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janvier 2009

30/01/2009

解雇規制の緩やかな社会は製造業向きではない

 解雇規制の強弱と労働者市場とはどのような関係にたっているのかを単純化されたモデルを用いて再確認してみましょう。

 解雇規制の緩やかな社会においては、好況期には需要の増大に生産を対応させるために大量に雇用が行われ、一方、不況期には需要の減少に対応させるために大量の解雇が行われるということになります。そこでは、労働市場は非常に「熱しやすく冷え込みやすい」ということになります性質を帯びることになります。それが、長期的な視野で経営される企業にとって好ましいのかというと、実は難しいところです。雇用も流動性が極度に高まると、好景気が到来し、いざ生産量を増加しようと思うと、同業他社から労働者を引き抜き、さらに同業他社に引き抜かれないために、同業他社からと競って給与水準を引き上げる必要があるからです。また、従業員の教育にコストをかけても、熟練度が増した従業員はその熟練度に応じた給与を提示する同業他社に引き抜かれるということになりますから、採用にあたっては、必要な技能等を既に有する人を、コストをかけてでも雇う必要が生じてきます。例えば、最初から経営者として必要な技能を有している人なんてそうそういませんから、株主が、企業経営をできる人を雇うにあたっては、飛び抜けた高額の給与を出す必要が生じたりします。また、経営者、開発者、製産者、営業等が採用段階から教育段階に至るまで整然と区別されていてそこに一種の階級ができてしまうと、それらのセクション間のコミュニケーションが不足したり、特に経営者、開発者らが、製産、営業等の事情を慮らずに机上の空論を推し進めることになりがちであり、それはその会社の製品やサービスの内容又は質に大きく影響します。

 他方、労働者にとっては、それは決して好ましい状況ではありません。労働者は、生活している以上毎月一定の支出は必然となっているので、少なくともその支出をまかなえる程度の収入が安定してえられるのでなければ、安心できないからです。また、企業が必要とされる技能等を既に有していなければそれが必要とされる職場には採用されないということになると、逆に、現時点の技能よりもポテンシャルが評価されてきた若年層は却って高度な技能を必要とする職場には採用されにくくなります。経験の乏しさが学歴で補える分野であれば学歴を積めば済む話ですが、経験が物をいう分野では致命的です。

 結局、一部の新自由主義者が推奨するような解雇規制の緩やかな社会(例えば、米国や香港等)で製造業が衰退し、金融業等でやって行かざるを得なくなったことには、十分な理由があったということです。

29/01/2009

雲の上しか見えていない?

 木村剛さんがまた不思議なことを書いています。

 私個人は、年越し派遣村を無条件に礼賛するマスコミよりも、「Mutteraway」さんの淡々とした冷静な主張に、100倍以上の「理」と「現実」と「ソリューション」を感じますが、この国は、そうではないようです。

 年越し派遣村を主催するNPO法人自立生活サポートセンター・もやいがどんな活動を行っているのかを知っていたらとてもではないけれども恥ずかしくて口に出せない内容です。この国で生活保護を受けるのがどれほど難しいか、そしてその困難に立ち向かうためにもやいがどれだけ彼らをサポートしているのか、もやいのウェブサイトを見ればその一端を知ることができたはずです。

 ネットサーフィンしている暇がなさそうさ木村さんのためにその一端を紹介すると、こちらによれば、ホームレス状況にある方が自立した生活を始めるにあたり、必要となるアパート入居時の連帯保証人提供の相談を定期的に実施したり、福祉事務所への生活保護申請をサポートしたり、緊急時には、必要に応じて米などの生活支援物資の支給をしたり、医師、社会福祉士、弁護士などの専門家による学習会を開催し、生活していく上で生じる様々な困難を乗り越えていくための情報提供や相談の機会を提供したりしているのです。

 木村さんは、単純労働者の月給は1万円でよいとする「Mutteraway」さんの主張に100倍以上の「理」と「現実」と「ソリューション」を感じる反面、「生活保護の申請を行うように説得し、申請を助け、アパート探しを手伝い、就職訓練や職探しや入社後の規則正しい生活に耐えられるように、定期的に訪問して精神的な励ましを行う」等の作業を実際に行っている人々をマスコミが高く評価することがお気に召さないようです。

 また、木村さんは、

 現実世界を知らない方々は、すぐに「企業=経営者=強者=悪」というステレオタイプで話を組み立てますが、そんなに「企業=経営者=強者」だと思うのであれば、派遣切りの人たちもネット難民の方々にも、みんな社長になっていただいたらいいんじゃないでしょうか。「一円起業」すら可能になっているご時世です。

と仰っています。派遣切りの人たちやネット難民の方々の中から、株式会社フィナンシャルの次期社長を募り、木村さんと交代すると良いかもしれませんね。

28/01/2009

「製造業への労働者派遣の禁止」論への批判者の問題点

 また、昨今の派遣労働論議に関して一つ不思議なのは、製造業への労働者派遣の禁止を批判する側は、それが製造業には(雇用期間の定めのない)正規労働しか認めないということを意味するものと勝手に断定した上で、これを批判しているところです。

 しかし、現在の労働基準法においても、「期間の定めのある」雇用は認められています。「いつでも自由に解雇できる」雇用が禁止されているだけです。製造業への労働者派遣の禁止を主張する人々の多くは、製造業において「期間の定めのある」雇用を行うことまで禁止することを主張していない点が無視されるべきではありません。

 労働者派遣の場合、派遣事業者が中間搾取を行うこと、労働者と実質的な使用者とが直接交渉する機会が乏しいこと、等の問題点があり、昨今の「派遣切り」で特に後者の特徴が露骨に悪い方に働いてしまったため、一定の制度改正が求められるのは仕方のないことであり、派遣事業者の側において、突然の「派遣切り」から労働者を守るための改善提案がほぼなされなかった以上、製造業への労働者派遣の禁止という声が上がってくるのはやむを得ないでしょう。この通常国会で製造業への労働者派遣の禁止が法制化されたとして、それは労働者派遣事業者の戦略ミスに大きく依っています。

 「調整弁」として「解雇しやすい」非正規労働者は必要だというのであれば、その労働者の「解雇されやすさ」は一種の公益性を有しているのだから、正規労働者とは異なる条件で失業手当や生活保護、あるいは公的な居住空間の提供等の福祉サービスを受けられるような提案を同時にすべきだったと思うのですが、「勝ち組」へのシンパシーのみが強い論者は、「負け組」がとことん不幸になることを望む傾向が強くて、結局のところ、19世紀的な暗黒社会への回帰を求めることになってしまうようです。

時代遅れはどっち

 それにしても、サブプライム問題以降、思考訓練としてはともかく、現実の政策としては時代に遅れになってしまった新自由主義の信奉者が日本のネット界にはたくさん生き残っているというのは面白い現象です。

 新自由主義を採用して富を一握りの資本家と大企業経営者に集中させた場合には、結局、内需を諦め外需頼みとするか、低所得者層に借金をさせて内需を維持するかの選択を迫られます。後者を選択したのが米国であり、結局、低所得者層が(案の定)借金の返済ができなくなり、それが金融機関を震源地とする恐慌の引き金を引くことになりました。これに対し、前者を選択した日本は、外需の激減とともに、製造業者を震源地とする恐慌を迎えるようになったわけです。

 リーマンショック等をきっかけに、新自由主義の失敗が明らかになったからそこ、米国大統領選挙では共和党が支持を失っていったわけです。大統領選挙のルポを見ればわかりますが、白人のキリスト教保守派の人々の中ですら、中絶禁止問題等で意に沿わないことがわかっていても、経済問題を重視してオバマ氏に投票する人々が少なからず存在していたのです。

 今更、解雇規制をなくし、労働者に絶えず賃金の安売り競争を強いることで、国内の労働者の賃金水準を「生存に最低必要な水準」に近づける経済政策をとることが、経済の持続的な発展に繋がらないことはもはや誰の目にも明らかなのに、需要曲線が常に不変という非現実的なモデルにしがみついて、新自由主義の旗を未だに振っている人が元気でいることはまさに驚きです。

27/01/2009

飢え死にするか、過労死するかの選択を迫る新自由主義

 bobbyさんからまたトラックバックが来ています。

 もちろん,失業者の希望水準が高すぎる場合にはどこかで現実と折り合いを付けさせることは必要だと思いますが,労働基準法を無視して長時間労働を強いていることが広く知られている飲食店チェーンの仕事とか,数ヶ月で雇い止めされることが分かっているお役所仕事等にまで飛びつかないということを非難しても始まらないように思います。との私の発言について、このような労働者が折り合いを付けるべきは、自分の生活ではないかと思いますが如何でしょうか。と反論されています。

 労働基準法を無視して長時間労働を強いていることが広く知られている飲食店チェーンとしては、先日従業員が過労死したとしてその両親から提訴を受けた、東証一部上場企業の「大庄」が知られています。この案件では、この従業員は4月に入社して8月には過労死したとのことで、その間の月平均の時間外労働時間は約98時間だったとのことです。報道によれば、大庄では、時間外労働時間が80時間に満たない場合には、給料が減額されるシステムになっていたとのことです。厚生労働省による過労死の認定基準は時間外労働時間月80時間ですから、報道されているとおりだとすれば、大庄では、過労死するほどの長時間労働をしない限り給料が減額されるシステムが採用されていたということになります(残業せずに給料を減額されると、月額12万3200円まで下がるそうなので、親元で生活をしていない限り、相当生活は苦しいことになりそうです。)。

 大庄がこのような労働体系を有していたということは投資家から好意的に受け止められ、この不況の最中、上記両親による提訴の発表があった後、大庄の株価は堅実に上げ基調となっています。

 結局のところ、bobbyさんは、日本に居住する一般労働者に対し、「飢え死にするか、過労死するか、どちらかを選べ」と仰りたいのでしょう。

東弁の会長選挙 in 2009

 今年は東京弁護士会の会長選挙があるせいか、昨日くらいから特定の候補に投票を呼び掛ける電話が入り始めています。昨日は、依頼者から携帯電話経由でかかってきた電話が一旦ぷつっと切れた直後であり、程なくして再度依頼者から電話がかかってくることが当然に予想された時間に投票を依頼する電話がかかってきたので、非常に突慳貪な態度をとってしまいました。

 弁護士会の選挙は、東弁、日弁連含めて何度も経験しているのですが、ほとんどの運動員の先生方が、自分が支持する候補者が会長になったら何をして欲しいのかについて会員から話を聞こうとしないことには、少々あきれています。今や、派閥活動に熱心になれる弁護士というのは、それだけ時間に余裕のある、恵まれた弁護士に限定されているわけですから、そういう人たちの間でだけ盛り上がっているイシューのみを公約に掲げていると、一般会員との間で意識の齟齬が生じてしまうように思ったりします。

 とりあえず、私は、法律相談からの直受に際しての弁護士会の報酬審査制度を抜本的に改正することを公約とするか否かで、その候補に投票する気になるかどうかが大きく変わってくることを予め宣言します。

 これは部外者には分かりにくい話なので、説明します。現在、自治体等で行われている市民法律相談の一部では、相談者が望めば、相談された案件について、その相談を担当した弁護士に、事件処理をそのまま依頼できる制度(直受制度)が採用されています。当該弁護士が当該事件を受任するにあたっては、弁護士会の法律相談センターで、その相談者との間で取り決めた報酬が妥当であるかを審査することになっています。

 ただ、この審査がひどくて、どうせ自分が受任するわけでないからか、俺様ルール、俺様解釈で、着手金・報酬の引き下げを求めてくる例が多発しています(私の経験では75%程度の発生確率)。そもそも、報酬規定がなくなった以上、着手金・報酬額をいくらに設定するかは弁護士と依頼者との協議で自由に決められるはずなのに、旧報酬基準に概ね準じた相談センター基準を遵守することを要求してくるだけでも理に適っていないわけですが、さらに、相談センター基準をねじ曲げて解釈したり、相談センター基準に明記されていない俺様基準を押しつけてくる審査担当が後を絶たないわけです。

 「いくら何でもその報酬は取りすぎだ」という場合には紛議調停という制度が用意されているわけですから、直受だからといって、報酬額について事前審査をする必要はないし、審査基準にしても、紛議調停では問題とされないであろう金額を問題視する必要はないはずです。弁護士会館の一室で「今時の弁護士は、時間単価2000円で事件を受任してしかるべき」と偉そうに意見を述べるのは簡単ですが、そのレベルで仕事をしていたら、ビラブルアワー年2000時間で年間売上げ400万円ですから、少なくともOfficeless Lawyerにしかなれません。

 こういう弁護士の足を引っ張る報酬審査担当は有害無益ですから、こういう人たちの審査を得なければ直受事件を受任できないシステムは一日も早く撤廃して欲しいものです。ということで、この報酬審査制度の撤廃を公約に含めることを、投票行動を決める際の第一順位にしたいと思います。

26/01/2009

一般企業だって、テニュア制を採用できないわけではない

 楠さんは、次のように述べています。

さておき新卒なんて使ってみなきゃ能力は分からないのだから、いきなり定年までの長期雇用をコミットするって奇妙じゃないか。テニュア制のように3年から5年の任期で試用して、成果や潜在能力を見極めてから定年までの長期雇用をコミットする仕掛けは、今の新卒一括採用と比べてずっとフェアに労使でリスクを分担し、大学に限らず今後の頭脳労働に合致しているんじゃないか。

 現在だって、大学新卒をまず契約社員として採用した上で、成果や潜在能力を見極めてから定年までの長期雇用を前提とする正社員として採用することは禁止されていません(アルバイト採用から正社員になる例だって珍しくもありません。)。ただ、それをやってしまうと、正社員として採用された後の処遇が相当よくない限り、そうでない企業で正社員として採用されうる能力を有する新卒から敬遠されてしまうというだけの話です(そういう意味では、Google社やMicrosoft社なら今でもその方式は可能かもしれません。)。

 もっとも、「正社員として入社した以上、よほどのことがない限り解雇しない」ということが前提としてあるからこそ、従業員は、その後の労働者としての商品価値がそれほど高まらないポジションに配属が決まってもそれを甘受することができるとも言いうるので、楠さんのご提案の如き制度を採用してしまった場合は、重要ではあるが日の当たらないポジションに有能な人材を置くことが難しくなる危険は十分にありそうな気がします。そういう意味では、研究者としての業績と教育者としての実績を上げればよい大学の教員等のようには行かないかもしれません。

失業者が仕事を「選り好み」すること

 ネット上では,失業者が仕事を「選り好み」することに対する反発が大きいようですが,失業者が仕事をある程度「選り好み」できるということは,労働者一般の労働条件を維持しあるいは引き上げる上でとても重要な機能を有しているのであり,従って,近代的な労働者保護法制が採用されている多くの国々では,失業者に,仕事をある程度「選り好み」できる余裕を与えているのではないか,と思ったりします。

 もちろん,失業者の希望水準が高すぎる場合にはどこかで現実と折り合いを付けさせることは必要だと思いますが,労働基準法を無視して長時間労働を強いていることが広く知られている飲食店チェーンの仕事とか,数ヶ月で雇い止めされることが分かっているお役所仕事等にまで飛びつかないということを非難しても始まらないように思います。労働者が長く居着かない職場って,長く居着かない理由があるので,それを改善させないまま,失業者をそのような職場に追い立てた場合,過労死を含む労働災害を招くなどして,却って社会全体の利益を損なう危険すらあります(経済学的には,失業者や低所得者が過労死することはマイナスではなく,却ってプラスに計上されるのかもしれませんが。)。また,それほど年をとっていない女性が生活保護の申請に行くと,性風俗産業に行けと強く進められるということをよく聞きますが,そういう人間の尊厳に関わる仕事を選ばなくとも生きて行かれるようにするのが文化国家なのではないかと思います(経済学的には,「性」が商品化され,市場に投入されることは,却ってプラスに計上されるのかもしれませんが)。

解雇規制の撤廃と、非正規雇用労働者の処遇への一本化という実験は、まず経済学部からやってみたらいかがでしょうか。

 正規雇用労働者と非正規雇用労働者の処遇に雲泥の差が付いている典型例の一つが、大学です。

 何しろ、「大学非常勤講師実態調査アンケート報告書」に記載された2005年から2006年の調査では、専業非常勤講師は、平均年齢45.3歳で、平均9.2コマを担当しているのに、講師給の平均が277万円/年であって、250万円/円以下が全体の約半分を占めるなど、典型的な「ワーキングプア」状態です。他方、こちらのデータによれば、大学教授、助教授、講師の平均年収は、1167万円、906万円、757万円となっています(平均年齢45.9歳の助教授と、平均年齢45.3歳の専業非常勤講師との給与格差は注目に値するでしょう。)。さらに、教授、準教授、助教等の正規労働者には毎年一定額の研究費等が給付されるのに対して、専業非常勤講師には一切給付されません。また、専業非常勤講師は職場の社会保険に加入できない等の差別的処遇を受けています。その結果、専業非常勤講師の約7割が扶養家族ゼロということになっています(平均年齢45.3歳でこの数値です。)。

 もし、正規雇用労働者の労働条件を非正規雇用労働者の労働条件のレベルに近づけることが非正規雇用労働者の処遇を引き上げるための最善の施策だというのであれば、大学こそ、教授、準教授、助教等の特権を全て剥奪してその処遇を専業非常勤講師のそれに近づけるべきだということになります。特に、解雇規制法理によって正規雇用労働者が手厚く保護されることを特に問題視する新自由主義派の経済学者は、教授会にて、教授、準教授、助教等の特権を全て剥奪する旨の提案をすべきなのではないかと思ったりはします。解雇規制を受ける正規労働者がいなくなるとどうなるのかという社会実験は、まず限定的な範囲から行っていくのが吉というものです。

 しかし、経済学部ですら、そのような政策を採用している大学はほとんどありません。一般労働者について解雇の自由が保障されている米国においても、大学においては、「テニュア(終身在籍権)」という制度が用意されています。「American Association of University Professors」の「1940 Statement of Principles on Academic Freedom and Tenure With 1970 Interpretive Comments」では、

Tenure is a means to certain ends; specifically: (1) freedom of teaching and research and of extramural activities, and (2) a sufficient degree of economic security to make the profession attractive to men and women of ability. Freedom and economic security, hence, tenure, are indispensable to the success of an institution in fulfilling its obligations to its students and to society.

とまで述べられています。顧客および社会に対する義務を履行するために、有能な人材を引きつけるために、解雇が制限される「正規雇用労働者」が必要なのは、大学に限定されないのではないかと思ったりするのです。

24/01/2009

「政府の資金援助を必要とする人」だけでも全人口の1割を超える社会

 bobbyさんの香港に関する発言は、オリジナリティに溢れています。

ですから東京やニューヨークと違い、路上生活者はほとんどいません。特筆すべき貧民街もありません。

とのことですが、東アジアホームレス支援施策調査チーム「ソウル・香港・台北におけるホームレス支援の現状(上)」によれば、2004年段階での香港における野宿生活者の数は407人ということで、人口比ではソウルよりも多いといえます(なお、以前紹介した「カゴの中にする人」は野宿生活者ではないことになっています。)。また、特筆すべき貧民街としては「九龍城砦」があったのであり、単に強引にこれを取り壊したというだけで、解雇規制がないおかげでスラム街が発生しなかったというわけではありません。

 金持ちになる夢破れ高齢で貯蓄も無い貧困層の人達の為に、政府の貧困者用住宅がありますといわれても、この生活では厳しいですね(こういう生活を余儀なくされている人々も、統計上「就業者」に含まれ、香港の失業率を低下させるのに貢献しているとは思うのですが。)。

 また、香港で月収6万4千円(*1)に満たない低収入の人が42万人(人口の6%)いるとこちらの記事で述べられているが、残りの654万人(94%)は普通かそれ以上の暮らしをしているという事ですね。とも仰っていますが、香港で月収6万4千円を超えたら即「普通かそれ以上の暮らしをしている」ということにはならないのではないかと思います。この記事によれば、 中国香港の九龍の繁華街を歩いていると、地下道などで物乞いをする人をよく見かけ、貧困問題の深刻さを感じる。ある統計によると、2003年から貧困人工は継続して減少傾向にあるものの、依然として政府の資金援助を必要とする人貧困者は73万人、さらに援助は必要としないが低所得者の貧困者は22万人の合計95万人に達する。その内、月収5000香港ドル以下の貧困者は19万人にもなるという。とのことであり、「政府の資金援助を必要とする人」だけでも全人口の1割を超えているということになります。

 また、香港のジニ係数0.52と高いのは、約94%の中産層が、活発な経済でマンションなどを所有するなど富を増しているからのようです。とも仰られているようですが、ジニ係数は所得分布をもとに算出される係数なので、中産階級がマンション等の資産を有しているかどうかで左右されるものではないように思われます。

 また、マンション購入について。30代前後で4000万円(*1)のマンション購入について誤解を与えたようですが、富裕層の事ではありません。大卒でオフィス勤めの月給20万円(*1、*2)くらいの普通のサラリーマン夫婦が、銀行ローンで購入しています。香港のオフィス勤めサラリーマンの給料は男女格差があまり無く、ほぼ夫婦共働きで、更にアルバイトや株式投資など昼間の仕事以外の収入を持っている人も多いので、世帯収入が大きく、このようなマンションをローンで購入できるのです。とも仰っていますが、4000万円のマンションを年利6%程度の住宅ローンを借りて購入した場合、ローン期間30年として、月々の返済額は概ね24万円程度になるのではないでしょうか。その間、不動産価格が上昇するという確信のもと本人の支払い能力を無視して住宅ローンの貸し付けを行うというのでは、まるで米国のサブプライムローンのようになってしまいます。

23/01/2009

「雇用の流動化」の実例である香港について見てみた

 bobbyさんから、トラックバックをいただきました。

世の中、なぜにかくも短絡的な思考の方が多いのでしょうか。経済学者の池田氏が雇用の流動化を促進する制度が必要(ここ)だと説いているのに対して、弁護士の小倉氏は「雇用の流動化=失業と貧困」説(ここ)からいまだに抜け出せません。小倉氏はぜひ、「雇用の流動化=経済活性=繁栄」の実例である香港を一度ぜひご覧いただきたいものです。

 ということで、香港についてみていきたいと思います。

 まず、目を引くのはジニ係数の高さです。ジニ係数は、1に近いほど貧富の差が大きく、0.4を超えた場合は何らかの改善策が必要とされているわけですが、これなどによれば、2006年の段階で香港のジニ係数は0.533とのことです。これは、アジア諸国の中でもダントツの一位であり、解雇規制がないと貧富の差が広がっていくことを如実に示しています。

 また、2007年6月にアップロードされたこのエントリーによれば、

しかし格差社会の影響はこうした低所得層の見限らない、自由時報によれば、97年で中流階級の平均月収は2246ドルだったが、昨年では2214ドルに減少している。また大卒の平均初月収は1865ドルから1418ドルに減少し、その減少幅は24%になっている。
 このように香港の好景気の利益を享受しているのは、高所得者に限られ、香港の格差社会はむしろ拡大していることを示している。

とのことであり、「解雇規制がない」という状況は、若年労働者の待遇改善に繋がらないということを、香港の実例は示しているようです。

 bobbyさんによれば、香港では、雇用の流動性は極めて高いのですが、平均的な所得水準は高く、貧民街もなく、街には高級車が溢れており、30代前後で4000万円くらいのマンションをローンで購入する若者はとても多いのです。とのことなのですが、この記事によれば、高級住宅や高級車、億万長者を生む金融ハブといったイメージの一方、香港には1カ月5000香港ドル(約6万8000円)以下で暮らす低所得労働者が推定42万人いる。とのことであり、好況であった2007年の段階ですら、香港市内には依然小さなケージの中で暮らす人々が多数おったようです。香港の人口は約700万人ですから、約18人に一人がそのような生活を余儀なくされているということです。

 確かに、貧富の大きな社会では、富裕層の若者は、30代前後で4000万円くらいのマンションを購入したり、高級車を乗り回したりできます。実は階級格差が大きく、それが世襲的に承継される日本でも、富裕層のご子息たちは、20代から高級車を乗り回すことが珍しくありません。bobbyさんとか新自由主義が好きな方は、そういう若者が我が世の春を謳歌する反面、末端労働者が路上やカゴの中で寝泊まりする社会が望ましいと考えておられるのでしょう。

22/01/2009

「企業が自由に解雇できる社会」と「労働者が自由に企業を移動できる社会」とは違う

 池田信夫先生は、新卒のとき、たまたま入った会社に一生とじこめられることは、労働者にとっても幸福ではない。彼らが自由に企業を移動することを支援する制度が必要である。仰っています。しかし、現行法の下でも、労働者は自由に企業を移動することができます。終身雇用契約のもとでも、労働者の側で一方的にこれを解約することは問題がありません(例外は、プロ野球選手くらいです。)。

 池田先生がしきりにご提唱されている「企業が自由に従業員を解雇できる法制度」というのは、「労働者が自由に企業を移動することを支援する制度」とは全く別物です。この制度のもとでは、それまで在籍していた企業を去るかどうかを決める主導権は労働者には与えられていませんし、その企業を去った後、すぐに再就職先が見つかる保証はなく、その場合「企業を移動する」のではなく、「企業からポイ捨てされる」ことになるに過ぎません(特に、企業の考え方が、19世紀まで戻らなくとも、男女雇用均等法制定前に戻ってしまうと、「女性労働者は、若い独身者以外不要」ということで、一定の年齢に達すると、あるいは、結婚し又は出産すると、解雇され又は雇い止めされる危険が十分にあり、この場合、追い出された労働者は同様の職種で再雇用される蓋然性は相当程度低くなります。男女雇用均等法制定前の、「寿退社」を求めることが事実上広く行われていた時代に戻るわけですから。)。

 また、「企業が自由に従業員を解雇できる法制度」のもとでは、個々の労働者の個性をそれほど求めない労働市場では、何歳になっても、どのような家族構成になっても、若年の新卒者と価格競争をすることが求められます。すると、給与水準は、何歳になっても、独身で生活するのに必要な最低限度の水準、下手をすると親元で生活する上で必要な最低限度の水準で固定する可能性が十分にあります。企業にとって解雇が自由になり年功序列制度が崩壊した場合には、それ以上の給与を求める労働者は即時解雇して、より安い給与水準で満足する若年労働者に入れ替えれば済むからです。このような仕組みのもとでは、生活コストがかかるために労働市場から排斥された労働者は、例えば、離婚し、子供を養護施設に預けるなどして、生活コストを、若年新卒者のレベルにまで引き下げない限り、企業を「移動」することはできなくなります。

 そして、そのような制度のもとでは、労働者の身分で「結婚し、出産して生活コストを引き上げる」というのはいわば自殺行為となりますし、「ローンを組んでマイホームを購入するなど、とんでもない」ということになります。万が一子供が生まれても、子供に教育費をかけるというのは一般労働者には許されない贅沢となり、子供は義務教育が終わり次第抛り投げるか、場合によっては生まれ次第捨てることしか、一般労働者には許されなくなるかもしれません。

 かくして、我が国の少子化は一気に進み、せっかくの子供たちも、その多くがストリートチルドレン化し、中等教育以上の教育を受けた人材は一部富裕者の子供に限定される社会が到来することになります。新自由主義がもたらす未来なんて、その程度ではないかと思われます。


【追記】

 池田先生がご自身のブログのコメント欄で私が「彼らが自由に企業を移動することを支援する制度が必要である」と書いているのを引用しておきながら、「池田先生がしきりにご提唱されている『企業が自由に従業員を解雇できる法制度』というのは・・・」と書くのは詐欺的です。私がどこでその引用符の中のようなことを書いているのか。むしろ「解雇を無条件に自由にしろということではありません」と書いている。と述べています。しかし,池田先生の一連の解雇規制に反対する一連のエントリーを拝読しても,では,どのような解雇規制は残せと仰っているのかを把握することは困難です。私のいう「規制撤廃」はderegulationの訳語で、これはすべての法律をなくして犯罪も不法行為も自由にするということではありません。とか,コモンロー的に不当な解雇については、司法が止めるでしょう。それは上限金利を撤廃することが闇金を公認することを意味しないのと同じ。とかと仰っているようですが,日本はコモンロー国ではありませんし,池田先生が提唱するとおりに労働法を改正するとすれば,それは「労働法に明文の定めがない解雇規制を裁判所が解釈により行うことを許さない」という類のものにならざるを得ません(池田先生が問題とされている解雇規制法理自体,明文の法規の欠缺にもかかわらず,判例法で積み上げてきたものだからです。)から,そのような立法がなされた後に,「コモンロー的に不当な解雇については、司法が止める」ことは相当困難だといえるでしょう。

 ある法制度を新規立法したり廃止したりした場合にそれがどのように解釈され,運用されるかについては,経済学者よりも法律家の方がより現実的な解を見出すことができます。

21/01/2009

大隈記念奨学金の難易度

 「大隈記念奨学生の集い」というエントリーについて,大隈記念奨学金をとることの難易度について尋ねるコメントが複数回投稿されました。

 私は,早稲田大学関係者ではないので(卒業生だと言うだけで),私の経験以上のことは知りうべくもなく,それはもう20年も前の話ですから,早稲田大学に問い合わせるのが筋というものです。

 なお,20年前の話をするならば,私は1つ良をもらってしまったにもかかわらず大隈記念奨学金をもらえましたので,全優である必要はなかったということになります。

労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者はいる

bobbyさんという方が,下記のように述べています。

企業にとって労働者は生産手段の一部なのですが、機械と違って教育が必要ですし習熟に時間がかかります。 雇用してから1人前になるまでは、賃金分を労働者に投資しなければなならない。熟練労働者となれば、バランスシートからは見えないけれども貴重な資産です。そのような労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者が何処にいるでしょうか。企業が労働者を大量に解雇する事は、大量の血を流すのと同じ事なのです。

 このあたりが,解雇規制撤廃派の浮世離れぶりを示しているように思われます。現実には,法的に解雇が制限されている現在ですら,不当な理由で労働者を解雇した例が溢れており,法律実務家等が介入しているというのが実情です。

 とりあえず,池田先生やbobbyさん,木村剛さんが推奨するような「解雇規制のない社会」が実現した暁には,女子労働者については,①容姿が衰えたから解雇,②経営者(の子息)の求愛を拒んだから解雇,③結婚したから解雇,④出産したから解雇,という事例が頻発し,労働者が泣きを見ることになりそうな気がします。また,男性労働者を含めても,①平日に病欠をとったから解雇,②有給休暇を消費したから解雇,③残業代を請求したから解雇,④経営者の私用を無償で手伝わなかったから解雇,⑤給料の引き下げに不満を漏らしたから解雇,⑥特定の政党,政治家,宗教団体の集会に参加しなかったから解雇という例は頻発しそうです。

 実際,池田先生自身「不当解雇」を受けた経験がおありなわけですから,経営者の気の向くままに解雇することが許されるようになったらどうなるか,分からないわけではないと思うのですが。

文化も伝統も、進歩とともに更新されていく

 さあ、オバマ大統領の就任演説がまもなく始まります。米国では、黒人は19世紀中盤までは奴隷だったのであり、また、全ての州で黒人に選挙権が認められるようになったのは1965年のことです。しかし、米国社会は、ついにここまで進歩したということです。公民権運動から約半世紀が経過した現在の米国で、「我々は、人種を問わず、等しく人間として尊重され、等しく成功の機会を与えられるのが、米国の文化であり、伝統だ」という言葉が飛び出しても、それほど違和感を感じません。社会がリベラルに進歩していくとき、新たに獲得された文化・社会構造は、程なくして伝統と認識されるのです。

 これに対し、「19世紀前半には黒人はみんな『奴隷』だった」と言って、人種故に侮辱されても、成功の機会を奪われても、「物」としてぞんざいに扱われても、そんなことは甘受せよ、みたいなことを言ってみても、今更通用しないというべきでしょう。

 池田信夫先生が「19世紀には労働者はみんな「派遣」だった」というエントリーをアップロードされています。しかし、概ね先進国では、労働者保護の一環として中間搾取の排除を志向する法制度を設けており、また、雇用者による恣意的な解雇を禁止する法制度を設けています。いまさら、19世紀型の雇用制度に戻せといってみても始まりません。「経営者に少しでも逆らったら即時解雇され、その日の内に路頭に迷い、程なくして餓死することになるので、生命を維持するのに必要な最小限の給与がもらえるのであれば、それで満足しなければならない」仕組みに戻せといっても仕方がありません。両親がもらい受ける給料では家族が食べていくことができないので、子供たちが10歳にならないうちに学校をやめて低賃金労働に従事し、女の子は10代後半になったら売春婦に身を落として糊口をしのぐ社会構造に戻せといってみても始まりません。歴史的にはそういうことが普通に行われていた時期があったとしても、21世紀に暮らしている私たちは、一般の労働者が、10歳にならない子供たちに低賃金労働をさせなくとも済み、生きていくために10代半ばになった娘を売春宿に売る必要もなく、経営者からその人格を踏みにじる行為をされたときには解雇される心配をせずにこれに抗議をし法的権利を行使することができる、そういうことを、私たちの社会の文化であり伝統であるといっても差し支えないのではないかと思うのです。

20/01/2009

大統領の就任演説における名言

 今日は、米国で、オバマ大統領の就任式が行われます。演説のうまさで大統領にまで上り詰めたともいえるオバマ氏だけに、その就任演説は世界中で注目の的です。

 ということで、BBCでは、過去の就任演説での名言をいくつか紹介しています。その中で注目されるのは、フランクリン・ルーズベルト大統領の次の言葉でしょうか。

The test of our progress is not whether we add more to the abundance of those who have much; it is whether we provide enough for those who have too little.

 我が国の21世紀は、Adding more to the abundance of those who have much and providing less for those who have too littleを心がけてきたために、内需が崩壊し、米国の内需の減衰に全く耐えられない脆弱な経済体制になってしまいました。

 そういう経済体制をよしという人々はケネディ大統領の有名な一節がお好きかもしれません。

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.

 何しろ、教育基本法を改正して愛国心だけは押しつけてくるけれども、高等教育の授業料は高額で、奨学金は給付どころか利子つき、さらに、労働法を改正して、企業が気分次第で解雇しても国は何もしないというふうに変えていこうというわけですから。むしろ、我が国の新自由主義者が言いたいのは次のようなことかもしれません。

Ask what your country can do for big businesses - ask not what big businesses can do for your country.

19/01/2009

tamago先生のブログ

 tamago先生のブログは,弁護士が業務停止命令を受けた場合に何をしなければならないのかということに関する貴重な記録となりつつあります(「懲戒処分関係」というタグを作ってしまうあたり,覚悟を決めている感があります。)。

 もっとも,tamago先生の行為が守秘義務違反として懲戒に値するのかという点に関しては,疑問の余地なしとしません。関係者名を匿名にした上でのあの程度の具体的なケースの提示は,書籍や講演等で弁護士としてのノウハウや実績を開示するにあたって,しばしば行われているからです。

 もちろん,訴訟となっている事案について一般に閲覧可能な資料から知りうる範囲内のことを語っている分には語っている内容に「秘密」性がないので守秘義務の問題を生じないということはいいうるのですが,そこのところでtamago先生とは違うのだみたいなことを言っていると,訴訟記録等が原則非公開な家事事件や刑事事件についての実体験を全く開示できないということになってしまうので,それはそれで如何なものかという気がします。

 ただ,自分の依頼者についてああいう言い方を公然としてしまうというのは如何なものかとも思いますので,その点について戒告程度の処分をするのであればやむを得ないかなとは思いましたが。

食糧輸入国に労働力ダンピングは難しい

 bobbyさんという方から、相変わらずトラックバックが送られてきます。

 彼の主張の要点は、日本は、政策的に国内単純労働者の労働条件を悪化させることにより、いわば労働力ダンピングを行うことで、ベトナム等の新興国と競争せよということのようです。しかし、この路線を採用した場合、失敗は目に見えています。

 すなわち、食料や原油などの基礎的な資源について輸入依存率が高い我が国は、これらの資源を国際相場で調達しなければならない以上、食糧自給率等が高い新興国の労働者と賃金水準が同程度だと、彼らより数段劣る消費生活を労働者が余儀なくされることになるからです。一応、前の記事に書きましたが、工場が衣(制服)食(3食)住(社員寮)を全額負担しますので、物価がベトナム並みにならなくても生活には困りません。とは言っているようですが、工場に「衣(制服)食(3食)住(社員寮)」を負担させたのでは、その分労務コストが上昇しますので、ダンピング競争には勝てないということになります。従って、この構想はほぼ必然的に、日本の工場労働者に、世界でも最低レベルの生活水準を押しつけ、彼らの労働によって得た成果の多くを外国人投資家にプレゼントしてあげるという結果をもたらすことになります。つまり、「日本国民を、外国人投資家の奴隷にする」構想だと言っても差し支えないでしょう。

 そして、それは工場労働者の生活を破壊するだけでなく、国内消費者を対象とするサービス業をも破壊することになります。特に、日本国内では、国内の消費者が「文化」的な付加価値に支出をする余裕がなくなるわけですから、「Cool」な物を生み出す感受性といったものが目に見えて衰退していくことが予想されます。すなわち、日本製品が、他の新興国の製品に対して有している優位性の大きな柱をみすみす捨てることになります。

 昨今の新自由主義者は、往年の社会主義者以上に、大衆は自分たちのコントロールするとおりに動くはずだといううぬぼれが強いようですが、往年の社会主義者以上に、人間というものの把握が平板で、人間の行動予測が「ご都合主義」の域を出ていないようです。

16/01/2009

大隈記念奨学生の集い

 今日は、早稲田大学の大隈ガーデンハウスの2階で、「大隈記念奨学生の集い」というのが行われました。私も、学生時代に大隈記念奨学金をいただいたOBとしてこの集いにご招待いただきましたので、出席してきました。

 前向きに生きている優秀な学生たちと話をするのはとても気分の良いものであり、また、同じく大隈記念奨学金を受けていたサークルの先輩後輩等にお会いするのも懐かしい限りです。

 とはいえ、日本国内では比較的奨学金が充実している早稲田大学ですら、年間の授業料を相当程度満たす程度の給付型奨学金を受けられるのはほんの一握りという現実が、恒常的なアルバイトをせざるを得ない状況に学生を追い込み、これによって、若年者失業率を引き下げる役割を担っているのは悲しいことです。大学の授業料がほぼ無料であり、かつ、生活費等を賄うために広く給付型の奨学金が支給されるフランスにおいて我が国より若年者失業率が高いことを鬼の首を取ったようにあげつらう向きもあるようですが、15歳〜24歳の約6割が進学しているとすると、進学者の9割がアルバイトを余儀なくされる場合と、進学者はアルバイトをする必要がない社会とでは、在学中でない若年者の中での失業率が一定だとしても、全体としての失業率は2倍近い差が生じますわけで、どちらが若者の優しいのだろうかという問題を生じそうです。

15/01/2009

裁判所の認定に反しない内容の証言をした証人について偽証の疑いで強制捜査することを許可する令状当番が存在する街,大阪

 Sponichi Annexに次のようなニュースが掲載されています。

 未公開株の譲渡をめぐり3億7000万円の詐欺と恐喝未遂罪に問われたタレント羽賀研二(本名・当真美喜男)被告(47)の公判で偽証した疑いがあるとして、大阪地検が被告側証人だった元歯科医宅を家宅捜索し、任意で事情聴取したことが15日、分かった。

 羽賀被告の公判において上記元歯科医師の証言が信用できないとして排斥されたのであればまだしも,羽賀被告の公判では第1審裁判官によりその証言が排斥されなかった証人について,偽証の疑いで捜査を進める必要性があったようには思われません。また,第1審で被告人に有利な証言をした証人が,偽証の疑いで家宅捜索を受けたり何度も「任意」の事情聴取を受けるなどしたあげくに「あれは記憶違いでした。実は……」という前言を翻した場合に,高裁でこれが採用されて逆転有罪になったりなどしたら,日本の刑事裁判の暗黒ぶりにクラクラきてしまいそうです。

 従って,この件についてはそもそも順序が逆なのであって,当該証言の内容が真実とは異なることを元の刑事裁判の控訴審で裁判所に認定してもらえた場合に初めて,第1審で被告人に有利な証言を行った証人についての捜査を行うことが許されるとすべきです。

 さらにいえば,本件では,元の刑事裁判は第1審判決は被告人を無罪としていますから,訴追側に有利な証言をした証人(被害者を含む。)の方が第1審裁判所認定の事実とは異なる内容の証言をしているわけであって,「偽証」の可能性が高いわけです。訴追側に有利な証言をしておけばそれと異なる事実が認定されても偽証の疑いで捜査を受けることはないが,被告人に有利な証言をした場合には偽証の疑いで捜査を受けるリスクがあるということになれば,面倒なことにできるだけ巻き込まれたくない場合には,なるべく訴追側に有利に証言をし,被告人側に有利な事実を記憶していたとしても決してそのような事実は尋問の際には語らないことこそ合理的ということになります。そのような「合理的」な選択をする証人が増えた場合には,被告人に有利な証言は法廷に顕出されにくくなり,本来無罪となるべき被告人が有罪となる危険性を高めることになります。

 この件について捜索・差押え令状を発した裁判官は,反省して二度とこのようなことをしないで頂きたいものです。

14/01/2009

雇用コストを誰かに転嫁しようとしているのは誰か。

 私のブログのエントリーに対し、木村剛さんに言及していただきました(トラックバックもいただきました。)。

 人権派弁護士であることを標榜している「la_causette」さんは、表層的な現象を取り上げることに懸命で、雇用問題を経済のメカニズムとして解決するという視点をお持ちではないようです(これは、法学と経済学の根源的な違いでもあります)。アピールの重要性を私は否定しませんが、アピールするだけでソリューションを持っていなければ、雇用コストを誰かに転嫁するという「下策の中の下策」しか出てこないという現実にそろそろ気付いていただきたいと思います。

とのことで、結局、空虚なレッテル貼りしかしていただけなかったのが残念です。

 そもそも私は「人権派弁護士であることを標榜」したことは一度もないのですが、私のブログのどこをご覧になったら、私が「人権派弁護士であることを標榜している」と誤解することができるのでしょうか。最近は他人の人権が尊重されることに耐えられない身勝手な一軍の人々の間で、自分とは異なる意見の持主に「人権派」とのレッテルを貼ることにより、その意見をとるに値しないものと位置づけるのが流行しているようですが、まさか木村さんほどの方がそんなみっともないことをしているとは思いたくないところです。

 また、表層的な現象を取り上げることに懸命で、雇用問題を経済のメカニズムとして解決するという視点をお持ちではないようですとのことですが、私は、年末年始の寒空にそれまで住んでいた住居を追い出され、行くところもない人々が生命身体の危機にさらされるということが、取り上げるに値しない「表層的な現象」だとは思わないのです。そういう意味では、抽象化された経済主体としてではなく、具体的な人格として人間を把握することが前提となる法学分野に進んで良かったなあと実感いたします。

 それにしても、企業のわがままをそのまま認める視点以外は「雇用問題を経済のメカニズムとして解決する視点」として認識できないあたりが、木村さんの限界でしょうか。日本経済がもっぱら輸出のみを行う経済体制であって、そのような体制で居続けることが今後も許されるのであれば、工場労働者に食うや食わずの生活水準を押しつけることも(倫理的ないし道徳的な側面を無視すれば)可能かもしれませんが、国内政治的にはもちろん、国際政治的にもそのようなことが許される情勢にはないので、内需の核となる中間層を維持することは、我が国の経済体制を維持するためにも不可欠です。

 また、雇用コストを誰かに転嫁するという「下策の中の下策」という言い方がされていますが、その労働収入では健康的で文化的生活を行うことができないような状況に労働者を置くこと自体が雇用コストの労働者への転嫁であり、非正規雇用労働者を突然解雇して即時に寮から追い出すことにより、これらの労働者が健康的で文化的生活を行えるようにするにはボランティアや公的機関の助けが必要な状態に追い込むこともまた雇用コストの国家ないし社会への転嫁に他なりません。

 また、「【ネットEYE】新『もりもり』の『今』を読むブログ」さんが正確に指摘しているように、「よく『ヨーロッパは労働者の権利が手厚く保護されてる』と言いますけど、それは『すでに職に就いている人』のことであって、若年層の失業率は、日本の何倍も高いんですよね。つまり、『雇用法制の強化』は、雇用の拡大につながらない、そういうことです…」という経済的事実に尽きるのですとのことですが、フランス等は、「すでに職に就いている人」の権利が手厚く保護されているだけでなく、「今は職に就いていない人」の権利も、日本よりは手厚く保護されています。さらに、若年層の失業率については、我が国では大学の授業料が国公立であっても高額である上奨学金が不十分であるため、多くの学生が恒常的にアルバイトをしなければならない状況に追い込まれており、そのことが若年層の失業率を引き下げていることは既に触れたとおりです。


 ところで、木村さんのこのエントリーのタイトルは「おフランスは雇用天国なのか?」というものですが、木村さんからトラックバックをいただいた元エントリーでは、フランスが雇用天国である云々という話はされていません。そこまでミスリーディングなタイトルをつけてまで不適切なレッテル貼りをしなければならないほど、焦っておられるのでしょうか。

13/01/2009

遅ればせながら,内定切りについて

 いわゆる「内定切り」問題で一番腹立たしいのは,3年の後期から学生を散々振り回しておいて,そういう仕打ちをするのですか,ということです。最近は,内定を出した後に,「エクスターン」と称して,学生を平日の昼間に出勤させる企業も少なくありませんし,そんなこんなで学生の時間を散々費消させておきながら,さらにいえば,内定を出すことで学生から他の企業への就職活動をする意欲を実質的に奪っておきながら,経営状態が目論見通り行かなかったと言うことであっさり内定を反故にするのは,あまりに勝手すぎないかという思いで一杯になります。

 5月,6月の段階では,翌年4月以降の経営状態を予見することは不可能だというのであれば,大学新卒の求人活動を開始する期間並びに内定を出す期間を,4月以降の経営状態がまあまあ予見できる程度の時期にずらせばいいのではないかと思ったりします。

12/01/2009

ブルーハーツは偉大だ

 新自由主義に反するようなエントリーをアップロードすると、匿名さんから、人格攻撃含みのエントリーをいただくことが多いです。大きな敵は叩けないから、小さな敵を叩きたいとの信条から、新自由主義に縋っている方々を見ると、ブルーハーツは偉大だなと思ってしまいます。

 経済学の教科書を読めというコメントもいただきますが、もちろん本職の池田先生とは比べものにはならないにせよ、日本語になっている、教科書レベルのものはそれなりに読んでいます。ただ、読んだものを鵜呑みにしないだけのことです。もちろん、学問領域の経済学には敬意を払いますが、そこでの結論がそのまま現実の政策として採用するに値するのかといえば、多分に否定的だからです。

 その大きな理由の一つは、経済学でいう「効用」の考え方自体に問題があることであり、もう一つは、不都合な現実を捨象して都合良く単純化されたモデルを用いるという経済学の手法に問題があるということです。

 例えば、人口100人の村で毎日卵が200個生産されると仮定します。あるとき、富裕層の間で、生卵を投げつけて遊ぶことが流行り、そのために、一部の富裕層が、生卵の値段をつり上げてこれを買い占め、そのために、それ以外の村民は卵を口にすることができなくなったとします。経済学の「効用」概念では、これは卵の「効用」が高まったのであるからむしろ好ましいことであって、見かねた村役場が卵市場に介入し村民が上昇前の値段で一人1日一個は卵を購入することができるようにすることは市場による資源の「効率」的配分を妨げるということになります。このような「効用」概念は、しばしば私たちの健全な常識に反するところです。

 「空気抵抗を無視します」という仮定の下では、「上空1万メートルから落下する場合、パラシュートを開こうが開くまいが、地上に到着する時間は一緒である」という結論を導くことができるわけですが、その結論をもって「落下中、パラシュートを開くことは意味がない」と提言する物理学者がいたら、周囲の人はかわいそうな人を見るような目でその人を見ることでしょうし、そもそも物理学者のほとんどは、単純化したモデルにより導かれた結論と現実との違いを十分に認識しています。しかし、経済学においては、過度の単純化(=不都合な現実の捨象)により非現実的な結論を導き出した上で、これを現実と混同して政策提言する方々が散見されます。我が国において「法と経済学」が流行らない要因の一つは、我が国における「法と経済学」の初期の担い手がまさにこのような愚を犯していることにあることは否めないでしょう。

 この種の論者がしばしば犯す間違いの一つは、「選択」を行う主体をごく一部のセクターに限定してしまう点でしょう。労働者への富の配分を減少させてその分を株主に回しても、企業活動の成果たる商品・サービスの需要に変動がないと仮定するがごときはその一例です。しかし、解雇規制が撤廃され、企業が解雇をちらつかせて給与水準の大幅カットを果たした場合には、給与水準が大幅にカットされた労働者とその家族はもちろん企業が国内で提供する商品・サービス等の購入を差し控えることになります。また、経営者からいつ何時気まぐれで解雇されるかわからないということになりますと、長期ローンを組まなければ購入できない住宅等の需要は壊滅的な打撃を受けることになります。「失業さえしていなければ、その収入では健康的で文化的な生活を支えられなくとも、将来『幸福』に慣れる見込みが立たなくとも、労働者は現状を不満に思うことがなく、財産犯が増加することは考えがたい」というのも非現実的な仮定だなあと思います。

雇用者報酬の減少は景気変動の誤差?

 池田先生から「6兆円減少した」などといかにも大きいように表現しているが、雇用者報酬は7年間で271兆円が265兆円に3%減っただけで、景気変動の誤差の範囲内だとのご指摘をいただきました。

 しかし、名目GDPは2003年を境に上昇に転じたのであって、具体的には、2000年の名目GDPが約503兆円なのに対し、2007年の名目GDPは約516兆円となっており、この間約2.6%増加していますから、「景気変動」に伴う動きだとすれば、雇用者報酬自体は増加すると考えるのが素直です。実際、経営者および株主が受け取った分け前はこの間増えているのです。したがって、2000年から2007年にかけての雇用者報酬の減少を「景気変動の誤差の範囲内」と考えるのは、無理があるように思います。むしろ、従前正社員が行ってきた労働の一部についてこれを給与水準の低い非正規労働社員に行わせることにより、労働者層が受け取る賃金総額が減少したと考える方が素直でしょう。

 なお、ここでは「労働分配率」ではなく、それぞれのセクションが受け取った額自体を問題としているわけですが、池田先生が労働分配率はその逆に、利益が増えると下がり、業績不振のときは上がる。だから日本の労働分配率は図のように1990年から2002年までの不況期に10%上昇し、その後の景気回復で5%ほど下がった。と仰るので労働分配率に言及すると、1994年ころから2003年までは概ね54%前後を推移していたのが、製造業者への労働者派遣を認めた2004年になって51%台に急落したのは、示唆的です。2004年度のGDPの伸び率は、1996年、1997年のそれより劣るわけですが。さらにいえば、この後、景気拡大局面はしばらく続くのですが、しかしながら、2006年末までは労働分配率は緩やかに上昇します(でも、約52%にまで回復するにとどまっていますが。)。

 また、「階級間闘争」という言葉にも言及されているようですが、ベルリンの壁が崩壊しようが、資本家と労働者が、相互に依存しつつも、利害が対立し、様々なチャンネルを通じて、絶えず闘争を繰り返している事実は否定しがたいところです。法学、とりわけ実務法曹は、どのようなセクターのどのような利害と、どのようなセクターのどのような利害とが対立しているのかを見据えることを余儀なくされているので、ベルリンの壁がなくなったくらいで、労働者と資本家との階級対立は消えてなくなり、ただ中高年正社員のみが社会敵として君臨しているというような理解をすることができないのです。

11/01/2009

ノーワーキング・リッチ

 池田信夫先生が昨年ネット上で流行らせた言葉の一つに「ノーワーキング・リッチ」というものがあります。

 ただ、池田先生が「ノーワーキング・リッチ」の例として紹介された例は、「ノーワーキング・リッチ」としてはいささか特殊なものであって、それをもって世代間対立を煽ったりするのはいかがものかという気がします。中高年以上の正社員のほとんどは、池田先生が描いたような、「ライオンズクラブの会合に出たり、地元企業とのゴルフコンペに参加したりするのが主な仕事」などという環境にはないし、2000万円もの年収には届きません。

 「ノーワーキング」でも「リッチ」な人々の例として普通に思いつくのは、株主等や地主等の生産手段の所有者なのだと思うのですが、池田先生の「ノーワーキング・リッチ」攻撃の矛先がいささかもそちらに向かわないのか、不思議です。企業活動の成果は、会社の所有者たる株主と、会社の経営者と、労働者との配分されるわけですが、このうち、株主のみは、「ノーワーキング」であっても配当を受けられる立場にいるわけです。しかも、この「株主」という地位は、しばしば、本人の働きとは無縁の、「相続」という形で転がり込んできます。

 そして、これによれば、2000年から2007年にかけて、労働者が受け取る配当(給与等)の総計は約6兆円減少したのに対し、この期間株主が受け取る配当の総計は約9兆円増加しています。すなわち、企業活動による生産量の増加分を労働者に配当せずに経営者と株主とで分け合ったのみならず、労働者への配当分を一部奪い取って経営者と株主とで分け合ってしまったのがこの7年ということになります。すなわち、「ワーキング・プア」は、世代間闘争に敗れたが故に貧しくなったのではなく、階級間闘争に敗れたが故に貧しくなったのです。

 したがって、この間顕在化した「ワーキング・プア」対策としては、そもそも「パイ」自体が縮小した「労働者枠」の中で「中高年正社員→若年非正規雇用労働者」への配分比率の変更等による富の移転によるよりは、「株主→若年非正規雇用労働者」への富の移転による方が合理的であるといえます。それには、「労働者枠」の「パイ」自体を2000年の水準に戻し又はさらに拡大させるなかで、増加分が非正規労働者に回るような政策誘導を行うなり、株主等への配当金への課税を強化した上で、税収の増加分を非正規労働者の生活改善に用いる等の方法があり得るところです。

10/01/2009

現実の派遣事業者はピンハネする。

 池田信夫先生が、再び過度に単純化したモデルで、労働者保護政策を否定しています

 「200人が正社員で100人が派遣、正社員の年収は400万円、派遣は200万円だ」と仮定し、かつ、派遣事業者が無償で派遣事業を営んであるときにしか、池田先生が提示する「算数」は成立しません。

 実際のところ、フルタイムの工場労働だと派遣労働者の給料水準は正社員の半分よりは高いし、派遣事業者は相当程度の中間搾取を行っています。「200人が正社員で100人が派遣、正社員の年収は400万円、派遣は300万円、派遣会社のピンハネ率4割」と仮定すると、社会保険料等の負担を無視すれば、派遣社員を全て正社員化することで、賃金原資を維持したままで、従前より25人余分に労働者を雇用することができます。といいますか、整理解雇の要件を満たさずとも恣意的に労働者を解雇できるということのために、正社員労働者に支払う給料分よりも高額の派遣料金を企業が派遣会社に支払っている例というのは、さほど珍しい話ではありません。。

 教科書的な説明をするためにモデルを単純化すること自体を否定するつもりはないのですが、その単純化したモデルにおいて導かれた結論を現実と混同するのは、避けた方がよいように思います。

09/01/2009

格差の正体

 bobbyさんという方からまたトラックバックをいただきました。そのエントリーの趣旨は、移民の大量受入れや私学助成金の廃止による低学歴化の推進により、工場労働者が「ベーシックインカム+1万円」で働く社会を作れというものです。

 ただ、ベトナム等において工場労働者が日本円にして1万円以下の月給でやって行かれるのは、それで生活できるほどに生活に関連する物資の値段が安いからです。そして、エネルギー自給率と食糧自給率が高い国ではその国の給与水準に合わせて食品等の価格を引き下げることが可能になりますが、それらが低い国では、それらの輸入元の物価水準が下がらない以上、食品等の価格はそれほど引き下がりません。したがって、雇用の流動化を無理矢理推し進めて工場労働者がベーシックインカム込みで月額6万円程度しかもらえない社会では、工場労働者は、せいぜい最低限命を長らえるのに必要な程度食べるのがやっとできるかできないかという水準に置かれることになります。

 しかも、そのようにして生産した商品は、人為的に一般労働者の貧困化が進んだ国内ではそれを購入する余力がないので、そのほとんどを輸出に回すことが必要となります。そして、国内ではそもそも消費をする余力はないので、原材料以外の輸入は大幅に減少し、一時的に大幅な貿易黒字が生じます。そうなった場合に、一旦は先進国となった日本が労働者を政策的に追い詰めてまで発展途上国並みの給与水準に引き下げて安価な工業製品を製造し輸出攻勢を仕掛けているということになれば、米国や欧州等においては、日本からの輸入を規制する経済政策が採用されるでしょうし(それは、日本国内の工場労働者の悲惨さを報ずることにより、政治的に通り安くなります。)、また、工場労働者の犠牲の下で可能となった商品価格の下落が無駄になるほどに円高になることも考えられます。そして、その社会のルールを守って誠実に生きていても何とか生き延びるのがやっとという社会階層を作り出していくと、その社会のルールを引き続き守るというインセンティブがなくなっていきますから、国内の治安は極端に悪化することが予想されます。すると、そのような工場労働者の人為的な貧困化により配当の極大化を果たした投資家たちは、治安の悪化した日本国内を脱出し、治安の安定した国に脱出することが予想されます。また、ほとんどの商品・サービスについて国内市場が消滅しますから、膨大な国内市場に支えられた「クールジャパン」的な強みは完全に消えてなくなります。すなわち、「高付加価値商品」を開発し、生産する国ではなくなります。

 bobbyさんの理想が実現した場合の結末なんて所詮はそんなものです。

 で、池田先生が「格差の正体」というエントリーをアップされています。

 ただ、中高年の正社員労働者なんて、格差の「上」の方の主体ではありません。世界に名だたるメーカーの中高年の正社員の所得なんて、NHKの30代正社員の給与水準にも劣るレベルです。

 高度化した資本主義社会では、生産手段を所有する人(投資家)と、これをマネジメントする人(経営者)、そしてその生産手段の下で労働する人(労働者)があって初めて企業活動が成立するわけですが、新自由主義といいつつ労働者の地位のみを引き下げたことにより、企業活動の成果の労働者への分配が減り、その分投資家と経営者への分配が増えたことが、21世紀に拡大した格差の本質です。そして、上記bobbyさんの理想は、その格差をもっともっと拡大させよというものです。そして、その行き着く先は、せいぜい、H.G.ウェルズが「タイムマシーン」で描いた未来社会でしかなく、あるいはマルクスが描いた革命直前の社会でしかないように思われます。

08/01/2009

失業率の高低の持つ意味の差

 池田信夫先生からトラックバックをいただきました。ただ、表面的な若年失業率が日本のそれよりフランスのそれの方が数倍高いことから、労働者の切り捨てが容易な日本の雇用政策を擁護する根拠とするのはいかがものかと思います。

 まず、失業率は、(失業者)/(就業者+失業者)×100で算出するわけですが、ここで就業者とは、①「有給就業者」,すなわち,賃金又は給料を得る目的で,調査期間に1 時間以上の仕事をした者(仕事を持っていながら休んでいた者を含む。),又は②「自営就業者」,すなわち,利益又は家族の利得のために,調査期間に1 時間以上の仕事をした者(事業を持っていながら休んでいた者を含む。)で,一定年齢以上のすべての者」をいうのであって、その労働の対価によって独立して生計を立てることができる全ての者をいうわけではありません。他方、失業者とは、調査期間中,①「仕事を持たず」,すなわち,有給就業者でも自営就業者でもなく,②「現に就業が可能で」,すなわち,有給就業又は自営就業が可能で,③「仕事を探していた」,すなわち,最近の特定期間に,有給就業又は自営就業のために特別な手だてをした一定年齢以上のすべての者」をいいます。すなわち、求職活動をしていない人は失業者とはなりません。また、若年失業率とは、15歳から24歳までの国民の失業率を指すのが通常です。

 ここで注意すべきは、「15歳から24歳まで」という年齢は就学年齢と相当程度重なるということです。日本では、大学の授業料が欧州各国より高く、通常の奨学金では授業料の全額をそこから出すことすら不可能であり、従って、富裕層出身者以外は恒常的にアルバイトを行うことが必要であり、また富裕層出身者であっても、遊興費等を捻出するために、恒常的にアルバイトを行う学生が少なくありません。そして、調査期間中にアルバイトを行う学生は「有給就業者」にカウントされるため、若年失業率を低下させる方向に働きます。また、「主婦」というのも統計上やっかいな存在で、専業に徹する場合は失業者に入らず、パートを始めると就労時間・収入の多寡にかかわらず、就業者にカウントされ、分母を拡張します。従って、「妻は、子供が大きくなるまでは子育てに徹するか、または1日数時間程度のパート労働を行うにとどまる」という観念が残存している社会では、若年婚の女性を中心に、若年失業率を引き下げることになります。

 他方、我が国で社会問題となった「ニート」「引きこもり」と呼ばれる人々は「有給就業又は自営就業のために特別な手だて」をしていないので、統計上失業者とはなりません。

 また、日本は、その他の多くの国と同様に失業者数の調査を労働力調査(標本調査)により行うのに対し、フランスは職業安定所の登録区分別登録により行います。フランス方式ですと現在ホームレスでも職業安定所に登録してあれば「失業者」にカウントされますが、日本方式ですと、ホームレスやネットカフェ難民等は調査票を受け取ることがないので統計から漏れることになります。

 ですから、日本の若年失業率が低く表示されるのは当然のことであって、そのことから日本の雇用政策の方がましであるとの結論を導くのは早計です。

フランスの失業率がOECD諸国で最悪グループであることはよく知られているが、若年失業率は特に悪く、23.9%(右から4番目)にのぼる。「格差」がいわれる日本はまだ8%だが、日雇い派遣の禁止などの規制強化を進めれば、フランス並みの「失業先進国」になるだろう。

とのことですが、統計上「失業者」にカウントされないということは、実際にはさほど重要ではありません。若年就業率は92%だかその3分の1は低賃金の非正規雇用というのと、若年就業率は78%だかその全てが正規雇用というのと、どちらが若年者にとってやさしいのだろうかということが問題となりそうです。

【追記】

 ちなみに,これによれば,季節調整をした2008年6月及び8月期のフランスの若年失業率はともに18.9%です。これは全体の失業率の約2.36倍にあたります。米国の2008年8月期の1.99倍と比べると高いようにみえますが,米国においては全体の失業率が2007年8月から2008年8月にかけて4.7%から6.1%に上昇したのが大きいのであって,2007年8月期でいえば,米国の若年失業率は全体の失業率の約2.30倍なので,解雇規制の緩やかな米国と,解雇規制の厳しいフランスとで果たして若年労働者の処遇に大差があるのだろうかという疑問がないではありません。

07/01/2009

需要曲線も動く

 池田先生のことですから,きっと分かっていながら,議論を盛り上げるために過度の単純化をしているのでしょう。

 池田先生がこのエントリーで提示されているグラフが成立するためには,その市場における労働者の賃金曲線が下方に移動しても,需要曲線が変動しないことが必要です。

 そして,労働需要というのは,技術革新による労働者1人あたりの生産量が一定だと仮定した場合,労働により生産される商品・役務の需要に従属します。そして,専ら当該労働市場に属しない者を対象とした商品・役務については賃金水準の低下により直接的に需要が低下することはないとしても,当該市場に属する労働者に支払われる賃金の総体が減少する場合には,当該労働市場に属する者により消費されることが予定されている商品・役務については賃金水準の低下により需要自体が低下し,これに伴い労働需要自体が低下します。したがって,単純化されたモデルで考えてみても,賃金水準が下がれば雇用が増加するとはいえないということになります。

目の前の500人のためだけでなく、背景にいる数万人、数十万人のためにできること

 経済的な強者であれば、議員さんに政治献金をしてその代わりに自分たちの欲する政策の実現に奔走してもらうことができます。しかし、そのような経済力のない弱者が自分たちの欲する政策を実現してもらおうと思ったら、効果的な政治的アピールをする必要があります。

 木村剛さん池田信夫先生が、派遣村が日比谷公園にテントを張ったことに政治性を感じ取ったことは正当ですが、それをネガティブにみることは妥当ではないでしょう。そこに集まった意図が年末年始を過ごすというだけが問題ならばテントは水元公園に張っても良かったのでしょうが、企業が派遣労働者を簡単に切り捨て政府もこれを見捨てる政策に変更を迫るためには水元公園では不十分であって、マスメディアの目に触れやすい地を選ぶ必要があったわけです。それは、そこに集まった500人のためだけでなく、その背景にいる数万人、数十万人の失業者並びに非正規雇用労働者のための選択だったと思われます。

 日本では、経済的弱者が連帯してその欲する政策の実現を求めて政治的に振る舞うことを「左翼的」といって嫌う風潮がいつしかはびこってしまったようです。その結果として、日本はアメリカと並んで貧困率の高い国となり、かつ、若年層への救貧策の乏しい国となり、内需の伸びない国となり、階層が固定した国となっていったわけです。1998年の失業者反乱、2006年のCPE反乱は「都心の公園にテントを張って年末年始を過ごす」なんておとなしいものではありませんでしたがフランス市民の多くはこれに賛意を示し、これにより反乱者の欲する政策がある程度実現したわけです。「都心の公園にテントを張って年末年始を過ごす」程度のアピール活動もせずに、失業者に電車賃を与えて故郷に帰すことでお茶を濁したら、失業者や非正規雇用労働者の生活の困難ぶりが政治家たちに伝わらず、依然として、議員さんに多額の政治献金をしてくれる人にのみ奉仕する政策だけが行われることになってしまいます。

06/01/2009

新種の公務員

 bobbyさんからトラックバックをいただきました。

組み立て加工メーカーが日本から東南アジアへ移転しているのは何故か。池田信夫blogによれば、市場価格は競争により低下して限界に達します。製造メーカーは、市場が決める(競合各社ともにほとんど差の無い)価格からより多くの利益を得る為に、製造原価(材料費、人件費、製造費)をより低くできる環境(中国やベトナムなど)を目指します。日本の工場ワーカーの人件費が(ベーシックインカムまたは負の所得税の実施を前提として*1)ベトナム並みに安くなれば、大きなリスクをおかしてまで異国へ工場移転する会社は激減し、外国からたくさんの工場が日本に戻ってくるでしょう。

とのことですが,これによれば,ベトナムの工場労働者の平均賃金は月6000円程度ということなので,フルタイム労働でそのような賃金をもらっても,ほとんど生活の足しにならないということになります。そこでは,工場労働者の生活費のほとんどを国家予算で賄うということになります。いわば,労働の成果を特定の企業に帰属させる,新たな公務員を作り出すことになりそうです。

賃金を下げても雇用は増えない

 私のエントリーを、池田先生がそのブログで取り上げで下さったようです。

 「賃金を下げても利潤が増えるだけ」ということだが、当ブログで何度も書いているように(労働需要が飽和した特殊な場合を除いて)賃金が下がれば労働需要は必ず増える。利潤も増えるかもしれないが、それだけということはありえない。とのことですが、商品需要自体が横ばい又は減少局面にある場合に、賃金水準が低下したからといって労働需要が増加するかといえば、そこは大いに疑問です。賃金水準の低下により所定の「人件費枠」の範囲内で可能となった新規雇用を行って商品の生産量を増加させ、商品1個あたりの価格を引き下げたからといって、生産量の増大に伴うコスト増を超える売上げ増が見込めなければ、新たに労働者を雇用するメリットが経営者側にないからです。そして、現代における工業製品の多くは、商品1個あたりの人件費の低下による商品価格の引下げ割合が一般の工業製品等ではさほど大きくはなく、それが需要の増大に繋がる割合はさらに低いといえます。需要自体が縮小傾向にある不況期においてはなおさらです。

 このような状況下において、「解雇の自由化」を進めて「低賃金労働者への置き換え」を可能とするなどして「賃金水準の低下」を実現した場合に、「労働者の置き換え」を超えて雇用労働者数の増大を企業が志向するだろうと考えるのは、いささか単純に過ぎるのではないかと思います。特に、「賃金水準の低下」を、「想定人件費枠内における雇用労働者の増加」ではなく、「人件費枠の縮小」につなげれば、経営者および株主の取り分が増加することとなることを考えれば、なおさらです。

 実際、派遣労働の自由化等によって賃金水準が低下したことにより何がもたらされたかといえば、労働分配率の低下であって、実質失業率の低下ではありません。

解雇に伴う寮からの即時退去要求と負の広告効果

 昨今の非正規雇用労働者の解雇問題で一つ不思議だったのは、なぜ、寮からの即時退去要求まで併せてやってしまったのかということです。自己都合退職や懲戒解雇と異なり、経営不振に伴う整理解雇の場合、退職した労働者の補充は当面行わないのですから、退職者をそんなにせき立てて寮から追い出す必要はなかったはずです。他方、突然の解雇に加えて寮からの立ち退きを迫られた労働者が移転先を見つけることは一般に困難であり、特に雇用環境が悪化している不況期には、その多くがホームレス化する危険を有しています。そして、これまで会社のために働いてきた労働者を突然解雇したのみならず、即座に寮からも追い出し、ホームレス化させたとの事実は、その会社の無慈悲感を強烈に印象づけます。そのことがマスメディア等で報じられた場合の負の広告効果が如何ばかりのものか、想像するだに恐ろしいといえます。

 もともと期間の定めのない建物賃貸借契約の解約申入期間は3カ月(617条1項2号)ですから、解雇通知を出してから3ヶ月間は寮を継続して使用することを認めても会社に対して不当に損害を与えたということにはなりませんし、どのみち新規入寮者が当面現れないのであれば、短期賃貸借契約でも結んで安価に賃貸借を継続しておけば、大量解雇による社会的評価の低下を少しでも抑えることができたのに、と思ったりはします。既に解雇した従業員との関係では近隣相場との差額を福利厚生費として計上することはできないので、宣伝広告費等ということして税務署にねじ込むことができなければ、税金面での負担が大きくなるということはあるかもしれませんが、企業イメージの向上のために様々なイベントやテレビ番組等にスポンサー料を支払うことを考えたら、どちらがお得かよく考えた方が良かったのではないかという気がします。

05/01/2009

「君側の奸」症候群

 「『正社員』を『敵』として祭り上げる言論の流行」というエントリーに対し、JavaBlackさんからトラックバックをいただきました。

そして低すぎる雇用流動性,新卒偏重,非正規雇用差別などの問題の多くが,(正社員の)年功序列賃金に根ざしている.これを是正する上で,上がりすぎた(主にバブル期以前の)中高年正社員の待遇引き下げは,避けて通れない問題だということに過ぎない.
「正社員 vs 非正規雇用」
というよりはむしろ
「中高年正社員&労働組合 vs 若手正社員&非正規雇用」
という図式で見なければ問題の本質を見誤る恐れがある.
とのことです。

 世の中の経営者たちは若年正社員や非正規雇用労働者の処遇を引き上げたくてたまらないのに中高年正社員の人件費が高すぎてそちらにお金を回すことができないという状況にあるのだとすればそのようなことはいえるのかもしれません。しかし、世の中の経営者たちが、若年か中高年かを問わず、正社員か非正規労働者かを問わず、可能な限り人件費は引き下げたいと考えているのであれば、中高年正社員の給与水準を引き下げても、若年正社員や非正規労働者の処遇は改善されないということになります。なぜなら、例えば従前時間単価1500円で採用できていた非正規労働者は、中高年正社員の給与が半額になったところで、やはり時間単価1500円で採用できることが予測される以上、時間単価2000円で募集をかけるインセンティブは経営者には存在しないからです(むしろ、中高年正社員の給与を減額することによって浮いたコストは、経営者と株主とで分け合う方が、経営者としては魅力的です。)。

 また、中高年正社員の人件費コストがさほどではない、労働組合もないか又は非常に弱い、比較的若い企業において、若年正社員や非正規労働者の労働環境がそんなに素晴らしかったのかというとそうでもなくて、むしろ、労働者に分配するお金が節約できている分、一握りの経営者たちがその生み出す富の多くを握っていたのではないかという気がします。

 ということで、JavaBlackさんのような、中高年正社員&労働組合をいわば「君側の奸」と見なして彼らを叩けば生来善良な経営者たちが自分たちを厚遇してくれるはずだという考えは、とてもメルヘンチックに過ぎるように思われます。

04/01/2009

人権は政府から与えられるものではない。

 池田信夫先生が、次のように述べています。

事実としては人が遺伝的に人権を持って生まれてこないことは明らかなので、これは「政府が人々に人権を与えるべきだ」という価値判断だろう。しかし生まれた瞬間に、すべての人に同じ権利を政府が賦与すべきだという根拠はどこにあるのだろうか。

 人が遺伝的に持って生まれているか否かを問題とするのであれば、「私有財産」自体、人が遺伝的に持って生まれているものではありません。「所有権」という有体物に対する観念的な支配関係が「権力」により守られることを前提とする「私有財産」自体、「法」があって初めて存在するものです。同様に、「契約」もまた、他人との関係性が「権力」により守られることを前提としており、「法」があって初めて存在します。したがって、少なくとも近代以降の経済学は、「法」の存在を前提としています。そういう意味で、「基本的人権」についてのみ、事実として人が遺伝的に持って生まれてこないことをことさらクローズアップするのはいかがものかと思います。

 さらにいうと、社会契約論的な理解でいうならば、「政府が人々に人権を与える」のではなく、「主権者たる我々は、我々の基本的人権を不当に侵害するような態様で『権力』を行使する権限までをも政府に与えたわけではない」ということになります。そこでは、一方当事者の基本的人権を不当に損なうような契約条項の履行を「権力」が強制すべきではないし、契約条項の如何に関わらず、基本的人権を不当に害しようとする者の排除を「権力」に対して求めることができますし、実際に基本的人権を不当に害した者に対して制裁を加えるように「権力」に対して求めることができます。ですから、例えば、再び新卒の就職状況が買い手市場に転じたのに乗じて、雇用契約において、性交渉の相手方を指定する権利を会社側に付与する条項を盛り込んだところで、その条項の履行を国家権力が強制することは許されないし、女性従業員がその会社の経営者に強姦されようとしているところに遭遇した警察官は、雇用契約においてその従業員の性交渉の相手方を指定する権利が会社側に付与されており、会社の意思決定としてその従業員の性交渉の相手方としてその経営者を指定したのだとの説明を受けても、その説明を一笑に付して、その女性従業員の身を守ることができます。

Packetが前に付いただけ?

 2ch.netのドメイン名の保有者がPacket Monster Inc.になっていることについてネット上で話題となっています。

 ただ、従前のRegistrantは──whoisデータベース上は──新宿区新宿5丁目に所在する「Monsters Inc.」ということになっていました(*)から、名称としては、「Monster」が単数になり、前に「Packet」が付いただけということになります。

 町村先生からは、

削除請求訴訟に関しては、削除権限が西村氏になくなった以上、請求棄却とならざるを得ないであろう。改めて譲り受け企業とされるPacket Monster社を被告として訴えるか、あるいは訴訟引受(民訴50条)を申し立てて引き込むということになろうか。

とのご指摘を受けていますが、削除権限を失ったことの主張・立証がなされるまでは、そのことを理由として請求棄却となることはないのではないかと思ったりはします。

 

 

 

(*) ただし、そのような名称の会社は、登記簿上、新宿区内には見あたらなかったのですが。

「正社員」を「敵」として祭り上げる言論の流行

 社会主義に関しては、ロシアを含む東欧諸国での実践例の失敗をもって、その全てが否定されることが多い。しかし、そのような論法を採用する論者の多くが、新自由主義に関しては、ピノチェト政権下のチリやエリチン政権下のロシアでの実践例をもってこれを否定することを行わないことはなんだかアンフェアなように思われます。

 新自由主義的な経済運営のもとでは、富が一部の人や企業に集中します。当初一部の人や企業に集中化した富は、いずれ、それ以外の人々にもしたたり落ちてくるといういわゆる「トリクルダウン」理論が唱えられていたことがありましたが、実際にはほとんどの場合そうはなりませんでした。一つには、国内労働者からの搾取により集められた富は、株式配当等を通じて、その多くが外国に流出してしまい、国内消費に回らないということがあるでしょう。また、企業や一部の富裕層に留保された富は、金融商品という観念的なものに化けてしまい、市場に還流しなくなるということもあるのでしょう。

 従って、新自由主義的な経済運営の下では、仮に輸出主導でGDPの増加をもたらしたとしても、国内消費は増加せず、むしろ減少することにも繋がることになります。そして、中間層として標準的と考えられている消費生活を行うことを現に行えず、中長期的に行うことができる見通しが立たない人々が増加していくわけですが、それらの人々にとっては、そのような結果をもたらした経済・社会体制を維持するメリットは基本的に存在しないということになります。民主主義国では、議会を通じて、新自由主義的な経済運営により一部の人や企業に集中化された富の再配分を強化し、又は、富の集中化を緩和する施策がとられることとなります。

 逆に言うと、新自由主義的な経済運営を継続させようと思ったら、国民の多くに貧困を甘受させる工夫が必要となります。ピノチェト政権下では、軍事力を行使することで不満を押さえつける方法により行ったわけですが、これは政治的には危険すぎるオプションです(池田先生は、すべての個人はひとしく「譲渡不可能な基本的人権」をもっているという信念を「根拠のない」ものとしますが、基本的人権を認めない法制度を採用できるかといえば、国内政治的にも国際政治的にも事実上不可能です。)。新自由主義を終結させ又はその弊害を除去するため一定に修正を図ること=社会主義的とレッテル張りをし、そうなるとソ連ないし北朝鮮のような社会が到来するかのように煽り立てることは、あまり広い範囲には功を奏しません。そこで、生活実感に根ざした素直な投票行動とは異なる投票行動を多くの有権者に行わせるための工夫が必要となります。このために有力な手段が、打ち倒すべき「敵」を作り上げることです。新自由主義に異を唱えること=利敵行為とまで思わせれば彼らにとっては最高ですが、そこまで行かなくとも、新自由主義によりもたらされた貧窮の是正よりも優先すべき投票テーマを設定できればそれはそれで上々です。経済における新自由主義が、保守的な宗教団体と結びつきがちな理由の一端がそこにあります。

 最近、日本のネット言論では、「正社員」を「敵」として祭り上げる言論が流行しているようです。しかし、「正社員」に対する解雇規制を撤廃し又はその処遇を引き下げたところで、企業の内部留保や株主への配当が増えるだけで(そして、外国人投資家を通じて流出する富が増えるだけで)、非正規社員の待遇の改善には概ね繋がりません。むしろ、「正社員」への給与を通じて企業から国内市場に流れていた富が減少することにより、サービス業での非正規労働者の雇用は減少し又は待遇が悪化するかもしれません。

01/01/2009

不在通知の電子メール化

 ヤマト運輸以外の宅配事業者がなぜ、不在通知を事前に登録された電子メールアドレスへの送信によって(も)行うサービスを行わないのか、私には理解しがたかったりします。どの宅配事業者を選択するかのイニシアチブは発送者側が握っているとはいえ、配達達成率を高めるということは、中長期的に見ると顧客たる発送者側に対する顧客満足度を高めるように思ったりするのですが。

 平日の昼間に誰か大人が概ね在宅している家族モデルというのはすでに崩壊しつつありますし、仕事の関係で数日あるいはそれ以上帰宅できないことのある人も少なくないのですから、安全性を考えて職場や実家等事前に登録された場所に限定されるとしても、自宅不在時に配達されようとした荷物を、自宅に帰宅しなくともウェブ上の操作で特定の場所に再配達させられるようなシステムを提供してくれると、再配達期間を徒過する割合がかなり減るのではないかと思うのです。

 いや、私自身、そういうサービスが欲しいのです。

広告モデルが崩壊したと嘆く前にすべきこと

 さて、年が明け、2009年になりました。

 今年は、IT業界にとって、どのような年になるでしょうか。

 一つの鍵は、インターネット上のサービスに関して、真っ当な広告モデルを確立できるかという点にあるように思います。昨年後半くらいから、広告モデルの終焉みたいなことが言われ始めていました。とはいえ、ネット上のサービスに関して言えば、終焉を叫ぶに値するほど広告モデルって模索されていないように思っています。

 事業者が自身で制作したコンテンツを掲載するサイトであれば、コンテンツの質を高め、広告の質を絞れば、従来のマスメディアと同様に、ある種のブランド価値ないしステータスを広告主に付与することが出来るかもしれません。そのような価値を付与できないのであれば、広告主の商品ないしサービスの需要を直接的に高めることが本来求められているはずです。書籍等についてのアフィリエイトはある程度これに成功しているわけですが、ネット通販では通常購入しない商品・サービス等についての広告を取り付けようと思ったら、アフィリエイトでは不十分であるように思われます。また、顧客の範囲が地理的に限定される事業者向けには、閲覧者の生活圏にあわせて広告を切り替える仕組みの導入が求められることでしょう。

 本来であれば、不況期には広告費を削減したいというインセンティブが企業に働くので、ネット事業者としては、テレビ等割高な広告媒体から広告料収入を奪い取るチャンスなのですが、アドセンス任せでは従来メディアの広告と同種の効果すら期待できず、既存の広告媒体から顧客を奪いきれないように思われます。

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