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février 2010

27/02/2010

「迷信」なんかではない。

 アゴラに「『需給ギャップ35兆円』という迷信」というコラムが掲載されています。

 このタイトルだけを見ると、巷では需給ギャップが35兆円もあると広く信じられているが実際にはそうではないのだという趣旨の文章なのかなと思ってしまいがちですが、本文を読むと、「需給ギャップ35兆円」という見解が正しいのか正しくないのかについての言及はありません。需給ギャップがあることを前提に、何をすべきかということを論じているに過ぎません。

 「何をすべきか」という点についても、イケていないように思われてなりません。

リフレ派は、まず需給ギャップを埋めてから構造改革をすればよいというが、なぜ「まず」なのか。需給ギャップが埋まるまで、生産性を引き上げる改革はできないのか。需給ギャップを埋めることは経済運営の唯一の問題でもなく、最優先の問題でもない。安定化政策と成長戦略は両方ともやらなければならないのだ。

とのことなのですが、普通に考えれば、需給ギャップを放置したまま労働生産性を向上させれば、(生産量が増えるため)過剰在庫が生ずるか、または(生産量を維持するのであれば労働力が削減されますから)失業率が上昇します。

だから突き詰めれば、問題はどういう政策の効果が大きいかである。デフレを止めるだけなら財政政策がベストだが、財政危機に瀕している日本でこれ以上バラマキ福祉をやったら、国債が暴落して破滅的な事態をまねく。他方、企業が貯蓄超過になっている(金を貸している)日本では、借り入れの金利やマネーストックを操作する金融政策の効果はほとんどない。したがって有効な経済政策は、リアルな生産性を高めて投資を促進する規制改革しか残されていない。

とも述べられていますが、大きな需給ギャップが存在している環境下にあって、「リアルな生産性を高めて投資を促進する規制改革」にどのような効果があるのかを述べなければ、そのような「規制改革しか残されていない」といいうる程に他の政策と比べて効果が大きいか否かがわかりません。

 「企業が貯蓄超過になっている」という状況からは、需要が低下している現在投資をして生産性を高めるインセンティブが企業に乏しいことが看取できるのであり、従って、需要を高めることこそが投資のインセンティブを高めることにつながることは容易に推知できるように思われます。そして、そのためには、「自社のみが給与水準を低下させ製品価格を引き下げる分には市場において優位に立てるが、みんなが一斉にそれを行うと、市場自体が縮小してしまい、却って利益を損ねてしまう」という合成の誤謬を脱することが必要であり、賃金水準を高める方向での労働規制の強化が必要になってくるように思います。

 このレベルの記事は編集レベルで落とせばいいのにとも思いましたが、その筆者が池田信夫編集長自身ではそういうわけにはいきませんね。

22/02/2010

自分が覚えなくても,やったかもしれないって言ったら丸く終わるやん。

 京都地判平成21年9月29日では、下記の事実が認定されています(原告Aは元被疑者、原告Bは、その被疑者国選に選任された弁護士。)。

10月9日取調べにおいて,原告Aが,本件店舗の店員を殴ったり,蹴ったりはしていない旨,また,Eが万引きしたことは,本件店舗から出た後に気付いた旨,それぞれ供述したのに対し,C検事は,「そんなん嘘や。誰がお前らのことを信じる。」と大声で言い,脚を組んで椅子に深々と腰掛けていた体勢から,上側の脚で机の天板の裏側を蹴り上げ,「ドン」という大きな音を立てたこと,更に,C検事は,原告Aに対し,「Mだけか,まともなのは。」「お前もNもくずや,腐っている。」「誰がお前らのことなんて信じるんや。」「お前らが何て言おうと,強盗致傷で持っていく。」「とことんやったるからな。」等と言い,挙げ句に,「お前としゃべっていても話にならんから帰れ。」と言って,取調べを打ち切った

10月17日取調べにおいて,D検事が原告Aに対し,被害者Iに対して殴打,足蹴りをしたのではないかと尋ねたのに対し,原告Aは,これを否定した。そこで,D検事は,原告Aに対し,「このままいったら重い罪になるぞ。」「鑑別所に送られ,逆送にされて,刑事裁判になって,判決が7回目くらいになるぞ。それを望んでるのか。」「成人式にも出られないぞ。」と言い,「自分が覚えなくても,やったかもしれないって言ったら丸く終わるやん。」と自白を勧めた。更に,原告Bについて,「君の弁護人は弁護士になって何年目か知ってるか。少年の君になめられるのが嫌やから言ってないけれど,あの弁護士は1年経ってないぞ。刑事のこと全然分かってない。あんな弁護士がついて君もかわいそうやな。」「あんな人のことをよく信じるね。君は本当にかわいそうだよ。」と言った。取調中に,原告Bが原告Aとの接見を求めている旨の連絡が入り,原告Aが原告Bとしゃべりたいと言うと,D検事は,原告Aに対し,「弁護士と話すなら,私はもう帰る。私を信じるのか,弁護士を信じるのか。」と言って,取調べを終了した。

 なるほど、取調べの全面可視化に法務省は全面的に反対するわけです。

自分が覚えなくても,やったかもしれないって言ったら丸く終わるやん。

 という自白の勧めに被疑者が応じるには、可視化されては築けない特別な「信頼関係」が必要なのでしょう。

21/02/2010

「非AでもB」という実例の存在は「AならばB」という命題の反証たり得ない(経済学ではどうだか知らないけど)

 池田信夫さんが、藤末健三参議委員議員の議論に対し、文句を付けているようです。

 例えば、池田さんは次のように述べます。

彼が「株主保護が行き過ぎている」証拠としてあげるのが「配当性向が高い」という話ですが、これは株主保護とは関係ない。たとえばマイクロソフトは、創業以来28年間、配当しなかった。マイクロソフトは「株主を保護しない企業」なのでしょうか?

 これが言いがかりに近い話であることは誰の目にも明らかでしょう。「甲という事実がある以上乙という事実がある蓋然性が高い」という推論は、「甲ではないが乙であるものがある」という事実によっては覆されないということは、少なくとも法学系の人間の間ではよく知らています(例えば、心臓をナイフのようなもので一突きされた死体のそばで血の滴り落ちているナイフを持っている人がいたらその人がその殺人の犯人である蓋然性が高いと推論されますが、そこで、猟銃を使って殺人を犯した人物の名前を出して「◯◯は血だらけのナイフなんか持っていなかった。では◯◯は殺人犯ではないというのか」など言って上記推論を否定しにかかる人がいたら、私達はむしろその人の精神状態を心配してあげることになるかもしれません。ただ、経済学では、通常の論理法則とは異なる論理法則が通用しているのかもしれませんが。)。

 さらに池田さんは、次のように述べています。

配当性向というのは企業の投資戦略によって決まるもので、かつてのマイクロソフトのような成長期の(投資の大きい)企業では小さく、成熟企業では大きいのです。藤末氏は、一貫して労働分配率と配当性向を混同しています。労働分配率は賃金総額/GDPであり、配当性向は配当/利益。配当を減らしても未配当利益が増えるだけで、賃金は増えない。

 特定の一企業についてであればそのようなことが言えるかもしれませんが、藤末議員はそのような話をしていません。藤末議員が引用しているグラフは東証一部上場企業全体についての配当性向の、平成18年度から平成20年度にかけてのデータに関するものです。東証一部上場企業というのはその殆どが成熟した企業からなりますので、平成18年から平成20年という短い期間のうちに全体としての傾向として「成長期から成熟期へ」移行したと考えることはできません。従って、ここでの配当性向の急上昇を、「成長期の(投資の大きい)企業では小さく、成熟企業では大きい」という一般論で説明することは困難です。

 

20/02/2010

俺たちの生活費の一部をお前も負担せよと友人には求めない。

 長尾一紘中央大学教授が次のように述べています。

国際平和は、隙を作ることによって破綻します。友人を同居させ、家族会議にも同席させて発言権を認めるようなことをすれば、必ず友情は破綻します。相手方に無条件の譲歩を重ねることが友情の絆になるわけではありません。外国人の選挙権は、自分のファミリーの家族会議に友人の参加権、決定権を認めることに等しいということに留意する必要があります。

 ただ、その比喩は、たまたま選挙の時に観光のためにその土地に滞在していた外国人にまで地方参政権を付与せよと言っている人に対するのであればともかく、その地方に定住している外国人に限定して地方参政権を付与せよと言っている人に対する言論としては的外れではないかと思ったりします。

 というのも定住外国人は、いわば既にその地域に日本国民たる住民とともに「同居」している存在であり、かつ、日本国民たる住民と同程度には、その地域で永続的に生活する者として地域活動を行っており、かつ、その地方公共団体の運営を支える住民税等も負担しているからです。我が国では、自分たちの生活費の一部を負担せよと単なる友人に要求する風習はないし、そんなことをすればその方が友情を破壊しそうです。

 どうせ喩え話をするのであれば、「内縁の妻」の方が近いのではないかという気がします。同一戸籍にはいっていないことを理由に、これまで内縁の妻を家族会議から締め出してきたが、それはどうしたものかと考えなおそうとしている、という方が実態に近いような気がします。で、内縁の妻を家族会議のメンバーに加えたら、必ず内縁関係は破綻すると言いうるでしょうか。それは憲法学者の領域を超えるでしょうから、家族法学者に聞いてみるとよいのではないでしょうか。

19/02/2010

アウトローなのはあなたの方だよ、イナゴさん。

 上村愛子さんは残念な結果に終わってしまいました。私は、上村さんほど、容姿だけでなく、生き方を含めて凛として格好の良い女性を知りません(どちらかが格好いい女性は知っていますが。)。競技の特性上まだ次のソチ五輪も十分に狙えるので次でさらに一つ順位を上げていただきたい気もしますが、オリンピック選手たらんとする4年間の苦労に想いを馳せると、第三者が軽々しくそれを口にできるわけでもありません。

 さて、上村さんのブログから私のブログにアクセスしてくる方は1日数名程度ですが今でもおられます。上村さんが亀田興毅選手の世界タイトル戦に感動した旨のエントリーを上げたところ、亀田選手を叩いてストレス発散をしていた匿名の卑怯者の矛先が上村さんにも向かい、コメントスクラムに覆われたからです。

 同じようなことは未だに繰り返されるようで、国母選手へのバッシングを批判した町村先生のブログが、国母選手をバッシングしてストレス発散をしている匿名の卑怯者にうじうじと絡まれてしまっているようです。

 困難に立ち向かおうと全力で挑戦している若者を、自分の発言による社会的評価が生身の自分に向かうことにすら耐えられずに逃げ回っている匿名さんが偉そうに糾弾するなんて、何て片腹痛いのだろうといわざるを得ません。

 kaorunさんは、2010/02/18の22:14に、
今のスポーツ界、ボクシングの亀田ファミリー、相撲の朝青龍、そして国母選手と、アウトローな行動に対しての世間の目は厳しくなっていますね。なんて書いていますが、朝青龍の暴行事件はともかく、今回の国母選手の行動は「アウトロー」でも何でもありません(我が国は、服装の着こなし方を規制する法律を有していませんし、記者会見での口調を規制する法律を有していません。)。他方、他人を中傷することを規制する法律は有していますので、むしろネットイナゴの方がアウトローだし、そんなネットイナゴさんに対し世間の目は優しくはありません(匿名だから、その評価が生身の自分に向けられることを回避できているだけのことです。)。

18/02/2010

叱られてしまったようです

 弁護士会館での法律相談を含む、いくつかの法律相談では、相談者の希望により、その相談を受けた弁護士が直接その事件を受任することができる制度があります。これを「直受制度」といいます。私が担当している、葛飾区民法律相談は、直受制度のある法律相談の1つです。

 東京弁護士会では、会員たる弁護士は、事件を直受するにあたっては、弁護士会の法律相談センター内の報酬審査担当弁護士による報酬審査を受ける必要があります。相談者と相談担当弁護士との間で着手金・報酬額について合意ができたとしても、その金額が審査担当弁護士のお気に召さなければ、審査担当弁護士のお気に召す金額にまで着手金・報酬額を引き下げるかまたはその事件の受任を断念することが相談担当弁護士に求められます。東京弁護士会以外の直受審査は概ね旧報酬基準を大きく超えるような取り決めがなされていないかをチェックするに留まると聞いていますが、東京弁護士会の直受審査は、旧報酬基準の枠内にあっても、審査担当弁護士がお気に召さなければ、条件変更を命じてくるところに特徴があります(建前上は「勧告」ですが、従わないことが許されていませんので、実質的には命令です。)。しかも、ご丁寧に、相談担当者がいる目の前で、相談者に対し、相談担当者が提示した条件は不当に高いのだという説明をしてくれる審査担当弁護士もいるというのが実情です(少なくとも、私は、旧報酬基準内の着手金・報酬で、それをやられたことがあります。)。

 弁護士会の報酬審査担当から条件変更命令が出てしまうと、この命令に応じて条件を変更した上でその事件を引き受けたとしても、不当な報酬を請求してきた弁護士との烙印を弁護士会の役員に押された状態で事件を受任することになりますから、依頼者との信頼関係が築きにくくなります。だから、相談担当弁護士にとっては、どのような場合に条件変更命令が出されうるかが明確であることが望ましいと言えます。逆に、報酬審査担当弁護士からすれば、その基準が不明確で、自分に裁量の余地がある方が、適宜濫用できるので望ましいと言えます(以前、見ず知らずの弁護士からメールで、ある法制度について米国での運用状況がどうなっているかの報告を求められたことがあり、私は米国のことはよく知らないし、わざわざ調査に行くいわれもないので、放置していたところ、たまたま私が報酬審査申請をしたときの審査担当がその弁護士で、不可解な是正勧告を受けたことがあります。)。

 先日、以前の相談者から、遺産分割手続きをとってほしいと頼まれ、で話を伺うと、相続財産である預金について残高がいくらあるのか全然教えてもらえないということだったので、ではまず弁護士会照会手続きを用いて被相続人死亡時の預金残高を確認しましょうということになりました。で、また報酬審査で条件変更命令が出されると面倒なので、まず、事務員さんに弁護士会の法律相談センターに電話してもらい、このような場合、請求できる手数料または報酬の上限はいくらなのかを聞いてもらうことにしました。すると、いろいろとたらい回しにされたあげく、私が、その日の報酬審査を担当する弁護士と電話で話をすることになりました。

 その弁護士によれば、上記のような場合については基準がないとのことでした。では、基準より高いとして条件変更を命じられることはないのかと尋ねたら、そんなことはないとのことでした。しかし、基準はないけれども、審査担当の気分次第で条件変更を命じられるようでは困るという話をしたところ、相談者との間で具体的な金額を記入した受任契約書を作成してからでないと報酬審査には応じられない。その結果条件変更を命じられたとしても、きちんと説明をすれば信頼関係を築けなくなるということはあり得ない。相談者との間で受任契約書を締結する前に条件変更を命じられない基準を教えてほしいなどと言うのはおまえの我が儘だと罵られたあげく、電話を切られてしまいました。

 相続関係で正式に事件を受任する前に相続財産たる預貯金の残額を弁護士会照会手続きを用いて調査するということはある意味基本中の基本であり、その結果判明した相続財産の額を見た上で正式に事件処理を弁護士に依頼するかどうかをご本人に判断してもらうというのは特にイレギュラーな運用ではありません。そして、上記のような弁護士会照会手続きはある程度定型的な仕事なので、相談担当弁護士によって、あるいは審査担当弁護士によって、請求して良い報酬の上限が異なるというのはおかしな話です。ですから、上記のような弁護士照会手続きを用いた相続財産調査に係る手数料・報酬額の上限について具体的な基準が定められていなかった場合、早急に審査部会に諮るなりして一応の基準を決めて伝達すれば良い話です。別に、そういう運用が禁止されているわけではないのですから。

 でも、審査担当弁護士の目には、相談担当弁護士がそのようなクレームを審査担当弁護士に付けるのはおこがましいと映ったようです。

今日は弁護士会の法律相談センターで審査員をやって来ました。他の弁護士が法外な報酬を取っていないかチェックする役です。若い弁護士が「事前に審査して欲しい。後からぼったくりと言われたら困る」と。私は事前審査はないと説明しましたが、しつこいので我身言うなと叱ってしまいました。やれやれ。

などとつぶやかれてしまっています。「叱る」というのは上位に位置する者が下位に位置する者に対して行うものですので、審査担当弁護士であられる大竹夏夫弁護士(Googleでの検索結果にリンクを張ろうかとも思いましたが、躊躇しました。)は、相談担当弁護士は、自分が叱って構わない下位の存在だと思っておられるように思われます。

 ただ、ここで引いているようでは弁護士ではないので、大竹弁護士から叱られた後、法律相談センターにクレームを付けたところ、書面で質問書を送ってほしい、審査部会長に尋ねてみるとの回答を得ました。それで早速、このような場合の手数料・報酬の上限はどうなっているのかを尋ねる質問書を作成し、相談センターにFAXで送付しました。

 すると、その翌日、法律相談センターから電話があり、一般の会員に配っている冊子には付いていない「別表」に、その件に関する基準が明記されているということで、その基準を教えてもらうことができました。

 報酬審査担当弁護士はその別表を見ることができる立場にいたはずなのに、なぜ大竹弁護士はそれに基づいた基準を教えてくれるのではなく、私をしかりつけた上で「やれやれ」だなんて偉そうにつぶやいているのか不思議でなりません。

具体論こそ、大変だ。

 池田信夫さんが次のように述べています。

藤沢数希氏が私のブログ記事を引用していうように、理科系のもっとも偏差値の高い学生が医学部に行くのは、科学技術の振興が必要な日本では深刻な社会的浪費である。もちろん先端医学の研究開発は重要だが、大部分の医師は開発された技術を使って診察・治療を行なうオペレーターであり、数学や物理のむずかしい勉強は必要ない。

弁護士も同じである。民事訴訟による賠償はゼロサムの所得移転で、弁護士費用は誰の得にもならない死荷重である。もちろん、これは弁護士が不要だという意味ではなく、法的な紛争解決を円滑に進めて法務コストを減らす制度設計は重要だ。そのためには弁護士免許を廃止して資格認定にし、ADR(法廷外紛争処理機関)によって「司法の民営化」を進めることが望ましい。

 NHKから研究所→大学というコースを辿っている池田さんにはたぶんご理解いただけないのだと思うのですが、個別の事例を適切に対処していかなければならない部門(この点において、医師と弁護士は共通します。)においては、例外的事態ないし未知の事態に迅速に対応することが時折求められるのであり、そのためには本質を理解していなければならないのです。だから、臨床医は開発された技術を使って診察・治療を行うのが通常であるにしても、相当に高い能力が必要となります。「マニュアルに書いてあることはできるが、マニュアルに書いていない事態が発生したらお手上げ」というレベルの人材では駄目なのです。

 弁護士も同じです。もちろん、多くの事案は定型的に処理できるものですが、定型的に処理できない事案というのも時折発生します。そのような場合に適切な対処をするためには、法の本質を理解している必要があります。わからないことは確信が持てるまで結論を先延ばしにできる研究者と異なり、わからないことでも、とりあえず答えを出して進んでいかなければならない医師と弁護士は、膨大な知識とそこから未知の問題への答えを咄嗟に導く洞察力と判断能力を十分に持たない人が就任するのはある種の社会的害悪であるとさえいうことができます。

 なお、「法的な紛争解決を円滑に進めて法務コストを減らす制度設計」として、「弁護士免許を廃止して資格認定にし、ADR(法廷外紛争処理機関)によって「司法の民営化」を進める」というのは、概ね下策と言ってよいでしょう。

 「法的な紛争解決を円滑に進め」るためには紛争の当事者全員が紛争の解決に向けて無駄なく行動するのがベストであり、そのためには当事者双方に熟練した弁護士が代理人として就任するのが得策です。多くの弁護士は、相手方に弁護士がつくとホッとするし、相手方についた弁護士の能力が低いと却って残念な気分になります。少し込み入った紛争になると、弁護士をつけずに本人訴訟で頑張ろうとする当事者に対して、裁判官が、弁護士を代理人につけるように強く勧告することすらあります。それは、相手方の処理能力が低いと、自分たちだけがどんなに頑張っても、紛争の解決が円滑に進んでいかないからです。

 だから、弁護士資格を有していない者を代理人として選任する余地を与える池田さんの提案は、却って法務コストを増大させる危険を十分に孕んでいるということになります。

 「司法の民営化」にいたっては何をかいわんやと言ったところでしょうか。ADR法制定以来たくさんのADRが作られましたが、ドメイン関係紛争以外のADRは成功しているとは言い難いのが実情です。国内法が明確で、かつ裁判官に対する信頼が高く、裁判制度の利用コストが比較的低廉な国では、裁判による紛争解決で事足りるので、あえてADR制度を利用する必要がないのです。

17/02/2010

特別な魅力があるとアピールする知事と、もっと特別扱いせよとアピールする知事

日刊スポーツによれば、

 大阪府の橋下徹知事が主張する「伊丹(大阪)空港の廃止」をめぐり、橋下氏の改革に賛同する府議会の「自民党・維新の会」は16日の議会運営委員会理事会で、大阪空港廃止と関西空港のハブ(拠点)化を国に求める決議案を2月府議会に提出する意向を表明した。

 

とのことです。

 東京人である私としては、「まあ、そうなったら、大阪行く時は、飛行機ではなく新幹線だな」と思うだけのことです。

 タレント知事ということで橋下大阪府知事と東国原宮崎県知事はよく比べられるのですが、報道を見る限り、両者には根本的な差異があるように思われてなりません。東国原知事は「宮崎県にはすでにこんなに特別な魅力がある」ということをアピールするのに余念がありませんが、橋下知事は「大阪府をもっと特別扱いせよ」とアピールするのに汲々としているだけのように感じられます。

 その他にも、リニアを作れだの、カジノを作らせろだの、経済特区に指定せよだの言いたい放題なのですが、東京人である私としては、本来、少なくとも東京及び周辺3県以外よりは経済的に優位なポジションにある大阪をそんなに特別扱いしなければならない理由というのが見あたらないのです。


 まあ、大阪さえ栄えればあとはどうなっても構うものか路線だと大阪府民の支持は高くなるのでしょうが。

内部留保は家計に回すべきか、資本家に回すべきなのか。

 青木理音さんが次のように述べています。

では日本企業が不必要に資金を保有しているとしてこれをどう使うのが望ましいだろうか。もし企業の雇用・賃上げに使えば、不景気に関わらず利益を出している好調な企業にいる社員やそこで運良く採用された人は喜ぶだろう。しかし、それが社会全体からみて効率的な活用方法だとは思えない。労働者を助けるというなら、失業者や不調な企業の従業員が先だろう。

必要なことは逆に内部留保を株主配当で資本市場に戻すことだ。有効利用のできていない資金を生産性が高い、成長の見込みのある企業へと移すことで経済全体のパイを大きくすることができる。それにより新しい産業で雇用が生まれ、労働者にとってもプラスだ。資金の有効な使い道が分からない企業に人材を集めてもしょうがない。


 しかし、内部留保を株主配当で資本市場に戻すと、その資金が生産性の高い、成長の見込みのある企業へと移るというのは、単なる青木さんの思いこみに過ぎないように思われます。


 どの産業が、あるいはどの企業が成長の見込みがあるのかなどということは、政府もしばしば判断を間違えるけれども、資本家だってしばしば判断を間違えます。資本家って、別に将来を確実に見通せるスーパーマンではありません。


 従って、資本家としては、あたる可能性はそれほど高くないけれどもあたったときには大儲けができるベンチャー投資を行うか、外れる可能性は低いけれども外れなかったとしてもさほど利益率が高くはない安全投資を行うかの選択を迫られるわけです。で、株主配当を期待して行う投資っていうのは、大抵の場合後者なのです(ベンチャー投資の場合、投資家は高値で売り抜けることを期待するので、必ずしも株主配当は喜ばれない。)。すると、内部留保を株主配当でそのような資本家に戻しても、結局、同じような安心投資に回される可能性が高いと言えます。


 そして、内部留保が賃金として労働者に回ることがないということになると、内需産業はパイが大きくなりませんから、内需型の企業、特に新興企業に投資することには相当の躊躇を覚えそうです。安心投資の矛先は、日米等の国債等の債券市場に向かいやすくなりそうに思えます。あるいは、「滅多なことでは潰れなさそうな」伝統企業の株式を資本市場で購入して安定的な配当収入を狙うかもしれません。


 では、それって内部留保を賃金という形で従業員に移転するということと比べて資金が有効活用されているといいうるのだろうかといえば大いに疑問です。賃金という形で従業員に移転すれば、家計消費という形で国内の内需産業に資金が回っていきます。それは、新しい雇用が生み出されるきっかけとも成り得ます。そのことと比べても、内部留保を株主配当という形で株主に移転させると資金の効率的な活用がなされるはずだということがどうしてそんなに自信を持って言えるのか、私には不思議です。

14/02/2010

社会的なdeadweight lossって何?

 池田信夫さんが次のようにつぶやいています。

法務コストは社会的なdeadweight lossで、生産性はマイナス。法的な紛争がなくなるように制度設計するのがベストだが、発生する場合はなるべく低コストでやることが望ましい。そういう非生産的な仕事の報酬が高いのは間違っている。

 しかし、「法的な紛争がなくなるように制度設計」しようというのは、「参入を自由にして事後的な監視をきびしくする」という「規制改革の基本的な考え方」とは適合しないように思います。

 そして、「参入を自由にして事後的な監視を厳しく」した社会においては、相当の投資と運用がなされてから紛争が顕在化しますから、事前規制中心の社会よりも、「駄目出し」された時の経済的なリスクが高まります。従って、事後規制中心の社会では、法律部門の提供するサービスの経済価値は高まることになります。実際、英米の企業が弁護士に支払う報酬は、同規模の日本の企業が弁護士に支払う報酬より、桁が2つから3つ(下手すると4つ)くらい違います。

 ところで、「法務コストは社会的なdeadweight loss」って、「deadweight loss」という概念を勘違いされていませんでしょうか。

イレギュラーな事態に目をつぶることが許されない医師と弁護士の仕事は経済学者の仕事ほど単純ではない。

 池田信夫さんが次のようにつぶやいています。

医師や弁護士の所得が高いのは労働生産性と関係なく、免許によるquasi-rentだから、こういう定型的な業務に偏差値の高い人がつくのは社会的な浪費。

 池田さんはどういう人生を歩んだ結果、医師や弁護士の業務が定型的だという認識に至ったのか興味があります。

 実際には、医師や弁護士のように個別の案件に一つ一つ対処していかなければならない業務の場合、個々の案件の違いを見抜いてこれに対応させ、また、しばしば生ずるイレギュラーな事態にもその都度適切に対処していかなければなりません。それに、弁護士の場合、様々な手がかりを集めて相手の嘘を見抜いてそれを裁判官等の判断権者にアピールしていかなければいけません。そのような対処を適切に行わなければ、医師の場合は最悪の場合患者が死亡することになりますし、弁護士の場合は本来依頼者が負わなくともよい負担を背負い込まされることになります。この点、モデルを用いた単純な思考で事が足り、不都合な現実には目をつぶることが許される経済学者とは業務の質が異なるのです。

 だから、多くの国や社会において、医師と弁護士についてはその質を確保するための工夫が凝らされてきたのです。

 もちろん、そのための手法には国や社会、時代によって様々なバリエーションがあります。ただ、従前日本が採用してきた参入規制と報酬の上限規制の組み合わせというのは、そのための手段としては相当安上がりだったことは事実です(参入規制が緩やかな米国だと、弁護士費用のために、あのマイケル・ジャクソンですら財産を使い果たすほどの報酬を弁護士に支払っているわけです。)。参入規制を緩和しつつ、報酬の上限規制を維持することが可能かというとなかなか難しいようには思います。弁護士にしろ医師にしろ、報酬の上限規制が撤廃され、交渉次第でいくらでも報酬をとってよいということになれば、現状よりは価格帯を引き上げることができるように思われます(相見積もりを取っている余裕が無い場合が多いですから。)。実際、隣接業者等が非弁行為で逮捕された例などを報道で見ていますと、弁護士の感覚より、実際に取っている報酬水準が高いのです。上限規制がなくなれば、私達弁護士も、非弁業者並みの報酬を請求してよいということになります。

13/02/2010

経済学における死荷重

 経済学における死荷重(deadweight loss)とは、Wikipediaによれば、

a loss of economic efficiency that can occur when equilibrium for a good or service is not Pareto optimal
(筆者訳:商品またはサービスの均衡がパレート最適でないときに起こりうる経済の効率性の喪失)

をいいます。

 Wikipediaによれば、死荷重の発生原因は、独占による価格付け、課税や補助金、上限価格または下限価格の設定等により起こるものとされています。そういう意味では、現実の市場において提供される商品やサービスの殆どについて、多かれ少なかれ死荷重が生ずるということになろうと思います。

 そして、このような死荷重の定義からは、特定の職業なり資格なり免許制度なりそれ自身が「死荷重」にあたるということはありませんし、ましてそれが死荷重にあたるから不要であるというような結論を導くことができるものでもありません。

 また、上記のような死荷重の発生原因となる様々な諸制度は、死荷重の発生原因となるが故に廃止されるべきであるとか、ないに越したことはないなどと、単純に断言できるものでないことも明らかです。我々の社会においては、経済の効率性を多かれ少なかれ犠牲にしても実現しなければいけない価値があるからです。

 ところで、池田信夫さんは、

弁護士は、経済学では「死荷重」。存在しないに越したことのない職業です。本人訴訟が可能なのに、弁護士に職業免許があるのはおかしい。
つぶやいておられました。岡部光明教授、青木昌彦教授、曽根泰教教授、國領二郎教授はそれぞれこういう人に博士号を授けたのだなあとそっと記憶しておくことに致します。

12/02/2010

Lay Off the Layoffs

 NEWSWEEKの日本語webにコラムを連載している某先生が、NEWSWEEKのこの記事に言及することはあるのでしょうか。

 NEWSWEEK日本語版に翻訳記事が載れば一番いいのですが。

池田・東論争再び……ってほどではないか。

 池田信夫さんが、次のようなことをつぶやいています。


左横書き以外の書式を使っているのは、日本以外はアラビア語とモンゴル語だけ。西暦以外の暦を使っているのは、北朝鮮だけ。日本人は世界一coordination failureを脱出しにくい国。

 これに対して、東浩紀さんは、つぎのように返しています。


いちおう突っ込んでおくとヘブライ語もそうだし、ほかにもあるのでは。。。。>左横書き以外の書式を使っているのは、日本以外はアラビア語とモンゴル語だけ。

 もちろん、この論争(ってほどではないですが)は東さんの側が正しいと言えます(その他、左横書きの言語としては、ペルシャ語ウルドゥー語などがあります。)。

 また、西暦以外の暦を使っている国・地域としては、イスラム圏の他、台湾、イスラエル等があり、この点でも池田さんは間違っています。

 経済学にとって現実社会がどうなっているかと言うことがさして重要でないということは分かってはいるのですが、こんなところでデタラメを言ってどうしたいのか、とても不思議です(1997年に使い始めた北朝鮮の主体暦より、イスラム圏のヒジュラ暦や台湾の明國歴の方が有名だと思うのですが。)。

11/02/2010

それは、詭弁だ。

元検察官である堀田力氏は、


―今回の検察の捜査には、さまざまに批判がある。例えば、政治資金規正法違反は形式犯に過ぎない。仮に不透明なカネを受け取ったとしても、贈収賄となるような権限行使の可能性は低い。そもそも職務権限がない。それにもかかわらずに、形式犯の可能性だけでここまで追い詰めるのはやりすぎだ、という批判だ。

という問いに対して、


それは、詭弁だ。確かに政治資金規正法違反は、刑法のそれと違って形式犯だ。だが、交通事故に対して業務上過失致死傷が成立するとして、他方では道路交通法違反も成立する。これは、形式犯だ。これの適用がやりすぎだとは、誰も批判しないだろう。ひき逃げ、酒酔い運転摘発に、道交法違反は有効だ。法律上は実質犯と形式犯に分かれているが、形式犯でも幅がある。今回の不記載による政治資金規正法違反は禁錮5年以内の罰則で、罪が重い。

答えています

 「問い」に「答え」が対応していないようです(「詭弁」といわれても仕方ありません。)。インタビュワーは、「形式犯の可能性だけでここまで追い詰めるのはやりすぎだ」という批判を取り上げて、形式犯に対する捜査としてはやりすぎではないのかとい点についての見解を求めているのに、堀田氏は「これは、形式犯だ。これの適用がやりすぎだとは、誰も批判しないだろう。」と答えることにより、形式犯を適用することの当否へと論点をすり替えているように見えます。

 酒酔い運転等を摘発し、道路交通法を適用して刑事罰を課すこと自体が一概にやりすぎだとまでは思わないものの、酒酔い運転の捜査のために運転者を勾留するのは行き過ぎだと思いますし、まして勾留延長までするのは何をか況や、と私などは思ってしまいます。

 堀田氏は、政治資金規正法の趣旨に関して


そもそも、人からおカネを貰うということは、相手が親であろうが他人あろうが法人であろうが、尋常な行為ではない。だから、それをすべて明らかにし、それが妥当なものかどうか国民に判断し、投票にゆだねるということが法の趣旨だ。

と述べた上で、


不記載の事実、国民がそれを知ったら決してその政治家には投票しないであろうカネの流れを明らかにするのが、検察の役目だ。

と述べています。そうであるならば、政治資金報告書と実際のお金の流れとの齟齬を淡々と調査し、齟齬があればその理由を質し、意図的に虚偽記載を行った可能性が高いと客観証拠から判断したら淡々と出納担当者を起訴をすればよいのであって、その虚偽記載が意図的になされたとの供述や政治家の指示のもとで行われたとの供述を無理にでも引き出すために連日出納担当者等を取り調べる必要はありません(閉鎖空間での厳しい取調べの結果「引き出された」出納担当者の供述以外には政治家の関与を示すものがない場合に、その供述だけで政治家を起訴してその政治家を表舞台から葬り去るということがまともな所業であるとは私は考えません。)。

 そして、不記載、虚偽記載等を検察が捜査する意義が上記のようなものであるとしたら、特定の政治家自身を起訴するためにリソースを長期にわたってその政治家関連の捜査に集中させるよりも、不記載、虚偽記載を行っている出納責任者をもれなく起訴できるように、リソースを分散させるべきなのではないかと思われます。特定の政治家についてのみ「国民がそれを知ったら決してその政治家には投票しないであろうカネの流れを明らかに」し、それ以外の政治家については「国民がそれを知ったら決してその政治家には投票しないであろうカネの流れを明らかに」しないということになると、むしろ、国民の投票行動がゆがめられる危険が高まるからです。そして、「取調べの可視化を推進しようとしているか否か」など検察側の事情を考慮して、どの政治家について「国民がそれを知ったら決してその政治家には投票しないであろうカネの流れを明らかに」し、どの政治家については明らかにしないかが検察により恣意的に選択される場合、検察が国民の投票行動を捜査することにつながってしまうからです。

 結局のところ、報道されている通り、小沢一郎衆議院議員の指示のもと意図的に政治資金報告書への虚偽記載を行ったのだとの供述を引き出すために、国会の会期直前に、石川知裕衆院議員を逮捕し、連日長時間にわたる取調べを行うというのは、私の感覚では「検察の暴走」と表現するに値するといえます。


07/02/2010

「国家に対する忠誠としての愛国心」の有無は選挙権取得の要件ではない

 長尾一紘中央大学教授が、産経新聞社のインタビューに対し、次のように答えています。

理論的反省だ。法律の文献だけで問題を考えたのは失敗だった。政治思想史からすれば、近代国家、民主主義における国民とは国家を守っていく精神、愛国心を持つものだ。選挙で問題になるのは国家に対する忠誠としての愛国心だが、外国人にはこれがない。日本国憲法15条1項は参政権を国民固有の権利としており、この点でも違憲だ

 しかし、近代国家、民主主義国家においては、「愛国心」という特定の思想を持っているか否かによっては選挙権の有無を決定されないのが普通です。民主主義においては、市民こそが「国家」より上位に立つというのに、なぜ「国家に対する忠誠」がないと「選挙権」という市民としての権利を行使できないというのか、誠に本末転倒といわざるをえません。実際にも、民主主義社会においては、国民は、「国家に対する忠誠としての愛国心」に基づいて投票行動をとるのではなく、各人の利害を考慮して、投票行動をとるのが一般的です。

 憲法第15条との関係についていうと、地方参政権については、
第15条第1項

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

と、第93条第2項

地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

との関係をどう捉えるのか、ということに帰着しますから、第15条第1項の文言解釈で「日本国憲法15条1項は参政権を国民固有の権利としており、この点でも違憲だ」との答えが一義的に導き出せるものであるとも思われません(第15条第1項が第93条第2項にも重畳的に適用される結果、第93条第2項の「地方公共団体の住民」は同時に「国民」でなければならないという見解をとらないと、長尾教授のような見解には至りません。)。

労働なき富

 マハトマ・ガンジーが「社会の大罪」の1つとして掲げた「Wealth without Work (労働なき富)」の解釈が国会でも話題になったようです。

 ガンジーが生きていたころのインドの状況を考えると、相続や世襲等によって働かずして得た富のことを指したのかなあと思わなくはありません。そういう意味では、「中学生か高校生のころ、ブリヂストン株を350万株、おじいちゃんから生前贈与を受けた」ことを「労働なき富」に含まないとする鳩山首相の答弁は苦しいように思われます。素直に、相続税、贈与税の税率を引き上げましょう。

 ただ、鳩山首相が「いわゆる行きすぎたマネーゲームとか、いわゆるカジノ経済と言われるような行きすぎた金融資本主義」を「労働なき富」に含めたのは、Social 「Science without Humanity」たる新古典派経済学の信奉者たちが批判するほどおかしなことでもないようです。

 「Bombay Sarvodaya Mandal/Gandhi Book Centre」のウェブサイトに、Stephen R. Coveyの「Principle Centered Leadership」の一節が引用されており、そこでは

Wealth Without Work

This refers to the practice of getting something for nothing - manipulating markets and assets so you don't have to work or produce added value, just manipulate people and things.

と述べられています。これは、鳩山首相の発想に通ずるものがあるように思われます。

 いずれにせよ、大企業を途中で辞めた人が、辞めずに残って正社員として働き続けた人々に対して、「Non-working Rich」等と罵る発想とは全く異なるところにいるように思われます。

06/02/2010

「早起きニッポン研究会」

 産経新聞社の報道によると、「早起きニッポン研究会」という組織が、

 移行手順としては、最初に全国の公的施設や学校、企業、交通機関などの始業時刻を1時間早くすることから着手。定着度合いをみて、子午線を変更する計画を立てている。

のだそうです。この計画について、

京都大学経営管理大学院の塩沢由典客員教授(経済学)は「時間に余裕ができると、知的文化活動が活発になる。家庭人も増え、教育環境も向上するのでは」と評価

しているのだそうです。

 経済学者って、京大の大学院でもこのレベルなのだと思うとがっくりです(京都大学経営管理大学院って「寄付講座教員」というカテゴリーがあるのですね。もっとも、「2008年4月より、中央大学商学部教授」に就任している以上、対外的には「中央大学商学部教授」という肩書きを名乗らないと、中央大学商学部に対して失礼ではないかという気もします。)。

 始業時間が1時間早くなろうと、子午線を変更しようと、労働時間が減少しなければ、知的文化活動を行ったり、家庭で家族と過ごしたりという余暇時間は増えないのだということを理解できなくとも、経済学の教員は勤まるということなのでしょう。現代の日本は、日没により余暇活動が規制されている社会ではありません。

年寄名跡の襲名を日本国籍を有する者に限ることと労働基準法第3条

 財団法人日本相撲協会寄附行為施行細則第48条第3号は、

年寄名跡の襲名は、日本国籍を有する者に限ることとする。

との規定があります。

 年寄は、「理事長の指示に従い、協会事業の実施にあたる」(第40条)とされており、給与が支給されている(第74条)ことを考えると、年寄は、日本相撲協会との関係では「労働者」であるといえそうです。すると。年寄名跡の襲名を日本国籍を有する者に限定した第48条第3号は、「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。」と規定する労働基準法第3条または日本国憲法第14条に反しないかが問題となります(なお、労働基準法第3条の「労働条件」に「昇進・昇格等」が含まれることについては、大阪地判平成17年3月28日判タ1189号98頁等の裁判例があり、最判平成17年1月26日民集59巻1号128頁もそのことを前提としているというべきでしょう。)。

 もちろん、上記最判平成17年1月26日においては、「公権力行使等地方公務員の職務の遂行は,住民の権利義務や法的地位の内容を定め,あるいはこれらに事実上大きな影響を及ぼすなど,住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ,国民主権の原理に基づき,国及び普通地方公共団体による統治の在り方については日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであること(憲法1条,15条1項参照)に照らし,原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべきであり,我が国以外の国家に帰属し,その国家との間でその国民としての権利義務を有する外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは,本来我が国の法体系の想定するところではないものというべきであ」り、「普通地方公共団体が,公務員制度を構築するに当たって,公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも,その判断により行うことができるものというべきである」として、「普通地方公共団体が上記のような管理職の任用制度を構築した上で,日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとする措置を執ることは,合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり,上記の措置は,労働基準法3条にも,憲法14条1項にも違反するものではない」と解したわけですが、日本相撲協会の「年寄」は、公権力を行使するような存在ではありませんので、国民主権の原理とはとりあえず何の関係もありません。すると、年寄名跡の襲名を日本国籍保有者に限定する合理的な理由はなさそうに見えます。

 朝青龍の場合、「その引退に際し、力士名のまま五年間年寄としての資格を与えることができる」横綱という地位にあったので、上記細則第48条第3号の違法性を争いやすい立場にいるので、是非とも法廷闘争をしていただきたいものだと思います(他の外国人横綱・大関は、早々に日本人女性を妻としており、引退前に帰化することでこの規定をクリアするつもりでいそうなので、堂々とモンゴル人を妻とした朝青龍には大いに期待しています。そのあたりが、協会から嫌われた理由なのかもしれませんが。)。

05/02/2010

「他人に暴行を加えた」という理由で行う懲戒解雇の相当性

 大阪地裁昭和49年5月28日労働判例205号35頁は、次のように判示しています。

右の申請人の暴行に至る動機、態様、労務委員会当時における会社側の結果の認識および前認定の申請人の酩酊の状況等から考えると、申請人の所為は、会社創立記念日の祝宴における所為としては全く相応しくない非常な行為であるとの非難を免れないが、しかし酒に酔ったうえでの行為であり、意図的に暴行を加えようとしたものとは認めがたく、かつその傷害の結果も偶発的なものと認められるから、申請人に対し、会社就業規則第七四条二号にいう「他人に暴行を加えた」という理由で懲戒解雇に至ることは、その処分に至る事実の評価が苛酷に過ぎ、その情状の判定、処分の量定等の判断を誤ったものというべきであり、結局その処分が客観的妥当性を欠くが故に、就業規則適用の誤りとして、懲戒解雇は無効と解するのが相当である。

 まあ、脚本家だの漫画家だのという通常であれば多様な人格の存在を肯定しそうな人たちが特定の他人に対してやたら特定の品位だの品格だのを求めてそれを欠くことを理由にその他人が解雇され又は自主退職に追い込まれるべきことを叫ぶ組織においてその特定の他人が起こした不祥事であるが故にこれ幸いと「懲戒解雇か、自主退職か」を迫られたことは想像に難くない気はしますが(以前にも、格闘技を真剣に行うには十分でない健康状態において、チャリティということで請われてさほど真剣でないサッカーゲームに参加しただけで、長期間の休職処分が科せられた前科がありますし。まあ、チャリティで子どもたちとサッカーに興じられるくらいなら、トッププロとして真剣勝負をすることができたはずだとその競技団体が断言できてしまうほど、その格闘技がお気楽なものだというのなら、そのような処分が下されるのもわからなく有りませんが。)、文科省傘下の財団法人がそんなことでよいのかという気がしなくはありません。

 少なくとも、その脚本家や漫画家は、自らが委員を務める組織に属する特定の労働者に対し、解雇権を振りかざして執拗に特定の「品位」を押しつけようとしたことによって、不要なストレスをその労働者に与え続けたことを反省し、二度とそのようなある種のパワハラをしないようにして貰いたいものです。単独でではないにせよ、解雇権を行使できる立場の人が、特定の労働者との関係で「天敵」と呼ばれることの異常さに気付いていただきたいものです。

03/02/2010

労働者の年齢層を入れ替えるための解雇

 一部の新自由主義者系のブログのコメント欄に生息している人々の中には、解雇規制が撤廃されれば、中高年層が解雇されて、就職氷河期層がこれに置き換わることができると信じてやまないようです。

 しかし、人件費削減のために労働者を「置き換える」ための解雇というのは、米国でも、労働組合が組織されている企業では認められていなかったりします。多くの労働協約において、"Last in, first out."の原則が採用されているし、「仕事量が週32時間未満に減り、その状態が4週間以上続くとき、はじめて経営は解雇できる」ことが労働協約によって労使の合意事項となっている場合が多いとのことですし(だから、リストラした後、残った従業員にさらなるサービス残業を強いるなどという日本的運用をしたら、弁護士が労働者の側ににこにこしながらすり寄ってきそうですし、中高年層を大量解雇した後でより若い労働者を大量に雇用した場合も弁護士が労働者の側ににこにこしながらすり寄ってきそうです。)。そもそも年齢を理由に解雇したら、雇用における年齢差別法に抵触しそうです。

 米国法においても、解雇規制に関する制定法や判例法理はそれなりにあり(しかも州ごとに違う。)、かつ、判例法理については、日本の解雇権濫用法理と同等かそれ以上にその適否の境界は曖昧なのですが、日米で1つ大きな違いは、米国では「違法な解雇」をしてしまった場合、企業は巨額の賠償金(平均で約6000万円)の支払いを余儀なくされる点です。ですから、多くの米国企業は、経営不振等により事業を縮小する必要がある場合には、希望退職を募ったり、先任原則に則ったレイオフを行っているわけです。

どこかに就職しなければならないという考え方は古くはない

 堀江貴文氏が次のように述べています。

そもそもどこかの会社に就職せねばならないという考え方そのものがナンセンスだし、せいぜい100年も歴史がない考え方なんだ。この時代自分で事業を興すのが一番安全で確実だ。君が乗っているタイタニック号は今の時代だとかなりの確率で氷山にぶつかって半分が溺死する。でも数人しかのれない君がこいでいるボートなら、タイタニック号のように快適な客室はないかもしれないが、氷山にはぶつかりにくい。自分で制御できるからだ。そして常に回りに目を配っているかだら。

 とりあえずどこかに就職しなければならないという考え方は、少なくとも農地を離れた都市住民が存在するようになってからは存在している考え方であって、その歴史は100年なんてものではききません。元手も経験・知識もない中でいきなり事業を興すというのは、成功の確率が更に低いからです。

 そして、他人に雇われるという生き方が市民権を得るということは、資本主義が発達する上で必然的な要素です。なぜなら多くの事業において、相当数の人数が継続的にこれに従事するということが必要不可欠だからです。他人に雇われて生きるという選択をする人々が相当数いないと、せっかく事業を興しても、事業主が自分自身でこなせる範囲内でしか事業規模を拡大できないということになるからです。

 だからこそ、資本主義を健全に発展させるためには、他人に雇われるという生き方をすることが特別不利に働かないような仕組みづくりをしていくことが必要となります。自分で事業を興さなければろくな生活ができないという社会制度の元では、質の高い人材が人に雇われるという生き方を選択しなくなり、質の高い従業員を大量に必要とする高度に組織化された事業が成立しなくなってしまうからです。

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