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octobre 2009

31/10/2009

別に「劣悪扱い」されているとも思わないけど

 「国際的にみれば、中道、普通、穏健な産経新聞の報道姿勢に沿って、日夜アメリカの首都からの均衡のとれた情報発信に努めています」と自称する古森義久さんが,「子ども手当」について次のようなことを心配しています。

 第二には、日本国民同士の間での差別や分裂への恐れです。

 子ども手当はどうみても、0歳から15歳(事実上は16歳)までの子どもを持つ家庭と、持たない家庭の間に区分をつけ、持たない家庭から巨額の公的資金を収奪して、持つ家庭に与えるという措置です。

 同じ日本国民でも16歳未満の子どもを持つ家庭は、持たない家庭よりも国家から「より大切」とされるわけです。

 日本国民は年齢にかかわらず、家庭条件の差異にかかわらず、みな平等のはずです。その平等の大原則を無視して、一方を劣悪扱いし、その「劣悪」とされた日本国民の側はせっせと産み出した富や財を他方の側に差し出すことを強制されるのです。

 まず,確認しなければならないのは,国や地方公共団体は,一定の要件を満たす国民に対してのみ一定の金銭等給付を行うことがしばしばありますが,だからといって,その要件を満たさない国民を「劣悪扱い」しているというわけではないということです。例えば,現行法では,戦没者遺族に対してのみ特別な遺族年金が支払われているわけですが,だからといって戦死以外の理由で死亡した国民及びその遺族を「劣悪扱い」しているというわけではありません。

 そして,年金が積立方式ではなく賦課方式である以上,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭が持たない家庭よりも大切なのは当然のことです。出生率の向上を図るという政策目的自体は自公連立政権時代から継承されているものであり,その政策目的を実現するための手段として,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭に一定の金銭給付を行うことによって国民に子どもを生み育てるというインセンティブを生じさせるということはさほど不合理ではありません(少なくとも,国際紛争の解決手段としての戦争を憲法上放棄した我が国において,国民の側がせっせと生み出した富や財を戦没者遺族の側に差し出すことを強制するよりは,合理性が高いと言えます。)。実際,この種の給付金というのは,特に過疎に悩む地方のレベルでは既に行われてきていることだったりします。しかし,そのことを理由に,0歳から15歳までの子どもを持たない家庭が差別されたとか,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭と持たない家庭との間に分裂が生じたという話は今のところ伝わっていません。

 子ども手当がどの国家にも必要な正常の福祉政策であるならば、弱き側、貧しき側が優先されて、受益者となるべきです。
であるのに鳩山政権の子ども手当は年収1億円の家庭にもばらまかれるのです。これでは福祉でさえありません。

 所得制限を設けないことの是非については自公政権下の定額給付金でも問題となりましたが,結局,事務コストの問題に帰着します。「0歳から15歳までの子どもを持つ家庭」で年収1億円もあるというのは非常にレアケースであること,高額所得者の場合扶養控除の廃止による影響が大きいことを考えると,そこはそんなに非難されることか疑問に思ったりはします。

 子ども手当はそもそも子ども自身に与えられる資金でさえありません。子どもの親に与えられるのです。そのカネが本当に「子育て」に使われるのか。父親のパチンコ代や飲み代にはならないのか。母親のエステ代にはならないのか。

 0歳児に直接お金を渡しても仕方がないので当然でしょう。諸外国の制度を見ても,0歳児に直接給付金を手渡している例はないようです。「給付金が父親の飲み代に使われる危険があるから,子どもが直接給付金を受領してこれを自分自身で管理できる年齢になるまで,この種の手当は給付しない」という仕組みにしている国があることを私は寡聞にして知りません。とりあえず,年少者の養育を原則その親に委ねる仕組みを採用している以上,ある程度親を信頼するしかないと思います。

 こうした不公正を子どもがすでに16歳以上になった専業主婦、家庭への貢献、社会への貢献をほぼ終えて、いま生活が苦しくなる高齢の男女、さらには社会で最も活躍し、他者への貢献をしながら子どもを持たないという道を選んでいる職業人の男女らは黙って耐えねばならないのです。

 でも,それらの人々が受給する年金の原資って,これらの給付を受けて育つ子どもたちの労働によって賄われることが予定されています。といいますか,子ども手当をもらったところで,現在0歳から15歳までの子どもたちやこれから生まれてくる子どもたちは,まだ収支的にはマイナスなのではないでしょうか。

 第三は、国家権力による国民生活の最もプライベートな部分への介入の恐れです。

 このバラマキ政策の背後には、人間が子どもを生むこと、育てることに、国家権力が踏み込み、その基本の判断を決めるという思考が浮かびあがっています。

 子どもを生み、育てることに国家がまず第一に責任を持つ、あるいは子どもは国家が育てる、という発想がにじんでいるともいえましょう。これまた純粋な福祉政策であれば、国家が介入するのは自然ですが、その場合の基準はまず「弱く貧しい」当事者から優先することになります。だが民主党の子ども手当にはその前提がありません。

 子ども手当が創設されても,子供を産むか生まないかは各国民の判断に委ねられており,国家権力がその基本の判断を決めることにはなりそうにありません。それに,「子どもは国家が育てる」と大見得を切れるほどの金額でもありません。

 人間を育てる。人間が生きる。その過程や内容は個人が最も個人であるべき領域です。親としての個人の価値観、社会人としての個人の判断、そして人間を人間たらしめる個々の人間の自助努力、自律努力ーーーこんな基本を軽視あるいは無視するかのように、子どもは国家の資金に頼ればよいと断ずる、そして国家が巨額の資金の投入で大きな一律の網をかぶせてくるという姿勢は、ナチスの国家社会主義までを連想させます。

 この種の子ども手当は,米国を除く多くの先進国(反ナチを国是とする現代ドイツを含む)で採用されていますが,そこにナチスの国家社会主義を連想される方がおられることを,寡聞にして知りません。

 なお,古森さんは個人の価値観に国家が介入することを怪しからんとお考えであれば,このような価値観に中立的な子ども手当に反対するのではなく,ときおり徴農せよだの,国旗に敬礼させよだの,と言い出す人たちに対して「国家権力が個人の価値観に介入してはいけない」としっかり諭していただきたいものです。

30/10/2009

2ちゃんねるのミラーサイトの開設者の法的地位(備忘録的に)

 2ちゃんねるのミラーサイトの開設者って、2ちゃんねるの開設者と異なり、プログラムによって自動的に、ではあれ、自分で積極的にデータを収集して、自社サイトに掲載しているわけですから、プロバイダ責任制限法上は、3条1項による免責を受けられない「発信者」にあたると見ていいのではないかという気がしています。

25/10/2009

ブログとTwitter

 池田信夫さんが次のように述べています。

 この点で、ブログより簡単に参加できるTwitterでブログよりノイズが少ないのは、ウェブの今後の方向を示している。実名ではなくても、固定ハンドルネームで評判を守るインセンティブがあれば、匿名ブログより質の高い言論空間ができる。アマチュアによる「草の根民主主義」が世界を変えるなどという幻想を振りまいたブログ1.0が、テクノラティとともに終わるのは健全なことだ。

 ブログだって,エントリー自体は実名又は固定ハンドルネームが用いられるし,はてなブックマークでは固定ハンドルネームの使用が義務づけられます。でも,「現実空間での人格」との結びつきが外部から探知しにくい状態にあればあるほど,その固定ハンドルに付着する評判を守るインセンティブは低下していきます。その点に関していえば,Twitterとて何ら変わるところはありません。従って,Twitterの方が「固定ハンドルネームで評判を守るインセンティブ」があるということを前提とする議論は,現実からかけ離れたものになりそうな気がします。

 ブログとTwitterの違いは,(コメント欄付きの)ブログにおいてはブログ主に対する批判や中傷をブログ主が見ざるを得ないのに対し,Twitterの場合,誰のつぶやきを見るのかを選択でいるので,Twitter主に対する批判や中傷をTwitter主は見なくともすむ点にあります。だから,「自分が批判されるのを見たくない」というだけの人から見たら,「Twitterはノイズが少ない」という評価になるのかもしれません。でも,誹謗中傷問題についていえば,「自分の目に触れなければそれでよい」というものではないので,匿名さんによるデマや誹謗中傷を問題視している人から見れば,デマや誹謗中傷がターゲットの目に触れること以上に,公衆の目に触れることこそが問題なので,ブログからTwitterへの流れは事態を改善しません。

 まあ,現時点ではTwitterの検索可能性が弱いので誹謗中傷が集積していませんが,既にTwitter検索は出てき始めているので,匿名性のもたらす問題を解決しない限り,Twitterにおいてもまた,良貨が悪貨に駆逐されることになってしまうリスクは十分にありそうに思います。

24/10/2009

Windows7の売り

 Windows7が発売されたそうです。その主たる「売り」は,報道を見ている限り,タッチパネル機能にあるようです。

 ただ,iPhoneがそれなりに普及した後にその亜流の機能を前面に掲げてみても,二番煎じ感を否めません。

 さらにいえば,デスクトップ機を操作しているとき通常手の位置がどこにあるのか,そしてそこからモニターまでどれほどの距離があるのかということを考えると,タッチパネルの恩恵を受けるのは,せいぜいノートパソコンorタブレットパソコンのユーザーくらいではないかという気がしなくもありません。しいていえば,店舗・展示場などにパソコンを設置して限定された操作のみを来訪者に行わせることを予定している企業等も恩恵を受けるのかもしれません(ただ,タッチパネルに特化したソフト以外もタッチパネルで操作できるとなると,キーボードを外してもユーザーに好きなようにいじられてしまう危険も出てきそうな気もします。)。

 いずれにせよ,マイクロソフト社の広報が主導でそこに焦点を当てるように仕向けているのだとすれば,広報戦略の失敗ではないかなあという気がします。Windowsの場合,前作Vistaが少なくとも商業的に失敗しているわけですから,Vistaの失敗を克服していることを前面に押し出さないと,企業ユーザーは導入になお躊躇してしまいそうです。

「鈍感力」が求められる民主党

 池田信夫さんが,雑誌Voiceに掲載した記事の中で,

 いま全国平均で時給713円の最低賃金を全国一律1000円に引き上げるという民主党の数値目標を本当に実施したら、人件費は20%近く上がり、中小企業は全体として赤字に転落するという調査もある。

と述べていること,そして,これが間違いであることは既に指摘したとおりです(最低賃金を全国一律1000円以上に引き上げることを求めているのは,民主党ではなく,日本共産党です。)。

 普通,雑誌の編集者って,著者から送られてきた原稿を読んで,客観的な誤りがないかをチェックするのが通常です。だから,仮に池田さんが民主党の公約と日本共産党の公約をうっかり取り違えていたとしても,普通なら編集者の側でチェックが入るはずなのだけどなあと不思議に思っていました(民主党や日本共産党の公約って,様々な媒体で公表されているので,チェックしやすいですし。)。

 まあ,人間誰しも間違いはあるので,Voice編集部にメールを送って,民主党は「最低賃金を全国一律1000円に引き上げる」という公約をしていない旨を指摘しました(池田さんに直接メールを差し上げてもお読みにならないのではないかと思いましたので。)。しかし,それから大分立ちますが,記事が訂正されるどころか,【編集者注】すら未だ入っていないようです。

 こうなってくると,民主党を叩くためにその公約について虚偽の情報を流すことをVoiceの編集部は意図的に容認しているのではないかとの疑いを抱くことがあながち不合理であるとまでは言えないように思えてきます。


 池田信夫さんは,そのブログをgooからlivedoorに移転するにあたって次のように述べています。

他方で、匿名の卑怯者や実名の嘘つきが粘着してくるトラブルも増えたが、これもある閾値を超えると、もう多すぎて検索もしないし、気にもならない。こういう「鈍感力」が、ブログを続ける上で一番大事だと思う。

 むしろ「鈍感力」が必要なのは,「新自由主義路線まっしぐら!」ではない政党の方ではないかと思われます。

東さん,強すぎ。

 「朝まで生テレビ」を久しぶりに見ていますが,結局,高齢パネリスト+東浩紀+雨宮処凛+高橋亮平だけでよかったような感じです。

 田原総一朗さんは,城繁幸さんにずいぶんとパスを投げていたのに,期待には応えられなかったなあという感じがしました。理論的な話では東さんに圧倒的に負ける以上,現場感覚が強くないと辛くなってしまうよなあとは思いました。

21/10/2009

1億総役立たずを目指すのか

過去の事例をみると、被害者の現実社会での言動が、匿名さんによるネットでの執拗な中傷の原動力となっている場合が多いので、ネットでは実名を名乗らないというのはネットでの中傷を受けないための方法論としてはそれほど効果的ではないようです。

「問題のある言動」をしなければ大丈夫なのかといえばそうでもなくて、弁護士が患者側の訴訟代理人になって患者側を勝訴に導くとそれだけで執拗かつ膨大な量の中傷に晒されます。電通に就職するとか、プロの麻雀士や声優になるというのも世間的には悪いこととされていませんし、ボクシングの試合を見て感動するというのも人格を否定される話ではありません。でも、匿名さんたちに「実名では恥ずかしくて言えないことを恥ずかしげもなく言える」状態を維持すると、相当ひどい中傷に耐える覚悟がなければ、これらの行動に踏み切れなくなってしまう訳です。

そこでは中傷されないためには誰にも嫉妬されない役立たずでい続ける必要がありそうです。

弁護士は社会の「悪」に見て見ぬふりができない。

 昔isedでインターネット社会の倫理と設計について語り合っていたときに匿名表現の自由を高く支持されていた研究者の方々を見ると,もはや匿名さんたちとの意見交流を断ち切っているように見えます。もちろん,「君が匿名で意見を発表する自由は認める。しかし,匿名での意見など概ねくだらないから私は相手にしない。時間の無駄だ」というスタンスも論理的にはあり得るので,選択肢として認め得ないわけではありません。弁護士会のネット匿名言論シンポジウムで匿名言論規制に慎重な態度をとっていた山田健太準教授もブログ持ちではなさそうです。

 しかし,弁護士会が今になってこんなシンポジウムを開かなければならなかったことに象徴されるとおり,実務法曹は,今そこにある「悪」を見て見ぬふりをすることができないのです。だって,今そこにある「悪」によりひどい目に遭わされている被害者の痛切な声を聞き,これに対する対処を求められるのですから。

 私のエントリーについて「周回遅れ」だ何だと揶揄する人もいるようですが,匿名さんによる野放図な中傷に対する実効的な対処方法が確立されない限り,何も先になど進んでいないのです。そして,私たち弁護士は,私たちが救われるべきだと主張している人々が実際に救われるまで10年,20年救われるべきだと言い続けることには慣れています。「悪」と戦うのは,元々根気のいる話ですから。

現時点では,「お上」より匿名さんの暴走の方が現実的に危険なのです。

 novtanさんが次のように述べています。

ウェブってインフラにただ乗りしているだけの利用者(もちろん僕もだが)がいうことではない。しかも「事実上負わされること」はそこら中にあるでしょ。ちょっと架空の駅での犯罪予告するだけで通報されて捕まるわけじゃん。誹謗中傷が簡単に捕まらないのは誹謗でも中傷でもないか、相対的に軽い罪で手が回らんか、いずれにしても身元が特定できないからではないのは脅迫があっさりつかまることから言っても明らかでしょう。

 違います。2ちゃんねるのスタッフが,殺害予告を投稿した人のIPアドレスは自主的に開示するけど,誹謗中傷投稿した人のIPアドレスは開示しないからです。例えば,電通の社員が「スーパーフリーのメンバーであった」との事実に反する書き込みを2003年7月から2004年8月にかけて繰り返されついに辞職に追い込まれたケースなんかがあったわけですが,未だ犯人は捕まっていないわけです。神戸大学法科大学院において,特定の学生をターゲットに実名を挙げ、「ストーカー殺人をしたことがある」「自殺に追い込め」などの誹謗中傷を投稿していた人も未だに処罰されていないようです。ひき逃げ事件に関して,全く無実の人の名前と顔写真と携帯電話番号を晒してその人が犯人である旨の投稿を2ちゃんねるに行った犯人も捕まっていないと思います。スマイリーキクチの件では犯人の一部が逮捕されましたが,それまでの間,スマイリーキクチさんは10年間も言われなき中傷に晒されたわけです。

 また,このようにも述べています。

ウェブというメディアが情報統制をひくお上に対抗するためのメディアでそれに対する反抗の手段としての、人を傷つける武器としての、言葉を取り上げることを推進したいのであれば、この例えはそんなにおかしくないかもしれませんね。権力や既得権益側の言いたいことに近いようにも思える。本来制限されるべきは言葉なんじゃないかな。

でも言葉を制限することは実名でも誹謗中傷に近い発言が放置されている現状を見る限り、難しいと思うし、仮に制限できるとしたらその基準をどこに置くのか、結局お上の言うなりに表現を抑止される(というのも健全な社会としての一つの選択肢ではありますが)ことになるのではないか。となると、自由なメディアとしてのウェブは死ぬわけです(公には)。

 私を含め,相当の人数の人が,自分がどこの誰であるのかを明示しつつウェブ上で表現活動を行っていますが,「お上の言うなりに表現を抑止される」という状態にはなっていません。誹謗中傷でない表現を抑止しに行くというのは民主主義社会において「お上」が行うにはリスクが大きすぎますから。現実問題として,他人の表現を抑止しようとしにかかるのは,むしろ匿名さんの集団です。例えば,さくらちゃん事件のときには,娘の心臓手術に要する費用の一部について広く寄付を募るという表現活動について,執拗な誹謗中傷によってこれをやめさせようとしたのは「お上」ではなく,匿名さん集団です。病弱な少女に座して死を待つことすら強要しようとしたのは,「お上」ではなく,匿名さん集団です。

 また,次のようにも述べています。

前述したように、度を越えた時に相手を訴えるためのトレーサビリティは十分だし、手続きの面についてももっと容易になってよいと多くの人が言っているわけですな。

 ということで,「度を越えた時に相手を訴えるためのトレーサビリティ」は全くもって不十分です。現在,2ちゃんねるに関して言えば,誰を相手に発信者情報開示請求を行いうるのかすら明らかではありません。まあ,サーバ管理者であるN.T.Technology社を相手にするという方法はありますが,外国法人なので,仮処分申立書を送達するだけで領事送達でも約3カ月ほどかかりますから,仮処分命令によりIPアドレスの開示を受けてもアクセスプロバイダの側でその頃のアクセスログを消去してしまっている可能性が大です。

 また,登録されている氏名住所の真正性をはてなが確認しようとしたときに猛烈な反対が起こりましたし,私が共通ID性を提唱したときも感情的な反発を受けました。結局,自分はときに度を超えることを前提に匿名性を利用しているので,度を超えてしまったときに法的責任をとらされるような仕組みは全く賛同できない,というのが匿名さんの大勢でしょう。

20/10/2009

発言の匿名性を守りたい人こそがすべきこと

 ネットでの匿名発言の価値を貶めているのは,発言の匿名性を濫用して私的制裁等に利用している人たちと,それを黙認し容認しているネットサービス提供者です。だから,ネットでの発言の匿名性を守ろうと思ったら,むしろ,ネットサービス提供者に対し,匿名性の濫用を規制しまたはその濫用により第三者に生じた損失を補償するシステムを採用するように突き上げを行うべきなのです。しかし,ほとんどの匿名性擁護論者は,ほぼ一様に,被害者にその被害を甘受することを求めるのみです。これこそが,「匿名・実名」論争が何度も繰り返される理由です。表現の匿名性が高く保障され続ける状況下で,匿名性を濫用して他人に私的制裁を加えた者が相応の責任を負う社会が実現する可能性が全く見えてこないのです。

 そういう意味では,発信者情報開示請求訴訟で敗訴してもこれに従わない西村博之さんに抗議すべきは,匿名発言の価値を認めてもらおうという人々の側なのです。あるいは,特定人についての中傷発言が多数投稿されているスレッドの続編となるスレッドの新規立ち上げを制約したり,中傷コメントの連続投稿を行う利用者についてそのアクセスプロバイダに通知して警告文の送付ないしネット接続理由の一時停止などの措置を講ずるように求める等の行動をとるように2ちゃんねるの運営スタッフに要求すべきは,匿名表現の自由を守りたい人々の側なのです。

19/10/2009

コメントスパムの匿名性

 とりあえず、コメント投稿時に投稿者の実名が表示されるシステムが実装されたら、コメントスパムが激減しそうな気がします。

 もちろん、コメントスパムを投稿するのに実名を用いることができない事情を斟酌してやれという人がいても不思議ではないですが(量と頻度と下品さでコメント欄の占拠ならびに有料閲覧者の排除を狙うコメントスクラムと比べればアダルト系のコメントスパムの方が害は少ないですし……。)、コメント欄を汚される側にそのことを甘受しなければならない理由がないことに変りはないように思ったりなんかします。

精度の低いレコメンド

 さきほどAmazon.co.jpからつぎのようなメールが届きました。

Amazon.co.jpで、以前に金子 勇の本をチェックされた方に、このご案内をお送りしています。『すぐできた!選んで簡単らくらくプリント年賀状 2010』、現在好評発売中です。

 ずいぶん前に金子さんの「Winnyの技術」をAmazonで購入したことはあるのですが、「Winnyの技術」を購入した人が『すぐできた!選んで簡単らくらくプリント年賀状 2010』を好むだろうと判断した理由がよく分かりません。確かに、両者ともアスキーから出ているわけですが、消費者は、出版社で書籍を選んでいるわけではありません。

 精度の低いレコメンド・メールって、本当に無意味なスパムなので、もう少し納得のいくアルゴリズムを築き上げて欲しいもののです。

匿名さんは自分の発言についてどのような責任をとっているの?

 and_hyphenさんから,次のようなはてなブックマークコメントを頂きました。

学校裏サイトの例えは意味不明。無理やりすぎる結論/匿名=無責任じゃないはずだ

 できれば,匿名さんが自分の発言についてどのような責任をとっているのかを明示していただいたらよいのではないかと思います。

 少なくとも私は,2ちゃんねるにおける匿名さんによる発言に関して西村博之さんに損害賠償を命ずる判決が下されてそれが確定したとき,すなわち,その発言が不法行為に該当することが確定したときに,当該発言を2ちゃんねるに投稿した人が,被害者に対し,西村さんに課せられた賠償額を自ら支払うと申し出た例があることを知りません。結局,掲示板管理人を被告とすることでその発言が違法なものであるということが民事訴訟で確定しても,匿名さんは,実体法上定められた責任すらこれまでとってこなかったのです。

18/10/2009

現代の「刀狩り」に,「辻斬り」愛好家が反発しても,不思議ではない。

 mujisoshinaさんから,次のようなはてなブックマークコメントをいただきました。

なぜあなたの論が批判されるのか、を全く理解していない。もしくは意図的に曲解している。だから実名化論がブラッシュアップされず、いつまで経っても同じ事を言って同じ批判を受け続ける。

 私の論が批判される理由は単純だと思います。私の主張は,匿名の陰に隠れて無責任に他人を攻撃する自由を制約することを志向するものだから,匿名の陰に隠れて無責任に他人を攻撃する権利が自分たちにはあると思っている人々からは必然的に批判されることになります。

 そりゃ,法的責任を事実上負わされることなく,自分のお気に召さない言動をとる人間に私的制裁を加える事実上の地位を偶然に手に入れてしまった人々が,これを手放したくないというのはわからなくはありません。しかし,それによって不当に傷つけられてしまっている人々が少なからずいる以上,一日も早く,法的責任を事実上負わされることなく私的制裁を加える事実上の地位は取り上げられるべきなのです。

 さらにいえば,私的制裁を含む違法行為のために匿名性を濫用する人が後を絶たない以上,実名強制論は今後も繰り返し唱えられると思います。それは,これだけ批判を浴びても,匿名を利用した違法行為を減少させるために何の対策も自主的に講じられることがないからです。結局,匿名擁護論はいつまで経っても,匿名さんによって攻撃される側に我慢と屈服を求め続けるというところから一歩も踏み出さないからです。

月に代わってお仕置きをしているつもり?

 首藤議員のブログのコメント欄は,相変わらず「匿名でなければ言えない」コメントで一杯です。私は,その種の発言を実名で行う者がいたからって,首藤議員やそのスタッフがその発言者を急襲したり,職場に圧力をかけたりという政治的に危険な行いをするとは思わないです。では,なぜ彼らは,堂々と実名でエントリーを立ち上げている首藤議員に対して,匿名でせっせとコメントを投稿するのでしょうか。

 もちろん,首藤議員やそのスタッフは何もしなくとも,このようなコメントを執拗に投稿している人々は気持ちの悪い人たちであると普通の人は受け止めるでしょうから,そのような評価を受けることを現実社会の自分が回避するためには実名を名乗ることが躊躇されるということはあるように思われます。そこでは,「実名の使用を義務づけるべきでない」という主張は,この種の「その行動を行った人が本来甘受すべき社会的評価の低下を,現実社会の自分が甘受することなく,その種の行動をとる自由を我に与えよ」という主張とほぼ同義ということになりそうです。

 あるいは,彼らは主観的には「月に代わってお仕置き」をしているつもりで,だからこそ「お仕置きをする自分は,現実社会の自分とは切り離された自分であるべきだ」ということで固定ハンドルを使用しているつもりなのかもしれません。ただ,「俺様」基準で他人に「お仕置き」を加える存在って,法治国家では有害無益の存在しかないので,一日も早く悔い改めて足を洗ってもらいたいものです。

匿名で誹謗中傷することに特段のリスクがない環境下では,間違ったことなんかしなくてもいわれのない誹謗中傷を執拗に受けることは容易に起こりうる。

 novtanさんが次のように述べています。

これも飛躍していて、そもそも「責任主体として名乗りを上げないといけない場面も多い」のであればその場合だけ名乗ればいいわけであってさ、常に実名でなければならないことの理由にはなってないわけじゃない。当然こういう場合で実名が必要なのはわかる。でも責任を取るってことは間違ったときに非難される覚悟の上でやるわけでしょ。もちろん、いわれのない非難を受けることだってあると思うけど、やっていることが間違ってなければちゃんと応援してもらえるんじゃないのかなあ。


で、そういう必然的に実名が必要以外の場合のことを語っているわけだけど。

 しかし,売名のために実名を開示している人に対する匿名さんによる誹謗中傷への対策にはならないが,必然的に実名が必要で実名を開示している人に対する匿名さんによる誹謗中傷への対策にはなるシステムってなかなかないのではないかなあと私なんかは思ってしまいます。そういう意味では,「必然的に実名が必要以外の場合のことを語っている」なんて言い訳自体が無意味です。結局,この人が言っていることというのは,「匿名さんからいわれのない誹謗中傷を受けたくなかったら,実名を用いなければできないことはやらないことだ。その結果断念せざるを得ないことがいかなるものであれ,自分が匿名で無責任に言いたいことを言いまくる自由に比べたら取るに足らない」ということなのでしょう。

 でも,novtanさんがこれからも匿名で無責任に言いたい放題に言いまくれるようにすることって,執拗な誹謗中傷に耐える強さをもっていない人が実名でなければ行えない活動を断念せざるを得ないようにしてまで守らなければいけないほどの価値があることなのか,疑問だったりします。

 さらにいうと,「でも責任を取るってことは間違ったときに非難される覚悟の上でやるわけでしょ。」といわれても,実際には,匿名さんによって事実無根のデマが流されて,それに基づいて執拗な中傷が行われるなんて日常茶飯事ですが,そんなことまで覚悟して活動を始める人なんてそんなにいないですよ。学校裏サイトなんかの場合,novtanさんがいうところの「売名行為」にあたるものって,学校に通う際に実名を名乗ったことくらいでしょう。実名を用いて学校に通う以上,裏サイトでデマをぶちまけられて執拗な中傷を受けることは覚悟しているはずだ。なんでそんな人間のリスクを減少させるために学校裏サイトで匿名で無責任に言いたい放題言いまくる自由が制限されるなんてまっぴらごめんみたいなことを言われたって,困ってしまいます。自分は「そのネット上での発言の発言主が自分であると知られたら大変なことになる」って社会に対し怯えまくっているのに,実名でなければなしえない活動を行っている人々に対してはそんな強さを一方的に要求できるのか,理解不能です。また,「もちろん、いわれのない非難を受けることだってあると思うけど、やっていることが間違ってなければちゃんと応援してもらえるんじゃないのかなあ。」って何の根拠もないですね。匿名さんがわあっと集まって品位を書くような言葉を交えて誹謗中傷し放題の状態にあるときに,その被害者を応援するのは勇気がいるし,仮に少しくらいの人が応援しても,膨大な量の誹謗中傷の声の中でそんなものかき消されてしまいます。

16/10/2009

うじうじ君をいきいきさせるには大きすぎる代償

 

実名であることが義務として課されていて、匿名はそのルールを無視したずるい人たちだ、というならともかく、自分自身で実名を選択しておいて、実名にはリスクがあるから匿名はなくすべきだと主張するのはアホとしか言いようがない
だなどというもいるのですね。

 しかし,私なんかがネット上の誹謗中傷に関して相談を受けることが多いのは,特にネット上で際だつ活動をしていたわけではない人や企業について,匿名掲示板等で執拗にデマが流されるというケースです。匿名掲示板やそのミラーサイトに掲載されているに過ぎないデマコメントでも,Google等でその名前をキーワードとして検索をかけると結構上位に表示されてしまうので,なかなか無視しにくいのです。もちろん,学校や職場などでクラスメートや同僚と接するのに自分の実名を知らせるからいけないのだ,あるいは,商業登記簿上の商号を対外的にも使用するからいけないのだということならば,論理的には「自分自身で実名を選択しておいて」という言い方をすることができるのかもしれませんが,でも,匿名の卑怯者たちから執拗なデマを流されたくなかったら現実社会でも実名なんか名乗らないことだ,といわれても,匿名の陰に隠れて特定の人や企業等を貶めることを良きことと考えている一部の人たち以外には通用しない話ではないかという気がします。

 「実名を表示すること=売名」みたいな感覚もなんだか別世界って感じです。何かを成し遂げようと思ったら,自分が責任主体として名乗りを上げないといけない場面も多いのですけど,そういう人は匿名さんに中傷されて当然,中傷されたくなかったら社会に役立つ活動などしようと思うなみたいな話をされても,困ってしまいます。匿名の陰に隠れてうじうじと他人の悪口を言ったり特定のブログのコメント欄に執拗にそのブログ主や全く関係のない人の悪口を投稿し続けられるようネット社会であり続け欲しいというごく一部の人の要望をかなえる代償としては,ネット上で執拗な中傷を受けたくない人はその種の一部の人に実名を知られないようにひっそりと暮らす人生を過ごすことだ,努々社会の役に立とう等とは考えないことだ,なんて社会にしてしまうのは大きすぎるように思われてなりません。

15/10/2009

夢想家でも完全主義者でもない

 日経BPのサイトに「「実名公開」がネットの誹謗中傷を
減らすという勘違い」という記事がアップロードされています。

 そもそも、「ネットで実名を」の背後には、「匿名だから無責任で『誹謗中傷』も発生する」という発想がある。だから「実名を公開すれば」なのだろう。つまり「実名=責任のある発言=『誹謗中傷』も減る」という構図である。

 しかし、この発想は思いこみに近い。「無責任」や「誹謗中傷」の根拠を、「匿名か実名か」の条件にのみ求めるのは、あまりにも一面的すぎるだろう。

 しかし、「誹謗中傷」の根拠を、「匿名か実名か」の条件にのみ求める見解というのはそれほどあるわけではありません。一般的には、特定の人や企業を誹謗中傷したいという動機がまずあって、ただ、「匿名で無責任に」発言する場所があることによって、実際に誹謗中傷をしてしまう心理的なハードルが低くなるだけのことです。ここでいう「動機」には、特定の人のネット上での発言に異論があるというものに限られず、同じ商圏にある同業他社を貶めたいとか、とにかく誰かを叩いてストレスを発散したいとか、特定の政党・政治家についてデマを流布してその政党又は政治家の得票数を押し下げたいとか、自分のことを袖にした女性に鉄槌を下したいとか、いろいろなことが含まれます。

 もちろん、その相手を誹謗中傷したいという思いが強すぎれば実名を強制したところで誹謗中傷は行われるわけです。ただ、その場合は、被害者は、その中傷者に対し慰謝料の支払いを求めることができますし、民事訴訟の判決文の中で、その摘示事実が真実であると信ずるに足りる証拠がないことを明らかにしてもらうことで、名誉の回復を果たすことができる場合があります。また、実名使用が強制される場所では事実上行えない類の誹謗中傷も少なからずあります(中傷者がある役割を演じてみせることによって初めて成り立つ中傷というのもあるのです。例えば、ある予備校の従業員が、近隣にある特定の予備校について、その元生徒を装って、その授業内容や事務方の対応について根も葉もないデマを流す、という行為は、匿名で発言できる環境があるからこそ有効です。また、特定の政治家についての「私は○○さんにレイプされました」という衝撃の告白も、ライバル政党の政治家の男性秘書が実名で投稿していたら、誠に興醒めです。)。

 また、実名使用が強制される場所で他人を誹謗中傷するというのは、法的な責任を負わされる危険があるというだけでなく、社会生活上の不利益を甘受する必要が生ずる(例えば、私が個人的に存じ上げている研究者というのは基本的に職場が変わるごとに職場のグレードがアップしているのですが、他人の誹謗中傷に踏み切る沸点が非常に低い特定の研究者は、職場が変わるごとにそのグレードがダウンしているように見えます。)ので、単なるストレス発散のためだけでは、なかなか踏み切れないところがあります。また、ライバル企業を貶めるための誹謗中傷も、実名使用が強制される環境では、却ってリスクが高まってしまいます。そういう意味では、「実名公開」がネットの誹謗中傷を減らすという予測は故なきことではありません。

 もちろん、実名使用を強制したら誹謗中傷がなくなるとは申しません。法学系の人間は、ある対策を講じたらある種の行為が完全になくなると考えるほどの夢想家ではありませんが、だからといってその対策が講ずるに値しないと考えるほど完全主義者でもありません。社会的に好ましくない事態の発生頻度をそれなりに減少させることができるのであれば、それはそれで意味があると考えるのが、法学系の基本的な発想だろうと思います。

「発言には責任が伴う」って平然と言ってのける匿名さん

 首藤信彦議員のブログのコメント欄より

逃げちゃ駄目ーーーw (俺)

2009-10-13 10:31:48

あなたが『ある軍事評論家の死』という文章を投稿したことによって、多くの人々が、反論できない死人に対してマイナスコメントをするのは卑怯だ!と思った。

その結果、ブログが炎上した。

もちろん、言論の自由は保障されるべきだが、発言には責任が伴う。

国会議員ならなお更自分の発言には慎重にならなければならない。v
ブログで謝罪する必要はないと思うが、この炎上を受けてコメント欄を閉鎖して逃げるような卑怯なことはするべきではないと思う。

 自分の発言に責任を負うことを放棄して匿名でコメントしている人が「発言には責任が伴う」と平然と述べているあたりが面白いですね。

 私は,コメント欄を閉鎖することより,匿名になることで自分が法的及び社会的責任を負わされることを回避した上で,慎重になることもなく,他人に私的制裁を加えようとしているイナゴさんの所業の方がよくよく「卑怯」であるように思われます。

14/10/2009

基礎的な国語力

 池田信夫さんは次のように述べています。

 いま全国平均で時給713円の最低賃金を全国一律1000円に引き上げるという民主党の数値目標を本当に実施したら、人件費は20%近く上がり、中小企業は全体として赤字に転落するという調査もある。赤字になった企業は当然、雇用を減らす。少なくとも最低賃金の引き上げによって雇用が増える可能性はまったくない。これによって非正社員が正社員になるチャンスはさらに減り、格差も固定されるだろう。

 他人を「嘘つき」とののしり続けている人の発言としては,信じがたいものであるような気がします。

 民主党のマニフェストには,次のように記載されています。

40.最低賃金を引き上げる

【政策目的】

○まじめに働いている人が生計を立てられるようにし、ワーキングプアからの脱却を支援する。

【具体策】

○貧困の実態調査を行い、対策を講じる。

○最低賃金の原則を「労働者とその家族を支える生計費」とする。

○全ての労働者に適用される「全国最低賃金」を設定(800円を想定)する。

○景気状況に配慮しつつ、最低賃金の全国平均1000円を目指す。

○中小企業における円滑な実施を図るための財政上・金融上の措置を実施する。

【所要額】

2200億円程度

 上記のような記載を読んだ上で,民主党の数値目標が「いま全国平均で時給713円の最低賃金を全国一律1000円に引き上げる」というものであると読むような国語力では,中央大学の法学部は受からないような気がします(上武大学大学院の経営管理研究科に受かるかどうかはわかりませんが。)。

 さらにいうと,小企業であっても,一番賃金水準の低い20~24歳の所定時間内賃金の平均は男子で約19.6万円,女子で17.8万円ですから,所定内労働時間を160〜170時間とすると,最低賃金の全国平均1000円を実現しても,人件費は20%も上昇しないように思われます。さらにいえば,短時間労働者の年齢階級、性別1時間当たり賃金も,概ね1000円前後なので,これを1000円としても,人件費は20%も上昇しないように思われます。考えてみれば当然のことであって,最低賃金の全国水準が現在713円だからって,多くの企業は最低賃金で労働者を雇用しているわけではないのですから。従って,仮に池田さんが言うように全国一律で最低賃金を1000円とした場合には,現在賃金単価が時給1000未満の労働者についてそれが1000円に上昇するだけなので,中小企業の従業員間の給与水準の差が相当大きく,一部の高給取りがいるために平均単価が1000円近くとなっているが,ほとんどは1000円を多く下回っているのだ等の事情がない限り,全体としての人件費は池田さんが脅すほどは上昇しないのではないかという気がします。

 まあ,フルタイムで働く従業員に健康的で文化的な最低限の生活を送れるほどの賃金を支払う余裕が中小企業にあるのであれば,金利規制を撤廃して金融機関にもっと利息を支払えといいたい人もいるのだとは思いますが。

12/10/2009

自家用車に高い税金をかけてタクシーと競合させるという政策の不毛

 池田信夫さんは次のように述べています。

特に重要なのは、環境問題です。民主党のCO2を現状から30%以上削減するという政策を実現するには、新車の90%、既存の車の40%をハイブリッド車にしなければならない、と前政権は推定していますが、これは不可能です。それより簡単なのは、自家用車を減らすことです。普通の家庭で車を使うのは、家族旅行や買い物などが主で、なければ困るものではない。レンタカーやタクシーで十分です。自家用車を保有して維持するコストに比べれば、必要なときだけ借りるほうが安い。

 池田さんは何を根拠に「普通の家庭で車を使うのは、家族旅行や買い物などが主で、なければ困るものではない。」と仰っているのかわかりませんが,都合の悪い事実は見なかったことにして論理を積み上げられるのが経済学の特徴ですから,驚くような話ではありません。実際のところ,毎日の通勤に自家用車を用いている人というのはそれほど珍しくありません。また,主婦や家内労働者等が遠隔地に通勤する家族を最寄り駅まで自家用車で送り届けるというのも我が国ではそれほど珍しい話ではありません。そういう日々の活動に用いる自動車は高級車である必要も新車である必要もありません。中古の軽自動車で良ければ,数十万円で購入できます。反復的に自動車で移動する距離にもよりますが,毎日タクシーで最寄り駅まで通うことを考えたら,半年もしないうちに元が取れてしまいます。それに,毎日の通勤・通学で最寄り駅に向かうのでタクシーを使うということになると,その地域における遠隔地通勤・通学者のほとんど全てを,その遠隔地に向かう電車に間に合うような時間帯に運搬できるだけのタクシー運転手がその地区に存在することが必要となります。そして,その地区では,その時間帯を過ぎるとタクシー需要が一気に減少することが予想されるので,その地区のタクシー運転手は朝の通勤時間帯に一日の稼ぎのほとんどを得ておく必要がでてきます。しかし,毎朝の通勤・通学にそれほどのコストをかける余裕のある過程は非常に限られているように思われます。

 従って,自家用車を減らすには,自家用車に高い税金をかけてタクシーと競合させるという政策は,自動車産業云々という以前に,最寄り駅から徒歩や自転車でおいそれと通えるわけではない場所に住んでいる人々の生活を破壊してしまうという意味で,適切さを欠くといわざるを得ないでしょう。環境対策のために自家用車の使用を減らすのであれば,その方法は,公共交通機関を充実させることによるのが近道です。ただし,公共交通機関が日常的な通勤・通学のための「足」として自家用車と競合するためには,


  1. 乗降車するポイントを多くとる。

  2. 1時間あたりの本数を3本以上とする。

  3. 早朝,夜等にも走らせる。

  4. どこの乗降車ポイントからも地域内の他の乗降車ポイントに1〜2回の乗り換えで到着できるようにする


等の工夫をする必要があり,それを実現しようと思えば当該公共交通機関は相当の赤字事業とならざるを得ないでしょう。どうせ財政支出をするのであれば,電気自動車の購入代金の一部を助成してしまうという方法もあり得るわけですが,それでは自家用車から吸い上げる税金で自由が丘駅の駐輪場を無料にするというプランは成立しなくなってしまいそうです。

実名・匿名論争が論じるべきテーマはたった一つ

 「実名・匿名論争が論じるべきテーマはたった一つ」です。

 無責任に他人を攻撃する自由を認めるのか否かです。

 もちろん,ここでいう「責任」には,法的責任と社会的責任の2段階があり,法的責任には刑事責任と民事責任の2種類があります。

 そして,ここでいう「他人」は,実名でブログを開設する人に限りません。

 ネット上の人格と現実空間での人格は切り離されるべきであり,ネット上の人格が行った違法行為又は非道の行為の責任を現実空間での人格が負わされるべきではないという見解に立てば,ネット上の匿名性は守られるべきということになります。そこでは,匿名で他人を攻撃する分には,実体法上それが違法なものであっても,刑事罰を課されたり賠償金を支払わされたりという不利益を現実空間の人格が事実上負わずに済むことになります。また,その社会的評価が低下するような非道な言動を行ったからといって現実空間での人格の社会的評価をまで低下させられるのはおかしいとの見解に立てば,ネット上での言動と現実空間での人格とは切り離されるべきだということになります。

 そういう意味では,固定ハンドルが用いられていても,捜査機関や被害者が容易にその者の実名を知り得るのでなければ,刑事責任又は民事責任との関係では,「匿名」ということになりますし,捜査機関や被害者ならばその者の実名を知り得るシステムが実効的に用意されたとしても,違法ではないが非道な行為との関係では,「匿名」ということになります。

 ですから,「2ちゃんねる」について,殺害予告を行えば通報されて逮捕されているからそれでよいのだ,でとどまっている人は,「2ちゃんねる」において殺害予告以外の方法により無責任に他人を攻撃する自由を認めるべきだと言っているのとほぼ同値だと言うことになります。


 【追記】

 「公的捜査機関」以外は匿名さんに手出しできないようにするという見解を述べる方もおられるようです。その見解は結局,刑事罰が法定されていない違法行為(例えば,プライバシー権侵害行為や肖像権侵害行為)等は,匿名の陰に隠れて事実上無責任にやりたい放題とするということを意味しているように思われます。

橋下知事への返答案を考えてみる

 橋下徹大阪府知事に処分された保健所職員はどのような「物言い」をすれば良かったのでしょうか。橋下知事が出したメールの全文がわからないのですが,このような文案だったら良かったのでしょうか。



 橋下徹大阪府知事 殿

 拝啓 貴職におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

  さて,当職は,○○保健所で××の職を務めるものです。貴職より平成21年10月1日付で頂きました電子メールにつきまして,下記のとおり上申する次第です。

 貴職は,前記メールにおいて「どうも税金に関して、僕の感覚と、役所の皆さんの感覚は違います。昨日の議会答弁、水需要予測の失敗によって380億円の損失が生まれたことに関しても恐ろしいくらい皆さんは冷静です。何とも感じていないような。民間の普通の会社なら組織挙げて真っ青ですよ!!(中略)それよりも、皆さん、380億円の損失って、何にも感じませんか?何があっても給料が保障される組織は恐ろしいです」と述べておられます。

 お言葉ではございますが,官民を問わず,経営上の困難に遭遇したときは慌てることなく冷静に対処することこそ最善であると思っております。特に,組織のトップが過去に行った決定が間違っていたことにより生じた困難に対し,末端の職員が冷静さを失って各自で勝手な対応を行うことは,絶対に避けるべきことであると思っております。また,官民を問わず,そのような困難に遭遇した場合に,組織のトップが行うべきことは,そのような困難に組織が遭遇していることを知っても冷静さを失わない職員を倫理的に責めることではなく,むしろ冷静になるように呼びかけた上で,その困難を克服するために誰が何をなすべきかを具体的に指示することであると思っております。従いまして,紀の川大堰の件について次に電子メールを頂くことがあるとすれば,そのときは,何をすべきかが具体的に記載されているものにしていただければ幸いです。

 なお,大阪府の職員はみな,大阪府知事である貴職から電子メールが送信されてくれば,そこに重要な指示が含まれているかもしれませんので,これを熟読せざるを得ません。その間,各職員は,本来なすべき仕事を中断することになります。また,組織のトップから職員を貶める内容の訓話等がなされますと,その訓話等を忘れて職務に専念できるようになるまでにしばしば相当の時間を要します(ですから,民間の普通の会社であれば,経営者は,ただ自社の職員を貶めるだけの訓話を,朝礼であれ一斉送信メールであれ,行わないものです。)。従いまして,貴職がその感情を吐露したいというだけでしたら,全職員が就業時間内に閲覧することが予定されている庁内メールではなく,知事の感情を知りたい人が通常就業時間外に閲覧することが予定されているブログ等を利用していただけると,「税金の無駄な使用をできるだけ排除したい」という貴職のご意向にも合致するものと愚考する次第です。

 以上,電子メールにて上申いたしたが,この点について直接会ってさらなる議論をしたいとのでしたら,当職の直接の上司である△△を通じてお呼びいただければ,いつでも知事室に伺う用意がございます。

 敬具

10/10/2009

褒美銀と公開処分の差

 目安箱を設置した徳川吉宗は,その目玉政策である緊縮財政政策を通説に批判する上書を目安箱に投じた山下幸内を処分するどころか,同人に褒美銀を与えました。吉宗は,結局その上書に記載された内容を政策に反映させることはなかったのですが,幕府の政策を批判する上書を目安箱に投じても処罰されないのだということを広く知らせることが,この種の「広く下々から意見を集めるシステム」を適切に運用するためには不可欠だということを知っていたのでしょう。

 ところで,橋下徹大阪府知事は,同知事が大阪府の全職員向けに送付したメールに反論した職員の処分を人事担当者に指示したと報じられています。橋下知事は,表向きは,自分に対する批判も歓迎するとして,全職員に自分のメールアドレスを公開してメールでダイレクトに自分に意見を具申するように求めてきたことになっていますが,実のところ自分に対する批判は歓迎しておらず,その通り批判のメールを送ると処分されるということを今回の件で示してしまったわけです。

 処分の表向きの理由は「物言いが逸脱している」というものですが,報道等で引用されている文言を見る限り,言葉遣いそれ自体が上司に対するものとして一般的に許容されている範囲を逸脱しているようには思われません。内容的にも,橋下知事によるメールの内容の方が非常識であって,業務用のメールでそのような非常識なメールを読ませようとする(組織トップから社内LAN経由で送付されてきたメールであれば,職員は,忙しくともそれに目を通さざるを得ません。)ことを批判するのは,部下としてはあっぱれな姿です。

 橋下知事は何かというと「民間ではあり得ない」といって府職員を批判しているようですが,橋本知事の,部下を貶める,その姿を外部の人に見てもらうことにより自分の人気を高めていこうという姿勢自体が,真っ当な民間企業ではあり得ない類のものです。橋下知事が,大阪府の破産管財人ではなく,更生管財人を目指すのであれば,その道のプロである増岡章三弁護士に,更生会社の従業員の取り扱いについてアドバイスを受けた方がよいように思われます。

捜査機関の下請け機関に成り下がった記者

 Winny幇助被告事件に関して,NHKの京都支局に属する記者が弁護妨害をしたことが話題となっています。

 NHKはそのような事実があったことを認めて謝罪したとのことですが,これは謝って済む問題ではありません。これは,報道機関と権力(とりわけ捜査権力)との癒着の問題だからです。

 このエピソードからは,報道機関が,警察又は検察のいわば下請機関として,被疑者を「自白」に追い込む役割を担っていた可能性が窺えます。実際,報道側の利害からすれば,真っ向から裁判で争ってくれた方が盛り上がってくれて好都合なはずなので,問題の記者は,直接的な職業的利害に反することをしています。また,Winny事件では現役の某検事とおぼしき人が匿名コメントで,壇弁護士に対し,争っても無駄だから恭順策をとるように働きかけていた時期であって,「正規の手続外で,恭順策をとるように働きかける」という検察側のスタンスに合致した行動であるといえそうです。

 そういう意味では,NHKとしては,問題の記者を社内調査し,なぜこのような内容の手紙を出したのか,警察・検察からの働きかけはあったのか,等を公表すべきです。他のメディアも,この件に関し,壇先生を追いかけている暇があったら,NHKに対し,この記者の取材をさせろと要求すべきです。

 ひょっとしたらNHKはまだ問題の重要さを判っていないのかもしれないですね。警察・検察と癒着した記者の取材になど応じたら,オフレコ情報も警察・検察に筒抜けになる可能性があるし,身元を明らかにしないことを条件に取材に応じても警察・検察には身元が報告されてしまう可能性があるということです。報道機関として,最低限の信頼の問題なのです。

08/10/2009

風が吹けば桶屋が儲かるというレベルの話

 Mutterawayさんが,次のように述べています。

「労働市場の流動性が高まることで、エリートによる起業が増える。」は、1段階脳の小倉氏でも、ステップに分ければ容易に理解可能と思いますので、下記をご覧ください。



ステップ1:


大企業の収益が悪化します。



ステップ2:



大企業は収益を悪化させている不採算部門で大量の整理解雇を行い、沢山のエリート労働者が野に放たれます。



ステップ3:



大企業から「生涯安定」が失われれば、起業して自分で稼ぐ、あるいはベンチャー企業へ参加して上場を果たす事は、費用対効果を考えると合理的な選択枝の範囲内といえるでしょう。こちらを見ると、米国の理系・工学系の博士課程には、そういう野心家がゴロゴロいるようです。社会環境が変われば、日本でもこのようにならない理由はないでしょう。

 このステップが成立するためには次の条件が満たされる必要があるように思われます。


  1. 大企業は,解雇規制が緩和されたら,収益が悪化した際に,今まで以上に「エリート労働者」を整理解雇する。

  2. 雇用が流動化されたとしても,収益が悪化した大企業により解雇された「エリート労働者」は別の大企業や中堅企業から雇用されることはない。

  3. 収益が悪化した大企業から解雇され別の大企業からも雇用されない「エリート労働者」は,起業に必要な資金の融資を比較的低利で受けることはできる。

  4. 収益が悪化した大企業から突然解雇されて不況下にやむなく起業をすることになっても,「エリート労働者」であれば,不況をものともせず急成長させるようなアイディアを即時に生み出すことができる。

  5. 「エリート労働者」はそのようなアイディアを,大企業在籍時には思いつかないか,思いついたとしても会社に提案することはないか,会社に提案したとしても会社からゴーサインを得られない。


 解雇規制が緩和された場合にもたらされる一般的な効果として語るには,蓋然性の高くない論理を積み重ねすぎているような気がします。

 法学系の人間って基本的に,未確定の条件が全て自分の都合の良い方向に動くはずだという発想に基づいて何かを決断するということに慣れていないので,新自由主義者の脳天気ぶりにはついて行かれなかったりします。

 さらにいうと,十分に準備された起業ですらそのほとんどは失敗するのですから,突然の解雇で追い詰められて行う起業はなおさら失敗する蓋然性が高いと思うのですが,解雇規制が緩和されることで起業をせざるを得ないところに追い込まれたが案の定失敗した元「エリート労働者」はどうなっていくのでしょう。彼らが大量に自殺し,餓死し,喰うがための犯罪に手を染めて刑務所暮らしをするようになれば,新自由主義者たちは高笑いする算段ということなのでしょうか。

07/10/2009

解雇規制を緩和すると正規社員と非正規社員との競争が起こりエリートが起業?

 城繁幸さんが次のように述べているようです。

雇用対策というのは本来、職を作ることだ。

といって、インフラの整備された日本のような先進国では、有効な公共事業は
もう存在しない。

だから、規制緩和で競争を促し、民間に新たなフロンティアを
拓いてもらうしかない。

 デフレって,需要に対して供給が過多だから起こるのであって,従ってデフレ経済化で規制緩和しても総体としての供給って増加しないだろうなあって考えるのが普通だと思うのです。もちろん,レコード製作者の送信可能化権を報酬請求権化することにより「インターネットラジオ」事業を可能とするなど「民間に新たなフロンティアを拓いてもらう」ことを可能とする規制緩和もないわけではありませんが,この種の人って,「正社員」をしばかない類の規制緩和にあまり関心を持たないようです。

 むしろ,雇用を増やすのであれば,潜在的な需要はあるが,供給者側のコストと,需用者側が支払いうる価格との間にギャップが大きいが故に需要が拡大していない介護等について,公的資金を用いて価格ギャップを埋めた方がよいように思うのですが。そのための原資としては,相続税の基礎控除の引き下げとかいくらでもできることはあると思うのです。

個人的には、日本にとって最大の雇用対策となりうる規制緩和は、正社員の雇用に
ついての規制緩和だと考えている。単純に「解雇しやすくなるから、採用数も増える」
ということだけではない。以下の点が大きい。

・正社員と非正規雇用の間で競争が発生し、生産性が向上する。

 ある意味、これほど大規模な“新規参入”は他にないだろう。

・労働市場の流動性が高まることで、エリートによる起業が増える。

 結果的に雇用のフロンティアが拡大する。


 たぶん,「生産性」って概念を誤解しているのだろうなあと思います。平均給与が下がっても,生産性は拡大したことにはならないのですが。あるいは,城さんの頭の中では,正社員は解雇規制に守られていることに安住してだらだらと仕事をしているのであって,だから解雇をちらつかせれば,従業員が皆必死になって働くが故に,一人あたりの生産量が増大する,みたいな感覚なのでしょうか。いやはや,何とも。

 「労働市場の流動性が高まることで、エリートによる起業が増える。」に至っては,どういう論理展開なのか理解不能です。解雇規制が緩和されれば,企業は優秀な労働者をばんばん解雇するはずだと考えているのでしょうか。もしそうだとすると,解雇規制の緩和によって,既存の企業の生産性ってむしろ下がるのではないでしょうか。そして,総従業員報酬が解雇規制緩和により大幅に減少した社会で「エリート」が起業してもそのほとんどは失敗し,結果的に「雇用のフロンティア」は拡大しないように思われてなりません。まあ,新自由主義系の皆様は,需要の原資は天から降ってくることを前提とされているようなので,そうは思わないかもしれませんが。

マッチョなブログのコメント欄の情けなさ

 新自由主義系の,マッチョなブログのコメント欄の情けなさというのは,あれはいったい何なのでしょうか。

 雇用が流動化したとして,その種のコメント欄で,匿名でうじうじと団塊世代と正社員とマスコミ関係者を詛っているだけのなよなよ君が引き上げてもらえる可能性って乏しいように思うのですが,解雇規制が緩和されて団塊世代ががんがん解雇されたら,企業の側から自分たちに近づいてきてその才能を見出し,手を差し伸べてくれるという夢を抱いているのでしょうか。「ネットで実名が出せない理由」についての言い訳めいたはてブコメントを見ても,終身雇用を前提とした発想にどっぷり浸かっているように見えるのですが。

BLOGOS

 「BLOGOS」というポータルサイトができたようです。この点に関して,カメラ的日乗3.0さんが次のように述べておられます。

今後発展することを期待したいが、池田信夫氏が中心になって立ち上げたサイトだとしたら、公平・公正な参加はあまり期待できない気がする。もし「la_causette」や「EU労働法政策雑記帳」が早々と登録されるようなら、この発言は撤回しますけど。

 一応,livedoor社の名誉のために申し添えると,livedoorからは,BLOGOSにブログ記事の転載をさせて欲しいとの申し出がきています。ただ,Webの理念からすると,転載ではなく,リンクこそが,本来の姿だと思い,今ひとつ乗り気になれないだけです。

05/10/2009

そんなに単位が簡単に取得できたのか。

 池田信夫さんが,そのブログのコメント欄で次のように述べています。

城繁幸氏はモリタクを「東大の恥」といってますが、彼も亀井静香氏も経済学部。亀の時代はマル経しかなかったからしょうがないとして、モリタクはいったい何を勉強したのか。マル経は「宇野弘蔵は正しい」と書けば、どんな答案でも卒業できたので、彼もマル経かな。

世の中には金子勝、野口旭、佐伯啓思など、「東大経済学部大学院卒」と称してマル経の学位しかない偽物がいるのでご注意。

 昔から「理1,文3,猫,文2」という言葉がありましたから,東大経済学の単位認定は東大の他の学部のそれよりも甘かったと言うことはあったかもしれませんが,「宇野弘蔵は正しい」と書けばそれだけで単位がもらえる授業だけで卒業に必要な単位が得られたとはにわかに信じがたいです。それ以前に,学部レベルで,マル経のみで卒業に必要な単位が取れたとすれば,それはそれで信じがたいのですが。学位に関する名誉にはセンシティブな方だと思ったのですが。

 佐伯啓思さんをwikipediaで調べると,「西部邁と村上泰亮に師事した。」とありますが,どちらもマル経ではないように思われるのですが,東京大学大学院経済学研究科では,マル経ではない教員に師事しつつ取得できる「マル経の学位」というものが,本来の「経済学修士」とは別にあると言うことなのでしょうか。東大経済部の方,メールか,はてなブックマークコメントで教えて下さい。

 池田さんはこちらでも,野口旭先生について,

もともと彼の世代にマル経の大学院に入るというのが、かなり狂っている。おまけに東大のマル経は宇野経済学の教条主義で、先生と少しでも違う意見を書くと落とされた。そういう試験に通るような人物には、本書にも見られる「教条主義」の遺伝子があるのだろう。自分と同じ党派を絶賛し、それ以外は罵倒するスタイルも、マルクス主義そのものである。
と仰っているのですが,東京大学大学院経済学研究科を「マル経の大学院」と言いきってしまうのもどうかと思いますし(マルクス経済学を専攻する研究者もいたとは思いますが,それだけではないのでしょうし),かといって,野口先生がどなたに師事されていたのかも示されていません。まあいずれにせよ,「政策・メディア研究科」で修士号,博士号をとったに過ぎない人よりは,経済学者としては本物っぽい気がします。


 なお,東大経済学部を卒業した方で,「自分と同じ党派を絶賛し、それ以外は罵倒するスタイル」を強烈に採用されている方を存じ上げているのですが,その方もマルクス主義者なのでしょうか。

02/10/2009

法とコンピュータ学会@大妻女子大学のお知らせ

 今年の11月21日に大妻女子大学で行われる予定の「法とコンピュータ学会」で、パネリストとして発表を行うことになりました。

 当初は、「日本での争訟事例の課題」というテーマでどうだという話でしたが、それで話を持たせられるほど日本国内ではネット検索サービス絡みで係争事例がないので、「自動収集された違法コンテンツについての検索サービス提供者の義務および責任」というテーマに変更していただきました(学会のウェブサイトでは、まだその変更が反映されていないようです。)。

 東京弁護士会で先日行われましたシンポジウムで梓澤先生がYahooに対して債権者に関する情報を検索結果から外せとの仮処分を申し立てた話をされておりましたが、実務レベルでは、掲示板等で誹謗中傷文言が投稿されたときに、とりあえずメジャーな検索サイトでそれを検出されないように裁判手続(保全処分を含む。)をどう利用していくのかということに関心が移っているので、そういう観点から面白い発表ができればいいなあと思っています。

01/10/2009

職業訓練のニーズ

 城繁幸さんが次のように述べています。

が、それだけで問題が解決するわけではない。

というのも、最大の問題は、こんなザル政策でも文句の一つも

出ないほどに、そもそも職業訓練のニーズが日本社会に

少ないという現実だ。



理由は、日本企業は職務ベースではなく、「新卒・正社員・総合職」といった出自に

基づいた身分制なので、そもそも職務というものへのニーズが薄いためだ。

“博士”という最高の訓練を受けた人材でさえ敬遠される国。

悲しいけど、それが日本の実情である。


 博士課程は基本的に研究者になるための訓練をするところなので,研究者を必要としていない企業が「博士」を敢えて採用したいと思わないことは自然ではないかと思われます。

 城さんって,人材コンサルを自称している割には不思議な認識をお持ちです。実際には,いわゆる一部上場企業においてすら相当数の中途採用組がいるし,まして中小ベンチャー企業をや,というのが現実です。とりあえず早急に必要とされている部署に即戦力をおくという場合には,他の企業でその部署を経験した実績のある人を雇う方が確実ですから。といいますか,そういう場合に必要とされている人材を企業に紹介するのが人材コンサルタントの重要な仕事の一つだと思うのですが,城さんはそういうお仕事はなさっていないのでしょうか。

 「大学新卒の正社員採用」というのはもともと,「とりあえず早急に必要とされている部署への即戦力」として採用されているわけではないので,職業訓練をいくら受けたって「大学新卒」組を押しのけて正社員として採用されるってことにはなかなかなりにくいとは思います(大学新卒組は,当面要求する賃金水準も比較的低いので,彼らに対して価格面で競争を挑むのは得策ではありません。)。しかし,「とりあえず早急に必要とされている部署に即戦力をおく」という企業ニーズに合致した職業訓練がなされた場合には,「他の企業でその部署を経験した実績のある人」を押しのけて中途採用される可能性は十分にあります(一般に,「他の企業でその部署を経験した実績のある人」は希望する給与水準が高いので,職業訓練を経ることによりある程度即戦力性が担保されるのであれば,価格面での優位を生かすことができる可能性があるからです。)。

 もちろん,現在の職業訓練プログラムが企業ニーズに合致しているのかという問題はあるし,それはそれで早急に改善されるべき問題ではありますが,職業訓練のニーズ自体を否定してしまうのはいかがなものかなあと思ってしまいます。

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