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octobre 2010

26/10/2010

中央大学法曹会が司法修習生を紹介します

 中央大学法曹会から「中央大学法曹会が司法修習生を紹介します」と題するFAXが事務所宛に届きました。

 これによれば、中央大学法曹会は、学校法人中央大学との連携のもと、中央大学出身者の司法修習生を勤務弁護士志望者として紹介するのだそうです。

 中央大学法曹会では、「弁護士である委員が修習生と面談し、人となりを確かめてから、先生方の希望に添った修習生だけを、ご希望に添った方法で」紹介してくれるのだそうです。

 どこまでコアな希望に添っていただけるのかはわかりませんが(例えば、私の下で働くとなると、サブカルやネットサービス等に詳しくないと、結構面倒くさいことになりますし。)、多くの法律事務所は、弁護士が日常業務を行う傍ら修習生の面接等にあたっている状態なので、中央大学法曹会が第1次のフィルタリングをかけてくれるのは、それなりに助かると言えるでしょう。

 法曹業界では老舗である中央大学が先にこういうサービスを始めてしまうあたりが面白いといえば面白いのですが、逆に言うと、その程度のこともしない中堅以下の法科大学院には「そんなにどんと構えていて大丈夫なの?」ということを人ごとながら心配してしまいます。

24/10/2010

旧来の業務と執務態勢に固執することなく、その職域を拡大し、執務態勢を改め、新しいキャリアモデルを構築していただきたい。

 法科大学院協会理事長である青山善充先生が、法科大学院協会のウェブサイトで、「修習生の給費制維持は司法制度改革に逆行(理事長所感)」と題する文章を発表されています。

 ただ、青山先生の本職は民事訴訟法であって司法制度論ではないためでしょうか、説得力を欠くものであるように思われます。

具体的には、第1に、貸与制への移行は、多くの優れた法曹を育てるための法科大学院の創設や、司法試験合格者を年間3000人程度に増加させるとの閣議決定と三位一体として決定されたものである。逆にいえば、厳しい財政状況下で給費制を維持すれば、予算上の制約から法曹人口の増加にブレーキがかかることになりかねない。いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である。 

と青山先生はおっしゃいます。

 ただ、一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致しているといえます。そして、現在の実際の需給状況に合わせて計画を見直すことを総じて国民が支持していることは、「仕分け」で腕を振るった蓮舫議員が先の参議院選挙で最高得票を得たことからも明らかです。

 従って、厳しい財政状況下にある現在、合格者3000人の早期実現が果たして必要なのかを問い直す必要があろうかと思います。もちろん、この点について青山先生は次のように述べています。

これに対して、現在、既に弁護士の数は過剰だとの意見もある。しかし、それは、多くの弁護士が旧来の業務と執務態勢に固執することに起因している。現在でも、依然として弁護士がいない市町村が1000以上存在している。行政や自治体、企業などへの職域の拡大は進まず、国際的交渉を支える法律家も不足している。このような状況において求められるのは、法曹人口の抑制ではなく、本来必要とされるサービスを幅広く提供できるように、法曹がその職域を拡大し、執務態勢を改め、新しいキャリアモデルを構築することではないか。

 そうはおっしゃるのですが、上記の需要というのは、おそらく喫緊のものではありません。喫緊の需要であれば、少なくとも修習生向けに、相応の条件を提示して募集をかけているものと思われます。が、たとえば、現在でも依然として弁護士がいない市町村において弁護士を招聘したとして修習生に案内状を出しているところがあるという話を寡聞にして聞きません。であるならば、青山先生がおっしゃるような需要も潜在的にはあるのかもしれませんが、そのような喫緊でない需要を満たすために合格者3000人の早期実現を果たすことは、厳しい財政状況に配慮してご遠慮いただく、むしろ、既存の法律事務所を含めた需要サイドが本当に必要とする数にまで合格者数を減少させることが望ましいように思われます。

 さらに、青山先生のような国の財政状況を心より心配されている方が理事長を務めている法科大学院協会にご提案したいことがあります。

 現在、法科大学院の専任教員は、研究者教員および実務家教員併せて約1800名。需要サイドでは年間1000人程度の新人が輩出されれば十分である法曹養成に従事する方々の人数としてはいかにも多すぎるように思われます。しかも、昨年の実績でいえば、「専任教員の数÷最終合格者」が1を割った法科大学院が49校、うち0.34を切った(つまり、最終合格者の数が専任教員の3分の1にも満たない)ところが22校あります。はっきり言ってしまえば、最終合格者1人を輩出するのに専任教員1人をつけなければいけないなんって、無駄の極地です。まともに最終合格者を出せないような法科大学院は直ちに廃校とするように会員校に働きかけていただけないでしょうか。

 私の資産ですと、「専任教員の数÷最終合格者」が1を割り込んだ法科大学院を廃止しただけで専任教員を約920人、1.5を割り込んだ法科大学院を廃止すると専任教員を約1200人削減することができます。専任教員の平均年収を1000万円と仮定すると、それだけで約100億円社会的なコストが浮くことになります。実際には、効率の悪い法科大学院を廃止すれば、兼担教員や非常勤講師、事務職員の人件費等も不要になりますし、法科大学院棟を別目的に活用して収益を得ることができますから、社会的コストの節約たるや相当のものです。これで司法試験合格者数を喫緊の実需にあわせて1000名程度に縮小すれば、国の財政にも優しい結果となりそうです。

 それを弁護士に担わせることが具体的に需用者に望まれていない業務に対応するために司法試験合格者数を3000人とすることを最優先とし、これと引替えに給付制を廃止して、貧しい家庭の出身者が司法修習を受けることを断念する社会を築きあげるよりは、需用者から喫緊に望まれている需要に対応する限度に合格者を押さえてこれにあわせて多すぎる法科大学院を淘汰していき、その代わり、貧しい家庭に生まれても優秀な若者が司法修習を受けられるように給付制を維持する方が、よくよく上手なお金の使い方のように思われてなりません。

 上記提案は、法科大学院協会傘下の法科大学院の専任教授らの大量失業を前提とするものですから、法科大学院協会では受け入れがたいものかもしれません。ただ、研究者の皆様におかれましては、大学等の教育機関に籍を置いてそこで給料を受け取ることにより生活の糧を得るという旧来の業務と執務態勢に固執することなく、法学研究者として、その職域を拡大し、執務態勢を改め、新しいキャリアモデルを構築することによって、その困難を乗り切るように、指導していただければ幸いに存じます。

21/10/2010

東京新聞にとっては、新人弁護士に多額の借財を負わせることが司法改革の柱

 語るに落ちるとはこのことか。

 東京新聞は、マスコミの司法改革に対する情熱の本質が、単なる「弁護士叩き」にあることをはからずも吐露してしまったようです。

 同社の「司法修習生 納得できぬ給費継続」と題する社説は、予断と偏見に満ちた、それはもう見るに耐えないものです。

 この社説は、まず、

司法修習生に給与を払う制度の継続は納税者の納得を得られないだろう。

というところから始まります。しかし、もちろん納得してくださらない納税者が皆無とは言わないものの、意外と納得してくださる納税者が多いのが実情です。「1年の研修期間中、無給」というのは、一般の納税者の感覚としても「酷い」と感じてくださるからです(20代半ば以降の子ども生活費を親として軽々見てあげられる新聞社の論説委員の方々の金銭感覚は、一般の方々のそれとは隔絶しているように思われます。)。

 続いて、論説委員は、

法律家の特別扱い存続では司法改革の歯車が逆転しかねない。

とあります。マスコミにとっては、「司法改革」の本質は、「法律家の処遇の悪化」にあったので、こういう言い方になったのだろうと思われます。私は、司法サービスを市民にとって使い勝手のよいものにするということこそ「司法改革」の本質だと理解しています。私のような理解だと、「法律家として出発する若者に多額の借金を背負い込ませないようにする」というのは、司法改革の進展を妨げるものとはなりません。

 さらに、東京新聞の論説委員は、

そのかわり希望者には「無利子、五年据え置き、十年返済」の好条件でこれまでと同額が貸し出される。

とします。きっとマスコミの皆様は、OJT主体の初年度の研修期間無給とされても「無利子、五年据え置き、十年返済」で生活費の融資が受けられれば、感謝感激するのでしょうが(まあ、その後高給が約束されていますし)、普通は、無利子であれ、1年間の生活費を借金に頼らざる状況を歓迎することはありません。しかも、この融資は、2名の連帯保証人を探してくることが条件です。もちろん、2名の連帯保証人に代えて、「オリコの機関保証」というオプションも用意されているのですが、最高裁は、オリコに対して、無審査保証義務を課しておらず、保証するか否かをオリコが独自の基準で審査できることになっています。つまり、保証人をつけることができずい、融資を受けることができない修習生が相当数生ずるおそれが十分にあるということになります。

 

 最高裁によれば、給費制を維持すると年間百億円が必要になる。これだけの税金を使うのなら、低すぎる国選弁護報酬の増額、貧困者の裁判費用を援助する法律扶助の予算増額など、もっと有意義な使途があるはずだ。

とつなげるのですが、これは全く無意味な情緒論です。給費制の廃止が決まっている現時点において、低すぎる国選弁護報酬を諸外国並みに引き上げる予定もなく、東京新聞を始めとするマスメディアもそんなことは望んでこなかったからです。

 さらに、

 本当に困っている修習生への支援は誰も反対しないが、困窮していない人、弁護士事務所で高給を得る人にまで一律支給では納税者は納得できない。各種資格のなかで法律家だけをなぜ特別扱いするのか、説得力ある説明もない。

とあるのですが、司法改革が予定通り進めば、特に若手弁護士の大半は弁護士事務所にいても「高給を得る人」ではなくなります。現にそうなりつつあります。年功序列賃金を採用していない弁護士の場合、大卒男子前年第平均賃金との対比で見ていくことが適当なのですが、これを下回っている若手弁護士は相当数に上るように聞いております。

 さらにいえば、なぜ法律家だけが特にに研修期間中の給費制を必要とするのかといえば、単純に、必要とする研修期間が長期間にわたり、かつ、その従前の生活拠点と離れた場所に転居させることが余儀なくされるからです。ドイツの司法修習生は、アルバイトが容認されており、かつ、アルバイトをしても死なない程度のカリキュラムが組まれていますが、アルバイトをせずとも死なない程度の給費制が組まれています。みんながみんな、新聞社の論説委員のような豊かな親をもっているわけではないのです。

 貧しい人については、将来の公益活動を条件に貸与金の返済を免除する制度を設ければいい。

とのことですが、弁護士会では、親が貧しかろうと豊かであろうと、公的活動を分担するということを前提としています(そして、それが果たされてきたからこそ、この程度の国選報酬、この程度の法律扶助予算でも何とかやってきたということができます。)。もちろん、東京新聞の論説委員のような富裕層から見ると、「公益活動なんて、貧しい奴の子どもがやればいいんだよ」ということなんだろうと思います。ただ、宇都宮会長は、そういう見解を支持されないのだと思うし、多くの納税者もそうなのではないかと思います。

 さらに、

給費制廃止は弁護士増員と一体となった司法改革の柱だ

と、東京新聞の論説委員は力説します。しかし、給費制廃止は、修習期間の短縮とともに、司法試験の合格者数は急増させたいが、予算は増やしたくないというご都合主義の末編み出されたものに過ぎず、「司法改革の柱」ではないと一般に認識されてきたはずです。でも、マスメディアにとっての「司法改革の柱」とは、弁護士どもをこれでもかと傷めつけることになることがよくわかりました。何と正直な東京新聞。

獲得した資格が生かせない例は多いのに、弁護士だけはなぜその資格で生活できるよう人口制限が許されるのか。これも合理的説明がない。

として、東京新聞は給費制存続論と合格者数制限論を絡めて批判するという禁じ手も打ってきています。しかし、この両者に強い関連性がないことは、合格者数を制限していないドイツにおいて給費制が維持されていることからも明らかです。

 なお、上記質問に答えるとすれば、「職業人として十分な能力を身につけるのに相当の時間とコストが掛かる職業において、それだけの時間とコストを費やしても生活できるようにならない蓋然性が高まると、他の職業をも選択しうる才覚の持ち主は、その職業を選択しなくなる可能性が高い」からということになるでしょう。例えば、医師資格取得者の半分しか医師として働くことができなくなったら、誰が医学部なんぞ受けるか、と考えてみてください。
司法改革は、弁護士が特別な存在ではなく、普通の隣人として身近にいる社会を目指している。

 本当にそう思うのであれば、社会に出たての弁護士が、住宅ローンや開業資金の融資を受ける前に1000万円近い借財を背負うという状況を作り出さないように、給費制の維持と、法科大学院制度の廃止を推進していただきたいです。「普通の隣人」はそんなに借金を背負い込んでいませんから。

 もっとも、法科大学院から多額の広告料を取得してウハウハの新聞社に後者を望むのは酷ですね。なら、せめて、給費制の維持に反対をしないでいただきたいものです。

11/10/2010

囚人のパラドックス

 「立ち上がれ日本」のレベルを示す存在として今や注目の的である小倉あさ子弁護士が次のように述べています。

政治資金規制法違反で捕まったある大物政治家とその秘書がいます。

二人は身柄を拘束されており、互いの意思疎通ができません。しかし、二人はお互いに下記のような司法取引を持ちかけられます。

二人はとも黙秘したら懲役2年づつ、二人とも自白したら懲役10年づつ

一人が自白し、もう一人が黙秘したら自白した方は懲役1年、黙秘した方は懲役20年

さて、大物政治家と秘書は、合理的に考えてどのような選択をすることになるのでしょうか?


 しかし、政治資金規正法って、最高で5年以下の禁錮ですから。黙秘しようとなにしようと、政治資金規正法違反で懲役20年ってありえませんから。残念!!仮にも弁護士なのだから、法定刑のチェックくらいして欲しいものです(ついでに、この種の行為に対する自由刑は、たいてい、懲役ではなく禁錮だということも、思い出せばいいのに。刑法をちゃんと勉強していれば当然出てきたと思うのだけど。)。

 さらにいうと、「囚人のジレンマ」って、被疑事実が真実であっても虚偽であっても、同じように成り立ってしまうものなので、実在の人物・事件へのあてつけだとすると、却って逆効果だと思えてなりません(だって、捜査段階での秘書の「自白」は、「囚人のジレンマ」の中での合理的な行動の一環として行なったものであり、真意に基づくものではない、っていう方向に向かうでしょ?)。

 小倉あさ子弁護士のブログ、トラックバック機能がないのが残念です。

06/10/2010

実刑判決を受け手の控訴審段階での保釈(修正あり)

 サンスポに次のような記事が掲載されています。

 元検事の大澤孝征弁護士(65)の第一声は「高裁の決定は理解に苦しむ」と驚き、その理由について「どんな犯罪でも実刑になれば、再犯や逃亡の恐れがあるため保釈は許可されないのが通例。今回は検察側が控訴を断念したことで、控訴審での争点が遺棄致死から遺棄となり、“軽い犯罪”となったことで保釈を許可したのだろうか」と首をかしげた。

 禁錮以上の刑に処する判決の宣告があつた後なので、落合先生も指摘する通り、権利保釈は認められないとしても、裁量保釈が認められないというわけではありません。

 そして、勾留制度は、再犯を防止するためにあるわけではありませんから、「再犯のおそれ」を理由として保釈申請を却下するとはおかしな話です。(この案件については、第1審が認定した犯罪事実自体かなり特殊例なので、「再犯のおそれ」を認定するのも困難だと思いますが。)。加えて、押尾被告の場合、顔が知られていますので、逃亡するのも容易ではありません。

 さらにいえば、「どんな犯罪でも実刑になれば、再犯や逃亡の恐れがあるため保釈は許可されないのが通例」との点についていえば、「えっ、鈴木宗男さんって幻?」と答えざるを得ないような気がしなくもありません。堀江さんは?とか、元時津風親方とか、実刑判決を受けた後上訴後に保釈を受けた例は枚挙にいとまがありません。っていうか、私ですら、第1審で実刑判決を受けた被告人について控訴審段階で保釈決定を得たことがあるのですが、大澤弁護士はそういう経験がないのでしょうか?

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