同時に再発防止をする必要もなくなります。ずさんな行為により患者を死なせても医師個人は何の責任を負う必要がない,すなわち,医師個人としては患者の命よりも自分たちの都合を優先させても構わないとした場合,医療機関の側で,そのような医師達に医療行為を行わせても患者の生命が不当に損なわれることがないようなシステムを構築させることは困難です。「あの患者は,私がネット上で医師であることを明示して述べていることに逆らっていますので,看護婦に指示して点滴液に雑巾の絞り汁を入れてやりました。まさかそれで死ぬとは思いませんでした」と素直にいえば,個人は不利な扱いを受けないということで国民が納得できるのか。大いに疑問です(再発防止策としては,「医師の発言に逆らってはいけません。医師を怒らせてはいけません。医師の要求は何でも受け入れなさい。さもなくば,同じような事故の再発は防止できません。」と全国民に通告すれば足りるのかもしれませんが,それで国民が納得するかは大いに疑問です。)。あるいは,「私は,忙しいので,説明書きを読まずにこの薬剤を投与しました。はあ,ちゃんと読んでいれば,こういう場合には禁忌だと言うことがわかったのですね。次からは気をつけます。ってことでいいでしょう?」ということで納得できるのだろうか,というと大いに疑問です。

28/09/2008

中山成彬国土交通相が辞任

 中山成彬国土交通相が辞任の意向とのニュースが飛び込んできました。

 ただ,中山議員が大臣の職を賭してまで何がしたかったのか,理解できずじまいです。

 

大分県の教員汚職事件にも言及し、日本教職員組合(日教組)と絡め「大分県教委の体たらくなんて日教組(が原因)ですよ。日教組の子供なんて成績が悪くても先生になるのですよ。だから大分県の学力は低いんだよ」と話した。
とのことですが,何でこの人はこのようなことをいうのかわかりません(国土交通省の職掌の範囲を理解されているのでしょうか。)。大分県教員汚職事件で問題とされているのは,教員の採用に関して金銭等を媒介とした不正が行われていることであって,日教組に加入する教員の家族等がまさにそのこと故に特に採用されたということではありません注1大分県の教員汚職事件では議員等による「口利き」が問題となっているわけですから,特に言及するのであれば,むしろ,議員等が教員等の採用に関して「口利き」を行うことの弊害についてでしょう。

 もちろん,「(●●では)○○の子供なんて成績が悪くても○○になるのですよ。だから,●●の○○のレベルは低いんだよ」という一般論ならばあり得ると思うのですが,それを,小泉元首相が自分の後継者を次男の小泉進次郎氏(関東学院六浦高校→関東学院大)にしようとしている時期に言うというのは,自民党の議員としては大胆にすぎて躊躇されたのかもしれません。

 中山議員は,その後も,何とか日教組は解体しなきゃいかんと思っている日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊すために私が頭になる決意を示したと述べたようですが,一国の大臣が特定の労働組合を潰すことを公言することが国内的および国際的にどういう意味を持つのかということが,お考えになった方がよかったのではないかと思います。


注1

 まあ,朝日新聞が県教委義務教育課参事、矢野哲郎容疑者(52)=贈賄容疑で再逮捕=の関係者らが朝日新聞の取材に対し、「小中学校の教員の採用には県議や県教委幹部、教育委員、県教職員組合(県教組)に枠が振り分けられていると、県教委関係者から聞かされた」と証言した報じていますが,そのような枠が存在するのかについては日教組はこれを否定しており,さらなる追加報道はないようですし,仮にこれが真実だったとしても,「県教組枠」って「特別枠」のうちのごく一部だからそこに「大分県の学力は低い」ことの主たる原因とするのはいかがなものかなあという気がします。飯島勲氏の著書『代議士秘書−永田町、笑っちゃうけどホントの話』(講談社文庫)には,公立学校の教員になるには、まず教員採用試験に合格して登載名簿に載らなければならない。(略)そして校長は、保守系の政治家から斡旋された者を教員に採用するケースが少なくない。校長というのはたいてい保守派で、また無難にことをすまそうとするから、保守系の政治家からの斡旋に首を横にふることはまずないのである。したがって、保守系の政治家からの紹介があれば、その学校の先生になることはたやすいといっていいとあるのだそうですが,中山議員は,保守系政治家枠で成績の悪い人物が教員採用されることは学力の低下に繋がらないとのお考えなのでしょうか。

27/09/2008

受験秀才型しか合格しない?

 産経新聞の「「就職できない!」 法科大学院修了者の新司法試験の合格率低迷」という記事で,やはり引っかかるのは,

【新司法試験】「受験秀才型しか合格しない」との批判があった旧司法試験の反省から作られた。
という部分です。どのようなお題目で新司法試験が導入されたのかは,自社の過去記事でも見ればいいのにと思いました(産経新聞には,自社の過去記事すら参考にせずに過去を振り返った記載をする文化があるのかもしれません。)。

 産経新聞がどういうタイプを「受験秀才型」と仰っているのかはわかりませんが,私の同期を見回してみても,豪放磊落タイプも結構受かっていますし,学生運動や市民運動等に身を投じていた方々も少なからずおられましたので,旧司法試験は「受験秀才型しか合格しない」というのはかなり実態と異なるように思います。

26/09/2008

主導権の問題ではない

 

協力すれば、というところを普通に読めば、結局、根本はおんなじ見解を述べているだけにも思えます。でも、法律家に主導権を渡してないことで批判されているのかな?バカバカしい。
なんてことをいっているがいますけど,全然違います。

 「このような場面での医療準則は何か」ということに関して医師の協力を求めるのと,事実調査,認定,規範へのあてはめを全て医師のみが行い法律家は外から「アドバイス」をするにとどめるのとでは,天と地ほどの差があります。

 こちらでも紹介しましたが,スウェーデンの「Medical Responsibility Board」は9人の委員からなり、その議長には実務経験のある法律家が就任し、その他の委員も、健康サービスの様々なセクターで経験を積んだ方々が就任します。そのようにして公平性を保ち,又,事実調査・認定を適切に行っているとの信頼を勝ち得ることができるからこそ,裁判に準じた機能を負わせることが社会的に是認されるのです。その公平性及び適切さに対する信頼は,法律家を権限のないアドバイザーに据えただけでは,決して生まれてくるものではありません。

 (全国医師連盟は,事故調査委員会の委員の人選について,なぜ北欧の制度と全く異なる制度を提案したのか,私には理解しがたいところです。まあ,最初から,医師同士で徹底的にかばい合いを行い,よくよく酷い医療ミスでも医師個人に法的責任を追及させまいという意図に基づいているのだろうと推測はしますが。)

 なんだか,こういったことを,「医師と法律家の主導権争い」みたいな矮小化してしか認識できない人っていうのは,ちょっと哀しいですね。

法律家は医療のことを理解して何が正しいかをジャッジすることが出来る

 

じゃあ法律家が医療のことを理解して何が正しいかをジャッジすることが出来るかというとそうでもないと思うけど。

仰る人がいますが,鑑定などにより専門家の助けを得つつであれば,法律家は,医療のことを含むほとんどの事象について,事実を認定し,そこに法を適切に当てはめることが出来ます。その判断を,医療系ブロガー等がお気に召すかはともかくとして。だって,少なくとも形而下の問題についていえば,法律家って,いかなる分野の紛争に関しても,事実調査,認定,法規範への当てはめ,等を経て「結論」を出すことを拒めない立場でずっと過ごしていますから。

 といいますか,医療事故調査において医師の優位性って,当該ケースに当てはまる「医療の準則」を知っているというだけですから,調査活動,事実認定,刑事手続に付すことの相当性等をもっぱら現役の現場医師のみからなる組織に委ねる合理性ってないですね。諸外国における裁判外の医療事故調査組織について,そのメンバーを現役の現場医師に限定しているところはないのではないかと思います。

 さらにいえば,何をもって刑事処分の処すことの判断をもっぱら現役の医師からなる組織に委ねた場合,医師を刑事処分の処すためのハードルは思い切りあがりそうです。未だ未熟な医師が,熟練の医師の立ち会いなしに,実際の患者の体を使って練習し,案の定ミスして患者を死に至らしめたような場合でも,不可罰になるのではないでしょうか。また,医師に批判的な人が点滴を受けた際に,まるで点滴液の中に雑巾の絞り汁を混ぜたかのような大量の雑菌が混入しており,その結果その患者が感染症で死亡してしまったというような場合にも,不問にされる虞が高そうです。まさに,「命が惜しかったら,一か八か医師の診療の受けなければ確実に死ぬという場合以外は,医師による診療を受けてはいけない」という未来を望むのでなければ,そのようないびつなシステムは作るべきでないと言えそうです。矢部弁護士の開設するブログのコメント欄や掲示板での医師(自称を含む)の発言を見る限り,ということになるのでしょうが。

25/09/2008

今度は何世?

 麻生内閣は,平均2.056世議員の集まりなのですね。 Asocab_2

23/09/2008

法律家のいない調査委員会なんて,コーヒーのないクリープのようなものだ。

 全国医師連盟の試案において,刑事訴訟法上の証拠法則への配慮が足りないのは仕方がない面があります。彼ら自身は法律の素人ですし,彼らには,まともに法的なアドバイスをするブレーンがいないわけですから(1000人の会員が1万円ずつ出し合えば合計1000万円になりますから,それなりに法的システムを作り上げることの出来る能力のある弁護士に素案作りを依頼できるとは思いますが。)。

 ただ,医師の刑事責任を追及するか否かを定める重要な役割を「医療安全調査委員会」に負わせようというのに,そのメンバーを現役医師に限定してしまおうとするあたり,政治性又は社会性に欠けているといわざるを得ません。普通,この種の組織は,責任追及の可否が問われる集団外のメンバーを広く入れることにより,公平性ないし中立性があることを示そうとするものです。

 さらにいえば,責任を逃れたいばかりに嘘をついているかもしれない相手から事情聴取を行うということが本当に現役の医師達にできるのかということを考えれば,現役の医師達でメンバーを固めた「医療安全調査委員会」に,警察・検察による調査を中断させる権限を与えることは不適切だといわざるを得ないでしょう(お医者様は,自分たちは偏差値が高いから文系の連中が出来ることは何でも出来ると思っているのかもしれませんが,嘘をついているかもしれない人々を相手に嘘を見破っていくというのはそれなりに技術と経験を要します。)。この種の組織を作り,運営するに当たって,事実調査,事実認定に関して,法律家に仕事をさせないというのは,普通に考えると下策です。

 また,全国医師連盟の試案では,「医療安全調査委員会」の委員長も現役の現場の医師の中から選ぶとしているのですが,委員長の仕事を甘く見すぎなのではないかという気がしてなりません。この種の委員会の委員長というのは,委員全員の意見をきちんと聞いてその内容を理解しつつ,論点を適切に把握し,次に何をすべきかを委員や事務局に指示し,最終的な結論のとりまとめまで行う必要があります。そんな大役を引き受けられる「現役の現場医師」なんてそもそもいるのか疑問です。

22/09/2008

山崎事務局長が想定した社会の在り方に近づいたのか

 平成14年11月21日の参議院法務委員会では,福島瑞穂議員の

私がちょっと分からないのは、ロースクールでどうも八割ぐらい受かる、試験には受かるとなっているけれども、じゃ、まず第一の質問は、受からなかった二割の人たちはじゃどこへ行くのか。九百万払ってなれないというと、金返せじゃないですが、一体その人たちは一体どうなるのかということが一点。ではまず、それについてお聞きをします。ロースクールで受からない人はどこへ行くんでしょうか。
という質問に対して,山崎潮司法制度改革推進本部事務局長(当時)は,
JDという、法務博士という学位をもらえるわけでございます。この学位を持って他のところに就職をしていくということは、今後の社会の在り方としてそういう傾向になっていくというふうに、それは法科大学院がどれだけ実力を持つかによるわけですけれども、そういう生かし方はあるんではないかと考えております。
と答えているのですね。

 いわゆる三振者が出始めた今年,山崎事務局長のこの想定が現実化したかが試されるわけですね。

20/09/2008

「医療の安全確保と診療の継続に向けた医療関連死および健康被害の原因究明・再発防止等に関する試案」について

 全国医師連盟が,「医療の安全確保と診療の継続に向けた医療関連死および健康被害の原因究明・再発防止等に関する試案」なるものを公表しているようです。これは,一言で言えば,「医師同士の庇い合い」に刑事司法を拘束する法的権限を与えよ,とするものといえるでしょう。

 医療安全実務経験を有する現役の現場医師のみからなる医療安全調査委員会(法曹関係者、その他有識者等は,審議、調査について助言できる「参与」に加えられるにすぎない)を,医療関係者の責任追及を目的としたものではなく、医療の安全性向上を目的とするものであると位置づけておきながら,委員会から検察庁あての「刑事手続に付すことが相当」との通知を業務上過失致死罪の起訴要件にせよとしています(もっぱら再発防止という観点から調査を行うのと,過失責任の有無という観点から調査を行うのとでは,調査の方向・内容がそれなりに食い違ってくる可能性があるように思いますし,個別事案を起訴すべきか否かは遺族や社会の処罰感情もふまえた刑事政策的な観点を加味することが不可欠であって,もっぱら医療の安全性向上を目的とする組織による判断にはなじまないように思います。)。加えて,この試案では,被害届、告訴、告発があった場合、捜査機関は一件記録を添えて事件を委員会に回付し、検察庁が委員会から「刑事手続に付すことが相当」との通知を受けるまでは、捜査を停止するように規定する。とされていますから,警察・検察は,医療安全実務経験を有する現役の現場医師のみからなる「医療安全調査委員会」のお許しを受けるまでは,業務上過失致死の疑いで捜査を行うことすら出来ません。

 しかも,全国医師連盟の試案では,医療従事者、医療機関の管理者および設置者の行為が医学的に大変不適切であっったと判明したとしても,医療安全調査委員会は,検察庁あての「刑事手続に付すことが相当」との通知を行う義務を負っていません(同試案の33項には,委員会、地方委員会、調査チームが調査の結果、医療従事者、医療機関の管理者および設置者の行為が医学的に大変不適切であって刑事手続きに乗せることが相当であると判断した事案については、捜査機関に対しその旨を通知するとの記載はありますが,これと,34項において起訴要件とされている委員会から検察庁あての「刑事手続に付すことが相当」との通知が同一のものかが明らかではありませんし,仮に同一のものだとしても,医療安全調査委員会は,医療機関の管理者および設置者の行為が医学的に大変不適切であるという「医学的判断」の他に,刑事手続きに乗せることが相当であるという刑事政策的・裁量的判断を行って「刑事手続に付すことが相当」と通知するか否かを決定することが出来るので,医療機関の管理者および設置者の行為が医学的に大変不適切であって,医師以外の多くの国民が「刑事手続に付すことが相当」だと考えるような事案であっても,医療安全実務経験を有する現役の現場医師のみからなる医療安全調査委員会が医師達独自の「庇い合いの論理」で(例えば,「99人の患者の命を助けたんだから1人くらいミスして患者を死なせても医師が責任を取る必要ってないよね」みたいな。),「刑事手続に付すことが相当」との通知を行わないこととすれば,患者を死に至らしめた医師達は何らお咎めを受けずに済むことになります。「刑事手続に付すことは相当ではない」との通知を遺族に対して行わないこともあり,「刑事手続に付すことが相当」との通知を医療安全調査委員会が行わないことに対して遺族が不服申立を行う機会も設けるつもりはないようです。まあ,最初から庇い合いが目的ならば,「庇い合い」を無にするような不服申立制度を排除するのは,当然なのでしょう。

 さらにいえば,法曹関係者が委員に入らない「医療安全調査委員会」の指揮の下では,刑事裁判に耐える証拠の収集・保管方法がとられない可能性が十分にあり,事件が起こってから月日が経った後に,委員会から検察庁あての「刑事手続に付すことが相当」との通知がなされたとしても,警察・検察は,当該医療従事者を有罪に持ち込むだけの証拠を収集できない虞が十分にあります。委員会および地方委員会は医療事故に関する強力な調査権限を有し、医療機関への立入り検査や診療録の提出命令、医療従事者などからの聞き取り調査等を行う権限を有する。委員会および地方委員会は、身柄拘束以外の強制調査権限を有し、必要に応じて裁判所から捜索令状、差し押さえ令状などの交付を受け、家宅捜索、証拠物品などの押収を行うことができる。とは書いてありますが,医療安全実務経験を有する現役の現場医師のみからなる医療安全調査委員会にそんなことが全うに出来るとはにわかには信じられません。

 さらにご丁寧なことには,全国医師連盟の試案は,「刑事手続に付すことが相当」との通知を行っても,「医療安全調査委員会」は,調査の過程で採取した診療記録や解剖所見、Ai 画像等の客観的資料をこの通知に添付すれば足り,関係者の証言録は、この添付資料に含めてはならないだの委員会の委員、職員、委員会の調査に関わった者は、関係者の証言について守秘義務を負い、当該事案の刑事法廷における証人となることは出来ないだのとしています。「刑事手続に付すことが相当」との通知を受けるまで捜査を中止せよといっておきながら,関係者の証言録も捜査機関に渡さないというあたりが,何とも言えません。事件が起こってから相当の月日が経ち,関係者の記憶も薄れた時点になってから,捜査機関に,事件の詳細についての関係者の証言・供述を集めさせようというのでしょうか。そもそも,医療従事者などの関係者が委員会から質問に答えることを強制されないわけですし,そもそも同業者による緩い質問にしか晒されないわけですから,関係者の証言録も捜査機関に渡したところで,黙秘権の侵害等の弊害が生ずる危険はないわけで,「医療安全調査委員会」における関係者の証言を捜査機関に対し秘匿する理由がよくわからないですね(関係者の証言をふまえて診療記録や解剖所見、Ai 画像等の客観的資料を見たときにはさすがに「医療機関の管理者および設置者の行為が医学的に大変不適切であ」ったといわざるを得ない場合でも,証拠不十分で不起訴又は無罪となって欲しいという気持ちの現れでしょうか。)。

19/09/2008

iPhoneで法律の条文を見るためには

 iPhoneで基本的な法令を参照できるようにするためのベストな方法って何なのでしょう。

 もちろん,ネット接続が可能な環境での閲覧に限定されることを我慢し,iPhoneでの見やすさということにこだわらなければ,総務省やLexisNexisの条文検索ページにSafariでアクセスすればよいだけの話なのですが,iPhoneのあの画面と文字の大きさ等はPCのそれとはそれなりに違いがあるので,PC用のウェブブラウザに最適化したデザインではいろいろと見にくかったりすることは否めません。

 iPhoneでのアクセスに最適化したデザインの条文サイトを作るのが最も手っ取り早そうです。が,iPhoneは携帯電話としては所詮Softbankなので,繋がらない場所が多いのが気に掛かります(まだ,中大での後期の授業が始まっていないので,中大の教室で繋がるか不明ですし。)。

 かといって,条文閲覧ソフトを開発するのも面倒くさそうです。iPhone SDKなら無料で配布されているし,iPhone Developer Programだってスタンダード板でよければ1万円ちょっとで入手できるし,そもそもそのプログラム自体はそれほど難しい処理が要求されるわけでもなさそうですが,コーディングまでやるとなると10数年ぶりですので,結構不安です。

 そのうち,模範六法iPhone版とかが発売されるかも知れないですが,IT・知財部門にいると,扱う法律がちょっと特殊なので,模範六法系では間に合わないのが残念なところです。

18/09/2008

「医療過誤訴訟の専門知識とノウハウ」

 弁護士って,ノウハウを包み隠さず,同業者間で共有し合う傾向が強いです。弁護士会内部の研修会や研究会では,かなりざっくばらんな話をすることが多いですし,それが書籍化されることも少なくありません。

 平成20年9月10日発行の東京弁護士会弁護士研修センター運営委員会編「医療過誤訴訟の専門知識とノウハウ」も,そのような書籍の一つです。この本では,患者側代理人と医療側代理人とが,同業者のためにそのノウハウを開示してくれています。

 にしても、赤松岳先生の下記発言は率直に過ぎるのではないかと思います(当然、医療側の代理人もこれを読んで、医師に注意を喚起してしまうことが予想されるわけですから)。

 そこで医師の特性を知るということですが、一番は、何といっても、医師は頭が良いということです。
(中略)
 それから頭がいいだけに、医学文献に書かれている医学知識について、「知りませんでした。」ということは決していいません。ですから、こちらに有利な文献を持っている場合には、「こういう文献がありますがご存じですね。」と尋問しますと、知らなくても、読んでいなくても、知りませんとはいいません。「はい、知っています。」と答えます。ということになれば、知っていることを前提にして、後の尋問が組み立てられるということです。

(242頁)

 知財・ITの分野だと,当事者の認識等がそれほど重視されないこともあって,そういう引っかけ的なことは基本的に行わないので,思わず「う〜ん」と唸ってしまいます。

たった二兆円

 本田宏先生の「医師増員の署名活動を開始しました!」というエントリーもまた,コメント欄が面白いですね。

 なかでも,澤田石順先生の

医療費をたった二兆円ほど増額するだけで、全国の病院・診療所はうるおい、医者を増やしても給料を削減する必要などなくなるでしょう。 我々は市民なのです。市民が政策を決定するのであり、役人ではありません。そもそも厚労省の官僚が医療者を指導するのではなく、医療者が官僚を指導するのです。この当然のことを知らずして、「官僚による医療費抑制政策は天災であるから未来永劫変更できない。」とみなしている医師らがあまりにも多すぎると思います。
というご発言はすごすぎます。思わず,「Lady Madonna」の歌詞の一節が口からこぼれてきそうです。

 実は控えめな法曹業界は,その100分の1である200億円ほど司法予算を増やしていただけるだけでも,市民の皆様のリーガルアクセスを飛躍的に向上させることが出来るように思えてなりません。半額の1兆円ほど司法に回していただけたら,どれほど使い勝手のよい司法が出来ることでしょう。

17/09/2008

医師がなぜ医師増員に反対するのか

 本田宏医師の「医師がなぜ医師増員に反対するのか」というエントリーおよびそのコメント欄を見る限り,医師の大幅増員に最も反対しているのは医師自身であるということができそうです。矢部善朗弁護士のブログを見ていると,財務省や厚労省等が悪者にされがちなのですが,実際にはそうでもないようです。

 もちろん,増員反対派の医師たちが気にしているのは自分たちの食い扶持の問題なので,世界的にも高額な医師1人あたりの医療費を現状通り維持しつつ医師の数だけを大幅に増やす分には反対はされないとは思うのですが,厚労省が所管する介護や失業対策等の予算を削減して医師たちが楽して高禄をはむシステム作りをするというのは如何なものかという気がしてなりません。

 そういう言い方をすると,自分たちは介護や失業対策の予算を削減して医療に回せとは言っていない云々と言われそうな気はするのですが,厚労省の予算規模は既に大きなものであり,さらに厚労省にばかり予算を傾斜的に配分してしまうと,他の省庁は予算不足で必要な事業が行えないという事態すら生じ得ます。例えば,国民医療費の国庫負担分は平成18年度で推計約8.2兆円ですから,医師1人あたりの国庫負担額を維持しつつ医師を5割増やそうと思えば,国民医療費の国庫負担分を約4.1兆円増やさなければなりません。平成18年度の裁判所予算が約33億円,法務省予算が約63億円ですから,裁判所と法務省を廃止して浮いた予算を全て医療予算に回したとしても,まさに焼け石に水状態です(まあ,それはそれで医療ミスで患者をいくら死なせたとしても,刑事罰を受けるどころか,損害賠償請求すら受けずに済むわけですから,矢部弁護士のブログで「司法不信」を言い立てている一部の医師ないし医師もどきには,お金の面では満足できるものではないにせよ,住みよい社会になるのでしょうけど。)。

09/09/2008

ネガティブ評価の賞味期限

 人の過去の過ちにいつまでも拘って,その人が今行っていること,そして近未来に行おうとしていることについてまでまとめてネガティブに評価するという手法は,ネットではしばしば行われていることですが,それをいつまでもやっていると,ただでさえ人材に乏しい(なんたってほぼボランティアベースですからね!)「こちら側」では,本当にぺんぺん草も生えないことになりかねません。

 仮に指摘されていることが事実だとして,警察・検察から捜査を受けて起訴猶予等の処分を受けたのなら,あとは,社会貢献をすることで償いをしてもらえば良いではないか,若手中心で立ち上げた新しい組織に「後見人」として無償でアドバイスをしたり,ロビー活動をするためのキーマンの紹介等をしてあげるのであれば,それは過去の罪滅ぼしのための社会貢献の一環としてみてあげれば良いではないかという気がします(嫌疑なし,嫌疑不十分での不起訴ならましてとやかく言うことでもありませんし)。横領経験のある人を金庫番にするという話ならさすがにどうかと思いますが,新設された中間法人の後見人なんて,犯罪的に地位を悪用することなんて普通できません(しかも,相手は,そんな地位よりは悪用しやすい肩書きを既に持っている人なんですし。)。

 もちろん,個人として「あいつだけはどうしても許せない」という人はいるでしょうから,「あいつを関与させるのならば,俺は関与しない」という行動をとること,更にいえば,その旨を事前に通告することまではいいですが,それを超えてしまうと,「俺との交流を裁ち切るのか,あいつとの交流を裁ち切るのか」という踏み絵を迫ることになり,それは,その両者とも交流していきたいと考えている第三者をただ無駄に困惑させることになってしまいます。ISED発足時にも似たような踏み絵メールは届いてきたわけですが,その時はそういう踏み絵はやめて下さいというメールをこちらから出して,そのときはそれで理解していただけたと思ったのに残念です。

出版133社代表の声明

 「出版133社代表がオリコン訴訟の公正な審理を求め共同声明」という記事がJANJANにあがっています。

 ただ,名誉毀損記事を掲載した場合の慰謝料額が安いと,弁護士を雇って裁判を起こして白黒つけるということが,たとえ勝っても採算割れという悲劇を引き起こします。また,ろくに裏取りもせずに他人の名誉を毀損する記事を書き立てることにより得られる利益が,採算を度外視して提訴に踏み切ったごく一部の被害者との訴訟に負けて支払いを余儀なくされた場合の慰謝料の期待値を上回る場合は,どっかで聴いたうわさ話をさも真実のように書き立てた方が,裏取り取材をしてそのうわさ話の裏がとれなかった場合には掲載を断念するより経済的に合理的だと言うことになります。それは中・長期的にはマスメディアの信頼を失わせることにつながるので,却ってマスメディアの健全な発展のためにもよくはないように思います。

 記事の中には,

このような判決がまかりとおり、取材源秘匿の原則が否定されれば、事実上、雑誌や書籍の編集発行はきわめて制約されます。憲法に保障された言論・出版の自由、報道の自由は大きく阻害されます。そして、国民の知る権利にとって由々しい事態を招くことは明らかです。
とあるのですが,実際,「匿名の内部告発」を作り上げて捏造記事を書き立てるメディアもあるので,「誰かは言えないけれども,自分は関係者からこういう話を聞いた」という類の証言に高い証拠価値を認めるのはいかがなものかとは思ってしまいます。それに,取材源の秘匿って,匿名の告発者から聞き取ったという話にしておけば,その者が語ったとする事実の真実性を認定してもらえる,という都合のよい法理ではないので,「誰かは言えないけれども,自分は関係者からこういう話を聞いた」という類の証言に高い証拠価値を認めなかったということは取材源秘匿の原則の否定ではありません(米国での取材源秘匿の法理は,証言拒絶→法廷侮辱→収監という厳しい環境を前提としたものであり,自ら収監されることを甘受してでも秘匿を約して取材を申し込んだ取材源に係る情報は秘匿するというのが米国のジャーナリズムの精神です。)。

07/09/2008

企業再生に関与した経験

 国際児童文学館を潰すために,私設秘書に指示して職員の様子をビデオカメラで隠し撮りしていたことに関して,橋下徹大阪府知事が「民間だったら当たり前」と言っていたことが話題となっています。

 公務員等を攻撃するときの決まり文句として「民間だったら」という言い回しがなされることが多い昨今ですが,「それは民間企業でも希有な例ではないか」と思われることが検証抜きで「民間だったら当たり前」に行われていることにされている例が少なくないようです。今回の例についても,企業内の1セクションを閉鎖するために,代表取締役の個人的な使用人に命じてその部署の従業員の仕事状況をビデオで隠し撮りする(そのような隠し撮りを行うことについて,企業としての正式な意思決定を経てはいない。)というのは,私が知る限り,民間企業では「当たり前」のこととしては行われていません。

 破綻の危機に瀕している企業の再生って,弁護士としてもそれなりの経験と力量が必要な部門であって,若い弁護士は,経験と力量に定評のある先輩弁護士の下でその仕事を手伝わせてもらうことにより経験を積んでいくたぐいのものであって,かなり早期に独立をしてしまっている橋下弁護士がどの程度企業再生に弁護士として関与してきたのかわからないのですが(橋下知事を大阪府の「破産管財」人扱いしようという言論が橋下知事のシンパには多いようですが,彼がこれまで弁護士として企業再生に関与し成功させてきた実績について触れるものはほぼ見あたらないので),従業員の自信と尊厳を失わせ,従業員からの信頼を崩すようなことをし,「管財人」だけが拍手喝采を浴びようとするというのは,企業再生の手法としては下手な部類なのではないかという気がしてなりません。

06/09/2008

MIAUの法人化記念パーティ

 昨日は,MIAUの法人化記念パーティに出席してきました。私は,MIAUのメンバーではありませんが,シンポジウム等に呼んでいただいたりしておりますので,お声をかけていただきました。いろいろな方とお話が出来てよかったです。やはり,この種のパーティ・イベントは,時間とお金が許す限り,出席するのが吉です。

 結局のところ,市民がその声を現実の政策に反映させていくためには,団結し,団体として様々な方面に適切に働きかけを行っていくことが必要ですし,そのためには,誰が交渉窓口となるのか等が透明化していることが望ましいことはいうまでもありません。一つの利益集団の要求だけが丸ごと実現するということは滅多にないので,譲歩案を受け入れられる窓口がないと,政策立案担当者としては無視する以外の選択肢が取りにくいからです。そして,そのためには「法人化」というのは一つの有力な選択肢です。団体の意思決定におけるヒエラルキーが外部から見て一応透明化されますから。もちろん,ロビー活動を行うには,(賄賂を送るとかそういう意味でなくて)様々なコストが掛かりますから,その資金を得るための寄付金を集めるための銀行口座を団体名で開設できるというのも法人化のメリットではありますが。

 もちろん,津田さんが代表者を務める団体のパーティなので,いわゆる「津田うだうだ論争」の話題もでましたけど,ネットのうだうださん達の問題の一つは,対抗勢力から見て,どこまでこちらが譲歩したら向こうも譲歩してくれるのかということを探る術がないということでしょう。もう一つの問題は,ネットのうだうださんたちは,対抗勢力側の都合というものを考えずに,要求水準を過激化させがちだということです。この,過激化したうだうださんの要求がネット上で対抗勢力の目に触れるということは,現実的な要求を実現させようと前線で交渉・ロビー活動等を行っている穏健派を背後から銃で撃つようなことになりがちです。利益集団の法人化,およびこれに伴う意見の対外的重みのヒエラルキーの可視化は,対抗勢力や政策立案担当者に対して,過激なうだうださんの意見を無視して現実的な妥協をしやすくする効果があります(もちろん,その団体の入会資格や規模,意思形成方法,類似集団の有無等によって,その団体のトップに,その利益集団を代表して妥協を含む交渉の窓口となる正当性の有無・程度が問われるわけですが。)。

05/09/2008

医師一人あたりの医療費のGDP比が高いということ

 医師一人あたりの医療費のGDP比が日本は4.0でOECD諸国の平均が3.0であるということは,医療費全体のGDP比を増加させることなく医師の数を33%増やしても,医師一人あたりの医療費のGDP比はOECD諸国の平均となるにすぎないということを意味します。これは,逆に言えば,「医師の数を増やすと医療費が増大し,国家財政を圧迫する」という「医師過剰警戒論」に対抗する論理となり得ます。たとえば,医師が過重労働である場合には,医師の数が増加しても,労働時間が分散するだけですから,その医療機関における仕事の量に応じて金額が定まる診療報酬の総額に影響はないということになります(個々の勤務医についてサービス残業を行っているということは,その所属する医療機関に不当な所得を得せしめるものであるとしても,患者およびその所属保険組合はその医師がサービス残業中に行った医療行為に対応する報酬を支払っているのですから,逆に言えば,医師の増加により勤務医のサービス残業がなくなったとしても,患者およびその所属保険組合が支払うべき賠償額に変動は生じないということになります。)。

 また,医師一人あたりの医療費のGDP比がOECD諸国の平均の33%増しであるにもかかわらず,医師の平均所得がGDP比ベースでOECD諸国の平均を大きく上回らないのだとすれば,それは国民が医療にお金をかけないことが主たる要因ではなく,医療機関において,何らかの出費がOECD諸国の平均を大きく上回っていることが原因なのだろうと考えることが可能であり,それを探求し改善することで,国民に負担をかけることなく,医師の平均所得を上昇させることが出来るかもしれません。

04/09/2008

医師1人あたりの医療費の国際比較は?

 日本の場合,GDPに占める医療費の割合を,国民1000人あたりの医師・歯科医の数で割った数値って,結構高いですよね。2004年のデータで,「4」ですからね(スウェーデンが約2.7,フランスが約3.2,ドイツが約3.1,イギリスが約3.3です。)。日本の場合,医師一人あたりの概算医療費は概ね1億円を超えますから,医療系コメンテータさん達の不満はともかくとして,医師に対してはそれなりに医療費を支払っている社会だということが言えそうです。それは,医師出身の国会議員が,医師過剰論に基づき,再三にわたり医学部の定員の削減を政府に働きかけた成果とも言えそうです。

[追記]

 早速,京都弁護士会の矢部善朗弁護士がこのエントリーについてのエントリーを監視サイトにアップロードされたようです(日本のお医者様は悲劇のヒーロー・ヒロインということにしておかないと困る人たちがいるのでしょう。)

 データについては,「OECD Health Data 2008 - Frequently Requested Data」を使っています。また,日本よりこの数値が大きい国はないのかとの点についていえば,米国とカナダは日本よりもこの数値が大きいようです。Expperdoc2004

 この数値が大きい場合には,概ね,医師一人あたりにかかるコストが大きいということが言えます。

 また,概算医療費とは,診療報酬の審査支払機関で扱った医療費を集計した数値であり,ほぼ国民医療費と重なる(ただし,労災医療費等が抜け落ちる分,若干小さくなる)ものです。概算医療費は,厚労省が毎年の集計結果を公表しているので,我が国において,どの程度のお金が医療機関に落ちているのかを見る上での重要な数値の一つだと思います。

 [追記2]

 矢部弁護士のブログのコメント欄では,相変わらず曲解に基づく私への批判が渦巻いており,矢部弁護士はこれを黙認する状態が続いていますね。

 もちろん,医療機関が受け取った収入がそのまま医師の所得になるわけではないことくらいは理解しており,そのように受け取られるような記述もこのエントリーにはありません(矢部弁護士の取り巻きの方々の国語力に合わせた文章は書けませんので,一般の読者の読解力に合わせざるを得ませんが。)。ただ,さまざまな経費・人件費がかかるというのは,日本の医療機関に特徴的なことではありませんので,わが国の医療費水準が少ないのかどうかを国際水準と比較して考えるときの指標としては,問題ないように思います。

02/09/2008

いわゆる朝青龍問題と憲法

 日本相撲協会と朝青龍との関係について言えば,なぜ日本相撲協会が朝青龍のプライベートな事項(就業時間外の髪型や,休暇期間中の帰省の可否等)についてあれやこれやと文句を付けられるのかが理解できなかったりします。

 日本相撲協会と力士との間の契約関係がどのような種類のものであるのかは分かりませんが,仮に雇用契約の一種だとしても,就業時間外の全人格を協会が支配するようなことは許されるべくもありません。また,財団法人である日本相撲協会が興行収益の極大化を目指して力士の人権を制約することが許されるのかについてそもそも疑問が生じうるところですが,仮に,主に有限会社ないし株式会社により運営される芸能プロダクション並みのイメージコントロール目的の干渉が許されるとしても,休暇期間中に帰省することや,人前に現れるときにかならず髷を結った状態でいることを常に強制することは行き過ぎなのではないかという気がしてなりません。

 相撲が日本の伝統的なスポーツであり,神道的な要素が多分に組み込まれていることを加味してみても,わが国の憲法秩序がそこに及ぶことを否定することはできないというべきでしょう。

鎖国の起点

 「篤姫」をはじめとする幕末ものを見ていて不思議に思うことの一つは,鎖国政策なんて徳川幕府が勝手に決めたことであり,安土・桃山時代には普通にヨーロッパ人も日本を訪れ,貿易等を行っていて,それで特にひどいことは起こらなかったのに,なぜ,孝明天皇はあそこまで頑なに攘夷思想に凝り固まっていたのかということです。

 ロナルド・トビ「『鎖国』という外交」によれば,1791年にロシア船エカテリーナ号が大黒屋光太夫を伴って日本近海に現れ,日本との通商関係を求めた時点でもなお日本は「鎖国」をしているのだとの認識はなく,むしろ,このときエカテリーナ女王からの国書に対する返答を考える中で,通信・通商のことが定めおかれた国以外とは対外関係を結ばないことを,松平定信が「祖法」としてしまったとのことのようです。それは,孝明天皇が生まれるわずか40年前の話です。通信・通商の相手を中国,朝鮮,琉球,オランダの4カ国に限定することを表明したのが,レザノフからの通商要求をはねのけた1805年のことであり,通信の相手を朝鮮・琉球とし,通商の相手を中国・オランダとする旨を対外的に表明したのが1845年のことですから,孝明天皇の側近の中には,幕府が鎖国を「祖法」に仕立て上げていく過程をつぶさに見てきたものがいたのかもしれません。また,後期水戸学の中心である藤田幽谷は1774年生まれで,1789年には水戸藩の修史事業である『大日本史』の編纂に携わっているのですから,攘夷思想が古来のものでないことはわかっていてしかるべきだったのですが,どうして水戸藩が攘夷思想に凝り固まっていくことになったのか,なかなかわかりにくいところです。

 もっとも,膨大な情報に簡単にアクセスできるようになった現代の日本でも,例えば,医学部の定員が減らされたのは,厚生省による医療費削減策の一環だと信じて疑わない人たちが少なからずいる(現実は,こちら)わけですから,仕方がないことなのかもしれませんが。

A,M,Sは気をつけろ

 ケンブリッジ大学のRichard Clayton博士の研究によれば,メールアドレスが「A」,「M」,「S」のいずれかで始まる場合,平均よりも40%以上多く,スパムメールが送られてくるのだそうです。今後,新しくメールアドレスを取り直す方は気をつけましょう。

01/09/2008

医療系ブロガー等のデマをデマと指摘することを「余計」なことだと公言されるとは

 前々回のエントリー

矢部弁護士のブログのコメント欄の常連コメンテータを含む医療系ブロガー・コメンテータのおかしな意見を批判したり,彼らが流すデマをデマと指摘することを何ら躊躇しておらず,この点について,私は何ら態度を変えていません。

と述べたところ,京都弁護士会の矢部善朗弁護士は,これに対し,

 小倉弁護士は、

私は何ら態度を変えていません。

と言明されていますので、今後も「余計な一言」を書いてくれるのでしょう。

として,私を攻撃するために開設しているブログのタイトルを「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」に戻してしまいました。

 矢部善朗弁護士にとっては,医療系ブロガー・コメンテータのおかしな意見を批判したり,彼らが流すデマをデマと指摘することは,「余計な一言」なのでしょうね。

corporate manslaughter

 日本産科婦人科学会常務理事・昭和大学産婦人科教授の岡井崇氏のインタビューが日経メディカルのサイトに掲載されています。

 まず,そのタイトルは,「まず刑罰ありきでは医療は退化する」となっています。インタビュー記事のタイトルは通常メディア側がつけるので岡井先生が悪いわけではないのですが,ミスリーディングなタイトルです。何しろ,平成11年から16年の間,正式起訴はわずか20件,略式起訴を含めても79件しかない我が国の医療過誤刑事の実務が「まず刑罰ありき」とはほど遠いものであることは明らかです。

 それはともかく,岡井先生がこのインタビュー記事の中で,

 例えば、Aという薬剤を投与しなければいけないのに、Bという薬剤を投与してしまったといった単純なミスは、警察に通知しなければならない事例になるでしょう。ただ、この事故の背景には、作用は異なるが名称の似た薬剤が一緒に保管されていたため、医師が間違えてしまったといったシステム的な問題もあると考えられます。

 そのような場合は、医師個人を刑事罰に問うことよりも、システムの改善の方が重要となります。また、個人を罰してもこういうミスが減少しないことは分かっていることですので、日本産科婦人科学会では「著しく逸脱した医療」を本当に悪質なものに絞った表現にしてほしいと要望しています。

と述べられています。しかし,医師個人を刑事罰に問いつつ,医療機関側にシステムの改善を求めることは可能ですし,医師個人を刑事罰に問わなければシステムが改善するという保証はありません。むしろ,医療過誤について民事責任しか追及しないこととすると,「A」という対策をとると「B」という医療行為に関連して患者の死亡事故の発生確率をα%引き下げるということが可能であることがわかっていた場合に,「A」という対策を取るのに要するコストが,「B」という医療行為を取り扱う医療機関が「A」という対策を講じ患者の死亡確率をα%引き下げることにより医師賠償責任保険の保険料率の引き下げられるであろう額よりも大きい場合には,医療機関側には,「A」という対策を取ってシステムを改善し死亡事故の発生確率を低下させる経済的なインセンティブを有しないということになります。しかも,「A」という対策を講ずることにより死亡事故の発生確率をα%引き下げるという効果は,医療機関ごとにそこでの死亡事故発生率によって保険料率が決定しているのではない現状の保険実務においては,自分たちだけがコストを負担して「A」という対策を講じても保険料率の引き下げという効果を生まない反面,自分たちだけが「A」という対策を講じなかった場合,「A」という対策を講ずるのに必要なコストをかけることなく保険料率の引き下げという経済的な利益を受けることができます。すると,医療機関においては,一種の囚人のパラドックスが発生し,死亡事故の発生確率をα%引き下げるという効果のある「A」という対策はよりいっそう講じられにくくなります。したがって,医師個人に刑事罰を科さないとする制度を実現しても,それだけでは,システムの改善による死亡事故の減少は見込めないということが言えます。

 岡井先生のような論の進め方をする場合には,医療機関の側にシステムを改善させる強い動機付けを与えるシステムの導入をも並行して提案していく必要があります。例えば,既にイギリス等で導入されている「corporate manslaughter」類似の概念を導入して,医療ミスによる死亡事故等の発生確率を低下させるために必要な対策を医療機関側が講じなかった場合には,そのために患者の死亡に繋がる医療ミスが発生した際に医療機関側に巨額の罰金刑を科すこととする等の立法提言などがあり得るところです。

 やはり,医療側のうち,刑事罰の医師への適用に反対し又はその範囲を著しく制限せよといっているグループは,法的概念についてアドバイスをする適切なブレーンを欠いているように思われてなりません。

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