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04/07/2009

「疑わしきは罰せず」ということ

 矢部善朗創価大学法科大学院教授は次のように述べています。

小倉弁護士は、取調べに対する弁護人の立会権の制度化を支持しています。
立会権を採用した場合には、以下のような因果関係を想定することができます。

立会権の制度化
     ↓
弁護士が、真犯人に黙秘させたり調書への署名を拒否させる。
     ↓
真犯人が処罰を免れる。

という因果関係が想定可能であり、これを短絡的にまとめると

 立会権の制度化
     ↓
 真犯人が処罰を免れる。

ということになります(あくまでも小倉論法に従えばですよ)。

 もちろん,立会権が制度化され,被疑者が捜査機関から暴行脅迫偽計等を受けたことにより自白を余儀なくされることがなくなった場合,自白調書以外の証拠のみからではその被疑者が真犯人である高度の蓋然性があるとまでは言えないときにはその被疑者は処罰を免れることになるでしょう。そのようにして自白を強要されなかったがために処罰を免れた被疑者の中には,真犯人が含まれる可能性があり,その場合においては,立会権の制度化により(そのような制度がなく,捜査機関が思い通りに被疑者を「自白」させることが許されていたとしたら処罰されていたであろう)被疑者が処罰を免れることが生ずることがあり得るとはいいうるでしょう。私は,そのこと自体否定していません(捜査機関の勘が当たっている場合には,「盟神探湯」の結果のみで被疑者を処罰するという仕組みを採用していれば処罰できていた真犯人が,そのような仕組みを採用していないが故に処罰を免れるということだっていえるのです。)

 他方,自白調書以外の証拠のみからでは真犯人である高度の蓋然性があるとまでは言えない被疑者が,弁護人の立会いがないが故に捜査機関から暴行脅迫偽計等に屈して捜査機関がその見込みを一人称化して作成した自白調書に署名・捺印してしまい,真犯人として処罰されてしまった場合,通常その被疑者を起訴した段階でその事件についての捜査は終了し,他の者が真犯人ではないか更に捜査を継続することはないので,真犯人が処罰を免れることになります。すなわち,その被疑者が真犯人であるか否かにかかわらず自白調書に署名・捺印してしまう環境をそのまま維持することは,それはそれで真犯人が処罰を免れる余地を生み出すことになります。足利事件は,まさにそうだったわけです。

 自白調書以外の証拠のみからではその被疑者が真犯人である高度の蓋然性があるとまでは言えない場合であっても,捜査機関がその被疑者を真犯人であると見込んだのであるからその被疑者はまず真犯人なのだと考えるならば,その被疑者が真犯人であるか否かにかかわらず自白調書に署名・捺印してしまう環境を取り除くことは怪しからんという話になるのでしょうし,そういう場合には真犯人でない蓋然性が低くはないと考える場合は,その被疑者が真犯人であるか否かにかかわらず自白調書に署名・捺印してしまう環境は一日も早く是正すべきだと考えることになるのが普通ですが,その場合でも一般予防を重視して,無実の被疑者に刑に服してもらおうと考える人もいることでしょう。)。

 もっとも,前者の考え方を是認するのであれば,むしろ,捜査機関が有罪と見込んだ以上,客観証拠が十分になくとも自白調書抜きで被疑者を処罰することができるとした方が合理的なのではないかと思います。客観証拠が不十分な場合に自白調書がなければ被疑者を処罰できないという制度は,真犯人である被疑者が捜査機関からの暴行脅迫偽計等に耐えてついに自白しなかった場合には,真犯人が処罰を免れる仕組みということになるからです。考えてみれば,捜査機関からの暴行脅迫偽計等に耐えた者のみが処罰を免れ,耐えきれなかった者は処罰されるというのは,およそ合理性を欠く話ですし,むしろ,捜査機関による暴行脅迫偽計等の人権侵害を招来しているという意味で,客観証拠が十分でなくとも捜査機関により真犯人であると見込まれた場合には処罰されるという仕組みの方がまだましだということが言えそうです。

 なお,自白調書に署名・押印をしないことにより処罰を免れることができるのは,客観証拠のみではその被疑者が真犯人であるとの高度の蓋然性があるとまではいえない場合だけであり,それはその被疑者が真犯人である場合にはそれほど発生頻度の高いものではないのに対し,その被疑者を真犯人だとする確実な客観証拠がなくとも,その被疑者が真犯人であるか否かにかかわらず自白調書に署名・捺印してしまう環境を維持することにより被疑者を自白に追い込み刑事罰を課すことができる制度の下では,かなり広範な場合について冤罪を生み出すことができます。そのあたりの差異を捨象してしまうあたりが,何とも言えません。

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Commentaires

社会は、本質的には裁判に神の判断は求めていないはずだと考えています。

だから、真犯人が逃れる場合もあれば、えん罪も起きる。

真実そのものではなくて真実だと認定することで判決が出ているわけですから、まるで神の代理のごとき感覚で「黙秘させたり調書への署名を拒否させることで、真犯人が処罰を免れる」というのはあり得ない考え方でしょう。

単に捜査側の立証不十分以上のものではない。

立証が不十分でも、自白調書が取れれば良し、では逆に客観証拠で充分に立証しようと捜査することを妨害するでしょうし、捜査技術自体も進歩しない。

何よりも、捜査側が社会の変化に常に半歩遅れた判断に凝り固まるのだから(捜査側が「こういうことだろう」と自白を迫るのは当然なので)結果として新しい犯罪を見逃してしまう。

それでは犯罪防止にもならない。
中世の異端審問は社会そのものが拒否しました。
同じようにことになりかねないでしょう。

Rédigé par: 酔うぞ | le 04/07/2009 à 11:31 PM

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