27/11/2009
"Michelle Obama"をキーワードとしてGoogle画像検索を行った際に,ミシェル・オバマ大統領夫人を人種差別的に醜く描いた画像がトップに表示されることに関して,Googleがその画像を検索結果から削除する意思のないことを表明したことが世界的な話題となっています(BBCのHAVE YOUR SAYコーナーのテーマにすらなっています。)。
先日の法とコンピュータ学会での発表の延長戦ではないですか……。
まあ,Googleは
Accordingly, we do not remove a page from our search results simply because its content is unpopular or because we receive complaints concerning it,
と言っているそうなのですが,これって,Googleとしては,黒人差別というのは評判が良くないというだけで,悪いことではないと考えていると表明しているのでしょうか。Googleの創業者って白人だし,これを見る限り,白人比率が高い会社のようです。
Googleの場合,過剰なSEO対策を行うと検索結果から削除されることがありますので,人種差別は,SEO対策ほど悪いことは考えていないということなのでしょう。
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11/11/2009
世の中には、私たちとは時間の感覚が大いに異なる人がいます。
私も、4月16日(木)の11時03分にブログ上のある発言についての撤回を求めるメールの送付を受け、さらに、その日の13時18分に、何の返事もないということは撤回しないという意思表示かとして、15時までに撤回しないと懲戒請求するぞというメールを送られたことがあります。でも、私たち弁護士って、意外と外回りが多いので、事務所で起案しているとき以外はそんなに頻繁にメールってチェックしていないのです。弁護士でなくとも、普通のビジネスマン等であれば、大抵そうだと思うのですが(弁護士はまだ時間の自由がきく方です。)
私たち弁護士は、よくよく人間の生命身体等に差し障りがあるような本当の緊急時を除けば、相手に何かを要求するとき、相手がこれに対処するのに通常要する時間というのを計算に入れて期限を設定します。相手が期限内に何も対処しなかったという実績がほしいのではなく、相手に期限内に適切な対処をしてもらうことを重視するからです。
ですから、
日中はフルタイムの仕事をしていますので、当たり前のことですが、その時間帯にメールやtwitterなどで質問やご要望を出されてもお返事ができません(公務員の職務専念義務がありますので、それらを見ることすらできません)。
という矢野さんの
発言は全くその通りだと思います。
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25/10/2009
池田信夫さんが次のように述べています。
この点で、ブログより簡単に参加できるTwitterでブログよりノイズが少ないのは、ウェブの今後の方向を示している。実名ではなくても、固定ハンドルネームで評判を守るインセンティブがあれば、匿名ブログより質の高い言論空間ができる。アマチュアによる「草の根民主主義」が世界を変えるなどという幻想を振りまいたブログ1.0が、テクノラティとともに終わるのは健全なことだ。
ブログだって,エントリー自体は実名又は固定ハンドルネームが用いられるし,はてなブックマークでは固定ハンドルネームの使用が義務づけられます。でも,「現実空間での人格」との結びつきが外部から探知しにくい状態にあればあるほど,その固定ハンドルに付着する評判を守るインセンティブは低下していきます。その点に関していえば,Twitterとて何ら変わるところはありません。従って,Twitterの方が「固定ハンドルネームで評判を守るインセンティブ」があるということを前提とする議論は,現実からかけ離れたものになりそうな気がします。
ブログとTwitterの違いは,(コメント欄付きの)ブログにおいてはブログ主に対する批判や中傷をブログ主が見ざるを得ないのに対し,Twitterの場合,誰のつぶやきを見るのかを選択でいるので,Twitter主に対する批判や中傷をTwitter主は見なくともすむ点にあります。だから,「自分が批判されるのを見たくない」というだけの人から見たら,「Twitterはノイズが少ない」という評価になるのかもしれません。でも,誹謗中傷問題についていえば,「自分の目に触れなければそれでよい」というものではないので,匿名さんによるデマや誹謗中傷を問題視している人から見れば,デマや誹謗中傷がターゲットの目に触れること以上に,公衆の目に触れることこそが問題なので,ブログからTwitterへの流れは事態を改善しません。
まあ,現時点ではTwitterの検索可能性が弱いので誹謗中傷が集積していませんが,既にTwitter検索は出てき始めているので,匿名性のもたらす問題を解決しない限り,Twitterにおいてもまた,良貨が悪貨に駆逐されることになってしまうリスクは十分にありそうに思います。
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24/10/2009
池田信夫さんが,雑誌Voiceに掲載した記事の中で,
いま全国平均で時給713円の最低賃金を全国一律1000円に引き上げるという民主党の数値目標を本当に実施したら、人件費は20%近く上がり、中小企業は全体として赤字に転落するという調査もある。
と述べていること,そして,これが間違いであることは既に指摘したとおりです(最低賃金を全国一律1000円以上に引き上げることを求めているのは,民主党ではなく,日本共産党です。)。
普通,雑誌の編集者って,著者から送られてきた原稿を読んで,客観的な誤りがないかをチェックするのが通常です。だから,仮に池田さんが民主党の公約と日本共産党の公約をうっかり取り違えていたとしても,普通なら編集者の側でチェックが入るはずなのだけどなあと不思議に思っていました(民主党や日本共産党の公約って,様々な媒体で公表されているので,チェックしやすいですし。)。
まあ,人間誰しも間違いはあるので,Voice編集部にメールを送って,民主党は「最低賃金を全国一律1000円に引き上げる」という公約をしていない旨を指摘しました(池田さんに直接メールを差し上げてもお読みにならないのではないかと思いましたので。)。しかし,それから大分立ちますが,記事が訂正されるどころか,【編集者注】すら未だ入っていないようです。
こうなってくると,民主党を叩くためにその公約について虚偽の情報を流すことをVoiceの編集部は意図的に容認しているのではないかとの疑いを抱くことがあながち不合理であるとまでは言えないように思えてきます。
池田信夫さんは,そのブログをgooからlivedoorに移転するにあたって次のように述べています。
他方で、匿名の卑怯者や実名の嘘つきが粘着してくるトラブルも増えたが、これもある閾値を超えると、もう多すぎて検索もしないし、気にもならない。こういう「鈍感力」が、ブログを続ける上で一番大事だと思う。
むしろ「鈍感力」が必要なのは,「新自由主義路線まっしぐら!」ではない政党の方ではないかと思われます。
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「朝まで生テレビ」を久しぶりに見ていますが,結局,高齢パネリスト+東浩紀+雨宮処凛+高橋亮平だけでよかったような感じです。
田原総一朗さんは,城繁幸さんにずいぶんとパスを投げていたのに,期待には応えられなかったなあという感じがしました。理論的な話では東さんに圧倒的に負ける以上,現場感覚が強くないと辛くなってしまうよなあとは思いました。
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21/10/2009
過去の事例をみると、被害者の現実社会での言動が、匿名さんによるネットでの執拗な中傷の原動力となっている場合が多いので、ネットでは実名を名乗らないというのはネットでの中傷を受けないための方法論としてはそれほど効果的ではないようです。
「問題のある言動」をしなければ大丈夫なのかといえばそうでもなくて、弁護士が患者側の訴訟代理人になって患者側を勝訴に導くとそれだけで執拗かつ膨大な量の中傷に晒されます。電通に就職するとか、プロの麻雀士や声優になるというのも世間的には悪いこととされていませんし、ボクシングの試合を見て感動するというのも人格を否定される話ではありません。でも、匿名さんたちに「実名では恥ずかしくて言えないことを恥ずかしげもなく言える」状態を維持すると、相当ひどい中傷に耐える覚悟がなければ、これらの行動に踏み切れなくなってしまう訳です。
そこでは中傷されないためには誰にも嫉妬されない役立たずでい続ける必要がありそうです。
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昔isedでインターネット社会の倫理と設計について語り合っていたときに匿名表現の自由を高く支持されていた研究者の方々を見ると,もはや匿名さんたちとの意見交流を断ち切っているように見えます。もちろん,「君が匿名で意見を発表する自由は認める。しかし,匿名での意見など概ねくだらないから私は相手にしない。時間の無駄だ」というスタンスも論理的にはあり得るので,選択肢として認め得ないわけではありません。弁護士会のネット匿名言論シンポジウムで匿名言論規制に慎重な態度をとっていた山田健太準教授もブログ持ちではなさそうです。
しかし,弁護士会が今になってこんなシンポジウムを開かなければならなかったことに象徴されるとおり,実務法曹は,今そこにある「悪」を見て見ぬふりをすることができないのです。だって,今そこにある「悪」によりひどい目に遭わされている被害者の痛切な声を聞き,これに対する対処を求められるのですから。
私のエントリーについて「周回遅れ」だ何だと揶揄する人もいるようですが,匿名さんによる野放図な中傷に対する実効的な対処方法が確立されない限り,何も先になど進んでいないのです。そして,私たち弁護士は,私たちが救われるべきだと主張している人々が実際に救われるまで10年,20年救われるべきだと言い続けることには慣れています。「悪」と戦うのは,元々根気のいる話ですから。
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novtanさんが次のように述べています。
ウェブってインフラにただ乗りしているだけの利用者(もちろん僕もだが)がいうことではない。しかも「事実上負わされること」はそこら中にあるでしょ。ちょっと架空の駅での犯罪予告するだけで通報されて捕まるわけじゃん。誹謗中傷が簡単に捕まらないのは誹謗でも中傷でもないか、相対的に軽い罪で手が回らんか、いずれにしても身元が特定できないからではないのは脅迫があっさりつかまることから言っても明らかでしょう。
違います。2ちゃんねるのスタッフが,殺害予告を投稿した人のIPアドレスは自主的に開示するけど,誹謗中傷投稿した人のIPアドレスは開示しないからです。例えば,電通の社員が「スーパーフリーのメンバーであった」との事実に反する書き込みを2003年7月から2004年8月にかけて繰り返されついに辞職に追い込まれたケースなんかがあったわけですが,未だ犯人は捕まっていないわけです。神戸大学法科大学院において,特定の学生をターゲットに実名を挙げ、「ストーカー殺人をしたことがある」「自殺に追い込め」などの誹謗中傷を投稿していた人も未だに処罰されていないようです。ひき逃げ事件に関して,全く無実の人の名前と顔写真と携帯電話番号を晒してその人が犯人である旨の投稿を2ちゃんねるに行った犯人も捕まっていないと思います。スマイリーキクチの件では犯人の一部が逮捕されましたが,それまでの間,スマイリーキクチさんは10年間も言われなき中傷に晒されたわけです。
また,このようにも述べています。
ウェブというメディアが情報統制をひくお上に対抗するためのメディアでそれに対する反抗の手段としての、人を傷つける武器としての、言葉を取り上げることを推進したいのであれば、この例えはそんなにおかしくないかもしれませんね。権力や既得権益側の言いたいことに近いようにも思える。本来制限されるべきは言葉なんじゃないかな。
でも言葉を制限することは実名でも誹謗中傷に近い発言が放置されている現状を見る限り、難しいと思うし、仮に制限できるとしたらその基準をどこに置くのか、結局お上の言うなりに表現を抑止される(というのも健全な社会としての一つの選択肢ではありますが)ことになるのではないか。となると、自由なメディアとしてのウェブは死ぬわけです(公には)。
私を含め,相当の人数の人が,自分がどこの誰であるのかを明示しつつウェブ上で表現活動を行っていますが,「お上の言うなりに表現を抑止される」という状態にはなっていません。誹謗中傷でない表現を抑止しに行くというのは民主主義社会において「お上」が行うにはリスクが大きすぎますから。現実問題として,他人の表現を抑止しようとしにかかるのは,むしろ匿名さんの集団です。例えば,さくらちゃん事件のときには,娘の心臓手術に要する費用の一部について広く寄付を募るという表現活動について,執拗な誹謗中傷によってこれをやめさせようとしたのは「お上」ではなく,匿名さん集団です。病弱な少女に座して死を待つことすら強要しようとしたのは,「お上」ではなく,匿名さん集団です。
また,次のようにも述べています。
前述したように、度を越えた時に相手を訴えるためのトレーサビリティは十分だし、手続きの面についてももっと容易になってよいと多くの人が言っているわけですな。
ということで,「度を越えた時に相手を訴えるためのトレーサビリティ」は全くもって不十分です。現在,2ちゃんねるに関して言えば,誰を相手に発信者情報開示請求を行いうるのかすら明らかではありません。まあ,サーバ管理者であるN.T.Technology社を相手にするという方法はありますが,外国法人なので,仮処分申立書を送達するだけで領事送達でも約3カ月ほどかかりますから,仮処分命令によりIPアドレスの開示を受けてもアクセスプロバイダの側でその頃のアクセスログを消去してしまっている可能性が大です。
また,登録されている氏名住所の真正性をはてなが確認しようとしたときに猛烈な反対が起こりましたし,私が共通ID性を提唱したときも感情的な反発を受けました。結局,自分はときに度を超えることを前提に匿名性を利用しているので,度を超えてしまったときに法的責任をとらされるような仕組みは全く賛同できない,というのが匿名さんの大勢でしょう。
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20/10/2009
ネットでの匿名発言の価値を貶めているのは,発言の匿名性を濫用して私的制裁等に利用している人たちと,それを黙認し容認しているネットサービス提供者です。だから,ネットでの発言の匿名性を守ろうと思ったら,むしろ,ネットサービス提供者に対し,匿名性の濫用を規制しまたはその濫用により第三者に生じた損失を補償するシステムを採用するように突き上げを行うべきなのです。しかし,ほとんどの匿名性擁護論者は,ほぼ一様に,被害者にその被害を甘受することを求めるのみです。これこそが,「匿名・実名」論争が何度も繰り返される理由です。表現の匿名性が高く保障され続ける状況下で,匿名性を濫用して他人に私的制裁を加えた者が相応の責任を負う社会が実現する可能性が全く見えてこないのです。
そういう意味では,発信者情報開示請求訴訟で敗訴してもこれに従わない西村博之さんに抗議すべきは,匿名発言の価値を認めてもらおうという人々の側なのです。あるいは,特定人についての中傷発言が多数投稿されているスレッドの続編となるスレッドの新規立ち上げを制約したり,中傷コメントの連続投稿を行う利用者についてそのアクセスプロバイダに通知して警告文の送付ないしネット接続理由の一時停止などの措置を講ずるように求める等の行動をとるように2ちゃんねるの運営スタッフに要求すべきは,匿名表現の自由を守りたい人々の側なのです。
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19/10/2009
とりあえず、コメント投稿時に投稿者の実名が表示されるシステムが実装されたら、コメントスパムが激減しそうな気がします。
もちろん、コメントスパムを投稿するのに実名を用いることができない事情を斟酌してやれという人がいても不思議ではないですが(量と頻度と下品さでコメント欄の占拠ならびに有料閲覧者の排除を狙うコメントスクラムと比べればアダルト系のコメントスパムの方が害は少ないですし……。)、コメント欄を汚される側にそのことを甘受しなければならない理由がないことに変りはないように思ったりなんかします。
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さきほどAmazon.co.jpからつぎのようなメールが届きました。
Amazon.co.jpで、以前に金子 勇の本をチェックされた方に、このご案内をお送りしています。『すぐできた!選んで簡単らくらくプリント年賀状 2010』、現在好評発売中です。
ずいぶん前に金子さんの「Winnyの技術」をAmazonで購入したことはあるのですが、「Winnyの技術」を購入した人が『すぐできた!選んで簡単らくらくプリント年賀状 2010』を好むだろうと判断した理由がよく分かりません。確かに、両者ともアスキーから出ているわけですが、消費者は、出版社で書籍を選んでいるわけではありません。
精度の低いレコメンド・メールって、本当に無意味なスパムなので、もう少し納得のいくアルゴリズムを築き上げて欲しいもののです。
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and_hyphenさんから,次のようなはてなブックマークコメントを頂きました。
学校裏サイトの例えは意味不明。無理やりすぎる結論/匿名=無責任じゃないはずだ
できれば,匿名さんが自分の発言についてどのような責任をとっているのかを明示していただいたらよいのではないかと思います。
少なくとも私は,2ちゃんねるにおける匿名さんによる発言に関して西村博之さんに損害賠償を命ずる判決が下されてそれが確定したとき,すなわち,その発言が不法行為に該当することが確定したときに,当該発言を2ちゃんねるに投稿した人が,被害者に対し,西村さんに課せられた賠償額を自ら支払うと申し出た例があることを知りません。結局,掲示板管理人を被告とすることでその発言が違法なものであるということが民事訴訟で確定しても,匿名さんは,実体法上定められた責任すらこれまでとってこなかったのです。
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18/10/2009
mujisoshinaさんから,次のようなはてなブックマークコメントをいただきました。
なぜあなたの論が批判されるのか、を全く理解していない。もしくは意図的に曲解している。だから実名化論がブラッシュアップされず、いつまで経っても同じ事を言って同じ批判を受け続ける。
私の論が批判される理由は単純だと思います。私の主張は,匿名の陰に隠れて無責任に他人を攻撃する自由を制約することを志向するものだから,匿名の陰に隠れて無責任に他人を攻撃する権利が自分たちにはあると思っている人々からは必然的に批判されることになります。
そりゃ,法的責任を事実上負わされることなく,自分のお気に召さない言動をとる人間に私的制裁を加える事実上の地位を偶然に手に入れてしまった人々が,これを手放したくないというのはわからなくはありません。しかし,それによって不当に傷つけられてしまっている人々が少なからずいる以上,一日も早く,法的責任を事実上負わされることなく私的制裁を加える事実上の地位は取り上げられるべきなのです。
さらにいえば,私的制裁を含む違法行為のために匿名性を濫用する人が後を絶たない以上,実名強制論は今後も繰り返し唱えられると思います。それは,これだけ批判を浴びても,匿名を利用した違法行為を減少させるために何の対策も自主的に講じられることがないからです。結局,匿名擁護論はいつまで経っても,匿名さんによって攻撃される側に我慢と屈服を求め続けるというところから一歩も踏み出さないからです。
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首藤議員のブログのコメント欄は,相変わらず「匿名でなければ言えない」コメントで一杯です。私は,その種の発言を実名で行う者がいたからって,首藤議員やそのスタッフがその発言者を急襲したり,職場に圧力をかけたりという政治的に危険な行いをするとは思わないです。では,なぜ彼らは,堂々と実名でエントリーを立ち上げている首藤議員に対して,匿名でせっせとコメントを投稿するのでしょうか。
もちろん,首藤議員やそのスタッフは何もしなくとも,このようなコメントを執拗に投稿している人々は気持ちの悪い人たちであると普通の人は受け止めるでしょうから,そのような評価を受けることを現実社会の自分が回避するためには実名を名乗ることが躊躇されるということはあるように思われます。そこでは,「実名の使用を義務づけるべきでない」という主張は,この種の「その行動を行った人が本来甘受すべき社会的評価の低下を,現実社会の自分が甘受することなく,その種の行動をとる自由を我に与えよ」という主張とほぼ同義ということになりそうです。
あるいは,彼らは主観的には「月に代わってお仕置き」をしているつもりで,だからこそ「お仕置きをする自分は,現実社会の自分とは切り離された自分であるべきだ」ということで固定ハンドルを使用しているつもりなのかもしれません。ただ,「俺様」基準で他人に「お仕置き」を加える存在って,法治国家では有害無益の存在しかないので,一日も早く悔い改めて足を洗ってもらいたいものです。
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novtanさんが次のように述べています。
これも飛躍していて、そもそも「責任主体として名乗りを上げないといけない場面も多い」のであればその場合だけ名乗ればいいわけであってさ、常に実名でなければならないことの理由にはなってないわけじゃない。当然こういう場合で実名が必要なのはわかる。でも責任を取るってことは間違ったときに非難される覚悟の上でやるわけでしょ。もちろん、いわれのない非難を受けることだってあると思うけど、やっていることが間違ってなければちゃんと応援してもらえるんじゃないのかなあ。
で、そういう必然的に実名が必要以外の場合のことを語っているわけだけど。
しかし,売名のために実名を開示している人に対する匿名さんによる誹謗中傷への対策にはならないが,必然的に実名が必要で実名を開示している人に対する匿名さんによる誹謗中傷への対策にはなるシステムってなかなかないのではないかなあと私なんかは思ってしまいます。そういう意味では,「必然的に実名が必要以外の場合のことを語っている」なんて言い訳自体が無意味です。結局,この人が言っていることというのは,「匿名さんからいわれのない誹謗中傷を受けたくなかったら,実名を用いなければできないことはやらないことだ。その結果断念せざるを得ないことがいかなるものであれ,自分が匿名で無責任に言いたいことを言いまくる自由に比べたら取るに足らない」ということなのでしょう。
でも,novtanさんがこれからも匿名で無責任に言いたい放題に言いまくれるようにすることって,執拗な誹謗中傷に耐える強さをもっていない人が実名でなければ行えない活動を断念せざるを得ないようにしてまで守らなければいけないほどの価値があることなのか,疑問だったりします。
さらにいうと,「でも責任を取るってことは間違ったときに非難される覚悟の上でやるわけでしょ。」といわれても,実際には,匿名さんによって事実無根のデマが流されて,それに基づいて執拗な中傷が行われるなんて日常茶飯事ですが,そんなことまで覚悟して活動を始める人なんてそんなにいないですよ。学校裏サイトなんかの場合,novtanさんがいうところの「売名行為」にあたるものって,学校に通う際に実名を名乗ったことくらいでしょう。実名を用いて学校に通う以上,裏サイトでデマをぶちまけられて執拗な中傷を受けることは覚悟しているはずだ。なんでそんな人間のリスクを減少させるために学校裏サイトで匿名で無責任に言いたい放題言いまくる自由が制限されるなんてまっぴらごめんみたいなことを言われたって,困ってしまいます。自分は「そのネット上での発言の発言主が自分であると知られたら大変なことになる」って社会に対し怯えまくっているのに,実名でなければなしえない活動を行っている人々に対してはそんな強さを一方的に要求できるのか,理解不能です。また,「もちろん、いわれのない非難を受けることだってあると思うけど、やっていることが間違ってなければちゃんと応援してもらえるんじゃないのかなあ。」って何の根拠もないですね。匿名さんがわあっと集まって品位を書くような言葉を交えて誹謗中傷し放題の状態にあるときに,その被害者を応援するのは勇気がいるし,仮に少しくらいの人が応援しても,膨大な量の誹謗中傷の声の中でそんなものかき消されてしまいます。
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16/10/2009
実名であることが義務として課されていて、匿名はそのルールを無視したずるい人たちだ、というならともかく、自分自身で実名を選択しておいて、実名にはリスクがあるから匿名はなくすべきだと主張するのはアホとしか言いようがない
だなどという
人もいるのですね。
しかし,私なんかがネット上の誹謗中傷に関して相談を受けることが多いのは,特にネット上で際だつ活動をしていたわけではない人や企業について,匿名掲示板等で執拗にデマが流されるというケースです。匿名掲示板やそのミラーサイトに掲載されているに過ぎないデマコメントでも,Google等でその名前をキーワードとして検索をかけると結構上位に表示されてしまうので,なかなか無視しにくいのです。もちろん,学校や職場などでクラスメートや同僚と接するのに自分の実名を知らせるからいけないのだ,あるいは,商業登記簿上の商号を対外的にも使用するからいけないのだということならば,論理的には「自分自身で実名を選択しておいて」という言い方をすることができるのかもしれませんが,でも,匿名の卑怯者たちから執拗なデマを流されたくなかったら現実社会でも実名なんか名乗らないことだ,といわれても,匿名の陰に隠れて特定の人や企業等を貶めることを良きことと考えている一部の人たち以外には通用しない話ではないかという気がします。
「実名を表示すること=売名」みたいな感覚もなんだか別世界って感じです。何かを成し遂げようと思ったら,自分が責任主体として名乗りを上げないといけない場面も多いのですけど,そういう人は匿名さんに中傷されて当然,中傷されたくなかったら社会に役立つ活動などしようと思うなみたいな話をされても,困ってしまいます。匿名の陰に隠れてうじうじと他人の悪口を言ったり特定のブログのコメント欄に執拗にそのブログ主や全く関係のない人の悪口を投稿し続けられるようネット社会であり続け欲しいというごく一部の人の要望をかなえる代償としては,ネット上で執拗な中傷を受けたくない人はその種の一部の人に実名を知られないようにひっそりと暮らす人生を過ごすことだ,努々社会の役に立とう等とは考えないことだ,なんて社会にしてしまうのは大きすぎるように思われてなりません。
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15/10/2009
日経BPのサイトに「「実名公開」がネットの誹謗中傷を
減らすという勘違い」という記事がアップロードされています。
そもそも、「ネットで実名を」の背後には、「匿名だから無責任で『誹謗中傷』も発生する」という発想がある。だから「実名を公開すれば」なのだろう。つまり「実名=責任のある発言=『誹謗中傷』も減る」という構図である。
しかし、この発想は思いこみに近い。「無責任」や「誹謗中傷」の根拠を、「匿名か実名か」の条件にのみ求めるのは、あまりにも一面的すぎるだろう。
しかし、「誹謗中傷」の根拠を、「匿名か実名か」の条件にのみ求める
見解というのはそれほどあるわけではありません。一般的には、特定の人や企業を誹謗中傷したいという動機がまずあって、ただ、「匿名で無責任に」発言する場所があることによって、実際に誹謗中傷をしてしまう心理的なハードルが低くなるだけのことです。ここでいう「動機」には、特定の人のネット上での発言に異論があるというものに限られず、同じ商圏にある同業他社を貶めたいとか、とにかく誰かを叩いてストレスを発散したいとか、特定の政党・政治家についてデマを流布してその政党又は政治家の得票数を押し下げたいとか、自分のことを袖にした女性に鉄槌を下したいとか、いろいろなことが含まれます。
もちろん、その相手を誹謗中傷したいという思いが強すぎれば実名を強制したところで誹謗中傷は行われるわけです。ただ、その場合は、被害者は、その中傷者に対し慰謝料の支払いを求めることができますし、民事訴訟の判決文の中で、その摘示事実が真実であると信ずるに足りる証拠がないことを明らかにしてもらうことで、名誉の回復を果たすことができる場合があります。また、実名使用が強制される場所では事実上行えない類の誹謗中傷も少なからずあります(中傷者がある役割を演じてみせることによって初めて成り立つ中傷というのもあるのです。例えば、ある予備校の従業員が、近隣にある特定の予備校について、その元生徒を装って、その授業内容や事務方の対応について根も葉もないデマを流す、という行為は、匿名で発言できる環境があるからこそ有効です。また、特定の政治家についての「私は○○さんにレイプされました」という衝撃の告白も、ライバル政党の政治家の男性秘書が実名で投稿していたら、誠に興醒めです。)。
また、実名使用が強制される場所で他人を誹謗中傷するというのは、法的な責任を負わされる危険があるというだけでなく、社会生活上の不利益を甘受する必要が生ずる(例えば、私が個人的に存じ上げている研究者というのは基本的に職場が変わるごとに職場のグレードがアップしているのですが、他人の誹謗中傷に踏み切る沸点が非常に低い特定の研究者は、職場が変わるごとにそのグレードがダウンしているように見えます。)ので、単なるストレス発散のためだけでは、なかなか踏み切れないところがあります。また、ライバル企業を貶めるための誹謗中傷も、実名使用が強制される環境では、却ってリスクが高まってしまいます。そういう意味では、「実名公開」がネットの誹謗中傷を減らすという予測は故なきことではありません。
もちろん、実名使用を強制したら誹謗中傷がなくなるとは申しません。法学系の人間は、ある対策を講じたらある種の行為が完全になくなると考えるほどの夢想家ではありませんが、だからといってその対策が講ずるに値しないと考えるほど完全主義者でもありません。社会的に好ましくない事態の発生頻度をそれなりに減少させることができるのであれば、それはそれで意味があると考えるのが、法学系の基本的な発想だろうと思います。
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首藤信彦議員のブログのコメント欄より
逃げちゃ駄目ーーーw (俺)
2009-10-13 10:31:48
あなたが『ある軍事評論家の死』という文章を投稿したことによって、多くの人々が、反論できない死人に対してマイナスコメントをするのは卑怯だ!と思った。
その結果、ブログが炎上した。
もちろん、言論の自由は保障されるべきだが、発言には責任が伴う。
国会議員ならなお更自分の発言には慎重にならなければならない。v
ブログで謝罪する必要はないと思うが、この炎上を受けてコメント欄を閉鎖して逃げるような卑怯なことはするべきではないと思う。
自分の発言に責任を負うことを放棄して匿名でコメントしている人が「発言には責任が伴う」と平然と述べているあたりが面白いですね。
私は,コメント欄を閉鎖することより,匿名になることで自分が法的及び社会的責任を負わされることを回避した上で,慎重になることもなく,他人に私的制裁を加えようとしているイナゴさんの所業の方がよくよく「卑怯」であるように思われます。
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07/10/2009
新自由主義系の,マッチョなブログのコメント欄の情けなさというのは,あれはいったい何なのでしょうか。
雇用が流動化したとして,その種のコメント欄で,匿名でうじうじと団塊世代と正社員とマスコミ関係者を詛っているだけのなよなよ君が引き上げてもらえる可能性って乏しいように思うのですが,解雇規制が緩和されて団塊世代ががんがん解雇されたら,企業の側から自分たちに近づいてきてその才能を見出し,手を差し伸べてくれるという夢を抱いているのでしょうか。「ネットで実名が出せない理由」についての言い訳めいたはてブコメントを見ても,終身雇用を前提とした発想にどっぷり浸かっているように見えるのですが。
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「BLOGOS」というポータルサイトができたようです。この点に関して,カメラ的日乗3.0さんが次のように述べておられます。
今後発展することを期待したいが、池田信夫氏が中心になって立ち上げたサイトだとしたら、公平・公正な参加はあまり期待できない気がする。もし「la_causette」や「EU労働法政策雑記帳」が早々と登録されるようなら、この発言は撤回しますけど。
一応,livedoor社の名誉のために申し添えると,livedoorからは,BLOGOSにブログ記事の転載をさせて欲しいとの申し出がきています。ただ,Webの理念からすると,転載ではなく,リンクこそが,本来の姿だと思い,今ひとつ乗り気になれないだけです。
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03/09/2009
はてなブックマークを使って議論を仕掛けてこようという人がいます。でも、はてなブックマークでは、せいぜい、「エントリー」→「エントリーへの批判」→「批判に対する反論」までが限度ではないかと思います。「エントリーへの批判」コメントを書き換えて「批判に対する反論」に対する「反論」を記載し、IDコールを行うという使い方は如何なものかと思わざるを得ません。「批判に対する反論」コメントが何に対する反論か、後からそのはてなブックマークを見た人が分からなくなるではないですか。
そんなにそのエントリーについていろいろなことがいいたいのであれば、自分のブログで批判エントリーを立ち上げるなり、Twitterでつぶやくなりすればいいのにと思ったりなんかします。
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14/07/2009
池田信夫さんが,そのブログのコメント欄で次のように述べています。
当ブログでは、悪質なIDは「拒否リスト」に入れてコメントできないようにします。それを怨んで私にEメールを出してくるバカは、Gmailで「スパム」に分類するので、Gmailが出せなくなりますよ。
はたして,Googleは,Gmailに関して,特定のユーザーのみが特定のメールアドレスについて集中的に「迷惑メールを報告する」コマンドを実行した場合,そのメールアドレスが用いられたメールを汎用的にスパムメールと判断し,爾後,そのメールアドレスを用いたメールはどこに出したものでもスパムフィルターでカットされるようになるのでしょうか。
スパムというのは一般に不特定多数人に同内容のメールを送信するものであり,一人のGmail利用者にのみ送られるスパムというのは通常考えがたいこと,一人のGmaiユーザーからの申告のみで特定のアドレスからのメールを全てスパムと判断することとしてしまうと,特定のGmailユーザーが復讐目的で特定のアドレスからのメールをスパム扱いにし,他のGmailユーザーに届かないようにすることが可能となってしまうこと,等を考えると,さすがにそのような単純なアルゴリズムをGoogleは採用していないように思ったりします。
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13/07/2009
特定のブログ主を中傷したい人々にとって、中傷するネタの真否などはどうでもよいことのようで、どこかに中傷ネタがあるとその真否を確認したり等はしない傾向があるようです。
「松川事件の時と何が変わったのか」というエントリーに対し、wataru-ishizukaというはてなIDを用いて、
刑事訴訟法改正を知らない無知(類型的証拠開示,争点関連証拠開示:法365条の15~20)
というはてブコメントを付けてきた方がいます。その後、このコメントの尻馬に乗るはてブイナゴさんはいても、その間違いを正そうという方はおられなかったようです。
少なくとも総務省が提供している法令データベースを見る限り、刑事訴訟法365条の15という規定はありません。六法等を見ていないのではないかという気もしてきます(っていいますか、360台って、上訴に関する規定です。)。。
類型的証拠開示に関しては、刑事訴訟法第316条の15という規定はあります。
これは、
第三百十六条の十五 検察官は、前条の規定による開示をした証拠以外の証拠であつて、次の各号に掲げる証拠の類型のいずれかに該当し、かつ、特定の検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であると認められるものについて、被告人又は弁護人から開示の請求があつた場合において、その重要性の程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をすることの必要性の程度並びに当該開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度を考慮し、相当と認めるときは、速やかに、同条第一号に定める方法による開示をしなければならない。この場合において、検察官は、必要と認めるときは、開示の時期若しくは方法を指定し、又は条件を付することができる。
一 証拠物
二 第三百二十一条第二項に規定する裁判所又は裁判官の検証の結果を記載した書面
三 第三百二十一条第三項に規定する書面又はこれに準ずる書面
四 第三百二十一条第四項に規定する書面又はこれに準ずる書面
五 次に掲げる者の供述録取書等
イ 検察官が証人として尋問を請求した者
ロ 検察官が取調べを請求した供述録取書等の供述者であつて、当該供述録取書等が第三百二十六条の同意がされない場合には、検察官が証人として尋問を請求することを予定しているもの
六 前号に掲げるもののほか、被告人以外の者の供述録取書等であつて、検察官が特定の検察官請求証拠により直接証明しようとする事実の有無に関する供述を内容とするもの
七 被告人の供述録取書等
八 取調べ状況の記録に関する準則に基づき、検察官、検察事務官又は司法警察職員が職務上作成することを義務付けられている書面であつて、身体の拘束を受けている者の取調べに関し、その年月日、時間、場所その他の取調べの状況を記録したもの(被告人に係るものに限る。)
○2 被告人又は弁護人は、前項の開示の請求をするときは、次に掲げる事項を明らかにしなければならない。
一 前項各号に掲げる証拠の類型及び開示の請求に係る証拠を識別するに足りる事項
二 事案の内容、特定の検察官請求証拠に対応する証明予定事実、開示の請求に係る証拠と当該検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし、当該開示の請求に係る証拠が当該検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であることその他の被告人の防御の準備のために当該開示が必要である理由
というものであって、「検察側が手持ち証拠の全てを弁護人に開示」しなければ被告人が無罪となるというものでもなければ、「弁護側が具体的に検察側手持ち証拠の証拠開示命令の申立てを行っ」た場合に必ずこれを認容させるものでもありません(なんたって、「その重要性の程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をすることの必要性の程度並びに当該開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度を考慮し、相当と認めるとき」に開示すれば足りるのですから。)。ちゃんと条文にあたっていれば上記のようなコメントは付けなかったのではないかと思うのですが、とにかくネガコメさえ付けられればいいという方にはそのようなことは望むべくもありません。
ただ、もう少し明るいことにエネルギーを使った方が良いのではないかと、人ごとながら思ってしまいます。
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07/07/2009
小寺信良さんが「暴走するネット規制 、あるいは「ネットで婚活」終了のお知らせ 」というエントリーを書いています。
ただ、この種の問題の根幹は、信頼の置ける個人情報証明方法がわが国のネット環境において存在していないが故に、きちんとゾーニングすれば問題の少ないサービスをオンラインで提供することの可否が問題となるときに、その提供を諦めるか、その提供による弊害に目を瞑るかの二者択一を求められることになってしまうという点にあります。
そういう意味では、インターネット利用者の個人情報を一元管理しつつ、必要に応じて必要な個人情報を提供・認証するサービスを作り上げることが、インターネット上で提供しうるサービスを多様化するという意味においても必要となるのではないかと思います。年齢・性別等の個人情報について、個々のサービス提供者が、利用希望者の申出の信憑性を検証するなど、所詮困難なのですから。
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30/06/2009
「議論における誘導尋問」という概念を提唱されている矢部善朗創価大学法科大学院教授の一連のエントリーを見ていると、
野党の共同提案にかかる刑事訴訟法改正案には無条件で賛成されますか?
を「議論における誘導尋問」であると矢部教授が断定する根拠というのは、根拠の希薄な憶測に基づくものでしかないところが面白いところです。
もちろん、矢部教授のブログにおいては、ブログ主と常連コメンテーターの間で私に対する敵意が共有されていますから、その根拠の希薄な憶測を所与の前提として話を進めることができるわけですが、そういう敵意を共有していない人から見ると、何を言っているのだろうという話になります。実際、そのような見方に賛同できない人に対しては、野党の共同提案にかかる刑事訴訟法改正案には無条件で賛成されますか?
という質問形式から必然的にそのような展開が予想されることを論理的に説明するのではなく、私に対する人格攻撃を行うことによって情緒的な説明を行おうということになっているようです。
そもそも、一問一答式のやりとりが続くことが予定される口頭試問等とは異なり、ウェブ上の議論では、矢部教授が想像力逞しく展開してみせるような「議論における誘導尋問」が成立する余地というのは乏しいのです。例えば、
野党の共同提案にかかる刑事訴訟法改正案には無条件で賛成されますか?
に対しては、
その改正案には無条件では賛成できかねます。なぜならば、○○。
というふうに、回答者は、思い通りの情報を回答の中に付加することができるからです(質問者には、これを制御する物理的手段がありません。)。
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20/06/2009
はてなブックマークは一つのエントリーに対して一つのIDから複数のコメントをつけることはできない仕組みになっています。
しかし,はてなは,事実上,一人の人が複数のIDを取得することが可能です。したがって,一人の人が複数IDを駆使して,一つのエントリーに繰り返しネガティブブクマコメントをつけることが可能です。
はてなブックマークの場合,特定のIDごとに,いつからブックマークをつけてきたのか,何と何にブックマークをつけ,それぞれどのようなブクマコメントをつけてきたのかを見ることが容易に可能です。
それを見ると,「ご苦労様,お気の毒に」という方がおられるような気がしてなりません。
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15/06/2009
被疑者取調べの全面録音録画の義務化についてご自身のお考えを明確にしてしまうと、批判されたときに、「藁人形叩きだ、誤読だ、曲解だ!」と騒ぎ立てて言い逃れることができなくなってしまうということは、あるかも知れません。
このような、「藁人形叩きだ、誤読だ、曲解だ!」と騒ぎ立てられないようにするために、お考えを明確にしていただくためにする質問というのは、一般に「誘導尋問」とはいわないように思いますし、通常は「姑息」等々とネガティブな評価を受けるものではないように思います。
参照「 la_causette: 端的に,質問してみる。」へのブックマークコメントより
motoken01 質問者の意図がミエミエの姑息な誘導尋問ですね。 2009/06/15
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10/06/2009
「iPhone 3G S」が発表されました。早い段階でiPhone 3Gを手に入れた方の中には,アーリーアダプターといいますか,新しもの好きな方が多いので,できるだけ早く「iPhone 3G S」を手に入れたいと思う方も多いでしょう。音楽好きにとっては,32GBという記憶容量は魅力的です。
そこで,問題です。「iPhone 3G S」を買った場合,今まで使っていたiPhone 3Gはどうすべきでしょうか。iPhoneは基本的に携帯電話なので,持っているだけで基本料金がかかりますし,他人に譲渡するわけにもいきません。
Apple=Softbank連合で新機種の側にSIMカードを移し替えてくれる「下取り制度」を作ってくれればいいのですが,とはいえ,SIMカードを抜き取った後のiPhoneの抜け殻をAppleとしてどうするのかという問題も生じてきそうです。どうせなら,SIMカードを移し替えた上で,旧機種側を家族等にプレゼントできるようにしてくれると無駄がないのになあとか思ったりはしました。
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08/06/2009
匿名(その実名が知られていないハンドル名を含む。)による投稿に対する態度としては、
- 匿名によるコメント投稿はNG
- 匿名による投稿もOK
- 匿名による投稿は原則OKだが、特定の第三者の権利と特に緊張関係に立つ投稿についてはNG
- 匿名による投稿は原則NGだが、内部告発等特に発言者の匿名性が高く求められる場合にはOK
等色々あると思うのですが、
第三者を侮辱したりその名誉を毀損したりする発言は匿名でもOKだが、ブログ主や国家権力を批判したりする投稿は例外的にNG
というのは、考え得る限り最悪のものと言ってしまってもよいくらいなのではないかと思います。
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03/06/2009
はてなの取締役である梅田望夫さんが次のように述べています。
英語圏ネット空間は地に着いてそういうところがありますからね。英語圏の空間というのは、学術論文が全部あるというところも含めて、知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しているという現実もあるし。途上国援助みたいな文脈で教育コンテンツの充実みたいなのも圧倒的だし。頑張ってプロになって生計を立てるための、学習の高速道路みたいなのもあれば、登竜門を用意する会社もあったり。そういうことが次々起きているわけです。
SNSの使われ方も全然違うし。もっと人生にとって必要なインフラみたいなものになってるわけ。
でも,日本語圏では知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しない,その原因を探求し,彼らが知をオープン化しやすい枠組みを作るにはどうしたらよいのかを考えるのが,コンサルタントとしての梅田さんの役割なのではないかと思うのです。あるいは,その人脈を生かして,知に関する最高峰の人たちに働きかけて,ネット空間でその知をオープン化するように仕向けるのが,取締役としての梅田さんの役割なのではないかと思うのです。でも,梅田さんは,「Web進化論」で得た知名度を,日本語圏でも知に関する最高峰の人たちが知をオープン化するように仕向けるという「公の利益」ないし「はてな(株)の利益」にではなく,「プロ将棋棋士との交友」という「私益」に使ってしまった感があります。
「Web進化論」で得た名声を利用して様々な「天才」と交流する機会を得ておきながら,彼らがその知をネット上でオープンしない理由を聞き出して「はてな」にフィードバックするという作業を行ってこなかった,その結果が,この様です。大衆路線の「ameblo」が人気者をネット空間に進出させることに成功したのに,そして,「知に関する最高峰の人たち」を引きつけるには一時期非常に優位な立場にいたというのに,この様です。
経営の安定のため「はてなダイアリー」はこれまで通りの方針で行くのだということなら,「知に関する最高峰の人たち」向けの「はてなVIPダイアリー」でもつければ良かったのではないかと思ったりします。それこそ,羽生名人でもそこに自分の知をオープンしたくなるようなやつを,です。そういう人間的な要素に関する提案を行うのが,ギークな会社におけるスーツ組の大きな役目の一つではないかと思ったりするのです。
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19/05/2009
他人(官公署を含む。)にデータを渡す必要があり、かつ、先方の都合で電子メールでってわけにいかない場合、現時点では、媒体として何を用いるのがベストなのでしょうか。
もはやフロッピーってことはないと思いますが(容量は少ないし、Mac系だともはやドライブが標準装備ではない(というか外付けにするしかない。)ですので。)、CD-Rに焼き付けるか、USBメモリに入れるか、SDカードに記録するか、いつも悩ましいところです。
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18/05/2009
小宇宙系ブログが気持ちの悪いものになっていくことについての、いわゆる「与党側常連コメンテーター」の貢献というのは大きいようです。
ネガティブコメンテーターに付きまとわれる以上に、気持ちの悪いポジティブ常連コメンテーターに取り込まれる方が。ブログ主の信用に対するダメージは大きいような気がします。前者の場合、ブログ主はむしろ被害者と認識されるのに対し、後者の場合、ブログ主は、それら気持ちの悪い人たちと親和性の高い存在と認識されがちだからです。
実際、そうである場合も少なくないとは思うのですが。
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06/05/2009
池田信夫さんが,そのブログのコメント欄で次のように述べているようです。
また某弁護士がわけのわからないことを言っているようです。私が上のコメント欄で「長期雇用を否定する必要はないし、解雇規制をなくしても長期雇用は存在します」と書いているのに、
<長期雇用を禁止し,企業経営者には常により安い賃金での労務の提供を申し出る者に雇用を切り替える義務を負わせる必要が生じてきそうです>
と例によって誰も書いてない話をでっち上げ、「中国」だとか「発展途上国」だとか意味不明の話を書き連ねているようです。
経済学者になりたいのに三田ではなく藤沢に行ってしまう人には判らないのかもしれませんが,「Aという目的を実現するためにBという政策を実行すべきだ」という見解に対し,「Bという政策ではAという目的は実現できない。その論理でAという目的を実現するためにはB'という政策を実行することが必要となろう。しかし,B'という政策には,Cという弊害がある。」という批判って十分あり得る話だと思うのですが,これに対して,「私は,B'という主張はしていない」と言われても,的外れな批判だなあと言わざるを得ません。
なお,池田さんにつきましては,自分の考えと相容れない考えを持つ人物についての呼称,特定方法に関して,社会人として恥じる必要のない程度のものにした方がよいのではないかと思ったりします。「新自由主義者」というラベルはそれ自体悪意を込めた意味を持たないものであるのに対して,「地底人」だの「天下り学者」だの「低学歴」だの「嘘つき」だのというのはそれ自体悪意がこもっているので,前者の使用を問題視する人が後者の使用を平然と行うというのはいかがなものかなあと思ったりします。
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01/05/2009
矢部教授が次のように述べています。
さらに付言しますと、発言の機会が保証されているブログにおいては、あるコメントに対して複数の批判が加えられた場合に、そのコメント投稿者が沈黙せざるを得ないのは、そのコメントが反論するに足る論理性を持たないか常識的に多数の支持を得られないのかのどちらかである場合が多いと思われます。
今時このような認識の方がいるとは驚きです。同調圧力の強い場において,その場の「空気」にあわない発言をすると,複数の批判が,短期間に,集中的に,嘲笑,侮辱,皮肉,当て擦りなどの個人攻撃を伴いながらなされることになり,その「空気」になじまない人はその場を去ることになります。その結果,その場所は,常識的に多数の支持を得られない見解がなぜか支配的な見解となっている,一般社会からは孤立するカルト的な場所となっていきます。サイバーカスケーディングって,昔から,電子掲示板等の,形式的には「発言の機会が保証されている」場所でも発生してきたし,無数に存在するエンクレーブ(ただ,「エンクレーブ」っていうより,「小宇宙」って呼んだ方が,ピンときませんか?)の多くは形式的にはオープンだったりします。
従って,ブログのコメント欄で真に「論理」のみのよる議論が行われるようにしようと思ったら,世間には受け入れられない考えで先鋭化することを避けようと思ったら,形式的に発言の機会を保障するだけでは足りず,ブログ主や常連コメンテーターがコメント投稿者に過度の同調圧力をかけることがないように注意を払い,その場所での支配的な見解に反する見解を投稿しやすいような雰囲気を実質的にも作り上げていく必要があります。
もっとも,コメント欄の賑わいを重視する場合,むしろ積極的に小宇宙化を進める方が賢明です。その場の「空気」にさえあわせていれば,論理性は求められないので,とても敷居が低いですし,ブログ主に寄りかかることで,「小宇宙」の外にある様々な人や集団を,上から目線でくさしてみる快感を味わうことができますので,自分のブログのコメント欄を小宇宙化させておけば,とにかく何かを必死に馬鹿にしてみたいが一人ではそれもできない,そういった類の人を引き寄せることができます。
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30/04/2009
矢部教授が,そのブログのコメント欄で次のように述べています。
感想くらいは聞いてみたいので質問しますが、ブログ主の方針に反するコメント(事実上ほとんどのコメント)を掲載しないブログとあなたのようなコメントも事前承認なしで掲載しているブログと、どっちが「小宇宙」だと思いますか、加藤さん?
一般に,コメント欄を全く解放していないブログより,自分への賛同意見のみを掲載するブログの方が「小宇宙化」するし,それよりは多少ましであるにせよ,異論が投稿されたときに常連コメンテーターが一斉に異論を排除しにかかるブログはやはり「小宇宙化」します。世間の常識から乖離した思想ないし見解って,賛同者が集まって見えるようになったときに,より強固に固まっていく傾向があります。そして,ある一線を越えると,「自分たちは,世間一般で行われているのよりも高度な議論を行っているのであり,世間一般は自分たちよりも何周も遅れているのだ」などという妙な選民思想を抱くようになります。こうなってくると,だんだん「カルト」的な性質を帯びてくることになります。
他人のブログのコメント欄に「常駐」して,特定の仮想敵を作ってその仮想敵を攻撃し,その関係でブログ主等を持ち上げることで,そのブログの「小宇宙化」を推し進めようという人も稀に現れたりするので,コメント欄付きのブログを開設する人は注意が必要です。
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13/04/2009
某所で「高校生の」云々というタグ付けがなされる場合、せいぜい高校生レベルの知識・思考力の人にしか通用しない論理が展開されているような気がしてなりません。
「究極の選択」っていうのはお遊びとしては面白いのかも知れないですが、択一を迫る「二者」の選定が恣意的にすぎると、単なる詭弁の様相を帯びてくることを、まっとうな大人は知っていて、その種の論理を振りかざして「大切なもの」を諦めさせようとする輩に誤魔化されない程度の知能は持ち合わせているものではないかなあ、って思ったりします。
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07/04/2009
読売オンラインの記事によると、
ヤフーとUSENは4月7日、ヤフーがUSENの100%子会社であるGyaOの株式の51%を譲り受けるとともに、2009年秋からYahoo!動画とGyaOの両サービスを統合させることに合意した。
とのことです。
それで、GyaOのコンテンツがiPhoneで見れるようになるなら、歓迎です。iPhoneで見ることができるYahoo!動画って、現状、お笑いとグラビアとperfumeくらいしかないので、どうにかして欲しいところでしたし。
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02/04/2009
属性が加味されることに賛同できない人は、論者に関する属性に言及されている部分を無視すればよいのではないかという気もするのですが、どうもそれは彼ら自身望んでいないのではないかという気もします。そうではなくて、どのような属性を読者が斟酌するかは俺にコントロールさせろといいたいだけなのではないかという気がするのです。
矢部善朗氏についていえば、わざわざ「モトケン」というハンドルネームを名乗ってまで、「検察OB」であるという属性を強調しているのであって、論者の属性を捨象して純粋な「論理」のみで勝負しようとはしていないわけです。あのブログの常連コメンテーターの多くもまた、その氏名等は明らかにしないもの、医師だの弁護士だの公務員だの法務業だのというご自分に都合のよい属性は、立派に強調しているわけです。
「検察OB」という、「刑事法や刑事手続に熟知している」との推定、「そのような者が刑事法や刑事手続に関して述べていることだから概ね信頼できるのであろう」という推定が読者に働くであろう属性がをその論者自身により読者に提示されている場合に、その推定を障害する属性(彼が過去に担当した事件は捜査過程に重大な問題があったと多くの法律家によって考えられていること、彼の所属する組織は当該被疑者ないしその関係者の評価が批評対象の刑事手続により下落することにつき利益を有していること等)を指摘することは、むしろ議論の健全性に資するのではないかとも考えられるのですが、「属人論法は怪しからん」といっている人々は、それを「怪しからん」といっているようです。
まあ、ネット上では些末的なところで「勝ち負け」を判断したがる人がいるのですが、ある犯罪類型を「形式犯」ではなく「実質犯」と解することによって処罰範囲を拡張することができると考えている法律専門家が彼以外にどの程度いるのかを見てみれば明らかではないかという気がします。実質犯における「故意」にしても、当該刑罰法規により保護しようとしている法益が侵害され又はその危険は発生することの故意があればそれだけでよいというのではなく、その認識・認容している事実関係自体で当該犯罪の客観的要素を全て構成できることを要すると考えるのが法律専門家の間では一般的でしょう。
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18/03/2009
今日の午後は,2台のMacがほぼ同時に正常に動作しなくなるという形で,マーフィーの法則を体現してしまったので,仕事が本当にはかどりませんでした。
デスクトップ代わりに使っているMacBookについていえば,何をやってもマシンの動作が異常に遅くなってしまうのです。いろいろ検討した結果,「dotmacsyncclient」の暴走のようなので,mobile.meとMacBookとの同期を一時的に停止させることにより,現在一時しのぎをしています。
MacBookAirについては,モニターが突然異常表示をするようになってしまいました。モニターを手で裏側から押さえるようにすると一時的に正常な表示に戻るのですが,手を離すとすぐに一面の縦縞表示に切り替わってしまうので,明日,Apple銀座に行って修理が可能かどうか聞いてくることにしました。
とここまで書いたところで,もう一度Airを起動させたら,今度はまともに表示されています。でも,また同じ現象が再現されるかの可能性があるので,いずれにせよ,Apple銀座に行ってこようと思います。
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13/03/2009
私のiPhoneのWireless LAN機能が効かなくなって1ヶ月くらいが立ちます。ロサンゼルス出張の折りに宿泊したホテルが無料でWireless LANを提供してくれているところだったので,試せなかったのが残念でした(路上でMacBook Airで公衆無線LANを拾おうと思ったらほとんど引っかからなかったので,いずれにせよ路上では使えなかった気もするのですが。)。確定申告の書類を提出し終えたら,修理してもらいに行かなければならないなあと少し覚悟しています。
とはいえ,iPhoneのGPS機能付き地図はロサンゼルスでも使えたので,思わず自分がどこにいるのか分からなくなったときに自分の位置確認をすることができましたし,事務所へ適宜電話することもできたので,海外出張にはとても便利な機械だなあということを実感しました。
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11/03/2009
はてなブックマークで私のエントリーに対して延々とネガティブコメントやネガティブタグを付け続けている一群の人たちがいます(一群,といってもそんなに数はいませんが。)。
権力(国家権力に限らず,大企業等の社会的権力を含みます。)に逆らわず,これにおもね,屈し,その理不尽に耐えることこそ下々のあるべき姿だと考えている人々と,私のような生粋系の弁護士がそりが合わないのはある意味仕方がない話かも知れません。
それにしても,インターネットの裾野が広がるに付けて,Wanna-be-slave系のネットワーカーが増えてくるというのは面白い現象です(Dreaming-himself-as-eliteなだけかも知れませんが。)。
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03/02/2009
ドワンゴの夏野剛取締役が次のようなことを述べています。
政治のリーダーの方、社長の方、役員の方、官僚の方、ともかく人の上に立つ方。信念をもって、あっと驚くようなことをやってください。国民が驚くような思い切った政策。社員がのけぞるような実質的な体制の変更。成功するかどうかはわからないけれど、いままでには考えられなかったような変化を引き起こす行動。
そんなことはできない。そんなことは思いつかない。そんなことは効果がない。そんなこと自分の趣味じゃない。そんなことやったことない。とりあえず部下に検討させる。
そういう答えが思い浮かんだリーダーの方、お願いです。この危機を乗り切るために、日本の将来のために、ひいては人類の進化のために、身を引いてください。
夏野さん、どうか、御社の子会社の取締役が開設した匿名電子掲示板における誹謗中傷やプライバシー侵害がなくなるような、成功するかどうかはわからないけれど、いままでには考えられなかったような変化を引き起こす行動をやって下さい。匿名なら何を書いても責任をとらなくても済むから何を書いてもいいや、とか、財産の所在さえ把握されなければ実質的に責任をとらなくて済むから敗訴判決が確定しても放置しておけばいいやとか、そういうシニシズムからあなたのビジネスパートナーを救うために、信念をもって、あっと驚くようなことをやってください。
そんなことはできない。そんなことは思いつかない。そんなことは効果がない。そんなこと自分の趣味じゃない。そんなことやったことない。
という答えが思い浮かぶことはなかったですよね。
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01/01/2009
ヤマト運輸以外の宅配事業者がなぜ、不在通知を事前に登録された電子メールアドレスへの送信によって(も)行うサービスを行わないのか、私には理解しがたかったりします。どの宅配事業者を選択するかのイニシアチブは発送者側が握っているとはいえ、配達達成率を高めるということは、中長期的に見ると顧客たる発送者側に対する顧客満足度を高めるように思ったりするのですが。
平日の昼間に誰か大人が概ね在宅している家族モデルというのはすでに崩壊しつつありますし、仕事の関係で数日あるいはそれ以上帰宅できないことのある人も少なくないのですから、安全性を考えて職場や実家等事前に登録された場所に限定されるとしても、自宅不在時に配達されようとした荷物を、自宅に帰宅しなくともウェブ上の操作で特定の場所に再配達させられるようなシステムを提供してくれると、再配達期間を徒過する割合がかなり減るのではないかと思うのです。
いや、私自身、そういうサービスが欲しいのです。
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さて、年が明け、2009年になりました。
今年は、IT業界にとって、どのような年になるでしょうか。
一つの鍵は、インターネット上のサービスに関して、真っ当な広告モデルを確立できるかという点にあるように思います。昨年後半くらいから、広告モデルの終焉みたいなことが言われ始めていました。とはいえ、ネット上のサービスに関して言えば、終焉を叫ぶに値するほど広告モデルって模索されていないように思っています。
事業者が自身で制作したコンテンツを掲載するサイトであれば、コンテンツの質を高め、広告の質を絞れば、従来のマスメディアと同様に、ある種のブランド価値ないしステータスを広告主に付与することが出来るかもしれません。そのような価値を付与できないのであれば、広告主の商品ないしサービスの需要を直接的に高めることが本来求められているはずです。書籍等についてのアフィリエイトはある程度これに成功しているわけですが、ネット通販では通常購入しない商品・サービス等についての広告を取り付けようと思ったら、アフィリエイトでは不十分であるように思われます。また、顧客の範囲が地理的に限定される事業者向けには、閲覧者の生活圏にあわせて広告を切り替える仕組みの導入が求められることでしょう。
本来であれば、不況期には広告費を削減したいというインセンティブが企業に働くので、ネット事業者としては、テレビ等割高な広告媒体から広告料収入を奪い取るチャンスなのですが、アドセンス任せでは従来メディアの広告と同種の効果すら期待できず、既存の広告媒体から顧客を奪いきれないように思われます。
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30/12/2008
読売新聞が次のような内容を含む記事を掲載しました。
消費者に電話番号を明かさず、苦情や問い合わせの窓口をメールに限定するIT系企業に対し、消費者から対応を疑問視する声が上がっている。
インターネットが生活に浸透するに従い、IT知識の少ない中高年もネットを利用するようになっており、消費者問題の専門家からは「『IT弱者』への視点が欠けていないか」との声が上がっている。
しかし、この問題を「IT知識の少ない中高年」の問題に限定するのは、正しくありません。苦情や問い合わせの窓口をメールに限定した場合の最大の問題は、俊敏な対応が要求されるものについても緩慢な対応しかなしえない点にあります。これは特に、その利用者が投稿した情報を即時的に配信するCGM系のサービスを提供する場合に典型的に現れます。
例えば、ある女性が、「どうか私を犯して下さい」というメッセージとともに自分の氏名と住所と顔写真とがCGM系サイトに掲載されたというケースを想定してみましょう。何はともあれ、このメッセージを当該サイトから消してもらいたいと考えるのは無理もないことです。このときに、このCGM系サイトの提供者たる事業者に電話をかけて早急な対処を求め、その場で、「承りました。早速○○等の措置を講じます」との回答を得るのと、このCGM系サイトの提供者たる事業者の苦情受付用のアドレスに宛てて早急な対処を求めるメールを送り、「お客様のメールを受信しました。1週間以内にご回答いたしますので、しばらくお待ち下さい」という自動送信メールを受け取ったきり、どのような対処をしてもらえるのかわからないまま最大1週間を過ごすのとでは、不安度が全く異なることは想像に難くありません。
もちろん、苦情や問い合わせの窓口をメールに一本化しても、送られてきたメールを即時的にチェックできるような体制を設けておけば、クイックレスポンスは不可能ではないかもしれません。電話と同様の安心感を与えるためには、クレームを行った側も、事業者からの回答メールを即時的にチェックする体制をとっていることが必要となります。それはそれで、いつ来るかわからない事業者からの回答メールを絶えずチェックするというのは、並行して社会生活を営んでいなければいけない一般市民にとってはそれほど容易ではありません。
また、苦情や問い合わせの窓口をメールに一本化した場合には、苦情等を送る側は、伝えるべき内容を全て含むメールを最初から作成して送らなければならないという問題があります。電話による苦情受付であれば、苦情を受ける側で、不足している情報を相手に質問する等して、即時的に必要な情報を補充することができるにもかかわらず、です。もちろん、事業者からの回答メールの中で、不足している情報について相手に質問をすることは可能ですが、その場合、事業者からの質問メール、申立者からの回答メールという2本のメールが必要となり、それぞれのメールが送られてから相手方に実際に認識されるまでの時間的なギャップを考えると、申立者からの回答メールを事業者が認識した段階では、すでに手遅れとなる事態が生ずる可能性が十分にあります。
CGM系サービスは、利用者が第三者を傷つけるために用いる危険が常にあるわけですから、これに即時的に対応する体制を整えることは痛切に求められるところであり、その提供するサービスがある程度以上のアクセス数を集めるようになったら、そこに投稿された内容が第三者を危険にさらす度合いが増大するわけですから、即時的な対処を行い得る体制を整える時期に来ているのだと思います。
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13/12/2008
「連携している事自体を隠す与野党超党派の外資族議員。見えないグループをリスト化、可視化した政治警察ブログ」を自称する「外資族マスゴミ最大のタブー、国籍法第八条」というブログに,次のような記載があります。
最近マスコミが報道し始めたが、相変わらず完全に抜け落ちている情報が一つある。
それは「国籍法第八条でフィリピン人女性の子供は3才で簡易帰化できたのに、それをしないで告訴を仕掛けてきた」
ということ。これについては報道規制が依然としてかかっているようだ。
そこを突っ込まれると、最高裁の違憲判決自体が否定される。
国籍法改正問題での改正反対派の言動を見ていると,「Strawberry Fields Forever」のBメロの1番の歌詞(「Living is ……」で始まる部分)をどうしても思い起こしてしまいます。
それはさておき,上記記述にはいくつかの間違いがあります。
まず,国籍法第八条でフィリピン人女性の子供は3才で簡易帰化できた
との点についていえば,国籍法第8条は,次の各号の一に該当する外国人については、法務大臣は、その者が第五条第一項第一号、第二号及び第四号の条件を備えないときでも、帰化を許可することができる。
と規定されていますから,同条1号ないし4号のいずれかの要件を具備する者が帰化申請を行ったとしても,これを許可して日本国籍を付与するか否かは法務大臣の裁量に委ねられています。従って,上記子供は,簡易帰化の方法により確実に日本国籍を取得できたわけではありません。
次に,それをしないで告訴を仕掛けてきた
との点についていえば,行政訴訟を提起することは普通「告訴」とはいいません。
次に,これについては報道規制が依然としてかかっているようだ
との点についていえば,報道規制がかかっているからではなく,そのような陰謀論は常人には思い浮かばないからだと思われます。
次に,そこを突っ込まれると、最高裁の違憲判決自体が否定される
との点ですが,国籍法第8条の簡易帰化は結局のところ法務大臣の裁量に委ねられており権利性が弱いので,「国籍法第8条があるのだから,国籍法3条1項での差別的な取り扱いは合理的である」という結論にはなりがたく,結局のところ,最高裁の違憲判決自体が否定されることにはなりそうにありません。
このブログ主は,
・地裁は何でフィリピン人女性を門前払いして法務省で簡易帰化するように指示しなかったのか?東京地裁は変
とし,さらに,
つまりこの裁判は、地裁に届けられた時点で
「来るとこ違うよ。法務省で簡易帰化の申請して。」
と門前払いになるはずだった。受理してる時点で異常極まりない
とも述べています。しかし,訴訟適格のある者により訴訟が提起されているのに「門前払い」をする権限は地方裁判所にはありません。それに,法務省に簡易帰化申請したとしても確実に許可されるとは限らないわけですから,裁判所としては,簡易許可申請するように原告に指示するわけにはいきません。従って,国籍法第8条があろうが,この訴えを東京地裁が受理して判決を下すというのは特段異常なことではないということになります。
また,
もし最高裁に提訴していたのがフィリピン在住のフィリピン人(父親日本人)ら
であれば、マスコミも最高裁も違憲判決を正当化することが難しいはずだ。
とも述べているようですが,「血統主義」に基づく国籍取得に関して言えば,その子供がどこに在住しているのかは関係がないので,最高裁に提訴していたのがフィリピン在住のフィリピン人(父親日本人)であったとしても,マスコミも最高裁も違憲判決を正当化するのに特段の支障を感じなかったように思われます。
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11/10/2008
中山成彬・前国土交通相の発言の中でよくわからないものの一つに,
民主党が政権を取れば、日教組、自治労の支援を受けているので、日本が大阪府みたいになる
というものがあります。
最近の大阪府知事について言えば,橋下知事の前の,太田房江知事は自民、民主、公明の相乗りであり,その前の横山ノックは政党に頼らない無党派,その前の中川和雄は社会・民社・社民連・進歩推薦、自・公支持,その前の岸昌は自・社・公・民・社民連推薦,という流れですので,1979年4月以降に生じたことに関して言えば,特に民主党(あるいはその大半が民主党に流れた旧社会党を含めてもよいですが)のみが大阪府政において主導権を握れていたわけではありませんので,「民主党が政権を取」った結果のものと捉えることは,不合理です。
また,「大阪府みたいになる」とだけ言われても,それをネガティブに捉えるかポジティブに捉えるかは,その人の大阪府に対するイメージに大きく依存するので,大阪府にそれほどネガティブなイメージを持っていない人にとっては,「大阪府みたいになるって,そんなに問題なの?」ということにしかなりそうにありません。
もちろん,中山・前大臣は,
中山氏は「大阪府は長年、職員組合と癒着関係にあり、職員の給料が高い。ヤミ手当や裏金もあり、財政破綻(はたん)にひんしている」と述べた
とされているので,職員の給料が高く,財政破綻に貧することの代表例として「大阪府」を持ち出しているとも考えられます。ただ,大阪府のラスパイレス指数は97であり,1959年の二見甚郷知事から2003年に引退した松形祐堯知事まで無所属(自民党推薦)の知事が続いた宮崎県のラスパイレス指数99.2より低かったりはします。まあ,確かに諸手当の支給額については大阪府は東京都に次いで2位なのですが,上位を見てみますと,1位:東京,2位:大阪,3位:神奈川,4位:愛知,5位:京都,6位:兵庫という並びですので,概ね大都市を抱えている自治体において諸手当が高いということは言えるものの,知事の支持母体による差異はないように思われます(なお,教育公務員に支給される諸手当に関して言うと,大阪府は4位に後退し,自民・公明が推薦する神田真秋知事が治める愛知県が2位に躍り出ます。)。
ヤミ手当や裏金については,その性格上正確な統計データが出来ると言うことは期待できませんが,東国原知事の就任直後に裏金の件でいかなる事件が起こったのかはまだ記憶に新しいところです。
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08/10/2008
昨日のエントリーに対しては,的外れなはてなブックコメントがたくさんついたようです。
適法性を厳格に審査することなく情報を発信するタイプのネット上のサービスにおいては,多くの場合,ある程度の割合で権利侵害情報を発信することになります。そして,発信する情報の量が増えれば,そのサービスから発信される権利侵害情報の量は増加していきます。
適法性の事前審査を行わず,被害者等からの削除要請等を受けて削除を行うという方針をとった場合,想定される「被害者」の情報通信スキル等を考慮した上で,被害者等が削除要請をしやすい工夫をしたクレーム受付窓口が必要となります。個人のプライバシーや名誉権が侵害されることが想定されるのであれば,非公開型の通信手段によりクレームを受け付けることがまずは必須でしょうし,想定される「被害者」がITスキルの高い人に限定されない場合には,電子メールやフォームだけではなく,郵便やファックス等でクレームを受け付けることが必要です。また,被害者が安心して削除要請等を行うためには,クレームを受け付ける部署とその担当者に関する情報を明示することが必要です。
そうではなく,適法性の事前審査を行わず,被害者等からの削除要請等を受けて削除を行うという方針をとりつつ,被害者等が削除要請等をしやすい工夫をしたクレーム受付窓口を設けていない企業(運営主体が法人でなくとも,企業ではあり得ます。)は,本来あるべき姿より大量に権利侵害情報を流通させようとしているといえるわけですから,反社会的であると表現することが出来ます。
GMO Internet社のWhois Protect Serviceや他社の類似サービスを利用するなどしてドメイン保有者が誰であるのかすら隠している企業はもちろんのこと,内容証明郵便や特別送達すら受け取らない企業,特にネットスキルが高いわけでもない市民さえ被害者となりうるサービスを運用しておきながらメールやフォームでのクレーム受付しかせず,また,電話番号が表示されていても,そこにかけてもテープ録音された音声しか流れない企業等は,その意味で反社会的であるといえます。
ネットサービスの中で自己の個人情報が流通している場合に,誤りの訂正を申し出たり,これを非公開とするように申し出たりする窓口の設置ならびに責任者の氏名・連絡先の表示をWeb2.0的企業にも義務づけ,これに反した企業には,行政指導を行いこれに従わなかった場合には(行政指導の受付窓口が明示されていない場合には行政指導を行わずにいきなり)刑事罰を科す等の措置が必要なのではないかと思うのです。
その程度のことすら,受け入れられないのでしょうか。だとしたら,ネットの反社会性に多くを期待しすぎなのではないでしょうか。
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07/10/2008
矢部善朗弁護士は,私のエントリーについて「印象操作」という言葉で「印象操作」的に対抗することしかできていないようなので,逆に敢えて印象的に語ってみるとするならば,矢部弁護士のブログのコメント欄と,産経新聞の阿比留記者のブログのコメント欄の雰囲気って結構似通っている気がします。
自分たちだけが物事をよく理解しているのだというある意味選民的な意識とか,自分たちと意見が異なるコメンテーターが現れたときのあしらい方とか,実のところ諸外国はどうなっているのかを十分に調べないで日本の現状を特殊視してしまうところとか,云々。
両者に大きな違いがあるとすれば,阿比留記者は,社会的には受け入れられにくい主張をする人の一員に自らを列することを回避していないのに対し,矢部弁護士は,「医療ミスをして患者を死なせても医師は不可罰とする」という社会的に受け入れられにくい主張をする人の一員に自らを列することを回避しているという点でしょうか。
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06/10/2008
ひょんなことでYahoo!のNさんから豚しゃぶの飲み会にご招待されて出席した際に,Twinkleを始めることになったついでなので,Twitterも始めてみることにしました。
ただし,つぶやく頻度はそんなに高くないと思います。
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02/09/2008
「篤姫」をはじめとする幕末ものを見ていて不思議に思うことの一つは,鎖国政策なんて徳川幕府が勝手に決めたことであり,安土・桃山時代には普通にヨーロッパ人も日本を訪れ,貿易等を行っていて,それで特にひどいことは起こらなかったのに,なぜ,孝明天皇はあそこまで頑なに攘夷思想に凝り固まっていたのかということです。
ロナルド・トビ「『鎖国』という外交」によれば,1791年にロシア船エカテリーナ号が大黒屋光太夫を伴って日本近海に現れ,日本との通商関係を求めた時点でもなお日本は「鎖国」をしているのだとの認識はなく,むしろ,このときエカテリーナ女王からの国書に対する返答を考える中で,通信・通商のことが定めおかれた国以外とは対外関係を結ばないことを,松平定信が「祖法」としてしまったとのことのようです。それは,孝明天皇が生まれるわずか40年前の話です。通信・通商の相手を中国,朝鮮,琉球,オランダの4カ国に限定することを表明したのが,レザノフからの通商要求をはねのけた1805年のことであり,通信の相手を朝鮮・琉球とし,通商の相手を中国・オランダとする旨を対外的に表明したのが1845年のことですから,孝明天皇の側近の中には,幕府が鎖国を「祖法」に仕立て上げていく過程をつぶさに見てきたものがいたのかもしれません。また,後期水戸学の中心である藤田幽谷は1774年生まれで,1789年には水戸藩の修史事業である『大日本史』の編纂に携わっているのですから,攘夷思想が古来のものでないことはわかっていてしかるべきだったのですが,どうして水戸藩が攘夷思想に凝り固まっていくことになったのか,なかなかわかりにくいところです。
もっとも,膨大な情報に簡単にアクセスできるようになった現代の日本でも,例えば,医学部の定員が減らされたのは,厚生省による医療費削減策の一環だと信じて疑わない人たちが少なからずいる(現実は,こちら)わけですから,仕方がないことなのかもしれませんが。
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ケンブリッジ大学のRichard Clayton博士の研究によれば,メールアドレスが「A」,「M」,「S」のいずれかで始まる場合,平均よりも40%以上多く,スパムメールが送られてくるのだそうです。今後,新しくメールアドレスを取り直す方は気をつけましょう。
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31/08/2008
京都弁護士会の矢部善朗弁護士が私を攻撃するためだけに開設したブログ「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」が,「モトケンのヲチブログ」とタイトルを変更したようです。
その理由として,「ひとつは、最近の2件の la_causette のコメントの空気の変化を感じ取ったことにあります。」ということを掲げていますが,「?」です。矢部弁護士から「ヲチ」(監視)され,逐次いちゃもんをつけられるということが続きましたが,矢部弁護士のブログのコメント欄の常連コメンテータを含む医療系ブロガー・コメンテータのおかしな意見を批判したり,彼らが流すデマをデマと指摘することを何ら躊躇しておらず,この点について,私は何ら態度を変えていません。
どちらかというと,「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」等というタイトルのブログを掲げていることの恥ずかしさに気付いただけではないですかね。
例えば,fake-jizoさんが,
まずこのタイトル。
「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」
なんだこれ。これでは2chのnetwatch板に立てられているのと何ら変わらない。というかセンスが一緒だ。これでは
「☆★☆★☆オグリンうぉっちno.12ミ☆★☆★☆」
というスレッドと何が違うのだ。netwatch板なんて2chの中でもあんまり好印象を持たれていないのにも関わらずそのレベルでid:OguraHideoさんと遣り合おうとしているのなら法曹関係全体のレベルが落ちたとROMからは認識されるので止めた方が宜しいかと思うがどうなんだろう?
と
指摘しているとおり,こういうタイトルのブログを開設している時点でかなり恥ずかしいのであって,特に現実社会での人格とリンクする状態でこれをやらかしてしまうというのはかなりダメージが大きいはずです(タイトルだけの問題かというと,ヲチブログを開設すること自体相当痛いわけですが。)。まあ,矢部弁護士がアクセス解析をしていれば,fake-jizoさんのこのエントリーを目にした可能性は大分あると思いますし(絶対にこのエントリーを見たとは断言しませんが。)。
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29/08/2008
「医療施設従事医師・歯科医師数の年次推移,施設の種別・診療科名(主たる)別 」から,産科・産婦人科の医師数の平成10年から平成18年にかけての推移を見ると,11,364人→11,059→11,269→11,034→10,594→10,074というふうに減少傾向にあり,他方で,産婦人科は減少する一方産科は増加していることがわかります(平成10年より前は,複数回答可のデータしかないので,正確な比較ができないですが)。
このように,医療過誤についての正式起訴が年間3件強(略式起訴が10件弱)であり,それらが主として産科・産婦人科をターゲットにしているわけではない環境下において,特に産婦人科医が減少傾向にあるわけです。また,他の診療科目を見ていると,民事訴訟リスクの低い内科医が減少傾向にある反面,訴訟リスクの比較的高い形成外科・整形外科等は増加傾向にあり,また,産科・産婦人科ほど訴訟リスクが高くない外科の方が産科・産婦人科より減少率が高いことがわかります。
彼の取り巻きのご機嫌を損ねるデータを出し続ける私個人に対する人格攻撃しかできなくなった方はとりあえず放置して,これらのデータから見ると,産科・産婦人科医の減少という現象は,業務上過失致死罪の適用を免除しないことにより生じているわけではないことが強く推認されます。「こんなことで逮捕・起訴され有罪とされたのではやってられない」ということは医師以外でもたまに語られるわけですが,それが特異な例に留まる限り,実際にそれでその職業を辞めたり,その職業に就くことを回避したりする人は実際には多くないのです。
[追記]
このエントリーにも矢部弁護士のブログからトラックバックが来ていましたが,エントリーのタイトルが品位を欠くと判断しましたので,非公開とさせていただきました。
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28/08/2008
この数日,京都弁護士会の矢部善朗弁護士から,罵倒語ばかりが踊っていて,中身の乏しいエントリーが立て続けにアップロードされ,このブログにトラックバックされています。
例えば,自分に都合の悪い見解を「印象操作」との語で否定してみたり,自分が望むような結論を導かない資料評価を「捏造」としてみたりというのは,その時々で相手に「勝ったつもり」になって気分的にすっきりさえすればよい匿名さん向きの手法であって,ネット上でそのような手法を使っていることが現実社会での人格の評価にも繋がる実名ブロガーにはお勧めできないのですが,まあ,そういう手法をとっていると匿名さんがいくらでも囃し立ててくれるので,ネットリタラシーが低い方々の中には勘違いする人が生まれてきてしまうのかもしれません。簡単に言ってしまうと,匿名社会特有のレトリックを実名ブロガーが使うことはリスクが高すぎるということです(だからといって,現実社会での人格評価を気にすることなく,その種のレトリックを使って「勝ったつもり」になってすっきりできるから,ネットでは実名を名乗らない自分って賢い!みたいな生き方って,下らないと思いますけど)。
某大学の法科大学院では次のような授業風景が見られるのだとすると,頭の痛い限りです。
[学生]○○先生は××という教科書の△△頁で「A」という見解を述べられていますが,これは「B」という理由でおかしいと思います。
[実務家教員]君は,○○先生に連絡を取って「A」という記述はどういう意味なのかその真意を確認したのかね
[学生]いいえ。
[実務家教員]それでは,「藁人形叩き」と批判されても仕方がないね。
[学生]でも,○○先生は,ほかでも「C」ということをのべておられますから,これはそのままの意味で受け取って問題がないのではないでしょうか。
[実務家教員]この問題に関しては,「D」という歴史的経緯があるので,私はこの問題に関する主張というのは「E」という文脈の範囲内で述べられていると私は思うのだよ。だから,○○先生の「A」という記述も,「A」という意味で受け取るのではなく,「E」の文脈に反しない「F」という意味で受け取らなければいけないんだ。
[学生]でも,「A」という記述を「E」という意味に受け取るのは国語的に無理ではないですか。
[実務家教員]知的財産権分野を専攻するならともかく,刑事法の分野では,関係者が語ったことをそのまま受け取るのではなく,自分が想定する文脈の範囲内にあるものとして受け取るのが正しいのだよ。わかったな。
[学生]はあ,そうですか。では先に進めさせていただきます。●●省の「G」という資料によれば,「H」については「I」という統計数値が示されています。これは「J」ということを示していると思います。
[実務家教員]君,なんで「K」に関するデータには言及しないのかね。それでは資料の捏造だ!
[学生]でも,私の今回の発表は,「H」に焦点を絞ったものですから……。
[実務家教員]君はそんな反論しかできないのかね。
[学生]はあ,では先に進めます。結論として,「L」が「M」という行為を行った場合「N」罪が成立すると思います。
[実務家教員]それはひどい印象操作だ。
[学生]先生,批判されるのならちゃんと理由を述べてください。
[実務家教員]うるさい。君は私が「L」をなだめるためどれだけ苦労してきたか知っていてそんなことをいうのかね。それは私に対する許されざる個人攻撃だ。
[追記]
某法科大学院における実務家教員による刑法の講義では,新過失論が登場する以前は,犯罪結果の発生を予見しながら,これを回避しなかった場合には,回避可能性の有無にかかわらず,過失犯は成立せず,犯罪結果の認容もない場合には故意犯も成立しないため,不可罰だと捉えられていたと教えているのでしょうか。
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25/08/2008
今日は(っていいますか、日付が変わってしまいましたが)、上野の国立西洋美術館へコロー展を見に行き、その後上野のヨドバシカメラでiPhoneを買ってきました。
16GBのiPod Touch(+SoftBank Mobile)と考えると8万円は安くありませんが、e-mobileよりは通話可能地域が広いようであれば、といいますか、Wilcomと同程度の通話可能領域が確保できるのであればPHSカード等を解約できる(e-mobile圏外での泊まりの出張というのは十分あり得ますので、その場合の通信手段を確保しておく必要があります。)。もっとも、都内の場合、e-mobileの通話可能地域がとても広いので、「PHS300 Personal Hotspot」を購入して、D01→PHS300→iPhoneとするかどうかは考慮中です。
困ったのは、16GBという記憶容量の少なさですね。iPhone用にプレイリストを作ってそこに厳選した楽曲を入れておくことにしないと、溢れてしまいます。まあ、贅沢な話ではあるのですが。
Appとしては、iPhoneでnetradioを聞けるようにするallRadioをダウンロードしました。パケット代が毎月上限いっぱいとなることを覚悟すれば、通勤中にネットラジオを聞くことができそうです。
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13/08/2008
津田大介さんのTwitterでの下記つぶやきに,はてなブックマークで沢山のネガティブコメントがついています。
大体ネットでうだうだ言ってるやつは「日本人的な空気嫁的同調圧力」とか「出る杭は打たれる」的価値観で作られる談合社会に対してネガティブな人が多いのに、ストリートビュー否定するときには典型的な「日本人的な感覚」を理由にしてる感じがするんだよね。結局当事者性の問題なの? っていう。
津田さんの誤解だと思うのは,大体ネットでうだうだ言ってるやつは「日本人的な空気嫁的同調圧力」とか「出る杭は打たれる」的価値観で作られる談合社会に対してネガティブな人が多い
と言う部分ですね。ネットでうだうだ言っている方々には,「日本人的な空気嫁的同調圧力」が大好きな方が多いです。「匿名だと,実名では言えないことが言えるので素晴らしい」と言いつつ,「ネットでは言いづらいこと」を作り出してしまうのが,今の日本のネット環境です。
それはともかく,ネットでうだうだ言っているだけで終わってしまっては何も事態は改善されないのであって(ネットでのうだうだをGoogleの偉い人が見てくれて自主的にサービスを中止又は修正してくれると考えるのは,水戸の黄門様が自主的に我が町を訪れて悪代官をやっつけてくれると期待するような偉い人頼みって感じがして,私は好きになれません。),成熟した市民社会においては,例えばGoogleのストリートビューのようなサービスが現れたときには,例えば自分や自分の家の表札が写っている場合にはその写真の削除をGoogleに要求したり,あるいは黙ってGoogle相手に訴訟を提起したり,単独で又は有志を集めてGoogleに対しサービスの中止又は具体的な修正を申し入れたりするのが本筋です。まあ,ストリートビューがサービス開始してからまだ間がないので,そこに自分の姿を見つけた日の翌日に法律事務所に駆け込んでも訴訟提起にまではまだ至らないでしょうから訴訟はこれから起こるのかも知れませんが,こういうサービスに不満を持ちきちんとGoogleにサービスの中止又は改善を申し入れしそうなのって高木さん以外に思いつかないのが悲しいです。
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厚生労働省の「医師の需給に関する検討会の報告書」によると、
毎年、約7700人程度の新たな医師が誕生し、退職などを差し引いて、年間3,500〜4,000人程度が増加
」とのことです。このことから、おおざっぱに言うと、毎年約4000人が医師の職を退くと換算できます。
すると、医師出身の国会議員の方々の尽力により医学部の定員が減少する前の水準である8360人まで医学部の定員を戻すと、概ね4400人程度まで毎年の医師人口を増加されることができます。
もっとも、この当時の医師の人数は、昭和58年03月30日の参議院文教委員会の高木健太郎議員の発言によれば、16万2880人だったとのことですから、医師全体の約5%くらいの医学部の定員ならば、無理なく養成できるということなのでしょう。すると、厚生労働省の平成18年版「医師・歯科医師・薬剤師調査の概況」によれば、平成18年12月31日現在における全国の届出「医師数」は277,927人とのことですから、それからの2年間で約7500人増加しているとして、約285,000人程度の医師が平成20年末ころにいることになります。従って、養成能力からだけから言えば、平成21年には、医学部の総定員を28500×0.05=14250人にすることが可能です。その後も、医学の総定員を医師の総人口の5%として換算すると、最初の6年間は定員が増加する前に医学部に入学した人が卒業するだけですから3500人程度しか増加しませんが、平成30年で約35万人、平成40年で約48万人まで、医師の数を増やすことができます。それでも、総人口の約1割の新人を受け入れることを強いられている法曹よりは、緩やかなものです。
前記報告書によれば、医師の勤務時間を週48時間とおいた場合の必要医師数は 医療施設以外の従事者を含めて27.7万人、休憩時問や自己研修、研究といった時間も含む医療施設に滞在する時間を全て勤務時間と考え、これを週48時間までに短縮するには、さらに6.1万人追加の33.8万人と推計されるとのことですから、前者の考え方を採用すれば 平成18年の末には医師不足は解消し、後者の考え方を採用しても平成29年には解消されると言うことになります。
もちろん、地域による偏在や診療科目による偏在がありますので、医学部の定員増だけでは局所的な医師不足には対応できませんが、比較的楽な診療科が利益率も高いという状況は、健康保険の枠内で行われているものについてはある程度解消可能だとは思います。
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12/08/2008
きくりさんという方からのコメントを紹介します。普段はこういうことはしませんが、福島大野病院事件については、一方的な論調が多かったので、それと異なる意見は貴重だと思い、紹介することとしました。
冤罪に憤る人の多くは刑事実体法の廃止を主張しない」について
小倉弁護士のご意見に賛成する。
確定的故意ありの場合の刑事免責は、
多くの医師も考えては考えないとは思うが、一般的な業務上過失致死傷罪についての刑事免責、不法行為責任(債務不履行責任)からの民事免責は既に当然のように主張されている。行政罰制度の廃止にもやがては言及するだろう。
人の欲望は限りないもの。医療過誤事件の刑事免責ならず、診療報酬、賃金の引き上げ等の要求等も必ず起こしてくる。そうなれば医療費の増大から国民皆保険制度の維持も困難になるだろう。
決して、不当な要求には屈してはならない。
そもそも医師に限って、刑事免責されるべき理由というのは全く見当たらない。医師が刑事免責を主張する際の根拠にあげるのは、①医療の高度・専門性、②医療の不確実性、③萎縮医療を招来のおそれの3点である。
しかし、
①高度・専門的なのは医療に限らない。パイロットなども高度専門的技術を要する職業だが、他の職種では過失があり、死傷との因果関係があれば刑事罰を受けるのに医師だけが免責されるというのはおかしい。むしろ高度専門的だからこそ、より注意義務が課されているとも言える。医師だけを刑事免責してくれというのは子供じみた甘えである。
②確かに、医療には患者の体質等不確定要因が多いが、不確実性があると言っても、それなりに注意すべき事項は数多くある。また、過去の裁判事例を見ても注意義務を尽くせば結果を予見・回避できたと思われる事例は数多くある。
③萎縮医療は刑事訴追の結果ある程度起こるかも知れないが、これはいわば「結果」ないし「効果」であって、刑事免責の根拠にはならない。萎縮医療を回避するのは産婦人科等のリスクの大きい診療科に対する保険報酬の相対的引き上げ等、他の手段によって行うべきである。
福島大野病院事件が不当逮捕だと主張する医師の主たる根拠は、癒着胎盤という疾患が、産婦人科医が一生のうちで1度出会うか否か程度の非常に稀な疾患だからだという。
しかし、それは理由になるのだろうか。「産婦人科医が一生のうちで1度出会うか否か程度」とはどの程度の頻度を指すのかと言うと数万件に1件くらいの程度だという。そう聞くと仕方ないような気もするが、実はそうではない。
例えば、クローン病という消化器疾患がある。この病気は人口対10万人の有病率は5.85であり、約2万人に1人しかない疾患なのだが、実は医師国家試験の頻出問題になっており、毎年出題されている。医師国家試験にそれだけ出題されるのだから当然医師が知っておくべき基本的知識であるし、この疾患を見落としたり適切な処置ができず死傷の結果を招けば業務上過失致死罪に問われても止むを得ない。この他にも特定疾患に指定されている多くの疾患が同程度の頻度だが、全て医師国家試験で実によく出題される。つまり、この手の疾患がきちんと対応できなければ医師失格ということだ。
さらにずっと頻度の少ない疾患に総肺静脈還流異常症という疾患がある。この病気は新生児のできるだけ早い時期に発見し手術を行わなければ手遅れとなり患児は死亡してしまう。そこで、頻度は非常に低い極めて稀な疾患だが、医師国家試験に出題されている。つまり、医師にとって知っておくべき基本的知識とは、単に頻度の問題ではないということである。仮に頻度が低くても、見落とせば重大な結果を招く危険性のある疾患はきちんと履修しておくべきなのである。
癒着胎盤は子宮全摘の適応であって、不用意に剥離を進めれば大出血を招き死亡する恐れがある重大な疾患とされており、特定疾患並みの頻度なのだから、当然熟知しておくべき疾患であると言える。
なお、癒着胎盤は国家試験にあまり出題されなかったかも知れないが、これは医師国家試験が全科共通の試験であり、どうしても内科・外科からの出題が大半を占めるからであって、産婦人科を専攻する者が合格後、産婦人科医としての研修を積む上で当然習得しておかなければならない知識であることは言うまでもない。
つまり、医師らが言う不当逮捕の根拠は欺瞞に満ちたものと言わざるを得ない。数万件に1度という頻度が福島地検の起訴の不当性を主張する根拠になり得ないことを指摘しておきたい。福島地裁の裁判官におかれても医師らの欺瞞に惑わされることなく厳正な判断を望みたい。
医師は自分達の都合の良いようにしか言わない。都合の悪い事は仲間内でかばい合い隠匿しようとする。これは人間である以上、期待可能性がないことかも知れないが、一般社会人が医師の主張を聞くとき、いつも注意しなければならない点だと思う。
また、このようなかばい合い体質は今に始まったものではなく、残念ながらわが国の医師の習性となっている。それ故、刑事訴追は絶対に必要なのである。不当な要求に屈してはいけない。
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ネットリタラシーの低い方は匿名さんに持ち上げられると矢部弁護士には忠告をいたしましたが、もはや忠告を聞く耳はお持ちでないようなので、こちらは粛々とやるべきことをすることにしましょう。
それにしても、「故意でない診療関連死を刑事事件化しないための、警察と検察介入のガイドライン」との邦文が,「Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm」という英文の「意訳」の範囲に留まっているか否かって、別に高度な英語力を必要としていませんので
なお、私は、英語が不自由だと申し上げております。
ですから、ご指摘の英語文献の読み方については、なんとも申し上げかねます。
なんてのはごまかしにしか聞こえてこないのが残念なところです。原文がもう少し難しい英文だったら、説得力もあったのですが。
それにしても、私を粘着的に攻撃する人って、「印象操作」だのなんだのという言葉にすがりつくのが好きですね。その実、その方の方が印象操作に必死っぽいのですが。
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11/08/2008
矢部善朗弁護士は,何のために,ご自身の弁護士生命を賭けて,私に粘着しておられるのでしょうか。
特定の弁護士を批判するためだけにブログを一つ立ち上げてしまうだけでも気持ちが悪いですし,そのブログの更新頻度も通常ではありませんし,そこで行われている文章の解釈も一般の弁護士の文章解釈の手法とは質の異なるものであるように思われますし,この一連の粘着行為により矢部先生が失ったものは大きいのではないかという気がしてなりません。
更にいえば,これは私のブログのコメント欄を匿名の方に解放していたときからそうなのですが,私のアンチが非常に低レベルであることは昔から知られておりましたので,「敵の敵は味方」とばかり,私を批判するコメントを擁護にかかると,ご自身の信用を失うことに繋がっていくので注意が必要です。まあ,私を個人攻撃しているとお追随者がたちまち集まるのですが,彼らは匿名ですから,どんな無茶な論理を押し通そうとしたって,現実社会の自分の評価には影響が及ばないのです。でも,矢部先生は,もう現実社会の人格を自らカミングアウトされているので,彼らと同じわけにはいかないのです。
もういい加減目を覚ませばいいのに。まさか,「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」で語られている論理が正しいものだと本気で思っているわけではないでしょうに(創価大学法学部や,創価大学法科大学院では,外国語の論文を紹介又は引用する場合に,原題と無関係に自由に邦題を付けて良いと教えているわけではないでしょうし,「故意でない診療関連死を刑事事件化しないための、警察と検察介入のガイドライン」との邦文が,「Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm」という英文の「意訳」の範囲に留まっていると本気で思っているわけではないでしょうに。)。
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09/08/2008
イギリスの「医療崩壊」は、一般に、サッチャー政権下でもたらされたと解されています。サッチャー首相の任期は、1979年から1990年です。そして、1997年に就任したブレア首相の下で医療費の大幅増額を柱とする医療改革を行うと、医療における需要と供給のミスマッチは急速に解消していきます(大和総研の年金事業本部である高橋正明氏は、まず、「独仏並みの医療提供には独仏並みの医療費が必要」として、医療費を対GDP比で、2002-03会計年度の7.7%から、2007-08会計年度には9.2%まで増やす計画を継続中である。マンパワー不足解消のために報酬が大幅に増額された(年収25万ポンドのGPが出現したのはこのため)ことや、老朽化した病院の建て替えが進んだことで、待機患者は減少し、供給力不足はほぼ解消された。
と述べています。
。
他方、医師に対する致死罪での起訴が急増したのは、サッチャー政権が終焉した1990年からであって、ブレア政権下ではさらにその数が増加します。
このように見ていけば、イギリスにおける「医療崩壊」の原因が「医療ミスについて刑事罰を科すこと」にはないことは明らかです。「医療ミスに関して刑事罰を科すのは先進国では日本だけ」という主張がデマであることを示すものとして、イギリスでも医療ミスについて刑事罰が科されていることが示されたときに、イギリスは医療崩壊国であるという指摘を受けただけで、イギリスでも医療ミスについて刑事罰が科されているという事実が、「医療ミスについて刑事罰を科すことが医療崩壊を招いている」という一部の医師の主張を補強するものだととらえてしまう方もおられるようですが、軽率だとの謗りを免れないでしょう。
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私の「不条理な脅しには屈してはいけない」というエントリーでは、まず、冒頭で、
運動論的にいうと、「俺たちの要求をのまないと、医師たちは逃散するぞ。そうした医療崩壊で困るのは、お前ら愚民たちであって、お医者様は一切困らないんだぜ」という路線で来る限りは、その種の医師たちの要求には一切屈してはいけないということになります。ひとたびその種の脅しに屈して理不尽な要求を受け入れると、要求は次々とエスカレートしていく危険があるからです。
と述べています。これは、時に、民暴を含めた不当要求に対処しなければならない法律実務家にとっては、概ね基本中の基本というような話です。
その後は、救急時の刑事免責
という極めて限定的な要求を飲んだ場合に、要求はどのようにエスカレートしうるかという、「現時点では架空の話」をしています。そのような文脈の中で、
さらには、医療とは離れた犯罪ないし不法行為に関する民事または刑事上の責任の免除を医師たちが求めてきた場合にも、その要求に屈しなければいけなくなるかもしれません。「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたとき、一度その種の脅しに屈した社会はずるずると脅しに屈し続けることになるかもしれません。
と述べていますので、この中に含まれる「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたとき
というのが「現時点では架空の話」であることは、普通の日本語読解力を有する人には自明の理であると言えます。
京都弁護士会の矢部善朗弁護士が、私を攻撃するだけのために立ち上げた「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」というブログの「「冤罪に憤る人の多くは刑事実体法の廃止を主張しない」について」というエントリーにおいて、
もっとも、小倉弁護士は、「医師たちは、故意犯である診察室における強制わいせつ行為についても処罰しないことを求めている。」という独自の理解(通常の用語では誤読または曲解)をされているので、そのような理解に基づけば、適切な例えになるのかも知れませんが、それは小倉弁護士一人にしか妥当しないと思われます。
と仰っています。もし、私の上記エントリーにおける上記言い回しを根拠として、小倉弁護士は、「医師たちは、故意犯である診察室における強制わいせつ行為についても処罰しないことを求めている。」という独自の理解(通常の用語では誤読または曲解)をされている
と仰っているのであれば、ひどい曲解です。悪質なデマだと言っても言い過ぎではありません。上記エントリーにリンクを張ったり、あるいは具体的に「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたとき、一度その種の脅しに屈した社会はずるずると脅しに屈し続けることになるかもしれません。
と言う部分を忠実に引用したりすれば、「現時点で現実化した話」として「医師たちは、故意犯である診察室における強制わいせつ行為についても処罰しないことを求めている。」と私が言っているわけではないことがばれてしまうからでしょうか、上記エントリーにリンクも貼らず、上記言い回しを正確に引用することもしていません。
矢部弁護士のブログでは、一部の医師の過剰な要求をたしなめる私は、露骨に憎悪の対象とされています(例えば、前記「モトケンの小倉秀夫ヲッチング」では2ちゃんねるでの私に関する中傷スレッドにトップページからリンクが貼ってあります。これは、2ちゃんねるで行われる中傷発言が人々の目に触れる機会を積極的に増大させ、その名誉毀損効果を高めようというものであって、名誉毀損行為の幇助行為とされてもおかしくない行為です。また、コメント欄ではすでにたとえどんな酷いことを書いても、ご自分が病気になられた場合、点滴に雑巾の絞り汁を混注されることは絶対無いと確信なさっていらっしゃるのでしょうから。(笑。
との脅しが私に対してなされ、さらにこれを支持する「医療に仇なすもの、および協力者」に対しては全国の医療機関が一致団結して「然るべき報い」をくらわすものである、としたら…誰も訴訟なんか起こせないでしょう恐ろしくて。何実行する必要はありません。そう思わせるだけ、でいいのです。
等の発言が公然と語られても放置されているくらいです。)。だからといって、弁護士なんだから、やっていいことと悪いこととがあるように思います。
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「医療ミスで刑事罰が科せられるのは先進国では日本だけ」というデマはどこで語られているのかという質問がありました。そこで、ざっと調べてみました。
大木隆生医師は、
殺意や傷害の意図を持って命を奪ったのならともかく、通常の医療行為に警察が介入し、刑事罰により結果責任を問う国は、先進国では日本だけです。しかも、医療のプロではない警察や検察が調べに当たり、犯罪か否かを問うのです。
と
述べています。
また、日本医療学会はこの記事を参照する形で、
通常の医療事故に警察が介入し、刑事事件として裁く国は、実は日本以外にほとんどない
と
述べています。
指扇病院副院長・さいたま市議会議員である日下部伸三氏もまた、
医療ミスがマスコミに取り上げられない日が無い昨今だが、医療過誤で医療従事者が刑事責任を問われるのは先進国では日本だけである。医療過誤に対し刑事罰を課すのは「手術に失敗した外科医の両手を切り落とす」という4000年前のハムラビ法典と変わらない。欧米ではよほど悪質なケースを除きケアレスミスであっても医療過誤で医療従事者が刑事責任を問われる事はない。
と
されています。
うろうろドクターさんも、
先進国で医療者が刑事罰に問われる国は日本だけです。
と
述べています。ただし、その下に張られたリンク先には、別のことが書かれています。
このブログのコメント欄で、鶴亀松五郎氏も、
故意や悪意を除く正当な診療における死亡を刑事事件化しているのは、先進国だけでは日本だけです。
と
述べています。
佐藤章・福島県立医科人教授は、2007年11月11日号 にて、 「医師に仮にミスがあったとしても、正当な医療行為に業務上過失致死罪を適用するのは、先進国で日本だけではないかと思います。今後のためにも、無罪を勝ち取りたい」と語気を強めたのだそうです(ネット上のコピペを見ただけで、原典に当たっていませんが。)
また、この記事によれば、高畠由隆千鳥橋病院副院長もまた、
医療過誤事件で刑事罰により結果責任を問う国は先進国では日本だけ
と述べているようです。
また、日本テレビのNEWS ZEROの「ACTION」ブログの「スタートから半年・・・兆しは出てきた?(第11回)」というエントリーのコメント欄において、 大藪さんという方が、
また、先進国中、医療上の行為に対し業務上過失罪を適用するのは日本だけだということも報道してください。
と述べています。
「日々のたわごと」ブログにおいても、『我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します』というエントリーの中で、
医師が行政処分じゃなくて刑事罰で裁かれる先進国は日本だけだという事実や(韓国を先進国扱いするなら韓国もそうですが)、現状(あるいはちょっと前の)日本は間違いなく「世界から立ち後れたアメニティしかない病院で、世界最高峰の医療水準だった」のは確かですし。
と述べられています。
また、Yahoo!Japan知恵袋では、「医療の問題に、「警察や裁判所」が関与するのは、日本だけ??
」という質問に対して、
おっしゃるように、「医療問題」に、「警察や裁判所」が関与するのは、残念ですが日本だけです。
(アメリカは、訴訟社会ですので、例外!です)
という回答がベストアンサーに選ばれています。
また、「ドクターのつぶやき」では、「2008.2.15 医療事故調査とメディアの責任」というエントリーにおいて、
このような混乱の最大の原因は、わが国の医療事故に対する関係者の処罰が、非常に厳しいものになっているという事実に目をそむけて議論が進んでいることによる。世界的に見て医師が過失によって犯罪者とされる文明国は日本だけである。
と述べています。
これらの皆様は「先進国では」「文明国では」日本だけと言い切る前に何カ国くらいの制度を調べたのかよくわかりませんが、普通、米英独仏くらいの順番で調べないものでしょうか?
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04/08/2008
矢部先生から、相変わらず不思議な批判がきています。
要するに、小倉弁護士が、la_causette の「NATROMさんからみた藁人形って何?」において、医療側ブロガーが「全ての医療ミスを免責せよ」
と主張しているように思われます。
と主張しているものと受け取るのが普通です。
と主張しているように読めます。
というように、必ずしも明確な根拠無しに医療側ブロガーの主張を推測しているように読めました
とまず言い訳から入っているようです。では、「NATROMさんからみた藁人形って何?」において必ずしも明確な根拠無しに医療側ブロガーの主張を推測しているのか見てみましょう。
例えば、
「元外科医のブログ」における「医師らの刑事免責確立を」というエントリーをみると、立法による刑事免責は現場の医療人から見れば最低限の要求だろう。
とあり、刑事免責の対象について特段の限定は付されていません。そもそも過失犯に対して刑罰を科しても社会に対する予防効果は全くない
、諸外国では医療事故や航空事故、原子力発電所などの大きなシステム事故は刑罰を科すより当事者に真実を語らせる方が社会にとって遙かに有用なことと考えられている。過誤を犯した人間に対するペナルティは免許停止などの行政罰再教育などの方が適切である。結果が悪ければ個人に刑事責任を追究するのではリスクのある業務が成り立たないと言うことは自明のことであ
との文章からすると、少なくとも業務上過失致死罪に関しては「全ての医療ミスを免責せよ」と主張しているように思われます。
という部分を見ていただければわかるとおり、「医師らの刑事免責確立を」という言葉からだけでなく、「元外科医」さんがその主張の裏付けとする文章等を斟酌した上で、その言いたいことを分析しています。どこぞの元検事と違って、自分が設定した「文脈」に沿うように他人の発言の「真意」を勝手に決めつけるような強引なまねをしていません。
そういう部分は全く無視して、「主張しているように思われます。」という婉曲的表現が用いられているということだけで、必ずしも明確な根拠無しに医療側ブロガーの主張を推測しているように読め
ると強弁した上で、論者の真意を確かめないで決め付けるのであれば、揚げ足取りとしか言えない主張です
だの確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思います
云々と言って、「相変わらずわら人形。「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるのなら有効な主張だけど。小倉氏の脳内にはいるんだろうな。」
とのNATROMさんの発言を矢部先生は正当化しようとしたわけです。
ここにいたって矢部先生は、
私の主張は、医療側ブロガーが「全ての医療ミスを免責せよ」と言っているのかどうかを判断するにはもう少し根拠がいるのではありませんか、その根拠を得るための(「いくつかある手段のうちの)一つの手段として、発言者の方に真意を確認してみられてはいかがですか、提案してみただけのものです。
等といいわけをしているようですが、「相変わらずわら人形。「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるのなら有効な主張だけど。小倉氏の脳内にはいるんだろうな。」
という発言を確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思います
といって支持ないし正当化する発言をしておきながら、その根拠を得るための(「いくつかある手段のうちの)一つの手段として、発言者の方に真意を確認してみられてはいかがですか、提案してみただけのものです。
と今更苦しいいいわけをされても、みっともない感じはします。
「お医者様のよき理解者」として振る舞いたかった矢部先生が、NATROMさんの私に対する非難が根拠のないものであることが白昼に晒されることに耐えられず、思わず、新たな「ルール」をその場で作り出して、「お前はこのルールを守っていないではないか、だからこういう批判を受けても仕方がないのだ。お医者様は悪くない」と言おうとしたが、「そのルールは普遍的なものなのでしょうか。あなた様はそのルールをお守りですか?」と追及されて、「一つの手段として、……提案してみただけ」と突然トーンダウンしたように見えます。
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03/08/2008
ある人や組織の発言について、これを批判する前に、その発言者等に直接アクセスしてその真意を確認すべきだとお考えの方はまず自ら実践されたらよいのではないかと思います。
それはともかく、そのようなことを実践しないのは怪しからんという話は、お医者様の発言を批判した今回のケースについて初めていわれたことなので、ひょっとしたら、お医者様は従前よりそのようなことを実践されていたのかもしれません。ということで、お医者様による第三者への批判がどのように行われているのかということを、全国医師連盟の「医療安全調査委員会新設への意見」に対して寄せられた、医療安全調査委員会の新設に関する与党案についてのコメントを見て検討していきたいと思います。
まず、沖縄に住む30〜39歳の医師の方の発言ですが、 官僚の天下り先を作りたいのでしょう。
とのことですが、医療安全調査委員会を設立しようという案を提示した目的が「官僚の天下り先を作りたい」からであるとの点について、与党関係者にコンタクトをとって確認したのでしょうか。
次に、九州にお住まいの40〜49歳の医師の方の発言ですが、どこまで、医師を貶めればすむのでしょうか?
とありますが、与党案の作成者に、医師を貶める意図で与党案を作成したのか確認されたのでしょうか。医療関連死について、闇から闇に葬るのではなくて、調査委員会を設置して、そこで原因を調査し、処罰すべきものは処罰しましょうと提案することは、「医師を貶める」ことになるのでしょうか。ひょっとして交通事故で通行人をひき殺してしまった場合に警察等への通報義務を負わせるとともに、実況見分等の調査活動を警察に行わせ、処罰すべきものを処罰する現行の道路交通法は、自動車運転手を貶めるものなのでしょうか。
東海地方に住む30〜39歳の小児科医の方ですが、ハムラビ法典の時代、医師は患者が亡くなれば、死刑であったようですが、この制度はそれに類似するものでしょう。
とのことですが、今回の制度のどの辺が、「医師は患者が亡くなれば、死刑であった」ハムラビ法典下の制度と似ているのでしょうか。私が知る限り、医師を業務上過失致死罪で処罰するには医師に「過失」があったことを要件とするという基本線を変えようという話はでていないように思うのですが。それとも、大村秀章衆院議員等の「医療紛争処理のあり方検討会」のメンバーに直接コンタクトをとってその真意を確認したところそのようなことを仰っていたということなのでしょうか。
九州にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、
医者=性悪説を前提とするような制度には断固反対である
とのことですが、医療関連事故が起こったときには外部機関でその原因等を調査しましょうというのは「医者=性悪」説とは特段関係がないと思いますがいかがでしょう。自動車事故の時に警察が調査活動等を行うのだって「運転者=性悪」説に基づいているわけではありません。
海外に在住の30~39歳の内科医師の方ですが、この委員会は,厚生省の,厚生省による,厚生省のための委員会で,医療の進歩を妨げ,日本の医療崩壊を決定的にするものである。
とのことですが、厚生省が自己の欲得のために医療安全調査委員会を創設しようとしているということについて厚生省の担当者に直接コンタクトをとって真意を確認したのでしょうか。
甲信越に住む40〜49歳の医師の方ですが、選挙対策の国民受けする制度を安易に作ろうとする議員や政府のやり方には怒りを感じます。
とのことなのですが、医療安全調査委員会を、「選挙対策の国民受けする制度として安易に」創設しようとしているなどの真意を直接確認されたのでしょうか。「選挙対策の国民受けする制度」ということであれば、こんなマニアックなところではなく、もっとわかりやすい部分で作りそうなものだと思いますが。
関東にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、助けるために行って助けられなかったら殺人罪ではあまりにもひどすぎる。レスキュー隊は助けられなかったら殺人罪ですか?捜索隊は助けられなかったら殺人罪ですか?警察官は守りきれなかったら殺人罪ですか?
とのことですが、私が知る限り、「医療紛争処理のあり方検討会」のご提案はそのように大胆に刑事実体法の改正を求めるものではないように思います。大村秀章衆院議員等に真意を確認してのご判断なのでしょうか。
近畿にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、 産婦人科がいなくなった原因は激務に見合わない過剰な訴訟にある。今度はすべての科の医者をなくす気か
とのことですが、直接大村議員にコンタクトをとってその真意を確認したらよいのではないでしょうか。私には、訴訟になる前に、医療ミスにより患者が亡くなったのかどうかがわかる方が訴訟の数は減少するように思いますが。
近畿にお住まいの20〜29歳の医師の方ですが、自分たちの利益しか考えず、実際の現場のことを理解していないし、しようともしていない。
とのことですが、「自分たちの利益しか考え」ていないとか「実際の現場のことを理解」しようともしていないというのは、これも直接コンタクトをとってその真意を確認した上での発言でしょうか。
近畿にお住まいの40〜49歳の大学病院勤務医師の方のご発言ですが、知識のない警察官にはまかせられない
とのことですが、与党案は「知識のない警察官にまかせ」ようというものではなく、知識のある方々からなる調査委員会でまず調べましょうというものではないかと思います。それとも、この方は、直接コンタクトをとって、「今回提案した制度は、知識のない警察官に医療事故の処理を任せることを目指したものだよ」と聞き出したということなのでしょうか。
北陸に住む30〜39歳の医師の方ですが、第一線の臨床の場で働く医師で、このような組織の設立に賛成する人が居るとは思えません。
とのことですが、そんな「第一線の臨床の場で働く医師」の意見を十把一絡げで表現するのは危険すぎます。ブログ持ちなら医療系ネットイナゴの餌食です。
近畿にお住まいの大学教員の方ですが、 不幸な事故の再発を防止することと、責任者を吊るし上げることは別の枠組みでやっていただきたいです。
とのことですが、与党案では、医療安全調査委員会で「責任者を吊るし上げること」を予定しているとの情報はどこから入手されたのでしょうか。原案を見る限り、責任者を糾弾する場として活用されるとはにわかに信じがたいのですが
関東にお住まいの50〜59歳の内科医の方ですが、 実際に現場で働いている人間の意見も聞かずに何が医療の安全か.たわけたことを.
とのことですが、「医療紛争処理のあり方検討会」のメンバーが実際に現場で働いている人間の意見も聞かずに医療安全調査委員会を作ろうという案を作ったとの情報はどこから仕入れたのでしょうか。一般論としていえば、与党も野党も、法案を作り上げるに当たって、現場で働いている方々を呼び出してヒヤリングをしていることが多いですが。
北陸にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、司法や警察やメディアの一部は医療の結果を医療関係者のみに責を負わせ、罰すれば医療の質が改善すると考えているように見える
とのことですが、医師に結果責任を負わせれて医師を罰すれば医療の質が改善すると考えている人はいないと思いますが、直接これらの職業の方にコンタクトをとって確認をされればいいのではないでしょうか。
東北にお住まいの40〜49歳の医師の方ですが、 「悪の黒幕を倒せば、正義と平和が訪れる。」「正しく呪文やアイテムを使えば、怪我も病気も、死んだ人さえもすぐに回復する。」というドラクエ脳のまん延が医療を滅ぼします。
とのことですが、今回の与党案がそのような「ドラクエ脳」に基づいて作成されたものとはにわかに信じがたいです。これも大村議員らに直接コンタクトをとってその真意を確認した上での発言でしょうか。
四国にお住まいの30〜39歳の医師の方のご意見ですが、私たちは患者を殺すために医療をしていません。それがわからないのでしょうか。
とのことですが、殺すために医療行為を行っていると判断したら、業務上過失致死罪ではなく、殺人罪を適用します。すなわち、業務上過失致死罪の成否を問題とするというのは、医師達は「患者を殺すために医療をしてい」ないということは一応認めた上のことです。
中国地方にお住まいの50〜59歳の私立大学教員の方のご意見ですが、 処罰感情や敵討ちは世の中を悪くするだけです。そういう感情が沸き起こることは仕方がありませんが、安易に外へ吐き出して満足し、向き合って克服しようとする努力を怠るのは、人格の幼稚さの現われです。ましてや規範の根底に据えようとは、そんな国に未来はありません。
とのことですが、刑罰制度自体を否定されるのでしょうか。
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「甲のAという発言を批判するときには、甲に直接コンタクトをとって、Aという発言の真意を確認しなければいけない。」という矢部先生の私に対する批判を支える論理というのは、ネット上での批評行為のほぼ全てを否定するもの(さらに言えば、ネット上のものに限らず、批評活動自体を事実上否定するもの)なのですが、矢部先生に同調されているブロガーやはてなブックマッカーの方々は、自己の過去を全否定し、今後は矢部先生のご言いつけを守って「甲のAという発言を批判するときには、甲に直接コンタクトをとって、前もって、Aという発言の真意を確認」する覚悟ができているのでしょうか。
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全国医師連盟(正確には、全国医師連盟設立準備委員会執行部によるものですが「現在でも通用します。」とされています。)の「医療安全調査委員会新設への意見」には、
巷では、新設される医療調査委員会は、社会保険庁が解体されることによって生じる余剰公務員の受け皿、又は、年金官僚の受け皿であると噂されている。国民のこのような 懸念が払拭できていない現状では、莫大な予算を伴う政府機関の新設には反対である。
との記載があります。しかし、そのような話は、一部の医療関係者が言っているだけで「巷の噂」にすらなっていません。
例えば、うろうろドクターさんは、
そういえば昨日も、「『医療安全調査委員会』は厚労省の中に置く」と言っていました。
社保庁解体後の天下り先確保の為に、日本の医療を破壊しようとしている連中を私は許せません。
と
していますが、「『医療安全調査委員会』は厚労省の中に置く」目的が「社保庁解体後の天下り先確保の為」なのかどうか厚労省に確認をとったのでしょうか(たぶん、肯定しないと思うのですが。)。ひょっとしたら、矢部先生や矢部先生に賛同されている方は、「Aと主張されている人の真意をAと理解してこれを批判するには前もって発言者に直接コンタクトをとってその真意を確認する必要があるが、Aと主張されている人の真意をBと理解してこれを批判するには前もって発言者に直接コンタクトをとってその真意を確認する必要はないし、Aという発言の真意がBであると理解するにつき特段の根拠も必要ではない」ということなのかもしれません。
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30/07/2008
「A」という文章の通常の意味範囲を「a」とします。
甲がその主張として「A」という文章を公表したときに,
甲が「a」という主張をしているとの認識のもとに,甲による「a」という主張を批判するのと,
「文脈」なるものを勝手に設定して,甲はその主張として「A」という文章を公表しているが,「文脈」から判断するに,甲が真に主張しているのは「b」であると解釈するのと,
では,後者の方がやっていることが酷いのではないかと私は思ったりします。
後者の場合,甲として「a」という主張をするつもりで「A」という文章を公表した場合であっても,甲が「a」という主張をしたという事実をなかったことにしてしまうからです。
乙が,甲が「a」という主張をしているとの認識のもとに,甲による「a」という主張を批判しているときに,これに対抗する言論として,甲に同情的な丙により,「甲は,『A』と言っているが,その真意は『b』であることは明らかだ。甲が『a』のような非常識な主張をするわけがないではないか」なんてことをいわれてしまうと,「いえいえ,私は,『a』という主張をしたくて『A』と言ったのです」とは言いにくくなります。甲が真実「b」という主張をしたかった場合に,乙に対して,「私は,『A』といいましたが,これによって主張したかったのは『a』ではなく『b』です。」と反論する方が心理的な抵抗は少なさそうです。それに,そうなれば,今後は,通常「b」という意味範囲を有する『B』という文章をその主張を表すのに使えばいいのではないか,という話もできるので,より生産的です。
なお,後者のような解釈が許されるのは,甲が丙の設定する「文脈」の枠内でその主張を行っていることが前提となるわけですが,大抵の場合,それは丙の勝手な思いこみだったりします。
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29/07/2008
bewaadさんのブログのコメント欄でのことですが、
皆さんはもしかして現在の医療が完全なもので、お医者さんは全知全能の存在だと、勘違いをしていませんか?
というコメント(by 大学教員 さん)に対して、
現実に有罪となっている例は、神でなくとも回避が可能だったものです。
という返答をした場合、ここでの「神」という表現は、「全知全能の存在」という程度の意味であることは普通見当がつきます。「ここでいう『神』とは、カグツチのことだろうか、それともツクヨミのことだろうかと本気で迷う人はほぼいないように思います。また、この文脈で「神」を「死に神」という意味で使うことがあり得ないと言うことは、ごく少数の方以外には自明の理かと思います。医療系コメンテーター等が用いる「刑事免責」が「過失犯についての全面的刑事免責」を意味しないかどうかは、「過失犯についての全面的刑事免責」論についての論者の評価および医療系コメンテーターについての論者の評価によって見解が変わりうるかもしれませんが、上記表現における「神」がカグツチや死に神ではないことは、「全知全能」という言葉を受けての発言であるだけになおいっそう明らかです(「全知全能」という言葉を受けての発言でなくとも、「神でなくとも回避が可能だった」というときの「神」がカグツチや死に神でないことは明らかだと思いますが。)。
そういう流れの時に、
新規に言葉を出すならば、定義を書いてからにしてください
ここでの「神」は、一神強教えでの「The GOD」ですか?多神教での神ですか?比喩的な外科の神ですか?朝日新聞曰くの死に神ですか?
言葉と論理をもって商売している以上、他者に通じない言葉の使用は控えてください
誰にも理解できないモノはゴミですから
(by sakimiさん)というコメントを敢えて挟む精神構造というのが私には理解できません。冗句としての面白みはありませんし、本気だとしたら、この人にご理解いただく文章を書くのは非常に困難かと思います。
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22/07/2008
ネット上では、特定の人物を非難するためだったら、ネット上のどこへでも赴き、どのような主張についても与して見せるみたいな人がたまにいます。で、この種の人々に乗せられて、その特定の人物について公然と悪口をだらだらと語るようになってしまう人々っていうのもたまにいたりします。そのときは、その種の人から、その特定の人物よりも上に立っているかのごとくおだてられるので、とりあえずいい気になってしまうようです。
とはいえ、ネットの悪弊に深く毒された方々以外の目から見ると、特定の人物の悪口をだらだらと言い合っている姿というのははっきり言って醜いものですから、その人は今後はそういう人物として広く認識されることになるので大変です。特に、現実社会での人格とひも付けをしてブログ等を開設している人が、その種の罠に陥ってしまうと、現実社会での人格もそのように把握されることになりかねないので、難儀な話になります。その種の人々は、現実社会での人格とひも付かないように匿名を用いていることはもちろん、自分ではブログを開設しない根無し草状態だったり、そのハンドル名でブログを開設していたとしてもそのブログではその程度の人格であるという位置づけをすでにしてあったりするので、特定の人物の悪口をだらだらと言い続けている醜い人物だと認識されてもいまさら痛くもかゆくもないのでしょうが、その種の人物に引っかかってしまった人は災難です。
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19/07/2008
前回のエントリーについて、矢部先生から不思議な反論がきています。
記載された文章を通常の用法に従って読みくどくことによって、書き手の「言いたいこと」を認識する、というのは、当たり前のことだと認識していました。書き手の「言いたいこと」を認識するに当たって、直接書き手と連絡をとってその真意を確認するというのは一般的ではないし、そこまでしなければその「書き手」がその文章で何を言わんとしているのかを認識してはならないとの規範は我々の社会には存在しないものと思っていました。
矢部先生は、
確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思います。
と仰っています。それが、「書き手」が医師ないし医療系ブロガーに限定されず、読み手ないし批判者が私である場合に限定されない一般論として仰られているのだとすると、矢部先生はもはや「批評」ないし「文章の解釈」ということ自体を否定されているということになります。「書き手」が医師ないし医療系ブロガーに限定され、かつ、読み手ないし批判者が私である場合に限定される話だとするならば、それはいわば「言いがかり」ということができます。
さらにいえば、矢部先生は、
刑事免責を主張する医療側の論者も、小倉弁護士の指摘した事案についても刑事免責を主張するかどうかは必ずしも明確ではありません。たぶん、しないでしょう。
ということを、それぞれの書き手に「確認もせずに決めつけて」擁護しているともいえます。さらにいえば、前回のエントリーで紹介した文章から、
医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解
せよと言われてもそれは無理というものです。
医師ないし医療系コメンテーターのそれまでの主張を前提として解釈すると、話はより悲惨です。例えば、「Doctor Takechan」という医師の「医療事故調第3次試案の闇」というエントリーのコメント欄で、鶴亀松五郎さんという方は、
(1)第一に駄目な点、先進国では故意や悪意の医療、すなわち最初から殺人または加害目的の医療行為(以前、イギリスで起きたようにGPの医師が患者を次々と毒殺して財産を横取りした事件、オーストリアでナースと医師がケアハウス入所中の高齢の患者に過量のインスリンを注射して大量殺害した事件など)以外は、刑事罰にとってはいません。
故意や悪意ではない診療関連死を刑事罰にしていたら、医療そのものが成立しなくなりますし、医療専門職のなり手もなくなります。
そうしないために、先進国は故意と悪意の医療行為以外は刑事罰を課さないのです。
と述べ、
とどのつまり、診療関連死を業務上過失致死にしないように法律を改正すれば済むだけです。
としています。この文章を読んだときに、「この書き手が望んでいるのは、『医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除』である」と読み取ることは不可能でしょう。そして、このコメントについて、ブログ主は、
私より何倍も論理的で的確だな〜、と感心しきりです。
と述べているわけで、医療系ブロガー等の要求は、医療行為については、故意がない限り、一律に刑事免責をするという点にあると見るよりほかにありません。
なお、医療ミスに関して業務上過失致死罪が適用されて有罪となったケースのほとんどがこのような「医療行為の不確実性」とは無関係な事案なのですから、これらを、医療行為を業務上過失致死罪の対象とすべきか否かを論ずるに当たって念頭に置くことが難しいほどの例外事例であるかのようにいうのはごまかしだと思います。
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17/07/2008
「日本での日本語での報道自体が外国の報道機関に把握されている今の時代に」というエントリーに対し、guldeenさんから、こんなもん、毎日がライアン・コネルの首を晒せばそれで済む話。
というはてなブックマークコメントをいただきました。
「日本人に対する間違った見方を修正したい」ということが「達成すべき課題」だとすれば、「毎日がライアン・コネルの首を晒」したかどうかなんてものは些末的な話だし、晒したからってそれで何かが済むのかというと何も済まないように思えてなりません。それで済むと考えているのは、結局、WaiWaiの記事によって日本人がどのように見られるようになったのかなんていうのは、本当はどうでもよくて、マスメディアを攻撃するネタに使いたいだけだからではないかとの疑問が生じてしまいます。
「Anger over Mainichi WaiWai column continues…」という記事のコメント欄などを見ていると、日本人に変態が多いみたいな偏見はむしろ日本のAV等がYouTube等で世界中から視聴されることにより生み出されているのではないかみたいな意見があって、それはそれで結構当たっているなという気がします。その種の記事を読んでそれを信じてしまう程度の人たちって、そんなに文字Only情報を読みたがる人たちなのかいな、それより映像メディアに影響を受ける人たちなのではないかいな的な話だったりします。
これに対しては、毎日新聞のような一般紙を出している会社が英文Onlyの別働隊とはいえそういう記事を出すことが問題なんだみたいなみたいな反論もあるのですが、日本の実情に無知な人たちが日本国内における毎日新聞社の立ち位置なんか理解しているのだろうかということを疑問に思ったりします。海外のホテルで日本語の新聞を部屋に届けてもらうサービスを受けるに際して毎日新聞を選択できるケースって私は体験したことがありませんし。
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16/07/2008
矢部先生のブログのコメント欄によれば、医学は学問でも,我々臨床医の行なう「医療」はartです.そしてartに「ミス」と「ミスでないもの」の線引きができないのはある意味では当然のことだと思います.
(by Level3さんの269番発言)なのだそうです。
しかし、本来死ぬような病状ではなかった家族が医療行為の結果死亡してしまった場合に、
我々臨床医の行う「医療」はartです.そしてartに「ミス」と「ミスでないもの」の線引きができないのです。例えば、イチローでも毎回確実にヒットが打てないのは仕方が無いと考えるでしょう?例えばイチローがド真ん中の直球を空振りしたら「ミス」でしょうか?それは糾弾すべきことでしょうか?それは糾弾すべきことでしょうか?ちがうでしょう? 同様に、多くの医師が普通に治療できるであろう患者について普通の治療をできずに患者を死に至らしめたとしても、これを「ミス」として糾弾するのは間違っているのです。
みたいな説明を万が一された場合、納得できないことは予想するに難くありません。
どうも、一部の医療系コメンテーターさんたちは、患者やその家族の側が「医療の真の姿を理解」していないから、そのように考えてくれないのだとお考えのようなのですが、それも如何なものかと思います。むしろ、イチローがド真ん中の直球を空振りした場合も「ミス」として認識されうるが、それによりもたらされる害悪の程度が小さいために、さほど糾弾されないというのが実際に近いのではないでしょうか(「この一打でワールドシリーズ出場が決まる」という打席で、ド真ん中の直球を空振りしてチャンスをつぶせば、それなりに糾弾される可能性はあると思いますが。)。
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WAIWAI問題で執拗に毎日新聞を攻撃している人々のコメントを見ていると、対韓国等に対する毎日新聞社の姿勢に絡めようとしている人々と、医療問題に関する毎日新聞社の姿勢に絡めようとしている人々がやたら頑張っているようです。
この人たちは、結局、もともと毎日新聞の報道姿勢が気に食わなかったのであり、WAIWAI問題というのは、その気に食わない毎日新聞を倒産に追い込むためのネタに使おうとしているだけのように見えます。なるほど、ネタ元への責任追及に発展したり、英文で対抗言論を作成し発表しようという方向に流れないわけです。
いまは外国の報道機関等も、日本語のできるスタッフが日本語で日本国内で出版されている雑誌等を読んで本社に報告することが普通に行われている時代ですから(WaiWai問題は、外国の報道機関が行うことを、日本の報道機関の英文誌セクションが行ったというにすぎないのです。)、日本を誤解されないようにするためには、日本語で掲載された雑誌のエロネタセクション自体をどうにかしないとならないはずです。ただ、そうなると糾弾の対象を、保守系メディアに広げないといけなくなりそうではあるのですが。
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essaさんが次のように述べています。
何度裏切られてもまた期待してしまうのですが、暴力団ではないんだから、最低限、社会と言葉のやりとりをしてほしいと思います。どんなに食い違っててもいいから、「新聞とはこういうもんだ」と言って、言葉で戦争してほしい。言葉を抑えこむような戦争はしないでほしい。
しかし、相手の言動が気にくわないからといってその広告主に働きかけて広告の出稿を取りやめさせて相手を兵糧攻めするがごときは、「言葉の戦争」ではありません。単なる「業務妨害」です。業務妨害を行うことで言論を弾圧しようという輩を相手に語る言葉など、新聞社とて持ち合わせていないでしょう。それに、どんなに言葉を紡いだどころで、特定の目標を設定し、それに向かって着々と業務妨害行為を行っている人たちの心には響かないでしょう。
事ここに至っては、毎日新聞としては、インターネット部門からの収入を当面あきらめてでも、毅然とした態度をとるしかないはずであり、ここで妙な妥協(毎日新聞に対する攻撃を煽っている人たちの声を代弁する新聞へと思想を右展開させることとしたり、彼らをとりまとめてくれる人物に利益を供与したり等々)をすることがあれば、それこそ報道機関としては終わったというべきでしょう。毎日新聞が終わるだけならばいいですが、彼らがこれに味を占めてしまうと、彼らの意に沿わない報道をするとまた同じ目に遭ってしまうと言うことで、日本の広告ベースの商用メディアのほとんどが「国威発揚」に沿わない報道を自粛せざるを得なくなるかもしれず、その弊害は図りしれません。
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13/07/2008
毎日新聞の記者が解説する「理系白書ブログ」が、匿名さん集団に荒らされているようです。ブログ主に何の問題もなくとも、匿名さんによるコメントスクラムに晒される、という一つの例です。
この場合、匿名のコメンテーターさんを満足させるためには、ブログ主は、自分の勤め先が発行する新聞を廃刊するなど勤め先の経営方針を左右できる存在になるか、または、勤め先を辞めざるを得なくなりそうです。まあ、常識的に考えて、前者は実現が容易ではありませんし、後者は経済的な合理性を欠きます。つまり、言うだけ無駄なことを言っていることは明らかに認識しうることであって、単に嫌がらせをして喜んでいると言ったところでしょう。
普段から「言論には言論で対抗すべき」と言っている人たちが、言論に対し嫌がらせや業務妨害で対抗している人々を容認してしまっている点に、私はある意味ご都合主義を感じてしまいます。そういうことを言っているとまた「空気が読めていない」と非難されてしまいそうなんですが、「空気を読んで、不正に対し『見ざる、言わざる、聞かざる』を決め込む」っていうのも窮屈でいやだなあと思ってしまうので仕方がありません。
WaiWai問題について言えば、そこでの記事の内容が誤報であると言うことを英文で作成してネット等に掲載する(それが世界中の読者に注目されるように情報を一カ所に集約するとか、自分たちの反論の信頼性を増すために、実名およびポジションを明示する等の工夫は必要かもしれませんが。)ことこそが「言論には言論で対抗」するということであって、ブログ主が毎日新聞社の記者でありその旨を表明していると言うだけでそのブログのコメント欄に無茶な要求を突きつけたり、攻撃的なコメントを投稿したりするというのでは、「言論には言論で対抗」しているとは到底言い難いです。
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12/07/2008
ブログのコメント欄を繁盛させる一つの手法として、匿名の陰に隠れて第三者の悪口をいう舞台として開放してあげるというものがあり得ます。ここでいう第三者には、特定の「人物」だけでなく、特定の団体、法人、集団、属性、民族等が含まれ得ます。
同じ第三者に憎しみを持つ人々がネット上の一つの「場所」に集まって当該第三者をこき下ろすというのは、特に匿名でないと強いことが言えない程度の精神構造の持ち主には快感らしく(まあ、匿名であっても、ある程度「仲間」と一緒でないと不安なのでしょう。)、そういう場所を用意してくれるブログ主のもとには、その種のコメンテーターがわんさかと集まってきます。そして、そのような場所を提供してくれるブログ主は、その種の人々から賛辞の声を浴びるわけです。
ブログ主のネットリタラシーが十分でない場合、それで舞い上がって勘違いしてしまうことがしばしばあるわけですが、その種の場所って、その第三者に対する憎しみを共有していない人間から見ると、非常にカルトチックで、醜悪なものでしかありません(特に右寄りでない人は、嫌韓でエントリおよびコメント欄が盛り上がっているブログを想像してみてください。)。
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10/07/2008
矢部先生のブログでは、今度はponさんというコメンテーターが陰湿な集中攻撃を受けているようです。なお、ponさんのご意見は、例の素粒子・鳩山論争に関するオルタナティブな見方として十分あり得るものであって、その説明も決してわかりにくいものではなかったとは思いますが、なにせ、「空気を読む」ことが過度に要求されるブログですので、少数派への個人攻撃や揚げ足取り等が執拗に繰り返される不毛なものとなってしまいます。
で、ブログ主が、
ponさん
もうやめましょう。
うんざりです。
といい、ponさんも
「止めましょう」との事、了解しました。
止めます。
長らくご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
それでは。
としています。
このような流れを尊重するなら、その後にponさんを批判するようなコメントは投稿すべきではないし、ponさんを非難するような投稿がなされたらブログ主としてはこれを削除する等の措置を講ずるのが通常です。さもなくば、ponさんは、矢部先生のブログのコメント欄で一方的に非難されて反論をなしえない状況に置かれるからです。
しかし、さすが矢部先生のブログは違います。ブログ主自ら私が問題にしているのは、あなたの発言の内容よりも、そのような発言の姿勢です。
としてponさん個人の人格攻撃を行うとともに、ponさんの発言を「これは名誉毀損に値します」と評するコメントがその後に投稿されても放置しています(それが名誉毀損に当たらないことは法律家である以上判っているとは思いますが。)。
このような状況を見かねた「層化きらい」さん(矢部先生のプロフィールを知った上でそのハンドル名を使うのはどうかと思いますが。)、
これで最後と言われた方に罵声を浴びせつづけるコメントは見たくないのですが、ここはそうゆう場所だったのですか。とても残念です。
というコメントを投稿したところ、矢部先生は、
まあ、そういう場所でしょうね。
ここはかなり熾烈な議論を経験してきてますから、皆さん議論の進め方については厳しいですよ。
と回答しています。
「層化きらい」さんが問題としているのは、ブログ主からの要請に応じてそのブログのコメント欄にもう投稿しないと表明しているコメンテーターに対してさらに罵声を浴びせ続ける卑怯っぷりであって、本当に「議論の進め方について厳しい」皆さんが集まっているのであれば、内輪でストップが掛かってしかるべき行為についてです。
矢部先生はブログ主をはじめ理屈っぽい人が多いですから、感情論ベースの人にとっては居心地がよくないと思います。
と仰っていますが、「もうコメントを投稿するな」と言って相手にこれを承諾させた後に安心して相手に罵声を浴びせかける人々に対する不快感というのは、感情ベースの人が理屈っぽい人に対して感ずる居心地の悪さとは全く性質の違うものです。
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03/07/2008
nov1975さんはさて、泣き寝入りをしなくて済む方法は。こと世の中の評判に対しては、自分の正当性を高らかに歌い上げればよいんじゃないでしょうか。後ろ暗いところがなければ、ちゃんと見ている人はわかってくれるでしょう。
と仰っています。
私たちの領域でも、ネット上での中傷は放置しておくのが一番だと、10年くらい前は、そうアドバイスをしていたのです。しかし、それも昔の話です。
最近は、組織的な中傷も多いので放置していても中傷がやまないという事態が増えてきました(流されているネタからするとどうもライバル業者がやっているのではないかという事例は結構多いです。)。また、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人も増えてきました。やはり衝撃はライナス学園事件であって、ネット上での誹謗中傷により生徒の大幅減少にまで追い詰められたわけです。
そのようなときに「自分の正当性を高らかに歌い上げ」ても焼け石に水って場合は少なくありません。「内部告発もどき」の投稿が執拗になされているときに、「あれは事実無根です」ということをいくら高らかに謳い上げようが、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人には全く効果がありません。中傷に対しては、対抗言論は成立しません。リタラシーの高い人々のみを相手にしていればよい業界はよいのですが、リタラシーの必ずしも高くない人をも顧客としなければならない業種も少なくないのです。
また、絶え間のない悪意に晒され、それがネットの匿名集団により囃されることに精神的に耐えられない人々も結構います。といいますか、それが人間としては普通なのであって、ネットでの集中的かつ継続的な中傷を「スルー」できる方が特殊です。
逆に言えば、匿名さんたちからすると、だからこそ、集中的かつ継続的に中傷を行って相手を精神的に追い詰めてあわよくば自殺に追い込んだり、ライバル業者の営業を妨害しあわよくば倒産に追い込んだりする手段として、ネットの匿名性は保障されなければならないということになるのだとは思います。ただ、そういう手段を保障しなければならないというのは、表現の自由が憲法上保障されているということを加味しても、法的にも倫理的にも正しくないように思います。
我が国において、ネットの匿名性を手にしたときに自制心を保てなくなってしまった人が少なくなく、しかも、ネットの匿名社会はこれを自立的に排斥する意図がないことが事実として明らかになっています。このような環境の下では、ネット表現の匿名性の保障というのは、日本国民は未だこれを持つに値しないのではないかと思います。
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18/06/2008
発信者情報開示の手続に関しては,そろそろ,開示請求者側の代理人として,主たるアクセスプロバイダやレンタルサーバ業者(商用ブログ事業者やレンタルサーバ事業者を含む。),巨大電子掲示板管理者等に,運用の改善を求めた方が良いかなという気にはなっています。壇先生や久保先生などもお誘いした方が良いかもしれません。
とりあえず,弁護士が代理人についているのに本人の写真付き身分証明書の写しの交付を要求するのはやめてもらいたいし(本人から委任を受けていないのに委任状を偽造してまで発信者情報の開示請求をするなんてリスク犯しませんよ),投稿者のメールアドレスとして捨てアドが登録されていて意見照会ができない場合や,意見照会の結果真実性の抗弁の存在を基礎づける資料の提出がなかった場合には,速やかに発信者情報の開示に応じていただきたいものです。意見照会の結果のコメントが「申し訳ありません。発信者情報だけは開示しないで下さい」なのに,「当該犯罪を犯していないとの公的な証明書が提出されない限り,権利侵害が明白とは言えないので,開示には応じられません」という回答はもう止めてもらいたいものです。
また,IPアドレスと投稿時間しか把握できていないレンタルサーバ業者等について言えば,発信者情報の開示請求を受けたら,当該投稿に用いられたIPアドレスからアクセスプロバイダを探し出して,当該投稿にかかるアクセスログを消去せずに保管しておくようにアクセスプロバイダに連絡し,そのような連絡を受けたアクセスプロバイダは当該投稿のなされた時間帯に当該IPアドレスの割り当てを受けていた人物を特定するのに必要な限度でアクセスログを切り分けて保管するようにしてもらいたいものです。
ブログ事業者等には,匿名プロキシサーバを経由してのコメント投稿を禁止するようなシステムを採用してもらいたいものです。ブログのコメント欄で名誉又は名誉感情を毀損されるのはブログ主だけとは限らず,むしろ第三者の名誉又は名誉感情がコメント欄で毀損される例も少なからずあるので,匿名プロキシサーバ経由のコメントの投稿を認めるか否かをブログ主の選択に委ねるのも如何なものかという気がしつつあります。
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さきほどFireFox3.0(OSX用)をダウンロードして試しに使ってみているところですが,体感速度がSafari3.1.1より大分速いような気がします。Flock1.0も速いと思いましたが,それ以上に速さを感じます。
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15/06/2008
全国医師連盟の意見表明は、その公式サイトにおいて、「iken1.html」から「iken6.html」まで6本、公表されています。同連盟の正式な発足はつい最近のことなので、各意見書の名義は、「全国医師連盟 設立準備委員会 執行部」というような形になっていますが(「執行部」名義ではなく、単に「会員の声」となっているものもある)、iken1.htmlではわざわざ「*これは設立準備委員会のものですが、現在でも通用します。」と注意書きが記載されていますし、「全国医師連盟」のロゴとともに「ikenX.html」(Xには数字が入る)というファイル名の元に同連盟の公式ウェブサイトに掲載されているのですから、今月になって正式に発足した「全国医師連盟」の意見を基本的に反映していると見てよいのでしょう。これらのウェブページからメニュー部分に表示されている「解説・オピニオン」という文字列をクリックしても、それ以外の解説・オピニオンというのは今日現在表示されませんし。
全国医師連盟の公式サイトに掲載されているご意見のうち、半分(1,3,6)が「医療安全調査委員会」の新設に反対するものです。具体的にいうと、調査の結果、民事または刑事上の責任が医師にあることが判明した場合に法に則った責任を医師がおわされるような調査が行われることには反対だということです。
民事にせよ刑事にせよ、医師に対して「結果責任」を負わせる法体系とはなっていないので、医療関連死に対して正しい事実認定がなされ、現在の医療水準に則った注意義務の設定がなされれば、現在の医療水準に則って医療活動を行っている医師が法的責任を負わされることはありません。もちろん、判断者が人間である以上間違えることもあるでしょうが、「医療安全調査委員会」の新設というのは、できるだけ間違った判断がなされないような工夫の一環であるというべきでしょう。
しかし、これに反対する全国医師連盟の主張を敷衍すると、医師として期待される注意義務を満たしていなかったこと、言い換えれば、刑事法から見れば犯罪行為が行われていたこと、民事法から見れば不法行為または債務不履行が行われていたことが調査により明らかになった場合に、実体法的に発生している法的責任を医師に対し問わないことが保証されない限り、「医療安全調査委員会」において、医療関連死に対して正しい事実認定がなされ、現在の医療水準に則って注意義務の具体的内容が設定されることには受け入れがたいということになるのではないかと思います。医師の方々は、医師の責任が問われるべきでないとする例として、(医師の事実認識を前提とすると)過失がなかったと考えられる例を持ち出して医師に法的責任を問うことを問題視するのですが、実際には、患者の取り違えや点滴の作り置きのように、「医療の不確実性」云々の問題ではないミスで患者が死に至る場合もあるわけです。しかし、これを見る限り、全国医師連盟としては、そのような例だということが調査により明らかになった場合であっても、事故の再発防止に役立てばそれで患者側は満足すべきであって、医師が「医師免許の停止や剥奪などの行政処分というペナルティや罰金刑や禁固刑といった刑罰」を課されることはもちろん、「患者さんやそのご家族が医師を訴えて損害賠償金を払わせるということ」も断念せよということを要求しているように読めます。
閑話休題。全国医師連盟では、「国際的に評価の高い日本の医療は、先進国最低の医療費に よって賄われている」としています。これは、ネット上でも医師とおぼしき人々からしばしば語られることですが、本当でしょうか。
世界保健機構の公式ページにアクセスすると、NHA Ratios and Per capita levels というデータを、Excel形式またはpdf形式でダウンロードすることができます。そのデータには、国ごとの「Total expenditure on health as % of Gross domestic product」も掲載されています。これによれば、日本の健康関連総支出はGDP比で8.2%(2005年)です。では、これは先進国の中で最低なのかというと、何をもって「先進国」というかによるということになりそうです。というのも、このGDP比が日本よりも小さい国として、ロシア、フィンランド、ルクセンブルグ、メキシコ等があり、またほぼスペイン、英国、アイルランドとほぼ同レベルだからです(以上の国々は、ロシアをのぞき、OECD加盟国です。)。むしろ、米国(マーシャル諸島についで世界2位)が特殊としかいいようがありません。このように、実際のデータを見ると、日本の医療は、先進国最低の医療費に よって賄われている」とは言い難いように思えてきます。
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14/06/2008
13/06/2008
「労働時間の短縮」という問題を考えた場合には、常に突きつけられる問題があります。給与を取るか時短をとるかという問題です。そして、これは、勤務医の勤務条件に関しても当てはまります。
例えば、公立病院において、勤務医の人件費として年間1億6000万円の予算が付いたとした場合に、勤務医一人あたりの平均年収を1400万円程度に維持しようと思ったら、11人しか勤務医を雇用することができません。しかし、勤務医一人あたりの平均年収を米国の家庭医並みの水準(800万円程度)にとどめることで医師たちが納得するのであれば、その病院は20人の勤務医を雇用できることになります。すると、勤務医が11人の時には医師が週72時間働かなければこなせなかった仕事が、単純計算で言えば、勤務医が20人の時には週40時間働けば済むということになります。
勤務医たちの間で「給料が減少してもいいから労働時間を短縮してほしい」という考えが広く共有されているのに、病院の方が「労働時間はともかく、高給を用意しないと、勤務医を確保できない」との意識が強い場合、医師と病院との間のコミュニケーションギャップに基づくミスマッチがあるということになります。そのミスマッチの解消は、ネットで匿名でマスコミや法曹や患者を罵ることによっては解消しません。
また、給与の面についても、勤務医の平均給与を一定水準に維持する中で、勤務医間の給与格差をどうするのか(実績が乏しい間は低い給与水準に甘んずるが相当の実績を積んだ後は相当の高給を期待するのか、むしろ年功を加味せず労働時間ベースないし出来高ベースで給与を算定するのか等)という問題はあるのですが、これは医師内部での世代間対立をどうするのかという問題であって、医師内部でのコンセンサス作りをしてもらうよりありません。そして、それは、ネットで匿名でぐちぐちと愚痴をこぼしているだけでは不可能です。
ネット上の医療系コメンテーターはすぐ米国での労働環境を羨むような言い回しをするわけですが、米国では、Committee of Interns and Residentsのようなものを結成してちゃんと戦うわけではないですか。処遇の改善って、そこからがスタートであって、それなしにネットで匿名で不満をぶちまけていても何ら改善はなされないわけで、それは「医師」だって変わりやしません。要求の100%を聞き届けることなんて客観状況が許さないのだから、結局、どの点を重点的に譲歩するのかを探っていかなければならないときに、交渉窓口がはっきりしない勢力と譲歩交渉なんてできないのですから。
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11/06/2008
某ブログのコメント欄では日長一日私に対する個人攻撃、人格攻撃でとても盛り上がっていたようです。ああ、しょうもない人たちだこと!
それはともかく、医療系コメンテーターたちの問題点をさらに挙げるとするならば、現実社会が対応可能なレベルの要求でとどめておくと言うことを知らないということでしょう。医師という属性と、匿名であると属性故に、ダブルパンチで神様気取りなので、「妥協の余地を探る」という精神構造を持ち得ないのかもしれません。最近のエントリーで医療系コメントスクラムに襲われた法律家系ブログの例を2つ挙げましたが、どちらの例にしても、医療系コメントスクラムの要求というのは、とても現実社会の人間が受け入れることのできないものだったわけです。
また、医療系コメントスクラムに襲われた団藤保晴さんの例についていえば、団藤さんはジャーナリズムの側ではもっとも彼らの問題意識に近い問題意識を持っている人物の一人であり、それ故、共通する問題意識に基づいてマスメディアと医師側のいわば共闘を呼びかけたわけですが、共闘に伴う一定のリスク負担を求めた(といっても、実名を示して前面に出てくることを求めただけですが)だけで、医療系コメンテーターたちからは総スカンに近い扱いを受けたわけです。
もちろん、医師たちは単に現実社会での戦い方を知らないだけかもしれません。それならば、法律実務家が戦い方を教えてあげればいいのにと思わなくもありません。そこに何人もいるのですから。現状を少しでもよい方向に「現実に」導くことこそ、法律実務家の本領ではないですか!私は、知財・IT系ですので、その分野ではそれなりにその能力を活用し、それなりに貢献はしてきたつもりです。現状に不満を持つ人々のために不満をぶちまける場を設け、それを褒めそやすだけというお気楽で無意味なことはしてこなかったつもりです。
これは人生観の違いに由来しているのかもしれませんが、私には、現状の改善に現実につながる議論がきちんと行われない場を、とてもではないですが「レベルが高い」と評価する気になれません。
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矢部先生からコメントを頂きました。本来は,メールで直接にやりとりするべき内容なのですが,最近3回にわたり矢部先生にコメントを投稿いただいた際に,矢部先生は1回1回異なる文字列をメールアドレス欄にご入力されていますし,最初にご入力いただいたアドレスに宛ててメールを送信したところ,そんなアドレスはないとしてMail Delivery Subsystemからの突き返しを食らってしまいましたので,こちらで言及させていただきます。
矢部先生のコメントの内容は下記のとおりです。
私のブログのコメント欄にあなたに対する人格攻撃があるというのであれば、あなたがコメント欄でお書きになった
>矢部先生のブログのコメント欄の「空気」が、「日本の医師は無条件にすばらしい。それなのに、マスコミも、官僚も、法曹も、患者たちも、おのが欲望のために、不当に医師たちに言いがかりをふっかけてくる。医師の行動にこれらの輩が文句を言うことは許さないぞ!」という類のものであることは理解していますが、
これは、私および私のブログへの投稿者に対する虚構の事実に基づく人格攻撃です。
私に矜持を求めるのであれば、まずあなたが示すべきでしょう。
矢部先生が私に読めと仰った「空気」についての理解が矢部先生のものと異なっているということをもって「挙行の事実」だの「人格攻撃」だのと捉えることもどうかしていると思いますし,矢部先生のブログのコメント欄の「空気」を素晴らしいものと褒め称えなければ,そこで行われている個人攻撃に対してしかるべき措置を講じないと宣言するのも如何なものかと思われます。といいますか,「空気」に対する評価が人格攻撃なんでしょうか。
実体面でいうと,矢部先生のブログの,特に医療問題に関するエントリーのコメント欄についていえば,日本の医師を,世界一質が高く,しかも自己犠牲の精神に満ちた素晴らしい存在であると自画自賛する書き込みが多く投稿される一方,そのような医師たちの意に沿わない行動をする法曹,マスコミ,厚労省等の官僚,患者たちについては,酷い言われ様をしており(あそこでの患者側訴訟代理人を務める弁護士の言われ様は,患者側を引き受けない私から見ても酷いと思いますし。),それがブログ主により容認されているわけですから,そこでの「空気」を上記のように要約することがあながち外れていないことは明らかであります。
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自分のブログのコメント欄のレベルが高いなんて真顔でいえる人がいるというのはある意味驚きです。コメントの質の低さというのは我が国のブロガーの共通の悩みかと思っていました。
それはともかく医療系コメンテーターの最大の問題は、自分たちが不正不満をぶちまけて、「俺たちの要求を丸呑みしなければ俺たちが逃散するだけだ。それで困るのはお前らであって俺たちではない」という捨て台詞を吐くことしかしていない点でしょう。で、自分たちは政治的に行動して要求を実現させていくことは何も考えていない、といいますか、そのように行動しない自分たちを恥じるどころか、むしろ誇ってみせるところでしょうか。
でも、勤務時間や勤務シフトの問題なんて純粋な労使問題ですから、法曹や報道に悪態ついてみたって何も変わらないのであって、労働組合を作って団交し労働者としての権利を一つ一つ実現していく等の泥臭い手法を使っていった方がよほど効果的です。「雑用」として従前医師が行ってきたことをどれだけ補助職に行わせるかという意味での業務体制の再構成にしてもそうです。「中規模の公立病院で働く勤務医の年収は、1427万円」だそうですが、勤務医の年収を1000万円程度に引き下げる代わりに年間400万円の人件費を使って補助職を雇って「雑務」の多くから解放された方が医師にとっても幸せなのではないかという気がします(年収なんて、一定の臨界点を超えると、あとは記号的な意味しか持たなくなりますし。)。「雑務」を補助職に委ねることに法的な障害があるのであれば、それをどうやったら取り除けるのかについての議論をした方が生産的です。まあ、こううことをいうと、補助職を雇えるほどの収入がない云々という言い方がされる可能性はありますが、補助職って、より生産性の高い仕事をできる人をそのような仕事に集中させるために雇うものなのですから、むしろ厳しい経営環境に晒されていればこそ補助職の使用が検討されるべきだというべきでしょう(もちろん、医師の側の意識として、自分たちの収入が減らされるぐらいであれば、補助職なんぞ雇わずに自分たちですべての雑務をこなした方がましだという声の方が大きいのであれば仕方がない話ですが。)。
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10/06/2008
矢部先生のブログのコメント欄は私の人格自体を攻撃する書き込みが大分投稿されているようです。これに対してきちんとした処理をなされるのか,あるいは,これを放置する道を選ぶのか,お手並みを拝見することにしたいと思います。
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匿名発言の問題点を指摘すると,相変わらず内部告発はどうだ云々という話が出てきます。
しかし,内部告発に関していえば,通常は,「一定の期間がこれを受け付けても,裏がとれるまでは,これを開示しない」というルールの下で運用されているはずです。内部告発の様相をまとったデマが内部告発として公表されることの弊害は大きいからです。実際,私は,公益通報制度のある国や地方公共団体等において,内部告発の受付を,投稿結果がすぐに公表される「電子掲示板」で行っているという例があることを知りません。
私は大分前に,「Aさん」の体験として,ある医療機関にて違法行為が繰り返されているがごとき報道を週刊誌にされた事案を扱ったことがあります。そこで記載されている「体験」に類似するエピソードすらなく「Aさん」が誰なのか皆目見当がつかない(記者が架空の存在として「Aさん」という人物像を作り上げたか,又は,虚言癖のある「Aさん」からの「内部告発」を十分な検証もせずに記事にしたのでしょう。)ので,具体的に反論するきっかけすら摑めない事案だったのですが(発信者情報開示請求訴訟と違い,名誉毀損に基づく損害賠償請求事件では報道機関側が摘示事実が真実であることの証明をしないといけないのでまあ助かりましたが),そのような報道でも少なくない人がその記事を真実だと信じてしまい,被害者はずいぶんと酷い目にあったものです(心当たりがないので,「あの件は実はこういうことだったのですよ」という説明すらできず,「あれは全くのでたらめなんですよ」という話しかできないので,マスコミの報道を信じてしまった人に対して説得力を持つ弁解ができないのです。)。
矢部先生がそのブログにおいてやろうとしていることは,情報の出所を明示せず,また,その真実性を検証する手がかりとなる情報も明示しない状態で,特定の人々(この場合「患者やその家族等」です)を糾弾するためのエピソードを公表していこうということであって,上記週刊誌がやったことを大々的に行おうということです。おそらくは,そこで公表されてことは真実として受け取られることを前提にしているのであって,誰もそれを真実だとは受け取らないことを前提としているわけではないでしょう。検証可能性のないエピソードをさも真の内部告発かのように祭り上げて特定の人々を貶めていこうということをやろうとしているわけです(実際,既に投稿されている「体験談」について,その真実性を吟味しようという動きは全くないようです。)。
マスコミのあり方について批判的なネット言論がマスコミの悪い部分をまねて拡大再生産しているという事実は,誠に滑稽なものといいうるでしょう。
【追記】
別の弁護士が,そのブログのコメント欄を利用して,「医師からパワハラ,セクハラを受けたという体験談」を募集し,匿名で投稿されたものを検証もせずに掲載した場合に,匿名の自称医師軍団は何一つ文句をたれないのでしょうか,それが例えば,診療拒否をちらつかせながら不当な金品等の要求をされたとか,子供をちゃんと直して欲しければ黙っていろといわれて胸を触られたとか,真実とは思えない投稿が「匿名による告発」として掲載されていても,そのようなことを行ったとされる医師の氏名等が特定さえされていなければ,文句を言わないのでしょうか。
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09/06/2008
一人のコメンテーターに対して多数のコメンテーターが襲いかかってきている状態では、そのうちの数人に対して反論をするか、または、それらの集団の見解のエッセンスを抽出してこれに反論するかしないと、時間的・体力的に持たないであろうことは容易に想像が可能です。そのような現実的な対応についてこれを「藁人形論法」扱いして批判するというのはアンフェアだと思います。
もちろん、一人の人間に対し多数人で襲いかからないと不安でたまらない人々(自称医師たちの所業について、例えば、ここやここ等を参照。)に「フェア」の精神を期待しても仕方がないわけですが。
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08/06/2008
矢部弁護士がその開設するブログにおいて、「患者の暴力・暴言で退職した医療関係者、東京では273人」との記事を引用しつつ、医師または病院関係者からの実情報告等をいただければ、多くの人に問題の所在を認識してもらうのに有益だと思います。
と言い始めました。
しかし、その種の「実情報告等」をネットの匿名さんから集めてみたところで、「被害の主体」兼「一次情報の出所」がわからず、従って、情報の真実性の検証をしようがないわけですから、さほど意味がある話だとも思えません。医師たちに有利な方向に向けて世論を歪めるために一部の医師たちが全くの虚偽の事例を作り上げたり大げさな表現をしたりするモラルハザードの可能性も否定できません。特に、複数の匿名さんが「共通の敵」を見いだした場合、この「共通の敵」に関しては何を言ってもよい(といいますか、どんどん話をエスカレートさせることが望ましい)と言うことになりがちであり、「患者」を「共通の敵」とする医療系匿名コメンテーターさんたちがまことしやかな「ほら合戦」を始める危険性だって十分にあるのですが、そのような場合これを制御することは大変です(だって、嘘か本当か、検証のしようがないのですから。)。矢部先生にその覚悟があるのか、疑問です。
矢部弁護士のブログのコメント欄は、出所のわからない一次情報の信頼性に問題があることを指摘することすら許容される状況ではないようですので、もはや言うだけ無駄という気はしますが。
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05/06/2008
自分の死を望む旨のメッセージを集団から突きつけられることの精神的な衝撃というのは結構大きなものです。富士見中学いじめ自殺事件や三輪中学いじめ自殺事件,上福岡いじめ自殺事件等でも,それだけではないにせよ,人を自殺にまで追い込む一つの要素となっています。
また,匿名集団が特定の人や集団に向ける執拗な憎悪というのも人間の精神に衝撃を与えます。憎悪を向けられる個人だけでなく,第三者として見るだけでも相当の衝撃を与えます。例えば,お仕事の関係で,依頼者が「祭られ」ているスレッドの中から名誉毀損ないし侮辱にあたる発言を抜き出す作業は,一度事務員さんにお願いをして,このような書き込みを読んでいるだけでもとても精神的に辛くなると愁訴されて以来,私のみで行うことにしています。法律事務所の事務員って人間のいやな部分を見る機会が多い職業ですが,そのような人でも耐え難い気持ちになるような存在なのです,2ちゃんねらーは。まして,ライナス学園において,当初「2ちゃんねる担当」とされた職員が、半年後に鬱病(うつびょう)になって退職に追い込まれるというのは仕方がないことです。
はてなは,はてなブックマークを用いて「死ねばいいのに」とのメッセージを集団で特定の人間に突きつけることを容認することにしたのだそうです。まあ,以前から野放しですけど。他人を不幸にするサービスを目指すということなのでしょうか。
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26/05/2008
自分のブログのエントリーを批判しているエントリーにコメント欄を投稿したところ、これに批判的なコメントやら揚げ足取りなコメントや些末的なデータの提出を求めるコメントやらがわあっと送られてきたのでその一部についてコメントを付けたところ、その全てに回答を付さなかったことについて非難をされると同時に、その多くをカバーするようにコメントを付したことについて非難されたりするわけですが、両方の要請を同時に満たすことはあり得ないので、まあ、結局のところ、匿名さんたちによるいちゃもんについては「ご無理ごもっとも」で平身低頭する以外はネット上では許されないのだということが言いたいのでしょう。
平均と平均を比較することに意味がないということは現実の社会では存在しないのであり、単に、メジアンとメジアンを比べたり、両者の正規分布表を比べたりできればより有益だというのにすぎないのであって、平均と平均を比較するよりも、このようなデータ同士を比較した方が実態がより鮮明に浮き上がるというのであれば、そのように思う方がそのようなデータを提示したらよいのであって、平均と平均を比較した人が標準偏差を出さないのはけしからんという話には一般的にはならないのです。まあ、ネット上では匿名さんは自分たちは対実名ブロガーとの関係では一種の「神様」として取り扱われるべき存在であると思っておられるので、匿名さんが望むデータは全て実名ブロガーがどこかから調達して(あるいは時間とコストをかけて自分で調査等を繰り広げて)提示しなければけしからんという話になりがちなのですが、それは結局のところ、都合の悪い議論を押しつぶす結果にしかなり得ないということができます。
あくまで趣味の範疇として議論を行うことがブロガーに許されている以上は、より詳細なデータや観点の異なるデータはそれをもっている人が提示をすれば良いだけのことであって、相手が特定のデータを提示しないことをもって「あいつはソースを出さない」云々と執着するのは、いわば「為にする議論」であるというべきでしょう。
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25/05/2008
国民1人あたりの医師の数を計算してそれが諸外国と比べて少ないから医師不足なんだ、みたいな議論って、意味が乏しいですね。そんなことを言い出したら、日本は未だに弁護士不足なはずなんだけど、実際には今年新たに資格を取得する新人さんの働き口が大量に不足している!と会内で問題となるくらい、現実には既に供給過多状態にあるわけですし(偏在があるが故に不足している分野はありますが。)。
実際のところ、歯科医師が既に供給過剰状態にあることは既に知られているし、皆保険制度がない獣医業界も大変ですし、開業医の倒産件数も徐々に増えています。病院の勤務医や一部の診察科目については医師不足が問題となっていますが、それは医師内部の待遇格差等に基づく偏在の問題であって、医師全体の数が不足しているということの裏付けにはなっていません(これも、弁護士過疎地が存在するということが、弁護士全体の数が不足していることの証拠にならないのと同様に考えることができます。)。また、医師の需要自体は、医師でなければ行い得ない「医行為」の範囲をどうするかによっても変ってきます。例えば、「Doctor of Optometry」のような制度を導入すれば、「使い捨てコンタクトレンズの処方」等の需要を満たすために医師資源を消費せずに済むようになります。あるいは、病院内での雑務を医師以外の者が行うようにすることでも、医師の需要を減らすことができます。
医師の所得についての国際比較をすると、米国・英国の勤務医こそ日本の勤務医よりも平均値において所得水準が高いものの(ただし、物価高のイギリスにおいて購買力平価で計算するとどっこいどっこいになります。)、仏・独等の欧州諸国においてはこの円安・ユーロ高の現状でも日本より相当低く、米国でも家庭医の所得水準は日本の開業医よりも相当に低いというのが、ネットで手に入る統計から見て分かる事実です。もちろん、皆保険制度が崩壊したときに日本の医師の多くが米国の大病院から勤務医として迎え入れてもらえる状況にあるのならばいいのですが、言葉の壁がある分、かなり腕が良い方以外は難しいのではないかという気がします(そんなに大量の医師が米国の勤務医市場に参入すると、その給与水準も低下するでしょうし。)。
皆保険制度が崩壊し、価格設定が自由になると、皆保険制度に基づく国庫助成の消失に伴う需要の減少を補えるほどの価格の上昇を見込めるのかということについては、実際にその診療を受けなければ命が危ないことになるが保険の適用はなく高額の治療費が自己負担となるケースである「子供についての海外での臓器移植」に関して、募金等によりその費用が概ね捻出できた後でなければほとんどの親はこれに踏み切れていない現実を前にすると、かなり絶望的なのではないかという気がします。
臓器移植ではなく美容整形等を例に考えろという方もいますが、あれは不要不急の贅沢サービスであって、生活に余裕がある人が受けるものですから、皆保険制度が崩壊した場合に医師たちが患者の弱みにつけ込んでどんどんと報酬額を引き上げていった場合資力の十分ではない中間層等がどのように行動するのかを考える上での資料にはならないように思ったりします。
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19/05/2008
何はともあれ,自分とは相容れない意見を封殺するために特定のブログを「炎上」させるように呼び掛けることは表現の自由の濫用だと思うので,このエントリーは問題ではないかと,iza!のスタッフにはメールで連絡しておいたのですが,一向に善処されていないところを見ると,他のブログを炎上させるように呼び掛けることは,少なくとも右から左方向へのものである場合には,iza!としてはOKということなのだろうと判断せざるを得ません。
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楠さんは,そのエントリーの中で次のように述べています。
個々の保護者の判断が正しいかは本人にも分からないだろうが、仮に首相や教育再生会議の面々が個々の保護者よりも適切な判断ができると考えているとすれば随分と傲慢な話ではないか。保護者は子どもの行く末に対してそれなりの責任を負うが、政治家であれ官僚であれ有識者であれ、何ら個々の児童に対して責任を負える立場にはない。
それは,楠さんの周りにいる「標準よりは相当賢い大人たち」しか視野に入っていないご意見なのではないかという気がします。それは,楠さんに限らず,MIAUの方のご意見について,おしなべてそう感じたりします。
でも,実際には,そういう特別に賢い人たちだけが子供を育ているわけではありません。首相や教育再生会議の面々が保護者たる楠さんよりも適切な判断ができると考えているとすれば随分と傲慢な話かもしれないですが,ある一定数の保護者よりは適切な判断ができると考える分には現状認識として特に間違っているわけではありません。政治家であれ官僚であれ有識者であれ、何ら個々の児童に対して責任を負える立場にはないにせよ,親たちの判断の過ちから子供を救うことに責任を果たすことはできるはずです。実際,様々な虐待等から子供たちを救うべく様々な規制が既に設けられ,また今後も設けられようとしています。
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17/05/2008
団藤晴保さんがそのブログで
ブログ側の問題としては、これほど林立し、読者を多数獲得している医師ブログを現実を変える力にすることです。医師ブログ側にあるマスコミ不信は強烈です。しかし、ブログの世界だけに止まって議論していて、行政まで変えられるはずがありません。メディアの力も借りてでも動かして行かねばならないことに早く気付いて欲しいと思っています。そして、その段階では匿名から実名に切り替わらねばなりません。私が扱っているオピニオンのページなど、新聞メディアで行政の無様さに対し真っ正面から発言をしていただくためには実名で登場してもらうしかないのです。
と書いたところ,医療系コメントスクラムが発生しました。
レコード輸入権問題以来著作権法の改正等に関してちょこちょこロビー活動をしている私としては,如何にしてマスメディアにこちらの主張を載せてもらうのかということにどうしたって腐心せざるを得なかったし,そのためには仮想空間の人格ではなく現実社会の人格としてマスメディアの人間等と交流することが必要とされるのは当たり前ではないかという気がしてなりません。政策決定過程の要所にいる人々が何から情報を得ているのか,そして彼らは情報がどのような状態になっていることを好むのかということを考えれば,テレビや全国紙に掲載されるということはどうしたって重要になります。それらの人々が日々ネットサーフィンをして匿名さんの意見を吸い上げてくれるということは現実問題として期待しがたいし,敵意と侮蔑に満ちた大量の文章がメール等で投稿されても,彼らにはそれを丹念に読む時間はありません。
そしてそのためには,自分はその意見を全国紙等に掲載されてしかるべき人物であることをアピールしていく必要があります。それを,現実社会での人格を隠蔽したまま行うのは,これを晒しつつ行うのと比べて,ハードルが高いということができます。匿名の陰に隠れた抽象的な人格の発言より,具体性をもった人格の発言の方が,アピールする力が強いのです(エイズ問題におけるフレディ・マーキュリー氏,薬害エイズ問題における川田龍平氏,薬害肝炎問題における福田衣里子氏の言葉の力を考えれば,そのことは明らかです。)。
【追記】
その後,上記エントリーのコメント欄に,
しかし大方の医者にしてみれば、本業はあくまでも目の前の患者を診ることであり、「言論」なんていうものは余分、世の中を変えるなんて世迷い言。
「藪医者はよくしゃべる」という諺があります(今作りました。多くの医者が頷くと思います)。
諺はウソとしても、弁護士と違って「テレビや全国紙に掲載される」医者は、決して尊敬されてこなかったのです。「そんなことしてる間に、ちゃんと患者を診ろよ」というのが医者の職業倫理からくる反応であります。
との投稿がなされました。しかし,医師に対して批判的なエントリーや,意思の責任を追及する立場の人のブログ等に,一斉に攻撃的なコメントを投稿して,コメント欄をいわば量的に「乗っ取って」しまうことの方が尊敬を失う度合いが高いし,それを匿名で行っていると,その悪いイメージは医師一般に跳ね返ってくるのではないかという危惧がないわけではありません。実際,弁護士系ブログが炎上しないためのポイントとしては,「政治について語らない」とか「芸能人の悪口を言わない」以前に,「医療過誤訴訟で原告側(患者側)に立っていることを表明しない」という暗黙の「ルール」が事実上成立してしまっていますし。
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16/05/2008
ネットでの誹謗中傷規制のもう一つのあり方としては,モバゲータウンに関してDeNAがやろうとしているIT・人海戦術MIX方式というのがあり得ます(こちらを参照)。人海戦術だけですと,1000万会員を450名のスタッフで監視することは困難ですが,誹謗中傷等の人格権侵害行為で用いられる言葉はある程度共通性があるので,一定の条件に合致する文字列が含まれる投稿を機械的にピックアップしてこれを人海戦術的に目視することで,違法・有害なコンテンツを速やかに探し出して削除することが可能となります。加えて,ランダムな巡回を頻繁に行うことによって人格権侵害に用いられる新たな文字列の組み合わせを見つけ出し,ピックアッププログラムの中に取り入れることができます。
では,それは膨大なコストがかかるのかというと,スタッフ1人あたりの人件費を年600万円としても,450人体制で27億円。利用者1000万人として,1人あたり年270円。IT部分のコストを計算に入れても,1人あたり年500円程度で済みそうです。利用者あたりの監視スタッフ数を倍にしても,1人あたり年1000円程度で済みそうです。
監視スタッフに現実に目視されるまでは名誉毀損投稿等が残ってしまうという難点があるので,匿名性を制限することによる抑止力を用いるのと比べて被害者には優しくないですが,それでも,名誉毀損投稿等が放置される現状よりは遥かにましです。
他人を誹謗中傷するために匿名性を利用している奴らと一緒にされたくないという匿名主義者さんたちこそ,ブログ事業者等にこのような監視システムの導入するように求めたらいいと思うのですが,実際には,そういう動きはないようです。
このように著名人のブログを炎上させることを呼び掛けるエントリーを公開しても特に非難の対象とはならないことからも分かるとおり,「あいつらと一緒にするな」といいつつ,ネットの匿名性が現実社会の人間を不愉快にするために用いられることを,本音のところでは好ましく思っている方が匿名主義者さんには多いのではないかと思われます。
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15/05/2008
novtanさんは,次のように述べています。
たとえば、オタク集団がアキバでコスプレして暴れたりパンツ撮ったり撮られたりして目に余るから規制される、というのはわかります。だって当事者ですものね。でも、それをもって「オタクすなわち悪、オタクという存在そのものが規制されるべき。世の中にオタクがいなければアキバは無条件に平和!」とか考えちゃう人はバカだと思われますよね。
「オタクである」というのは,パンツを撮ったり撮られたりするための手段ではないから,「オタクである」ということを規制しても仕方がないですね。「オタク」であれば,パンツを撮ったり撮られたりしても摘発される危険が軽減されるということもありませんし。
これに対し,ネット利用者に関していえば「匿名である」というのは,誹謗中傷を行うための手段としてしばしば用いられているわけです。この場合に,「誹謗中傷」を行うために手段である「匿名性」をネット利用者から排除することは,「誹謗中傷」を減少させる有力な方法となり得ます。
この種の法規制って極めて一般的に行われているのであって,それが全てけしからんということになると,ある種の犯罪なり不法行為なりを未然に抑止する法制度というのがおおよそ維持できなくなります。もちろん,実際に犯罪なり不法行為を行った人に対してのみ制裁を加えればよいのであって,犯罪なり不法行為のみに用いられるというのでなければ,しばしば犯罪や不法行為に利用されるものや手段について一切の事前規制を行うべきではないという考え方もあり得なくはないのですが,しかし,それを貫くとなると,個人が匿名で青酸カリを購入し保有することすら規制できなくなるわけで,それが殺人等に用いられたときにはそれを用いた犯人が摘発された場合には死刑を含む重い制裁が下されるということがあるにせよ,非常に危険な社会になってしまうような気がします。
ネット上で匿名でやりたい放題のことをしていたい,自分がそんな言動を行っていると現実社会の知り合いに知られたら恥ずかしい言動を思う存分行っていたいというだけのために,そのような危険な社会を将来することもやむなしというのも如何なものかなあと思います。
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13/05/2008
novtanさんは,
匿名言論が限界なんて言ってしまえるのは情報の取捨選択が出来ない人の言い訳ですよ。
と仰るのですが,攻撃的言辞による弊害って,被害者の側が「情報の取捨選択が出来」ても,何にも解決しないのです。そういう訳の分からない啖呵って,匿名主義者さんたちからは喝采を浴びるかもしれないけれども,匿名言論により不当な攻撃を受けている人々から相談を受けている私たちからすると,全く無意味なリアクションです。
それと,現実社会に様々な弊害をもたらすある行為を批判しそれを規制していこうとする行動のほとんどは,その種の行為をしない自分を相対的に偉くすることを狙ったものではなく,それはネット上での匿名言論に対する批判についても同様に言えることです。
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12/05/2008
hrkt0115311さんからトラックバックをいただきました。
「議論の限界」「寂しい生き方」ということですけれども、小倉さんが繰り返しエントリをお書きになっても「届かない」方たちが、全員読解力が低いはずないですよね。いったい何がネックになって理解しあえないのでしょうか?
とのご質問についてですが,「匿名の陰に隠れることで手に入れた,現実社会の人間や組織を一方的に攻撃できる地位」を一種の既得権と捉えているとすれば(ここでいう「攻撃」は,あからさまな「誹謗中傷」に限らず,自分のことを棚に上げて他人にやたら倫理的な負担を強いるものや,「上から目線」で他人を非難し又は他人に命令を下してみせるものを含むものとします。),その「既得権」を撤廃しようという意見はもちろん,その「既得権」による弊害の大きさを指摘する見解に対しても,感情的にこれを受け入れられないというのは,「よくある話」の部類にあたるように思います。また,ネット上の人格と現実社会での人格が結びつくことに対するある種の恐怖感は,現実社会での自分に自信がなくかつ現実社会に怯えて生きていることだけでなく,ネット上での自分にも自信がないことが伺わせます(ネット上の別人格で誹謗中傷ライフを満喫しているというわけでもない方々ですら,ネット上での人格と現実社会での人格とが結びついたら現実社会での自分やその周囲にネガティブな影響が及ぶのではないか,と気に病んでいるわけですから。)。
小倉さんが感じられている「限界」をとりはらい、「寂しい生き方」ではないネットでの振る舞い方を実現した場合、具体的にはどのようなネット社会になるのでしょうか?
とのことですが,「何を成し遂げ,何を語ったか」によって人が(ネット空間でのみならず現実空間でも)評価される「フラットな社会」が実現し,高く評価されるために,各人が比較優位をもっている領域について質の高い情報を提供するようになるのではないかと期待しています。誰でも,検閲を受けることなく,即時に,全世界に向けて,情報を発信できるというウェブという仕組みは,それが現実社会と結びつくときに最も,その才能を発掘し,照らし出す機能を発揮します。
ekkenさんの比喩に即していうならば,上司が部下に注意しているシーンの後、注意された部下がアフター5にネット上で匿名でその上司や会社または全くの第三者を攻撃して憂さを晴らしているのが,ネットでの匿名言論の実情です。「アフター5に英会話教室で仲良くしている」姿を理想とするのであれば,ネット上で英語でチャットをする二人が現実社会では上司と部下の関係にあることをお互いに知りつつ,それでいて上司は部下を見下さず,部下も上司を敵視したり,自分の方が英語が上手であることを笠に着ない姿勢をとることが必要となることでしょう。
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09/05/2008
「これはやらない方がいい,ということをわきまえていればいじめは起きない。そういった情報をもっとみんなで共有するといいんじゃないか。例えばリーダー格の生徒の命令に逆らう,いじめられている子をかばうとか。そういうことをしちゃいけいないというわけじゃなく,そういうことをする自由はあるんだけど,やるのなら覚悟したほうがいい。」ということをいじめを放置している学校の教頭先生が公言している場合,それは,その学校の姿勢として,リーダー格の生徒の命令には従え,いじめられている子はかばうな,といっているのとほぼ同意義なのではないでしょうか。その結果,多くの生徒が,いじめられたくないばかりに,リーダー格の生徒の命令には,それが如何に理不尽なものであっても従わざるを得なくなり,また,目の前で他の生徒がいじめられているのを見かけても見て無ぬふりをするようになったとしても,それは「淘汰圧」の結果であって,好ましいものと見るべきなのでしょうか。
その学校で「いじめられたくない人のためのいじめられないためのガイドライン」をつくって,
「一,リーダー格の生徒の命令には,それがどんな者であっても逆らわないこと
一つ,いじめられている子を見つけても決してかばわないこと」
とやれば,それはその学校のポリシーとして,リーダー格の生徒の命令には全て従うこと,いじめられている生徒を見つけても決してかばわないことを命じているものと見るべきであって,単に命令に違反した場合の制裁を学校として直接下すのではなく,いじめ集団を通じて間接的に下すこととしているにすぎないと見るべきでしょう。
そしてそれは,その「いじめ」が物理的な有形力を伴わない集団的な誹謗中傷や人格攻撃であっても同様でしょう。そしてそれは,学校という子供たちの集団に限った話ではありません。
「これはやらない方がいい,ということをわきまえていれば社内いじめは起きない。そういった情報をもっとみんなで共有するといいんじゃないか。例えば,社長からのホテルへのお誘いを拒むとか,上司から胸を触られたくらいで騒ぐとか。そういうことをしちゃいけいないというわけじゃなく,そういうことをする自由はあるんだけど,やるのなら覚悟したほうがいい。」「覚悟して戦う強さを自分が持っていると思えば,拒めばいい。そうではなく自分が傷つきたくない,批判されたくないという人は,社長からのお誘いは受け入れれば良いんじゃないかな」ということを取締役が公言する会社においては,従業員の性的自己決定権は制約されていると言うべきだと思うのです。実際にそのようなことをすると,社内で執拗に攻撃され,それについて上司が見て見ぬふりをする環境ではなおさらです。その結果,この会社においてどのような人間が淘汰されるのかは,法が介入しなければ,予想するに難くありませんが,Lhankor_Mhyさんにとっては,「社長からのホテルへのお誘いは断ってはいけない」というコンセンサスがその会社内でできあがることは人類にとって価値があることということになるのでしょう。
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08/05/2008
「政治や宗教の話をしなければ制裁が加えられることはない」という現状を,「制裁が加えられるのがいやであれば政治や宗教の話をしなければ良いだけなので,何の問題もない」と考えるのが,おそらく中国共産党と梅田望夫さんなのでしょう。
まあ,制裁の主体が国か私人か,そのこととの関係で制裁のレベルがどの程度のものであるのかに違いはあるにしても,です。
「梅田望夫×まつもとゆきひろ対談 第2弾「ネットのエネルギーと個の幸福」(前編)」より,梅田さんの発言
これはやらない方がいい,ということをわきまえていれば炎上は起きない。そういった情報をもっとみんなで共有するといいんじゃないか。例えば政治について語る,イデオロギー,宗教について語る,アイドルをけなす,つまり誰かが信奉している人を批判するとか。そういうことをしちゃいけいないというわけじゃなく,そういうことをする自由はあるんだけど,やるのなら覚悟したほうがいい。
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07/05/2008
昨日のエントリーに対するはてなブックマークコメントですが,匿名の問題を指摘し,あるいは実名の価値を肯定的に評価するエントリーに対してはネットの人はこれを貶めるのに必死すぎますね。
「誰が言ったかではなく何を言ったかが重要だ」として匿名である自分を肯定してきた人々こそ,「誰が言ったか」を過剰に重視する「職場電凸」に抗議の声を上げるべきだったと思うのですが,そういう方は少なくて,実際には,要約すると「実名や肩書きを明示する奴らは邪な意図を持っているのだから,肩書きを明示したことに対する私的制裁を加えられるのは自業自得だ」というあたりで落ち着いてしまうところが,日本のネットの匿名さんたちの議論の限界かなという感じがします。まあ,匿名さんたちが職場電凸により実名・肩書きを明らかにすることのリスクを高めてくれれば「実名を明らかにできない」自分を自分の中で正当化するのに役立つのだから,この風潮に反対する理由などないと言われればそれまでなんでしょうけど,それも寂しい生き方です。
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06/05/2008
novtanさんが,こんなことを仰っています。
実名での,あるいは所属を明らかにした上での,組織の活動の一環としてではない言動について,これに怒った第三者が組織に嫌がらせをすることによってその言動者に思い懲罰を課すように仕向けることを肯定し,それはいやなのであれば,実名や所属は第三者に明らかにすべきではないというお話なのだと思うのですが,そんな現実社会では通用しないルールを押しつけられても困ってしまいます。
書籍を執筆したり,雑誌に原稿を載せてもらったり,テレビのインタビューに応じたりする場合,通常は,実名と肩書きを明らかにすることが求められます。求められます,というより,そのようなものを載せることは当然の前提として,どのような肩書きを載せるかの確認をされるというのが実態です。
その際,所属している組織の一員として執筆ないし発言しているという側面が強い場合を除けば,そこでの肩書きを明示するというのはその執筆者の人となりを示す表示の一つにすぎず,その執筆内容との距離を測る上での指標にすぎないということになります(そこに肩書きがあれば世間がみるのは肩書きです
っていうけど,池田先生のご発言を「上武大学教授の発言だから」信用できるとか,mohnoさんの発言を「マイクロソフト(株)の従業員の発言だから」信用できるという人なんていないのではないですかね。ガ島の藤代さんにしたって,雑種路線の楠さんにしたって,所属組織の信頼性とは全く別個の信頼性を勝ち得ているではないですか。所属を明記している実名ブロガーの多くは,その所属組織の信頼度とは別個の信頼を勝ち得ており,または,その所属組織の信頼度とは無関係に信頼を失っているのではないかと思います。)。そして,そこでの言動が肩書きで表示された組織の公式見解とならないことはもちろんのことであり,それ故,多くの組織では,その構成員なり従業員なりが,私的に書籍を発行したりインタビューに応じたりすることについて,事前の承諾を要求していなかったりします。
novtanルールに従うならば,書籍や雑誌等を発行するにあたっても,執筆者の氏名及び肩書きは伏せるべきであり,これを掲載したが為に,その記載内容に不満を持つ一群の人々によってその所属組織が執拗な嫌がらせを受けた場合にその責任は書籍・雑誌等にその氏名・肩書き等を掲載した執筆者の側にあるということになるのでしょう(まさか,ネットでの発言に限定した俺様ルールではないですよね。)。「第62代横綱・大乃国の全国スイーツ巡業」なんて許されざる所業であって,「名無しさんによるスイーツ巡り」とでもせよ,もしこの本の記述に怒って日本相撲協会に執拗に抗議の電話を架けてくる人が現れたらその責任はひとえに芝田山親方にあるということになるのかもしれません。
novtanルールの先にあるのは,何とも無味乾燥な,殺伐とした世界です。
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マスメディアに代表される既得権者がネットを敵視している云々という言い方をするとネットでは受けが良いのだと思いますが,実際のところ,マスメディアやコンテンツ産業のライツ部門以外の人々でネットを特に敵視している人というのは,実際にはそうそう見かけるものではありません。
むしろ,ネットの側からの現実社会への敵意があまりに強いので,現実社会は,これとどう付き合っていこうか考えあぐねているというのが実情に近いように思います。
瀬尾准教授の一件だって,実名と所属を明らかにしていたが故に「現実社会の側の人間」と認識されたが故に,「打ち倒すべき敵」扱いをされてしまったわけであって,あの程度の不謹慎な発言が匿名掲示板や匿名ブログに投稿されていたとすれば,むしろその削除等を申請したりする側が攻撃されかねないのが実情でしょう(といいますか,実際,2ちゃんねるの投稿に関して侮辱ないし名誉毀損として訴訟が提起されたケースではあれよりも更に酷い言い方がされていたわけですが,被害者側が訴訟等の手段に出たことで更にバッシングを受けることが横行していたわけですから。)。
有害情報規制にしたところで,まじめにやっている楠さんには申し訳ないですけど,「ネットは現実社会に配慮したりなどしない。現実社会がネットに跪けばいいのだ」という話の方が圧倒的に盛り上がるじゃないですか(「受け手が情報リタラシーを身につければいい」云々という表現は要はそういうことでしょう。)。
でも,現実社会は,ある程度はネットの側に配慮するにしても,ネットに跪いて現実社会の人々の暮らしや幸せを犠牲にするわけにはいかないわけですから,ネットの側も現実社会を敵視することをやめて,もう少し妥協的な振る舞いをしたらいいと思うのです。
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04/05/2008
WIDEの声明について,逐語的にコメントを付けていくことにします。
1 政府が何が有害な情報であるかの基準を設け、行政命令権を持つことの問題
情報の意味は、情報の受け手との相互作用により決まります。政府が一意に情報の意味を決定し、一様にアクセス手段を制限するという法案は、情報空間における多様な可能性を排除することに繋がり、情報社会の健全な発展を阻みます。
例えば,女子小中学生に対する,裸の写真を送るように要求したり,援助交際の申し入れをするような情報を考えたときに,これを単なる「ゴミ」として受け流すか,この要求に応じてしまうかは,「受け手との相互作用により」決まるとは思うのですが,何パーセントかの,あるいはコンマ何パーセントかの小中学生はこれに応えてくれるという可能性を排除することが「情報社会の健全な発展を阻」むといわれると,私には違和感があります。
2 「有害情報」の削除義務を設けることの問題
情報の共有や交換の場を管理する者に、政府基準に基づく「有害情報」を削除する義務があるとすれば、有害と言われる情報に関して、国民が例をあげて議論することさえままならない状況を生むでしょう。それは国民の主権を揺るがす事態であるとさえ言えます。
少なくとも,アクセスできる人の範囲を「18歳以上」に限定すれば削除義務の対象としない今回の法案等に関していえば,その心配はありません。
また、セキュリティ管理の観点からは、新たな攻撃手段を攻撃者に与えることにもなります。攻撃の対象となるサイトに、執拗に「有害情報」を書き込めば、管理者がその対応に追われたり、対応を怠った場合には罰則が適用されることにより、攻撃者が当該サイトの運営や管理者の生活の自由を奪うことが可能になるためです。
それは,「どのような情報につき」削除義務を負わせるかではなく,「どのような内容の」削除義務を負わせるのかによって決まってきます。現在だって,著作権を侵害する内容の投稿や児童ポルノ写真等が多数投稿されれば,管理者はその対応に負われることになりますし,対応を行った場合には罰則が適用されることになります。
3 サービスプロバイダにフィルタリングが義務づけられることの問題
我々が経験から学んでいることですが、フィルタリングに対しては、ユーザによる柔軟な操作を可能にしなければなりません。
現在、広く活用されているフィルタリング技術に、迷惑メールをふるい分けるスパムフィルタがあります。
日本語や英語などの自然言語には多義性がありますが、現在のフィルタリング技術は、言語のこの性質に完全に対応できるほどには高度ではなく、日々、大量の有益な情報がスパムフィルタによりフィルタリングされ、必要としている相手に届かないという問題が発生しています。
法案が、携帯電話会社にフィルタリングサービスを義務づけることは、この種の問題の拡大を招く恐れがあります。
スパムフィルタの場合,大量かつ瞬時に判断しなければならずかつその判断は1回的なものであるという特徴故に,テキストに特定の文字列が含まれるということがスパムチェックの大きな要素となっているとは思いますが,青少年保護のための有害コンテンツフィルタの場合は,ホワイトリスト方式を採用するにせよ,ブラックリスト方式を採用するにせよ,人海戦術的な要素を相当入れなければならないわけで,それは高市私案が可決されたとしても,これを遵守するための作業についても同様に言えることです。
情報の取捨選択を自動化し、人間個人の生産性を向上させる上でフィルタリングは重要かつ有用な技術ですが、ユーザの手元でフィルタリングの有無を状況に応じて切り換えたり、フィルタリングされた情報に適宜アクセスすることを許さなければ、いざ問題が起こったときに適切に対応することができず、生産性はかえって低下するのです。
フィルタリングの有無を状況に応じて切り換えたり、フィルタリングされた情報に適宜アクセスしていざ問題が起こったときに適切に対応できるようにせよ,といってみても,そんな大それたことを小中学生に期待する方が間違っているように思います。
デジタル技術の健全な社会応用に向けて
インターネットは、デジタル技術の基盤性をフルに活用し、多くのコンピュータや種々の機器が接続できることに加え、様々な個人や団体が主体として参加できる、工学的にも社会的にも分散したシステムとして発展してきました。この分散システムにおける様々な問題には、分散的に取り組むのがよく、もし、中央が一様なやり方で事に当たるとすれば、デジタル技術や分散システムの利点自体が失われることに繋がりかねません。
どのような情報については受け手の年齢を問わず違法とし,どのような情報については未成年者に届けることのみを違法とするのかの基準は,ある程度中央で決まる方が健全だと思いますが,そのような基準作りすら「分散的に取り組む」というのはどういうことを想定しているのでしょうか。
青少年の身の回りで起こる問題は、その現場で解決していかなければ、青少年自身が成長することも望めません。
これまで現場が解決してこなかったから,法律による解決が求められているのです。
中央が情報を遮断することにより、青少年へのインプットを方向づけ、それにより健全な育成が行われると考えるのなら、それは、家庭の力を、教育の力を、そして産業の力を、軽視あるいは無視していると言えるでしょう。そのようなことが現実に行われれば、日本の家庭や教育、産業の力は失われていく一方でしょう。
家庭の力を、教育の力を、そして産業の力を「直視している」というべきでしょう。ネット事業者たちが,「もっと儲けたい,そのためには青少年がどうなろうと知ったことか」とばかりに問題を放置し続け,それどころか,他人に害を為すような利用をしてきたユーザーをかばい続けてきたからこそ,現在の日本のネット社会がこんなものになってしまったわけではないですか。
ネットいじめを放置しなければ,学校裏サイトを放置しなければ,小児性愛者がSNS等で子供たちに援助交際やら何やらを持ちかけることを放置しなければ,「日本の家庭や教育、産業の力は失われていく」のですか。子供たちが訪れるサイトに,性風俗産業へのバナーリンクを貼ることを放置しなければ,「日本の家庭や教育、産業の力は失われていく」のですか。どれだけ,日本のネット産業は,青少年の安全と引き替えでなければ維持できない構造を作り上げてしまったのですか。
問題は、問題が生じる現場で解決していく。
このことが徹底される以外に、21世紀の、目まぐるしく変化する地球環境の中で、日本国の国民が問題解決能力を育て、世界の中で競争力をもって、生き延びていくことはできません。
そういうのは問題が生ずる現場で問題を解決することにネット事業者たちがきちんと協力し,現場で問題を解決できるようになってからいってもらいたいものです。ネットを用いた犯罪や不法行為の被害者から助けを求められた法律実務家であれば,ネット事業者たちが如何に「問題が生ずる現場で問題を解決する」ことに消極的かを肌で知っています。違法な情報を流通させている連中を精一杯隠し続けているくせに,「現場で解決せよ!」ですって!偉そうなことはいっても,結局,悪いやつにネットを自由に使わせることでその利益のおこぼれをもらい続けたいだけなのではないでしょうか。
それに,問題を自分で解決する力を付けることを小中学生に求めるのは酷というものではないですか。日々有害情報を悪い大人たちから送りつけられて,それに適切に対処できずに悪い大人たちの餌食になってしまったら,その子供たちにはそもそも21世紀を生き延びる資格がなかったのだといって,馬鹿にして終わりですか。
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01/05/2008
産経新聞の記事によれば,
学内での言論が脅迫などの対象となったことについて、デューク大学のデービッド・パレッツ教授(政治学)は、「大学で言論の自由が得られないなら、一体どこで得られるというのか。インターネットの登場によって、言論の自由に対する対価は高くつき始めている」と懸念を示した。
とのことです。
昨今の青山学院大学の件を見ても,日本でも「インターネットの登場によって、言論の自由に対する対価は高くつき始めている」ように思います。「有害情報」を青少年に送りつけることを「表現の自由」の名の下にこれを保護すべきだという声を上げる団体はMIAUを含めて少なからずあるのですが,「ネット」による「弾圧」から「表現の自由」を守れという声はなかなか上がらないのが残念なところです。
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28/04/2008
マイクロソフト(株)の従業員としての仕事の一環として事に当たっている方から,「現象面の改善では小倉さんより僕の方が手を動かしてるんだけど」といわれてしまうと,「それはそうでしょうね」としか言いようがありません。もっとも,私の場合,仮に陰で関与していたとしてもその場合は関与していたこと自体公言することがはばかられる立場にはいるわけですけど(この点,訴訟代理人という表の舞台で実際の事件に関与している場合とは大きく異なります。)。
それはともかくとして,特定の法律案についてネット上で流布されている誤解を,「それは誤解だ」とはっきり言うことは,法律家がネット上でできる社会貢献の一つだとは思っています.
どちらかというと小倉先生こそネット規制反対にの声に対して個別に反対しているだけで、政府が、民間が、何をすべきかについて何も語っていないんじゃないの。
。
と楠さんは仰っているわけですが,法律や法律案が不当に誤解されて非難されているのを放置するというのは,法律家としては非常に気持ちが悪いことなのだから仕方がないではないかと言わざるを得ません。
楠さんですら,
高市案の問題点は前にも書いているけれども、政府に広範な裁量権を付与し、極めて高い行政コストがかかる一方で、効果が全くはっきりしないことだ。もっと法的輪郭がはっきりしていて、政府による濫用の虞が小さく、費用対効果の高い政策を考えなきゃならない。あの法案の問題は、子どもを護ることを口実に特定の考えを誰もに押し付けようとしていたり、保護法益を曖昧にして濫用の余地を大きく残しているところにある。
なんてことを未だにいっている段階でしょう?高市私案が通ったとして,どうやったら,統一協会的な純潔概念を私や楠さんに押しつけることができるとでもいうのですか?国会承認人事で,特定の宗教勢力から過半数の委員を選任することが実際にあり得るとお考えなのでしょうか。そういうところから,ほそぼそと,無給でやっているが現状です。
問題は、そういうコンマ数%の子たちを救うために何ができて、何はすべきではないかということだ。ネットで人生を誤る人の2桁、3桁以上の数、ネットで人生の幅を広げた子たちもいる訳で、そういう可能性を摘まずに済むようにしなきゃならない。
とのことですが,「ネットで人生を誤る人の2桁、3桁以上の数、ネットで人生の幅を広げた子たちもいる」ったって,それは,高市私案で排除される危険のある「有害情報」に触れることで「人生の幅を広げた子たち」が「ネットで人生を誤る人の2桁、3桁以上の数」いるということではないでしょう。更にいえば,ネット企業はこれまでもずっと「コンマ数%の人間」を犠牲にして稼いできたわけで,いつまで「コンマ数%の人間」を犠牲にすることで稼ぐビジネスを続けるのかということが,さすがに最近問われ始めてきているというだけのことでしょう。
高市案に反対することと、ネット規制そのものに反対することとは全く別の議論であって、多くの事業者が違法情報対策を強化するネット規制そのものに反対している訳ではないし、有害情報を子どもにみせないために投資している。
と言ってみても,MIAU自身,WIDEとの共同声明において,
規制は青少年の成長にとってもマイナスと指摘。「青少年が『有害な』情報に全くアクセスできない状態で成人すると、情報の取捨選択や主体的な判断といったリテラシーを学ぶ機会が失われる。興味本位で『有害情報』サイトを作成する青少年や、成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”の18歳が生まれるだけではないか」と危ぐ
と表明しているわけで,むしろ,積極的に,青少年が自由に有害情報にアクセスする仕組み作りを目指すべきとしているわけではないですか。
それだけだと不親切すぎるきらいがあるので多少のアイディアを述べるとすると,CGMに関して言えば,年齢を問わずアクセスすることができる領域に有害情報が投稿された場合の対処方法をマニュアル化して,これをしかるべき機関が審査し,その審査に合格した場合に限りホワイトリストに加え,運用面でそのマニュアルが適切に運用されていなかったりした場合にはその機関が警告を与え,その警告に従わなかった場合にはそこをホワイトリストから外すということであれば,十分に実現可能だとは思います。ブログやSNSに関して言えば,各登録利用者ごとに,18歳未満にもオープンにする代わりに随時監視・有害情報削除を甘受するか,18歳未満からアクセスされることに拘らない代わりに,違法ではない有害情報の投稿は大目に見てもらうのかを選択できるようにすればよいのではないかと思います。
これならば,DeNAのように,18歳未満にCGMを提供していきたいところは,有害情報を除去するための実効的な手段をマニュアル化した上で,それを実践していけばいいわけです。その方法としては,頻繁な巡回による有害情報投稿の早期発見,有害情報を含む投稿の送信防止措置の発動並びに投稿者に対する警告,有害情報を含む投稿を繰り返すものに対する投稿資格の停止又は剥奪等が考えられるのではないかと思います。
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27/04/2008
楠さんからトラックバックをいただきました。
いや彼らも僕らと同じ人間だろうけれども、彼らの為に世の中を不自由にしたって無意味だよね、ということですよ。援助交際が問題だから子どもの渋谷駅下車を規制しようとか、麻薬やドラッグの売人がたむろするから渋谷センター街を封鎖しようなんて話は誰もしないでしょう。それはリアルな街に山ほど普通のひとが出入りしていることは一目みれば分かるし、それはネットも事情は同じなのに、極端な例ばかり報道されていて話がおかしくなっている訳ですよ。
青少年によるネット利用自体を禁止しようということは,少なくとも国会議員レベルでは1人もいないのだから,上記楠さんの例というのは明らかに過剰ですね。
ただ,例えば,カラオケボックス等が少女売春や飲酒・喫煙の場所として広く活用されるようになれば,国又は地方公共団体の政策として,カラオケボックスの経営者にカラオケボックス内で顧客の行動を監視し,顧客がボックス内で一定の行動を行うことを制止する義務を負わせることはあり得るし,コストの問題や利用者のプライバシーを重視してそのような監視行動をとりたくないとするカラオケボックスについては青少年の利用を制限することは十分あり得るでしょう。
だいたい問題はネットよりも、彼らが埋められない心の隙間を抱えていたり、終わりなき日常に心を満たされていなかったり、暇を持て余していたりすることであって、彼らからネットを取り上げたところで街角で声かけられるのを待つようになるだけでしょう。
と仰っているけど,ネットを媒介として少女売春に踏み切るのはもともとそういう傾向をもった連中だという偏見がそこにはあるように思います。「私とは異質の世界に住んでいる連中のために,何でネット企業がコストをかけなければならないのだ」といらだちを感じます。
だから必要なのはネット規制ではなく、彼らをそこまで追いつめないための福祉政策であり、情報リテラシー教育であり、買春犯や売人に対する行為規制ですよね。
と仰いますけど,そんなことで少女売春や麻薬・ドラッグの蔓延を防ぐことができていない現状で,そして,そのような対策を今まだ以上に有効に行う方法が見つからない現状で,そんなことをいわれても,結局,今までどおり,少女売春や麻薬・ドラッグを蔓延させるためにネットが活用されることを邪魔しないでもらいたいというメッセージにしか受け取られないですね。
もちろん,教育機関でが,少女売春や麻薬・ドラッグに手を染めないことの教育にもっと時間とコストを費やすべきでしょうし,警察だって今以上に売人等の摘発に力を入れるべきでしょう。でも,どんなにそれらの部門が頑張ったって,放課後に携帯電話をみれば,少女売春で楽してお小遣いを手に入れましょうというお誘いや,麻薬やドラッグの気持ちの良さを伝えるメッセージが書き連ねてあり,また,少女売春を持ちかけるメッセージや麻薬・ドラッグを売りますというメッセージが書き連ねられており,CGMサービスを利用したが最後そのようなメッセージが毎日大量に送られてくるという状況を放置しておけば,誘惑に負ける子供たちは少なからず出てきてしまいます。
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26/04/2008
フィルタリングのオン・オフは親が選択できるようにすべきだといっている人の多くは,情報リタラシーの低い親は子供からせがまれると簡単にフィルタリングを外してしまうことを知っているところが何ともいえません。もちろん,「価値観の多様性」「社会の多様性」を標榜する方々が,そのような親の下にいる小中学生の裸の写真がネット上に流通しまくったり,そのような子供たちが誘われるがままに売春でお小遣い稼ぎをするようになったり,小中学生のうちから18禁の刺激の強い動画を日常的に楽しむようになりそこに描かれているような行為を特に問題となる行為ではないと考えるようになったりすることを歓迎していることは想像するに難くありません。
ただ,リスクのある商品やサービスを提供するにあたっては,そのリスクの内容を消費者にわかりやすく説明する義務を事業者に課すのが近年の消費者保護の流れです。そういう意味では,フィルタリングのオン・オフを親が選択できる現在,ネット事業者は概ね失格ということができそうな気がします。
やはり,フィルタリングをオフにすると子供たちをどのような情報に晒すことになるのかを示すとともに,特にCGM系のサービスについて言えば,そこに参加したことによって子供たちがどのようなトラブルに巻き込まれるようになったのかをわかりやすく図解入りで示したパンフレットを携帯電話事業者やISP等は消費者に無償で提供した上で,フィルタリングを外す選択をしようとする消費者に対しては,「フィルタリングを外した状態で子供たちにネットを利用させた場合には,子供たちは,殺害又はレイプされたり,児童売春に手を染めたり,自分の裸の写真を見ず知らずに人に送ってしまったり,ネットいじめの加害者又は被害者となったり,有害指定されたコンテンツを視聴するようになったりする可能性が高まります。それでもフィルタリングを外しますか?□はい,□いいえ」と記載された書面を送って,親から「はい」欄にチェックし,これに署名・押印をしてもらった上で書面を送り返してもらったときに初めてフィルタリングを外してもらうようにすべきなのではないかという気がします。
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23/04/2008
MIAUとWIDEプロジェクトは共同声明として次のように述べています。
規制は青少年の成長にとってもマイナスと指摘。「青少年が『有害な』情報に全くアクセスできない状態で成人すると、情報の取捨選択や主体的な判断といったリテラシーを学ぶ機会が失われる。興味本位で『有害情報』サイトを作成する青少年や、成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”の18歳が生まれるだけではないか」と危ぐ。
ということは,慶応の幼稚舎や付属中高では,その図書室内に,一般書籍に混じって,「有害指定図書」も置いてあるということでしょうか。青少年がネット上の「有害情報」にアクセスできないと「成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”」になるけど,書籍・雑誌上の「有害情報」にアクセスできなくとも「「成人してから多くの犯罪に巻き込まれる“情報弱者”」にならないというのは不思議な話です。
また,
「有害情報への対応を事業者に法律で義務付けると、零細事業者の多いネット企業の経済的負担は重く、官製不況を招きかねない。PCにフィルタリングソフトのプリインストールを義務付けると、フィルタリングを必要としない人にまでコストを負わせる」と経済的なマイナス面を指摘している。
との点についていえば,そもそもそんなに重い負担となるのか疑問だし,その事業がもたらす外部不経済に対処することができない零細企業が潰れるのは,資本主義社会においては,しょうがないのではないかという気がします。いかなる零細業者もつぶしてはいけないので,公害は垂れ流しにします,それでどんなに社会が害を被ろうと知ったことではありません,被害者の自己負担・自己責任で勝手にしかるべき対処をしてくださいなんて理屈は,概ね他の産業では通用しないように思います。例えば,メッキ工場は零細企業が多いですが,では,有害物質を除去する装置の設置を義務づけられたら零細企業が潰れてしまうので,これからも有害物質を垂れ流させるべきだという意見は通用しないように思います。
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18/04/2008
前回のエントリーの追記部分に対応して,榎本さんが次のように追記を行っています。
追記: 僕の文脈に沿ったコメントが追記されてきたけど、今度は正しいような間違っているような…僕が言いたいのは、間違ったやり方はやめて「放置しよう」ではなく、間違ったやり方はやめて「問題のない解決策を重点的に行おう」ですから(ネット教育の低年齢化とか)
しかし,これは間違っています。ある弊害への対策としてある新しい施策をとってもなおも当該弊害を完全には克服できていないということを示すことにより突きつけることができるのは,その施策が当該弊害に対する対策として間違っているということでは必ずしもなく,むしろ,当該施策のみでは不十分であるということである可能性が相当程度あるからです。例えば,飲酒せずに運転をしても死傷事故を起こす例があるということをいくら強調しても,道交法上の飲酒運転規制が「間違った」規制であることの証拠にはなりません。
また,「有害情報」を青少年に送りつけることを規制することにより対処しようとしている弊害を「ネット教育の低年齢化」により対処しようというご意見については,むしろ,その方が社会的なコストもかかる上に効果が低いのではないかという疑問を禁じ得ません。現実社会では青少年への流布が規制されている情報をネットを通じて青少年に自由に流布できる環境,しかも,必ずしも青少年がそれを閲覧することを積極的に望んでいなくともそれが青少年の目に触れうる環境を放置しつつ,それによる青少年の精神的な発達の阻害を克服できるようなネット環境というのはいかなるものなのか,あるいは普通のCGMサービスを利用していると売買春へと誘うメッセージが頻繁に少女の元に届けられる環境を放置しつつ,そのようなメッセージを受け取った少女たちが皆その誘いをきっぱり断るようになるネット教育とはいかなるものなのか,私は想像しがたいものがあります(しかも,「低年齢化」ということですから,小学校低学年から中学生にかけての子供たちにも理解できるようにその教育を行わなければならないということになります。)。また,仮にそのような教育が可能として,それを全国の小中高校において,少なくともその教育の感銘力が薄らがない程度に頻繁に,それを行うためには,どれだけの人員が必要であり,その人件費はどれほどかかるのかということを考えると,私などは結構絶望的な気分になってしまいます(まさか「啓蒙ビデオ」を年に1時間見せればOKなんて考えている訳ではないですよね。)。
もちろん,ネット事業者としては,フィルタリング等のコストはネット事業者が負担しなければならないのに対して,「ネット教育の低年齢化」にかかるコストは,公立学校について言えば,地方自治体の負担となるわけですから,後者の方が費用負担の低廉化に繋がるとは思いますが,社会全体が負担するコストという観点から言えば,むしろフィルタリングの義務づけの方が安く済むのではないかという気がします。
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10/03/2008
「非公開であることはSNSの特徴ではない」というエントリーに対して,SiroKuroさんから,「社会的ネットワークと言いつつ、なぜかプライバシーに無頓着な小倉先生」というはてなブックマークコメントを頂きました。
ただ,社会的ネットワークを広げていこうと思ったら,自分に関する情報を相当程度開示していかないといけないのです。この人と仲良くなりたい,この人に近づきたい,この人と会ってみたいと考える契機としては,その人が何を語ったかだけではなく,その人がどんな人なのかも重要な要素となるからです。また,その属性は,その人に会うことが自分にとってどの程度危険なのかを推し量るバロメーターにもなるので,参加者の属性がある程度以上の確実性をもって開示されるということは,SNSにおいては重要な要素となります(だからこそ,MySpace等では,参加者の年齢確認の正確性の担保が問題となります。)。
そういう意味では,参加者がプライバシー情報を開示しないことを前提とするSNSというのは,社会的ネットワークを広げていくための補助サービスとしては,使い勝手が悪いものとなってしまいます。したがって,SNSをSNSとして機能させるためには,ネットの匿名さんが要求している水準よりは,プライバシーについて緩やかに考えていかざるを得ないのだろうと思います。
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05/03/2008
mixiの規約変更騒動の関係で、J-CASTと毎日新聞から電話取材がありました。
先にJ-CASTから取材があったのですが、J-CASTの方は記者さんが興奮気味であることが電話での息づかい等からもありありと伺えました。
次に、毎日新聞から取材があったのですが、こちらは記者は冷静なトーンでしたし、私に取材する前に、mixi側の見解を調べてきていました。
両者の記者の力の違いを実感しました。
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20/02/2008
携帯電話のフィルタリング規制問題での真の論点は、コンテンツ作成者にインフラを提供している事業者はそのインフラを用いて提供されているコンテンツに対しどの程度の関与をすべきかということです。
従前、インフラ事業者は、そのインフラを用いてなされるコンテンツへの監視を意図的に怠っていたわけです。もちろん、インフラ事業者が「常時監視義務」を負わせないようにプロバイダ責任制限法3条1項が制定されましたから、「怠っていた」という言い方は法的にはおかしいのかもしれませんが、他方で、多くのインフラ事業者が定める規約等に「違法情報」のみならず「有害情報」についても一方的にこれを削除できる旨の規定が盛り込まれていることについてこれを無効とする見解が一般的ではないように、インフラ事業者が適宜監視を行い、コンテンツ削除等の処理を行うことは許されていたわけです。
しかし、インフラ事業者は、従前、「コスト」の問題を前面に出すことにより、適宜「監視」を行うことを拒んできたのが実情です。誹謗中傷に関しては、「被害者」から削除要求があったときに初めて削除するとすることで全く監視を行わないことに成功したわけです。さらには、「自分たちには適法性の判断ができない」として、削除要求すら拒むことすら行ってきたわけです。
ところが、「出会い」系の書き込みの場合、「被害」というのは、少女たちが誘いに応じて売春を行ったり、強姦等にあったり、という類のものなので、被害者からの削除要求を待って削除するということでは遅いわけです。監視スタッフが充分にいないから俊敏に削除などできないというのであれば、子供たちをそんなところへアクセスさせることはできないということになってしまいます。昨今のフィルタリング強制問題というのは、インフラ事業者が、そのインフラを用いたコンテンツについての監視・管理を放棄したことから必然的に生じてきた問題なのです。
それゆえ、DeNA等は監視スタッフを200人単位で用意し、しっかり監視をするからということで、自分のところはフィルタリングの対象から外すように主張しているわけですが、そうなると今度は、インフラ事業者が誹謗中傷発言についても監視スタッフにより瞬時にこれを削除させることが困難とは言えなくなってきます。それは、誹謗中傷しやすいインフラを整えることでアクセス数を増やし一儲けしようというインフラ業者の目論見から外れることになります。
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18/02/2008
昨日、仕事用のMacBookのOSをLeopardにバージョンアップしました。
最近はすっかり、メーラーとしてMailを使うようになったので、Mailの使い勝手が向上しただけでも儲けものだと思っています。
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09/02/2008
匿名で情報のやりとりをする匿名ネットコミュニティと、実名で情報のやりとりをする実名ネットコミュニティとで、「棲み分け」をすることは可能でしょうか。
「棲み分け」というのが「お互いに言及したり干渉したりしない」ということを意味するのであれば、かなり難しいでしょう。実名ネットコミュニティは、匿名コミュニティからの攻撃等がなければ匿名ネットコミュニティの側を無視しても何らの支障も生じないのでしょうが、匿名ネットコミュニティの方はそうはいかないのではないかという気がしてなりません。もちろん、純粋に数学やプログラムを含む自然科学の分野では現実社会の特定の個人や企業等に言及しなくともある程度の会話はできるかもしれませんが、しかし、そのような話題だけで満足できる方々というのは層としてはそんなに厚くはないのではないかという気がします。かといって、匿名ネットコミュニティでは、自分の現実社会での活動に依拠した話題を振ることがはばかられます(そんなことをしたら、「実名晒し」に遭い、匿名ネットコミュニティから排斥されてしまいます。)、現実社会とリンクしない「ネタ」の披露と、そのコミュニティの運営やコミュニティ内の人間関係を巡る不毛なメタ議論くらいしかすることがなくなるような気がします。
結局、現実社会での自分の活動を話題として誰もコミュニティ内に投入しなくなったときに、そのコミュニティ外の人物の現実社会での活動をコミュニティ内の話題として取り入れざるを得ないのだろうと思います。そういう意味では、「棲み分け」ではなく、「ネットでは、或いはブログコミュニティでは、完全に匿名性を維持すること」が義務づけられた場合には、ネットコミュニティないしブログコミュニティの外側にいる特定の個人や団体の現実社会での活動をそのコミュニティ内の話題として取り入れざるを得なくなるのであって、結局、「ターゲット」の供給源が変更になるだけで、誹謗中傷やデマや犯行予告等で満ちあふれるネット社会を改善することには繋がりそうにありません。
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07/02/2008
beyondさんのエントリーに対するはてなブックマークコメントが面白いことになっています。
「ネットで実名を表示したことを契機として、見ず知らずの人から突然襲撃されたみたいなことは未だ起こっていない」という私の発言に対する反論として、ご自身が
・連日、夜中の3時に「ぶっ殺してやる」と電話が掛かってきたり
・隣の民家に、私の在宅を問い合わせる電話が複数回掛かって来たり
・盗撮された顔写真をネットにアップ
されたり
という例を持ち出して反論されていたので、「このエントリーを読む限り、「襲撃」はされていないですね」とはてなブックマークコメントしたのですが、これに対して、soorceさんは
実名でありさえすれば脅迫はOKなの?
とのはてなブックマークコメントを付けております。しかし、「AはBをCだと言っているが、BはCではなくDである」という命題は「BはDだからOKである」ということを意味していません。そのようなことを言われてしまうと、どの犯罪類型にあたるかについて議論をする刑法各論等は成り立たなくなってしまいます。
また、vanacoralさんは、脅迫だけでも十分ダメージ大きいだろ
とのはてなブックマークコメントを付けておられます。buyobuyoさんの脅迫でも十分だと思うが
も同趣旨かと思います。なお、当のBeyondさんは相手は「匿名で」脅迫を行ってきています。脅迫電話のことを警察に相談したところ、「飛ばし携帯なので、誰か分からなかった」そうです
と仰っています。だとすれば、「匿名の陰に隠れて他人を脅迫することができるシステム」の改善を探求していくのが筋だと思います。しかし、匿名性が保障されたネット環境では、ネットを利用した匿名での脅迫の被害者が泣き寝入りを強いられる、脅迫者を含む発信者の匿名性が保障された状態の固守を主張されているのはどこのどなたでしょうか。
ネット上で実名さえ明らかにしなければ脅迫されることはない、ってことでしょうか。現実社会でアクティブに活動されていない方はいいですね。
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31/01/2008
Beyondさんが次のように仰っています。
ここでふと思うのですが、MIAUには、池田氏だけではなく小倉秀夫弁護士も関わっています。MIAUの中心的人物である白田秀彰氏がどのような方か存じませんが、ネットでは「他人の多様な意見を認めない」ことで有名な池田氏および小倉弁護士が関わっているのですから、MIAU自体、「他人の言論を抑制する」方向に進んでいることは明らかです。
私は、MIAUのメンバーではなく、ただMIAUの主催するシンポジウムに呼ばれてパネリストとして壇上に登って発言しただけなのですが、Beyondさん界隈ではこのことをもって、「MIAUには、……小倉秀夫弁護士も関わってい」ることになるとのことのようです。
なお、私は、匿名さんがそのお気に召さない意見をコメントスクラム等により押しつぶすことに反対しているので、むしろ「他人の多様な意見」を積極的に認めようとしている人々の1人であろうと思っています(現実社会で、あるいは現実社会でのつながりの中であることを言おうにも、匿名さんに執拗な嫌がらせを加えられることを恐れてそれを躊躇してしまう社会を、現実社会とは隔離した形で匿名で発言する以上は「地上の法」にすら従う必要がないというだけで、「他人の多様な意見を認める」社会としてしまうのは、正しくないように思います。)。
特定の人や企業を攻撃する表現を流布する手助けをせよと民間企業に強要することはできないということと、「他人の多様な意見を認めない」こととは大分違うと思います。
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30/01/2008
RAG FAIRの奥村さんのブログが、コメントスクラムにあってコメント欄の閉鎖に追い込まれました。奥村さんにとっても、コメント欄を介して奥村さんとの交流を楽しんでいたファンの方にとっても、お気の毒な事態です。
私がはてなブックマークを付けた時点ではいまだコメント欄は残っていたので、奥村さんの対するネガティブコメントを読んだのですが、当該エントリーに対する反論というよりはいちゃもん、いちゃもんでもエントリー自体と関係があればまだましな方で、専ら奥村さん個人ないし彼が所属するRAG FAIR自体を貶めようというものが満ちあふれていました。
実名を強要しても何も変わらないという人もいますが、奥村さんのブログのコメント欄で奥村さんを個人攻撃するコメントを投稿した人たちは、自分がどこの誰であるのかを自分の周囲の人にも知られうる環境下でも同じことができたのかというと大いに疑問です。そのような卑怯者たちの氏名・住所を知ったところで奥村さんがコメント投稿者を物理的に襲いに行く(又は第三者を雇って襲いに行く)という事態は想定しがたいので、本当は、こういうコメントスクラムを行って場を荒らす人間の氏名・住所なんてさっさと開示する仕組みを採用した方が、「ブログ」というメディアが健全に発展することに繋がるのではないかと思います。
幼い少女の安全のために匿名性は維持されるべきだという方々は、このように匿名性が憂さ晴らしないし言論弾圧の手段として活用されることに怒り、そのような濫用をさせないための実効的な手段を提案していくべきではないでしょうか。
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28/01/2008
松岡美樹さんは、相変わらず、匿名さんたちの味方ですね。私などは、表面的にでも「炎上」という名の嫌がらせを押さえつけることができればまずは御の字だと思うのですが、それでは根本問題が解決しないからと言って表面的に解決する問題を解決させずに放置するというのは、被害者にはとても酷な話です。まあ、被害者より加害者にシンパシーをおいているあまたの匿名さんの賞賛を浴びることでしょう。
ところで、松岡さんは、ネットでの「炎上」以外のハラスメントについても同じアプローチを取るのでしょうか。いわゆるセクシャル・ハラスメントについても、女性に対する(一部の)男性の蔑視感という根本問題が解決しないのであれば、セクハラ防止マニュアルを策定してこれを守らせることによってとりあえず表面的にセクシャル・ハラスメントを押さえつけることには意味がないから反対すると言うことなのでしょうか。学校のいじめ問題にしても、子供たちに加えられた過剰なストレスや将来に対する絶望感等の根本問題が解決しないのであれば、校内や地域のパトロールを強化したり、いじめの被害にあった場合にすぐに教師や専門のカウンセラー等が相談に乗り、場合によっては警察の介入を含めいじめを除去していこうという方策は、表面的に「いじめ」を押さえつけるだけだから、やめるべきだという話になるのでしょうか。
あるいは、表面的に押さえつけることなど意味はないと考えるのは、ネットでの「炎上」という名の嫌がらせだけなのでしょうか。だとしたら、ネットでの嫌がらせについてのみ、根本問題が解決するまで、これを表面的に押さえつけることすらせず、当面の間被害者に泣き寝入りを強いるのは何故なのでしょうか。根本的に、匿名の陰に隠れて特定の人を執拗に攻撃をして特定の人を精神的に傷つけることを悪いことだとは本気で思っていないのではないでしょうか。
なお、松岡さんは
そもそもオープンソースの思想や、ウィキペディアなどを通じた集合知を見てもわかる通り、ネットの本質は性善説なのだと思っています。でなければ有意義なCGM(消費者生成メディア)の世界など成立しないし、そもそもユーザー参加型のWeb2.0など有り得ない、ということです。ネットは匿名で発展し、クリエイティビティを保ってきたと言えます。誤解を恐れずに言えば、現実の世界とはまったく別に異なる人格をもって気軽に参加できるからこそネットは素晴らしい。ドロドロとした人間関係を引きずりながら、ストレス過多なコミュニケーションをしなくてすむからいいのですよ。
と仰っていますが、様々な意味でこれは間違っています。
まず、「性善説」というのは(孟子と朱子とでは捉え方が違うにせよ)「人間は、放っておいても悪いことをしない」という考え方ではありませんし、オープンソースの思想は「人間は、放っておいても悪いことをしない」という考え方を前提とはしていません(といいますか、GPLなんて、人は放っておくとソフトウェアを独占しようとする傾向があるので、契約によってこれを独占させないようにするという思想が前提にあります。
さらにいえば、ネットの発展に「匿名」はさほど貢献をしていません。米国等ではブログはマスメディアと肩を並べるような存在に近づきつつありますが、ブログの社会的信頼性をそこまで高めたのは、実名や所属を明示するなどして現実社会での人格とネット空間での人格とをリンクさせることを厭わないジャーナリスト系ないし論壇系のブロガーたちです。日本ではこの層が薄いので、ブログの信頼性はマスメディアの信頼性に遠く劣る状態にあります。また、ネットイナゴ等がこれまでいくつのブログを閉鎖に追い込み、いくつのブロガーから更新する意欲を失わせてきたか、そして、ネットがそのような怖いところであるという評判がどれだけの人をブログから遠ざけてきたのかということを考えると、「匿名」はむしろネットの発展を十分に阻害してきたということができます。
また、「現実の世界とはまったく別に異なる人格をもって気軽に参加」し、感情の赴くままに自分の気に入らない人間を執拗に攻撃してこれを困らせたり、悪質なデマをばらまいてその社会的信用を毀損したりすれば、その人はストレスから解放されるかもしれませんが、そのようなことをされている人々は却って本来不要なストレスをため込むことになります。常に2ちゃんねるのスレッドの動向等に注視してネットの「空気」を読み、匿名コメンテーターの感情を害さないように注意しなければ何も語れない言論環境で、「ストレス過多なコミュニケーションをしなくてすむ」といわれても説得力がありません。
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27/01/2008
Kathy Sierraがこちらのコメント欄に、
Am I wrong in stating that most individuals who engage in actions like that are fickle and by ignoring them the problem quickly goes away?
との指摘に答える形で、次のようなコメントを残しています。
Yes. Although this approach works well for the random internet troll or flame-baiter, when people are determined to get a reaction from *you*--personally--ignoring them only makes it worse. They must then keep turning up the pressure until you DO react.
I tried ignoring it... It just got worse. I tried cajoling and playing along. It just got worse. I tried talking to some of the people involved who I thought could stop it (before I ever went public). In still got worse.
つまり、「荒らしにはスルー」というのは、「誰でも良いから炎上させてやろう」という愉快犯には有効だけれども、何らかの理由で特に自分がターゲットとして狙われている場合には、「荒らし」の行動はどんどんエスカレートしていくので、「スルー」することは却って事態を悪化させるということです。
Kathyさんは、自分が開設するブログのコメント欄に匿名さんから殺害予告コメントを投稿されるということを経験しており、上記コメントは観念的なものではなく経験に基づくものです。米国でも、自分より社会的に高い地位にいる女性を憎む差別主義者がそこそこいますから、女性ブロガーは性的犯行予告を含めた匿名コメントによる攻撃を受ける機会が多いそうです。
Tim O'Reillyもまた、When people can't hide behind anonymity, many of the outrageous statements that are made do in fact evaporate, because people are ashamed to have people know that they are the ones behind the statement.
と言っているように、この種の女性差別主義に基づく犯行予告などは、概ね「匿名だからこそ」投稿できるのだろうと思います。日本の匿名至上主義者さんたちであれば、犯行予告を受けたくなかったら実名を知られないようにして生きていけばよい云々と言いたがるのではないかと思いますが、Tim O'Reilly のように本当にコンピュータやネットに詳しい人はそのように考えなかったからこそ、彼の提唱するBloggers' code of conductの中には、Consider eliminating anonymous comments.
が含まれるのです。
Timが唱えるDon't say anything online that you wouldn't say in person.
自体、日本の匿名至上主義者さんたちが求めるLet me say anything online that I wouldn't say in person
と正反対なので、日本の匿名至上主義者さんたちには受け入れがたいのかもしれません。
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「匿名でいる」ということは、小飼さんが仰るのとは異なる意味で「特権」的です。
ネット空間での活動の成果が現実社会に反映することをたいした「メリット」ではないと感じられること自体、とても希有な環境です。「現実社会で自分のおかれた環境に満足していて、それを変えていく必要を感じていない」人々以外は、現実空間と仮想空間とで別々の活動を、互いに有機的結合を果たすことなく行わなければならないというのは時間とエネルギーの無駄です。ここでいう「現実社会への反映」というのは、自分自身の「立身出世」ということだけでなく、現実社会を自分にとってよりよいものに変えていく、あるいは、自分にとって好ましくない方向に変わっていくことを食い止めるということまで含みます。
また、ネット上で情報発信をするときに実名を明示しなければその実名を不特定人に知られずに済むかといえば、そういうこともありません。現実社会でそれなりに活躍している人々はどうしてもその実名がネット上にも表示されてしまいます。現実社会でさほど活躍していなくとも、現実社会で接触する相手に実名を明示していれば、その相手により自らの実名がネットに表示されることもあるわけです。ネットでの匿名さんによる誹謗中傷やデマの流布にしたところで、その被害者になるには、ネット上で実名で表現活動を行う必要はありません(学校に通っているというだけで、「学校裏サイト」等にその氏名が投稿される危険がありますし、「学校裏サイト」でターゲットとされた児童のほとんどは現実社会では未ださほど活躍していません。)。したがって、犯罪の被害に遭わないようにその氏名等をネット上に表示しないようにするためには、現実社会でも他人との接触を回避していかなければいけません。
もっとも、その実名が不特定人に知られないということは、犯罪の被害に遭うことを回避する手段としては効果が低いです。というのも不特定人に対してなされる犯罪の多くは、犯人にとってそのターゲットの氏名というのはどうでもよいことだからです。例えば、MySpace等のSNSを舞台とした少女殺害事件等との関係でいえば、変質者にとっては、その少女の「実名」などはどうでもよいことです。その少女が名乗っているのが明らかに「ハンドル名」だったとしても、それが若い(幼い)少女であって呼び出しに応じてもらえる人であれば、どちらでもよいのです。これに対し、加害者の匿名性が高く保障されていると、犯罪は心理的にも容易になりますし、犯罪の種類によっては犯行自体がやりやすくなります。だからこそ、MySpaceは、利用者の個人情報をより厳格に把握する方向に動かざるを得ないし、日本ではプリペイド携帯規制が行われたのです。
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25/01/2008
匿名表現の自由を維持したいのであれば、匿名表現の自由を維持しつつ、匿名の濫用を防ぐ実効的な他の手段を提案すべきなのではないかと思うのですが、ネットの匿名性に執着する方々からそのような提案を聞くことはまずありません。結局のところ、「被害者」に全部負担を押しつけることしか考えていないわけです。匿名派の側に現実社会と妥協する意思がないのですから、現実社会は匿名の暴力の前に屈服するか、匿名の暴力を国家権力により押さえつけるしかなくなるわけです。
もちろん、「匿名」という理性が半ば麻痺した状態(麻痺の程度には個人差があり、また現実社会の個人が特定されない強度によっても差が出てくるとは思いますが。)で言論活動を行うことは、飲酒により判断力が低下した状態で自動車を運転することに似ていて、「飲酒運転を許容しつつ交通事故を減少させる」方法を考えるのが実際には困難であるのと同様に、匿名表現の自由を許容しつつ誹謗中傷やデマの流布等を減少させることは困難だと言うことかもしれません。ただ飲酒運転の場合と違いのは、「飲酒運転による交通事故についてはスルーが原則」とか「被害者たちは、酒でも飲まなければ自動車を運転できない人に配慮して、温かい目で見守って欲しい」みたいな話は公然と語られることはないし、まして飲酒運転により交通事故を引き起こした人を公然と賞賛する人や一緒になって同じ被害者に自動車をぶつけに行く人はいないのですが、匿名表現による誹謗中傷の場合は、それに相当するような行為がしばしば行われるのであり、匿名表現による誹謗中傷やデマの流布によって被害者が苦しむという状態をむしろ楽しんでいる人が少なくないというのは注目されてしかるべきです。それが典型的に現れたのは人権擁護法案についての反対運動であって、あれの根幹は、「現実社会での自分が差別主義者という目で見られることなく、ネット上で、匿名を用いて、マイノリティであることをあげつらって他人に不快感を与える権利を認めよ」という要求でしかなかった(だからこそ、一般には「懲役」や「罰金」よりも遥かに軽微な制裁である「氏名等の公表」がものすごい制裁手段であるかのように喧伝された)わけです。そりゃ、マイノリティに対し差別的表現を執拗にぶつけると言うことは、一般的には「匿名でなければできない」発言であって、家庭環境によっては、そのような発言を繰り返してきたと現実社会で知られた場合には家庭崩壊を招く危険があるかもしれませんが、それは自業自得というものであって、誹謗中傷の被害者を泣き寝入りさせてまで、「社会的信用を失うことなく、マイノリティに対する差別的言辞を執拗にぶつける」権利を認めてあげる必要があるようには思えません。
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24/01/2008
下記のようなはてなブックマークコメントを頂きました。
ちなみに「弁護士・小倉秀夫」と「技術者・何野誰兵衛」がそれぞれ法と政治につき語ったとすると、どっちがより「災禍」の及ぶ可能性が高いと思う?
そりゃ、「弁護士・小倉秀夫」です。自由業者というのは、顧客や潜在顧客の不興を買えば、即収入の道が途絶えるリスクを負っています。これに対し、給与所得者は、上司の不興を買ったところで、即収入の道が唱えることはありません(その「法や政治」に関する意見が気にくわないからといって解雇されたら、傾向会社でない限り、解雇無効を勝ち取ることができる可能性が高いです。)。
例えば、私は、レコード輸入権創設に反対することで、レコード会社の顧問になる可能性を捨てています(まあ、ファイルローグ事件を受任した時点で捨てているといわれればそうかもしれませんが、ただ個別事件で「敵側」に回っても「依頼された側につくのは 弁護士の性質上やむを得ない」ということでそれほど問題視されないことはあり得るわけですが、レコード輸入権創設反対運動の場合、誰に頼まれるでもなく自主的にやっていますから、「業界の敵」認定されたことは間違いないでしょう。)。
これに対し、「技術者・何野誰兵衛」がレコード輸入権創設に反対したところで、その「何野」さんが会社を解雇されるという事態は想定しがたいです。一般に、会社組織において、個々の労働者の政治性というのは、会社間の取引においてさほど重視されない傾向があります(何せ、ばりばりの大企業でも、労働組合は相当左翼的と言うところは結構ありますから。)。
そんなこんなで、むしろ会社勤めの技術者の方が、「法や政治」について語ったときに「災禍」の及ぶ可能性は低いのです。ただし、それはまじめに「法や政治」を語った場合であって、陰謀論等を真顔で論じたりマイノリティを公然と差別したりすれば、「同僚」との距離が近い分、冷ややかな目で見られることの心理的な圧迫は強いかもしれません。
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23/01/2008
J-CASTに掲載されたインタビュー記事について、小飼弾さんのブログで言及していただきました。
ただ、日本の匿名ネットワーカーさんは、小飼さんのお眼鏡にかないそうにありません。といいますのも、日本の匿名さんは、非常に属人論法が好きであって、むしろ属人論法を繰り広げたいからこそ、匿名性に固執しているという要素があるからです。つまり、属人論法を採用した場合、相手方からも属人論法を採用される危険があるわけで、これを回避するためには、自分の属人性を隠蔽し又は偽装することが有効であり、それ故、自分の属人性についての検証を断ち切る匿名性に固執するというわけです。
しかも、2ちゃんねるで培われた我が国の匿名文化は、相手の属人性をねつ造してまで属人論法を採用しようとします。自分の気に入らない発言に対し、正面から反論するのではなく、さしたる根拠もなし(って相手もまた匿名である場合にはさしたる根拠など通常ありません。)に相手を「在日」扱いしたり「工作員」扱いしたりすることによって、相手の反論を封殺したことにする論法です。したがって、匿名を擁護してみても、属人論法を排除した議論というのは当面成立しそうにありません。
また、「名前力」という点に関していえば、早期に実名を晒していかなければ、いつまでたっても「名前力」はつきません。「周知の変名」注1ではない固定ハンドルで「名前力」をつけるのは、実名又は周知の変名を用いて「名前力」をつけるのと比べて遥かに至難の業です。何しろ、「実名を知られたら負け」という環境のもとでは、自分が比較優位性を持つ分野で質の高いエントリーをアップロードするということは、属人性の低い技術分野をともかくとすれば、実名を特定されるリスクを高めることに繋がるからです(もちろん、自分が比較優位性を持つ知識を現実社会では活用せず、ネット上でのみ披露するのであれば、実名を知られるリスクを軽減することができますが、それはその比較優位性を活かしてこれから現実社会での地位を獲得していかなければならない若い世代には酷な話です。)。ですから、本当に覚悟を決めた者以外は実名でブログを開設できないような「匿名優位の環境」の下では、既存の著名ブロガーの優位性はなかなか揺るぎません。
注1「周知の変名」とは、特定の人物の変名として広く知られているものをいいます。
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匿名でなければできないことがあるにせよ、それが、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。
例えば、選挙のシーズンになると、立候補者やその所属政党に関するデマが広範囲に投稿されるのが最近では通例となっています。この種のデマを流布する行為は匿名でないとやりにくいとは思いますが、それは守らなければいけないものなのか大いに疑問です。
選挙以外でも、営業妨害を狙ったデマというのはしばしば見受けられます。動物病院事件などはその典型です。そのような営業妨害をする動機としては、何らかの意趣返しというものもあるでしょうし、ライバル企業をつぶしてやろうというものもあるでしょうし、単におもしろ半分ということもあるでしょう。いずれにせよ、その種の行為は匿名でなければやりにくいことだとは思いますが、それが守る価値のあるものとは私には思いにくいです。
また、自分の気に入れない言動を行った人間に私的制裁を加えるために匿名表現が活用される場合がしばしばあります。それは、その相手の目に触れるようにその相手に罵倒を投げつけることもありますし、虚偽内容のものを含むその相手の個人情報を不特定人の目に触れるところに投稿したり、その相手に迷惑がかかることを行うように不特定人に呼びかけることもあります。「炎上は、炎上する側に問題がある」みたいな話をされる方は、匿名さんたちが私的制裁を加えるということにポジティブな価値を見いだしているのでしょうが、私は、匿名さんたちが特定の個人に私的制裁を加えることに、むしろ批判的です。まして、匿名さんたちが安心して特定の人間に私的制裁を加えることができる環境というのは、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。
また、匿名ブログや匿名コメントにはやたらと「上から目線」のものが多く、それは、匿名の陰に隠れることによって肥大化した自尊心の賜と思われ、それ故、実名ではなしがたいのだろうとは思います。自分がその種の発言を行っているということを自分の周囲の人に知られたら恥ずかしいという思いや、自分がどのような人間であるのかを知られたら、相手を見下して行われるその発言が非常に滑稽に移りそうだとか様々な理由があるでしょう。ただ、その種の発言は、禁止するほどのものではないかもしれませんが、匿名での誹謗中傷やデマの流布等を放置し、被害者に泣き寝入りを強いてまで守らなければいけないほどの価値のあるものなのかというと、そこは大いに疑問です。
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ネットで実名を表示することは危険だといわれても、実際のところ、実名並びに所属等を明示しつつネット上で情報発信を行っている人は現実に沢山いて、その多くはガードマン等をつけているわけでもないのですが、ネットで実名を表示したことを契機として、見ず知らずの人から突然襲撃されたみたいなことは未だ起こっていないのであって、そういう物理的な危険を過度に強調する意見に対しては、ある種の哀れさすら感じてしまいます。ネットで必死になって「上から目線」で他人を批判しているだけの人々なんて、窃盗にせよ、強盗にせよ、強姦にせよ、犯罪者としては、最もターゲットにする意味の乏しい人々であるといえます。そして、これらの犯罪のターゲットにするに相応しい人物の個人情報というのは他の制度により取得することが相当程度可能なのであって(ことの性質上、具体的には述べませんが。)、ネット上での発言者の匿名性を維持したところでその種の犯罪の発生確率を減少させる意味はほとんどありません。
恐らくは彼らだってそんなことを心配して匿名の陰に隠れているわけではなく、自分たちが行っている発言の発言主が自分であることを自分の現実社会での知人等に知られて恥ずかしい思いをすることには耐えられないということで匿名の陰に隠れ続けようとしているに過ぎないのでしょう。人権擁護法案だって、手続き的な規定を遵守している限りにおいては、氏名等の公表程度しか制裁手段が用意されていないのにあれだけの大騒ぎがなされたのは、結局のところ、マイノリティを蔑むような発言を繰り返しマイノリティに不快な思いをさせることで鬱憤を晴らしたり自尊心を維持したりしたいけれども、自分がそのような差別主義者であるということを自分の現実社会での知人等に知られ、白眼視されることには耐えられないというだけのことなのに、様々な陰謀論を駆使して反対論を正当化しようとしていたわけで、それと同レベルのように思われます。
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15/01/2008
umikajiさんは、次のようなことを述べています。
結論を言ってしまえば、実名でブログを行うメリットは商売目的以外には皆無であり、それは個人ブログではなく、企業の公式ブログとして運営すべき事柄なのである。
でも、それは間違っています。ネットでの言動と現実社会での行動とを結びつけるには、実名を用いてネット上で表現活動を行うことが有益です。といいますか、誰かがその役を引き受けないと、ネット上での表現活動は現実社会に影響を持ちません。もちろん、「現実社会に影響を与える」ことの一つに、自分の現実社会での商売に役立てるということも含まれますが、それに限りません。例えば、数年前のレコード輸入権問題の時だって、私や高橋健太郎さんや津田大介さんが法案の問題点を実名で指摘し、反対運動につなげたことが、レコード業界の様々な言質を取ったり、付帯決議を勝ち取ったりすることに繋がり、ひいてはレコード輸入権が洋楽CDの並行輸入を阻止するために活用されることを防ぐことに繋がったのだと思っています。あのとき、私たちが、自分かわいさに、文化庁の政策に匿名で文句をつけることに終始していたら、その声は衆議院民主党に届くことなく、何事もなかったように法案は成立し、レコード会社は何のためらいもなく洋楽CDの並行輸入を阻止するためにレコード輸入権を活用していたのではないかと思っています。
政治的な要求を通すためには、「団結して、声を上げる」ことが必要だということは何度か申し上げたと思いますが、声を上げる際には堂々と声を上げなければならないのです。それを求める人たちが、こそこそと匿名で隠れながらでなければあげられない声など、何で拾ってもらえるものですか。
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14/01/2008
そろそろMac版のOffice2008が出荷されるということで、AppleからもDMが来ています。
Windows版のOffice2007がファイル形式を変えてきたのでファイル互換性を保つためにも購入はせざるを得ないのでしょうが、その新ファイル形式の評判の悪さが気に掛かります。
Vistaの評判の悪さは私にとって所詮「対岸の火事」に過ぎなかったわけですが、Officeまで問題山積みだと困ってしまいます(Windows版とMac版では開発チームが異なるので、ひょっとしたらMac版は素晴らしいのかもしれませんが。)。
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04/01/2008
前回のエントリーに引き続いて、再びはてなの梅田取締役の発言について検討してみます。
本を読んでそれに対する感想をブログに書いたり、日常生活でこんな楽しいことがあったと書いたりとかしたときに、そんなところに変なことを言ってくる人はいない。
しかし、イデオロギーとか政治にかかわることとか、あるいはアイドルをけなすとかはだめ。
それを経験すると分かってくる。たとえば、イデオロギー、政治にかかわる過激な発言を慎むとか、アイドルや熱狂的なファンがいる人に対して不用意な発言をするとか。意味もなく偉そうにするとか、属している組織をバックにして人を見下すとか。そういうのはダメ。でも、人間として当たり前のことを普通にやっていて、やらないほうがいいことをやらなければ、ほとんど何も起きません。
炎上「させる」側を擁護した人々によく見られがちな発言ではありますが、真実とは異なるようです。「ネットで集中的に叩かれているが、ネット外では全然叩かれていない」という現象が少なくないのですが、それは、人間として当たり前のことを普通にやっていて、やらないほうがいいことをやらな
くとも、炎上は起こるということを示していると見るのが合理的です。
例えば、上村愛子さんの例でいえば、ボクシングの試合を見てこれに対する感想をブログを書いただけであり、しかも著名人をけなすどころかむしろ褒めていたわけですが、それでもブログは炎上し、上村さんの人格を攻撃するコメントが多数投稿されました(上村さんは、別に意味もなく偉そうにしていたわけでもないし、属している組織をバックにして人を見下していたわけでもありません。)。あのとき、ボクシングの試合を見て感動したという体験を自分のブログに投稿することが「人間として……やらないほうがよいこと」かといわれるととても違和感があります。実際、上村さんは、件のボクシングの試合を見て感動したことを世間に知られた後も、「人間として……やらないほうがよいこと」を行った人間として現実社会で糾弾されることはなかったわけです。
また、昨年の8月頃は、「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」というブログの「突然」というエントリーがコメントスクラムに襲われました(なお、このときにブログ主についての実名晒しが行われましたが、そのことを非難する声はネット上にほぼ上がっていなかったかと記憶しています。)。これもイデオロギー、政治にかかわる過激な発言を慎むとか、アイドルや熱狂的なファンがいる人に対して不用意な発言をするとか。意味もなく偉そうにするとか、属している組織をバックにして人を見下す
等の要素を含んでいません。コメントスクラムの参加者たちからすると、医療過誤訴訟の原告代理人として医師や病院に対する民事訴訟を提起に関与し、あまつさえ難事件を勝訴に導くというのは「人間として……やらないほうがよいこと」ということだったのかもしれませんが、それは現実社会においては広く共有されていない捉え方です。
また、昨年は、光市母子殺人事件に関連して、上告審以降の弁護活動を擁護しあるいは橋下徹弁護士による懲戒煽動を批判すると(時に人格攻撃を含む)ネガティブコメントがわっと押し寄せるという現象が、特に法律家系ブログによく見られましたが、特定の事件に関する特定の弁護人の活動に対する不当な批判について批判を加え又は当該弁護活動の必要性ないし許容性等について専門家としての知見を自己のブログで開示することというのは、「人間として……やらないほうがよいこと」かといわれるとやはり違和感があります。
結局のところ、ある種の人々、とりわけ匿名で人格攻撃を加えることに倫理的な躊躇を感じない人々から憎悪ないし敵視されている人や組織あるいは行為等をポジティブに評価しまたはそれらに加えられているネガティブな評価に同調しないこともまた「炎上」を招く要素となっていることが経験則上知られているということができそうです。では、それらのことは、「人間として……やらないほうがよいこと」なのかといわれると意義があるといわざるを得ません。むしろ、炎上させることなくブログを開設し維持したかったら人間としての良心の半分を麻痺させろ、といわれているようで、それなりに不愉快ですらあります。
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03/01/2008
はてなの取締役である梅田望夫さんが、佐藤康光棋聖との対談で次のようなことをいっています。
ゲームのルールを勉強しないと。定跡を覚えないといい将棋が指せないのと同じです。それをすっ飛ばすから“炎上”などという事態に陥る。
僕は、ネット上でどう振る舞うと不特定多数とうまくやっていけるのかということを体で分かるようになってきました。ずいぶん時間的な投資をしてきましたからね。だから全然怖くないんです。やってはいけないことが分かっているから。
これは、リアルの世界でも同じですが、やってはいけないことをやると怖いことになる。ブログの上にわっとくる“炎上”というのがあるが、普通にやればそんなことは起きない。
本を読んでそれに対する感想をブログに書いたり、日常生活でこんな楽しいことがあったと書いたりとかしたときに、そんなところに変なことを言ってくる人はいない。
しかし、イデオロギーとか政治にかかわることとか、あるいはアイドルをけなすとかはだめ。
これがはてな株式会社としての公式見解とどう関係するのか分かりませんが、梅田取締役は、「炎上」というのは「炎上」を招いたブログ主が「ルール」に従わなかったことが原因であって、ブログ主の側に問題があると考えているということが分かります。この考え方のもとでは、はてな株式会社は「炎上」を回避するために投資を行う必要がないということになります。
しかも、梅田取締役は、「アイドルをけなすこと」の禁止とパラレルなものとして、「イデオロギーとか政治に関わること」の禁止を、「ルール」として提示します。一般サラリーマン等は実名では政治に関する話がしにくいということを匿名表現を許容すべきとする理由に含める人々がいますが、少なくとも梅田取締役は、「政治にかかわること」は「炎上」を招いても仕方がない「ルール」無視行為と捉えていることになります。
現在のはてなのような、ブログ主を攻撃するコメントを匿名でコメントできるシステムのもとでは却って、政治やイデオロギーにかかわることは語りにくくなることは事実ですが、どうもはてなはそれを肯定的に捉えているらしいということがはっきり分かってきたように思います。
それ以外の部分については、佐藤康光棋聖がネットのことについて梅田取締役につっこみを入れる立場にないことを奇貨として、ずいぶんと無茶なことをいっているなあという感想を持ちました。例えば、
ところが、誹謗(ひぼう)中傷百科事典というのはないんですよ。梅田望夫というのがいますと。ぼくは47年生きてきて、いろいろと恥ずかしいこともしてきたかもしれないが、誰だってそうですよね。しかし、こいつはこんな悪いやつだという誹謗中傷のデータベースを作ろうと言った人はいない。これを集積しましょうとは誰も言わない。言った人がいたとしても、オープンな場所でやろうとは誰もしていない。だから、その一事をもって「人間は素晴らしい」と言うつもりなんかないんだけれど、案外捨てたもんじゃないねと、ネットと関わっていて思うことが多いです。
と梅田取締役は
述べておられるのですが、「誹謗中傷百科事典」がない(あるいはあまり活用されていない)のには別の理由があるのです。「誹謗中傷を行うための場所」として開設された場所で誹謗中傷をしても、ターゲットに与えるダメージが小さくなる(ターゲットがそこを見てくれないと精神的にへこますことができませんし、真実が語られる蓋然性がある程度高い場所に流してこそデマはターゲットの社会的な信用を効果的に貶めることができます。)ので、「誹謗中傷百科事典」は流行らないのです。実際、Wikipediaやはてなキーワードのようなオンライン百科事典がわりに用いられているメディアに、特定の人物の社会的評価を貶めるような記載を書き込むことにより、ターゲットを社会的に追い詰めようという試みは近時頻発しています(梅田取締役も、
もめる大きなところは、イデオロギーとか政治とか人物評価ですよ。
と仰っており、オンライン百科事典がそのように活用されていることは認識されているようですが、彼はそれを克服すべきこととは捉えていないようです。)。
また、
ネットでブログが炎上して、収拾にかなり苦労されている話なんかをよく聞きますけど。時間が大切だということでネットを使う人が多いのに、逆にそれが時間のロスになってしまい、無駄なことをやっているんじゃないかと、そういう気がしちゃうので二の足を踏んでしまっている面がありますね。僕なんかは遅れ気味なのかもしれないけれど。
あと、ネットは匿名がほとんど。しかし、新聞で意見を言うときは実名じゃないですか。ぼくなんかはその方が自然と思うんですけれど。ネットは言いたいことを言いやすいんでしょうか。
との佐藤棋聖の疑問に対し、梅田取締役は答えず、司会が
ネットでは、顔が見えない分、文章からにじみ出す人間性というものがありますね。米長先生が引退を表明したとき、王将戦の挑戦者決定リーグ戦に臨んだ佐藤棋聖が、着物を着てはおりはかまで正座して時間前に待っておられたのを見て、背広で来られた米長先生があわてて、「着物を持ってきてくれ」と言われたといういい話を聞いたことがあります。
と全く関係のない話題に振ることで助け船を出しているところが面白いです。
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25/12/2007
pbhさんの実名晒しはいけないことなのか
というエントリーには、下記のような記載があります。
ましてや「実名主義者が匿名者の実名を晒すのは偉いかも知れないけど、匿名主義者が他の匿名者の実名を晒すのは悪い事」(la_causette: 小谷野さんが実名晒しを行ったからといってそれを実名論と結びつけるのは、実名晒しが匿名至上主義者たちによりなされてきたことを無視した議論ではないでしょうか。)等と言い出す実名主義の人の「実名である事のプライド」は気持ち悪いを通り越して微笑ましい(´ー`)
そして、小谷野さんが実名晒しを行ったからといってそれを実名論と結びつけるのは、実名晒しが匿名至上主義者たちによりなされてきたことを無視した議論ではないでしょうか。
という部分からは、私のブログのエントリーへのリンクが貼られています。
これを普通に読むと、la_causette
というブログの 小谷野さんが実名晒しを行ったからといってそれを実名論と結びつけるのは、実名晒しが匿名至上主義者たちによりなされてきたことを無視した議論ではないでしょうか。
というエントリーには、「実名主義者が匿名者の実名を晒すのは偉いかも知れないけど、匿名主義者が他の匿名者の実名を晒すのは悪い事」という文章が記載されていると認識することでしょう。そして、la_causette
というブログの開設者が私であるということを知っている人が上記エントリーを読めば、私が「実名主義者が匿名者の実名を晒すのは偉いかも知れないけど、匿名主義者が他の匿名者の実名を晒すのは悪い事」とブログで主張しているものと認識することでしょう(リンクが貼られているからといって、リンク先に飛ぶとは限りません。)。
しかし、私はそのようなことは書いていないのであり、pbhさんの上記エントリーは、私について(事実に反した)ネガティブな印象操作を図った悪質なものであるということができます。
なるほど、ネット人格と現実社会での人格とを切り離すことにより、このようなあからさまな印象操作を行う、信用に値しない人物であるという評価を、pbhさんのは現実社会では受けずに済むわけで、何が何でもネットの匿名性を維持しようという理由は納得がいきます。ただ、現実社会での信用を損なうことなくこのような悪質な印象操作を行える状態を維持するということが、日本のネット社会の健全な発展のために必要なのかというと、私は否定的です。
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24/12/2007
Wikipediaやはてなキーワード等のSocial Encyclopediaにおいては、特定の個人なり団体なりを攻撃したりレッテル張りをするために、キーワード設定を行いまたは特定のキーワードについての説明文を編集したりする者こそが、そのEncyclopedia自体の信用性を貶め、または、そのEncyclopediaを凶器に変えてしまう存在です。
どうも日本では、CGMをみると匿名の陰に隠れて実在の他人や集団を攻撃する道具として活用しないと気が済まない人たちが多くて困ってしまいますが、Encyclopediaというのは、特定の個人なり集団に関する悪感情を吐露する場ではないし、特定の個人や集団なりについてのネガティブな印象操作を行い、思想闘争する場でもありません。
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ネット上で特定のハンドル使用者の実名を正当な理由なしに公開することが不法行為にあたるかについては議論のあるところです(神戸地判判時1700号99頁は、特定のハンドル使用者の職業、診療所の住所・電話番号をネット上で公開した点をプライバシー権侵害としている者の、その実名を明らかにした点は、この事件の原告が以前ネット上で自分の実名や妹の実名を使っていたこともあって、プライバシー権による保護の対象から外しています。)。
ただ、いわゆる「実名晒し」が従前匿名者によって担われてきた(「しがない記者」事件の時も
「きんもー☆」事件の時も、彼らの実名を晒したのは匿名者であり、匿名擁護論は、他人の実名その他のプライバシー情報をネットに晒す行為の匿名性をも護れと主張してきたわけです。)ことを無視した議論が小谷野=荻上問題で語られているというのは大いに疑問が生じます。もちろん、実名ブロガーが他人の実名を晒すのは許されないが、匿名者が、時に憎悪の煽動とともに、他人の実名を晒すことは許されるという「実名晒しは匿名者の特権的権利」論を唱道するのであれば矛盾はしていないのかもしれませんが、そのような特権論自体、匿名者のわがままに過ぎないように思います。
ところで、今後、マスメディアが「電車男」や「山野車輪」や「きっこ」の実名を暴いたときに、ネットの人たちはどのような反応をするのでしょうか。
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09/12/2007
壇先生が、IPAの未踏ソフトウェア支援事業に関して、次のように仰っています。
たしかに、未踏ソフトウェアはユニークであるが、このような活動については弁理士だけではなく、弁護士もアドバイザーに加えて欲しい。「口だけ番長」ではなく、ちゃんと手足を動かせる本物の弁護士を。
引用元の有賀さんの文章がまた創造された技術の事業化のため特許の取得方法や会社設立の方法、マーケティングの手法といった点に関して、マーケティングの専門家、弁理士、中小企業診断士などからなるアドバイザーチームが支援策を講じるなどの点もユニークである
というものなので、アドバイザーに弁護士は含まれていないと誤解されてしまうかもしれませんが、未踏ソフトウェア創造事業等に採用された人や企業を対象としてIPAが紹介するアドバイザには弁護士も含まれます。といいますか、私も、そのアドバイザの一員だったりします。
なお、見るからに優秀な人物の多くく外資系に勤めているし、情報処理を学ぶ学生の多くが日本企業よりもgoogleやインテルやMS等への就職を望んでいる
として、その要因は、さすがにWinny事件の影響というより、それらの外資系企業と日本企業との労働環境の違いにあるのではないかとは思います。
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ITMedia等の報道によると、「ケンタッキーフライドチキン」の元アルバイト店員だという男性が、自身のmixi日記上で「店内でゴキブリを揚げた」などと書き、インターネットの掲示板で「気持ち悪い」などと騒動になってい
た件については、本人が、『いたずらで嘘を書いた』と保護者同伴で謝罪に来た
ことで収束しそうです。
ただ、これはたまたま自分のmixi日記上で書き込みがなされたから発言者の特定が可能であり、従って、(書き込んだのが未成年者だったということもあって)早々に本人が嘘を認めることになったからよかったというだけで、例えば、この種の書き込みが「はてなダイアリー」や「はてなキーワード」等でなされた場合、被害企業としては、被疑者不詳のまま刑事告訴し、警察が迅速に動いてくれることを願う以外には手の打ちようがありません。というのも、この種の案件の場合、この書き込みを行った人間を特定して、この者に対し、いつ、どこで、どのようにしてそのような行為を行ったのかを問い正し、その日時に当該店舗で働いていた他の従業員等に当時の状況を確認するなどしなければ、その真否を確認することはできないところ、はてなの場合、書き込みを行った側がその書き込みの真実性について何の説明をしなくとも、書き込まれた事実が虚偽であることの動かぬ証拠を被害者の側が提出しない限り、発信者情報の開示には応じないので、本件のように書込者が特定されない限りその真否を証明し得ない場合には、加害者は野放しとなり、被害者は信用回復の機会を失うからです。
今回被害にあったのはケンタッキーフライドチキンだからこの種の悪質なデマを受けても致命傷にならなかったようですが、被害企業の企業規模等によっては、この種のデマのために倒産に追い込まれることだって十分あり得ます。この場合、はてなキーワード等を読んだ人々が「嘘を嘘と見抜けない」ことによって直接の不利益を被るのは、「嘘を嘘と見抜けな」かった人々ではなく、デマの対象となった企業なのです。「嘘を嘘と見抜けな」かった人々は、「ネットのおかげで悪質な企業を倒産に追い込んだ」として、むしろ主観的にはご満悦でいられるかもしれません。
インターネット上の名誉棄損やわいせつ表現などの違法・有害情報について、業者からの相談を受け付ける窓口を、通信事業者とネット接続業者などの業界団体が設置することを決めた
との報道がありましたが、通信事業者とネット接続業者などの業界団体は、この種の情報が流布されていた場合に、発信者に事情聴取を行い、さらに必要に応じて裏付け資料を提出させるなどして、発言の真実性を積極的に調査する仕組みを作り上げる必要があるのではないかと思います。そうすることにより、インターネットが倒産しなくともよい企業を倒産に追い込む道具に堕することを防ぐことに繋がるのではないでしょうか。
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05/12/2007
朝日新聞の記事によれば、
インターネット上の名誉棄損やわいせつ表現などの違法・有害情報について、業者からの相談を受け付ける窓口を、通信事業者とネット接続業者などの業界団体が設置することを決めた。個別の事例について削除すべきかどうかの判断を業者が迷うことが多いため、窓口で助言する。
とのことですが、具体的な記載内容を把握していながら、削除すべきか否かを自社で判断できないというのは、情報産業を営むものとしていかがなものかという気がします。自社スタッフでは法的知識を欠くので判断できないというのであれば弁護士に判断事務を委託すればよいだけの話です。
個々の事業者単位で見ると判断の迷う事例がごくわずかしかないので、相談窓口を作ってそこで弁護士を雇うことによりスケールメリットを確保したいというのであれば、独禁法上の問題をさておけば、それはそれでありだと思いますが(弁護士だって、同種事件をたくさん受任できる方が、経験値も上がるし、勉強のための時間と費用をかけることもできますから。)、所詮はその程度のお話です。
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02/12/2007
裁判員制度に対する批判のうち、既に参審制が採用されている諸外国においてクリアできている問題について、それらの国の制度や社会環境と日本の制度や社会環境との違いから論理的な道筋をつけることなく、日本の裁判員制度ではクリアすることができないと大騒ぎするものについては、さすがに最近はうんざり気味です。「一般市民から無作為抽選で選ばれた人々が職業裁判官と一緒に刑事被告人を裁く」という制度が世界で初めて日本で導入されるというのであれば、そのような手続きに参加することによる一般市民の経済的ないし心理的な影響がいかなるものになるか全く分からないという恐怖を持つのはある程度理解できるのですが、そのような制度は他の民主主義諸国において少なからず既に導入済みであり、それらの国々においては裁判員制度反対論者が予言するような致命的な弊害は発生していないのですから、特段の事情がない限り、そのような致命的な弊害は発生しないであろうと考えるのが穏当だろうと思います(もちろん、政府としては、反対論者が掲げる問題点につき、参審制が導入されている諸外国においてはどう対処されているかについて、FAQのような形で広報した方がよいとは思いますが。)。
量刑についていえば、裁判員に量刑判断もさせる制度を採用した以上、従前の職業裁判官らによる判断の積み重ねにより形成されてきた「量刑相場」とは異なる量刑が下されるのは当然織り込み済みだというより他ありません。より詳細にいうならば、従前の「量刑相場」が世間の量刑感覚と一致していれば裁判員制度のもとで形成される量刑相場も同じような水準に収束していくでしょうし、従前の「量刑相場」が世間の量刑感覚と乖離していれば、職業裁判官が従前の「量刑相場」に収束させるべく裁判員を強引に誘導しない限り、裁判員制度のもとで形成される量刑相場は世間の量刑感覚と近いところで収束していくだけの話です。それが良いことなのか悪いことなのかは一概には言えませんが、それが許されないというのであれば、裁判員による判断事項を、罪となるべき事実の認定までに限定すればよいだけのことです。
ただ、近年は「世間」の量刑感覚よりも軽い量刑が下されることを目指して弁護活動を行うことが被害者の人権を損なうものであって許されないとする声が非常に高まっているのであり、そうだとすると、弁護人は「世間」の量刑感覚に従わなければいけない注1のに、実際に判決で下される量刑は世間の量刑感覚に従わない方がよいとするのは、むしろ倒錯しているのではないかという気がしてなりません。そういう意味では、光市母子殺人事件について、被告人を死刑に処さないという第1審及び第2審の判断及び被告人が死刑に処せられることを目指して弁護活動を行う弁護人を許せないという人々は、量刑相場を「世間」の量刑感覚に近づけることができる可能性のある裁判員制度が近々導入されることを諸手を挙げて賛同すべきなのではないかと思ったりします。
注1 これに反すると、執拗な嫌がらせを受けたり、場合によっては讀賣テレビの煽動のもと大量の懲戒請求にお付き合いしなければならないなどの制裁を加えられることになる虞があります。
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26/11/2007
結局のところ、日本のブログ環境はekkenさんが望むとおりになってきており、それ故に、面白くなくなってきているというだけの話だと思います。もちろん、ブログから得られる情報の質なり量なりが劣化したとしても、匿名の陰に隠れることによって「無敵」化した自分が特定の人物や組織等を上から目線で攻撃し続けられるということに面白みを感ずる人もいるでしょうし、特定の人物や組織等が人格攻撃等されているのを見ることに面白さを感ずる人もいるでしょうから、万人にとって日本のブログ環境が面白くなくなっているというのは言い過ぎなのでしょう。ただ、そういうことに面白みを感ずる人々に最適化したブログ環境では、需要に厚みはないだろうなとは思います。
日本のブログ事業者がそれでよいというのであれば、それで仕方がない話です。他人の足を引っ張ることばかり熱心な国民を対象としたWeb2.0なんてそんなものかもしれません。「なぜブログはつまらなくなったのか」という問いに対する回答が、「『ブログは、ブログでしかコンテンツを公表できない人々のためのものである』とブログ事業者が位置づけているから」ということになるだけのことです。電子掲示板が辿った衰退への道をブログも辿っていく。それだけのことです。
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25/11/2007
私は、所詮実務法曹なので、他人が英雄的な行動をとってくれることを期待することになれていません。だから、誹謗中傷や嫌がらせが横行している現在の日本のブログ環境に、面白いコンテンツを作成できる人々が次々と新規参入してくれることを期待することができません。本人の資質(耐性)の問題だといわれても、嫌な思いをしてまで、面白いコンテンツを無償で公開してくれることを他人に期待することができないのです。実際、比較的ネット社会に親和性の高い情報ネットワーク法学会の会員たる法律学者・弁護士ですら、新規にブログを立ち上げる人は最近あまり見られません。まして、民事訴訟法学会の会員のブログなんて暗澹たるものです。「高速道路」どころの話ではありません。
批判されることが嫌だってわけではないとは思うのです。公表した自説は他者の論文等に引用されるときにはかなりの確率で批判される、そういう世界に生きているわけですから。だからといって、人格攻撃をされたり、露骨に侮辱されたり、あるいはその名誉を毀損されることまで甘受してもらえるかというと、そういうものでもありません。もちろん、匿名の卑怯者さんたちの顔色を窺いつつブログを運営することは可能だと思いますが*、そこまでしてブログを開設するメリットはないわけです。
* 匿名表現の自由以外の基本的人権を高く評価しないとか、ニュー速+等で叩かれている人物・団体等について肯定的な言及をしない等。光市母子殺人事件に関連して当然のことを述べた法律家系ブログのコメント欄に不快なコメントがわさわさと寄せられたことは記憶に新しいです。
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24/11/2007
昨日行われたRTC Vol.28:『ブログ限界論』は如何だったでしょうか。私は、在日イタリア商工会議所主催のディナー&コンサートにお呼ばれしていたので出席できなかったのですが、日程が重なっていなければ行きたかったところです。
「ブログはつまらなくなったのか」という点についていえば、面白い新規ブログがなかなか現れていない以上、面白いエントリーを作成してきたブロガーが様々な要因によりブログを閉鎖してしまったことにより、総体的にはややつまらなくなったということはいえるでしょう。ほとんどのブログ事業者側がその経営方針として、匿名でネガティブコメントを一斉にわーっと送りつけることによってブログを潰しやすいアーキテクチャーを採用しており、かつ、そのようなネガティブコメントを送りつけるような匿名コメンテーターを全力をあげて守る運営方針を採用している以上、面白いコンテンツを作成できる人が「ブログ」というメディアを選択しなくなるのは当然だというべきでしょう。
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19/11/2007
こういうことは言いたくないけど、実名制を唱える人たちというのはこんな風に「オレの名前にかしこまらない連中が許せん」というのがほとんどなんだよなー。
ということは、匿名の陰から踏み出せない方によってしばしば語られます。
しかしながら、「オレの名前にかしこまらない連中が許せん」という実名制論者を現実に捜し当てることはなかなかに困難です。ネット上での実名制を唱えるような人々は、現実社会において、自分の名前に第三者が畏まるということをそもそも期待していないからです。例えば、カンニングの竹山さんは、実名制のもとでは「カンニングの竹山」という名前に畏まり、誰も竹山さんを批判しなくなることを期待しているのかというと、おそらくそうではないでしょう。実名制が導入されることによりカンニング竹山さんに対する悪口が言いにくくなったとして、それはあるいは悪口が行き過ぎた場合に法的な責任を負わされる危険が高まるからであり、またあるいはネット上でカンニング竹山さんについて悪口を書き続けていることが周囲の人に知られることにより現実社会において「変な人」であるとして白眼視を受ける危険が高まるからでしょう。それって、カンニング竹山さんの「名前にかしこま」ったわけではないですよね。
竹山さんにしても、池田先生にしても、私にしても、自分に対する正当な批判を封殺できるような権力を現実社会でも持っていませんから、ネットの実名制を実現したとしても「圧倒的に有利な立場」になど立ちようがないし、「実社会の「古臭い」階層秩序をネットに持ち込んで甘い汁を吸」うことなんて期待すべくもないことです。
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21/09/2007
最近ネットでは、「素人は黙って引っ込んでいろというのか」云々という言い回しが流行っているようです。これにより、自分の主張を受け入れない専門家は、専門家という地位を笠に着た驕り高ぶった人間であるとのレッテルを貼ろうという魂胆が見え隠れします。
しかし、専門家の具体的な仕事に関しては、顧客等の人生ないし生命等が係っていたりしますので、専門家が素人の無責任な意見など一顧だにしないというのは当然のことだと思います。専門家はそのことに何らの負い目を感ずる必要はありません。「素人は黙って引っ込んでいろというのか」という言い方に対しては、「そうだ」と言ってしまっても構いませんし、「専門家が思わず耳を傾けてしまうような、超一流の素人になってから、そういうことは言ってください」と言ってしまっても構わないのではないかと思います。
また、最近は、刑事弁護人が、被害者遺族や無責任な一般大衆の感情を傷つけるような弁護活動を行うことを問題視するのが流行っているようです。しかし、当事者間対立構造を採用した裁判制度において、一方当事者と利害を共通していたり、一方当事者に強いシンパシーを抱いていたりする人々の無責任でセルフィッシュな願望に反する活動を他方当事者が行うことは当然のことであって、そのことによってそれらの人々の感情を傷つけることがあったとしても、そのことを何ら恥じ入る必要はないと言わざるを得ません。
IT技術の発展による社会のフラット化って、専門家の活動を素人の思いつきレベルに引き下げようという動きではなかったはずなんですが、日本ではどうも誤解されているような気がします。
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28/08/2007
「保険診療なんて安価な診療報酬しか支払わない患者を死に至らしめたとしても、わざとでない限り、如何に そのミスが重大なものであろうとも、一切の責任を負わない」ということでなければ、医師など続けていられないという方々には、「残念ですが、そこまで仰られるのであれば、仕方がありません。どうぞ他の職業でご活躍ください」という他ないというのが正直なところでしょう。如何に医師が少なくなろうとも、「病気を治してくれとはいいませんし、わざとでさえなければ、やっつけ仕事で命を奪っていただいても本望ですので、どうぞ診療して下さいませ」などと患者やその家族が懇願するという事態は、私には想像できません。
そういう意味でも、「医療崩壊だ!」系のコメントスクラムの皆さんは、要求するポイントがかなりずれているように思います。いくら「ストライキ」等の対抗策を講じてみたところで、根幹部分についての譲歩を勝ち取ることは非常に困難なのです。社会が譲歩可能なラインを見定めることなく、ただ「俺たちの言うことを聞かないと困るのはお前らだ」と言ってみたところで、まともに相手にされないという事態を招くだけのことです。
さて、米国の一部の州では医療過誤訴訟改革を行うことにより登録医が増加したとされていますが、それらの医療過誤訴訟改革の中心は「精神的苦痛など非経済的損失に対する賠償金の上限」規制であり、医療過誤訴訟の原則禁止ではありません(ただし、その程度の規制ですら、憲法違反の疑いがあり、カリフォルニア州最高裁は4対3の僅差で合憲としましたが、アラバマ,カンザス等では違憲とされたようです。)。そしてそれは、懲罰的損害賠償制度がない我が国の司法制度のもとでは、そもそも必要がないものです。
米国の様々な州議会がこのような医療過誤訴訟改革に踏み切ったのは、実際に医療過誤保険の保険料が高騰したことが直接の要因です。未だ医療過誤保険の保険料が低額に止まっている現在の日本において「医療崩壊」を食い止めるために医療過誤訴訟改革をせよといっても「時期尚早」との批判は避けがたいところでしょう。まして、保険診療における軽過失免責なんて、これを支える立法事実があるようには見えません。といいますか、今の日本の医療過誤保険の保険料水準であれば、米国の医師からは「地上の楽園」のように思われるかもしれません。
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26/08/2007
「医療崩壊だ!」系コメントスクラムの特徴としては、まず、襲われる側のエントリーには何らの問題がないということがあげられます(もちろん、襲われる側のエントリーには何らの問題もないのにコメントスクラムに襲われる例は他にもたくさんありますが。)。「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」の「突然」というエントリーだって特に内容に問題があるわけでもありませんし(「医療過誤についての無過失保険」にしても、私は医師の方から導入の必要性を訴えられたことがありますので、特にこのブログ主に特殊な見解だということではありませんし、そこで語られている実務的な内容については実態に即したものであるように見えます。私自身は、医療過誤訴訟はアソシエイト時代に1回やったきりですので、詳細は知りませんが。)、言葉遣いも「だ・である」調のものとしては丁寧な部類にはいると思います。
まあ、「とりつく島がない」ということや、あまりの独善を窘められると集団でわっと襲いかかっていくところや、個人に対する人格攻撃を行って反論した気になるあたりは、他のコメントスクラムと似たようなものでしょうか。いやまあ、私の人格を非難することによって私による批判を無効化しようと頑張っている方も何人かおられるようですが、そんなことをしても、「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」の「突然」というエントリーを襲っているコメントスクラムの議論の質が高いことにはならないし、まして、あそこで自称医師の方々がなさっている要求をブログ主さんを含む弁護士が受け入れて、医療過誤訴訟を起こして欲しいと相談に来た方々を「お前は、自分の生活や感情のために日本の医療制度を崩壊させる気か!」といって追い返すようになるとは思えませんし、畏れ多くもお医者様相手に訴訟を提起した弁護士を懲戒しようという機運が弁護士会の中に高まるとも思えませんし、お医者様を「法の支配」の枠外に置くことについて国民的合意が得られることもありそうにありません。
といいますか、弁護士って、不当な圧力を加えられるとより一層闘志が沸くタイプが多いですから、ああやって「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」のコメント欄に襲いかかり、しかもブログ主に対する人格攻撃まで加えることというのは、逆効果にしかならないのではないかという気がします。
なお、「 医療過誤訴訟システムによる医師の経済的負担はどの程度か」というエントリーについて、「ragey」さんという方から、「問題は司法も報道も恣意的なことなのに小倉お得意の論点すり替え。「マチ弁日記」がコメント殺到に遭ったとかって、オマエ数だけ見て中身を読んでねえだろ。」というはてなブックマークコメントを頂きましたが、中身を読ませていただいた上で、「よくもまあ、こんな低レベルのコメントを他人のブログのコメント欄に延々と投稿し続けたものだ」という気になりました。そもそも、「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」の「突然」というエントリーを見る限り、司法や報道の恣意性は問題となっていないように思われます。
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20/08/2007
Beyondさんの「論理」は、一般の方とは異なるようです。
しかし、Googleにもソーシャルブックマークにもノイズをフィルタリングする機能などありません(Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)
を「完全な形で書き換える」とどうして、
しかし、Googleにもソーシャルブックマークにも『集合知的にノイズと判断されるような情報』をフィルタリングする機能などありません(Google の場合、『私(またはグーグル)があまりに酷いと思ったもの』については「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)
となるのか、私には理解ができません。
また、「「集合知の議論」として、あまりに酷い場合のことを聞いていた」とは、いままでのBeyondさんのコメントからは読み取ることができませんでした(後学のため、どの辺の言い回しから、「「集合知の議論」として、あまりに酷い場合のことを聞いていた」というニュアンスを読み取れば良かったのか、教えていただければ幸いです。)
なお、
著作権侵害と「あまりに酷い」は別の概念ですし、公開法廷で公正に行われている裁判と、Googleの非公開審理では、全くの別物でしょう。どう喩えになっているのか、さっぱり分かりません。
とのことですが、「あまりに酷い」の中には著作権侵害も含まれるでしょうし(例えば、新聞記事をそのまま全文コピー&ペーストしてしまうとか)、名誉毀損だってこれが不法行為にあたることはもはやほぼ争いがありませんし、いかなる場合に名誉毀損となるのかについては判例の蓄積がありますから、だいたいのケースについては専門家の間ではコンセンサスが得られます。また、公開の法廷でなされるか社内的な非公開審理でなされるかは手続きの問題であって、その発言が「あまりに酷い」か否かという実態の問題とは関係がありません(多くのISP等は、新聞記事の単なる全文コピー&ペーストについては、少なくとも権利者から削除要請を受けた場合には、公開の法廷での審理を待たずして、これを削除しているはずです。アイコラを含む裸の写真についても同様の措置をしているはずです。Beyondさんとしては、ISP等が主観的に「酷い」と思っただけで、公開の法廷で審理されることなく、被害者からの要請に応じて、裸体写真を削除したり、そのような写真が掲載されているページをインデックスから削除するのは許せないかもしれませんが。)。
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「私の意見の拡布には、民間企業ないし民間人といえども、明確な基準と適正な手続きに基づかない限り、協力しなければならない」と言われても、当の民間企業や民間人はついて行けません。
論理学的には明らかに間違っているBeyondさんのコメントにずいぶんとおつきあいをしてきましたが、Beyondさんは負けを認めたくないばかりに、必死にネガティブコメントを投稿し続けてきたわけで、もうその姿はとても痛々しいし、それにおつきあいするのはとても時間の無駄なのです。
Beyondさんはコメントを未承認とされたことを「検閲」だ云々と文句をつけているようですが、未承認とされたコメントってこれですよ。相手にするだけばかばかしいものではないですか。
小倉さんが、最初に出してきた喩えは、以下のようなものです。
>「あまりにリードが大きい→牽制死する場合がある
> であれば
> 牽制死を既にしたもの→あまりにリードが大きいもの」
>ではありません。
それにたいし、次のように反論しました。
>少なくとも「リード」がある事実に変わりありません。
そうしたところ、新たに著作権違反の喩えを持ち出されたのですが、牽制死の喩えは適切だったのですか?不適切だったのですか?
著作権の喩えと牽制死の喩えは、同種のものなのでしょうか?
喩えでしか説明できないことが、すなわち、グーグル八分について良く分からず話していることの証拠でしょう。
「『リード』がある事実に変わりはありません」が反論になっていると思っていること自体が不思議です(「あまりにリードが大きいと牽制死する場合がある」と「リードをすると牽制死する場合がある」とは全く別次元の問題です。「スピードを出しすぎると交通事故を起こす場合がある」と「スピードを出すと交通事故を起こす場合がある」とが全く別次元であるのと同様です。)。
また、既存の具体例(比喩ではありません)では理解できない方がいるので別の例を出してあげただけなのに、「喩えでしか説明できないことが、すなわち、グーグル八分について良く分からず話していることの証拠でしょう。」といわれてもなあとしかいいようがありません。
しかもこの部分は、
小倉さんが言っているのは、包含関係がおかしいですね。
あまりに酷いもの⇒「Google八分」をしてくれる場合があります
であれば、
「Google八分」を既にされているもの⇒あまりに酷いもの
ですね。
これが誤読とおっしゃるのでしたら、元々の表現の仕方について、弁護士(表現者の中でも一般的に責任あるとされる表現者という意味)としてのモラルに欠けますねという主張です。
という部分に関する反論ですので、もともと論理の問題なので、他のわかりやすい具体例を出して論理展開の間違いを示すというのは当然のことなのです(Beyondさんは「文脈依存」という訳のわからない言葉を用いて論理の間違いを誤魔化そうとするわけですが。)。
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19/08/2007
Beyondさんは、
そこで、
「あまりに酷いものについてはGoogle八分をしてくれる場合があります」とのことですが、私は、そのような例を知りません。小倉さんは、そのような例をご存知なのですか?
とコメントしたところ、コメントは消された上、
と述べています。Google八分に関するBeyondさんのコメントはあまりに痛々しいので全てを承認しているわけではないのですが、一度掲載したものを削除はしていないです。
Beyondさんの頭の中にあるGoogle社というのは、「全然酷くないものについてGoogle八分をするのに、あまりに酷いものについてはGoogle八分に頑として応じない」存在のようなのですが、まあ、常識的に考えてそういうことはないわけです。
実際、私は業務の一環として、「酷い誹謗中傷がネット上に書き込まれており、これを削除させるまでには相応の時間がかかりそうだ」という場合には、応急措置として、当該ウェブページの検索エンジン用データベースからの削除をGoogle社に要請してきましたし、Google社もこれに応じてくださっています。「Google八分」された発言がどのような内容のものであったのかについて具体的に触れるのは守秘義務との関係で問題が生じますし、そもそもそれを具体的に示すことはGoogle八分までしてもらって当該内容を一般の方の目に触れないようにしてもらった趣旨に反しますのでいたしませんが、実際問題として、「あまりに酷いものについてはGoogle八分をしてくれる場合はあるのです。
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18/08/2007
「「Googleやソーシャルブックマークを使えばいいのだ」と無責任に言い放たれても…」というエントリーについて、Beyondさんから執拗なコメントの投稿を受けています。
「Aという属性を有するBは、Cとなる場合がある」という命題(以下、「命題甲」といいます。)は、「CとなったBは、Aという属性を有している」という命題を導きません。命題甲は、Cという結果をもたらす要因を「BがAという属性を有すること」に限定していないからです。同様に、「Aという属性を有しないBについてCとなった例がある」という事実は、命題甲に対する反証にはなりません。
Beyondさんは、
これが誤読とおっしゃるのでしたら、元々の表現の仕方について、弁護士(表現者の中でも一般的に責任あるとされる表現者という意味)としてのモラルに欠けますねという主張です。
と仰っているのですが、上記の程度のことを理解できない人に誤解されたからとって「モラルに欠ける」といわれても困ってしまいます。
Beyondさんの要請に従うとなると、
他人の著作権を侵害した場合には、10年以下の懲役刑が科せられる可能性がある。
との表現はモラルに欠けるということになってしまいそうです。
他人の著作権を侵害した場合には、10年以下の懲役刑が科せられる可能性がある。但し、10年以下の懲役が科せられるのは他人の著作権を侵害した場合に限られないので、10年以下の懲役が科せられたからと言って必ずしもその者が他人の著作権を侵害したとは限らない。その辺を誤解しないように!
とまで説明しないと、Beyondさんから「モラルに欠ける」と言われてしまいそうです。
Beyondさんから見て「モラルの欠ける」といわれない弁護士ブロガーのエントリーというのは、非常にまどろっこしいものになりそうです。
【追記】
元エントリーは、
松岡さんは、
小倉さんの持論通り、ノイズは一定レベルで存在する。ではどうすればいいのか? 先に書いたように、Googleやソーシャルブックマークを使えばいいのだ。そうすればノイズをフィルタリングしながら、質的にも総体として一定水準をクリアできる。
と仰っています。しかし、Googleにもソーシャルブックマークにもノイズをフィルタリングする機能などありません(Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)
というものだったわけで、そこに、Beyondさんから、
>あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。
東京都選挙管理委員会のウェブサイトは、「あまりに酷いもの」なのですか!?
現実を何も知らないくせに、知ったかぶりで現象を語るのは、世間的に識者とされる職業についている者として恥ずかしくないのでしょうか?
というコメントが投稿されたわけで、「文脈」という点を重視するならば、Beyondさんのコメントは元エントリーの文脈を全く無視したものだと言うことができます。
その後、
あまりに酷いもの⇒「Google八分」をしてくれる場合があります
であれば、
「Google八分」を既にされているもの⇒あまりに酷いもの
ですね。
という文脈関係なし、かつ、論理的にも間違っているコメントを投稿してきたのもBeyondさんですし。
といいますか、「Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合があります 」という命題が偽であるということは「Googleの場合、あまりに酷いものについても「Google八分」をしてくれる場合はない 」ということになりますから、「東京都選挙管理委員会 のウェブサイトは酷くないのにGoogle八分された」との主張は、「Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合があります 」という命題への反論になっていないのです。その程度の論理って、「テクニック」というほどのものではなく、高校卒業程度の国語力があればわかる話だと思うのです。
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13/08/2007
梅田望夫さんが次のように述べています。
「学習の高速道路」を構築するためのインフラはもうすべて用意されている。あとは日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである。
しかし、梅田さんが取締役を務める「株式会社はてな」を含めて、「匿名性を保てれば何をやってもよく、実名がばれたら何をされても何もできない」雰囲気注1を醸成しておきながら、「あとは日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである」みたいなことを言われても、とても無責任な感じがします。
「学習の高速道路」を構築したいのであれば、「大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織」が、不特定人から執拗に誹謗中傷されることを幸せに感ずる倒錯した人格の持主でなくとも安心して、その有する「知」をネットを通じて公衆に提供できる「インフラ」を用意すべきなのではないかと私などは思ってしまいます。
もっとも、一連の「匿名・実名」論争での「何が何でも匿名」派の方々のご意見を伺っている限り、彼らは、そのような「学習の高速道路」なんてものをネットに望んでいなくて、ただただ井戸端会議の延長としてネットを使っていたいだけのように見えます。現在の「はてな」自身、そういう成長することを諦めた人に使いやすいサービスを目指しているように思われてならないのですが。
注1
実名を知られたからといって、ネット上で誹謗中傷されたり、気持ちの悪い人達に粘着されたり、せいぜい自宅付近の写真を撮られてアップロードされるとか、電凸を受ける程度の話でしかないのですが、「知の最高峰に位置する人々や組織」にこれらの「不快な出来事」に対処することにエネルギーを消費させるのは、私は気が引けてしまいます。
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11/08/2007
「集合知の価値を維持するのは大変だ」というエントリーに対して、松岡美樹さんからご反論を頂きました
松岡さんは、
小倉さんの持論通り、ノイズは一定レベルで存在する。ではどうすればいいのか? 先に書いたように、Googleやソーシャルブックマークを使えばいいのだ。そうすればノイズをフィルタリングしながら、質的にも総体として一定水準をクリアできる。
と仰っています。しかし、Googleにもソーシャルブックマークにもノイズをフィルタリングする機能などありません(Googleの場合、あまりに酷いものについては「Google八分」をしてくれる場合がありますが。)。Amazonレビュー等のレイティングシステムでもそうですが、大衆による評価等によりノイズを制御しようとするシステムは、特定のターゲットを貶めるためにタッグを組む人たちの前にはあまりに無力です。
また、有益な情報をWebから排除してしまって、匿名で他人を批判ないし中傷することによって偉くなった気になっているだけの下らないコンテンツばかりがWeb空間に氾濫した場合、Googleやソーシャルブックマークがどんなアルゴリズムをはき出そうと、集合「知」といえるものはそこには存在しなくなります。ノイズしか残らない環境で、ノイズに順位をつけても何の役にも立たないのです。
だから、読み手に優しい(ことを指向する)集合知系のサイトは、サイト管理者サイドで、積極的にノイズを除去する方策を講じますし、デマや誹謗中傷等のノイズには厳しい姿勢をとったりします。例えば、Wikipediaも、編集合戦が起こってしまった場合には「保護」措置を講じたりします。また、レイティングシステムを採用しているサイトでも、ノイズ的なレイティングをなるべく反映させないようにアルゴリズムを工夫しているところはあります。
だからといって集合知なんかダメだ、使えない、ってことにはならない。くれぐれもそのテの極論の愚には陥らないようにしたいものである。
とのことですが、前回の私のエントリーが松岡さんにはそのように読めたとすれば、松岡さんからその種の誤解を受けないような表現が果たして可能なのか、途方に暮れてしまいます。
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09/08/2007
Yahoo!基金がNPO(非営利団体)などに対して資金助成を行う「NPO助成プログラム」の募集受付が今年も始まったようです。
「インターネット社会の健全で安全で豊かな発展」に貢献しようという団体の関係者は、トライしてみては如何でしょうか。
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05/08/2007
前回のエントリーに対し、yellowbellさんから「集合知は作り上げる側でなく利用する側にこそ、能力が求められている。だからこそのリテラシーだろう。」とのはてなブックマークコメントをつけられました。
しかし、読み手に高度のリタラシーを求めるメディアというのは、情報サービスとしての価値が低いといわざるを得ません。「嘘を嘘と見抜けなくとも構わない」場面でしか使い道がないとしか言いようがないです。
また、読み手に高度のリタラシーを求めることをもって弊害への対処とする手法は、実際にそのような高度のリタラシーを有しない読み手が存在する現状においては、対処法として不十分であると言うことができます。例えば、学校裏サイトで酷いデマを流された学生に、「リタラシーの高い読み手は、『嘘を嘘と見抜いている』から、気にしなくとも良い」と言ってみても何の慰めにもなっていないし、2ちゃんねるで「スーパーフリーのメンバーだった」とのデマをまことしやかに流されて退職に追い込まれた男性に、「ネットリタラシーの低い元勤務先が悪いのであって、2ちゃんねるは全然悪くない」といっても、何の意味もないことでしょう。
といいますか、読み手に「信用するな」と求めることでしかそのもたらす弊害に対処できない情報サービスに存在する意味があるのかという疑問がそもそも生じてしまいます。
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04/08/2007
松岡美樹さんは、「インターネットの「リアル世界化」は正解か?」というエントリーにおいて、
インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。
と述べています。
しかし、集合知が価値を持つためには、意見を発する「衆」の側に一定の能力と誠実さがあることが求められます。「おふざけ」を含めた邪な気持ちで発信される情報の割合が増えれば、集合知の価値はどんどん下落していきます。
前者についていえば、日本国憲法も採用している間接民主主義自体がこれを前提としています。つまり、一般大衆は、個々の法案についての当否を判断する能力は欠けるが、誰を代表に選んだらよいかを判断する能力は十分にあるという前提のもと、国民の主権の現実の発露を議員や首長等の代表者の選任等に制限しています(憲法を改正する場合は別ですが。)。なお、一般大衆にも個々の法案の当否を判断する能力が十分にあるのだと考えられている国や地域では、一定の条件の下で、法律の制定・改廃等について国民投票制度が設けられることになります。
後者については、例えばWikipediaですら、特定の人物に悪意を持つ者により執拗な「編集」が行われると、その内容は途端に実態を乖離したものとなります。Amazonのレビューでも、特定の人物に悪意を持った人々がその人物の著書について軒並み最低の評価点をつけることにより、その著書のレビューポイントを落とすことができます。
そういう意味で、単純に「集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す」と言ってしまっている松岡さんの「集合知」に対する理解には疑問を挟まざるを得ません。
さらにいえば、匿名さんは何をしても無責任でいられる環境では、匿名さんたちのお気に召さないであろう発言は回避されがちになり、結局、意見の多様性は奪われていきます。実際、匿名さんに牛耳られている場所では、匿名さんたちから「空気を読む」ことを強要されることもあって、しばしば、既存メディア以上に意見の多様性に乏しかったりします。
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28/07/2007
韓国の実名登録制度はまだ施行されたばかりですので、どこまで効果があるのかはわかりません。結局のところ、この制度が成功するかどうかは、実際にネット上で他者にハラスメントを加えて人々が、この制度を介して、どの程度法的又は社会的責任を負わされるのかに係ってくるので、韓国国内での運用次第という側面が多分にあります。
韓国の制度は、「実名登録制」であって、「実名表示制」ではないので、「そのようなハラスメントを他人に加えているのが自分であることを現実社会の知人(家族を含む。)に知られたら恥ずかしい」ということは抑止力にならない可能性があります。そうなると、「ネットを通じて他人にハラスメントを行うと民事又は刑事上の責任を負わされる危険がある」ということだけが抑止力になります。その点では、私が提唱させていただいている共通ID制と同様の面があるので、韓国の制度の運用実態については要注目ということになります。
これでネットを「他人にハラスメントを加えてストレスを発散する手段」だとする方々や、「気に入らない意見に対しては執拗にハラスメントを加えて押すつぶしてしまえばいい」とする方々が激減していけば、「実名表示制」までは必要ではない(実名登録制まで実現すれば足りる。)とする見解が有力になるでしょうし、実名登録制の下でも実際に法的責任を負わされる確率は低いとして上記ハラスメントがほとんど収まらなければ、「実名表示制」の導入により「そのようなハラスメントを行っているのが自分であることを知られたら恥ずかしい」ということの抑止力を活用していかなければならないでしょう(この抑止力がそれなりに大きそうだと考えるのは、愛国者ぶって周辺諸国や国内マイノリティ等への憎悪を唱道しているような「少なくとも口だけはマッチョ」な方々が、勧告に従わなかった者に対して氏名等の公表をするくらいしか強制力を持たない人権擁護法案なんてものに慌てふためいていたこと等の事実があるからです。)。
現実社会では必ずしも名札をつけて歩いているわけではないではないかとの批判もあるようですが、不特定人に対して情報を発信するということ自体他人の人格を傷つける相当の危険性を定型的に有しているわけですから、単に街を歩いているのと同格に扱うというわけにもいかないように思います。現実社会でも、違法行為が行われる蓋然性の高さと行われた場合の被害の大きさとを総合的に勘案した上で、特定の行為を行い又は特定の場所に来場する者について身元確認を厳格に行い、かつ、身元確認証の形態を義務づける例というのは少なからずあるのであり(例えば、普通乗用車の運転等)、インターネットで情報発信を行うにあたって同様の身元確認を行うとしてもそれはそれほど不思議なことではありません。
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松岡美樹さんは、
インターネットは有名・無名にかかわらず、ネットユーザの創造性を育ててきたクリエイティブな世界である。なのに前述の通り小倉さんによる実名の定義では、どんなに才能があろうが実名でなければその人の能力は認められない。とすれば小倉さんの主張は、インターネットの根幹にかかわる問題といえるだろう。
と仰っています。
「実名/匿名」という対比と「有名/無名」という対比とを敢えて混同させて印象操作を図るあたりは、さすがはプロのジャーナリストです。また、
とすれば小倉さん的な実名主義に立てば、ekkenさんが何を書こうがその意見は存在しないことになる。
とも仰っているわけですが、やはりプロのジャーナリストは相手の見解を歪めて纏めるのがお上手だなあと感心させられます。普通に考えれば、匿名による発言だからといってそれが存在しないことにはならないからこそ、匿名による誹謗中傷やデマの流布等を問題視していることはわかるわけですが、論理飛躍を計画的に行うというのはこういうことなのでしょうか。「匿名によるネガティブコメントはスルーすべき」という見解の方が、「匿名の意見は存在しないことにすればいいではないか」という考え方を包含しているように思っていたのですが。
また、松岡さんは、
「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況を作り出すネガティブコメントは、「正当な批判」とは言えなくなっていくということです。
という私の発言について、
前回、私が書いたエントリ『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』でも指摘したが、小倉さんお得意の極論である。
との印象操作を一つ加えた上で(といいますか、松岡さんは「極論」という言葉の意味をわかっておられるのでしょうか。)、
まず第一にこの定義は、書き込みの内容が正当でも「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」というご都合主義とどうちがうのか?
と仰っています。「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況が作り出されているが故にブログ主が質問に回答したり質問に答えないということと、単に「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」ということとの違いがわからない方がいるというのは新たな発見です。例えば、「コメントの数があまりに大量なのでブログ主がこれに回答しきれなくて回答しない」ということと「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」ということとの間には大きな違いがあると思うのですが、そうは考えない人が本当にいるとすれば、大量のネガティブコメントを送りつけることによってブログ主が物理的に対処できない状態にすることには非常に意味があるということになります。松岡さんはその後で「 もうひとつ感じる疑問は、「これは要するに小倉さんご自身が、書き込まれた反論にいちいち反駁しないと気がすまない性分だからそう言ってるだけなんじゃないか?」という点だ。」とも仰るのですが、いちいち反駁しないと松岡さんのような方に「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」というご都合主義と判断されてしまうので、なかなか「スルー」するのもリスクが高そうです。また、
しかもこれはインターネットの構造的な特徴だから、仮に小倉さんが唱える実名制度を採用したとしても避けられるわけじゃない。もし短時間で大量に、内容が正当な実名の反論コメントがきたらどうするのか? 結局、実名制度は解にならないのだ。
という極論で対処しようとされるのですが、上記の意味で正当ではない批判を実名で行うのは行う本人もレピュテーションリスクが高まりますから、短時間で大量のネガティブコメントを特定のブログに投稿するということは、実名制のもとでは、相当程度減少することが予想されます。「100%の効果がなければ何ら対策はしない」という考え方を、一般社会は採用していないのです。
また、
第二に、元記事がまちがってるとまではいえなくても、論理的に矛盾していたりする場合はどうか? で、その矛盾を指摘する正当なコメントが書き込まれたら?
とのことですが、「論理矛盾」も「間違っている」に含めて読んでいただいて結構です。
結局、
結局、小倉さんがおっしゃることは、「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」というのとどうちがうのか? だんだんワケがわからなくなってくる。
と松岡さんは仰るのですが、それは単に松岡さんが、「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況が作り出されているが故にブログ主が質問に回答したり質問に答えないということと、単に「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」ということとの違いがわからない方だからではないかと思うのです。
最後に、
また仮にシステム的・技術的な対策があったとしても、それはインターネットの(責任ある)自由と創造性を損なう可能性はないだろうか?
本来なら個のモラルに帰すべき問題に対し、システムや技術が必要以上に介入する危険性はないのか?
との松岡さんのご見解ですが、「個のモラル」ではどうしようもない現状があるからこそシステムや技術による介入が要求されるのです。もちろん、松岡さんが、個のモラルに訴えることによって、匿名さんによる不当な個人攻撃等が際だって減少していけば、ネットにおける匿名を問題視する見解というのは自ずと下火になっていくと思いますので、是非ともがんばってください。
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24/07/2007
昨日のエントリーに対するはてなブックマークコメントを見ていると、匿名さんたちは、自分たちが言論を弾圧する側に回ってしまっていることを認めたがらないようです(本当に気付いていないかもしれませんが)。しかし、「匿名であれば何をしても責任をとらなくても良い」システムにおいて、匿名さんが「自分の気に入らないことをしたりいったりする人々に対しては、相手が自分たちに屈するまで、誹謗中傷や悪質なデマの流布を繰り返す」ということを行っている現状では、誹謗中傷や悪質なデマを流布される等の私的制裁を受けてでも言うべきことは言わなければいけない、なすべきことはなさなければいけないという覚悟がなければ、匿名さんたちを刺激するようなことは言えないし、できないという雰囲気が醸成されます。「匿名批判」や「匿名言論の終焉」というのもまさに、「匿名さんに攻撃されることが予想できるので怖くて言い出せないこと」の一つです。
毎日新聞の岩佐記者は次のように述べています。
連載への読者の反響は今も続いている。匿名による情報発信をめぐり、賛否がはっきりと分かれる。取材班は連載に合わせて専用のブログを開設したが、誰でも見られるその書き込み欄には2chを擁護し、記事を批判する内容が圧倒的に多い。一方、取材班に直接送られたメールや手紙は逆に2ch批判が7割を占める。
メールには「2chをブログに否定的に書くと攻撃される」「2ちゃんねらー(2ch利用者)から袋だたきに遭うので内容は公開しないでほしい」という意見が目立つ。ここにも匿名社会のゆがみが見える。
このように、現状は、「匿名による言葉の暴力」に多くの人が嫌悪感を感じながら、そのことを表では怖くて言い出せない状態にあるということができるでしょう。私も、現実社会や電子メール等では、励ましの言葉を頂くことが多いです。匿名の暴力に対して社会全体がもううんざりしていることは、思想の左右を問わず、朝日新聞から、日経新聞、NHK、読売新聞まで、マスメディアが、これを批判的に捉える特集を組んでいることからも明らかです。毎日新聞のように比較的ネットに好意的だったところまで、ネットの匿名社会を批判的に取り上げていることは非常に象徴的です。
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23/07/2007
ある種の「既得権」が社会に無視できないほどの害悪を与えている場合、私たちはこの「既得権」とどこかで対峙せざるを得ません。この場合、この「既得権」の上に胡座をかいている人々からの猛反発を受けることは避けられません。また、その「既得権」のもたらす害悪が未だ大きい場合、その「既得権」に嫌気を指している人々の多くは、これを打破しようという動きが相当程度盛り上がるまでは、「既得権」者たちによる弾圧を恐れるがあまり、その「既得権」がもたらす害悪について口を閉ざし、「既得権」に対し反旗を翻す人間に対しても冷酷に振る舞わざるを得なくなりがちです。
日本のネット社会では、「匿名の陰に隠れて誹謗中傷を執拗に行う」という既得権が無視できないほどの害悪を与えていますから、私たちは、いずれ、これと対峙せざるを得ないのですが、これに対峙しようとすると、この「既得権」の上に胡座をかいている人々からの猛反発を受けることになります。
だから、松岡さんから、
ちなみに小倉さんが私の記事を論評した上記エントリに寄せられたブクマコメントを見れば、小倉さんの記事が第三者にどう見えるかが一目瞭然だ。
だれも小倉さんに同意してないのがすごい(7/22現在)。
といわれても、「だから、何?」という気にしかなりません。今の北朝鮮で単身金正日による独裁体制を打破せよと訴えても、これに賛同する声は表では聴くことはできず、却ってそのような主張をする人間を罵る声で溢れるとは思いますが、おそらくそれは北朝鮮の大衆の真の声ではない。それと同じようなものです。
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ekkenさんは次のように述べています。
実名や住所、勤務先などの個人情報を「発言の責任を求めるため」にわざわざネット上に公開しないことで解決だよね。
オフラインで身体的・精神的・経済的な被害に遭わないためにも個人情報を自らばら撒くような、小倉弁護士の実名主義はめちゃくちゃ危険だ、ということ。
しかし、ネット上に実名を表示しなければネット上で誹謗中傷されたり悪質なデマをばらまかれたりしないで済むわけではないので、実名や住所、勤務先などの個人情報をネット上に公開しないことでは、何も解決しないように思われます。というのも、普通に社会生活を送っていれば第三者に実名や住所、勤務先等の個人情報を知られる機会はたくさんあるからです。仮に、「まともな神経の持ち主」が日本のネット環境を見捨てて誰も実名で有意義な情報発信をネットでは行わなくなったとしても、ネット外で知った第三者の実名等の個人情報を利用して誹謗中傷したり悪質なデマをばらまいたりすれば従前通りのストレスの発散や言論弾圧を行うことができるので、さほど意味がないということが言えます(実際、米国の「cyberbully」にせよ韓国の「悪ブル」にしても、被害者は必ずしも「ネット上に自ら積極的に実名等を掲載した者」ではありません。でも、自殺にまで追い込まれてしまいます。もちろん、「どんなに執拗なハラスメントを受けようとも、スルーできなかった被害者がいけないのであって、加害者は悪くないし、加害行為を取り締まるなどもってのほか」といいたいのでしょうけど。)。やはり、ネット上で誹謗中傷や悪質なデマの流布を行うことのリスクを高める方向でしか、何も解決には向かいません。
いずれにせよ、「実名で情報発信した以上何をされても仕方がない、嫌がらせ等をされたくなければ匿名の殻の中に籠もっていろ」みたいなルールをネット上に押し付けるとなると、ネットでの情報発信をきっかけに社会的な評価を急上昇させる若者の出現を抑制することができるから、若者に追い抜かされることを怖れる若くない人達には有利かも知れないですね。実際、「実名を知られたら一巻の終わり」的なNOVさん的世界では、「個」と結びつきかねないような情報を開示することは絶対に避けないといけないわけですから、自分が比較優位に立つ部分は決してネットに持ち込んではいけないわけで、結局そういう世界で情報発信を楽しもうと思ったら、どうしても他者に対する批判、非難、誹謗、中傷等に収斂しがちです。
このあたりは、日本のネット右翼さんたちが自己の愛国者ぶりを誇示するにあたって、「私は、国家のため、あるいは地域社会のために、こんなに役に立つことをした」ということを示すのではなく(そんなことをしたら、個人として特定されかねません。)、国内のマイノリティや周辺国家、あるいはそれらの味方として彼らに記号化されている存在をあしざまに罵り、または彼らに対する制裁を声高に叫ぶこと(これなら、個人として特定され得ません。)に終始していることにも繋がってくるのかも知れません。個人として把握されないためには、役立たずでいることが一番ですから。
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NOV1975さんが「初心者が実名でブログを書くならば」とのエントリーをアップロードされています。
「少なくとも現状でこれらの制約の元、実名で始められるブログというものは一体なんでしょうか。」といわれても、その「制約」なるものがかなり被害妄想的、といいますかかなり確度の低い危険をあげつらっているように見えますので、結論としては現実離れをしたものとなっています。もちろん、匿名の陰から一歩踏み出せない、勇気のない方々にとっては、匿名の陰から一歩も踏み出せない自分を正当化してくれる言説なので、はてなブックコメント等でも賞賛のコメントが集まっていますが、では実際に実名でブログを開設している人々がそのような危険に日々さらされているのかというと、そんなことはありません。実名を明らかにしながら様々に論議を呼ぶエントリーを次々アップロードしていた女子大生のはあちゅうさんですら現実社会ではなんということもなかったのであり、まして普通のお兄さん、おじさんたちならなおさらです。「特に、小さなお子さんがいるご家庭では、実名でブログを書き、そこに子供のことを書くことは致命的な失敗になりかねません。」といわれても、私たちは、小さな子供がいる場合にそのことをひた隠しにする文化を有しておらず、それてでいて誘拐事件の発生件数は非常に少ないのです。また、「例えば、グルメブログなど非常に危険です。自らの絶対の感性の元と言ったって味覚は人によって違いますから、まずいなんていったら訴えられるかも知れません。」といわれても、もともと料理評論家等は従前より実名・顔出しが一般的だったのであり、だからといってまずいと感じたことを正直にメディアに書いたからと言って訴訟になった例は日本ではなかったのではないかと思います。匿名ならば、料理そっちのけで料理人ないし経営者自体を誹謗中傷することもできるし、出される料理の内容について根拠のないデマを流すことも可能です(ライバル店関係者にとってはとても重要です。)。そういうことをしても訴えられないようにしようと思ったら、トレーサビリティの極めて低い匿名を活用する必要があることは事実ですけど。
実名ブロガーを攻撃するのは、主として匿名ブロガー・コメンテーターさんたちであって、その攻撃手法は主として匿名の陰に隠れての誹謗中傷・デマの流布、ときおり電凸といったところです。電凸にしても、電凸の結果を匿名の陰に隠れてアップロードする機会を押さえてしまえば、電凸対象をみんなで馬鹿にしてルサンチマンを解消することがしにくくなりますから、無礼な電凸は減少することが予想されます。ネットでの誹謗中傷を封じたらもっと物理的な危害を加えるようになるかもしれないと心配する方もいるようですが、そんな勇気は彼らにはないように思います。
また、初心者がブログを匿名で開設しつつ自制心を保つ方法について論じられていないのは残念です。
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22/07/2007
松岡美樹さんが反論のエントリーを掲載したようです。
なんでも、
えっと、私が書いた上記の記事のいったいどこらへんに、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」なんて意味の記述があるんでしょうか? 小倉さんにはぜひ具体的に指摘していただきたいものである。
とのことです。
ただ、「小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ」という記事の中で、
また小倉さんはリアルの世界における例をあげて反駁している。だがこの論争は現実世界のそれではなく、あくまでネット上における暴言被害の話だ。
そもそもスルー力はネット特有のコミュニケーション術であり、スルーが有効なのもネット限定の話だろう。なのにリアルの世界におけるいじめと関連付けては議論がそれてしまう。
としており、さらに、
インターネットを使ったコミュニケーションでは、スルーすれば自分が傷つかなくてすむケースや、逆にカッカして相手を攻撃してしまうのを防げる例は多い。
としています。
ここからは、松岡さんは、ネットでの暴言被害を現実世界での暴言被害と区別していること、並びに、(現実世界でなされたとすればスルーしても自分が傷つかざるを得ないものであっても)ネットでの暴言被害についてはスルーすれば自分が傷つかなくてすむと考えていることが読み取れます。確かに、「すべてのネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」とまでは言っていないのかもしれませんですが、ネットでのいじめや嫌がらせが被害者に与える被害について現実世界でのいじめや嫌がらせが与える被害よりは大したことがないと松岡さんが考えていると読み取っても誤読とは言えないでしょう。
さらに松岡さんは、
逆に攻撃された側(または攻撃と“感じた”側)は、極端なネガティブ思考に陥りやすい。しかもその否定的な思考は瞬間的に、かつ激情を伴って湧き上がることが多い。だから「それがはたして攻撃なのか、そうじゃないのか?」、あるいは「自分のことを指しているのか、ちがうのか?」を、反芻して考える心理的余裕がなくなる。
で、実際には事実関係を確認しようとする指摘にすぎないのに、攻撃されたと感じてしまう。あるいは、相手は異論を述べて正当な議論をしようとしているだけなのに、自分は非難されたと誤認してしまう。
さらには自分のことじゃないのに「これは私を非難してるにちがいない」「あの人は私が嫌いなんだ」などと、勘ちがいに基づくオーバーリアクションをしてしまいがちだ。
等として、ネット上での暴言被害と被害者側が感じるのは単なる被害者側の過剰反応に過ぎないかのように印象操作をしています。実際には殆どの場合は、攻撃を受けているブログ主は非常に誠実にコメントに対処したり、じっと我慢したりしているわけです。例えば、大黒摩季さんのブログが炎上した際には、初期段階から、「あなたはのうのうとこれからも生きていくのでしょうね。」、「まさに外道」「人殺し/一生恨むから」「んで、腹黒摩季さんは/いつ自殺するの?」などのコメントが投稿されていますが、一晩寝かそうと何しようと、「相手は異論を述べて正当な議論をしようとしているだけ」とは考えられないでしょう、普通の神経なら。で、放置しておくと、図に乗ってどんどん誹謗中傷する人間が集まってくる(又は同じ人間がさらに誹謗中傷をエスカレートさせていく。)ことが予想されるわけです。「それでも、一晩寝かせなさい。」ですって!!これ以上被害者を非難してどうしようというのだというのが正直な感想です。
あの記事は、特定のブログをつぶしてやろうという勢力が、コメント欄で誹謗中傷発言を執拗に投稿することをブログ主から抗議されたら、「自分たちは事実関係を確認しようとしているに過ぎない」あるいは「自分たちは異論を述べて正当な議論をしようとしているだけ」なのに何を「勘ちがいに基づくオーバーリアクションをして」いるのだと逆に開き直るきっかけを与えたわけです(今後、いろいろなケースで攻撃者が開き直る際にリンクされる可能性がありますね。)。したがって、ネット上での暴言被害は見過ごすことができないと考えている編集者からの仕事が減るのはそれこそ自己責任だし、他方で、ネット上は無法地帯でいいではないかと考えている編集者からはより一層仕事が増える可能性もあるわけです。といいますか、松岡さんは、その覚悟もなしに、あの記事をASCIIの編集部に送ったのでしょうか。
っていいますか、松岡さん自身が、自分が批判されたとなると、全然スルーできていないではないかという気がしないでもありません。
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これからブログを開設しようという人に対しては、私はむしろ最初から実名で始めることを勧めます。それは主に二つの理由からです。
一つは、せっかく貴重な時間を使って才能を生かしてエントリーを公表したのであれば、そのことによる社会的評価の向上や人脈の豊饒化等の現実社会でのメリットを享受してもらいたいからです。ブログを開設する以上、質の高いものを目指して欲しいです。
もう一つは、「匿名」の魔力に魅入られて他人を誹謗中傷する人になってもらいたくないからです。被害者になることより、加害者になることを恐れて欲しいからです。もちろん、匿名環境でも自制心を失わないブロガーもおられますが、しかしながら、自制心を失い、現実社会では決して行わないであろう言動を繰り広げている残念な匿名ブロガーさんを私たちは沢山見ています。
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確かに、まともな神経の持ち主はブログなんか開設しないということにすれば、コメントスクラムにより精神を傷つけられることはなくなるでしょう。ただし、「サイバーいじめ」でよく行われているような、誰かが自分の名前を騙って自分の社会的評価を低下させるようなエントリーを書き続けたり、あるいは、誰かが自分を誹謗中傷したり悪質なデマを流布したりすることによる精神的並びに経済的な損失を回避することは、ブログを開設しないことによってはできません。私たちの実名を含む個人情報は、普通に生きていると、かなり多くの人に把握されているため、自らネット上でこれを公表しなくとも、現実社会で自分のことを知っている人々によって、ネット上に持ち込まれる危険があるからです。結局、「まともな神経の持ち主はブログなんか開設するべきでない」ということを社会のコンセンサスにすることによって回避しうる害悪は、コメントスクラム等程度だということが言えます。
あるいは、「ブログ上に書かれていることなど全く信用するに値しないし、そのようなものを見ること自体社会人としての嗜みに欠けることである」というコンセンサスが社会の間に醸成されていけばよいのかもしれません。しかし、そうしてまでブログ環境まで「2ちゃんねる化」させる意味がどこにあるのか私にはよくわからないです。
そんなことよりも、ネットの実名化を推し進めることによって、誹謗中傷やデマの流布や嫌がらせを行うことのリスクを現実社会と同程度に高めることにより、そのような行為を抑制していくことの方がよほど現実的です。CONCORDEさんは、「未来にわたって絶対の安全が保証される」のでないと実名での参加ができないようなのですが、私たちの大部分は、「未来にわたって絶対の安全が保証される」わけではない現実社会において、社会的制裁や法的制裁が実効的に機能することにより相当程度抑制される前提のもとで、実名を含む様々な個人情報を様々な人々に提供しつつ社会生活を行っています。「『未来にわたって絶対の安全が保証される』までは、私は実名を含む個人情報は一切提供しない」といわれても、そのような人と関わり合いを持つとその人により犯罪行為や不法行為等がなされたときに十分な対処を行うことができない危険が高いので、比較的まとも度の高い社会ではむしろそのような方にお引き取りを頂くことでしょう。
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21/07/2007
「出べその親方」さんが次のようなことを述べています。
しかし、そんなことを言ふ新聞の情報はどうだらう。こちらも匿名ではないのか。最近の新聞はどうでもいい記事は署名記事にするが、スキャンダルを曝いたりした時には決つて匿名である。
新聞の記事は新聞社の名前があるから匿名ではないと言ふかも知れない。それなら、ネットの掲示板もアドレスがあるから匿名ではないとも言へる。現に犯罪予告を書き込んだ者は逮捕されてゐる。
しかし、新聞の場合は記事に関する権利義務の主体は個々の記者ではなく、新聞社自体です。だから、記事によって第三者の権利を害したときの法的な責任は新聞社が負うし、違法とは言えないまでも品位を欠く記事を掲載すればそのレピュテーション・リスクは新聞社が負います。
しかも、新聞においては、個々の記者というのは、取材し草稿を作成する役割こそ担っているものの、実際に紙面に掲載されるか否かの判断のみならず、掲載する場合にどのような文章、論調にするかの判断も、新聞社が編集権の名の下にコントロールします。どの話題を取材し記事にするのかというところから、「業務命令」がくだされている場合だって少なくはあります。そういう意味で、新聞記事の場合、その作成主体が、個々の担当記者ではなく、組織体としての新聞社(ないし、せいぜい当該媒体部門)であると見るのが実態に即しているという場合が少なくありません(といいますか、そういう場合の方が多いでしょう。)。
これに対し、ネットの場合、掲示板の管理者やブログサービスの提供者や投稿者のアクセスプロバイダ等の編集作業を経ることなく、投稿やエントリーが公表されます。また、掲示板の管理者やブログサービスの提供者や投稿者のアクセスプロバイダ等がどの話題を取材して記事にするのかを「業務命令」する場合も希です。したがって、個々の投稿等によって第三者の権利を害したときの法的責任は、第1次的には個々の投稿者が負うのであって、掲示板の管理者等は、削除要請等に誠実に対処している限りは、法的責任を原則負いません。また、違法とは言えないまでも品位を欠く投稿等によるレピュテーション・リスクも、基本的には個々の投稿者等が負うのであって、掲示板の管理者等が負うことは原則注1ありません。
したがって、新聞において個々の記者がその実名を名乗らないことと、ネットにおいて個々の投稿者等がその実名を名乗らないことの意味ないし効果は全く異なります。もちろん、ネットの場合においても、個々の投稿等が第三者の権利を侵害した場合に、掲示板の管理者やブログサービスの提供者や投稿者のアクセスプロバイダ等が法的責任を負ってくれるということであれば、投稿者等が実名を名乗る必要性は多少低下することになります。
注1
その種の発言をずっと放置していたり、削除要請に応じなかったりすると、掲示板等をその種の発言をする場として提供していたと見られ、法的又は社会的な責任を負わされることはあり得ます。
追伸
新聞社相手に何件か名誉毀損訴訟を代理人として提起してきた私の経験からすると、実際の担当記者の実名を新聞社がひた隠しにしたというケースは実際問題として知らないです。外部の取材源は教えてくれませんが。
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20/07/2007
結局、このような内容で提出しました。現在の系列システムの下で集中排除原則ということを言ってみても空しいだけだなあ(空しいだけならいいけど、徳島(特に山間部)のようにすぽっと抜け落ちるところに対する手当が、まねきTVのようなサービスの補助なしにはなかなかなしがたいというのもいかがなものかなあと思うものですから、ちょっと書き加えてみました。
8頁以下「メディアコンテンツ規律の再構成」に関して、
公衆に対して「同じ情報を同時に受信させる」ことを目的とするか否かということで「放送」と「公然性のある通信」とを法的に峻別することに合理的な理由はないと常々考えておりましたので、今回の中間とりまとめの方向には基本的に賛成です。
但し、規制のメルクマールとしては、
1) 公然性の有無ないし程度
2) インフラの希少性
の2つを軸にすべきではないかと思います。公衆への情報伝達能力が大きく、かつ、「電波の希少性」により新規参入者を極めて制限しなければならない地上波テレビ放送については、政治的な中立性を求める必要性は今後もあるでしょう。しかし、多チャンネル型衛星放送やケーブルテレビ、ミニFM等は「電波の希少性」はそれほど気にしなくとも良いので、「政治的な中立性」をそれほど要求する必要はないように思います。
9頁 「特別メディアサービス」について
地上波テレビ放送の免許を受けた民間企業は、地上波テレビ放送の高い情報伝達能力故に、他の情報インフラよりも様々な点で競争上優位に立っており質の高いコンテンツを制作しやすい環境にあるのだから、その放送するコンテンツについては、あまねく国民にこれを伝達する義務を負うべきです。したがって、物理的にあまねく国民にそのコンテンツを伝達できない場合には、インターネット等を用いたコンテンツの転送を認めるべきです。もちろん、「契約による権利処理」でこれが実現すれば問題はないのですが、それが実現しそうにない場合は、著作権・著作隣接権の例外規定を新設してテレビ放送コンテンツのネットを利用しての転送をインターネット事業者等が行えるようにすべきだと思います。
「放送の多元性・多様性・地域性の確保」を目的とするのであれば、むしろ東京キー局の放送番組の転送はインターネットや衛星放送、ケーブルテレビ等に任せた上で、各地の地上テレビ放送局は原則独自番組を制作し、放送するようにするべきではないかと思います。現在の系列放送局システムでは、東京キー局が制作する相対的に質の高い番組を日本国中の人が視聴できるようにするという点も、各ローカル放送局が制作する多様かつ地域性に富む番組を地域の住民が視聴できるようにするという点も中途半端になっています。
9頁以下 「一般メディアサービス」について
放送・公然性のある通信で商業用レコードが公衆送信されることの商業用レコードの売上げに与えるプラスまたはマイナスの影響に関しては、公衆に対して「同じ情報を同時に受信させる」か否かではなく、公衆が特定の楽曲を任意のときに視聴できるか否かによって大きく違ってきます(特定の楽曲を任意のときに聴けるというわけではない場合、特定の楽曲を任意のときに聴きたいというユーザーはその楽曲の複製物を別途入手することが必要となるのであって、商業用レコードの売り上げを不当に阻害することにはなりません。)。したがって、公然性のある通信であっても、特定の楽曲を任意のときに聴けるという状態を作出しないもの(ストリーミング型のインターネットラジオなど)については、事後的に2次的使用料を支払えば、実演家やレコード製作者の事前の許諾がなくとも、商業用レコードに収録された楽曲を公衆送信(送信可能化及びその過程での一時的複製を含む)を行えるようにすべきです。
10頁 「公然通信」について
誹謗中傷情報やデマ情報を公衆に流布させることにより被害者に甚大な損害を与えうることは、当該情報が公衆に向けて同時に発せられるか、求めに応じて時間差で発せられるかによって変わるものではありません。従って、公然性のある通信についても、放送と同様に、法的な責任主体の氏名・住所等の登録・届出等が求められるのではないかと思います。つまり、地上波テレビ放送を除く放送及び公然性のある通信については、事前抑制を行わず、中立的ではないコンテンツを流布させる自由を認める代わりに、司法手続き等による事後的な規制に完全に服するようにすることが求められると言うことです。もちろん、末端利用者のプライバシー保護を行うことによる利用者の増大を図る事業者(匿名電子掲示板の管理人や匿名での登録をも可とするブログ事業者等)もあり得るとは思いますが、この場合は、利用者が負う法的責任を実際に当該事業者が担保することを条件に、末端利用者の氏名・住所等の登録・届出等を免除するという救済策はあり得るとは思います(事業者が一旦被害者に対して賠償金を支払った上で、末端利用者に求償すればよいのですから。)。ただし、このように末端利用者の責任を事業者が肩代わりをする場合には、確定判決に基づく賠償金の支払義務の履行を事業者が怠った場合には総務省が当該事業者に対し事業の停止を命じることができるようにした方がよいと思います。特に自然人がこれらの事業主体となっている場合には、「賠償金を支払わなくとも刑事的制裁を受けずに済むのであれば、賠償金を支払わない」と開き直ることも可能だからです。
放送や公然性のある通信の内容によるトラブルに関しては、これを安価かつ迅速に解決する裁判外紛争処理手続きを用意することが望ましいように思います。というのも、私の弁護士としての実務経験から言うと、特定人の社会的評価を低下させかねない情報を流布させるにあたって殆ど裏付け調査を行っていない例が少なくなく、それ以前に、その者についての社会的評価を低下させかねないその事実摘示が公共の利害に関するものではなく、かつ専ら公益目的でなされたとは言い難い例が多いため、情報の発信者側に、当該摘示事実の公共性、当該事実摘示にあたっての目的並びに裏付け調査の内容及び結果を事情聴取し、明らかに真実性の抗弁が成立しそうにないものについては、裁判所の審理を待つまでもなく、放送または公然性のある通信の主体に対し、しかるべき責任を負わせるのが適切だからです(放送または公然性のある通信による特定人に対する権利侵害行為は継続的・反復的になされることが多く、裁判外紛争処理手続きによる迅速な解決は、さらなる権利侵害行為を未然に防ぐという意味では重要です。)。
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19/07/2007
ekkenさんは、次のように述べています。
しかし、もし僕が実名でブログ運営をしていたとしたら、この成りすましブログ(あるいはコメント)により実生活への影響も考えられるわけでして、全ての人が実名とは限らないネット上での発言において、「顕名」という立場を選んでいて良かった良かったと思う次第です。
しかし、この「成りすましブログ(あるいはコメント)」問題とは、ネット上において実名で発言していなかった場合にも発生します。といいますか、米国などの「サイバーいじめ」では、ターゲットの実名を冒用してその評判を貶めるような発言をするというのはよくある手法です(日本でも、プロフ(自己紹介サイト)でなりすましいじめなどが起きていることが報告されています。)。この場合、「サイバーいじめ」を行っている主体はしばしば被害者のクラスメート等、被害者と現実社会で接触のある人々なので、ネット上で実名発言しないことによってはこのリスクを回避することはできません。
これを回避するためには、本人確認をした上で登録がなされるID認証が、少なくともその実名を冒用された人間から照会を受けた場合にはID登録者と発言名義人との同一性について(発言内容それ自体の違法性の有無に関わりなく)照会に応ずるという形で運用されることが必要となります。そういう意味では、私が提唱する共通ID制を導入するという方が、「成りすまし」対策としては有効です。
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CONCORDEさん には申し訳ないのですが、「匿名の陰に隠れることで規範意識を麻痺させたものが、誹謗中傷等を執拗に行うことにより、自分の気に入らない言動をネットから駆逐していく」という意味での「弱肉強食・優勝劣敗」を維持するメリットというのを私は見いだせずにいます。だからこそ、そういう現状を克服する仕組み作りをすべきだといっているわけです。
「匿名性が保障されないと何も言えないが、匿名性が保障されると歯止めがきかなくなる人たちによるネガティブフィードバック」というものが、それ以外の情報の送受信の可能性を多分に犠牲にしてまで守る価値があるのかというと、そこまでの価値はないと思っています。
その上で、
再度問いますが、なぜ躊躇している人に参入を薦めようとされますか、のみならず再参入までさせたがりますか。
ブログに、ネットに、一体何を見出しておられるのですか。
というCONCORDEさんの問いかけに応えるならば、「商業的価値にとらわれない言論の場」であって、そこに「大人の交流」が加わればなお良いと思いますが、「臆病者たちのストレス発散の場」とするには勿体ないと思っています(そういうことはそれこそ、不特定又は多数人の目に触れない閉鎖型の小規模SNS等でやるべきだと思うのです。)。もちろん、商業的価値を生み出せる人間になるための登竜門の一つとして活用するのもありだと思いますし、商業的価値のあるコンテンツを生み出せる人が一種のAnnexとして商業的価値とは離れた作品を公表する場所として活用することもありだと思いますし、また、政治的な団結を呼びかけ又は意見を集約していくことに活用するのもありだと思います。それらはいずれも「匿名性が保障されないと何も言えないが、匿名性が保障されると歯止めがきかなくなる人たちによるネガティブフィードバック」よりは一般に読むに値します。しかし、「実名が知られたらゲームオーバー」的なルールの下では、このような活用を行うことは厳しくなっていきます。
「出る杭を打つ」日本の悪弊をネットに持ち込んでどうしたいのか、実名言論をネットからパージしたがっている方の真意を測りかねています。
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18/07/2007
NOV1975さんは、次のように述べています。
ネットで活動することを決意した人がネットでネガティブフィードバックを受けて文句を言うのは大抵ハラスメントではなかろう。ネットで活動することを止めればいいのだから。
NOV1975さんの上記意見を抽象化すると、「ハラスメント」が成立するためには、被害者において、当該「ハラスメント」が行われた場にいることが必要不可欠であることが必要であるということになりそうです。この見解にたった場合は、高校以上の学校や塾などでのいじめは「ハラスメント」にはあたらないし、学区外での転校が広く認められている自治体においてはいじめは「ハラスメント」にあたらないということになりそうです。また、職場等においても、「被害者」において、どうしてもその職場で仕事を継続しなければいけない特段の事情がある場合を除き、セクハラもパワハラも「ハラスメント」にはあたらないということになりそうです。もちろん、趣味のサークルや稽古事などの場ではどんなに嫌がらせをしようといじめを行おうとそんなものは「ハラスメント」にはあたらないということになりそうです。NOVさんルールの下では、いじめや嫌がらせを受けるのがいやならば、その場にいることをやめればいいのですから。しかし、それは、現実社会のルールとは明らかにかけ離れたものです。
ekkenさんには申し訳ないのですが、結局、匿名表現の自由を日本のネット上で堅持しようと思うと、この種の、「ネット上で嫌がらせをして何が悪い。嫌がらせをされたくなければ、ネットに近づかなければよい」的な極論にどうしても行き着いてしまうのではないかと思うのです。最近の私の意見に対する反論を見ていても、匿名さんによる嫌がらせ行為を抑制する方向での対案というのは、残念ながら、見られなかったわけです。「妥協点」を見いだそうにも、匿名さんの側には一切妥協する姿勢がないのですから、どうしようもありません。あとは、ネットを「地上の法が及ばない無法地帯」とすることに社会が同意するかどうかに係っているということができるでしょう。「卑怯者たちのパラダイス」からはまともな神経の持ち主はどんどん立ち去っていきます。ブログの2ちゃんねる化が進んでいくだけのことです。そして、日本人には、Web2.0は荷が重すぎた。そんな絶望的な事実が残るだけのことです。
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17/07/2007
私のブログに送ったトラックバックを消されたことを不満に思っておられる方がいるようです。
ただ、私としては、トラックバックについては、タイトル及び最初の何十文字かで「エントリーとは関係のないスパムトラバではないか」と判断したら、リンク先の内容を確認することなく消します(リンク先の内容を確認するためにリンクを踏むと、スパム業者の術中にはまる危険がありますので、そういうことは基本的に避けます。)ので、トラックバックを消されたくない方は、エントリーのタイトルと最初の何十文字かを工夫した方がよいように思います。
もっとも、件のエントリーについては、私のブログのどのエントリーにトラックバックを送って頂いたのか記憶が定かではないのですが、改めて読んでみますと、どのエントリーとも関連性が薄そうには思いました。
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16/07/2007
いじめを含むハラスメントって、そりゃ、外部から見ればハラスメントをしている方が不正義だし、おそらく外部の人はそう思ってくれているのだろうという意識は被害者の側にもあるでしょう。いじめられていることを子供に打ち明けられた家族だって、「お前は全然悪くない」くらいは言うでしょう。でも、親が「うちの子供はこんなことをされています。何とかしてください」と学校にいいに行ったときに、校長先生が「どうせあんな奴らの言っていることなど周囲の人間が真っ当だと思ってやしませんよ。だから、○○くんが気にしなければ済むことですよ。どうせどんな対処をしたっていじめを根絶することなんてできないんですから、我々はいじめを止めさせるなんて無駄なことをする気はありません。おかあさんが、「お前は悪くない。気にすることはないんだよ」といって○○くんをしっかり抱きしめてあげてください」といって何らの対策も講じないこととしたら、いじめ自殺の悲劇を回避できるのかというと、仮にその児童の母親がその通りのことを実践したとしても、かなり疑問です。
ハラスメントについて「強くなれ」といわれて強くはなれないのが現実だからです。だから、私からみると、被害者に強くなれと要求することでハラスメント対策を終えてしまうというのは、非常に非現実的であるように思えてなりません。それよりかは、ハラスメントが行われていることが発覚したときにこれを継続させないような場の運用を行うこと及びハラスメントを行うことに自制心が働くようにハラスメントを行ったものに対して現実的に制裁が加えられるようなシステムを講ずることの方がよほど現実的です。
そのためには少なくとも確実に法的な制裁が加えられるようにトレーサビリティの低い匿名・仮名の使用は禁止し、できることならば(法的制裁はコストが高いので)ハラスメントについては社会的制裁が加えられるようにトレーサビリティの高い実名等を用いることを原則とすることが求められます。残念ながら、匿名の陰に隠れることで、自分の気に入らない人間に対して、ハラスメントを行って私的制裁を加えることを「ネットの本質」だと勘違いしているユーザーが多い日本のネット環境の元では、もはややむを得ないのではないかと思うのです。確かに、実名が原則だと、度量の狭い自動車メーカーに勤める従業員が自動車の性能等を評論するブログ等を立ち上げるのは勇気がいるようになるかもしれませんが、そのようなブログ等を相当の覚悟なしでも解説できるようにするというメリットは、ネットで横行している匿名さんたちによるハラスメントについて被害者に泣き寝入りを強いる以外の有効な対策を講じさせないことによるデメリットを凌駕するものではないように思われてなりません。
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15/07/2007
iza!のユーザーブログって、凄いですね。
凄く勇ましい発言を繰り返しすっかり「憂国の士」気取りの方々と、イザンヌ狙いのルックスに自信のある若い女の子たちという、一見接点のなさそうな人たちが、「iza!ブログ」というプラットフォーム上で共存しています。
イザンヌ狙いの女の子たちが堂々と顔写真及び実名(または芸能活動で実際に用いている芸名)をブログ上に掲載しているのに対し、勇ましい憂国君たちは、顔写真を掲載しないことはもちろん、自分の個人情報を一切出すまいとびくびくしているように見えます。その対比が実に倒錯的です。
で、ブログで実名を出すことのデメリットですか。どんなデメリットを想定されているのか私にはよくわからないのですが、たとえ多少はあったとしても、イザンヌ狙いの女の子たちがやすやすと乗り越えられる程度のものでしかないように思われます。
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14/07/2007
NOV1975さんがこのように述べています。
これに対応する手段が実名化なのでしょうか。「飲酒運転による交通事故で人が死ぬから自動車全廃しよう、明日から」的な発想から言うと「業務用車両以外使用禁止」みたいな感じですが、当然業務用車両も飲酒運転するので解決になりませんね。
飲酒運転に対する対応策は、飲酒運転をしてはいけないとのメッセージをことあるごとに強調するとともに、しばしば飲酒がなされる現場では飲酒した人が運転しないことを再度確認、強調し、さらに、抜き打ち的に又は検問所を置いて飲酒チェックをし、さらに、飲酒運転の結果死傷事故を生じさせた場合には厳罰に処することとし、飲酒運転自体を抑制する方向を目指しています。もちろん、自動車全廃などは求めていないし、だからといって、「そのような措置を講じても飲酒運転は0にはならない。飲酒運転の車両が暴走しても被害者が良ければ済むことだし、運悪く衝突されて死傷しても被害者やその遺族が気にしなければ済むことだから、飲酒運転自体を抑制するような措置は講ずるべきではない」という方向は目指していません。
また、スピード違反について言えば、さらに、オービス等を設置し、速度違反を認知した場合には車両ナンバーと運転者を撮影して、これを検挙できるような工夫をし、速度違反自体を抑制する方向を目指しています。もちろん、オービス等を設置しても速度違反は0にはなりませんが、だからといって、そのような対策は無意味であるとの見解はあまり見られず、また、「速度違反の車両が制動しきれなくても、被害者が良ければ済むことだし、運悪く衝突されて死傷しても被害者やその遺族が気にしなければ済むことだから、飲酒運転自体を抑制するような措置は講ずるべきではない」という方向は誰も目指していません。
その行為の行使者が探知されがたい状況では少なくない人が社会的又は法的規範を無視して行動しがちである以上、そのような行動が比較的多くなされる場において行為者を探知しやすくする工夫というのは、しばしば行われていることです。「そんなことをしても被害は0にならないから、そのような対策を講ずるべきではない。そんなことより、被害者が気にしなければ済むことである」ということは、ネット上での匿名さんによる誹謗中傷問題以外では語られることすら少ないのです。
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13/07/2007
Sirokuroさんから、トラックバックを頂きました。
しかし自分は、未来の被害者を無防備のまま公衆の面前に放り出すつもりは更々御座いません。
小倉先生は「被害者が気にしなければ済む」がお嫌いのご様子ですが、つまり小倉先生は被害者は「無防備であってしかるべきだ」と仰るのでしょうか。
無防備でも安心して発言できる場を整えようとする心構えは大変素晴らしく思います。
しかし理想ではなく「今できること」を考えるのも大事なのではないでしょうか。
「加害行為を防止なんかしなくとも、被害者が気にしなければ済む」と言ってのけることが未来の被害者の防備につながるのでしょうか。もしそれが本当であれば、教育現場としてはとても楽です。ホームルームの時間にでも、「いじめられても、被害者が気にしなければ済みます。クラスメートからどんなに酷いことを言われても気にしない強い人間になってください」と諭すだけで、いじめ対策は終了です。企業の総務・人事部としても楽ちんです。研修の際に、女性従業員に対して、「セクハラをされても気にしなければよい」ということを教え込めば、セクハラ対策は終了です。いじめをなくす、セクハラをなくす等という困難な作業に立ち向かう必要がなくなります。もはや、すべてのハラスメントはこれをなくしたり減らしたりする努力をする必要はありません。すべきことは一つ。「何をされても気にするな」と教え込むことだけです。
でも、実際には、いくら外野の人間がお気楽に「気にしなければ済むことだ」といっても、気にせずにはいられないのが人間です。むしろ、執拗な嫌がらせを受けているのに、「お前が気にしなければ済むことだよ。そんなことでみんなの手を煩わせるなよ」みたいなことを言われて、苦しい胸の内を打ち明けることすら許されないような雰囲気作りを行い、かつ、その執拗な嫌がらせを受けている状況が未来永劫続くような絶望感を与えていけば、少なくない人は自ら死を選んだり、精神障害を起こすことにより精神的な苦痛から自らを解放する道を選ぶことにもなりそうです。
で、加害行為を減少させる努力をせず、単に「被害者が気にしなければ済むことだ」と表明してみせることによって、被害者はいかなる意味で防備されるのでしょうか。
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12/07/2007
「 誹謗中傷が溢れる美しい国日本!」というエントリーに関するotuneさんから「定義を曖昧にしたまま「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」と強弁するのは小倉弁護士blogだとこれで何回目だろ? 」というはてなブックマークコメントを頂きました。「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」とは言ってはいないのですが、一種の印象操作かも知れません。
本来は正当な権利行使となりうるものであってもその程度、頻度、分量、態様等によっては不法行為や犯罪行為たりうることは、現実社会では常識の部類に属することだと思うし、だからといって、特定の行為についてその程度、頻度、分量、態様等によっては特定の類型の不法行為等足りうるという指摘は、当該行為=当該不法行為ということを意味しないということは、例えば債務の履行の督促はその程度、頻度、分量、態様等によっては恐喝足りうるという指摘が「債務の履行督促=恐喝」を意味するものではないということを想起して頂ければ容易に理解可能ではないかと思います。
また、定義が曖昧だといわれても、権利の行使が不法行為等と評価されるに至る分水嶺というのは、社会常識に従えばだいたいはっきりしているわけですが、これを数行単位ですぱっと切り分けるのは大抵の場合難しいわけで、では定義がはっきりしないからどのような程度、頻度、分量、態様等で行われたとしても権利の行使は不法行為たり得ないという結論になるのかというとそういうことでもありません。
あえて短い言葉で表現するとすれば、「受忍限度を超えたか否か」ということを現実社会で生活する一般人の感覚で判断するということになるのでしょうが、これも考慮要素を文章で表現しようと思うと、個別の事案ごとに、多様な要素を総合して斟酌することになろうかと思いますので、すぱっとした定義がお好きな方にはご納得頂けないように思います。
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ekkenさんはさらに
仮に誰もが実名でなければコメントができない・ブログ上での意見表明もできない、となったとしてですよ、じゃあネット上の発言が原因となって、トラブルに巻き込まれることはないのか、というとそんなことは全くないわけです。
とのも言っています。
それはそうです。ただし、トラブルが発生した場合に、「被害者が泣き寝入りする」以外の方法でトラブルを解決できる可能性は、一方当事者が匿名の場合とそうでない場合とでは圧倒的に異なります。
また、
僕だって誹謗中傷の対象にされるのは勘弁願いたいのですが、とりあえず詳細な個人情報を明かしていなければ、肉体的被害は免れるわけです。精神的ダメージをゼロにするのは難しいですが、心を鍛えることで最小限に抑えることは可能です。小倉さんは匿名性の維持をネガティブなイメージで固めることばかりに拘っているようですが、匿名性を維持することでセキュリティを高めている人もいるわけです。
とのことですが、匿名性を維持することでしかセキュリティを高められないシステムの下では、匿名性を維持したままでも発信できる程度の情報しか発信できません。「自分がどこの誰であるのかを知られたら何をされてもやむを得ない」というルールの下では、現実社会での自分の実体験や自分の専門領域に関するエントリーを公表するのは非常に危険であって、するべきではないという方向に流れがちです。するとそこでは、メタな議論や形而上的な議論、あるいは特定の人や組織や民族や人種を攻撃する議論などに流れがちです。
なお、この種の話をすると大抵印象操作が試みられるのですが、いわゆる「炎上」といわれる例は、決して、批判等が現実社会で許容される範囲に止まっている場合ではなく、現実社会でこのような内容、分量、文体でなされていたとしたらハラスメント認定されていたであろうものばかりです。「ネット上には地上の法は適用されるべきではない」との考えに立たない限りは、いい加減抑制されるべきものとしかいいようがありません。
もちろん、様々な利害から、「ネット上には地上の法は適用されるべきではない」と考えている人たちが少なからずいて、そのような人たちからは私の提案が評判が悪いのは仕方がないことです。
なお、一般人には実名で語るメリットがない云々と嘯く人も少なからずいるのですが、ポジティブなコンテンツを継続的に実名で投稿し続けることができれば、それは現実社会での評価を向上させることにつながり、それは様々な意味で現実社会での利益をもたらすことにつながります。それまで無名だった人が、ネットでの情報発信をきっかけに現実社会での地位をジャンプアップさせたなんて、それこそ沢山の実際例がある話です。「実名で語るメリットがない」云々と言っている人々は、単に、そういう機会を生かすだけの向上心を欠いているだけであるということができます。
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ekkenさんはこのように述べています。
これまで何度か書いてきているので、ログにリンクしておきます。
* 不快なブクマコメントを見えなくするよりも、気にしないようにする方が健全だ
* ブログのコメント する者の自由・される者の自由
* ネガティブコメントを気にし過ぎることもない
これが対応策として成立するのであれば、肉体的な苦痛を伴わない学校でのいじめや、強姦・強制わいせつに至らないセクシャルハラスメント、あるいはマスメディアによる名誉毀損等の対策も、「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」ということで終わってしまいます。別に、朝登校してみたら教室の黒板に自分の名前とともに「死ね」等の罵倒表現が連日書き込まれるという事態が生じたとしても、あるいは、休み時間のたびにあるいは授業中も含めて数人に取り囲まれて延々と「ばか」だの「死ね」だの言われ続けるという自体が連日続いたとしても「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」ということで終わってしまいます。そりゃ、学校や先生は楽です。むしろ、先生も一緒になって、「確かにあいつは生きている価値がないよな。もっと言ってやれ」みたいなこと申し向ければ教室内では人気者になれる可能性もあります。もう文部科学省も厚生労働省も、いじめ対策やセクハラ対策に頭を悩ませる必要はありません。「被害者が気にしなければ済む」。これでおしまいです。
で、そうなれば、他に選択の余地がある限り、まともな人間はそこから脱出していくことになるでしょうね。もっとも、「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」社会では、被害者がどこまで逃げても、加害者たちはどこまでも負ってきて、最後は、被害者が自殺するか精神に異常を来すところまで追い詰められるかもしれません。そうなれば、加害者たちは、満面の達成感ですごい幸福な思いに浸ることができるかもしれません。
誹謗中傷が社会に溢れ、被害者はただただこれを堪え忍び泣き寝入りするしかない美しい国日本!っていうところを目指そうってことでしょうか。
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11/07/2007
匿名だからとって、匿名でなければできないような個人攻撃や誹謗中傷、ストーキング行為等を行っていなければ、匿名の卑怯者と蔑まれることはないわけですし、匿名だからといってそういう卑劣な行動に踏み出す人がごくまれにしか見られないのであれば、ネットの匿名性が問題とされることもないのですが、現実には、匿名でなければできないような卑劣な行為を行うことによって、自分の意見と異なる意見をネット上から封殺しようという方々は後を絶たないので、ネットの匿名性が問題とされるのです。
韓国で施行されたネットの実名登録制にしたって、匿名の卑怯者たちによる個人攻撃の被害が放置できないほどに大きくなってしまったために、窮余の一策として導入されたのであって、韓国の政治家だって、韓国の匿名さんに自制心があれば、そんなことはしたくはなかったでしょう。
韓国の制度は実名登録制とは言ってもとりあえずは実名が表示されるわけではないので、社会的制裁を慮っての自制は期待できず、これが実効性を有するかどうかは、被害者が採算を度外視してでも泣き寝入りせずに法的措置を講ずることが一般化するか否かにかかっており、それゆえ、実効性を有しないおそれは十分にあるとは思います。とはいえ、何かをしなければ、どんどんエスカレートするだけのことです。
ekkenさんには申し訳ないのですが、ekkenさんのエントリーを読んでも、「では、この現状をどうするの?」というのが全然見えてこないのです。「誹謗中傷されたくなければコメント欄を閉じればいい」ったって、誹謗中傷ははてなブックマークでだってできるし、特定人を個人攻撃するためにネット上のキャラクターを一つ作ってそのキャラクターにブログを一つ持たせたっていい、あるいは電子掲示板で特定人を個人攻撃するためのスレッドをずっと維持していたっていいわけで、結局、特定人を誹謗中傷する人間を白日の下に晒す以上の対抗策って当面見あたらないのです。
もちろん、匿名で特定人を誹謗中傷することを厭わないような人々の気に障ることはネット上でも現実社会でも言わなければいいのだという意見もあるとは思うのですが、それでは、「俺たちの気に障ることを言ったら荒らしてやるぜ」という脅しに多くのブロガーが屈するネット社会というのがそんなに好ましいものなのかというと私には大いに疑問です。
「匿名ではあるが卑怯なまねはしないので匿名性を奪わないでほしい」という方々は、匿名の卑怯者による執拗な人権侵害について被害者に泣き寝入りを求めたりこれを回避するために被害者に義務なきことを行うことまたは権利の行使を控えることを要求するのではなく、匿名性の保障を高度に保障しつつ匿名が卑怯な行為に悪用されることを回避するための方策を模索すべきなのではないかと思うのです。
残念なのは、「私の匿名を奪おうとするのはけしからん!」とただ既得権にしがみつくばかりで、ネットの匿名性のもたらす弊害を除去するために、匿名発言者の側で何ができるか、又は、システムの側にどんな対処を求めようか、という議論が殆ど見られないことです。
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ekkenさんは、次のように述べています。
だけどちょっと待って下さい。この考え方では、メディアに登場する著名人(作家、政治家、タレント、スポーツ選手など何でも良い)以外の大部分のネットユーザーは、たとえ本名を使っていようが匿名の扱いになるのではないでしょうか。
これは僕も含めて多くの人が既に指摘していることだけど、田中太郎などのありふれた名前(実在する田中太郎さんに何ら他意はありません、念のため)の人物が本名を使っていようとも、それをオフラインでの人格と結びつけるのは困難です。名前の他にも詳細な個人情報を明かさない限りは、どこの誰とも分かりません。いや、彼と近しい人であれば、その書き込み内容から判別する事は出来ると思うけど、他の多くのネットユーザーにとっての田中太郎は「ネットで本名を使っているらしいブロガー(あるいはコメンテーター)」という認識でしかないのです。
しかし、それは違うように思います。
確かに、実名を述べるだけで現実社会の人格とほぼ同定されるのは小飼弾さんのような珍しい名前の持ち主に限定されているでしょう。だから、私たちは、現実空間で自己紹介を行うにあたって、実名にプラスアルファして、個人の特定に資する情報を付加します。別にそんなに詳細な個人情報をいきなり初対面の相手に提供する人は多くはないですが、何らかのディレクトリ的な情報を初対面の相手に提供するのは一般的です。別に「メディアに登場する著名人」であろうとなかろうと関係はありません(著名人の場合、顔写真を掲載するだけで同定できるという違いはありますが、顔写真を出さない場合には、特殊な氏名でない限り、容易に同定されるためには何らかのディレクトリ的な情報を提供することが必要です。)。実際、英語圏のブログを見ていると、プロフィール欄に相当量のディレクトリ的情報を掲載している例は枚挙に暇がありません。
また、そのようなディレクトリ的情報が明示的に付加されない場合にはありふれた実名は意味がないのかというと、確かに訴訟等により法的責任をとらされるリスクが増加しないという意味では効果が乏しいとは言えますが、彼に近しい人に彼のネット上での活動が知られてしまう可能性が高まるとは言えるわけで、そのことは、端から見て恥ずかしいハラスメントを行うことを躊躇させる要素ともなり得ますので、意味がないとは言えません。
もちろん、共通IDシステムなどで、住所等の詳細な個人情報は必要なときに開示されるシステムを用意しておくことが望ましいことは間違いないのですが、現状のシステムの下でも、特に相手を批判したりする場合には、自分を同定するのに役に立つ程度の情報を相手が容易に知りうる状態に置く程度の堂々さは、日本のブロガーに求めても良いのではないかと思います。
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10/07/2007
「ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。」というエントリーにはたくさんのはてなブックマークコメントを頂いています。
ただ、この種のネガティブコメントの問題点を指摘するエントリーに対して、ブログ主を個人攻撃してみても始まらないことは、そろそろ覚えても良いのではないかという気がします。何だかんだいっても、私にせよ、池田先生にせよ、ブログ主がほとんど保護されず、ネガティブコメンテーターが我が物顔でやりたい放題に暴れ回っている現状において、ネガティブコメンテーターに阿ることなく、エントリーをアップロードし続けているわけですから、そういう人に対し、「匿名の(自分の対する)嫌がらせを防ぎたいだけならブログを会員制にしたらどうですか」(by feather_angelさん)みたいな話をしても仕方がないのです。
むしろ、ネガティブコメントに嫌気がさしてブログをやめてしまった人や、ネガティブコメントの攻撃を受けることに恐れをなしてブログを開設することを躊躇している人を、ブログを開始ないし再開しようという気にさせられなければ、ブログの情報源としての価値は下落することはあっても向上することはないのです。
情報としての価値は、一般的には、ネガティブコメント、特に匿名でなければ言えないようなネガティブコメントの方が低いのだから、ブログの情報源としての価値を高めるのであれば、匿名でなければ言えないようなネガティブコメントこそ、それこそ不特定人の目に触れないような会員制の場所に誘導すべきなのではないかという気がしてなりません。
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ekkenさんから私について言及していただきました。
僕は以前、「管理人が不快感を覚える可能性のあるコメント」のことをネガティブコメントとし、それを大きく4つに分類しました。(参考:ネガティブコメントのガイドライン)
- 事実確認(便宜上「第一種ネガティブコメント」とする)
- 異論・反論・批判 (便宜上「第二種ネガティブコメント」とする)
- 誹謗・中傷・侮辱(便宜上「第三種ネガティブコメント」とする)
- コピペ(荒らし)(便宜上「第四種ネガティブコメント」とする)
何か意見を述べるブログにおいては、上の二つは「避けてはいけないコメント」だと思うのですね。
1.や2.が「匿名でなくともできる」通常の態様でなされるのであればそうでしょう。しかし、1.や2.だって、言葉遣いに問題があったり、生活の片手間にブログの維持管理を行っているに過ぎないブログ主がおいそれとは応えられないであろう分量の投稿を行ったり、ブログ主が誠実に対処しても同じことを何度も何度も繰り返したりすれば、それは立派にハラスメントになります。ハラスメントになるようなコメントはなるべく避けなければいけないのです。
もちろん、匿名の陰に隠れて人に嫌がらせをすることを数少ない生き甲斐の一つにしているコメント投稿者に「嫌がらせを止めろ」と言ってみても自主的に止めることはないのでしょうが、「嫌がらせくらい甘受せよ」「嫌がらせを受けたくなければコメント欄を閉じよ」と言ってみたって、有益なコンテンツを発する能力を有する多くの人はそのような窮屈な思いを覚悟してまでブログに参入してくれることも期待しにくそうです。なかなか、洗礼者ヨハネのようにはいかないのです。
したがって、結局のところ、匿名でないと恥ずかしくてできないハラスメントがコメント欄でなされるのを見ていたいのか、そのようなハラスメントが横行する環境では投稿されない質の高いエントリーを見たいのかという選択を、システムサイドとしてはしないといけないわけです。前者が優先されている限りにおいては、ブログなんてものは、低レベルの罵り合いが横行するだけの、情報源としては価値の低いメディアになりさがるだけのことです。電子掲示板が転げ落ちた道と同じ道をブログも転げ落ちていくだけのことかもしれませんが、日本人は「Web2.0」環境を、特定人にハラスメントを行ってストレスの発散を行うための道具としてしか結局活用できなかったというのでは何とも寂しい限りです。
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08/07/2007
どうも、学校に関する匿名掲示板というのは、サイバーいじめの道具として利用されがちです。
「The most prestigious college discussion board in the world」を自称する「AutoAdmit」もまた、特定の学生の実名をあげて汚い言葉を投げつけたり、根も葉もないデマを流したりするのに活用される傾向にあるのは、洋の東西を問わないようです。
ZDNetの「Law school deans bash site as racist, ‘descpicable’」という記事によれば、Yale ロースクールの学長が公開書簡を掲示板運営者に送ったし、「Defamation suit tests online anonymity」によれば、被害にあった学生も、投稿者の発信者情報の開示を求めて召喚状を発布したようです。
被害学生は、根も葉もないデマによって、本来ならオファーがあってもおかしくないインターンシップのオファーが得られないなどの実害を受けているとのことで、こういうことを行う匿名の卑怯者が一日も早く白日の下に晒されて天文学的な賠償金の支払いを命じられたら良いのではないかと思ってしまいます。
さすがにYale大学は全米でも1.2位を争う名門大学だけあって、学長が、「Such anonymous, personal attacks on individuals are despicable.」(特定人に対するこのような匿名の個人攻撃は卑怯だ。、「We must stand together in speaking out against these indecent and intolerant attacks on our students, and, wherever possible, take action to stop these attacks.」(我々は、我々の生徒たちに対するこれらの下品で偏狭な攻撃を非難するためにともに立ち上がり、可能な限りどこでも、これらの攻撃を停止するための措置を講じなければならない)と言い切ってくれるのだなあと感心してしまいます。
日本でサイバー法に詳しいとされている研究者たちだと、むしろ、被害学生に対して、「スルーせよ」だとか「それだけの個人攻撃を受けるということは被害者の側に問題があったのではないか」とか言い出しかねないし、まして、却って匿名の卑怯者たちの矛先が自分たちに向かいかねない現状できちんとこの種の行為を非難できる大学人というのはあまりいないのではないかという危惧があります。
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06/07/2007
日本では、ネット上での表現の匿名性を保障せよと主張する側から、その必要性を基礎づける数少ない理由の一つとしてあげられる「内部告発者の保護」ですが、Internet Herald Tribuneの2007/07/03の記事を見ていたら、むしろのその逆の事例が報じられていました。
すなわち、Jayashreeは、少ない給料を賄賂やキックバック等で補填する役所の同僚を非難することに熱中している夫の身を守るために、ブログを開設し、夫が内部告発者であることを沢山の人に知らせようとしているのです。「YouTube時代には、インターネット上でちょっと有名になった人物を殺害するのは難しくなっている」と考えてのことです(インドでは、内部告発者に対する報復の程度が日本とは少し異なります。)。
本当に権力が腐敗している社会でのリアリズムというのはこういうことなのだろうなということを感じさせる記事でした。
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03/07/2007
「批判されるのがいやならばコメント欄を閉じればいい」という言い回しを、ブログ主に対する人格攻撃や言いがかりをブログ主から批判されたりたしなめられたりしたコメント投稿者が用いるのは、何だか誤用という感じがします。
この言い回しは、ブログ自体のシステムをどうするのかということにあたって誹謗中傷等を減少させる試みをすべきという意見に対する反論としてなされるのであれば、それは一つの対抗軸としてあり得るかもしれないのですが、現実に誹謗中傷等を行っている人が、誹謗中傷していることを批判されたときに、その批判をかわすための論理に使ってはいけないように思うのです。
むしろ、「ネガティブコメントを批判されるのがいやならば、ネガティブコメントを投稿しなければよい」という方がすっきりきます。
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24/06/2007
年金の名寄せ問題というのは、そもそもはシステムが稚拙だったことが問題なのに、システム開発者の責任を問う声はメディアでは小さく、稚拙なシステムの下での作業を強いられた現場労働者を非難する声ばかりが大きく取り上げられるのは、マスメディアにいかなる意図が働いているのでしょうか(それとも、本当に彼らは何が問題なのかわかっていないのでしょうか?)?
システムのコンピュータ化を受注した企業としては、発注先の従前の業務フローを十分に聴取した上で、発注者側の担当者と共同して要件定義等の作業を行っていくわけですが、その際、発注者側の担当者はどこにヒューマンエラーが発生しうるのかを十分には理解していない場合が多いので(人力システムだと、作業が遅い代わりに、多少のヒューマンエラーは吸収してしまうので、従前の人力システムのエキスパートが、コンピュータシステム化した場合に吸収しきれなくなるヒューマンエラーのポイントを自主的に過不足なく指摘することを望むのは無理があります。)、受注側の担当者が、想定されるヒューマンエラーを洗い出した上で、それをシステムで吸収するなり、業務フローの一部変更を進言するなりの措置を講ずるべきです。
今回の問題でいえば、例えば、漢字で記載された氏名を仮名で入力する場合に、複数の入力者間でどのように「仮名」を統一的に入力させるか(あるいは、特定の人名についての仮名の充て方が入力担当者によってずれる場合に、このずれをいかにシステム的に吸収するか)という問題は、当時のマシンパワーの問題から人名を仮名で入力するという方針を採用した時点で、容易に想定できたことですから、システムの受注者としては、そのような問題があること並びにこれを解決するための手段を発注者の担当者に提示すべきだったと言えるでしょう。
この問題を労組の問題にしている方々は、仮に社保庁の従業員は労組への加入が禁止され、女工哀史を彷彿させるような長時間休みなしの入力作業を無給でやらされていたら、人名にどのような仮名を充てて入力するかについて入力担当者の裁量に任されているシステム化において、入力担当者は違えどの同一人についてどの仮名を充てるのかという点に関し、一切の齟齬が生じなかったであろうと想像しているのでしょうか?
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ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」でなくなるのはどういうときでしょうか。
そのこととの関係で思い出すのは、私が司法修習生だったときに司法研修所の大講堂で聴いた平井宜雄先生の「良い法律論」についての講演です。要旨を一言で言ってしまうと、「反論可能性のある議論が良い議論だ」ということになります。逆にいうと、「反論可能性を与えない議論は悪い議論だ」ということになります。講演では、どのような法律論が反論可能性を欠く法律論なのかを具体論を交えて説明してくださった記憶があります。
ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」の範囲にとどまっているかを考えるにあたっても、この「反論可能性」という考え方は参考になるような気がします。但し、「反論が可能か否か」を考えるにあたっては、論理的に反論が可能かだけではなく、物理的または心理的に反論が可能かということを考えないといけないし、さらにいうと物理面または心理面に関していえば反論の容易性の程度も斟酌しないといけないのかなという気がします。
従って、前回のエントリーで取り上げた、名前欄に「異議あり」としか書き込めなかった匿名さんのコメントのように、ブログ主に非常に高い立証のハードルを課すことによって再反論を封じるようなコメントは「正当な批判」とは言えないということになります。
また、社会人は限られた時間の中でブログを開設していますので、それに答えたり再反論をしたりするためには過度の時間や労力がかかるような質問や批判というのは正当な範囲を超えることになりがちです。ですから、短期間に沢山のネガティブコメントを特定のブログ主に投げつけるコメントスクラムは、その内容にかかわらず、批判としての正当性を失うことになります。
また、同様にブログ主の時間には限りがありますから、沢山の質問や批判を投げつけられても、これらすべてに答えることは困難です。従って、ネガティブコメントの分量が多くなっていけばなるほど、批判としての正当性は薄れていきます。
他方、礼儀正しさを欠く質問や批判に対して、まともに回答したり再反論したりという意欲を失うのは、人間の感情としては自然です。そういう意味では、「正当な批判」を行うためには、心理的な反論容易性を確保するという意味で、文体というのは重要です。従って、いかにもブログ主を馬鹿にしたような文体や、ブログ主に対する敵意剥き出しの文体だと、内容の如何を問わず、「正当な批判」の枠内にとどまらなくなる可能性が高いと言えます。同様に、ブログ主を本人が名乗っているとおりの名前で呼ばなかったり、あるいは、一見してふざけた捨てハンドルを名前欄に記入したりというのも、ブログ主からまともに反論する意欲を失わせますから、批判としては正当ではなくなる可能性が高まります。
いろいろ言い出すときりがないのですが、抽象的にまとめていうと、「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況を作り出すネガティブコメントは、「正当な批判」とは言えなくなっていくということです。
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19/06/2007
どなたかが、
別にネット上のコンテンツに限らずさまざまなコンテンツにおいて、人々、というかわれわれは普通にタグ付けやコメント記入をしているわけで、ひどいゲームのことを糞ゲーといってみたり、どうしようもないスポーツ選手や、政治家やらに向かって新聞読んだりテレビ見たりしながらぶつぶつ言うのは、まあ人の常だろう。はてブはそれを可視化しただけであって、はてブのせいでそれが発生したわけじゃないような気がするんだよなあ。
と
述べておられます。
可視化されなければ問題とならないものが可視化されると問題となることがしばしばあることは、普通に社会生活を送っていれば分かりそうなものです。単にぶつぶつ言いたいのであれば、批判対象を含む不特定又は多数人の目に触れないようなところで言っていればよいだけのことです。はてなブックマークは、その「ぶつぶつ」を可視化させたわけだから、そのことによって生ずる悪影響を回避するために一定の経営資源を注ぐ責任がはてなには発生するはずです。はてながその責任を果たさなければ、はてなのお陰で、日本のブログが情報源としての価値をさらに失っていくだけのことです。
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ネットイナゴ問題の本質を捉えていない方から、ずいぶんと批判されているようです。
この問題は、プラグマティックにいえば、如何にして優秀な書き手をブログ界に参入させ、または、引き留めるかという問題です。だから、コメント投稿者としての党派性を剥き出しにして、専門家系ブロガーの立場を十分に配慮しない立論をいくら行ってみても、結局彼らに逃げられてしまうだけで、詮方ない話になってしまいます。
もちろん、そのような有益な情報をブログ等の公開領域に書く方が間違っているのだという意見もあることでしょう。しかし、Google等の検索エンジンを通じてデータベース化される領域に蓄積されるべきは、優秀な書き手による優れた考察なのか、匿名でなければとても恥ずかしくて公言できないネガティブな感情の吐露なのかといえば、私は前者なのではないかと思います。そういう意味では、むしろ匿名でなければ言えないようなコメントこそ、不特定多数人の目に触れないような閉鎖的な場所に押し込める方が、合理的です(この点において、特定のエントリーに対するネガティブ感情の吐露を当該エントリーの書き手を含む公衆の目に触れさせてしまう現行のはてなブックマークは、そのことによる書き手の更新意欲を減衰させることを回避する他の手段を持たないこととも相まって、言論環境に対する負荷が大きい、非常に不合理なシステムということが言えます。)。
なお、「専門家系ブロガーの立場を十分に配慮する」ということは「専門家系ブロガーを批判するな」ということではありません。専門家系ブロガーは批判を受けること自体は慣れています。ただ、彼らも人間ですから、Civilityを欠く攻撃に大量に晒されると滅入ってきますし、下らない揚げ足取りのお相手に時間をとられるとブログ更新を継続する意欲を失っていきます。実際、専門家系や著名人系の実名ブロガーがコメント欄やブログ自体を閉鎖するきっかけとなった粘着君やイナゴさんたちのコメントというのは、大抵の場合、極めてCivilityを欠くものだったといえます。
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18/06/2007
梅田望夫さんがそのエントリーの中で次のように述べておられます。
こんなことはグローバリゼーションという文脈で、多くの人がすでに語っていることだけれど、「英語圏のネット世界」は、それが本当にカジュアルに自然に具現化されようとしている世界だ。「日本人・イコール・日本語圏・イコール・ネット上の日本語圏」の世界にいるだけだと、こればっかりはなかなか実感できないかもしれない。頭でわかってもね。
「次の十年」、いまの大学生が三十代に入る頃、さらに加速した変化が「仕事をめぐる世界」「職業をめぐる世界」に起きているだろう。いまは「そういう時代なんだ」ということを認識して「緊張感を持って生きる」ってどういうことかを考えてほしいな。
しかし、はてなが提供する、匿名の陰に隠れてだらだらと人の悪口を述べるのに便利な各種サービスに漬かっていると、「英語圏のネット世界」での「グローバルな競争」からは最も遠いところにおいて行かれてしまうのではないかと思うのです。だいたい「自分には実名を明示するメリットはない」云々と嘯いて匿名性のぬるま湯に漬かったままで上から目線で他人を見下すエントリーやブックマークコメントを量産するだけの人生を送る人々のお陰で利潤を得ておきながら、今更「『緊張感を持って生きる』ってどういうことかを考えてほしいな」と言われたって、どうしてもある種の白々しさを感じてしまいます。
「社会が悪いのは誰かのせいだみたいに考える人がいるみたいだけど、政府だって『こういう大変化』の前ではぜんぜん無力という面もあるよ」とのことだけど、しかし、「個」がいくらあがいたって組織を代えていかなければどうにもならないことはしばしばあるのであって、確かに漫然と「誰かのせいだ」みたいに考えるのは無意味かも知れないけど、具体的に問題点を改善することができる組織に問題点を改善するように要求することって、「個」がドンキホーテ的に歯を食いしばって頑張るよりよほど効果がある場合もしばしばあります(だからこそ、民主主義社会では、利害関係をある程度共通する者たちが徒党を組んで政治的に闘争するのです。)。
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17/06/2007
梅田望夫さんは、そのブログエントリーの中で、次のように述べています。
「ネットは悪い、誰かがこの状況を何とかすべきだ」という思考回路を働かせて静観を決め込むよりも、良い面を見つめてでもネットの海に飛び込んで、能動的に何かをして、厳しい目にあったりもしながら強くなっていくほうが、特に若い世代は、中長期的にサバイバル確率が上がるだろう、そのほうがうんとよく生きることができるだろう、そう確信しているのである。
しかし、「静観を決め込む」のではなく、ネットの問題点を分析し、ネット事業者等に問題点の改善を求めていくのであれば、ネットの現状を所与のものとして受け入れその中でただもがき苦しんでいくよりも、その方がうんとよく生きることができるだろう、そう私は確認しているのです。
それは、ネットの問題に限ったことではありません。労働環境が悪ければ、労働環境の改善を求めていく方が、その劣悪な労働環境の中で良い面を見つめることで厳しい目に遭うことをずっと甘受するよりも、うんとよく生きることにつながるのではないかと思うのです。個々人の要求では既得権者に軽くあしらわれるとしても、仲間を集めて徒党を組んで代表者を決めて正規に圧力をかけたり、法廷闘争に持ち込んだりして、環境の改善を目指す方が、中長期的なサバイバル確率を上げることができるのではないかと私は確信しているのです。
システムの問題点により不利益を被っている側が梅田的オポチュニズムを実践してくれれば、そのシステムにより利益を得ている側は万々歳です。若い非正規雇用労働者が生活保護給付金以下の所得水準で働き続けてくれれば企業は儲かりますし、ブロガーたちがはてなブックマークで執拗な誹謗中傷や人格攻撃を受けることを甘受してくれれば、はてなにとってはアクセス数の上昇による利益を享受することができるのでしょう。では、そのことが、現在そのシステムにより不利益を被っている側の中長期的なサバイバル確率を上昇させるのかというと、多分に疑問です。
特に若い世代は、よりよい環境の構築に向けて現状の改善を正々堂々と要求することを覚えた方が、中長期的なサバイバル確率は上がるでしょう。そういう意味では、内容の当否はともかくとして、はてなブックマーク問題について池田先生がとった行動というのは、学ぶべき点が多いのではないかと思うのです。
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16/06/2007
梅田望夫さんは、そのエントリーの中で次のように述べています。
たとえば小林秀雄や司馬遼太郎といった故人の作品を読み返すとき、彼らはネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む機会を得なかったんだなあと思い、現代に生きる幸福を痛感する。
おそらく、梅田さんの目には、亀田興毅の世界タイトルマッチを見て感動したとブログで書いたことにより見ず知らずの人の心を(憎悪の方向で)動かし、アスリート失格云々と自分を執拗に罵るにまだ至らしめたことを知った上村愛子さんはとても幸福に見えるのでしょう。「批判からもたくさんのことを学ぶことができる」?あの件で上村愛子さんに「批判」から何を学べというのでしょう?採点競技における採点がしばしば端からは不可解に映ることなんて、同じく半分は採点競技であるモーグルの日本代表である上村さんが知らないわけないじゃないですか。だからといって、八百長が行われたと断ずることは無意味だし、勝者の姿に感動を覚えることは間違っていないはずです。
ネット上に溢れる無数の読者による罵倒を読む機会があって罵倒される人はなんて幸福なんでしょうという梅田さん的な考え方に立てば、人々に他人を罵る場を与えて利益を得るはてな株式会社は、他人を罵る人々だけでなく、罵られる人をも幸福にする優良企業であると位置づけることができます。まあ、なんてポジティブな生き方なのでしょう。
しかし、梅田さん的ポジティブさというのは、所詮は現実を無視したポジショントークでしかないわけで、現実には、「ネット上に溢れる無数の読者の『作品に対する感想や批判(ときには罵倒)』」を読むことは幸福だとは捉えられていません。実際のところ、小林秀雄や司馬遼太郎クラスの現代作家や随筆家は、コメント欄付きのブログを設置してまで「ネット上に溢れる無数の読者の『作品に対する感想や批判(ときには罵倒)』」を読もうとはなかなかしていないのです(梅田さんと対談をした平野啓一郎さんですら、ブログはコメント欄なしですし、公式サイトではメールアドレスが明記されているものの、「※お送りいただいたメールは、メール管理人が受信・管理し、管理人の判断で平野 啓一郎に転送されますが、場合によっては転送されないメールもありますことを御了承ください。」との注記が記載されています。)。
私は梅田さんには、是非とも小林秀雄や司馬遼太郎クラスの現代作家や随筆家に対して、「『ネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む』ことはとっても幸福なことなので是非ともはてなにコメント欄付きのブログを開設するように」と説得してもらいたいし、仮にネットに溢れる無数の読者からの悪意剥き出しの批判や罵倒が寄せられてもコメント欄を削除したりブログを閉じたりせず、前進で幸福を痛感してもらいたいと説得してもらいたいものです。
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15/06/2007
小飼さんからトラックバックをいただきました。
本blogの定期購読者ならお分かりの通り、私は梅田望夫をblogosphereでもっともどついてきた一人でもある。そして彼がそれを「痛感」していることも知っている。そして私は、彼がそれで倒れないことも知っている。
もちろん、匿名さんたちからの執拗な誹謗中傷に強い人もいます。しかし、そういう特殊な人の言論しかブログでは読むことができない、とすればそれはマイナスです。だって、世の中には、小飼さんや梅田さんや私や池田さんより優秀な人たちがいて、その人たちがその知見を無償で公開し、質疑に応ずることをやぶさかではないと思っていたとしても、その人が執拗な誹謗中傷に強くない普通の人だと、それをブログでは読めないのですから。私は、小飼さんのブログも楽しみにしていますが、もっとすごいブログも読みたいのです。
また、muffdivingさんは、次のように仰っています。
自分で何かを公の場でやろうとするんだったら、批判や電波に対するリスクは常に付きまとうわけで、これはリアルだろうがブログだろうが一緒だ。結局、テメエの場所はテメエしか守れねえわけで。それすらできないんだったら自分で何かを表現する以前の問題だと思いますがね。
しかし、現実社会では、執拗な嫌がらせに対しては、法が介入するようにできています。学校や職場で、執拗な嫌がらせが特定の個人に向けて執拗になされているのを知りながら、「テメエの場所はテメエで守れ」なんてことを言ってこれを放置していたら、法的な制裁が責任者に発生します。個々の嫌がらせ行為を逐一把握するのは不可能だ、といってみても責任を逃れることは難しいです。
現実社会は、例えば「騒音おばさん」問題の時に、「別に聞き流せばいいではないか」とか、「嫌がらせがいやなら引っ越せばいいじゃない」とか、「あのおばさんが何であんなに怒っているのかを考えて、あのおばさんの怒りを買わないように生き方を考えろ」などと被害者に泣き寝入りを強いることは求めずに、「騒音おばさん」を逮捕・起訴することを選択し、おおむねその選択は受け入れられたのです。
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14/06/2007
ekkenさんは「荒らしを許容するわけじゃないけど、誰にでも書き込みができるスペースを設けている以上、迷惑な書き込みを削除するというような多少のコストは覚悟しておいたほうが良いだろうなぁ。」と仰るのですが、実際には、そんな覚悟を求められるくらいならばブログでの情報提供などしないという方向に、特に質の高い情報を提供できそうな人々が向かってしまうだろうということは容易に想像がつくのであって、現実に日本のブログ界はそういう方向に向かっています(ネットでの匿名発言に寛容な佐々木俊尚さんですら、もはやコメント欄付きのブログは持っていないし、コメント欄なしのブログですら久しく更新していません。)。不当な個人攻撃を執拗に受けている人々に「スルー力が足りない」だの「せっせとコメントを削除すればよい」だの「コメント欄を閉じればいい」だのと要求するのは、ネットのあちら側の甘えでしかないようにすら思えます。こんな状態で、「ネットがあれば新聞はいらない」なんて、なんて質の高い情報の要求されない世界に住んでいるのだろうと感心してしまいます。
結局、今の商用ブログ環境だと、匿名の陰に隠れて他人のブログのコメント欄でブログ主等を執拗に個人攻撃することを恥じ入ることがない人々や集団が事実上支配することとなり、彼らのの知的レベルにブログ界が長期的に収斂してしまうことが予想されるのであり、情報サービスとしては、メディアを飲み込むどころか、メディアに鼻で笑われるようなレベルのものにしかならなくなります。
「匿名の陰に隠れることができるブログのコメント欄では、こんな僕でも、あんな人やこんな人に、こんなにすごいことが言えるのだ」という高揚感を覚えてしまうと、その既得権益を手放したくないという気持ちになるのは不思議なことではないのですが、でも、彼らって、ブログの情報材としての価値を高めていないように思われます。
【追記】
NOV1975さんから、
別にそんな人にブログで書いてもらう必要もないんじゃ?他に書くとこがあって、そこで満足しているなら。ネット上の発信元はそもそもブログである必然性すらない。そんな人に配慮するために存在するわけでもない
というブックマークコメントをいただきました。この辺はスタンスの問題なのですが、私は、各分野の専門家によるレベルの高いエントリーがブログにアップロードされ、そこでその分野に興味を持った素人との交流や同じ分野を専門とする人々との高度な議論がなされるのをむしろ読みたい反面、匿名でなければ言いたいことが言えない人々が匿名であるが故に傍若無人にブログ主を中傷しブログ主を困惑させる様子は特に見たくはありません。ブログ主に対しては誹謗中傷を受け続けることすら覚悟させる一方、匿名コメンテーターにはそのコメントを投稿したことにより受けるべき社会的評価の低下や法的責任すら回避させてあげる現在のシステムでは、「各分野の専門家によるレベルの高いエントリーがブログにアップロードされ、そこでその分野に興味を持った素人との交流や同じ分野を専門とする人々との高度な議論がなされる」ことがなかなか期待できないのが残念です。
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13/06/2007
前回のエントリについて、「コメント欄を閉じればいいではないか」という趣旨のコメントがありました。
ただ、コメント欄等で執拗な誹謗中傷を受けたブログ主が、「コメント欄を閉じれば誹謗中傷コメントを見ずに済むから、ブログの更新を継続しよう」と考えてくれるとは限りません。質の高いエントリーを継続的に投稿できる専門家の多くは、紙媒体等にもコラム等を執筆する機会があり、そこまでしてブログを更新する必要性を欠くからです。
また、仮にそのブログ主がコメント欄を閉じるにとどめブログの更新は継続することにしたとしても、これにより読者とブログ主との間の交流は大いに制約されることになります。
コメント欄で匿名の陰に隠れてブログ主を誹謗中傷したり個人攻撃を行ったりする自由を容認することに、上記のような副作用を超える価値を見いだすことができるのかというと、少なくとも情報源としての価値についていえばそのような価値はありません。あとは、そのようなコメントを投稿して他人(特に、自分よりも社会的に恵まれた境遇にある人々)を不快にすることないしそのようなコメントによりそのような他人が不快な思いにさせられていると認識することストレスの発散効果にどの程度の価値を置くのかということが問題となるくらいです。
そのように考えてみると、「コメント欄を閉じればいい」といってみても、それはネットイナゴがシステム的に放置されることの副作用を軽視できる理由にはなっていないように思います。
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12/06/2007
ブログ主に高度の「スルー力」を求めることでコメント欄等での誹謗中傷問題を解決しようとすると、ブログを用いて情報発信することのハードルは高くなります。特に、誹謗中傷や人格攻撃を執拗に受けて非常に不愉快な思いをしてまで無償で公衆に向けて情報発信をしなくとも情報発信をすることが可能な専門家や著名人がブログを用いて無償で情報発信を行おうというインセンティブは大いに削がれることになります。といいますか、いくら誹謗中傷をしても、これに耐えて、引き続き無償で質の高いエントリーをアップロードしてくれる人が次々と参入してくれると期待する法が虫がよすぎると言えます。
実際、少なくとも法学系について言えばすでにその弊害は発生しており、日本では、法律家系ブロガーはなかなか増えません。サイバー法系や知財系はネットとの親和性が高いし、粘着くん等の行動も研究の範囲内に含まれるのでまだしも、伝統的な法領域の研究者は、若手を含めても、なかなかブログ界に新規参入してきません(例えば、民事訴訟法系ブロガーって、せいぜい町村先生くらいしか思いつかないでしょう?)。
ブログ主に対する誹謗中傷や人格攻撃を執拗に行っても事実上何の責任も実社会で追わずに済む現在の商用ブログシステム(匿名プロクシ経由だとほぼ追跡されませんし)は、コメントの書き手の垣根を低くし、特定のブログエントリーに大量のコメントが投稿される状態を作出しやすいので、ブログ事業者としてはそのような環境を変えたくないという気持ちは強いのでしょう。ただ、ブログ主に対する誹謗中傷や人格攻撃というのは一般に情報としての価値が低いので、そのようなコメントを投稿することのハードルを低い状態で維持することにより、質の高い情報発信を行うことが可能な専門家等のブログへの参入のインセンティブを削ぐことは、ブログの情報源としての価値を貶めることになります。
そんなこんなで、梅田望夫さんがどんなに煽っても、日本ではWeb2.0って、情報サービスとしてはあまり成功していないのです。
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29/05/2007
町村泰貴北海道大学教授は、ファンサブに関して、
さて、日本であれば、これは非合法だし、そのことは認識可能であろうから、直ちに削除しなければ刑事罰を科されても文句は言えない。いや、実は削除しても、それで罪が消えるわけではないのだが。
プロバイダもこの種のファイルが載っていることを指摘されただけで、直ちに削除しなければ刑事罰を科されても文句が言えないと、そういう社会になろうとしている。しかも正犯扱いされるということなら、他人のUPしたファンサブについて、認識可能だという認定を警察がすれば、捜査対象にされてしまうおそれがあるのだ。
とおっしゃっています。
しかし、プロバイダ責任制限法が制定された当初から、特定の違法コンテンツが自社の提供するサーバを通じて公衆に提供されていることを知り、かつこれをサーバから削除する等により送信防止措置を講ずることが可能である場合であっても、送信防止措置を講ずることなくそのサーバを介した違法コンテンツを流通を継続させる権限を特定電気通信役務提供者に付与しようという見解は示されたことがありません。また、米国のノーティス・アンド・テイクダウン手続では、違法コンテンツがアップロードされているとの指摘を受けたらプロバイダ等はまず送信防止措置を一旦講じなければなりません(その後、違法でないことが判明したら、送信を再開することができます。)。だから、何を今更という感じがします。
ファンサブについて「必要なものかといわれれば、必要だ、なくすべきでない、と考えている」としても、ファンサブをなくさないための手法としては、ファンサブの製作及び配信を著作権の制限に盛り込む法改正を働きかけるか、又は、許諾システムの確立を図るというのが筋であって、特定電気通信役務提供者はそのようなコンテンツの流通が必要であると思ったら違法なコンテンツであると知ってもその流通を防止しないことができる、国内の実体法を超える権限を与えるべきだと言われてしまうと筋が違うように思います(町村教授はそこまではっきり言っているわけではないのですが、非合法なファンサブがアップロードされていることを指摘されながらこれを削除しないプロバイダが刑事罰を科されることをネガティブに捉えていることは読み取り可能です。)。
情報発信者の匿名性が高度に保障されているネット空間において、プロバイダ等に違法コンテンツの削除義務を認めない場合には、ネット空間は、違法コンテンツが削除されずに流通し続ける無法地帯に成り下がってしまいます(「ファンサブ」は「必要だ、なくすべきでない、と考え」てこれを削除しないプロバイダ等を免責とするのであれば、児童ポルノについて同様の考え方から削除しないプロバイダ等も免責とすることになるのでしょうし、レイプ動画についても同様の考え方から削除しないプロバイダ等をも免責とすることになるのでしょう。何を削除し何を削除しないかを決定する権限をプロバイダ等に付与し、司法がこれに介入することを禁止してしまえばそういうことになります。)。
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23/05/2007
例えば、復古的改憲に反対する市民グループのリーダーの自宅を、覆面をかぶった者たちが数人で取り囲み、投石を行い、当該リーダーを大声で罵るということが連日行われたとして、当該リーダーが警察に対し、上記の者たちの取り締まり並びに身辺警護を要請したにもかかわらず、警察が、「投石等をされたくなかったら、あなたが言動を慎むなり、彼らの知らないところに身を隠すなりすればよいのだ。」と言うばかりで、投石等を黙って見守った場合、私の感覚だと、さらなる被害を受けた分については警察は一定の法的責任を負うのではないかという気がします。
あるいは、上記市民グループのリーダーが投石等の嫌がらせを受けたというニュースとの関係で、「投石等をされたくなかったら、改憲派の気分を害するような言動を慎むなり、彼らの知らないところに身を隠すなりすればよいのだ。」という発言をすれば、それは改憲派の暴力に屈して復古的改憲に反対しないことを暗に不特定人に求めていると受け取られても仕方がないのであって、「私は、犯罪被害者にならないようにするにはどうしたらよいのかをアドバイスしただけであって、犯罪を取り締まらなくともよいとは言っていない」とか「復古的改憲に反対するのであればそのリスクを承知した上で自己責任でやればよいと言っているだけで、復古的改憲に反対するなとは言っていない」と言ってみても何だか空しいような気がします。
もちろん、上記のような発言を社会的な地位の高い人がすれば、復古的改憲に反対する声を押しつぶしたいと考えている方々からは拍手喝采を浴びることは予想されますが、それで「私は、大衆からこんなに支持されているのだ」と勘違いしてしまう人はその程度の人物に過ぎなかったのだということにおそらくなるのでしょう。
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22/05/2007
町村泰貴先生が次のようなことを述べています。
市長は出張中で、奥さんが一人留守を守っているところに男がやってきて、投石や玄関ドアを蹴るなどの乱暴を働いたということである。
お気の毒な話だが、だからといって小樽市に居住したり訪問したりする人全員にDNA検体の提出を義務づけて、行動監視カメラを辻々に設置して見張るということをしない小樽市や道警小樽署(?)が、被害者に泣き寝入りを強いているといって非難されたりはしない。
しかし、現実社会で市長宅への投石が繰り返されるようであれば、警察は制服警官に警備をさせて更なる犯行を未然に防いだり、あるいは私服警官を張り込ませるなどして犯人を検挙することもできます。また、現実社会で市長宅に投石等の乱暴を行う場合、通行人や警官等に現行犯逮捕される場合がある他、知り合いにその姿を目撃されることにより検挙される場合もあり得ます。「小樽市に居住したり訪問したりする人全員にDNA検体の提出を義務づけ」る必要はありません。また、監視カメラは、小樽市長が自ら設置することも可能です。
これに対し、小樽市長に対する根も葉もないデマの流布や殺人予告等が反復継続して行われる場合、制服警官をどこに張り込ませようが更なる犯行を未然に防ぐ効果はありそうにないですし、私服警官をどこに張り込ませようと犯人の検挙に繋がりそうにありません。ネット上で行われる犯罪を未然に防ぎまたは事後的に検挙するためには、ネット上での情報の発信元が現実社会でのどこの誰であるのかをできる限り確実に知りうるシステムが必要となります(そして、匿名プロクシを多段階に活用してIPアドレスを偽造することが容易に行われ、また、誰がどのIPアドレスを利用したかというデータが残らない公衆無線LANサービスが広く提供されている現在、「IPアドレス&タイムスタンプ」によらない発信者特定手段が必要となります。)。また、小樽市長は、「監視カメラの設置」に匹敵する行為を、ネット上でのデマの流布や殺人予告等に関して行うことができません。また、悪質なデマ情報や殺人予告等を送信する行為が知り合いに目撃されたり、通行人等に現行犯として逮捕されたりという事態は通常予想しがたいといえます。
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20/05/2007
先日のNHK教育テレビの「フランス語会話」では、Kaminiの"Marly Gomont”が紹介されていました1。
この歌は、"Marly Gomont”というフランスの超田舎町での生活をRapでやや自虐的に歌い上げた作品で、いわばFrench-Rap版「俺ら東京さ行ぐだ」といったといった感じです。
この"Marly Gomont”は、プロモーションビデオを含めて低予算で自主制作されたのですが、これをインターネット上で公開したらたちまち大人気になってしまったとのことです。
IT技術の進歩によるコンテンツの制作コストおよびプロモーションコストの低下を、Kaminiはまさに体現したということができるでしょう。先にネットでファンを増やしてからであれば、レコード会社等との間で契約を結ぶにしても、ある程度強い立場で契約交渉に臨むことができるという意味でも、このようなネットの活用は、既存のコンテンツ産業の既得権から若い才能を守ることにもつながっていくのではないかと思います。
ところで、キャリアはないけれども才能のある若者が「夢を掴む」ための舞台装置としてネットを活用してもらうためには、実名や容姿を含む個人情報を隠してなどいられません。Kaminiの"Marly Gomont”なんかは「村で唯一の黒人家庭」というあたりが一つのキーワードになっていますから、仮名を使ったところでどこの誰であるのかは容易に特定可能です(Marly Gomontに行けば、ですが。)。では、村の名前を架空にすればよかったかというと、この歌は舞台がMarly Gomontだから受けたという面もありますし、では、Kaminiはその容姿をPVに乗せなければよかったかというと、Kaminiの歌っているときの表情なんかもこの歌が大受けした要素の一つになっているのでそうも行かなかったのだろうと思います。
町村先生のブログのコメント欄では、ネット上で個人情報を公表することの弊害ばかりが強調されがちですが、それは一方で、キャリアはないけれども才能のある若者たちに対して、その才能を公衆に認めてもらいそのことを自分のキャリアアップにつなげる手段としてネットを活用することは諦めろと言っているようにも聞こえます。
そしてそれは、むしろ、IT革命のもたらす「世界のフラット化」を阻害するものでしかないように思います。「個人情報を隠しきれなかったら負けだ」みたいな環境では、才能を開花させる舞台として既存のメディアに勝てるわけないではないかと私などは思ってしまいます。
1
NHK教育テレビの語学講座の音楽紹介コーナーは結構センスがよかったりするので要チェックです。
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17/05/2007
お仕事の関係で大阪に来ています。といいますか、もうお仕事が終わったので、帰るために大阪空港にいます。飛行機の出発が20分遅れるというアナウンスがありましたので、じっと待っているところです。
大阪空港は、広い範囲でHOTSPOTの電波が飛んでいるので、無線LAN対応機器を持っていると、仕事や暇つぶしはしやすいのですが、電源採取口が有料ラウンジに数個しかないのが難点です。
早めに持ち物チェックを終えて搭乗口付近に来るようにとのアナウンスがなされているのですが、国内空港って、持ち物チェックしてから搭乗口付近の設備がかなり劣るので、どうしても搭乗口付近に向かう時間をできるだけ遅らせようと思ってしまいます(まあ、10分前までには行きますが。)。
搭乗口付近にHOTSPOT等の汎用的な無線LANサービスの電波をとばしてかつ電源採取口を十分に用意しておくと、少なくともモバイラーは早めに搭乗口付近に来るので、出発時間直前に持ち物チェックが混み合うことをそれなりに緩和できると思うのですが、各空港運営会社はその辺のところ考慮していただけないものでしょうか。
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08/05/2007
「Diggの反乱」の最大の問題点は、コミュニティの場を提供している企業を訴訟に巻き込み、多額の賠償義務や履行困難な差止命令等が下される危険が合理的に予測できるにもかかわらず、そのコミュニティの場で掲載しなくともよいことをそのコミュニティの場で掲載し続けることを求め続けたという点です。
米国では、著作権侵害訴訟での賠償額は、法廷賠償金制度や懲罰的損害賠償制度があることもあって、巨額なものとなる虞がありますし、差止命令等を無視していると法廷侮辱罪で収監される虞だってあります。また、米国で知的財産権訴訟を提起されれば、これに応対するのに必要な弁護士費用がまた巨額です。弁護士1人あたりのタイムチャージも高いし、1つの事件処理に弁護士が費やす時間の合計も膨大なものとなります(このため、ベンチャー企業が訴訟を提起されると、判決が出る前に、弁護士費用の負担に耐えられなくて倒産してしまうということも何度もありました。。)。
したがって、権利者から削除を求められている暗号コードを掲載し続けるようにDiggの運営人に求めるということは、Diggというコミュニティ自体が消滅するリスクを負わせるということになります。しかも、DeCSSについて判例がある以上、そのリスクというのはそんなに低いものではありません。
それにもかかわらず、そのようなリスクをとることをDiggの運営陣に求め続けた一部のユーザーや、そのようなリスクをとるとの決断を賞賛するユーザーまたは外野の方々は、そのことによりDiggというコミュニティの場が消滅するかもしれないということについてどのように考えているのか、私にはよく理解できません。
Diggがなくなっても、同じようなコミュニティはいくらでもある?──それなら、暗号キーをDiggに掲載することにこだわる必要はないのではないでしょうか。
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06/05/2007
「Diggの反乱」の続編ですが、大西宏さんはこの件について「Digg創業者の勇気ある声明が事態を沈静化した」というエントリーを発表されています。
Web2.0は、主催者ではなく、ユーザーが主役の世界であり、それだけ主催者側には時と場合によっては大きなリスクが発生してきます。そのリスクを取れないとするならWeb2,0の世界には近づかないほうがいいのかもしれません。
Diggは、ユーザーが主役であることを表明して、危機を脱しました。これこそマーケティング・マインドじゃないかという気がしています。
この問題で、暗号キーを掲載すべきというユーザーに一方的に肩入れすれば、著作権者側からの訴訟に晒されることになりますから、この段階で「危機を脱し」たというのは時期尚早でしょう。法務マインドから見ると、声の大きな集団の迎合することで、当面問題を先送りにしたにすぎないということになります。
さらにいえば、(結果に責任を負わないユーザー団を主役にすると表明することで)今後、暗号キー以外の違法コンテンツ(誹謗中傷、ヘイトメッセージ(注1)、ポルノ、殺人予告・謀議(注2))等についても削除をしないように声の大きなユーザー集団が求めたときに同じようにそれらの要素を含むコンテンツを削除せずに放置するという方針を採ることが、Diggには期待されてしまったと言えるでしょう。既存の法秩序を破壊したいけれども、その過程で負わされかねない責任は第三者に押し付けたいという人たちは、世の中に掃いて捨てるほどいるのです。
日本では、匿名の卑怯者さんたちがネット上でやりたい放題に他人を傷つけるのをネット事業者が温かく見守ってあげれば、被害者が泣き寝入りをすることで一件落着万々歳というのが標準になっているかと思うのですが、米国の被害者たちはお金を持っている人たちに何らかの手がかりが見つかれば巨額の損害賠償請求訴訟を提起するということを全然厭わないので、ネット事業者が加害者たちの味方をすることを表明し加害者たちから信頼を勝ち取ったからといって全然一件落着などしないのです(といいますか、この決断がおそらくどういう結末をもたらすかということを、Kevinは顧問弁護士から聞いているでしょうし、それをわかっていて暗号キーの削除をさせまいとするユーザーたちに対する絶望感から「You’d rather see Digg go down fighting than bow down to a bigger company. 」とか「If we lose, then what the hell, at least we died trying.」という言葉が出ているような気がします。
注1)
特定の人種、民族等についての憎悪等を煽るような言動を禁止する法律を制定する国や社会は少なくありません。
注2)
米国の場合、中絶反対派の方々が、中絶を行っている医師に対して殺害予告を行いまたは実際に殺害行為に及ぶことがしばしばあります。
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Diggという英語圏ではユーザーの多いソーシャルニュースサイトにおける「反乱」が、英語圏では話題になっています。
HD-DVDのコピープロテクトを打ち破る暗号キーがDiggのユーザーにより投稿され、そのことについて削除せよとの警告状が来たためこれを削除したところ、一部のユーザーから運営サイドがDigg上で批判をされたり、上記暗号キーを執拗に投稿されるなどの強い反発を受けた。そうしているうちに、Diggの経営陣が、音を上げて、暗号キーを削除しないことにした。それが、おおざっぱなストーリーです。
Diggの創設者であるKevin Roseは、「(A)fter seeing hundreds of stories and reading thousands of comments, you've made it clear. You'd rather see Digg go down fighting than bow down to a bigger company. We hear you, and effective immediately we won't delete stories or comments containing the code and will deal with whatever the consequences might be.……If we lose, then what the hell, at least we died trying.(何百ものストーリーを見、何千ものコメントを読んだらわかったよ。君たちは、Diggがより大きな会社に頭を下げるのより、戦って敗れるのを見たいのだろう。そうするよ。速やかに、例のコードを含むストーリーやコメントを削除しないことにするし、その結果がどうなろうとも何とか対処してみるよ。俺たちが負けたら……少なくとも、挑戦して死ぬってことさ。)」と述べています。
このKevinの声明前に、Diggのスタッフである Jay Adelsonが述べるとおり、「Our goal is always to maintain a purely democratic system for the submission and sharing of information - and we want Digg to continue to be a great resource for finding the best content. However, in order for that to happen, we all need to work together to protect Digg from exposure to lawsuits that could very quickly shut us down.(我々のゴールはいつだって、意見を開陳し情報を共有するための純粋に民主的なシステムを維持することにあるし、俺たちは、Diggが最高のコンテンツを探し出すために偉大なリソースであり続けてほしいと願っているよ。でもさ、そうするためには、俺たちを忽ち閉鎖させかねない訴訟に晒されることからDiggを守るためにみんなで協力していくことが必要なんだ)」と述べていた(これは企業倫理としては当然の声明です。)のですが、荒れ狂うユーザーたちは聞く耳を持たなかったので、上記のようなことになってしまいました。
上記のKevinの声明に対しては、Michael S. Maloneから、「In other words, Digg was willing to block porn and hate sites, but was perfectly willing to violate trade secrets if its users said so.(言い換えれば、Diggはポルノやヘイトサイトをブロックしたが、ユーザーがそうせよと言えば、営業秘密を完璧に侵害することを厭わないということだ」との批判を受けています。
日本のネット事業者やそのシンパの方々は「法務担当者も顧問弁護士もいないから個々の投稿の適法・違法性の判断が自分たちにはできない(だから、違法な投稿の削除を拒んでもネット事業者は法的責任を負わされるべきではない)」という悠長なことをいっているわけですが、顧問弁護士抜きで事業を営むなんて考えられない米国文化で会社を興しているKevinはそんな悠長なことは考えていないでしょうし、おそらく顧問弁護士からは、暗号キーを削除しなければ、サービス自体の停止を命じられたり巨額の賠償命令が下される虞があることを聞かされたことでしょう。しかし、そういう違法行為(である可能性が高い行為)に荷担しなければ、それはそれでサービス事態が立ち行かなくなることをユーザーから突きつけられてしまう。本当に辛い決断だろうと思います。
では、そういう要求を突きつけているユーザーは、といえば、暗号キーを削除しないことでDiggが敗訴して立ち行かなくなっても、何の責任も負わないだろうし、あっけらかんとして類似のサービスを使うのだろうなと思ったりはします。結果に責任を持たず、サービスがなくなっても大して痛くも痒くもないからこそ、「暗号キーの公開」という「表現の自由」の本来的な価値からは遠い類の言論を守らせて、システム自体を存亡の危機に立たせることに何らの躊躇も覚えないのだろうなあと推測します。
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03/05/2007
ABCnews.comの記事としては、
Female Bloggers Face Threats: What Can Be Done?
'Cloak of Anonymity' Hides Posters' Identities, Conversation Heats Up
も興味深かったです。
南キャロライナ大学のAnn Bartow教授もまた、「the cloak of anonymity [online] gives people the freedom that our cultural norms keep them from saying in real life, where their words are attributable to them.」と仰っています。
女性ブロガーが不当な攻撃を受けているという事件を知って、ただ肩をすくめるだけで、女性たちをブログ界から立ち去らせるに任せるのではなく、インターネットのアーキテクチャーを変更する議論を広げていくことが望ましいというBartow教授の議論はその通りなのだろうなと思います。
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30/04/2007
北海道大学の町村泰貴教授は、そのブログのエントリーで、「掲示板管理者が犯罪行為となる書き込みを知りながら放置していたということでどんどん立件されるようになれば、被害者救済には極めて大きく働くと同時に、BBSの自由は極めて大きく損なわれるだろう。」と述べています。
この発言を素直に読むと、町村教授は、「BBSの自由」の中には、「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置する自由」が含まれていると考えているものと読むことができ、かつ、その自由は「被害者救済」よりも重要である(従って、BBSの「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置する自由」を守るためには被害者救済が疎かになっても構わない)とのニュアンスを読み取ることができます。
町村教授は、「過剰防衛的削除がはびこるし、そもそも掲示板を開設するということ自体にも萎縮効果が生じてしまう」ことを心配されているようですが、むしろ、「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置」しても刑事的な制裁の対象とならないということになると、アクセス数を向上させる手段として、「犯罪行為となる書き込みを放置する」掲示板をはびこらせる結果になることは十分予想ができることです。
プロバイダ責任制限法を制定する際にも、「常時監視義務を負わせることは妥当ではない」ということは前提とされていましたが、「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置する自由」を認めなければ「掲示板を開設するということ自体にも萎縮効果が生じてしまう」ということは斟酌されていなかったわけで、町村教授は今更何を仰っているのだろうという疑問を私はぬぐい去ることができません。
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29/04/2007
新聞とネットの関係について、小林恭子さんのこの記事はとても参考になります。クロスワードパズルがとても重要なことも含めて。
日本のブロガーの中には、メディアは一次情報を流せばいいのだ、解説はいらないという人が少なくないですが、むしろ、ネットで第1報を流しても、詳しい解説が読みたくて新聞を買ってくれる人がいるようなので、やはり解説は重要みたいです。
まあ、自分が専門知識を有しない分野では、誰だかわからない匿名さんの解説をネットで読むよりは、ある程度名の通った専門家の解説を読む方が間違いが少ないと考えるのは合理的です。
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O'Reillyさんがそのブログで発表した「Blogging Code of Conduct」の叩き台案は、様々に反響を呼んでいます。この叩き台案については、「ネットに詳しい」O'Reillyさんがブロガーのあるべき姿をどのように捕らえているのかを知る上でも、十分な手がかりとなりそうです。そしてそれは、日本の匿名コメンテーターさんたちが叫ぶ「ネットの常識」とはかなり距離があるように思います。
まず、O'Reillyさんは、「We celebrate the blogosphere because it embraces frank and open conversation. But frankness does not have to mean lack of civility. We present this Blogger Code of Conduct in hopes that it helps create a culture that encourages both personal expression and constructive conversation.」(我々は、率直でオープンな会話を含むが故にBlogosphereを賞賛する。しかし、率直さというのは、礼儀正しさの欠如を意味する必要はない。我々は、個人の表現と建設的な会話を奨励する文化を創造するのに役立つことを願ってこの Blogger Code of Conduct (Bloggerの行動規則)を提示する。)としており、「フラット化」の意味を取り違えて礼節を書く内容・文体のコメントを投稿するあまたの日本のコメンテーターさんたちとの立脚点の違いは明らかです。
その上で、第1条で、「 We take responsibility for our own words and for the comments we allow on our blog.」 (我々は、自分自身の言葉に対して、さらに、自分のブログ上にあることを容認したコメントに対して責任を負う。」としています。この原則はさらに、「we will not post unacceptable content, and we'll delete comments that contain it.」(我々は、「受け入れがたい内容」を投稿しないし、「受け入れがたい内容」を含むコメントを削除する。」ということで具体化します。
また、 「We won't say anything online that we wouldn't say in person.」(我々は、面と向かっていえないことは、オンラインでもいわない。)
としており、「匿名でないと言えないことを言うこと」こそがブログの本質だと考えている日本の匿名ブロガー・コメンテーターさんたちとは大きな一線が画されています。
また、O'Reillyさんは、「We connect privately before we respond publicly. 」(我々は、公開のところで応答する前に、非公開に連絡を取り合う」ことを謳っており、それ故、「We require commenters to supply a valid email address before they can post」(我々は、コメンターさんたちがコメントを投稿する前に有効な電子メールアドレスを提供することを要求する)としています。
ちゃんと届くアドレスがわからなければ非公開で連絡を取り合うことなどできません。
荒らしへの対応については、O'Reillyさんは、「We prefer not to respond to nasty comments about us or our blog」(我々は、我々や我々のブログについての不快なコメントに応答しない方がよいと思う」として「荒らしにはスルーが原則」と同じようなことを言っていますが、但しそれは「as long as they don't veer into abuse or libel.」(それらが悪口や中傷にまで行き着かない限りは)という限定付きです。
こうみると、Web2.0というのは、匿名さんによる誹謗中傷を容認して建設的な議論を諦める環境を指すのではないことがよくわかります。これからWeb2.0的なシステムの構築をしていこうという企業は、ノイズを極小化して、建設的な議論が行われやすくする工夫をしていくのがいいのではないかと思います。
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