社会権としての「ネットにアクセスする権利」
「ネットにアクセスする権利」って、最近、スリー・ストライク法との関係で語られることが多いようです。そこでは、「アクセス権」の自由権としての側面が注目されています。
ただ、今後、様々な公的または民間のサービスがネットによって提供されるようになると、経済的な理由等によりネットにアクセスできないことの不利益はどんどん大きくなっていくことが予想されます。そこでは、ネットに適宜アクセスできないことにより貧困を脱出する機会が失われるという悪循環すら生ずる可能性があります。
そのような社会においては、「ネットにアクセスする権利」の社会権的な側面が重視されることになるのではないかという気がしてなりません。そこでは、例えば、失業者や低所得者に、型落ちのスマートフォンを国や地方公共団体が貸し出し、環境が改善されるまで、定額の通信料を負担するということだって考えられます。「そんな金がどこにあるのだ」という批判はあり得るところですが、失業者の失業期間がそれで短縮されるのであれば、財政的にもそんなに悪い話ではありません。
また、ホームレスになっても、それらの機器に充電することができるような仕組み作りをすることだって考えられます(充電に要する電気代自体は大したことはないので、要は、彼らを受け入れる環境を公的な機関または公的機関から委託を受けた民間企業に作ることが焦点となります。)。本来ならば、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定する憲法を有するわが国では、ホームレスとなった国民が、屋根の下で、最低限必要な暖房設備と電源供給設備を備えた環境で夜露を凌ぐ場を公的機関が提供する義務があるのではないかとも思うのですが、そこに至るまでの次善策として、彼らが再出発する上での足かせとなる「ネットからの隔離」を回避する仕組みを早急に作る必要があるのではないかと思うのです。
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