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12/03/2016

5年目の3.11って日に

 法律業務の提供を弁護士に独占させること自体は、「信用財」という側面があること並びにかかるサービスの提供を円滑に行えるようにいくつかの特権(例えば、立会抜きに被疑者と接見できるとか。)が認められていることを考えると、まあ憲法上正当化されるのだろうとは思うのです。そして、信用財である以上一定以上の質が公的に担保されるべきこと、並びに判事・検事が弁護士を一段下の存在と見下すと刑事裁判が適正に行われなくなるリスクが高まることから、判事・検事・弁護士を統一的に研修させた上で、相互に人事交流できるようにすることには一定の合理性があるように思うのです。そして、どれだけの人数にこの統一的な研修を行わせるかについては、研修の実施に必要な物的並びに人的インフラをどれだけ整備できるかにかかっているわけで、政府がそのために費やせるコストに依存することにならざるを得ないことになります。

 もちろん、そのコストについては、①研修期間中の生活費等を含めて政府が支出する、②研修期間中の生活費は受講者が負担するが、インフラ運営費は政府が支出する、③研修期間中の生活費はもちろん、インフラの運営費用も受講者が負担するという3パターンが存在するわけです。そして、①→②→③と進むほど、判事・検事・弁護士になるために個人が負担すべきコストが上昇し、判事・検事・弁護士になれる人の出身階層が限定されることになります。そして、どのような出身階層にも優れた人材は散在しているという前提に立った場合、出身階層を限定すればするほど、優れた人材が参入する蓋然性を低下させていくことになります。これに対し、上位階層の出身者は概ね優秀であり、下位階層出身者は概ね無能であるという前提に立った場合、上位階層に限定して人材を養成するシステムを採用しても、参入してくる人材の質は落ちないということになります。

 日弁連が5年目の3月11日にわざわざ臨時総会を開いて討議したのは、直接的には、今後の司法試験合格者の数をどうするのかということと、法科大学院を修了することなく予備試験に合格して司法試験を受けるというルートをどこまで制限するかということです。しかし、その根底には、上記①ないし③のどれを良しとするのか、そして、出身階層を限定することによって新規参入者の質は落ちていくのかということに関する認識の違いがあるということが言えます。

 私は、原則①モデルで養成された口です。しいていえば、基本的な法律知識と法解釈手法の習得という比較的コストのかからない部分については、大学の法学部で学びましたので、その期間中の生活費と、インフラ運営費の一部を個人負担することにはなりましたが、証拠資料の収集及び評価、法廷などでの手続の実際の運用、法曹三者の実際の思考法等は、専ら司法研修所で2年間、政府の費用負担で習得させていただくことができました。このシステムだと、比較的個人負担分が低廉なので、広範囲の階層から出てきた人々が参入することが可能でした。

 その後、法曹養成モデルは大きな変革を迎えました。法科大学院において、基本的な法律知識と法解釈手法だけでなく、従前司法研修所で習得してきたことの半分を習得したものだけに司法試験受験資格が与えられ、司法試験に合格した者だけが、司法研修所で、法廷などでの手続の実際の運用、法曹三者の実際の思考法等を習得する機会を与えられることになったわけです。法科大学院においては、在学中の生活費及びインフラ運営費用は基本的に受講者が負担することになりますから、この時点で①と③の混合体となったのです。その後、司法修習生の給費制が廃止され、司法研修所での研修期間中の生活費も受講者が個人負担することになりました。したがって、現在は②と③の混合体ということになります。

 もちろん、この現在のモデルは、判事・検事・弁護士になるためのコストを飛躍的に引き上げましたから、新規にこれらになる人々の出身階層を大いに狭めることになりました。したがって、どのような出身階層にも優れた人材は散在しているという前提に立った場合、人材の質は確率論的に低下することとなったわけです。とりわけ、新規法曹を需要を無視して増やしすぎた結果、とりわけ弁護士の所得水準が下がるとともに、勤務弁護士として給料をもらいながら一定期間OJTを受けることができなくなるリスクも高まったことから、奨学金を含む借財で上記コストを賄ってまで判事・検事・弁護士になることが割が合わなくなり、法科大学院に入学しようという人々が減少していきました。法科大学院の実入学者数は、平成19年度は5,713 人いたのに、平成27年には2,201 人にまで減少しています。

 しかも、私が司法試験に受かったときは,その年の受験者のうち上位600人を司法試験に合格させて司法研修所で研修を受けさせれば良かったのに対し、上位1800人を司法試験に合格させて司法研修所で研修を受けさせなければならないので、下位合格者の質は必然的に、確率論的に低下することとなります。

 もちろん、これに対しては、法科大学院においては、優秀な講師陣による高度な法学教育が行われているので、全体のレベルが引き上げられており、上記参入者の出身階層の限定化並びにピックアップしなければならない人数の激増化の影響はないとする見解もあります。この見解にとって都合の悪い存在が、法科大学院を修了せずに、「予備試験」に合格してさらに司法試験に合格してしまう人たちの存在です。法科大学院における一流の講師陣による高度な法学教育を受けずまたはその途中で予備試験に合格して司法試験を受ける人々の方が、法科大学院における一流の講師陣による高度な法学教育を受け終わった人たちより、司法試験合格率が圧倒的に高いというデータは、法科大学院のレベル引き上げ能力に疑問を生じさせることになったわけです。

 3月11日の臨時総会で、日弁連執行部が提出した第1案及び一部有志が提出した第3案とも、予備試験ルートをできる限り制限し、法科大学院を修了した者たちの妨げにならないようにすることを求めるものでした。両者の違いは、第1案が司法試験合格者自体の縮小を求めるものであったのに対し、第3案は1800人という枠をできるだけ維持することを求めるものであったという違いです(正確には「年間1500名以上輩出されるようにし,かつ,現在の年間1800名の水準を十分考慮し,急激な減少をさせない」という表現ですが。)。第3案は、司法試験の合格率が上がれば、法科大学院への入学者は増えるはずという検証されていない予測を前提とするようです。ただし、この予測が外れた場合、法科大学院を修了するための費用さえ負担できればほぼ誰でも司法試験に合格できることになりますので、能力の劣る人材を排除する機能が司法試験から失われることになります。この場合、信用財提供の基礎としての法曹資格の意義自体が問われることになりかねません。

 翻って考えてみると、法科大学院を修了するか又は予備試験に合格することを司法試験の受験資格に加える正当性はどこにあるのでしょうか。法科大学院で習得するもののうち、司法研修所における研修を受けて新規法曹になるために欠かすことができないものがあるということであれば、それも司法試験科目に取り込めば良い話のように思われます。

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