« décembre 2015 | Accueil | mars 2016 »

février 2016

28/02/2016

忘れられる権利と検索結果からの削除を求める権利

 どうも日本では、「忘れられる権利」というと、自分に関する事実摘示を含むWEBページの検索結果からの削除またはそのWEBページに関するスニペット表示の削除を求める権利一般を指すものと理解されている気がします。しかし、本来、「忘れられる権利」と「WEB検索結果からの削除を求める権利」とは別物だと思います。

 Xの社会的評価を低下させるような事実αがYによって公然摘示された場合であっても、事実αが公共の利害に関する事実であって、Yが専ら公益目的でαの摘示を行ったときは、Yが事実αが真実であることを証明すれば、損害賠償義務を負いませんし、削除義務も負いません。しかし、例えば事実αが犯罪に関する情報である場合、Xが逮捕されたり起訴されたり有罪判決を受けたりした直後については公共の利害に大いに関するものであったとしても、時に経過とともに、公共の利害との関係性は次第に薄れていきます。すなわち、以前はYによる事実αの摘示行為は適法だったとしても、時の経過とともにこれは違法となり得るということになります。

 Xの私的領域に関する事実βがYにより流布された場合であっても、Xの社会的地位との関係で、その程度のプライバシー権の侵害は受忍すべき範囲に留まるとされることがあります。しかし、時が経過し、Xの社会的地位が変化した場合(例えば、当時は公職に就いていたが、現在は既に退いていたなど)には、もはや現時点でのXの社会的地位との関係では、事実βをなお流布されることは受忍すべき範囲を超えるということになり得ます。この場合、以前は事実βの流布行為は適法だったのが、時の経過とともに違法となり得るということになります。

 また、X自身が事実βを自ら公表していた場合であっても、Xの社会的地位の変化とともに、事実βを公衆に知られたくない情報とXが考えるにいたる場合も有り得ます(例えば、若いころに撮ったセクシーなグラビアを、モデル引退後、公衆の目に晒されたくないと考えるような場合です。)。現在のXの社会的地位との関係では事実βを公衆に知られたくないと考えるのは相当だと通常人が考えるようなものであった場合、これをなお流布する行為は違法となり得るということになります。

 このように、自らに関する情報の流布を以前は止めることが許されなかったが、時の経過とともに、これが許されるようになる。これこそが、本来的意味における「忘れられる権利」です。

 ウェブ検索からの自己関連情報の削除を求める場合として、以前はそのネット上での公開を甘受しなければならなかった情報がいつまでもウェブ検索を通じて公衆の目に晒されるのを何とかしたいという場合も含まれることは事実です。しかし、それだけではありません。そもそもそのような情報を流布することがそもそも違法である場合も含みます。

 そのような情報については、ウェブ検索サービス提供者に検索結果からの排除を求めるのではなく、投稿者又は掲示板等の運営者を相手に当該WEBページ自体からの削除を求めれば良いではないかと思うかもしれません。しかし、現行法上、匿名の相手に対して情報の削除を求める法的な手続は用意されていません。そして、多くのCGMサービスにおいては、情報の発信者は匿名ですので、情報の削除を求める術がありません。のみならず、Whois Protect Service等の隆盛、偽名・偽住所でのドメイン登録を認めるドメイン管理機関の横行などにより、独自ドメインを取得すれば、匿名のまま電子掲示板等を運用することが容易になった結果、掲示板の管理者に対し権利侵害情報の削除を請求することが困難になっていきました。このため、権利侵害情報をWEBページ自体から削除させることが困難となっています。このため、次善の策として、主たるウェブ検索サービスからは、当該WEBページが検出されないようにして、名誉毀損やプライバシー権侵害による損害を極小化しようとするのです。

 こちらについては、東京地方裁判所の一部の裁判官が、検索サービス提供業者に削除義務を認めるためのハードルを引き上げてしまったので、被害者はかなり苦しい立場に立たされています。

09/02/2016

外国法人に対する訴え提起等に際しての代表者にかかる証明

 法人等に対して訴訟を提起する場合、訴状において、被告たる法人だけではなく、その法定代理人をも特定して記載するものとされています(民事訴訟法37条により準用される民事訴訟法133条2項)。法人等を債務者として仮処分や仮差押をする場合も同様です(民事保全法7条)。

 訴状等において当事者の代表者として記載されている者が当該当事者の代表者たる□を有していることの証明(資格証明)は、書面によってしなければならないとされています(民事訴訟法37条により準用される民事訴訟規則15条)。当事者が国内法人である場合、法務局に行って登記事項証明書の交付を受けて、その原本を「資格証明書」として裁判所に提出することにより資格証明を行うのが通常です。

 しかし、日本国内に営業所等のない法人を被告とする訴訟を日本の裁判所に提起したり、日本国内に営業所等のない法人を債務者とする仮処分の申立てを日本の裁判所に行おうという場合には、この点がネックになることがしばしばあります。ある法人の現在の代表者が誰であるのかを公証する仕組みが整備されていない国や地域が少なくないからです。とりわけ問題なのは、日本との経済的な関係が深く、また、日本国内に居住する日本人をも相手にするサービスを提供しているインターネット企業の多くが本店を置いている米国において、法人の代表者を公証する仕組みが十分に整備されていない点です。

 本来であれば、TPP交渉の際にこのような非関税障壁の是正を参加国に義務づけるべきだったと思うのですが、法曹資格もなく、当然外国企業との裁判実務経験も乏しい甘利元担当大臣には荷が重かったのでしょう。

 とりあえずの弥縫策としては、訴え提起や、双方審尋を行う仮処分の申立ての時点では、当該法人等自身のウェブサイト上に代表者に関する記載があるような場合や、米国でいえばその法人が本店等を置いている州の州務長官のウェブサイト上に代表者に関する記載があるような場合には、それらをプリントアウトしたものによる資格証明でも足りるという運用に変えていく必要があるのではないかと思います(民事訴訟規則上は、書面によって資格証明をすれば足り、公的機関が作成した書面による資格証明までは必要とされていないので、裁判所の運用を変更すればどうにかなります。)。

 さらに、立法論的には、日本において取引を継続してする外国会社の日本における業務に関する訴えを日本の裁判所に提起する場合(そのような外国会社の日本における業務に関して仮処分の申立てを日本の裁判所に申し立てる場合も同様)については、当該外国会社が日本国内において外国会社としての登記をしていない場合には、代表者を特定することなしに訴えを提起しまたは仮処分の申立てを行うことを例外的に許容するべきなのではないかと思います。本来日本の裁判所でその責任を問うことができる外国法人について、代表者を公証できないが故に、訴訟で責任を問うことを断念しなければならないという事態は、「法の支配の貫徹」という観点から見たときに、許すべきではないからです。

05/02/2016

対案なら出せるけど

 復古的な改憲を望む人たちは望まない人たちに「対案を出せ」と軽々しく言うのですが、対案を出したら真面目に検討する気があるのでしょうか。

 他の先進諸国の憲法に備わっていて日本国憲法に備わっていないものというのは確かにいくつかあります。

 例えば、日本国憲法は、直接民主主義的な手法を徹底的に排除しています。しかし、それは、とりわけ政権選択の主たるポイントとはなりにくい政策に関して、国民の希望に添わない決定がなされる危険性を生み出すこととなります。したがって、例えば、衆議院または参議院において10分の1以上の議員が要請するときは、特定の法案について、各議員における議決に加えて、国民投票において有効投票数の過半数の賛成を必要とするような改正を行うということは1つ考えられます。

 また、日本国憲法の解釈としては、裁判所は、具体的な事件の解決に必要な限度においてのみ違憲立法審査権を行使できるとするのが多数説です。しかし、このように、具体的な事件の解決と離れて法令の合憲性を審査する司法機関が存在しないというのは、今日一般的ではありません。したがって、裁判所に、抽象的な違憲立法審査権を与える改正というのも考えられなくはありません。

 また、国際社会は、人種や民族等に着目した差別や憎悪の煽動を取り締まるという方向に向かっています。しかし、日本国憲法は、表現の自由を広く保障しているため、人種や民族等に着目した差別や憎悪の煽動について罰則規定を制定することに踏み切れていません。したがって、人種や民族等に着目した差別や憎悪の煽動を、表現の自由の保障の対象から明文で除外するという憲法改正も有りえます。

 また、経済のグローバル化に伴い、日本国内には様々な国や地域の人々が定住するようになり、その一部は日本国籍を取得するようになっています。このように、日本社会もまた否応なく多民族国家という様相を色濃く帯びるようになっていくわけですから、特定の民族の伝統や風習、習俗等を、日本国としての伝統や風習、習俗等として公権力が押しつけることを明文で禁止しておくというのは1つの考えだと思います。

 また、過去の最高裁判例で規制が合憲とされている政治活動(例えば、公務員による政治活動や、戸別訪問等の手法を用いた政治活動等)について、これを制約できないものとする方向での憲法改正というのは十分に考えられます。これらの政治活動が制限されていない立法例は諸外国に多くあり、さしたる弊害を生んでいないからです。

 このように対案を出せといわれれば出せなくはないのですが、とにかく憲法を改正したいという人たちがこれらの対案に乗ってくる可能性は乏しく、従って発議にいたる可能性はほぼないので、空しいだけなのです。

« décembre 2015 | Accueil | mars 2016 »

janvier 2017
dim. lun. mar. mer. jeu. ven. sam.
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31