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12/02/2009

労働生産性と労働の限界生産力は別概念ではないでしょうか?

池田先生が,そのブログのコメント欄で,

<労働生産性に等しい所得を得ることが公正だと思う人はいないのではないかという気がします>




残念ながら、経済学の教科書にはそう書いてあるのですよ。これは限界生産力説といって、ほぼすべての経済学者がそう思っています。

と仰っています。しかし,一般には限界生産力説というのは,

企業が労働の投入を1単位追加したときの生産の増加分(労働の限界生産力)が労働1単位にしはらう費用としての賃金水準より大きいかぎり、企業は労働を需要し生産を増加させたほうが有利である。なぜなら、このときには利潤を増加させることができるからである。したがって、企業が利潤極大化行動をとるのであれば、企業にとっての均衡は労働の限界生産力と賃金がひとしくなるときに成立する

(MSNエンカルタより)という考え方であって,

、これはあたえられた賃金水準のもとでの労働需要量決定の理論であり、賃金水準そのものの決定には労働供給サイドの要因を考慮しなければならない
(MSNエンカルタより)

とのことなので,労働生産性に等しい所得を得ることが公正だという考え方ではないように思われます。

 また,労働生産性についてはこちらで触れているのですが,「労働の限界生産力」とは異なる概念であるように思われてなりません。

 池田先生は,経済学用語の使い方が一般のそれと異なるので,普通の経済学の教科書を買って読んでも,話がかみ合わないような気はします。

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Commentaires

そのような意味で「公正」という言葉を使うのは,経済学の人の中でも特殊だとは思います。

小倉さんが「公正」という言葉をどういう意味で使われているのかわからないのですが、引用されている限界生産力説に関して私の解釈を述べます。

>これはあたえられた賃金水準のもとでの労働需要量決定の理論であり、賃金水準そのものの決定には労働供給サイドの要因を考慮しなければならない

という文章の意味を需給曲線を用いて言い換えると、前半部分は「労働市場の需要曲線上では賃金=限界生産力が成り立つ」ということを言っていて、後半は「その条件に加えて、労働供給サイドの要因により供給曲線が決まり、均衡を与える賃金水準は需要曲線と供給曲線の交点で決まる」と言っていると思います。

つまり、均衡を与える点が供給曲線に乗っていることに変わりはないので、均衡点の賃金水準においても「賃金=限界生産力」が成り立ちます。このとき労働者は労働生産性に等しい賃金を得ているので、「労働市場の均衡点では労働者は労働生産性に等しい賃金を得る」ことになると思います。

したがって、公正という言葉を「均衡を与える点」という意味にとるならば、池田氏の言うとおりだということになります。一方、公正という言葉を別の意味で使われているとすると、私にはその定義がわからないので、なんとも言えません。この辺りの考えをお聞かせいただければ幸いです。


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