小宇宙で共有されている敵意に基づく妄想に支えられる「議論における誘導尋問」論
「議論における誘導尋問」という概念を提唱されている矢部善朗創価大学法科大学院教授の一連のエントリーを見ていると、
野党の共同提案にかかる刑事訴訟法改正案には無条件で賛成されますか?
を「議論における誘導尋問」であると矢部教授が断定する根拠というのは、根拠の希薄な憶測に基づくものでしかないところが面白いところです。
もちろん、矢部教授のブログにおいては、ブログ主と常連コメンテーターの間で私に対する敵意が共有されていますから、その根拠の希薄な憶測を所与の前提として話を進めることができるわけですが、そういう敵意を共有していない人から見ると、何を言っているのだろうという話になります。実際、そのような見方に賛同できない人に対しては、野党の共同提案にかかる刑事訴訟法改正案には無条件で賛成されますか?
という質問形式から必然的にそのような展開が予想されることを論理的に説明するのではなく、私に対する人格攻撃を行うことによって情緒的な説明を行おうということになっているようです。
そもそも、一問一答式のやりとりが続くことが予定される口頭試問等とは異なり、ウェブ上の議論では、矢部教授が想像力逞しく展開してみせるような「議論における誘導尋問」が成立する余地というのは乏しいのです。例えば、
野党の共同提案にかかる刑事訴訟法改正案には無条件で賛成されますか?
に対しては、
その改正案には無条件では賛成できかねます。なぜならば、○○。
というふうに、回答者は、思い通りの情報を回答の中に付加することができるからです(質問者には、これを制御する物理的手段がありません。)。
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