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11/02/2009

結局、内需の原資はどこからでてくるのでしょう。

 雇用流動化により社会全体の雇用コストが軽減された場合、消費の原資が減少するので、当該社会に属する消費者は商品やサービスを購入しなくなる──このような常識的な見方に対して、「賃金」という形での企業から家計への財貨の移転が減少しても国内消費が減少せずむしろ増大するとするのだということの経済学的なご説明を池田先生から頂くことは、ついぞできませんでした。

 この教科書を読んだら、あるいはこの論文を読んだら、企業が労働者に支払う賃金の総量を減少させても、需要が減少しないということがわかるというのであれば、端的にそれをお示しいただければよいのに、と思ってしまいます。(サマーズさんはそう仰っていないようですが)「長期的には雇用コストが下がると……自然失業率は間違いなく下がる」としても、失業率が下がっただけでは内需は増大しないだろうということは、経済学の学位を取っていない私にも見当がつく話です(例えば、解雇規制を撤廃し最低賃金制度を廃止することにより労働者の平均賃金が半減する代わりに失業率が10%から1パーセントに下がったという場合、「賃金」として家計に移転する財貨は45%減少します。「賃金」として家計に移転する財貨が減少しても、「失業率」さえ低下すれば、国内需要は減少せず、むしろ増加するのだということを、説得的に説明できる理論があればいいのですが、そういう話は未だ伺えていないようです。)。

 なお、池田先生は、

経済学部の学生なら1年生の夏学期に教わるように、所与の資源存在量のもとで効率的な資源配分は、異なる所得分配に対応して無限に存在し、そのうちどれが公平かは理論的には決まらないが、所与の所得分配のもとでどういう資源配分が効率的かは一意的に決まる。たとえば土建業で50万人が失業し、介護で50万人が足りないとき、前者から後者に労働力を移動することでGDPは明らかに増え、損する人はいない。これがパレート効率性の意味である。

仰っていますが、パレート効率性の一般的な意味とはずれているように思います。一般的に、パレート効率性とは「ある集団が、1つの社会状態(資源配分)を選択するとき、集団の内誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態」をいうのであって、動的な概念ではありません。なお、土建業にしても介護事業についても、公的資金による助成を需要側が必要としているサービスであり、需要自体が公的資金の配分決定に大きく依存するので、資源配分の効率性を云々するのに適切な例だとは思われなかったりします(ついでにいうと、土建業から介護業に労働力を移動させるためには、土建業従事者が介護業に従事できるような職業訓練プログラムを用意するとともに、土建業の補助に用いられていた公的資金を介護事業に振り向けることにより、労働者の増加により可能となる供給を支えるだけの需要を形成することが必要となります。)。

 池田先生が他人の見解をご自身でも批判できるように読み替えるのは珍しいことではないので、私が「「所得分配を平等にしたらGDPが増える」という話」を繰り返しているだの、「資本家も労働者も所得が同じになるのが公正だと思っている」だのという読み替えをされていることを今更とやかく言っても始まらないとは思うのですが(基本的に学問領域が違えば許容される流儀も違うのでしょうし。)、「労働生産性に等しい所得を得ることが公正だと思う人」はいないのではないかという気がします(「労働生産性」という概念の定義を独自に理解しない限りはですが。)。また、「現実にとられているのは、基本的には所得分配は市場にゆだね、最低所得を補償する政策である。」との点については、フリードマン等の経済学者が提示しているモデルを現実のものと混同されているだけなのではないかという気がします(多くの先進国では、最低賃金制度が採用されたり、所得税の累進課税制度が採用されたり、また、労働組合を保護して利益の配分についての会社の意思決定に関与させたり、いろいろなことをしていたりするわけです。)。

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