« 「高校生の……」 | Accueil | 「予算」という要因により「トレードオフ」が生ずる場合に関していえば,単純な「二者択一」問題となることは稀 »

13/04/2009

「先生と呼ぶな」というほど野暮でなし

 池田信夫さんの「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」とのエントリーには、沢山のはてなブックマークコメントがついています。

 その中では、高木浩光さんの

私も先生づけされるけどどうでもいいと思ってる。やめてと言い出す方が権力志向に見えてしまう。

というのが、私の実感にも近いです。

 どのような立場・属性の人間にどのような敬称を付するのかは、特段の事情がない限り慣習に従うのが普通であって、敬称を付けて呼ばれる側としては、慣習の範囲内で敬称が付けられている限りにおいては、そこに特段の意味を見出さないからです。皆さんだって、手紙の宛名や銀行で呼び出されるときに「様」という敬称が付けられたからって、そこに特段の意味を見出さないでしょう?慣行として「先生」という敬称が付くポジションにいる人が「先生」と呼ばれるときの感覚もにたようなものです。

 これに対し、慣行上「先生」という敬称が付くポジションにいる人があえて「先生」という敬称を使用しないように周囲に要求するのは、「そのポジションを有する者としてではなく、より私的な存在として自分と付き合って欲しい」という特別な意味合いを有している場合を除けば、その敬称が有する本来の意味を持つものとして「先生」という敬称を相手が自分に対して用いているのだと受け取っているという意味で、むしろ野暮ったく感じます。

 なお、日本語では、必ずしも自分との関係性ではなく、第三者との関係性を表す名詞で相手を呼びまたは相手の敬称とすることは一般的なので(例えば、子供が生まれると、その母親は、その子供からだけではなく、第三者からもしばしば「お母さん」と呼ばれるようになりますし、弟子をとっても不思議ではない程度にキャリアを積んだ芸人は、その弟子以外の者からも「師匠」と呼ばれ、また、「師匠」という敬称で呼ばれます。)、池田さんが東大で実践されていると主張する「根岸ルール」(東大関係者には知り合いが多いのですが、そのルールを実践されている方を見たことがありません。)は、日本語の慣習からは外れているように思います。

« 「高校生の……」 | Accueil | 「予算」という要因により「トレードオフ」が生ずる場合に関していえば,単純な「二者択一」問題となることは稀 »

Commentaires

 呼び方は、分野によって随分違うと思います。
 医学部は国家試験を通ると全員先生。教育学部もその傾向が。

 理学部でも、物理は、直接講義を聴いて単位を貰う関係になった人以外は「さん」付けの方が多いです。また、本当に大物になると敬称が付かなくなる。「湯川」「朝永」とか……。

 まあ、時代とともに変わったりもするのでしょうけれど。

L'utilisation des commentaires est désactivée pour cette note.

TrackBack

« 「高校生の……」 | Accueil | 「予算」という要因により「トレードオフ」が生ずる場合に関していえば,単純な「二者択一」問題となることは稀 »

octobre 2017
dim. lun. mar. mer. jeu. ven. sam.
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31