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22/08/2011

ササクレ屋さんへの反論(前編)

 前回のエントリーに対し、ササクレ屋という方が反論をされているようです。

 冒頭からいきなり、

テレビ局(マスコミ)が建前では「やってない」ことになっている法律上・倫理上問題のある複数の行為が噴出表面化したのが韓流ごり押し。問題行為を認めさせ改めさせなきゃというのがフジ批判の本質になりつつあるのに、問題行為とは何か知らないとか、行為を知っても問題だと感じないとか、いまだに嫌韓は差別主義者とかいいだす人がけっこういてなんかすごい。

と言ってあたかも民族差別とは無縁であると強弁しようとしているあたりがすごいです。実際のところ、法律上問題があるということを具体的な法律の条文から説得的に導いている見解はないし、「法律上・倫理上問題のある」と彼らが言っている手法を「韓流」以外についても改めさせようという声はほとんど上がっていないわけだし、昨日のデモだって、立派に韓国ゼノフォビアと結びついているわけで、現実離れした見解だというより他ありません。

 

また「誰からも嫌がられない番組を常に作り続けろ」を要求しているのだということになっていますが、そんな無謀で極端なことを言ってる人は匿名で誹謗中傷も渦巻く2ch含めネット上で見たことないです。小倉さんはいったい何をごらんになったのでしょうか。

とおっしゃっています。どこを見たら私がそういっているように見えたのか不思議です。フジテレビを批判している人たちは、「誰からも嫌がられない番組を常に作り続けろ」と要求しているのではなく、「韓国を嫌いな俺様に嫌がられない番組を常に放送し続けろ」と言っているに過ぎません(「俺様」を「日本人」「普通の日本人」と言い換えている例は多いのでしょうが。)。ただ、「韓国を嫌いな俺様」に配慮する義務をテレビ局に負わせた場合、あらゆる「◎◎を嫌いな俺様」に配慮する義務をテレビ局は背負い込むことになります。「韓国を嫌いな俺様」の声だけを優先的に扱えというのは、韓国嫌いだけをたのフォビアよりも尊いものと位置づけるわけですから、ゼノフォビアとのそしりを免れないでしょう。

 

「韓流を嫌うのは差別主義者」と断じてしまうのがそもそも無茶苦茶ですね。「フジ批判の中で差別的な言動を取る人も一部いる」というのが正確でしょう。だのでその言動について批判するならわかりますが、「フジ批判はレイシズムで韓流を嫌い韓流止めろとわがままを言う連中」という設定で「『フジ批判』批判」をするのが小倉さんの的外れなとこだと思うのです。

ともおっしゃっていますが、それは無理があるでしょう。「韓流を嫌う」こと自体は誰も批判していません。「見たくなければ見なければいい」という発言は、「韓流を嫌う」自由自体を尊重しているのです。しかし、「フジ批判」の人たちの要求は「韓流を嫌う自由を認めろ」ではありません。「韓流ドラマを見たいとする視聴者がそれなりにいて、それを放送することが経営上合理的であると判断したから、既存ドラマの再放送ではなく、新たに買い付けた韓流ドラマ」を放送しているテレビ局に対して、その放送をやめろ、すなわち、自社の利益を損なってでも、他の視聴者の期待を裏切ってでも、とにかく、韓流ドラマを地上波で流すなと主張しているわけです。それは、「個人的に嫌い」ということを超えた「排外運動」であるということができます。

 そろそろ電車を降りないといけないので、続きは後で。

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