「高校生の……」
某所で「高校生の」云々というタグ付けがなされる場合、せいぜい高校生レベルの知識・思考力の人にしか通用しない論理が展開されているような気がしてなりません。
「究極の選択」っていうのはお遊びとしては面白いのかも知れないですが、択一を迫る「二者」の選定が恣意的にすぎると、単なる詭弁の様相を帯びてくることを、まっとうな大人は知っていて、その種の論理を振りかざして「大切なもの」を諦めさせようとする輩に誤魔化されない程度の知能は持ち合わせているものではないかなあ、って思ったりします。
« 地球温暖化対策と貧困対策と両方とも非常に大事だと答えて落第になる学校は滅多にない。 | Accueil | 「先生と呼ぶな」というほど野暮でなし »
L'utilisation des commentaires est désactivée pour cette note.
« 地球温暖化対策と貧困対策と両方とも非常に大事だと答えて落第になる学校は滅多にない。 | Accueil | 「先生と呼ぶな」というほど野暮でなし »
Commentaires