Nouvelles

13/11/2011

TPP参加問題

 TPP交渉に日本政府として参加するか否かを巡り、激しい対立があるようです。

 ただ、交渉に参加したら不当な条項を丸呑みにしなければならない前提っておかしいと思っています。既に条項が固まって、既に批准国が一定の限度を超えて発行している条約に後から参加し批准する場合ですら、国内法に抵触する条項等について留保することが通常可能です。まして、未だ条項が固まっていないTPPについて、日本が交渉に参加したら即、ありとあらゆる日本の不利な条項を丸呑みしなければならないという自体にはなり得ないと思われるからです。

 特に、おおむね民主主義国では、条約締結に向けた交渉に参加するには議会の承認はいらないが、条約を批准するには議会の承認を要することとされているため、交渉には参加したが、全条項丸呑みでは議会を通らないということは想定の範囲内なので、「交渉に参加したが最後、丸呑みするしかない」という仕組みになっているとは思われません。

 さらにいえば、TPP参加国として想定されている国々のうち日本は経済規模がアメリカに次ぐ大国であり、日本の参加不参加がその成功の鍵を握っているので、「そのような条項は承認できない」ときっぱりと主張をすればそれ以上ごり押しをすることも難しいのではないかと思います。

 むしろ、問題は、自分たちの利益を図るために外圧を利用してきた人々が、TPPを利用して、自分たちに有利な仕組みをTPPに盛り込ませようとすることなのではないかと思います。

 そのようなことをさせないためには、「交渉に参加するな」ということにエネルギーを浪費するのではなく、それぞれの領域について、政府に対し、情報の公開と、どのようなルール作りを提唱するのかについて、市民参加型で協議をする場の設置を設けるように要求した上で、知恵を出し合うことにエネルギーを使った方がいいのではないかと思います。

 特に、利害対立が国家間ではなく、国内のポジション間で鋭く対立する問題(知的財産問題などは典型的です。)については、米国等の市民団体とも連携しうるのではないかと思われます。

23/08/2011

ササクレ屋さんへの反論(中編)

 さて、続きです。

 ササクレ屋さんは、小寺さんのエントリーを次のようにまとめます。

・しかしブームの火付けに失敗したのでエスカレートしすぎてかつてない反感を買った。<これが小寺さんの見るフジへの反感の第一の理由>
・(K-POPや韓国ドラマといった「韓流コンテンツ」ではなく)売ろうとした商品が「韓国」であった。<第二の理由>

 しかし、冬のソナタを推していたころのNHKならばともかく、フジの韓流ドラマは、平日の昼間の午後2時以降の枠で放送されています。この時間帯は、視聴者層が専業主婦と高齢者中心であり、もともと「ブームに火を付ける」云々とは縁がない時間帯です。実際、同時間帯の民放各局の番組を見ると、日本テレビが「ミヤネヤ」を放送しているものの、それ以外はドラマやサスペンスを再放送しているというのが実情です。「ブームの火付け行為がエスカレートしすぎた」とは、とてもではないがいえないところです。

 また、K-POPにしても、人気のある音楽番組に出演してシングルカット楽曲を歌う、ドラマの主題歌やCMのBGMに使ってもらうというのは音楽コンテンツの宣伝広告手法としてはきわめてありふれており、「エスカレートしすぎ」たとは言えないように思います。

 次に、売ろうとした商品が「韓流コンテンツ」ではなく「韓国」であったとするのはかなりうがった見方のように思われてなりません。フジテレビは、K-POPについては音楽出版権を押さえているので、その売り上げの向上は利益に繋がりますが、「韓国」自体の好感度が上がっても、直接的な利益を受けることができません。私も、Hey!Hey!Hey!にK-POPユニットが出ている場面を見たことがありますが、そのユニットではなく、その属する「韓国」という国を売り込んでいるようにはとうてい見えなかったわけです。っていうか、フジテレビにおけるK-POPユニットの扱いのどの部分に「『韓国』という国自体を売り込んでいるのだ」感を感じたのか、理解不能です。

 むしろ、フジテレビが韓流コンテンツを流すことに対して「『韓国』を売ろうとしているのだ」と感ずるのは、韓流コンテンツがどうのこうのではなく、「韓国」自体を拒絶したい気持ちがその受け手に強いからなのではないかと思います。

 ササクレ屋さんは、

国家に対して思うところがあるという理由で韓流コンテンツも好きになれない人がいたとしても人種差別呼ばわりするべきではないし、フジテレビ問題は国家・コンテンツ両方に対しての「好き嫌い」だけが論点でもない
とおっしゃいます。しかし、出自を基準に好き嫌いを判断している時点でレイシズムであり、ただそれが自分自身の商品等(特にコンテンツ系のように「好き嫌い」で決めることが当然に許容されるもの)の選択基準を構成するにとどまっている場合には、許容限度内にとどまっていると言うべきなのだと思います。それが、「だから、フジテレビは放送するな」と他者にまで「出自を基準とする好き嫌い」を押しつける段になると、許容限度を超えるレイシズムということになるわけです。

 ということで、ササクレ屋さんの、

いくら日韓友好が善なることであっても「批判するな嫌うな」「それをするのは差別だ」と決め付けるのはあからさまにおかしいはずなのですが、小倉さん以外にもこの騒動の出発点・主流層が差別主義的な反韓だとみなすかのような人がブクマコメントにも意外に多いですねー。
という批判は、的が外れているということになります。

 さらに、ササクレ屋さんは深水さんの見解を、

・局が電波を使って自らやその子会社が著作権や商品化の権利を持っているコンテンツを宣伝するような行為(※1)は違法。

とまとめた上で、放送法第51条の2を引用した上で、

韓流コンテンツの権利をテレビ局が押さえる → コンテンツのCMを放送する これなら問題なし。CMと認識されない番組内で韓流コンテンツの宣伝を(有料で)行うのがステルスマーケティングであり違法となります。

と断言します。

 しかし、放送法51条の2は、

一般放送事業者は、対価を得て広告放送を行う場合には、その放送を受信する者がその放送が広告放送であることを明らかに識別することができるようにしなければならない。
と規定するので、①自社商品の放送番組内で宣伝すること、②対価を得ずに他社商品を宣伝することは適法だということになります。

 テレビ番組では市販の商品を番組内で組み入れることはある意味で不可避的であり(これを回避しようとすると、ある種のNHKの番組のように不自然となります。)、かつ、番組内に組み込むだけでその商品の宣伝広告に繋がってしまうという性質がある故に、広告放送部分以外でも特定の商品を宣伝することとなってしまうのはテレビ番組の定めであると言えます。

 それを否定すると、テレビ番組自体が成立しにくくなります。歌番組に至っては、レコード等が市販されている楽曲、市販される可能性のある楽曲をその歌手に歌ってもらうことすらできなくなるので、少なくともポピュラーミュージックを対象とするものは成立しなくなります。放送法51条の2がそのような結果を招来しようというものでないことは明らかです。

 

◆放送法の意図するところは視聴者が「CMと認識しない状態で宣伝を見せられるのを避ける」ことなので、ステルスマーケティングは広告宣伝料の有無に関わらず視聴者の不利益なので批判され問題視されてしかるべきことです。
とまで言われてしまうと、もはや、情報系番組は崩壊します。「ぶらり途中下車の旅」すらアウトになります。「食いしん坊万歳」なんてもってのほかです(口に合わなくても、まずいとは言わないんだぜい!)。しかし、それらの番組を中止に追い込もうという人は、昨日お台場まで出かけた人の中にいないわけです。では、なぜ、音楽番組でK-POPを取り上げることをことさら「ステルスマーケティング」と言って糾弾しようとするのでしょうか。レイシズム故でしょう。

 さらに、ササクレ屋さんは、深水さんの見解をまとめる形で、

ましてやどこかの国のプロパガンダのような番組(※2)を流したりすることは禁止されて当然。

と述べた上で、

「韓国の悪いイメージにつながることを報道しなさすぎる(偏向)」傾向は明らかにありますし、「韓国をほめるために何かと日本を貶める」例も気のせいでは済まないレベル。これは政策として反日を是とする韓国が官民挙げて実行していることなので、こういう点は充分に ※2 韓国のプロパガンダを日本マスコミが実践しているとんでもない例です。

と述べます。

 しかし、ゲストとして外国の歌手が歌番組に登場しているときに、その歌手の母国の悪いイメージになることをわざわざかぶせないというのは当たり前の話です。その歌手が社会派で、歌の中で自国の暗部を糾弾しようとしているならともかく、普通に恋愛中心の歌を歌う歌手に対してそんな仕打ちはしません。

 報道番組では、韓国社会の問題点を報道することはあります。ただ、見る人が韓国に対する憎悪を煮えたぎらせるような作り方を日本の報道番組はしませんが、それは韓国に対してのみ特別にしないのではなく、どの国についてもしません。嫌韓プロパガンダに協力しないから偏向だ!といわれても、レイシズムに毒されていない普通の日本人は戸惑うより他ありません。「韓国に対して悪いイメージを与えるような番組作りをしないフジテレビは許せない!」という怒りは、レイシズムと評価されて当然だと言うべきです。

 眠くなったので、続きはまた後で。

22/08/2011

ササクレ屋さんへの反論(前編)

 前回のエントリーに対し、ササクレ屋という方が反論をされているようです。

 冒頭からいきなり、

テレビ局(マスコミ)が建前では「やってない」ことになっている法律上・倫理上問題のある複数の行為が噴出表面化したのが韓流ごり押し。問題行為を認めさせ改めさせなきゃというのがフジ批判の本質になりつつあるのに、問題行為とは何か知らないとか、行為を知っても問題だと感じないとか、いまだに嫌韓は差別主義者とかいいだす人がけっこういてなんかすごい。

と言ってあたかも民族差別とは無縁であると強弁しようとしているあたりがすごいです。実際のところ、法律上問題があるということを具体的な法律の条文から説得的に導いている見解はないし、「法律上・倫理上問題のある」と彼らが言っている手法を「韓流」以外についても改めさせようという声はほとんど上がっていないわけだし、昨日のデモだって、立派に韓国ゼノフォビアと結びついているわけで、現実離れした見解だというより他ありません。

 

また「誰からも嫌がられない番組を常に作り続けろ」を要求しているのだということになっていますが、そんな無謀で極端なことを言ってる人は匿名で誹謗中傷も渦巻く2ch含めネット上で見たことないです。小倉さんはいったい何をごらんになったのでしょうか。

とおっしゃっています。どこを見たら私がそういっているように見えたのか不思議です。フジテレビを批判している人たちは、「誰からも嫌がられない番組を常に作り続けろ」と要求しているのではなく、「韓国を嫌いな俺様に嫌がられない番組を常に放送し続けろ」と言っているに過ぎません(「俺様」を「日本人」「普通の日本人」と言い換えている例は多いのでしょうが。)。ただ、「韓国を嫌いな俺様」に配慮する義務をテレビ局に負わせた場合、あらゆる「◎◎を嫌いな俺様」に配慮する義務をテレビ局は背負い込むことになります。「韓国を嫌いな俺様」の声だけを優先的に扱えというのは、韓国嫌いだけをたのフォビアよりも尊いものと位置づけるわけですから、ゼノフォビアとのそしりを免れないでしょう。

 

「韓流を嫌うのは差別主義者」と断じてしまうのがそもそも無茶苦茶ですね。「フジ批判の中で差別的な言動を取る人も一部いる」というのが正確でしょう。だのでその言動について批判するならわかりますが、「フジ批判はレイシズムで韓流を嫌い韓流止めろとわがままを言う連中」という設定で「『フジ批判』批判」をするのが小倉さんの的外れなとこだと思うのです。

ともおっしゃっていますが、それは無理があるでしょう。「韓流を嫌う」こと自体は誰も批判していません。「見たくなければ見なければいい」という発言は、「韓流を嫌う」自由自体を尊重しているのです。しかし、「フジ批判」の人たちの要求は「韓流を嫌う自由を認めろ」ではありません。「韓流ドラマを見たいとする視聴者がそれなりにいて、それを放送することが経営上合理的であると判断したから、既存ドラマの再放送ではなく、新たに買い付けた韓流ドラマ」を放送しているテレビ局に対して、その放送をやめろ、すなわち、自社の利益を損なってでも、他の視聴者の期待を裏切ってでも、とにかく、韓流ドラマを地上波で流すなと主張しているわけです。それは、「個人的に嫌い」ということを超えた「排外運動」であるということができます。

 そろそろ電車を降りないといけないので、続きは後で。

20/08/2011

君たちが嫌いな番組を見たい人だっているんだ。

 高岡蒼甫さんのTwitter上での発言に端を発した民族差別主義者たちによるフジテレビ攻撃に対し、ビートたけしや岡村隆史(ナインティナイン)、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)等が「嫌なら見なければいい」と批判を加え、さらにこれに対し、作家の深水黎一郎さんやMIAUの小寺信良さんが異議を唱えるという状況になっているようです。

 しかし、放送電波が公共のものだといってみたところで、様々な趣味嗜好が併存する自由の国日本において「誰からも嫌がられない番組」を常に作り続け、そういう番組のみを放送するのは至難の業だし、そういう番組はたいてい面白くありません。エンターテインメントビジネスにおいて、「誰かから嫌がられる」というのは不可避の定めであるとすら言えます。だからこそ、エンターテインメントビジネスでは「誰かから嫌がられる番組は放送しません」という選択はとり得ないわけです。したがって、作り手からいえば、「嫌ならば見なければいい(好きだという人に向けて放送することを邪魔しないでくれ)」というよりないわけです。

 ビートたけしにせよナイナイの岡村にせよロンブー淳にせよ、自分が関与している番組がPTAなどから「子どもに見せたくない番組」とのレッテル張りをされてきた芸人です。すなわち、彼らは、「かなり多くの人々から嫌がられる番組」を作ってきた人です。だからこそ、この「私がこの番組が嫌いだ。だから放送するな」というテレビ局攻撃に対しては、反論をせざるを得なかったのだろうと推測します。狂信的な民族差別主義者の要求に屈してその嫌がる韓流ドラマを放送しないという選択をテレビ局がとった場合に、PTA等の抗議によりその嫌がる「過激なお笑い番組」を放送しないという選択をテレビ局がとらないという保障はないからです。

 私は、正直テレビ局とは戦ってきた弁護士だし、現在もフジテレビを相手方とする訴訟で訴訟代理人を務めています。ただ、私(の依頼者)が要求していることは、テレビを見たいという人が何時、どこにいてもテレビを見ることができるようにさせてくれということであって、「見たいといっている人に、見させてやってくれ」ということです。だからこそ「俺たちが気に入らない番組は放送するな」という民族差別主義者の要求は、とてもではないが、容認する気にならないのです。

18/07/2011

「原発事故の損害賠償に関する公正な処理を求める緊急提言」について

 「原発事故の損害賠償に関する公正な処理を求める緊急提言」なるものが提言されていたようです。

 政府の「原子力賠償支援機構法案」は撤回し、法治主義の原則に則った東京電力の処理プランを作り直すこと。といいつつ、具体的には、巨額の賠償債務によって債務超過が明らかになっている以上、東京電力は会社更生型の手続きに則り、事業再生と被害者への損害賠償を行うことと提言されているようですが、どうも「法治主義」という言葉の意味が我々が学んできたものと違うような気がします。

 巨額の債務超過状態にある企業が会社更生の申し立てをするかどうかは原則としてその会社の経営陣が決めることであり、例外的に、「当該株式会社の資本金の額の十分の一以上に当たる債権を有する債権者」または「当該株式会社の総株主の議決権の十分の一以上を有する株主」もまた更生申立てを行いうるに過ぎません。だから、政府が「当該株式会社の資本金の額の十分の一以上に当たる債権を有する債権者」または「当該株式会社の総株主の議決権の十分の一以上を有する株主」にならない限り、更生申立てを行うように政府が東京電力に要求すること自体がむしろ法治主義に反します。

 また、巨額の債務を負う企業がその債務を処理する方法として、営業用資産を売却して得た利益である程度まとまった金額の支払いを早期に行うか、営業活動の中で得た利益の中から定期的に弁済していくかは、当該企業とその債権者との協議の中で決まっていくことであって、本来国がとやかく言うことではありません。

 そして、今回の原発事故での被害者は、優先弁済権を有していないので、営業用資産の売却により支払い原資を確保する方式だと、債権のごく一部しか弁済を受けられない危険が高いといえます。で、債務者が営業用資産を売ってしまった場合には、それ以上の弁済を受けられなくなる可能性が高いので、その営業用資産を用いて営業を続けてもらうことにより着実に弁済が受けられるのであれば、そちらの方がむしろ望ましいということもあります。

 もちろん、原子力事故の被害者には長期分割を待つ余裕はないので、実際には、国庫から直接または特殊法人を通じて間接的に第三者弁済をした上で、その分を求償するということになるのでしょうが、その場合に、営業用資産を売却して代位弁済額の一部をまとめて弁償してもらってそれでおしまいというのが得策かというと難しいところです。電気料金の値上げによって東京電力が利益率を高め、そのことによって代位弁済額が中長期的に全額弁済されるというのであれば、そちらの方がましだという可能性もあります。

 上記提言では、

一般の企業であれば、重大な問題を引き起こし、巨額の損害賠償責任を負って、債務超過状態になれば、会社更生手続きによる破たん処理に進む。この場合、株主や、金融機関など債権者も責任負担を求められる。つまり、株主は株式価値滅失という形での責任負担、金融機関は債権カットを求められることになる。また、企業価値を最大化する観点で再生計画を策定して、そのもとで資産売却なども行い、賠償義務の履行のために充てられる。

とあるのですが、営業用資産を売却せず、むしろ、営業活動を継続することで得た収益で中長期的に巨額の損害賠償義務を履行していくこととした例としては、水俣病に関するチッソの例などがあるように思われてなりません。上記提言をされた方々は、東電に営業用資産を全部売却させて優先債権分を控除した残りを原発事故の被害者に賠償させた上で、それで足りない分を国が補償するとして、その補償した分を国がどう回収することを想定されているのか理解しがたいところです。

24/09/2010

逮捕歴のある政治家

 今や話題沸騰の小倉あさ子弁護士が次のように述べています。

法律違反の過去があるおばちゃんを国家公安委員会委員長にしてはいけないでしょう共産党もびっくりです。

 おそらく名誉毀損罪や侮辱罪等の法律を現在進行形で犯しつつ国会議員を目指している弁護士もいるようなので何とも言い難いお話なのですが、とりあえず、逮捕または受刑経験のある政治家がどのような地位にまで上り詰めたのか、実例を見てみましょう(なお、とりあえずWikipedia日本語版に則っています)。

  1. ネルソン・マンデラ  ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を作り、それらの活動で逮捕され、国家反逆罪で終身刑。その後、南ア初の黒人大統領。ノーベル平和賞受賞。
  2. 金大中 光州事件の首謀者として、内乱予備罪・陰謀罪・反共法違反・国家一級保安法違反の罪に問われ、死刑判決(後に終身刑に減刑)。その後、韓国大統領。ノーベル平和賞受賞。
  3. ロベール・シューマン  ナチスの統治に対する抵抗運動で逮捕。後に、フランス国首相。欧州連合創立者の一人とされる。
  4. ヨシュカ・フィッシャー 左翼過激派団体「革命闘争」のメンバーとして、火炎瓶も用いた警官隊との衝突に参加。活動家ウルリケ・マインホフの死に抗議するデモに際して警官2名が火炎瓶で重傷を負った事件との関連で逮捕される。後に、西ドイツの外相兼副首相

 日本でも、逮捕歴・検挙歴のある首相経験者がいるという噂はありますが、政治闘争の結果、というようなものではないようです。

20/07/2010

YAWARA!の進む道

 7月11日の参議院選で当選した谷亮子に対するバッシングが顕著です。

 私は、谷亮子のファンではないし、むしろ、「柔道が強い女性である」という以外に猪熊柔との共通点がないのに「やわらちゃん」と呼ばれる状況を放置しているところに若干の不満すらいだいているのですが、このバッシングは酷いと言わざるを得ません。

 報道によれば、

全日本柔道連盟の吉村和郎強化委員長は「当選したことで現役続行は非常に厳しくなる。ケジメをつけてほしい」とコメント。同連盟では合宿を8月中旬に北海道で、12月に都内でそれぞれ予定しているが、吉村委員長は「政治日程を理由に、合宿に来ないで試合だけするようなら身を引いた方がいい」とし、引退勧告を突きつける形となった。

とのことです。

 しかし、柔道って、基本的にアマチュアスポーツでしょう?アマチュアスポーツである以上、本業に時間を取られつつ選手として競技を行っていこうという人々を切り捨てるような発言は慎むべきなのではないかと思えてなりません。

 もちろん、「合宿」に参加した方が選手としてのレベルアップに繋がるのだろうし、その結果、「合宿」に参加しない選手は試合で不利に働くかもしれません。それは、仕事と競技の二足のわらじを履こうという以上、自己責任の範囲でしょう。

 しかし、「合宿」に参加せずに試合に出ることを否定する理由はないし、それで勝てれば、トップ選手として然るべき処遇をすべきでしょう。仕事と競技の二足のわらじを履くというのは、まさにアマチュアリズムのあるべき姿なのですから。

 本物の猪熊柔だって、柔道漬けの人生から逃れようと柔道から離れたポジションを選び続けるが、それでも勝ってしまうわけですし。

03/06/2010

世襲社会の終焉

 菅さんがそのまま総理に昇格するにせよ、樽床さんが大逆転を収めて総理の座をつかむにせよ、国会議員の子どもではない総理大臣というのは森さん以来なんだなあ、政治家の子どもではない総理に至っては、村山さん以来なのだなあということを、しみじみ感じざるを得ません。

 国会議員の子どもが総理になるというのは、戦後についていえば、宮沢さん以来の流れであって、昔からそうだったわけではありません。そして、総理大臣になるのは国会議員2世、3世が当たり前の格差社会を築き上げられたら、活力の乏しい「失われた20年」が到来してしまったということになります。

 そういう意味では、どちらが次期総理になるにしても、閉塞的な世襲社会の終焉を象徴するものになって欲しいなあ、と願わずにはいられません。

08/05/2010

鳩山政権の公約違反を責めるなら

 交渉というのは、全力を尽くしても目標を達成出来るかどうか分からない。これは日ごろ交渉に携わっている人には当たり前のことです。なにせ、相手のいることですから。

 だから、鳩山首相が、普天間基地の移転問題について、国外または県外移転という「公約」を結果的に果たせなかったからといって、それを「公約違反」と罵るのはあたっていないように思います。まあ、国外または県外移転を実現すべく何の交渉もしていないというのならばともかく、それなりに交渉をして、拒否されているだけですから。

 もちろん、目標を実現できるかは相手方次第である外交交渉ものを選挙公約にすることがそもそもの間違いであるという考え方はあろうかと思いますが、しかしそういう考え方にたってしまうと、私たち国民は、選挙の時に、各政党がどういう外交方針を採用するのか、どの外交問題について外国に対しどのような要求をその政党が政権を取った際に行うのか、知り得ないということになってしまいます。選挙の時にそれを示してしまうと、それが実現できなかったときに、公約違反だと罵られてしまいますから。

 その意味で、普天間基地の移転問題で鳩山首相を公約違反と罵ること、ましてそのことを主たる理由として退陣を迫ることは、適切でないように思います。

 鳩山政権を攻撃したいのであれば、むしろ、公約を実現しようと思えばできるのに実現しようとしない問題に焦点を絞るべきだと思います。

 もちろん、公的資金を大規模に費消してしまうタイプの選挙公約は、税収の大幅減や前政権末期のある種の焦土作戦の効果として思いのほか財源不足になっていることから、公約を果たすことができないのですから、それを非難するのはいかがなものかなあと思います。

 そうではなくて、鳩山政権の公約違反を攻撃しようというのであれば、やはり、取調べの可視化を中心とする刑事訴訟法の改正を速やかに行おうとしないという点においてでしょう。野党時代に法律案を作り上げているわけですから、すぐにでも法案を上程することは可能です。まあ、今度は政府案として提出することになるのだから有識者を含む審議会を通す必要があるというのであれば、さっさと審議会にかければいいだけの話です。それをやらないのは、警察官僚、法務官僚等に丸め込まれただけではないかと疑われても仕方がありません。

 ということで、野党の皆様、下野なう新聞の皆様、鳩山政権の公約違反を追求するのであれば、是非とも、「いつになったら取調べの可視化を実現するのだ!!」ということでお願いします。

05/05/2010

経済学者は封建主義特権を問題視しない。

 大竹文雄大阪大学教授は「日本人はなぜ市場競争が嫌いか」というコラムをウェブに掲載しています。

 市場競争が最も嫌われる要因の一つは、スタートラインの不均衡が大きいということが上げられると思うのです。スタートラインの不均衡を放置した状態で「Winner Takes All」というルールを設定されたら、有利なスタートラインを設定された人は喜ばしいかもしれないけど、不利なスタートラインを設定された人はとてもではないが納得できないということになります。

 もちろん、大竹先生は「さまざまな規制や参入障壁」により市場への参入機会を奪われた「市場の競争に入れてもらえない人たち」には配慮してみせるのですが、相続や世襲などの封建主義的な要素による競争条件の不均衡により涙を飲んでいる人たちには配慮していただいてはいないようです。すると、それは、封建主義的な特権を享受しているものとの関係でそのような特権を有していない労働者、小事業主を守る「権利」を、そのような「権利」を獲得することができなかった市民との関係で不均衡だから、廃止するのだと提唱して見せているに過ぎないということになります。そして、それはどのような結末をもたらすのかといえば、封建主義的な特権享受者からの搾取の強化にほかならないでしょう。だから、多くの国民が、封建主義を残したままの市場競争の強化を嫌うのは当然のことです。

 そういう意味では、もし、市場競争を強化することを望むのであれば、同時に封建主義的要素の排除を徹底したらいいと思うのです。もっとも、学部卒業後もしばらくは自分で食い扶持を稼ぐ必要のない特権階級に生まれたことがデフォルトの学者先生には、一番難しいことかもしれません。

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