零からの憲法草案(1)
現在の政治情勢を見るに、日本国憲法はもはや風前の灯火のようです。
早かれ遅かれ、右派の側から、為政者目線での憲法改正案が提示され、発議に回されることでしょう。
それに反対だけしていると守旧派だ何だと罵られるだけに終わることは目に見えています。失敗が目に見えていた平成の司法改革論議で、司法試験合格者の大幅増員論やロースクール構想に反対したときも同じように罵られましたから。
なので、逆に、庶民目線での憲法案を一から作ってみることにしましょう。
まずは、全体の構成から考えていきましょう。
国家権力の正当化根拠をどこに置くのかということから、いろいろな見解がありうると思います。ここでは、「主権者たる国民が、その権利や利益を守るために、強制力を有する組織体としての国家との間で、憲法という名の社会契約を締結した」ことに国家権力の正当化根拠を置いてみることにしましょう。すると、まず、主権者が国民に帰属することの宣言ならびにここでいう「国民」の範囲に関する規定が冒頭に置かれるのが素直です。
もっとも、主権者たる国民というのは、可視的な実体が存在しませんので、投票行動を通じて「主権者たる国民」の意思を擬似的に可視化する存在としての「有権者団」と、儀式を通じて「主権者たる国民」の意思を擬似的に可視化する存在としての「象徴」を置くことは合理的です。したがって、有権者団と象徴に関する規定を前の方に置くことは合理的と言えそうです。
この次に人権に関する規定を置くか、統治機構に関する規定を置くかは、起草者の趣味の問題でしょう。国家に委ねる権力の内容及び範囲を「人権」という形で示すのだと考えれば、統治機構に関する規定の前に人権に関する規定を置くことも十分に合理的です。
統治機構に関する規定の後には、地方自治に関する規定を置くのが素直かなという感じがします。地方自治に関する規定は統治機構に関する規定に含まれるのではないかという疑問もあるかも知れませんが、「自治」である以上、当該地方の運営に関して一定の決定権限を有する「住民」という概念を規定する必要があるので、統治機構の一翼ということでは収まりきれないと思います。
最後に、改正に関する規定を置くことになります。
安全保障に関する規定をどうするかという疑問があるかも知れませんが、専守防衛に徹する限り、「自国の主権の及ぶ範囲内で、自国の法令に従わない人または団体に対し、有形力を行使して、自国の法令に従わせる」と言うだけの話ですので、それはあくまで「行政」の一環ということが言え、統治機構に関する規定に織り込めば済むように思われます。
(続く)
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