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septembre 2015

26/09/2015

「一般国民の多く」が示すもの

 「モトケン」こと矢部善朗弁護士(元創価大学法科大学院教授)が

安保法制の整備が必要だとすれば、政府提案の法案のどこが違憲であり、それを合憲にするにはどうすればいいかという議論が、当然なされるべきだと思う。

述べたのに対し、私が、

そもそも多くの国民が自ら戦地に行く気がない現状のもとで、それを合憲にするためにどうすればいいかを提案する必要はありませんね。

言及したところ、

小倉弁護士は、安保法が一般国民の多くを戦地に送り込む法律だ理解しているようだが、安保法のどの条文をどう読むと小倉弁護士のような理解になるのだろう?

という不思議な反論を受けてしまいました。

 しかし、私の上記発言のどの文言をどのように理解したら、私が安保法が一般国民の多くを戦地に送り込む法律だ理解していると理解できるのか、皆目見当がつきません。そこでは、戦地に送り込まれる一般国民の人数ないし規模について直接的な言及がなされていないことはもちろん、間接的にこれを示唆する文言等すらないからです。そして、論理的にも、戦地に送り込まれるのが一般国民のうちのごく一部であっても、我こそ戦地に赴かんという一般国民がごくわずかしかいない状況下においては、敢えて憲法に反することなく一般国民を戦地に送り込む方法を考案し、提唱する必要性など誰にもないことは明らかです。一般国民の多くが戦地に送り込まれるというものでない限り、一般国民を戦地に送り込む法案が憲法に適合するように、敢えて苦心する必要なんてどこにもないのです。

 弁護士であり、ほんの少し前まで法科大学院の教授をしていた人物が、「『一般国民』『多く』『戦地』『送り込む』という単語さえ共通していれば、自由にこれを組み替えて相手の文章を理解することが許される」と思っているとは信じたくないところではあります。さらにいえば、矢部弁護士といえば、コメントをその文言通りに読み取った上でこれを批判する行為について、

論者の真意を確かめないで決め付けるのであれば、揚げ足取りとしか言えない主張です。

とか

形式論理を用いて自分に都合がいいようにだけ解釈するというのは、単に攻撃または批判のための主張であって、建設的でもなければ相互理解に役立つこともないでしょう。

とまでおっしゃっていたわけで、「先ず隗より始めよ」と言いたくなってしまいます

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