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28/02/2009

歴史はむしろ,資本家の欲望を規制することこそ経済の持続的発展を促すことを示している。

 池田信夫先生の昨日のエントリーの結論部分にも言及してみましょう。

むしろマルクスとハイエクがともに依拠した西欧的な市民社会の概念が、どこまで普遍的なモデルなのかが問題だ。歴史的には市民社会が普遍的ではないことは自明であり、「欲望の体系」が人々の感情を逆なでする不自然なシステムであることも、ヘーゲルが指摘した通りだ。しかしそれが西欧文化圏の奇蹟的な成長を可能にし、それ以外のモデルがすべて失敗に終わったことも事実である。マルクスは、階級対立を生み出さない純粋な市民社会としてのコミュニズムが可能だと考えたが、それは間違いだった。欲望を解放する市民社会は、必然的に富の蓄積によって不平等な資本主義を生み出すのである。
つまりわれわれは「不自然で不平等な市民社会が、物質的な富を実現する上ではもっとも効率的だ」という居心地の悪いパラドックスに直面しているのだ。これを拒否するか受け入れるかは、ある意味で歴史的な選択である。「新自由主義」を否定して、政府が不況で困った個人や企業をすべて救済し、それによる財政赤字をまかなうために税率を70%ぐらいに引き上げる国家社会主義も、一つの政策だろう。そうやってゆっくり衰退してゆくことが、日本にとって現実的に可能な唯一の選択肢であるような気もする。

 しかし,歴史はまた,欲望を完全に解放し,富の蓄積に伴う不平等を修正せずに放置することが,物質的な富を実現する上で障害となることも示しています。例えば,農地解放がなされ,労働三法が制定された戦後日本,そう「日本国の歴史を愛してやまない」といって憚らない自称愛国者が唯一忌み嫌う戦後日本こそが,奇跡的な経済発展を果たしたわけです。そして,不平等を拡大する方針に転換して以降の日本は,経済成長が鈍化しています。むしろ歴史は,欲望を自制することを知らない企業や富裕層にある種の足かせをはめる方が,経済の持続的発展をもたらすことを示しています。結局のところ,「労働者は,生産の主体であると同時に,消費の主体でもある」という,新自由主義者たちが認めたがらない事実がある以上,消費性向の高い中低所得者層にお金が還流するようなシステムを採用することが持続的な経済成長のために不可欠であることは否定しがたいのです。新自由主義的な経済システムは,国外の「市場」だけで供給に対応する需要が存する場合には機能する場合もあり得るのですが,それは様々な意味で長続きしないのです(市場を確保するために,帝国主義的な戦争でも始めるおつもりでしょうか?)。

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