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29/09/2008

刑事司法制度自体を否定されても……

 ロハス・メディカル・ブログに,都立府中病院産婦人科部長である桑江千鶴子氏の「「医療裁判で真実が明らかになるのか」──対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するためにー」という文章が掲載されています。その中に次のような一節があります。

 我々医療提供側の人間は、現在の日本では、完全に病気や怪我を治すことを求められるが、そのようなことは神でもない人間にできるわけはないので、「どんな状況でも絶対に間違えずに病気を治せ、怪我を治せ」「手術・検査・投薬で思わぬ悪い結果が出たら罰を与えるし、責任を取って罪として償うべきだ」ということを個人として要求されていて、苦しくなっていたたまれず、医療現場から兆散してゆく。これが医療裁判の形をとっている医療崩壊の実態である。医療提供者は、医療受給者と同じ人間である。まったく変わるところはない。しかるに、医療を仕事とした途端に、神として振る舞うことを要求されるのである。こんな人間性を無視した仕事の仕方や体制が、今後継続してゆけるわけはない。その結果が医療崩壊である。

 医療側は,いつまでこのようなデマを流布して司法部門を攻撃しようとし続けるのでしょう。どんなずさんなミスでも医師個人は何の法的も負わない,「地上の法」になど従う必要がない,いわば「神」のごとき存在として認められるまで,我が国の司法制度を攻撃し続けるつもりでしょうか。

 「罰を与える」「罪として償う」という言葉から刑事責任お話をしているのではないかと想像するのですが,法の建前上,医療提供者の側に「過失」がなければ業務過失致死傷罪で処罰されることはありません。また,実際の運用においても,何度も言っているように,我が国の医療過誤刑事の訴追件数の少なさを見れば,医療提供側の人間は、現在の日本では、完全に病気や怪我を治すことを求められ「手術・検査・投薬で思わぬ悪い結果が出たら罰を与えるし、責任を取って罪として償うべきだ」ということを個人として要求されているという実態がないことは明らかです。といいますか,自分たちの病院の中で,患者の病気が怪我が結局治らなかった例がどの程度あり,そのうち病気や怪我を治せなかったのは怪しからんとして医療関係者に刑事罰が科せられた例がいくつあるのかを考えてみれば,上記認識が実態と乖離しているものであることは容易にわかるはずです。

 また,「医療崩壊」が「医療を仕事とした途端に、神として振る舞うことを要求される」ことの結果だとするのであれば,病院勤務を辞めた医師は概ね医師以外の職業に就いているはずですが,それもまた実態と乖離しています。単なる「勤務医→開業医」という流れが強くなったというだけであれば,それは,勤務医に比べて開業医の労働環境が魅力的であるから,である可能性が高いということです。そして,全ての勤務医に開業医並みの処遇をすることが我が国の財政状態から許されないとするならば(まあ,例えば,生活保護制度を廃止して2兆円を浮かせて,それを勤務医にいわば特別給付金としてばらまく等の方法は理論上はあり得ても,政治的には無理でしょうから),勤務医と開業医の処遇を平準化していくくらいしか手だてはないでしょう。

 なお,桑江氏は,

 しかし、ここで冷静になって考えて欲しいのは、「正直に何があったのか事実を話してほしい。でも正直に話せば、罰を受けますよ。」という状況で事実を話すということが、人間の性(さが)として有り得るのか、ということだ。

とも言っています。そのような刑事訴訟手続自体を否定するようなことを言われても困ってしまいます。現在,多くの被疑者は,黙秘権の告知を受けた上でなお,正直に話せば罰を受けるという状況の中で,事実を語っています。私は,捜査機関には批判的な方だと思いますが,だからといって「自白」のほとんど全てが拷問等の強制に基づくものだとまでは思っていません。交通事故などの業務上過失致死傷被疑事件においても,多くの被疑者は,正直に話せば罰を受けるという状況下でも,正直に話をしていると認識しています。

 また,

 事実を知ることは基本である。その上で、なぜ起こったのかを皆で考えて、再発防止をするためにはどうしたらいいかを考える、という道筋において、まず事実を知るためには、そうすることで個人は不利な扱いを受けない、という大原則を打ち立てて守らなければならない。もし、そういうことが共通理解になったら、誰もカルテを改ざんしたりはしないだろう。嘘をつく必要も、お互いをかばいあう必要もなくなる。

とも桑江氏は述べています。そりゃ,嘘をつく必要はなくなるかもしれませんが,同時に再発防止をする必要もなくなります。ずさんな行為により患者を死なせても医師個人は何の責任を負う必要がない,すなわち,医師個人としては患者の命よりも自分たちの都合を優先させても構わないとした場合,医療機関の側で,そのような医師達に医療行為を行わせても患者の生命が不当に損なわれることがないようなシステムを構築させることは困難です。「あの患者は,私がネット上で医師であることを明示して述べていることに逆らっていますので,看護婦に指示して点滴液に雑巾の絞り汁を入れてやりました。まさかそれで死ぬとは思いませんでした」と素直にいえば,個人は不利な扱いを受けないということで国民が納得できるのか。大いに疑問です(再発防止策としては,「医師の発言に逆らってはいけません。医師を怒らせてはいけません。医師の要求は何でも受け入れなさい。さもなくば,同じような事故の再発は防止できません。」と全国民に通告すれば足りるのかもしれませんが,それで国民が納得するかは大いに疑問です。)。あるいは,「私は,忙しいので,説明書きを読まずにこの薬剤を投与しました。はあ,ちゃんと読んでいれば,こういう場合には禁忌だと言うことがわかったのですね。次からは気をつけます。ってことでいいでしょう?」ということで納得できるのだろうか,というと大いに疑問です。

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» [医療][法律]神の望む医療 [落書き調]
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Notifié le le 19/10/2008 à 07:36 PM

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