世襲社会の終焉
菅さんがそのまま総理に昇格するにせよ、樽床さんが大逆転を収めて総理の座をつかむにせよ、国会議員の子どもではない総理大臣というのは森さん以来なんだなあ、政治家の子どもではない総理に至っては、村山さん以来なのだなあということを、しみじみ感じざるを得ません。
国会議員の子どもが総理になるというのは、戦後についていえば、宮沢さん以来の流れであって、昔からそうだったわけではありません。そして、総理大臣になるのは国会議員2世、3世が当たり前の格差社会を築き上げられたら、活力の乏しい「失われた20年」が到来してしまったということになります。
そういう意味では、どちらが次期総理になるにしても、閉塞的な世襲社会の終焉を象徴するものになって欲しいなあ、と願わずにはいられません。
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