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Nouvelles

04/11/2009

4年間役立たずでいることの評価

 現在議員ではなく次回選挙で議員になろうとする人が次回の選挙のための運動だけをしていたとしてもそれは致し方ないことなのでそれ以外何もしていないことについて有権者は寛大になれるけれども、選挙に通って議員になったのに次回の選挙のための運動と党内研修しかしていない1年生議員がそれ以外何もしていないことについて有権者が寛大でいてくれるという確信をなぜ小沢一郎幹事長が持っているのか、私には理解できなかったりします。

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31/10/2009

別に「劣悪扱い」されているとも思わないけど

 「国際的にみれば、中道、普通、穏健な産経新聞の報道姿勢に沿って、日夜アメリカの首都からの均衡のとれた情報発信に努めています」と自称する古森義久さんが,「子ども手当」について次のようなことを心配しています。

 第二には、日本国民同士の間での差別や分裂への恐れです。

 子ども手当はどうみても、0歳から15歳(事実上は16歳)までの子どもを持つ家庭と、持たない家庭の間に区分をつけ、持たない家庭から巨額の公的資金を収奪して、持つ家庭に与えるという措置です。

 同じ日本国民でも16歳未満の子どもを持つ家庭は、持たない家庭よりも国家から「より大切」とされるわけです。

 日本国民は年齢にかかわらず、家庭条件の差異にかかわらず、みな平等のはずです。その平等の大原則を無視して、一方を劣悪扱いし、その「劣悪」とされた日本国民の側はせっせと産み出した富や財を他方の側に差し出すことを強制されるのです。

 まず,確認しなければならないのは,国や地方公共団体は,一定の要件を満たす国民に対してのみ一定の金銭等給付を行うことがしばしばありますが,だからといって,その要件を満たさない国民を「劣悪扱い」しているというわけではないということです。例えば,現行法では,戦没者遺族に対してのみ特別な遺族年金が支払われているわけですが,だからといって戦死以外の理由で死亡した国民及びその遺族を「劣悪扱い」しているというわけではありません。

 そして,年金が積立方式ではなく賦課方式である以上,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭が持たない家庭よりも大切なのは当然のことです。出生率の向上を図るという政策目的自体は自公連立政権時代から継承されているものであり,その政策目的を実現するための手段として,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭に一定の金銭給付を行うことによって国民に子どもを生み育てるというインセンティブを生じさせるということはさほど不合理ではありません(少なくとも,国際紛争の解決手段としての戦争を憲法上放棄した我が国において,国民の側がせっせと生み出した富や財を戦没者遺族の側に差し出すことを強制するよりは,合理性が高いと言えます。)。実際,この種の給付金というのは,特に過疎に悩む地方のレベルでは既に行われてきていることだったりします。しかし,そのことを理由に,0歳から15歳までの子どもを持たない家庭が差別されたとか,0歳から15歳までの子どもを持つ家庭と持たない家庭との間に分裂が生じたという話は今のところ伝わっていません。

 子ども手当がどの国家にも必要な正常の福祉政策であるならば、弱き側、貧しき側が優先されて、受益者となるべきです。
であるのに鳩山政権の子ども手当は年収1億円の家庭にもばらまかれるのです。これでは福祉でさえありません。

 所得制限を設けないことの是非については自公政権下の定額給付金でも問題となりましたが,結局,事務コストの問題に帰着します。「0歳から15歳までの子どもを持つ家庭」で年収1億円もあるというのは非常にレアケースであること,高額所得者の場合扶養控除の廃止による影響が大きいことを考えると,そこはそんなに非難されることか疑問に思ったりはします。

 子ども手当はそもそも子ども自身に与えられる資金でさえありません。子どもの親に与えられるのです。そのカネが本当に「子育て」に使われるのか。父親のパチンコ代や飲み代にはならないのか。母親のエステ代にはならないのか。

 0歳児に直接お金を渡しても仕方がないので当然でしょう。諸外国の制度を見ても,0歳児に直接給付金を手渡している例はないようです。「給付金が父親の飲み代に使われる危険があるから,子どもが直接給付金を受領してこれを自分自身で管理できる年齢になるまで,この種の手当は給付しない」という仕組みにしている国があることを私は寡聞にして知りません。とりあえず,年少者の養育を原則その親に委ねる仕組みを採用している以上,ある程度親を信頼するしかないと思います。

 こうした不公正を子どもがすでに16歳以上になった専業主婦、家庭への貢献、社会への貢献をほぼ終えて、いま生活が苦しくなる高齢の男女、さらには社会で最も活躍し、他者への貢献をしながら子どもを持たないという道を選んでいる職業人の男女らは黙って耐えねばならないのです。

 でも,それらの人々が受給する年金の原資って,これらの給付を受けて育つ子どもたちの労働によって賄われることが予定されています。といいますか,子ども手当をもらったところで,現在0歳から15歳までの子どもたちやこれから生まれてくる子どもたちは,まだ収支的にはマイナスなのではないでしょうか。

 第三は、国家権力による国民生活の最もプライベートな部分への介入の恐れです。

 このバラマキ政策の背後には、人間が子どもを生むこと、育てることに、国家権力が踏み込み、その基本の判断を決めるという思考が浮かびあがっています。

 子どもを生み、育てることに国家がまず第一に責任を持つ、あるいは子どもは国家が育てる、という発想がにじんでいるともいえましょう。これまた純粋な福祉政策であれば、国家が介入するのは自然ですが、その場合の基準はまず「弱く貧しい」当事者から優先することになります。だが民主党の子ども手当にはその前提がありません。

 子ども手当が創設されても,子供を産むか生まないかは各国民の判断に委ねられており,国家権力がその基本の判断を決めることにはなりそうにありません。それに,「子どもは国家が育てる」と大見得を切れるほどの金額でもありません。

 人間を育てる。人間が生きる。その過程や内容は個人が最も個人であるべき領域です。親としての個人の価値観、社会人としての個人の判断、そして人間を人間たらしめる個々の人間の自助努力、自律努力ーーーこんな基本を軽視あるいは無視するかのように、子どもは国家の資金に頼ればよいと断ずる、そして国家が巨額の資金の投入で大きな一律の網をかぶせてくるという姿勢は、ナチスの国家社会主義までを連想させます。

 この種の子ども手当は,米国を除く多くの先進国(反ナチを国是とする現代ドイツを含む)で採用されていますが,そこにナチスの国家社会主義を連想される方がおられることを,寡聞にして知りません。

 なお,古森さんは個人の価値観に国家が介入することを怪しからんとお考えであれば,このような価値観に中立的な子ども手当に反対するのではなく,ときおり徴農せよだの,国旗に敬礼させよだの,と言い出す人たちに対して「国家権力が個人の価値観に介入してはいけない」としっかり諭していただきたいものです。

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24/10/2009

Windows7の売り

 Windows7が発売されたそうです。その主たる「売り」は,報道を見ている限り,タッチパネル機能にあるようです。

 ただ,iPhoneがそれなりに普及した後にその亜流の機能を前面に掲げてみても,二番煎じ感を否めません。

 さらにいえば,デスクトップ機を操作しているとき通常手の位置がどこにあるのか,そしてそこからモニターまでどれほどの距離があるのかということを考えると,タッチパネルの恩恵を受けるのは,せいぜいノートパソコンorタブレットパソコンのユーザーくらいではないかという気がしなくもありません。しいていえば,店舗・展示場などにパソコンを設置して限定された操作のみを来訪者に行わせることを予定している企業等も恩恵を受けるのかもしれません(ただ,タッチパネルに特化したソフト以外もタッチパネルで操作できるとなると,キーボードを外してもユーザーに好きなようにいじられてしまう危険も出てきそうな気もします。)。

 いずれにせよ,マイクロソフト社の広報が主導でそこに焦点を当てるように仕向けているのだとすれば,広報戦略の失敗ではないかなあという気がします。Windowsの場合,前作Vistaが少なくとも商業的に失敗しているわけですから,Vistaの失敗を克服していることを前面に押し出さないと,企業ユーザーは導入になお躊躇してしまいそうです。

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12/10/2009

橋下知事への返答案を考えてみる

 橋下徹大阪府知事に処分された保健所職員はどのような「物言い」をすれば良かったのでしょうか。橋下知事が出したメールの全文がわからないのですが,このような文案だったら良かったのでしょうか。


 橋下徹大阪府知事 殿

 拝啓 貴職におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

  さて,当職は,○○保健所で××の職を務めるものです。貴職より平成21年10月1日付で頂きました電子メールにつきまして,下記のとおり上申する次第です。

 貴職は,前記メールにおいて「どうも税金に関して、僕の感覚と、役所の皆さんの感覚は違います。昨日の議会答弁、水需要予測の失敗によって380億円の損失が生まれたことに関しても恐ろしいくらい皆さんは冷静です。何とも感じていないような。民間の普通の会社なら組織挙げて真っ青ですよ!!(中略)それよりも、皆さん、380億円の損失って、何にも感じませんか?何があっても給料が保障される組織は恐ろしいです」と述べておられます。

 お言葉ではございますが,官民を問わず,経営上の困難に遭遇したときは慌てることなく冷静に対処することこそ最善であると思っております。特に,組織のトップが過去に行った決定が間違っていたことにより生じた困難に対し,末端の職員が冷静さを失って各自で勝手な対応を行うことは,絶対に避けるべきことであると思っております。また,官民を問わず,そのような困難に遭遇した場合に,組織のトップが行うべきことは,そのような困難に組織が遭遇していることを知っても冷静さを失わない職員を倫理的に責めることではなく,むしろ冷静になるように呼びかけた上で,その困難を克服するために誰が何をなすべきかを具体的に指示することであると思っております。従いまして,紀の川大堰の件について次に電子メールを頂くことがあるとすれば,そのときは,何をすべきかが具体的に記載されているものにしていただければ幸いです。

 なお,大阪府の職員はみな,大阪府知事である貴職から電子メールが送信されてくれば,そこに重要な指示が含まれているかもしれませんので,これを熟読せざるを得ません。その間,各職員は,本来なすべき仕事を中断することになります。また,組織のトップから職員を貶める内容の訓話等がなされますと,その訓話等を忘れて職務に専念できるようになるまでにしばしば相当の時間を要します(ですから,民間の普通の会社であれば,経営者は,ただ自社の職員を貶めるだけの訓話を,朝礼であれ一斉送信メールであれ,行わないものです。)。従いまして,貴職がその感情を吐露したいというだけでしたら,全職員が就業時間内に閲覧することが予定されている庁内メールではなく,知事の感情を知りたい人が通常就業時間外に閲覧することが予定されているブログ等を利用していただけると,「税金の無駄な使用をできるだけ排除したい」という貴職のご意向にも合致するものと愚考する次第です。

 以上,電子メールにて上申いたしたが,この点について直接会ってさらなる議論をしたいとのでしたら,当職の直接の上司である△△を通じてお呼びいただければ,いつでも知事室に伺う用意がございます。

 敬具

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10/10/2009

褒美銀と公開処分の差

 目安箱を設置した徳川吉宗は,その目玉政策である緊縮財政政策を通説に批判する上書を目安箱に投じた山下幸内を処分するどころか,同人に褒美銀を与えました。吉宗は,結局その上書に記載された内容を政策に反映させることはなかったのですが,幕府の政策を批判する上書を目安箱に投じても処罰されないのだということを広く知らせることが,この種の「広く下々から意見を集めるシステム」を適切に運用するためには不可欠だということを知っていたのでしょう。

 ところで,橋下徹大阪府知事は,同知事が大阪府の全職員向けに送付したメールに反論した職員の処分を人事担当者に指示したと報じられています。橋下知事は,表向きは,自分に対する批判も歓迎するとして,全職員に自分のメールアドレスを公開してメールでダイレクトに自分に意見を具申するように求めてきたことになっていますが,実のところ自分に対する批判は歓迎しておらず,その通り批判のメールを送ると処分されるということを今回の件で示してしまったわけです。

 処分の表向きの理由は「物言いが逸脱している」というものですが,報道等で引用されている文言を見る限り,言葉遣いそれ自体が上司に対するものとして一般的に許容されている範囲を逸脱しているようには思われません。内容的にも,橋下知事によるメールの内容の方が非常識であって,業務用のメールでそのような非常識なメールを読ませようとする(組織トップから社内LAN経由で送付されてきたメールであれば,職員は,忙しくともそれに目を通さざるを得ません。)ことを批判するのは,部下としてはあっぱれな姿です。

 橋下知事は何かというと「民間ではあり得ない」といって府職員を批判しているようですが,橋本知事の,部下を貶める,その姿を外部の人に見てもらうことにより自分の人気を高めていこうという姿勢自体が,真っ当な民間企業ではあり得ない類のものです。橋下知事が,大阪府の破産管財人ではなく,更生管財人を目指すのであれば,その道のプロである増岡章三弁護士に,更生会社の従業員の取り扱いについてアドバイスを受けた方がよいように思われます。

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05/10/2009

そんなに単位が簡単に取得できたのか。

 池田信夫さんが,そのブログのコメント欄で次のように述べています。

城繁幸氏はモリタクを「東大の恥」といってますが、彼も亀井静香氏も経済学部。亀の時代はマル経しかなかったからしょうがないとして、モリタクはいったい何を勉強したのか。マル経は「宇野弘蔵は正しい」と書けば、どんな答案でも卒業できたので、彼もマル経かな。
世の中には金子勝、野口旭、佐伯啓思など、「東大経済学部大学院卒」と称してマル経の学位しかない偽物がいるのでご注意。

 昔から「理1,文3,猫,文2」という言葉がありましたから,東大経済学の単位認定は東大の他の学部のそれよりも甘かったと言うことはあったかもしれませんが,「宇野弘蔵は正しい」と書けばそれだけで単位がもらえる授業だけで卒業に必要な単位が得られたとはにわかに信じがたいです。それ以前に,学部レベルで,マル経のみで卒業に必要な単位が取れたとすれば,それはそれで信じがたいのですが。学位に関する名誉にはセンシティブな方だと思ったのですが。

 佐伯啓思さんをwikipediaで調べると,「西部邁と村上泰亮に師事した。」とありますが,どちらもマル経ではないように思われるのですが,東京大学大学院経済学研究科では,マル経ではない教員に師事しつつ取得できる「マル経の学位」というものが,本来の「経済学修士」とは別にあると言うことなのでしょうか。東大経済部の方,メールか,はてなブックマークコメントで教えて下さい。

 池田さんはこちらでも,野口旭先生について,

もともと彼の世代にマル経の大学院に入るというのが、かなり狂っている。おまけに東大のマル経は宇野経済学の教条主義で、先生と少しでも違う意見を書くと落とされた。そういう試験に通るような人物には、本書にも見られる「教条主義」の遺伝子があるのだろう。自分と同じ党派を絶賛し、それ以外は罵倒するスタイルも、マルクス主義そのものである。
と仰っているのですが,東京大学大学院経済学研究科を「マル経の大学院」と言いきってしまうのもどうかと思いますし(マルクス経済学を専攻する研究者もいたとは思いますが,それだけではないのでしょうし),かといって,野口先生がどなたに師事されていたのかも示されていません。まあいずれにせよ,「政策・メディア研究科」で修士号,博士号をとったに過ぎない人よりは,経済学者としては本物っぽい気がします。

 なお,東大経済学部を卒業した方で,「自分と同じ党派を絶賛し、それ以外は罵倒するスタイル」を強烈に採用されている方を存じ上げているのですが,その方もマルクス主義者なのでしょうか。

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01/10/2009

職業訓練のニーズ

 城繁幸さんが次のように述べています。

が、それだけで問題が解決するわけではない。
というのも、最大の問題は、こんなザル政策でも文句の一つも
出ないほどに、そもそも職業訓練のニーズが日本社会に
少ないという現実だ。

理由は、日本企業は職務ベースではなく、「新卒・正社員・総合職」といった出自に
基づいた身分制なので、そもそも職務というものへのニーズが薄いためだ。
“博士”という最高の訓練を受けた人材でさえ敬遠される国。
悲しいけど、それが日本の実情である。

 博士課程は基本的に研究者になるための訓練をするところなので,研究者を必要としていない企業が「博士」を敢えて採用したいと思わないことは自然ではないかと思われます。

 城さんって,人材コンサルを自称している割には不思議な認識をお持ちです。実際には,いわゆる一部上場企業においてすら相当数の中途採用組がいるし,まして中小ベンチャー企業をや,というのが現実です。とりあえず早急に必要とされている部署に即戦力をおくという場合には,他の企業でその部署を経験した実績のある人を雇う方が確実ですから。といいますか,そういう場合に必要とされている人材を企業に紹介するのが人材コンサルタントの重要な仕事の一つだと思うのですが,城さんはそういうお仕事はなさっていないのでしょうか。

 「大学新卒の正社員採用」というのはもともと,「とりあえず早急に必要とされている部署への即戦力」として採用されているわけではないので,職業訓練をいくら受けたって「大学新卒」組を押しのけて正社員として採用されるってことにはなかなかなりにくいとは思います(大学新卒組は,当面要求する賃金水準も比較的低いので,彼らに対して価格面で競争を挑むのは得策ではありません。)。しかし,「とりあえず早急に必要とされている部署に即戦力をおく」という企業ニーズに合致した職業訓練がなされた場合には,「他の企業でその部署を経験した実績のある人」を押しのけて中途採用される可能性は十分にあります(一般に,「他の企業でその部署を経験した実績のある人」は希望する給与水準が高いので,職業訓練を経ることによりある程度即戦力性が担保されるのであれば,価格面での優位を生かすことができる可能性があるからです。)。

 もちろん,現在の職業訓練プログラムが企業ニーズに合致しているのかという問題はあるし,それはそれで早急に改善されるべき問題ではありますが,職業訓練のニーズ自体を否定してしまうのはいかがなものかなあと思ってしまいます。

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30/09/2009

異論と併存する度量

 学者,研究者というのは,異論を述べるのがお仕事です。従って,一つの論点について,自分とは異なる見解を述べる学者,研究者がいるのが正常な姿であるし,自分の見解について否定的な意見を述べる学者,研究者がいるのが正常な姿です。

 ですから,真っ当な学者,研究者は,自分の見解について否定的な意見を述べる学者,研究者等に対し礼を失することなく向き合える程度の度量を有しているのが通常です。自分の見解について否定的な意見を述べる学者,研究者等をその人格面に至るまで一々否定していたら,シンポジウム一つまともに運営できません。逆に言うと,そういう度量を持ち得ない人は,学者,研究者には向いていないということができそうです。まして,自分の見解と相容れない見解を有している人をちゃんとした名前で呼ぶことができないという幼児性の強い人物は,異論が飛び交い併存することが予定されている「研究セクション」にいるべきではないといえるでしょう。

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28/09/2009

「一段階論理の不正義」は結局正義にはならない

 最低賃金を引き上げることは中小企業の倒産に繋がるから許せないが、中小企業元本返済猶予法を制定して中小企業の倒産を防止することは許せないという「経済学者」がおられるようです。

 この種の「経済学者」にとって、中小企業を倒産させないという政策目標は、労働者がその賃金のみによって健康的で文化的な生活を行えるようにするという政策目標よりは優先されるけれども、空前の不況期においても銀行は中小企業から優先的に元金の返済を受けられるようにするという政策目標よりは劣後されるべきものだということなのでしょう。まさに、金貸しの都合が最優先で、労働者の幸せなど眼中にない、新自由主義者の「一段階論理の不正義」そのものです。

 「一段階論理の不正義」とはいいましたが、では、その種の論理は二段階以降は正義に転ずるのかというと、通常、そんなことはありません。中小企業元本猶予法など制定せず、空前の不況期においても銀行は中小企業から優先的に元金の返済を受けることができるということにしてみたところで、資金にゆとりのない中小企業は元金を支払うことができませんから、現実には銀行は中小企業からの元金返済を受けられないことになります。すると、銀行としては、元金返済を猶予するか、その中小企業を倒産に追い込むしかなくなってしまいます。もちろん、利息制限法や出資法を撤廃すれば中小企業は高利貸しから資金を借りて銀行への元金返済に充てられるはずだという考え方もあるかもしれませんが、銀行への弁済資金を高利貸しから借りるようになったら、結局その企業は早晩倒産です。

 そして、不況期に融資先の倒産件数を増やすことは銀行にとって別に得策ではありません。利益が少ない時に貸倒れをがんがん計上しても仕方がありませんし、不況期に担保不動産を競売に掛けてもその評価が下がっているので面白くも何ともありません。また、再び好況が訪れても、不況期につぶしてしまった会社からは元金の弁済等受けることはできません。そういう意味では、むしろ、元金の支払いを猶予する代わりに一定の「アメ」が与えられるのであれば、大不況期の暫定措置として、一定の要件を満たす中小企業の元本支払いの猶予を義務づけられることは、金融機関としては「渡りに舟」的な要素があるとすら言えます。

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27/09/2009

検索オプションで指定?

 池田信夫さんがそのブログのコメント欄で次のように述べています。

当ブログには毎日、膨大なコメントがつくけど、匿名のイナゴと実名のストーカーは(検索オプションで"-la_causette -hamachan"などと指定して)無視しているので、実名の批判らしきものは月に1回ぐらいしかない。それもこういうトホホな代物です。

 池田さんは,匿名であっても,自分と一緒に特定の第三者を批判するコメントはしっかり載せる一方,自分に批判的な見解はトラックバックすら許さない傾向が強いので,批判コメントを投稿しても無駄だと思われているだけだと思うのです。といいますか,「検索オプションで"-la_causette -hamachan"などと指定」することに何の意味があるのか不可解です(コメント投稿の際にハンドルの全部又は一部に「la_causette」という文字列を用いている実名ブロガーっていないと思いますが。)。まあ,「など」という言葉が用いられているので,「自分に迎合的ではない,実名ブロガーの氏名ハンドル名等を全てコメント投稿禁止キーワードにしている」ということが言いたかったのかもしれませんが。

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17/09/2009

その決議を選ぶかなあ,普通。

 産経新聞は,日弁連について次のような解説をしています。

 弁護士は、法律で各弁護士会を通じて日弁連への加入が義務付けられている。日弁連は自衛隊のイラク派遣や海賊対策で自衛隊の随時派遣を可能にする海賊対処法に反対する会長声明を発表するなど、リベラル色の強い団体といわれている。

 日弁連は産経新聞社よりはリベラル色が強いことは認めざるを得ませんが(そうでない団体の方が珍しいので),そのことを示すのに,公正を重視した,古典的自由主義への修正というリベラリズムの特質とは直接的な関係のないそれらの決議を選ぶものかなあと思ったりします。

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13/09/2009

開示義務のない被差別属性を自主的に開示しなかったことを糾弾することの非人道性について

 民主党の渡辺義彦議員が自己破産手続き中であったことを報告しなかったことに関して,落合先生は「一種の議席詐欺と言われても仕方がないでしょう。」と言い,町村先生にいたっては,「この男、いやに堂々としていて、ジャンパーを頭にかぶるでもなくマスコミの前に出ているが、正気だろうか?」とまで言っています。

 しかし,就職活動であれ,選挙活動であれ,マイナス評価を受ける可能性が高い属性をわざわざアピールしようとしないことは当然です。自分の属性のうち,ある種の有権者がネガティブに評価する可能性があるものは全て開示すべきだなんてルールを作り出したら大変です。それは,「私は,これほどの被差別属性をもっています」ということの表明を強いることに繋がりますし,それは,自分の有するその属性は差別ないし偏見を持たれるに値するものであるということを認めさせられることに繋がるからです。

 その属性を有するか否かを開示するということが法令であるいはその所属政党内のルールとして定められているならば,その属性について情報を開示するにあたって,その属性が差別又は偏見を持たれるに値するものであるということを自ら認めるという葛藤ないし屈辱からはひとまず逃れることができます。だから,公式に開示することを求められていない属性を自主的に開示しなかったことを糾弾するということは,よくよく回避すべきことだと思います。

 

【追記】

 mohnoさんから「「知ってたら投票しなかった」という人は裏切られたと思うんじゃない?」というはてブコメントを頂きました。ある属性に差別ないし偏見を抱いている人は,その候補者がその属性を有していると知っていたら,その候補者に投票しなかったかもしれません。しかし,その人が偏見を有する属性を有する候補者はその属性を選挙公報等に掲載しているはずとの信頼をその人がもっていたとして,それは保護するに値するのでしょうか。その,しばしば差別される属性を開示しないことは「詐欺」として糾弾されるべきでしょうか。例えば,被差別部落出身者はその旨を選挙公報に明記しなければならないのでしょうか。同性愛者はその旨を選挙公報に明記しなければ詐欺でしょうか。アブノーマルな性的嗜好を有していることについてはどうでしょうか。若いころに,生きていくために,社会的な評価が極めて低い職業に就いていたことはどうでしょうか。

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小選挙区制での連立政権のメリット・デメリット

 民主・国民・社民の連立政権は来年の参議院選挙までの暫定的なものであるという声が巷では大きいようです。果たしてそうでしょうか。

 比例代表中心の選挙制度であれば,それぞれの政党が独自の政策を訴えて選挙運動を行った後に,選挙結果を踏まえて新たにどことどこで組むのかを協議して調整すれば足ります。ですから,選挙ごとに,「議員数」という必要に応じて連立の枠組みを組み替えることができます。

 しかし,小選挙区中心の選挙制度の下では,複数政党で選挙協力をした方が,選挙協力せずに選挙運動を行うより圧倒的に有利となります。国民新党や社民党の支持者数は民主党の支持者数よりも圧倒的に少ないかもしれないわけですが,小選挙区制というのは,その相対的に少ない支持者が民主党系の小選挙区候補にはいるか否かで,当選者数ががらっと変わっていく可能性があるのです。

 そういう意味では,来年の参議院選挙で民主党が勝利し衆参とも民主党が単独で過半数を占めたとしても,その次の衆議院選挙のことを考えれば,民国社連立政権を継続した方が合理的だということになります。大臣ポスト2つと,いくつかの政策的な妥協など,そのためにはお安いものではないかという気がしてしまいます。特に,国民新党は,基本的に郵政民営化反対のシングルイシュー政党ですからある意味御しやすい政党ですし,社民党への譲歩はほぼ民主党内左派への配慮に繋がりますから,さほどマイナスにはならないですし。

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05/09/2009

pinkな過去

 報知新聞が次のように報じています。  

先の衆院選で比例復活当選し、民主党大勝の象徴となった「小沢ガールズ」の代表格、田中美絵子氏(33)について、4日発売の写真週刊誌「フライデー」が過去にコスプレ風俗ライターとして活動していた前歴を報じている。今選挙ナンバーワンと称された美ぼうをもち、石川2区で自民党・森喜朗元首相(72)に善戦した田中氏の意外といえる過去だけに、話題を呼びそうだ。

 その真偽の程は明らかではありませんが,だからなんだ,という感じがします。大学新卒時に読売新聞社や講談社に入社された方には見当がつかないのかもしれませんが,若くて経験の浅いクリエイターにとっては,とにかく作品をつくって発表することが,生活という面においても経験という面においても重要であって,そのためであれば,ピンク方面に進出することだって厭わない。そんなの当たり前ではないですか。それは必死に生きてキャリアを積み上げてきた証です。

 「コミック雑誌なんかいらない!」で第11回報知映画賞作品賞を,「おくりびと」で第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督が1980年代前半に「痴漢電車」シリーズを撮っていたことも,「夢千代日記」の撮影監督であった安藤庄平が「小柳深志」との名前で「団地妻 昼下りの情事」の撮影監督を務めていたことも,「春の波濤」の脚本家であった中島丈博が「四畳半襖の裏張り しのび肌」の脚本を手がけていたことも,スキャンダラスに捉えること自体がおかしな話です。

 「映画関係者ならそれでも構わないが,国会議員だから問題なのだ」という人もいるかもしれません。しかし,国会議員って,自分の力で道を切り開いたことにない人ばかりが集まるべきところではないのです。

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19/08/2009

サービス産業における競争原理の厳しさと労働生産性の関係

 サービス産業において参入規制が厳しく競争原理が十分に働かない場合、事業者は価格競争を行わなくとも済むので、人件費や利益相当分を十分上乗せした価格設定を行うことができます。これに対し、サービス産業において参入規制が緩く競争原理が強烈に働かいている場合、事業者は厳しい価格競争を強いられるので、人件費や利益相当分を十分に上乗せした価格設定を行うことができなくなります。

 また、サービス産業において参入規制が緩やかとなり、多くの事業者が実際に参入するようになれば、顧客が分散されるため、労働生産性は低くなります。

 製造業の場合、技術革新によって、従業員1人の単位時間あたりの商品生産量を増やすことによって、商品1個あたりの単価を引き下げつつ労働生産性を上昇させることが可能となりますが、サービス業においては、技術革新を行っても、従業員1人の単位時間あたりのサービス提供量を上昇させることが困難である場合が少なくありません。また、従業員1人の単位時間あたりのサービス提供量を上昇させることができたとしても、それに応じた料金の引き下げを求められる結果、労働生産性の上昇に繋がらない場合も十分にあり得ます(例えば、クイックマッサージ業界では、30分の施術で従前の60分の施術と同等の凝りのほぐしを可能とする技術革新が行われたとしても、30分の施術に対して6000円の価格設定は行い得ないでしょう。)。

 従って、サービス産業においては、参入規制が厳しく競争原理が十分に働かない方が、労働生産性が高くなります。ですから、日本においてサービス産業の労働生産性が顕著に低いとすれば、それは、競争が甘いからではなく、むしろ、競争が厳しすぎるから、である可能性が十分にありうると言えます。

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12/08/2009

Economist誌の常識というのは世界の政治・経済の指導者の常識?

 池田信夫さんが次のように述べています。

彼と話していて恐いと思ったのは、Economist誌の常識というのは世界の政治・経済の指導者の常識でもあるわけで、そこから見て日本が「わかりきったことを実行できない変な国」と見られているということは、日本は世界のリーダーからも同じように見られてるんだな、ということです。

 もし,Economist誌の常識というのは世界の政治・経済の指導者の常識だとすると,Ecomonist紙は,世界の政治・経済の指導者の言動を概ね肯定的に報じ,論評しているのだろうということが予想されます。しかし,私も英語の勉強がてらEcomonist紙を定期購読していますが,Economist紙は,日本以外の国の政治・経済の指導者に対しても,基本的に辛辣なメディアのように見えます。つまり,Economist紙の常識と世界の政治・経済指導者の常識は食い違っているように見えます。別にEconomist紙を非難しているわけではなく,世界の政治・経済指導者の常識とは異なる常識を持ち,そのような観点から世界の政治・経済指導者を論評するからこそ,Economist紙はジャーナリズムを体現できているのではないかと思うのです。

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10/08/2009

度重なる「読み間違い」の何が問題か。

 麻生太郎首相が、長崎市で行われた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典において、「傷跡」を「きずあと」ではなく、「しょうせき」と読んだことが話題となっています。

 私は、麻生首相による「読み間違い」騒動のうち、非難される度合いの高いものと低いものとがあり、この読み間違いは前者にあたると考えています。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における首相の挨拶は、国会における施政方針演説と同様、日本国の行政府の長として行うべきものですので、本番の前に、スタッフ等を前にして、全体を声を出して読んでみるべきものなのに(単に、漢字を間違いなく読めるかというだけでなく、読み終えるまでの時間が長すぎずかつ短すぎないか、同音異義語が多い日本語において聞き手から誤解されることはないか等々、声に出すことによってチェックすべき事項はたくさんあります。)、それを怠っていたが故の事故だからです。

 党首討論のように、アドリブで発言しなければいけない場面で漢字を読み間違いを行ったということであれば、単に無知を晒したというだけの話ですが、重要な式典での挨拶のように、予定調和で終わらせなければいけないものについて、事前に読み合わせをしておかないというのは、一種の職務放棄に他ならないのです。首相であり続けたいが、首相としての職務を全うすることに全力を注ぐことができないことが、度重なる「公式のスピーチ」での読み間違いには見て取れる──そのことこそが最大の問題なのです。

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08/08/2009

罪を憎んで芸を憎まず

 酒井法子さんに対し覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕状が出たことを受けて,最高裁は,酒井さんが主演として出ている裁判員制度の広報用映画「審理」の使用を自粛することとしたそうです。決定したのが最高裁だけに,推定無罪との関係を問題視する方は少なくないようです。しかし,そういう問題でしょうか。

 「罪を憎んで人を憎まず」といいますが,まして作品を憎み退けるのは間違っています。まして,映画は,多くの人の汗と涙とセンスと投資の結晶であり,主演とて,そのごく一部を担うに過ぎません。たかだか主演が犯罪を犯したというだけで,その作品をお蔵入りさせてしまうなんて,倫理的にいえば,本来許されるべきことではありません。

 「ABBEY ROAD」も「TAXi4」も発売を自粛されていませんが,それで何ということはありません。

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01/08/2009

世代間格差を特に問題視する人たちの種類

 最近は,「日本の最大の格差は世代間格差である」などといってそれ以外の格差から国民の目を背けさせよう,あわよくば,世代間格差を解消するためと称して他の格差を拡大させようという人々の声が喧しいようです。

 しかし,現実の消費活動の原資って基本的には「家族」という単位で考えていかないと仕方がないわけで,その中で高齢者の収入割合が高いとか低いということは,消費の主導権を誰が握るのかという点に違いは生ずるし,全ての「家族」が全ての世代を抱えているわけではないので家族構成ごとに利害得失を生ずるから,全く無意味とはいわないけれども,そんなにすごい大きな話というわけでもありません。むしろ,「家族」間の収入格差の方が,端的に「家族」間の消費格差に繋がるので,深刻だということができます。

 まあ,格差を解消して多少とも平等な社会を構築したくて「世代間格差」を問題視しているのか,それ以外の「格差」を誤魔化すために「世代間格差」をことさら問題視して見せているのかは,相続に対する態度を見ると結構よくわかってきます。(一部の)旧世代が溜め込んだ「富」は,その死亡とともに「墓場まで持ってい」かれることは通常なく,法に従って,別の法人格に移転します。そして,相続制度があると,それは,その旧世代の人物と一定の血縁関係にある,一世代若いだけの人間に移転することになり,本来受け取るべき富をその旧世代の人物に「搾取」された若い世代には還元されないということになります。もちろん,日本を含む多くの社会では「相続税」という制度が大なり小なり存在していて,相続税として国に収められた「富」は国としての様々な施策を通じて,その旧世代の人物に「搾取」された若い世代に還元することが可能となります。

 そういう意味では,本心から「世代間格差」を問題視する人々は,相続税率の引き上げ等により,旧世代の蓄積した富を,少なくともその死亡時には,国庫を介して,若い世代に分配することを肯定することになろうかと思います。

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28/07/2009

サンデープロジェクトを見ての感想を遅ればせながら

 雇用に関して規制を強化しても賃金原資は増加しないということを得意げに述べる人が最近散見されるようになりましたが、雇用に関する規制を緩和した場合に賃金原資が減少して配当に回される可能性の有無について彼らが言及しないというのは誠実さを欠いているなあ、と先日のサンデープロジェクトでの城繁幸さんの発言を聞いて思ったりしました。

 あと、パネリストの一人をやりこめてやろうという意図だけが見え見えの質問って、非常に2ちゃんねる的だなあとは思ったのですが、コンサルタントとして生きていこうと思ったらやめた方が良いのではないかなあと人ごとながら思ってしまいました。コンサルタントって、顧客や相手方をやりこめることを業とする職業ではありませんから。

 あと、何かにつけて消費税の増税を政治家に迫ろうとする田原総一郎さんを見て、消費税って、一部の輸出企業以外の企業にとっては事実上の外形標準課税として働いてくるのに、理論的に最終負担者が一般消費者であるというだけで、なぜそんなに彼を惹き付けるのだろうと思ったりしてしまいました。まあ、消費しきれないほどの収入を得て資産形成を行っているごく一部の人々には、所得税や資産税を軽減してその分を消費税で賄うというのは非常に魅力的なのかも知れないけれども、消費税の大幅増税って内需産業の体力を奪っていくのだろうなあということはあまり考えなくてもよいことになっているのでしょうか。

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26/07/2009

明治での学部試験 2009年・夏

 今年から,明治大学法学部で「法・情報・社会」の授業を持つことになったことは既に述べました。中大での授業はゼミ形式なので学部試験というものがなかったのですが,明治での授業は講義形式なので学部試験が避けられません。

 何しろ初めてのことなのでレベル設定をどうするのかがつかめていないのですが,とりあえず下記のような問題を出してみることにしました。

 来たる衆議院議員選挙に向けて、特設サイトをウェブ上に開設するとします。できるだけ多くの人に何度もそのサイトを訪れてもらうために、どのような工夫をしたらよいでしょうか。

 その際、法律的にはどのような点に注意すべきでしょうか。

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25/07/2009

貧しい家庭の子女がそれでも高校に通うことを望んでいるのは日教組等の労組だけ?

 池田信夫さんが次のように述べています。

私は今年、民主党の勉強会に呼ばれたときにも、この点について「農家に所得補償するなら専業農家に限定すべきだし、教育費を補助するならバウチャーにするなど、市場メカニズムを生かす工夫をすべきだ」と批判しました。これについて政調会の幹部は「おっしゃる意味はわかる。子供手当は一種のバウチャーのつもりだ」と答えました。ところが最近出てきた「高校無償化」などの政策は、昔ながらのバラマキです。
アメリカのブッシュ政権でさえ労働組合の反対で(連邦レベルでは)実施できなかった教育バウチャーを、日教組に依存する民主党が実施できるとは思えない。先日の派遣労働禁止といい、この学費無償化といい、新たに出てくる政策も労組べったりの露骨なバラマキばかり。これでは国会で(16年前のように)強力な野党になった自民党の攻撃を受け、また1年ぐらいで空中分解するのが関の山でしょう。

 池田さんの目には,高等学校の学費の無償化すら「労組べったりの露骨なバラマキ」に見えるようです。

 ただ,ほとんどの地域では,どこの高校に進学したいかは生徒が自由に選択することができ,希望者数が定員を超える場合には入学試験等により各高校が入学希望者を選抜することができる以上,高校に関して「授業料の無償化」がだめで,「教育バウチャー」ならよいとする合理的な理由はないし,「教育バウチャー」ではなく「授業料の無償化」を選択することが「労組べったりの露骨なバラマキ」であるとする理由もよくわかりません。それ以前に,労働者らが労働組合を通じて一定のロビー活動を行い自分たちの利害を国政に反映させるという,概ね民主主義国家においては広く行われていることをそこまでネガティブなものとして捉えているあたりが,そもそもどうかと思わなくもないですが。

 まあ,新自由主義者の中には,

従業員を雇えるような株式会社を起業できる人を増やす為には、図の左上に人(自己抑制キャパが高く、社会適応性が高い人)の大学進学率を減らして、高収入・高安定の仕事につきにくくすれば良いのです。
自己抑制キャパと社会適応性の両方が高い人で、中卒・高卒で就職する人数を増やすと、かれらは学歴以外の方法で高収入を目指すようになります。そのような方法の中で、もっとも効率的な方法の一つが自分で起業する事です。

とした上で,

では、そのような具体的な方法とはどういった事でしょうか。乱暴な言い方ですが、ずばり、経済格差をもっともっと広げて、貧乏な底辺の家庭を増やす事だと思います。つまり日本が一旦、発展途上国に戻れば良いのです。
提唱される方もおられるので,貧しい過程に生まれ育った子供たちが高度の教育を受ける可能性を高める高校の授業料無償化というのは,一部の新自由主義者たちにとってはとても出ないが許せないものなのかもしれません。

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21/07/2009

京成電鉄荒川橋梁

 いわゆる廃墟写真訴訟の原告である丸田祥三さんと原武史さんとの対談が、「東京人」の8月号に掲載されています。

 その表紙に採用されているのが、京成本線の堀切菖蒲園駅と京成関屋駅とをつなぐ、荒川に係る鉄橋の写真です。まさに、私が、ほぼ毎日京成電車に乗って通過するところです(私の自宅の最寄り駅が、まさに堀切菖蒲園駅!)。

 小林伸一郎さんに対する上記訴訟は、同い年かつ研修所同クラスの野間啓弁護士と一緒にやっているのですが、私が丸田さんの写真に野間弁護士ほどノスタルジアを感じないのは、丸田さんがノスタルジアを感じる光景が私にとって日常の光景だからなのかなあと妙に納得してしまった次第です。

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13/07/2009

前期の授業予定終了

 中央大学、明治大学とも、私の前期の授業は無事終わりました。

 ただ、最近はセメスター制が流行なので、前期は前期で成績を付けていかなければなりません。で、何が困るといえば、4年生の出席日数の問題です。それでも、通常の授業の場合は、「学部試験一本勝負」とすることで救済が可能なのですが、ゼミの場合そういうわけにも行かないのが思案のしどころです。

 もちろん、「遊び呆けていて出席が足りなくなった」というのであれば同情の余地はないのですが、前期中に就職活動を終えることが出来なかったために出席が足りなくなってしまったということだと、教員としても単位を落としにくいところが辛いところです。

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11/07/2009

太平記占い

 Wallersteinさんのところで太平記占いを紹介していたので,やってみたところ,楠木正成という対して面白くない結果に終わってしまいました。

 我が家は,基本的に,赤松家の末裔なのですが。

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01/07/2009

労働者全体が受け取る賃金総額は変わらない?

 城繁幸氏が,そのブログのコメント欄で,

そもそも、規制で人件費の総額が上下するなんてことはありえないわけで、現状のままだろうが、完全流動化しようが、労働者全体が受け取る賃金総額は変わらない。要するに、非正規とか新卒者だけに偏っている負担を満遍なく散らせと言っているのであって、貧乏人続出なんてことにはならない。滑り落ちる人間もいれば、上がる人間もいるわけで。

と言っていますが,その根拠がわかりません。

 労働者保護法制が撤廃されて,全ての従業員が絶えず失業者と賃金の価格競争を行うことを余儀なくされた場合に,従前正規労働者として年功賃金を受け取っていた層の賃金水準が下がることは予想されるにしても,従前非正規労働者として安い賃金しかもらっていなかった層の賃金水準が上昇する理由がないからです。普通に考えれば,解雇規制の撤廃により従前正規労働者に支払ってきた賃金が浮いた分は,非正規労働者に回るのではなく,株主と経営者とで山分けされると予想するのが普通ではないかという気がします。なにせ,その非正規労働者は従前の賃金水準でも働いてくれる人たちなのですから。

 もちろん,それでは,正規労働者と非正規労働者との対立構造,ひいては世代間の対立構造を煽ってきた城さんはその存立基盤を崩されてしまうということになるので,城さんとしては認めにくいとは思うのですが。

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07/06/2009

「誰が読んでもそう読める」までハードルをあげられたらお手上げ

 矢部善朗創価大学法科大学院教授が,「パブ弁!」さんをアクセス禁止処分にしたようです。

 その前の通告内容は,

パブ弁!さんが、私が「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」していると誰が読んでもそう読める私の文章を指摘するか、誤読を認めて謝罪するか、実名を開示するか、いずれかを直ちに行わない限り、パブ弁!さんの投稿を禁じます。

というものでしたが,それはハードルが高すぎます。1000人中999人がそう読めるものだって,特定の小宇宙の住人が「そうは読めない」と言い張れば,誰が読んでもそう読めることにはならなくなってしまいます。

 実際,こちらのエントリーのNo.143でパブ弁!さんが引用している矢部教授のコメントは,弁護人の取調べへの立会いを認めることについて矢部教授が相当ネガティブであることを伺わせるものだと思いますし,それを「頑として……嫌悪・忌避」していると表現するのは許容されるレトリックの範囲内にあると思いますが,「ご指摘の部分を「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」していると読む程度の読解力しか持たない弁護士が存在することに恐怖を感じます。」などという方(Beartankさん)も出てきますし(これらの文章を読んで,弁護人の取調べへの立会いに反対していないと読んでしまう人の方が問題だと思いますが。),矢部教授は「その受け取り方は間違いです。」といえばそれで,悪いのはパブ弁!さんの方だとしてしまえると思っておられるようです。

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「誰が読んでもそう読める」までハードルをあげられたらお手上げ

 矢部善朗創価大学法科大学院教授が,「パブ弁!」さんをアクセス禁止処分にしたようです。

 その前の通告内容は,

パブ弁!さんが、私が「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」していると誰が読んでもそう読める私の文章を指摘するか、誤読を認めて謝罪するか、実名を開示するか、いずれかを直ちに行わない限り、パブ弁!さんの投稿を禁じます。

というものでしたが,それはハードルが高すぎます。1000人中999人がそう読めるものだって,特定の小宇宙の住人が「そうは読めない」と言い張れば,誰が読んでもそう読めることにはならなくなってしまいます。

 実際,こちらのエントリーのNo.143でパブ弁!さんが引用している矢部教授のコメントは,弁護人の取調べへの立会いを認めることについて矢部教授が相当ネガティブであることを伺わせるものだと思いますし,それを「頑として……嫌悪・忌避」していると表現するのは許容されるレトリックの範囲内にあると思いますが,「ご指摘の部分を「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」していると読む程度の読解力しか持たない弁護士が存在することに恐怖を感じます。」などという方(Beartankさん)も出てきますし(これらの文章を読んで,弁護人の取調べへの立会いに反対していないと読んでしまう人の方が問題だと思いますが。),矢部教授は「その受け取り方は間違いです。」といえばそれで,悪いのはパブ弁!さんの方だとしてしまえると思っておられるようです。

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24/05/2009

ノーワーキング・リッチの真の味方は誰か。

 池田信夫さんが次のようなことを述べています。

民主党のマニフェストでは「地方主権」をうたっているが、本気でやるなら(道州などの)地方政府に国家主権を与え、すべての規制を独自に決める権限を与えてはどうだろうか。たとえば不況にあえいでいる北海道が為替レートを独自に設定すれば、たぶん円の半分ぐらいになり、解雇規制を撤廃して実効賃金を下げれば、中国と競争して工場を誘致できるかもしれない。

 このような政策が実現した場合に,どのような人が得をするのでしょうか。それは,既に相当の金融資産を抱え込んでいる人々でしょう。

 「大幅に賃金水準が低下し,それに伴い物価全体が大幅に下落した」将来の北海道に,円建てまたはドル建ての預金を抱え込んだまま移住してしまえば,これらに人々は,まさに「ノーワーキング・リッチ」な生活を謳歌できるということになります。

 日本全体で解雇規制を撤廃して実効賃金を引き下げたときにやはり得をするのは,既に資産形成が済んだ(一部の)中高年層または彼らの残した資産を相続により形成した新・貴族層だということが言えます。

 そういう意味では,池田さんこそがまさに「ノーワーキング・リッチ」の味方であるということができそうです。

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14/05/2009

自分に甘く、他人に厳しい

 人間誰しも「自分に甘く、他人に厳しい」ものですが、それが激しすぎる人っていうのは、如何なものかなあと思わなくはありません。

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ラーメンといえば

 古い世代の人にとって,「ラーメン」という言葉から発想されるのは多分に「小池さん」だったのですが,これからの労働問題に関心を持つネットワーカーは,同じ「池」でも,「池田さん」を発想するようになるかもしれません。

 池田信夫さんが今度また解雇された通告を受けたときには裁判を提起してこれに抵抗したり、研究者として大学や研究機関へ就職をしたりするのではなくおいしいラーメン屋となる道を選ぶとか,あるいは,ご自身が「中高年正社員」である(?)池田さんが現在のポストを若手研究者に譲って自分はおいしいラーメン屋として起業するという話ならどうぞご自由に,としかいいようがないのですが,正社員に対する保護が手厚すぎるので正社員をやめておいしいラーメン屋として起業する人が出てこないのが問題だから解雇規制を撤廃せよみたいな話になると,それは立派に余計なお世話だとしかいいようがないように思ったりします。

 まして,合理的な理由なくして解雇されてもおいしいラーメン屋として起業する道があるからいいではないかといわれてしまうと,「おいしいラーメン屋は一日にしてならず」なので,そう簡単にはいかないんですよといわざるを得ないのですが,新自由主義者の方々って,業種を変更することのコストを過小に見積もる傾向があるので,それが的外れな意見だとは本当に思っていないかもしれません。

【訂正】

 GLOCOMから解雇通告を受けたが、その後裁判を起こした結果、和解により自主的に退社するまでの地位が認められたのだから「解雇された」との事実はないとのクレームを受けています。「解雇通告を受ける」ことを短く「解雇される」と表現することが名誉毀損に値するほどの間違いだとは思わないのですが、より詳細な記述をお望みのようなので、一部表現を訂正しました。

 なお、池田さんのブログでは、「その後、グローコムは所長も副所長も不在のまま解散状態になり、現在に至っている。」との記述がありますが、こちらを見ますと、2008年4月1日現在ということで宮原明さんがGLOCOMの所長として表示されていますし、その後もいろいろな活動をしていてとても解散状態にあるようには見えません。名誉毀損というのは、そういうことを言うのではないでしょうか。

 なお、あくまで一般論ですが、問題社員に解雇通知をしたところ、訴訟を提起され、結局、解雇通知を撤回しその間の給料は支払うものの、自主退社という形でやめてもらえるという和解を引き出せたのであれば、会社側としては御の字ではないかと思わなくはありません。これはこれで、人件費を節約するための解雇とは、会社側の目標が異なりますから。

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10/05/2009

「『就職氷河期』世代の非正規社員」問題を単なる「錦の御旗」として掲げる人々

 既に見てきたとおり,法律上の解雇規制があっても,景気回復期において企業は大量の新卒者を正社員として雇用してきたし,また,多くの非新卒者についても正社員として採用してきたわけです(なにしろ,前職正社員の場合,7割以上が正社員として採用されています。)。他方,いわゆる「就職氷河期」のときに正社員として採用されずその後も長らく正社員として採用されなかった人々は,ここ数年の景気回復期においても,なかなか正社員として採用されなかっらということが事実としてあり,景気後退期に突入した際には,非正規社員から先に解雇していくというルールの下,「就職氷河期」世代の非正規社員らが大量に解雇されることになったわけです。

 従って,「就職氷河期」のときに正社員として採用されずその後も長らく正社員として採用されなかった人々を中長期的に救済する方策を模索するにあたっては,企業は,新卒者や前正社員を正社員として採用したのに,なぜ「就職氷河期」世代の非正規社員らを正社員として採用しなかったのか,ということを研究していかなければなりません。そのように考えてみると,法律上の解雇規制を撤廃したところで,企業が新卒一括採用をやめて「就職氷河期」世代の非正規社員らを正社員として雇用するようになるとか,正社員を気軽に解雇して空いた分を「就職氷河期」世代の非正規社員らをもって補充するとかというストーリーはほぼ期待薄であることが容易に想像可能です。多くの実務法曹は,「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなスキームには非常にネガティブなので,「手の見えない神真理教」の信者とは見解があわないことが多いようです。

 もちろん,「手の見えない神真理教」を唱道している人々がみな,「正社員に対する解雇規制を撤廃すれば,「就職氷河期」世代の非正規社員らが普通に家庭を持てる程度の処遇を得られるようになる」と本気で考えているのかというと多分に疑問だったりはします。所詮は,ある種の人々に対する憎悪ないし嫉妬に基づく行動を正当化するためのある種の「錦の御旗」として,「『就職氷河期』世代の非正規社員」が利用されているに過ぎないようにも見えます。「『就職氷河期』世代の非正規社員」の処遇の改善」が,例えば正社員の処遇を悪化させる提案を正当化し,これに対する批判を封じ込める文脈でのみなされている場合,まず間違いないといえるでしょう。

 「就職氷河期」世代の非正規社員らの不遇を「世代間闘争」のせいにして,「階級間闘争」という面をなかったものにしようとしている人々には注意した方がよいでしょう。「世代間闘争」を問題視するのであれば,旧世代が「墓場まで持って逃げた」財産はなるべく「相続税」という形でいったん国庫に集めて,「就職氷河期」世代の非正規社員らの待遇改善等に用いるように主張しているはずですが,「階級間闘争」から目を背けさせるために「世代間闘争」を煽っている人々は,そんなことは口にしないか,下手をすると,むしろ「相続税」の廃止や減税を主張して,これが「就職氷河期」世代の非正規社員らの待遇改善等に用いられることを拒否する傾向にあります(なお,相続税と起業のインセンティブとの関係については,小飼さんや堀江さんなどの起業により一代で財をなした人がむしろ相続税の100%化を主張されていることなどから,推して図るべしです。)。

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09/05/2009

そんな設備に投資する企業

 「労働力調査詳細集計(速報)平成20年平均結果の概要」によれば,結婚・出産に伴う自発的な正規労働→非正規労働という移転がさほどない男子労働者について言えば,15〜24歳(在学中の者を除く)ですら,非正規社員の割合は28.6%,いわゆる氷河期世代を含む25〜34歳で14.2%ということで,この世代すら正規社員が圧倒的です。いわゆる「終身雇用」,すなわち,法律上解雇制限のある期限の定めのない雇用の恩恵を被っているのがごく僅かしかいないかのような誤った情報を近時繰り返し流している方もいるようですが,その方の統計の読み方というのはとても特殊ですので,真に受けない方がよいでしょう。

 なお,「労働力調査詳細集計(速報)平成20年平均結果の概要」の第9表によれば,「正社員→正社員」の転職は平成16年以降も一貫して7割を超えているのに対し,「派遣・契約社員等→正社員」の転職は平成17年の約44%をピークに急激に下落し平成20年で28%になっていることがわかります。このことからすると,正社員についての解雇制限を撤廃すると,現在正社員の地位にある者が解雇されて,その分現在派遣・契約社員の地位にある者がこれに置き換わって期限の定めのない直接雇用を受けられるようになるのかというと,それはなおも少数にとどまるように思われます。それは,新卒とは別に即戦力を欲して正社員の中途採用を行う企業にとって,正社員としての教育を受けていない人材を敢えて正社員として中途採用するインセンティブがさほど生じないからではないかと思われます。そういう意味では,正社員についての解雇制限を緩和して経営者が正社員を恣意的に解雇できるようになれば,正社員経験がないまま30代に突入してしまった人々が,現在正社員の地位に収まっている人々に代わって正社員として採用されるようになるのかといえば,それは期待薄であるというべきでしょう。

 池田信夫さんは,

NHKの番組では「物への投資から人への投資へ」と言っているが、日本で人的資本への投資をさまたげているのは、そのリスクをヘッジする手段がないことだ。企業が設備投資するとき、その設備が使い物にならないとわかっても転売不可能で、40年近く使わなければならず、運用コストが4億円以上になるとすると、そんな設備に投資する企業はないだろう。正社員は、そういうハイリスクの投資なのだ。

等と言っているようですが,1年平均1000万円ってなんてNHK!っていう点はともかくとしても,実際には多くの企業が,経営状態が好転すると,新卒採用を増やすところからも,池田さんの見立ては実際に合致していないことがわかります。実際昨年までの企業の新卒採用意欲は相当なものでしたし,平成21年2月16日の予算委員会公聴会にて株式会社リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫氏は,

 一方、このような厳しい雇用情勢の中で、前回のバブルのときとはちょっと違った動きもございます。その代表的な動きが新卒採用でございます。新卒採用については、このような雇用調整の中にあって、比較的手がたい動きをしております。
 これは、昨年末調査したところによりますと、約半数の企業が、景気の明らかな後退期にあるけれども、新卒採用の数は変えないという回答をしております。これは、実際にかなり多くの会社に直接そのニュアンスについて質問をしてみましたけれども、各社、役員会で随分議論を続けておりまして、バブル崩壊直後にしばらく新卒採用の抑制を行っておりましたが、そのときに組織構造のゆがみがかなりでき上がってしまって、しかも下が入ってこないということで、その上の層の人材育成といいますか、成長に大きな禍根を残してきた。そのことに対する企業の中における反省がかなり行われておりまして、新卒採用については手をつけたくないという気持ちが現在のところ強く働いているようでございます。
 ただ、その後、年度末に向けて利益の下方修正などが行われておりまして、大分そのニュアンスは変わってきているのではないかというふうに感じておりますが、今月、再度改めて当初の予定に変更はないかというふうに聞いたところ、下方修正をするという企業は七%程度ございました。逆に言うと、七%程度ですので、来年春に卒業する新卒の採用については、マスコミで巷間言われているような就職氷河期の再来というほどの落ち込みにはならないだろう、こういう見方を私は持っております。

と答えており,経営状態が許せば新卒採用をしていきたい,池田さんの言葉を借りるならば,「そんな設備に投資」していきたいという企業は相当多いと言うことになろうかと思います。

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08/05/2009

「隣の葡萄はきっと酸っぱい。だから全部引っこ抜いてしまえ。」みたいな

 池田信夫さんがそのブログのコメント欄で次のようなことを述べています。

なお「日本でも短期雇用はある」とかいう法律論(笑)を持ち出す無知な弁護士もいるようですが、労働実務を勉強してみろ。この記事で書いているのは、いうまでもなく通常の正社員(無期雇用)の話。NIRAの報告書も書いているように、正社員の雇用保護が強すぎるため、有期雇用でまともな人材が採用できない。その労働需要が非正社員にオーバーフローしているのです。それも規制されると、今後は海外にオーバーフローするでしょう。こういう「正義の味方」の顔をして規制強化を求める連中が、非正社員をさらに悲惨な失業状態に追い込むのです。

 遙か昔にNHKに在職していた時期にいくつかの労働現場を取材したことがある程度で,企業法務系の弁護士として当然労務系の相談も日頃より受けている実務法曹より,労働実務を勉強したつもりになっているのでしょうか?

 恣意的に解雇されない長期雇用を受けるメリットは労働者にとっては相当大きい以上,そのような雇用を提供する企業の方が人材を確保する面において優位に立つのは当然のことです。短期雇用しか提供したくないのであれば,人材を確保する上で劣位に立つのは当然です。そして,恣意的に解雇されない権利が確立されている長期雇用を提供している企業と,長期雇用を謳ってはいるが経営者がいつでも恣意的に解雇する権利を留保している企業があるときに,前者の方が人材を確保する上で優位に立つことは当然のことです。そもそも,有期雇用にせよ,非正規労働にせよ,基本的に,有能な人材を採用するためのスキームではありません。安定面で劣位に立たせる以上,優秀な人材を引きつけようと思ったら,報酬その他で魅力を高める必要があり,却ってコストパフォーマンスが悪いです。

 従業員を自己都合に合わせて使い捨てにするような企業でも人材を確保する上で劣位に立つことがないように,「法的に保護された長期雇用」という雇用形態をなきものにするという提案って,なんだかブラックな企業の方に顔を向けすぎているように思わなくはありません。

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普通に経済学の教科書を読んだのでは

 池田信夫さんが次のように述べています。

この記事では面倒なので書かなかったけど、ここでいう複数均衡は、厳密にいうと二つのポートフォリオ(混合戦略)がナッシュ均衡になっている状態です。1では長期雇用から有期雇用までのオプションがあるのに対して、2では(規制と判例によって)全員が長期雇用という組み合わせしかないので、コーナー解になってしまう。

http://agora-web.jp/archives/599359.html

解雇規制をやめても横並び意識があるかぎり、どんどん解雇が起こることはありえない。特に中核の社員については、ほとんど変わらないでしょう。変わるのは、ブルーカラーの雇用形態が多様化することです。これは政府が強制なんかしなくても、経済合理的であればそういう均衡に近づいてゆく。意味不明なことを書いている某弁護士は、ナッシュ均衡という概念を理解していない。ウィキペディアの読みかじりで変なことを書かないで、経済学の教科書をちゃんと読んでみろ。


 普通に経済学の教科書を読むと,池田さんとは異なる理解に達してしまいます。池田さんが,クルーグマンやスティグリッツを超えるような経済学の体系書を書かないと,「経済学の教科書を読んでしまうと,池田さんの唱える主張に納得できなくなる」という状態が継続されることになりそうです。

 それはともかくとして,労働問題について言及するにあたっては,労働法の教科書くらいお読みになった方がいいのではないかと思います。現行労働法でも,短期雇用というオプションは認められているのであって,「全員が長期雇用という組み合わせしかない」わけではありません。ただ,短期雇用の場合はその雇用期限が到来するまで,長期雇用の場合は「定年」に達するまで,雇用が継続されると期待することは合理的なので,この合理的期待を安易に裏切ってはならないということで,解雇規制が設けられているに過ぎません。もちろん,実際には長期雇用を予定しているにもかかわらず形式的には短期雇用とその連続的更新という形態がとられている場合に,更新の拒絶(雇止め)を,実質的には長期雇用の途中解除として制約することはあるにせよ,そういった脱法行為的なものでない限り,一定の事業の完了に必要な期間を定めるものや3年以内の短期雇用は普通に認められています。だから,長期契約の有する効用よりもとにかく低賃金であることが望ましいという部門には現行法の下でも短期雇用の従業員をあてることができます。

 なお,長期雇用契約においては法律上の解雇制限があるということは,実は,労働者を長期雇用する企業にとってもメリットがあります。「長期雇用契約を結んでも,企業はいつでもこれを保護にして恣意的に労働者を解雇することができる」ということでは,「この企業は十分を長期雇用してくれているのだ」との信頼を従業員にもってもらえなくなるので,長期雇用がもたらす効用が十分に得られなくなります(いつでも恣意的に企業から解雇される場合,当該企業が長期的に成長することは従業員にとって大きな意味を持たず,それよりその企業にいる間にできるだけ多くの富をそこで得るか,または次の企業に雇用される際の自己の商品価値をできるだけ高めるための行動をとることが最優先の課題となります。)。法律上解雇制限がなされることにより,長期雇用の雇用者にとっての効用も従前となっていくのです。従って,一部の製造業者の経営者の近視眼的な利害に振り回されて解雇制限を廃止して長期雇用に対する労働者の信頼を破壊してしまうことは,日本経済にとっても却ってマイナスである可能性が十分にあります。

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07/05/2009

立証されつつある!?

 この進化論を否定して、聖書に書かれているように、人間を含めたあらゆる生物や無生物は、それぞれ初めから全知全能の神によりデザインされて創造されたものであることが立証されつつありますと述べておられる「佐々木満男」弁護士って、アンダーソン・毛利・友常法律事務所のパートナー弁護士である「佐々木満男」弁護士と同一人物なのでしょうか。まあ、日弁連のデータベースを見る限り、日弁連に登録している弁護士で、同姓同名の方っていないのですが。

 4大事務所の一角を占める法律事務所のパートナーの先生に対してこのようなことを述べるのは申し訳ないのですが、聖書に書かれているように、人間を含めたあらゆる生物や無生物は、それぞれ初めから全知全能の神によりデザインされて創造されたものであることは全然立証されそうにないように思えてならないのです(そもそも、「全知全能の神」の存在すら立証されそうにないのですから。)。

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06/05/2009

日本の中国化を目指す人々

 池田さんが次のようなことを述べています。

複数均衡の状態で均衡選択を行なうことが政府の本質的な役割であり、もっとも大きな物語の創作能力をもつのも政府である。したがって厚労省が政策を転換して1の均衡を選ぶと宣言し、解雇規制や派遣労働の規制を撤廃するだけで、非正社員の問題は大きく改善する可能性がある。この政策には何のコストもかからないが、おそらく15兆円の補正予算より潜在成長率を引き上げる効果は大きいだろう。

 「効率賃金仮説」の説明が一般のものと異なるようですが,経済学用語の理解が一般と異なるというのは池田さんにおいてはしばしば見られることなのでそのことはひとまず措くとして,「企業側としてもメリットがあるから長期雇用をしているのだ」ということであるならば,解雇規制を撤廃したからといって,長期雇用した正社員を次々に解雇して,より賃金水準の低い非正社員に置き換えるということはしないということになります。もし,池田さんのいう,2から1への均衡への移行を国策的に果たすには,解雇規制や派遣労働の規制を撤廃するだけでは足りず,むしろ長期雇用を禁止し,企業経営者には常により安い賃金での労務の提供を申し出る者に雇用を切り替える義務を負わせる必要が生じてきそうです。

 そこでは,長期雇用によって企業が得ていた様々なメリットがなくなるわけですから,企業活動にも支障が出る可能性が十分にあります。すなわち,池田さんの提言に乗ってしまうと,国内需要自体が大幅に落ち込むことになる上,企業活動の効率すら落ちてしまうわけです。長期雇用が禁止されるわけですから,新たに雇った従業員でもすぐに業務に取りかかることができるように,業務の極度のマニュアル化・単純化を進めることが必要となり,日本的なきめ細やかなサービスやよく配慮の行き届いた製品というのは,諦めざるを得ないということになります。賃金水準の低下により輸出における価格競争力が強化されるとはいっても,生産されるのは,技術・ノウハウの蓄積・継承抜きで,短期雇用労働者のみで生産が可能なものに限定されることになるので,むしろ純粋な価格のみで競争を強いられることになるように思われます。

 そういう意味では,池田さんが目指しているのは,現在の中国に近い,発展途上国型の産業構造なのかなあという気がします。

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04/05/2009

本業でそれほど活躍できない人の考えること

 それにしても,その企業が長期的に存続し発展していくということについて「正」の利害を有する従業員の価値というものをまともに評価することができない経済評論家や人事コンサルタントには困ったものだ,という感慨を覚える今日この頃です。

 長期雇用契約を結んで会社を発展させても,会社は気の向くままに途中で首を切ることが可能だということになった場合に,従業員はどのような行動をとることが合理的ということになるのか,考えてみることが必要です。

 特にYahoo!BBにおける情報流出事故以来,顧客等の個人情報を大量に処理する部門に派遣社員や契約社員をあてること自体が怪しからんような雰囲気になっていますが,それは長期雇用が前提の正社員の場合,そのような行為を行うことにより会社自体を傾かせることには負の利害を生ずる(したがって,敢えてそのような行動に出る可能性が小さくなる)ということを前提としているように思うのですが。

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25/04/2009

現代の日本社会に対する事実無根の中傷

 池田信夫さんは,現代の日本社会に対する事実無根の中傷をいつまで続ける気なのでしょうか。

 池田さんは,そのエントリーにおいて,

この意味で今の日本が不幸なのは、富が失われていることより希望が失われていることだろう。終戦直後の日本では、若者は焼け跡に設計図を描いて新しい事業を興すことができたが、今では都市はコンクリートの建物で固められ、職場はノンワーキング・リッチに占拠されている。仕事がいやになっても、転職すると生涯収入は5000万円以上減る。起業してもうかると、東京地検特捜部がやってくる。政府はバラマキと企業救済で、社会主義に舵を切った。それが偽りの希望だったことは、歴史が証明しているにもかかわらず。

と述べています。

 しかし,都市がコンクリートの建物で固められていることは,若者が新しい事業を興す上で何らの障害とはなりません。物理的な意味で「焼け跡」が残っている必要は何もないのです。

 また,職場が「ノンワーキング・リッチに占拠されている」との事実もありません。実働部隊を排除していたら,企業は倒産します。実際,高卒,大卒とも,近年は就職内定率は悪くありません。すなわち,職場は,若者をそれなりに迎え入れているということです。また,過労死における中高年者の割合は依然高く,多くの中高年が「ノン・ワーキング」どころか「オーバー・ワーキング」であるというべきでしょう。

 「転職すると生涯収入は5000万円以上減る」かどうかは,転職の仕方次第です。まあ,NHKをやめればその程度は減るかもしれませんが,それはNHKの給与水準が特別に高かったからです(でも,NHK時代に培った実力や知名度を生かして,そのときの職種を維持したままフリーになったり,民放に転職したりすれば,却って生涯収入が増加する可能性だって十分にあります。)。なお,一部上場企業でも,最近は,正社員を中途採用しているところも珍しくなく,生涯収入を大きく引き下げない転職は十分に存在します。

 また,起業して成功した経営者の大部分は,東京地検特捜部の訪問を受けることがありません。

 また,社会主義とは,一般に,「生産手段の社会的所有を土台とする社会体制,およびその実現を目指す思想」(広辞苑)をいいますが,「バラマキ」も「企業救済」も,「生産手段の社会的所有」とは直接の関係がありません。なお,冷戦,干渉戦争又は内戦並びにその脅威がなく,過大な軍事費負担と猜疑心から解放された社会主義体制がどのような結末をもたらすのかについては,歴史が証明しているというほどの実践例がありません。

 なお,労働者は常に失業者との価格競争を強いられるため生存に必要な最小限度の賃金しか得られない(だから,いつまでたっても起業のための資金が貯まらない),金貸しから高利のお金を借りたらその収入のほとんどを利払いにあてるだけの生活が一生継続する,そんな社会って,そんなに希望があふれていますか?

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23/04/2009

王道を歩めない人にかける言葉

 ある人が、自分の特性を見誤っているが故に、その人が優位性をもたない分野に固執し、ダウングレードする一方の人生を歩んでいるとします。そのときに、「○○なんて特性がなくったって良いではないか」みたいな綺麗事をいうことは簡単なのですが、一方でそれって非常に残酷なのではないかという気がします。いくら気休めを言ってみたところで、その分野でやっていこうとしている限り、そこで成功する資質に乏しい以上は、そこで成功する確率は決して高まらないのですから。

 特に、資質の不足を自ら薄々感じてか、抜け道ないし楽な道をたどって特定の地位に就こうとしている人に対しては、「王道を歩んでそこに到達できないのならば、あなたはそれに向いていないのだから、別の分野での成功を目指しなさい」ということをはっきりと誰かが言ってあげるべきなのではないかと思ってしまいます。

 法科大学院制度の見直し論が最近盛んになりつつあります。法科大学院制度自体が、むしろ実務法曹に至る道を「邪道」一本に絞ってしまった感が私にはあるのですが、それはともかく、新司法試験の合格者数を増やせと言ってきた法科大学院の先生方は、現在の合格者数ですら3回受けても合格できないほど事務処理能力に乏しい人たちが、それでも実務法曹としての資質を有していると、それでも実務法曹として成功する可能性が低くはないと本気でお考えなのか、私は常々疑問に思っていたりします。

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20/04/2009

若者は結構前向きに生きている。

 若者に対する感覚は、日頃若者に接しているか、接しているとしてどのような若者に接しているかによって、かなり違ってくるような気はします。

 私のゼミ生などを見ていると、むしろ、非常に前向きで、未来に希望を持ち、その希望に向かって進んでいるなあという感慨を受けます。もちろん、私がゼミをもっている中央大学法学部は、企業等からも高い評価を受けていますので、戦略と活動を間違えなければ、それなり以上の規模と将来性を有する企業から正社員として内定をもらえるわけで(その種の企業では、高齢の正社員が多すぎて新卒を正社員として雇えないということはありませんし、永続的に存続することを予定している企業においては。中高年正社員と新卒正社員とは相互排除的なものと捉えられていませんし。)、将来を悲観する必要がないといってしまえばそれまでなのですが。

 とはいえ、資本家や特権階層の子供に生まれなくとも、本人にそれなりの才覚があってそれなりに努力すれば、安定的に雇用される職に就くことができ、それなりに物質的な豊かさをもった家庭生活を築くことが期待できるということのもたらすモチベーションというのは無視できないのであって、ある種の「手の見えない神真理教」信者たちが理想とするような、資本家や特権階層の子供に生まれなければ、本人にそれなりの才覚があってそれなりに努力しようとも、いつでも自由に解雇され、常に現在の失業者との価格競争を強いられる社会にこの社会を変えてしまえば、むしろ若い世代のモチベーションを損なうことは必定といえましょう。

 なお、彼ら自身がそのプロフィールを正しく表示しないので想像でしか言えないのですが、2ちゃんねる等の匿名掲示板や、「小宇宙」系のブログのコメント欄で、「似たもの同士で集まり、異質なものを「村八分」で排除することに快楽を見出」している人たちは、概ねさして若くないのではないかと思うのですが、如何でしょう。

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18/04/2009

池田さんにとっての「中傷」の判断基準は?

 池田信夫さんは,既存の用語を定義抜きで従前と異なる意味で用いることがしばしばあるので(例:transfer in kind等),「事実無根」とか「中傷」という言葉の意味も,きっと私たちのそれとは異なるのだろうという感じはします。そこで,過去の池田さんの発言から,池田さんにとってどのようなものが中傷で,どのようなものが中傷ではないのかを見ていくことにしましょう。

 このエントリーのコメント欄で,池田さんは,

リチャード・クーは、博士号も取れなかった落第生という究極の低学歴。それこそG7などで笑いものになるでしょう。

と述べています。

 Wikipediaでリチャード・クーさんの経歴を見てみると,「ジョンズ・ホプキンス大学大学院にて経済学博士課程修了」とあります。博士課程を修了しているようですから「落第生」ではないように思えるのですが,池田さんは特別な情報をお持ちなのでしょうか。博士号をとっていない,との点について言えば,博士課程を修了しても博士号を取りに行かない人は(少なくとも法学系には)たくさんいますので,「博士論文を書き上げて博士号を取りに行ったが,審査をパスしなかった」という意味での落第生であったかどうかは公開情報ではわかりません。そんなクーさんに客員教授の話を持ちかけたのは早稲田大学。私は法学系なので,経済系では早稲田大学と上武大学の序列がどうなっているのか,定かにはわからないのですが。

 いずれにせよ,そんなクーさんを「究極の低学歴。それこそG7などで笑いものになるでしょう。」と表現することは,池田さんの基準では「中傷」にあたらないのでしょう。

 こちらのエントリーではクーさんのことをさらに次のように表現しています。

カエルの面に小便という言葉があるが、あらゆる経済学者から小便や大便をかけられても、同じようなバラマキ政策を主張するリチャード・クー氏の脳は、両生類以下なのだろうか。

 さらにそのコメント欄で,池田さんは,

10年以上すべての経済学者に批判されているのに、マクロ経済学の教科書も読まないで「IS-LM教」とか罵倒し、無論理な「実感論」ばかり繰り返しているのは、脳に欠陥があるとしか考えられない。
大学で落第した恨みでもあるんですかね。

 2008年8月25日の段階で「今のようなインフレ状態で」との認識を表明されている池田さんがクーさんを評価していないのはわからなくはないのですが,世の中には池田さんやその同調者以外にも経済学者はいるので「10年以上すべての経済学者に批判されている」というのはおよそ言いすぎではないかという気がしますし,「ジョンズ・ホプキンス大学大学院にて経済学博士課程修了」したクーさんが「マクロ経済学の教科書も読まな」かったとは信じがたいところです。また,クーさんの「脳は、両生類以下」であるとか「脳に欠陥がある」との点については,これを信じるに足りる根拠は提示されていないように思われてなりません。

 いずれにしても,この程度の表現にとどまるのであれば,池田さんの基準では「中傷」にあたらないということなのでしょう。

 また,池田さんはこちらのエントリーで,

以前の記事で話題になったhamachanこと濱口桂一郎氏が、いろんな人に「天下り学者」「低学歴」などとバカにされたのを根にもって、ブログで私に繰り返し当り散らしているようだ。
と述べています。

 ところが,私は寡聞にして,池田さん以外の方が濱口先生のことを「天下り学者」「低学歴」などとバカにしているのを目にしたり耳にしたことがありません(池田ブログのコメント欄ではあったかもしれませんが)。

 我が国の一般的な基準では東大法学部卒というのは「低学歴」と馬鹿にされるような学歴ではありませんから,濱口先生をそのような理由で馬鹿にされる方はほとんどおられないように思います。

 さらに池田さんはコメント欄で,

ただ私の友人に、通産省の面接に遅刻して労働省に行ったのがいました。法学部から労働省に行くというのは、民間から内定の取れなかった学生ぐらいでしょう。まぁ彼の文章を読むと、さもありなんですね。

と述べているのですが,これって東大法学部から労働省に進んだ方全体を攻撃しているわけですね。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科での学術博士(政策・メディア)の学位を持つに過ぎない人を「経済学については学士しか学位がない」ということが慶應義塾大学全体を貶めるものと認識される蓋然性よりは,この事実摘示が東大法学部から労働省に進んだ方全体を貶めるものと認識される蓋然性の方が高いように,名誉毀損訴訟の実務経験が豊富な私には感じられるのですが,池田さんの基準は異なるのでしょう。

 さらに,このエントリーのコメント欄で,池田さんは,

だから最近は、官僚もけっこう高学歴化してきて、このhamachanなんか、自分でもいってるように「低学歴」だけど「裏口入学」でもぐりこんだ口でしょう。

と述べています。

 しかし,政策研究大学院大学は,現役の官僚,地方公務員を多く学生に抱える特殊な教育機関であり,その性質上,官僚OBを大量に抱え込んでいるわけで,濱口先生のようなキャリアの人を教員として採用するのは,まさにその経営戦略に合致しているのであり,そこに「裏口」という言葉で示されるやましさというのはいささかも感じられないのですが,池田さんは何か裏事情を具体的にご存じなのでしょうか。

 いずれにしても,この程度の表現にとどまるのであれば,池田さんの基準では「中傷」にあたらないということなのでしょう。

 また,池田さんは,わざわざ「クルーグマンの素人談義」というタイトルのエントリーをアップロードされています。

 ここでは,

ミルトン・フリードマンと一緒に記念碑的な大著『アメリカの金融史1887-1960』を書いたアンナ・シュワルツが、ポール・クルーグマンのフリードマン批判に、長文の怒りの反論を書いている。

との記載があり,その反論を「おばあちゃん風の口調で訳」したものとして,池田さんは,

ポールの話は、こういう論理的な矛盾と初歩的な誤解だらけで、訳がわかんないわ。彼は金融の専門家じゃないんだから、素人はよけいな口出しするんじゃないの。
と記載しています。

 上記エントリー中の「怒りの反論」という部分からこのページにリンクが貼られており,そこからは,Edward NelsonさんとAnna J. Schwartzさんによる「The Impact of Milton Friedman on Modern Monetary Economics: Setting the Record Straight on Paul Krugman’s 'Who Was Milton Friedman?」という論文の原文をダウンロードすることができます。

 上記の池田さん訳の最後の文章に相当する原文は,

Paul Krugman is a respected trade theorist. But he does not speak authoritatively on subjects on which he has no expertise. Monetary economics is not his field of expertise. Krugman’s research background does not qualify him as an authority on Milton Friedman’s work. Krugman’s scholarly publications rarely mentioned Friedman and, when they did, they acknowledged the contributions of Friedman and monetarism in a way that contradicts his (2007a) essay on Friedman. Friedman’s reputation is intact despite Krugman’s deplorable efforts to denigrate him and his contributions.

ではないかと思うのですが,この文章を上記のように「超訳」されていることを知ったら,アンナ・シュワルツさんは悲しむのではないかと思ってしまいます。

 クルーグマンさんに対しては,こちらのエントリーで,

今となってはナンセンスなことが明らかな理論で、その昔ロボトミーに授賞されたようなものだろう。
要するに、その時その時で理屈を変えて世の中に媚びてきたわけで、昨年のHurwiczとは逆の、経済学者の卑しい部分を代表する人物だ。

と述べています。

 これこれをみると,クルーグマンさんが一貫性を欠くという池田さんの見立てはマイナーなのではないかという気はしますが,それはそれとして,「経済学者の卑しい部分を代表する」という言い方は,池田さんの基準では「中傷」ではないのでしょう。

 結論としては,このように何をもって「中傷」とするかについてのハードルが極めて高い池田信夫さんにとって,慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科において取得した学術博士(政策・メディア)という学位を「メディア学」と表現されることは,その発言者ついて懲戒申立を行うことを辞さないほどの許せないものと受け取られているということです。そのこと自体,慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科のなかで,「政策」の面に着目して研究をしている人たちは,「メディア」の面に着目して研究している人たちをそこまでひどい目で見ているのかと,驚きを新たにさせるものです(そんな内部のつばぜり合いなんて,外部の者が知るものですかって気はしますが。)。

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17/04/2009

「事実無根」だってさ!

 博士論文が経済に関する話題を含むものであり,かつ,主査,副査が経済学者であったとしても,博士号のタイトルが「学術博士(政策・メディア)」である場合に,これを「経済学に関する学位」にあたらないとするのは,「何をもって『経済学に関する学位』とするのか」という解釈の問題ではあっても,「事実無根」ではありません。また,上記のような学位をもっているに過ぎない人を「経済学に関しては修士以上の学位を有しない人」と表現することは,一般的な基準では,「中傷」にはあたりません。同じ慶應義塾大学でも,経済学研究科の博士課程を出て「経済学博士」の学位を得た人を「経済学に関しては修士以上の学位を有しない」と表現すれば,それは「事実無根」になるのですが。

 その意味では,件のブログのタイトル自体が私に対する名誉毀損だなあと思ったりします。もともと既存の言葉を独自の定義で使うことがしばしばある方ですから,私たちとは異なる意味で,「事実無根」とか「中傷」とかという言葉を使っているのかもしれませんが。

 件の博士論文が「経済学に関する論文」とみた場合にどのような水準にあるのかについても,私は特段言及していません。そもそも読んでいませんから。この種の論文の水準については,その論文が,或いはその執筆者が,同領域の研究者からどのように扱われてきたのかを見るのがとりあえず簡便です。経済学の分野では,「優れた論文を書いても,学会の「ボス」に嫌われると,ろくなアカデミックポストに就けない」という悪弊が未だ残っているのならば別ですが。もちろん,基本的な用語についての理解が特殊な方を学部に配置するのは勇気がいるかなあと一般論としては思ったりしますが(それも,実学思考の法学系出身者の感覚である可能性は排除しません。)。

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16/04/2009

「学術博士(政策・メディア)」という学位が経済学に関する学位でないと摘示されても、誰の名誉も毀損されていない

 池田信夫さんって、ブレーキがきかないのですね。弁護士にまずご相談されたら如何ですか、と申し上げたのですが。

これらの記述は事実誤認である。第一に、私の学位は「メディア学」ではない。慶應義塾大学大学院の政策・メディア研究科から授与された学位は、学術博士(政策・メディア)である。この研究科には「総合政策」と「メディア」の二つの専攻があり、私の所属していたのは総合政策学(経済学・政治学など)である。

とのことですが、慶應義塾大学大学院の政策・メディア研究科のウェブサイトを見る限り、そのような説明はなされていません。

 次に、

第二に、私が「経済学に関して学士しか取得していない」というのも事実誤認である。私の博士論文は、総合政策学部の岡部光明教授(経済学)を主査とし、スタンフォード大学経済学部の青木昌彦名誉教授らを副査として審査され、その内容も経済学に関する研究である。一部は学会誌に掲載され、論文全体は『情報技術と組織のアーキテクチャ』としてNTT出版から公刊された。

との点ですが、博士論文の内容が経済学にも関するものであって、かつ主査及び副査が経済学者であったとしても、学術博士(政策・メディア)という学位が経済学に関するものとはなりません。なお、慶應義塾大学大学院の政策・メディア研究科の「後期博士学位取得のプロセス」に関するpdf文書は、こちらからダウンロードできます。)。

 さらに、

研究者にとって学位はもっとも重要な資格であり、それを取得するために5年近い歳月をかけるものである。それを「素人」呼ばわりすることは、私だけでなく博士論文を審査した経済学者および慶應義塾大学の名誉を毀損し、私の業務を妨害する行為である。

との点ですが、問題とされているエントリーのどこを見ても、池田さんが取得した「学術博士(政策・メディア)」という学位の価値をいささかも貶めた記述はしていません。池田さんに学術博士(政策・メディア)という学位を付与した慶應義塾大学も、その博士論文を査定した青木教授、岡部教授も、池田さんの学位が経済学に関するものではないという事実の摘示によって、いささかもその社会的評価の低下を来たしません。さらにいえば、池田さんの学位が、「学術博士(政策・メディア)」であることは客観的な事実ですから、これを摘示しても池田さんの業務を妨害することにはなりようがありません(大学の教員ポストに就く際に大学側に提出する履歴書には、『学術博士(政策・メディア)』と記載するより他なく、『博士(経済学)』と記載するわけにはいかないのですから。)。

 なお、「中傷」というのは、東大法学部卒の元キャリア官僚である濱口先生を「低学歴」と罵ったり、野村総合研究所研究創発センター主席研究員であるリチャード・クー氏を「地底人」呼ばわりするようなことをいうのではないかと思ったりします。

 最後に、池田さんは、私のブログの記事の一部を、

池田さんの場合,修士,博士等の学位を取られたメディア学ではなく,経済学の分野で生きていこうとしているような気がして,少々心配になります。[・・・]経済学に関して学士しか取得していない段階では,経済学の研究者としては「学位が十分ではない」といわれても,きっと怒らないことでしょう。

と引用されているのですが、「池田さんの場合」で始まり、「きっと怒らないことでしょう。」で終わる一連のブロックは、正しくは、

ただ,池田さんの場合,修士,博士等の学位を取られたメディア学ではなく,経済学の分野で生きていこうとしているような気がして,少々心配になります。経済学の分野では,東大経済学部を卒業されたというだけで,修士号すら得ていないわけですし,修士号取得に相当する実務経験もないわけですから,プリンストン大学教授であり,ノーベル経済学受賞者であるクルーグマン教授と互していくには,学位が不足しています(東大法学部卒で労働省OBの濱口圭一郎さんを「低学歴」といって憚らない池田さんのことですから,経済学に関して学士しか取得していない段階では,経済学の研究者としては「学位が十分ではない」といわれても,きっと怒らないことでしょう。)。

というものだったりします。池田さんが省略した部分があると否とでは、全然印象が異なるのではないかという気がしてなりません。

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いわゆる北野誠問題について

 いわゆる北野誠問題についていえば、少なくとも当日の発言内容のうち誰に関する発言が不適切であったのかをリスナー向けに説明するというのは、リスナーに対する最低限の責任なのではないかという気がします。

 それすら怠ることによって、却って様々な憶測を呼ぶことになっており、(本当は圧力をかけていないのに)圧力をかけた旨憶測されている企業や団体等に迷惑をかける事態にもなっていますし。

 それにしても、何でもかんでもネットにアップロードされる時代に、問題となった日の放送で誰に関するどのようなテーマが北野さんによって語られたのかについての確かなことが未だによく分からないというのも不思議な感じがします。当日の放送内容がそのままYouTube等にアップロードされても不思議ではないのに(というか、アップロードされていないのが不思議なくらいなのに。)。

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メディア学も立派な学問

 池田信夫さんがまたクルーグマン教授を批判されているようです。

 Blogのよさは,このような素人談義が許されるところにあるわけで,それはそれでほほえましい光景です(私のブログも,こちらはあくまで「causette」という位置づけです。)。

 ただ,池田さんの場合,修士,博士等の学位を取られたメディア学ではなく,経済学の分野で生きていこうとしているような気がして,少々心配になります。経済学の分野では,東大経済学部を卒業されたというだけで,修士号すら得ていないわけですし,修士号取得に相当する実務経験もないわけですから,プリンストン大学教授であり,ノーベル経済学受賞者であるクルーグマン教授と互していくには,学位が不足しています(東大法学部卒で労働省OBの濱口圭一郎さんを「低学歴」といって憚らない池田さんのことですから,経済学に関して学士しか取得していない段階では,経済学の研究者としては「学位が十分ではない」といわれても,きっと怒らないことでしょう。)。大学などの研究機関だって,経済学で修士,博士の学位を取得し,さらに海外の一流大学で学位を取った若手研究者がたくさんいる以上,経済学の分野なら,それらの方々の中から新規教員を採用しようと思うのが自然なわけですし。もちろん,これから経済学系の大学院に入り直して修士号をとるという選択も可能なのですが,元NHK職員というキャリアを考えると,その強みを生かせる「メディア学」を捨てて経済学で生きていくというのももったいないことです。

 池田さんも,B-CAS論議とか,メディア学の分野では傾聴するに値することを仰っているのですから,もう少しメディア学の方に重点の置き方を戻していただきたいものです。地上波アナログの放送停止予定日を目前に控えて,メディア学者がやるべきことはまだまだたくさん残っているのですから。

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14/04/2009

「予算」という要因により「トレードオフ」が生ずる場合に関していえば,単純な「二者択一」問題となることは稀

池田信夫さんは,ご自身のブログのコメント欄で,次のようなことを述べています。

某弁護士は、こう書いています:

<普通に考えれば,日本を含む全ての国において,国家予算が地球温暖化対策と貧困対策にのみ割かれているということはないのですから,他の用途に割かれている予算を削減することによって,地球温暖化対策と貧困対策の双方により多くの予算を割くことは可能です。また,必要とあらば,法人税や相続税等を増税することにより国家予算の枠自体を拡大した上で,地球温暖化対策と貧困対策の双方により多くの予算を割くことも可能です。>

こういう論理って、どこかで見たことありません?

そう、共産党がよくいう「軍事費を削減して無駄づかいを減らせば、福祉予算は倍増できる」という類の話です。自分たちが必要だと思う予算以外は、すべて定義によって「無駄」なので、いくらでも削減でき、国家予算は無限にあるわけです。これがトレードオフを知らない思考様式の典型です。

 池田式「トレードオフ」を知っている方の思考様式ではどのように考えるのかわかりませんが,一般には,優先的に対処すべき政策課題が現れた場合,これに対処するために必要な予算を確保するためには,増税等の方法により予算の枠を増やすか,より優先度が低いと考えられる政策課題に割り当てる予算を削減するのが通常です。特定の政策課題(例えば「温暖化対策」)に必要な予算の捻出は,それと一対一で対応すると池田信夫さんが指定する特定の政策課題(例えば,「貧困化対策」)に割り当てる予算を削減することにより行わなければならないというふうに硬直的に考えるべき理由などどこにもありません。「トレードオフ」という関係はいろいろな要因により発生するのですが,こと「予算」という要因により「トレードオフ」が生ずる場合に関していえば,単純な「二者択一」問題となることは稀です。

 このような思考は,他の政策課題に国家予算を用いることを「無駄」と考えなくとも可能です。優先度の高い政策課題「甲」が現れたことにより(或いは特定の政策課題「甲」の優先度が高まったために)他の政策課題「乙」の優先度が相対的に低下したが故に,全体の予算における「乙」処理のために割り当てる予算の比率を低下させるということは,政策課題「乙」を国家予算を用いて処理することを「無駄」と定義せずとも可能だからです。

 なお,池田さんには「トレードオフを知らない思考様式の典型だ」として批判されるかもしれませんが,私は,北朝鮮を含む少なくない国に関して,軍事費を削減して無駄遣いを減らして,国民福祉のために予算を増やした方がいいと思ったりします。

 また,

政府でも会社でも予算を扱ってみれば、いかに多くのトレードオフの中でぎりぎりの妥協が行なわれているかがわかるでしょう。自由に切れる「無駄」なんかないのです。

とのことですが,現在の国家予算には一切の「無駄」がないと池田さんがお考えとは思っても見ませんでした。まさか,地球温暖化対策と貧困対策の二つが嫌いすぎて,そんなものに国家予算が用いられるくらいなら,無駄な道路を造ったり,空港を作ったり,情報大航海プロジェクトに代表される政府主導の産業振興プロジェクトに国家予算を割いた方がましだと言っているわけではないと思いたいのですが。

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13/04/2009

「先生と呼ぶな」というほど野暮でなし

 池田信夫さんの「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」とのエントリーには、沢山のはてなブックマークコメントがついています。

 その中では、高木浩光さんの

私も先生づけされるけどどうでもいいと思ってる。やめてと言い出す方が権力志向に見えてしまう。

というのが、私の実感にも近いです。

 どのような立場・属性の人間にどのような敬称を付するのかは、特段の事情がない限り慣習に従うのが普通であって、敬称を付けて呼ばれる側としては、慣習の範囲内で敬称が付けられている限りにおいては、そこに特段の意味を見出さないからです。皆さんだって、手紙の宛名や銀行で呼び出されるときに「様」という敬称が付けられたからって、そこに特段の意味を見出さないでしょう?慣行として「先生」という敬称が付くポジションにいる人が「先生」と呼ばれるときの感覚もにたようなものです。

 これに対し、慣行上「先生」という敬称が付くポジションにいる人があえて「先生」という敬称を使用しないように周囲に要求するのは、「そのポジションを有する者としてではなく、より私的な存在として自分と付き合って欲しい」という特別な意味合いを有している場合を除けば、その敬称が有する本来の意味を持つものとして「先生」という敬称を相手が自分に対して用いているのだと受け取っているという意味で、むしろ野暮ったく感じます。

 なお、日本語では、必ずしも自分との関係性ではなく、第三者との関係性を表す名詞で相手を呼びまたは相手の敬称とすることは一般的なので(例えば、子供が生まれると、その母親は、その子供からだけではなく、第三者からもしばしば「お母さん」と呼ばれるようになりますし、弟子をとっても不思議ではない程度にキャリアを積んだ芸人は、その弟子以外の者からも「師匠」と呼ばれ、また、「師匠」という敬称で呼ばれます。)、池田さんが東大で実践されていると主張する「根岸ルール」(東大関係者には知り合いが多いのですが、そのルールを実践されている方を見たことがありません。)は、日本語の慣習からは外れているように思います。

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地球温暖化対策と貧困対策と両方とも非常に大事だと答えて落第になる学校は滅多にない。

 池田信夫さんが次のように述べています。

あきれるのは「両方とも非常に大事」という答だ。彼らは、地球温暖化対策と貧困対策にトレードオフがないと主張している。つまり前者に1兆円かけても100兆円かけても、後者に配分できる費用は同じだというのだ。「遊興費を切り詰めて水と食料に当てる」というトレードオフにも気づいていない。こんな答案を書いたら、高校生でも落第だが、著者は東北大学・ハーバード大学などのれっきとした研究者である。もちろん彼らは経済学の専門家ではないが、地球温暖化対策は経済問題である。かりに彼らの科学的知見がすべて正しいとしても、地球温暖化対策の社会的便益が貧困対策より低ければ、後者より多くの予算を割り当てることは正当化できないのだ。

 普通に考えれば,日本を含む全ての国において,国家予算が地球温暖化対策と貧困対策にのみ割かれているということはないのですから,他の用途に割かれている予算を削減することによって,地球温暖化対策と貧困対策の双方により多くの予算を割くことは可能です。また,必要とあらば,法人税や相続税等を増税することにより国家予算の枠自体を拡大した上で,地球温暖化対策と貧困対策の双方により多くの予算を割くことも可能です。その意味では,理論上は,地球温暖化対策に100兆円をかけても,地球温暖化対策に1兆円しかかけなかったときと同じだけ,貧困対策に予算をかけることができます。

 実際には,地球温暖化対策が喫緊の課題でありその解決のために政府はより多くの予算をそこにつぎ込むべきだとする論者においても,そのために単年度で100兆円つぎ込めとは言っていないようです。従って,地球温暖化のために政府が今なすべきであると彼らが言うことをなすのに必要な予算を捻出することと,貧困対策こそが喫緊のその解決のために政府はより多くの予算をそこにつぎ込むべきだとする論者がそのために政府が今なすべきであると言うことをなすのに必要な予算を捻出することとは,同時に達成することが十分に可能です。従って,地球温暖化対策を政府が行ったら貧困対策はないがしろになってしまわざるを得ないという強い意味で両者がトレードオフの関係に立っているとはいえないというのが,大学生以上の知識レベルの人を対象とした場合には正解となるのではないかと思います。

 ということで,地球温暖化対策と貧困対策の「両方とも非常に大事」という答えにあきれてしまうという考えこそ,あきれられるに値するといえそうな気がします。

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10/04/2009

「『企業活動の自由』は何よりも尊い」というレトリック

 池田信夫さんが,いわば壊れたレコードのようにまた同じようなお話をされているようです。

趣味の悪い邦題がついているが、原題は"Trade-offs: An Introduction To Economic Reasoning And Social Issues"。経済学は複数の目的のトレードオフの中から何を選択するかを考える学問だが、世の中にはそういう相対化を否定し、特定の目的がすべてに優先すると主張する人が多い。
特に多いのが、本書も指摘する「命は何よりも尊い」というレトリックだ。建築基準法が過剰規制だというと、「人命のために企業活動が制約されるということが池田先生には許せないのだと思います」などとからんでくる弁護士がいる。彼らはこのように人命と企業活動のトレードオフを考えること自体を許さず、人命が絶対だと主張する。それなら自動車の生産はすべて禁止しなければならない。

 法律家がトレードオフを理解できず池田信夫さんとそのお仲間がトレードオフを理解できているということではなく,法律家は,「企業活動の自由」よりも人命等に優越的な価値を置きそれを選択する傾向が高いのに対し,池田さんは,「企業活動の自由」に人命等の価値よりも優越的な価値を見出し,そちらを選択する傾向が高いというだけの話でしょう。

 そして,「企業活動の自由」と「人命」とを天秤にかけたときに「人命」に優越的な価値を置くのは法律家に限定された発想ではなく,また日本において顕著な思想でもありません。だからこそ,例えばほとんどの国では道路交通法にあたる法律を作って人命に危険を与える運転を事前に禁止し,また交通事故により他人を死傷させた場合に,損害賠償義務を課す他,刑事罰をも課す法制度を採用しており,かつそれは法律家以外の一般市民にも支持されています。危険運転致死罪が創設される段階で,「現在の物流は,トラック運転手による加重労働により支えられているのだから,トラック運転手など業務の一環として自動車を運転しているものによる死傷事故については,むしろ一切の法的責任を課さないこととするのが経済学的には正しい。」という意見は,法律家のみならず,一般市民からも出てこなかったように記憶しています。

 また,自動車については, 国土交通省で定める保安上又は公害防止上の技術基準に適合するものでなければ、 運行の用に供してはならない とする事前規制を様々な形で行っており,そのために企業に様々な経済的負担を課しています。この点においても,現行法は,企業活動の自由よりも人命等に高い価値を見出した選択をしており,それは法律家以外の市民からも広く支持されています。一部の経済学者は環境規制がとてもお嫌いなようですが,排ガス規制や騒音規制などを自動車について課すことも,企業負担の上昇に繋がるものではありますが,法律家のみならず,一般市民に支持されており,自分たちが健康的な生活をしたいがために企業に負担を強いる幹線道路沿線住民を「反経済学的だ」となじる人はあまりお目にかかることはできません。

 そういう意味では,単純な「企業活動の自由礼賛型経済学者」を除くと,自動車の運行による経済活動というものを認めつつも,その人命等に与える負の影響を最小化するために,様々な事前規制及び事後規制を組み合わせるというバランスの取れた議論が一般にはなされているように思われます。

 といいますか,個別的正義を守ろうとする法律家をやたら攻撃する類の経済学者(何学者とお呼びするかをその学位により判断するとすると,必ずしも経済学者とお呼びするのが妥当な方々ばかりではないようですが)こそが,「特定の目的がすべてに優先すると主張する人」にまさにあたるように思えてなりません。

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07/04/2009

広辞苑をインストール

 iPhoneに広辞苑をインストールしました。

 広辞苑の第6版を紙バージョンでも購入していませんでしたし、常用の電子辞書も広辞苑が入っていないので、「高い!」とは思いつつも、インストールすることにしました。お仕事的には言葉の説明が刺激的な辞書よりも、定評のある辞書の説明を引用する方が望ましいといった側面もあるので、何らかの形で広辞苑をもっていることはとても意味がありますので。

 こういう大きなアプリを入れると、聞く頻度の低い楽曲を「泣いて馬謖を斬る」思いでiPhoneから削除していかないといけないので、Apple社は早々に36GB程度のiPhoneをリリースして、既存ユーザーが安価に「バージョンアップ」できるようにすべきだと思う春の日の夕暮れです。

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04/04/2009

お花見 in 2009

 昨日は,午後6時30分から事務所の花見でした。事務所を出発して,最高裁の脇を通り,お堀端を歩いて千鳥ヶ淵を通り,九段下に着いたら,靖国神社を通り抜けるというのが,恒例のお花見コースです。桜自体は,昨日と今日がおそらくピークなので,今年は花見の開催日の設定が見事に当たったということになりそうです。

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30/03/2009

ダブルスタンダード

 私が住んでいるあたりって、もともと竹入義勝・元公明党委員長の地元選挙区だったのです(今は、平澤勝栄氏の地元になっていますが。)。だから、竹入元委員長が晩年ひどい中傷を受けていたことを残念な気持ちで見ていました。

 その竹入元委員長に向けられた言葉がこちらに集められているようです。

 これと比べると、私が矢部善朗・創価大学法科大学院教授を批判するのに用いた表現など、天使のようにマイルドだと思うのですが、前者が許せて後者が許せないという人がいるとすれば、それはとても解せないことだというより他ありません。

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論者の党派性に言及すること

 自然科学に関する議論をするのならともかく、社会に関する議論をするにあたって論者の党派性を一つの考慮要素にすることは、「属人論法」として批判されることではなく、むしろその論点について関連する党派性を有しているのにこれを敢えて隠そうとすることの方が非難されるべきことだと思ったりはします(もちろん、守秘義務等との関係で自らの党派性を公言できない場合はあると思いますが。)。

 だからこそ、討論会やシンポジウムでは、論者の経歴やポジションをまず明らかにしてその党派性を明示するのが通常だし、書籍を発行したり、雑誌に寄稿したりすれば、そのプロフィールを紹介することで、論者の党派性を明示するのが通常です。

 これは、日本に特有の現象ではなく、欧米なんかでも普通に行われている話です。一部の人は誤解されているようですが、「実名主義」者は、この党派性が明示され、それが読者によりその議論をどのように受け取るかを決定する上での重要な要素となることを、基本的に肯定します。「ネット上の議論であれば、論者は、その現実のポジションや党派的な利害を度外視して、純粋な議論を行うものだ」と信ずるほど、「実名主義」者はナイーブではないからです。

 もちろん、そのために秘匿されているプライバシー情報を暴くというのは如何なものかとは思いますが、公開されている情報から看取できる党派性をその論点との関係で明示することまでとやかく言われてもなあ、という感じはしてしまいます。

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29/03/2009

国策捜査に負けてあっさり身を引くことは,誘拐犯にあっさり身代金を渡すようなものだ

 町村先生が次のように述べています。

 他方異論噴出という参議院議員の会合のニュースもあり、何が何だか分からないが、ともあれ結束を乱さないとかいうことを優先し、党として国民に理解を求められるかどうかの判断能力がなくなっていることを露呈している。

 選挙のことだけを考えたら,小沢さんが党首の座を退いた方が楽だということは,皆さんわかっていると思います。ただ,刑罰法規を新たに(拡張的に)解釈適用して政敵の関係者を逮捕・起訴すれば政敵を辞任に追い込むことができるという「成功体験」を検察に与えてはいけないということなのではないでしょうか(民主党内の反小沢グループには,仙石さん,枝野さん等弁護士出身者がいるわけですが,弁護士出身者としては,検察のこのようなやり口に乗ずるというのは相当の抵抗感があるのではないかという気がします。)。国策捜査に負けてあっさり身を引くことは,いわば,誘拐犯にあっさり身代金を渡すようなものですから。

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25/03/2009

My MacBook Airのその後

 私のMacBook Airですが,先週の木曜日にアップルストア銀座にもっていったら,液晶パネルを交換しなければ駄目だということでそのままストアに引き取られ,昨日液晶パネルを交換したAirの返還を受けることができました。

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21/03/2009

Sweep the class under the rug

 城繁幸さんがまた不思議なことを言っています。

 援護射撃その2というエントリーで,

そして、文中のどこにも資本階級なんてでてきやしない。
当たり前だ、そんなものはもう存在しないのだから。

といい,ストライキが流行らなくなったわけというエントリーでは,

大雑把に言えば、経営者も内部昇格のサラリーマンにすぎず、コストカッターというよりはバランサー(仕切り屋)であること、そして終身雇用下では、バランサーの下す経営判断はたいていの労組にとっても合理的であることが理由だ。

と言っています。

 しかし,創業者の一族が依然として大株主であり,かつ,経営の中枢を担っている大企業なんていうのは未だに結構存在しているのであって(大体,経団連の御手洗会長からして,「内部昇格のサラリーマン」ではないではないですか。),城さんの上記独自理論だと,そういうところでも久しくストライキが行われていない理由を説明できないように思われてなりません。

 なぜ,城さんは,資本家階級なぞ存在しないということにしておきたいのでしょうか?

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19/03/2009

不老不死を前提とする愚

 城繁幸さんは,次のように述べているようです。

城:まず、大卒者の3分の1以上が3年以内に会社を辞めます。その理由について、世間では、若者の我慢が足りないからだと言っています。でも、事実は違います。たとえば、従来の年功序列では、若者は下働きで一生終わってしまいます。というのも、バブルが弾けて組織が小さくなってしまったにも関わらず、上がポストを独占していて空きがないからです。

 このようなことをいう人事コンサルタントがいる日本というのは本当に自由な社会だなあと思います。城さんの想定では,団塊世代の人たちは何歳まで会社に居続けることになっているのでしょう。

 一般に,年功序列型の人事体系をとっている組織においては,ポストは概ね同世代間で争われることになっており,上の世代がポストを独占しているが故に下の世代にポストがないということは通常起こりません。「バブルが弾けて組織が小さくなってしまった」場合に,役職適齢期の従業員の中で役職に就けない人の割合は増えるとは思いますが,それは「バブルが弾けて組織が小さくなってしまった」にもかかわらずその世代の従業員が解雇もされず退職もせずその組織内に大量に残ったことの結果であって,上の世代がどうのという話でがありません。

 年功序列制度が採用されている組織においては,年齢とともに「定年退職」を迎えるのが通常なので,「従来の年功序列では、若者は下働きで一生終わってしまいます」ということも通常ありません。同世代間での出世競争に勝ち残れば,役職適齢期が来ればいずれ然るべきポストに就くことができます。

 一方で,城繁幸さんはこのようなことも言っています。

 要するに中小企業の場合、創業者はもちろんのことですが、優秀な2代目というのは、10代の学生のうちからすでに経営者としての英才教育を受けているのです。卒業して、自分の会社に入社し、中には丁稚奉公に出されながら、経営者になるためのより実践的な英才教育が始まり、徹底的に経営ノウハウを磨いていくのです。これは一種のキャリアパスが分化した形です。

 「10代の学生のうちからすでに経営者としての英才教育を受けている」2代目がいる企業こそ,彼と同世代の従業員には社長というポストがないことが半ば約束されている企業ということになりますが,城さんは,そういう要因でのポスト不足による閉塞感は肯定されるようです。企業の中には,社長どころか役員全部が同族で,一般の従業員にはポストがほとんど余っていないというところもあるのですが,そういうのは城さん的にはOKなのでしょう。この種の「英才教育」が成功して優秀な2代目が跡を継ぐ割合というのは実際のところあまり多くはないのですが。

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13/03/2009

無駄な大学院をつぶせば,医療・介護に人材を移転させることができるのか

 3回以内に新司法試験に合格できなかった卒業生の割合が5割を超える法科大学院や,そこの修士課程への入学者のうちの1割も研究者としてのポストに就かせることができなかった文系大学院は,費用対効果が悪すぎると言うことで設置許可を取り消せば,そこの教員(教授の年収は概ね1000万円を超えるのでリッチだし,大して役に立っていないという意味では「ノン・ワーキング」に近い存在である。ゴルフではなく,無駄な会議に時間を使っている可能性はありますけど。)を,医療や介護などの必要とされている仕事へと移転させることができ,みんなハッピーになるということなのでしょうか。

 レベルの低い教育機関につぎ込む公的資金をカットしてレベルの高いところに集中すれば,レベルの高い教育機関の授業料を無償とするどころか,生活費相当分を含む給付奨学金を一般労働者家庭の子供に給付することもできるようになるかもしれないので,格差社会の中で有為の人材が教育を受ける機会をなるべく保証してあげるには,それくらいの荒療治が必要かも知れません。

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10/03/2009

法人が負担する租税・社会保険料負担

 神奈川県総務部税制企画担当課長である井立雅之氏の「法人課税の負担水準に関する国際比較について」は,実は,先進国の中で日本は,法人が負担する租税・社 会保険料負担が重い方ではないということが実証的に語られています。日本においては,法人の社会保険負担率が低いと言うことは以前より語られていましたが,米国においては公的健康保険がない分民間の医療保険の保険料を企業が通常負担しており,これを「法人が負担する租税・社会保険料負担」に含めるとなると,米国の方が「法人が負担する租税・社会保険料負担」が相当高くなることはなるほどなと思いました。また,「法人が負担する租税」のなかには,法人所得課税だけでなく,ドイツの営業税もイタリアの生産活動税のような外形的な要素が加味されている課税もあるし,保有又は使用に対する不動産課税等も含まれることもまた,この手の議論を行う上で注意すべきポイントなのでしょう。

 こうやってみると,一部の経済学者による逆宣伝こそあるものの,日本は,企業にとって既にパラダイスのような経営環境のように思われてなりません。もちろん,発展途上国においては日本よりも「法人が負担する租税・社会保険料負担」が低いところもあるとは思いますが,全般的な教育程度の高さや,法令遵守の精神の普及,巨大な国内市場の存在,等々を考慮すると,その程度の差異など吹き飛んでしまいそうです。

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06/03/2009

中途半端な法人税廃止論

 ブッシュJr.のアドバイザーであり,また,前回の大統領選の予備選でMitt Romneyのアドバイザーを務めていたN. Gregory Mankiw氏の見解を紹介して,法人税廃止論を正当化しようとする人がいるようです。

 ただ,ブッシュ前大統領の経済政策というのはとても評判が悪かったので,ブッシュ前大統領のアドバイザーが自分と同じようなことを言っているから自分の意見は正しいのだと言われても,周囲の人は途方に暮れざるを得ないようです。

 ただ,Mankiw氏の法人税減税論は,法人税減税による財政の収入不足を消費税(売上税)の増税で埋め合わせたのでは意味がなくなります。法人税減税によりよる経済成長,配当・給与の増加による税収の自然増により賄う必要があります。ですから,法人税が減税されたら,企業は商品価格を引き下げ,従業員の給与を増大させるとの信頼がない社会において適用できる話ではありません。

 また,「法人税は二重課税である」との議論は法人擬制説を前提とします(法人実在説に立った場合,法人と株主は別人格ですから,二重課税云々という問題は生じません。)。この場合,資源配分を歪めない法人税の廃止方法は,法人の当該年度の一株あたりの純利益に保有株式数を乗じたものを,当該法人からその年度に受けた配当とともに,その株主の「所得」に附加した上で,その全体について累進的な所得税を各株主に課すことが必要となります。すなわち,この場合,「配当」として受領できなかった企業の内部留保分に対しても株主に課税すべきということになります。

 モデルを使って具体的に見ていきましょう。

 1億円のコストを支払って2億円の売上げを得,生活費や住宅の購入などに4000万円ほど費やした事業主がいたとします。法人化していない場合,所得税は2億円ー1億円=1億円に対して係ります。そして多くの国では,個人でこれだけの収入を得ていれば,所得税率は最高税率が適用されます。

 この事業を,この事業主が100パーセント株式を有する事業会社で行った場合,個人として使用したい金銭4000万円を株式配当として事業主に振り分けることができます。この場合,法人税は,2億円ー1億円=1億円に対してかかりますが,所得税率よりは相当税率が低くなります。また,この会社の100%株主は配当によって4000万円の収入を得ることができるのですが,源泉分離税が選択できる国々においては,その税率は相当低くなります。所得税について累進課税が採用されており,かつ,法人税の税率が所得税の最高税率より相当低い国々においては,法人税と配当に対する源泉分離課税を支払っても,なお,個人事業主として事業活動を行うより,支払う税額は低くなり得ます。

 法人税をただ廃止した場合,2億円ー1億円=1億円のうち,株式配当として100%株主に配当した4000万円についてのみ課税の対象となり,企業内に留保された6000万円については課税対象から外されることになります。Robert Reichが言っているのは,この6000万についても,この100%株主の個人所得として課税せよと言うことです。二重課税を回避するために法人税を廃止するというのであれば,こちらの方が圧倒的に筋が通っています。そうでない法人税廃止論は,この6000万円について,一切課税対象とならない聖域として残せと言っているに過ぎません。

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04/03/2009

一つ覚え

 今回の不況への対策として「法人税減税」を提案する経済学者がいるそうです。

 こちらでは,次のように揶揄されています。

For some people, the answer to every question is...a tax cut!

 しかし,供給に対して需要が圧倒的に不足しており企業が大量の在庫を抱えている状態で法人税減税を行っても,税収減少分が生産活動への新規投資に回される保証はありません。むしろ,預金に回されたり,債券購入に充てられたりする可能性の方が大きいのではないかと思います。生産力を更に増強して,今まで以上に在庫を抱え込むメリットってあまりありませんから。税収減少分が,直接的に,または銀行等を通じて間接的に外国債の購入に充てられる場合には,その分,資金が国外に流出しますので,国内消費の原資が減少するということになります。

 さらに,法人税減税による減収分を消費税率の引き下げで補おうとすれば,これにより製品価格は上昇しますから,需要は減少します。いやはや,八方ふさがりです。

 いや,中には,

企業の利害関係者(=顧客、従業員、取引先、債権者、株主、国や地方自治体)のすべてが、減税が行われたことを認知できるわけですから、法人税減税後も、
「顧客が法人税減税前の価格で商品を買い続ける」とか、
「従業員が法人税減税前の価格で労働力を提供し続ける」などありえない、
ということは、誰でもわかることです。
仰る方もいるのですが,「法人税率が引き下げになったのに給料を上げないだなんて怪しからん。会社を辞めてやる!」という労働者や,「法人税率が引き下げになったのに製品価格を値下げしないだなんて怪しからん。商品買うのをやめてやる!」という消費者がそんなにたくさんいるという話も,実際にそのような要求に企業が応えているという話も,寡聞にして聞いたことがありません。第一,「法人税減税還元セール」って,聞いた記憶がないのです。

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03/03/2009

「池田信夫学」が試験科目に採用される可能性

 池田信夫さんが,次のように述べているようです。

 

「構造改革」が労働者への労働の成果の配分の現象を生じさせるものであれば,それは家計収入自体の減少をもたらしますから,国内需要が減少するのは当然のことです。(原文ママ)
この文章は(誤字を訂正すれば)つねに正しい。トートロジーだからである。したがって、ここから何も意味のある命題を導くことはできない。私が「構造改革で需要は増える」と書いているのに、それとは逆の仮定を置いて何事かを証明したつもりになっている彼が、素人なら何もいう気はない。彼はこれでも弁護士免許をもち、法廷で弁論を行なう弁護士なのだ。自動車の免許だけではなく、司法試験も定期的に再試験をしたほうがいいのではないか。

 確かに「配分の現象」は「配分の減少」が正しいですね。

 ただ,池田信夫さんが全知全能の神であるならば,池田さんが「構造改革で需要は増える」と言っているのにこれに反することを書くのは当然に誤りだということになるのでしょうが,残念ながら,私の認識では池田さんは全知全能の神ではないので,池田さんの意見に反することを書くことは何ら問題がないことであるように思われます。仮に司法試験にも定期的に再試験が課されることになったとしても,(経済学に限定したとしても)池田信夫さんと同じ認識を有しているかをチェックする「池田信夫学」が試験科目に採用される可能性はないように思いますので,「池田信夫上武大学大学院教授が「構造改革で需要は増える」と書いているにもかかわらず,それを異なる仮定を置いて何事かを証明」しようとする弁護士を撲滅することはできないように思われます。

 それはともかくとして,「『構造改革』が労働者への労働の成果の配分の減少を生じさせるものであれば,それは家計収入自体の減少をもたらしますから,国内需要が減少するのは当然のことです。」という命題が正しいのだとすると,それにもかかわらず「構造改革で需要は増える」といえるためには,「『構造改革』は労働者への労働の成果の配分の減少を生じさせるものではない」ということを証明する必要があるように思います(まあ,内需の減少分を補ってあまりあるほどの外需があればトータルでは需要が増大することはあり得るのですが,そのような外需頼みの経済が危ういことはお認めになっているように思いますし。)。

 池田さんは,そこのところの説明を一貫して怠っているわけで,今回も人様の論理に「詐欺的」等といっている暇があったらその説明をすればいいのに,と思ったりします。

 なお,「資本主義」の語源論争については,こちらを参照のこと。

日本語では kapitalitisch や capitalistic の形容詞はふつう「資本家的」ではなく「資本主義的」や「資本制的」と訳しているので,「資本主義」あるいは「資本主義的」・「資本制的」という言葉が最初から使われているように思われてきたにすぎない。

とのことなので,経済学の専門家ではない私が誤解していたのはやむを得なかったところです。

 それに比べると,経済学者なのに,

マルクスのテキストに資本主義(Kapitalismus) という言葉は一度も出てこない。これを初めて使ったのはゾンバルトである(Wikipediaにも書いてある)。
等といってしまう方が問題ではないかなあという気がします(「the production system」を記述する言葉として,という限定はこのときはしていないですから,あとから,the production system」を記述する言葉として「Kapitalismus」という言葉を使ったのはゾンバルトだとWikipediaに書いてあるといわれても,まさに後出しじゃんけんですしね。。しかも,この「Kapitalismus」の語源の話って,
これは経済史の常識であり、こんないい加減な知識で、わかりもしない「階級闘争」を語るのはやめてほしいものだ。

として,私の「階級闘争」に付いての話を価値がないように言い募るためのレッテル貼りの一環としてなされたに過ぎないですから,まあ,経済学って変わった文化があるのだなあと感心させていただきました。法律学ですと,特定の言葉についての語源に関して仮に誤解していたとしても,それが議論の中身の信頼性に決定的な悪影響を与えるとは一般に考えられていませんので。

 いやまあ,池田さんが時折,濱口桂一郎・独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員に向ける学歴差別的な言辞を見ても,法学系とはそもそもの考え方が違うのだろうなと思ってしまいます(もともと実学志向が強い法律学の分野では,有能な人間は大学院に行かずに実務に就いてしまうし,研究職にしても,東大法学部で最上位の成績を収めるような人は学部卒業と同時に助手採用されてしまうので,優秀な実務家,研究者が修士号を持っていないということは普通にあります。だから,論者が修士号をもっていないからその論文は検討するに値しないという考え方は,法学分野では一般的ではありません。)。

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構造改革によって、供給だけが増えて需要は増えないという根拠

 池田信夫さんの,「不況についての迷信」というエントリーの,特に5番は,池田さんの経済理論の限界を如実に示しているように思います。

 

不況の最中に構造改革を行なうと、供給を増やしてGDPギャップが拡大する:構造改革によって、供給だけが増えて需要は増えないという根拠は何だろうか。構造改革(産業構造の改革)は、潜在GDPを高めるものだから、需要と供給をともに高める。たとえば土建業から医療・福祉に労働力が移動すれば、労働供給も労働者の需要も増える。

とのことですが,「構造改革」が労働者への労働の成果の配分の現象を生じさせるものであれば,それは家計収入自体の減少をもたらしますから,国内需要が減少するのは当然のことです。原材料やエネルギーを輸入に頼っている我が国では,国内における労働者の所得水準の減少ほどには工業製品の生産コストは下落しませんから(製品の生産コストを100としたときの人件費が20と仮定した場合,解雇規制の撤廃により,全ての従業員の賃金水準を高卒の2年目の水準に合わせることで人件費を半減させたとして,生産コストは10%しか減少しません。),需要は大幅に落ち込むことにならざるをを得ません。

 結局,解雇規制の撤廃により労働者の賃金水準を引き下げていった場合に国内消費の原資はどこから出てくるのですかという問いかけには一向に答えていただけなかったわけです。

 なお,月収25万円で働いていた土建業労働者1万人が,公共事業の縮小により,月給15万円の福祉現場で働くことになっても,労働供給は増えていません。そして,それまで25万円だった月収が15万に減少するわけですから,国内消費の原資は毎月10万円×1万人=10億円減少することになり,それは彼らを消費者として想定した国内産業の売り上げを減少させることに繋がります。所得税の累進比率を引き上げることで,例えば国内消費では所得分を費消しきれない富裕層により米国国債の購入等にあてられていた資金を国家に吸い上げた上で,これを元に福祉現場労働者の給与水準を月30万円に引き上げることで土建業者から福祉現場に労働者を1万人移転させるのなら,そういう負の影響はなくなっていくわけですが。

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01/03/2009

I know you know supply-side economics is a crock.

 池田信夫先生はこのように仰っています。

オバマ米大統領が、法人税の減税に言及しました。「法人税は不合理な税だ」というのは、半世紀前にフリードマンが指摘して以来、経済学者のコンセンサスです。Alesina-Zingalesは投資減税を提言し、Barroは「法人税の廃止がベストだ」としています。オバマ政権の顧問であるReichも、法人税の廃止を提言しています。

 しかし,池田先生の文章にはよくありがちなことですが,原文に当たると大分ニュアンスが違います。原文はこうです。

"If you closed loopholes you could actually lower rates. That's an area where there should be the potential for some bipartisan agreement," Obama said at a White House "Fiscal Responsibility Summit." He said that the tax rate "on the books" was high in the United States.
But Obama added, "In practice, depending on who it is—what kind of accountant you can hire —they're not so high. That's an area we can work on," Obama added.

 つまり,オバマ大統領は,「抜け穴をふさげば,(法人税の)税率を引き下げることができますよ」と述べたに過ぎません。しかも,オバマ大統領は,「米国では,『帳簿上の』税率は高いですね」とか,「実務上は,あなたが雇った会計士にもよるけど,そんなに高くないですよ」と付け加えているわけです。

 この「Fiscal Responsibility Summit」はもともと超党派の議員や学者を呼んでいたのであり,そこでは当然共和党員から法人税を下げろ,廃止せよと言う要求が突きつけられるわけで,これに対応する形で上記のようなコメントをしたというお話でしょう。そして,それは,ブッシュ政権時代に設けられた,様々な企業優遇策の廃止が先だということを含意しているわけです。

 そして,それは大統領選挙中からオバマ陣営が述べてきたことです。昨年7月31日付のForbesの記事によれば,法人税の最高税率を35%から25パーセントに引き下げるというマケイン氏の公約に対して,オバマ陣営の経済政策担当のディレクターであるJason Furman氏は,

"If you fix a lot of those problems, you can bring the tax rate on corporations down," says Furman. But bringing the tax rate down first, he explains, raises deficits, and would result in a weaker economy.

と述べています。今回のオバマ大統領の発言は,その延長線上にあると言えるのです。

 なお,池田先生ご推奨のRobert Reichですが,マケイン氏の法人税減税プランに対し,こんな批判をしています。そして,最後の段落でこう述べています。

Supply-side economics is one of those unfortunate half-brained theories actually to have been tried in practice, and failed miserably. Now we have a candidate for president of the United States who says to the American people, in effect: I know you know supply-side economics is a crock.

 

【追記】

 上記オバマ大統領の発言は,ロイターの日本語サイトでは,大統領は、米法人税は高水準にある、と述べた一方、「運用上はそれほど高率ではないケースもある。われわれはこうした点で対処が可能だ」と述べた。とされていて,「on the books」の部分を抜いてしまっているようです。「depending on who it is—what kind of accountant you can hire —」という部分を,ケースもあると縮めて訳してしまっていることを含めて,この翻訳は,法人税の減税を求める共和党サイドへの皮肉めいたニュアンスを完全に消し飛ばしているようです。

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28/02/2009

歴史はむしろ,資本家の欲望を規制することこそ経済の持続的発展を促すことを示している。

 池田信夫先生の昨日のエントリーの結論部分にも言及してみましょう。

むしろマルクスとハイエクがともに依拠した西欧的な市民社会の概念が、どこまで普遍的なモデルなのかが問題だ。歴史的には市民社会が普遍的ではないことは自明であり、「欲望の体系」が人々の感情を逆なでする不自然なシステムであることも、ヘーゲルが指摘した通りだ。しかしそれが西欧文化圏の奇蹟的な成長を可能にし、それ以外のモデルがすべて失敗に終わったことも事実である。マルクスは、階級対立を生み出さない純粋な市民社会としてのコミュニズムが可能だと考えたが、それは間違いだった。欲望を解放する市民社会は、必然的に富の蓄積によって不平等な資本主義を生み出すのである。
つまりわれわれは「不自然で不平等な市民社会が、物質的な富を実現する上ではもっとも効率的だ」という居心地の悪いパラドックスに直面しているのだ。これを拒否するか受け入れるかは、ある意味で歴史的な選択である。「新自由主義」を否定して、政府が不況で困った個人や企業をすべて救済し、それによる財政赤字をまかなうために税率を70%ぐらいに引き上げる国家社会主義も、一つの政策だろう。そうやってゆっくり衰退してゆくことが、日本にとって現実的に可能な唯一の選択肢であるような気もする。

 しかし,歴史はまた,欲望を完全に解放し,富の蓄積に伴う不平等を修正せずに放置することが,物質的な富を実現する上で障害となることも示しています。例えば,農地解放がなされ,労働三法が制定された戦後日本,そう「日本国の歴史を愛してやまない」といって憚らない自称愛国者が唯一忌み嫌う戦後日本こそが,奇跡的な経済発展を果たしたわけです。そして,不平等を拡大する方針に転換して以降の日本は,経済成長が鈍化しています。むしろ歴史は,欲望を自制することを知らない企業や富裕層にある種の足かせをはめる方が,経済の持続的発展をもたらすことを示しています。結局のところ,「労働者は,生産の主体であると同時に,消費の主体でもある」という,新自由主義者たちが認めたがらない事実がある以上,消費性向の高い中低所得者層にお金が還流するようなシステムを採用することが持続的な経済成長のために不可欠であることは否定しがたいのです。新自由主義的な経済システムは,国外の「市場」だけで供給に対応する需要が存する場合には機能する場合もあり得るのですが,それは様々な意味で長続きしないのです(市場を確保するために,帝国主義的な戦争でも始めるおつもりでしょうか?)。

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池田先生のwikipediaは特別?

 池田信夫先生がまた変わったことを仰っています。

小倉氏のブログは、あいかわらずネタの宝庫なので、枕に使わせてもらう。きのうの記事では、こう書く:
マルクスは資本主義の研究者としては一流だったので,資本主義社会を分析するにあたっては,マルクスが開発した諸概念を用いることは有益ですから(そもそも"Capitalism"(資本主義)自体,マルクスの造語ですし。),当然のことなのですが。
これはもちろん間違いである。マルクスのテキストに資本主義(Kapitalismus) という言葉は一度も出てこない。これを初めて使ったのはゾンバルトである(Wikipediaにも書いてある)。これは経済史の常識であり、こんないい加減な知識で、わかりもしない「階級闘争」を語るのはやめてほしいものだ。

 しかし,リンク先の英文Wikipediaにはそのようなことは書いてありません。Wikipediaの記載はこのようになっています。

 

According to the Oxford English Dictionary,[45] capitalism was first used by novelist William Makepeace Thackeray in 1854, by which he meant by having ownership of capital. Arthur Young[45] first used the term capitalist of his economic surveys in his work Travels in France (1792).[46] Samuel Taylor Coleridge,[45] an English poet, used capitalist in his work Table Talk (1823),[47] and Benjamin Disraeli[45] used capitalist in the 1845 work Sybil.
Pierre-Joseph Proudhon used capitalist is his first work What is Property? (1840) to refer to the owners of capital. Karl Marx and Friedrich Engels also used capitalist (Kapitalist) as a private owner of capital in The Communist Manifesto (1848), and referred the capitalistic system (kapitalistischen System)[48][49] to the capitalist mode of production (kapitalistische Produktionsform) in Das Kapital (1867).[50] Marx's notion of the capitalist mode of production is characterised as a system of primarily private ownership of the means of production in a mainly market economy, with a legal framework on commerce and a physical infrastructure provided by the state.[51]

 ゾンバルト(Werner Sombart)なんてどこにも出てきません。Wikipediaのドイツ語版ですと,

das Wort „Kapitalismus“ wird dagegen nur einmal in der erst 1905 bis 1910 erschienenen Ausgabe der 1863 verfassten Theorien über den Mehrwert (1863) genannt,[10] sowie einmal im zweiten Bande seines Hauptwerks Das Kapital (1885)

とあります。私はドイツ語はよくわからないのですが,機械翻訳をかけて読む限りにおいては,„Kapitalismus“ という言葉はマルクスの著書の中にも出てくるようです。

『資本論』における資本主義概念は「資本主義 Kapitalismus 」ではなくて「資本制生産 kapitalistische Produktion 」と「資本制生産様式 kapitalistische Produktionweise 」である
という意見はあるようですけど,それはマルクス研究家の中では重要な話かもしれませんが,一般的には些末的な話のように思われます。

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27/02/2009

Working Class Hero

 John Lennonの代表曲の一つに,「Working Class Hero」という曲があります(→John Lennon - John Lennon / Plastic Ono Band (2000 Remaster) - Working Class Hero)。最近,Green Dayがカバーした,あれです。その歌詞を構成するフレーズの一つ一つが,上から目線で「弱者」を叩き「強者」にシンパシーを示してみせるネットサディストさんたちの登場を予言しているようで,今となってはとても興味深いです。

 例えば,Keep you doped with religion and sex and TV/And you think you're so clever and classless and freeというフレーズがあるのですが,「sex」という単語を「net」に置き換えれば,まさにネットサディストさんたちそのままという気がします。新自由主義という「神頼み」の経済学を一種の「religion」と見立てるわけですが,それはそれであながち外れてもいないようには思います。教義と現実に齟齬が生じても,それは未だに社会が教義通りになっていないからであって,教義が間違っているわけではない,と思いこめるあたり,或いはそれを信奉してみても,現世での御利益に授かれるのはほんの一握りで,大半の信者は物質的な豊かさを享受できないあたり,ある種の新興宗教との共通点が多いようにも思いますし。

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26/02/2009

Class Warfare

 日本の新自由主義者がどう言おうと,英文サイトを見る限り,"class warfare"(階級闘争)という言葉が大流行です。それも,発展途上国の話ではなく,米国等の先進国のお話としてです。"class divide"(階級格差)という言葉も普通に使われています。まあ,マルクスは資本主義の研究者としては一流だったので,資本主義社会を分析するにあたっては,マルクスが開発した諸概念を用いることは有益ですから(そもそも"Capitalism"(資本主義)自体,マルクスの造語ですし。),当然のことなのですが。

 もちろん,池田信夫先生より経済学者として高く評価されているクルーグマン教授はブッシュの富裕層優遇政策を「class warfare」と評価していたわけですが,ここへ来て,オバマ大統領の経済政策に関して,逆の意味で「class warfare」との評価が生じているようです。同時に,「Soak the Rich」(金持ちに重税を課せ)という言葉も英文サイトで大量に検出されるようです。

 「規制を緩和して,もっと富を一握りの人に集中させて,その他大勢を貧しくさせよう」という時代は米国では終わりつつあるようです。なにせ,msnbcですら,"30-year deregulation era dies a sudden death"(30年にわたる規制緩和時代が突然死を迎える)みたいな文章を掲載してしまうくらいですから。日本では,そういう現実に目を閉ざし,世代間対立を煽って目くらましするのが,一部の経済学者とそのファンの間で流行っているようですが。

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25/02/2009

神頼み経済学

 結局のところ,今回の不況というのは,「新自由主義」という一種の「神頼み経済学」がもたらした惨禍だということができそうです。「目の前に苦しむ人々がいても,政府はこれに手を差し伸べず,手の見えない神に委ねれば全てうまくいく」ということ自体が神懸かりですが,それにも増して,「供給の効率性さえ高めれば消費の原資は神様が天から贈って下さる」ことを前提に,「企業活動による生産活動の成果を賃金という形で労働者→家計へと移転させなくとも,内需は増加する」との預言をして回るあたりが神懸かりです。

 もちろん,神様が全知全能なんてことは東洋の伝統やギリシャ神話の世界観からいったらあり得ないのであって,手の見えない神は富の多くをごく一握りの「お気に入り」に偏頗分配することでその多くを死蔵させ,また,消費の原資を降らせてくれなかったので,生産活動の成果物の家計への移転が先細るに従って国内需要も先細っていったわけです。

 どの世界にも神を気取るペテン師というのはいるものであって,様々なトリックを使って「奇蹟」もどきを見せてまわるわけですが,「新自由主義」という「神頼み経済学」にとってのトリックが,「サブプライムローン」に代表される「消費のための借金の容易化」により,賃金ではなく融資により,消費の原資を降らせてみせることだったわけですが,「消費者向けローン」というのはいずれなくなる泡のようなものだったので,泡が消えた瞬間に,「消費の原資がない」という現実に引き戻されてしまったのです。

 日本では未だに,「新自由主義は終わった」との考えが日本の一部でしか共有されていないかのように読者を欺く研究者が大手をふるっているようですが,Google等で「End of neoliberalism」で検索すると多数のページが検出されることからも,これが実態に合致していないことがわかります。何にせよ,未だに「神頼み経済学」を布教している宣教師たちが「で,消費の原資はどこから沸いて出てくるの?」という質問には口をつぐんだままだというあたりに,この一種の宗教のいかがわしさが如実に表れています。

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23/02/2009

隗さんはいずこ?

 それにしても,文科省の許認可行政により新規参入や定員の増減等が規制され,かつ,経費の一定割合を公的資金からの補助金に頼っている「大学」という安定した組織において,いったん就任してしまうとよほどの不祥事を引き起こさない限り無能であっても解雇されたり降格されたりすることにない「教授」という地位に収まってぬくぬくとしている人たちから,「お前らはリスクをとらなさすぎる。お前らは,まだ恵まれすぎている。もっと,もっと競争だ。」みたいなことを言われて糾弾される一般の日本国民って,本当に哀れな存在に思えてきます。

 中には,「大学院での学位取得により、新税理士法に基づいた税理士試験の税法に関する科目の一部免除を受けられるように」してもらうことにより,教育内容で学生を引きつけるのではなく,国家試験で公然と「下駄」をはかせることをうたい文句にして学生を引きつけようとしている大学において自分は教授としてぬくぬくと生きていながら,一般の労働者に対してはやたらマッチョなことを押しつけようとしている方もおられるようです。

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新自由主義者の見立てだと,住宅について今も需要過多だってことなのでしょうか

 住宅新規着工件数の減少というのは,建築基準法改正という供給側の要因によってのみ引き起こされるものではありません。昨年についていえば,途中までは,空前の原油高および北京五輪直前の各種資材高という供給側の阻害要因はありましたし,また,景気は既に下降局面にあり,かつ,マイホーム取得を考え始める年齢層にいわゆる「ロスジェネ」層が入ってきていますから,住宅等に関しては需要側にも減少要因があります。従って,リーマンショック以前においても,住宅新規着工件数が減少基調にあることは想定の範囲内です。ただ,建築基準法改正という供給側の要因によって引き起こされたと思われる大幅な新規着工件数の減少からは概ね回復しているということです。ひょっとして,新自由主義者さんたちは,住宅に関して,建築基準法の改正によりいまでも需要過多・供給過小状態にあると信じておられるのでしょうか。

 それにしても,新自由主義者の皆様は,人命尊重のための建築基準法改正により住宅新規着工件数が減少することには「官製不況」だなんだと平然と罵る割に,多くの労働者が長期ローンを組んでのマイホーム取得を断念せざるをえないところに追い込むことにより住宅新規着工件数の減少に繋がる可能性の高い解雇規制の撤廃にはあっさりと賛同されるのだから,面白い人たちです。同じ「住宅新規着工件数の減少」でも,一般労働者の貧困化によりもたらされるものであれば賛同できるのに,人命が尊重された結果としてもたらされるものであれば許せないわけです。

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22/02/2009

建設業者の手続コスト等を人命より優先させる人々

 池田信夫さんが次のように述べています。

よくこれで弁護士をやってるね。私がどこで「人命に特段の価値を見出さない」と書いたのか、と反論されたら、訴訟なら終わりだ。

 池田さんの頭の中にある「訴訟」っていうのは,きっと厳格な直接証拠主義なのでしょう。今時一般的なシステムとしてそのようなものを採用しているところはないと思いますが。その割には,池田さん自身は,他人の意見を歪めずに要約することがとても不得手のようです。

何度も書いたように、リスク管理の目的はリスクをゼロにすることではない。人命が他のすべてに無条件に優先するのなら、まず自動車を禁止すべきだ。重要なのは、リスクと便益のトレードオフの中で何を選ぶかという目的関数の設定である。

 「重要なのは、リスクと便益のトレードオフの中で何を選ぶかという目的関数の設定である」としても,「阪神淡路大地震クラスの大地震にあった場合に建物が崩壊して人命が損なわれるリスク」に目を瞑ってまで選択すべき「便益」があることを,池田さんは説得的に主張し切れていません。建築基準法の改正により「官製不況」になったとしてこの改正を批判する人々は,「景気」を「人命」に優先させているということであり,より具体的にいえば,建設業者の設計コストや建築コスト,手続コスト等を人命に優先させているというだけのことです。これに対し,我が国の立法府は,建設業者の手続コスト等を軽減させることよりも人命を重視したということですし,世論も概ねそうだったということです。

 そして,この問題に関して,「リスクとリターン」という観点から話をすると,建設業者は,建設業者の手続コスト等を低く抑えることにより利潤の増大というリターンを受ける反面,当該建物の崩壊による死傷というリスクを原則として負わないで済みます。このリスクを負うのは,大地震発生時に当該建物の中や周囲に居合わせた人であり,彼らのほとんどは,建設業者の手続コスト等を軽減されることによって特段の利益を得ることはありません。このような場合には,リスク軽減のために特定の措置を高ずることを法的に義務づけることが必要となります。しかも,ことは人命の関することなので,「果たして震度6以上の地震が起きて建物が崩壊して死傷者が出たときには多額の賠償金を支払えばいい」というものでもないのです。従って,事後規制では不十分であって,相当の事前規制を敷くことが望まれます。実際,既に紹介したとおり,建物の建築に関しては,安全性を確保するために様々な事前規制を課すというのが先進国では標準的となっています。

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人命と企業利益とどちらをより重視するかの差

 新自由主義って,人命に特段の価値を見出しません。ですから,人命を守るために企業活動の自由を制約するというのは,新自由主義者から見ると好ましくないということになります。そういう意味では,池田信夫先生が建築基準法改正を目の敵にするというのは想像の範囲内といえるでしょう。建築基準法を正しく理解していないから建築基準法に不満があるというより(まあ,正しく理解していないことも事実ですが,池田先生に法律を正しく理解することを望む方が無理というものですし。),そもそもたかだか人命のために企業活動が制約されるということが池田先生には許せないのだと思います。「人命と,建築業界の収益とどちらが大切なんだ」と問われて,法律家は人命だと答え,経済学者は建築業界の収益だと答える。だから,法律家が,経済学者のお眼鏡にかなうことってないと思います。

 建築物に限らず,大方の商品は,消費者や第三者の生命・身体の安全に配慮しなくとも良いということになれば,企業はより生産コストを引き下げることができます。そして,消費者は商品を購入するにあたってその安全性は考慮に入れないとの前提に立った場合には,企業は,なるべく安全性を犠牲にして製造コストを引き下げることこそが利潤の極大化に繋がるということになります。建築基準法の改正により「官製不況」が生じた云々と述べている人はこのレベルです。

 基準が形式的であることをも問題視されているようにも思うのですが,人命を守るための行為規制としては,想定される危険に対して人命を守るためには概ねどのような措置を講じておくことが必要なのかを抽出した上で,それを抽象的な基準として書き出してこれを形式的にクリアすることを義務づけ,またはその基準を完全には抽象化しきれないときは専門家による事前審査をクリアすることを義務づけるという形式をとるのは,極めて一般的な話であって,日本において特徴的というお話ではありません(諸外国の建築規制についてはこちらを参照)。

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20/02/2009

真のLibertarianか,お犬様か。

 自称Libertarianが真のLibertarianなのか,単なる我が儘な富裕者または彼らにしっぽを振るだけのお犬様なのかは,経済以外の分野における国家の介入に対してどのような態度をとっているのかを見るとかなり分かります。

 Libertarianは本来国家からの自由を重視するので,国家が個人の「道徳」に介入することを過度に嫌います。従って,国家が「愛国心教育」に邁進すること等に積極的に反対するのが正しいLibertarianです(シカゴ学派はともかく,オーストリア学派は,基本的にAnti-Naziですし。だから,ブッシュ前大統領や安倍元首相は,新自由主義者であっても,Libertarianではありません。)。米国においては,さらに10代の未婚カップルの性交渉や同性愛,人工中絶を国家が弾圧等しようとすることやに積極的に反対するかどうかもLibertarianか否かを推し量る重要な指標になるのですが,わが国ではキリスト教右派は統一教会系を除けばそれほど強い力を持っていないので,さほど使い勝手の良い手法ではありません。まあ,首相等の靖国公式参拝に対する態度などはある程度指標になりそうな気はします。

 もっとも,日本の場合,単なるネットサディストたちが,上から目線で弱者を叩くツールとして,新自由主義的な見解が借用される傾向がありますので,彼らの場合,「我が儘な富裕者にしっぽを振るだけのおいぬ様」との評価があたるのか,難しいところではあります。

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19/02/2009

1789年のlibertarianismは現代の新自由主義とは全くの別物

 池田先生がまた不思議なことを述べています。

Neoliberalismという言葉が使われるようになった最初はHarvey "A Brief History of Neoliberalism"(2005)で、さかのぼると1996年にメキシコで開かれた「反グローバリズム」集会が最初のようだ。これに対してlibertarianismの最初は1789年。どっちがオリジナルかは議論の余地もない。

 池田先生が「libertarianismの最初は1789年」とする出典は,「merriam-webster」のようですが,それでいうならば,「neoliberalism」の初出は1945年ということになります。従って,「neoliberalism逆輸出説」は実際と合致していないといえそうです。

 さらにいうと,「merriam-webster」の初出年情報は,当該単語が最初に用いられた年を表示してくれるのですが,それがそのときにどのような意味で用いられたのかまでは表示してくれません。従って,「libertarianism」という単語の初出が「neoliberalism」という単語の初出よりも早かったとしても,それが今日「neoliberalism」という語で表される意味で用いられていなければ,「libertarianism」の方がオリジナルだということにはなりません。

 で,英語版のwikipediaをみると,「libertarianism」との語を最初に用いたWilliam Belshamは,"necessitarian" に反対する概念としてこの語が用いられていたことがわかります。経済学的な意味で「libertarianism」という言葉が用いられるようになったのはそれよりもずっと後のようで,英語版のwikipediaによると,1940年代に入ってから,Leonard Readが自分のことを「Libertarian」と呼ぶようになったと記載されており,Dean Russellが「Foundation for Economic Education magazine 」の中で,"Let those of us who love liberty trademark and reserve for our own use the good and honorable word "libertarian.""と記載したのは1955年とのことです。

 なお,日本の新自由主義者たちは,むしろ,アダム・スミスが批判した重商主義的な「低賃金経済論」に近づいていますから,自分たちの考え方を「ヒュームやスミス以来の古典的自由主義であ」るかのように述べるのは如何なものかなあと思ったりはします。

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18/02/2009

新自由主義という言葉はlibertarianismの訳語ではない

 そういえば,池田先生が次のように述べているそうです。

新自由主義という言葉はlibertarianismの訳語でしょう。これはliberalismという言葉が、アメリカでは「大きな政府」を求める人々をさすようになったため、古典的自由主義をそれとは区別するためにつくられた英語で、新自由主義と訳したのは西山千明氏だそうです。

 普通は,「neoliberalism」の訳語だと考えると思うのですが,池田先生は「neoliberalism」という言葉が用いられている英語文献をお読みになったことがないのでしょうか(「neoliberalism」でググっていただければ,おびただしい量のサイトが検出されると思いますが。)。

 「libertarianism」を信奉するのであれば,私有財産制を保障する以外の政府の介入を極度に嫌うはずですから(真正のlibertarianは,名誉権もプライバシー権も認めません。),はてブで罵られたくらいで裁判制度の力を借りようだなんて発想は出てこないはずです。

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16/02/2009

いくら,「行政による事前規制から司法による事後規制へ」といっても……

 新自由主義からの政策提言って一本調子でよいので,とても簡単そうです。

 池田先生が次のように述べています。

具体的には、資本市場の改革(特に対外開放)で企業買収・売却による事業再構築を容易にすることと、労働市場を改革して衰退部門から成長部門への労働移動を促進することだ。いま政府のやっている外資による対内直接投資の規制や派遣労働の規制強化などは、逆に生産要素の移動をさまたげて、潜在成長率を低下させる。医療への参入を促進するために必要なのは政府の指導ではなく、医師会の圧力で医師の供給を絞ってきた医療政策の転換であり、介護への新規参入を阻害しているのは過剰な規制だ。

 しかし,介護への新規参入を阻害しているのは,低すぎる介護報酬であって,それは政府の福祉予算の拡充なくしてはあり得ません。また,「医療への参入」云々については,労働市場を改革したところで,衰退部門からおいそれとやってこれるようなものでもありません。それに,今から医学部の定員を大幅に増員したところで,その効果が「医師の増大」という形で現れるまでには,10年弱はかかりますので,今回の恐慌の対策になどなりはしません。もちろん,医師を届出制にして,これまで建設業や製造業に従事していた労働者が即医師として働くことを合法化するということならば,建設業・製造業から医療部門への労働移動を果たすことが理論的には可能となりますが,そういうドラスティックすぎる規制改革は,様々な弊害を生みそうな気がします(「行政による事前規制から司法による事後規制へ」といっても,医学教育を受けていない人による診療行為で死屍累々となった場合に,仮に賠償金を遺族がもらい受けることができたとしても,死んだ人は帰ってこないから,医療分野とかは,事前規制が不要ってわけにはいかないようには思います。)。

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アルゼンチンも新自由主義を廃して経済が回復した。

 もともと,「失われた10年」という言い方は,中南米諸国において,新自由主義的経済政策を採用したことにより生じた経済後退のことをいいます。チリの例は既に述べましたが,お隣のアルゼンチンも,新自由主義的な経済政策を取り入れたばかりに,経済,社会がぼろぼろになってしまったのです。

 2001年12月のアルゼンチン暴動でデ・ラ・ルア大統領が退陣に追い込まれるまでに,失業率は20%になり,極貧層は500万人に,貧困層は1400万人になり,1970年代初等には2%だった非識字率は12%に上昇してしまいました。この間,銀行の90%と産業の40%は外国資本の手中に落ち,政治家、組合幹部、企業経営者が国外に移した資産は1200億ドルにのぼりました。

 アルゼンチンも,新自由主義的政策をやめて政策転換を行うと,たちまち事態は改善されていきました。特に,最低賃金の引き上げの効果はてきめんで,1度に20%を超える最低賃金の引き上げを断続的に行っていった結果,アルゼンチンの失業率は,2002年には17.8%、12.1%2004年には12.1%,2005年には10.1%,2006年には8.7%と徐々に下がっていきました。

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15/02/2009

原文を確認しないと危ない

 「こういう経済政策をとるとこういう結果が生ずるはずだ」というのは理論ですが,「こういう経済政策をとるべきだ」というのはその経済政策をとった場合に生ずることが予想される結果についての価値判断です。そして,その価値判断については,経済学者にプライオリティはありません。従って,池田先生がリストアップした14の項目のうち,5,6,7,8,11,13,14にはさしたる意味はありません。

 なお,10に関しては,原文はCash payments increase the welfare of recipients to a greater degree than do transfers-in-kind of equal cash valueとなっており,池田先生は所得の間接的な再分配より現金支給のほうが福祉を高めるという訳を与えていますが,「transfers-in-kind」とは現物社会給付(現物社会移転)のことであって「所得の間接的な再分配」のことではないように思います。10番でいっていることは,「お金を渡した方が,政府が調達した商品・サービスをそれと同額分渡すより,受け取った側の役に立ちますよ」という程度の話です。

 12も,原文はA minimum wage increases unemployment among young and unskilled workers.となっており,「最低賃金制度は若年者と未熟練労働者の失業率を増大させる」といっているのであって,最低賃金を引き上げると、未熟練労働者の失業が増えるという池田先生の訳は原文とは合致していないように思います。この点に関していえば,経済学者がいくら声を揃えようとも,最低賃金制度が廃止されたピノチェト政権下のチリで失業率はむしろ増大したこと(そして,最低賃金制度の復活以降失業率は低下したこと)は事実として存在するし,また,最低賃金が廃止された結果,若年者と未熟練労働者の賃金水準が,フルタイム労働しても健康的で文化的な生活をできない水準で固定した場合にそれは好ましいことなのか(むしろ,賃金水準を高めに維持した上で,就業者たちが「税金→失業給付・生活保護」等の形で,やむなく失業した人の負担を分かち合う方が好ましいのではないか)ということを考える必要がありそうです。新自由主義的にいえば,生存に必要な食料等を確保するに足りる賃金に見合うだけの市場価値のない人間は淘汰される(死ぬ)べきだということになるのだと思いますが,それは政治的にかつ人道的に間違っているのです。

【追記】

 このエントリーについて池田先生のブログにトラックバックを送ったところ,そのコメント欄に,

くだらないTBが来たので削除しましたが、10の"transfers-in-kind"というのは、政府が公共事業や価格支持政策などによって所得を移転すること。それよりも所得の直接補償のほうが望ましいということです。

と記載されていました。しかし,「in kind」という言葉は,例えばオックスフォード現代英英辞典によれば,「(of a payment) consisting of goods or services, not money」という意味を有しており,「transfers in kind」という言葉には「現物給付」「現物移転」等の訳語が与えられるのが通常です。そして,これに「Social」との語が附加されると,「現物社会給付」「現物社会移転」等の訳語が与えられることになります(そういう意味では,原文の10は「transfers-in-kind 」とだけあり,「social transfers-in-kind」とはなっていないので「現物社会給付」と「社会」という言葉をつけたのは妥当ではなかったかもしれませんが,まあ,文脈的にはそういうことなのでしょう。)。実際,こちらのページ(総務省統計修所編「日本統計年鑑」)でも,「Social transfers in kind」には「現物社会移転」との語があてられ,「一般政府ないし対家計民間非営利団体が家計に対し現物の形で支給する財・サービス。」との説明が加えられています。

 「政府が公共事業や価格支持政策などによって所得を移転すること」のどこに「in kind」に相当する部分が含まれると思われたのか,理解しがたかったりはします。

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もっとも典型的な実施例の暗澹たる結果に触れないというのはいかがものか。

 池田先生が何か怒っておられるようです。私は池田先生に私の主張をずいぶんと枉げて紹介されたにもかかわらず「〜しろ」みたいな乱暴な言い方はしなかったわけですが,その辺は,学問分野の違いから来る流儀の差でしょうか。

 池田先生の理論が正しいのであれば,ピノチェト政権前期の新自由主義的経済政策によって,チリの実質平均賃金は大幅に下がったわけですから,失業率も大幅に下がらないとおかしいわけです。でも,実際には,失業率は大きく上がったわけです。特に,雇用者に「to modify individual labor contracts and to dismiss workers without "cause"」する権限を与えた1979年の法改正(池田先生のご主張はこれに近いですね!)以降の経済の落ち込みというのはひどいものでした。民主的に選ばれたアジェンテ政権を倒すために米国が行った経済制裁等はピノチェトがクーデターで政権を握ってから解除されていますから,アジェンテ政権時代よりも経済的な環境はむしろ良好だったはずなのにです。そして,ピノチェト政権末期の1991年に,"restricted the causes for firing employees, increased the compensation that firms had to pay to lay off employees, and restricted employers' recourse to lockouts"な労働法制の改正がなされるや,3年で,「貧困層の収入は3割増加.貧困層の割合はピノチェト時代の45%から30%にまで低下」したわけです。

 労働者保護制度を解体して賃金水準を引き下げたのに,チリでは,失業率が上昇し,国全体の経済成長も果たせなかったわけです。雇用の流動化による賃金水準の引き下げにより失業率が下がるというのであれば,なぜチリではうまくいかず,日本ではうまくいくと言えるのかを理論的に説明する必要があります。

 なお,「雇用の流動化」により,「ワーキングプア」と表現される非正規雇用労働者のレベルに一般の労働者の雇用条件を引き下げる方向で「世代間格差」なり「正社員と非正規労働者との格差」を是正するという経済政策を,池田先生は,議会制民主主義のもとでどのようにして長期的に実現しようというのでしょうか。国営企業の民営化程度の新自由主義的政策ならば議会制民主主義国でも採用できますが,大多数の国民に貧困を押しつける経済政策は,それが「失業率の低下」というさほど意味のない成果を仮にもたらすとしても,議会制民主主義のもとでは相当困難でしょう。

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14/02/2009

池田先生や木村剛さんが望むような経済政策を実行するとどうなるか

 池田先生や木村剛さんが唱えるような新自由主義的な経済運営を行うと実際どうなるのかの実証例は,フリードマンの弟子たちに経済政策を委ねそして彼らを追い出すまでのピノチェト政権前期(1973-が典型的です。国有企業の民営化,外資導入の自由化はもちろん,年金や銀行の民営化,最低賃金制度の廃止,労働組合の禁止など,この期間,新自由主義者がやりたいことの多くが,反対者をがんがん虐殺することで,実現できていたわけです。

 Iain MacSaorsa氏のこのページに依れば,その結果,チリの実質平均賃金は,1976年の段階で,1970年よりも35%低くなったとのことです。Iain MacSaorsa氏もafter nearly 15 years of free market capitalism, real wages had still not exceeded their 1970 levels.としています。「賃金水準が下がると失業率も下がる」という池田先生の理論でいくとさぞや失業率は下がったのだろうと思いきや,失業率は,1973年に4.3%だったのが10年後には22%にまで上昇しています。

 では,せめてGDPくらいは大幅に改善したのかと思いきや, 1974年から82までの間のGDPの平均成長率は1.5% であり,1960年代の4.5%よりも低く,同時代のラテンアメリカの平均成長率4.3%よりも低かったようです。1970年から80年にかけてのチリの人口あたりのGDPは8%しか成長せず,ラテンアメリカ全体の人口あたりのGDPの成長率40%よりもかなり低かったようです。1986年になっても,人口あたりの消費が1970年よりも11%も低く,1972年から87年にかけて23%も低下している(そりゃ,平均賃金が低く,失業率も高いのだから当然ですね)のでは,経済成長は難しいでしょう。もっとも,上位20%の富裕層の消費は15%上昇しているようですが。

 で,基本的な食料と住居の確保に最低限度の収入を得られない貧困層は1970年から1987年にかけて20%から44%に増えたとのことです。簿価よりも40%も安く払い下げた銀行にしても,1982年には破産してしまうのですから(→ここ参照。),まさに新自由主義は死屍累々です。

 その後,チリ経済は,フリードマンの弟子たちを追い出し,最低賃金制度と労働組合の団体交渉権を復活させ,銀行等の再国有化を果たすことで,回復していきました。池田先生からは私が「新自由主義=悪」と決めつけているとの非難を受けますが,新自由主義を実際の経済政策に実装した結果がこの体たらくなのですから,庶民が経済的に苦しむこと自体に価値を見出すサディストでもない限りは,新自由主義に机上の空論以上の意味を見出さないのは当然のことなのではないかと思います。

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13/02/2009

限界生産力説の帰結

 それにしても,池田先生が「ほぼすべての経済学者がそう思ってい」るとされる労働の限界生産力説に基づくと,「ノンワーキング・リッチ」がいようがいまいが,そんなことは,企業が労働の投入を1単位追加したときの生産の増加分(労働の限界生産力)には影響を与えないので,労働市場の需要曲線は変わらないという結論に到達してしまうように思えてなりません。そうだとすると,企業による新規雇用を増やすという政策目的を実現するための手段としては,解雇規制を撤廃して「ノンワーキング・リッチ」を排除するということは,何の役にも立たないように思われます。

 解雇規制が撤廃されたとしても,NHKや大学のように経営の効率性がさほど重視されていない組織においては,経営陣や,監督官庁の上層部との人的な関係密度の高い「ノンワーキング・リッチ」が解雇され又はその処遇を引き下げられる可能性はそれほど高くないように思えてなりません。また,これらの組織において人件費の引き下げが求められるようになったとしても,若年〜中堅層にかけての正社員を解雇して非正規社員に格下げしたり,解雇をちらつかせて処遇の引き下げを迫ることによって,これを実現するのではないかという気がします。

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中高年正社員の給与水準に関する認識の違い

 池田先生が次のように述べています。

ソニー、全日空、東芝、パイオニアなどで、賃下げの動きが広がってきた。「ワークシェアリング」などという曖昧な話ではなく、賃下げこそ雇用維持の切り札である。年収1500万円の中高年正社員の賃金を2割下げれば、非正規労働者の雇用が1人守れる。

 NHK→REITI→GLOCOM→上武大学と,しかもREITI以降は主任研究員,教授等の地位で渡り歩いてきた池田先生の目に映る「中高年正社員」って,そういうごく一部の恵まれた人たちだけなのだなあ,と感心しました。私の父は,「非正規労働者」であったことはありませんが,終生,年収がその3分の1を超えることはなかった(4分の1を超えたことすらあったかわからない)ので,ずっと別世界を見ていたのだなあ,と思ってしまいました。

 池田先生のような方が25年前に猛威をふるって25年前に「中高年正社員の賃金を2割下げ」る政策が実現していたら,さすがに,屋根の下で,飢えずに生きていくために,私は大学進学を諦めざるを得なかったのだろうなあとしみじみ思います(父自身,昭和11年生まれで都立上野高校卒ですから,子供の教育を受ける機会が親の所得水準に大きく依存している社会でなかったら,それなりの大学に進学できて,それなりの処遇を与えられる職に就けていたとは思いますし。)。そういう意味では,私はまだ,高卒で中小企業に勤めた一般従業員の子供でも,大学に進学し,司法試験にチャレンジすることが許された時代に,十代後半から20代前半を迎えることができて,非常にラッキーだったのだなあとしみじみ思います。

 新自由主義者たちが主導して行った司法改革により,もはや私のような出身階層の人間が司法試験にチャレンジするという道は事実上封じられましたし,池田先生の政策提言が万一取り入れられて,解雇規制が撤廃されて,一般の労働者は絶えず20代前半の独身者との価格競争を強いられるということになれば,この階層に生まれた人間は,私の父がそうであったように,成績が良くても大学進学なんかできなくなるのだろうなあと思ったりはします。

 もちろん,新自由主義者から見ると,そういうのって,政策提言の中からは排除しないといけない「感情論」ってことになるのでしょう。実質的な機会の平等なんて新自由主義から見たら何の意味もない話でしょう(奴隷制度も肯定されるようですし。)。でも,民主主義社会では,そういう「感情論」を無視しては物事って進まないし,だから新自由主義って,宗教勢力と結びつくなどして国民を騙すか,独裁政権と結びつくか,っていう形でしかなかなか実現しないのです。そういう意味では,日本人特有のサディズムと結びついてこれまでやってきた日本型新自由主義っていうのは,政治学的にはある種画期的なことなのかもしれません。

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12/02/2009

労働生産性と労働の限界生産力は別概念ではないでしょうか?

池田先生が,そのブログのコメント欄で,

<労働生産性に等しい所得を得ることが公正だと思う人はいないのではないかという気がします>

残念ながら、経済学の教科書にはそう書いてあるのですよ。これは限界生産力説といって、ほぼすべての経済学者がそう思っています。

と仰っています。しかし,一般には限界生産力説というのは,

企業が労働の投入を1単位追加したときの生産の増加分(労働の限界生産力)が労働1単位にしはらう費用としての賃金水準より大きいかぎり、企業は労働を需要し生産を増加させたほうが有利である。なぜなら、このときには利潤を増加させることができるからである。したがって、企業が利潤極大化行動をとるのであれば、企業にとっての均衡は労働の限界生産力と賃金がひとしくなるときに成立する

(MSNエンカルタより)という考え方であって,

、これはあたえられた賃金水準のもとでの労働需要量決定の理論であり、賃金水準そのものの決定には労働供給サイドの要因を考慮しなければならない
(MSNエンカルタより)

とのことなので,労働生産性に等しい所得を得ることが公正だという考え方ではないように思われます。

 また,労働生産性についてはこちらで触れているのですが,「労働の限界生産力」とは異なる概念であるように思われてなりません。

 池田先生は,経済学用語の使い方が一般のそれと異なるので,普通の経済学の教科書を買って読んでも,話がかみ合わないような気はします。

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新自由主義以外はマルクス主義だと思っている人たち

 非常に単純化されたモデルを信奉し,それを現実に当てはめれば全てがうまくいくと思っている一部の新自由主義者たちは,その考え方に批判的な人々に安易に「マルクス主義者」のレッテルを貼ることがお好きなようです。

 しかし,生産手段の国公有化をすら主張しない人々を「マルクス主義者」と呼ぶのはそもそも間違いなのではないかという気がします。近代経済学の理論的枠組みのもとで,「市場」がもたらす不都合な結果を回避するために政府が「市場」に介入することを提言するというのは,よくある話です(少し前までは,「政府の失敗」ばかりを強調するのが流行っているようですが,「市場の失敗」を認識し,これを回避するために一定程度の介入を政府に果たさせるというのが,近代経済学の基本的な役割ですし,それによりマルクスが唱える「共産革命前夜」みたいな状況を回避してきたからこそ,民主主義国においても,市場経済をベースに置く経済体制が維持できたのです。)。そして,「新自由主義」という,実際の政策に実装すると死屍累々で程なくして崩壊してしまう極端な経済思想に反対するのが「マルクス主義」しかないと考えるのは,近代経済学に対するある種の侮辱でしょう。

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11/02/2009

結局、内需の原資はどこからでてくるのでしょう。

 雇用流動化により社会全体の雇用コストが軽減された場合、消費の原資が減少するので、当該社会に属する消費者は商品やサービスを購入しなくなる──このような常識的な見方に対して、「賃金」という形での企業から家計への財貨の移転が減少しても国内消費が減少せずむしろ増大するとするのだということの経済学的なご説明を池田先生から頂くことは、ついぞできませんでした。

 この教科書を読んだら、あるいはこの論文を読んだら、企業が労働者に支払う賃金の総量を減少させても、需要が減少しないということがわかるというのであれば、端的にそれをお示しいただければよいのに、と思ってしまいます。(サマーズさんはそう仰っていないようですが)「長期的には雇用コストが下がると……自然失業率は間違いなく下がる」としても、失業率が下がっただけでは内需は増大しないだろうということは、経済学の学位を取っていない私にも見当がつく話です(例えば、解雇規制を撤廃し最低賃金制度を廃止することにより労働者の平均賃金が半減する代わりに失業率が10%から1パーセントに下がったという場合、「賃金」として家計に移転する財貨は45%減少します。「賃金」として家計に移転する財貨が減少しても、「失業率」さえ低下すれば、国内需要は減少せず、むしろ増加するのだということを、説得的に説明できる理論があればいいのですが、そういう話は未だ伺えていないようです。)。

 なお、池田先生は、

経済学部の学生なら1年生の夏学期に教わるように、所与の資源存在量のもとで効率的な資源配分は、異なる所得分配に対応して無限に存在し、そのうちどれが公平かは理論的には決まらないが、所与の所得分配のもとでどういう資源配分が効率的かは一意的に決まる。たとえば土建業で50万人が失業し、介護で50万人が足りないとき、前者から後者に労働力を移動することでGDPは明らかに増え、損する人はいない。これがパレート効率性の意味である。

仰っていますが、パレート効率性の一般的な意味とはずれているように思います。一般的に、パレート効率性とは「ある集団が、1つの社会状態(資源配分)を選択するとき、集団の内誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態」をいうのであって、動的な概念ではありません。なお、土建業にしても介護事業についても、公的資金による助成を需要側が必要としているサービスであり、需要自体が公的資金の配分決定に大きく依存するので、資源配分の効率性を云々するのに適切な例だとは思われなかったりします(ついでにいうと、土建業から介護業に労働力を移動させるためには、土建業従事者が介護業に従事できるような職業訓練プログラムを用意するとともに、土建業の補助に用いられていた公的資金を介護事業に振り向けることにより、労働者の増加により可能となる供給を支えるだけの需要を形成することが必要となります。)。

 池田先生が他人の見解をご自身でも批判できるように読み替えるのは珍しいことではないので、私が「「所得分配を平等にしたらGDPが増える」という話」を繰り返しているだの、「資本家も労働者も所得が同じになるのが公正だと思っている」だのという読み替えをされていることを今更とやかく言っても始まらないとは思うのですが(基本的に学問領域が違えば許容される流儀も違うのでしょうし。)、「労働生産性に等しい所得を得ることが公正だと思う人」はいないのではないかという気がします(「労働生産性」という概念の定義を独自に理解しない限りはですが。)。また、「現実にとられているのは、基本的には所得分配は市場にゆだね、最低所得を補償する政策である。」との点については、フリードマン等の経済学者が提示しているモデルを現実のものと混同されているだけなのではないかという気がします(多くの先進国では、最低賃金制度が採用されたり、所得税の累進課税制度が採用されたり、また、労働組合を保護して利益の配分についての会社の意思決定に関与させたり、いろいろなことをしていたりするわけです。)。

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10/02/2009

雇用コストは、見方を変えれば、需要の原資である。

 池田先生はあくまで、昨今の労働者階級の困窮の責任を「中高年正社員」にのみ押しつけようとされているようです。

 

ある経営者が、正社員を雇うか派遣にするか迷っているとする。正社員を雇うと絶対に解雇できないとすると、生涯賃金は大卒男子平均で2億7000万円だ。社会保険や年金・退職金を入れると、4億円近い大きな固定費になる。他方、派遣の賃金が正社員と同じだとしても、業績が悪くなったら契約を破棄できる変動費だ。たとえ生産性が低くても派遣を雇うことによってリスクをヘッジできるので、経営者は派遣を選ぶだろう。しかし正社員の解雇が自由になったとすると、正社員と派遣のコストは同等になり、経営者は生産性の高い正社員を選ぶだろう。

 もちろん、現行の労働者派遣制度のもとでは、派遣労働者から賃上げ要求をしてくることはないので、正社員を雇うか派遣にするのかを経営者が自由に決定できるとしたら、(少なくとも経験不足がさほどマイナスにならない、マニュアル化の進んだ労働であれば)派遣を選択する方が、その企業単体で見れば合理的でしょう。そして、法改正がなされ、労働者派遣の期間制限が撤廃された場合、従業員は全て期間の定めのない派遣労働者で置き換えるのが、その企業単体で見れば合理的でしょう。何といっても、賃上げ要求を受けることがないのですから。そして、正社員の解雇が自由になったとすると、経営者としては、正社員についても賃上げをする必要がない(賃上げを要求してくる労働者は直ちに解雇して、より若くて賃金の要求水準の低い労働者に置き換えればいいわけですから、20歳前後の独身者に最低限必要な給与水準を全世代の労働者に押しつけることができることになります)のですから、その企業単体で見れば合理的です。

 しかし、それはごく少数の企業のみが行うのであればそれらの企業の利潤が増大するという効果が生じますが、それを社会全体で行った場合には、企業活動により生み出された商品やサービスを一体誰が購入するのだろうか、その原資はどこから出てくるのだろうかという疑問が当然生じます。池田先生は、一貫してこの点には言及されていないようです。法律家は非現実的な仮定を行うことで論理一貫性を整えるという作業が苦手なので、社会全体で見れば需要の原資となる雇用コストが大幅に減少すれば、需要、とりわけ内需はてきめんに減少すると考えてしまいます。つまり、解雇規制や最低賃金等の法制度は、一段階論理では、単に労働者を保護しその分資本家の利益を損なっているように見えますが、社会全体で雇用条件の引き下げ競争を始めた場合に内需が崩壊するという「合成の誤謬」を回避する機能を有しているという意味で、市場の持続的発展に寄与しているということができるように思われてなりません。

 また、池田先生は、長期的には雇用コストが下がると労働需要は増えるので、自然失業率は間違いなく下がるとしてサマーズさんの発言を引用(した池田先生の過去のエントリーにリンク)しているのですが、引用されている部分To fully understand unemployment, we must consider the causes of recorded long-term unemployment. Empirical evidence shows that two causes are welfare payments and unemployment insurance. [...] Another cause of long-term unemployment is unionization.についていえば、「原因を二つあげるとすれば福祉給付と失業保険だ」といっているのであり、「労働者保護」とりわけ解雇規制が強いことは自然失業率を高める要因とはしていないように読めます。少なくとも、サマーズさんは、「失業率が解雇規制の増加関数であること」が「実証的にも定型的事実である」とは仰っていないようです(引用元の文章以外で仰っていたらわかりませんが)。

 また、池田先生は

雇用を流動化するもっと重要な理由は、それによって労働生産性を高めることだ。流通業や建設業には大量の潜在失業者がいるが、医療や介護では人手が足りない。前者から後者に労働力を移転するには、解雇規制を緩和するとともに職業訓練を強化し、人々が新たなキャリアへの挑戦を容易にする必要がある。それによって福祉サービスが成長すれば、内需拡大によってGDPが高まる。厚労省の進めている雇用固定化政策はきわめて反生産的であるばかりでなく、労働者を会社に閉じ込めて不幸にする。
と仰っているわけですが、流通や建設業に従事する人々が医師になれるようなプログラムが現実に用意されていない状況で解雇規制を緩和したところで、そのような労働力の移転が行われないことは明らかです。むしろ、流通や建設業に従事する人々が(労働条件が飛躍的によい)医師になれるプログラムが用意されるのであれば、解雇規制を緩和しなくとも、自主的に当該プログラムを受けて、流通業や建設業から医療の分野に活躍の場を移す人が出てくる可能性が高いと言えるでしょう。そのためには、開業医等の富裕層の子供でなくても医学部に入学し卒業まで漕ぎ着けられるように公的資金を医学教育に投入することが求められます。すなわち、池田先生のご提言は、順序が逆だというべきです。

 小倉さんは政府のすべての政策は資本家が労働者から搾取するための陰謀だと思っているようだとのことですが、どのようにしたら私がそのように思っていると思えるのか不思議でなりません。

 なお、税の累進性が上がるとインセンティブが低下するというのは、著作権の保護期間が延長されないと創作のインセンティブが下がるのと同じくらい、現実味がないように思います。富裕層と言われる人たちは、もはや生きている間に使い尽くせないほどの富を集めても、なお、さらに富を自分のもとに集めたがる性質を持っているものです。

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09/02/2009

「新しい産業を育てて投資機会を増やし、内需拡大する」ために必要なこと

 池田先生は,次のように述べています。

製造業を捨てる必要はないが、競争力のない製造業にこだわると日本経済全体が沈没する。新しい産業を育てて投資機会を増やし、内需拡大することが究極の経済対策だ——という点で、意外にも多くの論者の基本的認識は一致している(これは野口氏も同じ)。ようやく日本でも、まともな政策論争が可能になってきたようだ。

 そこまで分かっていて,消費性向の高い中低所得者層の給与水準を更に押し下げ,かつ,この階層にまで,ある日突然解雇されても次の再就職先が見つかるまでホームレスとならずに済むだけの相当の貯蓄を強いる「北風」政策を推進されるというのは不思議でなりません。そりゃ,「供給はそれ自身の需要を創造する」と要約される「セイの法則」というのはあるわけですが,現実には,およそ全ての商品は原材料費等の要因故に価格に下方硬直性がある(だから,一般労働者の労賃をただ同然に引き下げたところで,商品価格はただ同然にはなりません。)ので,「供給が増え供給超過になっても、かならず価格が下がるので、結果として、需要が増え、需要と供給は一致する」という前提が成立しないため,需要者側の購買力を無視して供給量の拡大のみを図ったところで,「拡大された供給量に合わせて需要が拡大する」ということはないのです。

 従って,内需を図るためには,消費性向の低い企業や高額所得者から消費性向の高い中低所得者への財貨の移転を図ることが急務であり,それは所得税の累進性を引き上げたり,資産課税を強化したりして,公的部門が吸い上げた財貨を,失業者や低所得者向けの公営住宅への投資や中高等教育の無償化,失業給付の期間延長等の形で中低所得者へ配分したり,解雇規制や労働組合の保護等によって一般労働者の所得水準を維持し上昇させていくことが必要となります。そのようにすることで,国内向けに供給する商品・サービスが,製造原価に適切な利益を載せた価格で相当数購入される環境を作り出すことなしには内需は拡大されないし,内需を見込んだ投資がなされることも期待できないということができます。

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「過去数年の好況時、得られた利益はすべて労組側にベアとしてもっていかれ」ただって!!

 城繁幸さんという方が不思議なことを書いています。

 

だが、これは社会にとって、きわめて不穏当な副産物をもたらしつつある。というのも、正社員側の既得権にはいっさいメスを入れぬまま、調整コストをすべて後者に負わせるため、両者の経済的格差は決定的となる。過去数年の好況時、得られた利益はすべて労組側にベアとしてもっていかれ、現在のような不況時には真っ先に首を切られるという具合だ。2007年に2兆円を超す営業利益を上げつつも人件費の拡大を抑制し、現在大量の期間工をリストラしつつあるトヨタは、新型日本的経営の模範例といえるだろう。

 「過去数年の好況:というと2002年2月から2007年10月の俗称「いざなみ景気」を指すのでしょうが、この間「得られた利益はすべて労組側にベアとしてもっていかれ」た等という話は聞いたことがありません。むしろ、2000年から2007年にかけて国内総生産は約12兆円増加したものの、配当金が約9兆円増加、内部留保が約9兆円増加、役員報酬は2000年の8000億円から2005年の1兆5000億円にほぼ倍増しています(その後会計基準が変わったとの理由で2007年度分の役員報酬額を公表していません。)。そして、この間ベア分の上昇が行われたのはごく一部の企業に限られ、それもそれほど大きな額ではありません。この間、正規雇用労働者は、労働時間の長時間化という負担を背負い込んでいるのに、です。

 城さんは、さらにこう続けます。

 2つ目の道は、正社員の既得権にメスを入れ、正規と非正規の同一労働同一賃金を実現、利益もリスクも両者で分かち合う道だ。人材市場の流動化をめざす労働ビッグバンがまさにこの道に当たる。この場合、年齢という軸は消えてなくなるため、フリーターも中高年も弾かれる理由はなくなり、真の再チャレンジが可能となる。
 イメージとしては、年俸制に基づいて柔軟に処遇可能なプロ野球選手が近い。大金を支払われるルーキーがいる一方で、戦力外とされたベテランにも機会が与えられ再生可能な仕組みだ。年功序列のままなら、高コストのベテランにチャンスが与えられることはない。

 「人材市場の流動化をめざす労働ビッグバン」を一般企業に導入したとして、ルーキーに大金が支払われる可能性があると城さんは本気で思っているのでしょうかね。プロ野球選手の場合、労働者の個々の能力の違いが業務に非常な影響を及ぼすのであって、労働者間の代替性が非常に低いため、「給料の高いベテランを解雇して給料の安い新人に置き換えるのがベスト」ということには必ずしもならないわけですが、組織の中で決められたことを着実にこなすことを求められる一般労働者の場合、労働者の個々の能力の違いはさほど注目されないので、人材の代替性は非常に高いということができます。すると、経営者としては、「人材市場の流動化をめざす労働ビッグバン」が実施された場合は、「コスト的に最安値のピチピチ」の新人時代から、せいぜい「パフォーマンスがコストを大幅に上回る30代前半」くらいの間だけその労働者を雇用し、その期間が過ぎたらあっさり「ポイ捨て」して、また新たな「コスト的に最安値のピチピチ」の新人を雇用するのが合理的だということになります。いずれにせよ、ロスジェネ世代のフリーターたちの出る幕はありません。その場合、「ピチピチ」の期間だけ雇えばよいということになると、経営者の趣味に沿って若い女性労働者が多く雇用されるということはあるかもしれませんが、「ピチピチ」の期間が経過したら「ポイ捨て」されて、若い子と交代させられてしまうというのでは、男女平等もなにもあったものではありません。

 雇用規制が撤廃されれば、「ワーキングプア、男女賃金格差等、現状の格差」等を解決できるなどといっているのは、「経営者たちは善意の固まりなのだが、正社員があるいは労働組合が、ロスジェネ世代を、女子労働者を、高齢労働者を、好条件で雇うことを妨害しているのだ」という「君側の奸」幻想に基づくわけですが、いい加減そういうまやかしはやめにしたらよいと思うのです。

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08/02/2009

きちんとした手続を踏めばOKということです。

 池田先生が、そのブログエントリーのコメント覧で次のように述べています。

日本企業の利益剰余金が多く、それがROEを下げているのは周知の事実です。村上ファンドのねらった会社では、現預金の残高が時価総額を上回っていた。利益剰余金は、会社が資本家から借りている金なので、ほんらい配当しなければならない。そうすれば株主資本の分母が小さくなって、ROEも上がるのです。

共産党のいうように、利益剰余金を労働者に払う理由はない。そもそもどういう理由で払うのか?ボーナス?そんなことをしたら、株主から「資本家の金を勝手に流用するな」と訴訟を起こされるでしょう。労働者は雇用契約で定めた報酬を受け取り、資本家は損しても得してもresidualを取る「残余請求権者」だというのが、資本主義の原則です。法律家の小倉さんが、商法の原則も理解してないのは困ったものです。

 私の「ROEの低さ」というエントリーでは、利益剰余金を取り崩して労働者に支払え云々という話はとりあえずしていないので、私の見解に対する批判としては的を射ていないように思います。

 1億円の資本金に対し1年間の営業活動の結果利益が5000万円生じた場合に、これを全て配当に回せば(説明を簡略化するために、法定準備金の話はひとまず措きます)、ROEは50%となる代わりにBPSは変動しないのに対し、4000万円を準備金として内部留保すれば、ROEは10%にしかならないかわりに、BPSは1.4倍になります。それは、株主として、投下資本の回収手段として、配当金収入を重視するのか、将来の株式の譲渡を重視するのか、によってどちらを望ましいと考えるのか違ってくるものの、どちらも株主の利益を増大させていることには変わりはないわけで、単にROEが低いことをもって、後者についてはさも株主の利益が犠牲になっているかのように述べるのはおかしいのです。

 なお、これは池田先生のブログのコメント欄常駐者のレベルにあわせて簡略化させていっただけなのでしょうが、「利益剰余金」というのは純資産項目であって、労働者に支払われる原資は(流動)資産からなので、「利益剰余金を労働者に支払う」ということはありません。利益剰余金がたくさんあるということは、それだけ資産がたくさんあるということなのだから、「100年に1度」といわれる大不況の時に、すぐに首切りをしなくったって、賃金を支払う余裕はあるではないかというのが、共産党等のいっている趣旨なのではないかと思います。確かに、資本金10億円以上の企業だと、現金・預金だけでも、年間の従業員給与とほぼ同額あるようですから、それはそれでわからないでもない話です。

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07/02/2009

スクテイクの不足が日本経済の内需の弱さの原因?

 また、池田先生は、このようにも述べています。

昨年の経済財政白書は、日本経済の内需の弱さの原因をリスクテイクの不足に求めている。この最大の原因は、非効率な金融システムだ。図のように、日本の個人金融資産に占める預金の比率はほぼ半分で、主要国で群を抜いて高い。資産の半分が元本保証で運用されているため、資産構成がローリスク・ローリターンに片寄り、ハイリスクの市場が欠落しているのだ。

 リンク先の経済財政白書をざっと読む分にはそこまでは言っていないように思います。預金を株式・投資信託に切り替えたからといって、中長期的にみて家計支出が増大するとする理由はさほどありません。もちろん、株式・投資信託等の配当金ないし売買差益が預金金利よりも恒常的に高ければその分は若干家計支出の増大に寄与するかもしれませんが、多くの投資信託の運用実績がマイナスである現在、預金を株式・投資信託に切り替えた家計がもっと多かったら内需はもっと落ち込んでいたのではないかという気がしなくもありません。といいますか、普通に考えると、リスクマネーの割合が高いと、むしろ、不況期の家計消費の落ち込みは激しくなるのではないかと思ったりします。

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経団連等の経営者団体はなぜ「法人税減税、消費税増税」要求でまとまれるのか

 世の中で不思議なことの一つは、経団連等の経営者団体が「法人税減税、消費税増税」要求でまとまるということです。

 これって、実際上は、輸出産業の負担を軽減し、その分内需産業の負担を増加するという話なので、これら経営者団体に参加する企業のうち内需産業にとってはトータルでマイナスでしかないのに、そのようなものを支持してしまう内需産業の経営者の利他ぶりには頭が下がります。もちろん、消費税が増税になっても従業員の給料にそれを上乗せする義務はないのに対して消費税増税分は商品価格に上乗せできるから実質的に値上げができるという面はあるのですが、消費者は税込み価格で考えて購入の是非を決めるので、消費税増税分を価格に転嫁すれば消費数量自体が落ち込むことが予想される反面、結局消費者の総支出額が消費税値上げ前と同水準に落ち着いてしまう(収入が変わらないのであれば、通常そうなります。)と、消費税として国に収める金額が増加した分、内需産業の取り分は減少していくことになります。

 経済系の人たちって、消費者側の事情を織り込んで考察することが不得手なのかなあと思ってしまいます。まあ、コピーコントロールCDに規格を変更すれば正規商品の売り上げが伸びるとか本気で考えてしまう人たちなので今更何を、という気はしますけど。

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06/02/2009

「譬え話」という概念が理解できないライターって存在しうるの?

 以前アップロードした「『スルー力』を被害者に要求することの残酷さ」とのエントリーについて,成松哲さんという方から,こいつがやってることは、こいつ自身が言う「『日教組が悪い』と言い続ける方々」と同じくらい、妄執に則った寝言を吐く「怪訝」な行為。といわれてしまったので,コメントをしたところ,次のようなコメントを返されました。

あー、現在学校がどれだけイジメ対策に腐心し、情報モラル教育に熱心に取り組んでいるかを確認せずに、ありもしない未来予測で教育批判を繰り広げる俗流教育論者とお話しているヒマはないので、スルー力を発揮させていただきます。...

 しかし,あのエントリーを「教育批判」「教育論」として読む方がおられるとはまさに青天の霹靂です。まさかとは思うのですが,この方は,私が譬え話として述べた部分を,「教育の現状に対する私の認識ないし将来予測」を述べたものと勘違いされているのでしょうか。この人の手にかかってしまうと,「矛盾」の故事成語の語源となる譬え話を述べた韓非子についても,「武器商人の現状を確認もせず,ありもしない未来予測で商人批判を繰り広げる俗流商道徳論者」との謗りを受けてしまうかも知れません。

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必要とされる構造改革

 The Economistの2009年1月31日-2月9日号の「Asia's suffering」と題された社説は、次のように述べています。

Asian governments must introduce structual reforms(アジアの政府は、構造改革を導入しなければならない)

 これだけだと、新自由主義者から耳にタコができるほど聞かされているいつもの話のように思えてきます。が、The Economistは、このように続けます。

that encourage people to spend and reduce the need for them to save.(人々が支出することを促し、人々が貯蓄する必要を減ずるような)

 すなわち、日本を含めたアジア諸国において求められているのは、日本の新自由主義者たちが未だ声高に主張するような、庶民にさらなる北風を吹き付けるような構造改革ではなく、セーフティネットを張り巡らせて庶民の不安を安らげる構造改革だということです。労働者の賃金を抑えることで製産した低価格を輸出することに偏った経済体制は、内需を過度に抑制しているため、輸出先の経済状況の悪化に耐える余力を製造業者から奪っていくとともに、人件費を削減することで生じた内部留保は、直接又は間接に外国の株式や証券へと形を変え、投資先の経済状況の悪化により泡と消えていったわけですが、もはやそういう構造をこそ変革していく必要があるというべきです。

 勝間和代さんやブレア元英国首相は「教育、教育、また教育」というスローガンを唱えていますが、解雇規制がなされず、何歳になっても10代ないし20代前半の労働者と賃下げ競争を強いられる仕組みを作ってしまえば、一般の労働者家庭では、子供を大学に通わせるどころか、高校に進学させることすらできなくなります(木村剛さんが絶賛するbobby氏の構想に依れば、一般労働者の賃金水準は月額1万円にまで引き下げられることになります。これでは、子供の授業料を支払うどころか、子供に人間的な衣食住を確保してやることすらできません。)。そのような階層では、避妊に失敗し中絶も間に合わずに子供を産み育てざるをえなくなったとしても、法律上許される限り(あるいは法律を無視してでも)なるべく子供を早期に働かせることが必要となります。そして、そのような社会は、程なくして競争力を失っていくことが予想されます。すなわち、新自由主義者は、自分たちを中長期的視野を有している賢人だと思いこんでいるようですが、何のことはない、中産階級を崩壊させ格差を拡大させることがその社会の経済力すら中長期的に失わせることにすら気がつかない、非常に近視眼的な思考の持ち主だというべきです。非人道的で、近視眼的なのだから、誠に救いようがありません。

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04/02/2009

所得格差とGDP

 所得格差が縮まると、労働意欲を失い、生産量が減少すると心配する人たちがいます。そこで、ジニ係数と国民一人あたりのGDPとの関係がどうなっているか見てみましょう。

 これ を見る限り、ジニ係数が高く所得格差が大きい国ほど、国民一人あたりのGDPが高いとはいえないようです。

Bunpu

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03/02/2009

一段階論理の正義

 法律家の「正義」は、しばしば経済学者から「一段階論理の正義」と揶揄されます。

 例えば、一般的な法律家は、セクシャルハラスメントを「不正義」と考え、社内で女性従業員が男性上司から体を触られたり、肉体関係を許容されたりした場合には、当該男性上司に法的な責任をとらせるとともに、そのような上司を放置していた会社にも法的な責任をとらせるべきだと考えます。

 しかし、法律家の「正義」を「一段階論理の正義」と揶揄する経済学者の論理をこの問題に当てはめると、おそらくこうなります。「従来より、少なくない企業において、その性的な魅力ゆえに、その学歴や学力に不相当な企業に就職できた若年女性従業員が少なからずいた。企業としては、社内におけるセクシャルハラスメントが厳密に規制され、その性的魅力を社内で費消できないということになると、そのような若年女性を雇用するインセンティブを失うことになる。すなわち、社内におけるセクシャルハラスメントを糾弾することは、そのような若年女性から雇用機会を奪うことになるのだ。好きでもない男から体を触られたり肉体関係を強要されたりするのはかわいそうだという論理で社内セクハラを禁止するのは法律家特有の『一段階論理の正義』にすぎない。経済学的には、セクシャルハラスメント受けたくない女性はそのような企業を退社すればよいのであって、セクシャルハラスメントを受けてでも企業勤めをしたい女性もいるのだから、社内セクハラを法律で規制するのは間違っている」

 しかし、法律家としては、「若年女性労働者の採用枠が拡大する」というメリットがあるとしても、個々の若年女性に「セクハラを甘受するか、それとも無職になって放り出されるか」の選択を強いることは耐えられません。「基本的人権は尊重されなければならない」という考え方が染みついており、それが全体の利益に繋がるのだと言われても、一人の人に甘受させることができる不幸の量には限度があるべきだと考えるからです。そういう意味では、法律家は、経済学者とは永遠のわかり合えないような気がします。

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02/02/2009

労働生産性

 勘違いをされている方がおられるようですが、例えば財団法人社会経済生産性本部によれば、

 労働生産性は、労働を投入量として産出量との比率を算出したもので、労働者1人あたり、あるいは労働者1人1時間あたりの生産量や付加価値で測るのが一般的です。
 
 労働生産性は、国民経済全体でみた生産性と、特定の産業、業種、企業の生産性とに分けられます。また、労働投入量に対する産出量を重量や個数で示した場合を「物的労働生産性」といい、産出量をその時点での価格で示したものを「価値労働生産性」、さらに付加価値を労働投入量で除したものを「付加価値労働生産性(Value Added Productivity)」と呼んでいます。

とのことなので、サービス産業において、従業員の給与水準が引き下げられたとしても、労働生産性は向上しません。サービスの価格を引き上げられないデフレ経済化においては、人件費以外の生産コストを削減するか、一定の収益を上げるのに要する人員を削減するかが必要となります。ですから、プロサッカーで言えば、入場料収入等が一定で、1チームの出場人数を11人から10人に減らすことができれば労働生産性は向上しますが、人数はそのままでただ年俸の安い若手に選手を切り替えただけでは労働生産性は向上しません。

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01/02/2009

民間でできることを敢えて行っている、公的資金頼みの団体

 それにしても、福井秀夫さんや八田達夫さんなどの新自由主義者が所属する政策研究大学院大学って、各省庁の事務次官の天下りの宝庫なんですね。役員は6人中2人、参議は7人中7人が元事務次官のようです。。

 政策研究大学院大学って、授業料及び入学金検定料収入等の自己収入って収入全体の約17分の1程度しかなくて、ほぼ公的資金頼みであるようです。文系学部のみしかない一橋大学においても自己収入が収入全体の約3分の1程度はありますから、政策研究大学院大学の場合、公的資金頼み過ぎる感じはします。

 民間セクターでもできる大学院教育やシンクタンク機能を、このような公的資金頼みの団体に行わせることは、福井秀夫さんや八田達夫さんの信念に反するのではないかという気がします。私は、福井秀夫さんや八田達夫さんがまず、公的資金抜きで、政策研究大学院大学を運営するように、その経営陣に働きかけを行うことを望む次第です(って、八田さんは政策研究大学院大学の学長ですから、今すぐにでも理事会にそのような提案を行うことができるのですね。)。

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私も、雇用問題についてのまとめ

 池田先生が「雇用問題についてのまとめ」というエントリーをアップロードしているので、私も若干まとめてみることにします。

  1.  福祉政策が異なる社会において「失業率」の高低を比較することは意味がない。:経済的弱者に対する福祉政策が貧弱な社会では、自立的に生活できる程度の給与水準に至らない就業者が増加するため、失業率が低めに算定されがちである。そのような原因で失業率が低下しても、それは国民全体の幸福には繋がらない。
  2.  「解雇規制を強めることは失業率を高める」とはいえない。:解雇規制が緩やかな制度のもとでは、好況期には労働市場が加熱しやすい反面、不況期には労働者が大量に放出されるので、全体としてみれば、解雇規制の強弱と自立可能労働者比率との間に特段の関係はない。
  3.  労働者の過小保護は内需を低下させる:解雇規制が緩やかな制度のもとで労働者が常に他の労働者との価格競争に晒され、その結果、一般労働者の所得水準が、生物として生存を継続するのに最低限必要なラインに近づいていくと、生存に最低限度必要な商品・サービス以外の商品・サービスの国内需要は衰退の一途をたどることになる。また、解雇規制が緩やかな制度のもとでは、住宅、自動車等の通常長期ローンを必要とする商品等を購入が回避されるために、内需を牽引するこれらの産業が衰退の一途をたどることになる。
  4.  問題は「世代間格差」ではなく「階級闘争」だ:企業においては、Aという従業員集団がαという労働条件でも集まってくる以上、Bという従業員集団の労働条件がβからβ-に引き下げられたからといって、Aという従業員集団の労働条件をα+に引き上げるインセンティブを有しない。Bという従業員集団の労働条件がβからβ-に引き下げられたことによる余剰は、経営者と株主とで山分けされることになる。したがって、B=中高年正規労働者の労働条件が引き下げられれば、A=若年非正規労働者の労働条件が改善されるというのは、幻想に過ぎない。
  5.  長期雇用の利点は、法的に保護されて初めて発揮される:企業との間で長期雇用契約を結んでも企業の都合で一方的に易々と契約の解除が可能となったのでは、従業員は長期雇用を前提とした行動を取り得なくなり、長期雇用の利点は発揮されないこととなる。
  6.  労働者の所得水準を低下させつつサービス業の労働生産性を高めることはほぼ不可能である:労働生産性は「付加価値 ÷ 従業員数」で算出され、「付加価値」とは企業が事業活動を通じて新たに生み出した価値のことをいう。その計算式は統計主体によって異なるが、いずれにせよ、中産階級が崩壊し、労働者階級の経済状態が悪化すると、国内の労働者階級を主たる客層とするサービス業等は、サービスの価格を上昇させることが難しいことはもちろんであって、むしろ価格の下げ圧力が高まることになる。また、サービス業の多くは労働集約的であり、従業員一人あたりの時間あたりのサービス産出量には飛躍的な向上は期待できない。従って、経営者・資本家と労働者との間の所得格差を押し広げつつ、サービス業の労働生産性を高めよと言ってみても、それは無理を強いるものである。
  7.  需要不足故の不況で、労働者保護を撤廃・削減すれば、不況をさらに促進する:今回の不況は、生産の効率性に問題があるのではなく、以前より二極分化の進行により内需が衰退していたのに加えて、サブプライムローン問題等で国外の金融機関に問題が生じた結果外需も急激に落ち込んだことによるものであるから、生産の効率性を向上させることは不況の克服には繋がらない。むしろ、そのことにより労働者への配分が低下すれば、さらに内需が冷え込むため、不況はますます悪化することになる。

 総じて言えば、新自由主義を振りかざして、企業が生み出す富の労働者への分配を減らしていけば行くほど、「需要不足」ということで企業にしっぺ返しが行く構図になっているということです。

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30/01/2009

解雇規制の緩やかな社会は製造業向きではない

 解雇規制の強弱と労働者市場とはどのような関係にたっているのかを単純化されたモデルを用いて再確認してみましょう。

 解雇規制の緩やかな社会においては、好況期には需要の増大に生産を対応させるために大量に雇用が行われ、一方、不況期には需要の減少に対応させるために大量の解雇が行われるということになります。そこでは、労働市場は非常に「熱しやすく冷え込みやすい」ということになります性質を帯びることになります。それが、長期的な視野で経営される企業にとって好ましいのかというと、実は難しいところです。雇用も流動性が極度に高まると、好景気が到来し、いざ生産量を増加しようと思うと、同業他社から労働者を引き抜き、さらに同業他社に引き抜かれないために、同業他社からと競って給与水準を引き上げる必要があるからです。また、従業員の教育にコストをかけても、熟練度が増した従業員はその熟練度に応じた給与を提示する同業他社に引き抜かれるということになりますから、採用にあたっては、必要な技能等を既に有する人を、コストをかけてでも雇う必要が生じてきます。例えば、最初から経営者として必要な技能を有している人なんてそうそういませんから、株主が、企業経営をできる人を雇うにあたっては、飛び抜けた高額の給与を出す必要が生じたりします。また、経営者、開発者、製産者、営業等が採用段階から教育段階に至るまで整然と区別されていてそこに一種の階級ができてしまうと、それらのセクション間のコミュニケーションが不足したり、特に経営者、開発者らが、製産、営業等の事情を慮らずに机上の空論を推し進めることになりがちであり、それはその会社の製品やサービスの内容又は質に大きく影響します。

 他方、労働者にとっては、それは決して好ましい状況ではありません。労働者は、生活している以上毎月一定の支出は必然となっているので、少なくともその支出をまかなえる程度の収入が安定してえられるのでなければ、安心できないからです。また、企業が必要とされる技能等を既に有していなければそれが必要とされる職場には採用されないということになると、逆に、現時点の技能よりもポテンシャルが評価されてきた若年層は却って高度な技能を必要とする職場には採用されにくくなります。経験の乏しさが学歴で補える分野であれば学歴を積めば済む話ですが、経験が物をいう分野では致命的です。

 結局、一部の新自由主義者が推奨するような解雇規制の緩やかな社会(例えば、米国や香港等)で製造業が衰退し、金融業等でやって行かざるを得なくなったことには、十分な理由があったということです。

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29/01/2009

雲の上しか見えていない?

 木村剛さんがまた不思議なことを書いています。

 私個人は、年越し派遣村を無条件に礼賛するマスコミよりも、「Mutteraway」さんの淡々とした冷静な主張に、100倍以上の「理」と「現実」と「ソリューション」を感じますが、この国は、そうではないようです。

 年越し派遣村を主催するNPO法人自立生活サポートセンター・もやいがどんな活動を行っているのかを知っていたらとてもではないけれども恥ずかしくて口に出せない内容です。この国で生活保護を受けるのがどれほど難しいか、そしてその困難に立ち向かうためにもやいがどれだけ彼らをサポートしているのか、もやいのウェブサイトを見ればその一端を知ることができたはずです。

 ネットサーフィンしている暇がなさそうさ木村さんのためにその一端を紹介すると、こちらによれば、ホームレス状況にある方が自立した生活を始めるにあたり、必要となるアパート入居時の連帯保証人提供の相談を定期的に実施したり、福祉事務所への生活保護申請をサポートしたり、緊急時には、必要に応じて米などの生活支援物資の支給をしたり、医師、社会福祉士、弁護士などの専門家による学習会を開催し、生活していく上で生じる様々な困難を乗り越えていくための情報提供や相談の機会を提供したりしているのです。

 木村さんは、単純労働者の月給は1万円でよいとする「Mutteraway」さんの主張に100倍以上の「理」と「現実」と「ソリューション」を感じる反面、「生活保護の申請を行うように説得し、申請を助け、アパート探しを手伝い、就職訓練や職探しや入社後の規則正しい生活に耐えられるように、定期的に訪問して精神的な励ましを行う」等の作業を実際に行っている人々をマスコミが高く評価することがお気に召さないようです。

 また、木村さんは、

 現実世界を知らない方々は、すぐに「企業=経営者=強者=悪」というステレオタイプで話を組み立てますが、そんなに「企業=経営者=強者」だと思うのであれば、派遣切りの人たちもネット難民の方々にも、みんな社長になっていただいたらいいんじゃないでしょうか。「一円起業」すら可能になっているご時世です。

と仰っています。派遣切りの人たちやネット難民の方々の中から、株式会社フィナンシャルの次期社長を募り、木村さんと交代すると良いかもしれませんね。

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28/01/2009

時代遅れはどっち

 それにしても、サブプライム問題以降、思考訓練としてはともかく、現実の政策としては時代に遅れになってしまった新自由主義の信奉者が日本のネット界にはたくさん生き残っているというのは面白い現象です。

 新自由主義を採用して富を一握りの資本家と大企業経営者に集中させた場合には、結局、内需を諦め外需頼みとするか、低所得者層に借金をさせて内需を維持するかの選択を迫られます。後者を選択したのが米国であり、結局、低所得者層が(案の定)借金の返済ができなくなり、それが金融機関を震源地とする恐慌の引き金を引くことになりました。これに対し、前者を選択した日本は、外需の激減とともに、製造業者を震源地とする恐慌を迎えるようになったわけです。

 リーマンショック等をきっかけに、新自由主義の失敗が明らかになったからそこ、米国大統領選挙では共和党が支持を失っていったわけです。大統領選挙のルポを見ればわかりますが、白人のキリスト教保守派の人々の中ですら、中絶禁止問題等で意に沿わないことがわかっていても、経済問題を重視してオバマ氏に投票する人々が少なからず存在していたのです。

 今更、解雇規制をなくし、労働者に絶えず賃金の安売り競争を強いることで、国内の労働者の賃金水準を「生存に最低必要な水準」に近づける経済政策をとることが、経済の持続的な発展に繋がらないことはもはや誰の目にも明らかなのに、需要曲線が常に不変という非現実的なモデルにしがみついて、新自由主義の旗を未だに振っている人が元気でいることはまさに驚きです。

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27/01/2009

飢え死にするか、過労死するかの選択を迫る新自由主義

 bobbyさんからまたトラックバックが来ています。

 もちろん,失業者の希望水準が高すぎる場合にはどこかで現実と折り合いを付けさせることは必要だと思いますが,労働基準法を無視して長時間労働を強いていることが広く知られている飲食店チェーンの仕事とか,数ヶ月で雇い止めされることが分かっているお役所仕事等にまで飛びつかないということを非難しても始まらないように思います。との私の発言について、このような労働者が折り合いを付けるべきは、自分の生活ではないかと思いますが如何でしょうか。と反論されています。

 労働基準法を無視して長時間労働を強いていることが広く知られている飲食店チェーンとしては、先日従業員が過労死したとしてその両親から提訴を受けた、東証一部上場企業の「大庄」が知られています。この案件では、この従業員は4月に入社して8月には過労死したとのことで、その間の月平均の時間外労働時間は約98時間だったとのことです。報道によれば、大庄では、時間外労働時間が80時間に満たない場合には、給料が減額されるシステムになっていたとのことです。厚生労働省による過労死の認定基準は時間外労働時間月80時間ですから、報道されているとおりだとすれば、大庄では、過労死するほどの長時間労働をしない限り給料が減額されるシステムが採用されていたということになります(残業せずに給料を減額されると、月額12万3200円まで下がるそうなので、親元で生活をしていない限り、相当生活は苦しいことになりそうです。)。

 大庄がこのような労働体系を有していたということは投資家から好意的に受け止められ、この不況の最中、上記両親による提訴の発表があった後、大庄の株価は堅実に上げ基調となっています。

 結局のところ、bobbyさんは、日本に居住する一般労働者に対し、「飢え死にするか、過労死するか、どちらかを選べ」と仰りたいのでしょう。

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26/01/2009

一般企業だって、テニュア制を採用できないわけではない

 楠さんは、次のように述べています。

さておき新卒なんて使ってみなきゃ能力は分からないのだから、いきなり定年までの長期雇用をコミットするって奇妙じゃないか。テニュア制のように3年から5年の任期で試用して、成果や潜在能力を見極めてから定年までの長期雇用をコミットする仕掛けは、今の新卒一括採用と比べてずっとフェアに労使でリスクを分担し、大学に限らず今後の頭脳労働に合致しているんじゃないか。

 現在だって、大学新卒をまず契約社員として採用した上で、成果や潜在能力を見極めてから定年までの長期雇用を前提とする正社員として採用することは禁止されていません(アルバイト採用から正社員になる例だって珍しくもありません。)。ただ、それをやってしまうと、正社員として採用された後の処遇が相当よくない限り、そうでない企業で正社員として採用されうる能力を有する新卒から敬遠されてしまうというだけの話です(そういう意味では、Google社やMicrosoft社なら今でもその方式は可能かもしれません。)。

 もっとも、「正社員として入社した以上、よほどのことがない限り解雇しない」ということが前提としてあるからこそ、従業員は、その後の労働者としての商品価値がそれほど高まらないポジションに配属が決まってもそれを甘受することができるとも言いうるので、楠さんのご提案の如き制度を採用してしまった場合は、重要ではあるが日の当たらないポジションに有能な人材を置くことが難しくなる危険は十分にありそうな気がします。そういう意味では、研究者としての業績と教育者としての実績を上げればよい大学の教員等のようには行かないかもしれません。

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失業者が仕事を「選り好み」すること

 ネット上では,失業者が仕事を「選り好み」することに対する反発が大きいようですが,失業者が仕事をある程度「選り好み」できるということは,労働者一般の労働条件を維持しあるいは引き上げる上でとても重要な機能を有しているのであり,従って,近代的な労働者保護法制が採用されている多くの国々では,失業者に,仕事をある程度「選り好み」できる余裕を与えているのではないか,と思ったりします。

 もちろん,失業者の希望水準が高すぎる場合にはどこかで現実と折り合いを付けさせることは必要だと思いますが,労働基準法を無視して長時間労働を強いていることが広く知られている飲食店チェーンの仕事とか,数ヶ月で雇い止めされることが分かっているお役所仕事等にまで飛びつかないということを非難しても始まらないように思います。労働者が長く居着かない職場って,長く居着かない理由があるので,それを改善させないまま,失業者をそのような職場に追い立てた場合,過労死を含む労働災害を招くなどして,却って社会全体の利益を損なう危険すらあります(経済学的には,失業者や低所得者が過労死することはマイナスではなく,却ってプラスに計上されるのかもしれませんが。)。また,それほど年をとっていない女性が生活保護の申請に行くと,性風俗産業に行けと強く進められるということをよく聞きますが,そういう人間の尊厳に関わる仕事を選ばなくとも生きて行かれるようにするのが文化国家なのではないかと思います(経済学的には,「性」が商品化され,市場に投入されることは,却ってプラスに計上されるのかもしれませんが)。

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解雇規制の撤廃と、非正規雇用労働者の処遇への一本化という実験は、まず経済学部からやってみたらいかがでしょうか。

 正規雇用労働者と非正規雇用労働者の処遇に雲泥の差が付いている典型例の一つが、大学です。

 何しろ、「大学非常勤講師実態調査アンケート報告書」に記載された2005年から2006年の調査では、専業非常勤講師は、平均年齢45.3歳で、平均9.2コマを担当しているのに、講師給の平均が277万円/年であって、250万円/円以下が全体の約半分を占めるなど、典型的な「ワーキングプア」状態です。他方、こちらのデータによれば、大学教授、助教授、講師の平均年収は、1167万円、906万円、757万円となっています(平均年齢45.9歳の助教授と、平均年齢45.3歳の専業非常勤講師との給与格差は注目に値するでしょう。)。さらに、教授、準教授、助教等の正規労働者には毎年一定額の研究費等が給付されるのに対して、専業非常勤講師には一切給付されません。また、専業非常勤講師は職場の社会保険に加入できない等の差別的処遇を受けています。その結果、専業非常勤講師の約7割が扶養家族ゼロということになっています(平均年齢45.3歳でこの数値です。)。

 もし、正規雇用労働者の労働条件を非正規雇用労働者の労働条件のレベルに近づけることが非正規雇用労働者の処遇を引き上げるための最善の施策だというのであれば、大学こそ、教授、準教授、助教等の特権を全て剥奪してその処遇を専業非常勤講師のそれに近づけるべきだということになります。特に、解雇規制法理によって正規雇用労働者が手厚く保護されることを特に問題視する新自由主義派の経済学者は、教授会にて、教授、準教授、助教等の特権を全て剥奪する旨の提案をすべきなのではないかと思ったりはします。解雇規制を受ける正規労働者がいなくなるとどうなるのかという社会実験は、まず限定的な範囲から行っていくのが吉というものです。

 しかし、経済学部ですら、そのような政策を採用している大学はほとんどありません。一般労働者について解雇の自由が保障されている米国においても、大学においては、「テニュア(終身在籍権)」という制度が用意されています。「American Association of University Professors」の「1940 Statement of Principles on Academic Freedom and Tenure With 1970 Interpretive Comments」では、

Tenure is a means to certain ends; specifically: (1) freedom of teaching and research and of extramural activities, and (2) a sufficient degree of economic security to make the profession attractive to men and women of ability. Freedom and economic security, hence, tenure, are indispensable to the success of an institution in fulfilling its obligations to its students and to society.

とまで述べられています。顧客および社会に対する義務を履行するために、有能な人材を引きつけるために、解雇が制限される「正規雇用労働者」が必要なのは、大学に限定されないのではないかと思ったりするのです。

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24/01/2009

「政府の資金援助を必要とする人」だけでも全人口の1割を超える社会

 bobbyさんの香港に関する発言は、オリジナリティに溢れています。

ですから東京やニューヨークと違い、路上生活者はほとんどいません。特筆すべき貧民街もありません。

とのことですが、東アジアホームレス支援施策調査チーム「ソウル・香港・台北におけるホームレス支援の現状(上)」によれば、2004年段階での香港における野宿生活者の数は407人ということで、人口比ではソウルよりも多いといえます(なお、以前紹介した「カゴの中にする人」は野宿生活者ではないことになっています。)。また、特筆すべき貧民街としては「九龍城砦」があったのであり、単に強引にこれを取り壊したというだけで、解雇規制がないおかげでスラム街が発生しなかったというわけではありません。

 金持ちになる夢破れ高齢で貯蓄も無い貧困層の人達の為に、政府の貧困者用住宅がありますといわれても、この生活では厳しいですね(こういう生活を余儀なくされている人々も、統計上「就業者」に含まれ、香港の失業率を低下させるのに貢献しているとは思うのですが。)。

 また、香港で月収6万4千円(*1)に満たない低収入の人が42万人(人口の6%)いるとこちらの記事で述べられているが、残りの654万人(94%)は普通かそれ以上の暮らしをしているという事ですね。とも仰っていますが、香港で月収6万4千円を超えたら即「普通かそれ以上の暮らしをしている」ということにはならないのではないかと思います。この記事によれば、 中国香港の九龍の繁華街を歩いていると、地下道などで物乞いをする人をよく見かけ、貧困問題の深刻さを感じる。ある統計によると、2003年から貧困人工は継続して減少傾向にあるものの、依然として政府の資金援助を必要とする人貧困者は73万人、さらに援助は必要としないが低所得者の貧困者は22万人の合計95万人に達する。その内、月収5000香港ドル以下の貧困者は19万人にもなるという。とのことであり、「政府の資金援助を必要とする人」だけでも全人口の1割を超えているということになります。

 また、香港のジニ係数0.52と高いのは、約94%の中産層が、活発な経済でマンションなどを所有するなど富を増しているからのようです。とも仰られているようですが、ジニ係数は所得分布をもとに算出される係数なので、中産階級がマンション等の資産を有しているかどうかで左右されるものではないように思われます。

 また、マンション購入について。30代前後で4000万円(*1)のマンション購入について誤解を与えたようですが、富裕層の事ではありません。大卒でオフィス勤めの月給20万円(*1、*2)くらいの普通のサラリーマン夫婦が、銀行ローンで購入しています。香港のオフィス勤めサラリーマンの給料は男女格差があまり無く、ほぼ夫婦共働きで、更にアルバイトや株式投資など昼間の仕事以外の収入を持っている人も多いので、世帯収入が大きく、このようなマンションをローンで購入できるのです。とも仰っていますが、4000万円のマンションを年利6%程度の住宅ローンを借りて購入した場合、ローン期間30年として、月々の返済額は概ね24万円程度になるのではないでしょうか。その間、不動産価格が上昇するという確信のもと本人の支払い能力を無視して住宅ローンの貸し付けを行うというのでは、まるで米国のサブプライムローンのようになってしまいます。

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23/01/2009

「雇用の流動化」の実例である香港について見てみた

 bobbyさんから、トラックバックをいただきました。

世の中、なぜにかくも短絡的な思考の方が多いのでしょうか。経済学者の池田氏が雇用の流動化を促進する制度が必要(ここ)だと説いているのに対して、弁護士の小倉氏は「雇用の流動化=失業と貧困」説(ここ)からいまだに抜け出せません。小倉氏はぜひ、「雇用の流動化=経済活性=繁栄」の実例である香港を一度ぜひご覧いただきたいものです。

 ということで、香港についてみていきたいと思います。

 まず、目を引くのはジニ係数の高さです。ジニ係数は、1に近いほど貧富の差が大きく、0.4を超えた場合は何らかの改善策が必要とされているわけですが、これなどによれば、2006年の段階で香港のジニ係数は0.533とのことです。これは、アジア諸国の中でもダントツの一位であり、解雇規制がないと貧富の差が広がっていくことを如実に示しています。

 また、2007年6月にアップロードされたこのエントリーによれば、

しかし格差社会の影響はこうした低所得層の見限らない、自由時報によれば、97年で中流階級の平均月収は2246ドルだったが、昨年では2214ドルに減少している。また大卒の平均初月収は1865ドルから1418ドルに減少し、その減少幅は24%になっている。
 このように香港の好景気の利益を享受しているのは、高所得者に限られ、香港の格差社会はむしろ拡大していることを示している。

とのことであり、「解雇規制がない」という状況は、若年労働者の待遇改善に繋がらないということを、香港の実例は示しているようです。

 bobbyさんによれば、香港では、雇用の流動性は極めて高いのですが、平均的な所得水準は高く、貧民街もなく、街には高級車が溢れており、30代前後で4000万円くらいのマンションをローンで購入する若者はとても多いのです。とのことなのですが、この記事によれば、高級住宅や高級車、億万長者を生む金融ハブといったイメージの一方、香港には1カ月5000香港ドル(約6万8000円)以下で暮らす低所得労働者が推定42万人いる。とのことであり、好況であった2007年の段階ですら、香港市内には依然小さなケージの中で暮らす人々が多数おったようです。香港の人口は約700万人ですから、約18人に一人がそのような生活を余儀なくされているということです。

 確かに、貧富の大きな社会では、富裕層の若者は、30代前後で4000万円くらいのマンションを購入したり、高級車を乗り回したりできます。実は階級格差が大きく、それが世襲的に承継される日本でも、富裕層のご子息たちは、20代から高級車を乗り回すことが珍しくありません。bobbyさんとか新自由主義が好きな方は、そういう若者が我が世の春を謳歌する反面、末端労働者が路上やカゴの中で寝泊まりする社会が望ましいと考えておられるのでしょう。

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22/01/2009

「企業が自由に解雇できる社会」と「労働者が自由に企業を移動できる社会」とは違う

 池田信夫先生は、新卒のとき、たまたま入った会社に一生とじこめられることは、労働者にとっても幸福ではない。彼らが自由に企業を移動することを支援する制度が必要である。仰っています。しかし、現行法の下でも、労働者は自由に企業を移動することができます。終身雇用契約のもとでも、労働者の側で一方的にこれを解約することは問題がありません(例外は、プロ野球選手くらいです。)。

 池田先生がしきりにご提唱されている「企業が自由に従業員を解雇できる法制度」というのは、「労働者が自由に企業を移動することを支援する制度」とは全く別物です。この制度のもとでは、それまで在籍していた企業を去るかどうかを決める主導権は労働者には与えられていませんし、その企業を去った後、すぐに再就職先が見つかる保証はなく、その場合「企業を移動する」のではなく、「企業からポイ捨てされる」ことになるに過ぎません(特に、企業の考え方が、19世紀まで戻らなくとも、男女雇用均等法制定前に戻ってしまうと、「女性労働者は、若い独身者以外不要」ということで、一定の年齢に達すると、あるいは、結婚し又は出産すると、解雇され又は雇い止めされる危険が十分にあり、この場合、追い出された労働者は同様の職種で再雇用される蓋然性は相当程度低くなります。男女雇用均等法制定前の、「寿退社」を求めることが事実上広く行われていた時代に戻るわけですから。)。

 また、「企業が自由に従業員を解雇できる法制度」のもとでは、個々の労働者の個性をそれほど求めない労働市場では、何歳になっても、どのような家族構成になっても、若年の新卒者と価格競争をすることが求められます。すると、給与水準は、何歳になっても、独身で生活するのに必要な最低限度の水準、下手をすると親元で生活する上で必要な最低限度の水準で固定する可能性が十分にあります。企業にとって解雇が自由になり年功序列制度が崩壊した場合には、それ以上の給与を求める労働者は即時解雇して、より安い給与水準で満足する若年労働者に入れ替えれば済むからです。このような仕組みのもとでは、生活コストがかかるために労働市場から排斥された労働者は、例えば、離婚し、子供を養護施設に預けるなどして、生活コストを、若年新卒者のレベルにまで引き下げない限り、企業を「移動」することはできなくなります。

 そして、そのような制度のもとでは、労働者の身分で「結婚し、出産して生活コストを引き上げる」というのはいわば自殺行為となりますし、「ローンを組んでマイホームを購入するなど、とんでもない」ということになります。万が一子供が生まれても、子供に教育費をかけるというのは一般労働者には許されない贅沢となり、子供は義務教育が終わり次第抛り投げるか、場合によっては生まれ次第捨てることしか、一般労働者には許されなくなるかもしれません。

 かくして、我が国の少子化は一気に進み、せっかくの子供たちも、その多くがストリートチルドレン化し、中等教育以上の教育を受けた人材は一部富裕者の子供に限定される社会が到来することになります。新自由主義がもたらす未来なんて、その程度ではないかと思われます。

【追記】

 池田先生がご自身のブログのコメント欄で私が「彼らが自由に企業を移動することを支援する制度が必要である」と書いているのを引用しておきながら、「池田先生がしきりにご提唱されている『企業が自由に従業員を解雇できる法制度』というのは・・・」と書くのは詐欺的です。私がどこでその引用符の中のようなことを書いているのか。むしろ「解雇を無条件に自由にしろということではありません」と書いている。と述べています。しかし,池田先生の一連の解雇規制に反対する一連のエントリーを拝読しても,では,どのような解雇規制は残せと仰っているのかを把握することは困難です。私のいう「規制撤廃」はderegulationの訳語で、これはすべての法律をなくして犯罪も不法行為も自由にするということではありません。とか,コモンロー的に不当な解雇については、司法が止めるでしょう。それは上限金利を撤廃することが闇金を公認することを意味しないのと同じ。とかと仰っているようですが,日本はコモンロー国ではありませんし,池田先生が提唱するとおりに労働法を改正するとすれば,それは「労働法に明文の定めがない解雇規制を裁判所が解釈により行うことを許さない」という類のものにならざるを得ません(池田先生が問題とされている解雇規制法理自体,明文の法規の欠缺にもかかわらず,判例法で積み上げてきたものだからです。)から,そのような立法がなされた後に,「コモンロー的に不当な解雇については、司法が止める」ことは相当困難だといえるでしょう。

 ある法制度を新規立法したり廃止したりした場合にそれがどのように解釈され,運用されるかについては,経済学者よりも法律家の方がより現実的な解を見出すことができます。

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21/01/2009

大隈記念奨学金の難易度

 「大隈記念奨学生の集い」というエントリーについて,大隈記念奨学金をとることの難易度について尋ねるコメントが複数回投稿されました。

 私は,早稲田大学関係者ではないので(卒業生だと言うだけで),私の経験以上のことは知りうべくもなく,それはもう20年も前の話ですから,早稲田大学に問い合わせるのが筋というものです。

 なお,20年前の話をするならば,私は1つ良をもらってしまったにもかかわらず大隈記念奨学金をもらえましたので,全優である必要はなかったということになります。

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労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者はいる

bobbyさんという方が,下記のように述べています。

企業にとって労働者は生産手段の一部なのですが、機械と違って教育が必要ですし習熟に時間がかかります。 雇用してから1人前になるまでは、賃金分を労働者に投資しなければなならない。熟練労働者となれば、バランスシートからは見えないけれども貴重な資産です。そのような労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者が何処にいるでしょうか。企業が労働者を大量に解雇する事は、大量の血を流すのと同じ事なのです。

 このあたりが,解雇規制撤廃派の浮世離れぶりを示しているように思われます。現実には,法的に解雇が制限されている現在ですら,不当な理由で労働者を解雇した例が溢れており,法律実務家等が介入しているというのが実情です。

 とりあえず,池田先生やbobbyさん,木村剛さんが推奨するような「解雇規制のない社会」が実現した暁には,女子労働者については,①容姿が衰えたから解雇,②経営者(の子息)の求愛を拒んだから解雇,③結婚したから解雇,④出産したから解雇,という事例が頻発し,労働者が泣きを見ることになりそうな気がします。また,男性労働者を含めても,①平日に病欠をとったから解雇,②有給休暇を消費したから解雇,③残業代を請求したから解雇,④経営者の私用を無償で手伝わなかったから解雇,⑤給料の引き下げに不満を漏らしたから解雇,⑥特定の政党,政治家,宗教団体の集会に参加しなかったから解雇という例は頻発しそうです。

 実際,池田先生自身「不当解雇」を受けた経験がおありなわけですから,経営者の気の向くままに解雇することが許されるようになったらどうなるか,分からないわけではないと思うのですが。

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文化も伝統も、進歩とともに更新されていく

 さあ、オバマ大統領の就任演説がまもなく始まります。米国では、黒人は19世紀中盤までは奴隷だったのであり、また、全ての州で黒人に選挙権が認められるようになったのは1965年のことです。しかし、米国社会は、ついにここまで進歩したということです。公民権運動から約半世紀が経過した現在の米国で、「我々は、人種を問わず、等しく人間として尊重され、等しく成功の機会を与えられるのが、米国の文化であり、伝統だ」という言葉が飛び出しても、それほど違和感を感じません。社会がリベラルに進歩していくとき、新たに獲得された文化・社会構造は、程なくして伝統と認識されるのです。

 これに対し、「19世紀前半には黒人はみんな『奴隷』だった」と言って、人種故に侮辱されても、成功の機会を奪われても、「物」としてぞんざいに扱われても、そんなことは甘受せよ、みたいなことを言ってみても、今更通用しないというべきでしょう。

 池田信夫先生が「19世紀には労働者はみんな「派遣」だった」というエントリーをアップロードされています。しかし、概ね先進国では、労働者保護の一環として中間搾取の排除を志向する法制度を設けており、また、雇用者による恣意的な解雇を禁止する法制度を設けています。いまさら、19世紀型の雇用制度に戻せといってみても始まりません。「経営者に少しでも逆らったら即時解雇され、その日の内に路頭に迷い、程なくして餓死することになるので、生命を維持するのに必要な最小限の給与がもらえるのであれば、それで満足しなければならない」仕組みに戻せといっても仕方がありません。両親がもらい受ける給料では家族が食べていくことができないので、子供たちが10歳にならないうちに学校をやめて低賃金労働に従事し、女の子は10代後半になったら売春婦に身を落として糊口をしのぐ社会構造に戻せといってみても始まりません。歴史的にはそういうことが普通に行われていた時期があったとしても、21世紀に暮らしている私たちは、一般の労働者が、10歳にならない子供たちに低賃金労働をさせなくとも済み、生きていくために10代半ばになった娘を売春宿に売る必要もなく、経営者からその人格を踏みにじる行為をされたときには解雇される心配をせずにこれに抗議をし法的権利を行使することができる、そういうことを、私たちの社会の文化であり伝統であるといっても差し支えないのではないかと思うのです。

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20/01/2009

大統領の就任演説における名言

 今日は、米国で、オバマ大統領の就任式が行われます。演説のうまさで大統領にまで上り詰めたともいえるオバマ氏だけに、その就任演説は世界中で注目の的です。

 ということで、BBCでは、過去の就任演説での名言をいくつか紹介しています。その中で注目されるのは、フランクリン・ルーズベルト大統領の次の言葉でしょうか。

The test of our progress is not whether we add more to the abundance of those who have much; it is whether we provide enough for those who have too little.

 我が国の21世紀は、Adding more to the abundance of those who have much and providing less for those who have too littleを心がけてきたために、内需が崩壊し、米国の内需の減衰に全く耐えられない脆弱な経済体制になってしまいました。

 そういう経済体制をよしという人々はケネディ大統領の有名な一節がお好きかもしれません。

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.

 何しろ、教育基本法を改正して愛国心だけは押しつけてくるけれども、高等教育の授業料は高額で、奨学金は給付どころか利子つき、さらに、労働法を改正して、企業が気分次第で解雇しても国は何もしないというふうに変えていこうというわけですから。むしろ、我が国の新自由主義者が言いたいのは次のようなことかもしれません。

Ask what your country can do for big businesses - ask not what big businesses can do for your country.

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19/01/2009

食糧輸入国に労働力ダンピングは難しい

 bobbyさんという方から、相変わらずトラックバックが送られてきます。

 彼の主張の要点は、日本は、政策的に国内単純労働者の労働条件を悪化させることにより、いわば労働力ダンピングを行うことで、ベトナム等の新興国と競争せよということのようです。しかし、この路線を採用した場合、失敗は目に見えています。

 すなわち、食料や原油などの基礎的な資源について輸入依存率が高い我が国は、これらの資源を国際相場で調達しなければならない以上、食糧自給率等が高い新興国の労働者と賃金水準が同程度だと、彼らより数段劣る消費生活を労働者が余儀なくされることになるからです。一応、前の記事に書きましたが、工場が衣(制服)食(3食)住(社員寮)を全額負担しますので、物価がベトナム並みにならなくても生活には困りません。とは言っているようですが、工場に「衣(制服)食(3食)住(社員寮)」を負担させたのでは、その分労務コストが上昇しますので、ダンピング競争には勝てないということになります。従って、この構想はほぼ必然的に、日本の工場労働者に、世界でも最低レベルの生活水準を押しつけ、彼らの労働によって得た成果の多くを外国人投資家にプレゼントしてあげるという結果をもたらすことになります。つまり、「日本国民を、外国人投資家の奴隷にする」構想だと言っても差し支えないでしょう。

 そして、それは工場労働者の生活を破壊するだけでなく、国内消費者を対象とするサービス業をも破壊することになります。特に、日本国内では、国内の消費者が「文化」的な付加価値に支出をする余裕がなくなるわけですから、「Cool」な物を生み出す感受性といったものが目に見えて衰退していくことが予想されます。すなわち、日本製品が、他の新興国の製品に対して有している優位性の大きな柱をみすみす捨てることになります。

 昨今の新自由主義者は、往年の社会主義者以上に、大衆は自分たちのコントロールするとおりに動くはずだといううぬぼれが強いようですが、往年の社会主義者以上に、人間というものの把握が平板で、人間の行動予測が「ご都合主義」の域を出ていないようです。

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16/01/2009

大隈記念奨学生の集い

 今日は、早稲田大学の大隈ガーデンハウスの2階で、「大隈記念奨学生の集い」というのが行われました。私も、学生時代に大隈記念奨学金をいただいたOBとしてこの集いにご招待いただきましたので、出席してきました。

 前向きに生きている優秀な学生たちと話をするのはとても気分の良いものであり、また、同じく大隈記念奨学金を受けていたサークルの先輩後輩等にお会いするのも懐かしい限りです。

 とはいえ、日本国内では比較的奨学金が充実している早稲田大学ですら、年間の授業料を相当程度満たす程度の給付型奨学金を受けられるのはほんの一握りという現実が、恒常的なアルバイトをせざるを得ない状況に学生を追い込み、これによって、若年者失業率を引き下げる役割を担っているのは悲しいことです。大学の授業料がほぼ無料であり、かつ、生活費等を賄うために広く給付型の奨学金が支給されるフランスにおいて我が国より若年者失業率が高いことを鬼の首を取ったようにあげつらう向きもあるようですが、15歳〜24歳の約6割が進学しているとすると、進学者の9割がアルバイトを余儀なくされる場合と、進学者はアルバイトをする必要がない社会とでは、在学中でない若年者の中での失業率が一定だとしても、全体としての失業率は2倍近い差が生じますわけで、どちらが若者の優しいのだろうかという問題を生じそうです。

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14/01/2009

雇用コストを誰かに転嫁しようとしているのは誰か。

 私のブログのエントリーに対し、木村剛さんに言及していただきました(トラックバックもいただきました。)。

 人権派弁護士であることを標榜している「la_causette」さんは、表層的な現象を取り上げることに懸命で、雇用問題を経済のメカニズムとして解決するという視点をお持ちではないようです(これは、法学と経済学の根源的な違いでもあります)。アピールの重要性を私は否定しませんが、アピールするだけでソリューションを持っていなければ、雇用コストを誰かに転嫁するという「下策の中の下策」しか出てこないという現実にそろそろ気付いていただきたいと思います。

とのことで、結局、空虚なレッテル貼りしかしていただけなかったのが残念です。

 そもそも私は「人権派弁護士であることを標榜」したことは一度もないのですが、私のブログのどこをご覧になったら、私が「人権派弁護士であることを標榜している」と誤解することができるのでしょうか。最近は他人の人権が尊重されることに耐えられない身勝手な一軍の人々の間で、自分とは異なる意見の持主に「人権派」とのレッテルを貼ることにより、その意見をとるに値しないものと位置づけるのが流行しているようですが、まさか木村さんほどの方がそんなみっともないことをしているとは思いたくないところです。

 また、表層的な現象を取り上げることに懸命で、雇用問題を経済のメカニズムとして解決するという視点をお持ちではないようですとのことですが、私は、年末年始の寒空にそれまで住んでいた住居を追い出され、行くところもない人々が生命身体の危機にさらされるということが、取り上げるに値しない「表層的な現象」だとは思わないのです。そういう意味では、抽象化された経済主体としてではなく、具体的な人格として人間を把握することが前提となる法学分野に進んで良かったなあと実感いたします。

 それにしても、企業のわがままをそのまま認める視点以外は「雇用問題を経済のメカニズムとして解決する視点」として認識できないあたりが、木村さんの限界でしょうか。日本経済がもっぱら輸出のみを行う経済体制であって、そのような体制で居続けることが今後も許されるのであれば、工場労働者に食うや食わずの生活水準を押しつけることも(倫理的ないし道徳的な側面を無視すれば)可能かもしれませんが、国内政治的にはもちろん、国際政治的にもそのようなことが許される情勢にはないので、内需の核となる中間層を維持することは、我が国の経済体制を維持するためにも不可欠です。

 また、雇用コストを誰かに転嫁するという「下策の中の下策」という言い方がされていますが、その労働収入では健康的で文化的生活を行うことができないような状況に労働者を置くこと自体が雇用コストの労働者への転嫁であり、非正規雇用労働者を突然解雇して即時に寮から追い出すことにより、これらの労働者が健康的で文化的生活を行えるようにするにはボランティアや公的機関の助けが必要な状態に追い込むこともまた雇用コストの国家ないし社会への転嫁に他なりません。

 また、「【ネットEYE】新『もりもり』の『今』を読むブログ」さんが正確に指摘しているように、「よく『ヨーロッパは労働者の権利が手厚く保護されてる』と言いますけど、それは『すでに職に就いている人』のことであって、若年層の失業率は、日本の何倍も高いんですよね。つまり、『雇用法制の強化』は、雇用の拡大につながらない、そういうことです…」という経済的事実に尽きるのですとのことですが、フランス等は、「すでに職に就いている人」の権利が手厚く保護されているだけでなく、「今は職に就いていない人」の権利も、日本よりは手厚く保護されています。さらに、若年層の失業率については、我が国では大学の授業料が国公立であっても高額である上奨学金が不十分であるため、多くの学生が恒常的にアルバイトをしなければならない状況に追い込まれており、そのことが若年層の失業率を引き下げていることは既に触れたとおりです。


 ところで、木村さんのこのエントリーのタイトルは「おフランスは雇用天国なのか?」というものですが、木村さんからトラックバックをいただいた元エントリーでは、フランスが雇用天国である云々という話はされていません。そこまでミスリーディングなタイトルをつけてまで不適切なレッテル貼りをしなければならないほど、焦っておられるのでしょうか。

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13/01/2009

遅ればせながら,内定切りについて

 いわゆる「内定切り」問題で一番腹立たしいのは,3年の後期から学生を散々振り回しておいて,そういう仕打ちをするのですか,ということです。最近は,内定を出した後に,「エクスターン」と称して,学生を平日の昼間に出勤させる企業も少なくありませんし,そんなこんなで学生の時間を散々費消させておきながら,さらにいえば,内定を出すことで学生から他の企業への就職活動をする意欲を実質的に奪っておきながら,経営状態が目論見通り行かなかったと言うことであっさり内定を反故にするのは,あまりに勝手すぎないかという思いで一杯になります。

 5月,6月の段階では,翌年4月以降の経営状態を予見することは不可能だというのであれば,大学新卒の求人活動を開始する期間並びに内定を出す期間を,4月以降の経営状態がまあまあ予見できる程度の時期にずらせばいいのではないかと思ったりします。

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12/01/2009

ブルーハーツは偉大だ

 新自由主義に反するようなエントリーをアップロードすると、匿名さんから、人格攻撃含みのエントリーをいただくことが多いです。大きな敵は叩けないから、小さな敵を叩きたいとの信条から、新自由主義に縋っている方々を見ると、ブルーハーツは偉大だなと思ってしまいます。

 経済学の教科書を読めというコメントもいただきますが、もちろん本職の池田先生とは比べものにはならないにせよ、日本語になっている、教科書レベルのものはそれなりに読んでいます。ただ、読んだものを鵜呑みにしないだけのことです。もちろん、学問領域の経済学には敬意を払いますが、そこでの結論がそのまま現実の政策として採用するに値するのかといえば、多分に否定的だからです。

 その大きな理由の一つは、経済学でいう「効用」の考え方自体に問題があることであり、もう一つは、不都合な現実を捨象して都合良く単純化されたモデルを用いるという経済学の手法に問題があるということです。

 例えば、人口100人の村で毎日卵が200個生産されると仮定します。あるとき、富裕層の間で、生卵を投げつけて遊ぶことが流行り、そのために、一部の富裕層が、生卵の値段をつり上げてこれを買い占め、そのために、それ以外の村民は卵を口にすることができなくなったとします。経済学の「効用」概念では、これは卵の「効用」が高まったのであるからむしろ好ましいことであって、見かねた村役場が卵市場に介入し村民が上昇前の値段で一人1日一個は卵を購入することができるようにすることは市場による資源の「効率」的配分を妨げるということになります。このような「効用」概念は、しばしば私たちの健全な常識に反するところです。

 「空気抵抗を無視します」という仮定の下では、「上空1万メートルから落下する場合、パラシュートを開こうが開くまいが、地上に到着する時間は一緒である」という結論を導くことができるわけですが、その結論をもって「落下中、パラシュートを開くことは意味がない」と提言する物理学者がいたら、周囲の人はかわいそうな人を見るような目でその人を見ることでしょうし、そもそも物理学者のほとんどは、単純化したモデルにより導かれた結論と現実との違いを十分に認識しています。しかし、経済学においては、過度の単純化(=不都合な現実の捨象)により非現実的な結論を導き出した上で、これを現実と混同して政策提言する方々が散見されます。我が国において「法と経済学」が流行らない要因の一つは、我が国における「法と経済学」の初期の担い手がまさにこのような愚を犯していることにあることは否めないでしょう。

 この種の論者がしばしば犯す間違いの一つは、「選択」を行う主体をごく一部のセクターに限定してしまう点でしょう。労働者への富の配分を減少させてその分を株主に回しても、企業活動の成果たる商品・サービスの需要に変動がないと仮定するがごときはその一例です。しかし、解雇規制が撤廃され、企業が解雇をちらつかせて給与水準の大幅カットを果たした場合には、給与水準が大幅にカットされた労働者とその家族はもちろん企業が国内で提供する商品・サービス等の購入を差し控えることになります。また、経営者からいつ何時気まぐれで解雇されるかわからないということになりますと、長期ローンを組まなければ購入できない住宅等の需要は壊滅的な打撃を受けることになります。「失業さえしていなければ、その収入では健康的で文化的な生活を支えられなくとも、将来『幸福』に慣れる見込みが立たなくとも、労働者は現状を不満に思うことがなく、財産犯が増加することは考えがたい」というのも非現実的な仮定だなあと思います。

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雇用者報酬の減少は景気変動の誤差?

 池田先生から「6兆円減少した」などといかにも大きいように表現しているが、雇用者報酬は7年間で271兆円が265兆円に3%減っただけで、景気変動の誤差の範囲内だとのご指摘をいただきました。

 しかし、名目GDPは2003年を境に上昇に転じたのであって、具体的には、2000年の名目GDPが約503兆円なのに対し、2007年の名目GDPは約516兆円となっており、この間約2.6%増加していますから、「景気変動」に伴う動きだとすれば、雇用者報酬自体は増加すると考えるのが素直です。実際、経営者および株主が受け取った分け前はこの間増えているのです。したがって、2000年から2007年にかけての雇用者報酬の減少を「景気変動の誤差の範囲内」と考えるのは、無理があるように思います。むしろ、従前正社員が行ってきた労働の一部についてこれを給与水準の低い非正規労働社員に行わせることにより、労働者層が受け取る賃金総額が減少したと考える方が素直でしょう。

 なお、ここでは「労働分配率」ではなく、それぞれのセクションが受け取った額自体を問題としているわけですが、池田先生が労働分配率はその逆に、利益が増えると下がり、業績不振のときは上がる。だから日本の労働分配率は図のように1990年から2002年までの不況期に10%上昇し、その後の景気回復で5%ほど下がった。と仰るので労働分配率に言及すると、1994年ころから2003年までは概ね54%前後を推移していたのが、製造業者への労働者派遣を認めた2004年になって51%台に急落したのは、示唆的です。2004年度のGDPの伸び率は、1996年、1997年のそれより劣るわけですが。さらにいえば、この後、景気拡大局面はしばらく続くのですが、しかしながら、2006年末までは労働分配率は緩やかに上昇します(でも、約52%にまで回復するにとどまっていますが。)。

 また、「階級間闘争」という言葉にも言及されているようですが、ベルリンの壁が崩壊しようが、資本家と労働者が、相互に依存しつつも、利害が対立し、様々なチャンネルを通じて、絶えず闘争を繰り返している事実は否定しがたいところです。法学、とりわけ実務法曹は、どのようなセクターのどのような利害と、どのようなセクターのどのような利害とが対立しているのかを見据えることを余儀なくされているので、ベルリンの壁がなくなったくらいで、労働者と資本家との階級対立は消えてなくなり、ただ中高年正社員のみが社会敵として君臨しているというような理解をすることができないのです。

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10/01/2009

現実の派遣事業者はピンハネする。

 池田信夫先生が、再び過度に単純化したモデルで、労働者保護政策を否定しています

 「200人が正社員で100人が派遣、正社員の年収は400万円、派遣は200万円だ」と仮定し、かつ、派遣事業者が無償で派遣事業を営んであるときにしか、池田先生が提示する「算数」は成立しません。

 実際のところ、フルタイムの工場労働だと派遣労働者の給料水準は正社員の半分よりは高いし、派遣事業者は相当程度の中間搾取を行っています。「200人が正社員で100人が派遣、正社員の年収は400万円、派遣は300万円、派遣会社のピンハネ率4割」と仮定すると、社会保険料等の負担を無視すれば、派遣社員を全て正社員化することで、賃金原資を維持したままで、従前より25人余分に労働者を雇用することができます。といいますか、整理解雇の要件を満たさずとも恣意的に労働者を解雇できるということのために、正社員労働者に支払う給料分よりも高額の派遣料金を企業が派遣会社に支払っている例というのは、さほど珍しい話ではありません。。

 教科書的な説明をするためにモデルを単純化すること自体を否定するつもりはないのですが、その単純化したモデルにおいて導かれた結論を現実と混同するのは、避けた方がよいように思います。

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09/01/2009

格差の正体

 bobbyさんという方からまたトラックバックをいただきました。そのエントリーの趣旨は、移民の大量受入れや私学助成金の廃止による低学歴化の推進により、工場労働者が「ベーシックインカム+1万円」で働く社会を作れというものです。

 ただ、ベトナム等において工場労働者が日本円にして1万円以下の月給でやって行かれるのは、それで生活できるほどに生活に関連する物資の値段が安いからです。そして、エネルギー自給率と食糧自給率が高い国ではその国の給与水準に合わせて食品等の価格を引き下げることが可能になりますが、それらが低い国では、それらの輸入元の物価水準が下がらない以上、食品等の価格はそれほど引き下がりません。したがって、雇用の流動化を無理矢理推し進めて工場労働者がベーシックインカム込みで月額6万円程度しかもらえない社会では、工場労働者は、せいぜい最低限命を長らえるのに必要な程度食べるのがやっとできるかできないかという水準に置かれることになります。

 しかも、そのようにして生産した商品は、人為的に一般労働者の貧困化が進んだ国内ではそれを購入する余力がないので、そのほとんどを輸出に回すことが必要となります。そして、国内ではそもそも消費をする余力はないので、原材料以外の輸入は大幅に減少し、一時的に大幅な貿易黒字が生じます。そうなった場合に、一旦は先進国となった日本が労働者を政策的に追い詰めてまで発展途上国並みの給与水準に引き下げて安価な工業製品を製造し輸出攻勢を仕掛けているということになれば、米国や欧州等においては、日本からの輸入を規制する経済政策が採用されるでしょうし(それは、日本国内の工場労働者の悲惨さを報ずることにより、政治的に通り安くなります。)、また、工場労働者の犠牲の下で可能となった商品価格の下落が無駄になるほどに円高になることも考えられます。そして、その社会のルールを守って誠実に生きていても何とか生き延びるのがやっとという社会階層を作り出していくと、その社会のルールを引き続き守るというインセンティブがなくなっていきますから、国内の治安は極端に悪化することが予想されます。すると、そのような工場労働者の人為的な貧困化により配当の極大化を果たした投資家たちは、治安の悪化した日本国内を脱出し、治安の安定した国に脱出することが予想されます。また、ほとんどの商品・サービスについて国内市場が消滅しますから、膨大な国内市場に支えられた「クールジャパン」的な強みは完全に消えてなくなります。すなわち、「高付加価値商品」を開発し、生産する国ではなくなります。

 bobbyさんの理想が実現した場合の結末なんて所詮はそんなものです。

 で、池田先生が「格差の正体」というエントリーをアップされています。

 ただ、中高年の正社員労働者なんて、格差の「上」の方の主体ではありません。世界に名だたるメーカーの中高年の正社員の所得なんて、NHKの30代正社員の給与水準にも劣るレベルです。

 高度化した資本主義社会では、生産手段を所有する人(投資家)と、これをマネジメントする人(経営者)、そしてその生産手段の下で労働する人(労働者)があって初めて企業活動が成立するわけですが、新自由主義といいつつ労働者の地位のみを引き下げたことにより、企業活動の成果の労働者への分配が減り、その分投資家と経営者への分配が増えたことが、21世紀に拡大した格差の本質です。そして、上記bobbyさんの理想は、その格差をもっともっと拡大させよというものです。そして、その行き着く先は、せいぜい、H.G.ウェルズが「タイムマシーン」で描いた未来社会でしかなく、あるいはマルクスが描いた革命直前の社会でしかないように思われます。

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08/01/2009

失業率の高低の持つ意味の差

 池田信夫先生からトラックバックをいただきました。ただ、表面的な若年失業率が日本のそれよりフランスのそれの方が数倍高いことから、労働者の切り捨てが容易な日本の雇用政策を擁護する根拠とするのはいかがものかと思います。

 まず、失業率は、(失業者)/(就業者+失業者)×100で算出するわけですが、ここで就業者とは、①「有給就業者」,すなわち,賃金又は給料を得る目的で,調査期間に1 時間以上の仕事をした者(仕事を持っていながら休んでいた者を含む。),又は②「自営就業者」,すなわち,利益又は家族の利得のために,調査期間に1 時間以上の仕事をした者(事業を持っていながら休んでいた者を含む。)で,一定年齢以上のすべての者」をいうのであって、その労働の対価によって独立して生計を立てることができる全ての者をいうわけではありません。他方、失業者とは、調査期間中,①「仕事を持たず」,すなわち,有給就業者でも自営就業者でもなく,②「現に就業が可能で」,すなわち,有給就業又は自営就業が可能で,③「仕事を探していた」,すなわち,最近の特定期間に,有給就業又は自営就業のために特別な手だてをした一定年齢以上のすべての者」をいいます。すなわち、求職活動をしていない人は失業者とはなりません。また、若年失業率とは、15歳から24歳までの国民の失業率を指すのが通常です。

 ここで注意すべきは、「15歳から24歳まで」という年齢は就学年齢と相当程度重なるということです。日本では、大学の授業料が欧州各国より高く、通常の奨学金では授業料の全額をそこから出すことすら不可能であり、従って、富裕層出身者以外は恒常的にアルバイトを行うことが必要であり、また富裕層出身者であっても、遊興費等を捻出するために、恒常的にアルバイトを行う学生が少なくありません。そして、調査期間中にアルバイトを行う学生は「有給就業者」にカウントされるため、若年失業率を低下させる方向に働きます。また、「主婦」というのも統計上やっかいな存在で、専業に徹する場合は失業者に入らず、パートを始めると就労時間・収入の多寡にかかわらず、就業者にカウントされ、分母を拡張します。従って、「妻は、子供が大きくなるまでは子育てに徹するか、または1日数時間程度のパート労働を行うにとどまる」という観念が残存している社会では、若年婚の女性を中心に、若年失業率を引き下げることになります。

 他方、我が国で社会問題となった「ニート」「引きこもり」と呼ばれる人々は「有給就業又は自営就業のために特別な手だて」をしていないので、統計上失業者とはなりません。

 また、日本は、その他の多くの国と同様に失業者数の調査を労働力調査(標本調査)により行うのに対し、フランスは職業安定所の登録区分別登録により行います。フランス方式ですと現在ホームレスでも職業安定所に登録してあれば「失業者」にカウントされますが、日本方式ですと、ホームレスやネットカフェ難民等は調査票を受け取ることがないので統計から漏れることになります。

 ですから、日本の若年失業率が低く表示されるのは当然のことであって、そのことから日本の雇用政策の方がましであるとの結論を導くのは早計です。

フランスの失業率がOECD諸国で最悪グループであることはよく知られているが、若年失業率は特に悪く、23.9%(右から4番目)にのぼる。「格差」がいわれる日本はまだ8%だが、日雇い派遣の禁止などの規制強化を進めれば、フランス並みの「失業先進国」になるだろう。

とのことですが、統計上「失業者」にカウントされないということは、実際にはさほど重要ではありません。若年就業率は92%だかその3分の1は低賃金の非正規雇用というのと、若年就業率は78%だかその全てが正規雇用というのと、どちらが若年者にとってやさしいのだろうかということが問題となりそうです。

【追記】

 ちなみに,これによれば,季節調整をした2008年6月及び8月期のフランスの若年失業率はともに18.9%です。これは全体の失業率の約2.36倍にあたります。米国の2008年8月期の1.99倍と比べると高いようにみえますが,米国においては全体の失業率が2007年8月から2008年8月にかけて4.7%から6.1%に上昇したのが大きいのであって,2007年8月期でいえば,米国の若年失業率は全体の失業率の約2.30倍なので,解雇規制の緩やかな米国と,解雇規制の厳しいフランスとで果たして若年労働者の処遇に大差があるのだろうかという疑問がないではありません。

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07/01/2009

目の前の500人のためだけでなく、背景にいる数万人、数十万人のためにできること

 経済的な強者であれば、議員さんに政治献金をしてその代わりに自分たちの欲する政策の実現に奔走してもらうことができます。しかし、そのような経済力のない弱者が自分たちの欲する政策を実現してもらおうと思ったら、効果的な政治的アピールをする必要があります。

 木村剛さん池田信夫先生が、派遣村が日比谷公園にテントを張ったことに政治性を感じ取ったことは正当ですが、それをネガティブにみることは妥当ではないでしょう。そこに集まった意図が年末年始を過ごすというだけが問題ならばテントは水元公園に張っても良かったのでしょうが、企業が派遣労働者を簡単に切り捨て政府もこれを見捨てる政策に変更を迫るためには水元公園では不十分であって、マスメディアの目に触れやすい地を選ぶ必要があったわけです。それは、そこに集まった500人のためだけでなく、その背景にいる数万人、数十万人の失業者並びに非正規雇用労働者のための選択だったと思われます。

 日本では、経済的弱者が連帯してその欲する政策の実現を求めて政治的に振る舞うことを「左翼的」といって嫌う風潮がいつしかはびこってしまったようです。その結果として、日本はアメリカと並んで貧困率の高い国となり、かつ、若年層への救貧策の乏しい国となり、内需の伸びない国となり、階層が固定した国となっていったわけです。1998年の失業者反乱、2006年のCPE反乱は「都心の公園にテントを張って年末年始を過ごす」なんておとなしいものではありませんでしたがフランス市民の多くはこれに賛意を示し、これにより反乱者の欲する政策がある程度実現したわけです。「都心の公園にテントを張って年末年始を過ごす」程度のアピール活動もせずに、失業者に電車賃を与えて故郷に帰すことでお茶を濁したら、失業者や非正規雇用労働者の生活の困難ぶりが政治家たちに伝わらず、依然として、議員さんに多額の政治献金をしてくれる人にのみ奉仕する政策だけが行われることになってしまいます。

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06/01/2009

新種の公務員

 bobbyさんからトラックバックをいただきました。

組み立て加工メーカーが日本から東南アジアへ移転しているのは何故か。池田信夫blogによれば、市場価格は競争により低下して限界に達します。製造メーカーは、市場が決める(競合各社ともにほとんど差の無い)価格からより多くの利益を得る為に、製造原価(材料費、人件費、製造費)をより低くできる環境(中国やベトナムなど)を目指します。日本の工場ワーカーの人件費が(ベーシックインカムまたは負の所得税の実施を前提として*1)ベトナム並みに安くなれば、大きなリスクをおかしてまで異国へ工場移転する会社は激減し、外国からたくさんの工場が日本に戻ってくるでしょう。

とのことですが,これによれば,ベトナムの工場労働者の平均賃金は月6000円程度ということなので,フルタイム労働でそのような賃金をもらっても,ほとんど生活の足しにならないということになります。そこでは,工場労働者の生活費のほとんどを国家予算で賄うということになります。いわば,労働の成果を特定の企業に帰属させる,新たな公務員を作り出すことになりそうです。

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賃金を下げても雇用は増えない

 私のエントリーを、池田先生がそのブログで取り上げで下さったようです。

 「賃金を下げても利潤が増えるだけ」ということだが、当ブログで何度も書いているように(労働需要が飽和した特殊な場合を除いて)賃金が下がれば労働需要は必ず増える。利潤も増えるかもしれないが、それだけということはありえない。とのことですが、商品需要自体が横ばい又は減少局面にある場合に、賃金水準が低下したからといって労働需要が増加するかといえば、そこは大いに疑問です。賃金水準の低下により所定の「人件費枠」の範囲内で可能となった新規雇用を行って商品の生産量を増加させ、商品1個あたりの価格を引き下げたからといって、生産量の増大に伴うコスト増を超える売上げ増が見込めなければ、新たに労働者を雇用するメリットが経営者側にないからです。そして、現代における工業製品の多くは、商品1個あたりの人件費の低下による商品価格の引下げ割合が一般の工業製品等ではさほど大きくはなく、それが需要の増大に繋がる割合はさらに低いといえます。需要自体が縮小傾向にある不況期においてはなおさらです。

 このような状況下において、「解雇の自由化」を進めて「低賃金労働者への置き換え」を可能とするなどして「賃金水準の低下」を実現した場合に、「労働者の置き換え」を超えて雇用労働者数の増大を企業が志向するだろうと考えるのは、いささか単純に過ぎるのではないかと思います。特に、「賃金水準の低下」を、「想定人件費枠内における雇用労働者の増加」ではなく、「人件費枠の縮小」につなげれば、経営者および株主の取り分が増加することとなることを考えれば、なおさらです。

 実際、派遣労働の自由化等によって賃金水準が低下したことにより何がもたらされたかといえば、労働分配率の低下であって、実質失業率の低下ではありません。

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解雇に伴う寮からの即時退去要求と負の広告効果

 昨今の非正規雇用労働者の解雇問題で一つ不思議だったのは、なぜ、寮からの即時退去要求まで併せてやってしまったのかということです。自己都合退職や懲戒解雇と異なり、経営不振に伴う整理解雇の場合、退職した労働者の補充は当面行わないのですから、退職者をそんなにせき立てて寮から追い出す必要はなかったはずです。他方、突然の解雇に加えて寮からの立ち退きを迫られた労働者が移転先を見つけることは一般に困難であり、特に雇用環境が悪化している不況期には、その多くがホームレス化する危険を有しています。そして、これまで会社のために働いてきた労働者を突然解雇したのみならず、即座に寮からも追い出し、ホームレス化させたとの事実は、その会社の無慈悲感を強烈に印象づけます。そのことがマスメディア等で報じられた場合の負の広告効果が如何ばかりのものか、想像するだに恐ろしいといえます。

 もともと期間の定めのない建物賃貸借契約の解約申入期間は3カ月(617条1項2号)ですから、解雇通知を出してから3ヶ月間は寮を継続して使用することを認めても会社に対して不当に損害を与えたということにはなりませんし、どのみち新規入寮者が当面現れないのであれば、短期賃貸借契約でも結んで安価に賃貸借を継続しておけば、大量解雇による社会的評価の低下を少しでも抑えることができたのに、と思ったりはします。既に解雇した従業員との関係では近隣相場との差額を福利厚生費として計上することはできないので、宣伝広告費等ということして税務署にねじ込むことができなければ、税金面での負担が大きくなるということはあるかもしれませんが、企業イメージの向上のために様々なイベントやテレビ番組等にスポンサー料を支払うことを考えたら、どちらがお得かよく考えた方が良かったのではないかという気がします。

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05/01/2009

「君側の奸」症候群

 「『正社員』を『敵』として祭り上げる言論の流行」というエントリーに対し、JavaBlackさんからトラックバックをいただきました。

そして低すぎる雇用流動性,新卒偏重,非正規雇用差別などの問題の多くが,(正社員の)年功序列賃金に根ざしている.これを是正する上で,上がりすぎた(主にバブル期以前の)中高年正社員の待遇引き下げは,避けて通れない問題だということに過ぎない.
「正社員 vs 非正規雇用」
というよりはむしろ
「中高年正社員&労働組合 vs 若手正社員&非正規雇用」
という図式で見なければ問題の本質を見誤る恐れがある.
とのことです。

 世の中の経営者たちは若年正社員や非正規雇用労働者の処遇を引き上げたくてたまらないのに中高年正社員の人件費が高すぎてそちらにお金を回すことができないという状況にあるのだとすればそのようなことはいえるのかもしれません。しかし、世の中の経営者たちが、若年か中高年かを問わず、正社員か非正規労働者かを問わず、可能な限り人件費は引き下げたいと考えているのであれば、中高年正社員の給与水準を引き下げても、若年正社員や非正規労働者の処遇は改善されないということになります。なぜなら、例えば従前時間単価1500円で採用できていた非正規労働者は、中高年正社員の給与が半額になったところで、やはり時間単価1500円で採用できることが予測される以上、時間単価2000円で募集をかけるインセンティブは経営者には存在しないからです(むしろ、中高年正社員の給与を減額することによって浮いたコストは、経営者と株主とで分け合う方が、経営者としては魅力的です。)。

 また、中高年正社員の人件費コストがさほどではない、労働組合もないか又は非常に弱い、比較的若い企業において、若年正社員や非正規労働者の労働環境がそんなに素晴らしかったのかというとそうでもなくて、むしろ、労働者に分配するお金が節約できている分、一握りの経営者たちがその生み出す富の多くを握っていたのではないかという気がします。

 ということで、JavaBlackさんのような、中高年正社員&労働組合をいわば「君側の奸」と見なして彼らを叩けば生来善良な経営者たちが自分たちを厚遇してくれるはずだという考えは、とてもメルヘンチックに過ぎるように思われます。

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04/01/2009

「正社員」を「敵」として祭り上げる言論の流行

 社会主義に関しては、ロシアを含む東欧諸国での実践例の失敗をもって、その全てが否定されることが多い。しかし、そのような論法を採用する論者の多くが、新自由主義に関しては、ピノチェト政権下のチリやエリチン政権下のロシアでの実践例をもってこれを否定することを行わないことはなんだかアンフェアなように思われます。

 新自由主義的な経済運営のもとでは、富が一部の人や企業に集中します。当初一部の人や企業に集中化した富は、いずれ、それ以外の人々にもしたたり落ちてくるといういわゆる「トリクルダウン」理論が唱えられていたことがありましたが、実際にはほとんどの場合そうはなりませんでした。一つには、国内労働者からの搾取により集められた富は、株式配当等を通じて、その多くが外国に流出してしまい、国内消費に回らないということがあるでしょう。また、企業や一部の富裕層に留保された富は、金融商品という観念的なものに化けてしまい、市場に還流しなくなるということもあるのでしょう。

 従って、新自由主義的な経済運営の下では、仮に輸出主導でGDPの増加をもたらしたとしても、国内消費は増加せず、むしろ減少することにも繋がることになります。そして、中間層として標準的と考えられている消費生活を行うことを現に行えず、中長期的に行うことができる見通しが立たない人々が増加していくわけですが、それらの人々にとっては、そのような結果をもたらした経済・社会体制を維持するメリットは基本的に存在しないということになります。民主主義国では、議会を通じて、新自由主義的な経済運営により一部の人や企業に集中化された富の再配分を強化し、又は、富の集中化を緩和する施策がとられることとなります。

 逆に言うと、新自由主義的な経済運営を継続させようと思ったら、国民の多くに貧困を甘受させる工夫が必要となります。ピノチェト政権下では、軍事力を行使することで不満を押さえつける方法により行ったわけですが、これは政治的には危険すぎるオプションです(池田先生は、すべての個人はひとしく「譲渡不可能な基本的人権」をもっているという信念を「根拠のない」ものとしますが、基本的人権を認めない法制度を採用できるかといえば、国内政治的にも国際政治的にも事実上不可能です。)。新自由主義を終結させ又はその弊害を除去するため一定に修正を図ること=社会主義的とレッテル張りをし、そうなるとソ連ないし北朝鮮のような社会が到来するかのように煽り立てることは、あまり広い範囲には功を奏しません。そこで、生活実感に根ざした素直な投票行動とは異なる投票行動を多くの有権者に行わせるための工夫が必要となります。このために有力な手段が、打ち倒すべき「敵」を作り上げることです。新自由主義に異を唱えること=利敵行為とまで思わせれば彼らにとっては最高ですが、そこまで行かなくとも、新自由主義によりもたらされた貧窮の是正よりも優先すべき投票テーマを設定できればそれはそれで上々です。経済における新自由主義が、保守的な宗教団体と結びつきがちな理由の一端がそこにあります。

 最近、日本のネット言論では、「正社員」を「敵」として祭り上げる言論が流行しているようです。しかし、「正社員」に対する解雇規制を撤廃し又はその処遇を引き下げたところで、企業の内部留保や株主への配当が増えるだけで(そして、外国人投資家を通じて流出する富が増えるだけで)、非正規社員の待遇の改善には概ね繋がりません。むしろ、「正社員」への給与を通じて企業から国内市場に流れていた富が減少することにより、サービス業での非正規労働者の雇用は減少し又は待遇が悪化するかもしれません。

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28/12/2008

感謝の対象

 kicktoさんから、私のブログのエントリーについて言及していただきました。

しかし、「自分の国に誇りを持ち、感謝すること」は大切なことだと思います。

 現在僕は高校に通うものです。
 人前で「愛国心」等と言えば、「お前戦争がしたいのかよ」と友達から言われますが、別に気にしたりしません。

 なぜなら、僕はこの国で家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではないという今の環境にただ感謝しているだけだからです。

 世界中には過酷な状況で生きている人が多くいる中で、「自分は恵まれているな」と感じ、日本という国で生活できることに感謝の思いが湧いてくるのです。

 だからこそ日本文化は大切にしたい。破壊されたくない。

 しかし、kicktoさんが「家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではないという今の環境」に感謝するのであれば、まず第1に、ご両親に感謝をするべきでしょう。ついで、ご両親にそれだけの収入をもたらしてくれる会社を含むコミュニティや、kicktoさんの日々の暮らしを支えてくれる人々に対して感謝をすべきでしょう。感謝の対象を「国」という抽象的な概念にしてしまうのは、却って現実社会で自分を支えてくれている人々に失礼でしょう。

 そもそも、日本国は、他のほとんどの国と同様に、自国民に対してそのような環境を保証してはくれません。実際、日本国内にも過酷な状況で生きている人はたくさんいます。他方、「家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではない」という程度の環境であれば、日本以外の多くの国々で、少なくない人々が享受しています。さらにいうと、日本国は、国内で過酷な状況で生きている人に対しては極めて冷淡な国にこの十数年ですっかり成り下がっています(もともと冷淡な方ではありましたけど)。そういう意味では、「家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではないという今の環境」に感謝するのに、「自分の国」に感謝するのは少々的が外れていると言えます。

 それに、文科省を始めとする、若い人たちに「愛国心」を押しつけたい人々は、「家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではないという今の環境」があることに対する感謝の対象を「自分の国」として欲しいからそうしているわけではありません。むしろ、「お国のためだから」と一言号令をかければ、若い人たちが自発的に、「家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではないという今の環境」を捨て去ってはせ参じてくれることを夢見て、「愛国心」の植え付けを図っているのです。だからこそ、「愛国心教育」に熱心な人々が唱える「愛国心教育」というのは、多分にカルト宗教団体が行うカルト教育に似通ってきます。シンボルへの崇拝、その集団に属していること自体の優越感、敵キャラの設定、etc.。

 そういう意味では、「愛国心」をもっていると肯定的に話すkicktoさんに「お前戦争がしたいのかよ」と答えるお友達のセンスは悪くないです。若い人たちに「愛国心」を押しつけたい人々は、自分たちが「愛国心」の名の下に号令をかけると、「家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではないという今の環境」をうち捨てて、戦場にでも何でもはせ参じてくれる人間になって欲しいと願っているからです(彼らの多くが、「家族と暮らし、友達もいて、衣食住にも決して不自由しているわけではないという今の環境」を支えている日本国憲法に不満を持ち、むしろ、多くの若者を犬死にさせた大日本帝国憲法下の日本にシンパシーを感じているのは偶然ではありません。)。

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27/12/2008

While respecting the intelligence of (our) people

 昨日、今年の「Person of the Year」が特集されているTime誌を有楽町の書店で購入しました。

 まだ最初の方を読み始めているところですが、Joe Kleinというコラムニストの

Obama's greatest achievement was that he won the presidency while respecting the intelligence of the American people
という言葉は印象的でした(私なりに翻訳すると、「オバマの最大の功績は、アメリカ人民の知性に敬意を払いながら大統領選挙に勝利したことだ」ということになります。)。

 この言葉の意味は、町山智浩さんの「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」等に描かれている、過去2回の大統領選挙(共和党の予備選挙を含む。)で行われてきたデマ戦術のひどさを前提とすると、悲しいくらいに実感が沸いてきます。デマを流布することで国民を煽動し、自分たちの望む方向へ国政を動かそうとすることこそ、国民の知性を愚弄するものというべきです。もちろん、少なくない国民がこの種のデマに乗らされ、その結果デマ戦術を効果的に駆使した側が過去2回の選挙では勝利を収めています。それでも、この種のデマ戦術の採用を踏みとどまるということが、国民の知性に敬意を払うということです。

 興味深いことは、日本でも米国でも、表向き「愛国心」を強調する保守ないし反動陣営ほど、自国の国民の知性を信用せず、メディアやネットを用いたデマ戦術に熱心だということです。デマの方向も、外国勢力や国内マイノリティに対する憎悪や敵意を煽り立てた上で、特定の政治家や政党とこれらの勢力との結びつきを強調するというものが多用されており、よく似ているといえます。

 来年には確実に行われる総選挙において、自民、民主両党は、日本人民の知性に敬意を払いながら、選挙運動を貫徹できるのでしょうか。そして、日本国民は、悪質なデマに負けることなく、自分たちの知性に敬意を払ってくれた政治家に応えることができるのでしょうか。

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16/12/2008

もって他山の石となす

 我が国の法制度について少し調べれば普通の理解力のある人であれば嘘だとわかるデマを流してこれをあしざまに罵る人々を愛国者だと讃える人々がいるということは,ある意味驚くに値します。また,国会議員や国政選挙立候補予定者が公然と近隣諸国ないしその国民についてかなり根拠の乏しい陰謀論を公然と宣い我が国の国際的な評判を落としめようとしているのを拍手喝采している人が,「日本が大好き」などと自称していることに,ある種の倒錯を感じます。

 ハイダー氏が入閣することによりオーストリアの国際的評価がどうなったのか,ルペン氏が大統領選の決選投票に残ったことによりフランスの国際的評価がどうなったのか,そう遠くない歴史を振り返っても,ゼノフォビアがその国の国内で支持を集めることが如何に「国益」に反するのかを,私たちは再確認することができます。アメリカ人が「フレンチフライ」を「フリーダムフライ」と言い換えたときのことを思い起こせば,自国にまつろわぬ国をあしざまに表現することがいかに子供じみて映るかを,私たちは再認識することができます。まさに,「もって他山の石とする」べきなのです。

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25/11/2008

規制改革会議に対して意見を投稿してみた

 福井秀夫政策研究大学院大学教授のご意見があまりにひどいので,規制改革会議のウェブサーとにアクセスして,「規制改革会議に対するご意見・ご感想」を投稿できるフォームを用いて,下記の意見を投稿しました。


 私は,弁護士を務めるものです。

 さて,週刊東洋経済2008年11月22日に掲載された「設計ミスの司法改革弁護士大増産計画」という記事の中に,「政府の規制改革会議の福井秀夫・政策研究大学院大学教授は『ボンクラでも増やせばいい』と言う。『(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい』」との記載があります。

 法曹人口をどうするのかについてはいろいろな見解があり得るとは思いますが,弁護士を大根やニンジンなどの野菜と同視するところまで蔑視ないし敵視されている方が,規制改革会議の委員に留まることは,同会議における法曹人口論に関する提言は,同委員が有する弁護士に対する蔑視ないし敵意に引きずられて,利用者を守るために必要な規制すら,適当な論理をくっつけて,その撤廃を提言するに至る危険があります。それは,何が必要な規制で,何が不要な規制であるかを明らかにした上で,後者の撤廃ないし改善を提言する規制改革会議の本旨に沿わないものと思料されます。

 また,「(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務」との福井委員のご見解は弁護士の仕事の実際を調査の上でなされたものとは思いがたく,既に福井委員がとらわれている弁護士に対する蔑視感から出た偏見に基づくものだと思いますが,このような偏見に基づく見解を公言する人間が,「規制改革会議」という,多くの人々にいわば「痛み」を甘受してもらうことを提言せざるを得ない会議の委員を務めていることが適切とは思われません。

 従いまして,一日も早く,福井秀夫委員を規制改革会議の委員から外していただき,同会議の信頼性と権威を復活させていただきたく,ご意見申し上げます。

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「ボンクラ」でも務まる定型業務

  週刊東洋経済2008年11月22日号に掲載された「設計ミスの司法改革弁護士大増産計画」という記事の中の下記記載が話題になっています。

政府の規制改革会議の福井秀夫・政策研究大学院大学教授は「ボンクラでも増やせばいい」と言う。「(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい

 政策研究大学院ではそうなのかもしれませんが,一般に,大根やニンジンは,「サービス」ではなくて「商品」と位置づけられているかと思います。また,福井教授が何をもって「定型業務」と位置づけているのか分からないのですが,「定型業務」だから「ボンクラ」でもよいというのは定型業務従事者に対する蔑視感の表れでしょう。定型業務でも,その定型を維持するのに非常な能力を必要とする業務はいくらでもあります。

 あっ,そういえば,「ボンクラ」でも務まる「定型業務」を一つ思い出しました。「新自由主義」の立場から,さしたる根拠もなしに,ただただ規制を緩和せよと繰り返すだけの,何とか審議会の委員さんです。その程度の定型業務なら,「現実に目をつぶる」「未来に責任を持たない」という不誠実ささえ持ち合わせていれば誰にでもできますので,是非とも一般競争入札としていただき,より安い報酬で受注する事業者に委託するようにしてもらいたいものです。

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19/11/2008

FJneoさん,おめでとう

 FJneoさんが,旧司法試験に合格されたようです。おめでとうございます。

 先に司法試験に合格している者としてアドバイスをするとすれば,会社にお願いして,司法修習を受けさせてもらった方がよいということです。旧司法試験合格者対応の司法修習はあと2回分しかないということもありますが,企業法務を行う上で,刑事事件をちゃんと見ておくということと,左翼系の弁護士とざっくばらんに語り合える機会をもつということは,結構プラスに働くからです(そういう意味で,渉外系や企業法務系の事務所の訪問にばかり忙しくて,左翼系の大御所の事務所への事務所訪問等を行っていない修習生とかは勿体ないことをしているなあというのが,私の正直な感想です。法曹三者は,修習生に対しては,かなりざっくばらんな話をする伝統があり,同じ話は弁護士登録してからでは決して聞けなかったりするのですが。)。

 それはともかく,法曹養成制度改革の一つの目的は多様な人材を法曹に迎え入れるということにあったと思うのですが,FJneoさんのケースでも明らかなとおり,企業勤めしている方にとっては,会社を辞めて法科大学院に入学するというのは却ってハードルが高いわけで,旧司法試験を完全に廃止してロースクール制度一本に絞った場合は,人材の多様性は却って犠牲になってしまうことがほぼ明らかになってきたように思います(法科大学院制度の導入によって,従前の司法試験制度の下では決して司法試験に合格しなかったようなレベルでも新司法試験に合格できるようになったということで,学力の多様性はもたらされたわけですが。)。

 そういう意味では,旧司法試験枠をこれからの数百名程度残してもらうと,その中から,学力ではなく,社会経験が多様な人材が輩出されてよいのではないかという気がしてなりません。もちろん,予備試験枠があるという話はあるのですが,どんなに親に金が余っていても,どんなに親がよい顧問先をたくさんもっている法律事務所を経営していても,本人の学力が不十分だと弁護士になれないという点を除き,旧司法試験下の法曹選抜に特段の問題はなかったわけですから,予備試験なんて屋上屋を重ねるようなことはやめて,旧司法試験枠を残していただくのが素直だと思うのです。

 新人を採用する法律事務所の立場から見たって,学力を重視したいか,出身階層を重視したいかで,旧試験組を採用するか,新試験組を採用するか決めることができるので,それはそれで助かるわけですし。

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15/11/2008

自分たちだけ税引き後の金額を示して「実質所得は高くない」ということはフェアなのだろうか

 日本医師会総合政策研究機構の前田由美子氏の「『医療経済実態調査結果速報-平成17 年6 月実施-』に関する分析」には,次のような記述があります。

このように計算上控除可能なものを差し引いただけであるが、その結果、有床診療所では年間の収支差が2,849 万円(月額237 万円)【16 頁】といっても、開業医の年収相当額は1,022 万円以下、無床診療所では年間の収支差が2,728 万円(月額227万円)【16 頁】といっても開業医の年収相当額は1,121 万円以下と計算された。
 なお、キャッシュフローという意味では減価償却費を加えたものが手元に残っているが、キャッシュフローの中から設備投資および設備投資のための積み立ても行っていかなければならない。平均的な開業医の可処分所得は最終的には1,000 万円を切ることは明らかである。

 しかし,これは明らかにまやかしの議論ですね。一般に,年収に関する統計処理を行う場合には,そこでいう「年収」は税込みの「年収」を用いるわけです。何で開業医の「年収相当額」だけ,税引き後の数字を用いるのでしょうか(まさか,開業医以外は所得税や住民税を支払っていないと思っていないですよね>前田さん)。

 また,退職金相当金についても,有床診療所で128万円,無床診療所で140万円というのは,一般サラリーマンと比較するつもりならば多く積み過ぎであって,大卒で60歳定年の場合の退職金の平均は2400万円程度ですから,1年平均で63〜4万円位を会社に預けている計算にしかなっていないのです。

 設備投資のための借財の返済金はサラリーマンは負担しないものであるという点を酌んだとしても,サラリーマン等の「年収」にあたるのは,有床診療所で2264万円,無床診療所で2311万円ということになります。

 上記報告書はさらに,

なお、キャッシュフローという意味では減価償却費を加えたものが手元に残っているが、キャッシュフローの中から設備投資および設備投資のための積み立ても行っていかなければならない。平均的な開業医の可処分所得は最終的には1,000 万円を切ることは明らかである。
とあるのですが,借金をして購入した設備に関しても減価償却の対象となる以上,減価償却分を全て次の設備投資のための積立金と同視して,借財の返済金とは別に,「キャッシュフロー」から控除して,「実質的可処分所得」を算出するのがフェアだとは思えなかったりします。

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銀のスプーン

 それにしても,ブッシュ大統領が去り,オバマが大統領に就任すると,G8には,いわゆるボンボン政治家は日本の麻生首相だけになってしまいそうです。

 政治家の二世がほかにいないというだけではなくて,裕福な家庭で育ったということすら他にいないかもしれません(カナダのハーパー首相は親御さんが会計士なのでそれなりに裕福だった可能性はありますが,あとは牧師とか大学教員とかが多いですね。)。G8諸国にかぎらず,民主化された国では,苦労知らずの政治家2世の最高指導者というのは珍しいようです。拡大会合参加国に目を向けても,軍人出身のユドヨノ・インドネシア大統領や,労働組合出身のモラ・ブラジル大統領や,そもそも人種隔離される側だった南アのモトランテ大統領はもちろんのこととして,韓国の李明博大統領やインドのシン首相,オーストラリアのラッド首相,胡錦濤・中国国家主席も「家は貧しかったけど,無茶苦茶優秀だったので,若くして頭角を現した」系ですね。しいていえば,メキシコのカルデロン大統領くらいでしょうか。

 そういう意味では,ブッシュ大統領が去ってしまうと,日本の最高指導者は国際会議等で孤立してしまわないか心配になってしまいます。

 その分,これらの国の最高指導者は,インテリが多く,子供のころから商才に長け1代で財閥を作ってしまったベルルスコーニは別格としても,弁護士や研究者を前歴とする方が多いですね。ここでも異彩を放つのは,元コンピュータ・アナリストであるハーパー首相です。ハーパー首相にしても,アイスホッケーの歴史についての書籍や雑誌記事を書くのが趣味ということで,インテリっぽいところがありますが。

 自国のトップが満足に自国語の表記を読めなことを馬鹿にするというのは小ブッシュ政権下でのインテリの憂さ晴らしの一つだったと思うのですが,そんなことが期待できるのは,G8では日本だけになるかもしれません。

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11/11/2008

無邪気の勝ち

 田母神論文問題等を見ていて,昭和初期の日本は悪いことをしていない或いは日本だけが責められるいわれはないと声高に主張したがっている人は何がしたいのだろうかと,疑問に思ってしまいます。

 そのような主張をする人々がそのような主張をすることによって日本の対外的な評価を高めたことはこれまでもなかったのだから,おそらく同じようなことをやっても日本の対外的評価を高めることもないだろうということは,概ね見当が付くのだろうと思うのですが。

 日本の対外評価を高めるという点に関しては,名前が同じだと言うだけで無邪気にオバマ候補を応援してしまう小浜市民の方がよほど役に立っていることにいい加減気がつけばいいのに,と心より思ってしまいます。

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09/11/2008

ボツネタの終了

 岡口裁判官の「ボツネタ」が明日で終了してしまうそうです。

 結局,「匿名であればコメント欄でやりたい放題」というシステムの下では,有益な情報を提供するブログ等が潰されていってしまうということの一つの証座なのでしょう。こういうことをいうと,有益な情報の提供は既存メディアでやればいいみたいな反論がくるかもしれないですが,卑怯者に場を支配され,「良貨」が駆逐され又は萎縮する情報スペースなんてなんの意味があるのか大いに疑問です。

 「荒らしは荒らされる方に問題がある」云々といって却って被害者の側を非難する言動がネット世論では声高に叫ばれがちですが,今回の件に関して言えば,岡口さんは,特にこの「荒らし」の方を不当に刺激するようなことはいってはいませんので,あとは東大法学部卒の裁判官がブログを開設すること自体の当否ってことにしかならないではないですか。そういう経歴の持ち主がブログを開設できないって,どんだけ嫉妬社会なんだという暗澹たる思いになります。

 ブログ事業者達は,一日も早く有効な「匿名の荒らしさん」対策を練るべきだと思います。

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06/11/2008

医学部は6年制である必要があるのか

 医師の頭数を早期に増やさなければいけないとのことであれば,6年生ではない医学部を創設するということも検討するに値します。

 実際,米国などでは,4年制の医学部というのも結構多いのであって,米国でできることが日本でできないというためには,日本ではできない特段の事情を説明することが必要です。

 もちろん,米国の4年制医学部というのは,法科大学院と同様に,他学部を卒業していることが前提となりますから,新規医師資格取得者の年齢は上昇することとなろうと思いますが,その点はさほど重要ではないように思います。

 平均年収1400万円(主たる勤務先からの支給額でも平均1000万円以上)という所得レベルに魅力を感じる人は少なくないと思いますので,給付型奨学金を充実させれば,社会一般の労働環境を知っている人々が医療の世界にどんどんと進んでくるようになるかもしれません。そうなるのであれば,医師からの「俺たちの出す条件をそのまま飲まなければ俺たちは逃散するまでのことだ」との脅しにただ屈して,現在の開業医の所得水準を勤務医にも保証し,かつ,医療ミスによって患者が死傷しても患者またはその遺族が泣き寝入りするか若しくはその損害を公的資金で補償することとするよりは,安くつくのではないかという気がします。

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米国大統領選

 米国大統領選の結果が出ました。外国人の反応は概ね圧倒的にオバマ>マケインなのに得票率だけ見ると52%対46%で意外と接戦であったことや,それでいながら「Winner Takes All」なので獲得代議員数では68%対32%になってしまうことなど,注目される点が多々あります。

 それでも,このような困難なときに,バラック・オバマのような複雑な背景をもった政治家が突如として現れ,「言葉」の持つ力で,ついに大統領選を勝ち抜いてしまうというところに,米国の底力を見た思いがします。

 Facebook等を活用してネットを前向きの選挙活動等に利用して「自分たちの候補」をついには大統領にまで押し上げてしまった米国のネット市民達を見るにつけて,シニシズムに満ちた後ろ向きの発言ばかりが目立つ日本のネット社会の行く末に悲しみを覚えてしまいました。

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05/11/2008

人口あたりの医師の数が日本より遙かに多い国の医師の処遇

 人口あたりの医師の数がOECD諸国の中でギリシャに次いで2位のイタリア(日本の約2.1倍)は,医師の所得から強制控除額を差し引いた金額(ただし購買力平価で算定。以下同じ)は月額1928ドルです。日本のそれが月額3654ドルです(ただし,日本側の数字は勤務医のみを計算したものであって,勤務医よりも労働時間が短くて収入が2倍近い開業医を含んでいません。)から,イタリアの医師が週38時間働いているのに対し,日本の医師が週70時間働いてようやく時間単価としてとんとんになります(おおざっぱに1カ月4.5週と計算して,日本が約11.6ドル,イタリアが約11.3ドル)。同様に,人口あたりの医師の数が日本の約1.7倍であるポルトガルで約9.4ドルということになります。

 そういう意味では,日本の現在の勤務医の給与レベルというのは週70時間働くことを前提としたものと言いうるのかもしれません(それは,医師資格を持つ国会議員を通じたロビー活動等により医学部の総定員を削減させ,「供給」を絞った成果でもあります。)。逆に,今の給与水準のままで週40時間労働で収めることとした場合には,アメリカ,イギリスと並ぶ,医師達のパラダイスということになりそうです(米国と違って,医師賠責保険に年間数万円し払うだけで足りるのですから,そういう意味では米国以上に医師達のパラダイスができあがりそうです。)。

 もちろん,公的な社会福祉予算の大部分を医師に配分することになりますから,介護関係者や失業者にはその文地獄のような国になるとは思いますが。

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03/11/2008

現状はプラスのようです。

 novtanさんは,

小倉先生は、「現状ですでに恵まれている、さらなる厚遇を求めているのか」とお考えのようです。それは給与の面にしか言及されないということである程度想像できます。でも、僕とかは「現状すでに状況はマイナスだ。せめてプラスといわないまでも0くらいに」と考えているわけですよ。

述べています

 医師という職業自体が「現状すでに状況はマイナス」だとするならば,「勤務弁護士→開業医」ではなく「医師→医師以外の職業」という流れが主流を占めるはずなのですが,「勤務医不足の原因が,勤務医から他の職業への人材の流出にある」という分析結果は今のところ目にしていません。また,医師になる以外にはほとんどつぶしのきかない医学部は,その多くが未だ高い入試偏差値を維持しており,私立に関して言えば高い授業料を徴収することとしてもなお,入学希望者がたくさんいるというのが実情です。

 また,

もう一度言っておくと、配分云々以前に今絶対頭数が足りてるのかということを検証したほうが良いんじゃない?ってことなんですが。僕は現状を何とかするためにもう少し医療費を出してよいと思っているのですが、そう思ってない人は、削減するための根拠の数字くらいは出した方が良いんじゃないですか?

とも仰っているのですが,医師自体の総数は医学部の定員と医師国家試験の合格レベルの設定の問題であって,医療費を増額したからって医師自体が増えるわけではありません。個別の医療機関における医師の頭数については,定員の設定自体が少ないところについては定員の設定を増やすことが可能ですが,都立墨東病院のように,十分な定員を設定したのにその定員を全然満たすことができないところでは,自治体としては手の打ちようがありません。まあ,阪南市立病院の例を見ていると,年収1300万円では医師は来てくれないが2000万円ならば来てくれるとのことで,まさに「銭ゲバ」体質のようにも見えますが,それはともかく,定員9のところ,1人あたりの平均年俸を1200万から2000万円に引き上げると,それだけで7200万円の支出増ということになります。

だから、適正な人数を確保して、その給与水準が医者になる努力と費用に対してインセンティブ足るものであり、それによって医療費が足りなくなるのであれば、医療費の増額が必要だし、削減出来るなら削減すればよいわけです。

とのことですが,墨東病院の例を取っても,自治体側は,適正な人数を定員枠として確保しており,給料だって,「医者になる努力と費用」との関係では十分報いるだけのものを用意しているわけです(都立病院医師でも,大学・大学院卒男子の平均年収より500万円程度多いので,私大医学部にいったとしても,5〜7年で投下資本を回収できます。)。しかし,開業医が楽して儲かる存在であることにより,相対的な評価により,平均1200万円ではやっていられないということになってしまうのです。で,り続ける現状の下,一般サラリーマンの3倍程度の収入では限り,勤務医の給与水準が一般のサラリーマンのそれからかけ離れた高額のものであっても,「自分たちは不遇である」という思いが消えない虞があり

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公立の進学校ってそんなものだし,それで不都合がありますか?

 スポニチアネックスに次のような記事が掲載されています。

 橋下知事は商業高校の生徒らが研究成果などを発表する「第18回全国産業教育フェア大阪大会」に来賓として出席。「高校生の諸君にメッセージを発したい」と前置きして、自身が受けた教育について「(卒業後の)職業が全く意識させられない。学力も別に言われない。何でもかんでも生徒の自由。日の丸・君が代も全く教えられなかった」と説明した。

 しかし,彼は大阪府立北野高校という関西屈指の進学校出身だったはずであり,その種の学校ではほとんどの生徒が大学に進学するので,職業を意識した教育って,まあ,やらないでしょう。基本的には知識等はある子が多いので,特に学校で何かを教えなくとも,政府が日の丸を国旗,君が代を国歌として扱っていること,特に政府は日の丸・君が代を政府への屈従の証として活用しようとしていること,並びに日の丸の概ねのデザインおよび君が代の歌詞および主旋律くらいは知っているので,敢えて取り上げる必要もないわけです。

 橋下知事は,

さらに「頑張ったやつも評価されなかった。差がつくことはいけない、と。そうしたら『頑張ろう』という気力がなくなる。そういう教育はおかしい」と強調。
と述べたとのことですが,進学校の場合,外部模試での偏差値等で,教師がとやかく言わなくとも自分で順位ないしその変動を意識できるようになっているから,逆に言うと「頑張ったやつ」を教師が特に評価することは不要なのではないでしょうか。

 橋下知事は,「僕が受けた教育は戦後でも最悪だった」と述べたとのことですが,中低所得者層の子供は,公立高校の入試に失敗したら中卒で働け,と知事から言明される,そういう教育行政ほどはひどくはないのではないかという気がします。

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02/11/2008

どんだけ衆愚だよ

 津田大介さんが次のようにつぶやいています。

ほんとバカだなあ。こういう議論を角度を変えてオープンな形で8回も地道にやってきたから延長が止まったんじゃないか。これにスター7個ってどんだけ衆愚だよ。http://tinyurl.com/69o3zy

 世の中を少しでも自分たちにとってよい方向に変えていく,あるいは,自分たちにとって悪い方向に変わらないように抵抗するって結構大変な話であって,ネットで「匿名」という安全圏に隠れて,自分たちにまつろわぬ者を嘲笑しながら偉そうなことをいっているだけでは実現しないのであって,それなりに汗をかきリスクを背負わないといけないわけです。そりゃ,もっとも声高な人たちすら,そのようなことを自分が言っていると知られたらやばいと思っている主張を誰が自らの名の下に代弁し,しかるべき部署や人々への働きかけを行ってくれるというのかっていう話です。

 矢部弁護士のブログのコメント欄では,一応法律家を名乗る人たちが,業務上過失致死罪の廃止云々と景気のよいことを言っていたようですけど,それだって,矢部弁護士のブログのコメント欄で気勢を上げて,あそこの医療系コメンテーターからお褒めをいただいて喜んでいるだけでは,それが実現する可能性はないわけで,例えば,今年の人権大会のテーマの一つが医療問題だったのですから,患者側の弁護士がたくさんいる大会会場において,医師にはもっと気楽に医療ミスをさせましょうという意見を出して賛同者を集めるくらいのことはするべきだったのだと思います。一応法曹資格を持って働いていると,法律問題に関して言えば,いろいろな手段でメディアに意見を発表する機会があるのだから,ちゃんと既存のメディアも活用すればいいのにね,って思ったりします。

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予算に限りがある現実社会では,頭数の問題と給料の問題は切り離せない

 勤務医が不足することによる「医療崩壊」を防ぐために,「医師をもっと厚遇せよ,医師に特権を与えよ」という医療側の一連の議論は,上記「医療崩壊」を防止するためには,「勤務医→開業医」の流れを食い止め,逆に「開業医→勤務医」という流れを作りだそうというものだったと思っていたのでしたが,NOVTANさんのこのエントリーは,そこの根本の部分でちゃぶ台返しをしようというものです。

 いやまあ,きっと,「勤務医不足は,勤務医の給料が安すぎるのがいけないのだ。医療費を増額して勤務医の給与水準を引き上げろ」みたいな主張に対しても,お金の問題ではないと反論して下さるのでしょう。でも、医者の給料は高すぎる!給料を減らすべき!って考える人も当然いていいと思うわけです。だからといって、今の激務で給料まで下げるんなら辞めるって人がどのくらいいるかと思うとね。とNOVTANさんは仰っていますが,開業医の所得水準が大幅に下がれば,勤務医は病院勤務を辞めるともっと所得水準が下がることになるわけですから,現在のように,「治外法権を認めてもらえないなら病院勤めなどやめてやる!医療ミスで患者を死なせたからといって,患者の遺族が俺たちに感謝の意を表せず,むしろ俺たちを責め立てたり,俺たちに訴訟を起こしてくるのであれば,病院勤めなどやめてやる!」みたいなことって軽々しくできなくなるわけです(医療系の方々は,医師の所得水準がキー局の正社員やパイロットのそれより低いことに憤っておられるようですが,あちらの方がなるのが大変ですので,「こんな給与水準の低い勤務医など辞めてやる!明日から,キー局の正社員か又はパイロットになるんだ!」みたいなことをいってもそれは難しいように思います。)。

 また,novtanさんは頭数の問題なのに給料の問題に転化してしまってないですかね。とも仰っているのですが,頭数を確保するためには一人あたりの配分額は抑制しなければいけないのだということを,中学生程度の算数ができる人にはわかりやすく書いたつもりなのですが,理解していただけなかったことは残念です。公立病院などで,全ての医師が週40時間労働で済むような人員配置を,同水準の開業医の現在の所得水準と同等か又はそれ以上の給与水準の下で行う余裕があれば,給料の問題を考えずに頭数の問題を考えることが出来るのかもしれませんが,そんな余裕など現実にはどこの自治体にもありません(橋本知事を支持されるような方は,私学助成を撤廃して,公立高校の入試に失敗した中低所得者層の子供達には自己責任として中学卒で働いてもらえば,財源が確保できるではないかと仰られるかもしれませんが,それはそれで大阪以外では非現実的な話です。)。現在の勤務医の平均年収(1400万円)を維持した状態で週40時間労働の厳守というのも財政的に無理でしょう(既に,一般の賃金労働者の3人分,大卒・院卒男子の賃金労働者の2人分の所得水準なのですから)。したがって,勤務医の望みが真に労働時間の短縮にあるのであれば,給与水準の引き下げは受け入れざるを得ないように思います。

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全国教育問題協議会の統計処理能力

 産経新聞の阿比留記者は,全国教育問題協議会の教育研究大会での山梨県の現役教員の発表を引用する形で,次のように述べています。

 それによると、この期間の山梨県教組各支部の委員長、書記長、財務部長ら役員計138人のうち、管理職の対象年齢に達していない13人を除く125人について追跡すると、
1. 36人(28.8%)が県教育委員会に登用されている(校長・教頭経由を含む)
2. 47人(37.6%)が校長に登用されている。
3. 30人(24%)が教頭に登用されている。
4. つまり、90.4%がいわゆる管理職に就任している
 という結果が出たそうです。

 教育委員会の委員を「管理職」というのが適切であるかも一つの問題ではありますが,その点をひとまず置くとしても,上記1ないし3を単純に加算した場合,校長又は教頭に就任しかつ県教育委員会に登用された人を二重に加算することになっているように思います。また,教頭→校長というコースをたどる方もおられると思うのですが,教頭に就任しその後校長に就任した人を二重に加算していないかとても心配になります。

 阿比留記者は,ジャーナリストとして,全国教育問題協議会の教育研究大会で語られていたことを正確に読者に伝えているだけなのだと思いますが,統計の処理に難があることには触れておいた方がよかったのではないかと思います。まあ,この発表がなされたときに会場から統計の処理の仕方に疑問の声は上がらなかったのだとすれば,そのこと自体がニュースなのかもしれません。

 なお,民間企業でも,組合幹部経験者が出世しやすい傾向にあるところは少なからずあるようですが,そのことをもって,会社が組合に牛耳られていると強く推定されることはあまり多くはないように思います。

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01/11/2008

勤務医とアニメーター

 いろいろ数字を見ていて気がついたのですが,勤務医の労働時間とアニメーターの労働時間ってほぼ同じくらいなのですね。

 で,5年目で850万円,平均で1200万円で雇ってもらえるとなれば,アニメーターの場合,大幅な労働環境の改善となるわけです(桁が1つから2つ違いますから。)

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29/10/2008

自治体の財政と医療

 novtanさんは,

医師全体の処遇を上げろじゃなくて人増やせなんだけどなあ。利にさとい医師が開業医になるのが医療崩壊の原因だとしたら、勤務医の待遇(というのは収入だけじゃなくて労働の質ね)を上げれば改善に向かうだろうし、絶対数が足りなければ増やさなければならない。どちらにしても医療費を増やさないとどうしようもないわけですが。
仰っています。お金が無尽蔵にあるならば,そういうことも可能かもしれません。しかし,国もほとんどの自治体も,財政に余裕がありませんから,開業医の所得水準が大学・大学院卒男子の全年代平均給与の3倍以上ある状態を放置しつつ,勤務医の給与水準をそのレベルにまで引き上げることは,よくよくそれ以外の分野での公的支出を絞らなければ難しいし,それをやってしまうと税金の使い方として非常にバランスを欠くことになります。

 安い,安いと医師達からは馬鹿にされ,定員を全然満たせないでいる都立病院だって,2007年の段階で医師に平均1200万円程度の給与を支払っていたわけで,これだって,都庁職員の給与体系を考えたら,かなり突出して大金を支払っているわけでです。この給与水準で満足する医師が相当数いれば定員一杯まで都立病院の医師の数は増えるし,そうすれば中の医師の勤務シフトは大分楽になるわけでしょう。他方,都立病院の医師の給与水準を平均2800万円にしようと思ったら,都立病院の医師数約800人×1600万円=128億円かかるわけで,その分どこかで支出を減らさないといけないわけです(都立病院の医師の平均年収を2800万円に引き上げるために都税を増税しますなんて公約を掲げたら,さすがに議員も都知事も落選するのではないかという気がしますし。)。だからって,大阪府ではないのだから,私学助成金を廃止して,医師等の特権階級の子女以外は都立高校の入試に落ちたらあきらめて中卒で働け,生まれてくるところを間違えたのがいけないのだから自己責任だ,みたいな話はできないのです。

 そういう意味で言えば,東京都は,都立病院において医師を増やすためにやれることはやってきたと言いうるのであって,ただ,大半の医師にとっては,資格取得5年目(30歳くらい)で,全給与所得者の平均年収の2倍,全病院平均で全給与所得者の平均年収の3倍なんていう給与水準では,ばかばかしくてとてもではないがそんなところでは働けないとして拒絶されてしまっているからこそ,都立病院は医師の定員を充足することができず,残った医師が超過勤務を強いられることになるわけです。結局,都立病院に残った医師の労働時間が長くなった原因は,他の医師達の給与についての要求水準が高いことに帰着するのであって,それだけの高い要求水準が維持できるのは,医師会の政治力のおかげで,開業医の所得水準が尋常でなく高いからです。

 そうなってくると,病院の勤務医不足を解消するには,開業医の所得水準をまず常識的な範囲まで引き下げなければならないという結論に到達するわけです(実際,これによれば,米国のPrivate PracticeのFamily doctorの所得の中央値は12万5000ドル(約1200万円)なわけで,日本の開業医の所得水準は米国のそれと比べても相当高いのが現実です。

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28/10/2008

「俺たちを優遇する以外の改善は認めない」という人たち

 矢部善朗弁護士のブログのコメント欄で,相変わらず「?」な議論が続いています。

 あそこに常駐する医療系コメンテーターの方って,結局,医療従事者を優遇し,特権を付与する,患者側はどんな目にあってもそれを甘受するという方向のお話しか受け入れられないのですから,いささかでも前向きのお話をするのは無理だと思うのです。

 複数の救急患者受入病院内の複数の医師および病床の稼働状況を適時に集中管理するなんていうのは現代のIT技術から言えばさほど困難な課題ではありません。もちろん,腕の悪いSEに作らせると使い勝手の悪いものができる可能性はありますが,「誰が,どうやって,どの程度の情報を,どの段階で」入力するのかを工夫すればよい話です(Choirさんという方が,「1日2回更新なんてシステムではなくて」というエントリーのコメント欄に投稿された文章の中で,「業務系システムで飯食ってるSIerの端くれ」として,結局のところ、今なら何が出来るかという判断をシステムに入力できるのが医師自身しかおらず、その入力には時間がかかると。センターで活用できるだけの情報量となると、UIを洗練させたところで、10〜30分は堅いでしょう。と述べておられましたが,こういうSEにシステム開発を委託してはいけないのだなあと正直思いました。この方は,このシステムを円滑に運用するために,逐次的に追加入力していかなければならない情報としてどのようなものを想定したのかわかりませんけど,「複数の医師および病床の稼働状況を管理する」のに,「UIを洗練させたところで、10~30分は堅い」ほどの情報量が必要になるというのが私には想像しがたかったりします。もちろん,どのような情報が必要かは,救急患者の配送を手配する消防庁の職員やこれを受け入れる病院側から話を聞かないと定かなことはいえないとは思いますが,それにしても「UIを洗練させたところで、10~30分は堅い」ほどの情報量が必要となるということは考えがたいように思います。

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「なぜそんなに払ってそんなに働いてもらわないといけなくなったか」と

 「十分にお金を出しているのに文句を言われる国民の不幸」について,zuさんから,「そもそも週70時間が非人間的だと思うけど。なぜそんなに払ってそんなに働いてもらわないといけなくなったかの考察が抜けてる。」とのブックマークコメントをいただきました。「なぜそんなに払ってそんなに働いてもらわないといけなくなったか」という点についていえば,複数の原因が考えられますが,結局のところ,多くの医師の方々の金銭欲が強すぎることに帰着します。

 単純に言えば,ある病院において,特定の診療科について,常勤医のための人件費として3000万円程度を確保した場合に,医師一人あたりが1000万円の年収で満足できれば3人の医師を雇えますし,1500万円以上ないと満足できないのであれば2人しか雇えません。この場合,仕事量が一定だとすると,2人しか医師を確保できなかった場合の医師一人あたりの労働時間は,3人しか医師を確保できなかった場合の医師一人あたりの労働時間の1.5倍ということになります。また,仮にベテランの医師を年収1500万円という厚遇を掲げて医師を確保したとしても,開業医になれば年収2500万円に楽々届くという制度の下では,一定の経験を積んだ勤務医は次々と病院勤務を辞めて開業していき,残された医師の勤務時間が増大することとなります。すなわち,日本医師会等のロビー活動の成果として開業医が優遇されすぎていること,残された医師のことに配慮せず,「開業医」というおいしいポジションに飛びつく医師が多いことが,残された勤務医の長時間労働を必要とする環境を醸成します。

 また,主たる勤務先はそんなに働いてくれとは言っていないが,主たる勤務先からの給与だけでは飽きたらず,アルバイトに精を出す医師が多いので,結果として,勤務医の平均総労働時間が上昇するということもいえます。

 日経メディカルオンラインによれば,主たる勤務先からの収入は,35歳以下の医師で約765万円,36歳以上の医師で約1379万円とのことです。これだけもらっていれば普通はそれなりに暮らしができるはずなのですが,35歳以下の医師の場合,年平均で268万円ほどアルバイト収入を得ています。それだけ働いていれば,長時間労働となってしまうこと宜なるかなという感じがします。

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27/10/2008

十分にお金を出しているのに文句を言われる国民の不幸

 novtan氏は,

結局のところ、医療制度を維持したいけれど金は出したくない、という無茶は通用しないんだけど、なんでそういう無茶をさも正義かのように言い張る人がいるかということだな。
なんてことを仰っているようです。少なくとも,我が国においては,医療制度を維持するために莫大なお金を投入している(医師一人あたりの医療費は先進国内でもトップクラス)ことなど無視されてしまっている感じがします。

 まあ,医療系ブロガー・コメンテーターの中には,あたかも日本では医師達に犠牲を強いることで医療制度が維持されているかのごとく喧伝する人たちがいますけど,日経メディカルオンラインによれば,勤務医の平均年収が約1410万円,中央値で1400万円である(主たる勤務先からの給料分だけでも平均で1198万円ある。)こと考えると,日本では医師達はかなり厚遇されているのであって,少なくとも収入面については犠牲を強いられているとは言い難いわけです(平均年収が約330万円で,その6割が年収300万円以下という介護福祉士ならば「自分たちに犠牲を強いることで介護制度が維持されている」と言っても違和感ないですが,被用者という身分ですら平均年収が1400万円もある医師において,そのようなことを言われても,なんだか浮世離れしているように感じられます。)。

 医師は長時間労働だから時給換算だとやすいのだというかもしれませんが,週70時間労働×52週で計算しても,時給は約3900円となるので,かなり高給の部類に入るといえます(週50時間労働×50週で年収400万円のサラリーマンの場合,時給換算で1600円ですから,その倍以上ということになります。)。

 病院における勤務医不足は,結局,医療予算全体が少なく,医師の労働環境が全体的に悪化しているからではなく,医師会の政治力により,開業医になれば,より短い労働時間で高収入が得られる可能性が高く,利にさとい医師達が次々と勤務医を辞めて開業してしまうことによるところが大きいわけですから,保険点数を上げるなどして医師全体の処遇をさらによくしてみたところで,勤務医不足は解消しないであろうことは見当がつくわけです。

 なお,上記エントリーで引用されている舛添大臣の計画配置論では、「税金で養成してるんだから言うことを聞け」と言いますが、医学部だけでなく法学部など、どこでも税金を使っています。「この職業に就け」というのは、職業選択や住居選択の自由を保障する憲法に違反しています。との発言についてですが,保険医について,地域および診療科目ごとに定員を設けるということであれば,職業選択や住居選択の自由を保障する憲法には違反しないように思います。

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24/10/2008

1日2回更新なんてシステムではなくて

 少なくとも救急患者を受け入れることを標榜している医療機関に関して,手術室等の空室状況や,そこに勤務する医師の稼働状況(当日の予定を含む。)を,リアルタイムに近い形で消防庁が把握できるようなシステムって,医師を2〜3人増やすのに必要だと医師側が主張している医療費の増額分で各都道府県ごとに作れるのではないか,という気がします。

 一部のネット医師は,何か患者に不幸なことが発生すると,そのことを奇貨として,医師たちを,いわば「貴族」として遇せよという主張に繋げがちなのですが,それ以前に,できることはたくさんありそうです。

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21/10/2008

報道機関に対する中立性

 橋下大阪府知事が,

「朝日はからかい半分で、事実誤認もあり今すぐ廃業すべきだ」と述べた。
とのことです。橋下知事が出演していたサンデージャポンがどのような番組だったかは忘れてあげることにしたとしても,民主主義社会において,公権力の担い手が,特定の報道機関について名指しでその廃業を求めるというのは,やってはいけないことです。民主主義国においては,公権力の担い手としてしかるべきポジションに就いている人物は,報道機関に対して中立的であることが求められるのです。

 そういう意味では,新聞協会は,左右のイデオロギー対立を忘れて,直ちに橋下知事のこの発言に抗議し,撤回させるべきです。仮に,ブッシュ大統領が,国軍をバックにして,民主党よりのNewYork Timesを名指ししてその廃業を求める演説を行ったとしたら,共和党支持のメディアを含めて猛抗議を行うと思います。その程度の団結力もないのであれば,新聞協会なんて意味ないではないかという気がします。

 なお「大阪では普通のことだ」と言われても,大阪府もまた,日本国憲法が適用される地域ですから,表現の自由や報道の自由は守らなければならないことに変わりはありません。

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18/10/2008

青山のスーツ

 今日は,久しぶりに都心に出ていろいろとお買い物をしてきました。

 といっても,秋冬物のスーツを洋服の青山の御徒町店で買ったり(新橋にできたコナカのフラッグショップも見てきましたが,何となく購入意欲がかき立てられませんでした。),秋葉原のアウトレットショップで靴を買ったり,iPhone用の液晶保護シールを買ったりという,お仕事的に必要なものを購入しただけなのですが。

 最近は,コナカにせよ青山にせよ,相応の品質の商品も置いてあるので,高級ブランドスーツに身を包もうと思わなければそれで済んでしまうなあというのが正直な感想です。どちらの店舗も,2着ずつ買っておくと,2着目は1000円になりますし。

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10/10/2008

で,あなたたちは?

 産経新聞によれば,「道徳教育を進める有識者の会」なるものが発足したのだそうです。

 なんでも,

誰の言葉からも日本人の心の荒廃への危惧(きぐ)がのぞく。コーディネーターの八木秀次・日本教育再生機構理事長は「日本人の劣化」と表現、「社会を建て直すには学校の道徳教育から始めるしかない」と締めくくった。
とのことなのですが,学校の道徳教育から初めて社会を立て直そうと思うと,その社会が建て直るまでには,そのような教育を受けた人々が社会の中心になるまでの数十年単位の期間が掛かってしまいます。そんなことよりまず,守られるべきと考える「徳目」を自ら実践し,順次自らに近い人から感化していく方が,まだ社会の立て直しを速く推し進めることができるのではないでしょうか。

 どうも我が国の保守系の方々を見ていると,「道徳」というのは自らが守るべき規律ではなく,他人,とりわけ自分よりも弱い立場にいる人々に押しつけたい規律を指すものと解されている節があるわけですが,「日本の伝統」といった場合にそれを江戸時代あたりまでさかのぼって考えるとすると,道徳的規律というのは,むしろ上の方の立場にいる人々ほど守らなければいけないものとされていたのではないかと思ったりなんかします。自らは守る気がない規律を自分より弱い立場のものに押しつけるようになったのは,「戦陣訓」あたりからなのでしょうか(私は,世界史選択だったので,詳細を存じ上げませんが。)。

 参列者の一人である服飾評論家の市田ひろみさんは,

今の子供ががまんできないのは親が教えないから。道徳は人に迷惑をかけない生き方のルール
と引き締めたとのことですが,同じく参列者である中山成彬・前国土交通相にまずその言葉は向けられるべきだったのではないかと思ったのは,決して私だけではないような気がします。

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25/09/2008

今度は何世?

 麻生内閣は,平均2.056世議員の集まりなのですね。 Asocab_2

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09/09/2008

ネガティブ評価の賞味期限

 人の過去の過ちにいつまでも拘って,その人が今行っていること,そして近未来に行おうとしていることについてまでまとめてネガティブに評価するという手法は,ネットではしばしば行われていることですが,それをいつまでもやっていると,ただでさえ人材に乏しい(なんたってほぼボランティアベースですからね!)「こちら側」では,本当にぺんぺん草も生えないことになりかねません。

 仮に指摘されていることが事実だとして,警察・検察から捜査を受けて起訴猶予等の処分を受けたのなら,あとは,社会貢献をすることで償いをしてもらえば良いではないか,若手中心で立ち上げた新しい組織に「後見人」として無償でアドバイスをしたり,ロビー活動をするためのキーマンの紹介等をしてあげるのであれば,それは過去の罪滅ぼしのための社会貢献の一環としてみてあげれば良いではないかという気がします(嫌疑なし,嫌疑不十分での不起訴ならましてとやかく言うことでもありませんし)。横領経験のある人を金庫番にするという話ならさすがにどうかと思いますが,新設された中間法人の後見人なんて,犯罪的に地位を悪用することなんて普通できません(しかも,相手は,そんな地位よりは悪用しやすい肩書きを既に持っている人なんですし。)。

 もちろん,個人として「あいつだけはどうしても許せない」という人はいるでしょうから,「あいつを関与させるのならば,俺は関与しない」という行動をとること,更にいえば,その旨を事前に通告することまではいいですが,それを超えてしまうと,「俺との交流を裁ち切るのか,あいつとの交流を裁ち切るのか」という踏み絵を迫ることになり,それは,その両者とも交流していきたいと考えている第三者をただ無駄に困惑させることになってしまいます。ISED発足時にも似たような踏み絵メールは届いてきたわけですが,その時はそういう踏み絵はやめて下さいというメールをこちらから出して,そのときはそれで理解していただけたと思ったのに残念です。

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06/09/2008

MIAUの法人化記念パーティ

 昨日は,MIAUの法人化記念パーティに出席してきました。私は,MIAUのメンバーではありませんが,シンポジウム等に呼んでいただいたりしておりますので,お声をかけていただきました。いろいろな方とお話が出来てよかったです。やはり,この種のパーティ・イベントは,時間とお金が許す限り,出席するのが吉です。

 結局のところ,市民がその声を現実の政策に反映させていくためには,団結し,団体として様々な方面に適切に働きかけを行っていくことが必要ですし,そのためには,誰が交渉窓口となるのか等が透明化していることが望ましいことはいうまでもありません。一つの利益集団の要求だけが丸ごと実現するということは滅多にないので,譲歩案を受け入れられる窓口がないと,政策立案担当者としては無視する以外の選択肢が取りにくいからです。そして,そのためには「法人化」というのは一つの有力な選択肢です。団体の意思決定におけるヒエラルキーが外部から見て一応透明化されますから。もちろん,ロビー活動を行うには,(賄賂を送るとかそういう意味でなくて)様々なコストが掛かりますから,その資金を得るための寄付金を集めるための銀行口座を団体名で開設できるというのも法人化のメリットではありますが。

 もちろん,津田さんが代表者を務める団体のパーティなので,いわゆる「津田うだうだ論争」の話題もでましたけど,ネットのうだうださん達の問題の一つは,対抗勢力から見て,どこまでこちらが譲歩したら向こうも譲歩してくれるのかということを探る術がないということでしょう。もう一つの問題は,ネットのうだうださんたちは,対抗勢力側の都合というものを考えずに,要求水準を過激化させがちだということです。この,過激化したうだうださんの要求がネット上で対抗勢力の目に触れるということは,現実的な要求を実現させようと前線で交渉・ロビー活動等を行っている穏健派を背後から銃で撃つようなことになりがちです。利益集団の法人化,およびこれに伴う意見の対外的重みのヒエラルキーの可視化は,対抗勢力や政策立案担当者に対して,過激なうだうださんの意見を無視して現実的な妥協をしやすくする効果があります(もちろん,その団体の入会資格や規模,意思形成方法,類似集団の有無等によって,その団体のトップに,その利益集団を代表して妥協を含む交渉の窓口となる正当性の有無・程度が問われるわけですが。)。

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02/07/2008

働く時間

 日本の医師の労働時間に関しては、これによれば、病院勤務で週平均70.6時間となっています。ただし、病院内での診療時間に当たっているのは週40時間程度であって、それほどの長時間ではありません。20代の医師でも週50時間前後です。

 目立つのは、会議等で週9時間とられているということです。何を会議しているのかがこの資料からは判りません。治療方針についての打ち合わせならば仕方がありませんが、病院の経営に関することであれば、経営と診療を分離することにより医師を会議から解放することで、医師の負担を軽減できるかもしれません。

 また、研究と自己研修で6〜7時間ほど計上されているのでしょうか。一般の労働者の労働時間を算定するに当たって、これらは労働時間に含まれていないのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうね。あと、「差」という項目が5〜6時間ほど計上されているようですが、これが何を意味するのか、この資料からは不明です。

 この資料では、ヨーロッパ各国の医師との勤務時間との比較がなされているわけですが、「労働時間」のとらえ方が共通しているのかが判りません。このため、日本の医師のみが実労働時間が顕著に長いのかは定かには判らなかったりします。

 また、ヨーロッパ諸国との比較で見ると、病床当りの従業員数が少ないので、医師でなくてもできることを医師以外にやらせることにより、医師の負担を軽減していくこともできそうです。

 もっとも、この資料中の「需要推移」というグラフを見ると、病院医師一人当たりの患者数は減少傾向にあるようなので、「医師不足」パニックに乗じた制度改正を慌てて行ってしまうと、近い将来医師の供給過多で医師が苦しむかもしれません。司法改革の例を見ても、新人の就職先がなくなるほどの供給過多に陥るには数年で十分だし、国はいざとなればそのような状態を作り出すために税金をつぎ込むことを躊躇しない可能性があります。

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20/06/2008

誰に聞けばよいのかを明示するところから始めたら?

 医療事故に関する医療系ブロガーないしコメンテーターの発言を見ていると、福島大野病院事件にかこつけて、過大な要求を社会に突きつけているように見えます。

 医療過誤について刑事責任を問う場合、現行犯逮捕ということは考えがたいので、被疑者在宅のまま捜査が進行します。ということは、捜査にはそれなりに時間的なゆとりがあります。従って、捜査機関としては、当該医師と専門領域を同じくする医師に対して、捜査機関が把握している事実関係において医師としてなすべきことまたはなすべきでないことについての照会を行うことができます。また、弁護側で医師に照会をかけることができます。

 従って、医師の側で、捜査機関または弁護人から照会を受けたときに、照会者が把握している事実関係の下で、医師として何をなすべきかまたは何をなすべきではないかを適切に答えることができる医師のリストを持ち、そのリストに掲載されている医師がその照会に適切に応ずることととすれば、注意義務の内容を確定する上で重要な資料となる当時の医療水準についての誤った認識に基づいて不当な起訴が行われる危険を相当程度減少させることができます。検察官だって、無実と判っている医師を敢えて起訴するほど暇ではありませんから。

 ただ、これは、医師の側にも協力を求めるものですので、「俺たちの要求をすべて飲まなければ、逃散してやる!それで困るのはお前ら愚民どもだ」路線に凝り固まり、社会と協調する気のない一部の跳ね上がりには通用しない話ではあります。もっとも、ネットの匿名さんはとかく主張が過激になりやすいのであって、多くのまっとうな医師たちは、どうやって社会と折り合うのかを誠実に模索してくれるのではないかと思っています。

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15/06/2008

刑事罰は業界を崩壊させるのか

 ある職業に属する者が業務上過失致死の疑いで起訴されたが、同業者としてみたときに検察官が要求する注意義務の程度が不当に高く設定されているように思われると判断した場合に、同業者がやるべきことは、弁護費用や裁判係属中の生活費等の支援や、当該状況における注意義務のレベルについての同業者としての見解をまとめて弁護人に提出するなどの裁判支援等であって、当該職業の遂行過程において人を死に至らしめた場合を包括して刑事責任を免責せよと要求することではないし、当該職業に属する者を起訴することはけしからんと叫ぶことでもないし、その職業に属する者が行う職務の適否を判断する能力をもっているはずがないと裁判官を小馬鹿にすることでもないでしょう。

 実際、交通事故により人を死傷させた場合には懲役・禁固刑を含む刑事罰に処せられる危険があり、個別事案においては運転者の注意義務の程度が高く設定されているものがあるとしても、交通事故における死傷事故については刑事免責せよ(あるいは、故意または故意に匹敵する重過失以外は刑事免責せよ)という見解は国民の間に広く普及しないし、だからといって、総体的にいえば、刑事罰が怖いので自動車を運転しないという人の数が著しく増加しているという事実はありません。

 また、長距離トラック運転手やバス運転手等が、過酷な労働条件故に注意義務を十分に尽くすことができず死傷事故を発生されたという事案が起こったときに、運転手を刑事免責してやれとか、被害者が損害賠償請求をすることはけしからんという声は、国民一般からはもちろん、同業者からも起こりません。長距離トラック運転手たちが「私たちはこのような過酷な条件で物流業務を担っているのだから、過労故に事故を起こすことは避けがたい。私たちを刑事免責しないのであれば、私たちは今の仕事を辞めざるを得ない。そうしたら、物流崩壊で困るのは一般国民である」という言い方をしたら相当の反発を受けるのは必定だし、実際彼らは賢いので、そのような言い方はしません。そのような言い回しをする業種は、とりあえず一つしか思い浮かびません(もちろん、そのような言い方をするのは、その業種に属する人の中でもごく一部でしょうけど)。

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現代の肖像:鈴木利廣弁護士

 今週号(6月16日号)のAERAの「現代の肖像」は、医療過誤紛争の原告側(患者側)の弁護士として著名な鈴木利廣弁護士を取り上げています。

 ネットではとかく、患者を死に至らしめる医師たちの声ばかり大きく、患者側の弁護士は無能で強欲な人間扱いされがちですが、その道のパイオニア兼未だに第一線という「一流」の弁護士の声を知っていただけるとうれしいです。

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29/05/2008

不足を補う方法

 森永卓郎さんのエントリーが反響を呼んでいます。

 細部については大げさな部分が多々ありますが、医師が偏在しているのではなく、医師の数が絶対的に不足しているのだとすれば、対策としては、医師を大量に促成するか、医師に任せる仕事を少なくするしかないわけです(医師の偏在が問題なのであれば保険点数の配分を変更するとか、注意義務の内容を変更するなどの手法も選択肢としてあり得るのでしょうが、そのような手法は絶対数が不足している場合には無意味です。)。後者については、必ずしも医師でなくてもそれなりにできる仕事については医師以外の者も業として行えるようにするということも選択肢に含まれるというべきでしょう。

 そして、後者については、従前医師が行っていた業務の一部について、それのみを行い得る資格というのを新規に創設するということも含まれます。現在、医師は、どの科も扱えるジェネラリストとして養成され、資格が与えられているわけですが、そのうちの特定の範囲の仕事のみを行えるようにするということであれば、その養成に必要な期間も短縮されるし、必要とされる知識や技量も、医師について必要とされる知識や技量よりも少なく済む可能性があります。

 具体的には、コンタクトレンズの処方であれば医師がこれを行う必要は必ずしもないように思われますし、麻酔の施術についても、それ専門の教育を受けたとして一定の資格を付与された者がこれを行いうるようにするという方法があり得るようにも思えます。ジェネラリストとしての養成を受けずともスペシャリストとしての養成を受ければ十分にこれを行い得る仕事としてどのようなものがあるのかについては専門的な知識があるわけではないですが、諸外国における実践等も考慮した上で、従前医師のみが行えた仕事の一部を医師以外の者に委ねることを真剣に検討すべきように思います。

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25/04/2008

基本的人権が尊重されることの意義

 わが国の右派とリベラルの違いの一つは,リベラルは基本的人権が尊重される社会を好意的に捉えるのに対し,右派は基本的人権を尊重することを国益を損なうことと捉えているという点にあるのではないかという気がしています。したがって,リベラルは,比較的自分たちに近いところで基本的人権がより尊重されることを望む傾向が強いのに対し,右派は,自分たちが好ましく思っていない国や社会において基本的人権を尊重させることを希求する傾向があるのではないかという気がしています。

 もちろん,これはある種の傾向のお話をしているので,いちいち例外の話をされても「そうかもしれませんね」としか応えようがないのですけど。

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20/03/2008

総裁人事を政局にしているのはどっち?

 日本銀行の総裁人事に関しては,奇妙な議論が流行しているようです。

 民主党は以前より,日銀総裁人事を日銀出身者と大蔵省出身者のたすきがけとすることに反対していたのですから,元大蔵事務次官を日銀総裁とする案を政府が提示すれば,民主党は原則的にはこれに反対せざるを得ません。もちろん,政府が推挙する人材が余人を持って代え難い能力の持ち主だということであれば,民主党としては,当該人物については大蔵省出身者といえども例外的に日銀総裁とすることに同意するということがいえるでしょうが,大蔵省出身者であるということ以外にはこれといって反対する理由がないというだけでは,筋として,その人事案に賛成することはできないでしょう。

 そういう意味で言えば,元大蔵事務次官を,なぜその人でなければならないかという特段の理由を明示することなく,日銀総裁に推薦し続ける福田首相こそ,日銀総裁人事を政争の具としているということができます。しかし,世の中では,民主党が,日銀総裁人事を政争の具としているかのごとく触れ回る声が大きいようです。

 もちろん,政治学者の「雪斎」氏のように

此度の紛糾の結果、確実にいえることは、民主党は完全に財務省を敵に回したようだということである。民主党は、たとえ政権を取っても、財務官僚の「献身」を期待できまい。そういう状態で、民主党は、予算編成などをうまくやれるのであろうか。先々のことを考えずに、目先のことだけを考えるから、こういうことになる。

として,政権を取った際に財務省に嫌がらせをされたくなかったら財務省の要求には従えということを公然と述べる人から見れば,元大蔵事務次官の(日銀とのたすきがけ)ポストを一つ奪う今回の民主党の行動は平成政治史に残る「愚行」と位置付けられるということはあり得るのかもしれませんが,官僚にサボタージュされたくなければ官僚の既得権に手を付けるなということを言い始めたら,中央官庁改革など永久にできないでしょう。この論理でいえば,中央官僚幹部の天下り規制は諦めるか,財務省だけは規制の対象外としなければ,それもまた「愚行」とされてしまうことでしょう。

 しかし,雪斎氏らに「愚行」と評価されることを恐れて,財務省の意向に過剰に配慮するようでは,民主党は,民主党に対する国民の期待に応えることができないのではないかという気がしてなりません。

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09/03/2008

試写を見せろ,その後で俺たちに話をさせろとの与党議員の要求は,「圧力」といわないのか。

 朝日新聞によれば,靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画について,内容を「反日的」と聞いた一部の自民党議員自民党の稲田朋美衆院議員と、同議員が会長を務める同党若手議員の勉強会「伝統と創造の会」(41人))が,文化庁を通じて試写を求めたとのことです。

 稲田議員は「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない。でも、助成金の支払われ方がおかしいと取り上げられている問題を議員として検証することはできる」とのことですが,それならば封切り前に自分たちのために試写会を開けと要求するのではなく,封切り後に映画館で見れば済んだ話ではないかという気がします。試写後に同庁職員と意見交換する予定だったとのことですが,文化庁は,その傘下の独立行政法人日本芸術文化振興会を介して750万円程度の助成金を同映画に交付しているにすぎないのに,文化庁の職員とこの映画について「意見交換」してどうしようというおつもりだったのでしょうか。

 一般に,その国や社会のネガティブな面を表現する作品にどれだけ寛容でいられるかがその国や社会の文化の高さを示す指標として用いられる昨今,与党第一党の国会議員がこのような行動に出ること自体,日本の評判を貶めることに繋がっていくわけで,そういう意味では,このような行動こそが「反日的」だったりするわけですが,稲田議員にそういうことを理解していただくにはあと何年かかることでしょうか。

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01/12/2007

Pages'08はなかなか凄い

 iWork'08に収録されているワープロのPagesは、なかなか使えます。

  1. まともな脚注機能がある。
  2. まともに書式設定が行える。
  3. 葛飾区の「葛」注1が正確に書き出せる(グリフ入力に対応している)。
  4. Word形式のファイルを読み込め、Word形式でファイルを書き出せる。
  5. 余計なことをしない。
  6. 頻繁に落ちたりしない。
等の要素を兼ね備えています。私の用途からすれば、ウィンドウを2分割する機能があれば、欲しい要素はほぼ兼ね備えることになります。

 表については、Excelとデータ互換性の高いNumbersで作成したものをそのままコピー&ペーストできるので、それで足りるかなあと思っています(弁護士が業務で使う程度の表計算なら、Numbersで十分ですし。)。

注1
 葛飾区の「葛」の字に関してはこちらを参照。また、最近中国系企業対中国系企業のドメイン訴訟を扱っている関係で大量に簡体字を準備書面や陳述書等で使う必要があったのですが、MS WORDでは印刷できない文字もPagesでは印刷できてとても助かりました。

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24/11/2007

テレビ局と、その取引業者の職業倫理

 芸能人等にまずい料理を作らせてバカにして遊ぶだけのために高級素材を買い集めるテレビ局と、そのような用法に使われることを知りつつテレビ局に高級素材を提供する生産者または流通業者の職業倫理って一体どうなっているのだろうかとは考えあぐねてしまいます。どちらも「儲かればいい」というだけなのでしょうけど。

 また、このところのバラエティ番組は、若い女性を単なる「物」として扱うことに躊躇がなくなってきている感じがします。エンターテインメント産業は大衆からの好感度を集めることが一つの大きな要素となりますから「ルックス」を重視することは仕方がないと思いますが、最近のテレビ局の女性の使い方はしばしばそういう次元を通り越しています。

 選撮見録事件の時は、テレビ局サイドから、リアルタイム視聴に支えられた広告モデルにより質の高い番組が無償で提供されている(従ってタイムシフト視聴を可能とする選撮見録は撲滅されるべき)という旨の主張がなされていたわけですが、この程度で質が高いと自惚れられてもなあという気がしてなりません。

* 高級素材ではなくても問題だと思いますが、高級素材の場合、一般に余計に資源が費消されていますので。

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20/11/2007

ミシュラン東京版にはがっかりだ

 何かと話題になっているミシュラン赤ガイドの東京版ですが、今日の日経新聞の報道等によると、星付きのお店しか掲載されないとのことでがっかりです。

 ミシュラン赤ガイドの良さの一つには、かなり小さな町のホテル・レストランまで掲載されていること、並びに星がつくほどではないがコストパフォーマンスにすぐれている店に印が付されていること等もあるのですが、東京版ではそういう良さはなくなっているようです。また、赤ガイドについては、1軒1軒についての文章による解説が1〜2行に凝縮され、基本情報は記号化されることにより、その国の言葉を解さない人にも相応に活用できる工夫がなされていたのですが、東京版は1軒見開き2頁とのことなので、きっと日本語で長々とした説明文が書いてあるのではないかと思われ、その種の良さも失われているような気がしてなりません(この点は実物を見ないと分かりませんが)。

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12/11/2007

最初が肝心

 新しい組織を作って新しい種類の活動を行うときに、最初に何を取り上げるかというのは非常に神経を使います。一番メディアに取り上げてもらいやすいのは最初の活動ですし、最初の活動で信頼を失うとあとで信頼を回復するのは非常に難しいからです。

 そういう観点からすると、「マスコミの誤報を正す会」において、最初のテーマに「9月29日沖縄県民集会に11万人の参加者が集まったという誤報」を最初の活動テーマとして取り上げたということは、不思議といわざるを得ません。この問題は、一部のマスメディアにおいて、11万人という数字が主催者発表に過ぎないことを注記していなかったというだけのことであって、報道内容からすると非常に些末的な部分が問題とされているに過ぎません。もちろん、一部の右派の方々が大騒ぎをしているのは存じ上げていますが、逆に言うと、そういう一部の方々にのみ関心を持たれているテーマを最初に持ってくると、「ああ、そういう人たちのための会なんですね」ということで、そうではない人々からは見捨てられてしまいます(実際、産経新聞以外の新聞には取り上げられてもらえなかったようですが。)。

 どうせならば、マスコミの誤報によって具体的に人々の生活に支障が生じた例なんかを取り上げた方が、会の趣旨に対する賛同者も増やせてよかったのではないかと思うのです。例えば、ある小学校で生徒が校長先生に土下座を要求したという内容の誤報とか、ある刑事事件の弁護団が「死刑廃止論」という自己の主張をアピールするためにその事件における被害者遺族を侮辱するような弁護活動を行っているという内容の誤報等を最初のテーマとして取り上げていれば、「なかなかやるな」と思われたかもしれないので、残念です。

 なお、産経新聞社の阿比留記者のブログによれば同会の代表の加瀬英明氏は「主催者発表を鵜呑みにしているが、これはそれぞれの新聞が責任を持たなければいけない」と仰っていたようですが、不特定多数人が事前の予約等もなしに参加するイベントにおいておよその人数を報ずるにあたっては、各メディアにおいて独自に参加者の人数を数えたりなどしていられないだろうということは想像がつくとは思うのですが、今後産経新聞社は、野鳥の会の会員を雇うなりして、この種のイベントにおける参加者数を独自に数えることとするのでしょうか。

 また、この種の組織を作るにあたって、最初の記者会見を行う時点でウェブサイトを開設していないというのは、今時致命的です。ウェブサイトのなしに、どうやってインターネットユーザーと連携を取る気なのでしょうか

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29/09/2007

灯台もと暗し

 橋下徹弁護士がまた不思議なことを仰っています。

 

コメンテーターの仕事や、番組に出演する仕事は、この裁判よりも重要でないっていうのか!!
コメンテーターやタレントの皆さん、そして放送局関係の皆さんへの最大の侮辱だね。
弁護士の仕事が一番偉い、今回の裁判が社会的に最も重要。
染みついちゃってるんだね、その感覚が。

 「今回の裁判がコメンテーターの仕事や番組に出演する仕事よりも重要である」ということが「弁護士の仕事が一番偉い、今回の裁判が社会的に最も重要 」ということを意味するためには、「コメンテーターの仕事や、番組に出演する仕事 」が、「弁護士の仕事」の次に偉いことや、「今回の裁判」の次に「社会的に重要」であることが必要です。しかし、この事件の原告やその訴訟代理人がそのような意識を有していると伺わせるに足りる資料はこれを見いだすことはできません。したがって、今回の裁判に出席することが「コメンテーターの仕事や、番組に出演する仕事」よりも優先されるべきだといったからといって、「弁護士の仕事が一番偉い、今回の裁判が社会的に最も重要 」と考えていると断ずることが許されないことは明らかです。

 むしろ、橋下弁護士の上記発言には、「テレビ局の仕事が一番偉い。テレビ番組でコメントをすることが社会的に最も重要」という彼の意識が色濃く反映しているのではないかという気がしてなりません。

 また、橋下弁護士は、

今回の裁判は、光市母子殺害事件の被害者遺族に対して、非常に迷惑のかかる、もし違う方法があるのであれば、本当は避けなければならない裁判だったんだ。
とも仰っています。確かに、橋下弁護士がバラエティ番組でくだらないあおり発言をしなければ、また、読売テレビがこれをカットしていれば、あるいはここまでことが大事になる前に橋下弁護士が懲戒請求を煽ったことを間違っていたことと認めきちんと謝罪していれば不要だったとは思います。しかし、橋下弁護士がその間違いを認めないのだから仕方がありません。

 さらにいえば、今回の裁判が起ころうと起こるまいと、或いは、今回の裁判で原告が勝訴し橋下弁護士が1200万円の損害賠償を命じられることとなろうとも、光市母子殺害事件の被害者遺族には特段の迷惑はかからないように思います。このように自分の利害のために「光市母子殺害事件の被害者遺族 」を持ち出すのは、もういい加減やめにするべきではないかと思うのです。

 なお、

弁護士が自分たちの裁判は社会的に重要だ、社会的意義がある画期的な裁判だって自ら言うのはそれが原因なんだ。
弁護士以外にいますかね、これだけの自画自賛野郎が。政治家くらいかな。
弁護士以外の業種で、自分の仕事を、「社会にとって重要だ」なんて言ったら確実にブーイング。
とのことですが、「灯台もと暗し」なのでしょうか。私は、名誉毀損訴訟や著作権訴訟等を通じて、その種の自画自賛を何度マスメディアから聞いたかしれないのですが。

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17/09/2007

阿比留記者の思わせぶりな発言

 産経新聞の阿比留記者のブログに次のような記載がありました。

 余談ですが、収支報告書を見ていて、興味深い名前を見つけました。改革国民会議の支出欄には、「講師料50万円 勝谷誠彦」と記されていました。この人は日頃から小沢シンパであることを公言していますから、さもありなんですね。また、小沢一郎政経研究会の報告書には、「講演謝礼50万円 森田実」とありました。こっちもときどき目にする言動を考えると納得がいきます。

 この記述からは、勝谷氏や森田氏は、小沢一郎サイドから講演料名下に多額の金印を受領し、それ故に小沢氏寄りの言動を行っているかのごとき印象がもたれてしまいます。さすがに大新聞の記者さんですからそのように断言はしませんが、コメント欄を見ても、概ねそのように受け取られているように思われます。

 ただ、小沢一郎という政治家ないしその資金団体の主催する研究会で森田実氏というベテランの著名な政治評論家に講演を依頼するというのはさほど不自然ではありませんし、これを見る限り、「50万円」という講演料は、森田氏からするとさほど高い部類には入っていない(少なくとも、その見解を曲げても構わないと思えるほどのものではない)ように思われます(要は、「20万〜150万円の範囲で要相談」ということですが、学生等を相手にするわけでもないので、特に講演料を安くしなければならない事情でもないでしょうし。)。勝谷氏の講演料相場はよく分かりませんが、テレビでレギュラーを持つ芸能人・評論家等の講演料として金50万円という数字が特に高いものとは思われません(一般の弁護士の場合、時間あたり1〜4万円程度しかいただけませんが。)。

 新聞社は、講演会を主催したり、記者が他社の主催する講演会に行使として招かれたりする機会も多いので、少なくとも阿比留記者クラスのキャリアがあれば、講演料の相場がどの程度かご存じだと思うのですが、そうであるならば、あのような思わせぶりな発言はいかがなものかという気がしたりします。

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16/09/2007

法科大学院のコスト

 非法学部卒業者が法科大学院(未習コース)を卒業して司法修習を終了した後官庁や民間企業に就職する場合、どのような処遇が必要とされるのでしょうか。投下資本が概ね15年程度で回収されないのであれば、中長期的には、合理的な人間はそのような進路を選択しなくなるとして考えてみることにしましょう(未習コースの場合、ストレートでいっても、実際に働き始めるのが27歳からになりますから、それから15年ということですと、42歳になってしまいます。)。

 まず、法科大学院を卒業するまでに負担する費用としては、法科大学院の授業料等や書籍代等の積極的費用の他、法科大学院に在学中原則無給状態に置かれることによる機会喪失費用をも斟酌する必要があるでしょう。法科大学院の授業料は、学校ごとにまちまちですが、仮に初年度150万円、2年目以降100万円/年として計算することにします。すると、3年間で350万円ですね。3年間の書籍代等を計50万円とすると(法学系の書籍は、1冊で5000円を超えるものが少なくないのです。)、積極費用は400万円ということになります。機会喪失費用は、各人の給与水準により異なってきますが、他学部卒業後すぐに法科大学院に入学する、すなわち、22〜25歳の3年間を法科大学院で過ごし、新司法試験に1回で合格し、二回試験も1回で合格するとすると、機会喪失費用は概ね400万円×5=2000万円ということになります(大卒男子の賃金センサスを参考に、ざっくりとした数字を導くとですね。)。もちろん、一定の社会人経験をし、年齢が上昇すると、同学歴・同世代の給与水準が上昇しますから、機会喪失費用も増大します。)。

 したがって、未習者コースを経て法曹資格を取得するための投下資本は、概ね2400万円を超えることになります。これを概ね15年程度で回収するためには、同学歴・同世代のものより、2400万円÷15=160万円程度収入面で優遇されることが必要となります。すると、27〜8歳から働き始めるとして、そのあたりの年齢の大卒男子(給与所得者)の平均年収が400万円前後ですから、初年度年収が600万円弱程度に達しなければ、投下資本の回収は見込めないと言うことになります。

 こうやって考えてみると、法学部を廃止して、未習者コースに一本化せよ云々という一部ロースクール教員の提言は現実離れしているように思います。むしろ、法科大学院制度を一日も早く廃止して、「ロースクール」を法学部の1学科として構成し直すべきではないかと思います。これならば、法曹資格を取得するための投下資本は、授業料(の他学部・他学科との差額)+司法試験受験機関及び修習期間中の賃金相当額ということになりますし、24歳から働きに出られるわけで、同学歴・同世代の給与水準 がさほど上昇していない時期に、社会に踏み出すことができます。したがって、360万円+360万円×2÷15≒400万円程度の初年度年収で足りるということになります。

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05/09/2007

朝日新聞社は毎年1000人以上の新入社員を引き受けるべきだ

 鳩山邦夫法務大臣が、司法試験の合格者を3000人とする計画について、個人的な意見としてですが、3000人は多すぎると述べたことが話題となっています。

 法科大学院制度を始めるにあたっては、推進派の方々は「法科大学院の卒業生は、たとえ新司法試験に合格しなくとも、企業等から引く手あまたである」云々と仰っていましたが、現実には、「新司法試験に合格して司法修習を終えても引受先を見つけるのが大変」という状態ですので、当初の見込みが甘かったことはすでに明らかになっています。そして、年間1000件程度の医療過誤訴訟が提起されるだけで「医療崩壊」の元凶扱いされてしまう我が国では、年間3000人もの新規法曹を受け入れる社会的土壌がないことは明らかです。どうせ、新規法曹が新規需要を開拓すると、新たに訴訟に晒されるようになった業界が当該業界の崩壊の責任を弁護士に押しつけるようになるだけの話です。したがって、「3000人は多すぎる」というのは、あたかも「王様は裸だ」という発言と同様に、誰もが分かっているのに反発をおそれて言い出せなかったことを果敢に指摘したものということができます。

 リーガルサービスの分野に市場原理をどこまで持ち込むべきかなんて牧歌的な話が行い得たのは、もう今は昔、司法試験の合格者数を500人にするか、600人にするか、700人にするかということが議論の対象となっていた十数年前のお話です。私は、リーガルサービスは市場原理に基づいて提供されるべきというのが国民の声なのだと実感いたしましたので、そのころから、市場原理の枠外にある国選弁護や当番弁護は一切受任しないことにしております。当然、法テラスになんぞ登録するわけがありません。

 リーガルサービスの分野に市場原理を導入することを是認するにしても、司法試験の合格者数が年間3000人を超えるというのは、短中期的には多すぎると言えます。

 これによれば、平成18年現在で、裁判官は、地裁、高裁、本庁、支部の判事と判事補を合わせて3341名、弁護士は22021名に過ぎません。しかも、そのうちの5〜6分の1は、むしろOJTを課してもらう側の立場にいる若い方々です(なにせ、平成13年の段階で裁判官は3049人、弁護士は18243人しかいなかったのですから。)。司法試験の年間合格者数が3000人ということは、裁判官の総人数とほぼ匹敵し、弁護士の総人数のおよそ7分の1にあたります。まして、一部の法科大学院関係者が言うように、法科大学院としては経営上の観点からほとんど学生を落第させることはできないが、法科大学院卒業者の8割程度が司法試験に合格させろということになると、2007年度の法科大学院の入学者総数は5713人ですから、約4100人の新規法曹を受け入れることになります。これは、従業員数約6048人の朝日新聞社にたとえていうならば、毎年約1130人弱の新入社員を受け入れるというようなものです(これによれば、朝日新聞社の採用予定人数は120人とのことです。)。

 法科大学院の先生方は、学生が司法試験にさえ合格してくれれば、「後は野となれ山となれ」だから良いのですが、そんな大量の新人を押しつけられる現場のみにもなって欲しいといいたくなります。

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28/08/2007

汚れ役を押し付けないでね

 当院では、勤務医に労働基準法上の所定労働時間を大きく超える長時間労働を課しています。従いまして、当院では、勤務医の労働意欲を維持するため、当院の勤務医の診療ミスにより患者様の生命・身体を損なうことが生じたと致しましても、当院または当院の勤務医に対して法的責任を追及することを固く禁じております。医療とは所詮不確実なものでございますので、当院の勤務医の診療ミスにより患者様が亡くなられたといたしましても、それも運命だと思って諦めて下さい。

という掲示がそこかしこに置いてある病院には私は行きたいとは思いません。

 また、肉親が病院で死亡したときに、病院から

 当院では、勤務医に労働基準法上の所定労働時間を大きく超える長時間労働を課しています。従いまして、当院では、勤務医の労働意欲を維持するため、当院の勤務医の診療ミスにより患者様の生命・身体を損なうことが生じたと致しましても、当院または当院の勤務医に対して法的責任を追及することを固く禁じております。医療とは所詮不確実なものでございますので、当院の勤務医の診療ミスにより患者様が亡くなられたといたしましても、それも運命だと思って諦めて下さい。

という紙切れを渡されたり、事務局からそのような説明を受けたりしたら、大変な憤りを感ずるだろうと思います。まして、そのことに抗議をしたら「お前は医療のことを何も分かっていない。お前は自分の欲得のために、日本の医療を崩壊させる気か」と逆ギレされたら、その病院のことを絶対許してやるものかと思うことでしょう。

 「医療崩壊だ!」系コメントスクラムの方々は、その主張している内容が正しいと思うのであれば、上記のようなことを現実社会でまず実践してみるとよいのではないかと思わなくはありません。また、「医療崩壊だ!」系コメントスクラムに同情的な非医師の方々は、親族を含む知人が万が一病院でなくなるようなことがあったら、

 病院なんて大抵、勤務医に労働基準法上の所定労働時間を大きく超える長時間労働を課しているのだから、勤務医の診療ミスで患者が死んだからと言って病院や医師に法的な責任を負わしていたら、勤務医の労働意欲が失われてしまって、日本の医療制度が崩壊してしまうよ。所詮、医療なんて不確実なものなんだから、○○さんが医師の診療ミスでなくなったというのも運命だと思って諦めようよ

といって遺族を説得したらよいのではないかと思います。

 とにかく、そういう人々の怒りを買う「汚れ役」を法曹、とりわけ病院側から一銭の対価も受けず、むしろ、患者の遺族から相談料をもらって法律相談に応じる弁護士に押し付けないでもらいたいものです。


【追記】

 幼い子供を抱えた母親が「私の夫は、○○病院に入院中に、突如亡くなってしまいました。私は、○○医師による医療ミスがあったのではないかと疑っているのですが、どうしたらいいのでしょうか」と相談に来た際に、「○○病院ねえ。あそこは勤務医に労働基準法を無視した長時間労働を課しているところですね。それなのに、医療ミスであなたの夫が死んだくらいで○○病院の責任を追及したら、あそこの勤務医が労働意欲を失ってしまうではないですか。所詮、医療なんて不確実なものなんだから、あなたの夫が医師の診療ミスでなくなったというのも運命だと思って諦めなさいよ。えっ、今後この子の将来はどうなるのですかですって。そんな、あなたの子供の将来のために、日本の輝かしい医療を崩壊させる気ですか!」といって、相談者を追い返す弁護士を皆様お望みなんでしょうか。そうではなくて、医療過誤訴訟を受任してしまい、しかも勝訴してしまうと、個人として開設しているブログを荒らされても仕方がないということになってしまうようなのですが。

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25/08/2007

患者や弁護士や裁判所を攻撃しても労働環境は改善しない

 「Level3」という方からコメントを頂きました。

 

経済的理由は,医療訴訟が医療崩壊を押し進めている主たる理由ではありません.
とのことです。すると、
医療訴訟(民事のみ)に対する保険に医師が加入していることが多い筈ですが、その保険が破綻しかねませんので、保険加入料は高騰するもしくは支払い渋りが数多く発生することも考えられます。
するとどうなるか。
実際訴訟リスクの高い現場で勤労する医師は裕福でも何でもないので、そんな金銭的負担には耐えられませんので退職者が続出するでしょう。
との「元内科医」さんのコメントは、現役の医師の感覚からは外れているということでしょうか(懲罰的損害賠償制度が認められない限り、1件あたりの賠償額は飛躍的に高額化しそうにはありませんので、医師賠償責任保険の保険料は、概ね医師敗訴件数に比例する形でしか高額化しそうにありません。)。

 「Level3」さんは、

最大の問題は「医師のモチベーションを無くさせている」ことです.
多くの勤務医は連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いています.これによって医師不足と言われながらかろうじて現在の医療は成り立っているわけです.時間給にすれば数百円以下ですね.こんな状況でも医師が医療を続けていたのは,「人を助ける」という使命感でした.ところが,医療訴訟の乱発,さらには「トンでも判決による不当な敗訴」によって医師はモチベーションを無くし,医療現場から立ち去っています.
と続けます。ただ、そうだとすると、「医師を治外法権に置く」というのは根本的な解決ではないように思われてなりません。むしろ、「多くの勤務医」が、「連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いてい」る状況を改善する方向で「医師のモチベーション」を維持するのが本筋のように思います。といいますか、勤務先に「労働基準法を守れ」といえない鬱憤を、医療過誤訴訟を提起した患者やその家族、医療過誤訴訟を受任した弁護士や認容判決を下した裁判官に向けられても、何一つ建設的な話には繋がらないように思えてなりません。

 それとも、「ミスを犯して人を死に至らしめても一切責任をとらなくとも良い」特権さえ手に入れば、「連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いてい」る状況は改善されなくとも構わないということなのでしょうか。

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医療過誤訴訟システムによる医師の経済的負担はどの程度か

 ところで、実際のところ、現在の医療過誤訴訟システムは医師にどれほどの経済的負担を掛けているのでしょうか。そして、それは医療を崩壊させるほどのものでしょうか。

 とりあえずの目安としては、医師賠償責任保険の保険料を見るのがよいでしょう。1件あたりの賠償額が高かったり、国民が医師を訴えることに躊躇せずかつ裁判官(国によっては陪審員)も医師に賠償責任を広く認める社会では保険料は高額となり、そうではない国では保険料は低額となるからです。そして、医師や病院は、医療過誤訴訟で敗訴しても、医師陪責保険に加入している限り、ごくわずかな免責金額を負担するだけで、それ以上の金銭の出捐を要しないのが通常だからです。

 では、日本の医師賠償責任の保険料はいくらくらいでしょうか。もちろん、保険会社によって、あるいは保険商品によって違うでしょうし、集団で加入すれば一部割引もされるでしょうが、あまり細かいことを言い出すときりがないので、ウェブで検出されるものを例として掲げると、こちらの保険ですと、「最高1事故 2億円(保険期間中6億円)」で保険料は月額保険料4,500円です。年額で金5万4000円といったところです。この程度の保険料の負担で医療は崩壊するほど日本の医師の所得は低いのでしょうか?

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24/08/2007

「医療崩壊だ!」系コメントスクラム

 「マチ弁日記おばさん弁護士の独り言」というブログが、「医療崩壊だ!」系コメントスクラムに襲われてしまっているようです。

 「突然」というエントリーのコメント欄は、最初の書き込みが2007/08/19 21:06、私がこのエントリーを書くにあたってみた限りの最後の書き込みが2007/08/24 05:57でその間コメント数が432件ということで、約14.6分の1回のペースでコメントが投稿されています。ブログ主がコメントに回答・反論しないことを責めるコメントもいくつか見られますが、まあ、物理的に無理というものです。

 しかも、この種の「医療崩壊だ!」系のコメントスクラムが押しつけたがっていることというのは、「医師に対して医療過誤訴訟を提起することはけしからん」という話なので、他人のブログのコメント欄で騒いでも解決する話ではありません。いくら騒いでも、医療過誤訴訟を提起して勝訴した弁護士に対して弁護士会が「医師を訴えるとはけしからん」といって懲戒処分を下すことはあり得ない(それって、別に弁護士会の懲戒手続きが形骸化しているからとかって話ではないです。)し、「医療崩壊を招くから」という理由で医療過誤訴訟の受任を拒否しようという動きが各単位会ないし日弁連レベルで行われることもないです(個々の弁護士レベルでも、おそらく広がらないでしょう。)。医療過誤訴訟で勝訴した弁護士が、全国の医師に対して、「医療過誤訴訟を提起し、あまつさえ勝訴すらしてしまい、申し訳ありません」と謝罪するというのは変な話すぎます。

 どうしてもというのであれば、弁護士に対して「医療過誤訴訟の依頼が来ても断れ」と要求するのではなく、医師会レベルで「医師は、法律家よりも上位の存在なので、医師を裁判制度の枠外に置くように、憲法を改正すべきだ」ということで、自民党の憲法改正チームに働きかければ良いのではないかと思うのですが(それ以外には、彼らの望む社会は来ませんから)、そういう動きには繋がらず、匿名でわーわー騒ぐだけに終始する傾向が強いようです。

【追記】

 なお、400件以上にのぼるコメントの後半部分は読まれましたか?

 後半部分はおっしゃるような極端な書き込みもなく、参加者はブログ主に対して「謝罪など求めていないし、その必要もない」ということで一致しているように見受けられましたが、それでもやはり同じご意見でしょうか?
これだけの反響があり、かつ荒らしとはいえないコメントがほとんどになってきてもなおブログ主は登場する気はないようです。なぜか新たな書き込みもできなくなっているようです。400全てにレスポンスするのは無理ですが、コメント付のブログで意見を公表した以上、これに対する何らかの意見表明は最低限の義務であると思います。が、ブログ主の弁護士先生はそれを果たすつもりがないようです。これについてもいかがお考えですか?
とのコメントを「 abdddmon@yahoo.co.jp」氏から頂いたのですが、例えば、「棒」氏による「明らかに無茶苦茶な訴訟を力技で取るというのがモラルが無いと思いませんか?しかもここまで無知で。」(2007/08/23 22:24)等の書き込みが極端なものではないとは、感覚の違いを感じます。そもそも、他人のブログのコメント欄を電子掲示板代わりにして、言いたい放題言っているという時点(まあ、「多少」というレベルならご愛敬ですが、Over400は「多少」というレベルではありません。)で、まともな感覚を失っているように思われます。

 なお、ブログ主が何らの意見表明もしない点ですが、「荒らしに対してはスルーが原則」といわれている昨今、短期間に大量のコメントが寄せられた今回のケースでブログ主がこれを相手にしないこととするのは、十分有りだと思います。ブログ主が、冷静にレスを返したところで、「もう医療過誤訴訟は、依頼されても引き受けない」旨を表明しない限り、コメンテーターさんたちが収まるようには思えませんので、時間の無駄という気がします。

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17/08/2007

人生いろいろ、争点もいろいろ

 国政選挙において誰に(どの政党に)投票するのかを決める際に何を重視するのかは、個々の有権者がその自由意思で決めることができる──およそ民主主義国の人間であれば誰もが共有している前提だと思っていました。しかし、iza!ブログの世界は違います。

選ぶ方にも選ばれる方にも好き勝手に争点を選ぶ権利はそもそもないのである.
このように拉致問題を軽視あるいは無視して,「生活」「年金」で民主党に投票した連中は,姉歯秀次以上の犯罪者だと言ってよい.
等ということが、一昔前のテキストサイトのような派手なフォント使いの元で語られています

 そこまでいう以上は、拉致問題を解決するスキームとして提示する各党の案のうち日本共産党によるものが一番実現性が高いものであった場合は、この方々は日本共産党に政権を取らせることも厭わないということなのでしょうが、なかなかそこまでの覚悟がある日本国民は多くはなさそうです。

 といいますか、拉致問題の解決に最も高い優先順位を置いた場合、「安倍政権を支持する投票行動をとる」という選択はない、というのが実際のところではないかと思います。何しろ、安倍政権発足以来、拉致問題には何の進展も見られません。それどころか、北朝鮮の核問題を解決するために米国のヒル国務次官補が北朝鮮政府や中国政府との外交交渉を粘り強く行っている姿が日本のテレビでもしばしば報じられる傍ら、日本政府が拉致問題の解決のために粘り強く外交交渉を行っている姿はとんと見ることはできません。もちろん安部首相は対北朝鮮強硬策を実行してきたわけですが、しかしそれは拉致問題の解決に一切繋がっていないわけで、「安部首相の対北朝鮮強攻策を支持すること=拉致問題を最大限重視していること」とはなりません。

 強硬策をとる場合、相手に突きつける要求は相手がそう遠くない未来に実行可能なものでなければならないというのは交渉の基本であって、拉致被害者全員の返還を要求するのであれば、返還要求の対象は、現在北朝鮮政府の管理下に確実に置かれているものでなければなりません(できる範囲で要求に応じても強硬策が継続するとなれば、相手方はこれに対して無視ないし強硬策でもって応えるしかなくなります。)。

 したがって、拉致被害者を一人でも多く一日も早く返還させるためには、北朝鮮政府が拉致被害者の存在を認めあるいは拉致被害者を返還したときには、これに応じてある程度の食糧支援等を行って徐々に「餌付け」していくことが現実的なのですが、そういうことって、イデオロギーにこだわりがあまりない小泉前首相にはできても、安部首相にできるのかというと疑問だったりするのです。

 少なくとも、今回の選挙では、硬直状態にある拉致問題について、どのような解決策を講ずるのかについて具体的なスキームが自民党から提示されなかったわけですから、「このように拉致問題を軽視あるいは無視して,「生活」「年金」で民主党に投票した連中は,姉歯秀次以上の犯罪者だと言ってよい 」といわれても困ってしまうわけです。

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15/08/2007

疲労骨折

 プロとして参加する相撲の「巡業」と、アマチュアとして参加する「親善サッカー」とでは、どちらが身体に与える負荷が大きいのでしょうか。

 前者の方が大きいのだとすれば、疲労骨折を理由に前者を休みつつ、後者に参加することは、必ずしも矛盾しているわけではありません。特に、疲労骨折は、「通常は骨折を起こさない程度の負荷が、繰り返し加わった場合に生じる骨折」なので、普段プロとして行っている競技とは負荷のかかる部分が異なる別の競技であれば、特に問題がなく行えることも十分想定しうると言えます。

 なんだか、「疲労骨折」に対する無理解が今回の一連の騒動の根本的な原因なのではないかという気もしなくはないのですが、大体において不勉強が目立つ日本のマスメディアはともかく、日本相撲協会って、お抱えの医師もいるプロスポーツマンによる団体なのに、本当に「疲労骨折」の何たるやを知らないのでしょうか。

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02/08/2007

そもそも安部首相の政策を支持している人にはなかなか出会わない

 参議院選挙での自民党が敗北した理由を議論するにあたって、そもそも安倍首相がやろうとしていたことがあまり国民から支持されていなかったことを軽視するのはいかがものかという気がします。

 前回の衆議院選挙では、「自民党をぶっつぶす」とした小泉首相が多くの国民から支持され、地滑り的な勝利を収めたわけですが、このとき小泉自民党に投票した有権者の多くは、戦後民主主義のもとで享受している自分たちの自由なり人権なりまで「ぶっつぶ」してほしいと望んでいたわけではありません。そして、多くの国民は、安部首相という一人の権力者が感じる「美しさ」を実現するために人生を捧げたいと希っているわけではありません。したがって、安部首相が「美しい国」の実現や「戦後レジームの脱却」を目指すと強調すればするほど、多くの国民は白けていきます(もちろん、相次ぐ閣僚の不祥事に対して、「美し」くないお友達をまずかばおうとした安部首相の対応は、「美しい国」作りのために自己犠牲を強いられるのが専ら庶民層ではないかとの疑いを国民に持たせたことでしょう。)。

 しかも、「戦後レジーム」を脱却するとどんな良いことがあるのか、まともに具体的な説明がなされているのを見たことがありません。安部首相を支持する方のブログを見ていても、普通の国民の普通の生活に密着した問題についての関心の薄さが感じられます。民主党にも松下政経塾出身者等に結構多いのですが、外交・安全保障問題を第1に考える政治家というのは、どうしても頭でっかちで国民の意向を軽視する政治家になりがちです。

 といいますか、安倍政権って、イギリスのブレア政権の政策のうち、評判の悪い部分を取り入れて、評判の良い部分を取り入れない政権という感じがしてならないのです。

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27/07/2007

舛添さんが当選したら

SANSPOによれば、

 事件後の会見で府警の対応の悪さを批判していた舛添氏はこの日も“噴火”。逮捕された男が「政治色や逃亡の恐れがない」という大阪地裁の判断で24日に釈放されたことに、「選挙期間中は拘留すべき他の候補者を襲うかもしれない」と憤り、「最近の裁判所はおかしい。裁判官がめちゃくちゃ。当選したら裁判所改革をしたい」とぶち上げた。

 刑事訴訟法を改正して「再犯の虞があること」を勾留理由に含めるということでしょうか、それとも刑事訴訟法上の規定にとらわれることなく被疑者を勾留するように意識改革でも行うのでしょうか。

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09/07/2007

神頼みの新自由主義

 「5号館のつぶやき」さんが、次のようなことを書いています。

 基本的には、何年もポスドクを続けさせるということは、研究者として育てているということです。それなのに、その後で研究職はないよというのは、裏切り行為以外のなにものでもないということが再確認できました。その裏切り行為の総元締めをしているのは、日本の科学および教育政策担当者であると思うのですが、責任者は誰も出てきませんでしたし、それを強く追求する番組にもなっていなかったと思います。

 とりあえず、生まれてしまった大量のポスドクと水ぶくれしてしまった博士後期課程をどうするのかという政策担当者の声は是非とも聞きたかったのですが、出てこなかったということは、自分たちは何もしないという答なのかもしれません。

 私は、国も民間も含めて博士がどのくらい必要なのか、ポスドクを経験した研究者がどれくらい必要なのか、そうしたことをはっきりと把握した上で、大学院および博士研究員をどうしていくべきなのかという議論が必要だと思っていますが、そういう議論は中央教育審議会や「教育再生会議(笑)」で行われているでしょうか。

 文部科学省は、法科大学院制度でも同じ過ちを繰り返しています。少なくとも学部卒業後、最低でも2,3年かけて法科大学院を卒業させ、卒業後に新司法試験を受験させ、さらに司法修習を受けさせる、というのは法曹として育てるということです。それなのに、それだけの関門を全てクリアして法曹資格を取得しても、一部のブランドロースクールの卒業生と二世君以外にはOJTの場所などないよ、法曹資格を取ったからって法律家として働けると思ったら大間違いだと突き放されても、「そんな無責任な!!」というより他にありません。さらにいえば、「司法研修所を出て法曹資格は取ったけれども、法律家としての採用がなかった人材」を企業が採用するのかというと、企業に対するアンケート調査の結果を見るとかなり悲観的であり、どうもその年齢までずっと無職でプラプラしていた人と同程度の処遇を覚悟しなければいけなさそうな雰囲気です。

 平成に入ってから、少し考えれば予想のつくことを、少しも考えずに、「神の見えざる手」に委ねることにしてしまう「神頼みの新自由主義」に基づく政策が次々と我が国では実現しています。ポスドク大増員計画も、法科大学院制度も、典型的な「神頼みの新自由主義」の無惨な失敗例ということができそうです。

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05/07/2007

訴訟を提起されている場合の代理人報酬すら「公費の無駄」なら弁護士の大幅増員計画自体が壮大な無駄かも

 群馬県の吉井町では、現に訴訟を提起されているときに、弁護士に報酬を支払って訴訟代理を委任することが「公費の無駄」であるとする見解が町議会の多数派を占めているのだそうです。

 こういう社会においては、弁護士の数を増員する必要性って全くないのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。あるいは、司法研修所を出たものの一般の法律事務所に就職できなかった新規弁護士がたくさん排出されれば、上記事件のように、無償で訴訟代理を引き受けてくれるはずだというのが、大幅増員推進論者の算段かも知れません。ただ、高橋伸二弁護士はある程度功成り名遂げた方ですので1件くらい無償でやっても生活に響くことはないと思いますが、生活基盤すら確立していない「いきなり独立」弁護士に無償労働を強いるのは酷というものです。法科大学院で、「霞を食べて生きる仙術」までしっかり教えてくれると良いのですけど。

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04/07/2007

公務員が優遇されすぎているのか、民間が冷遇されすぎているのか。

 朝日新聞によると、

総務省は3日、地方公務員の技能労務職員7職種の給与を、民間企業のほぼ同種の従業員と比較した調査結果を発表した。平均給与月額で最も差が出た電話交換手では、地方公務員が民間より1.87倍高かった。

とのことです。

 多分この記事を読んで、「公務員はけしからん」みたいな意見を述べる人が多いのだろうなとは思いましたが、その下の部分を読んでみると、必ずしもそうは言えない気分になります。

電話交換手は地方公務員の平均が39万8600円(平均年齢47.9)なのに対し、民間の平均は21万3200円(同41.4)と1.87倍の差があった。

 地方公務員の電話交換手(役所に電話して「○○担当の係につないで下さい」というと、しかるべき係の人につないでもらえるわけですが、その役目を担っているのが電話交換手です。)は平均年齢47.9歳で月給が平均39万8600円ですから、別に不当に高いわけではありません。むしろ、平均年齢41.4歳で平均月給21万3200円という民間の給与水準が低すぎるのです(朝日新聞社の大卒(22歳)の初任給が2006年4月実績で24万6730円ですから、平均年齢41.4歳にして、朝日新聞の新入社員よりも月額3万円以上低いのです。)。

[追記]

 なお、賃金センサス平成17年第1巻第1表によれば、男女・学歴を問わない全賃金労働者中、45〜49歳の者の平均年収額は約593万円(「決まって支給する現金給与額」は39万2500円)であり、高卒男子に限定しても約572万円(「決まって支給する現金給与額」は39万0000円です。これに対し、高卒女子の40〜44歳の平均年収額は約313万円(「決まって支給する現金給与額」は22万2000円)です。

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自称愛国者はなぜ「現在の我々」の評価を守ろうとしないのか

 それにしても、戦中レジーム下の指導者の問題点を指摘されるととても熱心に反論するのに、日本国内の違法コピー率が25%であり、違法コピーによる損害額が約17.8億ドルと世界ワースト5位であるなどとして、現在の我々があやふやな根拠に基づいて不当に非難されていても黙りこくっていて反論しようともしない方がネット上に多いのはいかがなものかという気がします(上記摘示の根拠があやふやな点については、本館のエントリーを参照。)。

 といいますか、戦中レジームの指導者なんていう、現在の我々とは時間的にも階級的にも遠く離れた人々の擁護に割くエネルギーがあったら、現在の我々の価値なり倫理なりを貶める動きと戦った方が良いのではないかと思うのですが、愛国者を自称し、反対者を「反日」呼ばわりすることに躊躇しない方々ほど現在の我々に対する評価を貶める動きに対して寛容なのはなぜなのだろうかと思う夏の日の昼下がりです。

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13/06/2007

阿比留記者にとって、労働組合の意義って何?

 産經新聞の阿比留記者がそのブログで、社保庁と自治労が過去に交わしていた労働協定である「覚書」「確認事項」の一部を紹介した上で、「民間企業では絶対に考えられない大切な扱われぶりだと思うのですが、私の勘違いでしょうか。」としています。

 「端末機操作は、専門職化せず、一般職員が行う」とした以上は、各職員が従前の職務をこなしつつ端末操作を行うのでしょうから、「窓口装置の1人1日の操作時間は、平均200分以内とし、最高300分以内とする」ことが「民間企業では絶対に考えられない大切な扱われぶり」といわれると違うのではないかという気がします。

 また、阿比留記者は、「とにかく、社保庁は何を決めるにも、何を導入するにも「労働強化はしない」「処遇改善に努める」と自治労側に一筆入れて約束しなければならなかったようです。」ともおっしゃるのですが、西側先進国の感覚では、「労組はそのためにあるのだから当然」ということになるのではないかと思います。もちろん、日本の民間企業の中には労働三法を守る気がないところも多々あるとは思いますが、だからといってそれを公務員等にも押しつけて、労働者の基本的権利を低い水準で平準化しても仕方がないように思います。

 それはともかく、今回の社保庁の問題は、社保庁の職員が短時間しか働かないために入力作業が滞っているということが問題となっているのではなく、紙のデータをコンピュータに入力する際の入力ミスをチェックする仕組みがなかったということが問題なのですから、社保庁の労働環境が民間企業である産経新聞社よりも良好であることを嘆いてみても仕方がないように思うのです(長時間、休憩も取らせずに入力作業をやらせれば、入力ミスなど起こらなかったはずだといえればいいのですが、おそらくは逆でしょう。)。

 むしろ、当時のコンピュータの能力を前提としても名寄せの方法が妥当であったのか、マニュアル作成の段階で入力ミスをチェックするシステムを作らなかったのかということ等が問題とされるべきでしょう。

 なお、この問題で安部内閣の支持率が急落したのは、安部首相の初期の対応として、国会で「それなら、あなたは、証拠も持たずに来た人にも、全員に、支払え というんですか!?」 と言ったことがとても子供じみていると国民の目に映ったことに主な原因があるのだとは思っています。

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元高級官僚は渡り鳥して得た退職金を何に使っているのだろう

 中央官庁のキャリア官僚で、国からもらった退職金では飽き足らず、複数の特殊法人や所管の企業を足り歩いては高額の退職金をかき集める人たちって、そうやって集めたお金を何に使っているのか、いつも不思議でなりません。

 国家公務員の場合年金が手厚いですから、普通に生活する分には、年金で十分まかなえます。年金+アルファの贅沢をするったって、限度があるではないですか。歳なんだし。20代で自由に使えるお金が1000万円あったらあれもやりたい、これもやりたいという話になるとは思うのですが、60歳を超えたら生活費のほかに年1000万も浪費するのって大変ではないかと思うのです。

 今の政府の人たちって「愛国心教育」とかお好きですけど、せいぜい「お国のために命を捧げよ」といわれてこれを拒否する程度のことしかできない若者に、そのようなことすらさせないために「愛国心」を植えつける前に、50歳を過ぎたキャリア官僚を集めて、「愛国心」を説き、後輩官僚が無用の配慮をして国益に沿わない政策を行ってしまうことを回避するために、自分たちが特殊法人等を渡り歩くことを自粛するように促すことの方が重要なのではないかという気がしてなりません。

 あるいは、今の大人たちを教育することはできないので、今の子供たちに「愛国心」を植え付けることによって、彼らが大人になったときは今の大人のようなことをさせないようにしたいということなのかもしれませんが、今の子供たちがキャリア官僚になり50歳を過ぎて退職するころまで待っていられるのかという疑問があったりします。

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06/06/2007

運転免許の更新

 今日は、午前中に、自動車運転免許の更新に行ってきました。東京23区内に自宅も職場もあるので、自動車を運転する必要はないし、実際運転してもいないのですが、身分証明書としてないと不便なので、大人しく更新してきました。

 普通免許という区分がなくなって、中型(ただし80t以下限定)という区分になったのだということを初めて知りました。概して弁護士は、仕事に直結しない法律はあまり知らなかったりします。

 学生時代に免許を取ったときには右目の視力が悪かったので眼鏡限定だったのですが、今回は両目で視ての視力検査だったので、無事裸眼で視力検査を通過しました(今年に入って結膜炎で目医者に行ったときに視力検査をさせられた結果左1.2、右0.9だったので、大丈夫かなとは思っていましたが。)。

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30/05/2007

タクシーと規制緩和

 池田信夫先生の「 タクシーの『過当競争』の嘘」というエントリーが話題となっています。

 しかし、タクシー業界というのは、規制緩和→競争激化→価格の低下という変化にもっともなじみにくい業界の一つです。

 というのも、競争激化が価格の低下につながるためには、

  1.  どの事業者の商品又はサービスを選択するにあたって「価格」が重要な意味を有している場合であって、
  2.  価格の低下に相応して各事業者が従業員一人あたりの供給を増加させうるか、または、価格低下に伴う従業員一人あたりの収入源に耐えられるほどの超過利潤を上げていた

ことが必要ですが、タクシー、特に流しのタクシーの場合は一般にこの条件を欠くからです。

 前者については、タクシーの場合、タクシー乗り場等でたまたま遭遇した事業者のサービスを受けるのが一般的であり、複数の事業者の提示する価格を比較してどの事業者のサービスを受けるかを吟味するということは一般に行われていないので、「価格引下げ」は業者間競争を勝ち抜く上では効果的ではないといいうるからです。

 実際、「タクシー業界」によれば、米国等においてもタクシーの参入規制は行われているようです。タクシーの場合、各ドライバーごとの乗車率を高めることによって単位時間or距離あたりの単価を低下させても売り上げを維持できる状態を作り上げた方が、価格抑制をしやすいともいえます。

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10/05/2007

「テロ」という言葉の希薄化を推し進める安倍首相

 報道によれば、長崎市長銃撃事件の被告人に安倍首相の秘書が脅されていたとの週刊朝日の報道に関して同秘書が朝日新聞社に対して4300万円の損害賠償などを求める訴訟を提起したことを受けて、安倍首相は、「全くのでっち上げで捏造だ。いわば言論によるテロではないかと思う。報道ではなく政治運動ではないか」と激しく批判したとのことです。

 それが「全くのでっち上げで捏造」だいうのであれば法廷外でとやかく言うより法廷で解決してしまった方がよいと思うので訴訟を提起したことについてはどうということも思わないのですが、「いわば言論によるテロではないかと思う」のはいかがなものかと思うのです。安倍首相は、「テロ」という言葉を安易に使いすぎるのではないかと。

 テロ(リズム)というのは、「一般的に心理的恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為のこと。またはその手段を指す。」(wikipediaより)わけですが、誤解を招く見出しを付けることや捏造報道をすること自体は、「一般的に心理的恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする」ものではないし、この報道により、安倍首相や一般市民が週刊朝日や朝日新聞社を怖れてその心理的支配下におかれるということは想定し得ません。従って、これらの報道内容が仮に安倍首相が言うとおり「全くのでっち上げ」だとすれば名誉毀損という意味で違法なものとなるにせよ、これを「言論によるテロ」と表現するのは間違っていると言わざるを得ません。

 しかも、安倍首相は、「テロとの戦い」を国民に呼びかける立場にいる(呼びかけなければいけないとはいいませんが、呼びかけたいのでしょうし)わけで、そういう立場にいる人が「テロ」という言葉の持つ強さを「政敵による言論を用いた(適切ではない)攻撃」という意味合いを含むものにまで希薄化してしまうというのはいかがなものかと思います。

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05/05/2007

高校野球の特待生制度

 才能を伸ばすには、優れた指導者の指導を早期に受けることが望ましいといえます。しかし、優れた指導者の指導を受けるには一般にコストがかかります。したがって、ある若者のの才能に注目した人がその才能故に一定の金銭的な補助を行うことが禁止されるときは、上記コストを自ら負担しまたはその家族に負担してもらうことができる一部の恵まれた若者以外は、優れた指導者による指導を早期に受ける機会を喪失することになります。

 高校野球における「特待生」問題というのは、結局、「貧しい家庭に育ったが、野球の才能故に注目されて大金をつかみ取る」という一種のジャパニーズ・ドリームを終焉させていく契機となるのかもしれません。この問題の処理の仕方を誤ると「甲子園出場者の親の平均年収は○○○○万円以上」という事態を招くことになるかもしれません。「運動神経は抜群によいけれども親は金持ちではない」若者は、育成制度があるサッカーの方に流れるだけかもしれませんが。

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22/04/2007

「従軍」という言葉

 ネット上での従軍慰安婦論争を見ていると、「従軍慰安婦」という言葉自体を用いること自体を問題視している人が少なくないようです。

 しかし、それらの人には申し訳ないのですが、「従軍」という言葉は、「軍により強制された」という意味合いを含みません。そのことは、「従軍記者」「従軍看護婦」等の用語例からも明らかだと思います。ネット上で国士気取りの方々は、「味方」以外の言葉を勝手に悪意に解釈しては憤ってみせる傾向があるようです。

 なお、国会の議事録を検索してみると、「慰安婦」という言葉が最初に用いられたのは、昭和23年11月27日に開かれた衆議院法務委員会です。

○村專門員 陳情者は大阪府接待婦組合連合会会長松井リウであります。私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、その他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と諸種の前職を持つておる者ばかりで、いずれの職域においても、現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず、その上他の方面においては衞生設備は不十分なるため、健康上おもしろくなく、不幸にして病氣にかかりましたら、一般の開業医にかかりますと藥價、治療費が高くかかり、いくらくふうして働いても医者の奉公をしておるようなもので、治療はおろか生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。

 また、昭和37年04月11日 の衆議院社会労働委員会では、次のようなやりとりがあります。

○小林(進)委員 個別のケースはあとでお話しします。時間がありませんから、一つずつ問題をお聞きします。    次に、軍の慰安婦ですね。私も兵隊に行きましたからよく知っていますが、慰安婦は、陸軍でもどこの部隊にも所属部隊がございました。こういう慰安婦が敵襲を受けて敵弾によって倒れた、こういう場合は一体どういう処置を受けるのでしょうか。
○山本(淺)政府委員 いわゆる大陸等におりました慰安婦は、軍属にはなっておりません。しかしながら、敵襲を受けたというような、いわゆる部隊の遭遇戦といったようなことでなくなられた場合におきましては、戦闘参加者として準軍属の扱いをしておるはずでございます。

 また、昭和43年04月26日の衆議院社会労働委員会では、次のような発言があります。

○後藤委員 (中略)大東亜戦争当時、第一線なり、いわゆる戦場へ慰安婦がかなり派遣されておったと思うのです。私も内々これらの派遣されたいきさつにつきまして、できるだけ、どういうふうな計画でどういうふうにやられたかを調べようと、かなり苦心をしたわけでございますが、聞くところによりますと、無給軍属ということで派遣をしておる。さらにこの派遣につきましては、それらの業者と軍との間で、おまえのところでは何名派遣せよというようなことで、半強制的なようなかっこうで派遣されておるというようなことも私聞いておる次第でございますが、さらにこれらの派遣された慰安婦につきましては、戦場におきまして、戦闘がたけなわになると、あるいは敵の急な襲撃等があった場合には、看護婦の代理もやっておる。さらに弾薬も運ぶというような、さながら戦闘部隊のような形でやられておるというような実績もかなりあると聞いておるのです。

 これらの用例からすると、「従軍慰安婦」という言葉こそ平成2年にならないと出てきませんが、「慰安婦」に「従軍」的な要素があることはかなり古い段階から認識されていたということができそうです。

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20/04/2007

佐世保簡裁へ

 今日は、一昨日急遽受任した事件の関係で、佐世保簡裁に行ってきました。

 長崎空港から佐世保に向かったのですが、冷静に考えると福岡空港からJRで佐世保入りした方が楽だったかなあと少々反省しています。

 「佐世保」ということで佐世保バーガーをお昼に食べてみました。見た目は大きくないので軽いかと思いましたが、ハンバーグパテの上に、厚めのベーコンがのる形態でしたので、結構腹持ちが良かったです(その後にジャンボシュークリームを食べたのがいけなかったのかも知れませんが。)。

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14/04/2007

「Yuki」は女性名?

 ネット上ではしばしば「反日」というレッテルを他人に貼る人をよく見かけます。ただ、その基準はよくわかりません。

 コメント欄で「アネさんの情報収集力、分析力は群を抜いて素晴らしいです。」と絶賛されている 「憂国のシャングリラ2」の「【謎の慰安婦本】著者・田中ユキの正体は親北研究員」というエントリーをみると、【田中利幸は定番の反日研究者】という中見出しの下に、

田中利幸の活動は『朝日新聞』でも取り上げられている。原爆投下の犯罪性を問う“国際民衆法廷”の設置を画策しているとのニュースだった。

参照:「国際民衆法廷」研究者ら実行委発足へ

www.k3.dion.ne.jp/~a-bomb/news.htm

“民衆法廷”とはバウネットのお株ではないか…実際に田中利幸の講演内容を見ると、かなり香ばしい反日脳の持ち主であることが分かる。

参照:国際シンポ「ジェンダーと国民国家」

www.medical-tribune.co.jp/ss/2004-8/ss0408-1.htm

との記載があります。

 しかし、原爆投下については日本は「被害者」側ですから「原爆投下の犯罪性を問う」のは、一般的にいえば、愛国心に基づくということはあっても、その逆ということは考えにくいでしょう(そのどちらでもなく、汎国家的な人道主義に基づくということはあるかもしれませんが。)。

 また、「ジェンダーと国民国家」のシンポでの講演内容の要旨を見ると、日本軍の中国等における戦時売春システム及びGHQ占領下での専用娼提供システムについての説明をした後に

歴史家がその責任を果たすためには,慰安婦の受けた厳しい試練を正確に記録し,体系的に分析することが必要だ。軍隊による性的搾取を可能にした社会や政治の構造・価値観は何か。その比較研究が大切である

と述べているのであり、特に、実体以上に日本政府(旧日本軍を含む。)の活動を低く評価しようとするものではありません。ひょっとして、日本政府の活動を批判的に検証することをもって「反日」といってるのかとも思いましたが、自社連立政権時代の日本政府の活動を批判的に検証する人々はどうも「反日」とは呼ばれていないようですので、批判的に検証すると「反日」とされる「日本政府の活動」とそうでない活動というのが、彼らの頭の中にはあるのでしょうね。

 この程度のことから「田中利幸の手による『日本の慰安婦』は、研究書と言うよりも謀略書である。」と言い切ってしまうのは、いくら何でも言い過ぎではないかなあと思ってしまいます。

 なお、このエントリーには、

【女性名で米国人をダマす幼稚な詐欺】

「ユキ」という日本女性の名前は一般的で、外国人でもそれが女性名と分かる者も多いだろう。著者がマーガレットやキャサリンであれば「女性だな」と考えるのと同じだ。

推測だが、田中利幸は敢えて著者として女性名を使った…

とあるのですが、名前が「○○ゆき」(○○にはいろいろな文字が入ります。)という日本人男性が、英語圏向けに、「Yuki」というニックネームを名乗ることというのはよくあることです(通常「ユキ」ではなく「ユーキ」と発音します。)。まあ、それ以前に、「ユーキ」と発音する名前を持っている日本人男性も多い(例えば、「斎藤祐樹」等)のだから、「Yuki」=女性名として陰謀論を繰り広げるのはいかがなものかなあと思ったりはします。

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「研究者には引用されない本だ」

 池田信夫さんは、「冷戦的ステレオタイプ」というエントリーにおいて、

もうひとつの根拠である"Japan's Comfort Women"も、田中利幸という共産党系の研究者が支援団体の証言集を英訳した2次資料で、研究者には引用されない本だ。
と仰っています。

 「共産党系の研究者」によるものであることを強調してその資料価値を貶めるのは、右派勢力には受けがいいかもしれませんが、およそ研究者が採るべき態度だとも思われません。慰安婦にされた方々が、どのようにしてそういう状況に至ったのかについては、慰安婦の方々の聴取り調査の結果こそが第一級の資料なのであって、それを英訳したものが(日本語が堪能ではないであろう米国議会付きの調査員にとって)第一級の資料の1つであることは疑うべくもありません。

 それに、Amazon.comのを見る限りにおいては、むしろ評判がよい書籍のようです。池田さんは何を根拠に「研究者には引用されない本だ」と仰られているのかわからないのですが(もう購入されて読まれたのでしょうか?)、Google Scholarで調べてみると、研究者に引用されていないわけではないようです。

 池田さんに

さらに悪いことに日本にも、この田中利幸氏のように、欧米のステレオタイプに迎合して英文で「業績」を出す人々がいる
とまでいわれてしまっている田中さんの本ですが、
This is not just about 'Japan'; it is about Japan and the US and Australia and Italy and the systematic sexual ravaging that is part of how states conduct war.
–Mary Katzenstein, Professor of Government, Cornell University
と評されているところを見ると、そんな安直な本でもなさそうな気がします。

 都合の悪いことが書かれている文献の資料価値をこのような稀薄な根拠で貶めてみても、国内で管を巻く役にしか立たないように思えてなりません。

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11/04/2007

都知事選07についての考察

 都知事選は石原都知事の3選という形で終わりました。

 この結果は、民主党が浅野さんを支援するという形しかとれなかった段階で予想できたといえます。

 しかし、この都知事選の結果を「都民の右傾化」とか「左翼の退潮」とかに結びつけるのは間違っているように思います。何しろ、石原都知事自体は、前回の選挙と比べて得票数、得票率とも減らしているわけですから。

 おそらく民主党は何か勘違いをしていると思うのですが、東京で生まれ育った人は、東京的なものに対する愛着が強い(「日本的なもの」ではなく、あくまで「東京的なもの」です。)ので、東京的な要素の弱い人が選挙に出ると大きなハンディを負うことになります(何しろ、美濃部亮吉、青島幸夫の2都知事が東京出身ですし、鈴木俊一氏も府立二中出身です。)が、そのハンディを乗り越えるほどには民主党は東京で絶対的な人気があるわけではありません(自民・公明の組織票があっても、秋田的な明石さんはそのハンディを乗り越えられなかったわけですし。)。

 しかし、民主党はなぜか、東京において、自民党側の候補者よりも東京的でない候補者を送り出しては敗れ去るという間違いを繰り返します。私が生まれ育ち今も住んでいる葛飾区は、福島的要素の強い平沢勝栄さんが小選挙区で選出されているわけですが、その平沢さんに対して、いかにも島根的な錦織淳さんをぶつけても、なかなか勝つことは難しいのです(それでいて、私の高校の同級生なんかを、何の縁もゆかりもない愛媛で立候補させるのだから、戦略的に見てむちゃくちゃです。)。

 同じように、神奈川的な石原さんに対し、宮城的な浅野さんが東京で戦っても大きなハンディを負うことは目に見えています。実際、思わずプレスリーを踊ってしまうセンスは、東京的な有権者を醒めさせるのに十分でしょう。そういう選挙民の機微を理解しない選挙戦略を続けている限り、民主党はなかなか自民党に打ち勝つことはできないような気がします。

 では、菅直人さんが立候補していたら石原さんと互角に戦えたかというと、やはり難しかったような気がします。菅さんは、東京の人というより、多摩の人という感じがするからです。で、多摩の人は鈴木さんでこりごりというのが城東地区で生まれ育った私の感覚です。

 では、民主党としてはどうすべきだったのかというと、東京的な吉永小百合さんの擁立に失敗した以上、東京的な吉田万三さんに相乗りすべきだったのだろうと思います。どうしても独自候補にこだわるのでしたら、菅さんよりは、東京的な蓮舫さんの方がまだ可能性があったように思います。

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10/04/2007

夏休みの宿題

 毎日新聞によれば、

 大学によると、准教授は昨年6月、ゼミ生に夏季の宿題として高度な課題を課し、女子学生は一部を提出していなかった。准教授は12月、未提出の3人に「提出しなければ留年」などとメールを送信。期限の1月15日夕、未提出の2人のうち女子学生だけに催促のメールを送った。女子学生は「留年すると分かっています。人生もやめます」と返信。同夜、同県みどり市の渡良瀬川に投身自殺した。

 大学の調査委員会はゼミ生や他の教員からの事情聴取で、宿題が2年生としては難解で留年通告が女子学生を自殺に追いやったと結論付けた。

とのことです。

 「2年生としては難解」とされる宿題がいかなるものであったのかわからないのですが、未提出が3人だけだとすると、「3人以外は提出できている程度の課題を課してもいけないのか」ということになってしまいそうです。今後高崎経済大学としては、(1) 夏休みに宿題は出さないか、出したとしてもその学年であれば誰でも答えられるものに留める、(2) 夏休みの宿題を結局提出しなくても単位を付与する、(3) 未提出の宿題を出すように催促などせず、黙って単位を落とす、(4) 特定の科目を落としてもとりあえず4年生にはなれるようにして「留年」という概念をなくす、のどれかを徹底することが必要となりそうです(早大法学部は(4)ですが。)。

 この準教授を懲戒するとすれば、「他の学生に度を越したセクハラ発言などの暴言があった」という部分ではないかという気がします。「催促のメール」の具体的な言い回しによっては、その点が問題視される余地はあるのでしょうが。

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09/04/2007

欧米では**だ

 池田信夫さんの「左翼の最後の砦」というエントリーに、

「日本は遅れている」「欧米では**だ」というのが、戦後の左翼(および近代主義者)のマントラだった。そういう「他民族中心主義」の幻想は、あらかた崩れてしまったが、いまだに残っている最後の砦が歴史認識と地球環境だ。
との記載があります。

 もちろん、左翼ないしリベラルな方々は、少なくとも主観的には「より素晴らしい社会を実現したい」という心情がありますから、現在の日本よりも素晴らしい社会モデルが欧米にあれば「日本は遅れている」「欧米では**だ」という言い方をすることはあると思います(例えば、「アメリカでは、Bob Dylanの楽曲もJames Bluntの楽曲もiTunes Storeでダウンロードすることができるのに、日本ではできない。」とか。)。ただ、それを「他民族中心主義」と捉えるのは間違っているように思います。むしろ、欧米等で実現している、我々をより幸せにしてくれそうな社会システムを日本にも導入してほしいと思うからこそそういう言い方をするわけですから、それは、まさに「自分たちのコミュニティ中心主義」の表れであるというべきでしょう。

 「日本は遅れている」「欧米では**だ」というのは、最近はむしろ右派において目立つような気がします。「欧米では、何度も憲法改正が行われているのに、日本は遅れている」とか「欧米では、直間比率が逆転しているのに、日本は遅れている」云々という話は、むしろ右サイドから聞かされた話です。

 しいて違いがあるとすれば、右派勢力が「欧米では**だ」という言い方をするときは、現在の日本よりも普通の人々の幸せを妨げるような社会システムを実現しようとする際にしばしば活用されるということでしょうか。

 いやまあ、確かに欧米では戦後に何度も憲法の改正がなされていることは事実なのですが、自民党の改正私案に見られるような、基本的人権の制約を広範囲に認める方向での改正はほとんど行われていないし、まして旧世代の道徳律を憲法に盛り込んで新世代に押し付けるような方向での改正は行われていないと思うのですが。

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05/04/2007

より多くの人がより不幸な社会を高く評価する人が愛国者気取りであることの不思議さ

 日本の近現代史のうち、経済の発展及び自由の確立により多くの国民をより幸せにすることに成功した時期をネガティブに評価し、戦争の惨禍により多くの国民を相当の不幸に追い込んだ時期をポジティブに評価する人々がお互いを愛国者と位置づけ、前者をポジティブに評価し後者をネガティブに評価する人々は「反日」云々と罵られる理由というのは、私には、理解不能だったりします。

 戦前の日本は素晴らしく、戦後民主主義により日本はダメになったとお嘆きの皆様は、農村部では生きていくために娘を身売りしなければならないような社会が続いてくれた方が良かったと思いなのでしょうか。

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01/04/2007

むしろ、冒涜では?

 3月30日付の産経抄に次のような記載があります。

奴隷を商品として扱うのは古代社会にもあったし、戦前の日本では貧農の娘が売られた。いまから思えば言語道断、けしからん行為だが、当時の売春は合法だった。どちらにしても、過去の歴史を現在の基準で免罪や断罪したりするのは誤りだ。

 ネット右翼さんあたりの言説としてはありふれている感がありますが、仮にも全国紙のコラムの文章としてはいかがなものかという気がします。「売春が合法である」からといって、「売春させる目的で女性を売買すること」が合法であるとは必ずしもいえないのであり、まして断罪が許されないほど倫理的であるとはいえません(オランダ等売春が一部合法化されている国は現在でもありますが、それらの国で「貧農の娘が売られた」場合にこれを断罪するのが誤りとされるわけではありません。)。

 実際、戦前の日本でも、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」「婦人及児童ノ賣買禁止二關スル國際條約」等を批准することにより、売春をさせる目的で女性を人身売買することは「断罪させるべきもの」として理解されていたわけです。

 従軍慰安婦問題で旧日本軍の行為を正当化したいあまり、1930年代後半から1940年代前半の日本において、売春させることを目的とする人身売買が通常の商行為として認められていたかのように主張される方もおられるようですが、その段階でもその程度の人権感覚ないし倫理価値しか持ち合わせていなかったかのように彼らが主張することは、当時の日本の倫理基準に対する冒涜にむしろなってしまうような気がします。

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31/03/2007

92年1月の用語解説記事に拘る前に

 従軍慰安婦問題を論ずる方々はどうしても対朝日新聞イデオロギー闘争に執心してしまう傾向があるようです。ただ、あまり公平な議論は行われていないような気がします。

 「挺身隊」と「慰安婦」とで新聞記事検索をかけると、「タイ南部の小さな町に、韓国人のハルモニ(おばあさん)を訪ねあてた。」という書き出しから始める記事の中に、

 ある日、釜山郊外で井戸の水を水がめにくんで頭に載せて帰ろうとしたら、日本人巡査が三、四人来た。「待て」と言われて身をかわした瞬間、水がめが落ちて割れ、巡査の服をぬらした。いくら謝っても許してもらえず、殴られたり、けられたりしたうえ、車の中に押し込まれた。それが人生の岐路となった。

 留置された部屋には若い女性がいっぱいだった。十日後に六人がダブダブの軍服を着せられ、「皇国使節団」として軍艦に乗せられた。1942年の秋だった。

 四十日間の航海のあと「昭南島」と呼ばれたシンガポールに着いた。日本軍のバラックに入れられ、翌日、慰安演芸会でアリランなどを歌わせられた。そのあと個室に連れて行かれ、休ませてくれるのかと思ったら、将校が入ってきた。この夜から、挺身隊員としての地獄の日々が始まった。

 慰安婦の生活は、昼間は兵隊の衣類の洗濯や兵舎の掃除、弾薬運びなどの重労働で、夜は兵隊のなぐさみものとなった。朝から何十人もの相手をさせられる日もあった。少しでも反抗すると、監督に殴られ、髪を引っ張られ、半裸で引き回された。人間以下の生活だった。

とする朝日新聞の1984年11月02日東京夕刊5頁の記事が最初ではないかと思うのですが、その次の記事は、「旧日本軍の従軍慰安婦。その事実と実態を舞台に再現する劇団夢屋の第三回公演「女子挺身隊」が、二十日から四日間、東京・下北沢の下北沢駅前劇場で上演される」から始まる

 従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。

 「お国のためだ」と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。

 特に昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋やざんごうの中で、一日に何十人もの将兵に体をまかせた。その存在は、世界の戦史上、極めて異例とされながら、その制度と実態が明らかにされることはなかった。

とする讀賣新聞1987年08月14日東京夕刊13頁の記事のようです。1992年1月の解説記事は、この1980年代の朝日・讀賣両紙の認識の範囲を超えてはいないように思うのです。

 その後、讀賣新聞は、「元従軍慰安婦問題の誤解 論説委員・朝倉敏夫」という題で、「九二年一月、日本の新聞が、挺身隊動員は従軍慰安婦強制連行、とする大々的な歴史偽造報道をした。その報道を受けて、韓国の新聞は「十二歳の小学生まで動員、戦場で、もてあそばれたことに煮えくり返るような憤怒を禁じえない」とする社説を掲げた。」(1998年05月08日東京朝刊23頁)と報じて暗に朝日新聞を批判しているのですが、挺身隊、強制連行、慰安婦という3点セットは、讀賣新聞もまた、朝日新聞の先行記事とは別ソースで報じている(84年の朝日新聞の記事がタイ在住の韓国人の個人的な体験をそのインタビューを元に構成して報じただけなのに対し、87年の讀賣新聞の記事は、もう少しマスの観点から報じておりますので、84年の朝日新聞の記事の焼き直しではなく、讀賣新聞もまた独自取材をしたのではないかと思います。)わけで、それっていかがなものかなあという感じがします。

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29/03/2007

「Resolution121」がどっかに飛んでしまっている

 昨今、従軍慰安婦問題で「狭義の強制連行がなかった」云々に拘っている人たちは結局何がしたいのか、私には理解しがたいところがあります。米国下院が「Resolution121」を可決しないように米国議員を説得する、あるいは「Resolution121」を可決されたとしてもそれは決議として不当なのだと国際社会に向けてアピールをしたいのであれば、「Resolution121」では何が語られており、そのうちどの部分が問題なのかを、「Resolution121」の文言に即して具体的に論ずることが必要です。

 しかし、ネット上の議論を見ていると、「『Resolution121』の文言に即して具体的に論ずる」ことよりも、従軍慰安婦問題を、対朝日新聞イデオロギー闘争のネタに使うことに熱心な方が多いように見受けられます。それは、朝日新聞をやたら毛嫌いしている日本国内の右派勢力の溜飲を下げるのに役立つのかも知れませんが、米国下院議員の説得にも、また、国際社会に向けてのアピールにも繋がりません(仮に、それらの発言を英訳しても同様です。)。また、下村官房副長官のように、否定しても受け入れられる余地がない部分まで否定してしまうと、却って、「ホロコースト否定論者」と見られてしまい、今後の発言について信頼性を失ってしまいます。

 河野談話に対する批判も同様で、具体的な文言に即しての批判というのは少ないように感じられます。私は、職業柄謝罪文言を起草したりすることも少なからずあるのですが、河野談話は、事実の有無について争いが残る部分は曖昧にしたりそもそも触れなかったりというふうにすることで、どちらの顔も立てているのであって、公的な謝罪文としてはそんなに悪くはないように思います。

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24/03/2007

coercion in a "narrow" sense

 米国下院のResolution121の内容は、ネットで読むことができます(英語ですが)。

 これを読むと、ここで問題視されている「強制」は「coercion of young women into sexual slavery」です。若い女性が慰安婦として働かされるに至る過程のどこかに強制があれば足りますし、その強制を旧日本軍が自ら手を下さなくとも、軍が委託した業者が継続的に強制を行っていた以上、旧日本軍による強制と同視されるのは仕方がないことです(カラオケボックスにおける客による歌唱がカラオケボックス経営者の歌唱と同視されるというよりはわかりやすいです。)。したがって、米国議会が上記決議を行うことに反対する際に、「家に乗り込んでいって強引に連れていった」等の例を「狭義の強制連行」と定義して「狭義の強制連行があったとの証拠はない」と言ってみても、反論としては的はずれです。

 普通は一国の首相が的はずれな反論をするとは考えませんから(幸か不幸か、安倍首相は国際的には「鷹派」であって「右翼勢力に取り囲まれている」との評価は受けていますが、ブッシュJrと異なり「頭が悪い」人物であるとは広く認識されていません。)、例えばBBCなんかにも、「Abe questions sex slave 'coercion'」との大見出しの元で、

Japan's Prime Minister Shinzo Abe has said there is no evidence that women were forced to become sex slaves by the Japanese army during World War II.
と報じられてしまうのです。

 さらにいうと、英語メディアを見ていると、安倍首相やその周辺は「coercion」自体を否定しようとしていると報じられていると見られているわけです。例えば、ロイター通信のこの記事においても、河野談話は

admitted the Japanese military's role in setting up the brothels, and that many women were taken to and kept in them against their will
と位置づけられているのに対し、「A group of 120 ruling LDP lawmakers who argue that the apology went too far in acknowledging coercion by the Japanese military」の中山泰秀議員の発言として、
A group of 120 ruling LDP lawmakers who argue that the apology went too far in acknowledging coercion by the Japanese military
との引用がなされています。また、
Abe, who wants to revise Japan's pacifist constitution and restore pride in the nation's history, has sought to distinguish between a "broad" notion of coercion -- which he has said may have occurred -- while rejecting that coercion in a "narrow" sense of direct kidnappings by military officers took place.
とあることからわかるとおり、海外では、安倍首相は、「狭義の強制」(「狭義の強制連行」ではない)を軍当局による直接的な誘拐に限定して「狭義の強制」があったことを受け入れまいとしていると見られています。

 要するに争点についての認識ギャップがあるわけですが、Resolution121の本文はネット上で公開されており誰でもその内容を把握することが可能であること、狭義の「coercion」とは「kidnap」した上で特定の行為を強いることであるとは一般にいえないこと(日本政府自身、「kidnap」によらない「拉致被害者」という概念を認めている。)を考えると、この認識ギャップは、 安倍首相サイドに主たる責任があるというべきでしょう。

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20/03/2007

何とか還元水

 松岡農水大臣は、「何とか還元水」が正確には何還元水なのかを国民に対し未だに説明していないように見えます。これで「説明責任を果たした」といわれても、様々な意味で「水」に注目している人々を納得させることはできないように思います。

 特に、何らかの顕著な効能があることを謳って実際にそのような高価格で「何とか還元水」を売りつけている業者がいるとすれば、薬事法違反その他の問題にも発展しかねないのです。

 まずは、厚生労働省あたりが松岡大臣から事情聴取をすべきかと存じます。

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18/03/2007

「証拠がない」という言い分に広報戦略はあるのか

 従軍慰安婦に関して狭義の強制連行があったとの証拠はないと安倍首相が宣言することによってどのような国際世論の変化を起こそうとしていたのかはよくわからないのですが、安倍首相がそのような発言をしたことを受けて第二次世界大戦時の日本についての印象が少しでも改善された旨を表明している外国政治家や海外メディアが存在するようにはどうも見えません。池田さんは吉田証言に信用性がないことを強調されていますが、英語メディアでは、元慰安婦たちの米国上院での証言が重視されているようなので、「証拠がない」といってしまうことにより、「あの方々を嘘つきの売春婦というのか」という反発すら招いているようです(法律家の感覚だと、証言も立派な証拠の1つです。そして、米国の政治家の多くは法律家出身です。)。結局のところ、対外的には「逆効果」だったということが言えそうです。

 例えば、George MasonUniversityの"History News Network"に掲載されたTessa Morris-Suzuki氏の「The Truth About Japan's So-Caled "Comfort Women"というエントリーによれば、

What purpose do Abe's and Aso's denials serve? Certainly not the purpose of helping defeat the US Congressional resolution. Their statements have in fact seriously embarrassed those US Congress members who are opposed to the resolution.The main strategy of these US opponents of Resolution 121 was the argument that Japanese government had already apologized adequately for the sufferings of the "comfort women", and that there was no need to take the matter further. By their retreat from remorse, Abe and Aso have succeeded in neatly cutting the ground from beneath the feet of their closest US allies.
とのことであり、安倍発言は却って米国議会内の親日派議員を追いつめることに繋がっているようです。そのこと自体は最初から予想された事態であって(政府関係者が歴史修正主義的な発言を行うことによって、その国の対外的な評価が向上した例はほとんどなく、評価が低下した例ならばたくさんあります。)、そのことを予想していなかったとすれば、今の日本政府にはまともに広報戦略を行える人はいないのではないかとの危惧が頭をもたげてきます。。

 あるいは、米国との関係に亀裂が入っても構わないから「狭義の強制があったとの証拠はない」といいたいのだという考え方もあり得るのかも知れませんが、自衛隊員等の命を危険にさらしたり中東諸国との間に積み上げてきた信頼関係を壊す危険を冒したりしてまで自衛隊員をイラクに派遣することにより積み上げてきた米国との関係を危うくしてまで言わなければならないことなのかというとかなり疑問です。安倍首相にとっての優先順位は、敗戦前の日本政府の名誉>米国との関係>自衛隊員の生命・身体なのかも知れませんが、それは倒錯しているように私には思えてなりません。

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15/03/2007

「歴史上の汚点」に対する政府の対応

 ヨーロッパでの日本ブームはまだまだ続いているようですけど、日本を好きになってくれる外国の方々って「歴史に何の汚点もない」からこそ日本が好きだというわけではなくて、「歴史に何らかの汚点があるか否かにかかわらず」日本を好きになってくれています。だから、60年以上前の日本において、軍隊が南京で大虐殺を行ったり、植民地ないし軍事制圧した地の女性を軍が慰安婦としていた等の過去の汚点を認めたところで、現在及び近未来の日本の国際的評価が下がるということはありません。

 他方、「歴史上の汚点」をなかったことにしよう、あるいは汚点ではなかったことにしようという動きに対する国際社会の評価というのは昨今非常に厳しいものがあります。トルコなんかもアルメニア人虐殺の問題ではかなり厳しい批判を浴びており、キプロス紛争と並んで、EUに加盟させないための口実に使われてしまいかねない状況です。特にそれが歴史学者による純粋に歴史学的な探求ではなく、右派による政治的な運動の一環としてなされている場合には国際社会は極めて冷ややかであり、かつその動きにその国の政府が関与ないし支援した場合にはその国の国際的な評価までもが低下していきます。

 安倍首相が従軍慰安婦問題でコメントしたことが国際問題化したのはまさにそういう問題だったということができます。安倍首相がなすべきことは、むしろ日本政府が保管し未だ公表していない資料を内外の歴史研究者に公開するとともに、米国政府が保管している資料の早期公開を働きかけることであって、「歴史上の汚点」をなかったことにしよう、あるいは汚点ではなかったことにしようという動きに積極的に与するものではないという姿勢でいるべきではないかと思います。

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08/03/2007

無理をおして高齢者と会うのは

 ご高齢の方と面談を予定していた当日体調が不良であった場合に面談予定をキャンセルすることをあまりネガティブに評価してもらいたくない今日この頃です。特に、体調不良の原因がウィルス性のものである疑いが高い場合、無理をおしてご高齢の方との面談を決行してしまうと、取り返しのつかないことになる虞すらあるのです。

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01/03/2007

むしろ君が代についてピアノ伴奏を命ずる校長の音楽センスのなさこそ責められるべきでは?

  那須最高裁判事は補足意見で、

学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めた以上、音楽教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択。職務上の義務として、伴奏させることも必要な措置として憲法上許される
述べたとこのことです。

 しかし、果たしてそうでしょうか。「君が代」という歌を純粋に音楽的にとらえた場合に、あの歌は本来ピアノ伴奏で歌うような歌ではないと私などは思うのです。メロディラインをピアノでただなぞるだけではとても心弱な感じですし、メロディをベースに長3和音を「ダン、ダン、ダン」と叩くだけでは重厚感が出てきません。この歌は、低音の管弦楽器を重厚に重ねていかないと楽曲としてぱっとしないのです。

 したがって、「学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めた」としても、自前でオーケストラやブラスバンドをもっているところでもない限りは、オーケストラに演奏させて収録したカラオケテープを再生して伴奏するのが合理的なのであって、音楽教師にピアノ伴奏をさせるというのは全然合理的ではありません。といいますか、「国歌斉唱」にあたって「音楽教師にピアノ伴奏をさせよう」と思った学校校長は、君が代をピアノ伴奏したときどのように聞こえるのかを頭の中できちんとシミュレートした上で、オーケストラ演奏によるカラオケテープの再生よりも式典に相応しいと考えたのだろうかという疑問が先ず頭をよぎります。大石さんは、

ただ、記事にある、この53歳の女教師は、いつ頃からこんなバカなことを始めたんだろう。
と仰いますが、むしろ、この校長は、いつ頃から君が代をピアノ伴奏で斉唱させようなんてセンスのないことを考え始めたのだろうという疑問の方が私には強いです。

 藤田判事は控えめに

「君が代」以外は演奏していたのに、「君が代」については演奏しなかったことにより、参加者に「違和感」を与えるかもしれないけれども
と述べたようですが、例えば「仰げば尊し」みたいなある程度リズム感のある歌ならピアノ伴奏でもいいのです。しかし、「君が代」は、悲しいかな、リズム感のない歌なのです(リズム感のあるアレンジをするとそれはそれで処分されてしまいそうですし)。この歌の生命線は「重厚感」であって、それを出すにはピアノ伴奏では荷が重すぎます。だから、君が代の斉唱のときだけオーケストラバージョンのカラオケで伴奏させる違和感よりも、君が代をピアノ伴奏で斉唱させる違和感の方が大きかったはずです。

 この校長は、本当に音楽的センスのない方だったのか、単に女性音楽教師に嫌がらせがしたかったのか、単に「上からの指導」に従っただけなのか、その辺のところが知りたいところです。

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09/02/2007

「健全な希望」の障害

 「若い人たちの中に、結婚をして子供を2人以上持ちたいという人たちが多い」という結果が世論調査等から出てきた場合に、「にもかかわらず、そのような希望を持つ若い人たちがその希望を果たせずにいるのはなぜなのか」ということを分析した上で、その障害となっているものを取り除くのが厚生労働大臣の職責なのでしょう。その障害が取り除かれなければ、「結婚をして子供を2人以上持ちたい」という考え方を政府ご推奨の「健全な考え方」として認定することでさらなる若者に「結婚をして子供を2人以上持ちたい」という考えを抱かせたところで、それが実際に「結婚をして子供を2人以上持つ」という行動に移させることはできないので、「少子化対策」としてはさしたる効果がないということになります。

 厚生労働大臣ができることとしては、労働時間と所得の分散化を図り、「収入があっても時間がない」という問題と「時間はあっても収入がない」という問題を解決すべく、むしろ労働者保護法制を厳格に適用していくこと等が考えられると思うのですが、厚生労働大臣は、奥谷禮子さんを労働政策審議会に入れてむしろ労働者保護をゆるめようとしているようで、若者の「健全な」希望を叶えさせない方向に進もうとしているともいうことができます。

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01/02/2007

欧文による抄録

 前回の情報ネットワーク法学会の定期大会で発表した「Anonymity Provider の法的責任」について、同学会用のローレビュー紙に掲載すべき原稿を、何とか学会事務局に送信しました。

 何が困るって、「欧文による抄録」までつけろと指示されているところです。このように指示されてしまうと、邦文による抄録を、欧文でかける範囲に合わせざるを得ません。

 (私の母校である早稲田大学法学部では、英文を読むことは入試で求められても、英文を書くことまでは求められていないのです。)

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29/01/2007

インドの衝撃

 NHKの「インドの衝撃 第1回 わき上がる頭脳パワー」を見ていて、我が国の「愛国心」論議がなんて抽象的、観念的、道徳的な話に止まっているのだろうということを感じました。

 例えば、貧しい家庭の子供たちに非常に低廉な価格で数学等を教える(特に家庭が貧しくて特に優秀な若者30人に対しては、授業料を取らず、却って無償で寮まで提供して、最難関の理数系大学であるIIT大学への合格を支援する)予備校教師の「愛国心」は、「伝統や文化に対する愛着ないし誇り」なんて生やさしいものではありません。むしろ、出身階層により教育の機会が制限される伝統や社会システムに対する「怒り」すら、そこにはあるのでしょう。そして、その「怒り」こそが、彼を利他的な行動に駆り立てているわけです。

 そこには、他国やマイノリティを見下すことで或いは自国の伝統や文化を誇ってみせることで自尊心を満足させようという自己愛型の愛国心や、伝統や国益の名の下になされる上からの理不尽な要求を喜んで受け入れるマゾヒズム型の愛国心とは全く異なる「愛国心」があります。

 あるいは、そこにあるのは愛「国」心ではないようにも思えてきます。彼が愛しているのは、才能に溢れた若者たちであり、彼らにその才能を発揮させない「伝統」や「社会システム」の統合である「国」は、「愛」の対象ではなく、「怒り」の対象であるかもしれません。

 教育基本法が改正された今、学校教育の現場では、このような義侠心を「愛国心」またはそれ以外の呼称で、ポジティブなものとして教えることができるのでしょうか。私は、戦後民主主義の下で教育を受けているので、田中正造や佐倉惣五郎のような義侠心の持ち主をポジティブなものとして教えられてきたのですが、「伝統や文化に対する愛着ないし誇り」なんていう生ぬるい精神を植え付けたい文科省は、そんなことを今後も許すのでしょうか。

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28/01/2007

「チャレンジ」してきた政治家とそうでない政治家

 安倍政権は「『再チャレンジ』可能な社会」というのを1つの政策課題に掲げています。が、特定の道徳的規範を押し付けようということほどには熱心ではないように見えます。それは、安倍政権には、「再チャレンジ」どころか、「チャレンジ」する必要すらなく育った方々が多いからではないかという気がします。

 世界を見回すと、政治的なトップはマイノリティ出身者が少なからずいるようです。面白いのは、米国、フランスとも、次期大統領の有力候補にマイノリティ出身者がいることです。民主党の最有力候補の一人であるバラック・フセイン・オバマJr.氏はケニア系移民の2世ですし、フランス大統領選の最有力候補であるニコラ・サルコジ氏はハンガリー系移民の2世です。これに対抗するのが、米国であればヒラリー・クリントン氏、フランスであればマリー・セゴレーヌ・ロワイヤル氏、と、どちらも女性であるところも注目されます。

 さらにいうと、上記4人のうち、オバマ、ヒラリー、サルコジの3氏が弁護士資格を有しており、ロワイヤル氏が元行政裁判所判事ということで、司法に関与していた経験を有しているというところも、日本の政治状況とは大きく異なり、注目されます。といいますか、政府の主要ポストに法曹出身者がいないというのは世界的に見ると珍しいことですし、この辺が日本の外交交渉の弱さ等に関連してくるのかもしれないと思ったりしなくもありません。

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25/01/2007

世界最速のインディアン

 今日は、マッカーサー駐日ニュージーランド大使主催の特別試写会にご招待頂きましたので、「世界最速のインディアン」というニュージーランド映画を鑑賞してきました。

 「数々の困難にめげず、夢を実現する男の物語」という、ある意味「映画の王道」的な仕掛けの映画ですが、それだけに素直に楽しむことができる映画だなあと思いました。ベースが実話なので、もちろん荒唐無稽なセッティングやストーリー展開はできないのですが、それでも、ベースとなる実話の主人公が破天荒な人物なので、立派に娯楽作品たり得ているというところが凄いところです。

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20/01/2007

あるある大辞典2

 ダイエットのために納豆を探し回ってむりやり2パックも食べていた人はとんだ無駄骨でしたね(ここ)。

 「あるある大辞典2」の「実験結果」や外国の研究者の発言(の吹き替え)については、この納豆パックの回以外も捏造ではないのか調べた方がよいのではないかという気がします。

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08/01/2007

安藤百福

 CNN Internationalを見ていたら、安藤百福さんの話題を3分50秒もやっていました。日清の「No Boarder」キャンペーンまで触れられているあたりはさすがだと思いましたが、「Freedom」キャンペーンにまでは触れられていないあたりはさすがアメリカだと思ってしまいました。

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19/12/2006

八代先生と郭隗

 毎日新聞によれば、

 経済財政諮問会議の民間メンバーの八代尚宏・国際基督教大教授は18日、内閣府の労働市場改革などに関するシンポジウムで、正社員と非正規社員の格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要との認識を示した
とのことです。

 まずは、国際基督教大学において、専任講師以上の教員の待遇を非常勤講師の水準に合わせてみるとよいのではないでしょうか。

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16/12/2006

教育基本法改正

 一昨日、ある知的財産権絡みの勉強会に出席するために事務所から特許庁方面にタクシーで向かったところ、議員会館の周辺にたくさんの人が集まって抗議活動を行っているのが見えました。結論から言うと、彼らは、教育基本法改正についての強行採決に抗議する人々だったわけです。

 もっとも、野党の側も大した議論をしていなかったというのも事実であり、単に時間切れを目指すための質問しかしていなければ強行採決をされてもそれほど強く非難もできなくなってしまうわけで、教育基本法の改正にとっても反対だった人たちは、野党の議員さんたちに、「こういう質問をして下さい」という入れ知恵をもう少ししてあげた方が良かったのではないかと思ったりしました。議員会館の前でシュプレヒコールをあげて抗議の意思を表明することの効果を全く認めないわけではないのですが(他の民主主義国でもこの種の「市民の意思表明」というのはある種基本パターンですし)、しかし、我が国の場合、議員さんの調査・質問能力がおしなべて低いという特徴がある(スタッフが少ないと言うこともあるし、「組織の論理」で候補者に選ばれた方が少なくないということもあるのですが。)ので、そのあたりを補完してあげた方がただシュプレヒコールをあげるよりはまだ有効かなと言う気がします。)。

 実際、教育基本法改正案は、法案起草能力に問題があることが「ローマの休日」事件などで露呈してしまった文科省管轄なので、法案自体に関して問いただしておくべきことはたくさんあったと思うのです。

 例えば、焦点となっていたいわゆる「愛国心条項」

伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと
についてですが、「伝統と文化を尊重する」とはどういうことか、そこでいう「伝統」とは何を指すのか、「我が国と郷土を愛する」とはどういう精神状態のことをいうのか、我が国と郷土を愛する「態度」とはどのような態度のことをいうのかということをもう少し詰めておく必要がありました。これらについて、あとは「文科省の役人が自由に解釈してよろしい」みたいなことになると、とんでもない解釈をしかねないからです(例えば、「著作者の死後50年が経過しても他人の著作物を著作権者に無断で利用するのは止めよう」みたいな。)。

 そもそも戦後60年の間に社会構造・経済構造が大きく変革していった日本において、「戦後民主主義によって押さえつけられてきた『伝統』を回復しよう」なんてことをいってみたところで、だいたい迷惑な話にしかならないわけです(まあ、憲法改正はまだなので、戦後民主主義に反する「伝統」(ex.性別を重視した社会経済的分業体制等)を復活させることは当面公教育の場では許されないのですが。)。そういうことを言い出す方々が回復させようと思っている「伝統」って、大抵の場合、担い手の経済合理性に反するわけですし。例えば、「団地、マンションであっても床の間を用意せよ」なんていわれたって、「床の間」を用意するとその分生活用のスペースが減少してしまうわけで、そもそもがさほど広くない集合住宅の場合は、そのことによる生活の利便性に対する悪影響の度合いが大きかったりするわけです。それに、「伝統」って、地域差や階層差が大きいので、公教育で一律に押し付けるとなると、「ある地域におけるある種の階層のもとでの伝統」を、それ以外の地域の、あるいは、それ以外の階層のもつ「伝統」を押しつぶすことにもなりかねないわけで、その辺の調整をどう付けるつもりなのか全然わからないです。

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13/12/2006

教育再生 有識者からの提言

 「教育再生 有識者からの提言」というサイトがあるのですが、右の方の方々の「教育提言」って、どうしてここまで「親のニーズ」を無視したり客観的なデータを無視したりしてしまうのか、不思議です。

 私は未だ、自分の子供に愛国心が足りないことを嘆いている親を見たことがありません。また、私は、少年事件は修習生のときに見ただけですが、非行に走る子供は、そうでない子供よりも、歴史の教科書に書いてあることや歴史教育の時間で先生(特に日教組系の先生)が教えたことを素直に受け止めた傾向が高いという議論も見たことがないのです。

 こういう「提言」をいくら突きつけられても、現場の方々は苦笑するより他ないんだろうなあと 同情してしまいます。

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募金の条件

 ところで、募金を集める人や、その募金を受け取る人が、その前に個人資産をまずすべて吐きだすなどというのは、実際問題として、一般化しているのでしょうか。

 日本テレビ系列は毎年24時間テレビで視聴者等からの募金を集めていますが、もちろん、日本テレビ系列の各テレビ局も、24時間テレビに出演する芸能人等も、「視聴者等から募金を集める前に、その資産を全て吐き出す」なんてことはしていません。それどころか、24時間テレビ放送中のCMのCM料は各テレビ局の収入となりますし(各テレビ局はこれを福祉目的に寄付したりはしません。)、出演者もちゃんとギャラは受け取ります(ほとんどの出演者は出演料を福祉目的に寄付したりはしません。)。

 では、日本テレビ系列が集めたお金(正確にいうとそのお金で購入したリフト付きバス等)を受け取る側はどうなのかというと、「これを受け取る前に全資産を吐き出」したというわけでもないのでしょう。日テレサイドは、

審査の際の重要なポイントは、必要性の高い事、より緊急性がある事、車両の維持管理が可能な事、運用体制が明確な事、健全財務内容でありかつ、自主購入が困難である事、などです。
とは言っていますが、「敷地建物をまず売却すればその売却代金の中からリフト付きバス等を購入できる」場合には「自主購入が困難である」とはいえないという運用はしていないように思います。

 すると、「募金を集める前に先ず自宅を売るべき」という匿名さんたちの倫理規範というのはどこから生まれてきたのでしょうか。

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01/12/2006

30年ローンの3年目

 さくらちゃん問題でそのご両親を非難する方々にはこの種の認識を有している人が多いようです。

3年前の購入と考えると、地価が大きく下げていた時期なので、現時点で含み損をかぶっているとは考えられない。つまり、家を売ればかなりの部分、何とかなるかもしれないけど、売るわけにはいかないということか。

 しかし、普通、住宅ローンには金利がかかるのです。例えば、30年ローンの最初の3年目くらいだと、大して元金は減りません。頭金プラスアルファ程度です(例えば、1億円のローンに対し、金利年3.7%の固定で、月々46万円の元利均等弁済だと、36ヶ月目の残元金は約9423万円。新築→中古という値下がり要因を考慮に入れず同額の1億円で売れると仮定しても、手元には600万円弱しか残りません。したがって、「家を売ればかなりの部分、何とかなるかもしれない」ということはまあないだろう(「米国での心臓移植」に必要な資金需要を考えると)と、普通は推測してしまうわけです。

【追記】

20年ローンではないかとのご指摘を受けました。
固定金利3.7%、月々59万円の元利均等弁済で20年ローンを組んだ場合、3年目ではまだ8900万円強の残債務が残る計算になります。したがって、「家を売ればかなりの部分、何とかなるかもしれない」ということはまあないだろうということにはあまり影響はないようです。

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28/11/2006

高い給料をもらいながら政治活動してよくない?

 先日の朝まで生テレビでもそうでしたが、日教組が反教育基本法改正運動に対して約3億円もの資金を投入したり、国会や議員会館の前で抗議活動をしていることを批判する人が少なくありません。

 例えば、中川自民党政調会長は「高い給料をもらいながら政治活動していいのか」と批判したとのことです。いつから自民党は、高い給料をもらっている人による政治活動を問題視するような政党になったのでしょうか。是非とも、文科省(特に文化庁)から天下りして高い給料をもらいながら会長やら理事長を勤めている公益法人がロビー活動その他の政治活動をしに議員会館や自分党本部にやってきたときにも同じ台詞を言って頂きたいものです。なお、1日約11時間の労働で、平成17年4月1日現在の小中学校教員の月額平均給料が約40万円(43.5歳)ですから、有給休暇を使って反対の意思を表明することをとやかく言われるほどの高給取りではありません。

 また、朝まで生テレビでは、いじめが問題となっているときに教育基本法改正反対運動に時間を費やしていることの是非が問題とされました。もちろん、政府も与党も野党も日教組以外の教員組合もいじめ問題の解決を最優先としているときに一人日教組だけがいじめ問題を無視して教育基本法の問題ばかりを取り上げているのだとすれば日教組が責められても仕方がありません。しかし、実際には、政府・与党が、いじめ問題の解決をそっちのけにして、教育基本法の改正に血道を上げている以上、この教育基本法の改正に反対する人々としては、今反対の声を上げることにある程度の力を注ぐというのはある意味当然のことで、こんなことが日教組に対する批判の理由にあがること自体が不思議です。 

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18/11/2006

議論の主体

 参加者全員が「非核三原則を堅持する」ことを志向している場合、「日本の核保有を議論する」ことにはなりにくいので、政権与党の幹部において「日本の核保有を議論する」ということは、少なくともそのなかに「日本は核保有すべきである」という見解をもっていて、その見解を少なくともその議論の場で開陳するということを意味します。そして、「日本は核保有すべきである」という見解を採用する場合、「核の抑止力による国家防衛のために主権国家が個々的に核保有をすることは当然に許される」という前提に立つことになります。

 しかし、この前提に立った場合には、北朝鮮による核保有を批判できなくなります。北朝鮮も国連に加盟する主権国家であり、「核の抑止力による国家防衛のために個々的に核保有をすることは当然に許される」ことになってしまうからです(中川政調会長のように、「(日本の)憲法でも核保有は禁止されていない。核があることによって(他国に)攻められる可能性が低くなる。あるいは、やれば、やりかえす、という論理は当然あり得る」なんて言ってしまったら、おそらく北朝鮮の憲法でも核保有は禁止されていないわけですし。)。。しかも、米軍の核の傘に一応守られている日本よりは、米国大統領から「悪の枢軸」の一員として非難されているし、ブッシュ大統領は先制攻撃論を否定していないので、「核の抑止力による国家防衛」の必要性は北朝鮮の方が高いと見られるでしょう(中川政調会長は「どう見ても頭の回路が我々には理解できないような国が(核兵器を)持ったと発表した。これは何としても撲滅しないといけない」と言ってしまっていますが、ブッシュ大統領のことを「どう見ても頭の回路が我々には理解できない」と思っている人々は少なからずいるわけですし。)。

 したがって、北朝鮮に核保有を断念させようということで国際社会が団結して頑張ろうとしている矢先に、北朝鮮に核保有を断念させることについて最も重大な利害を有している日本の、政権与党の幹部が、「核の抑止力による国家防衛のために主権国家が個々的に核保有をすることは当然に許される」という前提にたった議論を行うというのは、いかにも間が抜けているわけです。

 しかも、議論したところで、日本は、NPT条約を脱退して核武装をする現実的な可能性はない(ウラン燃料等の日本への輸出禁止が実施されただけでも、日本経済はがたがたになります。)のだから、まさに議論するだけに終わることが目に見えています。

 そのような無意味な議論を行うために、北朝鮮による核保有にいささかでも正当性を与えてあげるというのはいかがなものかという、単純な話なのです。

 なお、JSFさんのブログで引用されている日本テレビのアンケート調査ですが、これは「あなたは、核について具体的な議論をすることについてどう考えますか?」という質問であって、「核について具体的な議論をする」主体を限定していません。私も、「日本は核武装をすべき」という持論をお持ちの国会議員が国会で首相や防衛庁長官に日本の核保有に関する質問をすることまでけしからんという気はないのですが、でも、安倍首相や中川政調会長はそういうお立場ではないのです。

 なお、こちらも参照。

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16/11/2006

GMは32歳

 松坂大輔選手のポスティングに関するニュースを見ていて驚いたのは、落札金額ではなく、エプスタインGMの32歳という若さです。こういう若い人に、これだけの大金の動く、責任のある仕事を任せてしまう米国社会のすごさです。

 この記事なんかを見ていると、セオ・エプステインは28歳の若さでレッドソックスのGMに就任したとのことです。名門(エール大学)のロースクールを出ているとこういうチャンスにも恵まれるという社会では、なるほど学部を出てから短くない年月と安くない学費を費やしてまでロースクールに通うインセンティブが湧いてくるのだろうなあとの感慨に耽ってしまいます。

 さて、鳴り物入りで始まった日本の法科大学院の卒業生に対して、日本の企業社会は、こういう「超特急」にのる機会を与えてくれるのかと振り返ってみると、なかなかに一寸先は闇状態だなあ。

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14/11/2006

クリリンのことかーっ!

 今日、お客さんから頂いた、栗を使った焼き菓子の商品名が、

栗凛

でした。

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12/11/2006

議論すること自体の問題

 「議論すること自体を封鎖するのは言論弾圧だ」みたいな声が昨今右の方からわき上がっているようです。  

 確かに、原則としてはそうです。一般市民のレベルでは、名誉毀損や侮辱等にならない範囲内で何を議論してもよいでしょう。また、民主主義の発達した国々では、変わったことを仰る議員がいることはある程度織り込み済みですから、「仕方ないなあ」というくらいには思ってもらえなくもないのでしょう。

 ただし、政権政党の幹部がある提案を議論の土台に載せるということは、その国ではその提案は選択可能なものであると認識されているということのメッセージになりますから、そのメッセージがネガティブな影響を各方面に与えることが予想される場合には、「政権政党の幹部はその議論をすべきではない」ということになります。だから、米国の大統領やそのスタッフは黒人奴隷制度の復活制度の是非を議論するようなことはしませんし、ドイツの政権政党はユダヤ人をガス室送りすることの是非を議論するようなことはしません。政権政党の幹部がそのような議論をしたとしたら、おそらくブーイングの荒らしでしょうし、おそらく「議論すること自体を封鎖するのは言論弾圧だ」といってかばってくれる人はほとんど現れないでしょう。そういう意味で、政権政党の幹部等高い地位についた人々についていえば「議論すること自体がけしからん」という話題は確かにあるのです。

 「独自の核武装論」についていえば、政権政党の幹部がこれを議論するということは、国土防衛の手段として核兵器を独自に保有することは政策として選択可能であるとその国では認識されているとのメッセージを国内外に発することになりますが、そのことは、「国土防衛の手段として核兵器を独自に保有」しようとしている北朝鮮政府に対してそれは「選択が許されない政策」だとしてこれを止めさせようとしている国際社会を裏切るような話なので、非難囂々となることは仕方がないことです。

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11/11/2006

声の大きな「悪」に寛大さを示し「人気者」でいたい人たち

 一般に、学校ではいじめる側の方がいじめられる側よりも声が大きいですから、「クラスで人気者」になりたい教師は、いじめに対して寛大な態度を示そう、あるいは、自分もいじめに荷担しようという欲求に駆り立てられるのでしょう。もちろん、それは教師の取るべき態度としては間違っているのであって、たとえクラス内でノイジーな生徒からブーイングを浴びようとも、いじめる側に対して毅然とした態度をとるべきです。

 それは、ネット上での誹謗中傷についても同様です。ネット上では匿名で執拗に個人攻撃している側の方が執拗に個人攻撃されている側よりも声が大きいですから、「ネットで人気者」になりたいインテリたちは、この巣の個人攻撃に対し寛大な態度を示そう、あるいは、自分も個人攻撃に荷担しようという欲求に駆り立てられる傾向があるように思います。もちろん、それは間違っているのであって、たとえネット上でのノイジーな人々からブーイングを浴びようと、このような執拗な個人攻撃に対しては毅然とした態度をとるべきなのです。

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07/11/2006

一生懸命稼がないと

 ニュース報道によれば、ケリー上院議員の「一生懸命に勉強しなければ、イラクで身動きが取れなくなる」(注1)との発言が、「イラクにかり出されている米兵は無学だ」という意味に取られて、共和党から攻撃材料に使われているとのことです。

 しかし、考えてみれば、ケリー議員がそういう意味で発言したのではないことはわかりそうなものです。なぜなら、ケリー議員の「売り」の一つはベトナム戦争で従軍経験であり、他方、ブッシュ大統領の弱点の一つがベトナム戦争のときにテキサス州兵という安全なところに収まっていたことなのですから。まさか、「自分は一生懸命に勉強しなかったからベトナム戦争にかり出されたが、ブッシュ大統領は一生懸命に勉強したからベトナム戦争にはかり出されなかった」みたいになりかねない話をするとは思えません。

 実際、イラク行きを余儀なくされている若者の中には、一生懸命勉強したいけれども学資がないから、奨学金目当てで州兵に志願した人も多いわけで、イラク行きと学習意欲との間には特段の関連性はないように思います。

 「一生懸命に働いてたくさん稼がないと、君たちの息子が、イラクのような泥沼の戦地に送られ身動きがとれなくなる虞がある」という格差社会的な話ならば、そうはずれてはいないとは思うのですが。

注1

原文は、"You know, education, if you make the most of it, you study hard, you do your homework and you make an effort to be smart, you can do well. If you don't, you get stuck in Iraq."とのこと。

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17/10/2006

寓話

 寓話の寓意を素直に受け取るまいと必死にねじ曲げてみせる人の姿を見るのは悲しいことです。

 寓話の寓意を作者に問いただす野暮な人の姿を見るのもまた悲しいことです。

 「所詮、匿名だ」という安心感が人々から小粋な行動を取ろうとする意欲を減退させているとすれば、それもまた悲しいことです。

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北風と太陽

 「北風と太陽」の寓話は、既に人口に膾炙しています。

 これから述べるのは、その後日譚です。


 北風と太陽の前を、また外套を着た旅人が通りかかりました。

 北風は、性懲りもなく、旅人に冷たい風を吹き付けて外套を吹き飛ばそうとしました。旅人は案の定外套を吹き飛ばされまいと、しっかりと腕をくみ上げました。

 見かねた太陽は、旅人に暖かい光を浴びせかけて、旅人が自分から外套を脱ぐように仕向けようとしました。が、いくら暖かい光を浴びせかけても、旅人は身を固くして、一向に外套を脱ごうとはしません。

 太陽は、おかしいなあと思って振り返って北風を見ると、今度は、太陽が旅人に暖かい光を浴びせかけている間も、北風は旅人に冷たい風を吹き付けるのを止めません。なるほど、これでは、旅人が自分から外套を脱ぐことはあり得ません

 太陽は北風に言いました。

 「君が冷たい風を吹き付けるのを止めれば、そしてしばらく君が冷たい風を吹き付けることはないと旅人が信頼すれば、旅人は自分から外套を脱ぐから、すこし冷たい風を吹き付けるのを控えてくれないか」

 しかし、北風は太陽にこう答えました。

 「君はさっきから暖かい光を旅人に浴びせかけていたようだが、旅人は外套を脱ごうとしないではないか。君の軟弱な作戦は失敗したのだ。君こそもう私の邪魔をしないでくれ」

 そう答えると、北風は、前にも増して冷たく、強い風を旅人に吹き付けました。

 旅人は、外套を吹き飛ばされたら自分は凍え死んでしまうとばかりに、必死に抵抗を続けました。

 その間、旅人の横を通りかかった犬は吹き飛ばされ、馬も吹き飛ばされ、街路樹はぼきっと折れました。北風は、旅人が苦しそうな顔をするのが楽しいのか、太陽が心配そうな顔をするのが嬉しいのか、景気よく勇ましく冷たい風を旅人に吹き付け続けました。ついには旅人ごと吹き飛ばされてしまいました。旅人は体中が傷だらけになってしまいました。しかし、旅人は、必死の形相で外套を離すまいと抵抗しました。旅人は、ついに岩陰を見つけ、北風が吹きすさぶのを止めるまで、そこに隠れることにしました。

 しばらくたって、北風もさすがに疲れたのか飽きたのか、冷たく強い風を旅人に吹き付けるのを止めました。すかさず、太陽が、岩陰に隠れる旅人の背後から暖かい光を浴びせかけました。

 旅人は、少し様子を見ていましたが、もう冷たい強い風はしばらく吹かなそうだと確信したのか、冷たい風に晒されて冷え切ったからだが暖まってきたのか、最初は外套のボタンを上の方から外していき、次第に、自分から外套を脱ぎ始めました。

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12/10/2006

早く目覚めて

 さくらちゃんとご両親を攻撃している人たちは、さくらちゃんのご両親がその執拗な攻撃にまいってしまって「もう募金は集めません。さくらの手術は望みません」ってことになって、さくらちゃんが移植手術を受けることなく短い一生を終えることになったら、「私たちは、匿名での言論活動によって、これだけのことを成し遂げた」ということで充実感に溢れた人生を送ることができるのでしょうか。

 ネットの匿名性を精一杯活用して、余暇時間を一生懸命活用して、一人の子供を、そしてその子供を支える一つの家族を不幸のどん底に落とそうとするその精神構造に私は付いていくことができません。

 ネットで何かに目覚めた人々は、早くネットの夢から覚めて、人間性に目覚めてほしいものです。

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09/10/2006

往生際と保釈不許可事由

 スポーツ報知は、

 東京地裁は5日、一度は植草被告の保釈を許可したものの、東京地検が決定を不服として申し立てた準抗告を認めた。植草被告は4日に起訴されているが、起訴事実を否認している。それだけでなく、現行犯逮捕にもかかわらず「事件は警察のでっち上げ」「電車が揺れて手が触れ、勘違いされたのでは」などと往生際が悪い供述に終始していることが今回の逆転裁定の原因とみられる。
報じていますが、我が国の刑事訴訟法は「往生際が悪い供述に終始している」ことは保釈不許可事由に含めていません(迷惑防止条例違反なら、本来権利保釈の範囲内ですし。)。

 「往生際が悪い」と裁判官が判断してしまうほどその弁解が荒唐無稽であるのならば保釈をしても「罪証隠滅」の虞がないわけですから、むしろさっさと保釈をしましょうという話に繋がるべきではないかとも思います。

 なお、スポーツ報知の記者は「現行犯逮捕にかかわらず」という言い方をして暗に「現行犯逮捕されている以上無実であるわけがないのだから、それにもかかわらずあれこれ弁解するのは往生際が悪い」という感覚を持っているが故にこういう記事を何の疑問も持たずに書いたのでしょうが、痴漢の場合、過去に無罪判決がなされた例だって基本的に「現行犯逮捕」だったりするわけで、現行犯逮捕だから無実であるわけがないとはいえない類型の一つだったりします。

 報道各社は、司法担当記者をレベルアップするべきでしょう。

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08/10/2006

諸外国での国歌の取扱い

 右の方の方々の議論を見ていると、日本以外の国々では国民は式典等において自国の国歌を敬意をもって歌っている、それがグローバルスタンダードであるかのように感じられてしまいがちなのですが、ところがその点については必ずしも十分なソースが示されていないように思われます。で、英語の勉強もかねて(休日はできるだけ英文サイトを読むように心がけています。)ちょこちょこと調べてみると、どうもそうは簡単にいえないように思います。


 この記事によると、マレーシアでも国歌を歌わない人が増えているようです。ジンバブエでも「国歌なんて歌えない」という悲痛な叫びがあります(この叫びは、私たちの近未来を暗示しているようで身につまされます。)。

 この記事によると、フランスの教師が「La Marseillais」は人種差別的であるとしてこれを子供たちに教えることのを拒否したり、オーストリアでは保守政党出身の大臣が、国歌において男女が平等に扱われていないとして歌詞の変更を具体的に提案したりしているようです。

  この記事によると、スイス人の3分の1はスイス国歌を知らないし、歌詞を暗記している人はほんの少ししかいないのだそうです。

 この記事を見ると、イギリスでも「God Save The Queen」の評判はぼろぼろです。「most of England's players keep their mouths resolutely shut during the pre-match singing of the national anthem」だそうで、君が代を歌わなかっただけでバッシングされた中田選手がかわいそうになってしまいます。

 米国は米国で、国歌を何語で歌うべきか(英語で歌わないといけないのか)で結構大もめだったりします。ブッシュ大統領は国歌は英語で歌われるべきだと考えているようですが、そうすると、国歌を歌えないアメリカ国民が結構な数に上りそうです。

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07/10/2006

my believes and positions, which I never and will not ever exchange for money

 国歌に敬意を表して起立することを拒んだためにみすみす約1億円の賞金をもらい損なったお嬢さんに関する話題がこちらに掲載されています。

 言うも言ったり、「my believes and positions, which I never and will not ever exchange for money」。現実空間では理不尽に抵抗することなど怖くてできず、できることと言えばせいぜいネットで匿名で他者にイチャモンをつけることくらいという軟弱な一部の日本人とは人間としての格が違う感じがします。

 もちろん、Abeer Qibtiさんはアラブ系の市民であり、仮に「国籍」がイスラエルにあったとしても、「ユダヤ国家イスラエル」の国歌になど敬意を表する気になれないのはさほど不自然なことではありません。ただ、それを言い出すと、民主主義を強く支持する日本国民が君主制の永続を願う歌に敬意を表する気になれなかったとしてもさほど不思議ではないのであって、そういう意味では、「日本とは事情が違う」みたいに言ってしまうのは不正確かなという気がします。

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