17/06/2010

どこにもいない合理人

 池田信夫さんが、また変わったことを述べています。

生涯所得で考えると、人々の所得は勤労所得と引退後の年金にわけられます。一般に後者のほうが低いので、現役のとき高い所得を得ていた人でも、引退後は所得が低くなり、消費性向は上がる。人々が合理的に消費すると仮定すると、死ぬまでに所得をすべて使い切るので、生涯所得に対する消費税の比率は同じです。

 しかし、逆進性が問題となる程度に収入格差が大きな社会において、高額所得者でありながら、「死ぬまでに所得を全て使い切る」合理的な人々というのはかなり希な存在です。「死ぬまでに所得を全て使い切」らない人が多いからこそ、死亡時にそれなりに財産が残り、相続が発生するのです。

経済学者の世界では、「死ぬまでに所得を全て使い切る」合理的人間という新しい概念を持ち出すことにより消費税の逆進性を否定してみせると業績になるのかもしれませんが、一歩経済学者の世界の外に行くと、「人を小馬鹿にした議論」にしか見えないように思われてなりません。

 これを見る限り、池田さんだけが非現実的なわけではなくて、大竹先生も同程度のようですね。

【追記】

なお、池田さんが上記エントリーのコメント欄で次のように述べているようです。

「死ぬまでに使い切るという仮定は非現実的だ」とかいうコメントがたくさん来たので、すべて削除しました。その仮定が実証的にフィットしているのだから、死ぬときの遺産の残高は生涯にわたる消費の総額に比べると無視できるということ。

 そこで、国税庁のサイトに公開されているデータから、相続税申告されるような方は遺産残高がどの程度あるのかを調べてみました。

年度課税価格(百万円)被相続人の数被相続人一人あたりの課税価格(円)
平成15年 10,358,210 44,438 233,093,524
平成16年 9,861,773 43,488 226,769,983
平成17年 10,195,255 45,152 225,798,525
平成18年 10,405,555 45,177 230,328,596
平成19年 10,655,731 46,820 227,589,299
平成20年 10,748,248 48,016 223,847,218

 ざっと計算して、一人あたり2億2〜3000万円の遺産を残してなくなっているということになりますね。この程度の遺産なんて「生涯にわたる消費の総額に比べると無視できる」と仰る池田さんは毎年いくらくらい消費されているのでしょうか。

06/04/2010

理髪店の料金

 池田さんの「床屋の値下げとグローバル化の関係」というエントリーについて、そのコメント欄を見ても当然なされるべき批判がなされていないのが気になります(単に、認証してもらえないだけかもしれませんが。)。

 うちの近所の床屋の料金は4000円(理髪組合の協定料金)だったが、最近(たぶん代替わりで)改装して1200円になったというけれども、たかだが1件の床屋の価格改定を全体的な傾向のように語るのっておかしくない?という批判は当然なされるべきかと存じます。床屋の料金の全体的な傾向はこちらを見ていただくとして、まあ、1999年がピークだとすると、グローバル化って関係なくないですかという気になってしまいます。

 ちなみに、堀切5丁目の商和会通りにある理髪店は、QBなんか出てくるずっと前から、洗髪付きで1500円を切っていたはずですけどね。

26/03/2010

再チャレンジの機会はそれなりにある。

 ダイヤモンド社の論説委員である辻広雅文さんが次のように書いています。

 大企業における“長期雇用保障”とは、その地位が保全されていて容易には解雇されないということである。つまり、新卒でいったん就職してしまえば定年または定年近くまでの数十年間、失職することなく安泰ということである。

 これをひっくり返して考えれば、新卒で就職できなければ、その後に大企業に職を得ることは極めて難しいということになる。なぜか。もはや、高度成長期はとうに過ぎた。低成長時代にいずれの企業も雇用を大幅に拡大することなどありえない。だとすれば、新卒で――もちろん中途採用の機会もあるだろうが――就職した人々の雇用が定年まで保全されていることが、外部者にとっては堅固な障壁になってしまうからだ。つまり、ひとたび非正社員や中小企業勤めで社会人をスタートした人は、再チャレンジの機会がほぼ訪れない。

 もはや経済学者と見間違うばかりのずさんな論理です。

 まず、「容易に解雇されない」からといってその会社に居続けるとは限らないのです。平時においても、故郷に帰ったり、独立したり、より条件の良い会社に転職したり、ということで、相当数の正社員が会社を退職します。また、経営状態が悪化した際には、希望退職を募ったり、あるいはそれでも足りずに整理解雇に踏み切ったりします。

 それ故、大企業においても、必要に応じて中途採用をして必要な人員を補充します。そうなると、特に中小企業勤めで社会人をスタートした人にとってはキャリアアップのチャンスです。中途採用枠においては、0から研修を行う気が企業にないので、必要とする職種、必要とするセクションでの業務経験がある人材を優先的に採用しようとする経験が高く、その場合前職の企業規模はさほど注目されないからです。

 また、日本の経済を総体としてみれば低成長時代に入っているとはいえ、個々的には成長著しい企業というのは少なからずあります。そこでは当然のことながら成長に応じた人材が必要となりますし、そこで必要とされている人材は0から研修を行う必要がない経験者です。

 まあ、こんなことは辻広さんは重々承知していると思うのです。何たって出版社は、経験者の中途採用が普通に行われている業界なのですから。他の業界と同じく、解雇規制の適用は受けているわけですけど。

18/03/2010

Scared

 池田信夫さんは、「弁護士が多いほど競争によってサービスの質も上がる。」と述べています

 いかにも俗流経済学者が言いそうな話ですが、実は実証された話ではありません。また、論理的にいっても、「弁護士の仕事は依頼者との情報格差が大きいため、依頼者が仕事を評価することは困難」である以上、サービスの質を高めることは競争に勝ち残るためのポイントとはならないからです。

 そして、競争を必要以上に厳しくすることで、その職業に就くことのコストパフォーマンスを悪化させると、新規にその分野に参入する人材の質は通常悪化します。特に、その分野に参入するためには相当長期にわたる職業訓練を受けなければならない職種では、この傾向は高まります。もちろん、「ローリスク・ミドルリターン」から「ハイリスク・ハイリターン」へ転換するにとどまるのであれば、コストパフォーマンスの質が変化するにとどまりますから、山っ気のある秀才が集まってくる可能性があります。ただ、懲罰的損害賠償制度のように一攫千金がもらえる制度を導入すれば「ハイリスク・ハイリターン」への転換を果たすことができると言いうるものの、過払い金返還請求専業事務所による荒稼ぎすら許すことができない我が国の国民性のもとで、製造物責任や不当解雇等に関して懲罰的損害賠償制度を導入できるのだろうかというと、かなり悲観的です。

 昨今の法曹養成制度改革は、法科大学院制度を導入し、さらに修習貸与金を導入することにより、法曹資格を取得するまでのコストを増大させる一方、新規資格取得者の大幅増員により新規資格取得者の賃金水準を引き下げるということで、「ハイリスク・ローリターン」への転換を目指してきました。それがむしろサービスの質を低下させる危険を伴っていることを見据えることができない俗流経済学というのは、百害あって一理のない学問分野だなあとしみじみと考えてしまいます。

17/03/2010

経済学者の提言が現実社会に反映されるようになるとフグ毒死が増える。

 東京都ふぐの取扱い規制条例第10条第1項本文は、

ふぐ調理師以外の者は、ふぐの取扱いに従事してはならない。

と定めています。ただし、同条例第2条第2号は、

二 ふぐの取扱い 食品として食用のふぐを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売に供するために貯蔵し、処理し、加工し、若しくは調理することをいう。

という定義規定を置いていますから、少なくとも東京都内では、ふぐ調理師以外の者が、自ら食する目的でふぐを処理し、加工し、若しくは調理することは禁止されていないということになります。

 経済学という非現実的な学問分野では、本人が免許なしにできることを他人の代わりに行うのに免許が必要だというのは論理的におかしいということになるのだそうです。すなわち、経済学では、東京都がふぐの取扱い規制条例でふぐの調理、販売等を免許事業とするのはおかしいということになるようです。

 私は、無免許のものが次々とふぐの調理・販売に参入することによりふぐ価格が安くなることより、能力の低い事業者が淘汰されるきっかけに自分の死がなる事態をできるだけ避けて欲しいと思っています。経済学者さんには社会主義者だの市場原理を知らないだのと糾弾されてしまいそうですが、私は、ふぐを食べて死ぬのはまっぴらゴメンです。

11/03/2010

ニュータイプは生まれない

 昨日の日弁連会長選挙を受けて、日経新聞が「内向きの日弁連では困る」という社説を公表しています。

 弁護士が地域にいない司法過疎の問題や、お金がない人の民事訴訟や刑事弁護を引き受ける弁護士が少ない問題などを解消してからでなければ、弁護士の増員反対の訴えは、国民の目には、高い収入を失いたくない特権的職業集団のエゴとしか映らないだろう。

とのことですが、司法改革問題になるとデマ満載の日経新聞らしさが良く現れています。

 宇都宮先生の公約は、司法試験合格者数を1500人とするというものですから、判事・検事に200人程度採用していただけるとして、1300人程度の新人弁護士が新たに生まれることになります。日弁連からの退会者(死亡者を含む。)は、毎月の「自由と正義」に掲載されますが、毎月100人以上退会しているとかそういう状態にはない(意識して数えていませんが、毎月10〜20名くらいでしょうか。)ので、宇都宮先生のプランでも、弁護士の人数は着実に増員されます。従って、宇都宮先生の訴えが「弁護士の増員反対の訴え」であるかのように摘示する上記社説の言い回しは、悪質なデマだということになります。

 日弁連の会員数は29000人弱ですから、1300人の新人会員というのは、全体の約4.5%にあたります。それだけの新人をなお引き受けますよというのが宇都宮案です。従業員数約3500人の日経新聞社において毎年約130人の新入社員を採用するのに匹敵します。「高い収入を失いたくない特権的職業集団」ではない日経新聞社におかれましては、是非とも大学新卒者を130人、いや260人採用していただけると、大学教員としてはうれしいです。

 また、「お金がない人の民事訴訟や刑事弁護を引き受ける弁護士が少ない問題などを解消してからでなければ」云々という点についてですが、これは、「弁護士を増員していけば、お金がない人の民事訴訟や刑事弁護を引き受ける弁護士が必要なだけ現れる」ということが経験則上成り立つということが前提となっています。しかし、どのような因果の流れを経由するとそのようになるのか私にはそのメカニズムが分かりません。

 日経新聞としては、スペースコロニー間の戦争が激化する中でアムロ・レイのような「ニュータイプ」が出現したのと同様に、弁護士数の大幅増員による弁護士間の競争が激化する中でリアルに霞を食べて生きることができる「ニュータイプ」が出現するだろうとお考えなのかもしれません。しかし、前者がアニメ上でのお話に過ぎないのと同様、後者もおとぎ話の世界です。世界的には、「お金がない人の民事支障や刑事弁護を引き受ける弁護士が少ない問題」の解消は、法律扶助予算を増大することによって行うのが通常です。日本の場合、法律扶助事件を引き受ける弁護士をいくら増やしても、法律扶助予算自身が途中で底をついてしまう体たらくです。とりあえず、3500人の日経新聞社社員が一人100万円ずつ法テラスに寄付していただければ、昨年開いた穴が解消できます。日経新聞社の平均年収は約1300万円ですから、年間100万円くらい寄付しても、なお高収入を維持できます。「「お金がない人の民事訴訟や刑事弁護を引き受ける弁護士が少ない問題」に心を痛めている日経新聞社におかれましては、これを解消するために、他力本願ではなく、積極的な寄与をしていただければ幸いです。

27/02/2010

「迷信」なんかではない。

 アゴラに「『需給ギャップ35兆円』という迷信」というコラムが掲載されています。

 このタイトルだけを見ると、巷では需給ギャップが35兆円もあると広く信じられているが実際にはそうではないのだという趣旨の文章なのかなと思ってしまいがちですが、本文を読むと、「需給ギャップ35兆円」という見解が正しいのか正しくないのかについての言及はありません。需給ギャップがあることを前提に、何をすべきかということを論じているに過ぎません。

 「何をすべきか」という点についても、イケていないように思われてなりません。

リフレ派は、まず需給ギャップを埋めてから構造改革をすればよいというが、なぜ「まず」なのか。需給ギャップが埋まるまで、生産性を引き上げる改革はできないのか。需給ギャップを埋めることは経済運営の唯一の問題でもなく、最優先の問題でもない。安定化政策と成長戦略は両方ともやらなければならないのだ。

とのことなのですが、普通に考えれば、需給ギャップを放置したまま労働生産性を向上させれば、(生産量が増えるため)過剰在庫が生ずるか、または(生産量を維持するのであれば労働力が削減されますから)失業率が上昇します。

だから突き詰めれば、問題はどういう政策の効果が大きいかである。デフレを止めるだけなら財政政策がベストだが、財政危機に瀕している日本でこれ以上バラマキ福祉をやったら、国債が暴落して破滅的な事態をまねく。他方、企業が貯蓄超過になっている(金を貸している)日本では、借り入れの金利やマネーストックを操作する金融政策の効果はほとんどない。したがって有効な経済政策は、リアルな生産性を高めて投資を促進する規制改革しか残されていない。

とも述べられていますが、大きな需給ギャップが存在している環境下にあって、「リアルな生産性を高めて投資を促進する規制改革」にどのような効果があるのかを述べなければ、そのような「規制改革しか残されていない」といいうる程に他の政策と比べて効果が大きいか否かがわかりません。

 「企業が貯蓄超過になっている」という状況からは、需要が低下している現在投資をして生産性を高めるインセンティブが企業に乏しいことが看取できるのであり、従って、需要を高めることこそが投資のインセンティブを高めることにつながることは容易に推知できるように思われます。そして、そのためには、「自社のみが給与水準を低下させ製品価格を引き下げる分には市場において優位に立てるが、みんなが一斉にそれを行うと、市場自体が縮小してしまい、却って利益を損ねてしまう」という合成の誤謬を脱することが必要であり、賃金水準を高める方向での労働規制の強化が必要になってくるように思います。

 このレベルの記事は編集レベルで落とせばいいのにとも思いましたが、その筆者が池田信夫編集長自身ではそういうわけにはいきませんね。

21/02/2010

「非AでもB」という実例の存在は「AならばB」という命題の反証たり得ない(経済学ではどうだか知らないけど)

 池田信夫さんが、藤末健三参議委員議員の議論に対し、文句を付けているようです。

 例えば、池田さんは次のように述べます。

彼が「株主保護が行き過ぎている」証拠としてあげるのが「配当性向が高い」という話ですが、これは株主保護とは関係ない。たとえばマイクロソフトは、創業以来28年間、配当しなかった。マイクロソフトは「株主を保護しない企業」なのでしょうか?

 これが言いがかりに近い話であることは誰の目にも明らかでしょう。「甲という事実がある以上乙という事実がある蓋然性が高い」という推論は、「甲ではないが乙であるものがある」という事実によっては覆されないということは、少なくとも法学系の人間の間ではよく知らています(例えば、心臓をナイフのようなもので一突きされた死体のそばで血の滴り落ちているナイフを持っている人がいたらその人がその殺人の犯人である蓋然性が高いと推論されますが、そこで、猟銃を使って殺人を犯した人物の名前を出して「◯◯は血だらけのナイフなんか持っていなかった。では◯◯は殺人犯ではないというのか」など言って上記推論を否定しにかかる人がいたら、私達はむしろその人の精神状態を心配してあげることになるかもしれません。ただ、経済学では、通常の論理法則とは異なる論理法則が通用しているのかもしれませんが。)。

 さらに池田さんは、次のように述べています。

配当性向というのは企業の投資戦略によって決まるもので、かつてのマイクロソフトのような成長期の(投資の大きい)企業では小さく、成熟企業では大きいのです。藤末氏は、一貫して労働分配率と配当性向を混同しています。労働分配率は賃金総額/GDPであり、配当性向は配当/利益。配当を減らしても未配当利益が増えるだけで、賃金は増えない。

 特定の一企業についてであればそのようなことが言えるかもしれませんが、藤末議員はそのような話をしていません。藤末議員が引用しているグラフは東証一部上場企業全体についての配当性向の、平成18年度から平成20年度にかけてのデータに関するものです。東証一部上場企業というのはその殆どが成熟した企業からなりますので、平成18年から平成20年という短い期間のうちに全体としての傾向として「成長期から成熟期へ」移行したと考えることはできません。従って、ここでの配当性向の急上昇を、「成長期の(投資の大きい)企業では小さく、成熟企業では大きい」という一般論で説明することは困難です。

 

18/02/2010

具体論こそ、大変だ。

 池田信夫さんが次のように述べています。

藤沢数希氏が私のブログ記事を引用していうように、理科系のもっとも偏差値の高い学生が医学部に行くのは、科学技術の振興が必要な日本では深刻な社会的浪費である。もちろん先端医学の研究開発は重要だが、大部分の医師は開発された技術を使って診察・治療を行なうオペレーターであり、数学や物理のむずかしい勉強は必要ない。
弁護士も同じである。民事訴訟による賠償はゼロサムの所得移転で、弁護士費用は誰の得にもならない死荷重である。もちろん、これは弁護士が不要だという意味ではなく、法的な紛争解決を円滑に進めて法務コストを減らす制度設計は重要だ。そのためには弁護士免許を廃止して資格認定にし、ADR(法廷外紛争処理機関)によって「司法の民営化」を進めることが望ましい。

 NHKから研究所→大学というコースを辿っている池田さんにはたぶんご理解いただけないのだと思うのですが、個別の事例を適切に対処していかなければならない部門(この点において、医師と弁護士は共通します。)においては、例外的事態ないし未知の事態に迅速に対応することが時折求められるのであり、そのためには本質を理解していなければならないのです。だから、臨床医は開発された技術を使って診察・治療を行うのが通常であるにしても、相当に高い能力が必要となります。「マニュアルに書いてあることはできるが、マニュアルに書いていない事態が発生したらお手上げ」というレベルの人材では駄目なのです。

 弁護士も同じです。もちろん、多くの事案は定型的に処理できるものですが、定型的に処理できない事案というのも時折発生します。そのような場合に適切な対処をするためには、法の本質を理解している必要があります。わからないことは確信が持てるまで結論を先延ばしにできる研究者と異なり、わからないことでも、とりあえず答えを出して進んでいかなければならない医師と弁護士は、膨大な知識とそこから未知の問題への答えを咄嗟に導く洞察力と判断能力を十分に持たない人が就任するのはある種の社会的害悪であるとさえいうことができます。

 なお、「法的な紛争解決を円滑に進めて法務コストを減らす制度設計」として、「弁護士免許を廃止して資格認定にし、ADR(法廷外紛争処理機関)によって「司法の民営化」を進める」というのは、概ね下策と言ってよいでしょう。

 「法的な紛争解決を円滑に進め」るためには紛争の当事者全員が紛争の解決に向けて無駄なく行動するのがベストであり、そのためには当事者双方に熟練した弁護士が代理人として就任するのが得策です。多くの弁護士は、相手方に弁護士がつくとホッとするし、相手方についた弁護士の能力が低いと却って残念な気分になります。少し込み入った紛争になると、弁護士をつけずに本人訴訟で頑張ろうとする当事者に対して、裁判官が、弁護士を代理人につけるように強く勧告することすらあります。それは、相手方の処理能力が低いと、自分たちだけがどんなに頑張っても、紛争の解決が円滑に進んでいかないからです。

 だから、弁護士資格を有していない者を代理人として選任する余地を与える池田さんの提案は、却って法務コストを増大させる危険を十分に孕んでいるということになります。

 「司法の民営化」にいたっては何をかいわんやと言ったところでしょうか。ADR法制定以来たくさんのADRが作られましたが、ドメイン関係紛争以外のADRは成功しているとは言い難いのが実情です。国内法が明確で、かつ裁判官に対する信頼が高く、裁判制度の利用コストが比較的低廉な国では、裁判による紛争解決で事足りるので、あえてADR制度を利用する必要がないのです。

14/02/2010

社会的なdeadweight lossって何?

 池田信夫さんが次のようにつぶやいています。

法務コストは社会的なdeadweight lossで、生産性はマイナス。法的な紛争がなくなるように制度設計するのがベストだが、発生する場合はなるべく低コストでやることが望ましい。そういう非生産的な仕事の報酬が高いのは間違っている。

 しかし、「法的な紛争がなくなるように制度設計」しようというのは、「参入を自由にして事後的な監視をきびしくする」という「規制改革の基本的な考え方」とは適合しないように思います。

 そして、「参入を自由にして事後的な監視を厳しく」した社会においては、相当の投資と運用がなされてから紛争が顕在化しますから、事前規制中心の社会よりも、「駄目出し」された時の経済的なリスクが高まります。従って、事後規制中心の社会では、法律部門の提供するサービスの経済価値は高まることになります。実際、英米の企業が弁護士に支払う報酬は、同規模の日本の企業が弁護士に支払う報酬より、桁が2つから3つ(下手すると4つ)くらい違います。

 ところで、「法務コストは社会的なdeadweight loss」って、「deadweight loss」という概念を勘違いされていませんでしょうか。

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