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13/02/2009

中高年正社員の給与水準に関する認識の違い

 池田先生が次のように述べています。

ソニー、全日空、東芝、パイオニアなどで、賃下げの動きが広がってきた。「ワークシェアリング」などという曖昧な話ではなく、賃下げこそ雇用維持の切り札である。年収1500万円の中高年正社員の賃金を2割下げれば、非正規労働者の雇用が1人守れる。

 NHK→REITI→GLOCOM→上武大学と,しかもREITI以降は主任研究員,教授等の地位で渡り歩いてきた池田先生の目に映る「中高年正社員」って,そういうごく一部の恵まれた人たちだけなのだなあ,と感心しました。私の父は,「非正規労働者」であったことはありませんが,終生,年収がその3分の1を超えることはなかった(4分の1を超えたことすらあったかわからない)ので,ずっと別世界を見ていたのだなあ,と思ってしまいました。

 池田先生のような方が25年前に猛威をふるって25年前に「中高年正社員の賃金を2割下げ」る政策が実現していたら,さすがに,屋根の下で,飢えずに生きていくために,私は大学進学を諦めざるを得なかったのだろうなあとしみじみ思います(父自身,昭和11年生まれで都立上野高校卒ですから,子供の教育を受ける機会が親の所得水準に大きく依存している社会でなかったら,それなりの大学に進学できて,それなりの処遇を与えられる職に就けていたとは思いますし。)。そういう意味では,私はまだ,高卒で中小企業に勤めた一般従業員の子供でも,大学に進学し,司法試験にチャレンジすることが許された時代に,十代後半から20代前半を迎えることができて,非常にラッキーだったのだなあとしみじみ思います。

 新自由主義者たちが主導して行った司法改革により,もはや私のような出身階層の人間が司法試験にチャレンジするという道は事実上封じられましたし,池田先生の政策提言が万一取り入れられて,解雇規制が撤廃されて,一般の労働者は絶えず20代前半の独身者との価格競争を強いられるということになれば,この階層に生まれた人間は,私の父がそうであったように,成績が良くても大学進学なんかできなくなるのだろうなあと思ったりはします。

 もちろん,新自由主義者から見ると,そういうのって,政策提言の中からは排除しないといけない「感情論」ってことになるのでしょう。実質的な機会の平等なんて新自由主義から見たら何の意味もない話でしょう(奴隷制度も肯定されるようですし。)。でも,民主主義社会では,そういう「感情論」を無視しては物事って進まないし,だから新自由主義って,宗教勢力と結びつくなどして国民を騙すか,独裁政権と結びつくか,っていう形でしかなかなか実現しないのです。そういう意味では,日本人特有のサディズムと結びついてこれまでやってきた日本型新自由主義っていうのは,政治学的にはある種画期的なことなのかもしれません。

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