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03/07/2008

「中傷にはスルーが原則」は今は昔のお話

 nov1975さんはさて、泣き寝入りをしなくて済む方法は。こと世の中の評判に対しては、自分の正当性を高らかに歌い上げればよいんじゃないでしょうか。後ろ暗いところがなければ、ちゃんと見ている人はわかってくれるでしょう。仰っています

 私たちの領域でも、ネット上での中傷は放置しておくのが一番だと、10年くらい前は、そうアドバイスをしていたのです。しかし、それも昔の話です。

 最近は、組織的な中傷も多いので放置していても中傷がやまないという事態が増えてきました(流されているネタからするとどうもライバル業者がやっているのではないかという事例は結構多いです。)。また、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人も増えてきました。やはり衝撃はライナス学園事件であって、ネット上での誹謗中傷により生徒の大幅減少にまで追い詰められたわけです。

 そのようなときに「自分の正当性を高らかに歌い上げ」ても焼け石に水って場合は少なくありません。「内部告発もどき」の投稿が執拗になされているときに、「あれは事実無根です」ということをいくら高らかに謳い上げようが、ネットで匿名で語られていることの方を信じる人には全く効果がありません。中傷に対しては、対抗言論は成立しません。リタラシーの高い人々のみを相手にしていればよい業界はよいのですが、リタラシーの必ずしも高くない人をも顧客としなければならない業種も少なくないのです。

 また、絶え間のない悪意に晒され、それがネットの匿名集団により囃されることに精神的に耐えられない人々も結構います。といいますか、それが人間としては普通なのであって、ネットでの集中的かつ継続的な中傷を「スルー」できる方が特殊です。

 逆に言えば、匿名さんたちからすると、だからこそ、集中的かつ継続的に中傷を行って相手を精神的に追い詰めてあわよくば自殺に追い込んだり、ライバル業者の営業を妨害しあわよくば倒産に追い込んだりする手段として、ネットの匿名性は保障されなければならないということになるのだとは思います。ただ、そういう手段を保障しなければならないというのは、表現の自由が憲法上保障されているということを加味しても、法的にも倫理的にも正しくないように思います。

 我が国において、ネットの匿名性を手にしたときに自制心を保てなくなってしまった人が少なくなく、しかも、ネットの匿名社会はこれを自立的に排斥する意図がないことが事実として明らかになっています。このような環境の下では、ネット表現の匿名性の保障というのは、日本国民は未だこれを持つに値しないのではないかと思います。

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18/06/2008

発信者情報開示の運用の見直しの必要性

 発信者情報開示の手続に関しては,そろそろ,開示請求者側の代理人として,主たるアクセスプロバイダやレンタルサーバ業者(商用ブログ事業者やレンタルサーバ事業者を含む。),巨大電子掲示板管理者等に,運用の改善を求めた方が良いかなという気にはなっています。壇先生や久保先生などもお誘いした方が良いかもしれません。

 とりあえず,弁護士が代理人についているのに本人の写真付き身分証明書の写しの交付を要求するのはやめてもらいたいし(本人から委任を受けていないのに委任状を偽造してまで発信者情報の開示請求をするなんてリスク犯しませんよ),投稿者のメールアドレスとして捨てアドが登録されていて意見照会ができない場合や,意見照会の結果真実性の抗弁の存在を基礎づける資料の提出がなかった場合には,速やかに発信者情報の開示に応じていただきたいものです。意見照会の結果のコメントが「申し訳ありません。発信者情報だけは開示しないで下さい」なのに,「当該犯罪を犯していないとの公的な証明書が提出されない限り,権利侵害が明白とは言えないので,開示には応じられません」という回答はもう止めてもらいたいものです。

 また,IPアドレスと投稿時間しか把握できていないレンタルサーバ業者等について言えば,発信者情報の開示請求を受けたら,当該投稿に用いられたIPアドレスからアクセスプロバイダを探し出して,当該投稿にかかるアクセスログを消去せずに保管しておくようにアクセスプロバイダに連絡し,そのような連絡を受けたアクセスプロバイダは当該投稿のなされた時間帯に当該IPアドレスの割り当てを受けていた人物を特定するのに必要な限度でアクセスログを切り分けて保管するようにしてもらいたいものです。

 ブログ事業者等には,匿名プロキシサーバを経由してのコメント投稿を禁止するようなシステムを採用してもらいたいものです。ブログのコメント欄で名誉又は名誉感情を毀損されるのはブログ主だけとは限らず,むしろ第三者の名誉又は名誉感情がコメント欄で毀損される例も少なからずあるので,匿名プロキシサーバ経由のコメントの投稿を認めるか否かをブログ主の選択に委ねるのも如何なものかという気がしつつあります。

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FireFox3.0

 さきほどFireFox3.0(OSX用)をダウンロードして試しに使ってみているところですが,体感速度がSafari3.1.1より大分速いような気がします。Flock1.0も速いと思いましたが,それ以上に速さを感じます。

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15/06/2008

医療事故の実態を知りたければまず俺たちを免責せよという要求について

 全国医師連盟の意見表明は、その公式サイトにおいて、「iken1.html」から「iken6.html」まで6本、公表されています。同連盟の正式な発足はつい最近のことなので、各意見書の名義は、「全国医師連盟 設立準備委員会 執行部」というような形になっていますが(「執行部」名義ではなく、単に「会員の声」となっているものもある)、iken1.htmlではわざわざ「*これは設立準備委員会のものですが、現在でも通用します。」と注意書きが記載されていますし、「全国医師連盟」のロゴとともに「ikenX.html」(Xには数字が入る)というファイル名の元に同連盟の公式ウェブサイトに掲載されているのですから、今月になって正式に発足した「全国医師連盟」の意見を基本的に反映していると見てよいのでしょう。これらのウェブページからメニュー部分に表示されている「解説・オピニオン」という文字列をクリックしても、それ以外の解説・オピニオンというのは今日現在表示されませんし。

 全国医師連盟の公式サイトに掲載されているご意見のうち、半分(1,3,6)が「医療安全調査委員会」の新設に反対するものです。具体的にいうと、調査の結果、民事または刑事上の責任が医師にあることが判明した場合に法に則った責任を医師がおわされるような調査が行われることには反対だということです。

 民事にせよ刑事にせよ、医師に対して「結果責任」を負わせる法体系とはなっていないので、医療関連死に対して正しい事実認定がなされ、現在の医療水準に則った注意義務の設定がなされれば、現在の医療水準に則って医療活動を行っている医師が法的責任を負わされることはありません。もちろん、判断者が人間である以上間違えることもあるでしょうが、「医療安全調査委員会」の新設というのは、できるだけ間違った判断がなされないような工夫の一環であるというべきでしょう。

 しかし、これに反対する全国医師連盟の主張を敷衍すると、医師として期待される注意義務を満たしていなかったこと、言い換えれば、刑事法から見れば犯罪行為が行われていたこと、民事法から見れば不法行為または債務不履行が行われていたことが調査により明らかになった場合に、実体法的に発生している法的責任を医師に対し問わないことが保証されない限り、「医療安全調査委員会」において、医療関連死に対して正しい事実認定がなされ、現在の医療水準に則って注意義務の具体的内容が設定されることには受け入れがたいということになるのではないかと思います。医師の方々は、医師の責任が問われるべきでないとする例として、(医師の事実認識を前提とすると)過失がなかったと考えられる例を持ち出して医師に法的責任を問うことを問題視するのですが、実際には、患者の取り違えや点滴の作り置きのように、「医療の不確実性」云々の問題ではないミスで患者が死に至る場合もあるわけです。しかし、これを見る限り、全国医師連盟としては、そのような例だということが調査により明らかになった場合であっても、事故の再発防止に役立てばそれで患者側は満足すべきであって、医師が「医師免許の停止や剥奪などの行政処分というペナルティや罰金刑や禁固刑といった刑罰」を課されることはもちろん、「患者さんやそのご家族が医師を訴えて損害賠償金を払わせるということ」も断念せよということを要求しているように読めます。

 閑話休題。全国医師連盟では、「国際的に評価の高い日本の医療は、先進国最低の医療費に よって賄われている」としています。これは、ネット上でも医師とおぼしき人々からしばしば語られることですが、本当でしょうか。

 世界保健機構の公式ページにアクセスすると、NHA Ratios and Per capita levels というデータを、Excel形式またはpdf形式でダウンロードすることができます。そのデータには、国ごとの「Total expenditure on health as % of Gross domestic product」も掲載されています。これによれば、日本の健康関連総支出はGDP比で8.2%(2005年)です。では、これは先進国の中で最低なのかというと、何をもって「先進国」というかによるということになりそうです。というのも、このGDP比が日本よりも小さい国として、ロシア、フィンランド、ルクセンブルグ、メキシコ等があり、またほぼスペイン、英国、アイルランドとほぼ同レベルだからです(以上の国々は、ロシアをのぞき、OECD加盟国です。)。むしろ、米国(マーシャル諸島についで世界2位)が特殊としかいいようがありません。このように、実際のデータを見ると、日本の医療は、先進国最低の医療費に よって賄われている」とは言い難いように思えてきます。

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14/06/2008

患者の権利は重んじていない

 全国医師連盟というのが結成されていたのですね。

 患者と医療従事者の権利を重んじ、医療の質の向上と診療環境を改善するために活動しますというお題目は立派です。でも、実際のところ、医療行為に関して医師に法的責任を問うなという話に重点が置かれすぎていて、少しも「患者……の権利を重んじ」ているようには見えません。

 例えば、「産科崩壊阻止のための対策要望書」では、第1に、医療の結果に付き、刑事責任免責として下さい。これは全ての科に必要です。出産には産婦人科、麻酔科、外科、小児科、内科が関わり合いますから、産科だけでは無意味です。 最近は外科、救急医療が崩壊中ですから、必ず必要です。という要求から始まります。しかし、横浜市立大学病院事件のように、肺の手術予定だった男性患者と心臓の手術予定の男性患者を取 り違えて執刀してしまった例や、慈恵医大青砥病院事件のように、医師に経験を積ませるために、腹腔鏡下手術の十分な経験のない医師3名が、指導医無しで執刀し、大量出血による脳死で死亡させたような例まで含めて刑事免責とすることに国民的な合意が得られるようには到底思えません。ある意味正直といえばそうなのかもしれませんが、このような国民が受け入れがたい要求を第1番目にもってくる時点で、アピール文書としては最低です。

 ついで、民事訴訟での上限設定が必要です。分娩保険も支払わない場合だと、1000万円まででしょう。或いは分娩保険を支払う場合は、更に上乗せしても良いでしょう。例えば妊婦死亡の場合損害賠償額2000万円なら分娩費50万円。妊婦死亡の場合損害賠償額1億円なら分娩費500万円とか。支払い可能な額を計算して決めれば良いです。という要求が続きます。国民に対してけんかを売っているのでしょうか。「分娩費500万円を先に払ったら、妊婦が死亡したときには賠償額として1億円払ってやるぜ。そんなに払えないのなら、上限1000万円でせいぜい我慢するのだな」ってことをいっているわけです。産婦人科では、20人に1人の割合で妊婦を死亡させるおつもりなんですかって話ですよね、これは。何で1事故あたりの上限1億円の医師賠責保険の保険料100年分を妊婦が1回の分娩に際して支払わない場合には賠償額として1億円も払う必要がない、保険料10年分を妊婦が1回の分娩に際して支払った場合でも上限2000万円でよいという話がどこから出てくるのか不思議です。

 次に、3 検察審査会の起訴は医療事故には適応されないことにすべきです。感情は医学的判断に影響すべきではありません。あくまで科学的分析すべきです。との要求がなされています。しかし、検察審査会には起訴権限はありません。検察審査会の不起訴不相当ないし起訴相当の議決があった場合に、検察官がこの議決を参考にして事件を再検討するにすぎません。

 一つとばして、病死は異状死でないと定義すべきです。医療関連死は異状死でないと定義して下さい。医療関連死をどうするかは、今後話し合えば良いでしょう。医療関連死は届出義務がないとして下さい。診療行為に関連した予期しない死亡は異状死だという法律上の定義はどこにもありません。法医学会の声明など意見に過ぎません。何ら届け出を法的に拘束するものではありません。診療行為に関連した予期しない死亡が業務上過失致死罪に相当するという法律は存在しません。最高裁が言い出したことは立法権の侵害と思います。法律は国会 が決めることです。との要求がなされています。しかし、「医療関連死」とは、「医療に関する有害事象発生と死との因果関係が疑われうる事例」であり、「遺族が、医療行為、または、不作為との因果関係を疑う可能性のある死亡」である定義されている以上、「医療関連死は病死であって異常死ではない」と定義することは不可能です。例えば、都立広尾病院事件のように、看護師が点滴薬を取り違えて準備し、他の看護師がそれを患者に注入した結果患者が死亡するに至った場合に、これを単なる病死として右から左に処理をしてしまうことに、私は強い違和感を感じます。

 次に、福島県大野病院の産婦人科医加藤先生逮捕事件は不当逮捕不当起訴だったと宣言して下さい。直ちに起訴取り下げして、裁判を終了して下さい。2度と国、政府、厚生労働省、法務省、警察、検察が、この事件の様な不当逮捕、不当起訴事件は起こしませんと宣言して下さい。その宣言がなければ、恐ろしくて産科や外科医療など出来ません。その宣言がなければ、医療冤罪で逮捕起訴される医師が必ず出るからです。何故なら、妊婦は一定の確率で必ず死ぬからです。その度に産科医が逮捕起訴されるのであれば、産科など出来ません。警察は告発あれば、必ず、書類送検します。検察は遺族マスコミの感情に流され、起訴してくる可能性が高いからです。そこに科学的分析の概念はありません。今回の大野病院の刑事裁判で明らかとなりました。と要求しています。しかし、この事件での起訴が正しかったかどうかは、第一審判決も下されていない現段階では未だ明らかではありません。さらにいえば、この事件の前後においても、妊婦が死ぬたびごとに産科医が逮捕起訴されているという事実はありません。日本の刑事司法は、起訴された場合の有罪率は高いですが、起訴率は高くありません。

 一つとばして、陣痛促進剤被害者の会で、「無過失保険で得た保証金で訴訟の準備もありえる」、「産科訴訟に無過失はない全て過失だ。」と公然と宣言されました。だから、無過失保証制度は無意味です。効果はありません。この制度で産科医療崩壊阻止は出来ません。この制度では年間数百億から、数千億円使うことになりますが、この金は無駄なことに使うのではなく、 周産期医療施設の建設や維持に使用すべきです。との要求がなされています。「陣痛促進剤被害者の会」がそう述べたからといって、「産科訴訟に無過失はない全て過失だ」ということになるわけではありません。また、産科関連の無過失補償制度としては、これなどが報道されていますが、その一人あたりの総額は「総額は3000万円弱になる見通し」とされており、また、日本医療機能評価機構の「第12回「産科医療補償制度運営組織準備委員会」次第」では、調査報告書にもとづく推計では、補償の対象となる者は概ね500人〜800人程度と見込まれるとされていますから、必要な予算は、200億円前後です。さらにいえば、出産時の事故により子供が脳性麻痺になってしまうというのは大変なことであって、そのような家庭を経済的に支援するために3000万円程度の給付を行うことを「無駄なこと」と言い切ってしまうセンスにはついていけません。この連盟は「患者と医療従事者の権利を重ん」ずる旨標榜しているものの、患者の権利を軽視し、むしろ憎しんでいるようにすら感じられます。

 こんな独善的な意見書を公表する前に、ちゃんと弁護士にチェックしてもらえばいいのに。

【追記】

 心臓外科医の南淵明宏先生は、政府案に反対し「医療従事者に刑事責任を問うべきではない」との主張があるが。との質問に対してどのような職業でもリスクはある。良かれと思って一生懸命やったことで人が死んだ場合に、医師だけが刑事責任を免じられる理由はないだろう。と答え、司法の介入は「医療崩壊」につながるとの指摘もある。との指摘に対しては、日本の医師社会は個々の医師に関する質の管理を放棄し、見せ掛けを良くする努力ばかりしてきた。その総本山が大学病院であり、ばかばかしさに気付いた若い世代の医師が新たな価値体系を求め迷走している。それが『医療崩壊』と表現される現象だ。事故への司法介入とは次元が違う問題で、刑事責任と医療崩壊を結び付けた議論は、医師社会の幼稚さや秩序の無さを露呈させている。医療は既に根本から崩壊しており、今後は再構築の段階と言えると答えています。矢部先生のブログのコメント欄でとぐろを巻いている方々の意見のみが医師の意見だと思うと他の医師の方に失礼に当たるのだなあということを改めて実感させられる次第です。

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13/06/2008

時間をとるか給与を取るか。

 「労働時間の短縮」という問題を考えた場合には、常に突きつけられる問題があります。給与を取るか時短をとるかという問題です。そして、これは、勤務医の勤務条件に関しても当てはまります。

 例えば、公立病院において、勤務医の人件費として年間1億6000万円の予算が付いたとした場合に、勤務医一人あたりの平均年収を1400万円程度に維持しようと思ったら、11人しか勤務医を雇用することができません。しかし、勤務医一人あたりの平均年収を米国の家庭医並みの水準(800万円程度)にとどめることで医師たちが納得するのであれば、その病院は20人の勤務医を雇用できることになります。すると、勤務医が11人の時には医師が週72時間働かなければこなせなかった仕事が、単純計算で言えば、勤務医が20人の時には週40時間働けば済むということになります。

 勤務医たちの間で「給料が減少してもいいから労働時間を短縮してほしい」という考えが広く共有されているのに、病院の方が「労働時間はともかく、高給を用意しないと、勤務医を確保できない」との意識が強い場合、医師と病院との間のコミュニケーションギャップに基づくミスマッチがあるということになります。そのミスマッチの解消は、ネットで匿名でマスコミや法曹や患者を罵ることによっては解消しません。

 また、給与の面についても、勤務医の平均給与を一定水準に維持する中で、勤務医間の給与格差をどうするのか(実績が乏しい間は低い給与水準に甘んずるが相当の実績を積んだ後は相当の高給を期待するのか、むしろ年功を加味せず労働時間ベースないし出来高ベースで給与を算定するのか等)という問題はあるのですが、これは医師内部での世代間対立をどうするのかという問題であって、医師内部でのコンセンサス作りをしてもらうよりありません。そして、それは、ネットで匿名でぐちぐちと愚痴をこぼしているだけでは不可能です。

 ネット上の医療系コメンテーターはすぐ米国での労働環境を羨むような言い回しをするわけですが、米国では、Committee of Interns and Residentsのようなものを結成してちゃんと戦うわけではないですか。処遇の改善って、そこからがスタートであって、それなしにネットで匿名で不満をぶちまけていても何ら改善はなされないわけで、それは「医師」だって変わりやしません。要求の100%を聞き届けることなんて客観状況が許さないのだから、結局、どの点を重点的に譲歩するのかを探っていかなければならないときに、交渉窓口がはっきりしない勢力と譲歩交渉なんてできないのですから。

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11/06/2008

現状の改善に現実につながる議論がきちんと行われない場を「レベルが高い」と評価することにとても違和感あり

 某ブログのコメント欄では日長一日私に対する個人攻撃、人格攻撃でとても盛り上がっていたようです。ああ、しょうもない人たちだこと!

 それはともかく、医療系コメンテーターたちの問題点をさらに挙げるとするならば、現実社会が対応可能なレベルの要求でとどめておくと言うことを知らないということでしょう。医師という属性と、匿名であると属性故に、ダブルパンチで神様気取りなので、「妥協の余地を探る」という精神構造を持ち得ないのかもしれません。最近のエントリーで医療系コメントスクラムに襲われた法律家系ブログの例を2つ挙げましたが、どちらの例にしても、医療系コメントスクラムの要求というのは、とても現実社会の人間が受け入れることのできないものだったわけです。

 また、医療系コメントスクラムに襲われた団藤保晴さんの例についていえば、団藤さんはジャーナリズムの側ではもっとも彼らの問題意識に近い問題意識を持っている人物の一人であり、それ故、共通する問題意識に基づいてマスメディアと医師側のいわば共闘を呼びかけたわけですが、共闘に伴う一定のリスク負担を求めた(といっても、実名を示して前面に出てくることを求めただけですが)だけで、医療系コメンテーターたちからは総スカンに近い扱いを受けたわけです。

 もちろん、医師たちは単に現実社会での戦い方を知らないだけかもしれません。それならば、法律実務家が戦い方を教えてあげればいいのにと思わなくもありません。そこに何人もいるのですから。現状を少しでもよい方向に「現実に」導くことこそ、法律実務家の本領ではないですか!私は、知財・IT系ですので、その分野ではそれなりにその能力を活用し、それなりに貢献はしてきたつもりです。現状に不満を持つ人々のために不満をぶちまける場を設け、それを褒めそやすだけというお気楽で無意味なことはしてこなかったつもりです。

 これは人生観の違いに由来しているのかもしれませんが、私には、現状の改善に現実につながる議論がきちんと行われない場を、とてもではないですが「レベルが高い」と評価する気になれません。

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矢部先生に期待しても…ってことだったようです。

 矢部先生からコメントを頂きました。本来は,メールで直接にやりとりするべき内容なのですが,最近3回にわたり矢部先生にコメントを投稿いただいた際に,矢部先生は1回1回異なる文字列をメールアドレス欄にご入力されていますし,最初にご入力いただいたアドレスに宛ててメールを送信したところ,そんなアドレスはないとしてMail Delivery Subsystemからの突き返しを食らってしまいましたので,こちらで言及させていただきます。

 矢部先生のコメントの内容は下記のとおりです。

私のブログのコメント欄にあなたに対する人格攻撃があるというのであれば、あなたがコメント欄でお書きになった

>矢部先生のブログのコメント欄の「空気」が、「日本の医師は無条件にすばらしい。それなのに、マスコミも、官僚も、法曹も、患者たちも、おのが欲望のために、不当に医師たちに言いがかりをふっかけてくる。医師の行動にこれらの輩が文句を言うことは許さないぞ!」という類のものであることは理解していますが、

これは、私および私のブログへの投稿者に対する虚構の事実に基づく人格攻撃です。
私に矜持を求めるのであれば、まずあなたが示すべきでしょう。

 矢部先生が私に読めと仰った「空気」についての理解が矢部先生のものと異なっているということをもって「挙行の事実」だの「人格攻撃」だのと捉えることもどうかしていると思いますし,矢部先生のブログのコメント欄の「空気」を素晴らしいものと褒め称えなければ,そこで行われている個人攻撃に対してしかるべき措置を講じないと宣言するのも如何なものかと思われます。といいますか,「空気」に対する評価が人格攻撃なんでしょうか。

 実体面でいうと,矢部先生のブログの,特に医療問題に関するエントリーのコメント欄についていえば,日本の医師を,世界一質が高く,しかも自己犠牲の精神に満ちた素晴らしい存在であると自画自賛する書き込みが多く投稿される一方,そのような医師たちの意に沿わない行動をする法曹,マスコミ,厚労省等の官僚,患者たちについては,酷い言われ様をしており(あそこでの患者側訴訟代理人を務める弁護士の言われ様は,患者側を引き受けない私から見ても酷いと思いますし。),それがブログ主により容認されているわけですから,そこでの「空気」を上記のように要約することがあながち外れていないことは明らかであります。

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労働環境に関する問題は労使関係の問題と考えるのが筋

 自分のブログのコメント欄のレベルが高いなんて真顔でいえる人がいるというのはある意味驚きです。コメントの質の低さというのは我が国のブロガーの共通の悩みかと思っていました。

 それはともかく医療系コメンテーターの最大の問題は、自分たちが不正不満をぶちまけて、「俺たちの要求を丸呑みしなければ俺たちが逃散するだけだ。それで困るのはお前らであって俺たちではない」という捨て台詞を吐くことしかしていない点でしょう。で、自分たちは政治的に行動して要求を実現させていくことは何も考えていない、といいますか、そのように行動しない自分たちを恥じるどころか、むしろ誇ってみせるところでしょうか。

 でも、勤務時間や勤務シフトの問題なんて純粋な労使問題ですから、法曹や報道に悪態ついてみたって何も変わらないのであって、労働組合を作って団交し労働者としての権利を一つ一つ実現していく等の泥臭い手法を使っていった方がよほど効果的です。「雑用」として従前医師が行ってきたことをどれだけ補助職に行わせるかという意味での業務体制の再構成にしてもそうです。「中規模の公立病院で働く勤務医の年収は、1427万円」だそうですが、勤務医の年収を1000万円程度に引き下げる代わりに年間400万円の人件費を使って補助職を雇って「雑務」の多くから解放された方が医師にとっても幸せなのではないかという気がします(年収なんて、一定の臨界点を超えると、あとは記号的な意味しか持たなくなりますし。)。「雑務」を補助職に委ねることに法的な障害があるのであれば、それをどうやったら取り除けるのかについての議論をした方が生産的です。まあ、こううことをいうと、補助職を雇えるほどの収入がない云々という言い方がされる可能性はありますが、補助職って、より生産性の高い仕事をできる人をそのような仕事に集中させるために雇うものなのですから、むしろ厳しい経営環境に晒されていればこそ補助職の使用が検討されるべきだというべきでしょう(もちろん、医師の側の意識として、自分たちの収入が減らされるぐらいであれば、補助職なんぞ雇わずに自分たちですべての雑務をこなした方がましだという声の方が大きいのであれば仕方がない話ですが。)。

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10/06/2008

矢部先生の矜恃に期待する

 矢部先生のブログのコメント欄は私の人格自体を攻撃する書き込みが大分投稿されているようです。これに対してきちんとした処理をなされるのか,あるいは,これを放置する道を選ぶのか,お手並みを拝見することにしたいと思います。

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検証可能性のない「体験談」がそのまま垂れ流されることの弊害

 匿名発言の問題点を指摘すると,相変わらず内部告発はどうだ云々という話が出てきます。

 しかし,内部告発に関していえば,通常は,「一定の期間がこれを受け付けても,裏がとれるまでは,これを開示しない」というルールの下で運用されているはずです。内部告発の様相をまとったデマが内部告発として公表されることの弊害は大きいからです。実際,私は,公益通報制度のある国や地方公共団体等において,内部告発の受付を,投稿結果がすぐに公表される「電子掲示板」で行っているという例があることを知りません。

 私は大分前に,「Aさん」の体験として,ある医療機関にて違法行為が繰り返されているがごとき報道を週刊誌にされた事案を扱ったことがあります。そこで記載されている「体験」に類似するエピソードすらなく「Aさん」が誰なのか皆目見当がつかない(記者が架空の存在として「Aさん」という人物像を作り上げたか,又は,虚言癖のある「Aさん」からの「内部告発」を十分な検証もせずに記事にしたのでしょう。)ので,具体的に反論するきっかけすら摑めない事案だったのですが(発信者情報開示請求訴訟と違い,名誉毀損に基づく損害賠償請求事件では報道機関側が摘示事実が真実であることの証明をしないといけないのでまあ助かりましたが),そのような報道でも少なくない人がその記事を真実だと信じてしまい,被害者はずいぶんと酷い目にあったものです(心当たりがないので,「あの件は実はこういうことだったのですよ」という説明すらできず,「あれは全くのでたらめなんですよ」という話しかできないので,マスコミの報道を信じてしまった人に対して説得力を持つ弁解ができないのです。)。

 矢部先生がそのブログにおいてやろうとしていることは,情報の出所を明示せず,また,その真実性を検証する手がかりとなる情報も明示しない状態で,特定の人々(この場合「患者やその家族等」です)を糾弾するためのエピソードを公表していこうということであって,上記週刊誌がやったことを大々的に行おうということです。おそらくは,そこで公表されてことは真実として受け取られることを前提にしているのであって,誰もそれを真実だとは受け取らないことを前提としているわけではないでしょう。検証可能性のないエピソードをさも真の内部告発かのように祭り上げて特定の人々を貶めていこうということをやろうとしているわけです(実際,既に投稿されている「体験談」について,その真実性を吟味しようという動きは全くないようです。)。

 マスコミのあり方について批判的なネット言論がマスコミの悪い部分をまねて拡大再生産しているという事実は,誠に滑稽なものといいうるでしょう。

【追記】

 別の弁護士が,そのブログのコメント欄を利用して,「医師からパワハラ,セクハラを受けたという体験談」を募集し,匿名で投稿されたものを検証もせずに掲載した場合に,匿名の自称医師軍団は何一つ文句をたれないのでしょうか,それが例えば,診療拒否をちらつかせながら不当な金品等の要求をされたとか,子供をちゃんと直して欲しければ黙っていろといわれて胸を触られたとか,真実とは思えない投稿が「匿名による告発」として掲載されていても,そのようなことを行ったとされる医師の氏名等が特定さえされていなければ,文句を言わないのでしょうか。

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09/06/2008

「量」だけが頼り

 一人のコメンテーターに対して多数のコメンテーターが襲いかかってきている状態では、そのうちの数人に対して反論をするか、または、それらの集団の見解のエッセンスを抽出してこれに反論するかしないと、時間的・体力的に持たないであろうことは容易に想像が可能です。そのような現実的な対応についてこれを「藁人形論法」扱いして批判するというのはアンフェアだと思います。

 もちろん、一人の人間に対し多数人で襲いかからないと不安でたまらない人々(自称医師たちの所業について、例えば、ここここ等を参照。)に「フェア」の精神を期待しても仕方がないわけですが。

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08/06/2008

出所のわからない一次情報を収集し公表することの意味

 矢部弁護士がその開設するブログにおいて、「患者の暴力・暴言で退職した医療関係者、東京では273人」との記事を引用しつつ、医師または病院関係者からの実情報告等をいただければ、多くの人に問題の所在を認識してもらうのに有益だと思います。と言い始めました。

 しかし、その種の「実情報告等」をネットの匿名さんから集めてみたところで、「被害の主体」兼「一次情報の出所」がわからず、従って、情報の真実性の検証をしようがないわけですから、さほど意味がある話だとも思えません。医師たちに有利な方向に向けて世論を歪めるために一部の医師たちが全くの虚偽の事例を作り上げたり大げさな表現をしたりするモラルハザードの可能性も否定できません。特に、複数の匿名さんが「共通の敵」を見いだした場合、この「共通の敵」に関しては何を言ってもよい(といいますか、どんどん話をエスカレートさせることが望ましい)と言うことになりがちであり、「患者」を「共通の敵」とする医療系匿名コメンテーターさんたちがまことしやかな「ほら合戦」を始める危険性だって十分にあるのですが、そのような場合これを制御することは大変です(だって、嘘か本当か、検証のしようがないのですから。)。矢部先生にその覚悟があるのか、疑問です。

 矢部弁護士のブログのコメント欄は、出所のわからない一次情報の信頼性に問題があることを指摘することすら許容される状況ではないようですので、もはや言うだけ無駄という気はしますが。

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05/06/2008

他人の死を望むメッセージ

 自分の死を望む旨のメッセージを集団から突きつけられることの精神的な衝撃というのは結構大きなものです。富士見中学いじめ自殺事件や三輪中学いじめ自殺事件,上福岡いじめ自殺事件等でも,それだけではないにせよ,人を自殺にまで追い込む一つの要素となっています。

 また,匿名集団が特定の人や集団に向ける執拗な憎悪というのも人間の精神に衝撃を与えます。憎悪を向けられる個人だけでなく,第三者として見るだけでも相当の衝撃を与えます。例えば,お仕事の関係で,依頼者が「祭られ」ているスレッドの中から名誉毀損ないし侮辱にあたる発言を抜き出す作業は,一度事務員さんにお願いをして,このような書き込みを読んでいるだけでもとても精神的に辛くなると愁訴されて以来,私のみで行うことにしています。法律事務所の事務員って人間のいやな部分を見る機会が多い職業ですが,そのような人でも耐え難い気持ちになるような存在なのです,2ちゃんねらーは。まして,ライナス学園において,当初「2ちゃんねる担当」とされた職員が、半年後に鬱病(うつびょう)になって退職に追い込まれるというのは仕方がないことです。

 はてなは,はてなブックマークを用いて「死ねばいいのに」とのメッセージを集団で特定の人間に突きつけることを容認することにしたのだそうです。まあ,以前から野放しですけど。他人を不幸にするサービスを目指すということなのでしょうか。

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26/05/2008

「別の観点からのデータ」が必要であるというのであれば、これをもっている人が提示して議論を先に進める方が、それを出さないことを非難して議論を押しつぶそうとするより、効率的である。

 自分のブログのエントリーを批判しているエントリーにコメント欄を投稿したところ、これに批判的なコメントやら揚げ足取りなコメントや些末的なデータの提出を求めるコメントやらがわあっと送られてきたのでその一部についてコメントを付けたところ、その全てに回答を付さなかったことについて非難をされると同時に、その多くをカバーするようにコメントを付したことについて非難されたりするわけですが、両方の要請を同時に満たすことはあり得ないので、まあ、結局のところ、匿名さんたちによるいちゃもんについては「ご無理ごもっとも」で平身低頭する以外はネット上では許されないのだということが言いたいのでしょう。

 平均と平均を比較することに意味がないということは現実の社会では存在しないのであり、単に、メジアンとメジアンを比べたり、両者の正規分布表を比べたりできればより有益だというのにすぎないのであって、平均と平均を比較するよりも、このようなデータ同士を比較した方が実態がより鮮明に浮き上がるというのであれば、そのように思う方がそのようなデータを提示したらよいのであって、平均と平均を比較した人が標準偏差を出さないのはけしからんという話には一般的にはならないのです。まあ、ネット上では匿名さんは自分たちは対実名ブロガーとの関係では一種の「神様」として取り扱われるべき存在であると思っておられるので、匿名さんが望むデータは全て実名ブロガーがどこかから調達して(あるいは時間とコストをかけて自分で調査等を繰り広げて)提示しなければけしからんという話になりがちなのですが、それは結局のところ、都合の悪い議論を押しつぶす結果にしかなり得ないということができます。

 あくまで趣味の範疇として議論を行うことがブロガーに許されている以上は、より詳細なデータや観点の異なるデータはそれをもっている人が提示をすれば良いだけのことであって、相手が特定のデータを提示しないことをもって「あいつはソースを出さない」云々と執着するのは、いわば「為にする議論」であるというべきでしょう。

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25/05/2008

医療系匿名さんの言い草に関するとりあえずの一まとめ

 国民1人あたりの医師の数を計算してそれが諸外国と比べて少ないから医師不足なんだ、みたいな議論って、意味が乏しいですね。そんなことを言い出したら、日本は未だに弁護士不足なはずなんだけど、実際には今年新たに資格を取得する新人さんの働き口が大量に不足している!と会内で問題となるくらい、現実には既に供給過多状態にあるわけですし(偏在があるが故に不足している分野はありますが。)。

 実際のところ、歯科医師が既に供給過剰状態にあることは既に知られているし、皆保険制度がない獣医業界も大変ですし、開業医の倒産件数も徐々に増えています。病院の勤務医や一部の診察科目については医師不足が問題となっていますが、それは医師内部の待遇格差等に基づく偏在の問題であって、医師全体の数が不足しているということの裏付けにはなっていません(これも、弁護士過疎地が存在するということが、弁護士全体の数が不足していることの証拠にならないのと同様に考えることができます。)。また、医師の需要自体は、医師でなければ行い得ない「医行為」の範囲をどうするかによっても変ってきます。例えば、「Doctor of Optometry」のような制度を導入すれば、「使い捨てコンタクトレンズの処方」等の需要を満たすために医師資源を消費せずに済むようになります。あるいは、病院内での雑務を医師以外の者が行うようにすることでも、医師の需要を減らすことができます。

 医師の所得についての国際比較をすると、米国・英国の勤務医こそ日本の勤務医よりも平均値において所得水準が高いものの(ただし、物価高のイギリスにおいて購買力平価で計算するとどっこいどっこいになります。)、仏・独等の欧州諸国においてはこの円安・ユーロ高の現状でも日本より相当低く、米国でも家庭医の所得水準は日本の開業医よりも相当に低いというのが、ネットで手に入る統計から見て分かる事実です。もちろん、皆保険制度が崩壊したときに日本の医師の多くが米国の大病院から勤務医として迎え入れてもらえる状況にあるのならばいいのですが、言葉の壁がある分、かなり腕が良い方以外は難しいのではないかという気がします(そんなに大量の医師が米国の勤務医市場に参入すると、その給与水準も低下するでしょうし。)。

 皆保険制度が崩壊し、価格設定が自由になると、皆保険制度に基づく国庫助成の消失に伴う需要の減少を補えるほどの価格の上昇を見込めるのかということについては、実際にその診療を受けなければ命が危ないことになるが保険の適用はなく高額の治療費が自己負担となるケースである「子供についての海外での臓器移植」に関して、募金等によりその費用が概ね捻出できた後でなければほとんどの親はこれに踏み切れていない現実を前にすると、かなり絶望的なのではないかという気がします。

 臓器移植ではなく美容整形等を例に考えろという方もいますが、あれは不要不急の贅沢サービスであって、生活に余裕がある人が受けるものですから、皆保険制度が崩壊した場合に医師たちが患者の弱みにつけ込んでどんどんと報酬額を引き上げていった場合資力の十分ではない中間層等がどのように行動するのかを考える上での資料にはならないように思ったりします。

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19/05/2008

炎上させるための基地を提供するiza!のネット戦略

 何はともあれ,自分とは相容れない意見を封殺するために特定のブログを「炎上」させるように呼び掛けることは表現の自由の濫用だと思うので,このエントリーは問題ではないかと,iza!のスタッフにはメールで連絡しておいたのですが,一向に善処されていないところを見ると,他のブログを炎上させるように呼び掛けることは,少なくとも右から左方向へのものである場合には,iza!としてはOKということなのだろうと判断せざるを得ません。

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もちろん,政治家は個別事案について責任を負えるものではないが

 楠さんは,そのエントリーの中で次のように述べています。

個々の保護者の判断が正しいかは本人にも分からないだろうが、仮に首相や教育再生会議の面々が個々の保護者よりも適切な判断ができると考えているとすれば随分と傲慢な話ではないか。保護者は子どもの行く末に対してそれなりの責任を負うが、政治家であれ官僚であれ有識者であれ、何ら個々の児童に対して責任を負える立場にはない。

 それは,楠さんの周りにいる「標準よりは相当賢い大人たち」しか視野に入っていないご意見なのではないかという気がします。それは,楠さんに限らず,MIAUの方のご意見について,おしなべてそう感じたりします。

 でも,実際には,そういう特別に賢い人たちだけが子供を育ているわけではありません。首相や教育再生会議の面々が保護者たる楠さんよりも適切な判断ができると考えているとすれば随分と傲慢な話かもしれないですが,ある一定数の保護者よりは適切な判断ができると考える分には現状認識として特に間違っているわけではありません。政治家であれ官僚であれ有識者であれ、何ら個々の児童に対して責任を負える立場にはないにせよ,親たちの判断の過ちから子供を救うことに責任を果たすことはできるはずです。実際,様々な虐待等から子供たちを救うべく様々な規制が既に設けられ,また今後も設けられようとしています。

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17/05/2008

ロビー活動する上ではマスコミの協力は有益

 団藤晴保さんがそのブログ

 ブログ側の問題としては、これほど林立し、読者を多数獲得している医師ブログを現実を変える力にすることです。医師ブログ側にあるマスコミ不信は強烈です。しかし、ブログの世界だけに止まって議論していて、行政まで変えられるはずがありません。メディアの力も借りてでも動かして行かねばならないことに早く気付いて欲しいと思っています。そして、その段階では匿名から実名に切り替わらねばなりません。私が扱っているオピニオンのページなど、新聞メディアで行政の無様さに対し真っ正面から発言をしていただくためには実名で登場してもらうしかないのです。

と書いたところ,医療系コメントスクラムが発生しました。

 レコード輸入権問題以来著作権法の改正等に関してちょこちょこロビー活動をしている私としては,如何にしてマスメディアにこちらの主張を載せてもらうのかということにどうしたって腐心せざるを得なかったし,そのためには仮想空間の人格ではなく現実社会の人格としてマスメディアの人間等と交流することが必要とされるのは当たり前ではないかという気がしてなりません。政策決定過程の要所にいる人々が何から情報を得ているのか,そして彼らは情報がどのような状態になっていることを好むのかということを考えれば,テレビや全国紙に掲載されるということはどうしたって重要になります。それらの人々が日々ネットサーフィンをして匿名さんの意見を吸い上げてくれるということは現実問題として期待しがたいし,敵意と侮蔑に満ちた大量の文章がメール等で投稿されても,彼らにはそれを丹念に読む時間はありません。

 そしてそのためには,自分はその意見を全国紙等に掲載されてしかるべき人物であることをアピールしていく必要があります。それを,現実社会での人格を隠蔽したまま行うのは,これを晒しつつ行うのと比べて,ハードルが高いということができます。匿名の陰に隠れた抽象的な人格の発言より,具体性をもった人格の発言の方が,アピールする力が強いのです(エイズ問題におけるフレディ・マーキュリー氏,薬害エイズ問題における川田龍平氏,薬害肝炎問題における福田衣里子氏の言葉の力を考えれば,そのことは明らかです。)。



【追記】

 その後,上記エントリーのコメント欄に,

 しかし大方の医者にしてみれば、本業はあくまでも目の前の患者を診ることであり、「言論」なんていうものは余分、世の中を変えるなんて世迷い言。
「藪医者はよくしゃべる」という諺があります(今作りました。多くの医者が頷くと思います)。
諺はウソとしても、弁護士と違って「テレビや全国紙に掲載される」医者は、決して尊敬されてこなかったのです。「そんなことしてる間に、ちゃんと患者を診ろよ」というのが医者の職業倫理からくる反応であります。

との投稿がなされました。しかし,医師に対して批判的なエントリーや,意思の責任を追及する立場の人のブログ等に,一斉に攻撃的なコメントを投稿して,コメント欄をいわば量的に「乗っ取って」しまうことの方が尊敬を失う度合いが高いし,それを匿名で行っていると,その悪いイメージは医師一般に跳ね返ってくるのではないかという危惧がないわけではありません。実際,弁護士系ブログが炎上しないためのポイントとしては,「政治について語らない」とか「芸能人の悪口を言わない」以前に,「医療過誤訴訟で原告側(患者側)に立っていることを表明しない」という暗黙の「ルール」が事実上成立してしまっていますし。

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16/05/2008

DeNA方式

 ネットでの誹謗中傷規制のもう一つのあり方としては,モバゲータウンに関してDeNAがやろうとしているIT・人海戦術MIX方式というのがあり得ます(こちらを参照)。人海戦術だけですと,1000万会員を450名のスタッフで監視することは困難ですが,誹謗中傷等の人格権侵害行為で用いられる言葉はある程度共通性があるので,一定の条件に合致する文字列が含まれる投稿を機械的にピックアップしてこれを人海戦術的に目視することで,違法・有害なコンテンツを速やかに探し出して削除することが可能となります。加えて,ランダムな巡回を頻繁に行うことによって人格権侵害に用いられる新たな文字列の組み合わせを見つけ出し,ピックアッププログラムの中に取り入れることができます。

 では,それは膨大なコストがかかるのかというと,スタッフ1人あたりの人件費を年600万円としても,450人体制で27億円。利用者1000万人として,1人あたり年270円。IT部分のコストを計算に入れても,1人あたり年500円程度で済みそうです。利用者あたりの監視スタッフ数を倍にしても,1人あたり年1000円程度で済みそうです。

 監視スタッフに現実に目視されるまでは名誉毀損投稿等が残ってしまうという難点があるので,匿名性を制限することによる抑止力を用いるのと比べて被害者には優しくないですが,それでも,名誉毀損投稿等が放置される現状よりは遥かにましです。

 他人を誹謗中傷するために匿名性を利用している奴らと一緒にされたくないという匿名主義者さんたちこそ,ブログ事業者等にこのような監視システムの導入するように求めたらいいと思うのですが,実際には,そういう動きはないようです。

 このように著名人のブログを炎上させることを呼び掛けるエントリーを公開しても特に非難の対象とはならないことからも分かるとおり,「あいつらと一緒にするな」といいつつ,ネットの匿名性が現実社会の人間を不愉快にするために用いられることを,本音のところでは好ましく思っている方が匿名主義者さんには多いのではないかと思われます。

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15/05/2008

オタクであるということは手段ではない

 novtanさんは,次のように述べています。

たとえば、オタク集団がアキバでコスプレして暴れたりパンツ撮ったり撮られたりして目に余るから規制される、というのはわかります。だって当事者ですものね。でも、それをもって「オタクすなわち悪、オタクという存在そのものが規制されるべき。世の中にオタクがいなければアキバは無条件に平和!」とか考えちゃう人はバカだと思われますよね。

 「オタクである」というのは,パンツを撮ったり撮られたりするための手段ではないから,「オタクである」ということを規制しても仕方がないですね。「オタク」であれば,パンツを撮ったり撮られたりしても摘発される危険が軽減されるということもありませんし。

 これに対し,ネット利用者に関していえば「匿名である」というのは,誹謗中傷を行うための手段としてしばしば用いられているわけです。この場合に,「誹謗中傷」を行うために手段である「匿名性」をネット利用者から排除することは,「誹謗中傷」を減少させる有力な方法となり得ます。

 この種の法規制って極めて一般的に行われているのであって,それが全てけしからんということになると,ある種の犯罪なり不法行為なりを未然に抑止する法制度というのがおおよそ維持できなくなります。もちろん,実際に犯罪なり不法行為を行った人に対してのみ制裁を加えればよいのであって,犯罪なり不法行為のみに用いられるというのでなければ,しばしば犯罪や不法行為に利用されるものや手段について一切の事前規制を行うべきではないという考え方もあり得なくはないのですが,しかし,それを貫くとなると,個人が匿名で青酸カリを購入し保有することすら規制できなくなるわけで,それが殺人等に用いられたときにはそれを用いた犯人が摘発された場合には死刑を含む重い制裁が下されるということがあるにせよ,非常に危険な社会になってしまうような気がします。

 ネット上で匿名でやりたい放題のことをしていたい,自分がそんな言動を行っていると現実社会の知り合いに知られたら恥ずかしい言動を思う存分行っていたいというだけのために,そのような危険な社会を将来することもやむなしというのも如何なものかなあと思います。

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13/05/2008

攻撃的言辞による弊害って,被害者の側が「情報の取捨選択が出来」ても,何にも解決しない

 novtanさんは,

匿名言論が限界なんて言ってしまえるのは情報の取捨選択が出来ない人の言い訳ですよ。

仰るのですが,攻撃的言辞による弊害って,被害者の側が「情報の取捨選択が出来」ても,何にも解決しないのです。そういう訳の分からない啖呵って,匿名主義者さんたちからは喝采を浴びるかもしれないけれども,匿名言論により不当な攻撃を受けている人々から相談を受けている私たちからすると,全く無意味なリアクションです。

 それと,現実社会に様々な弊害をもたらすある行為を批判しそれを規制していこうとする行動のほとんどは,その種の行為をしない自分を相対的に偉くすることを狙ったものではなく,それはネット上での匿名言論に対する批判についても同様に言えることです。

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12/05/2008

あらまほしき「寂しくないネット社会」

 hrkt0115311さんからトラックバックをいただきました。

「議論の限界」「寂しい生き方」ということですけれども、小倉さんが繰り返しエントリをお書きになっても「届かない」方たちが、全員読解力が低いはずないですよね。いったい何がネックになって理解しあえないのでしょうか?

とのご質問についてですが,「匿名の陰に隠れることで手に入れた,現実社会の人間や組織を一方的に攻撃できる地位」を一種の既得権と捉えているとすれば(ここでいう「攻撃」は,あからさまな「誹謗中傷」に限らず,自分のことを棚に上げて他人にやたら倫理的な負担を強いるものや,「上から目線」で他人を非難し又は他人に命令を下してみせるものを含むものとします。),その「既得権」を撤廃しようという意見はもちろん,その「既得権」による弊害の大きさを指摘する見解に対しても,感情的にこれを受け入れられないというのは,「よくある話」の部類にあたるように思います。また,ネット上の人格と現実社会での人格が結びつくことに対するある種の恐怖感は,現実社会での自分に自信がなくかつ現実社会に怯えて生きていることだけでなく,ネット上での自分にも自信がないことが伺わせます(ネット上の別人格で誹謗中傷ライフを満喫しているというわけでもない方々ですら,ネット上での人格と現実社会での人格とが結びついたら現実社会での自分やその周囲にネガティブな影響が及ぶのではないか,と気に病んでいるわけですから。)。

 

小倉さんが感じられている「限界」をとりはらい、「寂しい生き方」ではないネットでの振る舞い方を実現した場合、具体的にはどのようなネット社会になるのでしょうか?

とのことですが,「何を成し遂げ,何を語ったか」によって人が(ネット空間でのみならず現実空間でも)評価される「フラットな社会」が実現し,高く評価されるために,各人が比較優位をもっている領域について質の高い情報を提供するようになるのではないかと期待しています。誰でも,検閲を受けることなく,即時に,全世界に向けて,情報を発信できるというウェブという仕組みは,それが現実社会と結びつくときに最も,その才能を発掘し,照らし出す機能を発揮します。

 ekkenさんの比喩に即していうならば,上司が部下に注意しているシーンの後、注意された部下がアフター5にネット上で匿名でその上司や会社または全くの第三者を攻撃して憂さを晴らしているのが,ネットでの匿名言論の実情です。「アフター5に英会話教室で仲良くしている」姿を理想とするのであれば,ネット上で英語でチャットをする二人が現実社会では上司と部下の関係にあることをお互いに知りつつ,それでいて上司は部下を見下さず,部下も上司を敵視したり,自分の方が英語が上手であることを笠に着ない姿勢をとることが必要となることでしょう。

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09/05/2008

適法な行為を圧殺する「淘汰圧」に価値はあるのか。

「これはやらない方がいい,ということをわきまえていればいじめは起きない。そういった情報をもっとみんなで共有するといいんじゃないか。例えばリーダー格の生徒の命令に逆らう,いじめられている子をかばうとか。そういうことをしちゃいけいないというわけじゃなく,そういうことをする自由はあるんだけど,やるのなら覚悟したほうがいい。」ということをいじめを放置している学校の教頭先生が公言している場合,それは,その学校の姿勢として,リーダー格の生徒の命令には従え,いじめられている子はかばうな,といっているのとほぼ同意義なのではないでしょうか。その結果,多くの生徒が,いじめられたくないばかりに,リーダー格の生徒の命令には,それが如何に理不尽なものであっても従わざるを得なくなり,また,目の前で他の生徒がいじめられているのを見かけても見て無ぬふりをするようになったとしても,それは「淘汰圧」の結果であって,好ましいものと見るべきなのでしょうか。

その学校で「いじめられたくない人のためのいじめられないためのガイドライン」をつくって,
「一,リーダー格の生徒の命令には,それがどんな者であっても逆らわないこと
 一つ,いじめられている子を見つけても決してかばわないこと」
とやれば,それはその学校のポリシーとして,リーダー格の生徒の命令には全て従うこと,いじめられている生徒を見つけても決してかばわないことを命じているものと見るべきであって,単に命令に違反した場合の制裁を学校として直接下すのではなく,いじめ集団を通じて間接的に下すこととしているにすぎないと見るべきでしょう。

そしてそれは,その「いじめ」が物理的な有形力を伴わない集団的な誹謗中傷や人格攻撃であっても同様でしょう。そしてそれは,学校という子供たちの集団に限った話ではありません。

「これはやらない方がいい,ということをわきまえていれば社内いじめは起きない。そういった情報をもっとみんなで共有するといいんじゃないか。例えば,社長からのホテルへのお誘いを拒むとか,上司から胸を触られたくらいで騒ぐとか。そういうことをしちゃいけいないというわけじゃなく,そういうことをする自由はあるんだけど,やるのなら覚悟したほうがいい。」「覚悟して戦う強さを自分が持っていると思えば,拒めばいい。そうではなく自分が傷つきたくない,批判されたくないという人は,社長からのお誘いは受け入れれば良いんじゃないかな」ということを取締役が公言する会社においては,従業員の性的自己決定権は制約されていると言うべきだと思うのです。実際にそのようなことをすると,社内で執拗に攻撃され,それについて上司が見て見ぬふりをする環境ではなおさらです。その結果,この会社においてどのような人間が淘汰されるのかは,法が介入しなければ,予想するに難くありませんが,Lhankor_Mhyさんにとっては,「社長からのホテルへのお誘いは断ってはいけない」というコンセンサスがその会社内でできあがることは人類にとって価値があることということになるのでしょう。

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08/05/2008

中国共産党と梅田望夫さんが考える表現の自由

 「政治や宗教の話をしなければ制裁が加えられることはない」という現状を,「制裁が加えられるのがいやであれば政治や宗教の話をしなければ良いだけなので,何の問題もない」と考えるのが,おそらく中国共産党と梅田望夫さんなのでしょう。

 まあ,制裁の主体が国か私人か,そのこととの関係で制裁のレベルがどの程度のものであるのかに違いはある