最高裁判例の一人歩きの一事例(権利侵害の一見明白性)
開示関係役務提供者は,侵害情報の流通による開示請求者の権利侵害が明白であることなど当該開示請求が同条1項各号所定の要件のいずれにも該当することを認識し,又は上記要件のいずれにも該当することが一見明白であり,その旨認識することができなかったことにつき重大な過失がある場合にのみ,損害賠償責任を負うものと解するのが相当である
とする最高裁判所平成22年4月13日第三小法廷判決民集64巻3号758頁を引用して、発信者が権利侵害を自認しない場合には、プロバイダは訴訟外で任意に発信者情報の開示に応じなくとも、重大な過失ありとはいえないという主張がなされることがあり、それを認める下級審もあるようです。
しかし、それは最高裁判例の一人歩きもいいところではないかと思います。
上記最高裁判決が、任意に発信者情報を開示しなかったプロバイダについて重過失を否定したのは、以下のような理由に基づきます。
- 当該事件においては、「2ちゃんねる」の電子掲示板の「A学園Part2」と題するスレッドにおいて、当該事件原告(以下、「X」という)とXが学園長を務めるA学園の活動に関して、様々な立場からの書き込みがなされており、その中で「何このまともなスレ 気違いはどうみてもA学長」との書き込みがなされたという事案であった。
- 上記書き込みは、その文言からすると、上記スレッドにおける議論はまともなものであって,異常な行動をしているのはどのように判断してもXであるとの意見ないし感想を,異常な行動をする者を「気違い」という表現を用いて表し,記述したものと解される。
- 上記記述は,「気違い」といった侮辱的な表現を含むとはいえ,被上告人の人格的価値に関し,具体的事実を摘示してその社会的評価を低下させるものではなく,被上告人の名誉感情を侵害するにとどまるものであって,これが社会通念上許される限度を超える侮辱行為であると認められる場合に初めて被上告人の人格的利益の侵害が認められ得るにすぎない。
- 上記書き込み中,Xを侮辱する文言は上記の「気違い」という表現の一語のみであり,特段の根拠を示すこともなく,本件書き込みをした者の意見ないし感想としてこれが述べられていることも考慮すれば,上記書き込みの文言それ自体から,これが社会通念上許される限度を超える侮辱行為であることが一見明白であるということはできず,上記スレッドの他の書き込みの内容,本件書き込みがされた経緯等を考慮しなければ,Xの権利侵害の明白性の有無を判断することはできない。
実際、上記事件は、判例雑誌に引用されている上告受理申立理由を見る限り、第1審では発信者情報開示請求自体を棄却、控訴審で発信者情報開示請求及び損害賠償請求を認容という経緯を辿っており、そのような事案において、そこで用いられている「気違い」という表現が「社会通念上許される限度を超える侮辱行為であることが一見明白である」とは言えないとするのはあながち不合理であるとは言えません。
ただ、この最高裁判例は、当該事件においてどの点に関する判断が難しいかを具体的に特定し、判断が難しい理由についてまでちゃんと言及をしています。すなわち、挟む余地のある「疑義」を具体的に特定することにより、開示請求者の権利が侵害されたことが一見明白であるとは言えないという結論を導いています。
ところが、近時は、この最高裁判例を引用しつつも、「開示請求権者の権利への侵害」について、具体的にどのような疑義が存在するのかを特定することなく、「一見明白であるとは言えない」とする主張が増えてきているような気がします。しかし、どんな疑義を挟む余地があるのかを特定することなしに「一見明白であるとは言えない」と言われても、反論のしようがありません。したがって、このような運用を認めてしまうと、発信者情報は任意には開示されず、被害者は全て訴訟を経ないと何の情報の開示も受けられないということになります。それは、被害者の経済的な負担を大きくするだけでなく、IPアドレス+タイムスタンプについてまで同様の運用がなされるときには、判決の確定により発信者情報としてIPアドレスとタイムスタンプの開示を受けたときには既に経由プロバイダの側でアクセスログを消去しており発信者の氏名等をたぐり寄せることができなくなってしまうということも十分に考えられるところです。
現行のプロバイダ責任制限法でも、開示請求者が発信者に対して訴訟を提起する場合の客観的主要事実の存在を示した場合には、主観的証明責任が事実上開示関係役務提供者に移転すると考えることは可能です(実際、プライバシー権侵害が問題となった事案で、開示関係役務提供者が「あらゆる抗弁事由が成立しないことの主張・立証責任」を開示請求者に求めたが、開示請求者にそこまでの主張・立証責任はないとして、裁判所が発信者情報開示請求を認めた事案はあります。)。この場合、開示関係役務提供者は、具体的な抗弁事由が成立する旨の合理的な疑いがあることを主張する責任を負い、その責任が果たされなかった場合には、抗弁事由が成立する合理的な疑いがないわけですから、権利侵害がなされたことは明白だとして取り扱ってよいと解するべきなのではないかと思います。
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