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août 2011

23/08/2011

ササクレ屋さんへの反論(中編)

 さて、続きです。

 ササクレ屋さんは、小寺さんのエントリーを次のようにまとめます。

・しかしブームの火付けに失敗したのでエスカレートしすぎてかつてない反感を買った。<これが小寺さんの見るフジへの反感の第一の理由>

・(K-POPや韓国ドラマといった「韓流コンテンツ」ではなく)売ろうとした商品が「韓国」であった。<第二の理由>

 しかし、冬のソナタを推していたころのNHKならばともかく、フジの韓流ドラマは、平日の昼間の午後2時以降の枠で放送されています。この時間帯は、視聴者層が専業主婦と高齢者中心であり、もともと「ブームに火を付ける」云々とは縁がない時間帯です。実際、同時間帯の民放各局の番組を見ると、日本テレビが「ミヤネヤ」を放送しているものの、それ以外はドラマやサスペンスを再放送しているというのが実情です。「ブームの火付け行為がエスカレートしすぎた」とは、とてもではないがいえないところです。

 また、K-POPにしても、人気のある音楽番組に出演してシングルカット楽曲を歌う、ドラマの主題歌やCMのBGMに使ってもらうというのは音楽コンテンツの宣伝広告手法としてはきわめてありふれており、「エスカレートしすぎ」たとは言えないように思います。

 次に、売ろうとした商品が「韓流コンテンツ」ではなく「韓国」であったとするのはかなりうがった見方のように思われてなりません。フジテレビは、K-POPについては音楽出版権を押さえているので、その売り上げの向上は利益に繋がりますが、「韓国」自体の好感度が上がっても、直接的な利益を受けることができません。私も、Hey!Hey!Hey!にK-POPユニットが出ている場面を見たことがありますが、そのユニットではなく、その属する「韓国」という国を売り込んでいるようにはとうてい見えなかったわけです。っていうか、フジテレビにおけるK-POPユニットの扱いのどの部分に「『韓国』という国自体を売り込んでいるのだ」感を感じたのか、理解不能です。

 むしろ、フジテレビが韓流コンテンツを流すことに対して「『韓国』を売ろうとしているのだ」と感ずるのは、韓流コンテンツがどうのこうのではなく、「韓国」自体を拒絶したい気持ちがその受け手に強いからなのではないかと思います。

 ササクレ屋さんは、

国家に対して思うところがあるという理由で韓流コンテンツも好きになれない人がいたとしても人種差別呼ばわりするべきではないし、フジテレビ問題は国家・コンテンツ両方に対しての「好き嫌い」だけが論点でもない
とおっしゃいます。しかし、出自を基準に好き嫌いを判断している時点でレイシズムであり、ただそれが自分自身の商品等(特にコンテンツ系のように「好き嫌い」で決めることが当然に許容されるもの)の選択基準を構成するにとどまっている場合には、許容限度内にとどまっていると言うべきなのだと思います。それが、「だから、フジテレビは放送するな」と他者にまで「出自を基準とする好き嫌い」を押しつける段になると、許容限度を超えるレイシズムということになるわけです。

 ということで、ササクレ屋さんの、

いくら日韓友好が善なることであっても「批判するな嫌うな」「それをするのは差別だ」と決め付けるのはあからさまにおかしいはずなのですが、小倉さん以外にもこの騒動の出発点・主流層が差別主義的な反韓だとみなすかのような人がブクマコメントにも意外に多いですねー。
という批判は、的が外れているということになります。

 さらに、ササクレ屋さんは深水さんの見解を、

・局が電波を使って自らやその子会社が著作権や商品化の権利を持っているコンテンツを宣伝するような行為(※1)は違法。

とまとめた上で、放送法第51条の2を引用した上で、

韓流コンテンツの権利をテレビ局が押さえる → コンテンツのCMを放送する これなら問題なし。CMと認識されない番組内で韓流コンテンツの宣伝を(有料で)行うのがステルスマーケティングであり違法となります。

と断言します。

 しかし、放送法51条の2は、

一般放送事業者は、対価を得て広告放送を行う場合には、その放送を受信する者がその放送が広告放送であることを明らかに識別することができるようにしなければならない。
と規定するので、①自社商品の放送番組内で宣伝すること、②対価を得ずに他社商品を宣伝することは適法だということになります。

 テレビ番組では市販の商品を番組内で組み入れることはある意味で不可避的であり(これを回避しようとすると、ある種のNHKの番組のように不自然となります。)、かつ、番組内に組み込むだけでその商品の宣伝広告に繋がってしまうという性質がある故に、広告放送部分以外でも特定の商品を宣伝することとなってしまうのはテレビ番組の定めであると言えます。

 それを否定すると、テレビ番組自体が成立しにくくなります。歌番組に至っては、レコード等が市販されている楽曲、市販される可能性のある楽曲をその歌手に歌ってもらうことすらできなくなるので、少なくともポピュラーミュージックを対象とするものは成立しなくなります。放送法51条の2がそのような結果を招来しようというものでないことは明らかです。

 

◆放送法の意図するところは視聴者が「CMと認識しない状態で宣伝を見せられるのを避ける」ことなので、ステルスマーケティングは広告宣伝料の有無に関わらず視聴者の不利益なので批判され問題視されてしかるべきことです。
とまで言われてしまうと、もはや、情報系番組は崩壊します。「ぶらり途中下車の旅」すらアウトになります。「食いしん坊万歳」なんてもってのほかです(口に合わなくても、まずいとは言わないんだぜい!)。しかし、それらの番組を中止に追い込もうという人は、昨日お台場まで出かけた人の中にいないわけです。では、なぜ、音楽番組でK-POPを取り上げることをことさら「ステルスマーケティング」と言って糾弾しようとするのでしょうか。レイシズム故でしょう。

 さらに、ササクレ屋さんは、深水さんの見解をまとめる形で、

ましてやどこかの国のプロパガンダのような番組(※2)を流したりすることは禁止されて当然。

と述べた上で、

「韓国の悪いイメージにつながることを報道しなさすぎる(偏向)」傾向は明らかにありますし、「韓国をほめるために何かと日本を貶める」例も気のせいでは済まないレベル。これは政策として反日を是とする韓国が官民挙げて実行していることなので、こういう点は充分に ※2 韓国のプロパガンダを日本マスコミが実践しているとんでもない例です。

と述べます。

 しかし、ゲストとして外国の歌手が歌番組に登場しているときに、その歌手の母国の悪いイメージになることをわざわざかぶせないというのは当たり前の話です。その歌手が社会派で、歌の中で自国の暗部を糾弾しようとしているならともかく、普通に恋愛中心の歌を歌う歌手に対してそんな仕打ちはしません。

 報道番組では、韓国社会の問題点を報道することはあります。ただ、見る人が韓国に対する憎悪を煮えたぎらせるような作り方を日本の報道番組はしませんが、それは韓国に対してのみ特別にしないのではなく、どの国についてもしません。嫌韓プロパガンダに協力しないから偏向だ!といわれても、レイシズムに毒されていない普通の日本人は戸惑うより他ありません。「韓国に対して悪いイメージを与えるような番組作りをしないフジテレビは許せない!」という怒りは、レイシズムと評価されて当然だと言うべきです。

 眠くなったので、続きはまた後で。

22/08/2011

ササクレ屋さんへの反論(前編)

 前回のエントリーに対し、ササクレ屋という方が反論をされているようです。

 冒頭からいきなり、

テレビ局(マスコミ)が建前では「やってない」ことになっている法律上・倫理上問題のある複数の行為が噴出表面化したのが韓流ごり押し。問題行為を認めさせ改めさせなきゃというのがフジ批判の本質になりつつあるのに、問題行為とは何か知らないとか、行為を知っても問題だと感じないとか、いまだに嫌韓は差別主義者とかいいだす人がけっこういてなんかすごい。

と言ってあたかも民族差別とは無縁であると強弁しようとしているあたりがすごいです。実際のところ、法律上問題があるということを具体的な法律の条文から説得的に導いている見解はないし、「法律上・倫理上問題のある」と彼らが言っている手法を「韓流」以外についても改めさせようという声はほとんど上がっていないわけだし、昨日のデモだって、立派に韓国ゼノフォビアと結びついているわけで、現実離れした見解だというより他ありません。

 

また「誰からも嫌がられない番組を常に作り続けろ」を要求しているのだということになっていますが、そんな無謀で極端なことを言ってる人は匿名で誹謗中傷も渦巻く2ch含めネット上で見たことないです。小倉さんはいったい何をごらんになったのでしょうか。

とおっしゃっています。どこを見たら私がそういっているように見えたのか不思議です。フジテレビを批判している人たちは、「誰からも嫌がられない番組を常に作り続けろ」と要求しているのではなく、「韓国を嫌いな俺様に嫌がられない番組を常に放送し続けろ」と言っているに過ぎません(「俺様」を「日本人」「普通の日本人」と言い換えている例は多いのでしょうが。)。ただ、「韓国を嫌いな俺様」に配慮する義務をテレビ局に負わせた場合、あらゆる「◎◎を嫌いな俺様」に配慮する義務をテレビ局は背負い込むことになります。「韓国を嫌いな俺様」の声だけを優先的に扱えというのは、韓国嫌いだけをたのフォビアよりも尊いものと位置づけるわけですから、ゼノフォビアとのそしりを免れないでしょう。

 

「韓流を嫌うのは差別主義者」と断じてしまうのがそもそも無茶苦茶ですね。「フジ批判の中で差別的な言動を取る人も一部いる」というのが正確でしょう。だのでその言動について批判するならわかりますが、「フジ批判はレイシズムで韓流を嫌い韓流止めろとわがままを言う連中」という設定で「『フジ批判』批判」をするのが小倉さんの的外れなとこだと思うのです。

ともおっしゃっていますが、それは無理があるでしょう。「韓流を嫌う」こと自体は誰も批判していません。「見たくなければ見なければいい」という発言は、「韓流を嫌う」自由自体を尊重しているのです。しかし、「フジ批判」の人たちの要求は「韓流を嫌う自由を認めろ」ではありません。「韓流ドラマを見たいとする視聴者がそれなりにいて、それを放送することが経営上合理的であると判断したから、既存ドラマの再放送ではなく、新たに買い付けた韓流ドラマ」を放送しているテレビ局に対して、その放送をやめろ、すなわち、自社の利益を損なってでも、他の視聴者の期待を裏切ってでも、とにかく、韓流ドラマを地上波で流すなと主張しているわけです。それは、「個人的に嫌い」ということを超えた「排外運動」であるということができます。

 そろそろ電車を降りないといけないので、続きは後で。

20/08/2011

君たちが嫌いな番組を見たい人だっているんだ。

 高岡蒼甫さんのTwitter上での発言に端を発した民族差別主義者たちによるフジテレビ攻撃に対し、ビートたけしや岡村隆史(ナインティナイン)、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)等が「嫌なら見なければいい」と批判を加え、さらにこれに対し、作家の深水黎一郎さんやMIAUの小寺信良さんが異議を唱えるという状況になっているようです。

 しかし、放送電波が公共のものだといってみたところで、様々な趣味嗜好が併存する自由の国日本において「誰からも嫌がられない番組」を常に作り続け、そういう番組のみを放送するのは至難の業だし、そういう番組はたいてい面白くありません。エンターテインメントビジネスにおいて、「誰かから嫌がられる」というのは不可避の定めであるとすら言えます。だからこそ、エンターテインメントビジネスでは「誰かから嫌がられる番組は放送しません」という選択はとり得ないわけです。したがって、作り手からいえば、「嫌ならば見なければいい(好きだという人に向けて放送することを邪魔しないでくれ)」というよりないわけです。

 ビートたけしにせよナイナイの岡村にせよロンブー淳にせよ、自分が関与している番組がPTAなどから「子どもに見せたくない番組」とのレッテル張りをされてきた芸人です。すなわち、彼らは、「かなり多くの人々から嫌がられる番組」を作ってきた人です。だからこそ、この「私がこの番組が嫌いだ。だから放送するな」というテレビ局攻撃に対しては、反論をせざるを得なかったのだろうと推測します。狂信的な民族差別主義者の要求に屈してその嫌がる韓流ドラマを放送しないという選択をテレビ局がとった場合に、PTA等の抗議によりその嫌がる「過激なお笑い番組」を放送しないという選択をテレビ局がとらないという保障はないからです。

 私は、正直テレビ局とは戦ってきた弁護士だし、現在もフジテレビを相手方とする訴訟で訴訟代理人を務めています。ただ、私(の依頼者)が要求していることは、テレビを見たいという人が何時、どこにいてもテレビを見ることができるようにさせてくれということであって、「見たいといっている人に、見させてやってくれ」ということです。だからこそ「俺たちが気に入らない番組は放送するな」という民族差別主義者の要求は、とてもではないが、容認する気にならないのです。

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