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31/10/2009

別に「劣悪扱い」されているとも思わないけど

 「国際的にみれば、中道、普通、穏健な産経新聞の報道姿勢に沿って、日夜アメリカの首都からの均衡のとれた情報発信に努めています」と自称する古森義久さんが,「子ども手当」について次のようなことを心配しています。

 第二には、日本国民同士の間での差別や分裂への恐れです。

 子ども手当はどうみても、0歳から15歳(事実上は16歳)までの子どもを持つ家庭と、持たない家庭の間に区分をつけ、持たない家庭から巨額の公的資金を収奪して、持つ家庭に与えるという措置です。

 同じ日本国民でも16歳未満の子どもを持つ家庭は、持たない家庭よりも国家から「より大切」とされるわけです。

 日本国民は年齢にかかわらず、家庭条件の差異にかかわらず、みな平等のはずです。その平等の大原則を無視して、一方を劣悪扱いし、その「劣悪」とされた日本国民の側はせっせと産み出した富や財を他方の側に差し出すことを強制されるのです。

 まず,確認しなければならないのは,国や地方公共団体は,一定の要件を満たす国民に対してのみ一定の金銭等給付を行うことがしばしばありますが,だからといって,その要件を満たさない国民を「劣悪扱い」しているというわけではないということです。例えば,現行法では,戦没者遺族に対してのみ特別な遺族年金が支払われているわけですが,だからといって戦死以外の理由で死亡した国民及びその遺族を「劣悪扱い」しているというわけではありません。

 そして,年金が積立方式ではなく賦課方式である以上,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭が持たない家庭よりも大切なのは当然のことです。出生率の向上を図るという政策目的自体は自公連立政権時代から継承されているものであり,その政策目的を実現するための手段として,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭に一定の金銭給付を行うことによって国民に子どもを生み育てるというインセンティブを生じさせるということはさほど不合理ではありません(少なくとも,国際紛争の解決手段としての戦争を憲法上放棄した我が国において,国民の側がせっせと生み出した富や財を戦没者遺族の側に差し出すことを強制するよりは,合理性が高いと言えます。)。実際,この種の給付金というのは,特に過疎に悩む地方のレベルでは既に行われてきていることだったりします。しかし,そのことを理由に,0歳から15歳までの子どもを持たない家庭が差別されたとか,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭と持たない家庭との間に分裂が生じたという話は今のところ伝わっていません。

 子ども手当がどの国家にも必要な正常の福祉政策であるならば、弱き側、貧しき側が優先されて、受益者となるべきです。
であるのに鳩山政権の子ども手当は年収1億円の家庭にもばらまかれるのです。これでは福祉でさえありません。

 所得制限を設けないことの是非については自公政権下の定額給付金でも問題となりましたが,結局,事務コストの問題に帰着します。「0歳から15歳までの子どもを持つ家庭」で年収1億円もあるというのは非常にレアケースであること,高額所得者の場合扶養控除の廃止による影響が大きいことを考えると,そこはそんなに非難されることか疑問に思ったりはします。

 子ども手当はそもそも子ども自身に与えられる資金でさえありません。子どもの親に与えられるのです。そのカネが本当に「子育て」に使われるのか。父親のパチンコ代や飲み代にはならないのか。母親のエステ代にはならないのか。

 0歳児に直接お金を渡しても仕方がないので当然でしょう。諸外国の制度を見ても,0歳児に直接給付金を手渡している例はないようです。「給付金が父親の飲み代に使われる危険があるから,子どもが直接給付金を受領してこれを自分自身で管理できる年齢になるまで,この種の手当は給付しない」という仕組みにしている国があることを私は寡聞にして知りません。とりあえず,年少者の養育を原則その親に委ねる仕組みを採用している以上,ある程度親を信頼するしかないと思います。

 こうした不公正を子どもがすでに16歳以上になった専業主婦、家庭への貢献、社会への貢献をほぼ終えて、いま生活が苦しくなる高齢の男女、さらには社会で最も活躍し、他者への貢献をしながら子どもを持たないという道を選んでいる職業人の男女らは黙って耐えねばならないのです。

 でも,それらの人々が受給する年金の原資って,これらの給付を受けて育つ子どもたちの労働によって賄われることが予定されています。といいますか,子ども手当をもらったところで,現在0歳から15歳までの子どもたちやこれから生まれてくる子どもたちは,まだ収支的にはマイナスなのではないでしょうか。

 第三は、国家権力による国民生活の最もプライベートな部分への介入の恐れです。

 このバラマキ政策の背後には、人間が子どもを生むこと、育てることに、国家権力が踏み込み、その基本の判断を決めるという思考が浮かびあがっています。

 子どもを生み、育てることに国家がまず第一に責任を持つ、あるいは子どもは国家が育てる、という発想がにじんでいるともいえましょう。これまた純粋な福祉政策であれば、国家が介入するのは自然ですが、その場合の基準はまず「弱く貧しい」当事者から優先することになります。だが民主党の子ども手当にはその前提がありません。

 子ども手当が創設されても,子供を産むか生まないかは各国民の判断に委ねられており,国家権力がその基本の判断を決めることにはなりそうにありません。それに,「子どもは国家が育てる」と大見得を切れるほどの金額でもありません。

 人間を育てる。人間が生きる。その過程や内容は個人が最も個人であるべき領域です。親としての個人の価値観、社会人としての個人の判断、そして人間を人間たらしめる個々の人間の自助努力、自律努力ーーーこんな基本を軽視あるいは無視するかのように、子どもは国家の資金に頼ればよいと断ずる、そして国家が巨額の資金の投入で大きな一律の網をかぶせてくるという姿勢は、ナチスの国家社会主義までを連想させます。

 この種の子ども手当は,米国を除く多くの先進国(反ナチを国是とする現代ドイツを含む)で採用されていますが,そこにナチスの国家社会主義を連想される方がおられることを,寡聞にして知りません。

 なお,古森さんは個人の価値観に国家が介入することを怪しからんとお考えであれば,このような価値観に中立的な子ども手当に反対するのではなく,ときおり徴農せよだの,国旗に敬礼させよだの,と言い出す人たちに対して「国家権力が個人の価値観に介入してはいけない」としっかり諭していただきたいものです。

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