一段階論理の正義
法律家の「正義」は、しばしば経済学者から「一段階論理の正義」と揶揄されます。
例えば、一般的な法律家は、セクシャルハラスメントを「不正義」と考え、社内で女性従業員が男性上司から体を触られたり、肉体関係を許容されたりした場合には、当該男性上司に法的な責任をとらせるとともに、そのような上司を放置していた会社にも法的な責任をとらせるべきだと考えます。
しかし、法律家の「正義」を「一段階論理の正義」と揶揄する経済学者の論理をこの問題に当てはめると、おそらくこうなります。「従来より、少なくない企業において、その性的な魅力ゆえに、その学歴や学力に不相当な企業に就職できた若年女性従業員が少なからずいた。企業としては、社内におけるセクシャルハラスメントが厳密に規制され、その性的魅力を社内で費消できないということになると、そのような若年女性を雇用するインセンティブを失うことになる。すなわち、社内におけるセクシャルハラスメントを糾弾することは、そのような若年女性から雇用機会を奪うことになるのだ。好きでもない男から体を触られたり肉体関係を強要されたりするのはかわいそうだという論理で社内セクハラを禁止するのは法律家特有の『一段階論理の正義』にすぎない。経済学的には、セクシャルハラスメント受けたくない女性はそのような企業を退社すればよいのであって、セクシャルハラスメントを受けてでも企業勤めをしたい女性もいるのだから、社内セクハラを法律で規制するのは間違っている」
しかし、法律家としては、「若年女性労働者の採用枠が拡大する」というメリットがあるとしても、個々の若年女性に「セクハラを甘受するか、それとも無職になって放り出されるか」の選択を強いることは耐えられません。「基本的人権は尊重されなければならない」という考え方が染みついており、それが全体の利益に繋がるのだと言われても、一人の人に甘受させることができる不幸の量には限度があるべきだと考えるからです。そういう意味では、法律家は、経済学者とは永遠のわかり合えないような気がします。
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