解雇規制の緩やかな社会は製造業向きではない
解雇規制の強弱と労働者市場とはどのような関係にたっているのかを単純化されたモデルを用いて再確認してみましょう。
解雇規制の緩やかな社会においては、好況期には需要の増大に生産を対応させるために大量に雇用が行われ、一方、不況期には需要の減少に対応させるために大量の解雇が行われるということになります。そこでは、労働市場は非常に「熱しやすく冷え込みやすい」ということになります性質を帯びることになります。それが、長期的な視野で経営される企業にとって好ましいのかというと、実は難しいところです。雇用も流動性が極度に高まると、好景気が到来し、いざ生産量を増加しようと思うと、同業他社から労働者を引き抜き、さらに同業他社に引き抜かれないために、同業他社からと競って給与水準を引き上げる必要があるからです。また、従業員の教育にコストをかけても、熟練度が増した従業員はその熟練度に応じた給与を提示する同業他社に引き抜かれるということになりますから、採用にあたっては、必要な技能等を既に有する人を、コストをかけてでも雇う必要が生じてきます。例えば、最初から経営者として必要な技能を有している人なんてそうそういませんから、株主が、企業経営をできる人を雇うにあたっては、飛び抜けた高額の給与を出す必要が生じたりします。また、経営者、開発者、製産者、営業等が採用段階から教育段階に至るまで整然と区別されていてそこに一種の階級ができてしまうと、それらのセクション間のコミュニケーションが不足したり、特に経営者、開発者らが、製産、営業等の事情を慮らずに机上の空論を推し進めることになりがちであり、それはその会社の製品やサービスの内容又は質に大きく影響します。
他方、労働者にとっては、それは決して好ましい状況ではありません。労働者は、生活している以上毎月一定の支出は必然となっているので、少なくともその支出をまかなえる程度の収入が安定してえられるのでなければ、安心できないからです。また、企業が必要とされる技能等を既に有していなければそれが必要とされる職場には採用されないということになると、逆に、現時点の技能よりもポテンシャルが評価されてきた若年層は却って高度な技能を必要とする職場には採用されにくくなります。経験の乏しさが学歴で補える分野であれば学歴を積めば済む話ですが、経験が物をいう分野では致命的です。
結局、一部の新自由主義者が推奨するような解雇規制の緩やかな社会(例えば、米国や香港等)で製造業が衰退し、金融業等でやって行かざるを得なくなったことには、十分な理由があったということです。
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