「品質保証」は危険で欺瞞的なのか。
落合先生が次のように述べています。
「コミュニケーション」と呼ばれている、いわゆるコミュニティ系のサイトは、コミュニティへの参加者(利用者)によって、刻一刻と様々な情報が大量に書き込まれて行くもので、いくら24時間、365日パトロールを行っても、常に、必ず違法な情報、有害な情報が存在するものです。18歳未満の青少年を本当にそういった情報から完全に遮断したいのであれば、その種のサイトに接すること自体を禁止すべきであり、「健全」サイトならアクセスできる、といった構造は、健全サイトなら安心、安全といった、間違った幻想を人々に抱かせかねず、危険なことだと思います。
落合先生の論理でいくと、「健全サイトなら安心、安全といった、間違った幻想を人々に抱かせ」ないためには、違法な情報や有害な情報を完全に事前排除できない限り、違法な情報や有害な情報を極力排除して利用者の安全性を高めたとしても、そのことを利用者に伝えるべきではなく、違法な情報や有害な情報を野放図に放置しているサービスと同じように取り扱われるべきだということになりそうです。そうなると、落合先生が仰るとおり「その種のサイトに接すること自体を禁止す」るか、または、いずこのサイトも違法な情報や有害な情報を野放図に放置するか、どちらかということになるのでしょう(折角コストをかけて極力違法な情報や有害な情報を排除したとしても、そのことを利用者に伝えることが許されないということになれば、それは費用倒れに終わりますから、結局、違法な情報や有害な情報は野放図に放置するのが合理的だということになります。)。
落合先生の論理は、商品・サービスの安全性を適切に判断することが困難な需用者のために公的に又は私的に広く行われている「品質保証」というシステム自体を否定するものであって、需用者に過度の負担をかけることになるのではないかという気がします。実際、落合先生はこの問題で公権力や利権に群がる人々が主導権を握るべきではなく、親の指導監督機能が十分に発揮されることにより青少年保護が図られるべきであ
ると仰るのですが、現実問題としていえば、コミュニティ系のサイトにおいて違法な情報や有害な情報は野放図に放置された上で、「子供が危険な目に遭わないようにしたければ親がきちんと指導監督しなさい」と言われたって、親としてはいかんともしがたいように思われてなりません。
安全性に関する規制って、どうしたって蓋然性の程度の問題に帰着せざるを得ないのであって、そこに「100か0か」的な論理を持ち出されると、現実にはうまく機能しないように思われます。そして、ネット産業も、大分定着し成熟してきたのですから、そのサービスが引き起こす害悪をどのみち完全には除去できないのであるから全くそれを除去しないという子供じみた開き直りからそろそろ卒業する時期に来ているのではないかと思います。
【追記】
落合先生が下記のような追記をされています。
上記のようなスキームが、「健全」認定する認定者による、一種の「品質保証」であるならば、そういった保証を信じたが裏切られた、被害を受けたという人が出た場合、相応の「補償」も行います、というものでなければ、単なる気休めであり、それだけでなく、その欺瞞性は際立つと言っても過言ではないでしょう。
落合先生は、ずいぶんとアバンギャルドですね。事実上、民間の企業や団体による安全性認証を否定する論理ですから。落合先生は、その姿勢を、CGMサービスにおける違法・有害情報関係以外の分野でも貫くのでしょうか。
でも、それって、利用者を危険にさらすことで一儲けを企む悪質な事業者の利益にしかならないですね。違法・有害情報関係でも、これを野放しにすることで、「ここにいけば、本人・親共々リタラシーの低い女子小中学生をがんがん引っかけることができる」との評価を口コミで広めてそのような欲望をもった児童性愛嗜好の利用者からの多大なアクセス数で一儲けを企むサイトの経営者などは、違法・有害情報を野放しにしているサイトときちんと対策しているサイトとを、リタラシーの低い親でもチェックでき、リタラシーの低い親でもそういうサイトへの子供のアクセスを機械的に遮断できるシステムが、「そういった保証を信じたが裏切られた、被害を受けたという人が出た場合、相応の「補償」」を行わせるとすることにより実施され得なくなれば、密かにほくそ笑むことでしょう。
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Commentaires
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もちろん、コミュニティサイトで女子小中学生を誘い出そうとする大人たちに女子小中学生の内からついて行ってみて、それでいっぺん痛い目に遭ってみたらよい(それで、レイプされて殺されてどこかに捨てられる小中学生が何パーセントか混じったとしても、そんなのは誤差の範囲内だ。)、大人たちが子供を予め画一的に危険から遠ざけるのは気に入らない、という考え方もあるとは思います(私は賛同しませんが)。
ただ、有害情報が野放しにされているサイトに小中学生が自由にアクセスできることによって子供小中学生に及ぶ危険というのは、高校生が授業中に席を立つことにより高校生に及ぶ危険とは比較にならないので、そういうところから話をされてもなあという気はします。
Rédigé par: 小倉秀夫 | 01/02/2009 14:25
今は年度末なので、学校からの社会人講話のリクエストがたくさんあって、多くの学校に行くのですが、以前から気になっているのは高校なのにまるで小学校低学年であるかのように、先生が先回りして指導している、なのです。
わたし達が行くのは「中低位校」ばかりですから、なかにはひどい高校生も居ます。
でもほぼ完全に法律違反レベルは居ません。(当たり前ですが)
(ほぼ完全にと書いたのはどこかでであうかもしれないからで、今まで経験ありません)
確かに「外部講師の話を聞くのに相応しくなく、失礼な態度だ」と先生が指導するのは分かるのですが、社会には色々な人が居るといったことを話すのが基本の席で、姿勢の指導などをするばかりでは、大変に違和感があります。
こう書くと多くの方は「それで何が問題になるのか?」と思われるでしょうが、同じぐらいひどい話だとおもっているのが、わたしは半年から1年掛けて「ロボット製作授業」をやっています。
最初(4月)に「自由に席を立って、他のチームのやっていることを見て良い」と言っているのに、席を自分で立って調べに行くのが夏休み過ぎてからです。
つまり「授業では、席に座っているものだ」と思いこんでいて、そのために調べに行かない、だから「分かりませ~ん」が正当化できるわけです。
わたし達の目標は高校生が良き社会人となることですから、学校から一人ひとりに個別に指導されるやり方以外があるのだ、と示したいのですが、それ自体が大変なのです。
最初に書いた、姿勢を正すことを指導するのと、席を立って自分で調べろと言っても座っている、のは同じことだと思うのです。
どっちもダメなわけで、社会の多様性といったものを機会あるごとに教えるべきです。
その意味では「安全なインターネット」なんてのものにお墨付きを与えるというのは「先生が言った通りに座っていたのだから、分からな~い」という幼稚化した青年の大量生産に拍車を掛けるような行為ですね。
Rédigé par: 酔うぞ | 01/02/2009 12:50