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mars 2009

30/03/2009

ダブルスタンダード

 私が住んでいるあたりって、もともと竹入義勝・元公明党委員長の地元選挙区だったのです(今は、平澤勝栄氏の地元になっていますが。)。だから、竹入元委員長が晩年ひどい中傷を受けていたことを残念な気持ちで見ていました。

 その竹入元委員長に向けられた言葉がこちらに集められているようです。

 これと比べると、私が矢部善朗・創価大学法科大学院教授を批判するのに用いた表現など、天使のようにマイルドだと思うのですが、前者が許せて後者が許せないという人がいるとすれば、それはとても解せないことだというより他ありません。

論者の党派性に言及すること

 自然科学に関する議論をするのならともかく、社会に関する議論をするにあたって論者の党派性を一つの考慮要素にすることは、「属人論法」として批判されることではなく、むしろその論点について関連する党派性を有しているのにこれを敢えて隠そうとすることの方が非難されるべきことだと思ったりはします(もちろん、守秘義務等との関係で自らの党派性を公言できない場合はあると思いますが。)。

 だからこそ、討論会やシンポジウムでは、論者の経歴やポジションをまず明らかにしてその党派性を明示するのが通常だし、書籍を発行したり、雑誌に寄稿したりすれば、そのプロフィールを紹介することで、論者の党派性を明示するのが通常です。

 これは、日本に特有の現象ではなく、欧米なんかでも普通に行われている話です。一部の人は誤解されているようですが、「実名主義」者は、この党派性が明示され、それが読者によりその議論をどのように受け取るかを決定する上での重要な要素となることを、基本的に肯定します。「ネット上の議論であれば、論者は、その現実のポジションや党派的な利害を度外視して、純粋な議論を行うものだ」と信ずるほど、「実名主義」者はナイーブではないからです。

 もちろん、そのために秘匿されているプライバシー情報を暴くというのは如何なものかとは思いますが、公開されている情報から看取できる党派性をその論点との関係で明示することまでとやかく言われてもなあ、という感じはしてしまいます。

教授たるに相応しい業績

 某宗教団体の発行する雑誌って,電車の吊り広告等で見出しを見る限り,特定の個人等を口汚く罵る記事が執拗に掲載されるという特徴があります。常々末端の信者はああいうのを見て却って引いてしまうのではないかと不思議に思っていました。

 それはともかく,学校教育法第92条第6項は,

教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
と規定しているのですが,法科大学院を濫立させる中で,これといった著書・論文等がなく(法学系だと,紀要論文を含めた法学系の雑誌に論文が掲載されると,判例データベース運営者が提供する法律文献情報データベースで検索可能となるので,パソコン雑誌等畑違いの雑誌への掲載でない限りは論文の有無・ありかは分かりますし,畑違いの雑誌へのエッセイ等は普通「実績」に含めないようには思います(私も,ゲームラボへのコラム連載は実績に含めていませんし。)。),また実務家として特に優れた実績を有するわけでもない人を「教授」としているところもあるようです。法科大学院自体,政策的に「(法務)博士」号を濫発することが予定されているのだからそこでの「教授」号も他の教育機関と同視しなければ良いではないかという考え方もあり得るのですが,それでは「教授」たるに相応しい「研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績」があって法科大学院において「教授」に任命された人が(法科大学院の「教授」の価値が他の研究機関における「教授」よりもレベルの低いものとみなされかねないという意味で)お気の毒だという気も,一方でしてしまいます。

 もちろん,法文上は「研究上又は実務上の特に優れた……実績」となっていますから,研究上の実績が皆無であっても,実務上の実績が特に優れていれば問題がないとはいいうるわけですが,単に裁判官や検察官としての経験が十数年あるというだけでは,法律実務家としては当たり前の実績であって,「特に優れた……実績」とは言えないように思われます。「研究上又は実務上の特に優れた……実績」を有する実務経験者を集めるのは(特に,法曹養成機関としての実績がそれほど大したことがなかった)法科大学院にとっては大変だという事情はわからないではないですが,逆に言うと,そういうところまで無理をして法科大学院を創り,維持する必要はないのではないかと思ったりします。

【追記】

 当初のエントリーについて,自分が個人攻撃をされていると思いこんで,わざわざ事務所に電話をかけてこれを削除するように求めて来た方がおられましたので,より抽象度の高いエントリーに変更することと致しました。たぶん,著書・論文等の実績がない人を「教授」とすることが問題であると指摘すること自体を禁圧したかったのではないと善解させていただきましたが,「誤読」でしたらメールでご連絡下さい。>その方

29/03/2009

創価大学法科大学院では「10数時間程度なら起訴後の取調べも無問題」と教えているのでしょうか。

 矢部善朗・創価大学法科大学院教授は,次のように述べています。

 ここまで想像力が働くのであれば、もし、大久保被告人が任意性に疑問が生じるような無理な取り調べを受けたというのであれば、自白の有無にかかわらず、弁護団は検察に対して強硬な抗議を行うことくらいは容易に想像できるだろうと思われます。

 「任意性に疑問が生じるような無理な取り調べを受け」なければ被疑者は虚偽自白に転ずることはない,との前提に立って空想を巡らされても,何だかなあという気がします。虚偽自白のメカニズムについては,浜田寿美男先生の「自白の研究」くらいは踏まえておいて欲しいものです。

 また,矢部教授は,次のようにも述べています。

しかし、産経の記事によれば、大久保被告人は
勾(こう)留(りゆう)期限が迫った最近になって、「献金が西松からだと認識していた」と供述したという。
 つまり、勾留期限前に事実を認める供述をしていることになります。  そして、この産経の言う「供述」と小倉弁護士が引用した日刊スポーツのいう
25日までに、同社から違法な企業献金を受領しながら虚偽の報告をしていたなどとする政治資金規正法違反罪での起訴内容を大筋で認めた。
という供述が同じものであるならば(ニュースソースがいくつもあるとは思えませんので同じである蓋然性が極めて高いと見るのが自然でしょう)、それだけで小倉弁護士の「25日までに!?」は的外れになる、というのが私の反論エントリの前半部分です。

 矢部教授の目にはこの二つは同じに見えるようですが,法律的にはこの2つは同じではありません。特定の政治団体からの政治献金につき,その原資が西松建設からでており,会計担当者がそのことを認識していたとしても,それだけでは政治資金規正法違反(虚偽記載)は成立しないからです(こちらのエントリーで既に述べたことなので繰り返しませんが。)。まあ,同じ「元検事」といっても,東京地検特捜部でばりばりに働いていた郷原先生のような方と,「筋書き・自白ありきの強引な捜査、高圧的な取り調べ、証拠を積み重ねる緻密な捜査の欠如」とも評される山形マット死事件を担当された矢部教授との差かもしれません。

 

私が、自白の経緯について触れたのは、あくまでも起訴日(24日)から25日までの長くても30数時間(取り調べ時間とすればせいぜい10数時間、仮に取り調べがあったとしてもですよ)程度の間のことです。
 しかも、大久保被告人は強力な弁護団の弁護を受けています。
 私は、このような大久保被告人に特有の状況を前提にして意見を述べています。

とも矢部教授は述べておられるのですが,この時期にさらに10数時間同じような取り調べを繰り返されたら被疑者が受ける精神的なダメージは大きいことは想像に難くありません(だから,「起訴後の取り調べといっても,10数時間程度なら問題なし!」みたいな話は,おそらく創価大学の法科大学院以外では教わることはないでしょうし,創価大学の法科大学院でも,山下先生の授業をとるとそのように教わることはないでしょう。)。そして,そこでは,「強力な弁護団」とて為す術はありません。日本では,取調べへの弁護人の立ち会いは認められていないのです(自公連立政権は,取調べへの弁護人の立ち会いを認めるなどの,国策捜査を困難とする刑事訴訟法の改正には消極的なのです。)。

国策捜査に負けてあっさり身を引くことは,誘拐犯にあっさり身代金を渡すようなものだ

 町村先生が次のように述べています。

 他方異論噴出という参議院議員の会合のニュースもあり、何が何だか分からないが、ともあれ結束を乱さないとかいうことを優先し、党として国民に理解を求められるかどうかの判断能力がなくなっていることを露呈している。

 選挙のことだけを考えたら,小沢さんが党首の座を退いた方が楽だということは,皆さんわかっていると思います。ただ,刑罰法規を新たに(拡張的に)解釈適用して政敵の関係者を逮捕・起訴すれば政敵を辞任に追い込むことができるという「成功体験」を検察に与えてはいけないということなのではないでしょうか(民主党内の反小沢グループには,仙石さん,枝野さん等弁護士出身者がいるわけですが,弁護士出身者としては,検察のこのようなやり口に乗ずるというのは相当の抵抗感があるのではないかという気がします。)。国策捜査に負けてあっさり身を引くことは,いわば,誘拐犯にあっさり身代金を渡すようなものですから。

27/03/2009

裁判報道される前に

 某一部上場企業に関して,前期の営業利益を上回る額の金銭支払を命ずる判決が午前1時台に下されても,夕刊は勿論ネットニュースにも掲載されないし,その日の株価にも影響はしないものなのですね。

 上場企業相手に大勝ちしたその日のうちにその株を先物売りすると,そこそこ儲かるのではないかという気がしてきました(やりませんが。)。

中世の魔女裁判のような拷問を加えたりしなくとも被疑者は虚偽自白するし,そのことを完全に防止する術はどんな優秀な弁護人にもない

 矢部善朗創価大学法科大学院教授(刑事法)は次のように述べています。

このような大久保被告人が、20日間以上の検事の取り調べに耐えて否認していたにもかかわらず、起訴の翌日に「検事に自白させられる」なんてのは「寝言は寝て言え」のレベルです。
 のみならず、そのような弁護団がついているのに起訴の翌日に虚偽の自白させられたとすると、それは弁護団の大失態を意味します。
 つまり、小倉弁護士のこのエントリは、誰よりもまず大久保被告人の弁護団に対する侮辱を意味しています。

 矢部教授は,この種の論理がお好きなようです(検察の捜査の国策性を批判することは裁判所を批判することだと言ってみたり。)。

 しかし,どんなに優秀な弁護団が就いていたとしても,わが国では取調べへの弁護人の立ち会いが認められていませんし,接見だって四六時中やっているわけにもいきません。被疑者を孤立させたり絶望させたりすることにより,「中世の魔女裁判のような拷問を加えたり」しなくとも被疑者が虚偽内容の自白をしばしばしてしまうことは様々な研究結果等により既に明らかになっている(創価大学法科大学院でも,山下先生に刑事訴訟法を教えてもらえればそういうことは教えてもらえるのではないでしょうか。)わけで,勾留期限まで頑張れば厳しい取り調べから解放されると信じていたのに勾留期限後も同様の取り調べが続いたとなれば(この時点で,弁護人からの説明は実際上空理空論となってしまっているわけですから),被疑者としては検察官に迎合して検察官が要求するストーリーを是認するまでは厳しい取り調べが際限なく続くことが想定されるため,耐えられなくなって虚偽の自白に応じてしまうことは十分に考えられます。

 もちろん,そのような取り調べによってなされた自白はさすがに任意性を欠くものとして調書が却下されることは十分に考えられるわけですが,検察の目的が次の総選挙で民主党を大勝させないことにあるとすれば,総選挙後に上記自白の任意性が覆されても,痛くもかゆくもないわけです。

 なお,矢部教授は,スポニチの記事において「25日まで」となっていて「25日に」となっていない点を過大視しているようですが,24日の時点で大久保容疑者の自白調書が作成されており,25日以降は取調べ等が行われていないのであれば,起訴の際の記者会見でその旨の説明があるのではないか(25日以降にリークする意味って何なの?)という気がしないわけではありません。

25日までに!?

 日刊スポーツによると,

 西松建設の巨額献金事件で、小沢一郎民主党代表の公設第1秘書で資金管理団体「陸山会」の会計責任者大久保隆規被告(47)が25日までに、同社から違法な企業献金を受領しながら虚偽の報告をしていたなどとする政治資金規正法違反罪での起訴内容を大筋で認めた。

とのことです。

 しかし,拘置期限が24日であり,実際24日に起訴がなされ,それ以外の容疑に関して逮捕がなされていない案件で,25日に「起訴内容を大筋で認め」させたら,まずいのではないかという気がします。もちろん,このことにより,民主党の大勝が回避され,公明党が連立与党にとどまることができれば,あとで自白調書の任意性がとんで大久保被告が無罪になろうがどうでもよいという人たちも多少はいるのかもしれないのですが,でも,法律家たるもの,起訴後の自白はまずいというくらいの感覚は失いたくないものです。

25/03/2009

バイアスのかかる立場にいることの指摘と属人論法の違い

 ある論点に関して一定のバイアスがかかる立場にいることを指摘することは,一般には「属人論法」とはいわないのではないかと思います。例えば,野党第1党が政権を取ることについての危機感を煽るエントリーを書いた人が,連立与党の一角を占める政党をコントロールする宗教団体の運営する学校を卒業しかつ現在もその学校で「教授」という重大な地位を占める者であるということは,当該エントリーが,当該宗教政党を次期総選挙で少しでも有利な状態にしておこうという一種のポジショントークにより出たものである蓋然性が高いことを示す情報であって,それは情報の受け手にとっては,参考となる情報です。

 「あんなカルト宗教を信じるようなやつのいうことなんか信頼できるものか」ということでその発言の価値を貶めているのであれば悪しき「属人論法」だとは思いますが,そういう意味での属人論法が用いられていないにも関わらず,「属人論法」「属人論法」と繰り返して他人を批判するということは,その発言がポジショントークに過ぎないことが明るみにされてよほど悔しかったか焦っているのかそんなところなのではないかという気がしてしまいます。

【追記】

彼が通う法科大学院の学生であるnisshiey_s1さんから,「モトケンさんが誰が見ても「ねーよwwww」って発言してるならごもっともなんだろうけど、そうじゃないとは思う。」とのはてなブックマークコメントをいただいました。ただ,この問題に関する矢部教授のご意見というのは,検察OBによるもの(例えば,郷原先生や落合先生,佐々木先生等々)のなかさえ特異であったことは注目されて良いでしょうし,「リーク」に関する彼の言及もかなり特異なものであったことは注目されて然るべきです。

起訴事実の一部を認めている

 読売新聞は,次のように報道しています。

 捜査関係者などによると、大久保容疑者は起訴事実の一部を認めているという。小沢代表からの事情聴取については、大久保容疑者らの起訴には不必要として、当面、見送ることにした。特捜部は西松建設から自民党の政治家側に提供された資金について、捜査を継続する。

 これを読んだ読者は,大久保容疑者が「半落ち」状態にあるように受け取るのではないでしょうか。しかし,注意しなければならないのは,この記事には,起訴事実のうちどの部分を大久保容疑者が認めているかについて何ら言及されていないということです。

 全くのでっち上げないし完全な人違いというのでない限り,被疑者と捜査機関との間の認識ギャップは,起訴事実(法律的に正しい言い方としては「公訴事実」ということになります。)の一部に限定されることになります。そして,その一部が裁判所に認定されるか否かによって,被告人が有罪となるか否か,結論が変わってくるということはしばしばあります。更にいえば,刑罰法規の解釈が争点となっている事件においては,起訴事実自体については被疑者と捜査機関との間に全く認識ギャップがない場合だって十分あり得ます。

 この件についていえば,大久保容疑者としては,「政治団体「新政治問題研究会」や「未来産業研究会」から受けた計2100万円の献金について、陸山会の収支報告書に両団体からの献金だと記入をした」という点についてはおそらく認識ギャップはなく,あるいはそれらの政治団体の代表を西松建設のOBが務めていたことやそのことを知っていたこと,あるいはこれらの団体に西松建設から資金が提供されていたこと及びそのことを知っていたことについても認識ギャップがないことも十分に考えられます。小沢氏側の主張は,それらの事情があったとしても,収支報告書には,それらの団体を献金主として記載するのが正しい(ないしそのように考えていた)ということだからです。

 従って,「起訴事実の一部を認めている」といっても,捜査機関に対し上記事実についてこれを認める供述をしていたに過ぎない場合,大久保容疑者は,「半落ち」状態などではなく,ばりばりに否認している状態だということになります。

 このように「起訴事実の一部を認めている」と一口に言っても,どの事実を認めているのかによって実際のニュアンスは全く異なります。にもかかわらず,「捜査関係者」から「大久保容疑者は起訴事実の一部を認めている」と聞かされて,「どの事実を認め,どの事実については依然否認しているのか」を確認することなく,記事を作成して掲載してしまう読売新聞は,マスメディアとしての基本的な資質に欠くのではないかという気がいたします。

My MacBook Airのその後

 私のMacBook Airですが,先週の木曜日にアップルストア銀座にもっていったら,液晶パネルを交換しなければ駄目だということでそのままストアに引き取られ,昨日液晶パネルを交換したAirの返還を受けることができました。

24/03/2009

刑事弁護人の哀しい予測と現実の空しさ

 元検察官である矢部善朗創価大学法科大学院教授(刑事法)が次にように述べています。

 刑罰法規の解釈における立場にはいろいろありますし、自説をプロパガンダ的表現で述べるのも自由とは思いますが、少なくとも刑事弁護士の立場で考える限り、裁判官はどういう解釈をするだろうか、という予測、推測または洞察というものが最も重要です。

 検察官も当然、裁判官の立場で考えています。

 裁判官の判断を全く度外視して自説を前提に防御方針を立てることは単なる自己満足であり、依頼者の利益にもなりません。

 「裁判官はどういう解釈をするだろうか、という予測」ということについていえば,刑事弁護士の多くは,裁判所は,かなりの確度で,無罪判決を下さなくとも済むように,必要とあらばかなり無理目の拡張解釈をしてくるだろうなと予測していると思います(それでも,自分がこんな罪で処罰されるのは納得がいかないので精一杯闘ってくれと頼まれれば,精一杯のことをして闘う,というのが多くの刑事弁護人の生き様でしょう。)。そして,多くの刑事弁護人は,その哀しい予測が的中し,刑罰法規の文言からは想像も付かないような行為について被告人に有罪判決が下されていく空しさを味わってきています。

 「検察官も当然、裁判官の立場で考えています」というのは,かなり実態から乖離しているお話しのように思われます。実態は,検察官が制定法の文言やそれまでの裁判例を無視して無茶な起訴をした場合にそれでも被告人を無罪としないために裁判官がその無茶に付き合い,また新たな裁判例が生み出されるといったところです。私たち旧試験組は,択一試験を突破するために,特に刑法各論についてこういう事例についてはこれを○○罪にあたるとして有罪とした裁判例があるということを(そんなばかな,と思いつつ)頑張って覚えたわけですが,それぞれの事件について検察官が「裁判官の立場で考えて」これを起訴していたのだとは到底考えがたいというべきでしょう(例えば,他人の池の鯉を流出させる行為は動物を傷害する行為にあたるとして器物損壊罪を適用した判例があるのですが,これなどは,担当検事が「裁判官の立場で考えて」起訴を決めたものとは到底考えがたいように思います。)。

 「検察官が一旦起訴をすれば,裁判所は無茶な『経験則』を持ち出したり,無茶な拡張解釈をしてでも,被告人を有罪とする蓋然性が高い」という現実があるからといって,当該適用法令の文言からはそれが適用されることが想定しがたい行為に関して被疑者が逮捕されることとなってもこれを不当逮捕と非難することが許されないのか,野党第1党の党首の第一政策秘書等「国策捜査」を受ける危険がある人物は,無茶な拡張解釈をすれば検察を救済して有罪判決を導くことができなくもない行為などすべきではなく,そのような行為をしたが故に果たして「国策捜査」を受けて逮捕され長期間勾留されることとなった場合それは自業自得であるというべきなのか,といえば,私はそういう見解には与しません。

 現実の刑事裁判官の中には罪刑法定主義をかなぐり捨ててでも検察官の救済にあたらんとするものが少なからず存在する現実があるとしても,矢部教授が提唱されるような人民裁判的実質的犯罪論が邪道であることに変わりはありません。

23/03/2009

人民裁判的実質的犯罪論

 矢部善朗・創価大学法科大学院教授(刑事法)がまた,「印象操作」という言葉を用いることによって,自説への批判をクリアした気になっているようです。

 ただ,刑罰法規を文言に忠実に解釈することについて,

既に書いていますが、小倉秀夫弁護士の解釈(というか単なる主張)に従えば、政治資金規正法が禁止する企業献金がやりたい放題になるわけですが、国民はそのようなことを支持するのでしょうか?

という批判を行えば,「ああ,この人は,『国民の支持』ということを御旗に掲げて,刑罰法規をアドホック的に拡張して適用していくことに賛成しているのだなあ」と受け取られることは当然のことです。矢部教授は,口先では自分も罪刑法定主義を支持しているかのごとく述べていますが,罪刑法定主義を支持するということは,その解釈を採用することによって特定の行為類型が犯罪とはならなくなることについて国民から如何に批判を受けようともその解釈を維持するという矜恃を必要とします。従って,刑罰法規に対する特定の解釈に対して,その解釈の結果特定の行為類型が犯罪とはならなくなることについて国民の支持が得られないということをもってこれを批判するという発想自体が,罪刑法定主義とは相容れないものというべきです。

 なお,前田雅英教授らが唱えている実質的犯罪論ですが,これは刑罰法規の行為規範性よりも裁判規範性を重視するものであり,刑罰法規の行為規範性を重視する罪刑法定主義とは本来相容れないものです。特に,矢部教授のように,刑罰法規の具体的な文言を離れて,「そのような行為がやりたい放題になることを国民が支持するか否か」という観点から刑罰法規の解釈の妥当性を考える,人民裁判的実質的犯罪論においては,検察官や裁判官が国民の規範意識をどのようなものとして認識するかを正確に予測できなければ,何人も,逮捕されたり刑罰を課されたりすることを心配せずに社会活動を行うことができなくなり,刑法の自由保障機能は著しく害されることになります。

 矢部教授は,

自分たちのいう国策捜査の対象になりたくなかったら、法律をきちんと守ってればいいんですよ。
述べていたのですが,それは何をしなければ刑罰法規に違反したことにならないかが明確であればこそ初めて言えることであって,それが自由に行われるようになることを国民は支持しないと裁判官が考える行為を犯罪行為とする人民裁判的実質的犯罪論を前提とした場合には,国策捜査の対象になることを回避するために「法律をきちんと守る」こと自体が困難となります。

国民の期待に応えたルールを作るのは国会の役割であって,検察の役割ではない。

 矢部善朗・創価大学法科大学院教授(刑事法)が次のように述べています。

 既に書いていますが、小倉弁護士の解釈(というか単なる主張)に従えば、政治資金規正法が禁止する企業献金がやりたい放題になるわけですが、国民はそのようなことを支持するのでしょうか?

 国民がそれを支持するか否かに関わらず,それを行った場合に特定の刑罰を科すことが法律により明確に定められている行為を行った者に対してのみ刑事罰を科すのが,わが国も採用しているはずの罪刑法定主義の基本です。こと刑事罰に関していえば,「抜け道」を塞ぐのは「立法府」の仕事であり,裁判所や検察が「抜け道」をアドホック的に塞ぐことは基本的にあってはいけないことです。

 実質的に企業Cが政治資金団体Aに寄付するのと実質的に変わらないとして,企業Cが団体Bに寄付をし,団体Bが国会議員の政治資金団体Aに寄付することを禁止することを多くの国民が支持しているのであれば,例えば,企業から政治献金を受けている団体から国会議員の政治資金団体が寄付を受けることを政治資金規正法違反とするような新規立法することによりこれに応えるのが筋なのです。そのような新規立法もないのに,企業Cから寄付を受けている団体Bからその情を知って政治献金を受け付けた政治団体Aの会計責任者を,収支報告書に寄付者をCではなくBと記載したのは虚偽記載だと難癖を付けて逮捕することにより応えようとするのは,「罪刑法定主義」という基本原則を重視する立場からいえば,邪道というより他ありません。

 「こんなことをやりたい放題とすることを,国民は支持するのでしょうか?」との一言で刑罰法規が際限なく拡張的に適用され,政権政党に批判的な人物が逮捕され,刑事罰が科される──私はそういう社会は望ましくないと考える者です。

22/03/2009

政治資金団体の収入ってどのように掲載されているのか?

 政治資金団体の収入って,一般にどのように掲載されているのでしょう。試しに,公明党の政治資金団体である財団法人公明文化協会のそれを見てみました。

 これによると,平成19年度は,当該年度収入約3.2億円のうち,不動産売買代金が約2.7億円で,不動産売買利息が約0.3億円,あとは機関誌の発行等の事業収入と新春賀詞交換会収入,預金利息,基本財産利息等があるのみです。これによると,平成18年度は,当該年度収入約3.2億円のうち,不動産売買代金が約2.7億円で,不動産売買利息が約0.3億円,あとは機関誌の発行等の事業収入と新春賀詞交換会収入があるのみです(この年は,預金利息,基本財産利息はなかったようです。)。

 これによると,平成17年度は,当該年度収入約3.2億円のうち,不動産売買代金が約2.6億円で,不動産売買利息が約0.4億円,あとは機関誌の発行等の事業収入と新春賀詞交換会収入,政治団体(全国不動産政治連盟のようです。)からの寄付が300万円ほどあるのみです(この年も,預金利息,基本財産利息はなかったようです。)。これによると,平成16年度は,当該年度収入約3.1億円のうち,不動産売買代金が約2.6億円で,不動産売買利息が約0.4億円,あとは機関誌の発行等の事業収入と新春賀詞交換会収入があるのみです(この年も,預金利息,基本財産利息はなかったようです。)。

 これによると,平成15年度は,当該年度収入約4億円のうち,不動産売買代金が約3.0億円で,不動産売買利息が約0.04億円で,この年は預金利息,基本財産利息もない上に,機関誌の発行等の事業収入と新春賀詞交換会収入もなかったようです。その代わり,振替金が約1億円計上されているようです。

 5年間の間に合計約13億円にも上る不動産売却益が得られるほど土地持ちの政治資金団体というのもうらやましい限りですが,それぞれの土地について売却するまでの間の賃料収入等が計上されていないのは不思議です。売却するまで更地にしていて放置していた可能性もありますので,「国民を欺いていた」とまで断言するつもりはありませんが,平成19年度になって突然預金利息,基本財産利息等が計上されるなど,会計的には不思議な感じがします。

 さらにいうと,政治資金団体って政治献金の窓口として設けられるものなのに,公明党の政治資金団体である財団法人公明文化協会についてはほぼ政治献金の窓口になっていないわけで,いったい何のための団体なのかなあととても不思議な感じがします。

21/03/2009

Sweep the class under the rug

 城繁幸さんがまた不思議なことを言っています。

 援護射撃その2というエントリーで,

そして、文中のどこにも資本階級なんてでてきやしない。
当たり前だ、そんなものはもう存在しないのだから。

といい,ストライキが流行らなくなったわけというエントリーでは,

大雑把に言えば、経営者も内部昇格のサラリーマンにすぎず、コストカッターというよりはバランサー(仕切り屋)であること、そして終身雇用下では、バランサーの下す経営判断はたいていの労組にとっても合理的であることが理由だ。

と言っています。

 しかし,創業者の一族が依然として大株主であり,かつ,経営の中枢を担っている大企業なんていうのは未だに結構存在しているのであって(大体,経団連の御手洗会長からして,「内部昇格のサラリーマン」ではないではないですか。),城さんの上記独自理論だと,そういうところでも久しくストライキが行われていない理由を説明できないように思われてなりません。

 なぜ,城さんは,資本家階級なぞ存在しないということにしておきたいのでしょうか?

20/03/2009

微罪,以前に。

 矢部善朗・創価大学法科大学院教授は次のように述べています。

このエントリについて、小倉秀夫弁護士は
 といいますか,政治資金規正法との関係でいえば,企業が直接国会議員の政治資金団体に寄付をするのではなく,一旦特定の政治団体に寄付をしてそこから国会議員の政治資金団体に寄付をするという形をとる際に,寄付者として大本のお金の出し手を記載しなければならないのはどういう場合なのか,という多分に法律解釈の問題だったりするので,この時期に突然「ネタ」が手に入るという性質のものではないようにも思えたりします。

 このような指摘をしていますが、本件が虚偽記載と言えるかどうかについては、「多分に法律解釈の問題」という以前に、献金の経緯はどうであったか、その経緯について西松建設側の誰と小沢氏側の誰との間でどのような接触があったのか、何回くらいあったのか、それぞれの機会においてどのようなやりとりがあったのかなどなどの具体的な事実関係の解明なしに法律解釈の問題は論じることができません。

 しかし,「政治資金団体Aが団体Bから献金を受けた際に,団体Bへの資金の提供元が企業Cであることを政治資金団体Aの会計責任者Dが知っていた場合,Dとしては収支報告書に献金元として,団体Bの名称を記載すべきか,団体Cの名称を記載すべきか,団体Bの名称を記載しつつ団体Cを資金元ととして注記すべきか」という点は,「その経緯について西松建設側の誰と小沢氏側の誰との間でどのような接触があったのか、何回くらいあったのか、それぞれの機会においてどのようなやりとりがあったのかなどなどの具体的な事実関係の解明なし」に論ずることができます。また,上記論点について,団体Cの名称を記載すべき,あるいは団体Bの名称を記載しつつ団体Cを資金元ととして注記すべきという見解に立った場合,団体Bの資金元が団体Cであることの資料としてどのようなものを政治資金団体Aの会計責任者Dは控えておけばいいのか(逆に言うと,政治資金団体Aの会計責任者Dは,どのような資料がある場合に,団体Bから送金を受けた献金を,団体Cからの献金として収支報告書に記載することが許され,かつ,義務づけられるのか)ということは,「献金の経緯はどうであったか、その経緯について西松建設側の誰と小沢氏側の誰との間でどのような接触があったのか、何回くらいあったのか、それぞれの機会においてどのようなやりとりがあったのかなどなどの具体的な事実関係の解明なしに」議論することが可能です。

 矢部善朗氏は,

 自分たちのいう国策捜査の対象になりたくなかったら、法律をきちんと守ってればいいんですよ。

と述べているようですが,「政治資金団体Aが団体Bから献金を受けた際に,団体Bへの資金の提供元が企業Cであることを政治資金団体Aの会計責任者Dが知っていた場合」収支報告書にどのように記載すればよいのかということは,政治資金団体の会計担当者としてはそんなに単純ではありません。団体Bから送られてきた献金の献金元を団体Cと記載した収支報告書を提出すれば,それはそれで虚偽記載に問われそうな気もします(公明党の太田代表と同じ選挙区に出馬されると噂されていた大物政治家をつぶすために何としても秘書を逮捕してやろうという気に捜査機関がなっていたとすればなおさらです。)。

 普通に考えると,金銭については形式的な占有者の所有物として取り扱うのが通常なので,上記の例についていえば,団体Bの資金元がCであったとしても,団体Bの口座から金銭が献金として送金されている以上,団体Bが企業Cから送金手続の代行を委託されてこれを行ったに過ぎないなどの特段の事情がない限り,団体Bを献金元として収支報告書に記載するのは,会計責任者の立場からすれば,やむを得ないのではないかという気がします。矢部善朗氏は,このような場合に団体Bを献金元として収支報告書に記載することは国民を欺くことであり、民主主義の根幹を揺るがすものであると考えるべきではないのかとまで 言っているわけですが,「企業Cが団体Bに資金を提供していた」という事実を知っていたとしても,「実際に献金を送金してきたのは団体Bであった」という現実がある以上,政治資金団体Aの会計責任者がその献金の献金元を団体Bと収支報告に記載することが,「国民を欺く」ものであるとまでいいうるのかは大いに疑問です。

 もちろん,このような場合には収支報告書には献金元として企業Cを記載すべきだというのであれば,献金元として団体Bを収支報告書に記載した会計責任者をいきなり逮捕して見せしめにするのではなく,国会議員等の政治資金団体の会計責任者宛に,「政治資金団体Aが団体Bから献金を受けた際に,団体Bへの資金の提供元が企業Cであることを政治資金団体Aの会計責任者Dが知っていた場合に,団体Bを献金元として収支報告書に記載する運用が広く行われているようですが,企業Cを献金元として記載するのが正しい運用です。○○年度以降,団体Bを献金元として収支報告書に記載した場合には政治資金規正法上の虚偽記載の罪に問われる場合がありますので,ご注意下さい」というアナウンスを事前にしておけばよかった話だと思うのです。そのアナウンスにおいて,必要な添付書類の例示なんかもしておけばなおも親切だと思うのです。実際,官庁の解釈とは異なる解釈に基づく法の運用が広く行われている場合に,官庁が公権的解釈を示した上で,一定の猶予期間を設け,その間に公権的解釈に沿った運用に切り替えたときには過去分について刑事・行政的責任を問わないという運用がなされることはあるので,今回のケースでもそれでよかった話だとは思ったりします。

19/03/2009

不老不死を前提とする愚

 城繁幸さんは,次のように述べているようです。

城:まず、大卒者の3分の1以上が3年以内に会社を辞めます。その理由について、世間では、若者の我慢が足りないからだと言っています。でも、事実は違います。たとえば、従来の年功序列では、若者は下働きで一生終わってしまいます。というのも、バブルが弾けて組織が小さくなってしまったにも関わらず、上がポストを独占していて空きがないからです。

 このようなことをいう人事コンサルタントがいる日本というのは本当に自由な社会だなあと思います。城さんの想定では,団塊世代の人たちは何歳まで会社に居続けることになっているのでしょう。

 一般に,年功序列型の人事体系をとっている組織においては,ポストは概ね同世代間で争われることになっており,上の世代がポストを独占しているが故に下の世代にポストがないということは通常起こりません。「バブルが弾けて組織が小さくなってしまった」場合に,役職適齢期の従業員の中で役職に就けない人の割合は増えるとは思いますが,それは「バブルが弾けて組織が小さくなってしまった」にもかかわらずその世代の従業員が解雇もされず退職もせずその組織内に大量に残ったことの結果であって,上の世代がどうのという話でがありません。

 年功序列制度が採用されている組織においては,年齢とともに「定年退職」を迎えるのが通常なので,「従来の年功序列では、若者は下働きで一生終わってしまいます」ということも通常ありません。同世代間での出世競争に勝ち残れば,役職適齢期が来ればいずれ然るべきポストに就くことができます。

 一方で,城繁幸さんはこのようなことも言っています。

 要するに中小企業の場合、創業者はもちろんのことですが、優秀な2代目というのは、10代の学生のうちからすでに経営者としての英才教育を受けているのです。卒業して、自分の会社に入社し、中には丁稚奉公に出されながら、経営者になるためのより実践的な英才教育が始まり、徹底的に経営ノウハウを磨いていくのです。これは一種のキャリアパスが分化した形です。

 「10代の学生のうちからすでに経営者としての英才教育を受けている」2代目がいる企業こそ,彼と同世代の従業員には社長というポストがないことが半ば約束されている企業ということになりますが,城さんは,そういう要因でのポスト不足による閉塞感は肯定されるようです。企業の中には,社長どころか役員全部が同族で,一般の従業員にはポストがほとんど余っていないというところもあるのですが,そういうのは城さん的にはOKなのでしょう。この種の「英才教育」が成功して優秀な2代目が跡を継ぐ割合というのは実際のところあまり多くはないのですが。

18/03/2009

シンガポール

 シンガポールでの弁護士資格を有している日本人って結構たくさんいるようです。

 某掲示板関係の訴訟については,実質的な管理の主体には変動がないとして従前どおりNさんを被告として日本で訴訟を提起するのが常道だとは思いますが,掲示板の管理人の法的保護がシンガポールの方が弱いようであれば(あちらの方が政治的表現の自由の保障の程度は低かったように記憶しているのですが),シンガポールで開業している日本人弁護士と提携して,シンガポールの裁判所でがんがん訴訟を提起するという方法もあり得るのだなあと思ったりはしました。

マーフィーの法則

 今日の午後は,2台のMacがほぼ同時に正常に動作しなくなるという形で,マーフィーの法則を体現してしまったので,仕事が本当にはかどりませんでした。

 デスクトップ代わりに使っているMacBookについていえば,何をやってもマシンの動作が異常に遅くなってしまうのです。いろいろ検討した結果,「dotmacsyncclient」の暴走のようなので,mobile.meとMacBookとの同期を一時的に停止させることにより,現在一時しのぎをしています。

 MacBookAirについては,モニターが突然異常表示をするようになってしまいました。モニターを手で裏側から押さえるようにすると一時的に正常な表示に戻るのですが,手を離すとすぐに一面の縦縞表示に切り替わってしまうので,明日,Apple銀座に行って修理が可能かどうか聞いてくることにしました。

 とここまで書いたところで,もう一度Airを起動させたら,今度はまともに表示されています。でも,また同じ現象が再現されるかの可能性があるので,いずれにせよ,Apple銀座に行ってこようと思います。

16/03/2009

タイミングの問題

 矢部善朗弁護士・創価大学法科大学院教授は次のように述べています。

 しかし、検察は秘書を逮捕するに足るネタ(証拠)をこの時期に手に入れてしまったのです。
 検察の逮捕のタイミングを批判している皆さんは、では検察はどうすればよかったと言うのでしょうか?
 選挙が終わるまで逮捕を控えていろ、と言うのでしょうか?

 しかし,政治資金規正法(虚偽記載)の構成要件事実のうち客観的な部分についていえば,検察がこれに関する証拠を「この時期に手に入れたしまった」ことを示す報道はなされていないように思われます。矢部弁護士は,検察が上記に関するいかなる証拠をこの時期に手に入れたというのか,そして矢部弁護士はそのことをどうして知り得たのか,私には不思議でなりません。

 といいますか,政治資金規正法との関係でいえば,企業が直接国会議員の政治資金団体に寄付をするのではなく,一旦特定の政治団体に寄付をしてそこから国会議員の政治資金団体に寄付をするという形をとる際に,寄付者として大本のお金の出し手を記載しなければならないのはどういう場合なのか,という多分に法律解釈の問題だったりするので,この時期に突然「ネタ」が手に入るという性質のものではないようにも思えたりします。

 例えば一部で報じられているように,自公連立政権では実現する見込みはないが民主を中心とする新政権が樹立されると実現される可能性がある「取調べの可視化」等を阻止するために,何としても次の総選挙で自公連立政権を勝たせようと考えたのであれば,検察としては,投票日直前に民主党に対する不信感のみが高まるようなタイミングで小沢氏の秘書を逮捕するのがベストであり,そのタイミングを狙ってネタを暖めてきたが,麻生総理がなかなか解散に踏み切らず,このままだと任期満了までいってしまうが,そうなると公訴時効を迎えてしまうので,やむを得ずこの時期に小沢氏の秘書の逮捕に踏み切ったと考える方がまだ,「検察は秘書を逮捕するに足るネタ(証拠)をこの時期に手に入れてしまったのです」なんていうストーリーよりは信憑性が高いような気もします(あくまで,比較の問題であって,私自身そのように考えているというわけでもないのですが。)。

刑事手続に詳しいブロガー

 ブログを通じて刑事手続を学ぼうと思ったら,ちゃんと刑事弁護人としての実績を積み重ねている落合先生や奥村先生のブログを見た方がよいということなのでしょう(もちろん,法律系ブロガーの中では明らかに格が違う中山研一先生のブログも必見なのですが。)。

 創価大学法科大学院の刑事法の教員でも山下幸夫先生のブログは,内容的にはなかなかなのですが,いかんせん更新頻度が低いのと旬の話題についての解説がないのが残念です。

 信頼に足りる元検事系のブロガーとしては,落合先生の他に,葉玉先生もいるのですが,葉玉先生の場合,どうしても会社法に関する話題が主ですから,刑事手続に関する旬のネタを負うという点では,落合先生や奥村先生の方が上かなあという気がします。

 最近どこぞの信者とおぼしき人たちから下らないコメントが相当数投稿されるので先に言っておきますと,私は刑事弁護をしなくなって10年近くが経過しますから,刑事手続に関する私の見解は多分に教科書的なものです。一応2回試験は通っていますし,登録した手のころは無罪主張事件を含めそれなりに件数をこなしましたから,素人の発言よりは信頼していただいてよいですが,上記諸先生方の実績を伴った発言と比べるとどうしても見劣りしてしまいます。

「Joe's Labo」はどこ?

 城繁幸さんについてもっとも不思議なことの一つは,彼が代表を務めているらしい「Joe's Labo」のウェブサイトが全然見つからないことです。

 城さんがこれだけ有名になれば,城さんが代表を務めている「Joe's Labo」では人事コンサルとしてどのようなサービスをしているのだろう,どのような実績があるのだろうという関心を持つ人も増えてくるでしょうし,「Joe's Labo」に人事コンサルをお願いしたいという人も出てくるでしょうに,もったいないなあ,という気がしなくはありません(「Joe's Labo」の本店がどこにあるのかすら,検索できませんでした。)。

 もっとも,サービスとしての人事コンサルに求められるのは,現実の経営環境のもとでの人事に関する最適解の提示なので,組合敵視論や労使対立から世代間対立への争点の再設定等を繰り返されても,経営者や人事担当としては,実際の行動の参考にはなりにくそうな気もします。「賃金体系はプロ野球に学べ」なんていわれて納得する労働者がそうそういるようにも思えないし,経営側だって,個々の労働者の毎年の賃金を決めるのにプロ野球の年俸交渉と同様の手続コストなんてかけてられないだろうなあと思ってしまうので,さすがに本業ではもう少し地に足のついた提案をしているのだろうと信じたいところではあるのですが,実のところどうなのでしょう。

15/03/2009

野党第一党たる民主党が政権を取ったときには大変なことになるという非常に党派的なエントリーを掲げておきながら,現政権与党との密接な関係を指摘されることは気に食わないというのは虫が良すぎるのではないか

 矢部善朗弁護士・創価大学法科大学院教授(刑事法)が次のように述べています。

 ついに小倉秀夫弁護士も「創価カード」を切るようになってしまいました。

 小倉弁護士も、昔は創価カードを切って悦に入っている輩に対しては批判的だったんですけどね。

 「彼らが政権を取った暁には」という,野党第一党たる民主党が政権を取ったときには大変なことになるという非常に党派的なエントリーを掲げておきながら,現政権与党との密接な関係を指摘されることは気に食わないというのは虫が良すぎるのではないかと思います。この問題に関していえば,矢部弁護士のポジションに関する情報は,民主党に厳しく,それ故,民主党に不利益となる行動をとる検察に甘くなるバイアスがかかりやすいことを示すものとなっており,情報として意味があります。わかりやすく言えば,検察によるリークが来たる総選挙において民主党に不利に働くということは,矢部弁護士が所属する組織の母体にとってむしろ望ましいことであり,従って,ポジショントークとして,今回の検察の行動を擁護し,これを批判する民主党を攻撃することは十分にあり得るということです。

 なお,

 小倉弁護士は、検察が公明党に借りがあるとでも思っているのでしょうか?

 それとも、検察が公明党に貸しを作ると何かいいことがあると思っているのでしょうか?

 私には、両方とも思い当たる節がありません。

との点についていえば,一般論として,官僚組織においては,政権与党に貸しを作ると,自組織に不利な改革を避け,むしろ自組織に有利な改革がなされる可能性が高まるわけですから,「何かいいことがある」と思うのは当然のことでしょう。そんなことまで否定してみせるのは,却って白々しさを強調してしまいそうな気がします。

14/03/2009

確実な事実であってもリークすべきではない。

 先ほどのエントリーに対して,矢部善朗弁護士・創価大学法科大学院教授(刑事法)が次のように述べています。

 小倉弁護士が、「検察が,捜査過程に関する情報を,虚実交えてマスメディアに『リーク』すること自体が「法に基づかない」行動です。」(強調はモトケン)と述べていることからしますと、確実な情報をリークすることも虚偽の情報をリークすることも同列においておられるようですけど、私は同列に論じていいものかどうか決めかねています。



 虚偽情報のリークは問題なしにアウト(つまり違法)でしょう。


 不確実情報のリークもアウトだと思います。


 では、確実な事実(少なくともリーク時点では確実と思われた事実)についてはどうでしょうか。


 警察や検察等の捜査機関が国家権力を用いて情報収集を行うことが認められている理由を考えれば,少なくともリークした時点では確実であると思っていたとしても,そのようにして収集した情報を非公式に漏洩することは許されるべきではありません。それは,公的に収集した情報の目的外使用に他なりません。しかも,そのようにして収集され,漏洩される情報の多くは,個人のプライバシー情報であったり,企業の営業機密だったりするわけです。もちろん,それらの情報が裁判手続の中で証拠等として公判廷に提出されることにより公衆のするところとなることは,公訴事実との関係で必要やむを得ない限度にとどまる限りは,裁判制度が存在する以上我々はそれを甘受せざるを得ないわけですが,「リーク」というのは裁判制度とは無関係のところで行われるわけですから,我々がそれを甘受しなければならない理由はありません。また,証拠等として裁判所に提出するつもりのない情報を,「リーク」という形でマスメディアを通じて裁判官に予めインプットしてしまうことも,捜査機関のあり方として適切さを欠いているように思います。

 また,矢部弁護士は,次のように述べています。

 民主党が政権を取った場合にそのような非公式の「リーク」を規制するということであれば,それはそれで望ましいのではないかと思われます。

 ここの重大な疑問が生じます。


 なぜ、「民主党が政権を取った場合に」という条件がつくのでしょうか?


 小倉弁護士自身が指摘した情報リークの弊害は、民主党の政権奪取となにか関係があるのでしょうか?


 どの政党が政権に就こうが、等しく問題になるのではないでしょうか?


 不思議なけちの付け方をする人もいるものです。自公連立政権において捜査機関による非公式の「リーク」を規制する立法が行われるのであればそれはそれで望ましいことだと思います。ただ,公明党には弁護士資格を有する議員も多く,捜査機関による恣意的な「リーク」に問題があることを十分知っていながら,これまでこの問題を放置してきたわけですから,このまま自公連立政権が続いた場合にこの問題が適切に対処されることをあまり期待できないと考えるのは自然なことでしょう。また,検察による恣意的な「リーク」が功を奏して自公連立政権が次の選挙で勝利することがあれば,自公連立政権は検察にいわば「借りを作る」わけですから,そのような自公連立政権下で捜査機関による恣意的な「リーク」を規制する立法がなされる可能性は著しく低いと言わざるを得ません。

捜査過程に関する情報を,虚実交えてマスメディアに「リーク」すること自体が「法に基づかない」行動

 元検事で,かつそのことを強調すべく「モトケン」と名乗っている矢部善朗弁護士が次のように述べています。

 民主党は、最近の報道内容は検察のリークによるものだとして検察を強く批判していますが、報道内容(つまり検察のリーク内容)が虚偽であるとかでっち上げであるという批判は見あたりません。

 検察のあり方を批判するのであれば、検察が法に基づかないで行動していることを根拠に批判すべきです。

 しかし,検察が,捜査過程に関する情報を,虚実交えてマスメディアに「リーク」すること自体が「法に基づかない」行動です。矢部弁護士が検察官時代どのような法の理解の元にどのような行動をとっていたのか知るよしもないのですが,我が国の制定法の下では,検察庁ないし検察官には,被疑者又はその関係者について,捜査活動によって新たに知った情報もしくはそのような情報に見せかけた虚偽又は真否不確定の情報を非公式に特定の記者に提供してマスメディアを通じて流布させ,特定の世論形成を図る権限は与えられていません。

 その意味で,一定の政治的な意図に基づいて捜査過程に関する情報を虚実交えてマスメディアに「リーク」する検察の行動を,それにより支持率低下の危険がある民主党が問題視するのは正当なことであると言えます。そして,このような「リーク」は被疑者が政治家又はその関係者でない場合にもしばしばなされ,これにより公訴事実とは無関係な情報が流布されて必要以上に被疑者又はその関係者の名誉が毀損されるという事態が生じていますので,民主党が政権を取った場合にそのような非公式の「リーク」を規制するということであれば,それはそれで望ましいのではないかと思われます。

13/03/2009

無駄な大学院をつぶせば,医療・介護に人材を移転させることができるのか

 3回以内に新司法試験に合格できなかった卒業生の割合が5割を超える法科大学院や,そこの修士課程への入学者のうちの1割も研究者としてのポストに就かせることができなかった文系大学院は,費用対効果が悪すぎると言うことで設置許可を取り消せば,そこの教員(教授の年収は概ね1000万円を超えるのでリッチだし,大して役に立っていないという意味では「ノン・ワーキング」に近い存在である。ゴルフではなく,無駄な会議に時間を使っている可能性はありますけど。)を,医療や介護などの必要とされている仕事へと移転させることができ,みんなハッピーになるということなのでしょうか。

 レベルの低い教育機関につぎ込む公的資金をカットしてレベルの高いところに集中すれば,レベルの高い教育機関の授業料を無償とするどころか,生活費相当分を含む給付奨学金を一般労働者家庭の子供に給付することもできるようになるかもしれないので,格差社会の中で有為の人材が教育を受ける機会をなるべく保証してあげるには,それくらいの荒療治が必要かも知れません。

iPhoneのWireless LANが効かない

 私のiPhoneのWireless LAN機能が効かなくなって1ヶ月くらいが立ちます。ロサンゼルス出張の折りに宿泊したホテルが無料でWireless LANを提供してくれているところだったので,試せなかったのが残念でした(路上でMacBook Airで公衆無線LANを拾おうと思ったらほとんど引っかからなかったので,いずれにせよ路上では使えなかった気もするのですが。)。確定申告の書類を提出し終えたら,修理してもらいに行かなければならないなあと少し覚悟しています。

 とはいえ,iPhoneのGPS機能付き地図はロサンゼルスでも使えたので,思わず自分がどこにいるのか分からなくなったときに自分の位置確認をすることができましたし,事務所へ適宜電話することもできたので,海外出張にはとても便利な機械だなあということを実感しました。

11/03/2009

Wanna-be-slave系の人々

 はてなブックマークで私のエントリーに対して延々とネガティブコメントやネガティブタグを付け続けている一群の人たちがいます(一群,といってもそんなに数はいませんが。)。

 権力(国家権力に限らず,大企業等の社会的権力を含みます。)に逆らわず,これにおもね,屈し,その理不尽に耐えることこそ下々のあるべき姿だと考えている人々と,私のような生粋系の弁護士がそりが合わないのはある意味仕方がない話かも知れません。

 それにしても,インターネットの裾野が広がるに付けて,Wanna-be-slave系のネットワーカーが増えてくるというのは面白い現象です(Dreaming-himself-as-eliteなだけかも知れませんが。)。

10/03/2009

法・情報・社会

 これまでも中央大学の法学部で3・4年生対象のゼミをもってきたわけですが,今年は明治大学の法学部で1・2年生向けに「法・情報・社会」という講義ももつことになりました。

 で,今日,2009年度の法学部(和泉校舎)の授業時間割がとどきました。和泉校舎なので並行して行われるのは語学と一般教養科目が中心なので(法律科目は,津田重憲先生の刑法総論くらいでしょうか),ちょっと新鮮です。

 とはいえ,4月なんてすぐに到来してしまいますので,確定申告の書類を作り上げたら,すぐにでも教材の作成に取りかからなければいけないのが辛いところです。

法人が負担する租税・社会保険料負担

 神奈川県総務部税制企画担当課長である井立雅之氏の「法人課税の負担水準に関する国際比較について」は,実は,先進国の中で日本は,法人が負担する租税・社
会保険料負担が重い方ではないということが実証的に語られています。日本においては,法人の社会保険負担率が低いと言うことは以前より語られていましたが,米国においては公的健康保険がない分民間の医療保険の保険料を企業が通常負担しており,これを「法人が負担する租税・社会保険料負担」に含めるとなると,米国の方が「法人が負担する租税・社会保険料負担」が相当高くなることはなるほどなと思いました。また,「法人が負担する租税」のなかには,法人所得課税だけでなく,ドイツの営業税もイタリアの生産活動税のような外形的な要素が加味されている課税もあるし,保有又は使用に対する不動産課税等も含まれることもまた,この手の議論を行う上で注意すべきポイントなのでしょう。

 こうやってみると,一部の経済学者による逆宣伝こそあるものの,日本は,企業にとって既にパラダイスのような経営環境のように思われてなりません。もちろん,発展途上国においては日本よりも「法人が負担する租税・社会保険料負担」が低いところもあるとは思いますが,全般的な教育程度の高さや,法令遵守の精神の普及,巨大な国内市場の存在,等々を考慮すると,その程度の差異など吹き飛んでしまいそうです。

06/03/2009

中途半端な法人税廃止論

 ブッシュJr.のアドバイザーであり,また,前回の大統領選の予備選でMitt Romneyのアドバイザーを務めていたN. Gregory Mankiw氏の見解を紹介して,法人税廃止論を正当化しようとする人がいるようです。

 ただ,ブッシュ前大統領の経済政策というのはとても評判が悪かったので,ブッシュ前大統領のアドバイザーが自分と同じようなことを言っているから自分の意見は正しいのだと言われても,周囲の人は途方に暮れざるを得ないようです。

 ただ,Mankiw氏の法人税減税論は,法人税減税による財政の収入不足を消費税(売上税)の増税で埋め合わせたのでは意味がなくなります。法人税減税によりよる経済成長,配当・給与の増加による税収の自然増により賄う必要があります。ですから,法人税が減税されたら,企業は商品価格を引き下げ,従業員の給与を増大させるとの信頼がない社会において適用できる話ではありません。

 また,「法人税は二重課税である」との議論は法人擬制説を前提とします(法人実在説に立った場合,法人と株主は別人格ですから,二重課税云々という問題は生じません。)。この場合,資源配分を歪めない法人税の廃止方法は,法人の当該年度の一株あたりの純利益に保有株式数を乗じたものを,当該法人からその年度に受けた配当とともに,その株主の「所得」に附加した上で,その全体について累進的な所得税を各株主に課すことが必要となります。すなわち,この場合,「配当」として受領できなかった企業の内部留保分に対しても株主に課税すべきということになります。

 モデルを使って具体的に見ていきましょう。

 1億円のコストを支払って2億円の売上げを得,生活費や住宅の購入などに4000万円ほど費やした事業主がいたとします。法人化していない場合,所得税は2億円ー1億円=1億円に対して係ります。そして多くの国では,個人でこれだけの収入を得ていれば,所得税率は最高税率が適用されます。

 この事業を,この事業主が100パーセント株式を有する事業会社で行った場合,個人として使用したい金銭4000万円を株式配当として事業主に振り分けることができます。この場合,法人税は,2億円ー1億円=1億円に対してかかりますが,所得税率よりは相当税率が低くなります。また,この会社の100%株主は配当によって4000万円の収入を得ることができるのですが,源泉分離税が選択できる国々においては,その税率は相当低くなります。所得税について累進課税が採用されており,かつ,法人税の税率が所得税の最高税率より相当低い国々においては,法人税と配当に対する源泉分離課税を支払っても,なお,個人事業主として事業活動を行うより,支払う税額は低くなり得ます。

 法人税をただ廃止した場合,2億円ー1億円=1億円のうち,株式配当として100%株主に配当した4000万円についてのみ課税の対象となり,企業内に留保された6000万円については課税対象から外されることになります。Robert Reichが言っているのは,この6000万についても,この100%株主の個人所得として課税せよと言うことです。二重課税を回避するために法人税を廃止するというのであれば,こちらの方が圧倒的に筋が通っています。そうでない法人税廃止論は,この6000万円について,一切課税対象とならない聖域として残せと言っているに過ぎません。

04/03/2009

一つ覚え

 今回の不況への対策として「法人税減税」を提案する経済学者がいるそうです。

 こちらでは,次のように揶揄されています。

For some people, the answer to every question is...a tax cut!

 しかし,供給に対して需要が圧倒的に不足しており企業が大量の在庫を抱えている状態で法人税減税を行っても,税収減少分が生産活動への新規投資に回される保証はありません。むしろ,預金に回されたり,債券購入に充てられたりする可能性の方が大きいのではないかと思います。生産力を更に増強して,今まで以上に在庫を抱え込むメリットってあまりありませんから。税収減少分が,直接的に,または銀行等を通じて間接的に外国債の購入に充てられる場合には,その分,資金が国外に流出しますので,国内消費の原資が減少するということになります。

 さらに,法人税減税による減収分を消費税率の引き下げで補おうとすれば,これにより製品価格は上昇しますから,需要は減少します。いやはや,八方ふさがりです。

 いや,中には,

企業の利害関係者(=顧客、従業員、取引先、債権者、株主、国や地方自治体)のすべてが、減税が行われたことを認知できるわけですから、法人税減税後も、
「顧客が法人税減税前の価格で商品を買い続ける」とか、
「従業員が法人税減税前の価格で労働力を提供し続ける」などありえない、
ということは、誰でもわかることです。
仰る方もいるのですが,「法人税率が引き下げになったのに給料を上げないだなんて怪しからん。会社を辞めてやる!」という労働者や,「法人税率が引き下げになったのに製品価格を値下げしないだなんて怪しからん。商品買うのをやめてやる!」という消費者がそんなにたくさんいるという話も,実際にそのような要求に企業が応えているという話も,寡聞にして聞いたことがありません。第一,「法人税減税還元セール」って,聞いた記憶がないのです。

03/03/2009

「池田信夫学」が試験科目に採用される可能性

 池田信夫さんが,次のように述べているようです。

 

「構造改革」が労働者への労働の成果の配分の現象を生じさせるものであれば,それは家計収入自体の減少をもたらしますから,国内需要が減少するのは当然のことです。(原文ママ)

この文章は(誤字を訂正すれば)つねに正しい。トートロジーだからである。したがって、ここから何も意味のある命題を導くことはできない。私が「構造改革で需要は増える」と書いているのに、それとは逆の仮定を置いて何事かを証明したつもりになっている彼が、素人なら何もいう気はない。彼はこれでも弁護士免許をもち、法廷で弁論を行なう弁護士なのだ。自動車の免許だけではなく、司法試験も定期的に再試験をしたほうがいいのではないか。

 確かに「配分の現象」は「配分の減少」が正しいですね。

 ただ,池田信夫さんが全知全能の神であるならば,池田さんが「構造改革で需要は増える」と言っているのにこれに反することを書くのは当然に誤りだということになるのでしょうが,残念ながら,私の認識では池田さんは全知全能の神ではないので,池田さんの意見に反することを書くことは何ら問題がないことであるように思われます。仮に司法試験にも定期的に再試験が課されることになったとしても,(経済学に限定したとしても)池田信夫さんと同じ認識を有しているかをチェックする「池田信夫学」が試験科目に採用される可能性はないように思いますので,「池田信夫上武大学大学院教授が「構造改革で需要は増える」と書いているにもかかわらず,それを異なる仮定を置いて何事かを証明」しようとする弁護士を撲滅することはできないように思われます。

 それはともかくとして,「『構造改革』が労働者への労働の成果の配分の減少を生じさせるものであれば,それは家計収入自体の減少をもたらしますから,国内需要が減少するのは当然のことです。」という命題が正しいのだとすると,それにもかかわらず「構造改革で需要は増える」といえるためには,「『構造改革』は労働者への労働の成果の配分の減少を生じさせるものではない」ということを証明する必要があるように思います(まあ,内需の減少分を補ってあまりあるほどの外需があればトータルでは需要が増大することはあり得るのですが,そのような外需頼みの経済が危ういことはお認めになっているように思いますし。)。

 池田さんは,そこのところの説明を一貫して怠っているわけで,今回も人様の論理に「詐欺的」等といっている暇があったらその説明をすればいいのに,と思ったりします。

 なお,「資本主義」の語源論争については,こちらを参照のこと。

日本語では kapitalitisch や capitalistic の形容詞はふつう「資本家的」ではなく「資本主義的」や「資本制的」と訳しているので,「資本主義」あるいは「資本主義的」・「資本制的」という言葉が最初から使われているように思われてきたにすぎない。

とのことなので,経済学の専門家ではない私が誤解していたのはやむを得なかったところです。

 それに比べると,経済学者なのに,

マルクスのテキストに資本主義(Kapitalismus) という言葉は一度も出てこない。これを初めて使ったのはゾンバルトである(Wikipediaにも書いてある)。
等といってしまう方が問題ではないかなあという気がします(「the production system」を記述する言葉として,という限定はこのときはしていないですから,あとから,the production system」を記述する言葉として「Kapitalismus」という言葉を使ったのはゾンバルトだとWikipediaに書いてあるといわれても,まさに後出しじゃんけんですしね。。しかも,この「Kapitalismus」の語源の話って,
これは経済史の常識であり、こんないい加減な知識で、わかりもしない「階級闘争」を語るのはやめてほしいものだ。

として,私の「階級闘争」に付いての話を価値がないように言い募るためのレッテル貼りの一環としてなされたに過ぎないですから,まあ,経済学って変わった文化があるのだなあと感心させていただきました。法律学ですと,特定の言葉についての語源に関して仮に誤解していたとしても,それが議論の中身の信頼性に決定的な悪影響を与えるとは一般に考えられていませんので。

 いやまあ,池田さんが時折,濱口桂一郎・独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員に向ける学歴差別的な言辞を見ても,法学系とはそもそもの考え方が違うのだろうなと思ってしまいます(もともと実学志向が強い法律学の分野では,有能な人間は大学院に行かずに実務に就いてしまうし,研究職にしても,東大法学部で最上位の成績を収めるような人は学部卒業と同時に助手採用されてしまうので,優秀な実務家,研究者が修士号を持っていないということは普通にあります。だから,論者が修士号をもっていないからその論文は検討するに値しないという考え方は,法学分野では一般的ではありません。)。

構造改革によって、供給だけが増えて需要は増えないという根拠

 池田信夫さんの,「不況についての迷信」というエントリーの,特に5番は,池田さんの経済理論の限界を如実に示しているように思います。

 

不況の最中に構造改革を行なうと、供給を増やしてGDPギャップが拡大する:構造改革によって、供給だけが増えて需要は増えないという根拠は何だろうか。構造改革(産業構造の改革)は、潜在GDPを高めるものだから、需要と供給をともに高める。たとえば土建業から医療・福祉に労働力が移動すれば、労働供給も労働者の需要も増える。

とのことですが,「構造改革」が労働者への労働の成果の配分の現象を生じさせるものであれば,それは家計収入自体の減少をもたらしますから,国内需要が減少するのは当然のことです。原材料やエネルギーを輸入に頼っている我が国では,国内における労働者の所得水準の減少ほどには工業製品の生産コストは下落しませんから(製品の生産コストを100としたときの人件費が20と仮定した場合,解雇規制の撤廃により,全ての従業員の賃金水準を高卒の2年目の水準に合わせることで人件費を半減させたとして,生産コストは10%しか減少しません。),需要は大幅に落ち込むことにならざるをを得ません。

 結局,解雇規制の撤廃により労働者の賃金水準を引き下げていった場合に国内消費の原資はどこから出てくるのですかという問いかけには一向に答えていただけなかったわけです。

 なお,月収25万円で働いていた土建業労働者1万人が,公共事業の縮小により,月給15万円の福祉現場で働くことになっても,労働供給は増えていません。そして,それまで25万円だった月収が15万に減少するわけですから,国内消費の原資は毎月10万円×1万人=10億円減少することになり,それは彼らを消費者として想定した国内産業の売り上げを減少させることに繋がります。所得税の累進比率を引き上げることで,例えば国内消費では所得分を費消しきれない富裕層により米国国債の購入等にあてられていた資金を国家に吸い上げた上で,これを元に福祉現場労働者の給与水準を月30万円に引き上げることで土建業者から福祉現場に労働者を1万人移転させるのなら,そういう負の影響はなくなっていくわけですが。

01/03/2009

I know you know supply-side economics is a crock.

 池田信夫先生はこのように仰っています。

オバマ米大統領が、法人税の減税に言及しました。「法人税は不合理な税だ」というのは、半世紀前にフリードマンが指摘して以来、経済学者のコンセンサスです。Alesina-Zingalesは投資減税を提言し、Barroは「法人税の廃止がベストだ」としています。オバマ政権の顧問であるReichも、法人税の廃止を提言しています。

 しかし,池田先生の文章にはよくありがちなことですが,原文に当たると大分ニュアンスが違います。原文はこうです。

"If you closed loopholes you could actually lower rates. That's an area where there should be the potential for some bipartisan agreement," Obama said at a White House "Fiscal Responsibility Summit." He said that the tax rate "on the books" was high in the United States.
But Obama added, "In practice, depending on who it is—what kind of accountant you can hire —they're not so high. That's an area we can work on," Obama added.

 つまり,オバマ大統領は,「抜け穴をふさげば,(法人税の)税率を引き下げることができますよ」と述べたに過ぎません。しかも,オバマ大統領は,「米国では,『帳簿上の』税率は高いですね」とか,「実務上は,あなたが雇った会計士にもよるけど,そんなに高くないですよ」と付け加えているわけです。

 この「Fiscal Responsibility Summit」はもともと超党派の議員や学者を呼んでいたのであり,そこでは当然共和党員から法人税を下げろ,廃止せよと言う要求が突きつけられるわけで,これに対応する形で上記のようなコメントをしたというお話でしょう。そして,それは,ブッシュ政権時代に設けられた,様々な企業優遇策の廃止が先だということを含意しているわけです。

 そして,それは大統領選挙中からオバマ陣営が述べてきたことです。昨年7月31日付のForbesの記事によれば,法人税の最高税率を35%から25パーセントに引き下げるというマケイン氏の公約に対して,オバマ陣営の経済政策担当のディレクターであるJason Furman氏は,

"If you fix a lot of those problems, you can bring the tax rate on corporations down," says Furman. But bringing the tax rate down first, he explains, raises deficits, and would result in a weaker economy.

と述べています。今回のオバマ大統領の発言は,その延長線上にあると言えるのです。

 なお,池田先生ご推奨のRobert Reichですが,マケイン氏の法人税減税プランに対し,こんな批判をしています。そして,最後の段落でこう述べています。

Supply-side economics is one of those unfortunate half-brained theories actually to have been tried in practice, and failed miserably. Now we have a candidate for president of the United States who says to the American people, in effect: I know you know supply-side economics is a crock.

 

【追記】

 上記オバマ大統領の発言は,ロイターの日本語サイトでは,大統領は、米法人税は高水準にある、と述べた一方、「運用上はそれほど高率ではないケースもある。われわれはこうした点で対処が可能だ」と述べた。とされていて,「on the books」の部分を抜いてしまっているようです。「depending on who it is—what kind of accountant you can hire —」という部分を,ケースもあると縮めて訳してしまっていることを含めて,この翻訳は,法人税の減税を求める共和党サイドへの皮肉めいたニュアンスを完全に消し飛ばしているようです。

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