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mai 2009

31/05/2009

主観的構成要件要素もあるとはいうけれど

 矢部善朗創価大学法科大学院教授は,

 客観証拠がそろっていれば,自白を強要しなくとも被疑者を起訴し,有罪に持ち込むことが可能です。

という発言を取り上げて,

 そのような弁護人の対応に照らして、少なくとも、自白は原則として強要されたものである、という指摘は正しくないと思われます。

と小括しています。しかし,「客観証拠がそろっていれば,自白を強要しなくとも被疑者を起訴し,有罪に持ち込むことが可能です。」という文は,捜査段階での自白における自発的になされるものと強要されてなされるものの各割合等については中立的です。

 また,

事件によっては、被疑者が犯人であることが被疑者の自白を待つまでもなく明々白々な事案であっても、被疑者の自供によって犯行動機を解明しないと、被疑者の責任能力に問題が生じるという事案もあります。責任能力を否定されますと無罪になります。

とのことですが,被疑者が完全黙秘を貫き動機がついに明らかにされなかった事案で責任能力を否定され無罪となった事案があるのであれば,それをまず提示したら良いのではないかと思います。

 また,

犯罪によって自白がないと罪名の決定(被疑者は何罪を犯そうとしたのか?)の問題について困難を来す場合があります。これは、刑法の規定の仕方によって生じる問題です。

とも述べられています。これは,捜査段階での自白を証拠とすることに積極的な方がよく行う反論です。

 ただし,行為当時の主観的事情は,多くの場合,行為の外形等から推認していくものであって,必ずしも「自白」を得る必要はありません。例えば,児童ポルノ法違反被疑事件で被害児童が10歳くらいであった場合に「18歳未満だとは知らなかった」との主張を被疑者が貫いたとしても,被害児童が18歳未満であったことを知っていたと認定して起訴をすることが可能です。他方,被害児童が17歳くらいの場合は,行為の外形等から推認しにくいところですが,このような場合に,「真犯人でなくとも自白してしまいかねない手法」での取調べを容認すると,本来(法的には)処罰されるべきではない人々を処罰することになります。警察が逮捕した以上,無実であっても処罰することが,一般予防に資するという人もいるかもしれませんが。

 また,主観的事情を認定するにあたって被疑者にこれを問い糺すことが有益だとしても,それは,犯人性が主たる争点となっている事案において被告人の捜査段階での自白調書を中核たる証拠として被疑者を起訴し被告人を処罰することの問題点がなくなるわけではありません。

 

そして、強要された自白の信用性に問題が生じることは、捜査機関を含めて刑事司法に携わる全ての者のコンセンサスです(どんな場合にも大多数に同意しない一部の人がいることは否定しません。)

とのことですが,強要された自白が客観証拠から見て自然なものとなっているのかについては,調書の作成を担当する取調担当官が当時どこまで正確に事案を把握していたかによるところが大きいです。とはいえ,この点に問題があり,自白調書の記載が,後に判明した客観的事実と食い違っていても,平然と有罪判決を下すのが我が国の刑事裁判所です。

 

「蓋然性が高いとは認められない」というのも不適切です。ここでは「客観証拠だけでは真犯人であると証明できるとは認められない」と言うべきでしょう。
 刑事裁判では「蓋然性が高い」という程度では有罪認定しないからです。

とのことですが,制度論と現実論を混同されているようです。建前上は,「蓋然性が高い」という程度では有罪認定しないことになっていますが,現実には,被告人が真犯人であるとしてもあながち不合理とはいえないという程度でも,有罪認定がなされる場合が少なからずあります。その典型例は一連の「痴漢冤罪」関係ですが,かならずしもそれに限られません。御殿場事件などを見れば,

「一生刑務所から出られなくしてやる」
「お前は人間として扱わない」
等と脅して自白調書を取ってしまえば,被疑者及び被害者の足取りについて裏付け捜査をしなくとも,着衣等に被疑者の体液等が付着していないかどうか検証しなくとも強姦の容疑で訴追することが可能だし,被疑者から,「門限を過ぎていて、親に怒られるのが怖くてウソをついた」と供述を得ても,「犯行日時」を前倒しする訴因変更を行えば,裁判所はこれ幸いと有罪認定してくれます。

 いずれにせよ,弁護人がきちんと起訴前弁護を行い被疑者が意に沿わない自白をしないようにすることは将来の犯罪被害者を生み出す行為であると考えている弁護士に弁護される無実の被疑者は大変だなあと思います。

刑罰法規の一般予防機能に配慮して被疑者の手続的権利の行使を躊躇する弁護人

 「この被疑者について,黙秘権の行使その他の手続的権利が保障されるように弁護活動をすると,この被疑者が不起訴となり,あるいは起訴されても,「自白調書」がないために,裁判官は無罪判決を下さざるを得ないかもしれない。そうなると,「悪いことをしたら処罰される」という脅しが利かなくなり,新たな犯罪を誘発することになるかもしれない」と思い悩んで,被疑者が手続的権利を行使することの手助けをすることを差し控えるような弁護士がいるとしたらとても不幸なことです。

 ただ,今でも刑事弁護を熱心にやっている生粋系の弁護士からは,一部のヤメ検さんによる起訴前弁護活動の惨状についてはいろいろな話を聞く機会があります。今までは「単なる手抜き」だと思っていたのですが,ひょっとしたら,刑罰法規の一般予防機能を害することがないよう,敢えて,被疑者が「自白調書」にサインするようにし向けていたのかもしれません。

30/05/2009

被疑者の手続的権利を保障しないことにより予防されるのは,せいぜい,捜査機関の不興を買うことだ

 矢部善朗創価大学法科大学院教授からまた不思議な批判を受けているようです。  私の    

「真犯人を適正に処罰すべし」という理想は、つまるところ、その事件の被害者および将来的に発生するかも知れない被害者の人権保障の問題なんですけど、パブ弁!さんの発想の中には、そういう観点が完全に欠落しているように思われます。 つまり、人権保障対人権保障の緊張関係が存在するということなんですけど、パブ弁!さんは刑事政策というものを考えたことがないのでしょうか?

というコメントは、全くの素人の方には説明不足だったかも知れませんが、刑法の教科書ならどの教科書にも載っている刑法の法益保護機能、その中でも特に一般予防機能(つまり、悪いことをしたら処罰されるぞ、ということを国民全般に周知させることによって、犯罪を予防しようという威嚇効果。ひらったく言えば脅し)を指摘したものであり法学部の学生程度の知識があれば当然分かると思っていました。
 小倉弁護士には、「将来的に発生するかも知れない被害者」という言葉が理解できなかったようです。
 被害者が発生すると言うことは、命や財産を奪われる人が生じるということです。命や財産は「被害者の人権」です。
 そして一般予防のための威嚇効果を十分発揮させるためには、理想的には真犯人が必ず検挙され処罰されるという事実が必要だという、刑事司法に携わるものにとって常識的と言えることを述べたものです。
 逆に言いますと、言い逃れなどによって罪を免れる真犯人が増えてくれば、犯罪防止のための威嚇力が失われるということです。

 客観証拠がそろっていれば,自白を強要しなくとも被疑者を起訴し,有罪に持ち込むことが可能です(パブ弁!さんを含む取調べへ弁護人の立会い権を求める論者もまた,客観証拠がそろっている案件で被疑者を起訴し,処罰することを否定していないようにみえます。)。従って,被疑者・被告人の手続的権利と緊張関係に立つのは,「客観証拠だけでは真犯人である蓋然性が高いとは認められない被疑者・被告人を,それでも起訴し,有罪に持ち込むこと」によって得られる利益ということになります。

 そこでは,「悪いことをしなくとも(捜査機関ににらまれたら)処罰され,その分,悪いことをしても処罰されない人が発生する」わけですから,そのような運用がなされていることが周知されることによりもたらされる「教訓」は,「捜査機関ににらまれたら処罰されるぞ」ということであり,そこで予防されるものは,「国家機関,とりわけ捜査機関の不興を買う行為」ということになります。

 あるいは,被告人及び弁護人に犯人性を争うことを禁止し,情報統制を行うことによって,「捜査機関により真犯人であると見込まれた人=真犯人」との誤った情報を国民全般に周知させることができれば,「悪いことをしたら処罰されるぞ」という脅しを国民に対し行うことができるということかもしれません。しかし,自公連立政権で衆参3分の2の議席をとるにはいたらずそのような後ろ向きの憲法改正がなされる危険が遠のいた今,それはさすがに無理でしょう。

 創価大学の法科大学院では,被疑者・被告人の手続的権利を保障することは刑法の一般予防機能を害するから抑制されて然るべきだと教えているのかもしれませんが,かなりマイナーな見解ではないかと思います。

 小倉弁護士は、

     被疑者・被告人の手続的権利を十分に保障することなく引き出された「自白調書」に頼らなければ有罪判決を下せないような案件は,もともと冤罪である蓋然性が高い

と言っていますが、法律家的にはとても違和感のある文章です。
 小倉弁護士は、単なる「自白調書」ではなく、「被疑者・被告人の手続的権利を十分に保障することなく引き出された『自白調書』」と言っています。
 どうしてそういう限定をつけて論じるのか疑問ですがそれはともかく。

とのことですが,パブ弁!さんを含む取調べへ弁護人の立会い権を求める論者もまた,被疑者・被告人の手続的権利を十分に保障された状況でなされた自白調書に証拠能力・証拠価値を認めることまで否定されていないように見えます(補強証拠は必要ですが。)。

 法律家は、自白調書については証拠能力と信用性を問題にします。
 証拠能力とは証拠として使えるかどうかの問題で、具体的には、任意性に疑いがある場合とそれより広く自白調書の成立経緯について手続的な違法がある場合が考えられます。
 「手続的権利を十分に保障することなく引き出された」というのは、そういう意識のもとに書かれた文章なのか不明瞭ですが、証拠能力に問題がある場合という意味であるならば、そんな「自白調書」はそもそも頼ることができません。

 手続的権利が十分に保障されておらず,したがって,「真犯人でなくとも,捜査官の『見込み』に沿った自白をしてしまう環境」で作成された自白調書についても,日本の裁判所が証拠能力を認め,これに頼った有罪判決を下してきたことは,法律家の間では常識ではないかと思います。

 小倉弁護士は証拠能力に問題がある「自白調書」に頼って有罪判決を下すことを認めるのでしょうか?

 そのようなことは許されるべきではないが,現実には横行しているというべきでしょう。

 まさかそんなことはないと思いますので、最大限善解すれば、警察や検察官は「「手続的権利を十分に保障することなく」自白調書を作成するが、裁判官はそれを見抜けない、ということが言いたいのかも知れません。
   しかし、そうであるとすると、検事は、任意性に疑いのある自白調書に頼って、裁判官がそれを見逃してくれること期待して起訴していることになります。
 小倉弁護士の同期にも検事や刑事裁判官が何人かいると思いますが、その人たちが小倉弁護士のエントリを読んで小倉弁護士をどう評価するかは、ある程度確実に予測できます。
 小倉弁護士は、私に対する批判が私に対する批判にとどまらないところがあることを自覚されているのだろうか?

 我が国において,その作成過程に問題のある自白調書に頼った起訴がなされていないか,裁判所が,そのような自白調書に証拠能力を認めてそれに頼った有罪判決を下すことがないか,同じ創価大学法科大学院で刑事法を教えている山下弁護士と意見交換されてみてはいかがでしょうか。

 「自白調書」には、「任意性や信用性に全く問題がない自白調書」、「任意性には問題がないが信用性に問題がある自白調書」、「任意性に疑いがある自白調書」があります。
 小倉弁護士は、このうち「任意性に疑いがある自白調書」だけを問題にしたいみたいですが、それだけでは制度を的確に評価したり批判したりすることはできません。

とのことですが,被疑者の取調べへの弁護人の立会い権や取調べ過程の全面録音・録画等,公明党が必死に反対する「可視化政策」は,任意性のない自白調書が作成されることを防止することを目的とするものですから,この論点に関して「自白の信用性」に触れないのは当然です。

 それとも小倉弁護士は、およそ自白調書というものは任意性がないとでも言うのでしょうか。もしそうなら、それは刑事弁護実務からもかけ離れた認識です。

 さすが印象操作に造詣の深い矢部教授だと感心はしますが,意図的な誤読でないとすれば,むしろいろいろと心配になります。

    客観証拠がなくとも,怪しげな人間を捜してしょっぴいてきて,「真犯人であろうとなかろうと自白せざるを得なくなる」方法を用いて被疑者を「自白」させて,被疑者を起訴して,無罪判決嫌いの刑事裁判官に有罪判決を下してもらっていっちょ上がり,という流れ

 という文章は法律家の文章とは思えません。
 まだ、パブ弁!さんの文章のほうが弁護士的です(そうかな、という声も聞こえてきそうですが)。
 たぶん、文章の目的が法律的議論をするというものではないのだろうと思います。
 まあ、弁護士が実名で自分のブログで何を書こうと(法令に反したり懲戒事由にあたらない限り)自由ですし(私も同じ^^;)、特定の誰かに対して粘着攻撃をしてもその相手がスルーしてしまえばいいのですが、裁判員制度が施行された現在、弁護士が実名で刑事裁判実務について誤った認識や偏った考えを繰り返し述べるというのは困ったものだと思っています。

 もちろん,準備書面や論文を書くときとブログを書くときとでは文体を違えています。格調高く書こうと思えば,小田中聰樹先生による下記のような文章のようになるのではないでしょうか。

犯人を特定できる証拠がみつからないと、捜査当局はあやしいと思う人を逮捕し、強引で狡猾な手段を使って糾問的に取り調べる。あやしいとにらむ根拠は、アリバイがはっきりしないとか、日頃の素行が悪いとかいった程度のものであることが多い。取り調べは頭から犯人視するやり方で、アリバイなど確実な無罪証拠を出さないかぎり犯人だという前提で自白を迫る。被疑者がそれに耐えきれず、その場しのぎに虚偽の自白をすると、それにあわせて証拠固めがおこなわれ、起訴される。裁判で自白は嘘だったと主張しても、裁判所は耳を傾けず、自白をもとに有罪を言い渡す。

 実際,犯人性がない種類の冤罪または日弁連として冤罪の疑いが高いとしているケースでは,なぜその被疑者を真犯人と考えたのか,不可解なものが大部分ではないかと思われます。

 小倉弁護士は、

     で,日本の裁判実務では,多くの場合,保釈のために面接に訪れた弁護人に対し,公判では起訴事実を全部認めるのか,供述証拠を全部同意するのかを尋ね,これらを全部約束しないと保釈決定をしないという運用が行われます。

と書いていますが、実際は、裁判官はそんなことを尋ねてきませんし、弁護人のほうから一方的に約束したとしても、裁判官は約束してくれたから保釈を認めましょうなどと言いません。約束したってだめなものはだめとけんもほろろです。

とのことですが,少なくとも私は聞かれたことあります。また,私がブックマークをしたページのうち,伊東良徳弁護士のページは無視されているようですが,こちらでは,

 弁護人が、保釈のために裁判官との面接に行きますと、裁判官から、公判で事実を争うのか、検察官の提出する証拠書類に同意する予定かどうかを聞かれます。ここで争うと言うと、ほとんどの場合、保釈は認められません。これは被告人にとっては、早期に釈放されたければ、起訴された事実を全面的に認めろという圧力になります。弁護士会は、このような裁判所の運用は、人質司法(ひとじちしほう)だと強く批判してきました。

と明記されています。

29/05/2009

裁判例に言及する場合のサイテーションルール

 矢部善朗創価大学法科大学院教授が、次のように述べています。

 小倉弁護士は、引用しない理由として「高裁判決については,矢部教授がサイテーションをつけていないので,引用できません」と書いています。

 サイテーションというのは、判決を特定するための判決年月日等の情報のことだと思いますが、小倉弁護士は、私が判決年月日を明示しないと高裁判決を検索できないのでしょうか?

 法律専門家の間では、裁判例に言及する場合、言及する側が、判決裁判所名、判決年月日、掲載誌・号・頁を明記するのが当然の作法です(公刊された判例集、判例雑誌に未だ収録されていない場合は、「判例集未登載」等と記載するのが一般的であり、特定の判例データベースの独自収集裁判例の場合その旨明記することもしばしば行われています。)。創価大学での学内ルールがどうなっているのかは知りませんが、一般的にはそうです。

 サイテーションがなされていないことを指摘されて、「私が判決年月日を明示しないと高裁判決を検索できないのでしょうか?」などと文句を付けてくる法律専門家がいるという事実は、ある意味新鮮です。でも、よい子の皆様は真似しないで下さいね。



 で、矢部教授が引用した判決文を読む限りにおいては、高裁判決は説得力がないと思いました。少なくとも、被告人の供述が絶対に作り話であると思わせるような理由付けはできていないように思いました。まあ、無罪判決を書きたくない、被告人よりも捜査機関を常に信用していたい裁判官にあたってしまうとこのように判示されてしまうので、取調中捜査官が何を被疑者に語ったのかを確実に証拠化する「取調べ過程の全面録音・録画」は絶対に必要だとの思いを新たにしました。公明党(≒創価学会)は、今年に入ってもまだ、「取調べ過程の全面録音・録画」に反対し続けているようですが。

医師である被疑者との「信頼関係」を築くのにどうして暴力団の話をしたりやくざ系の隠語を用いたりするのか

 矢部善朗創価大学法科大学院教授から,

引用されている京都地裁の決定は大阪高裁でひっくり返されています。どっちを信用するかは皆さんのご自由ですが、法制度上は上級審の判断が尊重されます。
とのはてなブックマークコメントを頂きました。どちらを信用するか読者の皆様に判断していただくため,地裁決定の該当箇所を,少々長いですが,このエントリーの末尾に引用しておきました。高裁判決については,矢部教授がサイテーションをつけていないので,引用できません(そもそも,公刊されているのでしょうか。)。

 ここでのポイントは,国立療養所宇多野病院の内科医長だった被告人との信頼関係を築くために自己の職務内容を説明する中で,暴力団の話や「ポン中極道」という言葉をつかったり,被告人が釈放される際に他の被疑者の連絡役に利用されてはいけないという意味で「ハトを飛ばす」という言葉を用いたというA刑事の供述を,地裁の裁判官は疑い,高裁の裁判官は信じたということです。私には,医師である被疑者との「信頼関係」を築くのにどうして暴力団の話をしたりやくざ系の隠語を用いたりするのか理解しがたいのですが,この程度の弁解でも警察官は裁判官から信じてもらえ,脅迫をしてなかったと認めてもらえるのだとすると,取調べ状況の全面可視化が実現しない限り,取調べ担当の警察官は,被疑者を脅迫し放題で後に咎められることはないということになりそうです。元検察官である矢部教授も,この程度の弁解を取調べ担当警察官から受ければ,被疑者がいっているような脅迫は取調べの際にはなかったと信じるような方なのでしょうか。

ア 被告人の供述(公判供述及び公判調書中の供述部分を含む。)の内容は大要、平成一二年三月一八日から二〇日ころ、被告人け、警察官A(以下「A刑事」という。)から、「(被告人の居住地の近くに甲野組という暴力団があり、その構成員である)Bというポン中極道のすごいやつがいる。お前とこの近くにおるんやぞ。(本件犯行を)やってへんとか、そんな眠たいような話を続けていると、お前のとこには小学生の子供がおるわな。取り返しのつかないようなことになる。」との趣旨のことを言われ、更に「(A刑事は)警察の中で影響力があって、暴対や生安にも顔がきく。暴走族をやっていたこともあるし、そのつてもある。ポン中極道にハトを飛ばすことは朝飯前や。」「(警察官がそんな無茶はできないのではないかとの被告人の質問に対して)普通のやつはでけへんけれども、おれらは権力を持っている。京都府警三万人という味方もいるし、後ろには検察庁もついていて、正検も専任が六人もいる。いわばお前は自転車で、わしらのダンプカーと衝突するみたいなもんや。所詮勝ち目はないし即死や。」という表現で、暴力団構成員を意のままに用いて被告人の家族に危害を加える旨申し向けられた結果、恐怖感を覚え、同月一九日以降自白するに至った、というものである。
被告人の供述内容は、特異な状況を極めて詳細かつ具体的に描写している上、刑事司法に関する知識に乏しく、勾留中は独居房に収容され、他の在監者からの情報を入手できなかった被告人が通常知り得ない内容を多く含み、迫真性に富むものである。A刑事から申し向けられたと被告人が供述する内容には、京都府警察官の数やBなる暴力団員が起こしたとされる事件など客観的事実と齟齬する部分もあり、その細部については被告人の記憶違いが存する疑いもあるが、上記供述全体を被告人の創作、ねつ造ということはできない。
なお、被告人は、弁護人が連日接見していたにもかかわらず、起訴から約五か月後にはじめて、上記脅迫の事実を弁護人に申告しており、この点で上記供述の信用性に疑問を投げかける立場もありうるところである。しかしながら、被告人は、A刑事において、被告人が同人に関する話を弁護人にした内容を知っていたため、上記事実を弁護人に伝えると、これがA刑事に伝わり報復等をされるのをおそれていたこと、A刑事から、他の事件の例を挙げて、弁護人に告げ口したら弁護人にも不利益が生ずる旨申し向けられていたこと、上記申告当時のころ、子供と面会してその無事を直接確認して安心し、本当のことを言おうと考えて、弁護人に申告するに至ったという事情等に照らすと、不合理とはいえず、上記認定を左右するものではない。
イ 他方、A刑事の供述(公判供述及び公判調書中の供述部分を含む。)の内容は大要、暴力団の話や「ポン中極道」という言葉は、被告人から参考人として事情聴取した際、被告人との信頼関係を築くために自己の職務内容を説明する中で話をした、「ハトを飛ばす」という言葉は、被告人から参考人として事情聴取した時点、及び、被告人の逮捕後の早い時点で、被告人が釈放される際に他の被疑者の連絡役に利用されてはいけないという意味で言ったなどと、脅迫の事実等を否定するものである。
A刑事の供述は、被告人との信頼関係を築くための話題として暴力団についての話を子細にしたという点で、それ自体不自然な内容を含む上、同じく参考人としての事情聴取をしたC医師に対しても同様に自己の職務内容につき話をしたとするものであるが、この点は同医師の証言で裏付けられなかった。また、A刑事は、被告人が自白に至る重要な契機となったのは、本件発生当日、製薬会社の営業社員と会っていたことが明らかになった関係で、被告人にはコーヒーを飲む時間がなかったのではないかと追及され、その説明に窮したためである旨供述するが、被告人が同営業社員から貰った名刺は同年三月七日に押収されており、これには被告人が名刺を受領したと思料される日付が記載されているところ、これを前提とした取調べは同月一九日以前になされていたことは明らかであるから、A刑事の言う上記の追及が自白の契機となったといえるのか疑問である。そうすると、A刑事の供述は信用性が低いといわざるを得ない。

28/05/2009

被疑者・被告人の人権と,被害者の人権とは,決して対立しない。

 ともかくも現在は弁護士であり,創価大学法科大学院で刑事法を教えている矢部善朗氏ですら,未だ,

 「真犯人を適正に処罰すべし」という理想は、つまるところ、その事件の被害者および将来的に発生するかも知れない被害者の人権保障の問題なんですけど、パブ弁!さんの発想の中には、そういう観点が完全に欠落しているように思われます。
 つまり、人権保障対人権保障の緊張関係が存在するということなんですけど、パブ弁!さんは刑事政策というものを考えたことがないのでしょうか?

なんてことを述べているのを見て暗澹たる思いに駆られます。

 被疑者・被告人の手続的権利を保障することは,被害者の人権を損なうことはないし,犯罪発生率を高めることもない。被疑者・被告人の人権と,被害者の人権とは,決して対立しない。これは,多くの弁護士の共通理解と言えるでしょう。被疑者・被告人の手続的権利を十分に保障することなく引き出された「自白調書」に頼らなければ有罪判決を下せないような案件は,もともと冤罪である蓋然性が高いのであって,捜査機関はともかく,被害者またはその遺族としては,「真犯人がわからないのであれば,誰かがいわば生け贄となって,代わりに処罰されて欲しい」とまでは思っていないでしょう(仮にそのように考える遺族がいたとしても,その期待は「人権」として法的保護に値するものではないでしょう。)。客観証拠がなくとも,怪しげな人間を捜してしょっぴいてきて,「真犯人であろうとなかろうと自白せざるを得なくなる」方法を用いて被疑者を「自白」させて,被疑者を起訴して,無罪判決嫌いの刑事裁判官に有罪判決を下してもらっていっちょ上がり,という流れの中で,一体いかなる「被害者の人権」が擁護されたというのでしょうか。

27/05/2009

弁護士が取調べに立ち会っていたら,さすがにこんなことはいえなくなってしまう

 こちらに,京都地決平13・11・8判時1768号159頁の解説が掲載されています。これによれば,担当の警察官は,犯行を否認する被疑者に対して,次のようなことを述べて自白を迫ったのだそうです。

「・・・Bというポン中極道のすごいやつがいる。お前とこの近くにおるんやぞ。やってへんとか、そんな眠たいような話を続けていると、お前のとこには小学生の子供がおるわな。取り返しのつかないようなことになる」。「自分は警察の中で影響力があって、暴対や生安にも顔がきく。暴走族をやっていたこともあるし、そのつてもある。ポン中極道にハトを飛ばすことは朝飯前や」。「・・・おれらは権力を持っている。京都府警三万人という味方もいるし、後ろには検察庁もついていて、正検も専任が六人もいる。いわばお前は自転車で、わしらのダンプカーと衝突するみたいなもんや。所詮勝ち目はないし即死や」。

 このような方法を用いてまで自白を強要とする精神の中には,「真犯人(のみ)を処罰したい」というのではなく,「自分が逮捕した被疑者を処罰したい」というものがはっきりと現れています。そこまでしないと「自白」が取れない場合,その者が真犯人でない蓋然性が高い(特に,自白調書がなければさすがに有罪の判決が書きにくいだろう程客観証拠に乏しいのであれば,なおさらです。)のにもかかわらず,たとえ真犯人でなくとも自白調書にサインせざるを得なくなる方法を使ってまで,既に逮捕した被疑者を処罰しようとしたのです。

 そして,この事件は担当裁判官がたまたま被告人の証言に聞く耳を持つ人だったからこそ,自白調書の任意性が否定されたわけですが,取調べ状況の全面録音・録画が義務づけられていない現状では,取調べ段階で警察官からそのようなことを言われたことを客観的に立証する術はありませんから,取調べ状況に関し被告人と警察官との間で「言った,言わない」の水掛け論になったら公務員たる警察官の意見をより信用する裁判官にあたった場合には,そのような脅迫を受けてなされた自白であるということは闇の彼方に葬り去られてしまい,真犯人でなくとも処罰される状態が維持されることになります。

 取調べ状況はその一部を録音・録画すればよく,全面録音・録画を義務づけることは妥当ではない,と公明党は頑強に主張するのですが,なるほど,

「・・・Bというポン中極道のすごいやつがいる。お前とこの近くにおるんやぞ。やってへんとか、そんな眠たいような話を続けていると、お前のとこには小学生の子供がおるわな。取り返しのつかないようなことになる」。「自分は警察の中で影響力があって、暴対や生安にも顔がきく。暴走族をやっていたこともあるし、そのつてもある。ポン中極道にハトを飛ばすことは朝飯前や」。「・・・おれらは権力を持っている。京都府警三万人という味方もいるし、後ろには検察庁もついていて、正検も専任が六人もいる。いわばお前は自転車で、わしらのダンプカーと衝突するみたいなもんや。所詮勝ち目はないし即死や」。

等と言って被疑者を脅して,(被疑者が真犯人であろうとなかろうと)捜査官の組み立てたストーリーに沿って「自白」を行う精神状態に追い込み終わってから録音・録画することにすれば,「冤罪を生み出す余地」はなお維持できるわけです。

個人攻撃はOKだが権力批判はNG?

 矢部善朗創価大学法科大学院教授がそのブログのコメント欄で次のようなことを述べています。

 私は、私のブログで覆面をしながらアジ演説をすることを認めません。

 匿名で特定の人間の悪口を言うことはOKだけど,匿名で警察等の国家権力を批判することはNGだという価値序列には首をかしげざるを得ません。

 なお,矢部教授は,

>そして、取調べから弁護人の立会いを排除しようとする捜査機関の主張は、「真犯人の処罰」ではなく、「自分たちが捕まえた者の処罰」を目的にしているに過ぎません。


 なるほど。

 恐ろしく人をバカにした主張ですね。

 あなたはそういうことを小中学生に教えているわけですね。

 自分の言っていることの弊害に気づかないんですかね。

 あなたの主張によれば、警察組織というのは社会に存在すべきでない悪の組織という感じですね。

 矢部教授の目には,この程度の主張ですら人をバカにした主張に見えるようです。「真犯人であろうとなかろうと,自白調書にサインしてしまう」環境を固守せんという主張は,「自分たちが捕まえた者」について,それが真犯人であるか否かにかかわらず,自白調書を作り上げて有罪にしてしまえる環境を維持することを目的にしているといって何の差し支えがあるのでしょうか。実際,日本の捜査機関は,被疑者・被告人の無実を推認させる証拠の開示を頑強に拒んだり,自白調書にサインをしないと家族に害が及ぶことを告知して自白調書へのサインを強要したり(生駒市汚職事件のように,自白調書にサインをしなければ家族を逮捕する旨示して自白を強要する例は,何例も明るみになっています。),嘘をついてまで妥協的な自白を得ようとしたりしているわけで,そこには「真犯人のみを処罰の対象としよう」という謙抑的な精神は見あたらないのですが。

  

社会秩序の維持というのは、とても大きな社会的要請ですよ。

とのことですが,警察ににらまれたら,無実でも自白を強要されて刑を科されてしまう社会って,そんなに治安がよい社会なのでしょうか。

26/05/2009

比較法の学識と検事の推定

 矢部教授のブログのコメント欄で,「ハスカップ」さんが次のように述べています。

某自称検事(比較法の学識や実務判例の細部まで精通した書きぶりなので多分本物でしょう)が

 しかし,検察官を含む実務法曹は一般に比較法の知識はさほどない(司法試験では比較法的知識は要求されないし,司法研修所でも比較法に関する研修はほぼありません。)ので,その「自称検事」が本物かどうかを判断する上で,比較法の学識を有しているかということが第一の手がかりになるということはないように思います。それに,「ハスカップ」さんがどのようなキャラクター設定をしているのかわからないのですが,「自称検事」が「比較法の学識」を豊かに有していると評価できるほど比較法の学識を有していることになっていたのか,記憶が定かでじゃありません。

 その自称検事の見解を「ハスカップ」さんが要約した

取調べの全面可視化は導入しても、むしろ問題がないどころか、被疑者の取調べの反省の度合いが裁判官に可視化されて弁護活動が楽になるけれど、反面、検察官にも、被疑者の荒唐無稽な弁解、次々変遷を重ねる弁解、被害者誹謗や検察官罵倒のふてぶてしい態度も証拠化されて、悪情状立証が楽になる。

については,そういうことをいいそうな検事さんに思い当たる節はないわけではないのですが。

25/05/2009

『盟神探湯』をやめたことによっても幾分かの真犯人を取り逃しているかもしれない

 捜査機関による被疑者の取調べ状況の全面録画や,捜査機関による被疑者の取調べへの弁護人の立ち会いを認めよという見解に対して,「そのようなことをしたら,真犯人を取り逃がしてしまうが,それでもよいのか」という反論がなされることがあります。

 確かに,捜査手法のいかなる改善であっても,真犯人でない被疑者のみについてその処罰可能性を軽減するものでない限り,それにより「真犯人を取り逃がす」可能性を内包します。より端的にいえば,捜査機関の「ヤマ勘」があたっている限り,その「ヤマ勘」を排除する全てのシステムは「真犯人を取り逃がしてしまう」可能性を包含するものとなります。例えば,現行憲法下では,自白のみを唯一の証拠として被告人を有罪とすること,並びに,自白をとるために被疑者を拷問することは禁止されています。従って,拷問の結果得られた自白調書のみに基づいて被告人を有罪とすることは許されていないのですが,これとて,「証拠はないが,こいつが真犯人に違いない」という捜査機関の「ヤマ勘」があたっていた場合には,「真犯人を取り逃がしてしまう」ことに繋がります。捜査機関の「ヤマ勘」があっている限りにおいて,「『盟神探湯』を行い被告人がやけどを負ったら有罪」というシステムだって,真犯人を処罰するシステムたり得ます。

 もっとも,それは「All or Nothing」の議論をすればそうだということであって,「真犯人であろうとなかろうと,捜査機関の筋書き通りに『自白』をしてしまう」システムが採用されている限りにおいては「自白調書」があることにより有罪に持ち込めるが,そのようなシステムが排除されてしまえば「自白調書」を作成することができず,このために有罪に持ち込めなくなってしまう被疑者が,実は真犯人である蓋然性がそれほど高いのかというと,それはそうでもないのではないかという気がします。そのようなシステムが排除されても,客観証拠のみで被告人を有罪に導ける場合も少なくありませんし,また,自分が真犯人であることを吐露して精神的に早く楽になりたいと思う被疑者も少なくないからです。その結果,そのようなシステムが採用されていれば有罪に持ち込めたはずだがそのようなシステムを排除してしまったがために有罪に持ち込めなかった人の中における真犯人の割合は,捜査機関の「ヤマ勘」の的中率よりも相当低くなることが予想されます。

 なお,取り調べの可視化を行うのであれば,司法取引を認めよ,とか,刑事免責を付与して獲得された供述を事実認定の証拠とすることを許容せよなどという意見が提出されることがあります。しかし,これらは,情報の非対称性・不完全性により,被疑者が真犯人であるか否かにかかわらず「罪を認める」動機を与えようというものに過ぎませんから,取り調べの可視化に対する交換条件としては不適格ではないかと思われます。もちろん,捜査機関側としては,常に「冤罪を生み出す余地」を残しておいた方が望ましいということかもしれませんが。

24/05/2009

ノーワーキング・リッチの真の味方は誰か。

 池田信夫さんが次のようなことを述べています。

民主党のマニフェストでは「地方主権」をうたっているが、本気でやるなら(道州などの)地方政府に国家主権を与え、すべての規制を独自に決める権限を与えてはどうだろうか。たとえば不況にあえいでいる北海道が為替レートを独自に設定すれば、たぶん円の半分ぐらいになり、解雇規制を撤廃して実効賃金を下げれば、中国と競争して工場を誘致できるかもしれない。

 このような政策が実現した場合に,どのような人が得をするのでしょうか。それは,既に相当の金融資産を抱え込んでいる人々でしょう。

 「大幅に賃金水準が低下し,それに伴い物価全体が大幅に下落した」将来の北海道に,円建てまたはドル建ての預金を抱え込んだまま移住してしまえば,これらに人々は,まさに「ノーワーキング・リッチ」な生活を謳歌できるということになります。

 日本全体で解雇規制を撤廃して実効賃金を引き下げたときにやはり得をするのは,既に資産形成が済んだ(一部の)中高年層または彼らの残した資産を相続により形成した新・貴族層だということが言えます。

 そういう意味では,池田さんこそがまさに「ノーワーキング・リッチ」の味方であるということができそうです。

23/05/2009

被疑者の取調べへの弁護人の立会い権限が認められることにより節約できるコスト

 誰にも制止されることなく被疑者に対してやりたい放題のことをする事実上の権限を捜査機関に与え,かつ,取調べの際に捜査機関が被疑者に対してどのような「働きかけ」を行ったのかを録音・録画するなどして客観的に証拠化することもしないことにより,その被疑者が実際に真犯人であるか否かにかかわらず,捜査官がその推測を被疑者による一人称形式で文章化した書類に署名・押印せざるを得ない状況を作り出した上で,そこに記載されている内容が自分の記憶内容と異なるということを被告人が主張した場合には,取調べの際に捜査機関が被疑者に対してどのような「働きかけ」を行ったのかについて,公開の法廷において,被告人及び担当取調官の証人尋問を行い,どちらの証言がより信用できるのかを裁判官に判断させる現行方式では,その証人尋問のために,裁判官,裁判員,書記官,廷吏,護送官,検察官,弁護人,被告人,当該捜査官等の時間が費消されることになります(さらに,検察官,弁護人,当該捜査官については,その証人尋問の準備のためにも相当の時間を費消するのが通常です。)。そして,それは,裁判官等の「人件費」という「経済的なコスト」に転換されていきます。また,虚偽内容の自白を強いられた被疑者がその自白調書に大いに依存した起訴をされて身柄を拘束され続けることの社会的なコストだって無視できません。そのことと比較したときに,捜査機関による被疑者の取調べに弁護人を立ち会わせることのコストというのはそれほど大きいといえるかどうか疑問です。

 また,捜査機関による被疑者の取調べへの弁護人の立会い権限が認められた場合に,被疑者公選の場合にも,実際に立ち会った弁護人に立会時間に応じた正当な報酬が支払われることは望ましいですが,「そのような報酬支払いが認められそうにないから,捜査機関による被疑者の取調べへの弁護人の立会い権限を認めるべきではない」というのはいわば本末転倒です。被疑者国公選制度が創設される見込みがなかった当時,「のような報酬支払いが認められそうにないから,捜査段階での弁護士による刑事弁護なんて非現実的なことは認めるべきではない」というのとパラレルな暴論です。実際には,捜査機関による被疑者の取調べへの弁護人の立会い権限を認めるべきではない私選弁護を選任できる被疑者だってそれなりに存在するわけですし(20日×5時間×2万円=200万円と模式的に計算してみるとして,その金額って,例えば裁判員対象事件で虚偽自白を強いられて起訴された場合の経済的損失と比べたら,多くの人にとって,十分に「ペイ」する金額です。また,捜査機関が資金力の乏しい人物をねらい打ちにして犯人に仕立て上げようとしている場合には,弁護士会として,複数の弁護人を委員会派遣することだって可能です。そういう意味では,裁判所が,「捜査段階で弁護人の立ち会い無しに被疑者の取調べが行われた場合,『真犯人でなければ自白しない』という環境が整っていないから,公判においてその証拠能力が争われた場合には,その自白調書に証拠能力は認めない」と判示してしまえば,捜査機関による被疑者の取り調べに立ち会えるように弁護士側が体制を組むことは,十分に可能でしょう。

 被疑者の取調べ段階における弁護人の立会権を含む「取調べの可視化」問題は,民主党が中心となってこれを実現するための刑事訴訟法改正法案を議員立法として提出し,自民党と公明党がこれに反対してこれを潰すということがこの数年繰り返されています(2007年以降は,「取り調べ可視化と全証拠リスト開示」を柱とし,「弁護人の立会権」を落とした改正案とすることで,自民党・公明党の理解を得ようとしているようですが,公明党は,そのような譲歩された提案にすら反対し続けているようです。)。永年権力を握っていた側からすると,「冤罪を生み出す余地」を残しておくことはそれなりに有益なのだろうと思ってしまいます。

22/05/2009

一人で200時間立ち会う必要はない

 捜査機関により被疑者の取調べに立ち会う権限を弁護士に与えよというのが日弁連の公式見解なので,これを荒唐無稽な要求であるかのように言いつのる弁護士というのも何だかなとは思いますが,日弁連は会員が異論を唱えることに寛大な組織ですし,いわゆる「ヤメ検」の中には「意識は未だ検察官」という方も少なくはないので,まあやむを得ないといったところでしょうか。

 ところで,矢部善朗・創価大学法科大学院教授は,そのブログのコメント欄の中で,次のように述べています。

 パブ弁!さんのように警察は何をするかわからないという認識を前提とし、また現在可能な接見では弁護人として被疑者の自供の任意性の有無を確認することが困難な場合が多いということであれば、「任意性が完全に担保されている」と言えるためには、全ての取り調べに立ち会ってその状況を認識している必要があると思われます(実は、警察不信を前提にすればこれでも十分ではありません。)

 パブ弁!さんは、20日間の勾留期間中の取り調べの全てに立ち会うことが可能ですか。

 「モトケンブログ」らしい「論理」展開だとは思いますが,一般的には「難癖」と表現しても良い類のものだと思います。

 まず,20日間の勾留期間中,毎日十数時間も被疑者を取り調べるということを捜査機関に認める必要はありません。もちろん,捜査機関の見込み通りと異なる供述を当初行う被疑者について何が何でも捜査機関の見込み通りの供述をさせようと思えば,捜査機関は同じ内容を(被疑者が自分たちの見込み通りの供述をするまで)何度も何度も繰り返すことになりますので,これでも時間は足りないかもしれませんが,捜査機関の見込みに被疑者の供述調書を無理にでもあわせるという手法自体が問題です。被疑事実やその周辺事情に関する被疑者の「認識」を問いただし,それを書面化するということに「取調べ」の機能を限定すれば,取調べに要する時間はそれほど長時間である必要はありません。

 また,被疑者弁護は,弁護人一人で行う必要はありません。むしろ,複数人で行う体制を早期に組むことが望まれます。複数人で弁護団を組めば,一人あたりの時間的な負担は当然のことながら少なくなります。また,被疑者公選及び国選弁護人の報酬水準が,それを専業で行ったとしても事務所の維持費用を捻出した上でなおも同世代の大卒男子の平均所得程度の所得水準を確保できる程度にまで引き上げられれば,刑事弁護専業の弁護士が被疑者の事情聴取に立ち会うことは何ら「負担」ではなくなります。「国からの受注をフルにこなしていたら事業所を維持できない」という不自然な現状を改善の見込みのない所与の前提としてしまうのはいかがなものかと思います。

 もちろん,このあたりは費用対効果をどう捉えるのかという問題であり,「間違った見込み捜査にあわせて虚偽自白を強いられて,無実の罪で死刑にされたり長期にわたり身体の自由を奪われる羽目に陥ったりして人生をぼろぼろにされる人の割合は全体からすればごく少数なので,その人たちには「運が悪かった」と諦めてもらうことにして,これまで通り「とても安上がりの司法」を維持していこう」という考え方もあり得なくはないでしょう。ある種の保険だと思って,被疑者公選及び国選弁護専業の弁護士が存続しうる程度にその報酬水準を引き上げて,被疑者取り調べにフルに立ち会えるようにした方がよいと私は思いますが。

21/05/2009

「真相」は「被疑者=真犯人」とは限らない

 矢部善朗創価大学法科大学院教授のブログのコメント欄で、「感熱紙(刑事)」さんが次のように述べているようです。

弁護人の立会により得られるものが、単に被疑者の防御権の拡大でしかなく、事件の真相究明に何ら寄与する事がないからですよ。
何か勘違いをされているようですが、取調べの一部あるいは全部の録画が取調べの任意性や正当性の担保となりうるのは、任意性の有無の判断が裁判官によって為されるからなのです。
どれだけ綺麗事を並べ立て捜査機関を非難しようとも、被疑者被告人の代理人たる弁護人に、「取調べの任意性の有無」を判断するに必要な公正中立な視点があるとは認められないでしょう。

 しかし、捜査官のヤマ勘に沿った自白が得られてしまうと、捜査官としては、その被疑者以外の者が真犯人であることを前提とする捜査を打ち切る等してしまう蓋然性が高いので、被疑者が捜査段階で意に沿わない自白をしないようなシステムを採用することは、消極的な意味で事件の真相究明に寄与することになります。

 また、取調べに弁護人が立ち会うことにより、捜査官が有している疑問点が弁護人に正しく伝われば、この疑問を解消するのに有益な資料を弁護人が収集して捜査官に提出することだってあり得るわけです。

 もちろん、取調べ状況の可視化により任意性を欠く自白調書の証拠能力が否定され、被告人に無罪判決が下されれば、その被告人が無実であるという限度での真相はある程度明らかにされるわけですが、多くの場合、その段階で改めて真犯人を追及することは困難です。

 捜査側の方々がとかく結論ありきで、自分たちのヤマ勘に沿ったストーリーを基礎づける資料(自白調書を含む。)のみを「真相究明」と評価しがちですが、そのヤマ勘の間違いに気がつくこともまた「真相究明」なのです。

【追記】

 同じエントリーについてのコメント欄で、矢部教授は次のように述べています。

>必要に応じて被疑者に助言をし、又は相談を受けることに加えて、捜査官による違法な取調べがなされないように監視することになります
 あなたの考え方によれば、被疑者が被疑事実を認めそうになったら直ちに制止することになるのでしょうね。
 そして、自白調書には絶対署名させない、ということになりますよね。

 捜査機関による被疑者の取調べについて弁護人の立会い権を認めよという見解を述べる人は少なくありませんし、実際そのような権限が認められている国もあるわけですが、では、弁護士立会いの下で行われた取調べにおいて被疑者が自白を始めた際に、矢部教授がいうような行動を弁護人がとることが当然に予定されているのか、あるいは、実際に弁護人は概ねそのような行動をとっているのかというと、そうではないように思われます。もちろん、接見の段階では「自分はやっていない」と自分に語っていた被疑者が突然犯行を自白しはじめた場合に、あるいは捜査官に一旦席を外してもらいながら、その真意を確認することはあるかも知れませんが、その結果、真に悔悟の念から、あるいは、これ以上は言い逃れできないと覚悟した等の理由で、犯行を自白する意思が明らかになったときは、弁護人として、これに特に反対する理由はないので、その場合には、その自白調書の正確性に問題がなければ、被疑者がこれに署名することを絶対に阻止するようなことを弁護人はしないであろうと予想されます。

OECDの名誉

 池田さんは,アゴラでのエントリーで次のように述べています。

したがって経済政策としては、正社員と非正社員の格差を是正するには、解雇規制を緩和(特に整理解雇規制を撤廃)して労働市場を柔軟にすることが望ましいというのが、OECDの勧告やNIRAの緊急提言などに共通の結論です。この点について、経済学者の中ではあまり論争はありません。

 OECDの勧告をざっと読んだ感想として,「整理解雇規制を撤廃」にあたる部分はなかったように思うのですが,OECDはヨーロッパ諸国でも実現していないことを日本に勧告するようになったのでしょうか。

 なお,ヨーロッパでの整理解雇に関しては,世界的なビッグローファームであるフレッシュフィールズがこんな解説文書(PDF)を出しているようです。

too rough

 池田さんの解雇権についての一連のご発言を拝見して感ずるのは,論理が粗すぎるということです。

 整理解雇規制が「厳しすぎる」ことが問題だというのであれば,現行法(裁判所における現行の運用を含む。)では無効とされる可能性が高い整理解雇のうちどのようなものについてはこれを有効とするのが望ましく,どのようなものについては依然としてこれを無効としておいて構わないのか,どのようなものについては依然としてこれを無効としておくことが望ましいのかをまず具体的に抽出して提示することから始めるべきなのです。どこを変え,どこを変えないかについて概ねコンセンサスができたときに,それを実現するために,大きすぎず,小さすぎない手法として何を選択するのかを検討することが初めて可能となります。そういう知的な作業をとばして,運用面での一部の不都合を針小棒大に取り上げて根本ルール自体の変革を求める議論が好ましくないことは,明らかです。

 そうやって分析的に考慮していくと,おそらく解雇権濫用法理自体,あるいは整理解雇規制自体を廃止しろという結論には達しないのが普通だと思うのです。「整理解雇の4要件」というミドルレンジのサブルールですら,極めて当たり前のことをいっていますから。実際の争点は,更にそのサブルールをどうするのかという問題です。それは,判例の推移を見守るのが吉だと思いますが,どうしても裁判所を信頼できないのであれば,整理解雇の4要件自体を,どうしても改廃したいサブルールを織り込んだ形で明文化していくのが常道だとは思います。それにしても,どこを変え,どこを変えないかについて,労働者を含めた広範なコンセンサスを得ることが必要となります。

 でも,自分の考えに従わない人間をちゃんとした名前で呼ぶことができない人にそのようなコンセンサス作りは難しいような気がします。

20/05/2009

太陽が眩しかったことを理由とする解雇

 池田信夫さんが、解雇権濫用の法理と整理解雇の制限について、そのブログのコメント欄で何か言っているようです。

 いずれにせよ、

しかし判例を撤廃することは不可能なので、労働基準法を改正して解雇自由の原則を明記し、解雇できない条件を具体的に列挙して、判例で過剰保護が行なわれないようにすべきだ、というのが私の(というか多くの労働経済学者の)意見です。

とのことですが、立法技法からすると、上記のようなご意見はおそらく尤も稚拙なものといわざるをえないでしょう。すなわち、このような方針で立法を行う場合、「このような理由に基づく解雇は社会通念上許されない」と立法府が考えるものを、発生頻度の多寡を問わず、大量に列挙することが必要となりますし、それだけのことをしてみたところで、会社側としては、具体的に列挙されている事由にあてはまらない事由を名目にしてしまえば、自由に特定の労働者を狙い撃ちで解雇することができることになるからです。もちろん、労働者の側で会社の真の狙いを立証できれば解雇が無効になることはあり得るのでしょうが、その立証責任を労働者側に負わせるのは極めて酷な結果を生み出しかねません。

 例えば、「太陽が眩しかったので、君を解雇することにした。予告手当は支払うので、明日から出社するに及ばない。今すぐ、荷物をまとめて出て行き給え」ということに備えて、解雇できない条件として「太陽光が眩しかったことを理由とする解雇」を列挙事項の中に加えるというのは、立法論としてはどうかと思ったりするのです。

 すると、結局、「合理性」等の抽象的な基準を導入せざるを得ないし、そうすると、整理解雇については従前の基準で運用されることになろうと思われます(裁判所は、従業員を解雇することによって浮いた経費を、役員報酬や株式配当に回すことは、やはり「不合理」と考えるでしょう。)。

19/05/2009

他人にデータを渡すとき

 他人(官公署を含む。)にデータを渡す必要があり、かつ、先方の都合で電子メールでってわけにいかない場合、現時点では、媒体として何を用いるのがベストなのでしょうか。

 もはやフロッピーってことはないと思いますが(容量は少ないし、Mac系だともはやドライブが標準装備ではない(というか外付けにするしかない。)ですので。)、CD-Rに焼き付けるか、USBメモリに入れるか、SDカードに記録するか、いつも悩ましいところです。

18/05/2009

「フェアユースは本当にフェアか!?」シンポ

 本来本館ネタですが、池田さんのお陰でこちらのアクセス数が最近多いので、こちらでも広報しておきましょう。



 私も所属しているエンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワークで、「フェアユースは本当にフェアか!? −フェアユースが著作権にもたらす論点分析—」というお題でシンポジウムを5月30日に開催するとのことです。

 基調報告が、モリソン・フォースターの古島ひろみ弁護士と、文化庁の川瀬真さん、パネリストが、上野達弘・立教大学准教授、
菅原瑞夫・社団法人日本音楽著作権協会常務理事、田村善之・北海道大学教授、丸橋透・ニフティ株式会社法務部長、三田誠広・社団法人日本文藝協会副理事長、ということで、「こちら側」がいないことを除けば、豪勢な布陣ではあります。

 これだけの陣営を揃え、かつ、シンポジウム終了後懇親会まで開くのに、何と参加費が無料です(同じ日に行われる「アゴラ」のシンポとは、大違いです。)。

 伝統的に、知財系は、懇親会等では「あちら側」も「こちら側」も紳士的に交流するのが常ですので、フェアユース問題に関心のある方は参加してみては如何でしょうか。

気持ちの悪さを醸し出すもの

 小宇宙系ブログが気持ちの悪いものになっていくことについての、いわゆる「与党側常連コメンテーター」の貢献というのは大きいようです。

 ネガティブコメンテーターに付きまとわれる以上に、気持ちの悪いポジティブ常連コメンテーターに取り込まれる方が。ブログ主の信用に対するダメージは大きいような気がします。前者の場合、ブログ主はむしろ被害者と認識されるのに対し、後者の場合、ブログ主は、それら気持ちの悪い人たちと親和性の高い存在と認識されがちだからです。

 実際、そうである場合も少なくないとは思うのですが。

16/05/2009

脅迫されて仕方なくした約束を遵守しないことはそんなに非難されることか

 日本の刑事訴訟法では,起訴前の保釈という制度はなく,保釈は起訴後に申請されることになります。ただ,この段階では,当該被告人についての公判を担当する裁判官は,起訴状以外の資料を見ることができないので,保釈の可否は別の裁判官がこれを決定することになります。

 で,日本の裁判実務では,多くの場合,保釈のために面接に訪れた弁護人に対し,公判では起訴事実を全部認めるのか,供述証拠を全部同意するのかを尋ね,これらを全部約束しないと保釈決定をしないという運用が行われます。要するに,「早く自由になりたければ,つべこべ言うな」ということです。

 起訴事実を争うからといって罪証隠滅の虞があるとは直ちにいえないし,供述証拠を不同意とするということはその供述者に対し反対尋問をしたいということに過ぎないのでそれも罪証隠滅の虞とは関係がありません。従って,弁護人にこのようなことを尋ね,それについての回答を保釈決定をするか否かの重要な判断要素とすること自体が本来許されないことであり,このような運用自体が「人質司法」を構成しています。

 このような違法な運用を肯定した上で,「保釈面接の際には,『起訴事実は争わず,供述証拠も全部同意する予定だ』と回答して保釈決定を受けておきながら,公判においてその約束を守らない弁護人を非難する弁護士ないし法科大学院教授(刑事法担当)がおられるようですが,身柄を解放するかそのまま拘束し続けるかを決定しうる立場にあることを奇貨として,『起訴事実は争わず,供述証拠も全部同意する」ことを約束させること自体が違法なのですから,そのような違法状態で強いられた「約束」を遵守しないことを非難するのはいかがなものかという気がします。

15/05/2009

民法上の「雇用」に関する解雇ルール

 雇用契約に関して,解雇権濫用の法理を適用することを法律で禁止するとどうなるでしょうか。

 特別ルールの適用がなくなるわけですから,民法上の「雇用」に関する規定が適用されることになります。

(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)

第六百二十七条  当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。

2  期間によって報酬を定めた場合には、解約の申入れは、次期以後についてすることができる。ただし、その解約の申入れは、当期の前半にしなければならない。

3  六箇月以上の期間によって報酬を定めた場合には、前項の解約の申入れは、三箇月前にしなければならない。

(やむを得ない事由による雇用の解除)

第六百二十八条  当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う。

ということなので,「セクハラの責任を追及したのが怪しからん」だの「MLでの投稿内容が怪しからん」だの,「あいつの息子は,俺の息子が落ちた中学に合格した,許せん」だの,いかなる理由であれ,雇用者はいつでも雇用契約について解約の申し入れができるということになり,解約の申入れの日から二週間を経過すると雇用契約は終了するということになります。

 整理解雇の制限が解雇権濫用の法理の一態様であることは普通の労働法の教科書を読めば普通に書いてあることであり,解雇権濫用法理が労働契約法16条という形態で明文化されている今,(現行法に対応している教科書であれば)整理解雇の制限は労働契約法16条の解釈として論じられています。

 現行の法制度を批判する場合は,現行法がどのような組み立てとなっているのかについて,その分野について法律学者によって書かれた定評のある教科書を読んで確認するくらいのことは,他分野の研究者にも望みたいところです。

14/05/2009

ラーメン屋を開業するにしても労働法の知識は必要

 労働基準法第18条の2(現:労働契約法第16条)が制定されるまでは、民法上の「雇用」に関する解約申入れ自由の原則(627条)を制限する規定を労働基準法は置いていなかったので、条文を文理解釈する限りにおいては、解雇は自由でした。しかし、それはあまりに正義に反するので、裁判所は、解雇権濫用の法理を編み出してこれを発展させ、昭和50年の日本食塩製造事件最高裁判決でこれが判例となりました。

 解雇権の行使が客観的に合理的と認められる場合として裁判例において概ね認められているのは、次の4つの場合です。

  1.  労働者の労務提供の不能や労働能力または適格性の欠如喪失
  2.  労働者の規律違反の行為
  3.  経営上の必要性に基づく理由
  4.  ユニオン・ショップ協定に基づく組合の解雇要求
です(以上、菅野和夫「労働法[第7版]」421〜422頁)。

 この3の理由の一つに含まれるのが「経営不振による人員整理のための解雇」、いわゆる「整理解雇」です。

 整理解雇が合理的か否かを判断するにあたって、裁判所は、次の4つの事項に着目されてきたといわれています。これが、一般に「整理解雇の4要件」といわれているものです(菅野・前掲429〜430頁)。

  1.  人員削減の必要性
  2.  人員削減の手段として整理解雇(指名解雇)を選択することの必要性
  3.  被解雇者選定の妥当性
  4.  手続の妥当性

 そして、多くの裁判例では、上記の「人員削減の必要性」について、「当該人員削減措置を実施しなければ当該企業が『倒産必至』の状況にあること」までは必要ではなく、「高度の経営上の困難から当該措置が要請されるという程度で足りる」としており、「結論として大部分の事件ではその要件の具備を認めている」とされています(菅野・前掲430頁)。

 さらに、近時の裁判例は、上記4つの要件を全て具備しなければ解雇が認められないというのではなく、上記4つの要素に関する諸事情を総合考慮して、当該解雇の合理性を判断しているとされています(菅野・前掲430〜432頁)。

 なお、池田さんはそのブログのコメント欄で、

嘘つき弁護士は、解雇規制を撤廃したら「不当解雇が野放しになる」などといっているが、これは「解雇権濫用」と「整理解雇」を混同するものです。私のケースは、国際大学の教授会で発令された辞令を公文が「存在しない」といって裁判所に否定されたので、純然たる契約上の不備です。
OECDやNIRAの報告が問題にしているのは、そういう「不当解雇」ではなく、企業の経営が苦しくなったとき解雇する条件が非常にきびしい「整理解雇」です。契約上の問題がなくても企業がつぶれるまで解雇できないという判例が、企業の雇用コストを高めて過少雇用をもたらしているのです。これを混同して「セクハラを追及したら解雇されるようになる」などと主張するのが弁護士なんだから救いがたい。

と述べています。

 まず、前段に関していえば、整理解雇の制限も解雇権濫用規制の一環という位置づけがなされていますので、 「『解雇権濫用』と『整理解雇』を混同するもの」という論理自体がおかしいと言えます。「整理解雇」の自由に行えるようにするために、現労働契約法第16条の規定を改定して、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合であっても、その権利を濫用したものとして無効としてはならない」という風にしてしまえば、「セクハラを追及したから解雇された」という例でも、これを無効とすることはできなくなります。

 また、「契約上の問題がなくても」というのが何をいいたいのかは分かりませんが、整理解雇に関する判例が「企業がつぶれるまで解雇できない」というものであるとの点は事実に反します。

 雇用について何か語りたかったら、現行の法規制が運用面を含めてどうなっているのか、労働法に関する定評のある書籍をまず読めばいいのに、という気がしてなりません。

自分に甘く、他人に厳しい

 人間誰しも「自分に甘く、他人に厳しい」ものですが、それが激しすぎる人っていうのは、如何なものかなあと思わなくはありません。

実務感覚として

 実務感覚という点でいうと,草なぎさんの例の事件で,「自分が受任したら無罪主張していく」という弁護士の方がいかがなものかという気がします。

 「公園で全裸になったとの事実自体捏造だ」というのであれば話は変わってきますが,実際に行った行為は「犯罪かどうか」という以前に「いかがなものか」と思わせる行為であり,それでいて前科前歴がなければおそらく起訴猶予であろうということが見込まれるときに,公判請求がなされるリスクを負ってまで「嫌疑無し」での不起訴を勝ち取るに行くというのは,ハイリスク・ローリターンだからです。起訴されてしまうと,第一審で無罪判決が無事出るまでは,芸能人としては活動自粛に追い込まれる危険が高いし,そこの法解釈で無罪となっても,アイドルとしての復帰は難しくなりそうです。

 もちろん,「萎縮効果」を防ぐために,争わなければ起訴猶予が見え見えでも争わなければならない事案というのもあるとは思いますが,わいせつな意図がない場合に「公園で全裸になる権利」を警察権力が妨げるのは怪しからん,みたいなアナーキーなことをいってみても始まらないように思います。泥酔ということで保護するのは構わないが逮捕するのは怪しからんという人は,しらふで同じことをする人が現れた場合,警察はそれを放置すべしという結論になるのだろうと思いますが,それはそれではた迷惑な話だし,そういうものを取り締まるためにも公然わいせつ罪は存在するのではないかという疑問をぬぐうことはできません。

ラーメンといえば

 古い世代の人にとって,「ラーメン」という言葉から発想されるのは多分に「小池さん」だったのですが,これからの労働問題に関心を持つネットワーカーは,同じ「池」でも,「池田さん」を発想するようになるかもしれません。

 池田信夫さんが今度また解雇された通告を受けたときには裁判を提起してこれに抵抗したり、研究者として大学や研究機関へ就職をしたりするのではなくおいしいラーメン屋となる道を選ぶとか,あるいは,ご自身が「中高年正社員」である(?)池田さんが現在のポストを若手研究者に譲って自分はおいしいラーメン屋として起業するという話ならどうぞご自由に,としかいいようがないのですが,正社員に対する保護が手厚すぎるので正社員をやめておいしいラーメン屋として起業する人が出てこないのが問題だから解雇規制を撤廃せよみたいな話になると,それは立派に余計なお世話だとしかいいようがないように思ったりします。

 まして,合理的な理由なくして解雇されてもおいしいラーメン屋として起業する道があるからいいではないかといわれてしまうと,「おいしいラーメン屋は一日にしてならず」なので,そう簡単にはいかないんですよといわざるを得ないのですが,新自由主義者の方々って,業種を変更することのコストを過小に見積もる傾向があるので,それが的外れな意見だとは本当に思っていないかもしれません。

【訂正】

 GLOCOMから解雇通告を受けたが、その後裁判を起こした結果、和解により自主的に退社するまでの地位が認められたのだから「解雇された」との事実はないとのクレームを受けています。「解雇通告を受ける」ことを短く「解雇される」と表現することが名誉毀損に値するほどの間違いだとは思わないのですが、より詳細な記述をお望みのようなので、一部表現を訂正しました。

 なお、池田さんのブログでは、「その後、グローコムは所長も副所長も不在のまま解散状態になり、現在に至っている。」との記述がありますが、こちらを見ますと、2008年4月1日現在ということで宮原明さんがGLOCOMの所長として表示されていますし、その後もいろいろな活動をしていてとても解散状態にあるようには見えません。名誉毀損というのは、そういうことを言うのではないでしょうか。

 なお、あくまで一般論ですが、問題社員に解雇通知をしたところ、訴訟を提起され、結局、解雇通知を撤回しその間の給料は支払うものの、自主退社という形でやめてもらえるという和解を引き出せたのであれば、会社側としては御の字ではないかと思わなくはありません。これはこれで、人件費を節約するための解雇とは、会社側の目標が異なりますから。

12/05/2009

自己のポリシーに沿わないコメントは全て公開しないという方針?

 矢部善朗創価大学法科大学院教授が、そのブログのコメント欄で、次のように述べているようです。

 小倉弁護士のように、自己のポリシーに沿わないコメントは全て公開しないという方針をとるならば、どのような意見も「まかり通る」ということはないと思いますが、このブログにおいては、小倉弁護士の言う意味においては、全ての意見がまかり通ります。

 「印象操作」に造詣が深い矢部教授らしい表現だと思います。私のコメント欄の管理については、こちらに記載しているとおりです。内容面を問題としているのではなく、形式面を問題としています。私は、「どれがなりすましでしょう」当てゲームに参加しているほどの暇はないものですから。もちろん、私のように実名のトレーサビリティを重視する運用を行っていると、矢部教授のブログのコメント欄にしばしば見られるような(その発言者が自分だと知られると恥ずかしい)コメントは、表示される形では投稿されないとは思います。

「(大して実行のない)イヤミ」?

 ある小宇宙では、科捜研が検体資料を全て使い切って行った鑑定結果の信用性を弁護人が問題視することを、「(大して実行のない)イヤミ」だという意見がまかり通っているようです。

 しかし、再検証の可能性がないデータの信用性を問題視するというのは、一般には「イヤミ」以上の意味があるものです。(検体を全量費消することで)再検証の可能性を封じたデータが高い証拠価値を有するということになれば、捜査機関は、これぞという人物を罪に陥れるために、データをねつ造した鑑定報告書を作成することが可能となります(覚醒剤を服用した人物の尿検査の結果概ねどのような数値となるのかは捜査機関にいれば分かっているので、データをねつ造した鑑定報告書を作成することは難しいことではありません。)。再検証の可能性がないデータに証拠能力を与え、さらに高度の信用性をそこに見るとき、捜査機関にデータねつ造の誘惑を与えることになります。

 従って、再検証可能な程度に検体を保存しておくという実務運用がなされるようになった場合、そのようなデータねつ造を行えば後の再検証によりそれが明るみに晒されるリスクを負うわけですから、データねつ造を行って被疑者を罪に陥れてやれという誘惑は軽減されるわけです。そのような威嚇効果だけだって十分に意味があります(それは、取調べの全面録音録画問題と共通している話です。取調べ状況を全面的に録音したからと行って、現在の国選報酬でそれを全部視聴していたら完全に赤字ですから、全ての弁護士が録音された取り調べ状況を全部視聴するかといえば多分に疑問ですが、不当な誘導や脅迫を取り調べ過程で行えばそのことが公にされる危険があるというだけで、それらの行為をしないようにしようという方向に働くわけで、それ自体に有効性があるということができます。)。さらにいえば、再検証可能な程度に検体を残しておけば、過失によって科捜研が鑑定ミスを犯したときに、再検証を行うことによって、被告人を無実の罪で処罰する危険を軽減することだってできるわけです。

 そういう意味では、再検証可能な程度に尿検査の検体を保存しておくということのために一定の予算を用いることは、「弁護士に(大して実行の無い)イヤミを言わせないだけが目的の負担」(by MultiSyncさん)とはいえないということになります。

10/05/2009

「『就職氷河期』世代の非正規社員」問題を単なる「錦の御旗」として掲げる人々

 既に見てきたとおり,法律上の解雇規制があっても,景気回復期において企業は大量の新卒者を正社員として雇用してきたし,また,多くの非新卒者についても正社員として採用してきたわけです(なにしろ,前職正社員の場合,7割以上が正社員として採用されています。)。他方,いわゆる「就職氷河期」のときに正社員として採用されずその後も長らく正社員として採用されなかった人々は,ここ数年の景気回復期においても,なかなか正社員として採用されなかっらということが事実としてあり,景気後退期に突入した際には,非正規社員から先に解雇していくというルールの下,「就職氷河期」世代の非正規社員らが大量に解雇されることになったわけです。

 従って,「就職氷河期」のときに正社員として採用されずその後も長らく正社員として採用されなかった人々を中長期的に救済する方策を模索するにあたっては,企業は,新卒者や前正社員を正社員として採用したのに,なぜ「就職氷河期」世代の非正規社員らを正社員として採用しなかったのか,ということを研究していかなければなりません。そのように考えてみると,法律上の解雇規制を撤廃したところで,企業が新卒一括採用をやめて「就職氷河期」世代の非正規社員らを正社員として雇用するようになるとか,正社員を気軽に解雇して空いた分を「就職氷河期」世代の非正規社員らをもって補充するとかというストーリーはほぼ期待薄であることが容易に想像可能です。多くの実務法曹は,「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなスキームには非常にネガティブなので,「手の見えない神真理教」の信者とは見解があわないことが多いようです。

 もちろん,「手の見えない神真理教」を唱道している人々がみな,「正社員に対する解雇規制を撤廃すれば,「就職氷河期」世代の非正規社員らが普通に家庭を持てる程度の処遇を得られるようになる」と本気で考えているのかというと多分に疑問だったりはします。所詮は,ある種の人々に対する憎悪ないし嫉妬に基づく行動を正当化するためのある種の「錦の御旗」として,「『就職氷河期』世代の非正規社員」が利用されているに過ぎないようにも見えます。「『就職氷河期』世代の非正規社員」の処遇の改善」が,例えば正社員の処遇を悪化させる提案を正当化し,これに対する批判を封じ込める文脈でのみなされている場合,まず間違いないといえるでしょう。

 「就職氷河期」世代の非正規社員らの不遇を「世代間闘争」のせいにして,「階級間闘争」という面をなかったものにしようとしている人々には注意した方がよいでしょう。「世代間闘争」を問題視するのであれば,旧世代が「墓場まで持って逃げた」財産はなるべく「相続税」という形でいったん国庫に集めて,「就職氷河期」世代の非正規社員らの待遇改善等に用いるように主張しているはずですが,「階級間闘争」から目を背けさせるために「世代間闘争」を煽っている人々は,そんなことは口にしないか,下手をすると,むしろ「相続税」の廃止や減税を主張して,これが「就職氷河期」世代の非正規社員らの待遇改善等に用いられることを拒否する傾向にあります(なお,相続税と起業のインセンティブとの関係については,小飼さんや堀江さんなどの起業により一代で財をなした人がむしろ相続税の100%化を主張されていることなどから,推して図るべしです。)。

09/05/2009

そんな設備に投資する企業

 「労働力調査詳細集計(速報)平成20年平均結果の概要」によれば,結婚・出産に伴う自発的な正規労働→非正規労働という移転がさほどない男子労働者について言えば,15〜24歳(在学中の者を除く)ですら,非正規社員の割合は28.6%,いわゆる氷河期世代を含む25〜34歳で14.2%ということで,この世代すら正規社員が圧倒的です。いわゆる「終身雇用」,すなわち,法律上解雇制限のある期限の定めのない雇用の恩恵を被っているのがごく僅かしかいないかのような誤った情報を近時繰り返し流している方もいるようですが,その方の統計の読み方というのはとても特殊ですので,真に受けない方がよいでしょう。

 なお,「労働力調査詳細集計(速報)平成20年平均結果の概要」の第9表によれば,「正社員→正社員」の転職は平成16年以降も一貫して7割を超えているのに対し,「派遣・契約社員等→正社員」の転職は平成17年の約44%をピークに急激に下落し平成20年で28%になっていることがわかります。このことからすると,正社員についての解雇制限を撤廃すると,現在正社員の地位にある者が解雇されて,その分現在派遣・契約社員の地位にある者がこれに置き換わって期限の定めのない直接雇用を受けられるようになるのかというと,それはなおも少数にとどまるように思われます。それは,新卒とは別に即戦力を欲して正社員の中途採用を行う企業にとって,正社員としての教育を受けていない人材を敢えて正社員として中途採用するインセンティブがさほど生じないからではないかと思われます。そういう意味では,正社員についての解雇制限を緩和して経営者が正社員を恣意的に解雇できるようになれば,正社員経験がないまま30代に突入してしまった人々が,現在正社員の地位に収まっている人々に代わって正社員として採用されるようになるのかといえば,それは期待薄であるというべきでしょう。

 池田信夫さんは,

NHKの番組では「物への投資から人への投資へ」と言っているが、日本で人的資本への投資をさまたげているのは、そのリスクをヘッジする手段がないことだ。企業が設備投資するとき、その設備が使い物にならないとわかっても転売不可能で、40年近く使わなければならず、運用コストが4億円以上になるとすると、そんな設備に投資する企業はないだろう。正社員は、そういうハイリスクの投資なのだ。

等と言っているようですが,1年平均1000万円ってなんてNHK!っていう点はともかくとしても,実際には多くの企業が,経営状態が好転すると,新卒採用を増やすところからも,池田さんの見立ては実際に合致していないことがわかります。実際昨年までの企業の新卒採用意欲は相当なものでしたし,平成21年2月16日の予算委員会公聴会にて株式会社リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫氏は,

 一方、このような厳しい雇用情勢の中で、前回のバブルのときとはちょっと違った動きもございます。その代表的な動きが新卒採用でございます。新卒採用については、このような雇用調整の中にあって、比較的手がたい動きをしております。

 これは、昨年末調査したところによりますと、約半数の企業が、景気の明らかな後退期にあるけれども、新卒採用の数は変えないという回答をしております。これは、実際にかなり多くの会社に直接そのニュアンスについて質問をしてみましたけれども、各社、役員会で随分議論を続けておりまして、バブル崩壊直後にしばらく新卒採用の抑制を行っておりましたが、そのときに組織構造のゆがみがかなりでき上がってしまって、しかも下が入ってこないということで、その上の層の人材育成といいますか、成長に大きな禍根を残してきた。そのことに対する企業の中における反省がかなり行われておりまして、新卒採用については手をつけたくないという気持ちが現在のところ強く働いているようでございます。

 ただ、その後、年度末に向けて利益の下方修正などが行われておりまして、大分そのニュアンスは変わってきているのではないかというふうに感じておりますが、今月、再度改めて当初の予定に変更はないかというふうに聞いたところ、下方修正をするという企業は七%程度ございました。逆に言うと、七%程度ですので、来年春に卒業する新卒の採用については、マスコミで巷間言われているような就職氷河期の再来というほどの落ち込みにはならないだろう、こういう見方を私は持っております。

と答えており,経営状態が許せば新卒採用をしていきたい,池田さんの言葉を借りるならば,「そんな設備に投資」していきたいという企業は相当多いと言うことになろうかと思います。

08/05/2009

「隣の葡萄はきっと酸っぱい。だから全部引っこ抜いてしまえ。」みたいな

 池田信夫さんがそのブログのコメント欄で次のようなことを述べています。

なお「日本でも短期雇用はある」とかいう法律論(笑)を持ち出す無知な弁護士もいるようですが、労働実務を勉強してみろ。この記事で書いているのは、いうまでもなく通常の正社員(無期雇用)の話。NIRAの報告書も書いているように、正社員の雇用保護が強すぎるため、有期雇用でまともな人材が採用できない。その労働需要が非正社員にオーバーフローしているのです。それも規制されると、今後は海外にオーバーフローするでしょう。こういう「正義の味方」の顔をして規制強化を求める連中が、非正社員をさらに悲惨な失業状態に追い込むのです。

 遙か昔にNHKに在職していた時期にいくつかの労働現場を取材したことがある程度で,企業法務系の弁護士として当然労務系の相談も日頃より受けている実務法曹より,労働実務を勉強したつもりになっているのでしょうか?

 恣意的に解雇されない長期雇用を受けるメリットは労働者にとっては相当大きい以上,そのような雇用を提供する企業の方が人材を確保する面において優位に立つのは当然のことです。短期雇用しか提供したくないのであれば,人材を確保する上で劣位に立つのは当然です。そして,恣意的に解雇されない権利が確立されている長期雇用を提供している企業と,長期雇用を謳ってはいるが経営者がいつでも恣意的に解雇する権利を留保している企業があるときに,前者の方が人材を確保する上で優位に立つことは当然のことです。そもそも,有期雇用にせよ,非正規労働にせよ,基本的に,有能な人材を採用するためのスキームではありません。安定面で劣位に立たせる以上,優秀な人材を引きつけようと思ったら,報酬その他で魅力を高める必要があり,却ってコストパフォーマンスが悪いです。

 従業員を自己都合に合わせて使い捨てにするような企業でも人材を確保する上で劣位に立つことがないように,「法的に保護された長期雇用」という雇用形態をなきものにするという提案って,なんだかブラックな企業の方に顔を向けすぎているように思わなくはありません。

普通に経済学の教科書を読んだのでは

 池田信夫さんが次のように述べています。

この記事では面倒なので書かなかったけど、ここでいう複数均衡は、厳密にいうと二つのポートフォリオ(混合戦略)がナッシュ均衡になっている状態です。1では長期雇用から有期雇用までのオプションがあるのに対して、2では(規制と判例によって)全員が長期雇用という組み合わせしかないので、コーナー解になってしまう。

http://agora-web.jp/archives/599359.html

解雇規制をやめても横並び意識があるかぎり、どんどん解雇が起こることはありえない。特に中核の社員については、ほとんど変わらないでしょう。変わるのは、ブルーカラーの雇用形態が多様化することです。これは政府が強制なんかしなくても、経済合理的であればそういう均衡に近づいてゆく。意味不明なことを書いている某弁護士は、ナッシュ均衡という概念を理解していない。ウィキペディアの読みかじりで変なことを書かないで、経済学の教科書をちゃんと読んでみろ。


 普通に経済学の教科書を読むと,池田さんとは異なる理解に達してしまいます。池田さんが,クルーグマンやスティグリッツを超えるような経済学の体系書を書かないと,「経済学の教科書を読んでしまうと,池田さんの唱える主張に納得できなくなる」という状態が継続されることになりそうです。

 それはともかくとして,労働問題について言及するにあたっては,労働法の教科書くらいお読みになった方がいいのではないかと思います。現行労働法でも,短期雇用というオプションは認められているのであって,「全員が長期雇用という組み合わせしかない」わけではありません。ただ,短期雇用の場合はその雇用期限が到来するまで,長期雇用の場合は「定年」に達するまで,雇用が継続されると期待することは合理的なので,この合理的期待を安易に裏切ってはならないということで,解雇規制が設けられているに過ぎません。もちろん,実際には長期雇用を予定しているにもかかわらず形式的には短期雇用とその連続的更新という形態がとられている場合に,更新の拒絶(雇止め)を,実質的には長期雇用の途中解除として制約することはあるにせよ,そういった脱法行為的なものでない限り,一定の事業の完了に必要な期間を定めるものや3年以内の短期雇用は普通に認められています。だから,長期契約の有する効用よりもとにかく低賃金であることが望ましいという部門には現行法の下でも短期雇用の従業員をあてることができます。

 なお,長期雇用契約においては法律上の解雇制限があるということは,実は,労働者を長期雇用する企業にとってもメリットがあります。「長期雇用契約を結んでも,企業はいつでもこれを保護にして恣意的に労働者を解雇することができる」ということでは,「この企業は十分を長期雇用してくれているのだ」との信頼を従業員にもってもらえなくなるので,長期雇用がもたらす効用が十分に得られなくなります(いつでも恣意的に企業から解雇される場合,当該企業が長期的に成長することは従業員にとって大きな意味を持たず,それよりその企業にいる間にできるだけ多くの富をそこで得るか,または次の企業に雇用される際の自己の商品価値をできるだけ高めるための行動をとることが最優先の課題となります。)。法律上解雇制限がなされることにより,長期雇用の雇用者にとっての効用も従前となっていくのです。従って,一部の製造業者の経営者の近視眼的な利害に振り回されて解雇制限を廃止して長期雇用に対する労働者の信頼を破壊してしまうことは,日本経済にとっても却ってマイナスである可能性が十分にあります。

07/05/2009

立証されつつある!?

 この進化論を否定して、聖書に書かれているように、人間を含めたあらゆる生物や無生物は、それぞれ初めから全知全能の神によりデザインされて創造されたものであることが立証されつつありますと述べておられる「佐々木満男」弁護士って、アンダーソン・毛利・友常法律事務所のパートナー弁護士である「佐々木満男」弁護士と同一人物なのでしょうか。まあ、日弁連のデータベースを見る限り、日弁連に登録している弁護士で、同姓同名の方っていないのですが。

 4大事務所の一角を占める法律事務所のパートナーの先生に対してこのようなことを述べるのは申し訳ないのですが、聖書に書かれているように、人間を含めたあらゆる生物や無生物は、それぞれ初めから全知全能の神によりデザインされて創造されたものであることは全然立証されそうにないように思えてならないのです(そもそも、「全知全能の神」の存在すら立証されそうにないのですから。)。

06/05/2009

「私は,B'という主張はしていない」と言われても

 池田信夫さんが,そのブログのコメント欄で次のように述べているようです。

また某弁護士がわけのわからないことを言っているようです。私が上のコメント欄で「長期雇用を否定する必要はないし、解雇規制をなくしても長期雇用は存在します」と書いているのに、

<長期雇用を禁止し,企業経営者には常により安い賃金での労務の提供を申し出る者に雇用を切り替える義務を負わせる必要が生じてきそうです>

と例によって誰も書いてない話をでっち上げ、「中国」だとか「発展途上国」だとか意味不明の話を書き連ねているようです。

 経済学者になりたいのに三田ではなく藤沢に行ってしまう人には判らないのかもしれませんが,「Aという目的を実現するためにBという政策を実行すべきだ」という見解に対し,「Bという政策ではAという目的は実現できない。その論理でAという目的を実現するためにはB'という政策を実行することが必要となろう。しかし,B'という政策には,Cという弊害がある。」という批判って十分あり得る話だと思うのですが,これに対して,「私は,B'という主張はしていない」と言われても,的外れな批判だなあと言わざるを得ません。

 なお,池田さんにつきましては,自分の考えと相容れない考えを持つ人物についての呼称,特定方法に関して,社会人として恥じる必要のない程度のものにした方がよいのではないかと思ったりします。「新自由主義者」というラベルはそれ自体悪意を込めた意味を持たないものであるのに対して,「地底人」だの「天下り学者」だの「低学歴」だの「嘘つき」だのというのはそれ自体悪意がこもっているので,前者の使用を問題視する人が後者の使用を平然と行うというのはいかがなものかなあと思ったりします。

被害事実の疎明すらなくったって裁判官は逮捕状を発布する

 「モトケン」とのハンドルで元検察官であることを強調する矢部善朗弁護士創価大学法科大学院教授のブログのコメント欄は,相変わらず,陰湿な集中攻撃が行われているようです。

 さすがに,白紙礼状を事務官に預けて「良きに計らえ」とやっている裁判官が多いとは思いませんが,とはいえ令状の発布が非常に緩やかに行われていることは否定しがたいように思われますが,あそこではブログ主と異なる意見を投稿すると,逐一対応するのが量的に困難になる程度には集中攻撃が行われますし,その際に個人の人格を攻撃する言い回しが多用されてもブログ主は基本放置ですから,どんどん別世界ができあがっていきます。

 実際にところは,御殿場事件でも,9月16日の強姦既遂の容疑で少年たちに逮捕状が発布され,少年たちは逮捕・勾留され,そこで自白が強要されることになります。で,この事件は,公判において被告少年の9月16日のアリバイが証明されるや,9月9日の強姦未遂に訴因変更されたわけで,9月16日の強姦既遂が冤罪であることは明らかになっているわけですが,裁判所は,この少年たちを,9月16日の強姦既遂を犯したと疑うに足りる合理的な理由があるとして,逮捕状を発令したわけです。しかも,告訴者たる女子高生が強姦の被害にあったことを裏付ける客観証拠がないのに,裁判所は逮捕状を発布してしまっているのです。痴漢事件なら「物証がない」ということもあり得るし,強姦事件でも,被害時と被害届時とが時間的に隔絶していれば「物証が風化してしまった」ということはあり得なくはないと思いますが,「被害日」の翌日に被害届がなされている事案において,被害に関する客観証拠を捜査機関が収集し,疎明資料として提出することができないということは通常考えがたいのです。しかし,実際には,裁判所は,強姦の被害に関する客観証拠が疎明資料として提出されていなくとも,逮捕令を発布してしまうというのが現状です。

日本の中国化を目指す人々

 池田さんが次のようなことを述べています。

複数均衡の状態で均衡選択を行なうことが政府の本質的な役割であり、もっとも大きな物語の創作能力をもつのも政府である。したがって厚労省が政策を転換して1の均衡を選ぶと宣言し、解雇規制や派遣労働の規制を撤廃するだけで、非正社員の問題は大きく改善する可能性がある。この政策には何のコストもかからないが、おそらく15兆円の補正予算より潜在成長率を引き上げる効果は大きいだろう。

 「効率賃金仮説」の説明が一般のものと異なるようですが,経済学用語の理解が一般と異なるというのは池田さんにおいてはしばしば見られることなのでそのことはひとまず措くとして,「企業側としてもメリットがあるから長期雇用をしているのだ」ということであるならば,解雇規制を撤廃したからといって,長期雇用した正社員を次々に解雇して,より賃金水準の低い非正社員に置き換えるということはしないということになります。もし,池田さんのいう,2から1への均衡への移行を国策的に果たすには,解雇規制や派遣労働の規制を撤廃するだけでは足りず,むしろ長期雇用を禁止し,企業経営者には常により安い賃金での労務の提供を申し出る者に雇用を切り替える義務を負わせる必要が生じてきそうです。

 そこでは,長期雇用によって企業が得ていた様々なメリットがなくなるわけですから,企業活動にも支障が出る可能性が十分にあります。すなわち,池田さんの提言に乗ってしまうと,国内需要自体が大幅に落ち込むことになる上,企業活動の効率すら落ちてしまうわけです。長期雇用が禁止されるわけですから,新たに雇った従業員でもすぐに業務に取りかかることができるように,業務の極度のマニュアル化・単純化を進めることが必要となり,日本的なきめ細やかなサービスやよく配慮の行き届いた製品というのは,諦めざるを得ないということになります。賃金水準の低下により輸出における価格競争力が強化されるとはいっても,生産されるのは,技術・ノウハウの蓄積・継承抜きで,短期雇用労働者のみで生産が可能なものに限定されることになるので,むしろ純粋な価格のみで競争を強いられることになるように思われます。

 そういう意味では,池田さんが目指しているのは,現在の中国に近い,発展途上国型の産業構造なのかなあという気がします。

05/05/2009

見抜けないのか,見抜いた上で目を瞑っているのか

 たぶん,大野さんと私の認識の違いは,裁判官の能力に対する信頼の高低にあるのだと思うのです。

 高知白バイ衝突死事件にしても,御殿場事件にしても,裁判官たちは被告人が無実である可能性が高いことを十分知っているし,福井女子中学生殺人事件にしても,当然出ているはずの証拠の開示を検察が拒むのはそれが被告人の無実を推認させるものだからなのだろうということは裁判官たちは十分わかっている,わかっていながらも己の立身出世のために真実に目を瞑って有罪判決を下しているのだ,と私は考えています。だから,裁判員だって,同じ証拠を見て,同じ証言を聞き,何が不自然かについて弁護人の説明を受ければ,被告人が真犯人であると信ずるには十分な疑いがあるのだという認識に至ることは十分にあり得ると思っています。

 「2001年9月16日の深夜に女子高校生(当時)が帰宅。母親に、遅くなった理由を「強姦された」と説明したため、静岡県警察御殿場警察署に被害届が提出され,逮捕された被告人少年らは連日の取り調べの結果16日の夜の犯行を「自白」したが,その後,被告人らの当日のアリバイが判明するや,その女子高生は同年9月9日に被害に遭ったと主張を変更した」という御殿場事件について,職業裁判官が,この女子高生の変更後の供述が間違いなく信頼できるものであると本心から信じていたとは,私は思わないのです。そこまで,日本の裁判官は無能ではないと思うのです。そして,上記のような事実関係の元で,この女子高生の変更後の供述の信用性を疑わないほど,一般市民が無能だとも私は思っていなかったりします。

 (なお,この事件は2002年の事件であり,当初は「強姦」被害にあったとされた日の直後に被害届がなされているのに,「被害者」の身体や着衣等についた体液その他のDNA鑑定の結果すら証拠として提出されていません。)

 そういう意味では,この御殿場事件などでは,裁判員制度のもとで,被告人を有罪とすべく裁判員を説得しようと思ったら,職業裁判官も骨が折れると思うのです。

04/05/2009

本業でそれほど活躍できない人の考えること

 それにしても,その企業が長期的に存続し発展していくということについて「正」の利害を有する従業員の価値というものをまともに評価することができない経済評論家や人事コンサルタントには困ったものだ,という感慨を覚える今日この頃です。

 長期雇用契約を結んで会社を発展させても,会社は気の向くままに途中で首を切ることが可能だということになった場合に,従業員はどのような行動をとることが合理的ということになるのか,考えてみることが必要です。

 特にYahoo!BBにおける情報流出事故以来,顧客等の個人情報を大量に処理する部門に派遣社員や契約社員をあてること自体が怪しからんような雰囲気になっていますが,それは長期雇用が前提の正社員の場合,そのような行為を行うことにより会社自体を傾かせることには負の利害を生ずる(したがって,敢えてそのような行動に出る可能性が小さくなる)ということを前提としているように思うのですが。

柳川範之座長による「幻想としての終身雇用制」

 総合研究開発機構(NIRA)の「緊急提言 終身雇用という幻想を捨てよ —産業構造変化に合った雇用システムに転換をー」の柳川範之座長による「幻想としての終身雇用制」を読んで,「珍しく,ネタもと自体がやばい」と思ってしまいました。

 図表1をみて,

たとえば、図表1 は平成18 年における従業員の勤続年数を調べたものである。もしも、終身雇用なのであれば、大学卒業後に就職したとしても、50〜54 歳でおよそ30年、54〜59 歳でおよそ35 年の勤続年数になるはずである。しかし表をみると、これらに近い数字なのは、大企業の製造業に勤める男性従業員(50〜54 歳で30.2 年、54〜59 歳で33.7 年)のみである。たとえ製造業に従事する男性従業員でも、小企業になると勤続年数は17 年に過ぎない(50〜54 歳)。中企業のサービス業に勤める女性従業員にいたっては、勤続年数は10 年以下(50~54 歳)である。つまり、そもそも終身雇用と呼べるような長い勤続年数を経験しているのは、せいぜい大企業の製造業に勤めている男性従業員だけである。

と結論づけてしまっています。しかし,図表1の数値はあくまで平均値に過ぎません。しかもそれは,50〜54歳,あるいは54〜59 歳で特定の企業に勤めている人の勤続年数,すなわち彼らは今所属する企業にいつころ雇われたのかということを示しているに過ぎません。製造業・小企業男子50〜54 歳の平均勤続年数が17年だからといって,これらの企業群においては通常35歳前後の人材が雇用されているということを示しているわけではありません。

 これらのグループにおいて終身雇用をベースとしていたとしても,男子50〜54 歳の勤続年数の平均値を引き下げる要因は多々あります。例えば,その会社自体が設立されたり,急激に規模を拡大するようになってから30年経っていない企業が含まれていれば,勤続年数の平均値を引き下げることになります。また,中途採用を広く受け入れている企業もまた,男子50〜54 歳の勤続年数の平均値を引き下げます。親会社や元請会社からの出向者ないし天下りを受け入れても,勤続年数の平均値を引き下げる可能性があります。したがって,上記図表からそもそも終身雇用と呼べるような長い勤続年数を経験しているのは、せいぜい大企業の製造業に勤めている男性従業員だけであるとの結論を導くことは困難です。

 実際図表3を見ると,「学卒後すぐに就職した企業に勤め続けている雇用者の割合」は男性で一貫して30%前後というラインを維持しているわけで,これをみれば,図表1から「そもそも終身雇用と呼べるような長い勤続年数を経験しているのは、せいぜい大企業の製造業に勤めている男性従業員だけである」との結論を導いたのは軽率に過ぎたのではないかと引き返してみて然るべきだったように思います。

 なお,一部の「神頼み」系評論家の中にはこれらのデータを自説を補強するものとして喜々として図表を引用されている方もおられるようですが,これらのデータって,現行程度の解雇規制の下でも,中企業を中心に,中途採用市場がそれなりに存在するということを意味しているので,,むしろ彼らの従前の主張にマイナスになるものなのではないかという気がします。

法科大学院は自動車メーカーと一緒?

 New York大学ロースクールのRichard Matasar学長が,あるパネルディスカッションの際に聴衆から,

You're producing a product that very few people want. Firms have hiring freezes. Why not stop producing the product—or create new markets for what you're producing? You're like the auto manufacturers who produce a product for which there is no demand.

(あなた方は,ごく少数の人しか求めていない製品をせっせと作っている。事務所は雇用を凍結させている。なぜ,製品の生産を中止しないのか──あるいはあなた方せっせと作っているもののための新たな市場を創造しないのか。あなた方は,需要のない製品を生産している自動車製造会社みたいだ)

問われたようです

 これに対しては,Matasar学長は,いくつかのロースクールは倒産するだろうし,残ったところも学費を下げざるを得ないだろうと答えるにとどめたようです。まあ,学費が下がれば採算ラインも下がるので,BIG LAW FIRMに就職することにこだわる必要がなくなり,New York大学のような一流のロースクールの場合は,卒業生の就職活動の幅が広くなる分,「新たな市場が創造」されると全く言い得ないわけではないですが,それって,上の下くらいのロースクールの卒業生の就職先をはじき飛ばすだけに終わるのではと心配になってしまいます。

 しかし,「ロースクールは学生を搾取している」ことを真っ向から認めている分,日本の法科大学院の偉い人よりはましかもしれません。日本の経営側弁護士の数を考慮すれば,勤務弁護士の需要は当面はせいぜい1000人くらいしかないのだから,任官者,任検者がいることを考慮しても新司法試験合格者を1200人程度にとどめるか,それを超える部分の市場の開拓を(法科大学院から高額の授業料を徴収している)法科大学院側で開拓すべきなのに,日本の法科大学院は,そのあたりのことに全く無頓着です。

検察は,痴漢関係のみ冒険的に振る舞っているのではない

 大野さんが次のように述べています。

高い有罪率については、職業裁判官が無思慮に有罪認定しているというよりも、検察側に「とりあえず起訴して、裁判所の判断を仰ぐ」という考えがないという面があると思う。実際、「あいつの発言は名誉棄損だ」と警察に相談したところで、すぐに起訴してくれるわけではない。色々証拠固めができて罪を問えそうになってはじめて起訴してくれるというのが現状ではないだろうか。

 検察・裁判所寄りの人たちがしばしばそのようなことをいうので,法律の専門家ではない大野さんがそれを真に受けたとしても不思議ではないのですが,それは,必ずしも現実に沿ってはいません。実際には,たいした証拠がなくても起訴がなされ,たいした証拠もないのにアドホックな経験則を作り出してまで裁判官が無罪判決を回避する例は後を絶ちません。そのことが一般に知られるようになったのはいわゆる「痴漢冤罪」のケースですが,検察は,痴漢関係のみ冒険的に振る舞っているのではありません。最近の例で言えば,舞鶴女子高生殺害事件だって,証拠固めが十分にできた上での起訴だとは言い難いところです。

 さらにいえば,先日のサンデープロジェクトで特集していたような「検察による証拠隠し」がなぜ行われるのかといえば,その証拠が提出されたとしたら裁判所とて有罪判決を下すのが困難となる証拠を収集していたとしても,すなわち,検察としてはその被疑者が無罪ではないかと疑うに足りる証拠を保有していたとしても,それらの証拠を隠蔽してまで被疑者を起訴し有罪に持ち込みたいという意欲があるからです。そして,弁護側からの再三の証拠開示請求を裁判所が却下し続けるのは,そこまでして検察が開示を拒む資料が証拠として法廷に提出されてしまうと自分たちとしても無罪判決を下さざるを得ないところに追い込まれる危険があることを感じ取っているからでしょう。

 そういう意味で,裁判員制度に反対する人たちに対しては,「では,これまで通り,無実であろうとなかろうと,ひとたび起訴されてしまえば,職業裁判官によりベルトコンベヤー式に有罪判決が下され,無実を主張すると自分たちの手を煩わせてことに対する制裁として重い刑が科される,そういう刑事司法を甘んじて甘受するということですね。」と念を押してみたくはなります。

02/05/2009

全ての人がその制度を活用していなかったとしてもその制度は「幻想」ではない

 「特段の事情がない限り『定年』までは労働者は解雇されない」という法制度が採用されているからといって,実際に労働者の多くが「最初に正社員として採用された企業に『定年』まで就業し続ける」ということにはかならずしもならないということは,労働者のイニシアチブで退職または転職する例が相当数存在する以上当たり前の話です。だからといってそのことは,「特段の事情がない限り『定年』までは労働者は解雇されない」というルールが不要であることを意味していません。それは,「女性労働者は,結婚または出産を理由に解雇されない」という法制度の下で,実際には労働者のイニシアチブで結婚または出産を機に退職または転職する例が相当数存在するとしても「女性労働者は,結婚または出産を理由に解雇されない」というルールが不要でないことと同様です。

 それは,研究者の世界を見たってわかることだと思うのです。研究者の世界では,「(客員ではなく)助教授にまでなれば,特段の事情がない限り『定年』までは解雇されない」というルールを多くの大学が有しているにも関わらず,業績が認められれば,より格の高い教育機関,研究機関から招聘されて転籍することは珍しいことではありません(転籍するたびにダウングレードする方は珍しいですが。)。

 まあ,「終身雇用(制)」が幻想かどうかということは,何をもって「終身雇用(制)」というのかという定義問題に帰する面はありますし,「特段の事情がない限り『定年』までは労働者は解雇されない」という法制度が採用されていても実際には中途退社,中途転籍をする労働者が相当数いる以上そのような者が特段の不利益を負わないように社会保障制度等を構築しようということは有意義な議論だと思いますが。

 なお,中企業につとめる50〜54歳の勤続年数の平均値が製造業男子で24.3年ということは,この規模の製造業においても相当数の従業員が一つの企業に30年前後勤めていること(すなわち,製造業においては「終身雇用」の実態があること)を図らずも示しているように思えますし,サービス業でも,大企業,中企業を含め,その企業に30年前後勤め続けている労働者が相当数存在することを推測させるように思うのですけど(平均値を引き上げる人々が相当数いないと,この数値にはならないので。),世の中にはこのデータを見て,「終身雇用と呼べるような実態は従業員1000人以上の大企業の男性社員に限られて」いると見てしまう人も存在するようです。なお,女性労働者については,雇用均等法第1世代はまだこの年齢に達していないこと,及び,「結婚,出産を機会にいったん退職して,子供が大きくなったときに再度就職する」というライフスタイルを採用する女性が少なからずおり,それが「50〜54歳の勤続年数」の平均値を大いに引き下げる要因になるということを考慮してデータを見ないといけないかなと思ったりはします。

今更裁判員制度を中止したところで待ち受けるのは暗黒の刑事裁判

 裁判員制度の施行を目前にしてその中止を求める声が大きくなっていますが,今更裁判員制度を中止したところで,公判前整理手続などの制度は残るでしょうから,そこで残るのは,とにかく検察に迎合することが出世の必要条件だとばかりに,職業裁判官が,ベルトコンベアーのように自動的に有罪判決を下す,悪夢のような刑事裁判でしかないのではないか,という気がしてなりません。

 もちろん,裁判員裁判とするか,職業裁判官のみによる裁判とするか,弁護人が選択できる程度の制度改正ならいいと思います。被告人も罪を認めて反省している,というのであれば,量刑感覚が概ね想像できる職業裁判官による裁判を当面選ぶでしょう(「裁判員の方が情状立証が利きやすいなどの実践的な報告が上がってくれば別ですが。)。しかし,冤罪の疑いが相当濃くあると思ったら,裁判員制度に反対している弁護士ですら,裁判員裁判を選択するのではないかと思います。職業裁判官と違って,「我が身の出世のためには無罪判決は回避したい」というバイアスのない裁判員は,アドホック的な「経験則」を作り上げてまで被告人を有罪とするインセンティブを有していませんし,職業裁判官とて,裁判員を説得できそうにないアドホック的な「経験則」を作り上げてこれをその事件に適用しようとすることには躊躇せざるを得なくなるのではないかと思われるからです。

 私などは,職業裁判官による冤罪が相次いでいるように思われる「痴漢」系についても,その法定刑を問わず,裁判員裁判を選択できるようにすべきではないかと思っているくらいです。

01/05/2009

多くの「小宇宙」は形式的にはオープン

 矢部教授が次のように述べています。

 さらに付言しますと、発言の機会が保証されているブログにおいては、あるコメントに対して複数の批判が加えられた場合に、そのコメント投稿者が沈黙せざるを得ないのは、そのコメントが反論するに足る論理性を持たないか常識的に多数の支持を得られないのかのどちらかである場合が多いと思われます。

 今時このような認識の方がいるとは驚きです。同調圧力の強い場において,その場の「空気」にあわない発言をすると,複数の批判が,短期間に,集中的に,嘲笑,侮辱,皮肉,当て擦りなどの個人攻撃を伴いながらなされることになり,その「空気」になじまない人はその場を去ることになります。その結果,その場所は,常識的に多数の支持を得られない見解がなぜか支配的な見解となっている,一般社会からは孤立するカルト的な場所となっていきます。サイバーカスケーディングって,昔から,電子掲示板等の,形式的には「発言の機会が保証されている」場所でも発生してきたし,無数に存在するエンクレーブ(ただ,「エンクレーブ」っていうより,「小宇宙」って呼んだ方が,ピンときませんか?)の多くは形式的にはオープンだったりします。

 従って,ブログのコメント欄で真に「論理」のみのよる議論が行われるようにしようと思ったら,世間には受け入れられない考えで先鋭化することを避けようと思ったら,形式的に発言の機会を保障するだけでは足りず,ブログ主や常連コメンテーターがコメント投稿者に過度の同調圧力をかけることがないように注意を払い,その場所での支配的な見解に反する見解を投稿しやすいような雰囲気を実質的にも作り上げていく必要があります。

 もっとも,コメント欄の賑わいを重視する場合,むしろ積極的に小宇宙化を進める方が賢明です。その場の「空気」にさえあわせていれば,論理性は求められないので,とても敷居が低いですし,ブログ主に寄りかかることで,「小宇宙」の外にある様々な人や集団を,上から目線でくさしてみる快感を味わうことができますので,自分のブログのコメント欄を小宇宙化させておけば,とにかく何かを必死に馬鹿にしてみたいが一人ではそれもできない,そういった類の人を引き寄せることができます。

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